トピックス  2005/10/21

排外意識を扇動する小泉首相
あらわになった小泉靖国参拝の意図を暴く!

 10月17日午前、小泉純一郎首相が秋季例大祭中の靖国神社を参拝した。直前に下された大阪高裁の違憲判断を意識してか、過去4回の参拝とは様変わりした私的参拝≠強調したものだった。しかし、首相の靖国参拝という点において何の変わりもなく、その政治的な意図はこれまで以上にあらわになった。       (折口晴夫)

 小泉靖国参拝については、すでに本紙307号で大阪高裁判決の詳報を行っており、靖国神社の本質についても高橋哲哉著『靖国問題』が紹介されている。ここでは改めてそれらには触れないが、靖国神社による合祀の意味について高橋氏の指摘を紹介しておく。以下の引用は、東京招魂社を靖国神社と改称し、別格官幣社に格付けした際の「祭文」(1879年6月25日)を、高橋氏が翻訳≠オたものである。
「明治維新より今日まで、天皇が内外の国の暴虐なる敵たちを懲らしめ、反抗するものたちを服従させてきた祭に、お前たちが私心なき忠誠心を持って、家を忘れ身を投げ捨てて名誉の戦死を遂げた『大き高き勲功』によってこそ、『大皇国』を統治することができるのだ。と思し召したがゆえに、(中略)今後、お前たちを永遠に『怠る事無く』祭祀することにしよう」(『靖国問題』101ページ)
 靖国神社「遊就館」は、@殉国の英霊を慰霊顕彰する、A近代史の真実を明らかにする、ための軍事博物館だが、その基調は先の「祭文」と変わらない。今日においても、靖国神社が多くの合祀絶止(取り下げ)要求を拒否するというかたくなな態度を取り続けている理由も、もっぱら宗教的理由によるものではなく、靖国存在の正当性を否定するものへの拒絶にほかならない。靖国神社の反動性はこのように平和を否定し、国民を戦死へと駆り立てる役割を今も忠実も果たそうとしているところにある。
 小泉首相は今回も参拝の理由を、「過去の戦没者を追悼する自然な気持ちと、二度と戦争を起こしてはいけないという不戦の誓い」と説明している。しかし、近隣諸国から「重大な挑戦」と受け止められるような行為が、不戦の誓い≠ニ言えないことは明らかだ。また、国のために殺し、殺されること≠賛美する神社に参拝することは、およそ追悼とは無縁である。
 小泉首相が繰り返す参拝理由は、ウソも100回言えば真実になるたぐいの国民向けの欺瞞に過ぎない。今やその効果が絶大であることが証明され、右派マスコミだけではなく多くの国民から内政干渉≠ノ対する感情的な言葉が飛び出すようになっている。それらは歴史に対する無知をさらけ出すものであり、この間の歴史改ざん派の功績≠ナもあるが、一国の最高責任者の執拗な世論操作の効果は絶大である。
 かくして、中国や韓国との関係は完全に破綻し、多くの政治日程が暗礁に乗り上げてしまった。問題なのはそうした国家間の軋轢にとどまらず、国民の意識においても排外主義が台頭しつつあることである。靖国の歴史は血塗られたアジア侵略の歴史であり、それは内政*竭閧ナはなく外征*竭閧ナある。日本の世論が内政干渉#rすべしという方向にさらに進むなら、アジアの人びとから新たな戦争準備とみなされてもしかたがないだろう。
 この台頭しつつある排外意識・愛国心に対して、人びとには国境によって隔てられた利害関係などないこと、歴史の真実を見極めることなく戦争への歩みを止めることなどできないことを、あきらめることなく訴え続けることが重要である。
 また、小泉氏が一私人としての参拝を心から願うなら、即刻首相の座を降り議員の職も辞すべきであり、そうすれば心おきなく私人としての靖国参拝が実現するのである。最もそうなれば、小泉氏が靖国に参拝する意味もなくなるのであるが。         トピックス案内へ戻る