ワーカーズ336-337合併号 07/1/1        案内へ戻る

大企業減税・大衆収奪、労働法と憲法の改悪を許すな!
格差拡大、戦争国家化に、労働者の自立と連帯に基づく社会変革を対置しよう!



 昨年は、教育基本法が改悪され、防衛庁が省へと格上げされた。労働者は、いやでもそのつけを支払わなければならない。この二つの悪法が、今後どう実施されていくか、私たちは厳しく監視していく必要がある。
 スキャンダルを暴露された阪大の本間教授は、労働者への置きみやげを残して政府税調会長を辞任した。政府の07年度予算案は、政府税調の方針通り、大企業や金持ちへの減税を押し出した。大企業向けの巨大公共投資も、名前を変えて継続されようとしている。その穴埋めは、生活保護の母子加算の削減、雇用保険への政府支出の削減をはじめとする社会保障・福祉の切り捨てによって行われようとしている。その極めつけは、7月の参院選後にも浮上してこようとしている消費税の税率アップだ。
 政府の規制改革・民間開放推進会議は、労働・保育・教育など11分野での規制改革を盛った最終答申を発表した。労働の分野では、ホワイトカラーエグゼンプション制度、つまり長時間労働の野放し、サービス残業の奨励策を導入せんととしている。保育の分野では、民間的手法のいっそうの活用を謳っている。教育分野では、学校選択制、教育バウチャー制度の導入、要するに学校間格差の強化、予算の差別化がもくろまれている。
 多くの若者が年収150万円以下という生活を余儀なくされている。一生懸命働いても生活保護費以下の賃金、仕事を二つ三つ掛け持ちしても生活が成り立たない労働者。老後の保障どころか、今日の生活さえおぼつかなく、病気になっても病院にもかかれない働く仲間が増大している。
 労働者が追い込まれているそうした状況も、これまでは「勝ち組・負け組」という安直なレッテル張りとともに社会に受容されられてきたかに見えるが、これからはそうはいかない。労働者の中に渦巻く不満は、ワーキングプアの社会問題化、ホワイトカラーエグゼンプション制に対する保守系メディアからさえの批判等々の形で、社会を徐々に動かしつつある。
 疑問や不満を、より明確な批判と抗議に発展させていかなければならない。資本からの労働者の自立を促進し、自立した労働者の連帯を強化し、格差社会=階級社会の克服に向けた闘いを発展させていこう。   (阿部治正)    


“帝国”から“嫌われ者国家”へ――力の過信がもたらした覇権国家の失墜――

 あの9・11米国同時テロを期に、唯一の超大国として“帝国”秩序の確立をめざして世界の再編をもくろんだブッシュの米国の失墜が止まらない。湾岸戦争からイラク戦争へ突き進む中、唯一の超大国として覇権を欲ししままにしてきたブッシュ政権は、いま八方ふさがりのレイム・ダック状態に陥っている。
 9・11の報復戦争として始まったアフガン侵略とイラク戦争で圧倒的な軍事力の威力を世界に見せつけたブッシュの米国は、その思惑とは似てもつかないテロの拡散と新たな宗派対立を呼び起こし、今ではドロ沼状態のイラクから何とかして抜け出す方策を模索しながらも出口戦略を描けないでいる。
 イラクだけではない。ブッシュ政権が“悪の枢軸”とレッテルを貼りつけ、イラクのフセイン体制と共に打倒の対象としたイランと北朝鮮は、米国による封殺の圧力をかいくぐって核保有の既成事実を手にしようとしている。
 世界の軍事費の半分を握り、その他に巨額の派遣費用をつぎ込んでもなおかつイラクから逃げ出すしか選択肢が無くなった唯一の超大国。結局は力への過信は凋落への扉をこじ開けただけだった。

■“帝国”秩序

 21世紀の幕開けを告げる2000年、「〈帝国〉が、私たちのまさに目の前に、姿を現している。」という冒頭の言葉から始まるアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著『帝国』が出版された(日本語版―2003年)。それはまさに冷戦構造の崩壊から生み出された新たな世界秩序を暗示するキーワードになった。
 当時の世界は91年のソ連の崩壊で世界に並び立つ国が消え、ソ連と覇権を競った米国が“唯一の超大国”として残された。その直前、父ブッシュ政権が91年の湾岸戦争で圧倒的な軍事力によってフセインのイラクを叩きつぶしたことで、“唯一の超大国”として米国が世界の君臨する姿は誰しも受け入れざるを得ない世界の現実だった。
 そのブッシュ政権の跡を継いだ民主党のクリントン政権は、唯一の超大国の力をどう発揮すべきか探りあぐねていた。
 が、01年に発足した子ブッシュ政権は、発足直後には“やさしい保守主義”を掲げていたにもかかわらず、その直後の9・11の衝撃でむき出しの力を振りかざした。いわゆる“帝国”の出現である。
 当初のネグリ・ハートの定義からすれば、その“帝国”とは、資本のグローバリゼーションを背景として成立した個々の主権国家の力が縮小した超大国を頂点とする資本による単一の世界秩序そのものを捉えたものだった。それが言葉の一人歩きもあって、超大国の米国による一国支配という理解が広まった。言い換えれば、かつての帝国主義が植民地支配をテコとする覇権争いだとするのに対し、“帝国”とは従属的国家群を植民地化しないまま非対称の力関係にもとづいて自国の影響下に置く超大国を指す言葉になった。いわば米国の代名詞である。
 仮に“帝国”を後者のように理解すれば、01年から昨年までのブッシュの米国は、まさに“帝国”そのものの振る舞いによって特徴づけられる。
 ちょっと思い出してみたい。あの9・11直後のブッシュ政権は、世界に向けて「米国の敵か味方か」という二者択一の選択を突きつけることでアフガンへの武力攻撃に世界を動員した。いち早くブッシュ支持の「ショー・ザ・フラッグ」を催促されてそれを忠実に実行した小泉首相を始め、当時のアーミテージ国務副長官から「爆撃され、石器時代に戻る準備をしておけ」と脅迫めいた言葉で米国に協力するよう圧力を受けたパキスタン、その他世界の多くの国が米国によるアフガン攻撃に荷担した。それはちょうど力を振りかざす超大国に、弱小国家群が群れなして追随する“帝国”秩序そのものだった。

■ドロ沼のイラク

 さらに思い出してみたい。
 9・11直後の米国によるアフガン攻撃は、たしかに同時テロへの報復という側面があった。たとえそれに至る過程でアルカイダなどテロ組織の策動を利用した米国の中東支配の思惑があっても、だ。だから中ソこそ軍隊を派遣しなかったが、多極化世界を模索していた仏独も米国に同調して派遣に踏み切った。
 その勢いに調子づいた米国は、とんでもない計画、すなわち中東の属国化の野望に突っ走った。米国はアルカイダをかくまったという理由でアフガンを軍事攻撃し、タリバン政権を崩壊させるだけでは終わらず、しゃにむにイラクへの軍事攻撃に突っ走った。
 このイラク攻撃の直接的な口実は、フセイン政権による核兵器など大量破壊兵器の開発・隠匿やアルカイダなどテロ組織への支援だった。とはいえその根っこには、いわば中東諸国家の衛星国化を実現することで米国の一極支配を揺るぎないものにしたいという、いわばネオコン戦略と結託したブッシュ政権の“世界戦略”があった。建前として語られたのが中東の民主化だった。ところが本音としてはイラクでの衛星国家づくりを突破口として、やがてはサウジアラビアなどの独裁国家をも米国の衛星国に造り替えるという、この“世界戦略”が“とんでも戦略”だったことは今では衆目が認めるところだ。
 いうまでもなく当時のイラク攻撃の場面では、こうしたネオコン戦略による米国の中東支配の野望は見え透いたものだった。さすがに世界の石油基地支配に直結するこの野望は各国の利害ともろに衝突し、中ソはもちろんフランス・ドイツなどの抵抗に遭遇した。そもそもそのフランスやドイツは自国のエネルギー利権に加え、米国による一極支配に対抗すべくEU(欧州連合)に軸足を移すことに自信をつけ始めていた時期だった。だから米国一極支配秩形成への野望に対するそうした諸国の抵抗を、圧倒的な軍事力の行使によって正面突破しようとする米国の思惑はある種の賭でもあった。振り返ってみて、そうした米国に対するフランスやドイツなどの“主権国家”の抵抗を可能にしたのが、世界で巻き起こったイラク侵略反対の全世界での反戦行動だったことは銘記しておくべきだろう。
 現実のイラクはといえば、中ロや仏独以上に米国の野望の前に立ちはだかったのがイスラム世界の反発だった。今では米軍への攻撃やテロあるいは武力衝突は、アルカイダというよりもイラクの反米武装組織によるものが多い。その中心はフセイン残党を含むスンニ派武装勢力、あるいはシーア派民兵組織によるものだ。いってみれば米国の軍事占領と傀儡政権による間接統治の最大の産物は、スンニ派やシーア派といった宗派抗争のタガを外してしまったことだった。米国によるイラク戦争は、軍事攻撃とテロの悪循環、テロの核酸と宗派間抗争という、戦争前の懸念が現実のものになってしまったということである。

