ワーカーズ299号 2005/6/15    案内へ戻る

「つくる会」、都道府県県教委、採択地区に対する監視を強めよう!
   扶桑社教科書の採択阻止を!


 扶桑社の教科書の教育現場での採択・不採択をめぐる攻防が、重要な局面にさしかかっている。
 前回の2001年には、扶桑社の教科書は全ての公立中学で不採択となり、その採択率はわずか0・1%に満たなかった。今回は、「つくる会」とそれを支援する反動勢力はその「リベンジ」を賭けて、10%の採択を目指すとしている。
 「つくる会」の教科書には、現在の日本の保守勢力、財界のねらいが極めて率直に表明されている。
 日清・日露戦争はじめ日本が行った領土野心に駆られた戦争を、自立自存のための戦争、アジアの解放にも資した戦争だったと美化し、虐殺や強制連行や軍隊性奴隷制の事実を隠蔽し、南京虐殺についてはその否定論さえ支持している。国内における強権支配とアジア侵略の道具となった野蛮な天皇制を美化し、現代におけるその積極的評価の必要を唱えている。アジア諸国との間の緊張の激化をことさらに誇張し、非はアジア諸国の側にあるかに言い、日米安保と自衛隊の役割を積極的に位置づけ、憲法の改正の必要をほのめかしている。「公のため」「国防の義務」などを説教し、「人権」はついでに触れられるのみだ。労働者や女性やこどもの権利などは極めて軽視され、むしろ敵視の対象となっている。
 こうした教科書が採択され、教育現場に持ち込まれることになれば、それが保守政党や財界にとって都合のよい国民育成の強力な武器となることは火を見るより明らかだ。ニート暮らしもリストラも自らのせいだと思いこみ、女性や高齢者や障害者への差別的な処遇も自然なことだと観念させられ、自分たちの暮らしが思わしくないのは中国や韓国のせいだと勘違いし、それを懲らしめる強い国家を求め、その国家に命を賭して殉じる用意のある国民を理想と思いこまされた人々。「つくる会」の教科書が目論んでいるのはそうした子どもたちと国民の育成だ。
 教科書の採択は、全国に542ある「採択地区」(平均3つの市または郡で構成)において行われる。公立中学の場合は、都道府県教委が設置する「教科用図書選定審議会」が選定資料を作成し、また毎年6月から7月にかけて教科書センターなどで教科書展示会を行い、それら受けて最終的に8月15日までに採択地区内の市町村教委が共同で採択する。
 4年前に扶桑社の教科書の採択の策動を跳ね返したのは、全国の労働者と市民の果敢な抗議行動であった。今年の攻防は更に厳しいものになろうとしている。都道府県教委や採択地区協議会での不穏な動きへの監視と抗議を強め、扶桑社教科書の採択を阻止しよう! 扶桑社の教科書を教育現場から一掃しよう!
            

恐るべき無責任・「もんじゅ」最高裁判決

 名古屋地裁で住基ネット違憲判決が出た5月30日、最高裁で最低の判決が出た。最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)は、もんじゅ設置許可を無効とした二審名古屋高裁金沢支部判決を破棄し、住民側逆転敗訴を言い渡した。かくして、最高裁は国策推進の最後の砦の役割を遺憾なく発揮した。しかも、裁判官5人全員一致の判決だというから、救いがたい。
 高裁判決を破棄するに足る新しい事実が明らかになったわけではない。安全審査の枠を限定し、その枠のなかで審査が滞りなく行われたかどうかだけを判断対象とし、ようやく次のように言うことができたのである。
「内閣総理大臣が1983年5月27日に動力炉・核燃料開発事業団に出したもんじゅの原子炉設置許可処分は、原子力安全委員会および原子炉安全専門審査会による安全審査の調査審議、判断の過程に看過しがたい過誤、欠落があるということはできないから、違法といえず無効ということはできない」(「神戸新聞」掲載判決要旨より)
 もんじゅが安全なのかどうかではなく、法手続きとして問題があったかどうか(設置許可の安全審査は基本設計の安全性にかかわる事項)だけが判断の対象とされ、審査の対象範囲は担当大臣が決められるとしている。つまり、最高裁は行政の裁量と原子力一家≠フ専門家にすべてを委ね、出すぎた高裁判決を叩いたのである。この国の三審制は、時に突出した下級判決が出てもそれがうまく是正されるように機能していることがよくわかる。
 それでは技術的な問題として何が最大の焦点になったのかといえば、それは炉心崩壊事故である。すでに、人類はスリーマイルやチェルノブイリでそれを経験しており、ありえない事故ではない。日本においても1995年のもんじゅのナトリウム火災や、99年のJCOの臨界事故というかたちで、起きないはずの事故を経験している。炉心崩壊事故なんか起こるはずがないというのは、単なる願望か信仰に過ぎない。
 原子力関係者は炉心崩壊の可能性を指摘した高裁判決を素人判断だ≠ニ批判し、三系統の冷却系がすべて壊れるなど極端な想定だと反論したが、想定できなかったようなことが引き金となって大惨事が発生する可能性を見過ごしてはならない。あのJR西日本の大惨事はたった90秒のダイヤの遅れが引き金になり、誰も考え及ばなかったマンションへの激突、車両の完全崩壊によって107名もの命が犠牲になるという事態に至った。
 すでに明らかなように、最高裁判決はもんじゅの安全性そのものにお墨付きを与えたものではない。しかし、もんじゅ再稼動に立ちはだかった高裁判決を叩くことによって、実質的にはこれにゴーサインを出した。現に、核燃料サイクル開発機構の殿塚猷一理事長は、勝ち誇って次のように述べている。
「もんじゅの安全審査の適正さが確認されたものと考える。現在、安全を最優先に、もんじゅの改造工事を実施しているが、より一層気持ちを引き締めて工事を進め、運転再開に向けて全力を尽くす所存だ」(5月31日付「神戸新聞」)
 いま我々は、チェルノブイリの悪夢が現実となる可能性が一段階上がる局面に立たされていることを自覚しなければならない。もちろん、「もんじゅを廃炉に!」という目標をおろすわけにはいかない、チェルノブイリの悲劇を繰り返さないために。
「所長からオペレーターに至るまでの原発職員たちの最初の反応は、起こったことが信じられないということだった。いわゆる『プロ』の人たちのこのような保守主義、思考の頑迷さは私には驚きだった。設計者が間違うはずはない、RBMKは安全だという彼らの信念は非常に強く、常軌を逸したものだったので、彼らの大多数は、すでに破壊された原子炉を目の当たりしながら、考え得る中でも最大級の事故が起こったのだということが信じられなかったのである」(「技術と人間」5月号掲載のユーリー・シチェルバク「チェルノブイリ‐文明への警告」より)

注 「RBMK」 チャンネル型大出力炉(チェルノブイリ4号炉)・原発用プルトニウム生産目的の典型的な軍事目的炉で、暴走の危険性がある不完全な炉 


住民勝訴! 住基ネットプライバシー侵害で違憲判決!

さる5月30日、金沢地裁において住基ネット訴訟で住民(原告)勝訴の画期的な判決があった。
 プライバシーを侵害し憲法違反だとして、石川県の住民28人が国などを相手に、原告の個人情報削除と1人あたり22万円の損害賠償を求めていたものである。
 井戸謙一裁判長は「住基ネットは原告らのプライバシーを犠牲にしてまで達成すべきものとは評価できない」として、プライバシー権を保障した憲法違反と判断し、原告らの個人情報を住基ネットの台帳から削除することなどを命じた。損害賠償については棄却したが、個人情報削除を命じたのは全国で初めてである。(
 住基ネット訴訟は、全国13地裁で提訴している。ちなみに私は、関西訴訟の原告の1人である。
 
名寄せされて住民の情報が丸裸にされる危険がある住基ネット
 
 判決文が手元にあるので、それを見ていくことにする。
 「氏名、住所、生年月日、性別の4情報と、市町村長が記載した住民票コード及びこれらの変更情報、以上の6情報(本人確認情報)は、いずれもプライバシーにかかる情報として、法的保護の対象となるというべきであり(早稲田大学事件最高裁判決参照)、自己情報コントロール権の対象となるというべきである」。 「被告地方自治情報センターから本人確認情報の提供を受ける行政事務に関するデータベースには、個人の情報に住民票コードが付されることになるから、これによって、そのデータベース内における検索が極めて容易になる。しかし、それだけに止まらず、これによって、行政機関が持っている膨大な個人情報がデータマッチングされ、住民票コードをいわばマスターキーのように使って名寄せされる危険性が飛躍的に高まったというべきである」。「住民が住基カードを使って各種サービスを受ければ、その記録が行政機関のコンピュータに残るのであって、これに住民票コードが付されている以上、これも名寄せされる危険がある」。
 「住基ネットの運用によって個人の人格的自律を脅かす具体的な危険があるから、住基ネットの運用によるプライバシーの権利の侵害は、相当に深刻であるというべきである」。  
 住基ネットは、経費節減になると被告である国はいうが、それについても判決で、「その効果の程度は未知数といわざるを得ない」、と切り捨てた。

