ワーカーズ343号  07/4/15     案内へ戻る

与党による国民投票法 強行採決を糾弾する!

 三月二十七日、自民公明両党は、国会に憲法九条等の改正をめざす国民投票法の「修正」案を提出した。これは、安倍総理指示の「今国会での成立」を受けたもので、すでに問題となっていた公務員の運動制限や最低投票率を設けていない等、反動的な与党原案の若干の手直し案でしかない。その意味では改憲指向の民主党を巻き込むための策動ある。
 この案には、刑事罰を伴う公務員法上の政治活動の禁止規定を波及させ、公務員・教員に「地位利用」を名目にした反対運動の制限を盛り込んだ。この制限は、日本会議の国会議員懇談会等が、国民投票における労組・市民運動やマスコミの活動への規制を強化する中で、特に「重視」したもので、「機関紙やビラを作成して組織的に配る行為」も検討対象とした。改憲についての輿論形成に対する何とも露骨極まりない弾圧策動ではないか。
 また同時に国民投票が成立するための最低投票率も設けず、改憲案承認の要件である「過半数の賛成」を「有効投票の過半数の賛成」とした。かくて有権者のたった二割の賛成で、改憲が現実となる。ここに改憲勢力のしゃにむに突進する姿勢が明確に浮かび上がる。
 すべては何が何でも改憲案を通そうとの思惑から打ち出されたものばかりである。
 しかしそれでも自信がない改憲派はCMにも規制を掛けた。有料放送CMについては投票日前十四日間の禁止のみと垂れ流しにし、無料広告の開放は政党中心の仕組みのままとした。ここにも彼らが改憲を堂々と論戦するのでなく、それを避ける小心さが際立つ。
 さらに豊富な資金力や日常的なマスコミ利用によって強行突破しようと実に糾弾に値する破廉恥な策動に打って出た。彼らは何と「組織的多数人買収罪」を新設し、労働組合・市民団体の当然の日常的な活動への不当介入を容認する姿勢をも明確にしたのである。
 今彼らは「最後には(自公民)三党合同の修正案を得られる可能性がある」との強気な皮算用に耽ってはいるが、私たち労働者民衆にとってはまさに仕掛けられた決戦である。
 今国会での国民投票法の成立を阻止するため、労働現場や地域から、断固として反撃していかなければならない。彼らが一方的に描く白日夢を断固打ち破っていこう。(直記)


教育改革関連三法案の国会上程に抗議と粉砕の闘いに立て!

改悪教育基本法の具体化攻撃が始まった

 三月三十日、政府は午前の閣議で、義務教育の目標に「国と郷土を愛する態度」等を盛り込んだ学校教育法と文科相の教育委員会への関与を強化する地方教育行政法の両改正案を決定した。そして三月二十七日既に閣議決定していた教員免許更新制導入を柱とする「教員免許法および教育公務員特例法」改正案とともに教育改革関連三法案として同日中に国会に一括上程したのである。
 周知のように、「教育再生」を掲げる安倍首相は、教育改革を今国会の最重要法案に位置付け、今期国会での成立をめざしている。今まさに戦端は切り開かれたのだ。
 学校教育法改正案は、昨年十二月に成立した改悪教育基本法を具体化したもので、義務教育の目標に「我が国と郷土を愛する態度」の他、「規範意識や公共の精神などに基づき社会に参画する態度」等を盛り込んだ。また小中学校等の組織運営強化や教育水準の向上をめざし、学校に従来の職種に加えて「副校長」「主幹教諭」「指導教諭」を置く事ができるとした。そして第三者を交えた学校評価を行い、改善を図る規定も設けたのである。
 与党間で問題となっていた教育委員会制度「改革」を柱とした地方教育行政法改定案は、(一)教委への文部科学相の指示権(二)私立学校に関する教委の助言・援助―等を新たに規定した。この改定案をめぐっては、公明党内に反対論があり、与党内で法案上程までぎりぎりの調整が続いたが、「私立学校の自主性の尊重」等を、付帯決議や改定後の通知に盛り込む事で合意に達したと伝えられている。まさに綱渡りの政権運営ではある。
 今回この一事からも窺えるように教育への権力的な統制の強化は、与党の一角を担う公明党までも疑問視せざるを得ないほどのものだと私たちは充分認識すべきである。
 さらに教育職員免許法等改定案は大問題である。現行の教育職員免許法では、一度取得すると生涯有効であった教員免許を、時限的なものに、具体的には十年ごとの更新制を導入し、その度毎に三十時間程度の研修を受けるものとした。また同改定案に含まれる教育公務員特例法改定案は、「指導が不適切な教員」の認定を行う新たな制度も打ち出す。
 この「指導が不適切な教員」として具体的に排除の対象となっているのは、「日の丸・君が代」強制に反対して、愛国心教育を批判し平和教育を実践する教育労働者である。現実に東京では、「日の丸・君が代」不起立で一回でも処分を受けた教員は、定年退職後の嘱託に一人として採用されていない。まさに日常的な脅迫行為がなされている。このように教育職員に対する権力的な統制や具体的な差別・選別や各種の研修の強化が始まったのである。
 今後の与党の予定では、特別委員会を衆院に設置し、集中的に審議を行う方針だと伝えられている。一方民主党は、この教育改革関連三法すべてに対案を提出する方針だ。

