ワーカーズ301号(2005/7/15)          案内へ戻る

繰り返された無差別テロの愚行
米英=テロ国家の責任も追及されるべきだ!


 七月七日、イギリスのロンドンでまたまた無差別爆弾テロが出来した。今回のテロは、地下鉄等の乗客を狙ったもので、手段としても、何と卑劣かつ陰湿なものであろうか。
 アメリカでの九・一一同時多発テロといい、今回のロンドンでの爆弾テロといい、その背景にはイスラム民衆の反感がある。世界世論を一切無視したパレスチナやアフガン・イラクでのアメリカの傍若無人な大義なき軍事力の行使とそれに無批判的に追随し加担するイギリスに対する吹き返しだ。嘘で戦争を始めたアメリカの専横は今も続いている。それゆえブレアやブッシュが「テロは断固許さない」と言う前に、自らの蛮行に対する真摯な反省を踏まえなければ、世界の労働者民衆には、全く説得力はないと知るべきである。
 再度言う。イギリスがパレスチナ等でのイスラエルやアメリカの行動に追随していなければ、ロンドンでの地下鉄等の乗客を狙った今回の卑劣なテロは起きなかったのである。
 確認しておきたいのは、混迷するイラク状勢の中、派遣されている自衛隊への攻撃が正に短日に迫っていることと今後は日本もテロの標的となるという冷厳な事実である。さらに、かって日本は、中東において、直接に手を下していない国として、極めて友好的に遇されてきたが、自衛隊をイラクに派遣したことにより、アメリカ・イギリスと同列の犯罪国家へと成り果てたことへの深刻な意味を、私たちは今こそ真剣に反芻する必要がある。
 日本のマスコミとテレビは、大騒ぎはしているものの自衛隊の海外派兵を閣議決定のみで強行した小泉失政に今後迫りくる深刻な危機に対する責任追及を全く放棄している。
 今為すべき事は、日本をゴミ箱撤去等の対テロの警察監視国家にすることではなく、全世界に憲法違反の自衛隊イラク派兵を深く謝罪し、今直ちに撤退させることでしかない。
 これが焦眉の課題である。勿論こんな事は、いかに必要なことではあっても、日本の既成の政治勢力にはできない。派兵阻止を真剣に闘わなかった既成政党に期待はできない。
 この正しい決断を下し実行できるのは、私たち日本の労働者民衆しかいないのである。
 度重なる靖国参拝による対アジア小泉外交のゆきずまりと対イラク戦争における小泉の深刻な失政を、大胆にご破算にできるのは、支配者階級の面子とは全く無縁の労働者民衆だけであることを高らかに宣言する。闘って、彼らをさらに追いつめよう。(直記彬)


小泉政権――〈終わりの始まり〉郵政民営化法案、5票差で衆院通過――展望なき党内抗争

 小泉首相が構造改革の本丸だと位置づけて突進してきた郵政民営化法案が、7月5日衆院を通過した。自民党議員の造反などでわずか5票差での通過だった。
 これまで政府と郵政族を中心とする〈抵抗勢力〉は、郵政民営化の落としどころを巡って妥協を模索してきた。が、最終的に手打ちはできないまま自民党利権派議員の造反を招いた。
 予想外の僅差で党内への統制力を削がれた小泉首相に残された道は、否決された場合の総辞職か破れかぶれ解散か、再度の法案改正による先送りか。いずれにしてもとるべき道は狭められている。
 郵政民営化をめぐる攻防戦は8月13日の会期末を視野に入れ、自民党内の亀裂を深めながら夏に陣へ移っていく。

■変質した民営化案

 法案が参議院で成立するかどうかが焦点となった今ではあまり大きな問題ではなくなってしまったが、政府・自民党の調整過程と法案そのものの修正によって、民営郵政会社の姿は当初の目的からすればかなり変質したものになっている。
 法案の修正点の主なものは
 ○持ち株会社による貯・保会社の株保有の継続性を確保したこと
 ○社会・地域貢献基金という民営化持参金を一兆円を超えて二兆円まで上乗せ
 ○過疎地だけでなく都市部でも特定局数の維持に縛りをかけたこと
などだ。
 これらの妥協・修正で、国の関与、三事業一体経営、特定局長集団を基盤とする郵政族の利権構造はその分だけ温存される。なぜなら国の関与や法的規制がある限り、そこには必ず利権構造が残るし、三事業一体経営の性格が残れば貯保の切り離しや政府系金融から民間への資金環流も阻害され、また特定局長制度が形を変えて残ればそこには集票と利権のもたれ合い構造も残らざるを得ないからだ。
 こうした妥協は道路公団の民営化と同じで、仮に郵政民営化が実現したとしても当初の目的、お題目からは遠く離れたものにしかならない。〈実を捨てて名を取る〉という小泉構造改革の限界でもあるし、また日本における政官業の利権構造がそれだけ根強いことの結果でもある。

