ワーカーズ 307号 2005.10.15.     案内へ戻る

小泉の「勝ち組」支援政治にノー!
市場でも国家でもなく労働者・民衆の自治社会を


 小泉自民党は、「小さな政府」「官から民へ」を叫ぶことによって人々の歓心をさらい、総選挙に勝利した。このスローガンを小泉らに与えたのは今や財界主流となった多国籍企業グループ、自動車や家電やIT等々と言った勝ち組の産業や企業であった。彼らは、自らに課せられる法人税や社会保険料の引き下げ、バラマキ型の公共事業、農村や中小業者向けの補助金や政府金融、そして社会保障や社会福祉のための費用を切りつめること等々によって、グローバル競争下の資本主義世界をより身軽に泳ぎ回ることを望んだのだ。
 もちろんそうした改革のためには、自民党のそれまでの支持基盤であった農村や建設業や中小商工業者やそれらの既得権益を代弁する内部勢力の抵抗は覚悟の上で、むしろそれらを無慈悲に粉砕することを小泉は自らの任務として引き受けた。多国籍企業、勝ち組グループはこれを全力で支援したのは言うまでもないが、しかし小泉自民党に喝采を送ったのは彼らばかりではなかった。前回の総選挙では民主党を支持した都市部の中産市民層、上層労働者、自らを勝ち組と錯覚した人々も今回は自民支持に回った。また既得権益業界と官僚組織との癒着への反発を抱く広範な庶民の一部も、小泉の改革のスローガンに自らの不満のはけ口を見いだした。
 しかし、小泉自民党の新自由主義政治が大衆の要求の代弁者の装いを維持することは、次第に危うくなり、そして遅かれ早かれ困難となっていかざるを得ない。
 総選挙で権力を強化した小泉自民党は、郵政民営化の次は改革第2弾だと言って、年金、医療、公務員制度、政府系金融機関等々の改革を叫んでいる。イラクへの自衛隊派兵の延長を強行し、靖国参拝の機をうかがい、さらには憲法の改悪に向けても着々と準備を進めている。そして増税計画も、打ち出されようとしている。
 しかし、小泉自民党が主張する「財政再建」「税制改革」は、大企業や資産家にいっそうの減税を振る舞う一方、労働者・庶民へは定率減税の縮小・廃止、各種控除の廃止、消費税の増税によって数十兆円の大収奪を狙うものだ。また「社会保障改革」は老後の生活破壊、弱者の切り捨てをもたらし、「公務員制度改革」は官僚への打撃ではなくむしろ労働者いじめに堕そうとしている。「国益」論の闊歩は民衆の利益を犠牲にした一握りの支配層の欲得追求以外ではなく、そればかりか小泉によるナショナリズムの鼓吹は「国益」=支配層の利益にすら反するとの不満が支配層の内部から漏れてくるほどずさんなものだ。また「国の守り」の扇動は多国籍企業・勝ち組企業が主導する新たな政・財・官のトライアングル=新たな支配体制を、国内外の労働者・民衆の批判や抗議から暴力的に防衛することに他ならない。
 小泉の新自由主義的改革路線と広範な労働者・民衆との間で亀裂が深まることは避けられない。我々の任務はその過程をいっそう促進させることである。その先には、労働者自主管理、住民自治の新たな社会、アソシエーション社会実現の課題がある。ともに闘おう!
(阿部治正)

労働者・庶民への増税攻撃を許すな!
小泉自民の狙いは大衆収奪による大企業・資産家の救済だ


■目白押しの増税攻撃

 小泉自民党は、総選挙前には「サラリーマン減税はやらない」との発言を繰り返していた。自民党の候補者の中には、選挙ビラやポスターに「サラリーマン増税反対!」と書いていた者さえ少なくなかった。ところが、選挙が終わるやいなや、そうした発言を反古にして、定率減税の廃止=サラリーマン増税を実行すべく動き始めている。
 そもそも、定率減税は、1999年に「恒久減税」と銘打って制度化されたものだ。当時の法案提案者は、国会質問に答えて、日本経済が成長軌道に入って2%程度の成長を確保できるようになるまでは続けられる減税策だ、と言っている。ところが、日本経済の成長軌道への復帰、2%成長などほど遠い現状であるにもかかわらず、自らの言葉さえ踏みにじってこの労働者への増税策を強行しようとしているのだ。
 この定率減税廃止で労働者の家計にいったいどのくらいの影響が及ぶのか。年収400万円の世帯では6万円、500万円では8万円、600万円では11万円、700万円では14万円等々と増税額は増えていく。またこれらの所得層では増税額が所得に占める率(増税率)も20%を超えることとなる。ところが、年収900万円を超すと、増税額こそはやはり増えるものの増税率は20%を割り、以降所得の階層があがるにつれて増税率は急落し、年収3000万円に世帯に至っては増税率3・3%の低率となる。まさに、労働者増税という他はない増税策である。
 問題は定率減税の廃止の動きだけではない。自民党は、小泉首相の任期中は消費税の増税はやらないと言いつつ、その実着々と消費税増税に向けての準備を進めている。与党の税制改革大綱は「平成19年度を目途に消費税を含む抜本改革を実施する」と公言しており、日本経団連は消費税を二桁台へと引き上げることを要求している。
 上で見たのは今後もくろまれている増税であるが、この数年の間にすでに実施され、また今現在実行に移されつつある増税策のリストも見れば、そのすさまじさはより明瞭となる。
 まず、既に実施されたものは以下の通りだ。
 高齢者への増税である、公的年金控除の縮小、所得税の老齢者控除の廃止。
 酒税やたばこ税の引き上げ。
 社会保険料も税の一種と見なすならば、雇用保険料や介護保険の利用者負担の引き上げもあげなければならない。
 次に既に法案が可決し、実施に移されようとしている増税計画は以下の通りである。
 所得税の定率減税の半減。
 介護保険料の引き上げ。
 住民税の定率減税の半減。
 公的年金等控除の縮小や住民税の老齢者控除の廃止や高齢者の非課税限度額の廃止と連動した高齢者への住民税増税。
 これら、この数年間で実施された労働者・庶民増税の総額は5兆円を超えると言われている。それに加えて今度は定率減税の全廃で数兆円、消費税が二桁台に引き上げられれば10兆円を越える増税だ。相次ぐ増税で、労働者・庶民は大規模な収奪を被ろうとしているのだ。

■大企業・資産家には減税

 自民党や公明党は、財政危機を克服するため、将来の財政崩壊を避けるため、増大し続ける社会保障費などをまかなう等々のためには、どうしても増税が避けられないのだと言う。
 この言葉は、しかし真実であろうか。
 先に見たような増税策によって、国家の財政危機が緩和された、社会保障の水準が維持された、あるいは多少でも改善されたというのであれば、その言葉はいくらかは事実を語っているということになるだろう。
 しかし、社会保障の現状は、年金保険料や雇用保険料の引き上げとセットの給付の抑制、介護保険の利用者負担や保険料の引き上げ、障害児・者への福祉の引き下げ等々を見ても明らかなように、維持・改善どころかどんどん後退させられている。
 では国家の税収は改善されたか。改善どころか、税収は減少あるいは停滞し続けている。もちろん税収減の要因のひとつは長期にわたる不況にもあるが、そればかりではない。より決定的なことは、この数年間政府与党が、本来は応分の税を課せられなければならないし、また税を負担する能力もあるはずの大企業や高額所得者や資産家への税を引き下げ続けてきたことにある。
 この数年間の、政府与党による大企業や高額所得者や資産家への減税策のリストを見てみよう。
 法人税や法人事業税の減税。
 所得税や住民税の最高税率の引き下げ。
 地価税や登録免許税など土地にまつわる税の減税。
 有価証券取引税の廃止、配当課税の減税。
 相続税の最高税率の引き下げ。
 これらの減税策がどれほどの規模であったかは、法人税の引き下げの結果を見れば一目瞭然である。1988年には42%であった法人税は、89年には40%、97年には34・5%、99年には30%にまで引き下げられているのである。
 こうした大企業減税や、所得税の累進制の緩和や、土地・有価証券などへの減税策によって、大企業や大金持ちたちに対して総額で5兆円を超える負担の軽減が行われたことは確実である。
 したがって、こういうことである。
 与党や政府が言い立てた、国家財政の危機の回避のため、社会保障の維持のため等々の口実は真っ赤な嘘であり、実際には労働者や庶民から増税によって取り上げた富を、そっくり大企業や高額所得者や資産家連中に差し出しただけなのである。
 いま政府や与党が推し進めようとしているサラリーマン増税、消費税の引き上げの策動も、今後目論んでいる大企業へのさらなる減税と一体のものである。もし政府や与党が、労働者や庶民から奪ったものを大企業や資産家たちに分け与える、つまりプラスマイナスゼロの結果だけでなく本当に増収による財政危機の改善を考えているのだとすれば、それは労働者・庶民からのより大規模な収奪を実行しようとしていることを意味している。実際、政府や与党が目標として口にしているプライマリーバランス(基礎的財政収支)の改善とは、そうした徹底した大衆収奪の上に追求されているものである。彼らが目論んでいるその決定打が、消費税の大増税であることは言うまでもない。

■資本の国家の費用は資本が負担せよ

 危機的な財政の立て直し、社会保障制度の維持等々の言葉の影で政府や与党が本当は何を考えているかは明かである。
 彼らは、大企業や資産家たちからのさらなる減税の要求にいそいそと応える一方、その財源を労働者・庶民への大増税によって得ようとしているのであり、また今後もいっそう増大していくことが避けられない国家の費用――軍事費や、都市型公共事業の費用や、大企業の競争力を維持し高めるための費用や、社会保障費等々――を、やはり労働者・庶民から巻き上げようとしているのである。
 しかし、軍事費にしろ、都市型公共事業や科学技術振興費にしろ、はたまた社会保障の費用にしろ、今日の社会では大企業やあるいは大企業が支配する体制の維持や発展のために用いられている費用である。社会保障の費用は労働者や民衆の闘いによってその水準が高められ、維持されてきたものであり、したがって労働者・民衆の生活のよりどころのひとつとなっているが、それは事の反面でしかない。社会保障費のもうひとつの顔が、大企業に必要な健康で有能な労働力を維持・再生産すること、大企業が支配する体制につきものの様々な矛盾を隠蔽し、この社会の亀裂や危機を弥縫するためのものであることは、社会保障の誕生と発達の歴史を見れば明らかなことである。
 要するに、今日の国家の運営に必要な費用、国家財政は、第一義的には大企業の必要、大企業の利益のために用いられている費用だということだ。社会保障制度にさえそうした動機がしっかりと貫かれている。だとするならその財源は、その必要を生みだし、その恩恵を誰よりも多く受けている大企業自身が負担するのが道理なのである。
 そもそも、労働者や庶民が受け取る賃金などの収入は、ぎりぎりかつかつの生活を賄っていくのが精一杯の水準に押し止められている。もちろん「ぎりぎりかつかつ」のレベルは、今日の高度資本主義の下では、その中で生き抜いていくのに必要な労働能力の維持・再生産の費用が高額になっているなどために、かつてに比べれば高水準とならざるを得ない。しかしその水準の高低にかかわらず、「ぎりぎりかつかつ」という性格には何ら変わりはない。そして、「ぎりぎりかつかつ」の生活費、労働力の維持再生産費、つまり賃金に税金をかけることが不合理であることは明らかである。
 おまけに、そうしたぎりぎりの生活費を得る手段さえ奪われた人々の数が増え続けている。不安定で低賃金の非正規雇用の増大、そうした雇用の場からさえはじき出された大量の失業者等々によって、まさに逆さに振っても鼻血さえ出てこない人々が、広範に生み出されているのである。こうした生活苦にあえぐ大衆から税を取り立てるということは、不合理であるばかりか、ひどく不道徳なことでもある。
 税金は、賃金にではなく利潤に、そして利潤とその源を同じくしている利子や地代その他の収入(剰余価値を源泉としている収入)にかけることこそが、経済の論理から言っても合理的である。私たちは、今こそ、労働者の賃金や貧しい人々の生計費に税をかけるな、資本家国家の費用は資本家とその取り巻き富裕者連中が負担せよ、という声を上げていかなければならない。