日教組と日政連議員団はどのように闘うべきか

 さて与党の今回の策動に対して民主党は何と与党案に反対するのではなく、この教育改革関連三法すべてに対案を提出する方針だと私たちは聞いている。民主党の立場は改憲と同じく与党と同じ立場である事を私たちはしっかりと認識しておかなければならない。
 三月三十日、民主党の鳩山幹事長は、安倍内閣が国会に上程した教育改革関連三法を「いいかげんだ」と批判し、四月早々には民主党としての対案を提出する考えを、記者会見をした上で述べたのである。
 十二月の参議院本会議で改悪教育基本法が採決された時、今度の参議院選挙で日教組推薦立候補者と組織決定された神本みえ子議員は、体調不良を理由に本会議から退席していた。この態度に現場の日教組組合員は、怒り心頭に発し「そんな議員はいらない」と口を極めて罵り憤激したのだ。この敵前逃亡を許した日教組の責任は極めて重いのである。
 日政連議員団にとっても、今回の民主党の態度表明は、まさに踏み絵とはなっている。日教組の組織の力で議員となった諸君は、民主党執行部を明確に批判すべきである。
 現段階ではどんなものが出てくるかについてよく分からないものの、一つだけ鮮明になったことがある。鳩山幹事長は、統制色が極めて強化された教育免許法改定案について、現場の日教組組合員が決して聞き捨てにはできない発言を行ったのである。
 曰く「更新制は拡充すべきだ。今の政府案は十年毎に三十時間の講習を受けさせると言うが、これでは極めて足りない。百時間程度の講習が必要だ」と強調して「私たちは自民党より厳しいものを出していきたい」と。なるほど、さすが自民党と政権運営を張り合うと豪語する民主党ではある。しかしこれは日教組に対する露骨な裏切り行為ではないか。
 医師免許法等、数ある免許法に時限的なものはほとんどないのにもかかわらず、なぜ教育免許だけが取り上げられるのか。余りにもあからさまな現場の日教組組合員を敵視した対応策ではないか。教育に対する露骨なまでの権力的な統制には断固反対せざるを得ない。与党の策動の恣意性を私たちは徹底して暴き立て、その意図を粉砕しなければならない。
 したがって日教組と日政連議員団は、今後どのように闘うべきかと言えば、民主党執行部と明確に一線を画し、全国の二十数万人の現場組合員と一体となって闘うしかない。さらには全日本の労働者民衆と連帯して闘っていくしかないのだ。この闘いこそ、日本の「戦争国家」化を確実に阻止することが出来る唯一の道なのである。       (猪瀬)案内へ戻る