住基ネットはプライバシー権に違反する 

「住基ネットは住民に相当深刻なプライバシーの権利の侵害をもたらすものであり、他方、住民基本台帳に記録されている者全員を強制的に参加させる住基ネットを運用することについて原告らのプライバシーの権利を犠牲にしてもなお達成すべき高度の必要性があると認めることはできないから、自己のプライバシーの権利を放棄せず、住基ネットからの離脱を求めている原告らに対して適用する限りにおいて、改正法の住基ネットに関する各条文は憲法13条に違反すると結論づけるのが相当である」。
 住基ネットは、プライバシーの侵害である。これが金沢地裁の判決である。国家権力に、不必要な情報を握られてはたまらない。国家権力の暴走に歯止めをかけよう。
 さて関西の住基ネット訴訟は、6月16日大阪地裁806号において、吹田市、柏原市、木津町、加茂町、八尾市、各市町の職員の証人尋問がある。(この新聞が、読者の手元に届くころには終わっている)関西も、金沢に続く原告勝利判決を期待している。          (K)

 ◇住民基本台帳ネットワークシステムとは

 国民全員に11ケタの住民票コード(番号)を割り当て、氏名など個人情報をデジタル化して一元管理するシステム。住民は居住地以外でも住民票の交付を受けられるほか、国は宅地建物取引主任者などの本人確認事務に利用できるが、プライバシー侵害の危険性も指摘されており、各地で住民側が差し止めを求める訴訟を起こしている。


コラムの窓・・・出生率の低下を考える

 6月1日、厚生労働省は04年の人口動態統計を発表した。今回も「出生率の低下」と「自殺者3万人以上」が注目を集めた。
 前年度に引き続き、出生率(日本人女性1人が生む子どもの数の平均を示すもの)は「1.29」で変わらなかったが、生まれた子どもの数は111万835人と4年連続で減り、1899年に統計を取り始めて以来の最少人数を記録した。
 母親の年齢別の出生数を見てみると、30〜34歳が最も多く約41万6千人である。35〜39歳が約15万人で、20〜24歳の約13万7千人を初めて上回っている。第1子出産時の平均年齢は28.9歳まで上がっている。
 昨年も、「1.29ショック」が話題になったが、日本女性はますます晩婚化と晩産化の傾向を強めている。
 政府は本格的な少子化対策に10年以上も取り組んできたと言うが、この数字を見る限り「この10年間の少子化対策はほとんど効果がなかった」と言える。いくら女性に出産の意義を呼びかけても、現実に女性が直面している「仕事と家庭の両立」を具体的にサポートする社会システムが確立していないのでは話にならない。
 言うまでもないが、多くの女性はやり甲斐のある仕事を続けながら、さらに家庭を持ち子ども出産して子育てもしていきたいと思っている。しかし、今の日本社会のありようはとても「仕事と家庭の両立」が出来る状況にない。
 ますます労働現場では、男性労働者並みの長時間労働の押しつけや安上がりパート労働への経済差別等々が強化されている。もし結婚し子育てともなれば、子どもの保育所問題、多額な教育費の負担、夫の長時間労働による不在、親の子ども責任等々、すべて母親ばかりに責任を押しつけてくる社会である。これでは、結婚・出産という選択の道は「喜び」「安心」ではなく、まさに「苦悩」「不安」だけが増している。
 このままでは、日本の若い女性はますます「仕事と家庭の両立」ではなく、どちらか一方を選択する生き方しか出来ないのは当然ではないか、と考える。
 この出生率の低下問題は、私たちの日本社会の在り方そのものが問われている課題である。
 日本にやってきて日本で生活する多くの外国人は、「日本人は働きすぎだ。有給休暇をしっかり取り、自由時間を自分で使って趣味や旅行などで教養を高め、世界に目を開いて多くの人たちと交流していくべきだ」「父親は仕事ロボットではなく、家庭にもっと早く帰り子どもと一緒に遊ぶべきである」とのアドバイスをくれる。
 私たちは、女性が安心して「仕事と家庭の両立」が出来る社会をなんとか実現させたいと考える。そのためには、まずは職場の変革が絶対必要である。男女とも今のような長時間労働から解放させること、男女賃金差別を撤廃させること、女性が出産しても仕事を続けられるような職場環境(保育所の確保など)を確立していくこと。また、家事労働を夫婦2人で担っていく家庭環境も確立していくこと。
 さらに、「子どもは社会の財産である」との考えに立ち、子育て費用や教育費は社会負担が当然であり完全無料化を実現すべきである。こうした社会システムの確立の中でこそ、男性も女性も楽しい「仕事と家庭の両立」が実現していくであろう。(E・T)
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日本文明派「つくる会」に古代史の真実の鉄槌を下す

岡田史学と日本「文明」の本質は附庸

 日本の歴史を考える上で非常に参考になる新書がある。岡田英弘氏『歴史とはなにか』である。岡田英弘氏といっても、読者で知る人は少ないであろう。しかし、世界の歴史に関心のある人なら、彼の名前は、まさに逸することができないものがある。
 岡田氏は、モンゴル史・満州史の世界的権威にして、日本古代史と中国史の権威としても学会では知られている。しかし、この世界では、徹底的と言っていいほど無視されてきたが、近代学問の実力で、ここ二十年ぶりに復活してきたばかりか、最近立て続けに著作を出版するなど、今や大いに注目されるまでになっている。
 そもそも、一般書におけるデビュー作は、中公新書『倭国の時代』一九七六年、『倭国』一九七七年の二冊であるが、これらの本の内容は、日本の平泉澄ほどの皇国史観の頑迷派でなくとも、日本文明派のいう民族の尊厳や自信を打ち砕くのに充分なものがある。その根拠とされた中国の正史のもつ本来的な政治性やいい加減さを容赦なく暴ききったために、日本史学会や中国史学会から追放に等しい扱いを受けたといわれている。
 この『歴史とはなにか』は、「岡田史学」の入門書とも言うべき本で、単なる新書版でありながら、実にコンパクトに、岡田理論が展開されている。 
 その第一部は、「歴史のある文明、歴史のない文明」という岡田史学の原論である。彼によると、歴史のない文明の代表は、インド文明と後で地中海文明に巻き込まれていくことになるイスラム文明と現在と未来にしか関心がないアメリカ文明が挙げられている。それに対して、常に「正統」の継承性のみを問題にして、世界の変化を認めない中国文明の歴史観と、二つの勢力が対立し最後に正義が勝って終わる地中海文明の歴史観があるという。また、歴史があっても借り物で、歴史の弱い文明があるとして、先にあった文明から文化要素を借りてきて独立した文明を「対抗文明」とし、日本文明を中国文明の対抗文明とした。こうした論断は、日本文明派には許せざる所行であろう。さらに、まとめとして、「閉鎖的な日本の性格は、中国の侵略に対して自衛するという、建国をめぐる国際情勢が生みだしたもので、反中国が日本のアイデンティティなのであり、そうしたアイデンティティに根拠を与えたのが、『日本書紀』が創りだした日本文明の歴史観だった」と日本文明の成立事情を、大胆に説明しているのである。まさに、日本文明派にとっては、ゆるすべからざる発言ではあった。その第二部は、「日本史はどう作られたか」というもので、「神話はどう扱うべきか」、「『魏志倭人伝』の古代と現代」、「隣国と歴史を共有するむずかしさ」の各章で、先の日本文明の成立事情を具体的に補足する形で展開されており、西尾幹二ら日本文明派にとっては、一大痛打が浴びせられている。彼によれば、『古事記』は偽書で、『日本書紀』は、天皇という君主の正当性を保証するために作られたとし、「天武天皇」以前の天皇の実在性を否定した。それ以前の天皇、たとえば神武天皇や日本武尊などは、天智天皇・天武天皇兄弟と両親の時代に起こったことを下敷きにして筋書きが決められているという。これだけでも保守反動側には大打撃である。さらに、中国正史の政治性といい加減さを暴くことも徹底しており、反動に対する武器となること請け合いである。また最後に、隣国と歴史を共有する難しさについて語り、自己の正当化は、歴史のおちいりやすい落とし穴であると忠告している。その第三部は、「現代史のとらえかた」と題して、「時代区分は二つ」、「古代史のなかの区切り」、「国民国家とはなにか」、「結語」の各章が展開されている。ここも山場であり、岡田史学の世界性を示している。中でも、国民国家に対する議論は、新鮮なものがあり、「国家」とか「国民」という枠組みを使って、十八世紀以前の歴史を叙述するのは、時代錯誤だという彼の主張は正しい。また、十九世紀になるまで、中国人はいなかったという彼の主張は、彼が排撃される原因となったが、このことは、日本文明派が、『国民の歴史』などという怪しげな本を押し立てて策動していることを考えると全く正当な主張である。「こういう枠組みを取り払って、まったく新しい術語の体系をつくって、歴史の叙述をはじめなければならない」とする岡田史学に、私は共鳴するところがある。関心がある人は、先に紹介した『倭国』(中公新書)・『倭国の時代』(朝日文庫)、さらに『日本史の誕生』(弓立社)を検討いただきたい。
 最後に、岡田氏の「朝貢冊封体制」論批判を引用する。「朝貢冊封体制」というのは、第二次世界大戦後の日本で発明されたことばだ。これはどういう説かというと、「中国は世界(当時の東アジア)の中心であって、そこに異民族の代表が朝貢し、貿易を許される。皇帝からもらう辞令(冊)によって、異民族の代表の地位が保証される。こうして、中国の皇帝を中心として、東アジアには、朝貢と冊封に基づく関係の網の目が張りめぐらされていた。これが東アジアの秩序を保証していた」というものだ。ところが現実には、そんなことはぜんぜんなかったと朝貢に対する誤解に反感を露わにする中国嫌いの岡田氏と『天皇がわかれば日本がわかる』との本でも一貫させたように、「冊封体制」を、世界覇権国家と属国との関係とするとの副島氏の認識には明確な違いがある。
 岡田氏は、先に紹介した見解にもかかわらず、日本をある種の文明だと言わないと気が済まない学者で、副島氏が日本は文明の中心ではなくて周辺国だと書くのが気に入らないとのことだ。ここに岡田氏の弱点があり、現実にこの矛盾した心性から岡田氏は「つくる会」会員となっている。もちろん、副島氏は会員ではない。
 もう一人私がここで紹介しておきたい人物に白川静氏がいる。あの画期的字書三部作の『字統』『字訓』『字通』で知られている白川静氏である。非政治的な学者だが、こんな核心的な言辞を吐いている。
 「日本のような状態は『附庸』というんです。属国のことですね。大きな国にちょこんとくっついている。これを附庸という。養分だけとられて独立していないと言うことです。そういうことが中国の古典を読むとわかるようになります。おのずとそういう国の行く末も見えてくる。日本がこれからどういう方向に動いていくべきか、その道は古典の中に既に示されているというわけです」(『知の愉しみ 知の力』二0八から二0九頁)。
 日本文明派の底はとうに割れているのである。

