ワーカーズ 326号 2006.8.1.            案内へ戻る

イスラエルはレバノン、ガザへの攻撃をやめろ!

 イスラエルと米国に抗議と圧力を

 イスラエルによるレバノン攻撃が激しさを増している。幹線道路、空港、病院、学校、孤児院、一般の建物や家屋が空爆され、数百人の死者が出ている。その多くは、子どもたちだという。国連軍さえが攻撃の対象となり、兵士が死亡している。
 レバノン攻撃に先だって開始されたパレスチナのガザ地区への侵攻も続けられている。ここでも、多くの無辜の市民が犠牲となっている。
 発端は、パレスチナのハマスやレバノンのヒズボラによるイスラエル攻撃やイスラエル兵士の誘拐だと言われている。しかしわずか数名の兵士の誘拐への返答としては、イスラエルの攻撃はあまりに度を超している。そもそも、至る所に検問所を設けて好き勝手に人々を検束し、数千人のパレスチナ人を拉敦・拘束し続けているイスラエルに、自国兵士の誘拐のカドで他者を非難する資格などあるはずもない。
 イスラエルの狙いは、兵士誘拐への報復にあるのではない。そのことを口実として、パレスチナのハマスをたたき、レバノンのヒズボラを壊滅させることにある。
 ハマスはパレスチナ評議会選挙で躍進し、政権を掌握した。レバノンのヒズボラも、議会選挙で少なくない議席を獲得し、政府に閣僚を送り込んでいる。イスラエルのすぐ側で勢力を伸ばす反イスラエルの急進主義運動を徹底的にたたきつぶす。そのことを目的に、ハマスの軍事部門やヒズボラの挑発をむしろ好機ととらえて、ガザやヨルダン川西岸やレバノン南部への徹底的な破壊を繰り広げているのだ。
 アメリカは、いつものごとくイスラエルを擁護している。イスラエルの攻撃の停止より「過激派の排除が先決だ」と言い放ち、国連安保理の停戦決議に拒否権を発動した。
 G8サミットもまた、まず「過激派」を非難し、その偏向をごまかすために、続けて「問題の根本的な原因は包括的な中東和平が存在しないことにある」などと間の抜けた論評を行っている。 しかし、問題の本質は、これまでに繰り出されてきた様々な「和平提案」が、結局はイスラエルやアメリカの利益を脅かさないという大前提の上で、パレスチナ人に背負いきれないような不利益と忍従を押しつけたものでしかなかった、という点にこそある。
 土地も、水も、生産と労働の場も、拘束の恐怖からの自由も、何一つ満足にパレスチナ人に与えないような「和平」は、決して和平の名に値せず、結局は崩壊するしかないのだ。
 侵略者・略奪者であるイスラエルとその庇護者アメリカの大幅な譲歩を抜きには、中東が和平に向けて一歩を踏み出すことはあり得ない。イスラエルとアメリカに抗議と圧力を! (阿部)


小泉首相は靖国参拝を止めよ!――覇権をめぐるパワーゲーム――

 戦没者慰霊祭が行われる8月15日が目前に迫り、首相による靖国神社への参拝問題が大きな政治的、外交的焦点になっている。
 小泉首相は、自民党総裁選への立候補にあたって8月15日の参拝を「公約」していたが、国内の反対の声や中国、韓国などの反発もあて、8月15日は避けてきた。しかし今年9月の退陣を前にして、最後の機会となった8月15日に参拝を決行する可能性が高い。
 私たちは、中国、韓国が反発するという理由からではなく、あの侵略戦争に対する歴史的な反省を踏まえたうえで、反戦平和と善隣友好という観点から小泉首相の靖国参拝に断固反対する。

■経緯

 なぜ小泉首相の靖国神社参拝がこれほどまでに大きな政治的争点になったのか。いうまでもなく中国や韓国からの批判や反対の声があったからであり、それが日中、日韓の首脳会談も出来ないほど近隣諸国との関係が悪化したこと、ひいてはアジアにおけるパワーポリティッ クスを左右するまでにこの問題が拡大したからだ。
 そもそもの発端は、01年の自民党総裁選に立候補に当たり、小泉首相が8月15日の靖国参拝を「公約」として掲げたことから始まっ ている。実際には国内の反対の声や中国や韓国の批判を考慮してか、その年は8月13日に参拝を前倒しした。それ以降、春の例大祭や正月など、「公約」どおりの8月15日に参拝こそ強行しなかったとはいえ、各方面からの批判を無視する形で毎年一回の参拝は強行し続けている。
 この間、国内では靖国参拝違憲訴訟が全国で6カ所で同時進行するなど、国内における反対の声も広がり、さらにはここ2年間は中国や韓国の首脳との会談も不可能になるなど、日本の外交活動にも深刻な影響を与えている。
 小泉首相は、なぜそれだけの政治的リスクを覚悟の上で靖国参拝にこだわったのか。
 当初は総裁選への立候補に当たって、首相の靖国参拝を求める日本遺族会などの票目当てに「公約」を掲げたかのような印象が広まった。が、その後の展開は、単に総裁選の票目当てのものではなく、もっと奥深い、大胆ともいえる思惑が潜んでいたことがしだいに明らかになる。

■戦争賛美と軍国主義の支柱――靖国神社の位置

 靖国神社の成り立ちと歴史的位置などについては、これまで様々な角度から語られてきているので、ここでは詳しくは触れない。しかし戊辰戦争の死者の追悼施設として明治政府によって作られて以降、国家神道の中心施設として多くの兵士を戦争に駆り立てていった軍国主義の精神的支柱として機能してきたことは周知の事実だろう。その機能とは、国家が行う戦争を正義の戦争視する「征戦教義」、戦死した将兵を英雄視する「英霊教義」、その英霊をたたえることで国家のために命を投げ出す新たな将兵を再生産する「顕彰教義」という三つの要素によって、戦争体制を支えるメカニズムを担ってきたことにある(高橋哲哉)。
 首相の靖国参拝問題は、こうした靖国神社の存在そのものと靖国神社と国家の関係を再興しようとする様々な企てを背景にしている。だから本質的には国内問題なのだ。問われているのは、あの侵略戦争に突き進んだ日本をどう精算するのか、さらには今後の日本の国や政治をどういう方向で進めていくべきか、ということなどだ。現にいくつかの靖国訴訟で原告が立っていた立脚点もそういうものだった。
 こういう視点で考えれば、靖国問題をめぐる議論は非常に矮小化される傾向にある。
一つはA級戦犯を分祀すること、もう一つは国立の追悼施設を新たに建設することで障害を解消しようとする議論だ。
 どちらも中国や韓国との関係改善を念頭に置いた議論であり、そのこと自体はそれなりの根拠があり正当な側面がある。が、そうした観点に流されれば、小泉首相などがいう対外的な圧力に屈するのか、とか外国にとやかく言われる筋合いのものではない、という暴論と相打ちにされかねない。結局は靖国神社と首相の参拝を含む国家との関係を全面的に精算させる以外にないことを再確認すべきだろう。