教育荒廃と格差の拡大をもたらす全国学力・学習状況調査に抗議する

全国学力・学習状況調査の強行実施

 四月二十四日、文科省は日教組等の中止要請等にもかかわらず「全国学力・学習状況調査」を強行実施する。対象となる児童生徒は、小学校六年生と中学校三年生である。すでに全国の義務制諸学校では、四月十日に実施のための説明会がなされた。この事により理論的には全国の児童生徒の同一基準による序列化は現実のものとなるのである。
 この「全国学力・学習状況調査」は、文科省によると「参加主体は各都道府県や市区町村等にある」とは謳っているものの市独自のテストを実施してきた事から、「全国学力・学習状況調査」への不参加を明らかにし反論の出版物まで刊行して果敢に抵抗しているのは、全国で愛知県の犬山市ただ一つである。
 ここには建前とは裏腹の有形無形の圧力が厳然と存在している。一九六一年、日教組は「全国一斉学力テスト」反対を果敢に闘い抜いた。警察は岩手県教組を中心として刑事弾圧に打って出た。学テ闘争全体の刑事弾圧は逮捕六十一人、うち起訴十五人、捜索百六十ヶ所、任意出頭二千人の規模であり、行政処分は免職二十人、停職六十三人、減給六百五十二人、戒告千百八十九人であった。この闘いによって、「全国一斉学力テスト」は、一九六五年には抽出での実施となり、六七年以降は三年おきへ実施へと変更されていった。
 まさにこの闘いは、子どもを成績競争に駆り立てる徹底した差別・選別教育を粉砕する闘いであった。現在の日教組委員長は岩教組出身の森越氏であるが、彼はその時のトラウマか全く文科省との闘いを放棄している。今や日教組に昔日の面影は全くない。この事により、残念ながら日本社会における教育荒廃と格差の拡大がもたらされるのは必至だ。
 しかしながら、こうした中、ここ数年教育基本法の改悪の反対闘争を中心になって担い牽引してきた小森陽一東大教授等は、再び闘いに立ち上がったのである。
 四月二日、小森教授と佐藤日本教育学会会長ら八人が呼びかけ人となって「子ども全員の個人情報を企業にゆだねることに反対し、個人情報保護法・憲法にもとづく対応を求める賛同アピール」を発表し、「全国学力・学習状況調査」反対の署名を呼びかけたのだ。
 同アピールは、子どもたちを競わせ序列化をすすめる全国学力テストは、学力向上につながらないとして反対を表明した上で、「朝食を毎日食べているか」「一週間に何日塾に通っているか」など家庭状況に立ち入った質問への回答まで、企業が調査問題の印刷・発送・回収作業や調査結果の採点・集計・分析作業を行うという問題点を指摘し、個人を特定できる調査を受験産業(小学校:ベネッセコーポレーション 中学校:NTTデータ)に委ねる事は、個人情報保護法に違反する恐れがあるとしたのである。
 同会は、テストの中止を求めるとともに、強行する場合でも集計・分析を企業にゆだねるやり方を見直すよう求めた。記者会見した呼びかけ人の一人、堀尾元日本教育学会会長は「なぜ全国一斉に小学六年生、中学三年生全員を対象にやるのか。子どもの『学力総背番号制』になり、競争を激化する問題点は大きい」と発言している。
 伊吹文科大臣あての署名では「全国一斉学力テストは中止すること」「実施を強行する場合は、せめて出席番号と氏名は無記名にすることを各県教育委員会に指導すること」を求めた。このような運動は徐々に拡大おり、文科省も無視できないまでになったのである。

文科省の官僚的対応と妨害

 四月二日、文部科学省が四月二十四日に実施予定の「全国学力・学習状況調査」について、都道府県教育委員会に対し、「例外措置」として、子どもに氏名を記入させずに番号方式で実施してもよいとする「事務連絡」を送付していた事が発覚した。
 これは、子どもに氏名を記入させ、質問紙調査ではプライバシーにかかわる質問にも答えさせて、結果を民間企業に集計させる事への批判に対応したものであるのは明白である。
 三月二十九日付で都道府県教育委員会に出した文科省の「事務連絡」によると、当該市町村の個人情報保護審議会等から氏名を書かせる事について支障があるとの指摘があるなど「特別の事情がある場合」は、「氏名・個人番号対象方式」(氏名の代わりに個人番号を記入させる)等の「例外措置」が可能だとした官僚的な対応なのである。
 ただし文科省は「番号方式」で行う場合は、四月六日までに都道府県教委を通じて連絡するよう求め、連絡がない場合は例外措置は取れないとの制限がある。また「事務連絡」には、「子どもを傷つける」などとして批判が強まっていた「家の人から大切にされていると思うか」「家に何冊本があるか」などの項目を質問紙から削除するとした。
 日教組等は今回の文科省の措置について「個人情報・プライバシーの問題で父母、法律家、市民団体と協力して取り組んできた成果」としつつ、期限が短期間に限定されているなど極めて不十分だと批判した。今後とも緊急に個人情報保護審議会や市町村教育委員会に対する要請・申し入れを各地で進め、一斉学力テストの中止を求める取り組みを強めている。反住基ネット等の市民団体等が個人情報を保護するために氏名を記載させないよう求めてきた運動が、全国の市区町村を今動かしつつあるのである。
 四月三日大阪府吹田市を皮切りに、四日には東京都板橋区、五日には高知県高知市・安芸市・安田町、兵庫県丹波市、茨城県大洗町が、「番号方式」で実施すると回答した。
 こうした市町村教委が意外に多かった事に驚いた文科省は、四月五日になると態度を一転させ「氏名・個人番号対象方式」を実施しようとしている教育委員会は、十日に開催する説明会に出席し、「条件に該当している事を示す資料」を提出するよう指示しその旨を都道府県教委に伝えた。
 文科省は「条件に合致しない場合は例外措置を取れないので資料の確認は当然」と言い放ち、「『個人情報審議会等』の『等』には議会での質問や団体からの要請」は含まれないと強弁しだしたのである。
 このため高知県では議会の指摘などを理由に「番号方式」での実施を決めた二市町の申請を、高知県教委は条件に合致していないから認めないとの態度に出たのだ。これに対して、「子どもと教育を守る高知県連絡会」は、県教育長を「個人情報審議会がない市町村はどうするとか」と問いただしたところ、「確かにハードルは高く、もう少し条件の緩和をしてもかまわないと思う」との文科省の顔色を窺う返事をした。自分たちの主体性はどこにあるのであろうか。
 このように四月二十四日に実施予定の「全国学力・学習状況調査」については、全国で様々な動きがある。首都圏でも神奈川県では、横浜市・相模原市・鎌倉市・逗子市の四市が「番号方式」で実施する。横須賀市は個人情報審議会で否決されたので、残念ながら「番号方式」での実施は出来なかった。
 私たちは、教育荒廃と格差の拡大をもたらす「全国学力・学習状況調査」に断固抗議するとともに労働者民衆とますます拡大するばかりの「格差社会」と闘っていく。 (藤棚)


