ワーカーズ294号  (05/4/1)              案内へ戻る

敗戦から60年・始まった歴史の反逆
国境を超え、日韓の民衆連帯を目指そう!

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)韓国大統領の対日批判が急激に厳しさを増している。言うまでもなく、こうした対日姿勢を誘ったのは日本の為政者のあまりにお馬鹿な振る舞いである。靖国神社参拝を止めようとしない小泉首相や歴史改ざん教科書を賞賛する中山文科相、極めつけは「竹島の日」条例を制定した島根県議会。彼らの自己中心で視野の狭い思考のなかには、他者へのまなざしは皆無だ。
 3月23日に青瓦台(大統領府)のホームページに発表された国民向け談話には、それらを指弾する言葉が目立つ。「侵略と支配の歴史を正当化し、再び覇権主義を貫徹しようとする意図を見過ごすわけにはいかない」「謝罪は真の反省を前提にし、それにふさわしい実践がなければならない」「韓日関係の未来のために(強い対応を)我慢してきたが、返ってきたのは未来を全く考慮しない日本の行動だった」「一部の自治体や国粋主義者の行為にとどまらず、日本の政府の幇助のもとに行われている」等々。
 一国の最高責任者が隣国をかくも厳しく批判するのは異例なことだが、小泉のあの慇懃無礼な振る舞いに我慢も限界に達したようだ。例によって、右翼マスコミは愛国主義的非難を書きたてているが、反省なき居直りが指弾されるのは当然だ。「世界秩序を主導する国家になろうと思うなら、国際社会の信頼を回復しなければならない」という指摘も、国連安保理常任理事国入りを目指す日本政府には耳の痛い正論だ。私たちは、盧武鉉大統領の強硬姿勢の背後にある、日本に向けられた韓国民衆の視線を確認しなければならない。
 竹島の領有問題についても、その正当性を争ってどんな意義があるのか、敵対的な愛国主義を煽るだけだ。「竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土である」と百辺唱えても、誰も納得しないだろう。むしろ私たちは、国境などというものに囚われることなく、民衆連帯を進めるべきである。
 昨今の韓流ブームは日韓の相互理解の契機となる可能性もあるが、歴史認識を置き去りにしたままなら、コマーシャリズムに躍らされたあだ花に終わるだろう。韓国の日刊紙「朝鮮日報」は3月20日、「日本の『歴史教科書検定』の行方を見守る」と題する社説を掲げ、「日本の侵略史を歪曲および美化した扶桑社版教科書」の検定の行方を注目している。
 然り、然り、これらは全て私たちが取り組みべき課題である。反省なき者達による戦時体制づくりに反対し、朝鮮植民地化100年の歴史と向き合おう。    (折口晴夫)


 ――続論―― 企業は誰のものか―― 企業大買収時代の到来――

 影の役者、ソフトバンクグループが舞台表に登場


■企業買収活劇の第三幕

 パックマン・ディフェンス、ポイズン・ピル、クラウン・ジュエル、ホワイトナイト、トロイの木馬、云々。M&A(企業買収)の専門家等しかなじみがなかった日頃聞き慣れないカタカナ文字が、テレビや新聞から茶の間に毎日のように飛び込んでくる。中世の騎士時代の戦闘を思い起こさせるこれらの言葉は、80年代に米国で拡がったM&Aの場面で使われた符丁・比喩だといわれる。
 それはともかく、ニッポン放送によるフジテレビへの新株予約券の発行差し止め裁判でライブドアが高裁でも勝利し、ニッポン放送とライブドアによる企業買収劇が、フジテレビとライブドアの正面からの攻防戦という第二幕に突入した、と思われた瞬間、ライブドアの天敵とも言われるソフトバンクグループがこのビジネス活劇に登場、いきなり第三幕が始まってしまった。
 ライブドアの堀江社長がフジテレビの女子アナなどと頻繁に合コンを開いているとか、フジテレビのバラエティー番組にレギュラーで出ているとか、テレビのバラエティー番組や報道番組に格好の話題を提供している。それに堀江社長の天敵ともいえる孫氏のソフトバンクグループの登場が、果たしてホワイトナイトなのか、それともトロイの木馬なのかといった、ドラマ性にも事欠かない。またライブドアの背後にいる投資会社リーマン・ブラザースの存在、年間売り上げ300億円、株の時価総額2000億円のライブドアが時価総額7000億円のフジテレビという、小が大を飲み込もうとするドラマチックな展開など、この間の攻防戦の経緯はメディアが毎日垂れ流している。が、ここでは前回の記事に引き続いてこの買収劇の本質の一つである企業の所有権や占有権について考えてみたい。(3月27日)

■大買収時代の到来

 はじめに今回の企業買収劇が提起している背景や問題の所在を探っていきたい。
 いうまでもなく、いま派手に繰り広げられているニッポン放送やフジテレビの争奪戦は、かつての〈日本的経営〉から米国流のグローバルスタンダードへの転換局面で起きていることだ。これまでの日本の企業社会は、〈企業グループ〉〈株の持ち合い〉〈間接金融〉〈経営者主権〉〈日本的労使関係〉などに象徴された、いわゆる“日本的経営”と称される特殊性を持っていた。それが経済のグローバル化の流れの中で内外からの修正圧力にさらされ、少しづつ“国際基準”に沿って再編されつつある。資本収益率の重視や社外取締役の拡大など、それらの再編は日本的経営を特徴づける経営者主権から株主主権への転換でもあった。
 現に、商法や会社法などが徐々に改正され、今国会では株式交換方式による企業買収に道を開く、いわゆる〈三角合併〉が解禁されるなどの会社法改正案が上程される予定だった(今回の買収劇で一年間凍結された)。それが実現すれば、米国などの巨大資本による日本企業の買収が大幅に増える事も予想され、経済界では〈企業大買収時代の到来〉がいわれてもいた。そうした時代を見据えながら銀行なども再編統合によるメガバンク化を進めてきた。それもこれも大銀行でさえ外資に飲み込まれるのではないかという恐怖心も背景になっていたからだ。
 いわゆる〈日本的経営〉は、戦後しばらくの間は脆弱な日本企業が外資に飲み込まれるのを防ぐ障壁になってきた。が、今回のライブドアによるニッポン放送やフジテレビの買収劇は、〈日本的経営〉を国際基準に合わせる過程で起こった最初の大きな買収劇となり、結局、企業の大買収時代の幕開けを象徴する事件になったわけだ。
 その他にも企業買収劇の背景としては過剰資金問題などもある。国際的にも投機マネーがだぶつき、日本でもリストラなどによる企業業績の回復が言われるが、家計を始めとする需要不足は少しも回復しない。その結果、投資資金が投資先を求めてM&Aに向かう土壌が出来ているのだ。
 こうした事情は、日本でも本格的なマネーゲームの時代が到来したこと、企業の大買収時代が到来しつつあることを物語っている。そのマネーゲーム、〈企業の大買収時代〉とは、〈物づくり社会〉から小さい投資先を奪い合う企業争奪戦時代への転換であって、それだけ日本の企業社会は寄生化、腐朽化傾向を強めている証左でもある。
 〈大買収時代〉の検証そのものも欠かせないが、ここではもっと本質的な側面について考えてみたい。今回のニッポン放送とライブドアの買収劇で話題の一つに取り上げられた、いわゆる〈企業とは誰のものか〉ということについてだ。

