ワーカーズ  341号 2007.3.15             案内へ戻る

「河野談話」をあからさまに否定して天にツバする安倍発言を糾弾する!

 三月五日の参議院予算委員会の席上、安倍晋三首相は「従軍慰安婦」問題で発言し、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」「慰安婦狩りのような強制性があったという証言はない」と「強制性」にも広義と狭義があるとの詭弁を弄して、昨年九月以来、自ら「継承」すると明言してきた「河野談話」を否定した。
 この基礎となる調査を纏めた内閣官房外政審議室は「いわゆる従軍慰安婦問題について」を発表している。「河野談話」は、防衛庁・外務省・警察庁・米国立公文書館などの内外政府十機関を調査し、元「慰安婦」や元軍人・元朝鮮総督府関係者などから聞き取りを行い、この問題についての「本邦における出版物のほぼすべてを渉猟した」上で作成されたもので、単なるその場を取るだけの思いつき発言ではない。この事実の重さを自覚せよ。
 「河野談話」の核心とは、日本軍の関与を明確に認めた上で、「従軍慰安婦」が「本人たちの意思に反して集められた」として、「官憲等が直接これに加担したこともあった」とその責任の所在を明記した事にある。だからこそ「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」として、「心からのお詫びと反省の気持ち」を明言した事により、「河野談話」はアジア諸国等に日本政府の謝罪として評価されてきたのである。
 しかし今回の安倍総理の発言はまさに天にツバする行為である。「強制性を裏付ける証言はなかった」との発言に至っては、一国の総理としての一片の見識すら見出せぬお粗末さである。内閣官房外政審議室はコケにされた。しかし自らが寄って立つ基盤である「国益」を著しく損なう軽率極まりない行為をしでかしたのは他ならぬ安倍総理自身である。
 この発言により国内はもとより、アジア諸国とくに韓国・中国等からの国際的な批判がにわかに巻き起こってきた。韓国・中国の批判は安倍総理の弱点を突き実に的確である。
 私たちはこの許されざる安倍発言を断固糾弾する。さらに決定的なのは、四月末に訪米が予定されているので、米下院に提出されている「慰安婦決議案」への支持を躊躇ってきた日本に同情的な議員がこの安倍発言を契機として、急速に態度変更している事である。
 韓国・中国等のアジア諸国を蔑視しアメリカには一方的に諂ってきた安倍政権の今後の行方は如何に。安倍総理には自らの鼎の軽重が問われる重大な局面とはなってしまった。
 私たちは安倍総理の動きに大いに注目していきたいものである。   (猪瀬)


アメリカ下院議会における「日本政府に謝罪を求める決議」案提出の背景と審議の現段階について

決議案提出の背景

 今回、米議会下院に提出された「慰安婦」決議案(下院決議案一二一)は、アジア太平洋戦争時に日本軍によって性奴隷にされた「従軍慰安婦」の女性たちに対して、日本政府がその責任を「明確であいまいさのないやり方で認め」、安倍首相が「公式の謝罪をおこなうべき」としている。この背景には安倍総理の政治姿勢についての明確な批判がある。
 公聴会を主宰したアジア太平洋・地球環境小委員会のファレオマバエガ委員長は「日本が第二次世界大戦中にアジアと太平洋諸島を占領した期間、帝国軍隊が若い女性に性的奴隷を強制した歴史的責任を認めて謝罪し受け入れることに今日的意義がある」、しかし「決議案は、これでは十分ではないという。だから、今後どの方向にすすんでいくかについて誠実な努力をするために証言を聞き、熟慮しようというのだ」として、韓国とオーストラリアから招いた元「慰安婦」の女性たちの話を聞いた。
 さらにホンダ議員は、公聴会で、「河野談話」は「勇気付けられるものだ」と述べながら、「最近の与党・自民党の一部幹部による河野談話見直し・撤回の試みは、がっかりさせるものであり、日本政府の同問題でのあいまいさのあらわれとなっている」と舌鋒鋭く追及し、同決議案が、日本軍による「慰安婦」の強制や奴隷化はなかったとする、いかなる主張についても日本政府は、「明確、公式に反論すべきだ」と求めているのは、そのような政治家の言動は国際的には通用しない事を明確にしたものである。

「慰安婦」問題の決議案とは

 米民主党のマイク・ホンダ議員らが下院外交委員会に提出している元従軍「慰安婦」問題の決議案の前文は、次の通りである。
 「一九三〇年代から第二次世界大戦中を通じたアジア太平洋諸島への植民地支配と戦時占領の期間、日本帝国軍隊が「慰安婦」として性的奴隷を若い女性に強制したことを、日本政府が明確であいまいさのないやり方で公式に認めて謝罪し、歴史上の責任を受け入れるべきであるという下院の意見を表明する」
 「植民地支配と戦時占領の期間、日本政府は公式に、帝国軍隊の性奴隷にすることを唯一の目的として若い女性の獲得を委託した」「日本政府による軍事的強制売春である『慰安婦』システムは、その残酷さと規模の大きさで前例のないものと考えられる。集団レイプ、強制妊娠中絶、辱めや性暴力を含み、結果として死、最終的には自殺に追い込んだ二十世紀最大の人身売買事件になった」
 「日本の学校で使用されている新しい教科書のなかには、『慰安婦』の悲劇や第二次世界大戦中の日本のその他の戦争犯罪を軽視しているものもある」「日本の官民の当局者たちは最近、彼女らの苦難に対し政府の真摯な謝罪と反省を表明した一九九三年の河野談話を薄め、もしくは無効にしようとする願望を示している」
 「日本政府は女性と子どもの人身売買を禁止する一九二一年の国際条約に署名し、武力紛争が女性に与える特別の影響を認識した女性、平和、安全保障にかんする二〇〇〇年の国連安全保障理事会決議一三二五を支持している」
 「『慰安婦』の虐待および被害の償いのための計画と事業の実施を目的として日本政府が主導し、資金の大部分を政府が提供した民間基金『アジア女性基金』の権限は二〇〇七年三月三十一日に終了し、基金は同日付で解散される」
 この前文を受けて、下院の意思として次のように決議するとしている。
 「日本政府は、(1)一九三〇年代から第二次世界大戦を通じたアジア太平洋諸島の植民地支配と戦時占領の期間、日本帝国軍隊が若い女性に「慰安婦」として世界に知られる性奴隷を強制したことを、明確にあいまいさのないやり方で公式に認め、謝罪し、歴史的責任をうけいれるべきである。
 (2)日本国首相の公的な資格でおこなわれる公の声明書として、この公式の謝罪をおこなうべきである。
 (3)日本帝国軍隊のための性の奴隷化および「慰安婦」の人身売買はなかったといういかなる主張にたいしても明確、公式に反論すべきである。
 そして、(4)「慰安婦」にかんする国際社会の勧告に従い、現在と未来の世代に対しこの恐るべき犯罪についての教育をおこなうべきである」
 まさにこの決議が下院で通れば安倍総理は決定的に追いつめられる事になるだろう。