■労働者・民衆による税の使途の監視を

もちろん、税金の使途の監視も重要な課題である。現実の税金の多くが労働者・庶民からの収奪によって集められたものだからと言う理由からだけではない。資本家国家の費用として資本家自身が負担した税についても、それが労働者や庶民の生活の改善のために用いられるよう、また労働者・庶民の肩に新たな負担をもたらすようなやり方では用いられないよう、監視を強め、要求を突き付けていかなければならない。
 利権や覇権を求める戦争と国内外の民衆の反抗を暴力的に粉砕するための軍備、資源と労働力を浪費し環境を破壊する無駄な公共事業、社会に寄生し民衆抑圧を生業とする高級官僚や反動政治家を潤わせるための費用は徹底して削減し、廃止すべきである。税金はそうした反社会的な目的のために用いるのではなく、労働者や民衆の病気や老後の生活への備え、失業の予防と就労の促進、若者たちの社会的な能力の向上の支援、障害者や女性や高齢者などへの差別の解消、社会の前進と発展に資する形でこそ用いられるべきである。
 税金の使途を監視し、それへの影響力を強めていくことは、元々は労働者が生み出した富に対して、労働者自身のコントロールを確保し、強めていくことを意味している。生産の場、労働の場での労働者の発言力と規制力の強化を目指す闘いとともに、税や社会保険料の運用についても、労働者の声と要求を反映させる闘いをいっそう強めなければならない。(阿部治正)


コラムの窓・明日を信じて‐鉄建公団訴訟判決に思う

 9月15日、待ちに待った鉄建公団訴訟東京地裁判決がありました。事前の分析から勝訴を期待していたのですが、中途半端な判決になってしまいました。東京地裁民事36部、難波孝一裁判長は一方で不当労働行為を否定し切れずに採用差別があったことを認めたが、他方で解雇無効の確認(雇用関係の存在)は認めませんでした。
 これが政治的な判断であることはいうまでもありません。組合差別によって国鉄が原告らをJRの採用候補者名簿に載せなかったということなら、少なくとも採用されていたら得られたであろう賃金・退職金・年金などの賠償を認めるべきです。それを、北海道・九州では余剰人員が多かったので「確実にJRに採用されていたという証明がない」というこじつけで、採用の期待権が侵害されたという訳の分からない理由で原告一人あたり500万円の賠償支払いという結論を出したのです。
 原告の国労組合員と遺族の297人が求めているのは解雇無効と賃金など約432億円の損害賠償ですが、判決が認めたのは総額約14億円と桁違いのわずかな金額でした。それでも、不当労働行為の認定は闘いを放棄した国労本部にはとても勝ち取れなかった成果≠ナあり、労働者としての誇りを捨てなかった人びとの正しさが証明されたのです。
 JRが発足した1987年4月、約7600人の国鉄労働者が清算事業団に送られました。3年間の再就職斡旋期間が切れた90年4月、1047人の労働者が清算事業団からも解雇されました。それからさらに14年半、労働者とその家族がどのような思いで生きてきたのか、私には想像すらできません。無念の思いを残してなくなった労働者も少なくありません。その決着をこんな政治的な打算、はした金で切り捨てる判決を許すことはできません。
 前号から本紙において「労働契約法」の連載が始まりましたが、国家的不当労働行為としての国鉄の分割民営化の結末をその完遂で終わらせるのか、それともそれを阻止することができるのかによってその内容も変わるのではないかと思います。働くことが人間性を奪う、労働の劣化とでもいうような事態が進行するなかで、労働者の明日は閉ざされようとしています。だからこそ、死ぬ思いで反抗を試みる労働者が増えているのではないでしょうか。
 いずれにせよ、鉄建公団訴訟は一審が終わったばかりであり、後続訴訟の取り組みも進んでいます。それ以前に、被告の鉄道運輸支援機構(旧鉄建公団)が判決翌日に控訴したため、闘いはさらに続きます。すでに長い長い日々を闘い続けてきた労働者とその家族の皆さんに、さらに闘い続けることを強いるのは余りに酷だと思いつつ、「負けないで」と言うほかないのです。労働者の明日を信じて・・・     (晴)


小泉靖国参拝に二件目の違憲判決!(小泉首相靖国神社参拝違憲台湾訴訟控訴審判決報告)

首をかしげる読売新聞社説

 9月30日、大阪高裁202号大法廷において、小泉首相の靖国神社参拝に対する違憲判決が下された。昨年4月の福岡地裁に次ぐ違憲判決だが、10月1日の神戸新聞社説が指摘するように「高裁の『違憲』判断は重い」。さらに、この二件以外「憲法判断に踏み込んでいない。つまり『合憲』判断は一例もないことを、首相は直視すべきだろう」という指摘も忘れない。
 ついでに他紙の社説も紹介すると、毎日新聞は「違憲判断は司法府の警告だ」として、「実際に参拝が小泉首相が言うように『心の問題』であったり、慣習に過ぎないとしても、現に靖国神社や日本遺族会の関係者が総理大臣の公式参拝を求めている以上、総理大臣の私的参拝はありえない、との考え方も成り立つ」と指摘している。次に朝日新聞は「参拝をやめる潮時だ」として、「このところ首相はしきりに私的参拝であることを強調している。だが、司法の判断がこれだけ分かれた以上、参拝を強行すべきではない。外国からの批判とは別の話である」と指摘している。
 朝日新聞が比較しているのは前日の東京高裁判決だが、「東京高裁は、献花料を私費で支払ったことなどを『首相の職務と受け取られることを避けた』と評価し、私的行為だと判断した。私的行為なので、政教分離に反するかどうかを論じるまでもない、として憲法判断には踏み込まなかった。大阪とは対照的な姿勢だった」と批判している。その東京高裁判決を引き合いに出して、「きわめて疑問の多い『違憲』判断」だと文句を言っているのが読売新聞だ。
「近隣諸国の批判などを理由に首相の靖国神社参拝を違憲だとするなら、この判決こそ政治的なものではないか」「歴代首相は毎年正月に伊勢神宮に参拝している。これも国が伊勢神宮と『特別な関わり合い』を持っているということになるのだろうか」「小泉首相の靖国参拝をめぐっては、3件の控訴審判決と7件の1審判決が言い渡されている。今回の大阪高裁判決と昨年4月の福岡地裁判決以外は、いずれも憲法判断以前の法律判断で請求を棄却している」「今回の判決も、『結論』とは関係のない実質的傍論≠ニして違憲判断が示されたが、首をかしげざるを得ない」等々。
 これが全国紙の社説かと、驚くばかりの低劣なこじつけ非難である。裏を返せば、それだけこの判決が彼らにとっては痛いのである。違憲判決が2件しかないというのは、それだけ司法が機能していないことを示しているのであり、憲法判断をして地雷を踏む(窓際に追いやられる)ことを恐れる裁判官がほとんどだということである。社説執筆者が首をかしげるのは勝手だが、批判はしっかり判決を読んでからにしてもらいたいものだ。

分かれる敗訴の評価

 福岡地裁を超える画期的判決と弁護士が評価するこの判決を、傍聴抽選に外れたために私は聞くことがでできなかった。といっても、裁判官は控訴棄却≠告げただけで野次を受けながら逃げるように引っ込んでしまったので、判決内容が分かったのは弁護士が判決文を読んでからだった。判決要旨を読み上げる親切心さえあれば傍聴者の野次を受けることもなかったのに、裁判官の権威主義がそれを妨げたのだろうかと、首をかしげてしまう。
 この判決をめぐって、台湾先住民の原告と弁護士、支援者の評価が分かれてしまった。弁護士が強調するまでもなく、違憲判決を確定させることの重要性ははかりしれない。しかし、謝罪と賠償、靖国合祀の取り下げを求めている台湾先住民の原告にとっては敗訴以外のなにものでもない。原告団長の高金素梅(チワス アリ)さんは「憲法違反かどうかは私たちにとってたいしたことではない」「自らの尊厳を取り戻す闘いである」と、控訴棄却≠フ高裁判決を批判した。
 読売新聞社説は「福岡地裁判決は傍論の形で違憲判断を示し、請求を棄却したため、国は控訴できなかった。原告が『完全勝利』として控訴しなかったため判決が確定した」と愚痴っているが、今回、意見が分かれているなかで上告するのかしないのか、悩ましい判断である。私もそうだが、運動としてやっていて違憲判決を勝ち取ったということと、数世代にわたる民族虐殺の末の靖国合祀にたいする怒りとでは、おのずとその違いは明らかだ。
 違憲判決が出た日の午後、国会質疑で小泉は「一国民として、首相として、参拝している。首相の職務として参拝しているわけではないことは何度も申し上げている。どうして憲法違反なのか、理解に苦しむ」と答弁している。その疑問にたいする答えは判決文に、懇切丁寧に書かれている。なぜ公的参拝と判断したのか、違憲としたのか、事実を積み重ねることによって疑問の余地なく明らかにされている。

明快な違憲判断

 さてその高裁判決の内容だが、私的参拝とした一審判決が司法修習生の練習書きのように酷いものだったので、すべて書き改めなければならなかったというのが弁護士の見立てである。その結果がいい方向にむかったのだが、最後の「控訴人らの権利ないし法的利益が侵害されたものということができないから、被控訴人小泉の責任を認めることはできない」としたところで、画竜点睛を欠いた。
 まず公的参拝の判断について、1975年8月15日に参拝した三木武夫首相は「公用車でなく自民党総裁専用車で、公職者を随行させず、肩書なしの『三木武夫』と記帳し、玉串料を私費で支出」した。私人としての参拝であることも明らかにしている。ちなみに、85年8月15日に参拝した中曽根首相は自ら公的参拝だと明言している。中曽根はアジア諸国の強い批判を受けてその後の参拝を取り止め、翌年8月14日に後藤田官房長官は以下の発言を行っている。
「靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は近隣諸国の国民の間に批判を生み、過去の戦争への反省と平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれる恐れがある。政府としては、首相の公式参拝は差し控える」
 その中曽根の参拝は公用車を使用、内閣官房長官と厚生大臣を公務として随行、献花料3万円を政府支出させたというものだ。小泉が明確に違うには献花料を私費で支払っている点だが、東京高裁がこれに飛びついて私的参拝としたことはすでに紹介したとおりだ。2002年4月21日の春季例大祭の日の参拝では、小泉は靖国神社に8時半ころ到着し、テレビ取材人の到着を約1時間待っている。
 さらに小泉は、「平成16年4月7日に至って、私的参拝と言っていいかもしれないと発言を修正するまで、私的参拝であると明確に認めたこともなく、かえって、本件各参拝の直後等に、『内閣総理大臣である小泉純一郎が参拝した。』などと説明している」。これらの点を総合すれば、「本件各参拝は、少なくとも行為の外形において、内閣総理大臣としての『職務を行うについて』なされたものと認めるのが相当である」
 次に違憲性の判断だが、「政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教的とかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果に鑑み、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合に、これを許さないとするものと解するべきである」とし、具体的な検討を行っている。
 その結果が、「本件各参拝は極めて宗教的意義の深い行為であり、一般人がこれを社会的儀礼に過ぎないものと評価しているとは考えがたいし、被控訴人小泉においても、これが宗教意義を有するものと認識していたものというべきである」「・・・その効果が特定の宗教に対する助長、促進になると認められ、これによってもたらされる被控訴人国と被控訴人靖国神社との関わり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものというべきである」となる。
 ここまで認定してしまった以上、「したがって、本件各参拝は、憲法20条3項の禁止する宗教的活動に当たると認められる」と言うほかない。その他あまたの裁判官のように、憲法判断に踏み込まないという結論にそった事実認定を行うのではなく、事実を積み重ねてそこから結論を導き出すなら、違憲判断に行き着かざるを得ないのである。裁判官は自らの良心に従い、憲法及び法律にのみに拘束されるという憲法76条3項の規定が、余りに省みられていないのである。