必要生計費の合意形成を!――最低賃金を考える(上)――

 統一地方選が各地で真っ最中だ。参議院補選も含めてこの統一地方選でも“格差社会の是正”が一つの争点として浮上している。平行して開催されている通常国会でも“格差社会の是正”が一つのテーマとして議論され、政府もパート労働法改正や年金制度の改正などで非正規労働者の処遇改善に手をつけざるを得なくなっている。
 そうした非正規労働者の処遇改善を考えるとき、アルバイトやパートなど多くの非正規労働者のセーフティ・ネットとして機能すべき最低賃金の引き上げが大きな争点になっている。
 ここでは日本の労働者がめざすべき労働システム全般との関わりも含めて、最低賃金の引き上げというテーマを考えてみたい。

■本来は“最低必要生計費”

 本来、最低賃金といえば、個々の労働者が置かれたそれぞれの条件の下で必要最小限の生活が可能な賃金、のことをいうべきだろう。それは大きく言って二つの側面から考えられる。一つは必要生活費を元に算定され最低賃金だ。
 具体的には単身の労働者の場合の最低賃金はいくらとか、家族の扶養責任がある世帯主の労働者の場合は最低いくら必要かとか、あるいは賃貸住宅に入っていればいくらだとか、それぞれの必要額はそれぞれの境遇でも違ってくるのが普通だ。
 この場合に問題になるのが個々人の境遇の違いである。持ち家か賃貸か、単身者か家族持ちかでは最低必要額がかなり違ってくる。その場合、単独の最低賃金を決めただけでは、多様な境遇にある労働者全体をカバーすることは出来ない。その場合には単身者を基準にした共通の基礎的最低賃金ともいうべき部分と、それに加えて扶養額部分、住宅費部分を別途補填する必要がある。が、現実の日本の賃金制度ではまさにそれが“丼勘定”で、最低賃金制を改善する場面でも大きなネックになっている。
 二つめは労働能力に関わるもので、一定の技能が必要な労働についてはそれを習得するための費用が加算されなければならない。それがたとえばパイロットや医師などのように習得費用が大きな職種であれば、それらの最低賃金はそれに見合った額だけ加算されることになる。日本でも特定の熟練労働者に適用される産業別最低賃金制度はあるにはあるが、それは地域別最賃制と同様に極めて低く、全産業の労働者にとっての基準にはなり得ない代物だ。
 そうしたものとしての最低賃金は、一定の社会状況の下で人間としての尊厳が保てるように最低限保証されるべき必要額である。

■低すぎる“最低賃金”