聖徳太子と日本書紀

 改訂された『新しい歴史教科書』でも、律令国家の成立の表題の下、聖徳太子の新政を、聖徳太子の外交と聖徳太子の政治の両面から論じている。そこには、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」が引用され、「遣隋使は隋からみれば朝貢使だが、太子は国書の文面で対等の立場を強調することで、隋に決して服属はしないという決意表明を行った」と書かれている。このように、「新しい教科書をつくる会」では、聖徳太子は、神武天皇と並ぶヒーローなのである。これに関しては、谷沢永一氏の『聖徳太子はいなかった』を紹介したい。
 この一文に対して、谷沢氏はこの本の冒頭で問題にし、「これ、聖徳太子が、中国の隋の皇帝に宛てた国書である、と長いあいだ教えられてきた。非常に大切な文書であるとの触れこみである。それほど貴重なのか。では、日本の歴史書の、どこに、記しとどめられているのであろう」と切り出す。そして、この一文が、我が国のいかなる書き物にも、ぜんぜん載っていないことを明らかにした後、『日本書紀』の箇所を紹介して、その手練手管を解明する。見事である。この部分だけでも読むことを進めたい。この一文は実は『隋書』「東夷伝倭人」にあるのである。
 これ以降、谷沢氏は、新書約二百二十頁にわたり、聖徳太子がいないことをいろいろな側面から執拗に証明している。私の管見からも、「聖徳太子はいなかった」説は、関祐二氏や岡田英弘氏とともに日本建国華僑説に立つ副島隆彦氏らも、蘇我入鹿=聖徳太子説の立場から説明しているが、谷沢氏が依拠するのは、『長屋王家木簡と金石文』を著した大山誠一氏である。大山氏は、聖徳太子の実態を、用明天皇の第二子の厩戸皇子としている。
 この大山説に全面依拠して、谷沢氏は、議論を展開しているのだが、最近売り出している遠山美都男氏は、『日本書紀はなにを隠してきたか』において、法隆寺系資料を『日本書紀』以後の文書と認定したことで、聖徳太子が厩戸王をもとに創造された架空の人物であるとしたことを大山氏の功績としつつも、なぜ『日本書紀』ではそうした創造が行われたのかを解明していないことを大山説の問題点としてあげている。『日本書紀』が極めて岡田説の通りの怪しい巻物で、何回も切り割りされて訂正されたとの谷沢説は、聖徳太子の名前が、実際に厩戸・豊耳等何種類もあることからも真実だと判断される。
 確かに専門的になるといろいろな点が議論にはなるが、谷沢氏は、大山説を、書誌学と藤枝晃の敦煌学と佐藤弘夫の『偽書の精神史』で補強していることを挙げておこう。
 いうまでもなく『日本書紀』が成立したとき、それは書物の形式ではなかった。今でも何巻という言い方が残っているように、それは巻物の形式として完成された。したがって写本とともに本文は自由につぎはぎされた。当然のことながら出版日も奥付もない。したがって、厩戸皇子が聖徳太子だというような注も、自由に書き加えられるのである。現在私たちが読むことができる『日本書紀』が、成立当時のものかは誰にもわからないのだ。ここは書誌学者谷沢氏の炯眼の独壇場と私は脱帽する。
 そもそも『日本書紀』の書名が間違いだとの説すらある。少し読者の親切のために展開しておこう。第二の正史は『続日本紀』である。一体なぜ『続日本書紀』でないのか。その他の正史に『日本後紀』『続日本後紀』がある。だから『日本書紀』は『日本紀』が正しいのではないかという議論である。この議論の傍証には、『源氏物語』のあまりにも有名な「日本紀などは、ただかたそばぞかし。これらにこそ道々しくくわしきことはあらめ、とて、笑いたまふ」の一文がある。三省堂の例解古語辞典第二版には、「『日本紀』とは、『日本書紀』をさすとする見方もあるが、『続日本紀』などの、漢文で記された正史を総称するとみてよい」とわさわざご丁寧にも説明している。位の低い貴族なども見ることもできない正史の方よりも、写本数がはるかに多い『源氏物語』の方が、真実を伝えているのではないか。ここで思い出されるのが、谷沢氏の巻物説と書の意味である。添え書きされた書の小文字が誤って書名に入ったのだという説もある。
 さらに聖徳太子に関わりがあるとされた釈迦像等も太子とは関係ないことが突きつけられた。最後のよりどころとして聖徳太子の著作とされてきた『三経義疏』については、敦煌の莫高窟から同様なものが出土したという事実が、谷沢氏から最終宣告される。
 法隆寺を挙げて聖徳太子に頌歌を捧げてきた学僧ならぬ政治僧・行信一党が、『義疏』なるものを聖徳太子にかこつけて持ち出したのは、まさに「千慮の一失」であった。今でも法隆寺は聖徳太子直筆の原本を持っていると頑強に主張している。谷沢氏が指摘するように、彼らが中国の流布本の表紙を貼り替え、「『義疏』をもちだしたものだから、敦煌出土文書の検討でいっぺんにケリがつき、パックリ底が割れた」のである。
 谷沢氏は言う、聖徳伝説に決定的な打撃を与えたのは、藤枝晃氏であり、トドメを与えたのが大山誠一氏で、先に紹介した本が出版されて今日まで足かけ八年しかたっていない。
 谷沢氏の本は、まさに日本文明派に対する頂門の一針である。また谷沢氏の過去の言動に対する批判の書でもある。谷沢氏自身が、『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』の百五頁から百八頁で、聖徳太子頌歌を捧げている。とくに百六頁には、「聖徳太子『三経義疏』は世界最古の学問書の一つ」との言葉が踊っている。誠実な人物なら、今回の新書に、当然にもこの点自分自身恥ずべきことを書いてきたと自己批判を書くべき処である。
 谷沢氏の心事を語れば、「新しい歴史教科書をつくる会」との確執が、『新しい公民科書』を巡って一層激しくなり、『日本を創った12人』に挙げられた聖徳太子に関する堺屋太一氏との論争の過程で、聖徳太子像の再確立の必要性の自覚となり、それが契機となって「聖徳太子は実在しなかった説」の検討に、立ち向かわせたものであることは、想像に難くない。その意味で、この本は、こうした二重の観点から読める本でもある。
 またこの四月二十五日、大山誠一氏の『聖徳太子と日本人』が一部加筆されて、角川文庫から出版された。この文庫の解説として「近代史学と聖徳太子研究のあゆみ」が吉田一彦氏によって書かれ、聖徳太子がいなかったとの真実は学界で確定した。聖徳太子信仰ももはや長くない。この廉価本の登場によって、真実はさらに深く労働者民衆に広まっていくことであろう。教科書で聖徳太子の存在が神話と語られる時代がくるかも知れない。
 日本歴史に神話等を導入してしか歴史を語れない「つくる会」に対して、歴史認識の真実を求める労働者民衆は、近現代史に関する歴史認識のねつ造に反対すると共に、「つくる会」教科書の最大の弱点である古代史の真実をさらに探っていく必要がある。(直記彬)