最後に立ちすくんだ高裁判決

 こうして、最後の「被控訴人小泉による法的利益の侵害について」の検討に入るのである。判決は原告の証言を受け止め、日清戦争以後の台湾の軍事支配、「一方で慰撫する政策をとりつつ、武力による包囲討伐を継続して行ったため、処刑もしくは殺害された原住民を含む台湾住民は多数にのぼった」「以上の台湾住民討伐の際死亡した日本の軍人や警察官等は、靖国神社に合祀されている」「靖国神社は、太平洋戦争で死亡した台湾など旧植民地の人たちを英霊として合祀しているが、昭和54年2月に台湾原住民である親族らが、平成14年8月に控訴人のうち台湾原住民である親族らがそれぞれ合祀取消し及び霊を台湾の家族のもとにとり返すことを要求したのに対し、いずれもこれを拒否した」等々。
 さらに、「控訴人らが、思想及び良心の自由、信教の自由の内容として、戦没者をどのように回顧し祭祀するか、しないかに関して、公権力の圧迫、干渉を受けずに自ら決定し、これを行う権利ないし利益を有すると解する余地が全くないわけではない」とし、その侵害の有無を検討している。しかし、その結論は「本件各参拝は、靖国神社に赴いて祭神に拝礼するというものであって、それ自体直接控訴人らに向けられたものではなく、控訴人らへの働きかけを含むものとは言えない」「控訴人らに対し、靖国神社への参拝を奨励したり、自らの行為を見習わせるなどの意図、目的があったものとまで認められない」となってしまう。
 明らかにそれまでの明快さが崩れている。一方で「思想及び良心の自由(憲法19条)並びに信教の自由(憲法20条)は、いずれも精神活動の自由である」としながら、その侵害≠ヘなぜ直接的なものでなければ認めないのか。ここまできて、立ちはだかる壁の厚さに慄いたのか。残念というほかない。                              (折口晴夫) 案内へ戻る


ついに初の女性首相の誕生―大連合という名の綱渡り

独野党に最後の1議席

 九月二日、候補者の死去で二週間延期されていた連邦議会(下院)ザクセン州ドレスデン第一選挙区の投開票が実施され、保守野党のキリスト教民主同盟(CDU)が一議席を獲得した。この結果、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)の最終議席は二百二十六となり、社会民主党との差は四議席と開いた。
 同区の小選挙区の結果はCDUが37%、社民党が32・1%、左翼党が19・2%でCDUの候補者が当選した。一方、同選挙区での比例代表票は、社民党が27・9%と逆に第一党となり、CDUは24・4%でした。左翼党は19・7%、自由民主党が16・6%、90年連合・緑の党が7・1%、極右のドイツ国家民主党は2・5%であった。比例代表の票は今回、議席数に影響しなかった。
 この選挙結果を受け、CDUの有力政治家であるコッフ・ヘッセン州首相は「選挙結果はCDU・CSUが首相を出すことを明確にした。第一党から首相を出すことを社民党が受け入れなければ、正式の連立交渉はできない」と発言した。
 一方、社民党はドレスデン第一選挙区の比例代表投票数でCDUを上回ったことを重視し、「選挙民はCDUを選択したわけではない」と主張しつつミュンテフェリング党首は「連立交渉では次期政府の全体の状況を話し合う。誰が首相になるかの問題は冷静に解決すべきだ」と述べ、全ては交渉だと語ったのである。

与野党大連立政権が発足する見通し

 九月十日、独総選挙直前の予測通り、独初の女性首相の誕生の見通しとはなった。しかし、与党・社会民主党内には、シュレーダー首相の閣内残留を求める声がなおも強く、連立政権樹立には、そのための不確定な要素も今なお残る。最大野党・キリスト教民主・社会同盟と社民党との経済・社会政策の差も大きく、新首相に就任するメルケル民主同盟党首は、独のマスコミですら「ガラス細工」の連立政権の苦しいかじ取りを迫られとの憶測がしきりではある。
 大連立が合意された後の社民党幹部会は大紛糾し、投票では棄権や反対が続出した。「シュレーダー首相は副首相になって閣内に残るべきだ」と、社民党幹部会で、一方の左派の有力政治家は首相に迫ったと伝えられ、他方の右派も、「どんな取り決めにも縛られない」として、首相指名投票でメルケル党首に反対票を投じる可能性を示唆したとも伝えられている。まさに社民党は分裂状態であったのである。
 確かに現実には、独総選挙で、わずかだが4議席、野党の民主・社会同盟は社民党を上回った。そのため、首相ポストや連邦議会議長ポストを要求したのである。しかし、社民党内には、従来からの独福祉社会堅持より、アメリカ流の自由化や競争を重視するメルケル党首への反発も強いのだ。したがって、同党首の力をそぐため、シュレーダー現首相の閣内残留を求めたのではあった。

大連合は短命との予想

 シュレーダー現首相は一部独紙との会見で、次期政権に参加しない考えは示したものの、九月十日には沈黙を守り、自らの退陣を明言しなかった。当面、キリスト教民主・社会同盟と社民党と連立交渉に参加して、自らの影響力を行使する構えだと伝えられている。一方、キリスト教民主・社会同盟内には「首相が閣内に残れば破局」との見方もあり今後、人事や首相指名投票をめぐり党大会での紛糾も予想される。
 さらに、社民党と民主・社会同盟の間には、消費税の引き上げの可否やトルコの欧州連合(EU)加盟の是非など真っ向から対立する政策も少なくない。九月十日の会見でメルケル党首は、トルコ加盟問題での妥協の有無を聞かれ「しばらく様子を見る」と言葉を濁さざるを得なかったように、両党は政策的な問題では、研究振興費用の増額など一部しか合意に達しておらず、九月一七日から四週間予定されている連立協議でも、多くの重大政策で悉く鋭く対立することが予想されている。
 そのため、マインツ大のビンクラー教授(政治学)は「小政党との多数派工作が失敗し、実利本位で大連立を選んだ。そのため今後、両党に不満が募り、停滞を嫌う有権者の抗議も強まるだろう。二年後には、両党とも次の選挙に向け対立を強める」と予想しており、短命政権だと見られているのである。
 まさに独もグローバリズムの渦中のまっただ中にある。この渦中にあって独政界は、日本のように単純に新自由主義を掲げる政党の大躍進とならないところが、特徴的である。大きく見れば独政界は三極あると言える。そのため、今後階級闘争は先鋭化せざるを得ないと予想されてはいる。    (境之木忠)    案内へ戻る
                      

動き始めた「労働契約法」(2)

「就業・産業構造の多様化」を背景に

 「労働契約法」制定への動きが始まったのは、「最低限の労働条件などをほぼ一律で規制している労働基準法などの現行法制が就業構造や産業構造の多様化に追い付かず、労使間の「契約」で対応せざるをえなくなってきたことが背景にある」(9月9日付け「日経新聞」)とされています。では、その産業構造はどのように変化し、就業構造はどのように多様化してきたのでしょうか?私達も、労働統計をきちんと押さえておく必要があるでしょう。ここでは「目で見る労働法教材」第2版(有斐閣2003年6月発行)を参考に検討していきたいと思います。

自営業者が減り労働者が増えている

 まず、戦後の半世紀の間に、勤労者全体の中において、自営業者(農漁業、小売店等)及びその家族従業者の割合が減り、労働者(雇用者)の割合が増えていることを押さえておく必要があります。
 図表1・2・2「従業上の地位別割合の変化」(有斐閣「目で見る労働法教材」第2版より)を見てください。1950年には、自営業主と家族従業者を合わせて60・5%に対し、雇用者は39・5%でした。勤労者の6割が自営業者とその家族従業者で、労働者は4割しか占めていませんでした。
 ところが、2000年には、自営業者とその家族従業者は合わせて15・6%と4分の1に減り、労働者は83・4%と倍増しています。労働者は戦後直後は、勤労者全体の4割しか占めていなかったのが、半世紀の間に勤労者の8割以上を占めるようになったのです。
 このことは、日本の社会において「労働者(雇用者)に関する問題」の占める比重が、かつてないほど重みを増していることを示しています。言い換えれば「労働条件の決定システムを変える」ということは、日本の経済社会を支える「勤労者の8割」に大きな影響を与える問題だということです。

第3次産業の割合が増えている

 次に問題の「産業構造」を図表1・2・1「就業人口の変化」で見て見ましょう。
 1950年の段階では、第1次産業(農林漁業など)が48・3%、第2次産業(製造業、建設業、鉱業など)が21・9%、第3次産業(金融・保険・不動産業、サービス業など)が29・8%でした。ほぼ、5対2対3でした。
 やがて高度成長期を経て、工業化が進んだ1970年になると、第1次産業は19・4%と半分以下に減り、第2次産業は34%とほぼ1・5倍に拡大、第3次産業も46・6%とやはり1・5倍に拡大しました。
 もっとも統計上「第3次産業」の中には「電気・ガス・熱供給・水道、通信・運輸」も含まれていますから、その拡大は単に「サービス化」ではなく「高度工業化」を反映している面もあることに注意が必要です。
 ところが、80年代を境に、第2次産業は頭打ちとなり、第3次産業だけは拡大し続けます。2000年になると、第1次産業はわずか5・3%と激減、第2次産業は29・6%とやや減少、第3次産業は65・1%に増えています。
 いまや就業人口の6割から7割を、第3次産業従事者が占めているのです。

短時間労働者(特に女性労働者)の増加

 第3次産業の拡大と歩調を合わせるように、雇用形態の多様化も進行しています。同時に、第2次産業の内部でも、アウトソーシング(業務委託化)の導入等で、雇用形態の多様化に拍車がかかっています。
 図表U・4・2「短時間雇用者数の推移(非農林業)」のグラフを見てください。
 短時間雇用者(パート労働者)の数は、1960年には133万人で、雇用者全体の6・3%を占めるにすぎませんでした。
 ところが、2002年になると、短時間雇用者の数は1211万人と十倍近くに膨れ上がり、雇用者全体に占める割合も23・2%と、3倍増です。
 高度成長の頃は、短時間労働者は労働者の1割にも満たなかったのが、今日では実に4人に1人が短時間労働者です。
 さらに女性労働者に焦点を当てると、もっと特徴的です。女性労働者に占める短時間労働者は、1960年においては8・9%でしたが、2002年には39・7%と、ほぼ4割を占めています。
 女性労働力の歴史的変遷は、戦後直後は自営業者の「家族従業者」としての割合が多かったのですが、その後高度成長期には賃金労働者やサラリーマンの「主婦」として家内労働(アンペイドワーク)に閉じ込められ、さらに80年代以降になると「女性の職場進出」が進みますが、その大半が短時間労働者であったことがわかります。

派遣労働者の拡大

 さらに、90年代になると、それまでの「業務請負」の延長上に「派遣労働者法」が成立し、派遣労働者が増えていきます。
 図表U・2・6「派遣労働者の推移」を見てください。
 「登録型派遣」における一般派遣・登録者数は、1990年には38万2千人であったのが、90年代を通じて徐々に増え続け、特に97年の金融危機を境に急激に増え、2001年には約145万人に増えました。このグラフは2001年で終わっていますが、2005年の今日では、既に200万人を突破しています。
 この派遣労働者については、労働基準法などを適用するときの「使用者責任」が、「派遣元」にあるのか、それとも「派遣先」にあるのか、複雑な問題を引き起こします。例えば、急な事情で「時間外勤務を命じるの」は派遣先の事業主だが、その「時間外手当を払う」のは派遣元の義務とされ、またそもそも時間外勤務の前提として「36協定を結んでおく」のは派遣元の事業主との間である、等々等々。
 このように、労働基準法が想定していた「製造業中心」、「正規社員中心」の雇用・労働関係は、今日大きく変容してきています。このことが、労働条件決定システムのあり方、特に、これまで企業経営者と企業内労働組合との団体交渉や、労働協約・労使協定の締結によって行なってきたやり方が大きく問われることになってきたのです。そこで、次回は産業構造・就業構造の多様化が、企業内労働組合にどのような影響をもたらしているかを、具体的に検討したいと思います。
(松本誠也)


オンブズ別府大会報告  その2・政務調査費に迫れ!