■会社は誰のものか

 今回のライブドアによるニッポン放送の株の買い占めをめぐる攻防戦の過程で、ニッポン放送によるフジテレビを引き受け対象とした新株予約権付き転換社債の発行問題が大きく取り上げられた。これはライブドアによる仮処分の申請以降、ライブドアが裁判で三連勝して決着したあの問題だ。その攻防の局面では一つの、しかし根源的な論議を呼び起こすものになった。〈会社は株主のものだ〉という観点からすればまさに転倒した現実が目の前で起こされようとしていたからだ。
 現実に起こったことは、ニッポン放送の筆頭株主になり、過半数の株を押さえつつあると見られたライブドアという新しい〈会社の持ち主〉を、ライブドアの子会社化しつつあった当のニッポン放送がそれを拒否し、会社の持ち主を逆指名するような事態が生じたからだ。こうした構図がいわゆる〈会社は誰のものか〉という根源的な疑問を広く世間に問う事態の発端になったわけだ。
 教科書的な解釈からいえば〈株式会社〉は株主のものだ。その株の過半数を制することができる株主あるいは株主グループが経営者を決め、その経営者に会社の経営を託す、というのが普通だ。ところが現実はと言えば、企業社会がたどった歴史的な経緯などの違いによって、株主と経営者の存立基盤や相互関係は大きく違っている。アメリカなどでは〈株主主権〉が貫かれ、経営者は配当重視など株主優先の経営に傾き、企業利益や株価・配当を上げられない経営者はたちどころに首をすげ替えられた。これに対して日本では相対的に〈経営者主権〉が強く、企業利益は一期ごとに配分しないで内部留保や長期的な設備投資に回す傾向が強かった。これが日本の高度成長の要因の一つにもなったわけだが、これらも含めて日本ではいわゆる〈日本的経営〉の特殊性による、経営者の地位と権力が米国などに比べて格段に強かったわけだ。
 こうしたことを前提に考えると、今回の攻防戦は、単純化して言えば、米国流の〈株主資本主義〉と日本流の〈法人資本主義〉との対立であり、また株主権と経営権の衝突でもあった。さらに別の角度から見れば所有権と占有権の衝突でもあったともいえる。だから今回の攻防戦は、メディア産業の買収という特殊性を帯びたものだとはいえ、日本の企業社会のぶつかっている現実を浮き彫りにするものだったわけだ。現在進行中の企業買収ドラマは、〈日本的経営〉の〈企業一家〉社会から米国流の〈お金がすべて〉という〈マネーゲーム社会〉への歴史的な転換点を象徴する事件でもあった。

■会社は労働者のもの

 今回の企業買収をめぐる攻防戦が経営者主権から株主主権への転換点で起こったと言ったが、実はその背後でもう一つのより本質的な事実が浮かび上がっていたことは過小評価されている。それは労働者こそ会社の本来の持ち主だということ、現在は経営者から雇われているに過ぎない労働者が、実は所有権や経営権という法的な外皮を取っ払ってみれば、会社を支える屋台骨であり、実際に会社を動かしているのは労働者以外の誰でもない、という現実そのものだ。
 実際、ニッポン放送ではそれまでフジ・サンケイグループが大株主になっていたグループ企業であったのが、一朝にしてライブドア傘下の子会社にされた。この間、ニッポン放送による防御戦として仮処分裁判などあったわけだが、その間にもニッポン放送は番組放送を流し続けてきた。製造業や流通業にたとえれば、特定の製品を造り、それを消費者に届けてきたわけだ。株主や経営者が企業の所有権をめぐって白昼公然と攻防を繰り広げていたその瞬間でも、企業は基本的にはそれ以前と全く同様に生産活動を担っていたことになる。
 こうした事態は、かつてストライキに際して言われたことがあったように、会社の形式的な所有者や運用者は株主や経営者であって、また所有権や経営権にがんじがらめにされているとはいえ、それらを取り払って考えれば、あるいはそれらをはぎ取ってしまえば、本当の主人公は労働者自身である、という現実を浮き上がらせたわけだ。別の言い方をすれば、労働者は企業の潜在的な運用・用益者(=占有者)であること、あるいは経営者の経営権(=占有権)を補助する〈占有補助者〉である、という実態を浮き上がらせるものでもあった。ただしこのことの自覚をどれほど持っていたかは明確になっていないという現実の上での話だが……。
 このことは単に一企業や一企業グループの帰趨を左右する問題ではなく、企業社会全体、労働者全体の雇用や処遇の帰趨を左右するものだろう。問題はそれを自覚すること、その自覚の上に今後の闘いの目標や手段を再構築することにある。

■労働者の占有権の確立を

 今回のライブドアによるニッポン放送株の取得に対しては、株式市場の時間外取引で大量の株を一瞬のうちに取得するという不透明な手段が使われ、それを許した証券法制への批判も聞かれる。そうした手法への抵抗感や批判、さらには堀江社長の「お金で買えないものがあるとは思えない」等という発言もあってライブドアへの忌避の声が多方面から上がっている。しかしだからといって米国流のドライなマネーゲーム社会に対して、かつてのような日本的な企業一家体制に回帰すること、言い換えれば〈日本的経営〉に回帰することを対置すればいいのだろうか。そんなことはあり得ないし、起こりえないだろう。企業一家体制は現実のグローバル経済に耐えられないし、また企業一家体制そのものが経営者独裁体制をもたらし、また企業犯罪や企業腐敗の土壌にもなってきたからだ。
 そうではなく、上述したように、会社は本来労働者のものであるという実態の上に何を対置するかを考えることが重要なのだと思う。そのように考えれば、労働者の立場からすれば、利潤至上主義や所有権至上主義を体現する株主の力を無効化することこそ対置すべきではないだろうか。その上で、日本的経営体制として経営権至上主義を体現してきた経営者・取締役会の経営権=占有権を労働者が奪還すること、そのことで労働者による企業の運用・用益権=占有権を打ち立てることを大目標として対置すべきだと思う。そうすることで労働者の資本からの解放の道筋が見えてくるのではないだろうか。
 今回の一連の企業争奪戦の推移のその裏側には、こうした労働者の根源的な課題の存在を私たちに教えるものになっている。

■その言や良し

 今回の攻防戦の中で、ニッポン放送社員の中から注目すべき声が発せられている。ニッポン放送の社員組織が声明を発表し、もしニッポン放送がライブドア傘下になれば自分たちは労働組合をつくってストライキで闘う決意だ、という決意を表明した。
 え、なぜいま組合なの?なぜ今ストライキなの?いままでは何をしていたの?という愚問はやめにしておきたい。それにニッポン放送社員の平均年齢が40歳で平均年収が1160万円だということも触れないでおこう。個別ニッポン放送社員にその決意がどれほどのものかも問わないし、またその決意が経営者の意向や自分たちの企業一家構造にどれだけ左右されているかも不問に付すとしよう。
 それよりも、そうした言葉と決意は、個別ニッポン放送の社員にとっては〈トンでも発言〉の側面はあるが、同様な事態にされされる労働者すべてにとっては、この上ない〈至言〉としての性格を持っているからだ。今回の事件でもニッポン放送の社員の口から、自分たちの雇用や処遇を経営者に守ってもらいたいなどという発言も聞かれた。が、労働者の雇用や処遇は経営者に守られる性格のものではない。労働者は誰が株主であっても、誰が経営者であっても、基本的には自分たちの処遇を自分たちの団結と闘いによって確保する、という土台の上に対抗策を考える必要がある。ニッポン放送社員の声明は、そうした意味で全く正当で当を得た立場の表明になっている。そういう意味でも、ニッポン放送の社員組織の声明は、労働者全体の立場の再確認であり、全労働者の支持を得られるものになっている。労働者にとって普遍的な課題を鮮明にしているからだ。
 ニッポン放送社員が、有言実行することを期待し支援するとともに、私たちすべての労働者はその決意を範として、今後の企業大買収時代に対処したい。(廣) 案内へ戻る


竹島=独島への領土要求は百害あって一利無し
 国家主義の策動を日韓の民衆の連帯で打ち破ろう!