■大国間のパワーゲーム

 小泉首相の参拝は、戦没者への追悼を表看板に掲げながら、実は政治的目的が二つあったと受け取れる。
 一つはいわゆる上述した「聖戦教義」「英霊教義」「顕彰教義」だ。
 小泉首相は、参拝問題を問われたときの決まり文句として、かたくなまでに「死者への追悼」や「心の問題」にこだわり、またそれ以上の説明には踏み込まなかった。このことは中曽根元首相をはじめとして歴代首相が挑戦してきた戦争体制づくりへの執念の表れと受け止めるべきだろう。「死者への追悼」や「心の問題」に限定したのは、いわゆるワンフレーズポリティックスや常識論で中央突破するという小泉首相の政治手法ともいえるし、あるいは言葉で説明しようとすればするほど露骨な「聖戦教義」「英霊教義」「顕彰教義」につながらざるを得ないことを自覚していたからだろう。だから小泉首相は言葉ではなく具体的な行為によって、すなわち「不言実行」による「正面突破作戦」を実践したのだろう。
 それでは何のために「聖戦教義」「英霊教義」「顕彰教義」が必要なのか。いうまでもなく自衛隊の海外派兵、および抵抗なく兵士を送り出す銃後の体制づくりのためであり、さらには国策への動員体制づくりのためだ。
 小泉政権の登場とともに始まったアフガン戦争やイラク戦争への派兵という現実は、いま部分的には戦死者を出すことなく終わりつつあるとはいえ、いつ戦死者が出るともしれない危うさを内包していた。自衛隊の海外派兵を強行した最高司令官としての小泉首相にとっては、派兵の論理と同じように、銃後の論理でも戦争体制など国策を支えるシステムづくりにこだわらざるを得なかったということだろう。このことは参拝を重ねるごとに激しくなる批判に対して、しだいに感情丸出しの態度が露わになっていったことにも現れている。
 もう一つの目的は、いわゆる「靖国カード」の無力化であり、ひいては歴史認識、戦後賠償などいわゆる中国や韓国による歴史問題という対日カード総体の精算である。
 小泉首相は「もう靖国は外交カードになりません」「靖国参拝は外交問題にならない。」と何度も強調している。あわせて「参拝を中止すれば中国との関係がすべてうまくいくのか」という趣旨の発言を繰り返している。
 たしかにこれまで日本の対中、対韓外交は、何かにつけて中国、韓国から対日歴史カードを突きつけられるという、歴代政権にとって乗り越えられないハードルで制約されてきた。過去に対する負い目を常に意識させられる、いわば被告の位置に置かれていたわけだ。それも当然である。歴代自民党政権は、アジア諸国に対する戦後賠償も中途半端なまま、他方では系統的な軍事力の拡大を土台として、過去の侵略戦争を正当化するかのような右傾化・戦前回帰の策動を繰り返してきていたからだ。そうした態度は保持しながら、なおかつ中国の対日歴史カードを無力化したい、というのが靖国参拝を強行する小泉首相の真意なのだ。

■覇権争いと靖国参拝を止めさせよう!

 だから靖国参拝は、小泉首相が言うような「死者に対する哀悼」や「心の問題」などではさらさらなく、あくまで大国間のパワーポリティックスの問題なのである。たとえば日本と中国は市場や貿易・投資関係などで関係を深めている面もあるが、他面では台湾海峡や東シナ海をめぐる米中日の軍事的対峙関係、海底資源が絡む尖閣列島などの領有権紛争、安保理常任理事国入り問題など、対立が先鋭化している面もある。いわば靖国問題とは、世界第2位の経済力を背景として政治・軍事大国化した日本と、近年のめざましい経済成長を背景として国力を増大させた中国との間での熾烈なせめぎ合いの交差地点であり、究極的にはアジア地域や世界を見据えた覇権争いの具体的な現れに他ならない。
 そうだとすれば、靖国参拝問題というのは、A級戦犯を分祀すればよいとか、靖国神社とは別の追悼施設をつくってそこ参拝できるようにすれば解決するといった性格のものではないし、相互のナショナリズムを煽ることで解決するような性格のものでもない。日中、あるいは韓国などの労働者や市民の善隣友好の思いとは反対に繰り広げられるパワーゲームそのものに対する闘いの一環として位置づけた反撃こそ求められているのである。
 日本の私たちとしては、そうした立場から小泉首相の8月15日の参拝を止めさせる闘いを拡げていきたい。(廣) 案内へ戻る


天皇発言の波紋

■天皇家の「護憲」主義と政治的行為

 小泉首相の靖国参拝問題が政治的焦点として浮上しているまさにこのとき、昭和天皇が靖国神社への参拝を取りやめた理由としてA級戦犯の合祀があったというメモが公表された。昭和天皇が88年に語った言葉を書き写した当時の富田宮内庁長官のメモを家族が公開したのだという。これまでも昭和天皇の靖国参拝中断の原因としてA級戦犯の合祀があったことは知られていたが、その裏付けとなる資料が世に出たわけだ。
 なぜ今の時点でこうしたメモが出てくるのか。当然、焦点化している小泉首相の8月15日の参拝問題、あるいはこの秋の自民党総裁選挙をめぐる政局がらみのものだろう。現にこのことが報道された7月20日は、小泉後継が有力視されている安陪晋三の『美しい国へ』という政策提言本が出版された日と重なっていた。それだけ小泉後の政権をめぐる暗闘の一コマだと推察されるが、ここではメモ自体の意味とそれが及ぼした影響について考えたい。
 昭和天皇がなぜA級戦犯の合祀に不快感を示したのか、という疑問は当然出てくる。A級戦犯は大元帥として戦争を指揮した昭和天皇にとって忠臣のはずではなかったのか、というわけだ。だが戦後に天皇の地位は立憲天皇制から象徴天皇制に劇的に変わっている。現実に自分たち皇室の存立基盤自体が東京裁判を受け入れたサンフランシスコ講和条約と昭和憲法に拠っているわけで、それを受け入れること自体が皇室と象徴天皇制存続の基盤になっている。天皇とすれば、それを揺るがすような事態は避けたいという気持ちもあったと思われる。それに戦後になって振り返れば、戦前の天皇制国家を崩壊させたのは無謀な戦争に突っ走った一部の政治・軍事指導者だったという恨み辛みもあったかもしれない。
 戦後の昭和天皇は確かに護憲主義者の一面はあったのだろう。それは現天皇が皇位継承に当たって「憲法の精神を守り」とわざわざ発言していることにも継承されている。それが皇室の存続の基盤そのものであればそれも当然のことかもしれない。
 もしそうであればこの靖国参拝の中止自体から、また別の問題が出てくる。天皇の政治的行為の禁止という問題だ。天皇の参拝そのものが政治的行為であると見なしうるが(私的参拝とされてきたが)、参拝中止も同じような意味で政治的行為になる。中止以前の靖国神社への参拝行為そのものに対する反省がなければ、本当に憲法に従っているとは言えないだろう。今回公表されたメモで明らかになった天皇発言についても、参拝中止は意図的な政治的行為だと言ってるに等しい。今回は参拝中止という方向で政治的意図が発揮されたとはいえ、政治的意図を含んだ行為は容認できないと言うべきだろう。

■危険な事大主義

 ところで今回のメモの公表は、靖国信仰に寄りかかりながら戦争体制づくりをもくろむ右派陣営にとって大きな打撃となった。靖国派は、首相の公的参拝を既成事実化することで天皇「ご親拝」に道を開こうとしていたわけだが、その当の天皇自身がA級戦犯の合祀があるから参拝しない、「それが私の心だ」と言ってしまったのでは、天皇「ご親拝」の根拠や天皇の政治利用の構造自体が喪失してしまうからだ。彼らが、天皇発言は「信じられない」「信じたくない」というのは、天皇の政治利用という、自らの本音の吐露になっているのだ。
 靖国派の論理構造の破綻以上に問題なのが、世論に対する影響だ。朝日新聞が7月22,23日に行った世論調査では次期首相の参拝反対が前回の46%から60%に増えたことを報じている。さらに参拝の是非をめぐる判断に当たって今回の「メモ」を重視した人は60%にも上っているという。それだけ天皇の発言とその心中を汲んだということになる。
 情緒論としては「あの天皇でさえA級戦犯の合祀に反対だったのか」という受け止め方は理解できなくはない。しかしそうした個々人の心情が実際の賛否の判断で14%もの変化に直結したとすれば、それはむしろ大きな危惧を覚えざるを得ない。個々人としての心情が政治判断に直結しているからだ。それが世論だと言えばそれで終わりだが、そうした心情は、一定の整理・反省を経てから政治的判断に昇華させるをいう過程が欠かせないはずだ。そうした作業の裏付けがあってこそ、首相の参拝に対する反対の声は確かなものになるし、また拡がってもいくだろう。
 私たちとしては、仮に天皇がA級戦犯合祀に賛成でも、あるいは参拝を当然のごとく続けたとしても、参拝反対と靖国イデオロギーの拡大に反対し続けるだろう。(廣)