■じわり進む利潤原理社会

 変質したとはいっても、郵政民営化が米国流の利潤至上主義社会への転換の一里塚であることには変わりはない。事実、他の分野では小泉流構造改革は着実に進んでいる。郵政民営化は実際には他の分野での構造改革の後追いでしかない。
 たとえば金融の分野では、97年に独禁法改正で純粋持ち株会社を解禁したことを皮切りに、99年の商法改正では完全親会社、完全子会社の創設が簡単にできるようにし、00年の会社分割法、会社更生法、破産法などのいわゆる破産法の大幅改正による会社の整理統廃合をしやすくしたこと、05年6月の新会社法の成立で株式会社の創設が簡単になったこと、等々だ。これらもあってすでに銀行などは2〜3行に統廃合される趨勢にある。
 またこの10年で労働法制の改訂が続き、いま労働者の採用、昇進から解雇に至るまでの個別法を一本化する雇用契約法の制定に向けた法整備も始まっている。
 これらによって企業活動の自由が大幅に拡大し、さらには労働者を企業の都合がよいように使い捨て可能にするなど、資本による企業活動最優先の社会改造が進められている。
 こうした構造改革は、米国スタンダードに基づいた泥縄式の構造改革であって、決して一貫したものでも日本の現状にあったものでもない。ましてや私たち労働者の立場からすれば、労働者を切り捨てた、利潤至上主義社会への再編以外のなにものでもない。
 郵政民営化もこうした小泉構造改革の一環であって、だからこそ当初のお題目はどこへやら、妥協と修正を繰り返して中途半端な姿に変質せざるを得ないのだ。しかも公的金融の出口である政府系金融機関の改革の道筋も立っていない有様だ。
 私たちとしては、小泉流構造改革と利権政治の党内抗争に埋没することなく、独自の目標と要求を対置する以外にない。

■深まる自民党の亀裂

 今国会での郵政民営化をめぐる攻防戦では、自民党内の亀裂は引き返し困難なところまで拡大した。もはや郵政公社の経営形態問題にとどまらない党内抗争の色合いを帯びるに至っている。
 なぜそうなったかは、すでに言われているように小泉内閣の支持率が低下し、小泉離れが始まっていること、小泉政権の任期があと一年に迫っていること、ポスト小泉政権がらみの抗争が始まっていること、などが背景にある。
 仮に〈瓢箪からコマ〉で解散・総選挙ともなれば自民党は分裂選挙必死であり、政権交代もあり得るし、あるいは自民党の抗争・分裂が民主党にも波及して政界再編が起こる可能性もないわけではない。が、この党内抗争は新しい政治を生み出すということでは積極的なものはどこにもない。小泉首相が強引に進める郵政民営化自体、国民の関心もないし緊急の必要性もあるわけではない。抵抗勢力としても、ただ利権構造の温存やポスト小泉を視野に入れた政略でしかなく、積極的な将来展望を持っているわけではない。
 それに現時点では国民の関心が年金などの福祉に関わる課題などに向けられているわけで、私たちとしては本来そうした土俵で小泉政権を追求し、追いつめていくべき時期でもある。しかも政府は、郵政民営化が焦点化される中で自分たちの野望を着実に推し進めているのだからなおさらだ。。
 たとえば6月には政府税調は給与所得控除を全廃する構想を打ち出し、勤労者を標的にした大増税路線を敷こうと動き出した。あるいは監視社会化をもくろむ共謀罪も衆院で審議入りする。雇用契約法などの法整備も進んでいることもすでに指摘した。そうした課題での攻防戦も手を抜くことはできない。
 ただ郵政民営化法案の審議で、参院での否決、解散・総選挙、あるいは政界再編があるとすれば、それは政治の流動化の始まりであり、私たち労働者派の主体形成にとっても一つのチャンスでもあり、歓迎すべきことだろう。