■島根県の条例制定と韓国側の激しい反発

 3月16日に島根県議会が「竹島の日」条例を可決した。議長と欠席者を除く36名の議員中35名が賛成しての可決だ。
 これに対して韓国側は、政府、自治体、民間諸団体が激しい反発を見せた。島根県議会前では韓国の市議や市民が抗議行動を行い、韓国国内においても連日激しいデモが続いている。島根県議会前での行動では市議が指をカッターナイフで切るに及んだが、韓国の日本大使館前では自らの身体に火を放って抗議する者も現れた。
 「竹島の日」条例制定が招いた軋轢は、この間のワールドカップ共同開催、韓流ブームなどによって親密感が深まっていたかに見えた日韓の間に、実は未だに放置されたままの深い溝が存在し続けていること、あるいは新たな壁が立ち現れ始めていることを改めて思い知らせた。
 その溝とは、日本による朝鮮侵略、植民地支配、その中で行われた数々の蛮行に対する補償や謝罪が未決済にされてきた事実である。そしてその壁とは、日本政府が植民地支配などの精算の代わりに歴史教科書や小泉首相や閣僚たちの靖国参拝などによってその合理化、開き直りの姿勢を強めてきている事実である。
 そしてさらに言えば、経済的興隆が著しい東アジア地域において、その将来図をどう描くかをめぐる思惑の角逐もある。この地域をめぐって日本、中国、韓国、それに加えて米国やロシアなどがそれぞれの思惑をたくましくしているが、日本がひたすら米国追随路線をとっているかに見えるのに対して、韓国はそれと一線を画して東アジアで独自の立場をとろうとし始めている。いわゆる「歴史問題」もそうした利害対立、路線対立の中に再配置される形で新たな意味合いを帯びようとしているのである。

■竹島は江戸時代から日本のもの?

 島根県が制定した「竹島の日」条例に対して、小泉首相は「竹島は日本固有の領土だ」と応じた。しかしこの認識は本当に妥当と言えるだろうか。
 竹島=独島を韓国固有の領土だと主張して物理的な占有を強行している韓国当局の対応への評価は、韓国の労働者・民衆の手にひとまず委ねよう。我々は韓国の進歩的な人々が韓国の政府や右翼的勢力のナショナリスティックな主張を支持せず、むしろそれに反対していることを知っている。だとするならなおさら、我々に求められているのは自国日本の支配層の主張に対する日本の労働者の側からの評価であるべきだ。我々にとって最も重要なことは、自国の日本政府や右派勢力が叫んでいる「竹島は日本固有の領土だ」という主張に対する我々自身の見解の対置なのである。
 日本政府は、「竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土である」と言っている。
 その「歴史的事実」とはどのようなものか。まず日本政府が打ち出すのは次のような主張である。
 「江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱綾島を拝領して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していたが、竹島は鬱綾島渡航の寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた」「1696年、鬱綾島周辺の漁業をめぐる日韓間の交渉の結果、幕府は鬱綾島への渡航を禁じたが(竹島一件)、竹島への渡航は禁じなかった」
 漁業を生業とする者たちが幕府から島を拝領し漁業を行っていたと言うのであるが、こうした事実なら、韓国側にも同様の主張が可能である。そもそも鬱綾島はもともとは朝鮮半島の人々が古くから漁業や材木の伐採などを行っていた島である。確かに船の便の困難などもあって「空島」政策をとっていた事情があるが、その間も役人を派遣して調査を行ったり、漁業や材木伐採などを行うなど、鬱綾島が朝鮮半島の人々の生産活動の圏内にあったことは様々な資料が疑問の余地なく語っている。問題となっている竹島は、鬱綾島より遙か東方にある岩礁であるため、鬱綾島のような濃厚な生産活動や生活の跡は見られないのは当然であるが、しかしそうした事情は当時の日本人とて同様である。
 日本政府は、「1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた」「竹島への渡航は禁じなかった」等と言うのであるが、こんなものが「我が国固有の領土」であることの「歴史的事実」の証明になどなるはずもない。「歴史的事実」を言うのであれば、何よりも政府が言う「竹島一件」、つまり当時の日本と朝鮮との間における鬱綾島などの帰属をめぐる7年間の交渉で幕府がそれを明確に放棄した事実を取りあげるべきである(なお「竹島一件」で言われる竹島とは現在の鬱綾島の古名である)。この交渉の過程で、幕府から竹島(現在の鬱綾島)と松島(現在の竹島)の帰属関係を問われた鳥取藩は明白に自藩の帰属ではないと応えており、このことも根拠となって幕府は「竹島一件」の断を下したのである。
 それだけではない、この「竹島一件」による鬱綾島などの放棄は、その後の幕府の姿勢だけでなく明治政府の政策にも反映されざるを得なかった。明治政府は、1869年朝鮮の内情調査を行い、その報告書で「松島」(現在の竹島)と「竹島」(現在の鬱綾島)は朝鮮の領土であると明確に語っている。また「江華島事件」を起こして朝鮮に対して不平等条約「日朝修好条規」を押しつけた後の1877年の明治政府の太政官令でさえ、「竹島外一島」(鬱綾島と竹島)は「本邦の版図外」と見なすとはっきりと述べている。また明治政府が作製した地図には鬱綾島と竹島を朝鮮の版図として記したものはあるが(日本海軍作成の「朝鮮水路誌」)、日本の版図だと明確に記したものはない等々…。

■1905年の領土編入は正当な行為?