■“シーア派の弧”

 ことはイラクにとどまらない。
 ネオコン路線に乗ったブッシュ政権による中東民主化戦略――中東支配のもくろみは壮大な失敗を余儀なくされつつある。中東の衛星国化は夢のまた夢、現実にはイラクだけではなく、アジアから北アフリカにかけての“不安定の弧”のまっただ中でイランからイラクへ、さらにはシリアを挟んでレバノンに至る“シーア派の弧”を生み出しつつあるのが現実だ。それもこれもイラク戦況の泥沼化が原因だ。
 ブッシュ大統領が“悪の枢軸”の対象国として政権崩壊の標的にしたイランは、孤立して崩壊するどころか、イラクにシーア派政権が生まれたことで逆にお隣に兄弟国が生まれる僥倖に恵まれた。これは米国がフセイン体制の打倒に突っ走った当初から指摘されていたことである。というのは、少数派のスンニ派支配のフセイン政権を倒せば、米軍の占領統治下の選挙で生まれるのは多数派のシーア派政権以外にないからだ。かつてはイランのホメイニ政権を倒すためにイラクのフセイン政権によるる対イラン戦争にてこ入れした米国だが、イラク戦争は結果的にはイランとつながるシーア派国家を拡大したわけだ。遠大なる“米国の世界戦略”とはかくのごとし、という格好の見本になった。
 ことはまたイランにとどまらない。
 ブッシュ政権はイラクの反米武装組織幇助の疑いで、武力行使の脅しをもってシリアへの締め付けを強化するとともに、レバノンへの不当な政治介入を理由にシリアの子アサド政権の孤立化に一旦は成功しかけたように見えた。しかしイスラエルとレバノン侵攻とヒズボラ(シーア派民兵組織)の抗戦、あるいはイラクの混迷状況で、そのシリアの存在が復権しつつある。というのも、イスラエルとレバノンのヒズボラの間での武力衝突を期に、レバノンでのヒズボラの力が侮れないものと顕在化するに至り、そのヒズボラへの影響力が期待されていること、あるいはイラクのスンニ派武装勢力と米国との間に立つシリアの存在が浮かび上がってきたからだ。そのシリアはスンニ派が多数派のバース党政権だ。イラクのスンニ派武装勢力を何とか取り込もうとする米国にとって、シリアの協力はそれでも多少の力にはなる。現にシリアはこうした背景もあって昨年10月にイラクとの外交関係を復活している。
 今では米軍兵士の犠牲者が増える一方のイラクの泥沼から少しでも早く退却する以外に選択肢が無くなった米国は、イラクのシーア派への影響力に期待してイランとの直接対話の可能性も浮上している。同じようにシリアも米国の対イラク工作に組み込まれることになるだろう。こうして当初の野望とは裏腹に、“悪の枢軸”はシーア派政権の拡大という意味においてイランからイラクを経てシリアを挟んでレバノンにまで拡大するというパラドックスをもたらしつつある。
 そのイランをめぐっては、米国を中心とした国連安保理での制裁が決議された。いうまでもなくイランの核開発に直結するウラン濃縮を阻止するための技術的・人的支援の停止という制裁だ。しかしこの制裁を含むイラン包囲網は、原油価格の上昇もあって尻抜けで実効がない。ロシアが絡んだ原発施設の建設や、中国がらみの天然ガス開発案件が除外されたからだ。米国の締め付けはイランにとって実害の小さいものばかりだ。それだけ米国のヘゲモニーは地に落ちてしまった。
 それはそうだろう。“悪の枢軸”のレッテルを貼られたイランが、イラク・シーア派政権への影響力の行使を、レッテルを押しつけた当の米国から期待される存在になっているのが現実だからだ。これは中長期的には米国への対抗国に台頭するとして最大の警戒を解かない中国を、北朝鮮の核開発放棄を目的とした6者協議では議長国として期待するしかない、という関係とさほど違わない。
 当のイランは、国連による経済制裁決議をあざ笑うかのように、国連決議直後に今年中(イラン歴で07年3月20日まで)に核エネルギーの保有国になるとの声明をだした。実際、このままいけば数ヶ月後にもイランは核エネルギーを手にすることになる。米国は核施設などへの部分的先制攻撃は可能だが、事後の成算なくしてそうした冒険策は事実上とれない。米国が重視する核不拡散体制はまた一歩、形骸化が露わになった。

■核実験を許した“対話せず”路線

 先ほど触れた北朝鮮の核開発をめぐる「六者協議」についても似たような状況だ。
 米国は最近まで北朝鮮との直接対話を拒否する姿勢は変えておらず、北朝鮮はその間隙を縫って「六者協議」が中断している合間に核実験を強行してしまった。ブッシュ政権は、北朝鮮の核保有をあれほど嫌い、核実験というレッドゾーンに突き進めば武力攻撃もあり得るとしていたにもかかわらず、そのレッドゾーンは難なく突破されるという失態を演じてしまった。ブッシュ政権は、北朝鮮とは交渉せず、圧力を加えるのみ、という強硬姿勢で自ら選択肢を狭め、結局イラク問題がネックとなってずるずると北朝鮮の核実験と核保有を許してしまったわけだ。
 それでも一端手にした核兵器を放棄させる糸口を見いだすべく年末のクリスマス前に急遽「六者協議」の再開にこぎ着けたものの、実質的な進展は見られなかった。逆に北朝鮮はゼロ回答ともいうべき強硬姿勢を貫いた。これも金正日がレイムダック化しつつあるブッシュ政権の足元を見てのことだろう。
 米国はイラクの泥沼から抜け出せないままで、北朝鮮を軍事攻撃するオプションは事実上閉ざされている。そうした中での“対話せず、圧力を掛けるのみ”という硬直した政策は、結局は北朝鮮の核実験を許す結果となった。北朝鮮を限定攻撃する選択肢は残されているが、イランと同じように現実の問題として困難だろう。ここでもブッシュ政権の失態は明らかだ。

■レイムダック化するブッシュ政権

 ブッシュ政権にとってイラク、イラン、北朝鮮をめぐる動向よりもっと深刻なのはむしろブッシュ政権の足下で進行する政権基盤の弱体化だろう。その端的な例が、ネオコン(新保守主義)の分裂および政権離れと、それと昨年の中間選挙――連邦議会選挙で共和党が上院と下院の双方で民主党に破れたことだろう。この1〜2年ブッシュ大統領の支持率はイラクでの犠牲者が積み上がるにしたがって下がる一方だった。イラク情勢がボディーブローのように効いていたことは言うまでもない。
 9・11を期にブッシュ大統領に重用されて政権深く食い込んだネオコンは、今では内部で批判の応酬をするまでに分裂し、またブッシュ政権から離れる政府高官も多い。総帥格のリチャード・パールは公然とブッシュのイラク政策を批判する姿勢に豹変し、また政権内のウオルフウイッツ国務副長官は世界銀行総裁に転出し、ボルトン国連大使は再選を阻まれた。ネオコンと汲んだ国防長官のラムズフェルドも更迭された。今では父ブッシュ人脈の声に耳を傾けることで残す2年の任期の延命をはかる以外になくなったわけだ。
 一方で民主党が勝利した中間選挙直後、さっそくブッシュの強行策を修正しようとする動きが議会の主導で始まった。超党派の立場で検討を続けてきた有識者の集まり「イラク研究グループ」が昨年12月6日に「08年春までに米軍の大半を撤退させるべきだ」という趣旨の提言をまとめた報告書をブッシュ大統領と議会に提出した。その報告書はイラクの治安維持をイラク警察などに肩代わりさせることで米軍の撤退は可能だとするものだった。
 ブッシュ大統領は、イラク戦争は勝利する以外にないといっている以上、早期の撤退はないかもしれない。一時的な増派という突破作戦も浮上している。しかし、いずれにしてもイランや北朝鮮の動向に加え、国内の政治状況を考慮しないわけにはいかない。ラムズフェルド国防相の首を差し出すことで、結局はメンツを立てながら撤退する道を探る以外に選択肢はなくなっているのが現状だ。