 上記のような意味での最低賃金は現状では明確なものになっていないし、労働者相互のあいだでも、あるいは社会的合意もないのが実情だ。それに代わって明確な金額が存在するのが、いわゆる制度としての最低賃金制および最低賃金額である。
 現状の最低賃金制は地域別最低賃金と産業別最低賃金の二本立てになっており、地域別の最低賃金は最高の東京都の719円から最低の沖縄などの610円、全国平均で673円になっている(06年度)。
 問題はこの地域別最低賃金が、それぞれの地域での生活必要額を満たしているかどうかが問題になるが、現状ではあまりに低すぎるのが致命的な欠陥だ。他の先進国、たとえばオランダは月に18万円、フランスは時給1162円、英国は1096円などと比較しても最低レベルでしかない。仮に年間2000時間働く想定では、最低賃金の平均額では年間134万6千円、月にすると112000円ぐらいにしかならない。これでは普通の労働者は生活できるはずもない。
 なぜこんなに低い賃金が最低賃金として存在しているのか。
 多くの労働者に関わる実質的な最低賃金制としての位置づけを欠いてきたからだ。実情といえば、最低賃金が59年(68年改正)に制定された当時、親元から通う単身者の低賃金を基準に、しかも業者間の協定に基づいて設定されたからだ。それが高度成長期のなかでしだいに増えてきたいわゆる“ママさんパート”や高校生などの“小遣い稼ぎ”の仕事にリンクされてきたという経緯がある。それ以外の正規労働者の賃金は、高度経済成長と平行して取り組まれるようになった春闘の中で、年々のベースアップで底上げが図られてきた。だから普通の正規労働者にとって最低賃金制というのは他人事でしかなかった。そこでは扶養手当(家族手当)や住宅手当など様々な手当が付随することが一般的だが、そうはいってもその額はそれぞれの必要性を満たす額にはほど遠いものだった。むしろ年功賃金の本給の中にそれらをまかなう部分がかなり含まれているのが普通だ。だから「独身貴族」などという、単身者が相対的にゆとりのある生活が可能になり、家族を扶養している中堅労働者のほうが生活が厳しい時代が長く続いてきたのである。
 こうした事情のもとでは、“ママさんパート”などは、家庭の稼ぎ頭である正社員の夫の稼ぎに依存し、高額な教育費やマイホームのローンなど生活費の補填を目的にしたものであったり、あるいは社会的活動の場をパート労働に求めるケースなど、いわば家計にとっては付随的なものだった。現にいまでもそうだが、パート収入を正規労働者の扶養手当の範囲内におさめるために自己規制するケースも多い。そうした場合には必ずしもパートの時給は高額である必要はない。

■重要課題に浮上

 こうした経緯もあって日本における最低賃金は、上記のような正規労働者の賃金を規制するものとして機能してこなかった。結果的にはむしろそうしたパート・アルバイトの時給を低位のまま据え置くものとして長く機能してきた。引き上げ闘争がなかったも同然だったからだ。その結果、そうした“ママさんパート”や高校生の小遣い稼ぎに止まらない、パートの時給それ自体で生活せざるを得ない労働者にとっては、最低賃金はあまりに低い時給ではあっても、それを社会的少数派として不本意にも余儀なくされてきたのが実態である。
 実際、こうした最低賃金制は、バブル経済の崩壊あたりまではほとんと注目されることなくないがしろにされてきた。すでに触れたように、大企業を中心として年功序列の正社員中心の雇用システムが主流だったからである。
 こうしたことは逆にそれに照応した雇用システムをもたらすことになった。一つは親企業から孫請けに至るピラミッド状の企業構造に照応した正規労働者の賃金水準での序列体系であり、二つめは年功賃金に支えられる正規労働者の周辺で働くパート・アルバイトとの二重構造である。
 最初の最底辺の孫請けなどの中小零細企業は、親企業や一時下請け企業による納入原価の引き下げ圧力などで労働者の賃金も局面まで切りつめざるを得ず、これが正規労働者の間でも賃金の二重構造をはじめとするピラミッド状の処遇の序列体系をつくり上げた。その最下層は正規労働者とはいえども限りなくパート・アルバイトに近い処遇を強いられてき。
 なぜこうした二重構造が形成されてきたか。端的に言えばそれこそ終身雇用、年功賃金、企業内組合という、いわゆる日本的労使関係そのものを背景としてもたらされた、という以外にない。そうした日本的システムの中では“我が社”“我が組合”が重視され、労働者としての共通利害がないがしろにされてきたからだ。だから正規・非正規の賃金格差は欧米に比較して遙かに大きい。
 こうした構造はバブル経済崩壊以降、とりわけ平成不況が深刻化を深めた90年代後半から一気に日本の雇用構造の隅々にまで拡大した。それまでのパート・アルバイトに加え、契約・派遣・請負といった様々な雇用形態の非正規労働者が急増したからである。いまでは正規労働者2人に対してそうした非正規労働者が1人というまでに拡大した。もはや低すぎる最低賃金制が一部の人たちだけの問題という範囲を遙かに超えた、労働者全体の問題として大きく浮上してきたのである。
 こうした爆発的とも言える非正規労働者の増大は、96年の派遣労働の適用職種の拡大、99年の原則自由化、04年の製造業への拡大が大きく影響している。そうした雇用構造の大再編がなぜ起こったかといえば、それは90年代に一気に進んだ経済のグローバル化と財界を先頭とする労働システム大再編攻撃である。95年のいわゆる雇用の三類型化を提唱した日経連の『日本的経営』がターニング・ポイントになった。
 そうしたいきさつの結果、日本の雇用・労使構造はそれだけ複雑になり、結果として単純明快な賃金要求も困難な状態が意図的につくりだされてきたのが現状なのである。