 こうした政策が大きく転換されるのは、日本がアジアにおける列強として成り上がり朝鮮や中国への領土的野心を強め、そのことも契機にしてロシアとの対立が激化し始める中においてであった。
 日清戦争(1894年)で朝鮮への権益をさらに強め、日本の支配強化への反発を強める朝鮮王妃の閔妃を殺害し(1895年)、とうとう日露戦争へと突入していくこととなった(1904年)日本は、この日露戦争を勝ち抜くために日韓議定書を締結させて朝鮮本国と鬱綾島や竹島に日本の軍事施設を築き、それを強化していった。そしてそれにとどまらず第1次日韓協約(04年)を押しつけ、さらに軍事力の威嚇のもとに第二次日韓協約(05年)を結ばせて朝鮮の財政や外交権を奪い、朝鮮の人々の義兵闘争への野蛮な弾圧を繰り広げながら、10年には文字通り韓国を併合してしまったのである。竹島の日本領土への編入が行われたのは、この第1次日韓協約から第2次日韓協約に至る間の時期であり、朝鮮の主権が日本国家によってまさに剥奪されつつあるさなかであったのだ。
 日本政府は05年の竹島の領土編入を、「日本政府が近代国家として竹島を領有する意思を再確認したもの」、つまり江戸時代から続く竹島領有を近代的な国際法に則って「再確認」したものであると言う。また領土編入が05年に行われたということは「それ以前に、日本が竹島を領有していなかったこと、ましてや他国が竹島を領有していたことを示すものではない」とも言う。
 しかしこの領土編入過程において、当時の内務省は竹島について「韓国領土の疑いがある」と述べている。他国の領土と思われるものを、朝鮮や中国への進出を拡大し、ロシアとの戦端を開いている最中に日本の領土として編入したのでは、諸外国から疑いをかけられるとも言っている。こうした政府内の意見を押しのけたのは外務省であり、その理屈は「時局であるからこそ領土編入を急ぐべきである」というものであった。つまり諸列強が朝鮮や中国への野心を強め、日本もその一員として朝鮮・中国への進出を着々と推し進め、とうとうロシアと軍事衝突に至ったからこそ、こうした覇権競争に勝ち抜くために竹島も軍事的観点から領有しなければならないというのであった。まさに帝国主義的野心丸出しの理屈だったのである。
 また、日本政府は竹島が「韓国領土の疑いがある」と言いながら、これを日本領土に編入するにあたって韓国政府との間でどんな協議も行っていない。そればかりか竹島を領土として編入しておきながら日本政府はそのことを公表すらせず、ただ島根県の告示がこれを明らかにしたのみであった。
 現在の日本政府が竹島の領有の根拠として主張できるのは、結局は1905年の竹島の島根県への編入の決定のみなのである。ところがこの決定は、軍事力を背景にして韓国の主権を事実上奪いさり、それまでの日本の見解であった竹島は日本領土ではないという立場にさえ背いて、しかも世界にも韓国にもその経過を伏せながら行われたものである。こんな領土編入に、どんな正当性もあるはずがない。

■背景に日本支配層の資源ナショナリズムや国家主義

 なんともお粗末で恥ずかしい「我が国固有の領土」説であるが、しかしいま日本の国内でこうした領土要求が出現し強まっているのには、深い背景がある。
 それは、近年経済的成長が著しい東アジアにおいて、そしてアジア太平洋地域において、主要プレイヤー諸国の支配層の間に新たな権益獲得闘争が起き始めているからである。その典型は、東シナ海の地下資源(石油・天然ガス)をめぐる日本と中国の争いである。こうした争いは、排他的経済水域の基点をどこにとるか、つまりどこまでが自国の領土と見なされるかによって、その帰趨が決定的に左右される。尖閣諸島の領有をめぐって日本と中国がしのぎを削っているのもそのためである。今回の「竹島の日」条例制定も、表向きは島根県の独走という体裁をとっているが、その背景に日本の支配層の中で頭をもたげ始めている資源ナショナリズムがあることは明かである。島根県の動きは、支配層のナショナリズムの反響として出てきており、またその先兵のひとつとしての役割を果たしているのである。
 また、こうした動きが、日本の支配層による労働者・国民統合の格好の道具として活用されていることも明かである。いつも時代も、ナショナリズムの鼓吹は、支配層による国民に対する支配力強化の最も安易でかつ効果的な手段と見なされてきた。日本社会の二極化の進展、社会不安の激化、現在の支配体制の正当性に対する疑念の増大、こうした事態に対処するための国民圧伏の方策として、支配層はナショナリズムの培養に手を染め始めているのである。
 さらに言えば、日本の支配層が、この竹島問題をいわゆる「歴史問題」(侵略、従軍慰安婦、強制連行、大量虐殺等々の責任追及)に反動的決着をつける手段としても利用しようとしていることを見ておく必要がある。竹島問題の日本側イデオローグのひとりである拓殖大学の下条政男教授は、韓国などが日本にぶつけてくる「歴史問題」での追及を跳ね返す格好の材料が、この竹島問題だと言ってのけている。竹島を日本固有の領土として認めさせることを突破口として、アジア諸国の民衆から突きつけられる侵略、強制連行、従軍慰安婦、大量虐殺の責任追及の声への開き直りを行い、逆に反転攻勢打って出ようと画策しているのである。
 日本漁民の漁業が脅かされているというのなら、それは漁業交渉の強化で対応していくべきである。その際には、韓国の人々の中に広範に存在する、かつての日本の侵略、植民地化、数々の暴虐、戦後においてもそれらが十分には反省され、償われていないという批判を受けとめながら、進められなければならない。
 我々のめざす未来は、地球上の土地、海、空のどの一片、どの一角に対しても、誰か特定の個人、どこか特定の団体や機関が「これは自分だけのものだ」と言って独占することのない社会である。そうした未来に近づいていくのにふさわしい要求は支持できるが、それに逆行するような行動は誰のもの、どの国家のものであれ擁護することは出来ない。 
 日本の支配層の国家主義、ナショナリズムの扇動の狙いを暴露しよう。韓国の民衆と連帯して、日韓の支配層による反動政治への労働者・国民動員の策動を打ち破っていこう。          (阿部治正)案内へ戻る


コラムの窓
アパルトヘイト・ウオール


 現代社会は果てしなく壁を築くことで保たれているようです。肉体と精神の間に壁を築かざるをえなくなった人もいるし、自らと外界を隔てる壁を築かないではおれない人もいます。現代社会は余りに殺伐としていて、繊細な心を持った人びとにとって耐え難いものとなっているのです。
 富を抱えた人々も同じように壁を築きますが、彼らがそれによって守ろうとするのは富であり、壊れそうな心ではありません。社会に張り巡らされたその壁は、法的な壁であったり、意識という壁であったり、物理的な壁であったりします。それらはいずれも差別と排外にまみれた悪意ある壁です。
 個人による壁、社会的な壁、そして国境という国家による壁。とりわけこの国境という壁は圧倒的な暴力によって世界を分断し、人びとを死に追いやっています。凶暴な国家が築く隔離壁としては、ワルシャワゲットーやベルリンの壁がありました。南アフリカにあったアパルトヘイトも、同じ性格を持っていました。
 現代においてもこうした壁は築き続けられています。そのもっとも典型的なものとして、イスラエルがパレスチナに築きつつある隔離壁、アパルトヘイト・ウオールをあげることができます。例えば、私たちは街中の幹線道路を遮断する高さ8メートル(ベルリンの壁に2倍)ものコンクリートの壁を想像することができるでしょうか。
 カリキリヤとトゥルカレム、東エルサレムで建設されているその壁には「武器を備えた監視塔や30〜100mの幅の『緩衝地帯』が設けられている。『緩衝地帯』には、電流の流れるフェンスや、塹壕、監視カメラ、センサー、軍用道路などが付設されている」(パレスチナの平和を考える会編「パレスチナ農民が語る『隔離壁』が奪ったもの」52ページ)。他の場所では3メートルの電流の流れるフェンスだったりしますが、いずれにしろ自宅と職場や学校、さらに農地を隔てるこの壁は明日への希望を踏みにじるものです。
 しかも、この壁に設けられた通用門は限られた時間に許可証を持ったものしか通れないのです。2003年6月、この通用門で次のような事件が起きています。羊の放牧をしているパレスチナ人に「イスラエル兵は、彼にロバの鞍を担いで歩き回らせた後、銃を突き付け、この行為(ロバとセックスすること)を命じた」(同21ページ)。占領軍兵士の道徳的退廃、これは個人的なものでなく、くり返し現れる病理といえるでしょう。
 イスラエルはこの壁を建設しつづけることによって、パレスチナのすべてを奪いつくそうとしています。壁によって農地を奪い、水源を奪い、生きる糧を奪う。その後に、「彼らは、パレスチナ人労働者のために(隔離壁の)ゲートを開きます。パレスチナ人は入植地で働き、夜は寝るために家に帰ることになります。つまり労働力だけ提供してあとは家に帰るということです」(同36ページ)
 イスラエルがパレスチナ占領地に創設しようとしているのは現代の奴隷制度です。しかしこの現代の奴隷制度は案外に普遍的なもので、私たちの周囲にも存在しているのではないでしょうか。ただそれが、見ようとしないものには見えないだけなのです。  (晴)