■超大国の凋落と日本

 ブッシュ政権とほぼ同じ時期に発足した小泉政権は、9・11の直後、米国側からの示唆もあっていち早く米国とブッシュ政権支持を打ち上げた。それ以降、ブッシュ命とばかりにテロ特措法やイラク支援法を成立させ、米国の侵略戦争のお先棒を担いできた。
 しかしその米国がイラクの泥沼から抜け出せないのを横目で見ながら、日本は着実に軍事強国への道を突き進んできた。それは安倍政権になっても同じだ。
 米国ではイラク戦争の直接的な口実とされた大量破壊兵器の存在が実はでっち上げであったことをすでに当のブッシュ大統領さえも認めざるを得なかった。それに引き替え小泉首相や安倍首相は、「当時の判断は間違っていなかった」との強弁を押し通して開き直っている。その言葉の背後では、MD(ミサイル防衛)の日米共同開発や偵察衛星の保有、さらには自衛隊の海外派兵のための恒久法づくりなどを進めている。それに防衛庁は来年初めから防衛省となる。イラク派遣の指揮官が今年の参議院選挙に自民党から立候補するという話もある。再び軍隊(自衛隊)から英雄が生まれ始めたわけだ。制服組の発言力は間違いなく大きくなる。米国という親亀が転けても、子亀は着実に成長する、そんな姿が浮かび上がっている。
 ところでネグリのいう対抗運動としての“マルチチュード”、不特定で多様な抵抗運動が生まれるのは必然だろう。だがそれだけでは対抗運動の軸がはっきり見えてこない。
 グローバリゼーションという資本の論理が国境を越えて大手を振ってまかり通っているいま、そのグローバリゼーションは、同時並行的に多くの人々にとって国家・地域や宗教といった異なる多種多様な環境を、労働者としての共通の境遇に巻き込んでいく過程でもある。それだけ労働者の連帯・協力関係を拡大していく可能性を生み出しているわけだ。残念ながら国境を越えた労働者の連携は、資本のグロ−バリぜーションに対比して圧倒的に遅れている。労働者階級の闘いの復権はグローバリゼーションの中でこそ求められている最大の対抗運動だろう。今年をそうした課題に一歩でも接近すべくささやかな努力を発揮する年にしたい。(廣)案内へ戻る


コラムの窓  「風が吹けば桶屋が儲かる」と言う話がある。

「風が吹けば桶屋が儲かる」という例え話がある。
 日本のことわざで、「風で砂埃が舞い上がる。その風が目に入り、失明する人が増える。当時、視覚障害者が就ける職業は三味線弾きぐらいだと思われていた。故に、三味線弾きが増える。三味線に張る革を集めるため、ネコが大量に殺される。天敵が減ったことによりネズミが大発生する。ネズミは桶を食害する。桶の売り上げが上がる。故に、桶屋が儲かる。」という、思わぬ所に思わぬ物事の影響が出ることの例えである。しかし現代では、「あり得なくはない因果関係を無理矢理つなげて出来たトンデモ理論」を指すことが多いらしい。
 こんな「トンデモ理論」に似たようなことが今、安倍政権の下で行われようとしている。
企業が儲かれば、その恩恵が働くものにも及んで、皆が豊かになるという安部政権のビジョンである。この構想から、消費税の税率アップや医療費の負担増など国民負担の増大をめざす一方で、政府税調が答申した内容には「法人税の引き下げ」「減価償却可能限度額の引き上げ」など、企業への優遇処置を行うというのだ。
 しかし、こうした目論見は、かつて米国で試みられたが、貧富の格差がより拡大した悪政の焼き写しなのだ。
今の日本では、大企業は史上まれな大収益を上げているにもかかわらず、労働者はリストラや不正規雇用の拡大、賃下げなどで、少数の富者と大多数の貧者との差は広がる一方なのに、こうした政策を推し進めればなお一層格差が拡大することは想像できる。
 資本主義社会では、新しい利益は労働者の生活の向上のために使われるのではなく、資本の拡大のために使われるし、そもそも利益とは、何か商取引で利益を上げているように思われがちだが、等価交換が行われている限り(安い物を高く売りつけるあくどい詐欺商法、この場合、騙された方は二度とその相手と商取引をしようとは思わないないだろうから、正常な商取引とは言わない)、新しい価値=利益など生まれはしない。
 利益とは新しい価値の創造、労働者が材料に手を加えて、新しい価値を付加しているのであり、資本はこの新しい価値を含んだ生産物を我がものとすることによって利益を得ているのである。
 今日の”好況”下で、一部分の富者と多数の貧者が生まれ格差拡大が社会問題化したのは、多数の貧者は不正規雇用に見られるように不安定な労働環境と低賃金で働かされて、多くの新しい価値を含んだ生産物を一部分の富者に搾取・収奪された結果なのである。
 そこへなお一層企業への優遇処置をすれば、その優遇処置で一層企業は利益を上げ、その利益はさらなる資本の拡大のためにのみ使われ、多少のおこぼれがあったとしても、格差はより拡大することになる事は歴史的にも証明された事実である。
労働者が公平でより豊かな生活を得るためには、企業やその政府に頼るのではなく、安部政権の企業優先政策と闘い、自分たちの生産物の処理を自分たちが行う為に、資本の影響から自らが解き放たれるしかない。 (光)


教育基本法「改悪」案の強行採決に抗議する

 十二月十四日午後六時五分、安倍政権が臨時国会の最重要課題と位置づけてきた教育基本法「改悪」案が参議院教育基本法特別委員会で突然の質疑打ち切りの動議が可決されるやただちに強行採決された。翌十五日の参院本会議では会期が延長され、野党に一瞬気のゆるみが生じたその時、自民・公明両党の賛成多数により強行採決されて、「改悪」教育基本法は成立した。
 この日、教育基本法「改悪」案の参議院本会議での強行採決を阻止せんと国会前には、教組・市民団体の関係者が朝早くから詰めかけ、また昨日の暴挙に抗議して撤回を求める労働者民衆が年休を取り、続々と結集する中で、再度なされた暴挙であった。
 国会内では、教育基本法の成立を阻止するため、民主党・日本共産党・社民党・国民新党の野党四党は、伊吹文科相の問責決議案を共同提出したものの安倍首相の問責決議案の提出については、民主党が動揺し裏切り、共産・社民の両党が共同提出するに止まった。ここにおいて、この間共同行動を維持してきた野党共闘は崩れてしまったのである。
 またこの十四・十五の両日、誰が考えても教育基本法「改悪」案阻止の山場であったにもかかわらず、日教組本部は、国会前に登場せず逃亡した事実がある。日教組本部は山場での闘いに日和見を決め込んでしまった。東京教組等が辛うじて日教組の旗を守って闘い抜いたのだ。実際北教組・大分県教組・兵庫県教組などが大量動員で現場組合員の闘いの息吹を国会前にしっかりと運んでいるのに日教組本部は彼らに対する指導性を放棄して恥じなかった。しかし、その現場には現れなかったものの世間体を気にしている日教組本部はアリバイ作りのため、十四日には抗議声明を、二十二日には成立した「改悪」教育基本法に対する日教組見解を出すのは忘れてはいない。本当に軽蔑すべき心性の持ち主たちばかりではないか。教育基本法「改悪」阻止とは、誰のための何のための闘いであったのか。
 ここにおいて、私たちは、「日教組本部は死んだ」と宣言する。日教組は「教え子を再び戦場に送るな」の不滅のスローガンを投げ捨てたと断固糾弾していかなければならない。
 衆議院本会議での強行採決以降のわずか一ヶ月間でも、いじめ自殺の頻発と文科省・各県教育委員会の無策ぶりは決定的に暴露された。また高校における未履修問題は、二人の現職校長の自殺と未履修については文科省・各県教育委員会の黙認があった事も明白となった。さらに民意を聞くと全国で開催されたタウンミーティングで、内閣府・文科省等の「やらせ発言」と壮大な無駄金使いが大々的に追及された。まさに政府・与党は、進退窮まるところまで追いつめられていた。この責任を取ると大言壮語した安倍総理のたった三ヶ月百万円の給与返納は、世間の物笑いの種となったのである。
 成立した教育基本法「改悪」案は、一九四七年に制定された教育基本法を全面的に改め、憲法との一体性を否定した内容で、人格の完成と教育の機会均等を否定し、格差社会を肯定・是認するものとなった。また学習指導要領で掲げられていた徳目を、教育の目標にまで高め、さらに、格差社会の拡大で崩れ始める「国民」の一体感を保持する為、「公共の精神の尊重」や「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現で、政府与党が過去一貫して求め続けてた「愛国心」を明記している。その意味で、教育基本法「改悪」は、まさに安倍「戦争準備」内閣に対して、改憲と戦争発動の信任状を与えたに等しいのである。
 しかし、衆参両院の与党の数の圧倒的な状況下ではあるものの教育基本法「改悪」を、四月下旬に法案上程以来、実に八ヶ月の間採決させてこなかった事を私たちは軽視すべきではない。強行採決された事にいたずらに敗北感を持ってはならないのだ。まさに全国津々浦々で闘われた労働者民衆の反戦平和に対する切実で熱い運動があったからこそ、会期末すれすれまで採決を強行できない状況を作り出して、ここまで政府を追いつめたのだ。そうであれば今後の私たちの闘いの方向性も明らかである。
 今後、教育基本法「改悪」を受け学校教育法など教育関連三十二法令案が、次期通常国会へ上程される。それらの政府の法令「改悪」案を、どこがどのように反動なのかを具体的に批判する事で、教育基本法「改悪」阻止で積み上げてきた闘いを強化・発展させていかなければならない。まだまだ闘いは始まったばかりなのである。私たちには失望する暇などないと認識しなければならない。また、「教育再生会議」は、0七年一月には第一次報告として、学力向上策として「教育内容の充実、授業時間の増加」などをまとめている。
 私たち労働者民衆は、この闘いで誰の目にもはっきりした偽の友を糾弾しつつ、自衛隊の海外派兵や戦争の発動とそのための教育の国家統制・権限強化につながる動きに反対して、教育基本法「改悪」阻止の運動で積み上げた闘いを、改憲策動に反対する闘いに拡大・発展させていかなければならない。
 ともに闘おう! (猪瀬一馬)