ゼロ金利の解除と総裁辞任の否定

ゼロ金利の解除

 七月十四日に開催した政策委員会・金融政策決定会合で、日銀は、九人の政策委員の全員一致で、予定通りゼロ金利政策の解除を決定し
た。そして短期金利の誘導目標を「おおむね0%」から「0・二五%前後」に引き上げると同時に、民間銀行に貸し出す際の金利である「公定歩合」は現行の0・一%を0・四%に引き上げ、いずれも即日実施した。今回の利上げは二〇〇〇年八月以来、約六年ぶりである。
 このゼロ金利解除により、今後預金金利が上昇する一方、住宅ローンなどの金利負担が増え、国民生活に大きな影響が予想される。
 この判断の背景には何があったのか。同日発表した七月の金融経済月報で、日銀は足元の景気認識を「回復」から「拡大」に上方修正した。決定会合は、消費者物価の安定的な上昇基調が定着し、デフレをほぼ克服したと判断し、その上で、設備投資の過熱を防ぎ、長期的な安定成長を続けるには、小幅な利上げが必要との結論を出したのである。
 記者会見した福井俊彦総裁は追加利上げについて「連続利上げを意図しているのではない。経済・物価情勢の変化に応じて徐々に行う」と述べ、当面は低金利政策を継続する考えを強調した。村上ファンドへの投資問題に関連しては、「粛々と職責を全うする覚悟に変わりない」と引責辞任をあらためて否定した。
 ゼロ金利解除と同時に決まった公定歩合とは、一時的に資金不足に陥った金融機関が日銀から緊急避難的に資金調達する際に適用される金利のことである。0・四%の引き上げには六人が賛成し、三人が反対した。反対の三人は、安易な利用を懸念して0・五%への引き上げを主張したが、金融機関が柔軟に資金調達できるよう0・四%としたとのことだ。
 また、長期金利が上昇して政府の国債利払い費が増加するのを防ぐため、日銀は長期国債を月一兆二千億円ずつ買い入れる措置を継続する予定と伝えられている。

ゼロ金利解除後株価は四日続落

 七月十四日東京株式市場の後場では、午後一時半過ぎに日銀の政策委員会・金融政策決定会合が終了し、ゼロ金利解除が決定が伝えられた。しかしすでに織り込み済みの内容だったことから、反応は限定的でかつ週末事情もあり、引けにかけては整理売りや、ヘッジ売りに再び下げ基調を強めた。東証一部の業種別株価指数では、三十三業種すべてが下落し、値下がり銘柄数は全体の八十八%弱に達するなど全面安の取り引きとなった。
 平均株価は終値で前日比二五二円七一銭安の一万四八四五円二四銭と四日続落し、六月二十八日以来の一万五千円台割れとなった。東証一部の騰落銘柄数は値上がり一六三、値下がり一四九0で、出来高は一六億五九一三万株、売買代金は二兆三五四四億円であった。東京外国為替市場では、一ドル=一一六円台前半(前日終値は一一五円一0銭)で取引された。
 このように、ゼロ金利解除が株式市場に伝達されてから、株価が尋常ではない下がり方をしている。七月十八日も五日続落した。おおざっぱに言えば、今年の四月七日は一1万七五六三円だったから、この三ヶ月強で三千円も下げたのである。
 さすがに七月二十日には、前日の上昇と合わせれば五百円の大反発となり、一万四九四六円、一六億八0六一万株になったが、翌日にはただちに百二十五円も下落している。
 またしても日銀がゼロ金利解除を決めたタイミングが最悪だった。北朝鮮のミサイルが飛んできて、イスラエルとヨルダンが戦争状態に突入し、イランの核危機が高まり、原油価格も高騰するばかり。国内の経済状況にマーケットが弱気になっているところにゼロ金利解除が追い打ちをかけたといわざるをえない。
 ちなみに、金利が一%上昇すると、企業は三・一兆円の減益になるといわれている。有事のドル買いで円安も一ドル=一一七円まで進んでいる。日本政府は経済財政白書で「デフレ脱却が視野に入りつつある」と主張しているが、実際には原油価格の高騰で物価が上がり始めているだけだ。こんな事では、景気の本格回復とはいえない。
 ここで浮上してきたのが、日銀のメンツ論だ。ゼロ金利継続を求める政府サイドの圧力に対して、村上ファンド問題で窮地に立たされた福井総裁が解除を見送れば、政治圧力に屈したことになるので、「意固地でやった」との説である。

株価の下落と量的緩和の解除

 五月に入って日経株価の下落が始まった。その原因は、三月九日に日銀が行った量的金融緩和の解除である。正確に言うなら、今回のゼロ金利解除のための準備が大きな原因であった。
 日銀は、量的緩和解除を実施したが、これはゼロ金利解除を実施する準備であった。そのため、日銀当座預金を急激に絞り込んでいった。これが、デフレ下の金融引き締めであり、最悪の結果を創ることになる。
 詳しく解説しておけば、日銀当座預金とは、民間金融機関が日銀に開設している預金口座のことをいう。この当座預金が、量的金融緩和政策のもとでは、何と三十兆〜三十五兆円の水準で推移していたのである。
 しかし、このままでは日銀悲願のゼロ金利解除ができない。民間金融機関が再預金する義務を負う六兆円レベルまでに絞り込まないと、金利がつかないからだ。そこで、日銀は急激な勢いで当座預金を絞り込んだ。三月末に三十一兆円あった当座預金は、五月末には十五兆円、六月末には十二兆円となってしまった。その結果は明白である。マネタリーベースが減少してしまい、市中に出回る金が減ってしまったのである。
 また解説を加えれば、マネタリーベースとは、日銀が管理する基礎的なマネ−を指すことばで、市中に供給された現金と日銀当座預金の残高の合計値だ。いうまでもなく、マネタリーベースの伸び率を高めると金融緩和になり、低めると金融引き締めになる。
 マネタリーベースの内訳は、市中に供給された現金が約七割、日銀当座預金が約三割とされる。いくら三割とはいえ、当座預金残高を減らせば、マネタリーベースは減少する。
 したがって、当座預金を減らしたら、その分だけ現金の供給を増やせばいいものを、それを日銀はしなかった。結果的に、マネタリーべースの前年同月比伸び率を見ると、四月は−七・二%、五月は−一五・三%。これは、統計をとって以来最大の下げ幅となった。つまり、五月以降の日経株価の下落は、日銀によるおかしな金融引き締め政策が起こしたものといっていいのである。
 この説は、『円の支配者』の著者であるヴェルナー氏の信用創造論を信奉する森永卓郎氏のものであるが、私もこの説明には賛成である。確認できるように疑いもなく日銀の金融政策には、日本国民の生活を維持向上させるとの目的は全く意識されていないのだ。
 福井総裁のスキャンダルを徹底的に追及して退陣させていかなければならない。(猪瀬) 案内へ戻る


原油高値更新とバーナンキ議長の警告

原油初の七八ドル台と適正価格

 七月十三日夕の時間外取り引きで、ニューヨーク商業取引所の原油先物相場は、中東情勢の緊迫化を受けて急騰し、指標となるテキサス産軽質油(WTI)の八月渡し価格が一時、一バレル=七八・四0ドルをつけた。原油価格は初めて一バレル=七八ドルを突破し、取引中の最高値を更新したが、その後も騰勢は衰えず、一バレル=八0ドルに迫る水準で推移しているとの報道が全世界を駆けめぐった。
 この背景には、イスラエル軍によるレバノンへの軍事攻勢や、世界有数の産油国ナイジェリアで反政府勢力が石油施設を攻撃したことが伝わり、供給不安が増幅したことがある。イランの核開発問題を巡る先行き不透明感も相場を押し上げている一因となった。
 原油市場では、「地政学的リスクの高まりで原油相場への資金流入が加速しており、需給バランスと無関係な相場の高騰が続いている」との声が出ている。産油国側でも「地政学的リスクに乗じた投機資金の動きが原因」(カタール石油相)として、現実の供給体制に問題はないとの見方が多い。
 ただ、米国がハリケーンの季節を迎えるなど供給不安につながる他の要因も控えており、市場関係者の間では早くも「一バレル=八0ドルの節目も天井にはならない」との見方も浮上している。米国ではガソリン価格が高止まりし、個人消費の先行きに対する懸念が強まっている。
 このことについて、七月十五日ワシントンで記者会見したカタールのアティーヤ・エネルギー産業相は、カタールなど石油輸出国機構(OPEC)諸国が市場価格を決めているわけではないと強調し、原油相場は地政学的要因で歪められており、適正価格は一バレル=五0−五五ドルのレンジとの見方を示したのである。
 この発言はいつも通りの発言であるが、このように原油価格は投機資金の流入で大きな変動があることを私たちは瞬時も忘れるべきではないだろう。