東京都・神奈川県等における「日の丸・君が代」強制の現状と反撃の開始

東京都立高卒業式の現状

 三月十一・十二日、都立高校の卒業式がピークであった。東京都では、二〇〇三年に都教委が通達(国旗・国歌の実施指針)を出すまでは、起立・斉唱するかどうかは、内心の自由の問題だと多くの学校が説明していた。しかし今はそれが許されない。昨年、東京都教育委員会が極めて具体的な指示を定めた通達を出したことで、国歌斉唱時に、教職員が起立して「君が代」を歌わないと処分されようになったのである。
 二〇〇四年九月、東京都教委は、生徒に対する国歌斉唱の指導を「職務命令」として、教職員らに義務づけるよう校長連絡会において口頭で指示した。生徒が起立しなければ担任の教員が処分される。かくて「日の丸・君が代」強制が、教職員だけでなく、生徒らにも及ぶ事態が明白になったことが、前年までと今回の卒業式との決定的な違いとなった。
 都立高関係者によると、今年二月には、一部地区の副校長連絡会で、多数の生徒が不起立だった場合は、起立を促すため、卒業式の途中でも指導するよう都教委が異例の要請をしたという。もちろん都教委高等学校教育指導課は「要請の事実はない。『学習指導要領に基づき、適正に生徒を指導する』よう言っているだけで、あとは各学校でご判断される」と説明し強く否定してはいる。
 この事実は、「日の丸」「君が代」が私的には好きか嫌いかと言った問題とは、全く別問題であることを提起している。こうした中で行われる卒業式は、卒業していく生徒だけでなく在校生にも現実の「大人社会」の「欺瞞」を決定的に暴露するものになっている。

若い感性からの反撃

 三月十四日の東京新聞は、三月十日にあった都立A高校の卒業式において、卒業証書を授与された生徒がマイクを握り、「校長先生と都教委にお願いします。これ以上、先生方をいじめないでいただきたい」と発言したと伝えている。「卒業式会場での拍手が、二十秒近く鳴りやまなかった。参加していた父母等、出席者らに強い印象を残した一場面だった」とも伝えている。生徒が、「君が代」を歌わない教職員を、都教委・校長が処分対象とすることを知っての「いじめ」発言だった。報道では、生徒自身らは、「国歌斉唱」では、ほとんどが起立したというものの彼らの胸中に去来したものは一体何だったのであろうか。ある卒業生は、在校生に向けた言葉の中で「僕は天皇を人格者として尊敬し、君が代も歌った。だけど、この強制はおかしい」と率直に訴えたとも伝えられている。
 三月初めに卒業式を迎えたB高校では、国歌斉唱では、生徒のほとんどが起立した。ところが、引き続いた学校長挨拶には、二年生が、司会の「起立」の号令に従わず、約三百人のうち立ったのは一人だけだったという。「国歌斉唱で不起立だと担任が処分される」ことを避けた在校生による無言の抵抗だと卒業式の出席者らは受け止めたと東京新聞はこの間の事情を伝えている。まさに若い感性のすばらしい創造的対応ではなかったか。
 かってエリート校の名を欲しいままにしていた日比谷高校では、「都教委から差し向けれらけた校長によって、自由な学校の雰囲気が壊された。その自由を取り戻さなければならない」との堂々の答辞が、参列者の大きな感動を呼んだことも、ぜひとも特記しておかなければならない。

注目すべき全都高校へのビラ配布

 昨年、東京で止むにやまれぬ闘いとして始まった「君が代」斉唱に対する数百名の規模での不起立闘争は、東京の闘いを孤立させてはならぬとの全国労組交流センターの奮闘を惹起した。この闘いは三月三日から開始された。この日から全都の高校での卒業式が終わるまで配布されたビラの概数は、六万七千枚で、全都の二百六十九校に配布されたのである。ビラを配布した延べ人員は、全国労組交流センターの発表では約千人といわれている。
 この闘いに対して、都教委と公安も、ほぼ同数の人員を動員して配布を妨害したと分析されている。実際にも、三月四日都立野津田高校で二人、三月八日葛飾区の都立農産高校で一人、ただ学校の門前で卒業式の朝ビラを配っていたというだけで、「建造物侵入」の疑いで逮捕される事件が相次いだ。二例とも、都教委の指示により、まったく許せないことに、校長が警察に連絡して不当逮捕させるようにし向けたものであったのだ。
 二例とも、憲法二一条が保障する「表現の自由」を、公然と踏みにじる許すことのできない政治弾圧である。いずれの場合も、「建造物侵入」にはまったくあたらないのに、警察は、警告もなしに暴力的に車の中に引きずり込み、後から「建造物侵入」をデッチあげて逮捕したのだと全学連は糾弾している。
 野津田高校の場合は、東京地裁八王子支部が、逮捕された男性二人の東京地検の勾留請求と検察の準抗告も棄却して、六日には二人とも釈放された。拘置を認めずに釈放した理由は、ビラを配っていた場所が、同校の敷地内とはいうものの校門外のバスのロータリー周辺だったためで、同支部は決定理由で「立ち入った敷地部分は高校の門や塀の外側にある土地で、これを建造物侵入罪に当たると評価するのは困難だ」と認定したもので、農産高校のケースでは、これを配慮してか検察が拘置請求自体をしなかった。
 商業新聞は、この釈放を大きく報道して、「逮捕に改めて疑問呈す」と解説した。今年度は「許可を受けた者以外の入場はできない」と掲げた学校が多く、実際にも私服の警察官が待機している場合もあったという。「日の丸・君が代」の強制が進む中で、教育の場=学校長と警察との連携が強まっている証左とも言える。
 神奈川県でも、全県の高校百五十六校中、百校に一万枚のビラが配布された。「君が代」斉唱の声量調査を実施した町田市教委に続いて、独自の判断から「声量調査」を秘密裏に進めていた横須賀市教委が管轄する一部の義務制学校でも、強制反対のビラ配布がなされて、一時騒然となったと全国労組交流センターは集約している。