■雇用・労働システムはジグソーパズル

 進行中の統一地方選の中では最低賃金引き上げ問題は大きな争点になった、あるいはなろうとしていた。にもかかわらずというか、案の定というかそうしたテーマは他の争点の中に埋没してしまったかのようだった。
 それはそうだろう。冒頭でも触れたようにこの課題は、単に最低賃金額を引き上げれば済むといった問題でも、あるいは一片の法律を作れば解決するといった問題ではない。それは日本の労働システム全体を抜本的に再編するという壮大な課題と結びついてしか解決不可能な課題なのだ。それはあたかもジグソーパズルの一つのピースの大きさや形を変えるという作業は、他の多くのピースの大きさや形を変えることで初めて可能になるからだ。
 現に厚生労働省の1月29日の審議会では経営側委員が「法改正で最低賃金額が引き上げられるような報道は違和感がある」と発言し、事務局に「法律上、具体的に引き上げるものではない」と確認させた、との報道もある。また安倍首相も「最低賃金制度がセーフティ・ネットとして十分機能するよう、必要な見直しを行います。」と1月26日の施政方針演説で述べた、その舌の根も乾かない1月30日、代表質問に答えるかたちで「最低賃金を抜本的に引き上げることは、経営が圧迫される結果、かえって雇用が失われる面もある。」と発言し、経営側の圧力に同調する答弁をしている。
 労働者の際限もない賃下げ競争の上で事業を維持してきた自分たちの社会的責任を棚に上げての反対論や雇用を脅しにした拒絶反応は論外としても、現実としては確かに最低賃金を大幅に引き上げれば、企業経営が危機に直面する中小零細企業は多いだろう。
 最低賃金引き上げに関わるもう一つの反応は、最低賃金が生活保護費より低く設定されているのは問題がある、というものだった。現に県庁所在地ではすべての県で生活保護費より低く設定されている。
 ここから二つの反応が生じた。一つは最低賃金が生活保護費より低いことは、労働権の侵害であり、また労働意欲に関わる深刻なことだから、やはり最低賃金は引き上げられるべきである、という声だ。もう一つは、やはりというか厚顔無恥というか、生活保護が最低賃金より高いというなら生活保護費は引き下げる必要がある、という暴論だ。後者は格差の是正を掲げるそぶりを見せながら、実態としては格差の下位平準化をめざす財界や安倍内閣がひそかに進めているものだ。こうしたふざけた態度とは断固闘うのみであって、長期的な展望云々の問題ではない。
 しかしその闘う主体が未だ形成されていない現状を考えれば、やはりここでも長期的な展望のもとで一歩一歩努力していく以外にはないだろう。
 最低賃金でしか経営が維持できない中小零細企業、それほどまでに下請け、孫請けに原価引き下げを強要しながら、グローバル経済の中で巨額の利益を上げている大企業、多国籍企業。そうした中で最低賃金を引き上げていくためには、過酷な原価引き下げ要求とそこでの最低賃金引き上げのための労働者の闘いの力をどこから引き出していくかが問われているのである。(廣)案内へ戻る


都教委三十五名の不当処分を強行 都教委の違法行為を糾弾する!