安倍総理の足下で爆発した本間スキャンダル

本間税制調査会長の辞任

 自民党の小杉隆議員の敬子夫人が十四億円の借金をつくって自己破産したスキャンダルの余燼さめやらぬ永田町で、今度は安倍総理の足下で爆発したスキャンダルがある。0六年十二月二十二日号の『週刊ポスト』で、月二三度利用するだけであるにもかかわらず国家公務員官舎をあてがわれ、あろう事か愛人を住まわせていた事実が発覚した政府税制調査会の本間正明会長のスキャンダルである。
 十二月二十一日、ここ一週間安倍総理が擁護し続けた本間会長が、愛人女性と同居して官舎住まいをしていると報じられた問題をめぐり、就任わずか一カ月半で、ついに辞任に追いこまれた。
 この税制調査会長の人事は、官邸主導を印象づけるため、財務省等の事務方が留任をさせようとした石弘光前会長を差し替えてまで、本間氏に固執して小泉構造改革路線継承の「改革の象徴」として起用したのは、他ならぬ安倍晋三首相と塩崎官房長官である。
 そもそも税制調査会長とは、国民生活に密着した税制改正という重要政策を決める機関のトップである。この重要な任務を担う人物が先のようなデタラメをしていたのでは、国民の納得できる税制改革など出来はしない。本間氏については解任が適切な措置と言うべきなのだが、今回の辞任は解任になる前に先手を打ったものである事は明らかである。
 またも露呈したのは、今回の安倍首相らの対応のあまりのお粗末さだ。本間氏問題の一連の対応のカギを握ったのは、本間会長起用を主導した塩崎官房長官で、発覚直後から「ルールにのっとったもの」と擁護してきた。本間氏辞任を発表した二十一日午前の記者会見でさえ「本間会長自身の一身上の都合であり、首相の任命責任の問題ではない」と強調し、午後の会見でも「(公務員宿舎への)入居の是非については法律的に問題があったわけでは決してない」と言い張った。幼児的頑迷さではある。この背景には、官邸主導で起用した本間氏が退任すれば首相の任命責任批判は避けられないとの認識が、塩崎官房長官にあったためだろう、こうした本間氏の薄汚い破廉恥行為を不問に付したのである。
 たがこうした態度は逆に傷口を一段と深くする。早い段階から本間氏の進退問題に言及してきた津島雄二会長や町村信孝小委員長らの本間氏批判の背景には、「税制の主導権を首相官邸・政府税調に奪われつつあった事への不快感の他に、経済成長と財政再建のどちらをより重視するのかの路線対立があった」(自民税調幹部)との指摘もある。
 十二月十四日、自民党税制調査会小委員長の町村会長は「美しい国らしからぬ行為が散見される。(本間氏の)首を取るのかどうか知らないが、分かりやすい対応をしてほしい」と批判した。十八日には公明党の漆原国対委員長が、辞任も含めた厳しい対応を要求する。この間急降下している内閣支持率や来夏の参院選も念頭に事態を危ぶむ声が与党内から噴出して、十九日には閣議後の記者会見で身内であるはずの閣僚から進退問題などに言及する発言が相次ぐなど官邸の孤立化が進んだ。しかし、こうした中でも、安倍首相は塩崎氏と歩調を合わせ「職責を全うしてほしい」と続投方針を強調した。両氏の強気一辺倒の発言に危機感を覚えた政府高官は十九日夕、記者団に「何が何でも守るという感じではない。(本間氏)ご自身の判断に期待したい」と語り、自発的辞任を待つ形に軌道修正した。情況の変化が本間氏の決断を後押ししたとみられるが、辞任の電話まで首相は「待ち」の姿勢を維持し続けたのである。
 安倍首相が「職責を全うすることで、国民の信頼を回復してほしい」と語りながらも、一夜明けて「一身上の都合」だけで辞任を了承する首尾一貫しない対応は、安倍首相「風船総理」の言葉の軽さや指導力のなさを際だたせ、内閣の要である塩崎長官の危機管理の甘さを露呈する結果とはなった。郵政民営化反対議員の復党問題で支持率の著しい低下に悩む安倍総理は、道路特定財源見直しに続き、今回も政府与党主導の決着に終わり、安倍首相の顔が見えないとの批判は強まるばかりで、この足下でのスキャンダルの爆発により今や失速寸前の状態にあるのだ。

御用学者本間氏の正体

 前政府税制調査会会長の本間氏は、アメリカを席捲するフリードマンらのサプライサイド経済学を信奉し、政界と強力なコネクションを持ち、政府および地方公共団体の民間委員を多数歴任している。小泉改革を支え続けた竹中平蔵氏の師匠として権力を持ち役職を斡旋等してきたのである。
 今回発覚した公務員官舎の不適切な使用問題だけでなく、御用学者の通弊として、大阪市における地位要求問題で処分された実績がある。
 フリー百科事典・ウィキペディアには、「大阪市の行財政改革、『都市経営諮問会議』に於いて議長の地位にいたとき起こした問題。大阪市に対し、跡田真澄を改革担当補佐官に据えること、総務省からの出向者を受け入れること、自身について大阪市に対し顧問の地位及び高額な報酬を要求したことが、助役大平光代に暴露される。本間が脅迫的手法を取ったとされ、その後市長関淳一により解任される。『都市経営諮問会議』は解散」したと記述されている。
 財務省など事務方は、増税に理解を示し意欲的な石弘光前会長の続投を決めていたが、増税に慎重な首相は、企業法人税の大幅減税を成長戦略とする本間税制調査会長を起用した。当初、本間氏を押し込んだ。首相としては、スキャンダルが発覚しても、簡単に本間氏を引っ込められない事情があった。だからこそ増税を避けるべきでないという自民党議員らの本間氏に対する風当たりは強かった。
 本間氏は小泉政権下で経済財政諮問会議の民間議員を務めた0三年一月から東京・原宿の官舎に入居している。安倍総理を空気しか入っていない「風船総理」と呼んだ「勝谷誠彦の××な日々」は、「マスコミでは、愛人との同居で騒ぐがそれより事務次官よりもクラスの高い宿舎を誰が供与したかという事の方が永田町と霞ヶ関では大問題となっているのだ。命じられるとすれば首相官邸しかない。時の住人は小泉首相福田官房長官そして安倍官房副長官だ。小泉さんの側近は限りなく安倍さんの指示だったことを示唆している。つまり安倍さんが本間氏を切れないのは自らに責任が及ぶからではないかと言うのである。http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20061220/mng_____sei_____003.shtml。大手銀行からの政治献金を受け取らないとの表明の方法も間違いだ。もちろん受け取るなどというのは国民の理解を得られないが問題はその表明の仕方なのだ。そもそも銀行側が献金すると言っていないうちに首相が断るバカバカしさ。党幹部を使って銀行側に自粛させあとで首相指示とわかる戦略をとれば高感度高いのにね」と自分の安倍総理評の正しさを解説したのである。
 かつて「官舎は全部売却すべき」という報告を書いたにもかかわらず、経済財政諮問会議民間議員の0三年十月より、原宿の国家公務員官舎(別名 東郷台宿舎)を格安七万七千円で借り、本妻の黙認の下で、北新地のホステスだった愛人と同棲している事実が明らかになり、また同棲していたにもかかわらず同居人名義を本妻にしていた事実も発覚した。そもそも経済財政諮問会議は月三回しか開かれていないのに、民間人である本間会長が国家公務員官舎を借りている事自体が違反ではないかとの声すらある。御用学者竹中氏の師匠として、弟子を遙かに凌駕するダブル規範がここにおいては露呈しているのである。
 なお、毎日放送『ちちんぷいぷい』の放送では、愛人と報道されている女性との関係は事実婚と呼ぶべきものであり、マスコミ関係者ではかねて周知の事実であったことを指摘している。そのため現在の政府税制調査会会長就任直後に大きく報道されたことについては、誰がリークしたのかとの声がしきりではある。