東京都立高校での不起立者は五十名を超える

 前出したA高校では、前PTA会長らが「伝統的な自主自立の校風を実現できる学校であってほしい」と訴えて、卒業式の朝、校門前で保護者らにメッセージカードを配ったという。昨年の卒業式で、来賓の元教員が、雑誌コピーを保護者に配布しただけで刑事事件として起訴された都立板橋高校でも、十一日の卒業式前に、地域住民らが校門前で「歌う、歌わないは自分が決めることです」と書いたビラを配布したという。
 しかし、その一方で、こうしたビラ配りの現場は、父母や教員から依頼を受けた弁護士らが、手弁当で立ち会うという緊迫した事態にもなっていたという。先に紹介したように逮捕者が出ていたからである。前出したB高校の卒業式でも、ただ一人、不起立だった男性教員は「大人として、人間として生徒に接していきたい。強い者には従った方がいいという、悪い教材に自らがなってはいけない。教職員は皆、強制に反対なんだけど、職員会議での議論はなく、貝のように押し黙っている」と東京新聞は報道していた。
 全国労組交流センターの集約によると、昨年に続いた二度目の不起立者は七名、三度目が二名で、残り四十名が初めての不起立者であったという。二度目は減給処分や人事考課によって確実視される昇級延伸や強制移動攻撃に対して、昨年の不起立者一層の窮地に立たせないようにと彼らを思いやった新たな闘う人々の登場とはなった。したがって昨年より不起立者が絶対数で減ったといえども、現実に新たな闘う人々の登場もあり、東京都立高校の教職員の抵抗が、弱体化したとは決して言えない。まさに労働者の連帯行動は着実に広がりつつあるのである。
 「『日の丸・君が代』の強制は、憲法一九条が規定する『思想及び良心の自由』に間違いなく反する。都教委は、学習指導要領に基づいて適切に指導する、という理由を錦の御旗にしているが、指導要領が憲法や教育基本法を超えていいはずがない」と教育学者の大内裕和氏は、東京都教委の暴挙を的確に批判してた。
 都内の有権者を対象にした昨年七月の東京新聞の調査でも、教職員への起立義務づけについて、「行き過ぎ」「義務づけるべきでない」と否定的に答えた人が合わせて七割にも達している。まさに東京都の多数派は強制反対なのである。
 天皇園遊会での米長東京都教育委員の破廉恥発言と自らの責任を自覚していない彼らは、この状況にもかかわらず、三月三十日非公開の臨時教育委員会を開催して、またまた裁判所での係争事項であるのに、不起立者への処分を決定する予定と伝えられている。
 まさに、彼らに対する明確な反撃が開始されているのに彼らは、全く自覚していない。彼らの支配は決定的に揺らぎつつあることを今後の闘いはさらにはっきりとさせていくことであろう。ともに「日の丸・君が代」強制反対のため闘おうではないか。(猪瀬一馬)案内へ戻る


為替介入停止から一年―今何が問題か

巨額の為替介入の背景

 三月十六日、政府・日本銀行が円売りドル買い介入を中止してから一年が経過した。
 数年前から、政府・日銀は、円高とデフレ阻止のためと称して、〇二年第四・四半期には約二兆円、〇三年から〇四年三月には三五兆円をこえる史上最大の為替介入を実施した。
 この背景には、アメリカの財政赤字の遠因とともに当時急展開していたイラク状勢悪化による円投機があった。このことはシカゴ市場の円通貨先物の非商業部門取引と介入時期のほぼ相関する関係の中で確認できる。介入停止後、円が再び投機的な動きをするようになったのは、アメリカ大統領選挙の一月前の十月中旬からであった。大統領再選をめざすブッシュが企業の支持を取り付けるためドル安を仕掛けたとされているが、政府・日銀は、なぜか為替介入を自粛し続けた。ドル安が進行した十二月、財務省幹部が、日欧協調の為替介入を呼びかけるなどの口先介入を行った。この動きの中で、今年の一月には、一ドル=一〇一円六七銭の何年ぶりかの最高値を記録する。二月のG7を境に円高は反転した。

この一年間は口先介入中心

 二月以降、円相場は一ドル=一〇三〜一〇五円台で推移している。三月十五日の記者会見で、谷垣財務相は「(大量介入)当時と比べ、市場が過度に振れる要因は少なくなっている」としながらも「過度の変動や思惑的な動きがある時は、必要な手段をタイムリーに取る」と市場向けの先制の口先介入を忘れてはいない。
 これに先立つ三月十日の国会答弁で、小泉首相は、ホリエモン騒動に押し隠された韓国のドル資金のユーロ分散の動きを受けて、ドル資産に偏っている日本の外貨準備について「投資先の分散が必要」と発言したことは、本来は為替市場でのドル下落を引き起こしかねない内容だが、一時的なドル売りで終わり、為替相場はドル安局面から離脱した。
 アメリカの経常収支と財政収支の「双子の赤字」を警戒し続ける市場は、アメリカの経済成長の底堅さを評価する風である。米連邦準備制度理事会(FRB)は、昨年六月から利上げに転じて度々の利上げを行ってきた。このことにより、金利先高感が出ていることもドル下落を食い止める材料となっている。なぜなら為替相場とは、窮極の所、金利に還元できるとは為替相場の経験則だからだ。したがって、日米の金利差が、円安・ドル高を指向していると判断されている。この事情の中、日本が「思惑的な動きには断固たる措置をとる」と内実がないとは言え、外国為替資金特別会計の百四十兆円を踏まえた口先介入だけは続けていることも、少なからず円高ドル安の歯止めになっているのである。

円高・ドル安局面はあるか

 だが当然のことながら、一ドル=一〇〇円を突破するような円高・ドル安の局面がないとは誰一人断言できない。ドル安に転化する材料は事欠かない。実際にアメリカの〇四年の経常赤字は、過去最大だった昨年の五二一〇億ドルをさらに超える規模にまで拡大しており、これ以上の金融引き締めが加速すれば、米国債の急落などで金融市場が不安定になり、双子の赤字を埋め合わせる資金の流出で、今後ドル安が進むとの見方も否定できない。二〇〇五年四月からドル相場が崩れ出すという見方は決して少数派というわけではない。今、為替相場は、グリーンスパンの発言に一喜一憂する日々が続いているのである。
 さらに、中国・人民元の動向も目を離せない。現実にドルを買い支えてきたからた。もし人民元切り上げられれば、円は急伸するとの推論が市場関係者や大多数の判断だ。
 注目の温家宝首相は、三月十四日、人民元改革について「いつどんな方法を採用するかは意表をつくことになるだろう」と発言した。今や中国と台湾の激突は避けられないとする論者も増え続けている。これを背景として、日本の政府関係者は「台湾との緊張激化の際、米国の支持をとりつけるため、中国は米国の求める人民元切り上げを取引カードに使うかもしれない」と分析しており、今後対台湾状勢をにらみ、政治的な思惑が市場に大きな影響を及ぼす確かな現実性があるというべき所ではある。   (直記彬)


戦争反対! 米国によるイラク侵略反対! 平和な世界を目指そう!
3・13大阪大空襲平和祈念事業 「大阪大空襲、あの日から60年一3月13日に想う平和一」の集いに参加して