■埋没する野党・労組

 他方、この間の野党や労組の動きはどうだろうか。
 民主党や連合など、あるいはJPU(日本郵政公社労組=旧全逓)などは、一言でいえば自民党内の攻防戦に完全に埋没していると言わざるを得ない。そうならざるを得ないのは郵政民営化に反対する根拠が民営化反対派と基本的には同じで、独自の立場を確立できていないからだ。JPUなどは事業防衛路線に立つことで、雇用や労働条件を自分たちの団結と闘いによって確保するという基本的スタンスを放棄してきた。そうではなく、事業の繁栄で、あるいは経営形態で雇用と労働条件を保証してもらいたいというスタンスに立っている。だから国有・国営という経営形態と公務員としての地位の維持が最優先で、結果的に郵政族と同じスタンスに立ってしまっている。
 しかし郵便事業の独占が浸食され、企業間競争が始まり、またそれが激しくなった時点で、雇用や労働条件の確保、改善のためには経営形態は二議的なものになってしまった。経営形態がどうであれ、企業間競争に敗北すれば労働条件など無視され、労働条件の切り下げ競争が進むのはさけられないからだ。
 現に郵便局によっては、局内に管内の大きな地図が貼られ、ヤマト運輸と佐川急便の集配拠点が詳細に図示され、ライバルのどの拠点に営業攻勢をかけるかを矢印に示すなどして露骨に競争を煽っているところもあるという。企業間競争に絡め取られている限り、労働者が団結して要求を闘い取ろうなどという発想が出てくるわけがない。
 民営化以前も宅配業者や銀行や生保との間での企業間競争は激烈だった。民営化されれば、国内だけでなく、国際的な物流事業を巡る競争戦も激しくなるだろう。これからは国際物流会社と提携した、国境を越えたグローバルな国際物流での大競争が始まる。
 そうした事態を想定して郵政公社も、民営化を視野に入れてコンビニなどとの提携を拡大している。また民間や海外の物流業者との提携も拡大している。これと対抗するように宅配大手のヤマト運輸も海外の業者との提携を進め、国際物流事業に参入を目指している。手始めにこの7月にはドイツポストと提携し、国際メール便事業を始める。否が応でも物流事業も国内ばかりでなく、グローバルな競争が激化していくのはさけられない。
 たとえば郵政公社の生田総裁が、昨年の2月に初めて出席した経済財政諮問会議で「海外展開できる制度設計をお願いしたい」と述べて早期の民営化を訴えたのも、国際物流事業での出遅れを感じていたからだ。企業間競争の外圧は、経営形態の相違を超えて企業に効率化や対抗策を強制するわけだ。
 ここでは触れられないが、貯金・簡保も民間金融会社とぶつからざるを得ない。
 いずれにしても、労働者は企業の壁を、国境の壁を越えて、あい呼応しながら自分たちの主張と要求を追求し、獲得していく以外にない。(廣)