フォトジャーナリズム写真展 地球の上に生きる2005

フォトジャーナリズム 写真展地球の上に生きる 2005
私たちはどこに向かっているのか。意識しないまま、他人の犠牲の上に生きながらえてはいないか。
守らなければならない大切なものを、簡単に売り渡してはいないか。
妥協を重ねた末に、妥協していることにすら気づかなくなってはいないか。
戦禍の広がりの中で、子どもたちが犠牲になるさまに、目をそむけてはいないか。
地球の異変さえ、人間の享受してきた文明と深いつながりがあることに、知らぬふりをしていないか。
これらの振り返り、そして生きる喜びを自分にも他者にも認め合い、生命が最も価値あるものと認め、生きとし生けるものの尊厳を再確認しあう、そうした機会を持つことができるようにと、私たちはこの写真展を企画しました。

開催期間 2005 年5 月31 日(火)〜 6 月20 日(月) 無休
時 間 10:30 〜 19:00 最終日15:00 まで
会 場 コニカミノルタプラザ ギャラリーA+B+C
交 通 新宿駅東口駅前 新宿高野ビル4F
連絡先 〒160-0022
東京都新宿区新宿3-26-11
TEL:03-3225-5001
共 催 コニカミノルタプラザ DAYS JAPAN

「つくる会」名誉会長西尾幹二氏に見識を問う

教科書展示会に向けての出版

 四年前の教科書採択時の時、「つくる会」会長西尾幹二氏は、現在「つくる会」の名誉会長の要職にあるが、最近『民族への責任』との仰々しい書名の著作を出版した。
 読者の参考のため、この本の目次を紹介しておこう。
 最初に、中韓の反日暴動と歴史認識――序にかえて――があり、二部構成となっている。 第1部 平成17年(2005年)は、第一章民族の生命力をいかにして回復させるか―性と政治の関係、第二章領土問題―和を尊ぶ日本的美質ではもう通らない、第三章皇位継承問題を考えるヒント―まず天皇制度の「敵」を先に考えよ、第四章ライブドア騒動の役者たち―企業、司法、官庁に乱舞する無国籍者の群れ、第五章怪獣は四つの蛇頭を振り立てて立ち現れた、第六章 アメリカとの経済戦争前夜に備えよ―日本の資本主義はどうあるべきか、第七章韓国人はガリバーの小人、第八章第四次世界大戦に踏みこんだアメリカ―他方、北朝鮮人権法で見せた正義、以上の表題で構成されている。
 第2部 平成13年(2001年)は、第一章歴史の矛盾、第二章文部科学省、約束を守ってください、第三章売国官庁外務省の教科書検定・不合格工作事件、第四章われわれのめざしたのは常識の確立、第五章『新しい歴史教科書』採択包囲網の正体、第六章平和のままのファシズム、付録1歴史を学ぶとは―扶桑社版『新しい歴史教科書』序文、2教科書検定・不合格工作事件(平成12年)の略譜、3「歴史認識」問題に関する西尾幹二の全発言リスト、で以上の表題で構成されている。
 そして、出版社が付けた本の帯広告には、日本をいかに衰滅から守るか―この一冊の本が日本人の運命を決める。皇位継承問題、会社法改正、中国のガス田開発、歴史教科書と中国・韓国の反日気運、そして少子化の不安……、内と外から日本を揺るがすこれら一連の出来事は相互に関連がないように見える。しかし、その背後には「敵を見ようとしない日本人」の姿が見え隠れしてはいないか。立ちすくむ民族の性根を鋭く見据え、戦後60年の空白を撃つ警世の書とある。
 西尾氏自身も、「今度の私の本には経済問題がかなり大きくクローズアップされている。日本の未来はこの面でも危い。第2部に教科書採択のなまなましい体験記をまとめてのせた。4年―5年前の文章だが、今までどの本にも収録しないで今日という日を待っていた。けれども私の問題意識が「教科書」をはるかに越えて、先を見ていることは読者もすぐにお気づきになるだろう。第六章「平和のままのファシズム」は現在の、未来の日本の危機を予言していたつもりだ。冷戦の崩壊後、自由が勝利して、なぜ自由はいままた不安な暗雲に閉ざされだしているのか。付録3に「歴史認識」に関する私の発言の全リストを掲げたが、最も古い新聞の文章は1988年5月である。リストにある題目だけ見ていても、「歴史認識」の歴史が一望できるだろう」と相変わらずの夜郎自大の怪気炎ではある。
 西尾氏が特に強調したように売りは、教科書採択の生々しい体験記を纏めて載せたことにある。ここから確認できることは、この出版物は、この六月十七日から三十日にかけて、全国の採択地区で行われる教科書展示会を明確に意識して出版されたものであることだ。
 事実この第2部を読ませることで、各地での教科書採択の実情を活写し、「おどおどした小役人の立居振舞い」を笑い飛ばしつつ、「つくる会」の立場からの批判を投げかけ、「つくる会」会員やシンパの各地区での奮起を引き出す狙いがあることは明確である。
 今回、「つくる会」は、各採択地区で、百名のアンケート回答者を出すように取り組むのだと伝えられている。
 さて、『民族への責務』を書いた西尾氏に、こんな本を出す暇があるのなら、私には、突きつけたい事実がある。西尾氏を破廉恥漢だと糾弾したいことがあるのである。