 三月三十日、東京都教育委員会は、今年度の公立学校の卒業式で「日の丸・君が代」強制に反対し不起立だった事を理由として、教職員三十五人を懲戒処分した。
 この処分により、「日の丸・君が代」を強制する二〇〇三年の「10・23通達」以来、懲戒処分を受けた教職員の総数は、のべ三百八十一人となったのである。
 今回の懲戒処分の内訳は、停職六カ月一人、三カ月一人、一カ月一人、減給十分の一・三カ月一人、同一カ月十一人、戒告が二十人である。また都教委は、戒告を受けた教職員のうち、再雇用選考に合格していた二人の合格を取り消した。
 しかし「10・23通達」とそれに基づく「日の丸・君が代」強制の職務命令については、東京地裁が0六年九月二十九日、教職員の思想・良心の自由を侵害するとして「違憲」判決を出している。それにもかかわらず都教委は、同判決に不服として控訴していることを理由に、今回の不当処分を強行したのである。
 都教委のこうした行為は東京地裁の「違憲」判決を無視した違法行為あるいは法体系を無視した脱法行為と弾ずる他はない。今回の都教委の官僚たちの憲法遵法義務に完全に敵対した破廉恥行為は、全国の労働者民衆からの断固とした鋭い糾弾に値するものである。
 これに対して同日、処分を受けた教職員で組織された「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」は、処分者を支援する集会を、文京区内で緊急に開催した。
 同会の星野共同代表は「私たちの『日の丸・君が代』不服従の抵抗は、この国の平和、人権、民主主義を守りぬく最前線のとりで。世論に訴え、たたかいの輪を広げていこう。正義は私たちにある」と意気軒昂に発言した。
 集会後、都立教職員研修センター前に集合した支援者たちは、処分発令のため、呼び出され集められた教職員に対して激励するとともに「通達を撤回し、不当処分をやめよ」「裁かれるべきは都教委と石原知事だ」と抗議した。
 今回処分命令を受けた八王子市内の教員は「都教委の職員も私たちも、憲法尊重義務を負う同じ公務員。どちらが憲法を擁護しているか、はっきりさせなければ」とこの問題の核心を語ったのである。
 0六年九月二十九日の都教委による「日の丸」「君が代」の強制は違憲とした東京地裁判決を無視して、都教委は、今年度の卒業式について今まで以上に強く「職務命令」を出すよう各校長を指導し、すべての都立学校の卒業式において、例外なく各校長が無反省に言いなりとなり「職務命令」を出し続けた。この石原都政の無法と横暴を断固糾弾する。
 私たちは今後とも「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」に連帯して闘っていく。ともに闘おう。       (稲渕)


原発事故隠し  その先にあるチェルノブイリの恐怖

 3月15日、北陸電力が1999年6月18日に起きた臨界事故を隠していたことを明らかにした。事故は定期点検中の志賀原発1号機(石川県志賀町)で起きたもので、制御棒が抜け落ちて臨界に達した。制御棒は手動操作で挿入されたが、臨界状態は原発が緊急停止するまで15分間続いた。
 臨界というのは核分裂反応が連鎖的に起きる状態で、これを爆発的に進めれば原爆になるが、原子炉内でこの反応を制御棒でコントロールしているのが原発ということになる。従って、その制御不能というのは単に大事故というに止まらず、チェルノブイリ級の破局的事故につながる。
 問題なのは、こうした事故が起き、それを隠蔽していたということ以上に、これほども杜撰に原発が稼動されているという事実である。それは不二家の過ちとは桁違いの危機を孕むものであり、目先の利害にとらわれて破局を招くことになる。破局的事故など起きるわけない、とでも原発関係者は思い込んでいるのか。
 3月30日、電力12社総点検報告が行なわれ、12原発97項目もの不正が明らかにされた。志賀原発の臨界事故に先立つ78年11月、東京電力福島第一原発でも制御棒脱落による臨界状態が7時間半も続いた。1社で不正が明らかになったことを期に、後はどっとこれに続くとという心理はいかなるものか。それこそ赤信号、みんなで渡れば怖くない≠ニいうことか。
 実際、同じトラブルやミスが繰り返されており、不正の手口も横並びなのだ。たんぽぽ社の山崎久隆氏は、これを「事故隠しではなく『欠陥隠し』だ」と指摘し、次のように述べている。
「一連の事故隠しを続けてきた東京電力、北陸電力、中部電力、東北電力などの原発は沸騰水型原子炉(BWR)で、制御棒を下から挿入する構造だ。工学的安全性の基本は自然に逆らわないことだが、BWRははじめから重力という、自然に逆らう欠陥を抱えていた」(3月30日付「週刊金曜日」)
 山崎氏の結論は「国は今すぐ、総てのBWRの運転許可を取り消すべきだ」、という実に明快なものだ。茨城県東海村のウラン燃料加工工場JCOで臨界事故が発生し、作業員2名が死亡、住民や従業員660名以上が被曝したのは、志賀原発臨界事故隠しからわずか3ヵ月後の9月30日だった。
 事故隠しが事故を呼び、欠陥原発が稼動し続け、その先に待つものは何か。チェルノブイリ級の事故なら、それは破局への扉を開く。そうなる前に何とかしなければ。                              (折口晴夫)
 