本間氏のダブル規範の実態

 先に触れたが、本間氏らは、0五年三月の諮問会議で、財政再建のため、官舎など国有財産の積極的な売却を提言してきた。本間氏は、0三年一月から東京・原宿の官舎に、特例かつ格安で入居しながら、官舎など国有財産の積極的な処分を提言するとのあまりにも呆れ果てたダブル規範ではないか。
 財務省関係者は、「本間氏がこの官舎に入ったのは経済財政諮問会議の民間議員だった0三年一月です。阪大教授の本間さんがなぜ、この官舎に入れたのか。諮問会議の民間議員といっても、開かれるのは月三回程度です。本間会長の“オネダリ”に財務省の理財局が便宜を図ったと聞いています」と語る。何故こうなったかについて、「官舎の便宜を図ったのは財務省の理財局ですが、本間氏から甘い汁を吸っていました。財務官僚の論文に本間氏は大学から博士号などの学位を与えていたんです。また、本間氏の研究グループの助教授らが財務省の仕事に協力していた。ズブズブの関係があったから『官舎から出ろ』とは言えなかったんです」と霞が関事情通は説明した。まさに御用学者の面目躍如である。
さらに許しし難いのは「豪華・格安・便利」の官舎暮らしを満喫する本間氏自身が、官舎売却の旗振り役を務めていることだ。経財諮問会議は、本間氏が民間議員時代の0五年十一月に「政府資産・債務改革の基本的な方針」を提案。不要な政府資産の売却を打ち出した。豪華官舎こそ、不要資産の象徴なのに、ちゃっかり自分はその恩恵に浴していたことになる。前任者の石弘光・中大特任教授が、格好だけではあれ、「増税の痛みを国民に押し付けるから」と無報酬を貫いたのとは大違いだ。
 豪華官舎のほかにも本間氏には、内閣府内に専用の個室がある。内閣府、財務省、総務省から中堅官僚が一人ずつ派遣させて、「チーム本間」も形成していると言うから驚かされる。これは権力をカサに着た御用学者の公私混同そのものではないか。
 客観的に明らかになっているさらに笑える事実を書いておこう。0六年六月二十七日の経済財政諮問会議の専門調査会において、公務員官舎の家賃が格安との批判に対し、財務省課長が「営利目的でなく公務の要請で入居している」と説明した際、同調査会長だった本間氏は「世の中では通用しない」と断じていた。全く盗人猛々しいとは本間氏のためにある言葉のようではないか。
 こうして九月調査会は、官舎など国有財産の売却を促す報告書をまとめたが、先の発言で確認したようにその旗振り役なのにもかかわらず、JR原宿駅から徒歩五分で、最上層階にある九十七平方メートルの国家公務員官舎を借りている。官僚の間では、官舎の最上階の住人は「特権サン」と呼ばれるとは日刊ゲンダイの暴露である。民間なら家賃五十万円は下らない物件だが、本間会長は、月七万七千円という格安家賃で入居していた。それも、妻ではない知人女性との同居まで報道されたが、国家公務員でもなく民間人しかない彼が何故入居できたかは、依然謎のままである。この点実に不可解ではある。
 分かっている経過は、諮問会議は0二年、税制論議に踏み込み、法人減税による経済活性化を提言した。その中心人物も本間氏で法人減税に反対する当時の石弘光・政府税調会長と激しくやり合った。結局、法人減税は自民党税調にも退けられ、この経験が「政府税調への財務省の影響力を排し首相直轄の組織に変える」という本間氏の政府税調改革への強い思いにつながったと伝えられている。そして、本間氏が0三年一月に官舎へ入居したのは、諮問会議の民間メンバー四人の政策提言取りまとめ役になったのがきっかけで、小泉前政権が取り組んでいた郵政民営化や三位一体改革を「民間提言」で推進するため、本間氏は常勤に近い形で内閣府に出勤して、竹中元経済財政担当相らと打ち合わせにあたっていた。八0年代後半、アメリカから帰朝後、まだ余り名前が売れていなかった竹中氏が大阪大助教授になったのも、本間氏の引きだったと言われている。
 今、ただでさえ、安い賃料の国家公務員宿舎には、「国民」の厳しい目が注がれている。そんな中、宿舎などの国有財産売却を促す報告書をまとめ上げた本間氏本人が、宿舎の便宜を受けていたのだ。しかも、安倍政権が掲げる最大のテーマは教育再生である。政権に携わるものには一段と高い規範意識とモラルが求められているのは、子どもでなくとも誰でも知っているのである。
 本間氏に対する怒りや不信が日増しに強まるに違いないので自ら襟を正すべきだと直言する側近が何故いないのか。
 ついでに言っておくと、本間氏の愛人について、大阪で別居中の本妻は週刊ポストの取材に「大阪北新地の女性らしい」と答えている。今回の事態をある官僚は、「国立大の教授が北新地ですよ。誰の金で遊んでいるのか。もっとも、関西の先生たちにはスポンサーがいる。祇園や新地での豪遊ぶりは有名です」と苦々しく語る。竹中元経済金融担当大臣ら大阪の御用学者の金銭感覚のマヒぶりは永田町でも有名なのである。