NY株二一二ドル急伸

 七月十九日、ニューヨーク株式市場のダウ工業株三0種平均は、米連邦準備制度理事会(FRB)議長発言を受けて、当面のインフレ懸念が後退したため急伸し、前日終値比二一二・一九ドル高の一万一0一一・四二ドルで取引を終えた。
 上昇幅としては米連邦公開市場委員会(FOMC)が開かれた六月二十九日の二一七・二四ドルに次ぎ、今年二番目の大きさである。バーナンキも一息ついたのではないか。
 この背景には、バーナンキFRB議長が議会証言で、米景気が緩やかに減速するとの見通しを示したことで、利上げ休止時期が近いとの観測が台頭したため、買い注文が広がったことがある。
 五月三十一日、ブッシュ大統領がスノー財務長官を退任させ、後任にゴールドマン・サックスで最高経営責任者を務めたヘンリー・ポールソン氏を指名したが、この点を捉えて、「ゴールドマン・サックスのCEO、ヘンリー・“ハンク”・ポールソンが次期財務長官に指名されたあとにこの『バーナンキショック』である。ポールソンが経済を持ち上げたという演出を行うために『一時的に下げさせた』のだろう」「この発言を引き金に株価が下落するように仕組まれていたとみるべき」だとの解説は根拠があったのである。
 前日に上院で議会証言したバーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長は、利上げ休止が近いことを示唆したが、翌七月二十日、バーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長は、注目されていた下院金融委員会で証言し、エネルギー価格の高騰が経済成長の重しになっているとの認識を示した。バーナンキ議長は「エネルギー価格の上昇は、経済を、実際の活動においてもインフレにおいても、著しく悪化させている。われわれには、エネルギー価格をコントロールするすべはほとんどない」と述べた。まさに真実はかく偽る見本だ。
 議長は、これまでにおよそ三倍に上昇していると見られるエネルギー価格が要因で、経済成長がこの数年でおよそ0・五─一%押し下げられたと指摘するとともに「われわれの経済にとって、明らかに問題となっている」と述べた。さらに「他のエネルギー源を検討していくことが重要」とし、原油価格が一バレル一0─一五ドル上昇することで、インフレに「著しい結果」をもたらす恐れがあると警告した。そして同議長は、下院金融委員会での質疑応答において、原油価格が一バレル=七五─八0ドルのレンジで推移する限り、現在のコアインフレ率が全般的なインフレ率の行方を占う上での良い指標になるとの見方を示した。バーナンキは予防線を張りすぎていて何が言いたいかが市場には伝わらない。
 結論として、バーナンキ議長は「われわれにとっての最良の推測は先物市場の動向を見極めることで、それによると、エネルギー価格はほぼ現在の水準を維持することを示唆している」と述べた。なるほどなるほどこの事がいいたかった事なのである。
 このように一息ついたバーナンキ議長は、次は十一月の中間選挙を目指して、中央銀行業務を続けていく。しかし、この間の警告発言に見られるように、今後のアメリカ金融の舵取りには、激しく変動する原油価格を織り込みながら進めていくことになるであろう。
 これこそ、民間が所有する中央銀行の真の役割なのである。デフレファイター・バーナンキ。まさに危機の時の連邦準備制度理事会議長にふさわしい役所ではないか。(直記)


医療をめぐる忌まわしい過去について

 旧関東軍防疫給水部(731部隊)が敗戦直後、進駐軍に対する細菌攻撃を検討していたことが明らかになった。〔ワシントン21日共同〕が報じたものだが、それは石井四郎部隊長の直筆メモの分析によって明らかになったもの。
 皮肉なもので、攻撃を仕掛けようとした進駐軍に拾われ≠ト石井らは戦争責任を免ぜられ、人体実験を行なった多くの軍医師が戦後の医学会で重きをなした。実に忌まわしい過去であるが、問題は、それが断絶した過去でも克服された過去でもなく、現在へと引き継がれていることである。日本の医療をめぐる新旧の二書を紹介し、この問題に迫りたい。     (折口晴夫)

清水昭美「増補 生体実験‐安楽死法制化の危機‐」(三一新書)

 1979年の発行で、私が手にしているのは1993年版を古本屋で買ったものだが、もうとても本屋さんにはないだろう。時は「日本安楽死協会(太田典礼理事長)を中心に、安楽死を肯定し、肯定するばかりでなく、これを法制化する動きが表面化」(安楽死法制化を阻止する会の声明より)していた時期。
 太田氏は「命(植物状態の人間の)を人間とみるかどうか」と言い、別の理事は「社会的不要な生命を抹殺するのはいい」と言う。こうした発想からする安楽死の推進が、どこへ向かうかは明らかである。この系譜のなかに、石原都知事もいる。誰が生きる価値≠フある人間とない人間を選別するのか、傲慢の極みである。
 著者は臨床看護を5年、つまり大学病院で看護婦として働いた時期に、生体実験の実態を目の当たりにした。生体実験が行なわれていたのは未熟児室の一室で、窓はカーテンで閉ざされ、扉には鍵がかけられている。担当の看護婦しか入れないその部屋にふとしたきっかけで入ってしまった著者は、ベットの横たわっている乳児の状態を次のように描写している。
「開けたとたん、ムーンとした甘酸っぱい強烈な臭が鼻をついた。おしめの汚れとミルクに臭気。その中で乳児が寝ている。ベッドの間をぬいながら見おぼえのある顔を探した。どの子も、どの子も鼻からビニール管が入っている。ビニール管は、ミルクの空き缶にたくさん巻きつけられ、それを少しずつ解いて通し続けるのだ。ビニール管は、鼻腔から食道を通り胃に達し、さらに十二指腸から小腸を経て大腸に行き、肛門から出る。これは、医師たちが乳児栄養、特に乳糖代謝とビフィズス菌について研究しているので、腸管内部の液を自在に吸引採取し消化状態を観察するためである。つまり小腸下部の内容を観察しようと思えば、通し続けているビニール管の側壁に小さな穴を開けて飲ませる。そして小腸の下部に達する時間を測定して固定し、内容を吸引するのである」 想像するだけで吐き気がするような恐ろしい実験だが、医師たちは功名心や博士号を得るために、そして看護婦は医師に服従という大学病院の閉鎖された空間のなかで、こうした研究が行なわれてきたのである。そしてその成果として、実験をおしすすめた教授、助教授、講師は××県から第3回科学技術賞を受けた。著者は次のような神戸新聞の記事を引用している。とすると、××には兵庫と入るのか?
「三氏は乳児栄養の研究に専念し、特に人工栄養児が母乳栄養児と同じように健全な発育をとげ、また強い抗病、抵抗性を持たせるため、牛乳成分を母乳成分に近づける生化学研究と同時に、乳児腸管内の生物学研究を行なった。この結果、これまで不可能といわれた乳児の消化機序が明らかになり、幾多の新事実が発見され、乳児栄養生理学が飛躍的な発展をとげている」(1959年10月29日)
 しかし、このような生体実験がいかにして可能なのか。推進する側の動機と体制については前記の通りだが、大学病院は研究第一≠ニいうことでこうした犯罪が合理化されている。もちろん、乳児は泣く以外に訴えるすべがないので、死なせるようなことがない限り問題にはならない。実験によってに乳児が危険な状態になっても、村瀬という医師は次のように居直っている。
「ああ、ありゃ大したことない。こんなんでびっくりしとったらあかん。もっとひどいとこがあるんや。」「T大学のクル病の実験や・・・死んだ子もあったな。あれなんかひどいもんや。まだある、N大学で精神病のものにツツガ虫やっとった。それにK大学の心臓手術。あれも何人か死んどるな。あんなのに比べたら、ここはまだまだええとこや。」「もっとひどいのは、Q大学の生体解剖や。戦争中に捕虜を生きたまま解剖した事件やけどな。こんなんでびっくりしとったら何もでけへんぞ。第一、医学が進歩せえへん。」
 乳児の親はどうしていたのか。この大学の未熟児室は多くの未熟児を救うためという名目で開設されたが、その内実は研究が目的で実験用のモルモット代わりの未熟児を収容する≠スめのものであった。標的になるのは、貧しくて生活保護を受けていたり、預けっぱなしになっている場合などだが、最も酷いのは乳児院から連れてこられた「ゆうれい乳児」である。ゆうれい≠ニいうのは、そこにいないことになっているからである。
 この乳児には「濃厚乳糖のミルクを隔日に多くして実験を重ね」られた。その結果、「下痢、水様の下痢、そして血便とは明らかに腸内に損傷か潰瘍があることを物語る」状態になった。さすがに看護婦は動揺するが、そのときに先ほどの村瀬医師の発言が投げつけられたのである。こうした有様であるから、次のようなことにもなる。
「未熟児室に入院している者のうち、母乳の出る者はせっせと家から運んでもらっている。今朝も出勤前にもってきた父親。昼休みにスクーターで運んできた父親。遠くから国電に乗って持ってきた老人。しかし、それらの母乳は、それぞれの子供に一滴も与えられなかった」「未熟児は研究用のミルクか研究対比のため市販のプレミルクかの二種類に分けられた」「運ばれた母乳は、すべて一つの瓶に集められ、モデル病棟乳児室の母乳実験用の乳児に飲ませていた」
 著者はこの人体実験を止めようと努力をしたが、そうした看護婦は「研究非協力者」というレッテルを貼られ排除された。親やマスコミにその事実を暴露すれば確実に止められたと思うが、おそらくそれは看護職からの永久追放≠ニいう結果をもたらしただろう。この増補版のまえがきで著者は「『医学の進歩のために』の旗印で行なわれた乳児の生体実験の事実を書いて十五年になる」としているが、その経緯はよくわからない。いずれにしても、本書執筆の勇気を讃えたい。