なぜ西尾氏は『日本文明史』を書くことができないのか―許せないウソ

 四年前の前回の教科書採択の時、西尾氏の頁数のみ多いものの内容の乏しい『国民の歴史』は、各地区の教育関係者への贈呈運動として取り組まれた結果、ベストセラーとなったことは記憶に新しい。そして、この『国民の歴史』の裏ページに『日本文明史』を出版すると西尾氏は予告してきた。この社会的公約を未だに西尾氏は果たせないでいる。私は西尾氏がなぜ『日本文明史』を賭けなくなったかその理由を知っている。それは、旧石器ねつ造事件で、日本文明における旧石器文明の高唱ができなくなってしまった結果である。二000年冬に発覚して、当該の藤村氏の証言から、旧石器ねつ造は事実として確定した。このため、二00一年春に、上巻を刊行する予定とされていた『日本文明史』は、世界に冠たる日本旧石器文明の存在根拠が崩壊したため出版できなくなってしまった。まさに類は友を呼んでいた。これが真実である。この暴き出された決定的な事実に対して、自らの著書『国民の歴史』で世界史的な意義を持つと賞賛してきたことについて、謝罪広告や反省広告を出しもしない西尾氏は、歴史認識ねつ造を事とする「つくる会」の人格的代表者として、まさにぴったりの人物ではある。この人物が現在名誉会長なのである。
 ところが最近、西尾氏のこの件に関わる弁明を、インターネット上で、偶然にも私は読んだ。この文章から確認できるように、まさに西尾氏は破廉恥漢である。
 西尾氏によると、この約束を果せないできたのは、「つづけてすぐ書いても、『国民の歴史』を越えた新しいものは書けそうにないと思ってためらっていたからである。代りに、『日本文明史』の別形式のつもりで書いたものが『江戸のダイナミズム』である。『新しい歴史教科書』は一種の通史であった。代表執筆者としてこれをまとめたので、約束した『日本文明史』の代用を世に出したという思いもずっと強かった。『日本文明史』をいきなり書くことは今の私にもやはりできない。個別のテーマで単行本を次々に書き下ろしていくという案をいま考えている。『江戸のダイナミズム』もその一つである。次のテーマでは雑誌連載を新たに考えるか、いきなり書き下ろしていくか、思案中である」。この文章は、西尾氏の二00四年年頭所感から引用した。
 ここに書いてあることは、全てウソである。事実経過をたどろう。一九九九年十月に『国民の歴史』を出版し、その最後の頁に『日本文明史』の上巻の出版を予告している。そして、二00二年に『新しい歴史教科書』を出版している。この年の冬に旧石器ねつ造事件が発覚したのである。世界に誇る日本縄文石器文明と呼んできた「つくる会」の歴史認識ねつ造は、ここに粉微塵に砕け散ってしまった。だから、この時間的経過を見れば、西尾氏のこの言い訳の破廉恥ぶりが、際だっていることが確認できる。
 西尾氏は、その厚顔で、さらに次のようにも付け加えている。
「私は自分の文章力がいまある頂点に達しているのを予感している。70歳をすぎると、誰でも例外なく筆力が落ちるときいている。残された時間をどう上手に使い、何を選ぶべきか、真剣に検討する時期が到来しているようだ。目先の政治論にかまけている時間は私にはもうないのかもしれない」。
 西尾氏の自覚は正しい。しかし、ニーチェ学者としてのライフワークの完成を顧みることなく、また自己の真の姿を顧みることなく出版された今回の『民族の責務』は、西尾幹二氏のまさに老残の象徴とも呼ぶべき著作である。
 私たちはこの老残醜悪を極める破廉恥な西尾氏に「つくる会」歴史教科書不採択の決定的事実を突きつけていこうではないか。   (猪瀬一馬)
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 今号では、青年ユニオンのHPをご紹介します。掲載した文章は、HPから転載させて頂いたものです。
■青年ユニオンとは?
首都圏青年ユニオンは、パート・アルバイト・フリーター・派遣・正社員、つまりどんな働き方でも、どんな職業
でも、誰でも一人でも入れる若者のユニオン(労働組合)です。
仕事をめぐる悩みやトラブルは、なかなか一人で解決できるものではありません。労働組合とは、そうした問題を
個人任せにせず、みんなで力を合わせて問題を解決していくための組織です。またユニオンは、トラブルを解決するだけ
でなく、同じような境遇にある仲間と出会い、人生を豊かなものにしていくことのできる場です。
青年ユニオンは、30 代までの若者の組合なので、若者のセンスで、将来の不安を抱える若者固有の問題に取り組みます。
また、東京都や都内の自治体の非常勤臨時職員や第三セクターで働く職員でつくる「東京公務公共一般労働組合」の強力なサポートを受けているので、アルバイト・パートや派遣など、いわゆる「非正規雇用労働者」にとっても
頼れるユニオンです。
首都圏青年ユニオンは、組合員の労働条件と生活、社会的地位の向上のために、日々、様々な運動を考え、実行しています。そして、若者の誰もが希望・尊厳・ゆとりをもって生きていける社会をめざします。
■仲間がいるよ!ユニオンには
首都圏青年ユニオンには、東京・神奈川・千葉・埼玉など、首都圏各地の若者が加入しています。また、関西圏にも組合員がいます。
メンバーの多くは、パート・アルバイト・フリーター・派遣・契約社員・請負などの、いわゆる「非正規雇用労働者」です。近年、とりわけ青年の間で、非正規労働者の割合が急増しています。もちろん、正社員として働く仲間も、失業中
の仲間もいます。
女性のメンバーが活躍できるのも、青年ユニオンの特徴です。世界的にみても、元気な労働組合には女性が多いという共通点があります。
職種的には、今のところ、教育産業(塾や家庭教師)、医療・福祉、コンビニや外食産業、夜間の仕事、学生アルバイトとして働く若者などが加入しています。
働き方や職種は様々ですが、同じような境遇にある若い仲間がいます。業種や地域ごとの分会づくりも、これから進めていくつもりです。
■労働相談
独りで悩んでませんか?
あきらめてませんか?
賃金が低すぎる、仕事が辛すぎる、いじめやセクハラにあった、解雇されそう、こんな生活では将来が不安だ・・・、そんなときあ
なたは、自分の責任だから自分しか頼れないと思いますか?もうどうでもいいと思いますか?あなたの抱える問題は、決して個人的
な問題ではありません。社会の仕組みが背景にあって、同じような悩みを抱える人が何百万人といるのです。例えば、フリーターや派遣という立場は、経済がグローバル化して、企業がコス
ト削減のために非正規職を増やしてきたなど、個人の意志とは別次元のものが作り出しているものです。あなたが抱える苦痛や悩みは、決してあなたの
自己責任ではなく、みんなで解決していくべき社会的な問題だと考えることがまず重要です。
そして、あなたの悩みやトラブルを、同じ境遇の人々といっしょに解決することができるのが、労働組合です。首都圏青年ユニオンは、アルバイト、
パート、派遣、フリーター、一般職、その他の働く若者のための労働相談を、普段からおこなっています。あきらめないで、あなたのトラブルや悩みを気
軽にご相談下さい。ユニオンの若い相談員がお話を聞きます。もちろん無料、秘密厳守です。組合員の人でも構いません。
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〈商品生産の揚棄〉を考えるC −− 「単一の協同組合論」「一国一工場論」を素材として−−

5,商品生産の揚棄――マルクス説

1)マルクスの基本的スタンス

 たしかに多くの人が指摘するように、マルクスは社会主義の具体的なイメージについては体系的には語っていない。むしろ将来の社会について具体的にスケッチすることを意図的に避けてきたともいえる。だから個々の生産単位、個々の協同組合の相互の間の関係についても具体的に言及しているわけではない。と言ってもこれは不親切というわけではない。マルクスの一貫した立場の反映だと受け取るべきであって、その理由はすでに触れた。繰り返すことになるが、それは彼に先行する社会主義が多くの場合、資本主義の悲惨な現状を変革するために、それに変わるべき社会の具体的なプランを提示し、その実現可能性を実験によって示すというものだった。それに対して上記のように、実際の歴史発展のただ中に商品生産の揚棄の歴史的根拠とその必然性を求める、といのがマルクスの基本的スタンスだったからだ。
 それにマルクス自身の共同体に関わる研究がすでに完成したものではなく、晩年に至るまで研究を続けていたテーマだったことにもよるだろう。当時の共同体研究にとって、材料となる実証研究が少なかったし、それだけにマルクスも晩年まで模索を繰り返していたというのが実情だ。それは『ザスーリッチへの手紙』の「下書き」が何回も書き直され、最終的には簡潔な返事しか返せなかったことからも読み取れる。明確になっていないことはマルクスといえども書けなかった、と言うこともあるだろう。
 だから将来社会のスケッチがないことについて、マルクスに責任の押しつけることは出来ないのだ。そうであっても、マルクスの著作の中からある程度の具体像は推察できる。それ以上に、実証研究も増えた現代の私たちこそ、そうした具体的なスケッチを描き、そうすることでアソシエーション革命の前進に寄与することも必要だと思うのだが……。
 それはともかくとして、そのマルクスが描いた協同組合的社会すなわち「生まれたばかりの共産主義社会」は、商品生産を根幹で克服した社会であって、「労働時間を基準」とした「協議経済」システムとして出発する社会だと理解することができる。
 以下、この二つの基礎の上で、どのように社会的生産が展開されるかをみていきたい。

2)商品生産を否定したマルクス説

 協同組合的社会が上記のようなイメージとして描かれている記述は、実はマルクスの著作の中にも多い。いくつか例を挙げる。

@社会的分業は商品生産の実存条件である。もっとも、逆に、商品生産は社会的分業の実存条件ではない。古インド的共同体では、労働は社会的に分割されているが、生産物は商品になっていない。あるいは、もっと手近な例をあげれば、どの工場でも労働は体系的に分割されているが、この分割は、労働者たちが彼らの個別的生産物を交換することによって媒介されているのではない。自立的な、互いに独立の、私的労働の生産物だけが、互いに商品として相対するのである。(『資本論』新日本出版社版 1巻−72ページ)