 大会2日目の9月11日午前、昨年に引き続き議会改革分科会に参加した。地方議会の改革において最も先進的な取り組みは政治倫理条例の制定である。何故なら、自らの手足を縛ることを、議員が進んで行うことなどないからである。資産公開は当然としても、当該自治体関係の請負の制限や問責制度もある。住民の調査請求権や政治倫理審査会までもとなると、古いタイプの議員は窒息死するだろう。
 それでも、九州地方を中心にその制定が進んでいるのは、議会の不祥事の発覚、選挙における市民の審判、生き残りを賭けた政治倫理≠フ告白、といった端緒があったからだろう。もちろん、そうしたチャンスをのがすことなくつかまえ、点から線へと広げる力がオンブズの側にあってのことである。
 その理論的支柱、政治倫理・九州ネットワーク顧問である九州大学名誉教授の斉藤文男氏が今年も講演を行った。その斉藤氏が新しい問題点としてあげたのが指定管理者制度であった。これが情報公開の対象外になっていく危険性があることは、前日の全体会でも指摘されていた。斉藤氏が指摘したのは、これは今流行の規制緩和、アウトソーシングであるが、三菱総研が10兆円規模の新規事業の民間マーケットへの開放だと評価しているとのことである。これは公共事業利権が土木から第3次産業に移ったということ、すでに住基ネットという巨大なIT利権が稼動しているが、それに続くものとなるのだろう。
 さて、今回の私の狙いは政務調査費だった。西宮市においては、議員ひとり当たり年額180万円という高額が会派でまとめてA4一枚の杜撰な報告書で済まされている、その実態を何とか暴きたいという思いがあった。すでに、8月29日に政務調査費の不正支出について監査請求したところだが、全国で監査請求や裁判がどのように行なわれいるのかを学んで帰りたかった。
 その報告は道南オンブズマン、名古屋市民オンブズマン、市民オンブズ石川からあった。道南市民オンブズマンからの報告は、函館市議会の政務調査費訴訟で1部勝訴したというものだった。内容は観光と区別できない視察旅行の費用を、函館地裁が違法な支出と認定している。それが可能だったのは、支出の内容について「サハリン経済交流」とか宮崎シーガイア調査、3月末の大量資料購入等と具体的に把握できるからである。これが情報公開の威力であり、大多数の地方議会が領収書等の公開を拒む理由でもある。
 次は名古屋市民オンブズマンの、自民党名古屋市議団のズッコケ仲間割れについての報告。ことの発端は、前団長が記者会見で、政務調査費の一部を「預かり金」としてプールし、市議選の年に市議に分配するために団長が引き継いで積み立てていたことを明らかにしたことだ。市議団は「預かり金」の存在を否定しているが、名古屋市民オンブズマンが監査請求を行い、それが認められなかったら住民訴訟を起こすことになっている。こうした棚ぼた的なきっかけはめったにないだろうが、そこから政務調査費の闇を暴くのは楽しいだろうなと思う。
 市民オンブズ石川からの報告は、金沢市議会の政務調査費違法支出にたいする裁判闘争である。違法と指摘している対象は、会議費の主たる支出が「食料費等」とか「食糧費等」になっている点である。これはもう説明の必要もないことだが、会議のなかでお茶やおかしがでるくらいならまだしも、主たる支出とあっては認められるはずがない。かつて、官官接待が問題となり、全国的な取り組みによって「食糧費」(需要費)が激減した。
 そもそも政務調査費とは何か。「国会における各会派に対する立法事務費の交付に関する法律」(1953年施行)によって、国会議員には一人当たり月額65万円の立法事務費(国会議員の立法に関する調査研究の推進に資するため)が支給されることになった。地方議会議員も同じようにお金がほしいということになり、法の壁を乗り越え(捻じ曲げ)て、「普通地方公共団体は、その公益上必要がある場合においては、寄附または補助をすることができる」(地方自治法232条2項)という規定をこじつけて会派への補助金として実現させてしまった。
 しかし、地方議会議員にとっての立法≠ニは何か。国会議員の議員立法に対応するものとして考えられるのは、条例制定ということになるが、議員立法ができる国会議員がほとんどいないのと同じように、条例を提案できる地方議会議員がどれほど存在するのか。かくて、政務調査費は税金を取られない第二の報酬となり、首長から議員へのプレゼント(買収費)となるのである。
 その支出については一応の使途基準というものがあるが、おおかたの支出は闇のなかだから節操もなく、自宅の電気・ガス・水道代などの光熱費、NHKの受信料にまで使ってしまう議員(これは練馬区会議員だ)もいる。滋賀県議会自民党系会派は政務調査費の一部を自民党県連に支出し、靖国神社を参拝して玉串料まで払っていた、等々。
 全く国も地方も、議員と名のつく連中は税金を自分のポケットにねじ込むことしか考えていないのではないか。それを元から絶つには政治倫理条例が不可欠だが、政務調査費支出の透明化すら今だ重い課題として横たわっているのが現状だ。何とかその壁を突破したいと、私ももがいているのだが。                             (折口晴夫)     案内へ戻る


「プラザ合意」から20年―戦略対応の米国と戦術対応の日本

「プラザ合意」とは何か―誘導された円高・ドル安

 九月二二日、日米英独仏の五カ国が、ドル高是正で合意した「プラザ合意」から、二十年が過ぎた。この二十年は日本にとって一体何だったのかを総括する。
 「プラザ合意」とは、当時のレーガン米大統領と中曽根首相の「ロン・ヤス蜜月」時代を象徴する出来事であった。
 一九八五年、一九一五年に対外純資産国(債権国)になって以降、約七十年にわたって世界最大の債権国の座に君臨していた米国が債権国から転落した。逆に、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を書いたエズラ・ボーゲルは「後世の歴史家は米国が債務国に転落し、日本が最大の債権国になった年として、一九八五年を記録するようになるかもしれない」とまで言っていた。まさに米国は巨額の財政赤字と経常赤字の「双子の赤字」に陥ったうえ、ドルの大幅な上昇に直面していたのである。
 しかし、ドル高是正(円高誘導)によって、米国の貿易赤字を解消しようとするレーガン政権の要求を丸のみした日本は、このことにより大変な事態を出来させた。
 驚くべき事にこの円高容認は中曽根首相の発案だったとも言われている。「プラザ合意」の当事者であるボルカー元米連邦準備制度理事会(FRB)議長自身が、「会合で私が最も驚いたのは、その後総理大臣になった日本の竹下大蔵大臣が円の十%以上の上昇を許容すると自発的に申し出たことである」(『富の攻防』)と証言しているのだ。
 こうして、「プラザ合意」により誘導された急激な円高・ドル安が、竹下氏の予想をはるかに超えるスピードで進行した。
 一九八五年九月の合意直前には一ドル=二四〇円だった円・ドル相場が、八五年末には二〇〇円になり、八六年には一時一六〇円を割り込み、九五年四月には一ドル=八〇円台を記録するまでに至ったのである。
 激烈な円高不況が、日本を直撃して輸出関連の地場産業は倒産していった。このため、輸出大企業は、為替リスクを避けるため、海外への生産拠点の移転を進めることになり、国内産業の空洞化を引き起した。輸出大企業は、「一ドル=八〇円時代に対応する」(トヨタ自動車)などとして、賃金抑制・過密労働や下請け単価切り下げで、一層の労働強化と搾取を強化し、製品のコスト削減を図ったのである。

「バブル経済」の発生と破綻―「プラザ合意」が原因

 そればかりでなく、「プラザ合意」は、日本の八〇年代後半の異常な「バブル経済」発生と九〇年代始めの破綻の原因ともなり、それ以降日本は失われた十余年を過ごしている。
 米国側は、「プラザ合意」のもう一つの約束は、政策協調による「内需拡大」だと日本に迫った。一九八五年、日本は五%だった公定歩合を、八七年までに五度も引き下げ、当時としては最低の二・五%まで引き下げる。この間、「日米構造改革協議」において、日本はさらに締め上げられた。極めつけは現在も継続させられているゼロ金利政策である。
 このような日銀による超低金利政策は、通貨の供給量を異常に膨張させて、株価と土地価格の暴騰という「バブル経済」を引き起こした。この時期の大手銀行の過剰融資と大企業の乱脈経営は、「バブル崩壊」後、巨額の不良債権となり、ゼロ金利政策は、その後の日本経済の桎梏に転化する。日本経済はどんどん地盤沈下していく他はなかった。
 この事は、あまりにも周知のことであった。現に、「プラザ合意」の翌年に蔵相となり、超低金利政策を推進した宮沢喜一自身、「不良債権の問題を辿っていくと、どうしても、きっとプラザ合意のところに行くのだろうと思います」(『宮沢喜一回顧録』)とこの事実を認めているのである。
 このことは別の国の発言からも確認できる。一九九五年十月、「プラザ合意」十周年の記念シンポジウムで、ホイスラー独連銀理事は「ドイツ連銀は(米国の金利引き下げ)圧力に持ちこたえることができたが、日本の金融政策は、愛想よく受けた」と当時を振り返り、その後の日本のバブルとその破綻を見ると「(ドイツ連銀の対応は)われわれの最大の幸せだった」と述べたのだった。まさに世界の国々にはこの事は明確なことなのである。

現在の日本が陥っている困難―日米の経済的補完関係

 このように、「プラザ合意」は、もともとは米国の貿易収支の赤字の解消が目的だったのたが、合意からその十年後も、いや二十年後の現在でもその不均衡は解消されていない。
 それは、米国と日本の経済の根幹にメスが入っていない事に原因がある。現在でも、米国の財政と経常収支の「双子の赤字」という病気は、レーガン以降も放置されたまま何らの手も付けられてはいない。世界に冠たる消費大国であり超軍事大国の米国は、平気で財政赤字の拡大を続けながら、九・一一同時多発テロ以降、アフガン戦争・イラク戦争で、ブッシュは財政を圧迫し続けている。貿易赤字は二〇〇四年、初の六千億ドル台に乗せた。
 それでも、歴史始まって以来の赤字の米国の経済が現実に成り立つのは、巨額の借金経済を、日本や中国の為替政策などによる海外からの資金流入で穴埋めしているからだ。
 誰が見ても明らかなように、常に日本の金利は米国の金利より低く抑えられ、その結果として日米間では日本から「高金利」の米国に資金が流れるように誘導される仕組みが作られている。この関係を『マネー敗戦』で吉川元忠氏は「写真金利」と名付けた。これを端的に帝国資金循環と名付けている人もいる事に注目しておかなければならない。
 現在でも、日本では、自動車、電機など輸出大企業が、一切の困難を労働者や下請けにしわ寄せし、輸出し続ける構図は変わっていない。「競争」を是とする新興宗教のように、企業・労働法制の改悪で、若年層は正規雇用からはずされ、中高年齢層は資本からかってない程の熱意と規模でリストラの危機に晒されている状況だ。
 「すべてを市場に委ねればうまくいく」との米国流の資本と労働力の「自由化」は、日本社会をかってないほどの悲惨な状況に追い込んでおり、そのことで日本社会の荒廃現象は既に目に余る状態にまでなっているのである。
 私たちは、こうした日米の経済的補完体制の実態を暴露する中で、労働者民衆のための新たな社会を建設するために闘わなくてはならない。   (直記彬)


