トビックス 2009/01/15      トピックス案内へ戻る

イスラエルによるガザ攻撃、無差別虐殺糾弾!

 昨年末の27日に始まったイスラエル軍によるガザ空爆は、無差別の破壊と殺戮によってすでに多くの無辜のガザ市民を殺害している。ハマスのロケット弾攻撃を阻止するためという理由をつけ、イスラエル外相は「正当な自衛行為」だと述べている。イスラエルはパレスチナの破壊によって成立した国家であり、その存続のためにパレスチナを抑圧し続けている醜悪な国家である。
 その行きつく先はパレスチナの絶滅≠ネのか。新年の3日には地上侵攻へと突き進み、国際社会の批判(12日には国連人権理事会すらイスラエルを「強く非難する」決議を多数決で採択している)も省みず、攻撃を強化している。イスラエル大統領は「われわれの目的はガザの占領やハマスの壊滅ではなく、テロの撲滅だ」と言うが、その前にイスラエルがテロ国家≠ナあることを止めなければならない。ガザ市民の死者数は日に日に増加(13日の新聞報道では死者900人越え、負傷者約3600人)し、新たな憎悪と絶望を生み出している。これは新たなテロの生産≠ナはないか。
 米国の後ろ盾を受けて、イスラエルは国際社会の声を無視して無法の限りを尽くしてきた。分離壁によってパレスチナは巨大な監獄≠ノなりつつあるし、占領地ではイスラエル軍戦闘兵士が日常的な破壊と殺戮を繰り広げている。しかも、こうした現実はあまり報道されないので、何かパレスチナ側のテロ≠ノ問題があるかのように捉えられがちである。パレスチナ問題の本質は暴力の連鎖≠ネどではなく、イスラエルのパレスチナ軍事占領、破壊と殺戮であり、それ以外ではない。
 イスラエルは今も、ウソの報道によってこうした事実を隠そうとしている。新たに、残虐な兵器とされている白リン弾を使用しているのではないかとの疑いも浮上している。パレスチナにおいてこれまでイスラエル軍がどのように振舞ってきたのか、戦闘兵士の沈黙を破る告白によってその一端が明らかになっている。
 私たちはガザからの声に耳を傾け、その真実を知らなければならない。そして、イスラエルの国家的テロに反対し、行動によってその意思を表明し、日本政府が平和憲法に恥じない行動をとるように求めなければならない。
               (2009年1月13日・折口晴夫)

土井敏邦「沈黙を破る‐元イスラエル軍将兵が語る占領=]」(岩波書店)