A共同的な、すなわち直接的に社会化された労働を考察するためには、われわれは、すべての文化民族の歴史の入口で出会う労働の自然発生的形態にまでさかのぼる必要はない。自家用のために、穀物、家畜、糸、リンネル、衣服などを生産する農民家族の素朴な家父長的な勤労が、もっと手近な一例をなすこれらのさまざまな物は、家族にたいして、その家族労働のさまざまな生産物として相対するが、それら自身が互いに商品として相対することはない。これらの生産物を生み出すさまざまな労働、農耕労働、牧畜労働、紡績労働、織布労働、裁縫労働などは、その自然的形態のままで、社会的機能をなしている。(『資本論』1−132)

B生産手段の共有を土台とする協同組合的社会の内部では、生産者はその生産物を交換しない。同様にここでは、生産物に支出された労働がこの生産物の価値として、すなわちその生産物にそなわった物的特性として現れることもない。なぜなら、いまでは資本主義社会とは違って、個々の労働は、もはや間接にではなく、直接に総労働の構成部分として存在しているからである。(『ゴータ綱領批判』全集19−19

C「第二に、資本主義的生産様式の止揚後も、しかし社会的生産が維持されていれば、価値規定は、労働時間の規制、およびさまざまな生産群のあいだへの社会的労働の配分、最後にこれについての簿記が、以前よりもいっそう不可欠なものになるという意味で、依然として重きをなす。」(『資本論 3−1496)

Dこの労働にたいする資本家の他人所有が止揚されることができるのは、ただ、彼の所有が変革されて、自立的個別性にある個別者ではない者の所有、つまり連合した、社会的な個人の所有としての姿態をとることによってだけである。もちろんそれと同時に、生産物は生産者の所有者なのだ、という物神崇拝はなくなり、資本主義的生産の内部で発展する、労働の社会的形態のすべてが、これらを歪曲して対立的に表わす対立から解放される。この対立は、たとえば労働時間の短縮を、全員が6時間労働するようになる、というように表わすのではなく、6人が15時間労働すれば20人を養うのに足りるようになる、というように表わすのである。(『
資本論草稿集』 9巻−389)

E個々人の労働は初めから社会的労働として措定されている。それゆえに,彼がつくる,またはつくるのを助ける生産物の特殊的な物質的姿態がどうであろうと,彼が彼の労働をもって買ったものは一つの規定された特殊的な生産物ではなくて,共同的生産〔gemeinschaftliche Production〕への一定の関与なのである。だからこそまた彼は,特殊的な生産物を交換する必要もない。彼の生産物は交換価値ではない。生産物が,個々人にとっての一般的性格を受け取るために,まず一つの特殊的な形態に転置される,という必要はないのである。交換価値の交換のなかで必然的につくりだされる分業〔労働の分割〕に代わって,共同的消費への個々人の関与を帰結としてもたらすような,労働の組織化〔Organisation〕が行われるであろう。……第2の場合には,生産の社会的性格は前提されており,生産物世界への参加,消費への参加は,相互に独立した労働または労働生産物の交換によって媒介されてはいない。生産の社会的性格は,個人がその内部で活動している社会的な生産諸条件によって媒介されているのである。(『経済学批判要綱』大谷禎之助『経済志林』63巻3号P99より――MEGA,TT/1.1,S.103.)

 協同組合的社会での商品生産に関わるこうしたスケッチは、マルクスの著作のあちこちに散見される。これらを念頭に置いて商品生産を揚棄した協同組合的社会の姿を考えてみたい。

3)「商品」も「お金」もなくなる

 私としてすでに多くの場所で言っているように、アソシエーション社会とは社会の様々なレベルで形成される協同組合の連合社会として出発する以外にないと考えている。商品の生産と流通を揚棄するためには、そうした協同組合が何も全国単一の協同組合になったり、あるいは国家と融合するとか国家そのものにならなければならない必然性はない。協同組合的社会とは、個々の協同組合が他の協同組合や社会全体の協同組合から自立しながら連携した社会であるといえる。アソシエーションとは、連合とか提携を意味する言葉であり、相互尊重が貫かれた「契約社会」でもあるからだ(広西氏)。自立、連帯した関係と、独立、排他的な関係は違うのである。
 協同組合の連合社会を批判する人は、相互に自立した協同組合とかそれが連合した社会というと、それを相互に排他的な関係にある資本主義的企業と同一視してしまう。協同組合の連合社会とは、労働の生産果実を資本家と労働者が奪い合う関係ではなくて、それを連合した生産者が共通に占有しているから連合社会なのだ。生産果実を奪い合うことが無くなれば、相互に自立した協同組合の関係も排他的なものではなくなり、連携・提携した関係性を確保できるのである。
 いうまでもないが、マルクスにとって商品とは、交換価値と使用価値の統一物である。生産物がそうしたものとして現れるのは、相互に排他的な所有と労働に基づいて生産されるからだ。協同組合的社会の生産物は、共同の生産手段と様々なレベルの協議を基礎とする直接の社会的労働によって作られる。その生産物は交換価値の性格はすでに無くなり、従って交換価値を体現する「お金」=貨幣も必要としない。
 では生産物はどういう姿になるのか、といえば、それは投入された労働時間を単位とする個々の使用価値を持つ単なる個々の製品になる。「お金」=貨幣は「労働証明書」、すなわち社会的に生産された消費財やサービスの中から個々人の受け取り分を引き出す「引き出し券」になる。個々人は一ヶ月の労働時間が160時間なら「160アワー(労働時間の意味=どんな呼称でもいいが)」、120時間なら「120アワー」という単位の「労働証明書」=「引き出し券」を受け取る(社会的なプール部分などを控除してから)。貨幣=お金はあらゆるものと交換可能だが、「アワー」という「労働証明書」=「引き出し券」は、個々人の消費にまわされる製品やサービスを引き出すことのみに使用される。

4)労働時間を基準とした生産と分配

 一方、個々の使用価値を持つ製品やサービスは、商品と違って価格(交換価値が市場に登場するときの形態)を持たない。マルクスが前出のBやEで言っているとおりだ。その代わりにどれくらいの労働時間が投入されたものかを表す単位が付いているだろう。たとえば製造に10時間必要だった製品は、どういう呼称でも良いがたとえば「10アワー(時間の意味)」という単位の製品となる。この「アワー」は、協同組合間で製品やサービスのやりとりをする際に簿記の単位として用いられるし、社会的労働の支出を調整する単位にもなるし、また個々の労働者が支出した直接的な社会的労働の生産果実という消費財製品のプールからの、個々の労働者の取り分を計算する単位にもなる。こうした労働時間を単位とした生産や流通は、直接に社会的に支出された労働を同等に評価するために機能するだろう。
 社会的な生産の維持はどうなされるだろうか。     次号に続く  (飯島廣)案内へ戻る