ハリケーン・・カトリーナ被災から1カ月

ブッシュ政権の危機は深まっている

 九月二九日で米南部に大きな被害をもたらした大型ハリケーン「カトリーナ」の上陸から一カ月となる。これまでに明らかになった犠牲者は千百二十一人だ。この状況にさらに追い打ちをかけるように、ハリケーン・リタが、またもや同地域をおそい、復興への道のりをさらに遠のかせた。石油施設の被害もあり、ガソリン価格の高騰など、全国的な市民生活への影響も続いている。
 九月二六日、今回の堤防の決壊で、市内の八十%が冠水するという大きな被害を受けたルイジアナ州ニューオーリンズでも、避難していた市民の帰宅が始まった。対象となったのは冠水を免れたアルジェズ地区の五万七千人であったが、観光名所フレンチ・クオーターなどでも、ビジネス関係者に日中の立ち入りが認められた。しかし、二度のハリケーンで決壊した堤防の本格的な修復はこれからである。まだまだ先は長い。
 ブッシュ政権のこの間の対応の遅れに対する批判は、そのまま支持率の低下になって表れた。九月一七日、米ギャラップ社が発表した支持率は四十%と過去最低水準だった。
 ブッシュ大統領はこれまで七回も被災地視察を行い、信頼回復に必死となっている。
 ブッシュ政権は、復興に二千億ドルの予算をあてることを決めた。しかし、イラク戦争が長引き、そのための予算は、アフガン以降二千億ドルも膨らんであり、今回の提示がどれほどの裏付けがあってのことなのか、早々と疑問視されるほどの財源の見通しなのだ。度重なるハリケーンのため、原油高騰に拍車がかかり、国民の消費も冷え込みが予想されるなど、経済面での悪影響が出るのはむしろこれからなのにまさに手が付けられない状況なのである。

忘れ去られてた人々の存在

 ニューオーリンズの堤防は古く、決壊する危険性を長年説いてきたルイジアナ州立大学のスヘイダ教授は「戦争があり、テロ対策があり、連邦予算の奪い合いは明らか。洪水のための予算は後回し」と指摘している。
 九月二七日、米下院ハリケーン「カトリーナ」特別委員会は、連邦緊急事態管理庁(FEMA)による救援活動が遅れた問題で公聴会を開いた。
 九月一二日に引責辞任したブラウン前FEMA長官は、FEMAがあくまで「調整役」であり、災害への初動の対応は州や地方自治体がやるべきだとして、責任をもっぱらルイジアナ州のブランコ知事とニューオーリンズのネーギン市長(いずれも民主党選出)に転嫁する発言を繰り返し、「私の最大の誤りは、土曜日(カトリーナ上陸二日前の八月二七日)までルイジアナ州(の危機管理体制)が機能していないことを認識していなかったことだった」と述べ、ブランコ知事とネーギン市長がニューオーリンズからの避難命令を出すのが遅すぎたと批判した。同市内から貧困層の避難が遅れたことについても、「それは第一に州や地方の責任であり、そういう人たちを手助けするのは、教会や慈善団体などといった宗教組織の責任だ」と居直った。
 公聴会は途中休憩をはさみながら、六時間半に及んだ。野党・民主党は、政府・議会から独立した調査委員会の設置の要求が受け入れられなかったとして、ルイジアナ、ミシシッピ両州選出の二人の議員の他は公聴会をボイコットした。また与党議員が中心の質疑となったが、きびしい指摘が相次いだのである。
 ここで私たちが再度確認しておかなければならないことは、海抜ゼロメートル地帯が全市面積の七割を占めるニューオリンズ市の全人口四七万人中の十万人が、退避命令が発明されたものの自動車や当座の生活資金やクレジットカードを持っていないため、市内に留まらざるを得なかった事実である。
 こうした人々は、ほとんど黒人の貧困層と高齢者であったと伝えられている。前号でも指摘したが、米国の統計で貧困層とされている世帯収入年間一万九千ドル以下は、白人層では十・八%だが、黒人層では二四・七%にもなる。とりわけルイジアナ州での貧困層は、全米平均の一二・四%を上回る一七%である。健康保険非加入者の比率は、全米平均の一五・五%を上回る一八・八%だ。端的に言えば、何と五人に一人は、健康保険に入っていないのである。
 まさに世界で最も豊かな米国において、繁栄から取り残され忘れ去られた人々なのである。彼らの住居のほとんどは今でも水につかっている。こうした中にあって、土地を担保にはした金を貸すブローカーが暗躍を開始し始めたと伝えられている。金に困っている貧困層から土地を取り上げるとの体の良い所払いを着々と進行しているというわけだ。
 断固としてこの事実を糾弾するとともに階級社会の矛盾を告発してなければならない。 私たち労働者民衆が生きていくためには、この現在の体制が、変革されなければならないのである。   (猪瀬一馬)   案内へ戻る


やさしいことばで『日本国憲法』C 池田訳 第3章 人びとの権利と義務 第10・11・12・13条

第3章 人びとの権利と義務

第10条
どいういう人が日本の国民かは、法律が定めます。

第11条
人びとの、すべての基本的人権は、さまたげられてはなりません。この憲法に保障された基本的人権は、今と未来の人びとに贈られた、永久の、侵してはならない権利です。

第12条
この憲法は、人びとに自由と権利を保障します。自由と権利は、それらをみだりにふりかざすことをつつしむ人びとが、つねに努力して維持していきます。いつも社会全体の利益を考えながら、自由や権利をもちいることは、人びとの義務です。

第13条
すべての人びとは、個人として尊重されます。法律をつくったり、政策をおこなうときには、社会全体の利益をそこなわないかぎり、生きる権利、自由である権利、幸せを追いもとめる権利が、まっさきに尊重されなければなりません。
 
正文
第3章 国民の権利及び義務
第10条
日本国民たる条件は、法律でこれを定める。

第11条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 「基本的人権は民衆が政府に下した命令」とするダグラス・ダミス氏の指摘は鋭い。「これは政府ができないことの長いリストだ。これらは、政府ができるだけ人権を侵害するべきではないというお願い事ではない。民衆が権限を与えていない以上、政府は人権を侵すことがまったくできない、ということを、これらの条項は謳っているのだ。おもしろいことに、民衆の義務について述べる条項(たとえば12条)では、英語版では『ねばならない(must)』ではなく『する(shall)』という言葉が使われている。民衆の義務は命令ではなく、約束として書かれているものだ。民衆は自らに命令できない」と、義務という言葉の使われ方の疑問を解いてくれます。また、正文12条の『濫用してはならない』と言う表現は、人びとに威圧を与えてしまい、本来の権利が権利として全うされなくなるのではないかとも思います。実社会でも個人の尊重が謳われながら、矛盾した現象がいくつもあります。男女参画を掲げながら、男性を主体にした家族単位の年金制度、各種の生活保障など、きりがありません。憲法を実行するなら個人で生きていけるだけの賃金の保障を! このスローガンこそ、私たちの基本的人権の基盤となるのはずです。

CHPTER III RIGHTS AND DUTIES OF THE PEOPLE.
Article 10.
The conditions necessary for being a Japanse national shall be determined law.

Article 11.
The people shall not be prevented from enjoying any of the fundmental human right . These fundamental human right guaranteed to the people by this Constitution shall be confrred upon the people of this and future generations as eternal and inviolate right.

Article 12
The freedams and rights guaranteed to the people by this Constitution shall be maintained by the constant endeavar of the people, who shall refrain from any abuse of these freedams and rights and always be responsible for utilizing them for the public welfare.

Article 13
All of the people shall be respected as individuals. Their right to life, liberly, and the purstuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.
(マガジンハウス・池田香代子訳「やさしいことばで日本国憲法」より)  (恵)


私の何でも紹介・・・「2つの美術館」

 今回、皆さんに2つの美術館を紹介します。
 1つが、遠く沖縄にある「佐喜眞<さきま>美術館」。もう1つが東京近郊の埼玉県にある「丸木美術館」です。
 沖縄と埼玉県の美術館がどう関係しているのか?この2つの美術館を結ぶキーワードが、丸木位里さんと俊さんが描いた「沖縄戦の図」です。
 丸木位里さんは、1901年広島で農家の長男として生まれ、水墨画に抽象的表現を持ち込み独特の画風を打ち立てました。丸木俊さんは、1912年北海道で寺の長女として生まれ、女子美術専門学校で洋画を学びました。この2人は1941年に結婚し、様々な美術展に積極的に出品を続けていきます。
 このご夫婦の運命を大きく変えたのが「広島のピカ」原爆の投下でした。2人が見た広島はまさにこの世の地獄。
 この原体験に基づき2人は、1947年から「原爆の図」を描き始めて、1982年までの36年間で15部作を完成させました。そして、この一連の作品を抱えて、国内巡回展は勿論のこと、アメリカ・フランスなどの世界巡回展にも取り組み、反戦・平和を世界に訴えました。
 1967年、埼玉県松山市に2人のアトリエを構えると同時に、ここに「原爆の図丸木美術館」を開館させました。
 「丸木美術館」には、この「原爆の図」15部作品のうち14部作品が展示されています。第1部「幽霊」・第2部「火」・第3部「水」・第4部「虹」・第5部「少年少女」・第6部「原子野」・第7部「竹やぶ」・第8部「救出」・第9部「焼津」・第10部「署名」・第11部「母子像」・第12部「とうろう流し」・第13部「米兵捕虜の死」・第14部「からす」が展示され、最後の第15部「長崎」は、長崎原爆資料館に展示されています。
 どなたにも一度はこの15部作品を見ていただきたいと思います。美術館でじっくりこれらの作品を鑑賞していると、きっと声が聞こえてくると思います。どんな声なのか?是非自分の目や耳でその声を確かめて下さい。
 丸木位里さんと俊さんは、これ以外にも多くの作品を残しています。「南京大虐殺の図」「アウシュビッツの図」「水俣の図」「足尾鉱毒の図」などがあります。
 特に力を入れて描いた作品が「沖縄戦の図」でした。
 アジア・太平洋戦争の真実を描くためには、どうしても沖縄戦と取り組まねばならないと考えた2人は、1982年から沖縄に渡り「沖縄戦の図」を書きはじめました。
 ここで、2つめの「佐喜眞美術館」の話に移ります。この美術館は反戦地主であった佐喜眞道夫さんが、1992年に米軍から普天間基地の一部を返還させ、そこに94年11月23日に美術館を開館させました。
 建物には、沖縄戦にこだわって6月23日(慰霊の日)の太陽の日没線に合わせてつくった階段があります。その屋上からは、あの広い米軍の普天間基地が見渡すことが出来ます。コレクションを貫くテーマは、「生と死」、「苦悩と救済」、「人間と戦争」に統一されています。
 沖縄に渡った丸木位里さんと俊さんは、沖縄戦を徹底的に研究する一方、多くの痛恨の現場に立ち、歴史的事実や生き残った人々の証言に基づいて、一つ、一つ”かたち”を創っていかれ、縦400cm・横850cmという巨大な作品「沖縄戦の図」を完成させました。俊さんは「沖縄戦の図は、沖縄戦を体験された沖縄の人々と私たちの共同製作です」と述べて、この「沖縄戦の図」を新設された「佐喜眞美術館」に永久貸与されたのです。
 なお、この「沖縄戦の図」のほか、「沖縄戦 8連作」「沖縄戦−きゃん岬」「沖縄戦−ガマ」「沖縄戦−読谷3部作」も同時に貸与されました。
 この巨大な作品「沖縄戦の図」の左下に、次のような文字が書き込まれています。(英)
 沖縄戦の図
  恥かしめを受けぬ前に死ね
  手りゅうだんを下さい
  鎌で鍬でカミソリでやれ
  親は子を夫は妻を
  若ものはとしよりを
  エメラルドの海は紅に
  集団自決とは
  手を下さない虐殺である

 <2つの美術館案内>
★財団法人「原爆の図丸木美術館」
 〒355−0076埼玉県松山市下唐子1401
 TEL  0493−22−3266
 開館時間 午前9時〜午後5時
 休館日  月曜日・年末年始
 入館料  大人700円
 交 通  池袋から東武東上線森林公園駅下車3.5キロ
 ※お願い・・・丸木美術館は開館からもう38年になります。最近は、この時代を反映  してか、入場者が減少し「存続の危機」が報道されています。何としても丸木美術館  を存続させなくてはならないと切に思います。多くの人たちにこの美術館を宣伝して  下さい。

★「佐喜眞美術館」
 〒901−2204沖縄県宜野湾市上原358
 TEL  098−893−5737
 開館時間 午前9時30分〜午後5時
 休館日  火曜日・年末年始
 入館料  大人700円
 交 通  那覇から330号線の路線バスで上原バス停下車           案内へ戻る