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コラムの窓・自由な教科書

 4年に一度の小・中学校の教科書採択の時期を迎え、憂鬱な日が続きます。というのも、新しい歴史教科書をつくる会が4年の準備期間をかけてこの教科書採択に勝負を賭けてきているからです。本紙でも取り上げられているように、今回の教科書採択は憲法改悪や教育基本法改悪に連動する、新たな小国民≠育てる教科書を学校に送り込むことを許すのかどうかが問われています。
 この4年間で、教育をめぐる環境は著しく悪化し、東京都などではもはや耐え難いものになろうとしています。「つくる会」などの働きかけによって、教育委員会の構成が代えられてしまった自治体もあり、「つくる会」が目標としている採択率10%というのはとんでもない数字だとしても、前回のように実質的にゼロ採択に追い込むのは困難になっています。
 そんな重い気持ちを引きずりながら、教科書展示会場に行って来ました。土曜日の昼前で、先客がひとりいましたが、私が帰るときまで新しい見学者はありませんでした。それだけ関心がないということか、情けなくなりました。もっとも、日曜日の午後に妻が行った時には数人の見学者がいたということだし、平日のほうが見学者が多いようです。
 こうして教科書展示会場に足を運んだのは、「つくる会」の教科書を採択させないために、アンケートに批判的な意見を書き込むためです。だから、「つくる」会の歴史・公民教科書だけ見ればよかったのですが、折角の機会なので一通り目を通してみました。まず、その多様性に驚きました。教科によっては似通った展開となっていますが、内容が全く違うものもあります。
 例えば数学でも、ゴミ収集を取り上げ、その総重量から各家庭から出るごみの計算などを行う。中学1年生の教科書でしたが、そうすることでゴミ減量の問題やリサイクルなど、環境への関心を育てようという工夫をしている。また、小学1年生の教科書はどの教科もまるで絵本のようです。私の経験ではどうだったか、もう40年以上前のことなので思い出しようもないが、これほどカラフルで立派でなかったことだけは確かです。
 さらにうれしい驚きだったのは、英語の教科書で最近観た映画「クジラの島の少女」が紹介されていたことです。ニュージーランドの先住民、マオリの伝説を取り上げたもの。クジラに乗ってたどり着いた勇者パイケアを先祖に持つという伝説をベースに、同じパイケアと名付けられた少女が浜に打ち上げられたクジラを救うことで、衰退し閉塞した部族社会に希望を与えるという内容でした。
 残念ながら英語がダメで、どんな風に紹介されているか分からない。少女パイケアは族長の孫で、しかも双子で生まれた男の子は死んでしまっています。しかも、伝説のパイケアは男であり、祖父と少女の間にはわだかまりがある等、先住民の苦難をこうしたかたちで展開している映画を、中学生にどのように教えるのか興味のあるところです。
 その一方で、やはり歴史教科書は余り面白くありません。取り上げ方が画一的だし、「つくる会」教科書に引きずられて、戦争の真実が曖昧になりつつあります。しかし、最も酷いのは小学校の音楽の教科書です。1年から6年まですべての教科書に「君が代」が載っています。子どもに聞くと、音楽の時間に「君が代」を習ったことはないということでしたが、これはある意味「つくる会」教科書よりも気持ち悪い。子どもたちに手渡す教科書はもっと自由であってほしいものです。         (晴)

 
ニューヨーク原油高騰の背景と無力なG8

ニューヨーク原油高騰の二つの背景

 7月7日、早朝の時間外取引で一時、ニューヨーク・マーカンタイル取引所の原油先物相場は、取引の中心となる米国産標準油種(WTI)八月渡しが、前日終値比0・82ドル高の1バレル=62・10ドルをつけ、ついに60ドルを超えて過去最高値を更新した。
 ロンドン同時テロ後は、個人消費などが鈍化して原油需要が縮小するとの見方から、一気に5ドル近く急落した後、買い戻されるなどして市場は乱高下した。その後の通常取引開始後は60ドル台で推移した。7日午前10時10分現在は、前日終値比0・93ドル安の60・35ドルである。
 原油相場は今週に入り、米石油精製施設が集中するメキシコ湾岸が暴風雨に襲われたことなどから高値で推移しているが、こうした展開からも明らかなように、この背景には投機がある。
 世界の株式市場や為替市場に大きな変動がないことが理由で、利益が上がらなくなった投機資金がニューヨーク商品先物市場に流れ込んでいることが分かるのである。
 6月24日のアメリカ商品先物取引委員会の発表の週間報告でも、原油先物市場において、この投機筋の買い越しが一九八四万七千バーレルとなったことで裏付けられている。
 ニューヨークのマーカンタイル取引所では、顕著な資金の動向として、「ナイジェリアでテロ危機が高まった」「ノルウェーで石油労働者がストを構えているらしい」などの石油産出国での供給不安の情報があるたびに、買いが殺到する異常な相場展開が続いている。
 投機資金の跳梁の根底には、世界経済が堅調で、石油需要が伸び続けている事がある。
 特に、伸びが著しいのは中国やインドである。中国政府は、中国の原油輸入量が世界の5%程度にすぎず、自国の需要増が原油価格高騰の原因ではないとしている。しかし、今週初め、中国の国策会社「中国海洋石油」が、米国の石油大手「ユノカル」の買収を計画し、資金二兆円を提示、世界の石油関係者を本当に驚かせた。このようになりふり構わぬ「争奪戦」で原油確保に動かざるをえないほど中国の石油消費は伸びているのである。
 米エネルギー省の推計によると、中国の石油消費は、二〇〇三年に日本を初めて抜き日量五百五十万バレルとなったが、今後二十年間で、二倍以上の一千二百万バレルまで増加する見込みだ。中国はこのうちの九百万バレルは輸入に頼らなければならない。インドも日量二百二十万バレルの消費が五年で六十万バレル増えると推計されているのである。
 しかし、7月15日、石油輸出国機構は、過去最大となっている現行の公式生産枠をさらに最大で日量百万バレル引き上げることに合意した。現在、これ以上の原油の増産は、設備増強をしない限りほとんどできないとはみられている。