原宿高級官僚官舎等の実態

 政府税調の本間会長が愛人と暮らしていた事で、一躍、注目される官舎となった原宿の豪華官舎(別名 東郷台住宅)に住む高級官僚たちは、「一緒にいる人は奥サンだと思った」と当惑しているが、本間氏は同棲していた愛人を当局には「妻」として届け出ていた。それほど官舎の管理はいい加減なものなのである。
 「本間氏は一緒に暮らす女性を『引っ越しの手伝いに来ていただけ』と主張しましたが、確かに彼は部屋替えしている。経財諮問会議の民間議員から税調会長就任に“昇格”したのに伴い、最上階の部屋に移ったのです。今の三LDKの部屋は、広さ六坪ほどのサービスルーム付き。最上階の住人は『特権サン』と呼ばれていますとは関係者の話である。
 官舎は人事異動で全国各地を転々とし、深夜残業も多い国家公務員が「安定的に行政サービスするためのもの」(政府関係者)という位置付けだ。しかし、このルールを高級官僚は必ずしも守ろうとしていないのだ。ある住人は、「官舎を与えられても自分で住まない人も多い。この官舎にも、年老いた両親を田舎から呼び寄せ住まわせている方もいらっしゃいます」と言い、さすがに本間氏のように愛人と暮らすケースは少ないようだが、「官舎を愛人との“セカンドハウス”代わりに利用している官僚もいる」(霞が関事情通)と語る。日刊ゲンダイはわれわれの税金で賄う高級官舎が、老人ホームやラブホテル代わりに使われているとは何たる事かと怒りの告発をしている。
 こうして本間スキャンダルの発覚は様々な所へと波及している。「国民」から批判が噴出している超豪華な国会議事堂から徒歩十分程度の「衆院赤坂議員宿舎」がある。なにしろ相場五十万の物件が、わずか九万二千円という格安の家賃なのだ。ところが、この赤坂宿舎、今回の本間スキャンダルにより空き部屋が続出する可能性があるという。
 今までは「家賃はタダでもいい。住みたいなら政治家になればいいじゃん」と言い放った松浪健四郎自民党ちょんまげ怒号議員は“別格”としても、与野党の衆院議員たちは、高まる「国民」の批判の声を抑えようと必死だ。こうして予定されていた「スポーツジム施設」の設置も中止してしまった。
 「自民も民主も頭を抱えています。当初は、0七年二月に完成するゴージャスな赤坂宿舎に入居するのを楽しみにしていた。全戸数三百の赤坂宿舎には、旧赤坂宿舎(百二十五戸)に入居していた議員のほか、0七年六月に取り壊す予定の青山宿舎(四十戸)と高輪宿舎(百三十一戸)からも、大挙して議員が引っ越してくることになっていました。ところが、これだけ批判が強いなかでヌケヌケと住んだら、何を言われるか分からないと腰が引け始めている。とくに、豪華官舎に住んでいた政府税調の本間会長のスキャンダルが発覚してからは、なおさらです。公明党は赤坂宿舎に入居しないことを申し合わせるとみられています」(ある中堅衆院議員)と日刊ゲンダイは伝えている。
 青山宿舎と高輪宿舎が壊された後の議員宿舎は、ピカピカの赤坂宿舎とボロボロの九段宿舎(百二十五戸)だけになるが、「国民」の批判を避けるために、わざわざ九段宿舎を選ぶ動きまで出ているというのである。
 その一方で「九段宿舎も壊してしまえ」という乱暴な声もある。赤坂宿舎だけにしてしまえば、「みんなで渡れば怖くない」と入居しても批判を弱められるという姑息な計算だ。
 豪華宿舎に反対している民主党の河村たかし議員は、「多くの議員が赤坂宿舎に入居することに二の足を踏んでいるのは、やっぱり後ろめたいのでしょう。だったら、民間に売却すればいい。五百億円で売れますよ」と言う。衆人環視の中で赤坂宿舎に引っ越す議員が何人出るのか見物だとはこの間本間氏追及の先鋒であった日刊ゲンダイの記事である。
 私たち労働者民衆は、こうした高級官僚や国会議員の特権の上に平然とアグラをかいて恥じない連中を一掃するためにも断固闘っていかなければならない。
 ともに闘おう!      (稲渕赳夫)案内へ戻る


反戦通信−13・・・「沖縄県知事選の結果と今後」

 06年はまさに最悪の年だったのではないか。
 昨年11月の沖縄県知事選挙は本当に残念だった。自民・公明推薦の仲井真弘多氏が347,303票を獲得して、社民・社会大衆・共産・民主・自由連合・国民新党・新党日本推薦、そうぞう支持の糸数慶子氏の309,985票を上回り、その差37,318票で当選した。
 さっそく、この知事選の敗因について一部の政党や連合の幹部から、「もう共産党とは一緒にやれない」「野党共闘の組み方を根本的に見直しをすべき」などの後ろ向きの発言も飛び出している。
 今度の知事選で明らかになった問題点を幾つか指摘すると。
 「期日前投票について。」当初開票速報では、那覇市でも糸数候補の有利が伝えられていた。ところが、その後期日前の投票が開いて全部ひっくり返ってしまった。その期日前投票数は今までにない異例の数でなんと110,600票もあった。そのうち、7〜8割が仲井真票だと思われる。投票者数は669,162人なので、投票者の6分の1、約17%の人が期日前投票したことになる。参考のために、前回や前々回の知事選では期日前投票数は5万人台であった。
 自民党は糸数候補が勝つと米軍再編や安倍政権が崩れかねないので、多額の選挙資金を注ぎ込み、なりふり構わない金権選挙と企業選挙を展開した。その一つが期日前投票運動。仲井真陣営は企業に対して、必ず期日前投票をするよう運動として推進し、会社がマイクロバスで送り迎えなどをやり、投票日直前の木・金曜日には投票所前がかってない長蛇の列が出来たと言う。
 「野党統一候補の選定について。」やはり、この統一候補の設定過程の失敗が、大きなマイナス要素となりこの知事選の足を引っ張り最大の敗因となったのではないか。統一候補を選ぶ際の「五つの基本姿勢」はまとまったが、具体的に「誰を選考するか」の段階になり各政党の思惑がからみ混迷し、元読谷村長の山内徳信氏と「そうぞう」の下地幹郎氏の激しい対立で分裂かという決定的にまずい段階まで行ってしまった。それを救ったのが糸数候補であったが、しかしやはり「出遅れ」と「陣営内の不調和音」は決定的であり、そのあたりのもたつきと不透明さが県民の投票意識にも影響を与えたであろう。
 「野党共闘について。」沖縄では、60年代後半に「革新共闘」が生まれ、大衆運動も選挙運動も、政党から労組までみんな一緒になって闘うスタイルが確立して、選挙や反戦運動を闘ってきた。ところが、今回の知事選ではっきりしたのは、政党が一応の「野党共闘」をつくり、労組が手足になって動くという既成の選挙スタイルが十分機能しなくなり、そうした闘い方がもはや限界にきている現実を示した。その点では、市民運動の側にも今後に新たな課題を突きつけたと言える。
この県知事選は勝てると信じていた私も敗北のショックで、かなり落ち込んだ。でも、次のような沖縄の声を聞きさすが沖縄だ。このしたたかさと粘り強さを見習い、頑張ろうと思っている。(若島)
 『個人的にはあまり落ち込んでいません。あっちみたいに資金は降ってこないし、最初も出遅れたし、それでもここまで得票できたのは、みんなのがんばりと良心があってこそ・・と思います。若者で自分から動く仲間が増えたし。今と同じ状況が4年続くだけでしょ。大丈夫。
 沖縄は半世紀以上に渡る軍隊(米軍・自衛隊)撤去の平和希求運動をやってきているんだもの。故阿波根昌鴻氏(反戦地主)の言葉に「沖縄から軍がなくなっても、われわれの平和運動は終わらない」とあります。世界中が平和になるまでは、ず〜っと終わらない。
「チムグリサン」身をもって地獄を知っているから。「ヌチドウタカラ」が世界に拡がるまで。
 「世界平和のため」といいながら自国の都合で攻撃し人民を虐殺してシランプリする輩に追随する「母国」。「朱に染まれば赤くなる」県政だろうけどわれわれ個人の良識までは染まらない。チムに染めるのは「親の言葉」「あんなアワリ、あんたたちにはさせたくないさ。孫にも、戦争はだめよー、じぇったいに」はい。孫たちの未来を平和にするためにがんばります!』<沖縄平和市民連絡会>

 
介護労働者の労働条件改善を勝ち取ろう
    外国人ケアワーカーとの連帯も重要課題

●離職率21%、離職者の勤務年数3年未満が8割

 介護労働者が勤務する事業所は「民間企業」が40・5%、「社会福祉法人(社会福祉協議会も含む)」が30・6%、「医療法人」が15・0%となっている。それらの事業所の開設経過年数は「5年〜10年未満」が33・8%で最も多く、ついで「1年未満」が12・8%、「10年以上」は12・7%にしか過ぎない。事業所の種類では居宅介護支援事業(ケアプラン等を作成する事業)49・0%、訪問介護41・0%、通所介護36%となり、新たな事業である認知症対応型共同生活介護(グループホーム)が14・5%、福祉用具の貸与・販売が11・6%と全体の4分の1を占めるまでになっている。介護労働者の性別は、女性は79・3%。平均年齢は43・5歳となっている。特に訪問介護員(ホームヘルパー)では男性はさらに少なくなり5・4%しかいない。平均年齢も48・3%と高くなる。就業形態を見ると訪問介護員の正社員は21・7%しかいず、7割以上が非正社員で占められている。介護職員は正社員61・5%となっている。資格はホームヘルパー2級が45・5%ともっと多く、介護福祉士は22・8%にし過ぎない。
 勤続年数は平均では3・4年で、訪問介護員は2・9年、介護職員は3・0年となっている。正社員でも平均4・3年の勤続年数でしかない。勤続年数3年未満の占める割合は52・9%にも及んでおり、10年以上勤務している人の割合は7・5%しかいない。月間実質賃金の総平均は172400円であり。訪問介護員は206800円、介護職員は209000円となっている。
 これらの数字から、介護保険制度の導入により民間企業が福祉業界に進出し、開設後まだ間がない事業所で多くの介護労働者が働いていることが分かる。非常勤化も進み、4割近い介護職員が非常勤として従事している。特別養護老人ホームのような重度の介護が必要な施設でも、半数以上を非常勤職員が占めている施設も多い。3年未満で5割以上の職員が職場を去り、離職者の8割は3年未満で職場を離れる。10年以上勤めている人は1割もいない。そんな劣悪な労働環境では、厚生労働省の求める「ケアの質の向上」が実現できるはずはないと思われる。「民間活力」、「シルバー産業花盛り」とマスコミで騒がれても、その実態は生計を維持することができない低賃金と長続きのしない職場環境で、人が育っていかない分野の典型となっている。