読書室・「靖国問題」−−− 高橋哲哉「靖国問題」(ちくま新書532・720円+税) 

1.本書の構成(はじめに)
第1章 感情の問題‐追悼と顕彰のあいだ
 靖国神社が「感情の錬金術」によって戦士の悲哀を幸福に転化していく装置に他ならないこと、戦死者の「追悼」ではなく「顕彰」こそがその本質的役割であることなどを論じる。
第2章 歴史認識の問題‐戦争責任論の向うへ
 「A級戦犯」分祀論はたとえそれが実現したとしても、中国や韓国との間の一種の政治決着にしかならないこと、靖国神社に対する歴史認識は戦争責任を超えて植民地主義の問題として捉えられるべきことなどを論じる。
第3章 宗教の問題‐神社非宗教の陥穽
 憲法上の政教分離問題の展開を踏まえた上で、靖国信仰と国家神道の確立に「神社非宗教」のカラクリがどのような役割を果たしたのかを検証し、靖国神社の非宗教化は不可能であること、特殊法人化は「神社非宗教」の復活にもつながるきわめて危険な道であることなどを論じる。
第4章 文化の問題‐死者と生者のポリティクス
 江藤淳の文化論的靖国論を批判的に検証するとともに、文化論的靖国論一般の問題点を明らかにする。
第5章 国立追悼施設の問題‐問われるべきは何か
 靖国神社の代替施設として議論されている「無宗教の新国立追悼施設」のさまざまなタイプを検証する。「追悼・平和祈念懇」報告書の新追悼施設案がなぜ「第2の靖国」になってしまうのか、不戦の誓いと戦争責任を明示する新追悼施設案はどのような問題を抱えているのか、千鳥が淵戦没者墓苑や平和の礎をどのように評価するかなどを論じる。

2.感情の問題
 感情の問題を論じる素材として、著者は小泉首相靖国神社参拝違憲アジア訴訟を取り上げている。この訴訟には私も原告として参加しているが、靖国神社を被告に加えているため、靖国サポーター≠ェ詰め掛けている。そんなこともあって、めったに傍聴できないでいる。問題はそのサポーターが裁判に補助参加しようとしていることであり、その陳述書が法廷で読み上げられることである。著者は岩井益子の陳述書を取り上げている。
「もし、首相が靖国神社に参拝されたことで心が傷つけられると言う方がおられるのならば、靖国の妻といたしましては、靖国神社が国家護持されず、外国の意向に気兼ねして首相の参拝すら思うにまかせず、天皇陛下の御親拝も得られない現状はその何万倍、何億倍の心が傷つくことでございます。私にとって夫が生前、戦死すれば必ずそこに祀られると信じて死地に赴いたその靖国神社を汚されることは、私自身を汚されることの何億倍の屈辱です。愛する夫のためにも絶対に許すことのできない出来事です。靖国神社を汚すくらいなら私自身を百万回殺してください。たった一言靖国神社を罵倒する言葉を聞くだけで、私自身の身が切り裂かれ、全身の血が逆流してあふれ出し、それが見渡す限り、戦士達の血の海となって広がっていくのが見えるようです」(13ページ)
 ここで著者が指摘するのは、岩井益子とは逆に首相の参拝によって深く心を傷つけられた遺族も存在することであり、日本軍の戦争で大きな被害を受けたアジアの人々の「感情」の問題である。「日本の統治下で台湾人約20万7千人が軍人軍属として戦争に徴用され、そのうち約3万人が死亡した。中でも先住民族は『高砂義勇隊』として太平洋戦争に動員され、戦死者の中には靖国神社に合祀されている人も少なくない」(15〜16ページ)として、靖国台湾訴訟の原告高金素梅を紹介している。
 こうした正反対の事例を紹介した後、著者は「靖国問題の根底にあるのは、戦死した家族が靖国神社に合祀されるのを喜び肯定する遺族感情と、それを悲しみ拒否する遺族感情とのあいだの深刻な断絶であり、またそれぞれの側に共感する人々のあいだに存在する感情的断絶であるとも言えるだろう」(18ページ)としている。
 それでは、岩井益子のような遺族感情はどのようにして形成されたのか。その回答は「母一人子一人の愛児を御国に捧げた誉れの母の感涙座談会」(雑誌『主婦の友』1939年6月号)のなかにある。これは「1937年の盧溝橋事件で開始された日中全面戦争。その初期に戦死した将兵達を合祀する靖国神社臨時大祭が行われた際に、北陸からはるばる上京してそれに参列した遺族の老婆たちの会話の記録である」(21ページ)
斉藤 うちの兄貴は、動員がかかってきたら、お天子様へ命をお上げ申しとうて申し  とうてね、早ようは早ようと思うとりましたね。今度は望みがかなって名誉のお戦死を  さしてもらいましてね。
森川 あの白い御輿が、靖国神社へ入りなはった晩な、ありがとうて、ありがとうて  たまりませなんだ。間に合わん子をなあ、こないに間にあわしてつかあさってなあ、  結構でございます。
村井 お天子様のおかげだわな、もったいないことでございます。(22ページ)
高井 息子も冥土からよろこんでくりょうぞ。死に方がよかった。泣いた顔など見せ  ちゃ、天子様に申しわけがねえ。みんなお国のためだがね、おら、そう思って、  ほんとうにいつも元気だがね。
中村 ほんとうになあ、もう子供は帰らんと思や、さびしくなって仕方がないが、お  国のために死んで、天子様にほめていただいとると思うと、何もかも忘れるほど  うれしゅうて元気が出ますあんばいどすわいな。(24ページ)
 著者はこうした感情の現われを強いる仕組みを感情の錬金術≠ニ表現し、「決定的に重要なのは、遺族が感涙にむせんで家族の戦死を喜ぶようになり、それに共感した一般の国民は、戦争となれば天皇と国家のために死ぬことを自ら希望するようになるだろう、という点である。遺族の不満をなだめ、家族を戦争に動員した国家に間違っても不満の矛先が向かないようにしなければならないし、何よりも、戦死者が顕彰され、遺族がそれを喜ぶことによって、他の国民が自ら進んで国家のために命を捧げようと希望することになることが必要なのだ」(44〜45ページ)と指摘している。
 この戦死者の大祭典≠フ挙行を主張したのが、近代日本を代表する啓蒙思想家福沢諭吉が主宰する「時事新報」(1895年11月14日)の論説文である。「特に東洋の形勢は日に切迫して、何時如何なる変を生ずるやも測る可からず。万一不幸にして再び干戈の動くを見るに至らば、何者に依頼して国を衛る可きか。矢張り夫の勇往無前、死を視る帰るが如き精神に依らざる可らざることなれば、益々此精神を養うこそ護国の要務にして、之を養うには及ぶ限りの光栄を戦死者並びに其遺族に与へて、以て戦場に斃るるの幸福なるを感ぜしめざる可らず」(40ページ)「先般来、各地方に於ては戦死者の招魂祭を営みたれども、以て足れりとす可らず。更に一歩を進めて地を帝国の中心なる東京に卜して此に祭壇を築き、全国戦死者の遺族を招待して臨場の栄を得せしめ、恐れ多きことながら大元帥陛下自ら祭主と為らせ給ひ、文武百官を率ゐて場にませられ、死者の勲功を賞し其英魂を慰するの勅語を下し賜はんこと、我輩の大いに願ふ所なり」(41ページ)

3.歴史認識の問題
 「靖国信仰は、戦場における死の悲惨さ、おぞましさを徹底的に隠蔽し、それを聖なる世界へと昇華すると同時に、戦死者の遺族の悲しみ、むなしさ、わりきれなさにつけこんで『名誉の戦死』という強力な意味づけを提供し、人々の感情を収奪していく。だから、このシステムを逃れるためには、戦死を喜ぶのではなく悲しむこと、『喪=悲哀』の感情にひたすらとどまることだけで十分なのだ」(62ページ)
 靖国というシステムから逃れるためには「哀悼」しつづけることで十分だと指摘したのち、著者は「しかし、ここでただちに次の問題が現われてくる。『歴史認識』の問題である」と、被害と加害をめぐる問題を指摘している。
「なぜ、戦死者への哀悼を超えて、戦争そのものの性格を問わなければならないのか。
 それは、まず第一に、日本軍の戦争によって生じた膨大な数の死者・被害者が、日本国民の外にいるからである。日本国民の外に、哀悼の対象である日本軍戦没兵士が参加した戦争によって殺された、日本軍戦没兵士の何倍もの数の死者が、そして被害者がいるからである。これらの死者・被害者との関係抜きに、日本国民だけの追悼の共同体、『哀悼の共同体』にとどまるならば、その追悼や『哀悼』の行為そのものが、外からの批判を免れないことになるだろう。日本軍戦死者たちの参加した戦争は、日本の『他者』に、日本の『外』にどれほどの死と被害をもたらしたのか。靖国神社に合祀されている戦死者たちの戦争が、とりわけアジア諸国に、また、日本の植民地支配下にあった諸民族に、どれだけの死と被害をもたらしたのか。それを問うことができなければ、自国の戦死者への追悼や哀悼も、他者からの批判に耐えられず、その正当性は根底から瓦解してしまうだろう」(63〜64ページ)
 靖国問題で大きく問われているのは「A級戦犯」合祀だが、著者はこれを問題の矮小化だと考えている。そして、「A級戦犯」合祀取り下げは、@靖国神社が「そもそも神社の御祭神を政治的配慮によって差別し、合祀を取り下げ、あるいは他神社に祀り替えするなどということは、祭神に対する冒涜であり、断じて同意することはできない」(74ページ)とし、A刑死した7人の遺族のなかで東條家が同意しなかった、B政府が分祀を強制することは政教分離の憲法原則に違反することになる。
 さらに、A級戦犯が戦争責任を問われているのは「満州事変」(1931年)以降の中国侵略及び太平洋戦争だか、靖国神社は「1869年に東京招魂社として創建され、1879年に『靖国神社』と社号を変えて社格を制定して以来、近代日本国家が行ったあらゆる戦争にかかわっている」(80ページ)
靖国神社に祭られている「戦役事変別合祀祭神数」(04年10月17日現在)
明治維新‐7751柱  西南戦争‐6971柱  日清戦争‐13619柱  台湾征討‐1130柱  北清事変‐1256柱  日露戦争‐88429柱  第一次世界大戦‐4850柱  済南事変‐185柱  満州事変‐17176柱  支那事変‐191250柱  大東亜戦争‐2133915柱
 ここで、著者は『靖国神社忠魂史』(全5巻・1935年9月20日発行)を取り上げている。「第1巻の『第1篇 維新前紀』『第1章 尊皇攘夷論の勃興』から書き起こされ、第5巻の『第6篇 満州事変』全20章まで、ここには天皇の軍隊が行った無数の戦争が、その原因・背景から個々の戦闘経過に至るまで詳細に記述され、その時点で全49回に及んでいた合祀祭で祭神となった13万柱の戦死者が、いつ、どこで、どのようにして死亡したのか、所属部隊、階級、出身地とともに記されてるのだ」(83ページ)
 