 米軍による日本本土への大空襲は、1944年6月から本格的に始まりました。当初は軍事施設を狙っていましたが、1945年3月10日の東京大空襲(死者10万人)からは焼夷弾による一般人への攻撃を開始しました。焼夷弾は、着弾すると内部のゼリー状のガソリンが飛散して火災を発生させます。これで、木造家屋を焼き尽くしました。
 東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、その他多くの都市が空襲を受けました。これら空襲による死者は50万人と言われていますが、確かなことはわかっていません。
 今年は戦後60年、さる3月13日平和を祈念する「大阪大空襲、あの日から60年」という集いがピース大阪で行われ、私も参加しました。
 
広島での原爆体験を語る喜味こいしさん
 会場は、約250名が集まり立ち見も出るほど満員でした。まず第1部は、いとしこいしの漫才で多くの人たちに親しまれた、喜味こいしさんの「戦争やって、何が残るんですか」と題する話がありました。
 こいしさんは、最初航空の軍隊に志願しましたが、偏平足のため不合格となりました。偏平足は足が疲れるからだそうです。飛行機の操縦は、よく足を使うのでしょう。
 その後こいしさんは、陸軍に志願し合格しました。何と歩兵部隊に配属されたそうです。こいしさんは、「偏平足は足が疲れると言って、航空はダメだった。しかし、一番足を使う歩兵部隊に私を行かせるとは、ようわかりませんでしたな」。と言いました。
 1945年8月6日、広島での被爆をこいしさんは語ります。「空襲警報が出た。またB29(ビーニク)が来た。対空射撃をしようと屋根に上ろうとした。そのとき、ぴかっと光った。それで気を失い、兵舎の下敷きになっていた」、「しばらくして、誰かに助けられた。のどが渇いたので、水を飲もうと川へ行ったが人間の死体があちこち浮いていた。毒でも入れられたと思い、飲むのをやめ歩いていた。すると、腐りかけの冷凍みかんをくれた人がいた。そのみかんを食べたが、それのうまいこと」、「また歩いていたら、小さい子供を連れた女の人がいた。その人にみかんをあげた。そのとき、生まれて初めて人様に礼を言われた」。
 それから、スクリーンにいとしこいしの漫才、「我が家の湾岸戦争」がちょっとだけ上映されました。その漫才自体はたいへん面白かったのですが、家庭での夫婦喧嘩も下手をするとトラブルになるなと思いました。最後にこいしさんは、「地球は広い惑星の一つ。その地球を壊す戦争は絶対にいけません」。と語り、話を終えました。
 第2部は、空襲体験としてまず「大阪戦災障害者・遺族の会」代表の伊賀孝子さんより、「戦争で身寄りがなく亡くなった人たちの名前を、せめて大阪空襲の死没者名簿に遺してあげたい」。「大阪大空襲の体験を語る会」代表の久保三也子さんは、「多くの死体が黒焦げになっていた。水を飲もうとした形のまま死んだ人もいる」。とどちらも涙ながらに語っていました。会場には、1945年3月13日に生まれ、そのときの焼夷弾で左足を失った藤原まり子さんが来られていました。
 最後に、今年8月ピース大阪に大阪大空襲による死没者を追悼する平和モニュメントが設置されますが、その製作者の粟津潔さん粟津ケンさんが「平和への願いを記憶にとどめるために作った」。と話がありました。
 戦争は、昔のことではなく現在も多くの国で行われています。こうした状況を何とかしたいと日々考えながら、会場を後にしました。(河野)
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戦争の記憶と現在ーTVに登場したエール犬、ミッキーちゃんについて思うこと

 ミッキーちゃんは戦後復活したベースボール、試合の始めに、儀式のように試合の主役(アンパイア?)みたいな人に、ボールをカゴに入れたのをくわえて運ぶ、役目。まあ、かわいい≠ニ犬ぎらいの人でも言いたくなるような、和む風景だが・・・。
 黒澤明氏が残した夢≠ニいうDVDの中では、兵士たちと共に戦死したワンちゃんは、背に爆薬を背負わされた亡霊として現れる。生き残った隊長(宇野重吉さんの息子さんが演ずるが、私がボケたのかお名前を忘れた)に吠えつく。隊長さんが兵士たちの亡霊に平誤り、成仏してくれと祈りつつまわれ右≠ニいう彼の号令一下、兵士たちは軍靴の足音高く、まわれ右して去っていく。あの世へ。しかしワンちゃんは隊長さんに吠えつづける。蒼い色彩に包まれつつ。主君に忠実なのがワン公の象徴と思っていたが・・・。
 沖縄の作家、目取真氏が伝舎兵=iたしか昨年10月号「群像」で知った)という小説の中で、忠実に伝舎の役目を果たすべく働いていた最中に、爆弾で首が飛び、首のないユーレイが彷徨う(死んでもラッパを離さなかった木口小平という兵士同様、死んでもお役目を果たすべく彷徨うのであろう)という伝説として現在にもある里があるという。
 役目に忠実ということに怒って吠えついたのは夢≠フ中の爆薬を背にしたワン公のユーレイであった。平和のシンボルの一つ、野球のボールを運ぶユーレイでないボール犬ミッキーちゃんに、なごみの笑みを誘われると共に、爆薬を背負わされて伝舎兵≠フ役目を行使したワンちゃんのユーレイが、怒って吠え続ける姿を忘れまい。永遠の課題のように思われる平和と平等≠フために。
 大地がはげていくのに、資源ほしさに国とり合戦でもあるまいに。私が脱会したペシャワール会の遠大な百年の計は全く正当であるが、目前のことと遠き将来のこととの問題でソリの合わない面があることは、避けられないものらしい。遠近法とは心得ねばならぬことであろう。野球は一つ≠ニ言いつつ、裏方さんで老いてなお健在な野球人もいないし・・・
 私は現在、主として安上がりの理由から、謡曲のさかがみ=i戦前は禁止されたものだった)同様、のび放題の髪型鬼ババスタイルで通している。鬼ババは伝説では人を喰ったが、わたしゃ喰わない≠ニ大きな顔をしているが、いつの日か人を喰わんでいい$「の中の到来を祈るような気持ちでいる。
 明治生まれの、もうこの世にはいない両親や親しかった人の言葉には味があるもの。地極・極楽この世にござい∞死ぬのはこわないけど、苦しむのはイヤじゃ≠ニか名言を残して去った身近な人々のこと。一生懸命努力する中で楽しみを見出そうとするいじらしくもある人々(私もその類でありたい)が増えてきたようだが、現実にはありもしない千年王国≠ゥも知れないが、現実を見据えつつ、何が出来るかを自問しはじめている人々が多くなったように思う。
 最近、鹿児島の過疎のある村で年寄りばかりで、労働力不足から、刑務所の服役中の人々に野良仕事を手伝わせてやってほしいという申し出に、OKした村があるという。誰の発案であろうと、社会の矛盾は、犯罪となって現れるであろうことは昔からの事実であり、私たちとて、いつその一人とならないとも限らない。
 当世(内に向かえば自殺、外に向かえば他殺に至る、と私なりに解釈している)刑務所ににご厄介になった者は、塀の外へ出ても受け皿(人間同士の関係も生まれよう)が、世の中にあれば、昔のいわゆる「いれずみ者」なるが故の差別・偏見をいささかでも変わりうる状況を創出しうるかも? と想像すると、生来のその中へとびこめるならば(能なしの私にもできることがあるかどうか、見聞できるだけでもいいではないか)と、ウズウズしてきて、資料が届くのを只今待機中。
 夢≠ニは、見果てぬあこがれ≠ノ近づく努力であると、私自身は定義している、ドン・キホーテを笑うまい。  2005・3・18 宮森常子


教育基本法を変える? なんでだろう〜 Q&A 11
Q11 教育振興基本計画というのができるそうですが、もっと教育予算も増えて教育がよくなるのでは?