靖国の意味

 小泉の靖国参拝への度外れた固執が最悪の展開を見せている。ここへきて、自民党内からも参拝自粛≠フ声が上がり、世論も反対へと傾いた。それでも小泉が持論を曲げないのはそれが本心からなのか、それともすべてを計算した上での演技なのか定かでない。いずれにせよ、靖国は政治家にとって利用価値のある魅力的な存在であることだけは確かなようだ。マスコミもこぞって靖国問題を取り上げているので、6月5日の新聞各紙からその論調を拾ってみた。
 まず「毎日新聞」だが、社説で『国益のためにやめる勇気を』と小泉に要求している。
「私たちはこれまで、A級戦犯が合祀されている神社に首相としての参拝は行うべきでないという主張をしてきた」「戦後60年の総決算として、わが国が優先すべき『国益』の一つに国連安保理常任理事国入りがある。敗戦後、平和国家の道を歩んできた日本が常任理事国に入ることは、戦勝国による国際秩序から新しい国連へと移り変わるギアチェンジになるからだ。そのカギを握る周辺国家との関係がギクシャクするのは、国益に何のプラスにもならない」等々・・・
 語るに落ちるとはこのことだ。参拝反対の態度を明らかにしているのはいいのだが、国益≠ネどというものを持ち出されては白けてしまう。しかも、現状の日本が国連常任理事国に入ることが何か積極的な意義があるかに述べるなど、戦争できる国へと変貌しつつあるこの国をどんな風に評価しているのかと呆れる。もっとも、それも毎日がそういう変貌に反対してるとしてのことだが、そうでないならこういう論調も当然ということになる。
 次は「朝日新聞」で、こちらも社説。『遺族におこたえしたい』という変わった見出しで、戦没者遺族の「あの戦争で国のために命を落とした者を悼むことの、どこがいけないのか。首相が参拝するのは当然ではないか」という問いに答えている。
「靖国神社に参拝する遺族や国民の、肉親や友人らを悼む思いは自然な感情だろう」「しかし、命を落とした人々を追悼し、その犠牲に敬意を払うことと、戦争自体の評価や戦争指導者の責任問題とを混同するのは誤りだ。上官の命令に従わざるを得なかった兵士らと、戦争を計画し、決断した軍幹部や政治家の責任とは区別する必要がある」
 さらに、靖国神社が「戦死をほめたたえ」「戦意を高揚し、国民を戦争に動員するための役割を果たしてきた」という指摘もしている。戦争を正当化し、「東京裁判で戦争責任を問われたA級戦犯は連合国に『ぬれぎぬ』を着せられたという」靖国神社の立場も批判している。「侵略された被害国からの批判を、単純に『反日』と片づけるわけにはいかないと思う」と述べることも忘れない。
 なかなか丁寧な内容になっているが、靖国参拝は自然な感情≠ナはなく、国家によって強制された二重に偽られた感情に過ぎず、まさにそこに靖国神社の最も重要な役割があるのではないか。また、戦争を決断したのは軍幹部や政治家だけではない。そんな風に書くことで、昭和天皇の戦争責任を隠蔽することの犯罪性を、朝日はどう考えているのか。
 こうした論調の結論が、「戦没者を追悼する場として新たな無宗教の国立施設の建立」ということになってしまうのは当然か。その新しい追悼施設が新たな靖国神社≠ノなってしまうことを朝日は洞察できないのか。読売や産経のマスコミならぬマスゴミ≠ヘともあれ、朝日や毎日のこうした甘さも小泉に代表される右翼的展開に手を貸してしまっているし、しかもその自覚も欠いている。
 それから「神戸新聞」には、共同通信の質問書に靖国神社が『A級戦犯分祀せず』と答えたことが報じられている。「日本人の信仰に基づく問題。中国、韓国の反発はともかく、日本人の反発はいかがなものか。昭和28年の、戦犯はいないという全会一致の国会決議を忘れてはならない。分祀はあり得ない」だって。
 国家護持については、「かつての靖国神社国家護持法案に基づく国営は望まないが、国のために命を捧げた御祭神を国の手で護持すべきは当然」と回答している。小泉や閣僚の引き続きの参拝を希望し、そして天皇の参拝を「遺族、戦友らは熱望している。神社も同じ」と強調している。
 この報道で神戸は自己の主張を何もしないで、情報提供に徹している。しいて探せば、賛否の識者見解を紹介するなかで、『問われる歴史認識』という見出しで高橋哲哉・東大大学院教授の次のような意見を紹介しているところか。「言論、信教の自由という原則の中で、靖国神社がどのような歴史認識を持とうと自由だが、そこに首相が参拝しているとなれば、神社の歴史認識の中身が問われるのは当然だ」
 さて、私は小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟の原告に加わっているが、靖国神社に日本人の反発はいかがなものか≠ニ指摘されているところの、困った存在である。その全国で闘われている数ある靖国訴訟のなかで、唯一の違憲判決が出たのは福岡地裁であった。しかし、福岡地裁の勇気ある判決は一部の裁判官からさえ蛇足判決≠ニ言われ、まるで越権行為のようにみなされている。
 つまり、侵害されるような利益がないならさっさと棄却して裁判を終わらせろ、憲法判断は余計なことだというわけである。裁判官の大多数はそう考えている(実際ほとんどがそういう判決だ)が、それが司法の自殺行為だという自覚も当然ない。こちらも、マスコミに負けず劣らず情けない状態となっている。
 違憲判決が出ても憲法尊重擁護義務(憲法99条)がある首相がこれを無視し、靖国神社が居直ることができるのは、司法すら憲法を守ろうとしない、マスコミも権力に毅然と立ち向かわない、こうした現状があるからである。情けないが、あきらめずに自力で立ち向かっていくほかない。     (折口晴夫)
 

読書室
『働くということ』 ロナルド・ドーア著 中公新書 700円
『しのびよるネオ階級社会』 林 信吾 著 平凡社信書 740円


 この10数年、不況下でのリストラなどでパートやフリーターが爆発的に増えている。こうした中で多様化した雇用形態の上でそれぞれの階層の固定化傾向も指摘され、[新しい階級社会の到来]という見方が多方面でされるようになってきた。
 今回紹介するのはそうした階級社会、階層社会の背景説明や分析などの著作のうち、最近発行された二冊を紹介する。

■ロナルド・ドーア

 最初に取り上げる『働くということ』の著者は、永年にわたって日本的労使関係の特質などについて研究してきたイギリスの社会学者だ。
 この本を前にしたとき、その著名や本の内容より真っ先にロナルド・ドーアという著者名に関心をそそられた人も多いはずだ。なぜかと言えば、著者は『日本の工場・イギリスの工場』(1973年)という著作などで“知る人ぞ知る”存在の人だったからだ。彼は1970年頃、高度成長を続ける日本に関心を持ち、イギリス経済の将来への関心から主として日英の比較労働論を中心として日本の雇用システムを始めとした労働事情を研究してきた人だ。私などはそうした著者の関心とは別に日本的労使関係の特殊性を探る上で非常に参考になったことを記憶している。
 というのも、『日本の工場・イギリスの工場』の日本語版が出たのは1987年で、文庫版になったのが1993年、私が読んだのはその文庫本だ。その時期での私の関心の一つは、自主管理労組『連帯』を生んだ1980年のポーランドでのグダニスク造船のストライキや、1984年3月から1年間にわたってストライキが闘われたイギリス炭坑労組の闘いなど、日本の当時の労働事情からすれば考えられない闘いを行っていたヨーロッパの労働事情との違いはどこのあるのだろうか、というものだった。
 当時の日本はといえば、1985年の10月に中曽根内閣が国鉄の分割民営化を閣議決定し、国鉄闘争が正念場を迎えていた頃だった。国鉄闘争では千葉動労がストに決起した以外、あれほどの攻防戦にもかかわらず、日本最強を誇ったあの国労でさえもなぜストも打てずに敗北していったのだろうか、という疑問をずっと引きずっていた時期だった。両国の工場での労働者の構成や採用・訓練からはじまって、賃金・雇用システムから労使関係にわたって詳細に両国の労働事情の違いを分析していた『日本の工場・イギリスの工場』は、そうした疑問を考える上で非常に示唆に富む著作のひとつだった。
 日本とはどういう国か?あるいは私たち日本の労働者というのはどういう存在なのか、という問いを突き詰めて考えていくために、比較労働論というのは有効なアプローチの一つで、私たち日本の労働者の大いに参考になると思う。そういう意味では著者の生まれたイギリスの進むべき道を探るために日本との比較労働論の研究に携わった著者のアプローチは、直接には関係ないが、90年代にアメリカなどで拡がったいわゆる[日本異質論者]による日本社会の分析と同じような示唆を私たち日本の労働者に与えてくれるものでもあった。今となっては『日本の工場・イギリスの工場』はかなり古くなった部分もあるとはいえ、冒頭に触れたような日本の雇用システムや労使関係の急激な変容の意味合いと今後の推移、あるいは労働者がめざすべき道を考える上では決して古くなった著作ではないと思う。

■回想・総括

 著者と前作の紹介が長くなったが、ここで紹介する『働くということ』は、そうした著者の仕事が日本の研究者に評価されたことがきっかけになって、ILOと国際労働研究所主催で著者が行った記念講演をもとに書かれたものだ。だから本書が『働くということ』という著名で発行されたことから、著名だけを見ると労働論あるいは労働者論を語ったものかと受け取ってしまう。が、内容的には著者の「半世紀にわたる社会学者としての一種の回想・総括」(『本書』はじめに)の本になっている。それだけに結果的には大学教授の退官記念講演のような読後感を受けてしまった。
 本書の章立てを紹介すると以下のようになっている。