安倍総理の「狭義の強制性」なし発言

 一月末にマイク・ホンダ議員(民主)によって提出された同決議案の共同提案議員は、当初の六人から、二月十五日、元「慰安婦」の女性が初めて証言した公聴会を経て、二月末現在で、二十五人(民主党十九人、共和党六人)に達した。
 しかし三月一日からの安倍総理の一連の「河野談話」の否定発言は、米下院で衝撃を持って受け止められており、従来から日本に同情的な態度を取ってきた共和党議員の態度をも硬化させ、同案支持の動きが一気に広がっている。
 二月十五日、元「慰安婦」の女性が初めて証言した公聴会を経て、三月十日までには一月の法案提出時にはたった六人だった決議案の共同提案者は四十人を超えてしまった。
 三月八日ボストン・グローブ紙は「謝ることのできない日本」と題する社説で、この「慰安婦」発言を批判して、「軍の売春宿に閉じ込められた二十万人にのぼる女性たちの苦しみを公式に認めることを拒否した」と指摘し、安倍首相の発言は「日本国民を反映したものと理解すべきでなく、むしろ与党・自民党の安倍氏や右派が権力への布石として採用してきた国粋主義の症状だ」と論評した。安倍総理の政治姿勢は見抜かれているのである。
 このように首相訪米を前に、安倍発言は大きな火種となる可能性が出てきた。決議案の代表提出者のホンダ議員(民主)の事務所によると、九日時点で共同提案者は共和・民主両党の計四十二人で、さらに増える見通しだと強気である。その中には、軍拡や移民規制強化の主張で知られる保守派のハンター前軍事委員長(共和)も名を連ねている。

安倍総理はいずこへ

 安倍総理は、「慰安婦」は強制ではなく、政府に責任はないとの持論を発言しただけだと極めて簡単に考えてはいるだろう。
 しかし「河野談話」の基礎となる調査を纏めた内閣官房外政審議室は「いわゆる従軍慰安婦問題について」を発表し、「河野談話」は防衛庁・外務省・警察庁・米国立公文書館などの内外政府十機関を調査し、元「慰安婦」や元軍人・元朝鮮総督府関係者などから聞き取りを行い、この問題についての「本邦における出版物のほぼすべてを渉猟した」上で作成されたものと明言している。
 そこで明らかになった核心的で根本的な事実を列挙する。
 ――慰安所の開設は当時の軍の要請によるものだった。
 ――慰安所の経営・管理は軍が直接経営するか、民間業者の場合も軍は直接関与した。
 ――「慰安婦」は外出時間や場所が限定されており、「戦地においては常時軍の管理下に  おいて軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられたことは  明らか」
 こうして集め方=徴募の方法だけでなく、その輸送・移動から慰安所の設置・管理に至るまで、「従軍慰安婦」の仕組み全体が、女性たちに兵士の性の相手を強制する、政府・軍による「性奴隷制」というべきシステムだった事は、隠しようもない事実なのである。
 証言は元「慰安婦」だけではなく、日本軍の元兵士からも、強制的に「慰安婦」を集めたとの証言は少なくない(海軍経理学校補修学生第十期文集『滄溟』など)。
 先に紹介したファレオマバエガ委員長は、四月末に予定される安倍首相の訪米に配慮して採決をその後に先送りする可能性を一部メディアに語っていたが、「慰安婦」問題で強制性を否定する「安倍首相の重大な発言」で「情勢は劇的に変わった」と述べている。
 安倍総理は自らの「軽率な発言」によって大変な窮地に陥ってしまったのである。
 さて自業自得とはいえ安倍総理はこの窮地から如何に脱出するのであろうか。(直記彬)


参考資料―「河野内閣官房長官談話」 1993(平成5)年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。案内へ戻る


連載 グラフで見る高校生の意識調査 その10

 問10 あなたが選びたい生き方はどれですか。また、将来あなたの結婚相手または恋人に望みたい生き方はどれですか。1仕事継続型 2中断再就職型 3出産退職型 4結婚退職型 5結婚せずにずっと仕事する 6結婚型 7仕事も結婚もしない

 女子の選びたい生き方は前回、1992年実施に比べると、「結婚退職型」が約17%減少し、「出産退職型」が6%、「仕事継続型」が約9%増加しています。「中断再就職型」はほぼ横ばいです。また、「結婚せずにずっと仕事をする」が、3・6%から5・6%に増えています。
 (2005年調査の)女子の選びたい生き方は、「仕事継続型」が29%、「中断再就職型」が約37%で、あわせると約65%になります。一方、男子が相手に望む生き方は「仕事継続型」「中断再就職型」「出産退職型」が、それぞれ約25%と多様です。
(「男女参画社会に向けての高校生アンケート調査報告書」発行者・南阪神ねっと、より転載)

 女子の結婚してからも仕事を続けようとする生き方が、前回から13年を経て増加しているのは、パート労働ではあれ女子の社会参加が進んできた現状があるからでしょう。次回の連載11で、選んだ理由が詳細に紹介される予定ですが、仕事を生きがいにしたいと望む自立志向型はどれくらいの割合を占めるのでしょうか。経済的な自立が可能になれば、女性の活躍する分野が広がっていくに違いありません。議会の場に女性が少ないのも、そもそも立候補するのに多額の費用が必要になるから、出馬自体を諦めるのかもしれません。選挙に費用がかからない、そんな選挙制度にすれば、意欲のある人なら老若男女を問わず、立候補できるということです。(恵) 


老残晒す石原知事――石原都政に終止符を!――

 3月6日、この22日に告示される都知事選に元宮城県知事の浅野史郎氏が立候補を表明し、都知事選の対立構図が明確になった。99年の初当選以降、何かと物議を醸してきた石原都知事の3選がどうなるか、自民党や民主党を巻き込んだ一連のすったもんだの結果も含めて、4月の統一地方選の最大の目玉になったことは疑いない。