 昨年5月刊行された本書は、現在繰り広げられているガザでの無差別殺戮の当事者ではないが、イスラエル軍内部からもたらされたパレスチナ占領の真実を外部世界に知らせるものである。その内容は次のようである。
「パレスチナ自治区内の占領地で日常的に繰り返される暴力や殺戮。イスラエルでは多くの兵士が占領地での任務に就くが、今までその実態が語られることはなかった。自らの加害体験を社会に伝えるために結成された青年退役兵たちのグループ『沈黙を破る』へのインタビューを通して、『占領』の本質を浮き彫りにする」
 著者は序章において、なぜイスラエル軍将兵の証言を日本に伝えるのか述べている。まず、イスラエルのまだあどけなささえ残る若者が「占領地でパレスチナ人住民の前に立つとき、冷酷な占領軍≠フ姿に一変する」ことに衝撃を受けたことをあげている。そして、イスラエル・パレスチナ問題を占領される側からの証言だけではなく、もう一方の当事者である占領者≠スちの証言が加わることによって、「立体的、重層的にその実態を捉えることができ、同時にこの問題が単に占領されるパレスチナ人の問題としてだけではなく、占領し支配するイスラエル人自身と、その社会にも深刻な問題を生み出している事実も浮き彫りになってくる」と語っている。
 さらにこのことが、「かつて侵略者で占領者であった日本の過去と現在の自画像≠映し出す鏡≠ニなりうる」とし、「私たち日本人が行ってきた加害≠フ過去と、それを清算せぬまま引きずっている現在の日本人の自画像を見つめなおす貴重な素材となるはずだ」と指摘している。これは第3章「旧日本軍将兵とイスラエル軍将兵‐精神科医・野田正彰氏の分析から‐」で展開されており、非常に興味深い分析である。ぜひ、本書を手に取り、その内容を検討していただきたい。
 戦闘兵士による残虐行為とはどんなものか、2004年4月のヨルダン川西岸のジェニン難民キャンプ侵攻直後の取材で著者が得た住民の証言を示している。
「一度、兵士が住民にスピーカーで『裸で外に出て降伏しろ』と叫びました。その時隣人のアル・サッバーブが家の外に出て行きました。すると兵士が道で彼を撃ち殺しました。彼は裸でした。その後、戦車がその遺体をひき潰し、道のようにしました。住民がその遺体を回収しようとやってきたとき、残っていたのは小さな肉片だけでした。遺体は粉々になり、もし人々が殺されるところを見ていなかったら、それが誰の遺体かわからなかったでしょう」
「私たちは部屋の中にいて、煙が見えました。兵士たちがドアを開けろと叫んでいました。姉のアファフはドアを開けようとしました。その時爆弾が爆発しました。家の中にいた私たち全員が泣き叫び、救急車をと叫びました。兵士たちはそれを見て笑っていました。姉を見ると、顔の右半分と肩は左側が破壊されていました。腕にも傷がありました。姉は即死でした」
 同年6月、元イスラエル軍将兵の青年グループがヨルダン川西岸のヘブロンでの兵役の体験を自ら撮影した写真展「沈黙を破る‐戦闘兵士(コンバット・ソルジャー)がヘブロンを語る」を、イスラエル最大の都市テルアビブで開催した。グループのパンフレットには「私たちは、自分たちがやったこと、目撃してきたことを忘れるべきではありません。私たちは沈黙を破らなければならないのです!」とある。
 次に、第1章「占領地の日常‐『沈黙を破る』証言集より」からの引用を紹介しよう。
「『レインボー作戦』で最も印象に残っているのは、武力の行使を抑止するものが全くないと言う感覚でした。無差別の力の行使=Aそれより穏やかな表現はありません」。ストロー・ウイドウ(イスラエル兵がパレスチナ人の民家の一部、又は全部を占拠し、攻撃または監視の拠点にすること)では、ドアから入るのではなく、D9という軍事用大型ブルドーザーで壁に穴を空ける。それはドアに仕掛け爆弾があった例があるからで、「壁に穴を空ける。それを我われは『ドアをノックする』と呼びます」「破壊する建物をどのように決めるのかと私に質問するものは誰もいません。・・・中隊長が『この家は嫌いか』と私に訊く。『そうですね』と答えると、彼は『じゃあ、残して置くな。君のために、破壊するぞ。この温室は? わかった、壊してしまおう』といった具合です」
「『銃撃を交わす』というのは、ほんとうは撃ち合うことではないのです。相手側からの引き金となる1発の銃撃と、我われ側からのあらゆる方向への乱射ということです。ほとんどの場合、その発砲源が確認されることはありません」「銃撃するのは、『確認』や『プレッシャー』からでもなく、『恐怖心』または『臆病さ』からでもないのです。ただ、ライフルにXマーク〔標的を殺したことを示すためにライフル銃に付けられた印〕を付けたいからです。基地に戻って、『おい俺はXを付けたぜ、これを殺し、あれを殺した』『おい、男になったぜ、人間を殺したんだ』と言いたいのです。だから指がすぐ引き金にかかるのです」
「追撃砲が撃たれた直後でしたから。命令は、『街の通りで見かける者は全員射殺せよ』というものでした。夜の早い時間でした」。これはガザのデアルバラ地区において、追撃砲を打ち込まれた反撃としての侵攻時のことである。何か現在のガザ侵攻と重なるようだが、これが真実なのだ。
 第2章は、「なぜ『沈黙を破るのか』‐メンバーの元将兵と家族らへのインタビュー」で構成されている。
「軍に入隊するときには、私たちはちゃんと善悪の違い≠ヘわかっていました。ちゃんと自分の倫理や道徳心は持っていましたから。でも入隊した初日からちょっとの間に、軍隊のなかで、私が今まで信じてきたものすべてが、ミキサーにかけられぐちゃぐちゃにされ、押し潰されていました。住民が暮す地区に手榴弾を発砲するなんて非道なことで、狂気じみていると最初はわかっていたのに、その日の午後7時には私はもうマシンガンで砲撃しているのです。その後2年半の占領地での任務で、今の自分、『ユダ』が出来上がったのです。あそこでは善と悪の違いなんて見分けることはでませんでした」

 引用ばかりになってしまったが、証言・インタビューによって構成されているのでお許し願いたい。最後にさらに長い引用を行うが、彼らの証言に右派から「お前たちの言っていることは大嘘だ」という非難が投げつけられている。イスラエル社会において、「沈黙を破る」取り組みがどのように迎えられているか、あるいは迎えられていないか理解して頂けるだろう。
「撮影隊が、一人の軍曹がパレスチナ人を殴るシーンを撮りました。すると、その軍曹は即座に裁判にかけられ、虐待の罪に問われました。その直後、あらゆるメディアやイスラエルを代表する人びとは、『これは極端な例外であり、このような事件は法のもとに裁かれるべきだ』と主張しました。するとその軍曹の属している小隊の同僚64人が、軍の参謀総長あての申し立て書を送り、『こんなことは例外でもなんでもなく、日常行われている現実で、フワラの検問所を管理する方法はこれしかないのです』と抗議したのです。フワラの検問所では毎日6000人のパレスチナ人が歩いて通りますが、たった6人のイスラエル兵が8時間交代でそこを立って管理していました。兵士たちが言うには、そんな状況でフワラの検問所をコントロールできる唯一の方法は、パレスチナ人を50人につき1人を殴り、また炎天下で2、3時間待たせてカラカラに干からびさせる、そうすることで『ここでの支配者はイスラエル軍なのだ』と見せつけることなのだ、と訴えたのです。しかし、誰もそんな申し立て書の内容に真剣に耳を傾けようとはしませんでした。イスラエル社会にとって一番いいやり方は、そういった話は例外に過ぎないのだと信じ込むことなのです。『こんなことは極端な例だ、現実とは違う。我われの息子たちがこんなことをするはずがない』というふうに。だからこそ私たちは『沈黙を破る』という言葉で、『それは例外なんかではない。それは私も、あなたの息子も、そして私たちの世代の若者みんながやっていることで、多かれ少なかれ、すべての戦闘兵士たちが虐待や略奪、財産破壊などにかかわっている』と表現しているのです」    (晴)トピックス案内へ戻る