●厚生労働省、介護労働者の待遇改善へ

 厚生労働省でさえ、他産業に比べ定着率が21%と低い介護労働者の年間離職率を、2009年度までに20%未満に抑えること目標値とし、待遇改善を図ることを表明せざるを得なかった。
 介護雇用管理改善等計画は、次のような目標を打ち出している。
 「介護労働者が誇りを持って生き生きとその能力を発揮して働くことができるようにすること等のため、@介護労働者の離職率について、20%を下回るものとするとともに、全産業の平均的な離職率との乖離をできる限り縮小する、A介護労働者の教育・研修の実施率について全体の実施率を高めるとともに正社員と非正社員との実施率の乖離をできる限り縮小する。B介護労働者の仕事の満足度の向上を図る」。
 しかし、現場からは非常勤化や低賃金化がますます進行している実状を訴えるものが多く、この計画の成果が全く見えてこない。「空文句」に過ぎない計画であり、それを裏打ちするように若い人達を中心に介護職離れが進み、介護施設では慢性的な介護労働者不足に悩まされている。
 ●廃校に追い込まれる「介護福祉士養成校」

 介護福祉士は既に55万人以上誕生しているが、介護福祉士養成施設を卒業してもて介護職として働かない学生が年々増加している。また養成校では応募者が少なく定員割れが続出している。厚生労働省の調査によると、2004年時点で養成校の約7割が定員割れであり、このうち約半分が定員の8割以下である。今年4月には福岡県内の専門学校が介護福祉科を廃止するという事態も起き、全国にその傾向は拡がっている。

●外国人看護師・介護福祉士の受け入れがスタート

 フィリピンとの経済連携協定(EPA)の国会承認を受け、2007年度より2年間、看護師400人、介護福祉士600人の受け入れが決まった。対象者は日本語学校により6ヶ月間日本語を学ぶことになっている。その後フィリピンで看護師や介護福祉士(介護士)の資格を持つ者は研修後、働くことができるようになる。
 安倍首相は、10月28日に、インドネシアとのユドヨノ大統領とも、看護師や介護福祉士の受け入れを含むEPAの締結に向けて大筋合意を行なった。介護労働者の海外からの参入はこれからも更に進みそうである。
 「総合規制改革会議」のメンバーの安居氏は、医療規制改革の枠組みについて、株式会社の参入・外国人労働者規制緩和をあげ、その主な理由として、「少子高齢化が急速に進む中、高いレベルのサービスとリーズナブルなコストを実現する為には、外交人看護師・介護士の導入が必要」と説明している。
 フィリピン国内では看護師が国外へ流出することにより大幅な不足な状態に陥っている。日本でもフィリピンでも、まずは労働者が自国で生活できる労働環境を要求していく必要があるが、単に「労働条件が切り下げられる」と捉えるだけではなく、同じ労働者として、介護労働者の地位の向上、労働条件の改善に向けて連帯していくことが重要な課題となってくる。
 介護の社会化の必要についてはすでに社会的合意がほぼ出来つつあるが、介護労働者の労働条件の劣悪さはまったく改善されず、むしろ悪化さえしている。介護労働者自身の闘いを組織、強化すると同時に、他産業の労働者との間でも連帯を追求し、共同の闘いを組織していく必要がある。          (Y)


連載 グラフで見る高校生の意識調査 その6

 問6 問4で3〜5(短大・大学・大学院への進学希望)と答えた方にお聞きします。どんな分野に進みたいですか。
 短大・大学・大学院の進学希望分野には男女の違いが大きく見られます。男子は1位経済・経営・商学(約22・4%)、2位工学(約16%)、3位文学(約10%)。女子は1位文学(約18%)、2位教育(約17%)、3位社会・人間科学(12%)となっています。
 前回の調査で男子トップの経済学・商学が37%から今回24%へ、女子トップの文学部は33%から今回18%へと変化しています。また上位3位までの占有率も男子65%か50%へ,女子60%から46%へと減少し、男女とも一分野集中から他分野分散へ移行していることが分かります。
 しかし、10年前と比べても、女子の理・工学系への伸びは見られません。

 女子の理・工学系の伸びが見られないのは、なぜでしょうか。興味を持つものが男性と違うのか、育つ過程で与えられる遊び道具に女の子用と決め付けられてしまい、遊びが限られてしまうからか。いずれにしろ、社会的な慣習に左右され偏った方向に行ってしまった結果ではないでしょうか。何の制約もなく、自由に自分のやりたいことを出来るなら、自ずと進路の希望もこれまでと違ったものになっていくと思います。 (恵)


死ぬのはチッともこわくないけど、苦しむのはイヤじゃ=|逝ったわが家の前女帝語録より−

 これは足が動かなくなって3年間寝込み、いわゆる認知症になった母上のコトバである。認知症とみられながらこんなに自らをはっきり表出しえるものかと、死≠前にした人の意識のすごさを感じたものだった(過去の記憶との対話のみなのに)。
 父上の方は定年後、神様めぐりで正力稲荷大明神に落ち着いたが、その父も死期≠ェ近づくとオキツネ様も父から逃げ出したかのようだった。しごく当たり前の人にもどり。重いフトン、肉体的なしんどさと闘うのに精一杯のようだった。
 落語の柳桜さんが病で満身創痍の体で落語を語り続け、拷問に耐え抜くなんて信じられぬといった(かつて伊藤整氏もかくいっていた)。落語は地球のようなもの−あらゆる生き物をのせているからと、落語は様々なモノ≠竍生≠語ると、いわば求心性の逆を行くような方法をと述懐を聞いた(TVより)。
 私ども老人は死≠予期する故か、柳桜さんに近い感懐を抱く。そして地球に思いを託すようである。地球とそこに生きる人々及びすべてのものを荒廃させてきたのは、現代では戦争と、日常生活の中で余りに身近にあるが故に、かえって危機感もなくなっていくエネルギー源として電力、ガス、etc,の問題がある。
 どうも世論を形成する意識的な動きとなるには、ゆっくりと変わっていくように思う。しかし、意思表示だけで地球の荒廃の速度に追いつけるだろうか、という心配があるがとにかくやりはじめねばなるまい。
 気になること2つ。電力は原発に頼らねば、まかなえないのだろうか。原発支持のコトバは、二酸化炭素? を出さない、と環境問題にプラスのイメージを与えるのに熱心のようだが、廃棄物のプルトニュウムはかの悪名高き劣化ウラン弾の材料になり、人も草木も大地も荒廃させるばかり。プルトニュウムの行方いかん? こんなこと考えていると夜が眠れなくなってしまうよ。
 もう一つは逆三角形の人口問題。現代楢山節考≠ヘ脱却しえないのでは? こんな時、木田太郎氏と飼犬のワン公のとぼけた映像は、なぜかホッとする。名犬ラッシー≠フ忠義ぶりにお尻を叩かれる思いで、ヨダレをくる赤いチャンチャンコを着せられたワン公にしばしば安らぐわけ。少々だらしなくとも。だから緊張と緩和の呼吸を会得しないと、生きれないよ。 2006・12・21・朝   宮森常子案内へ戻る


書籍紹介・60年のときを経て紡ぎだされた想いの数々
立川・反戦ビラ弾圧救援会「沈黙の社会にしないために ‐最高裁に当てた168通の上申書‐」(樹心社)