■凋落際だつ石原知事

 過去2回の都知事選で圧勝した石原慎太郎。ほんの昨年末までは立候補を表明さえすれば3選確実な状況にあった。それが側近政治、規格外の豪勢な“海外出張”、“画家”と称される4男の都文化事業への情実起用など、逆風が吹き荒れ始めた。前回の選挙での300万票を超える大量投票で傲慢さを増す石原知事だが、一転、激戦の様相を見せ始めている。
 石原知事といえば、初当選時から時の首相や政府に対する高飛車な物言いと世論受けしたパフォーマンスで“強い指導者”と受け止められ、高支持率を維持してきた。一時は小泉内閣が暗礁に乗り上げたときの後継者にとりさだされるまでになり、当の本人もその野望を否定もせずにチャンスを覗っていた時期もあった。
 そうした思惑もあって世論受けするパフォーマンスを派手に打ちあげる場面も多かった。たとえば就任一期目で打ち出したディーゼル車の排ガス規制や企業に対する外形標準課税の導入などだ。それまで緊急の課題だとされながらも国が手をつけなかったこれらの政策案件に手をつけることで国政の重い腰を浮き彫りにして世論の喝采も浴びてきた。
 反面、9月1日の防災記念日には、よせばいいのに自衛隊の戦車を東京銀座の街中をこれ見よがしに闊歩させ、自衛隊の認知という従来の野望に忠実な振る舞いも見せた。
 また他方では反戦平和の動きには過剰としか言いようのない敵意をギラつかせ、右翼的体質丸出しの露骨な教育統制に力を注いできた。都教育委員会を使って学校現場に対する「日の丸・君が代」の強制に異常な執着心を注ぎ、それを拒否した教職員に対する過剰な統制処分を乱発してきた。それはいまでも司法の場その他で係争中だ。
 それに16年に予定される夏期五輪の東京招致を打ち上げ、国内候補地の座を射止めた。が、東京一極集中の弊害が大きく浮かび上がっている現在、首都再生の起爆剤などと5輪を位置づけて招致をめざすなどという企業重視の政治的センスは論外だろう。
 高支持率を背景にしたそうしたやりたい放題の都政にあって、その傲慢さが現れたのが石原知事の“豪遊”としか言いようがない海外出張問題だ。規定を超える高級ホテルでの宿泊などは当たり前、視察と称して豪華クルーザーをチャーターしての外遊など、悪のりは目に余る。それに併せて身内の情実起用が次々と暴露されるに及んでさすがの高支持率にもかげりが見え、都知事3選にも黄色信号がともってきた、というのが今の状況だといえる。
 しかしより大きな問題は、戦争や自衛隊がらみの、あるいは口にするのもはばかられる女性・婦人や障害者に対する差別的態度など、世界的な基準で言えばファシスト的極右の立場を隠そうとしない石原知事が、なぜ高い支持率を維持してきたのか、ということだろう。端的に言えば、既成秩序を何かと打ち破ってくれそうな“強い指導者”を待望する世論の期待、あるいは旧来型の日本型社会が再編局面に入ったことで、ともすれば失いがちになる個々人の帰属意識が国家主導、政治主導のナショナリズムに吸引されるという今日的事情がない交ぜになったものと思われる。このことは裏を返せば戦後の反体制勢力の解体や既存秩序に対するオルタナティブの未形成という、戦後左派・民主勢力の解体現象があるのは言うまでもない。だから石原知事の高支持率自体が私たち左派あるいは労働運動サイドの解体・分散化現象の結果であって、深刻な自己省抜きには語れない現象ではある。だから石原3選の阻止という課題は、本来、左派や労働者勢力の課題であって、誰か石原慎太郎とは違った他の英雄やパフォーマンスで取り替えるといった問題ではないのだ。

■対抗馬は浅野史郎…………?

 社会的弱者への差別発言、側近政治、都政の私物化、教育現場での恐怖政治等を批判して立候補した浅野氏はどうか。
 「勝手連に支えられた選挙」戦術などという自己矛盾した選挙戦術や、背後で民主党などの支援も当てにするという手法自体も一種のマヌーバーだし、テレビに露出する機会を多用するなどのメディア戦略も、最近の無党派層による風を意識したものになった。それは宮崎の「そのまんま東旋風」などを受けた、当選のための現実性を考慮したものらしいが、そうした「無党派という政治的立場」はどれだけの実績があったのだろうか。
 ちょっと前、東京と大阪での「青島現象」「横山ノック現象」あたりから始まった無党派知事や革新派知事は、その後長野や横浜市などにも拡がった。が、一部、住民の要請に応える独自政策で脚光を浴びた局面もあったが、ほとんどは一期で自滅するか、尻切れトンボに終わった。美濃部都政をはじめとするかつての革新自治体運動に比べても将来展望や運動の持続性という点からも力強さはなく、ほとんど知事の個性に依存した一過性のものに終わってきた。
 浅野氏はどうか。情報公開度をはじめとする浅野氏が有権者無視とやり玉に挙げる石原都政の現状はその通りだろう。しかし五輪招致の見直しや知事交際費の抜本的見直しなども、かつての田中康夫長野県知事による「脱ダム宣言」のインパクトに比べても、石原都政の根本的転換への姿勢は弱い。
 それはそうだろう。浅野氏は厚生官僚として出発し、宮城県知事に転戦して初当選したときは新生党、日本新党、さきがけ、社民連の推薦を受けて当選した。2期目に「脱政党」を掲げて当選したものの、それは革新知事という評価もあって個人的な人気が高まったこと、当時もそうだったが、自民党などの保守政党による腐敗し停滞した地方政治に対する住民の忌避の声が高まっていた、という背景があってのことだった。まだ都知事選に向けた「マニュフェスト」が出ていないが、明確な将来像と一貫した政治姿勢があっての立候補とは受け取れない。単なる“自己実現”に終わる可能性は否定できない。あの“木枯らし紋次郎”こと中村敦夫が98年10月に旗揚げした「国民会議」のトータル性、一貫性に比べてもインパクトが伝わってこないのが実感だろう。
 それも浅野氏が依拠する政治スタイルというのは、世論の風を読みながら無党派層の政治的受け皿になることで知事などの政治的地位を得ること、その地位を利用して行政としていくつかの目立つ政策を行う、というスタイルだからだ。 確かに情報公開や官製談合の撲滅、警察報償費の裏経理などに切り込んだ姿勢は評価すべきだろう。しかしそれらの解消は単に行政的手法だけでは撲滅は難しい。行政や企業の内部に継続的にチェックできる制度や組織をつくらなければ、仮にうまくいっても一時的なものに終わる。地方政治においてもそうだが、腐敗した地方政治や地方自治を改革して行くには、自治体レベルでの住民自治を拡大すること、当該の行政組織内部にも労働組合などのチェック勢力を強化していくことを両輪で進めていくことが不可欠だ。労働組合自体が腐敗しているというならそれを立て直していくことが必要になるが、浅野氏のような選挙民の風に頼る知事では、そうした継続的な取り組みは期待すべくも無い。

■ともかく石原三選阻止を!