無力なG8の現状

 この原油高騰で世界の先進国を不安にしているのが、大した混迷もなく上向きに推移し成長している世界経済を、失速させかねないことである。特に最大の原油輸入国で、世界経済を牽引する立場のアメリカの動向には、世界の注目が集中している。ただ、アメリカを代表するエコノミスト多くは、今回の原油高が、70年代の石油ショック時のように、インフレや不況の引き金を引くとはみていない。この見方には希望も織り込まれている。
 1バレル=60ドルという水準自体は、80年代の高値、39ドルを上回っているが、この間、全般的な物価が二・五倍になっていることを勘案すると、当時の高値のインパクトの方が大きかったとする見方も多く、その意味では、1バレル=90ドル台にならないと「痛み」の程度は同じにならないとの試算もある。
 先のロンドンで開かれたサミット財務相会合(G8財務相会合)では、世界経済の成長は、2005年も堅固との見通しを示したものの、原油価格高騰が「重大な懸念事項」との認識を共有し、共同声明では、2005年の世界経済について、「より緩やかなペースではあるものの成長は堅固であり続ける」との見通しを示した。そのうえで、課題として、世界的な不均衡や原油価格高騰を挙げた。
 原油価格については、「全ての国にとって重大な懸念であるとの認識で一致した」(ブラウン英財務相)。共同声明においても、かなりの部分を占め、「持続的な高いエネルギー価格は世界経済の成長を阻害する」として、強い懸念を表明した。そして対応策としては、石油市場の透明性向上に向け、関連国際機関に対し、「石油埋蔵量の報告のための世界的な枠組みを構築すること及び石油市場についてのさらなる分析を実施すること」を要請するとともに「産油国や石油企業、消費国が将来の十分な石油供給及び製油能力への投資を確保することが共通の利益」として、投資障壁を取り除き、投資を促進する環境を整備することも求めたのである。
 しかし、これらの方針が何らかの効果を生むものでないことは、今回のニューヨークの原油高騰により証明されてしまった。G8は投機の跳梁を非難すらできないのである。
7月7日、イギリスのスコットランド・グレンイーグルズでのG8でも、つい二ヶ月前と同様の確認がされたのではあるが、この確認自体が、無為無策の象徴ではないだろうか。
スコットランド・グレンイーグルズでのG8の低調な論議に、何とかメリハリを付けたのは、ロンドンで決行された同時多発テロであったとは何とも象徴的なことではないか。
 このように今後悪化する一方の指標で予想される急激なドル危機の出来とそのことによる世界経済の激動は、今正に深く静かに進行しているのである。    (直記彬)      案内へ戻る


ジョセフ・ナイ教授のソフトパワー活用論
硬軟織り交ぜた、狡猾な帝国支配の奨め


■日本外交への忠告

 米国ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が、日本政府に対してしきりに外交において「ソフトパワー」を活用するよう奨めている。
 彼が説くソフトパワーとは、「国際関係において、自国の魅力によって他国を味方につける力」であり、その国の優れた文化や魅力ある政治的価値観や外交政策などであるという。軍事力や経済力などをハードパワーと呼び、それに対置される形で、このソフトパワーの活用が推奨されている。
 昨年の小泉首相の靖国神社参拝に対しても、ナイ教授は苦言を呈している。靖国参拝は日本の過去の戦争への反省を疑わせる行為である。中国や韓国の批判は単に日本を牽制するための外交カードと言うだけでなく一定の理由がある。靖国参拝や歴史教科書などを用いての過去の正当化は日本のソフトパワーを毀損している。日本は強い経済力を持っているが、それだけによってはアジアや世界の尊敬を得ることはできない。是非ともソフトパワーの活用に意を用いるべきである。これがナイ教授の言い分である。
 彼のソフトパワー活用論は、元々は米国のネオコン・ブッシュ政権が軍事力を振りかざして世界支配を追求しようとする事への批判から発している。その批判が、米国に追随する日本の外交への忠告へと向かったのである。