4.宗教の問題・文化の問題・国立追悼施設の問題
 首相の靖国神社参拝に対する違憲訴訟において、公的参拝である、違憲であるという判決はあるが、合憲だという判決は存在しないと著者は指摘する。「戦没者をお参りすることが宗教的活動だといわれれば『それまでだ』といったん認めておきながら、しかし『そうは思わない』というのは矛盾している。全体として憲法擁護義務(憲法99条)を負う一国の政治指導者のものとは思えない、きわめて没論理的な反応である。『宗教的活動に該当する違憲な行為』である、『違憲の疑いがある』といった司法判断に対して、『憲法違反だとは思わない』とか、『宗教活動だからいいとか悪いとかいうことではない』とか、一方的に断言して靖国参拝を繰り返すのは、三権分立への公然たる挑戦とさえいえるかもしれない」(107〜108ページ)
 小泉がもっと公然と靖国参拝を行うためには、改憲か非宗教化を行わなければならない。1960年代後半から70年代初めに自民党が何度も国会に提出したが、廃案になった靖国神社国家護持法案がそれである。いずれにしても、「靖国神社は宗教法人格を放棄して特殊法人になったとしても、伝統的な祭祀儀礼を維持するかぎり宗教団体であり、したがって憲法違反を犯さずに国営化することはできない」(127ページ)
そして今、自民党は憲法20条の3「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」を、「国及び公共団体は、社会的儀礼の範囲内にある場合を除き、宗教教育その他の宗教的活動をしてはならない」へと改悪しようとしている。その狙いが靖国神社参拝の合法化にあることは明らかだ。
 文化の問題としては、小泉の「よその国が死者に対する慰霊の仕方に『自分たちの考えと違うからよろしくない』といって、『はい、そうですか』と従っていいのか、疑問を感じる」(151ページ)という発言を取り上げている。「『中国文化は死者を赦さない文化、日本文化は死者を赦す文化』、『日本は過去を水に流し、韓国は過去の恨(ハン)をいつまでも抱えている』等々。こうした『文化の違い』を強調し、各国の文化はみな等しく尊重されるべきだという一種の文化多元主義、文化相対主義によって、A級戦犯を赦し、侵略と植民地支配の過去を水に流す『日本文化』の権利を主張するわけである」(152ページ)
 無宗教の「新たな国立追悼施設」について、著者は次のように指摘している。「この追悼施設は『第2の靖国』とならざるをえない。それは、過去の日本の戦争に対する歴史認識が意図的に曖昧にされているからというだけではない。『戦後』については、そしてとりわけ今後将来においては、自衛隊の戦闘行為はつねに、日本や国際社会の平和を脅かす不正な敵への正しい武力行使となり、この活動で命を落とした日本側の死者だけが追悼対象となるという点で、明らかに『靖国の論理』が復活しているからである」(196ページ)

5.おわりに
 本書のまとめとして、著者が「靖国問題」の解決にといて示す方向は次のようなものである。
一 政教分離を徹底することによって、『国家機関』としての靖国神社を名実ともに廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。
一 靖国神社の信仰の自由を保障するのは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。それぞれの仕方で追悼したいという遺族の権利を、自らの信教の自由の名の下に侵害することは許されない。この2点が本当に実現すれば、靖国神社は、そこに祀られたいと遺族が望む戦死者だけを祀る一宗教法人として存続することになるだろう。そのうえで、一 近代日本のすべての対外戦争を正戦であったと考える特異な歴史観(遊就館の展示がそれを表現している)は、自由な言論によって克服されるべきである。一 「第2の靖国」の出現を防ぐには、憲法の『不戦の誓い』を担保する脱軍事化にむけた不断の努力が必要である」(235ページ)   (晴) 案内へ戻る


太平洋を挟んだ新たなパワーゲーム(上) ――アジアの中の米中新冷戦――

 米ソ冷戦構造の崩壊後、世界は唯一の超大国である米国を中心として動いてきた。が、それもつかの間のこと、米国に対して独自の一極を形成しようとするEU、それにとりわけ80年代後半から続く驚異的な経済成長を背景とする中国の台頭などによって、世界は多極化の様相も見せ始めている。とりわけ「世界の工場」から「世界の市場」へと発展を続ける中国と覇権を追い求め続ける米国のせめぎ合いがどう展開するかが、21世紀の世界を大きく左右する要因となっている。
 ここではアフガンやイラク戦争に見られる米国の軍事的な一極集中化と、それと並行して進みつつあるアジアを舞台とした多極化の幕開けを、米中のせめぎ合いという観点で見ていきたい。このことは同時に、ナショナリズムへの傾斜を深める日本の客観的な位置を知ることにもつながるだろう。

■緊張関係を深める米中

 米中の軍事的な対峙関係がはっきりしたのは96年3月のいわゆる台湾海峡危機あたりからだろうか。それは91年の湾岸戦争とソ連の崩壊による冷戦構造の終焉以後、米中が軍事力を背景に正面から対峙した最初のケースとなった。そうした中で起こった台湾海峡危機は、改めて冷戦以後の新たな対立を世界に想起させるものだった。
 その台湾海峡危機とは、台湾の初の直接選挙による総統選挙を前にして、96年3月に中国が台湾近海で強行した大規模な軍事演習に対し、米国が強力な圧力をかけた事件である。その演習で中国は大規模な弾道ミサイル演習や上陸演習も実施し、あわせて台湾越しに4発の移動式弾道ミサイルを撃ち込んだ。これに対して米国が2隻の空母を台湾近海に派遣して中国に軍事的圧力をかけ、米中間に一触即発の事態が生じた。
 この事件以降、米国による中国を牽制するかのような事件がいくつか起きている。たとえば99年5月に起こったユーゴ空爆での米軍機による中国大使館「誤爆」事件だ。これはふつうに考えれば誤爆などであるはずもなく、空爆のどさくさに紛れた明らかな意図的攻撃だった。
 さらに日本近辺では、01年4月に米軍のEP偵察機が南シナ海で中国空軍戦闘機のスクランブルを受けて接触事故を起こし、海南島に不時着する事件が起こった。このとき両国は激しいやりとりをしたが、中国は偵察機の機体を調査した上、最終的には乗組員を米国に返した。が、米国はこのやりとりにさなかに台湾に対してP3C対潜哨戒機、ディーゼル潜水艦、キッド級駆逐艦の販売計画を発表している。
 これら一連の米中対峙の場面では、米軍の挑発、あるいは露骨な牽制であったにもかかわらず、中国は強硬姿勢を取ることなく、国内の反発を抑えながら終始柔軟な対応を取ってきた。それは中国としても唯一の軍事大国に正面から挑むという無謀な冒険はできないことを物語っており、このことは後で見るように、中国の軍事戦略に沿ったものでもある。

■中国の経済発展と軍事大国化

○チャイナ・アズ・ナンバーワン?

 中国が旧ソ連に変わって超大国米国の覇権を脅かす存在として見られるようになったのは、言うまでもなく中国の驚異的な経済成長と、それを背景とする軍事力増強のためだ。
 米ゴールドマン・サックス証券が03年10月に発表した投資家向け報告書では、50年には、GDPの順位が、中国、アメリカ、インド、日本、ブラジル、ロシア、イギリスの順になると予想している。
 また、ほんの少し前のことだが、今年9月16日に経済協力開発機構(OECD)は初めて「対中経済審査報告」を発表した。その内容はといえば、中国は高成長の結果、今後5年以内に世界第4位の経済規模となり、約10年後には世界最大の輸出国になる、と予測するものだった。あわせて市場化を進める経済改革を通じて過去20年の平均経済成長率が9・5%に達したとして、「過去50年で世界で最も速い経済変化を継続している」と評している。
 その一例を挙げると、すでに中国は米国に次ぐ石油消費国で、01年には日量470万バーレルだったのが、05年には690万バーレルの石油を消費し、年間10%の伸び率を記録している。また自動車は90年代は年間150万台の市場規模だったが、04年には500万台を超えるまでに成長している。
 こうした経済成長を支えるため、中国は世界中にエネルギー資源確保の食指をのばしている。最近の東シナ海での海底の天然ガス採掘もその一つの表れだ。中国の石油企業は中国石油天然ガス公司、中国石油化工総公司、中国海洋石油という中国版三大メジャーに再編され、世界中で石油利権確保の動きを加速させている。現に中国はここ数年で、タイ、スーダン、インドネシア、ベネズエラ、アルジェリア、カナダ、オーストラリア等々、地球規模で石油や天然ガス開発で開発協定や輸入協定を結んでいる。
 その石油利権確保のための触手はついに米国本土にまで及び、中国海洋石油による米石油会社ユノカルの買収劇まで引き起こしている。最終的には今年8月には断念したが、それだけ中国の経済的台頭と石油資源需要が高まっていることをよく表している。
 こうした中国のエネルギー資源確保の衝動は、近い将来の軍事的覇権を求める衝動にもつながるとの警戒感を世界に広めているが、今のところ中国軍の展開範囲は台湾海峡やシナ海などに限られている。ではこうした経済成長やエネルギー資源需要を背景とした中国の軍事力の拡大はどの程度のものなのだろうか。

○潜水艦大国

 中国が保有している核兵器は、02年1月に米国家情報評議会(NIC)が作成した報告書によると、15年までに主として米国向けに配備される中国の大陸間弾道ミサイル(ICBM)の弾頭数は75個から100個、04年のストックホルム国際平和研究所年鑑によると弾頭数は402個という数字がある。こうした中国が保有する核弾頭は、米国が開発しているミサイル防衛の直接の対象にされていることは明らかだが、中国の多弾頭化を含む核弾頭数の増加によってしだいに意味のないものになりつつある。
 また台湾を射程に入れた短距離弾道ミサイルは、今年7月19日に米国防総省が発表した「中国の軍事力に関する年次報告書」では、台湾の対岸に650〜730基を配備、年間100基のペースで増強していると指摘している。
 この他、中国は03年10月に初の有人宇宙船の打ち上げに成功し、またつい先日の今年10月12日にも二回目の有人宇宙船の打ち上げを成功させるなど、宇宙をにらんだ軍事力の展開をも視野に入れている。
 とはいえ、米中の軍事的緊張関係に直接関わるのは通常兵器の開発・増強である。つい最近の話だが、中国は米空母部隊を攻撃するための世界で初めての最新鋭の短距離弾道ミサイルを開発したといわれ、台湾有事の際に派遣される米空母部隊にとっての大きな脅威となっている。また同じように米空母部隊を標的とした潜水艦戦力の増強に力を入れているといわれ、ここ数年、ロシア製の新型、改良型潜水艦の輸入が相次いでいる。今では中国が保有する潜水艦は69隻で、すでに中国は米国の72隻に次いで世界第2位の潜水艦大国になっている。潜水艦については、台湾有事を想定した攻撃型潜水艦だけではなく、米本土を核ミサイルの射程に収める大型の国産原子力潜水艦(094型)も昨年進水し、数年中には就役する予定だといわれる。
 こうした中国の潜水艦部隊の増強は、96年の中台危機が始まりだといわれる。中台危機についてはすでに簡単に触れた。米空母を直接的な脅威と受け止めた中国は、それ以降、米空母機動部隊を標的にしたディーゼル式攻撃型潜水艦の増強に力を入れてきた。ディーゼル潜水艦は原子力潜水艦に比べて音が静かで気づかれにくく、その分だけ米空母にとって脅威となる。
 対する米軍はといえば、そうした中国の攻撃型潜水艦に対して、艦尾から長さ数キロにも及ぶサータスと呼ばれる曵航式音響探知装置を海中に流して引っ張る音響観測艦を運用してきた。これは、低周波を利用してより遠くから敵の潜水艦を探知できる最新装備で、日本でも音響観測艦「ひびき」「はりま」の2隻が配備され運用されている。このうち01年2月4日に、「はりま」が沖縄本島の南で漁船と接触事故を起こしたことが報道され、米軍による中国潜水艦への哨戒活動に、日本の2隻の音響観測艦が組み込まれている事態が改めて浮き彫りにされたことは記憶に新しい。
 この他米軍は、世界最先端の静粛化技術を導入したスウェーデンの潜水艦を借用し、これを中国潜水艦に見立てた演習を繰り返しているなど、中国軍の潜水艦対策も周到に進めている。