 ともかく今度の都知事選は、直接的には石原慎太郎知事の3選をどう阻止していくかが問われる選挙になる。
 今回の選挙では隠れた主役である共産党の“健闘”も無視できない。直前まで三選確実という情勢をひっくり返して石原知事三選に疑問符をつけ、浅野氏など他の候補が立候補できる土俵をつくったのが共産党だからだ。共産党は都知事の交際費や身内の情実採用など、石原都政の私物化を掘り起こしてきた。小泉政権時代から続くタウンミーティングでの“やらせ”問題の掘り起こしも共産党が手をつけたものだった。そうした共産党が日常の調査活動や追求行動を背景に吉田万三氏を擁して都知事選に参戦するが、例のメディア選挙という現実の選挙風土の中、やはり石原対浅野という対決構図がつくられれているのが実態だ。“テレビ時代”と“無党派全盛時代”には硬直した中央統制型の政党が受け入れられる可能性は小さい。
 仮に浅野氏が石原知事を引きずり下ろすことができたとしても、それを評価できるのは石原慎太郎を知事の座から引きづり下ろした、という一点に限られるだろう。浅野氏もかつての長野の田中氏と同じで、「革新知事」として有名人になった一人のスーパーマンによる都政改革にはあまり期待できないし、すべきでもない。地方政治の改革、あるいは地方分権と言っても、それだけでは中央政府に対する地方政府の勢力圏抗争の問題にすぎないからだ。地方分権や情報公開といった課題はそれじたい正当な要素を含んではいるものの、本来の自治とは住民自治の拡大のことであって、自治体改革、地方分権はそれを促進、拡大する限りで評価すべきものだろう。
 ともあれ、現時点ではそれぞれの持ち場で石原三選阻止で奮闘したい。(廣)


コラムの窓・・・なぜ、無くならない「冤罪」

 2月に話題の映画「それでもボクはやってない」を見た。
 この映画は「日本の刑事裁判」における冤罪の構図を鋭く描いた秀作である。
 周防正行監督が「初めて撮らないわけにはいかないという使命感を持って作った映画だ」と述べているように、取材開始から4年の歳月をかけて完成させた作品である。
 この周防監督のすばらしい点は、普段の生活の中で、僕が驚き興味を持ったことを皆に伝えたい、そのことがいつも出発点になっていることである。今回も、実際の裁判傍聴に約200回通い、参考文献を200冊以上読み、取材依頼者が約200人で、取材時間を約2,00時間もかけて作品づくりをした。
 撮りたいと思ったきっかけは、02年12月の新聞記事「東京高裁で痴漢事件の逆転判決が出る」を読んで。その記事とは痴漢冤罪事件で被告人となった矢田部孝司さんが、家族や大学時代の同級生らによる支援活動を受けながら、無罪を勝ち取るための活動を展開して、検察官の有罪立証を覆し、無罪を勝ち取ったという内容である。(詳しくは、「お父さんはやってない」太田出版を参照)
 3月に入ると、「冤罪事件」に関するビックニュースが飛び込んできた。
 「袴田事件」で死刑囚となった袴田巌さん(70歳)に、1968年一審の静岡地裁で死刑判決を書いた熊本元裁判官が、「無罪の心証」があったと発表したのである。
 袴田巌さんは、1966年6月30日静岡県清水市でみそ製造会社専務一家4人が殺害された強盗殺人事件で逮捕され、死刑囚になった人である。
 犯人捜査の清水警察署は、「元プロボクサーだから」ということで逮捕し、8月18日から9月9日まで、連日早朝から深夜まで1日平均12時間の取調べ、ひどいときは16時間以上もあり、これを20日間も延々と続けた。(表を参照)
 こんな中で、袴田さんは合計45通の自白調書をとられたのである。ところが、一審の裁判では起訴期限直前に取った調書の1通だけが証拠として採用されたにすぎない。
 公判当初より袴田さんは、拷問のような自白の強要であるとして犯行を否認続けたが、80年に最高裁で「上告」が棄却され死刑が確定。弁護団は81年に「再審請求」するが静岡地裁は94年に棄却。04年には東京高裁に「即時抗告」するが退けられ、現在最高裁に「特別抗告」中である。事件から40年がすぎ、袴田さんはすでに70歳を越えてしまい、人生の半分以上を獄中で死刑囚として過ごすことを強いられている。
 今回、一審の静岡地裁の担当裁判官であった熊本典道さん(69歳)は、裁判法で定められている「評議の秘密」を明らかにする守秘義務違反を承知の上で、「心ならずも信念に反する判決を出した。3人の裁判官による合議では『有罪にする証拠』がないと無罪を主張したが、1対2で敗れた。裁判長から判決文の起案を命じられやむなく書いたが、自白の獲得に汲々として物的証拠に関する捜査を怠ったとの付言を入れたのは、私なりの精一杯の主張だった」と、さらに「判決後一日も事件のことを忘れた日はなかった。今年70歳になる私と袴田君の年齢を考えると、この時期に述べておかなければならない」と考え、今後の支援活動への協力を申し出たのである。
 周防監督の映画の中でも、警察官による自白を強要する屈辱的な取調べや精神的な拷問のあり方、裁判官が簡単に長期拘留を認めてしまうシステムの問題(映画の主人公は逮捕され釈放されるまで116日間ずっと留置所暮らしを強いられる)、さらに日本の裁判のあり方についても、裁判官は主体的に訴訟を担い有罪・無罪を判断するのではなく、警察や検察に専ら依拠しその追認を行っているだけである。判決をスピーディーに出して訴訟件数を多く処理できる裁判官が優秀だと評価される世界である。だからこそ、恐ろしいことに日本の刑事裁判は99.9%の有罪率となっている。
 ある日、あなたは○○事件の「犯人」に間違えられる。「被疑者」として留置所に入れられる。起訴されて「被告人」と呼ばれる。そして、裁判で有罪となり「刑務所」に入れられることになるかもしれない。
 最近でも、鹿児島県の公職選挙違反の無罪事件、富山県の婦女暴行の無罪事件、千葉県の少年放火の無罪事件等など多くの「冤罪事件」が起き問題になっている。日本では昔からこうした「冤罪事件」や「無実の死刑囚」を多く生んできて、その度に問題が指摘されてきた。ところがいっこうに「冤罪」はなくならない。また新たな冤罪被害者を生みつづけている。
 周防監督もこの映画で描こうとしたのは、こうした悪しき捜査や裁判のシステム欠陥であり、新たな冤罪被害者を出さない捜査・司法改革である。
 冤罪事件が起こるたびに叫ばれてきた捜査室における取調べを「録音する」「ビデオ撮影」するシステムの導入や、冤罪の温床と指摘される「留置場」の改善など、すぐにでも制度を改善する要求の声を関係者とともに上げていく必要がある。(英)案内へ戻る