■ジョセフ・ナイ人気

 ナイ教授のこうした主張は、米国内におけるネオコンへの懐疑派ばかりでなく、日本国内の同種勢力の共感を呼ぶこととなった。民主党など野党に彼の主張へのシンパシーを表明する者が多い。自民党や公明党などの与党政治家や外務省官僚の発言の中にさえ、ナイ教授のソフトパワー論の受け売りが登場することは珍しくない。
 そればかりか、れっきとした米国追随主義者であると同時に靖国参拝支持派の町村文部科学大臣、新自由主義的市場経済万能論者の竹中大臣さえ、ナイ教授のソフトパワー論を持って回っている。何を勘違いしたのか、観光産業やアニメ産業の経営者たちまでが、ジョセフ・ナイのソフトパワー論を、我が意を得たりという顔で吹聴して回っている有様だ。

■帝国主義的本性

 レジャー産業やアニメ産業の経営者などがナイの主張をありがたがっているのは、もちろんナイーブな誤解からだ。ナイ教授のソフトパワー論はあくまでも安全保障戦略論、つまり米国の世界覇権をいかに防衛し、強化し、永続化していくかという目的意識のもとに論じられている概念だからだ。
 ナイ教授は、ハードパワー、つまり軍事力の役割や経済力=資本の力の持つ決定的な意義を決して軽視しない。彼の主張は、ハードパワーだけでは世界支配を維持することはできない、それはソフトパワーと手を携えてこそより強力な力を発揮する、重要なことはハードパワーとソフトパワーの総合つまりスマートパワーを獲得し、強化するべきだ、というものだ。
 その点、自民、公明、民主などの政治家、官僚たちには誤解はない。彼らは、米国の単独行動主義や軍事力の過信が米国自身の覇権を傷つける可能性があることを、そうした米国への追随に自らの運命を託している自身の政治的スタンス故に、恐れざるを得ないのである。また軍事力を正面に押し立て覇権を追求する米国に追随するしかない自らの醜悪な姿を人々の目から隠すかっこうのスローガンとしても、ナイ教授のソフトパワー論を担ぎ回らなければならないのである。

■日米安保再定義、有事法制の生みの親

 ジョセフ・ナイ教授の操る議論を、軍事力信奉への批判、覇権主義への戒めだとして歓迎する向きも、もちろん見られる。こうした理解は、ナイ教授の名が、何をもって我が国でポピュラーとなったかという事情を忘れているようだ。
 ソ連が崩壊し、米ソ冷戦が米国の勝利に終わった後、日米の間には心なしかすきま風が吹き始めたかに見えた。日本は米国に対する不満を強め、米国の側は日本が日米安保を相対化し始めるのではないかとの疑心を持った。事実日本は、94年4月に「防衛問題懇談会報告」(樋口レポート)を表し、「冷戦的防衛戦略から多角的安全保障戦略へ」をうたい、日米同盟だけでなく国連や地域的機構の重要性を主張した。そうしたときにナイ教授が登場し、米国国防次官補として「東アジア戦略報告」(95年2月)を作成、一連の「ナイ・イニシアチブ」を発揮し始めたのだ。
 「東アジア戦略報告」は、発展するアジア太平洋地域が米国の国益にとってますます重要なものとなりつつあること、この地域での米軍のプレゼンスを日本と韓国に置く米軍基地を拠点に10万人の前方展開戦力として維持し続けること、日米安保などの二国間軍事同盟を今後も重視することなどを論じた。そしてこれに応ずる形で日本政府は、日米安保の重要性、その「円滑かつ効果的な運用」「信頼性の向上」「周辺地域での日米軍事協力」を記した「新防衛計画大綱」(95年11月)を作成、続いて米国との間で「日米安保共同宣言」(97年4月)をうたいあげた。さらに、新しい「日米防衛協力指針」(97年9月)を定め、単なる基地提供にとどまらず積極的に「後方支援」活動に踏み出すこと、極東地域に限定せず「日本周辺地域」「周辺事態」へと軍事協力の範囲を拡大すること、自衛隊ばかりでなく自治体や民間も含めての米軍協力に乗り出すことを定めた。
 要するに、ジョセフ・ナイが尽力した仕事は、米国の軍事力の再編強化、米国に対する日本の軍事協力・戦争協力の体制の深化・拡大とその実践化以外の何ものでもなかったのだ。