 第一章 労働の苦しみと喜び
 第二章 職場における競争の激化
 第三章 柔軟性
 第四章 社会的変化の方向性
 第五章 市場のグローバル化と資本主義の多様性

 章立てだけでは内容が良く汲み取れないが、簡単に要約すれば、第二章が90年代を通して進行した成果主義賃金の導入や年功制度の変容、それに伴う労働強化など職場における労働の質的変化を分析したもの、第三章がそれをもたらした新自由主義、あるいは著者のいう[市場個人主義]の浸透によって拡大するパートなどの非正規労働者、それと相まって進む不公平の拡大を許容する労使構造を分析したもの、第四章と第五章が「不平等の拡大を当たり前とするような『公正』概念の変化」の背景に迫った部分になっている。
 本書は最近ローマのスーパーマーケット略奪事件で現れた[プロレタリアート]ならぬ[プレカリアート]なる落書きを紹介しながら、日本でも進行する不安定・不平等社会の労働者を[無産階級]というよりも[不安定階級]だとしていることなど興味を引く記述もある。が、章立て内容の要約がしづらいなどの難点もあり、実際、読みこなすのが骨が折れる。これも記念講演をもとにした著作という本書の性格だけからきているものなのだろうか。

■一端の示唆

 一冊の紹介が長くなった。『しのびよるネオ階級社会』は簡単な紹介で足りるだろう。
 本書の著者は1980年代から90年代にかけて実際にロンドンで生活した業界紙記者出身の作家兼ジャーナリストで、自身の体験をもとにした[イギリス社会から見た日本社会]という体裁を取った本だ。
 本書は先に紹介したドーアの本と違って、問題意識は単純かつ鮮明だ。要旨は、最近日本でも階級社会が到来したという見方が拡がりつつあり、またそれを肯定的に受け入れようとする皮相な見方があるが、イギリスの実際の階級社会はそんなに牧歌的なものでもなければ模倣すべき社会でもない、むしろ先行きに希望がもてない閉塞社会だというものだ。
 確かに著者が言うように、学者などによる一〜二年の短機関の滞在経験だけでは見えてこないイギリス社会の閉塞状況を紹介している意味では、本書は一面の真理を伝えている。が、著者の階級社会批判の基本的なスタンスは[機会の平等、結果の不平等]社会容認にある。かつて日本の家庭でモデル視された[アメリカ型マイホームの豊かさ」へのあこがれと、バブル経済の崩壊を挟んだ最近のイギリス型社会の[金では買えないゆとりある安定した社会]へのあこがれが、結局は社会の表面だけを見た“鼻先にニンジン”だったことを指摘しているだけに、何とも不思議な論理展開ではある。
 とはいえ、本書もイギリス型階級社会の一面に光を当てていることは確かで、階級社会の本質の把握やそれをいかに突破していくかという私たちの関心に対して、一端の示唆を与えてくれていることには間違いないだろう。こちらは電車の中でも読みとうせる本になっている。(廣)
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 戦火や天から飛行機が降ってこない地域でも、なぜ殆ど毎日の如く事件が起こり命を落とす≠アとになるのだろうか。

命≠ェかくも軽くなってしまったのは、金≠フ方が重くなってしまった状況からくるのでは? 年寄り故に社会的には「ごくつぶし」という思いは拭いがたく、年金*竭閧焉A特に消費をこととする都市生活者は、生きる≠ノはお金≠ェ必要である。その意味で自己責任≠フみを問われては、片手落ち、お上の公共責任はどうするの? とうやむやにしてもらいたくない。
 人権≠竍自由≠烽ウることながら、生存権≠ェまず確立されねばお話にならないであろう。どんな階層、条件にある人々でも生存権≠ヘまず保証されねばならないであろう。平和≠ニともに生きる≠スめの最低でも保証されねば、人権≠熈自由≠烽サの中で確かなものとして創出されていくのではなかろうか。その言葉は、政策であれ意識の面でもイスラム流に喜捨≠ニか、ボランティアとか多様なあり方があるであろう。
 専門的なことはよくわからないが、普通に考えて、どのような人々も生存≠ェまず保証されなければ、死に急ぐ≠アとも、どん底生活で明日なしであれば命≠フ値打ちも軽くなり、精算主義的に陥り、イチかパチかどうなろうと・・・と戦争の道(いつかきた道)へとたどらないとも限らない。こんな国のために命を捨てることはない≠ニ外人部隊として飛び出して行くことにもなりかねない。
命≠熈金≠ニ同じ 位の重さになってしまうことから戦争への道、あるいは日々の殺傷事件だけでなく、交通事故の多発、あげくの果てに地球に異変が起こるやも・・・。ということになれば、国と国との闘いも理念とかそういうこともかつてより薄れ、さしずめ対立し続ければ、お互いにマイナスと、その時その時の対応の仕方ということになろう。それは、かつては、さわがれた国益=]ナショナリズム‐お互いにぶつかれば、避ける方がよいという方の妥協に落ち着くことになる。
 結局、犠牲になった戦没者は死に損≠ニいうことで誤りの(数多くの人命を失うことになった)禍根を絶つことにならないし、庶民的感覚では死んで花実が咲くもんか∞死んでいくら栄誉を与えられたり、拝んでもらったりしてもらいたくない=]端的にいって死んで祭られてもお供えも食えない≠ニいうわけ。
 そういうことで靖国参拝は意味なしと言わざるを得ない。ワーカーズ紙6/1号の読書室欄の靖国の戦後史¥ミ介にあるように、結びの言葉戦争を繰り返さないシステム≠可能にするとある。私は普通の人間の感覚からしても、いつかきた道を辿ってしまうほどに心身ともに貧困に陥り、生≠ヨ向かい得ない状況こそ危ないと思う。かつて大正のリベラリズムから、不安′フに戦争へなだれ込んだ苦い経験から、貧しくて$争への道を辿らないためにも、歴史から多くを学び取ることが必要となろう。
 中国の歴史から学べ≠ニいう指摘は単にとりあえずの危険を回避するためだけに止まってはならないことをいうのであろう。靖国参拝については文化としてごまかし得ない、歴史上の経験の検証と何をどう学んだかを明確にすべきだろう。その意味にもアジア諸国の歴史の共同研究は実現したいもの。
 戦争というのは本質的に国内矛盾の外へ向けられたものであろうし、戦争回避は外交によって実現する場合もあろう、と門外漢からそう思う。回避の道は外交だけではなかろう。命¢蜷リを意識の面で保証しうる手段として経済のみならず、自然と人間との関わり方から取り戻せないか、と探る人々も多いようだ。私が古代文明に心惹かれるのも、その流れに沿うものであろう。      2005.6.6 宮森常子


最近うれしかったことと失望したこと

 五月下旬、長らく購入したいと考えてきた普及版『マルクス経済学レキシコン』を手に入れました。価格は約一万八千円です。買うことに決めるまでには大分悩みました。
 まずその第一点は、その基になる一九六八年四月から一九八五年九月まで刊行されていたドイツ語対訳の『マルクス経済学レキシコン』全十五巻をほぼ同時進行で購入し続け持っていたことがあります。私が学校に入学する一年前に刊行された第一巻は、まだ書店でいつでも購入できたのです。
 第二点は、一九九五年に刊行された普及版は、刊行済みの『マルクス経済学レキシコン』の日本語部分だけを全八巻に纏めて、さらに全十五巻の付録であった栞が製本されて別冊に付いていたのですが、各巻の分売はされず、したがって価格は七万三千円ととても高額であったのです。私にはとても手が出ない価格だったので、とりあえず別冊だけでも、全十五巻購入者には分売して頂けないかと出版社に電話したことを覚えております。
 三点目は、インターネットで検索すると、普及版全巻が二万千円程度で、別冊は八千三百円で売りに出ていることを昨年末知ったのです。そこで普及版全巻を売りに出している古本屋に別冊も付いているかどうか問い合わせたところ返事がこないのです。別冊だけでも購入しようかどうか、今回はお手頃価格になったこともあり真剣に考えました。
 昨年末から、『共産主義者達の宣言』を新訳している過程で、従来訳がいい加減であることを身を以て知る機会があったので、とうとう意を決して普及版全巻を買うことにして私に返事をよこさない古本屋を再度検索したら、なんと一割引の値段でまだ売りに出ていたではありませんか。早速注文したところ、幸運にも別冊が付いていたのです。本当にうれしかったです。この本がまたきれいな本でほとんど読まれていないことに驚くと共にこんな名著のびっくり価格にマルクスや左翼文献の暴落相場をしみじみと実感しました。
 早速唯物史観の巻の『共産党宣言』の翻訳を確認したところ、訳語の訳仕分けがなく、マルクスの真意に迫ろうとの問題意識が翻訳者にないことがわかりました。このことは本当にがっかりしました。当時私はこの巻などは非常な情熱で読んでいたからです。
 その後、私の問題意識も明確になり、マルクス再読に取り組んでいますが、当時はマルクスのアソシエーション的視点の革新性など問題意識すら持っていなかったことを、反省すると共にこの再読の意義を再認識した次第です。  (S)
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