宮坂道夫「ハンセン病 重監房の記録」(集英社新書・本年4月19日刊)

 日本のハンセン病対策の特異性は、絶対隔離、断種、懲罰にあったと言えよう。本書の表題となっている「重監房」というのはその懲罰施設、独房≠ナある。群馬県草津町の国立ハンセン病療養所栗生楽泉園にあったこの施設、正式名称は「特別病室」であったが、患者さんたちは「草津送り」としてこれを恐れた。
「重監房は一九三八年に設置され、四七年まで運用された。この九年間に九三名の患者が収監され、その内一四名が監禁中に死亡した。八名が衰弱して外に出され、まもなく亡くなった。このような数字にも、重監房がどのような場所だったかが表れている」
 それでは、収監の根拠は何か。資料として付されている「国立癩療養所患者懲戒検束規則」(1931年1月30日認可)によると、「懲戒又ハ検束」(第1条)には、@譴責、A謹慎、B減食、C監禁、D謹慎及減食、E監禁及減食があり、監禁は「2箇月迄延長スルコトヲ得」としている。そして減食・監禁は、逃走やその幇助、暴行や脅迫、「其ノ他所内ノ安寧秩序ヲ害シ又ハ害セムトシタルトキ」(第4条)に科せられる。医療施設にしてこの「懲戒検束規定」、故にこれを執行するのは医師などの医療従事者や、療養所職員だった。
 ここで著者が登場させたのが、「救らいの父」光田建輔である。彼は「一面では、ハンセン病医療に検診し、患者を守ろうとする強い自負心にあふれている」。しかし、他方で彼は懲罰権を持った家長として君臨することを当然としている。
「入園者と七十人の職員とが、秩序ある平和な生活を送っていくためには、人間同士の融和が一番たいせつなことである。患者も職員も愛生園の家族である。私が家長となって、おたがいが親兄弟のように睦まじく暮していきたい。だれが治者でも被治者でもない」「ただし民法には子供の行動を誤らせないように、親権を行なう父母にその子供への懲戒権を認めている。同じように愛生園の家長も、患者に対する懲戒権を持っている。民法上の親子のように、それはあくまでも愛情の上にたったものでなければならないと私は皆にいいきかせた」(光田健輔『愛生園日記』)
 しかし、光田のこの大家族主義≠ヘ過酷な強制労働に抗議する「ストライキ」(1936年8月)によって崩壊する。療養所の運営は経費も乏しく、人的資源も不足していた。これを補うものとしてあった患者の強制労働、「患者作業」によって、指先などの感覚を失った患者は外傷や火傷を負い、しかも本人がそれに容易に気づかず、悪化させることが多かった。
「また、韓国の小鹿島更生園では、日本の占領という要素が加わって、より苛酷な重労働が患者を苦しめた。・・・園内に日本式の庭園を造ることになり、巨大な庭石を運ばされた。日本の皇族がうたった歌を刻んだ歌碑を建てさせられ、園長の銅像を建てさせられた。物資を運び入れるための桟橋を造るよう命じられたが、その作業は海水に浸かりながら重い石を積み上げるという苛酷なものだった」
 さて、重監房についてだが、1907年に制定された「らい予防法」は9年後の16年、療養所の所長に対して懲戒検束権を付与するように改められた。そして、さらに15年後の31年に前記の統一的罰則規定が定められた。光田は16年の予防法改正を受けて、次のように述べている。「この一項が加えられたために療養所の気風は一変した。絶えたのではなかったが風潮としての不徳はかげをひそめ、善良な患者がのびのびと各々の善行の萌芽を成長させたので、制裁の制度は秩序を整えるために著しく役立ち、療養所改善に積極的な意義を持つのであった」(光田健輔『回春病室』)
 重監房からの生還者は文字通りのサバイバー≠ナあったがために、多くがその実態を語りえなかった。そのために、本書では収監者への食事運搬や死体の運び出しをした患者の証言が集められている。
「死んだのはほとんど冬のあいだだった。おれは五、六人出しに行った」「板の間に敷きぶとんと一枚にかけぶとんが一枚があるだけ。両手を上げ、干乾しだか凍死だか、干からびた蛙のように凍りついて死んでいる。寒い時は敷きぶとんが下の板に凍りついちゃっている」
 何故こんなことになるのか。独房の周囲には屋根がなく、冬はそこに雪が降り積もり、独房のなかはまるで冷凍庫のようになる。しかも、暖房器具もろくな防寒着も与えない。「二箇月迄」とされた期限も、記録によると最長500日以上、全収容者の監禁日数の平均が130日にもなる。ここに著者は殺意≠感じ取っている。
 男性患者に行なわれた断種は、女性患者には強制的人工妊娠中絶として行なわれた。しかしそれは単なる中絶ではなく、「嬰児殺し」というべきものもあった。
「園内で結婚し、子どもを宿した。妊娠七ヵ月の時、医師に呼び出された。『処置します』。抑制のない医師の言葉に『主人と相談させて』と訴えたが、医師は耳を貸そうともせず、堕胎手術に取りかかった。『あなたに似たかわいい女の子だよ』。看護婦、まだ生きている赤ん坊を見せながら、口をガーゼで覆って窒息させたという。『赤ちゃんは泣くことができず、手足をバタバタさせてもがき苦しみながら死んだ』」(「中国新聞」2001年5月12日)
 本年6月14日、河崎厚生労働大臣が「全国ハンセン病療養所入所者協議会」の代表と面会し、療養所などで入所者の胎児や新生児の標本が発見された問題で初めて謝罪した。療養所の医師らがいかなる意図をもって標本を残したのか分からないが、その悪魔的行為にただただ唖然とするばかりである。
 かの重監房は、「確かに新憲法違反でありますので、ただいま申し上げました特別病室はただちにこれを廃棄してしまったのであります」(1955年1月31日の第7回国会での厚生事務官・久下勝次の答弁)として、あっけなく破壊されたが、誰一人責任を問われた者はない。
 いま、これを復元しようといういう運動が起こっている。ハンセン病・重監房の記録を消させないために、その証拠として、厚生省が悪事を消し去るために破壊したものを復元しようというのである。
 日本の医療に救いはあるのか。医療関係者はどこまで暴走したら止まるのか。今も同じようなことが人知れず、闇のなかで行なわれているのではないか。後を絶たない医療過誤や薬過、問題は真実を明らかにし、その根源を絶つことである。  案内へ戻る


郵政職場より   管理者連中の好き嫌いでどうにでもなる不当な査定制度!