映画「ガイサンシー(蓋山西)とその姉妹たち」紹介

 2月17日東京で、班忠義監督のドキュメンタリー映画が上映された。9年の歳月をかけて完成させたというだけあって、すばらしい作品である。
 中国の古い民謡に『草原情歌』という曲があり、広い草原に響きわたるような哀しいメロディーは日本でもよく歌われている。
 「はるか離れた そのまたむこう だれにでも 好かれる きれいな娘がいた」
 この歌のとうり山西省の盂県というところに、蓋山西(ガイサンシー山西省一の美人の意)と呼ばれた侯冬がさんが住んでいた。1942年、日本軍による村の占領があった後「監禁部屋」が設置され、そこで筆舌につくしがたい彼女たちへの性暴力が始められる。 ガイサンシーと呼ばれた侯さんは、そこで「同じ境遇に置かれた幼い”姉妹たち”を、自分の身を挺してまで守ろうとした、彼女の優しい心根に対してつけられたものであり、その後の彼女の人生の悲惨さを想ってのものだった。『ガイサンシー』という名は、やがて山西省の人々の間で人間の尊厳を表すことばとなる。」(作品解説より)
 映画の中では、侯さんはすでに亡くその「姉妹たち」が証言してゆく。
 80代のその女性は、日本兵に蹴られて骨折したため左右の足の長さが違う。びっこをひいて歩いて見せる。ベルトのバックルできつく殴られた右目は失明、体中のいたるところに残る傷跡はすさまじい。
 もう一人の女性も、当時の恐怖から精神に異常をきたしていて「私は頭が働かないのです。」と語る。訪れた班監督にお茶をいれようとしてこぼしてしまい「今でも初めて会う人は恐いのです。」と言う。ぬぐいきれない心の深い傷を物語る、胸の痛くなる場面だ。彼女は夜中に、何かにのしかかられる夢にうなされ大声で叫ぶというが、詳しい事情は家族にさえ打ち明けていない。
 当時日本軍は、敵(八路軍)が隠れないように村むらを焼き払い、そこから資財を運び出しトーチカを作りその中で彼女たちに暴力の限りをつくしていた。「お前の共産党の夫を連れてこい。」と言って暴力をふるったという。八路軍への敵意と恐怖、憎しみをそのまま弱い彼女たちにぶつけたのだ。歯止めとなるものは何も無い、想像を絶する暴力だったと思う。侯さんは、幼い「妹たち」にかわりすすんで日本兵の暴力を受け、仲間をなぐさめ励ましたという。ある時「牙」と呼ばれる冷酷な日本兵がやってきて、その日も恐がって泣く「妹」のかわりに相手をしにいった。彼の帰ったあと侯さんは、口から泡を吹いて気を失っていたという。彼女たちは、いつ果てるともない暴力と日に何十人もの性の相手を強いられ、出血に苦しんだ。中には13歳の少女もいた。
 やがて侯さんは、腹部の痛みに耐えきれず転げ回って苦しむようになる。歩くこともロバに乗ることもできず、担架に乗せられ(敷物も掛けるものさえ無しに)村に帰される。彼女を診た日本の軍医は「もうだめだ」と言ったという。その当時の話をする男性は、「担架に乗せられてトーチカから帰された時はひどかった。漢方医がお腹を押さえ、洗面器一杯でたよ。」(何がですか?)「子宮の中の汚いものがさ。」
 他の男性は、当時の日本刀を出して見せ「ここに《天皇》と彫られている。日本兵は一日に村人を40人以上も切り殺した。こどもも水汲みの老人も。そりゃ見事な腕前で、スパッと切れた首がコロコロ山道を転げてゆくんだ。」
 映画は、元日本兵へのインタビューに変わる。三重県の男性「我々の所に中国人(慰安婦)を連れて来たら、大事にしたものですよ。同じ食事を与えてね部屋も与えてね。給金も貰ってたんじゃないかな?炊事場の隣に一人慰安婦を置いてね。兵は昼ご飯を取りに行った後に寄ったかどうか、あはは」(その一人の女性に兵隊さんは何人でしたか?)そこに40人以上の日本兵の集合写真が映し出される。
 もう一人の元日本兵「中国人女性を、4年兵が3、4人で輪姦した後『お前もやれ』と言われ、汚いなと思いつつ続いて一回だけやってしまった。命令には逆らえなかった。後で自分に娘や孫が産まれ、自分の家族がそうされたらと40年たって初めて、悪いことをしたと気ずいた。」
 半世紀以上たっても、いや半世紀以上たったからこそ三重県の男性のような心ない誤った意識は変わらないのかもしれない。ただ、彼らが顔を上げ正面を向いて証言したことはとても大事なことで、ここは班監督の誠意に呼応したものだと思われる。
 侯さんは、70歳代の時日本に行き「従軍慰安婦」を強いられたことを証言するはずだった。しかし村を出発してすぐ彼女の体が長旅には耐えられないほど弱っていることがわかり、断念したという。そして最晩年は・・・・、自ら命を断っている。子宮からの出血は止まらず、体中がたがたで人の世話無しでは生きられない。あまりにも貧しく親身になって世話をしてくれる身内もいなかった。耐えがたいことだらけの人生だったと思う。
 班忠義監督は、彼女たちの証言を得るため山また山の遠くのその村に通い続ける。途中の川でジープが立往生し(こんな所にまで日本兵はなぜ来たんだろう)という彼のナレーションに胸を突かれる。班さんは「よそ者」だから彼女たちもなかなか口を開こうとしない。今まで証言を聞いてくれる人もいなかった。何年も通い続けて完成させた作品は、中国人の若い班さんだからこそ撮れた映画だろうと思う。1958年に中国に産まれた班さんは、少年時代に「曽おばさん」という”中国残留婦人”の日本人と出会い、日本語を教わる中で彼女の戦争の傷跡やさまざまな問題につきあたっていく。班さんが成長する中で「曽おばさん」の果たす役割は大きかった。
 「ガイサンシー」たちは、戦中戦後ずっと差別やひどい貧しさ、病気からのがれられず生きねばならない。今も足を引きずり涙を流し、精神を病みあるいは自ら命を断つほどの苦痛の中で。誰も知らない何もしない、加害の私たち日本人。
 『蓋山西(ガイサンシー)とその姉妹たちの不幸な戦争体験を公表する。彼女たちの血と涙で刻まれた歴史と、そして現状に関心を寄せ、”尊厳”と”愛”を与えるように心から希望する。・・・・班忠義』
 映画の自主上映を募集している。
 連絡先 シグロ(TEL03ー5343ー3101)        富田澄子