■平和をつくる道は、労働者・民衆の闘い以外にはない

 ナイ教授が仕えたクリントンに替わってブッシュが大統領になった後、日本は実際にアフガン戦争にイージス艦や補給艦を出し、イラク戦争には地上軍も送って事実上の海外での戦争の参戦国となった。国内においても、有事法制が成立し、自治体や民間企業、労働者市民を刑罰で脅しながら戦争に協力させる体制を作り出した。ナイ・イニシアチブ以降の日本は、まさにこの国のハードパワーが歯止めをはずされ、強化の一途をたどってきた10年間だったのだ。
 この事実は、ネオコンやブッシュによる世界覇権よりナイ教授が説く世界支配の方がましだという幻想の愚かしさを、余すところなく示している。米国支配層の内部における、ネオコンとソフトパワー論者の間の矛盾を過大に評価するのは危険だということだ。
 直接の暴力の効果を過信する体制はもろく不安定である、「文化」だの「政治的価値観」だのの「魅力」なるものに補完され、被支配者が進んで被支配の身分に甘んじる体制の方がより強固で安定的である、などという理論を歓迎することができるのは、支配する側に身を置く者のみである。
 我々は、ネオコンによる暴力的とカネの力を振りかざした抑圧も、カネと暴力とイデオロギーががっちりと手を組んだスマートパワーなるものによる支配も、どちらも受け入れることはできない。硬軟の様々な形態の抑圧と支配の方策に共通の本質を見失うことなく、平和の構築、労働者民衆の解放を目指して闘っていこう。        (阿部治正)


読者からの手紙

ロンドンの同時多発テロと市場の乱高下の関係について

 7月7日ロンドンのシティー(金融中心地)で起きた同時多発テロは、3個所での爆発時間が一致したほどの高度なものだった。しかも、G8サミットで特別警戒中であったばかりでなく、シティーは、単にイギリスだけでなく世界の金融センターでもあるから、常に安全体制がとられていた。そして、ロンドンが次期オリンピック開催地に選ばれたことも手伝って、この日は、ロンドンが注目された正にその日だった。
 この日に行われたテロは、4箇所で起きたが、すべて成功しており、他所でも失敗した気配はない。
 ここが重要な点だが、アメリカで、9・11が決行される前に、ユナイテッド・エアラインとアメリカン・エアラインに数千万株の空売りがあり、それを約3分の1で買い戻して、数千億円から数兆円の利益を受けた会社があった。
 今回のロンドン多発テロの前でも、NYダウ先物に、数億枚空売りをかけて一八〇ドル安で買い戻し、逆転買いで一八〇ドル高で売り逃げている会社があるという。
 こうした展開から今回もこの同時多発テロに対して、早々と「やらせ」だとの指摘がインターネットで飛び交っている。
 経済評論家の増田俊男氏は、「アルカイダにできることとできないこと」を知ったほうが切り出し、「今後テロが起きたら、高度なテロと単純なテロ(子供の自爆テロなど)と分けて考えるべきだ。高度なテロにはアメリカとある同盟国の政治目的があると同時に『カネと時間』がかかるから、必ず『元を取る』手が打たれている」と指摘している。
 この指摘に対して、私は判断を保留せざるをえないが、確かにこうした値動きはしていたのである。(笹倉)