 私は郵便局で働いていますが、先日の人事評価結果(査定結果)に対し不服なので、職場の総務課長に対し「苦情相談申立書」を提出しました。評価は、10項目それぞれに◎、○、△、の3段階評価をされます。
 私は、評価結果の△と○計2項目をそれぞれ○と◎に変更するよう求めました。私が△の評価を受けたのは、窓口での対応が悪いというものです。これについては、事前に私の所属課上司の郵便課長より、私が2回に渡り窓口で切手や葉書を、実際には切手等があるにもかかわらず、品切れと言って販売しなかった、と言われていました。これについては、確かに勘違いして切手を品切れと言ったのですが、すぐに切手を販売しました。もうひとつの、往復はがきを品切れを言って販売しなかったにことについては、私は覚えがないので、郵便課長に「それはいつか教えてください」、というと郵便課長は「複数の役職者からヒヤリングしている」、私「日を特定してください」、郵便課長「確認する」ということになりました。
 その後郵便課長からは、何の話もありませんでした。
 そして、私が提出した評価結果の不服申立書に対する総務課長との話の中で、 結局往復はがきを販売しなかったことについては、総務課長より「事実はなかった」とだけ回答がありました。つまり、ウソだったわけですが謝罪も何もありませんでした。つまり、郵政の管理者連中は、間違えてもあやまるということもしないわけです。それどころか、窓口での対応が悪いのは事実だから△の評価は変えないというのです。
 それともう1つ、私が自己啓発をしていない旨の評価を受けましたので、自己啓発をしている証拠を出しました。職場で配布された通信教育のひとつである行政書士講座です。すると総務課長は、「自己啓発をやっていただくのは自由なんですが、仕事とは関係ないので評価は上がらない」ということでした。
 それに対し私は、「行政書士の勉強でわかったことですが、窓口でお客さんより、お金を返したいが相手が受け取ってくれない。どうしたらいいか?という相談を受けました。法務局またはその出先機関に供託するという方法を伝えました。仕事にプラスになっている」ということを言いました。すると総務課長は、「君はあいさつをしない、と聞いている」、 私「それは誰が言っていますか」、総務課長「答えられない。全員にあいさつしているか」、私「全員にはしていません」、総務課長「それではダメだ」。
 私にあいさつをしないとダメと言った総務課長、郵便課長らは最近あった自身の転勤について、私を始め職場の人へのあいさつをほとんどせずに出て行きました。こんな人間的に腐った連中が、郵政の幹部なのですからまさに荒廃した職場です。不服申立書にたいする結果はまだ出ていません(7月26日現在)が、おそらく評価は変わらないでしょう。
 しかし、異議申し立てを、形で残したことは良かったと思います。今後も郵政の不当な行為とは、闘っていくことにします。   (河野) 


コラムの窓
男女雇用機会均等法の施行から20年−−男女間格差の是正は資本主義的労働の見直しから!


 男女雇用機会均等法の施行から20年、本年6月この法律の改正案が可決された。
 成立した改正男女雇用機会均等法の概要は(1〜4は男女雇用機会均等法関係、5は労働基準法関係)。1.性差別禁止の範囲の拡大 2.妊娠・出産等を理由とする不利益取扱いの禁止 3.セクシュアル・ハラスメント対策 4.男女雇用機会均等の実効性の確保調停及び企業名公表制度の対象範囲の拡大 5.女性の坑内労働の規制緩和女性の坑内労働の禁止について、妊産婦及び作業員を除き解禁。等である。
 内閣府男女共同参画局の「(02年)男女共同参画社会に関する国際比較調査」によると、女性が訴える職場での差別感が、(1982年調査に比べて)下がっているのは、○賃金に差別がある。○補助的な仕事しかやらせてもらえない。○女性を幹部に登用しない。等で、差別感が増えているのは、●能力を正当に評価しない。●昇進・昇格に差別がある。●結婚したり、子供が生まれたりすると勤め続けにくい。等である。
 女性が企業の第一線で活用されてきており、賃金も多少上がってきてはいることが伺えるが、能力の評価や昇進・昇格の差別、結婚・育児での退職がまだまだ多くあるということである。
団塊世代の大量退職や人口減少社会の到来を控え、企業の間では、女性の労働力を掘り起こそうという動きもあり、改正法はこうした企業の要求に応えるためにも、問題点を改善するものとして法制化されたものであるが、パートや派遣など不安定で低収入な雇用に追いやられる女性の比率が増え、正社員との待遇差に不公正感も強まっている現状では、打開策になり得るのか疑問であるし、むしろ、現状追認に終わる可能性大である。
 国連開発計画(UNDP)が、女性の働きやすさなどを指標化した国別ランキングでは、日本は80カ国中で43位。女性がパートやアルバイトなどの不安定で低収入の雇用に追いやられる傾向がますます強まっている。
女性の活用の場はかなり広がったが、働く女性の7割が第一子の出産をきっかけに離職している現状では、家庭責任をほとんど分担しない男性と同じ働き方のできる女性に限られたものといえる。 
 家事も育児も担う女性が、男性と同じように働き続けるには、かなりの苦労を伴う。いくら企業が子育て支援を充実させても、恩恵を預かれるのは、もはや5割ほどしかない女性正社員の、その又一握りでしかない。
 企業は安価な労働力を求めて、正社員の比重を低め、派遣社員やパート・アルバイトの採用比重を高めている。安価な女性労働者の雇用拡大は企業にとっては望むところであろう。
 利潤追求のために絶えず安価な労働者を求めるのは資本の本質的な要求である。資本の搾取強化、差別を利用した低賃金政策との闘いは、男性を含めた労働者全体の労働の在り方や働き方の見直しが必要である。そしてその結果が、女性労働者の活用の正否を握っているといえよう。 (光)