映画紹介 「ワールド・トレード・センター」を見て

 06年8月公開された5年前の「9.11」テロ事件を扱った話題の『ワールド・トレード・センター』をやっと見る事ができた。映画館ではなく、私はDVDで見たのである。
 今やアメリカ国内でもアメリカ政府内部犯行説がかなりのアメリカ国民に着実に浸透している時、『JFK』や『ニクソン』を監督したオリバー・ストーンは、その事はおくびにも出さずに、CGとセットでWTCの二棟と第7ビルの炎上と崩壊を劇的に再現し、110階建て400メートルのWTCのビルの底に生き埋めになって、十数時間後に救出された二人の警察官に焦点を当てて、その妻たちの苦悩と救助隊の人々の活躍を映像化した。
 これらの崩落により、実に八十七カ国二千七百四十九人の死亡者が出たが、その中には救出のためビル内へ出動した約三百七十人の消防士と約四十人の警察官が含まれている。
 救出されたニューヨーク港湾警察署のこの二人の警官の内、ベテランの班長を演じたのはニコラス・ケイジで、就職九ヶ月の新米警官を演じたのはマイケル・ペーニャであった。
 彼らは、たまたま二つの巨大ビルの中間の地下一階の連絡通路、コンコースにいて、北タワーの崩落時に、ベテラン班長のエレベーター部分がビルでは最も丈夫だからとの咄嗟の判断によりそこに逃げ込んで辛うじて生き延びる事ができたのであった。
 しかしコンクリート等の瓦礫の中に生き埋めとなり骨折等で身動き取れない体で、彼らは眠らないよう声を掛け励まし合う。人は内出血等があると眠っては死ぬと彼らは知っていたからである。そこで今まで語らずに来た家族を話題にする。ここで彼らの家族の苦悩が見事に描かれる。そしてお互いを理解し合いながら、深夜に救出され九死に一生を得る。
 このように職業上の使命感からWTCビル内へ救出に向かった消防士と港湾警察官たちは実際ほとんど助かっていない。それでも二つのタワー倒壊後に現場から救出された者が合計20名おり、この二人の警官は、実に18番目と19番目の救出者であった。
 タワーが崩落を始めるまで、各所で激しい爆発音が何回も起きていた。これについては消火や救助のためビル内に入った消防士たちの証言がある。オリバー・ストーン監督は映画の中で重く鳴り響く音を印象深く再現するも特に何の説明も与えていない。この点が彼の反骨精神の真骨頂であり、「9・11」事件に対する彼なりの真実の描き方なのである。
 彼は「9・11」事件についていろいろな角度からの描き方があってよいのだと盛んに自ら論評している。映画の最初の方で港湾警察官の日常を描きながら、彼らのほとんどがスペイン系アメリカ人である事を明らかにした。彼は一体何を言いたかったのであろうか。
 このように登場人物を港湾警察官や家族等極めて少数に絞った事や二人からの聞き取りで脚本を事実に即した感動的なものに仕上げた事もまさに彼の深謀遠慮にあると言える。こうした点が、彼に言わせれば、労働者階級の視点があるとの発言の根拠なのであろう。
 彼は、「9・11」事件そのものやテロリストについて何の論評もしていないが、私たちに伝えたかったのものは何かと言えば、登場人物のお世辞が下手で出世できないベテラン港湾警察官やこの映画に登場する地道かつ真っ当な一般のアメリカ人の生き方は全く健全そのもので、そうした生き方こそ、現実に家族だけでなく私たちの周囲の人々に対して愛情と勇気と感動を確実に与えるものだとのメッセージではないだろうか。 (直記彬)


書籍紹介 安田浩一「外国人研修生殺人事件」(七つ森書館・1600円+税)

 これは推理小説ではない。中国人研修生が何故に傷害致死、殺人事件≠起こすに至ったのかを追った、迫真のレポートである。この国の最底辺に押し込まれ、奴隷労働を強いられている人々が存在する。それは、まるで戦前の強制連行・強制労働のようだ。(晴)

外国人研修生崔紅義(ツイ・ホンイー)
 事件は昨年8月18日、千葉県木更津市の養豚場で起こった。26歳の中国人青年がナイフで社団法人・千葉県農業協会関係者ら3名を刺し、同協会常務理事越川駿を死に至らしめた。希望を持って崔紅義が「森本畜産」を訪れたのは2006年4月21日、それから4ヵ月で絶望の果てにナイフを振り回す、暗転となった。
 崔は100万円の借金をして日本にやって来たが、実習期間とあわせて3年を無事に終えることができずに途中帰国にでもなれば、この借金(保証金)は没収されてしまう。まさに背水の陣での来日であるが、「森本畜産」での雇用条件≠ヘあまりに劣悪であった。
・月額の報酬は65000円
・1週間の労働時間は40時間。残業したら時給450円を払う。
・残業代は月額報酬とは別の口座に振り込む。
・休日は週に1日。
・通帳と印鑑は経営者が預かり、必要に応じて現金を手渡す。パスポートも経営者が保管する。
・毎月、食費補助の名目で5000円を支給する。
 千葉県の最低賃金は時給687円、25%増しの残業となると858円になる。週休1日で週40時間労働だと、1日の労働時間は7時間弱となるが、残業は月50時間を越えることもあった。これほどまでの労働基準法無視がまかり通るのは、研修生は労働者ではないという建前による。
 しかし、崔が行っていた養豚場の仕事は、重労働で朝も早く、いわゆる三K労働≠ナあり、研修とは程遠い。残業代を別口座に振り込むのは、研修生には残業がないためであり、入管の立ち入り調査を欺く策である。通帳を取り上げられていた崔が自由にできたお金は、食費補助≠フ5000円だけだった。
 パスポートを取り上げるのは逃亡防止≠フためであり、「森本畜産」が特別に悪徳ということではなく、他の労働条件とあわせこれらが一般的なものである。ちなみに、アイムジャパン(中小企業国際人材育成事業団)が研修生に配っていた説明書には次のように記載されていた。
「外国人身分証明書を取得後、研修生はパスポートを携帯する必要はない。紛失、盗難等を防ぐため、パスポートは受け入れ企業に預けなくてはならない。アイム・ジャパンが用意したパスポート保管/委託証明書を用いること」
 こうして8月18日を迎えることになる。越川駿らは崔を強制帰国≠ウせるためタクシーに押し込もうとし、これに抵抗する過程で崔は3人を殺傷することになる。100万円の借金の重圧が崔を押しつぶし、絶望的な抵抗へと駆り立ててしまったのだ。

外国人研修制度とは何か
 1950年代後半、海外進出を始めた日本企業は人材育成のための研修を行っていた。「しかし70年代に入ってから日本人の賃金が高騰していくなか、一部企業による『研修に名を借りた就労』が少しずつ問題として浮上することになった」(115ページ)
 81年には研修目的で来日した者の在留資格が「留学の一形態」として認められ、90年には入管法の改正によって「研修」という在留資格が設けられた。「さらにこの年、それまで企業が個別に研修生を受け入れていた『企業単独型』に加え、協同組合などの企業団体が研修生を受け入れ、それを中小企業に振り分けて派遣する『団体管理型』が誕生した。先にも触れたように、中小企業などから『安上がりの人材』を求める声が強まったことが背景にある」(116ページ)
 この研修生受け入れ団体の指定を受け、中国から9000名もの研修生を受け入れてきた財団法人・日中技能者交流センターという組織があるが、その創設者として現在も理事長を務めているのが槇枝元文、日教組委員長や総評議長を務めた人物である。中国からの研修生受け入れ事業は彼ら親中国派≠ェ開拓したものだというが、奴隷労働を生み出した罪を彼らは何一つ自覚していないようだ。
 なお、研修期間は1年で、その後2年の技能実習がある。技能実習生は労働者として労働関係法令の適用を受けるが、いずれも安上がりの労働力ということで、その境遇にさしたる違いはない。農業研修生コースに応募した中国人女性は家政婦のように私用にこき使われ、理事長に強姦されるという被害を受けている。この理事長が実は地元の議会の議員を長く務めた有力者である、といったお定まりの事例もある。