老いの仕事

 私がなぜ、父と母のなれそめから、戦前の治安維持法のもとで労働運動史にも残るといわれてきた大阪市交通局の路面電車の乗務員たち(運転手と車掌)が、一斉に電車を乗り捨て高野山に立てこもったことを、書こうと思ったのか。第1になぜ高野山が当時ご法度のストライキ参加者に席を貸したのか疑問であった。そして、切り崩そうとした当局のやり方、労働運動の何かを意識したものだったのか、探ってみたい。
 恐らく父も深く考えていなかったろうが、ただ15時間という労働に耐えかねた抗議行動であったとおもう。当局の切り崩しを跳ね返した母もどん百姓出身の子だくさんのおっ母さんで、理屈以前に生きる≠スめに応じかねる、ということであったろう。デリカシーもクソもあったものではない。
 このカップルの出会いから生涯を終わるまで、凡席でありながらドラマチックなほど傑作でユーモラスで気ままな末っ子娘の私と、女帝にしかれた繊細さとともにペーソスも持ち合わせていた、チャップリンのような父(彼ほどの表現力はないにしても)。弱者の抵抗というとこらへんでは、内でも外でも共有しうる何かがあったようで、もう使用期限の終わった年金でもある故に、我が愛すべき、名も金にも恵まれなかったあっぱれ父ちゃん母ちゃんにまつわる話を、思い出すまま綴ってみたくなったわけ。
 大まかに(詳しくはこれから全力あれば足で歩いて知りたいと思うが)いつ、なぜ高野山が席をか貸したか、についてはある古本屋さんからの耳学問では、高野山という空海を核とする○○宗という宗教権力を形成し、国家権力といえどもそうそう簡単に支配できないという。だから宗教権力と国家権力の合体がどんなに抑圧的な力として支配したかは、中世ヨーロッパの歴史をみると明らかであろう。そこから高野山の食物などにも興味が生まれようし、私自身は父たちがどのお堂で集会をやったかなど知りたいものだが、もうそれを語ってくれる人はこの世にはいないであろう。
 大阪交通局史という1万円もする本が出ているのを地下鉄のキオスクでみかけ、国書院でできる限り実証的な記録を調べた上で、高野山を訪ねようと思っている。今や高野山は写真家にとって美≠フ対象物であるらしい。もうひとつ、確かめたいことは父たちが乗り捨てて高野山に登り、動かぬ電車を商大の学生が動かしたとか、これを確かめてみたい重要な事実のひとつ。
 貧すりゃ貧する≠ニ一般にいわれている通念に私は悲しみと同時に憤りを禁じ得ない。学者先生方の研究は貴重なものと思いつつ、その綿密な研究や調査活動を頂いても、私には何かが欠けているような気がしてならない。それは、私自身の内なる壁であって超えていかねばならぬ峠であろう。私自身が自分で、学者先生方の研究結果を助っ人として、確かめていくことによってのみ、学究と普通の人というより、使用価値のない老女とが対等に変わりうる境地に立てるものと思っている。省略
2005/7/6 宮森常子      案内へ戻る


色鉛筆−ディーセント・ワーク

 西宮市が主催の男女共同参画週間記念講演会があり、ちょっと義務的ですが参加してきました。竹中恵美子氏(経済学者、大阪府立女性総合センター館長)が講師で、彼女の専門とする労働経済論と、少子・高齢社会に向けての課題が述べられました。表題にあるディーセント・ワークとは、人間の尊厳に値する働き方を意味し、私は初めて聞く言葉に新鮮さを感じました。
 男女賃金格差や不安定雇用がさらに拡大していることは、日頃の私自身の労働から実感していたはずでした。しかし、実際に数字にして表されると、あまりにも劣悪な現状に唖然としてしまいました。2002年の調査では、女性労働者の7割が非正規雇用となっているのです。ちなみに、2000年はそれでも5割弱でした。賃金格差は男子正規労働者の賃金の67%が正規女性労働者。私たちのような非常勤では、さらに下回り、なんと36%しかありません。
 なぜ、女性の地位が今でもこんなに低いのか? 79年の女性差別撤廃条約の採択から、その後、男女雇用機会均等法成立、95年ILO156条約(家族的責任を有する労働者条約)批准、そして男女共同参画社会基本法と、りっぱな法律は出来上がっているのに。
 竹中氏の見解は、家事労働が無償であることが女性の地位を押しとどめているというものです。ずうっと前に読んだ彼女の本をもう一度、開けてみたのですが、仕事に就かず地域活動を担う専業主婦を賛美する知識人の言葉が紹介してありました。「ある意味では職業活動より困難の多い地域活動が婦人運動においてもつ意義と役割の理論的な検討をすすめていくこと・・が、・・・婦人問題にとっての当面の課題である」と。
 家事労働を無償で女性に担わせることで、男性労働者に心置きなく長時間労働を強いることができる。これで都合がいいのは、資本の側なのです。地域活動は、意識を高め多くの人々との交流ができ生活は充実するかもしれません。しかし、夫によって支えられている生活であることには違いなく、経済的なところでは従属せざるをえません。
 少子・高齢社会での課題は、現行の介護保険のようなものでなく、真の意味での介護の社会化にあると竹中氏は言います。働く者にとっても介護が負担にならない社会、この実現に向け意識を変えていくことが、JR脱線事故にみる現在の非人間的な労働をも変革していく可能性があるといえるでしょう。男女間の賃金格差を無くし、人間の尊厳に値する働き方=ディーセント・ワーク。皆さんも広めてください。(恵)   
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