○中国の軍事戦略

 上記でもその一端を触れたように、中国軍の近代化、軍事力増強路線は中国の経済成長が基盤となっているのは明らかだが、その中国の軍事戦略について簡単に見ていきたい。
 中国の軍事戦略は、直接的には台湾の「武力解放」も含めた台湾独立阻止――併合路線を中長期の目的としているが、より大きな視野で見れば、唯一の超大国――米国の一極支配に対峙しうる戦力の保持にあるのは明らかである。
 中国の軍事戦略をおおざっぱに言えば次のようなものと見ることができる。
 1)米ロおよび周辺国からの中国領土の保全、2)台湾の平和―武力併合、3)中国近海の資源やシーレーンの確保、4)アジア地域での覇権、5)米国との対峙能力の確保。
 こうした中国の軍事戦略にとって、やはり緊迫感があるのは台湾の独立阻止―将来の併合のための対米軍事力の確保だろう。96年の台湾海峡での大規模な軍事演習もそうだし、今年9月に行われたロシアとの大規模な軍事演習もそうした目的から実施されたと受け止めていい。この「平和の使命2005」と称するロシアとの共同演習では、中ロ両国から1万人が参加し、中国側からは長距離爆撃機や戦闘機、潜水艦、それに空挺部隊から海兵隊まで動員し、上陸作戦まで行われたというから、この演習の意図が台湾への武力侵攻――上陸作戦や、極東地域における中ロの軍事プレゼンスの誇示にあったことは明らかである。
 また最近では台湾海峡を越えた太平洋の外洋にまで中国海軍の行動が拡大している状況も浮かび上がっている。日中中間線付近での中国による天然ガスの採掘などに絡んで、中国の軍用艦や潜水艦の跋扈が日本でもヒステリックに報道されているが、米中のせめぎ合いは、すでに東シナ海にとどまらず西太平洋においても激しさを増している。この地域では文字通り「水面下」での緊張の度は深まっているのである。
 04年11月10日の中国潜水艦の日本領海侵犯事件なども、中国海軍の外洋進出の現状を示している。この事件では中国潜水艦による石垣島と宮古島の間の日本領海を通過した領海侵犯事件として大きく取り上げられたが、実はその前に中国潜水艦がハワイ沖まで航行していることが明らかとなった。これはそうした中国潜水艦の航路を米軍と自衛隊がキャッチしていたことを物語るもので、実際には海上自衛隊も年度ごとの中国の海上艦船や潜水艦の活動状況を詳細に追跡しているのが実情なのだ。米国防総省内でもそのリアルさが話題になったというトム・クランシーの『レッド・オクトーバーを追え』という海洋軍事小説があるが、その中で詳細に描かれた米ソの潜水艦どうしの熾烈な追尾・疑似戦闘ゲームが、いま米中の間でも訓練と称して東シナ海や西太平洋の洋上や海中で常時繰り広げられているわけだ。〈廣〉(続く) 


色鉛筆
介護日誌7  とうとう痴呆に・・・?


 83歳で、足の骨折のため車椅子生活が3年近く・・・と言うと、知人たちは一様に「よく惚けないね(今は認知症という?)」と口を揃える。しかし”ついにそれが来たか”と思わせる出来事が起こった。毎月2回各1週間ほどお世話になっているショートステイ先で、夜8時すぎ「夕食を食べたい」と言ったという。もちろんとっくに夕食は済んでいる。帰宅してすぐに「夕食を食べさせてもらえなかった」と真顔で私に言った。さらには、半月ぶりに送ってもらった娘の家がわからなかった、そしてある日私が外出した後、家人に「今出ていった女の人はいつ戻るだね?」と尋ねた・・・等々。
 改めて最近の母の言動を思い起してみると、いくつかの変化があったことに気付く。ここ2ヵ月、ほとんど自分からはしゃべらなくなっている。ディサービスでの昼食メニューを、夕方尋ねても「あれだよ・・・」と言ったきり出てこない。会話中、色々な単語がすっと出てこない。それ以前まではすらすらと思い出せていたのだから、母も内心相当動揺しているのが分かる。自分はどうなってしまうのだろうと強い不安を抱いている。ただ幸いにして、今のところひどい状態にはならず、平安な状態を保っている。しかし本音を言えば、これがもっとひどくなったら精神的に相当厳しい介護となるだろうと思う。ふだん穏やかな知人は、母親を介護中「ついカッとして殴ってしまった」と言うが、とても想像できない。介護保険制度が始まってもなお、老人への虐待や殺人などの事件が絶えないのは、現実の介護のとてつもない厳しさの表れだ。今の私は、ひたすら母の現状維持を願うしかないのだが・・・。
 さて10月から、介護保険制度内の食事提供加算が廃止され、施設での食事・住居費が利用者負担となった。9月にいま利用中の各施設から、具体的な金額が示され、ディサービスでの食費が「現行339円を500円(もう一ヶ所は700円)」に、ショートステイでは「現行780円を1380円」に値上げされ、さらに住居費として「個室1150円、4人部屋で320円(今までは無料)」を支払わねばならなくなった。住居費は介護度が重い方が、より高くなっている。ざっと計算して、月に数万円の負担増は免れないだろう。これでは弱いものは、たちどころに切り捨てられてしまう。介護保険制度”改悪”以外のなにものでもない。本当に怒っている!!(澄)


天も地も荒れ狂う冬の時代にどう生きる

 九州のどの地方か襲った台風、TV報道でカメラがとらえた、海鳥の群れがそれぞれ、とばされてもじっと立ち続け(他の鳥たちのようにしゃがむことができないらしい)吹き荒れる雨と風の中を生きようとする本能からであろうが、懸命に耐えている小さな海鳥たちの姿に、私は共鳴するものをもった。諫早のときも横たわる小さな魚たちの骸をとらえていたカメラの目。それでも春のダンスを踊るゲンゴロー。
 自然の恵みに感謝を捧げたハワイのフラダンスや、自然に感謝するミレーの晩餐、ブリューゲールの村の祭りに酔う愚直な百姓や狡そうな人の財布をねらう子ども、不気味なバベルの塔でさえ、すでに過去ののどやかな眺めとも思える。すべて終わりか、あるいは始まりか(これはやってみなければわからんという愚かさにも似た勇気を伴う)、良かれ悪しかれ若きに寄り添う努力がかえって殉教者的な行為を引き起こすものであった。狂気と殺意を超えるためのあらゆる努力が、はじめられているのはナミの人々の動き。
 私はあの戦争はなんだったのか、という問いからはじめ、長柄橋の下で累々と重なる爆撃にあった人々の骸に出会った中学1年生の手塚治虫の目は、後に人類の歴史とも言っていい火の鳥≠フ大作となった。私はTVでみたこの作
品にあるシーン、洪水や火災を逃れて洞窟に逃げ込んだ狼と人間、狼たちが岩を掘り続け、仲間の屍を、死肉を喰ってなおも掘り続け、人間も一緒に掘り続け、ついにかすかな光≠ェさす出口を作るに至る。このシーンを私は忘れない。
 これは、映像による文化的表現であり現実的にすぐ効果的、有効的ではなかろうが、私は作品の紹介に安く享受できることもあって、大のTV愛好家である。
 今は亡き父が戦後、すべてを捨てたというより、個人的には家族の女帝たちに裸にむかれといった方がいいかも知れないが、丸いお膳の上に新聞を広げてこの頃の新聞は世界中のことが書いてある≠ニ驚きといっていい言葉を吐いていた。同様に、ブラウン管にのせて、映像とともに世界中のこと≠報じてくれるのに(しかも様々のジャンルをも)、父と同様の驚きや発見をTVによって感得することができるようになった。
 だからカメラの視点や私の視点とが合致したことを知るとき、悲しみも喜びも憂いもこめて共感を持つことが出来る道具として、TVは私にはある。そしてさらに確かめてみたい課題をかかえて、一人旅に出かける。最初の頃は旅は日常性からの脱出であり、旅から戻るときは暗澹とした思いで帰途についたものだった。
 私の旅もときと共に変わってきたし、癒し≠フ旅ではなくなったことは、少しせっかちかな、と苦笑する。そんな旅でも風景は、私は視点でみる狭さを感じたり、すべてを放り出して、雲だけ追うこともあるが。こうした境地もデリダのいう火、ここに灰≠ニでもいうのだろうか。灰≠ニいうのは?火≠吹く中で。生≠ヨの闘いがあらゆる分野で始
まっているようだと私は信じたい。   2005.9.9     宮森常子



高木氏の連合新会長就任ついて

 七月一四日、連合見解で、やっと改憲を謳ったものの直後に開催された自治労大会で、その改憲路線への転換を阻止されたことや「日の丸・君が代」強制阻止・「つくる会」教科書採択阻止の教育労働者の決起が続いたことや九月一一日の衆議院選挙での小泉・自民党の圧勝と民主党の惨敗に衝撃を受けた連合中央は、内部での暗闘の末、九月一三日に極右で改憲派の高木を役員推薦委員会の全員一致で会長候補に推薦することになりました。これに対して、連合内の改憲反対派は全国ユニオンの鴨候補を会長選に押し上げたのです。
 こうして、東京都内で開かれていた連合第九回定期大会は、二日目の十月六日、退任する笹森会長に代わる新会長の選挙を行いました。この選挙は本当に注目されていました。
 選挙結果は、極右で改憲派の徴兵論者でもあるUIゼンセン同盟の高木剛会長が三百二十三票、パートなどの組織化を訴えた改憲反対の鴨桃代全国ユニオン会長が百七票、白票が三十九票でありました。白票を含めると連合内の実に三分の一が高木への不信任を叩き付けたとも言えます。連合の一元支配に対して流動状況が生まれたのです。
 運動方針をめぐる討論では、小泉政権下で加速する労働者攻撃に反対するとりくみを中心に議論が集中しました。「かつてないほど厳しい官公労組合に対する社会的、政治的批判が続いている。連合として意図的な攻撃に対し、きぜんとした態度で対峙してほしい」(日教組)、「賃金カットの合理化が実に千四百自治体に出ている。賃金・労働条件の決定に参加しえる状況、労働基本権の付与を含んだ公務員改革を望む」(自治労)などの発言が続きました。
 また労働契約法制について、「絶対認めるわけにはいかない。労働契約法の制定は戦後の労働法体系の基本的なやり直しであり、労働組合にとって最重要課題だ」(JAM)との意見もありました。
 総選挙の結果にふれ、「民主党は自民党との対抗軸を明確にすべきだ。民主党がめざす国の形や自治のあり方と、連合がめざす労働を中心とする福祉型社会との整合性を図ってほしい。民主党がプチ自民党であってはだめ」(連合北海道)といった発言もありました。
 また、「最近の連合運動は求心力が落ちているのではないか。二年前に有識者でつくる連合評価委員会が企業別組合主義からの脱却を提起したが、この提言を受けとめ、本当にやってきたのか」(全国一般)という厳しい意見も出ました。
 これらの議論は全て今まで連合内にあってはならない議論であったはずのものです。
 まさに連合内部でも労働者の闘いは始まったと言えます。連合の組合で呻吟する皆さん、闘う仲間の決起は始まっています。ともに闘っていこうではありませんか。 (霞ヶ丘)


参院神奈川補選 について

 小泉自民党「圧勝」後、初めての国政選挙として注目されている参院選神奈川県補欠選挙が始まりました。沖縄県に次ぐ第二の基地県で、今焦点になっているのが、米軍再編に伴う市長・市議会を巻き込んでの反対運動の一大発展です。
 こうした状況下、十月二三日の投票日に審判される候補者に、自民党は今回の米軍再編に賛成し共同文書を纏めたその人、つまり小泉首相のご指名の川口よりこ前外相を、民主党は、民主党の神奈川県連が座間への基地移転を反対しているのにもかかわらず、日米同盟全体のマネジメントを考えないと「木を見て森を見ず」になりかねないと言ってのける世間知らずの米国での弁護士資格を持つ牧山ひろえ氏を、共産党は予想を裏切って当選したことがあったはたの君枝前参議院議員を擁立しているのです。
 今回の補欠選挙は、斎藤つよし氏の衆院選立候補転出に伴い、前原民主党新代表の下での初の国政選挙となります。党勢立て直しに必死の民主党にとってはまさに負けられない選挙ではあります。しかし、牧山氏は、記者会見で「再出発した最初の顔として、しがらみのない改革ができる民主党がもっとも国民の利益にかなうことを伝えたい」などと強調したものの前原氏の「労組と手を切る」発言がたたり、当選するための手足となって働く労組はほとんどないような状態で全く当選は無理のお寒い状況です。
 神奈川県は、今回まさに小泉首相のお膝元として、先の衆院選では、自民党が一八選挙区で一六勝と圧勝しただけに、反自民の声も消えかかり、牧山氏とはたの前参院議員の闘いも相当に厳しいものとなっています。 (笹倉)

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