醜い日本
 かくして、奴隷労働を容認するこの国のありようが浮き彫りにされる。戦時の強制連行・強制労働は、兵役についた日本人労働者の穴埋めとして中国人や朝鮮人が動員された。現在の奴隷労働は、大企業にコスト切り下げを押し付けられ、アジア諸国の低廉な製品との競争を生き抜く中小・零細企業や地場産業、あるいは日本人労働者が寄り付かない三K労働≠ネど、ありとあらゆる犠牲を負うているのである。
 それが資本のあくなり利潤追求である限り、これを告発すればこと足れりと言えなくもないが、安い商品を求めてこうしたコスト切り下げに拍車をかけていることの加害性を見過ごしてはならない。また、外国人研修生を対等な隣人として接することなく、戦前と同じ蔑視感を潜在させているのではないかという危惧もある。
 建前と本音が乖離し、腐臭を放っている外国人研修制度は1日も早くなくさなければならないし、そんなものは必要でもない。労働者の自由な往来こそが、奴隷労働の基盤を破壊し、資本の欲しいままの搾取を阻むことができる。第2、第3の崔紅義の悲劇を再現させてはならない。

「その仕掛けをつくったのは、最も立場の弱い人間に犠牲を押し付けて存続する外国人研修制度なのである。その矛盾と綻びがハレーションを起こし、惨劇に結びついた。それはたまたま木更津の山中であっただけで、今この瞬間も、どこかで小さな恐怖と絶望が『研修現場』で産み落とされているに違いない」(204ページ)案内へ戻る


色鉛筆・・・介護日誌18

 「母を介護している。」と言うと、さまざまな励ましやなぐさめを頂く。今回は漫画本の差し入れがあり、それをご紹介したい。
 日頃漫画とは縁の無い私が、読み始めからぐいぐい引き込まれ全7巻をあっという間に読んでしまった。介護の実態がリアルに描かれ、それに対する見方も本当に暖かい。ついほろりと涙が出た場面もいくつもあった。なかなか触れにくい性の問題や、ケアーマネージャーの内実(一部ではあろうが)なども描かれていて、漫画ごときとあなどれない作品だと思った。『ヘルプマン』くさか里樹(講談社2004年5月発行)物語は、介護保険制度が始まる2000年の直前から始まる。
 18歳の「仁」と「百太郎」が、揃って高校中退をし特別養護老人ホームで働き始め、その後おのおのグループホームや、ホームヘルパー、ケアマネージャーなどさまざまな「老人のいる現場」に職を変えつつ、介護保険制度の矛盾や不備に戦いを挑んでゆく。ちょっと「ドンキホーテ」を思い起させる2人ではある。
 老人ホームでの人手不足が原因の「身体拘束」や、おむつを当ててしまうことに抗議する熱血漢の百太郎は、(なぜだ分からない)と悩んだ末、自ら一晩おむつをあて自分を縛り身をもって老人の苦痛を実感する。制度や制約のために、まだあるかもしれない排泄能力を無理矢理おむつの中に押さえこみ、結果的に人としての尊厳や生きる力を奪ってしまっている。長寿を誇る日本の、老人の置かれている問題点が浮き彫りにされている。
 在宅で痴呆の父親を介護している家族は、介護保険制度さえはじまればバラ色の介護になると期待するが、いざ現実に利用してみるとそのあまりの不充分さや矛盾の前に呆然とする。介護度調査の時だけ、痴呆の症状がおさまったり、重い痴呆であっても「歩ける」というだけで、介護度の判定は軽くなったりする。当然、利用限度額は少なくなり家族の肩に重い負担がかかったままだ。物語の中に、夜お茶を飲もうとする嫁が、洗ったはずの指先から便の臭いがしてくるのにはっとする場面がある。またデイサービスなどの送迎車が、老人を乗せて出発する時、安堵と束の間の解放感とともに家族が深々と頭を下げる場面も、実際に体験中の私にはとてもせつない。
 「親の『世話』が『虐待』に変わるとき」を描いた場面でも、ひとりでの介護に心身をすり減らしている息子に、「理解者や協力者が絶対に必要だ。」と声を掛けている。介護は孤立させない、そして充分な支援や協力が必要だ・・・。とはいえ虐待や老々介護の末の殺人・心中が後を絶たないのが現状なのはなぜ?
 さて、当事者(作品中では”人生の達人たち”)であるはずの老人を無視して、利益最優先のケアプラン作成を命じられるケアマネージャーの仁は、さまざまな試行錯誤の後に「こんなできそこないの介護保険制度」に、制度や制約を飛び越して戦いを挑んでゆく。物語は、2006年4月改正介護保険制度のスタート後で終わっている。漫画だから「泣かせる」場面や、安易なと感じる解決策もみられなくはないが、巻末に紹介されている13人の取材協力者の助言によって、現実の問題点や課題をきちんととらえる作品に仕上がっているのだろう。一読をおすすめする。
 最近ふと、在宅介護を続けることのしんどさに、いっそのこと施設に入ってもらおうかと考える。無気力な寝たきりになりそうな気がする。先のことは分からない。『ヘルプマン』の中で老人に百太郎が叫ぶように「人生あきらめるのはまだ早い。」そして心の底から笑ってほしいと願う。自分がして欲しいと思う介護ができる世の中って、望むのにはまだ早すぎる?(澄)