 教育振興基本計画の中では、たしかに教育投資の充実をあげていますが、その重点化と効率化もうたっていますから、教育全般の予算がうるおうわけではありません。
 教育の予算は、国や財界の求めるエリートの育成や、国家のための人材づくりに重点的に使われていくのです。ですから、国や教育委員会の方針にそった学校、たとえば、中高一貫校や習熟度別少人数指導を推進する学校などに多くの予算が配分されていきます。予算配分も、政府の思い通りに学校を動かす手段として使われることになります。一方、多くの国民の願いである30人学級は、認めようとしません。すべての子どもたちにゆきわたるようなことにはお金はなかなか出さないのです。
 さらに問題なのは、教育振興基本計画のなかには、教育の中身に関する政府の方針がもりこまれることです。そこで、この面からも教育内容に国が口出しする道が開かれるのです。
 こんなことを教育基本法にもりこむなら、教育は国策の手段となり、国民の権利としての教育ではなくなってしまいます。(『子どもと教科書全国ネット21』発行パンフより)

 教育振興基本計画と聞けば、いかにも前向きな政府の姿勢と、受け取ってしまいがちです。もともとの国の方針が、一部のエリートのための教育と言っているのですから、その方向性は明らかです。権利としての教育という考え方に、今一度、再確認が必要ではないでしょうか。(恵)


時代閉塞の日本の象徴としてのニート増加

 三月二二日、内閣府は、二〇〇二年にニートが、全国で約八五万人に達したとの推計を発表しました。それによると、五年前には約七二万人、十年前には約六七万人でした。つまり五年前と比較すると一三万人、十年前からは一八万人も増えています。
 八〇年代にフリーターが労働市場に登場してきた時、若年労働者の新しい生き方だなどともてはやされたこともあったのですが、その実態はといえば、景気循環に対応した労働力の需給調整を担うものであった事実がすっかり暴露されてしまいました。このことが若年労働者に未来に対する無力感・展望なき孤独を肌で感じさせることになったのです。
 この未来を示せず時代閉塞に陥っている日本の象徴が、職探しも進学も職業訓練もしていない一五歳から三四歳までの若年層無業者の大量発生です。さらに詳しく見ると約八五万人の中で、将来も就職を希望していない者は、約四二万人もいるというのですから、これは由々しき大問題です。資本家・政治家自身が日本の未来を憂える現状です。
 しかし、資本家や政治家が若者に未来を指し示すことができないというのなら、私たちが指し示すしかない、そうではないでしょうか。何号か前の「ワーカーズ」の巻頭言にあったように、若者には自らの未来を求める権利もそれを求めて闘う権利もあるのです。
 今回のライブドアとフジテレビの攻防で軽視されているのは、「企業活動」の核心的内実は現場の労働者集団が担っている事実です。実際優れた「企業活動」を実体化する実力ある現場労働者集団がなければ、資本など全く無力であることは明白です。その点、フジテレビの対応は、創業五一年にもなって、この度やっと労働組合を結成すると聞きます。それもこれもホリエモンに労使で対抗するためだというのですから、驚かされるではありませんか。このことから分かるように、日枝会長以下のフジテレビの連中ときたら、実際の放送番組を下請け孫請けに制作させ、その上にあぐらをかいてきた特権階級とでも言うべき唾棄すべき連中なのです。だからこそ、全く後ろ向きの対応しかできないのです。
 今はほとんど歌われていませんが、昔の労働歌の歌詞に、「汝の部署を放棄せよ。汝の価値に目覚むべし」というのがありました。五〇年代を闘い抜いた労働者には革命的気概があったのです。私たちも卑屈になることはありません。連合の労働者支配の中で、ストをやらなくなったことも自らの価値に気がつくことがなくなったことに関っています。
 労働者集団の力は絶対的なものがあります。まさに「聞け、万国の労働者」の歌の通りなのです。この現場労働者集団こそ、企業を動かし、ひいては社会を動かしている当の力です。この視点から若者と語り合う必要があると私は今確信しているところです。(S)


色鉛筆
保育園日誌 少子化問題4


 「あんよ、じょうず〜」と声をかけると私の目を見ながら1歩1歩ゆっくりゆっくり歩くNちゃん。「おっととと・・」と転びそうになりながらすがりついてくるM君。ミルクを飲んで寝ていた赤ちゃんが、1年をすぎると何でも食べられるようになって、ひとりで歩けるようになるのだからすごい!!子供達の成長した姿をみると1年間の苦労もどこかにいってしまうほどで、子供達は本当にかわいいなあとつくづく感じる。
 しかし、私自身、自分の子育て中を振り返ってみると子供がこんなにかわいいと思ったことがあっただろうかと思う。「夫は外で働き、妻は家庭で育児・家事に専念」という時代だったので、仕事を辞めて日中子供と2人っきりで過ごしていた。社会的生産活動という社会的生活からきり離されて何か物足りなさを感じたり、初めての育児という不安も重なって子供がかわいいと感じるよりイライラしていた自分を思い出す。子供が少し大きくなってパートの仕事に出始めた時、子育てでは味わえない仕事の達成感や存在感を認めてもらうことの喜びを感じた。やはり、その時、仕事をすることによって社会的生活に参加する必要性を思い今も仕事を続けている。 
 私と同様に、今も育児に悩む専業主婦達がいる。昨年「出生率1.29」と発表された時「超少子化」と新聞でもよく取り上げられていた。その中で『子育ての負担感が大きいと感じているのは、共働きの母親では、29.1%だったが専業主婦では45.3%もいた』というのには驚いた。また『社会から隔離されたようで憂うつになりました』『夫は家事や育児で協力してくれない、せめて精神的に支えてほしいのに。2人目を産んでもまた1人で育児を背負うことになる。子供の数だけ増やしても、幸せにはなれないと思うんです』と、ある女性のコメントが載っていた。
 この様に社会的生活から切り離されて、子育てを1人で背負わせている専業主婦達も子供を産もうとしないことが分かり、女性達が、仕事をしているかしていないかではなく、すべての女性達が、今の社会では育児に不安を感じているから少子化になってしまったのだ。こうした専業主婦達に政府のすすめる少子化対策は、家庭での孤独な育児をなくため、子育て中の親子が交流する「つどいの広場」などの整備や、一時保育で育児疲れの解消にも利用できるようにして母親をリフレッシュさせる程度のもので根本的な対策にはなっていない。
 すべての女性達が社会的生産活動に参加して、仕事をしながら社会全体で子育てができるように社会体制を完備し、労働時間を男女とも短縮して、男性も家事、育児に向き合って、家族でゆったりと過ごす時間をつくり、子供ってかわいいなあと感じることで、すべての女性達が子供を産みたい、子供を育てたいと思えるような社会をつくらなければ少子化を止めることはできない。こうした社会を目指していきたいと思う。
 今の子供達と過ごすのもあと4日間になってしまいさみしさを感じながら、また4月を迎えようとしている。(3月27日記)(美)
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