昭和天皇「A級(戦犯)を合祀に不快感」の報道に関して

 七月二十日日経新聞朝刊でのスクープとマスコミ他社の追加報道以来、保守陣営では、この天皇発言メモを巡って真偽論争が巻き起こっています。頑迷固陋の櫻井よしこ氏や岡崎久彦氏らの「この発言は天皇のものでない」との言動や解説は実に見苦しいの一言です。そして、ついには破廉恥極まりない東条英機の孫娘由希子の登場と「一旦合祀されれば分祀出来ない」との発言も紹介され、反靖国の私などには全く呆れ果てた展開です。
 そのことから、今回の暴露された天皇発言メモの保守陣営に与えた影響の重大さが理解できます。共産党は、この発言の真偽については、真とし一切疑いは抱いていないようです。天皇に「親の心子知らず」と批判されたのは、合祀を強行した靖国神社の松平永芳宮司です。
一般にはあまり知られていない松平氏については、藤原肇氏が、0五年十月出版の『小泉純一郎と日本の病理』において、実に適切かつ辛辣な批評をしております。長くなりますが、靖国神社公式参拝の意味やA級戦犯合祀の経過の参考のために紹介します。
 まず藤原氏は、小泉総理大臣の靖国神社参拝を、「『靖国神社公式参拝』は外交政策の転換を意味する」と明確に批判しています。なぜなら、一九八五年に中曽根総理が公式参拝したことに対して巻き起こった中国や韓国からの抗議に対して、時の後藤田正晴官房長官は、「靖国神社はA級戦犯を合祀していることもあり、近隣諸国の国民感情を総合的に考慮して、公式参拝は差し控えることにした」と公式発表した経過があるからです。したがって、小泉首相や閣僚が、国外に向けて、内政干渉と主張すること自体、彼らが歴史の重さを知らないものだと切って捨てています。まさに適切な評価ではあります。
 藤原氏は、靖国神社を、通常の神社、つまり「延喜式」にある由緒ある産土神社ではなく、一種の軍人の新興宗教といえる存在であり、日本の伝統的な神道の系譜からさえも逸脱していると主張しています。私にいわせれば、庶民の信仰の対象ではなく、極めて政治的な国家神道でしかないのです。この違いが明確になっていない議論が多いので、靖国神社には、戊申戦争で死んだ幕府側の戦士も西郷隆盛や明治天皇に殉死した乃木希典も、さらに今次大戦で空襲で死亡した大多数の人々や日本の植民地だった人々は合祀されていないとの核心を押さえておくべきでしょう。ここを見れば、靖国神社が単なる戦没者の慰霊のための神社ではないこと分かります。民主党の小沢党首でさえ、A級戦犯について、「靖国神社は戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則であり、本来、この人たちは祀られる人々ではない。彼らは英霊に値しないと考えている」と原則を踏まえた発言をしていることに注目しておくべきです。
 また七月二十七日、天皇不快発言についての朝日新聞の取材に応じて、東京裁判でA級戦犯として唯一人の民間人として起訴・処刑された広田弘毅元首相が靖国神社に合祀されていることについて、孫の元会社役員・弘太郎氏が、「広田家として合祀に合意した覚えはないと考えている」と元首相の靖国合祀に反対の立場であることが明らかにされました。靖国神社は、遺族の合意を得ずに合祀をしていたのです。このことは処刑された東条英機元首相らA級戦犯の遺族の中で、異議を唱えた遺族は極めて異例のことでした。
 ついでに詳しく紹介しておけば、弘太郎氏は広田元首相の長男・弘雄氏(故人)の長男で、六人いた元首相の子は、全員他界しています。A級戦犯が合祀された七八年当時について、弘太郎氏は「合意した覚えはない。今も靖国神社に祖父が祀られているとは考えていない」と話しており、靖国に絡む彼の思いは「広田家を代表する考え」としています。
 このように広田元首相は処刑された七人のA級戦犯のうち唯一の文官で、外相当時に起きた三七年十二月からの南京大虐殺で、残虐行為を止めるよう閣議で主張しない「不作為の責任」等が問われましたが、他方軍部の圧力を受けつつ終始戦争に反対していたとの評価もあり、オランダのレーリンク判事からは「軍事的な侵略を提唱した日本国内の有力な一派に賛同しなかった」等、元首相の無罪を主張する意見書が出されていました。
 広田家の菩提寺は故郷の福岡にあるが、遺族は元首相の遺髪を分けて鎌倉の寺に納め、参拝しているとのこと。五五年四月、旧厚生省は横浜で火葬されたA級戦犯七人の遺灰を各遺族に引き渡そうとしたが、広田家だけは受け取りを拒否しました。さらに弘太郎氏によると戦犯遺族でつくる「白菊遺族会」にも参加していません。弘太郎氏は「靖国神社に行くことはあるが、国のために亡くなった戦没者を思い手を合わせている。祖父は軍人でもなければ、戦没者でもない。靖国神社と広田家とは関係ない」と発言しております。A級戦犯遺族にもいろいろあり、広田氏の遺族は広田氏の遺言に忠実な家族なのです。
 この事について、靖国神社広報課は「広田弘毅命に限らず、当神社では御祭神合祀の際には、戦前戦後を通して、ご遺族に対して御連絡は致しますが、事前の合意はいただいておりません」とのみ答え、破廉恥にも平然としているのです。
 続いて、「なぜ日本人自身によって戦犯の追及をしないのか」の見出しを付けて、藤原氏は、以下のように述べて私たちに注意を喚起しています。
 「靖国神社を政治的に使った人物としては、一九七八年に第六代宮司になった松平永芳がいる。彼は松平恒雄駐英大使の長男であり、海軍機関学校を出て海軍に任官し、戦後になって自衛隊を一佐で退官して、宮司になるとA級戦犯の合祀を独断で密かに実行した。この合祀強行を知って激怒した昭和天皇は、それ以降は大祭への参拝を中止してしまい、皇室と靖国神社の関係は険悪になっている。
事実、天皇家は靖国神社について一切口をつぐんでいる。松平宮司は東京裁判を否定する集団の指導者であり、自衛官時代に皇太子(現天皇)の自衛隊視察を申し入れた。だが、それが実現しなかったことを遺憾に思い、クウェーカー教徒のバイニング夫人に皇太子が学んだので、皇室がキリスト教に寛大だと逆恨みしたと伝えられている。だから、『高松宮日記』が発見されたと知って、それを焼却処分するよう高松宮紀久子さんに圧力をかけたし、皇太子が英国に留学する話を聞いたときには、渡航に対し文句を言ったことが語り草になっている」さらに藤原氏は、知覧の特攻隊記念館において、小泉総理が号泣きしたことやブラジルでも号泣したことを世界で写真報道され「泣き男」として有名になったこと、特攻隊は自暴自棄の「自爆テロ」であり、これを殉死と賛美することは狂気の礼賛であると批判しました。実際、ろくな訓練も受けずに出撃した彼らは「七面鳥撃ち」と呼ばれるほど惨めにたたき落とされました。戦争目的も戦争計画もなく闘ってしまった日本の悲劇でした。
 「そうしたことを思うと、こんなデタラメな戦争を指導したことに対して、日本人自身によって当時の政治家や軍の幹部の責任が、なぜ追及されなかったのか私には不思議でならない」と藤原氏は結びました。まさに問われているのは、天皇の戦争責任であり、天皇がその点を明確にしなかったが故に日本の指導者からは一切の責任感はなくなってしまっのです。また結城純一郎こと小泉レイプ事件も暴露した藤原氏の本は一読すべき本です。
 この藤原氏の主張と一部重なる言動をしているのが先に紹介した民主党の小沢党首です。彼は、「当時の国家指導者たちは、外国から言われる以前に、日本国民に対して戦争を指導した重大な責任を負っている。彼らは220万人の同胞の命を奪い、また、明治以来築き上げてきたあらゆるものを失わせしめた。しかも戦争中、一般の国民・将兵に対して『生きて虜囚の辱めを受けず』『死して悠久の大義に生きろ』と教え、特攻や自決を強要した。沖縄やサイパンでは多くの民間人まで自決している。その張本人たちが、おめおめと生きて『虜囚の辱めを受けた』うえ、不名誉な戦争犯罪人として裁かれた。とんでもない話だと思う。国家指導者としての責任感、使命感のなさに激しい憤りを感じる」とまで発言し彼らを糾弾しています。実際、これらの指導者は、「言うは易く行うは難し」の格言すら知らない破廉恥漢達です。その筆頭が、逮捕を恐れてピストル自殺を試みたものの死に対する恐怖感から、惨めにも失敗して東京裁判に引き出されてしまった東条英機その人です。付け加えておけば、「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓は東条の起草です。
 先に見た広田氏の家族とは対照的で、現在最大の破廉恥漢はと言えば、テレビに登場してまで分祀に強硬に反対している孫娘の由希子です。その東条自身が「一切語るなかれ」と家族に遺言したにもかかわらず、その禁を破ったのですから。これらの主張と今回日経や朝日・毎日等がスクープした「天皇不快感」記事とを比べて見ると、「歴史的な事件だ」と大新聞が騒いで報道したものの内実が、いかに浅薄で発言の表層に留まったものであるかは一目瞭然です。ともあれ、公式には秘められているのですが、皇室とキリスト教との関係については、確かに大きな秘密があるようです。そもそも皇室はなぜ二代に亘って、キリスト教と関係が深い学校出身者と結婚しているのでしょうか。この点については最近出版された『天皇のロザリオ』にそのヒントが隠されているようです。天皇に批判された松平宮司の行動もこうした皇室の動きと全然無関係ではないのかも知れません。  (S) 案内へ戻る


 当世大阪人かたぎ

 都市での消費ばっかりの生活に嫌気がさしてうんざりしていた時、毎日新聞の企画で白浜へ梅酒つくりのツアーに参加。日帰りでたいした費用もかからなかつたという条件もあつて。
 白浜というところは、何でも昔から日本列島の三大温泉地の一つということで、漁港もさることながら、温泉に付属した目玉の産業として梅の栽培とその加工品、つまり梅干が代表的なものとしてあるようだ。
 午後に梅林へ向かい、梅の実をもぎつて用意された作業場で梅酒を作った。帰りのバスでオシヤベリを聞いているだけで面白い。
 梅林に向かうバスに当地の梅″に関わつている青年が乗り込んできて、梅の説明を聞いた。管理上に限ってのことだがグチも聞いた。大阪へ向かうバスの中でのオツサンのおしゃべり、大きな梅の実は地の人が先にもぎつて売っとる(私どもが決められただけの量の梅の実をもぎつたが、それ以上に欲しければ売ってあげる、と梅林の入り口で見のがさなつかったのだろう)もぎつた後の小さなヤツをわしらにもぎらせるわけや″と決して簡単に有難がらない。
 せこい″ことやるな、と言いたげだが、その反面地に落ちてる梅の実がカワイソウで捨てきた″と言う。どれだけ拾ったかは問わないとして、中西れい氏の言うソクインの情〃ということらしい(中西れい氏はこれを武士道″としたが、私は死″を底にした生き方を武士道″とみているが)。これがいわゆる阪神ぐるいの源であるとも言えそう。 省略
 私ごとながら、大阪産であつても大阪とは縁遠かつたので、浦島太郎の大発見の如く、商売の街の人である故にか十分に計算高い。しかし他方、全く違った心の働かせ方、かわいそう″とかあわれ″を落ちて朽ち果てる梅の実に寄せるというが、なにくそない大阪のオツサンであつたことは驚きであつた。 省略
 中国の古典を引っ張り出してきても、このオツサンのコトバの中にあるズケズケいう不遜なまでのものいいと、朽ち果ててしまう落ちた梅の実によせるほのかな涙″に近い情緒との混在する、目の前の生身のオツサンを捉えきれないように思う。この両面をいしょくちやに声高に言えるのはええことだし、言論の自由″と大上段にかまえなくとも、日常の延長のモノつくり旅の中にも転がっていると思った。コトバは、さらに、すべてを表現しきれないもの、とさえ思わざるを得なかった。 省略
 さて、本題の落ちた梅の側からのコトバ非情の世の中、人間ども″ということになろうか。人間どももこれを笑う者と笑えない者とに大まかに別れるようだ。笑わないともたないともいえるが、笑えないものが詩″といえようか。笑えない重たい滓みたいなのを詩神″といいかえれば、これがかき消されそうで、虚飾の軽やかながらウエハースのように歯ごたえのない、ノドに通りやすいお祭り騒ぎのオモチャのようなものが、いわゆる文化″であるらしい。美空ひばりのお祭りマンボ″の最後のくだりの空虚さと同じような感じ。維新前のええじやないか″の踊り狂う風潮にも似てはしないか。
 結論めくが、空間的にであろうと、己れの中においてであろうと、見出した居場所に長く居つづけると、安易で居心地よくとも腐敗が始まることに留意しないと、思う。それでも居直って生きるとする他ないならば、それが当世の悲喜劇とでもいおうか。
 芭蕉さんはさすが。旅にやんで夢は枯野をかけめぐる″とか、上の句は忘れたが鼻の先だけ暮れ残る″と。余生を生きる故か、こうした句型の辞世の句に惹かれるが、なにも芭蕉さんならずとも戦後すぐの傑作と思うけつたたいな人々″。映画の中で、この歌を歌わんと死ねん″と、私のラバさん酋長の娘…″を歌って、コテンと死んだ復員兵の最後を演じた故殿山泰二さんの歌は、芭蕉さんの辞世の句に匹敵するものとさえ思う。人間くさくはあるが。
 鼻の先だけ暮れ残゛って生きつづけたのを演じたのは、渥美清氏であったろ。さらに現在、アフリカの世界的なまなざしで、日常からもったいない″を発信する女性、マ一夕イ女史は、日本の近代化が失ったものを拾い上げて歩もうとする(それが違った近代化の道であるかも知れない)かのようだ。願わくば、戦場の犬″のフォートにも、また黒沢氏が夢″の作品の中の一つ、戦争責任をバクヤクを背負わされた伝令″の役割を担った軍用犬の亡霊が、決して司令くだしてた上官を許そうとしなかったことを思い返したい。
 私もいまだに自然と人間のハザマで犠牲となっていく生き物の姿と、かつて葬り去られ、あるいは処分されてしまった吠えない生き物、死して吠えつづける生き物の姿と重ね合わせて見つづけたいと決めている。目だけ暮れ残る″というところか。   