私と写真

 私が写真マニアになったのは何年前のことだろう。最初は住みついたネコたちの百態をとりつづけた。それから何の新聞だったか(アフガンの取材だったと思う)、焼野原に下半身ハダカの5才くらいの坊やが泣き叫んでいる写真を見たときだった。戦中、戦後を生きた世代であってみれば、当時同様の子どもを見て見ぬふりしてきた私の過去の記憶がよみがえった思いであった。一枚の写真が私のその後の行動の起因となったものであった。
 映像は耳で伝わるよりもインパクトを持つものと思い、下手の横好きながら、師匠も持たず思うままの視点を抱えて写真にこだわりはじめた。TVも映像と言葉で迫ってくるものと思い、映画、TV、写真展etc、を追って出来る限り見聞きしてきた。パソコンよりもTV派となった。
 1つ300円位のカメラを沢山かついで旅にも出るようになった。国外は殆どムリ。海外の不幸な現地からの報告や写真展、それに拘わりのある、巷の世間話の仲間入りをしようとしても、私のしゃべりまくりにヘキエキしてみんな逃げ腰になるのも、私と話すとき身構えを必要と感じるからであろうか。
 そこで働いてお金を手にすることの喜びでも、巷にたちまじって息をすることもあきらめ、巷の反映をTVに求めるようになり、長門裕之氏の如く、お尻にタコができる≠ルどのTV派とあいなった。素人目ながら、映像と言葉へのこだわりを更に意識することになったが、現在に過去を引き寄せて映像化するリクツ、ダブル・イメージはなんとかこなせても、未来につながるビジョンも何も見えない状況。
 今のところ老いたる者は後ろに退き、地球上の公害に目を向け、都市から逃げられぬ私自身の生活上での実践として、屋根の下には住めずに屋根裏と屋根上の都市のネコ同様、冬はネコたちをコタツ代わりにしている。また、夏はネコが涼しい所をさがし屋根上で寝ている如く、私も屋根上でハンモックを吊って寝る企画は、家が老朽化してムリ。
 さすればどうするか頭を悩ましていたところ、無暖房、無冷房の家に住む≠ニいう本が出て、コレコレと参考にすべく注文。同じようなことを考えるもんだなあと感じた。さて今夏の冷房≠ヘどうなりますことやら。
 生きる技も、生活の糧となる技ももたなかった私でも生涯に一つの作品、ドキュメンタリーを撮りたいもの。せめて未来へ踏みこむ一歩でもいい、示せたら・・・。素材はきっと巷に転がっているだろう、具体的には何一つ固まっていないが、その以前に今可能な限り見て歩き聞けるものは聞いてみたい。今その猶予の時期にあるようで、いかに<Jメラで表現に至れるか、未知でありながら誰もがやってみるだけのことはあろう。千差万別のやり方で。
 私の生命線の目の手術で日赤に入院し、多くのものを感じ、学ぶことができたのは幸いであった。何でも(現象として) オモロイ。自らの限界を知ったからだろうか? そして金≠ヘ万能の如くで、また全く無能(それだけのもの)であることも学んだ。
2007・2・25 あさ 宮森常子

〔附記〕写真を通して、日本人は苦しみを共にする≠アとはできても、楽しみ∞喜び≠共にすることは下手なのではないか? と思ったが。


BBC放送の勇み足

 二月二一日、ブレア英首相は、下院議会で、イラク南部に駐留する英軍部隊を数カ月以内に千六百人削減すると発表しました。ブレアの方針によると第一次の削減で現在七千百人の英軍部隊を夏以降に五千人以下まで削減するとの事。米軍に次ぐ規模の部隊をイラクに駐留させていた英軍部隊が今回段階的に撤退する事でアメリカの孤立は明確になりました。しかしイギリスはこの撤退をあくまで自分の判断だと取り繕う努力しています。
 最近、この流れの一環として、BBC放送は「9.11」検証番組を作成して放映したと聞きました。勿論ロンドンでの放映ですので私自身は見ておりません。アメリカでこの間台頭しつつある「9.11」アメリカ政府の内部犯行説をイギリスでは明確に否定しようとしたもののこの策動で藪蛇ながら過去のBBC放送の凄い映像が発見されたのです。
 それは、2001年9月11日の午後5時20分ころに倒壊したWTC第7ビルを背後に写しながら中継しているBBC放送のニューヨーク支局記者の中継映像です。この映像の中で、BBC放送のジェーン記者は、WTC第7ビルが崩壊する前に、そして実際のWTC第7ビルが自分の背後にしっかりと映っているにもかかわらず、「たった今、ソロモンブラザーズビルが崩壊したという情報が入ってきました」と言い切っています。まさに「無知は力である」の言葉そのものです。そしてそのまま中継が十分近く続けられたのです(http://www.liveleak.com/view?i=49f_1172526096の二十五分四十三秒の画像は必見)。
 この放映で最も重要なのは、動かぬ証拠のビルが背後にしっかりと映っているのにもかかわらず中継では第7ビルが倒壊したと報じている事にあります。BBCは、第7ビルの崩壊を、なぜか午後5時3分前(午後4:57分、NY時間)に速報し、5時のニュースではトップで取り上げています。その摩訶不思議なニュースクリップはここにあります。その中で「ソロモン・ブラザーズビル(第7ビル)がたった今崩壊しました」とはっきり言っているのです。しかしその時まだ第7ビルは崩壊していません。何度も字幕が出ます。
 この報道が実際の崩壊より23分も早かった事、そしてNY時間の午後5時20分に第7ビルはたったの6.5秒間で、まるでビル解体のように崩壊し、世界で初めて火災だけで崩壊した高層ビルとなりました。このビルには飛行機も突っ込んでいないのです。
 アメリカのテレビ報道では、これらWTCでの歴史的出来事を「火災の熱で鉄骨が脆弱化して崩壊した」と説明し、大半の人は今日でも信じているわけですが、第7ビルの崩壊については米国政府機関すら、なぜ崩壊したのか本当の原因はわからないとしています。
 「9.11」真実究明派の間で最大のキーポイントとされていたWTC7、別名:ソロモンブラザーズ・ビルに関する不可解なBBCの報道内容について、今インターネットでこの事が論議されています。
 このWTC第7ビルについては、崩落当初から、「飛行機がぶつかっていないのに崩落するのはおかしい」、「このビルの中にはジュリアーニが9・11前に設営した危機管理センターがあった」、このビルのリースホールダーだったラリー・シルバースタイン氏が、「倒壊させろ」と発言したとレポーターがテレビのドキュメンタリーの中で思わず口走ってしまった等々、いろいろな疑惑が言われてはいましたが、つい最近まで、それは憶測の域を出ないものでありました。
 この失態について、「9・11」陰謀論否定番組を作成したBBC放送のポーター記者はブログ内で、「映像も残っていないし、もしブロガー達が言っているのが正しければ、間違っていただけの話でそれ以上ではない」とのコメントで逃げを打っています。
 しかしこの事件を契機に「対テロ戦争」が開始され、既に推定65万人以上の無辜の民衆が虐殺された事を私たちは忘れてはなりません。そして今でもイラクでは市民や双方の兵士たちが対テロ戦争の犠牲になっているのです。ブッシュ政権やイスラエル政府は次はイランを標的として攻撃しようとしているのは周知の現実とはなっています。
 このWTC第7ビルについては、http://www.asyura2.com/07/idletalk22/msg/631.htmlの無料ビデオである『ルーズ・チェンジ(日本語版)』はこれまた必見です。    (笹倉)案内へ戻る