 立川・反戦ビラ弾圧、それは時代を画するような出来事であったろう。自衛隊官舎だとしても、国策を真っ向から問うビラだったとしても、ビラの戸別配達で逮捕され、75日も拘留され、地裁でこそ無罪となったとはいえ、高裁では逆転有罪判決が出る、こんなことがあっていいのだろうか。
 弾圧を仕掛けた公安は一時はリストラ対象官庁といわれていたが、オウム真理教の事件以降、攻勢を強め、新たな監視・弾圧対象をどんどん拡大している。つまり、反戦ビラ弾圧は公安の仕事づくりという面もあるのではないか。もちろん、そこには国家的意思≠ェ反映されているのだが。
 しかし、この間の公安の暴走が可能だったのは、司法による追認があったためである。ビラの戸別配達だけで逮捕状を出し、家宅捜索を認め、長期拘留を認める、裁判官の憲法感覚をなんと言えばいいのか。問われた罪は「住居侵入罪」であり、高裁判決は罰金10万円から20万円を言い渡したに過ぎない。
 刑法130条は、「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し・・・た者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する」とある。3名の被告の行為、ビラの個別配布がここに示されている侵入≠ノ当たらないことは、常識的な市民の常識的な判断だろう。
 まして3名の被告は、すでに75日間も自由を奪われ、実際より重い罰を受けている。ここには裁判を受ける権利など簡単に踏みにじり、見せしめ的制裁を自由に行使できる実態がある。公安にとっては、逮捕、家宅捜索、拘留だけですでに目的を達しており、裁判で無罪になっても構わないのであろう。
 本書には、東京高裁・中川武隆裁判長による「表現の自由が尊重されるべきものとしても、そのために他人の権利を侵害してよいことにはならない」という判決を許してはならない、という思いが込められている。3名の被告の無罪を求め、最高裁が司法としての任務を果たすことを求める168通の上申書が紹介されている。
 なお、そのなかに私の上申書も含まれている。内容は次のとおりだが、最高裁裁判官に届いただろうか。   (晴)

社会が寛容さを失い、異質なものの排除に向かおうとしている
 私は最寄りの駅で定期的にビラまきをしていますが、敷地内での配布はダメだと言われます。戸別配布・宅配もしますが、集合住宅では配布を禁じる掲示がよくあります。配布する側としては、実害がない限りかまわないではないかと思うのですが、トラブルを起こしてまで配布するのはさすがに躊躇します。
 市民が意見表明などするには、ビラ配布が一番手頃であるし、妥当な手段です。それをことさらに規制するのは、結果的に市民的権利を侵害することになります。もちろん、立場が変われば利害も対立するので、そうした意見を一方的に押し付けることはできないでしょう。
 そこで問題となるのが、「公共の福祉」ということではないでしょうか。何を重視するのかという問題ですが、やはり憲法で保障された権利の擁護ということではないでしょうか。今日的には、あれこれの通達や就業規則までが憲法的権利を否定しているのが実態です。ちなみに、わたしの職場・郵便局では、茶髪や髭が非難の対象になり、職場から一掃されようとしています。
 つまり、市民的諸権利が憲法にどんなに書かれていようと、現実社会ではなきに等しいのです。だからといって、市民が権利主張を諦めているわけではありません。しかし、そうした行動が逮捕・拘留・有罪というのでは、余りに理不尽です。
 憲法的権利を守る最後の砦は最高裁です。ビラの宅配が罪になるような社会は、どこかおかしいのです。社会が寛大さを失い、異質なものの排除に向かおうとしてるいま、何よりも求められているのは冷静な判断です。最高裁がその任務を果たすことを望みます。  (兵庫県西宮市 O・H)案内へ戻る


2007年を迎えての抱負

●アソシエーション論、共同所有論に取り組む

 数年前から有志で研究を進めてきた共同社会研究会では、研究の中間報告として、今年の七月頃を目途に、書名はまだ決まっていないが、単行本を出版することになった。
 私自身は、共同占有や共同所有を中心としたアソシエーション社会の中心概念となる共同所有論を徹底して解明する論文を書く予定である。乞うご期待。
 その他の掲載論文も、各自の責任で執筆する事で合意したが、この本の出版によりアソシエーション社会に対する労働者民衆の理論的関心が高まり、労働者民衆の政治闘争や社会変革を根本的に準備する社会運動が発展する事を期待している。  (直記彬)


●老いに備える

年の瀬に56歳の誕生日を迎えました。
 その前、10月頃に歯が痛み、歯科に通いました。歯茎が後退し、歯の間に隙間ができ、その結果として、奥歯と親知らずの間が虫歯になっていたのです。医者が言うには、本当は親知らずを抜く方が治療しやすいのだけれど、奥歯がぐらついているので、その保護のために残しておいたほうがいいということでした。おかげで、治療に時間がかかりましたが、自前の歯を少しでも長く保つことができそうです。
 歯と歯の間、歯と歯茎の間に食べ物のカスが詰まる。これらは老化にともなう口腔内のトラブル(歯周病)であり、今流行の「プラーク・コントロール」の必要性を示しています。やせ細る歯茎、ぐらつく歯、これら見たくない現実も年相応の老化現象であり、受け入れざるを得ないのでしょう。
 歯の治療が終わったあと、眼科に行きました。こちらは、春先から視野の一部がかすむようで気になっていたのです。白内障ではないかと危ぶんだのですが、瞳孔のなかまで調べてその兆候はないという結果でした。しかし、眼圧や視力などの検査で1時間、そのあと診察までに1時間、さらに散瞳剤を点眼し再検診まで、11時半の午前の受付終了近くに入り、終わったのは午後2時半近くなっていました。
 瞳孔が開いた状態は奇妙なもので、光がまぶしく周囲がよく見えなくないので、もちろん車で来た患者は置いてかえらなければなりません。ところで、老化にともなう視野のちらつき(薄い雲のようなものが視野を移動するような状態)は「飛蚊症」というもので、程度の差はあれ年齢が高くなれば誰にでも現れる症状のようです。
 6年前にこの眼科で近視矯正のレーザー治療を受けたのですが、年齢が高く高度の近視だったので、せっかく0・8くらいまで見えるようになっていたのが、今はもう0・2くらいなってしまっています。
 ちなみに、近視矯正にはまず@メガネ、次にAコンタクト、そしてBレーザー、さらにCレンズを入れる矯正が最新のようです。Bはレーザーで角膜を削る方法で、削ってしまうと元には戻りません。白内障などでも眼内レンズというのがありますが、Cはそれと同じで、取り出すことこともできるということです。
 母は92歳になりましたが、認知症で施設に入っています。初めはグループホームでしたが、認知症が進んだとき行き場がなくなったら困るということで、大きな特養に移りました。そこは、外につれていってくれないし、どちらかというとほったらかしみたいです。それで、どんどん自分で動けなくなっています。
 年末に久しぶりに会いに行ったら寝ていました。声をかけても反応に乏しく、ゾッとしました。起こして車椅子に座らせ、フロアをぐるっと回ってみて、ようやくすこし安心したのですが、寝かせ切り≠ノされているようです。少し前までは名前を言えば理解できていたのに、今は息子を認知≠キることもできなくなっています。
 高齢化社会の到来というけれど、日々衰えていく母を見るのはつらいし、わが身の衰えも気になります。しかし、あと4年で食うための労働≠ゥら解放され(るはずであり)、本当にやりたい事ができるようになるのだから、健康でなければならないのです。老いに備えることが、第2の人生のよりよきスタートへとつながるものと思っています。(晴) 


色鉛筆−2007年、課題を持って前向きに

 昨年のクリスマスの25日に、4人の死刑執行が報道されました。そのなかには、75歳、76歳という高齢の方が含まれ、しかも30年間も刑務所の生活を送った人たちだったようです。このまま、自然に命を終えるまでなぜ待てないのか。昨年9月に就任しわずか3ヵ月後に、しかもクリスマスの日に死刑執行を命令した法相に抗議の声が上がったのも当然のことです。
 昨春、法学部に入学した三女は、ディベートを取り入れた授業で「死刑制度」を議論するので、資料が欲しいと帰ってきました。帰るといきなり、「お母さん、私と友達2人の他は全員『死刑制度』に賛成やねん」と、息せき切って話し出しました。
 どうやら、犯罪者の罪を償うことが死刑であり、被害者家族にとっては自然なことと理解されているようです。私は資料を探すのに時間がかかりましたが、出てきたパンフレットを手にして、あらためて「死刑廃止」こそが健全な社会のあり方と再認識しました。
 娘が大学で学ぶことで、これまでの私の活動が点検され、自分自身の力量が問われるという経験をしました。「死刑制度」の他に、憲法9条の「改正」、安楽死などがあり、若い世代に伝えられる私たちの思いを娘に託しました。
 今年は、どんな年になるのか。というよりも主体的に、こんな年にしたいと抱負を語るべきでしょう。地域での地道な活動を続け、新しい参加者との出会いを大切に、一人でも多くの人たちに共感を得られるよう、自分自身の力を身につけることを課題にしたいと思います。どれだけ実行出来るか自信はありませんが、まずは毎日の生活の点検から時間の使い方に注目したいと思います。時間の有効な配分によって、時間に流され生活している私の日々を少しは改善出来ると思います。
 今年も、色鉛筆をよろしくお願いします。  (恵)案内へ戻る