 ある100円ショップでの出来事

 ファイルを買いに100円ショップへ行った。大の男が2人、血相をかえて言い争っている。なんでも万引きしそうだとかで、とがめているのは店員さんではない、太ったオッサン。店員さんはまばらで、責任者は見えず、女店員さんが多く、ただ呆然としている。
 年かさの、とがめたかの男性が「警察を呼べ」と、一方が「警察なんか呼んだら、オレ引っ張られる」と。まあなんと正直な人だろうと思いながら、たとえ万引きしたとしても100円ショップでのことで、TVで見る強盗さんのようでもなく、細っこい男で、ただカッカしている。
 もともと野次馬根性の強い私のことで、「けんかやるなら表通りで派手にやりなはれ、みんなが見てて大岡裁判するよ。おっさんも男なら、すぐおまわり呼べというなよ」と言った。年かさのはさすが黙ったが、とがめられた細いのがなおイキリ立って私に「ようナメたこと言うな」とつっかかってきた。腹立てば、相手が男であろうとおばあであろうと、この点だけは平等? 対等? かと変な気がした。
 「つかまるがな」という細いのに向かって、「負けるが勝ちということもある、逃げなはれ、どっちもどっち」と買い物する方に向かった。帰ろうとすると、おまわり3人か4人もやってきていて、当の2人を引き離し、別々に調書をとっていた。一本釣りとか別個に調べるとかはよく使う手。
 この暑いときに制服着てピストルさげて万引き未遂、しかも100円ショップでの諍いにやってくるとは、ご苦労なこったと思う。反面、誰も仲裁にも取り巻きもせず無関心、無表情で、ケンカする双方がまだ人間くさく、口げんかなら放っといたら疲れておしまいになるだろうが。
 昔、けんかっぱやい東京下町ではエノケンさん、名優であったばかりでなく、少々畏敬の目で見られていたお人のようで、もっと大きなケンカでもお回りさんの御出動にならずとも治まったとか。国際的にもドンパチの起こっているところも火を噴いている所もあり、いつも逃げ惑うのは一般の人々。
 一体、それぞれの国家というものは、どの国民をも痛めつけないためにあらゆる努力をするものであろうし、外交とはそういうものであろうが・・・。大は国家間、小は100円ショップの万引き? かどうのこうのと睨み合い、それほどにすぐに頭にくる時代に至る。おまけに災害を蒙るところ、天変地変自分さえよければいい≠ニいうのからは、早く抜け出したいもの。
 不当な扱いならば異議申し立ては誰にもある権利≠ェ保障されていれば、状況も変わるだろうに。そうでないから事の大、中、小の歪んだ争いにまで発展しかねない。帰り際にお巡りさんに、「藤田まことの『はぐれ刑事純情派』見てはる? あれおもしろいよ」と言って去った。おまわりさんたちは、TVも見ていないらしいがこんな事柄に4人もやってきて、「調書」であろうか書き付けているし、型通り。
 暑いし頭にきたらピストル下げているだけに、えらいこった。私も発狂しそうによくきれるが、口だけ達者。対話できぬというのは、ある意味で文化≠持たぬということもあろう。歴史的にも見放されてきた沖縄にみんなが持ち得た文化=Bなぜ? と文化の発生を沖縄に学ぶといいと思う。沖縄の文化≠フ中に平和と共生≠フ思想がこめられているのであろうそんな沖縄が怒るときは本当の怒りで、コワイゾ。
2006・7・19 宮森常子


色鉛筆−目標達成? 営業なんてやってられない

 雨が続いた7月後半、職場では毎朝その日の天候が話題にのぼります。カタログの郵便物が増えカゴに盛り上がるように積んだ自転車は、雨になれば郵便物を濡らさないことはもちろん、滑らないように運転に気を配らなければなりません。局の管理者は、配達だけで精一杯という、私たちの現場状況を的確に把握することなく、次々と注文をつけてきます。
 4月に人事異動があり、転任してきた第一集配課長は顔を覚えるまもなく、7月初めに退職しました。たった数ヶ月の仕事と、本人は割り切っていたのかもしれませんが、ボーナス欲しさと聞けば何か打算的と感じてしまいます。ついでに、局長も入れ替わり、目標達成!を叫んでいるとのことです。
 そんなわけで、私たち4時間勤務の非常勤にまで、営業を押し付けられる破目になりました。暑中見舞い用の葉書・かもめーるを配達時に携帯し、書留などで訪問した家に声かけをするというものです。試しに10軒ほど声かけをした同僚は、努力の甲斐もなく1枚も売れなかったと消耗していました。
 そもそも、葉書が必要な人は、近くの特定郵便局で買い求めるでしょう。余程の過疎地なら、家まで営業に行くことは価値があるかもしれませんが。目標達成のために、本業である配達がおろそかになるかもしれません。そうなったら、また責任を取らされるのは配達した本人という訳です。
 最近では、書留かばんの自己点検の用紙まで作られ、書留の領収書入れの活用のチェック、紛失防止のためのカバンの位置まで指示するという念の入れようです。聞くところによると、職員は昼休みも十分に取れない労働実態だそうで、その悪影響で誤配や紛失が起こるのは間違いありません。自己チェック以前に必要なことは何か、マニュアル重視の管理者の方々では当分気付くのは無理でしょう。
 ところで、内部向けにカラー版で「民営化週報」というチラシが出ています。8月上旬には職員の民営化後の帰属会社の決定資料、非常勤の雇用に関する資料が掲載されるそうですが、読んでる人がどれほど居るのか疑問です。ただ渡されるだけで何の説明もない週報ですが、費用がどれほど掛かっているのか気になるところです。
 「民営化によって、市場でしっかりと評価され、今まで以上により良いサービスを提供してお客様に喜んでいただくためには、・・・」 (民営化週報32号)という、お客様は神様ですと言わんばかりの主張に、現場の労働者は日々、振り回されているのが現状です。過疎地のお客様を排除して成り立つ郵政民営化とは何か、営業よりも大事なことを忘れてはいませんか?     (恵) 案内へ戻る