色鉛筆― 高校生活のスタート

 桜が満開になりながら、ここ数日も花びらが風になびいて、とてもさわやかなこの頃です。さて、末娘の高校入学が決まり、学校の指示する入学準備をこなしながら、例によって色んな疑問にぶつかりました。姉たちの時もそうでしたが、学年色で統一された体操服類、体育館シューズ、ブラウスの刺繍(学校名)など、親にとっては出費がかさむことばかりです。
 せっかく、姉の体操服があったのに、学年色が違うから使えない。制服は校章が学年色で制服に取り付けられたものは、業者に頼まないと取れないようになっている。なぜ、こんな手の込んだことをするのだろう。私は、制服取扱店まで足を運び、お下がりの制服の校章を取り替えてもらいましたが、350円の手数料がかかりました。要するに、学校が校章の管理を業者に任せてしまっている、このような学校の姿勢は随所に見られます。
教科書においても、内容はほぼ同じなのに、新しいデータが数行書き込まれただけの「改訂版」となり、購入をせざるをえない。授業の中で、教師がデータを補充すれば、以前の教科書が使えるのです。物を大切に、資源を有効に使うおうと啓蒙するのが学校の立場ではないでしょうか。最低必要な教科書の費用が2万円を超えるのですから、もっと慎重な教科書選定をしてほしいものです。
 そして、入学式では校長の新入生への挨拶の冒頭が、来賓への出席へのお礼でした。西宮市の教育長、市会議員、中学校の校長、地域の役員などへの丁寧な態度に、教育基本法「改正」の影響があるんだろうと思いました。出身校の市会議員も何人かいましたが、選挙戦間近の名前の紹介は、宣伝効果を見込んでのことでしょう。この出身校の議員の中に、4年前の選挙ビラで、私が指摘した学年色や業者の独占の問題を取り上げた人がいましたが、改善に向けての対策がなされた動きはありません。
 7時間授業が週2回、それに加え、早朝の学習もあるというハードなスケジュール。公立高校も学校ランキングが付けられ、そこで学習する生徒には、学校の好感度を上げるために成績、生活態度で締め付けがされていくのは予想されることです。学校の管理にどれだけ染まらずに、自分を守ることができるか、娘には「ほどほどに」とアドバイスしておきます。 (恵)案内へ戻る


連載    グラフで見る高校生の意識調査 その12

 問12 子どもはどのように育てたらいいと考えていますか。次の@〜Cの意見についてあなたの考えに最も近いものを1〜5の中から1つ選んでください。
@女の子は女らしく、男の子は男らしく育てたほうがよい A女の子にも経済的自立ができるように育てるのがよい B男の子も、家事ができるように育てるのがよい C父親はもっと子育てにかかわるほうがよい
 「女の子は女子らしく男の子は男らしく」は、「そう思う」と答えた男子は、女子の約2倍、逆に「そう思わない」と考えた女子は男子の約2倍でした。
 「女の子の経済的自立について 」は、「そう思う」「どちらかというとそう思う」が全体で約77%、特に女子は約80%を超えています。
 「男の子にも家事を」は男女ともほとんど差がなく約80%ができる方がいいと答え、「そう思わない」は男女共約2%となっています。
 「父親はもっと子育てに参加を」は男女とも「そう思う」が約半数以上、「どちらかというとそう思う」をあわせると約82%となっています。「そう思わない」は約3%でした。(「男女共同参画社会に向けての高校生アンケート調査報告書」 発行者・南阪神ねっと、より転載)

 この頃、若いお父さんが赤ちゃんをおんぶしたり、子ども連れで買い物をしたり、と自然な形で家事育児に関わってる様子をうかがうことができます。育児休暇も父親が取る例も紹介され、そのことで昇進等に影響しないと宣言している企業もあります。少子化に歯止めをかけるために企業の姿勢が子育て支援を強調するようになり、社会への貢献度が問われる傾向にあります。義務教育にかかる費用を企業が保障する、小学低学年までは医療費は無料にする市など、子育てをほぼ終えた私には羨ましく思ってしまいます。
 女の子らしさ、男の子らしさへの意識の強制が、なぜ育児形成に歪みを生むことになるのか、あまり気づいてない人が多いのではないでしょうか。これはダメ、あれは似合わない、など大人の常識は、子どもの将来に具体的には職業選択にまで影響するからです。自由にのびのびと、簡単に言いますが、実行にはかなりの困難が伴うということです。(恵)


 コラムの窓   07春闘前半戦、労使協調−個別企業内主義で「ほろ苦き」回答

 本年の春闘は、春闘相場に大きな影響力を持つ自動車や電機など大手製造業の賃上げ回答が出され、3月30日の連合集計は、加重平均で「5,927円・1.94%(対前年比プラス369円・0.06ポイント)」と公表された。多くの組合が前年実績を上回る賃上げを獲得し、「ベアゼロ」からの脱却をさらに印象づけたが、企業の好調な業績と比べれば、回答は微々たるもので、物足りなさが否めない。
 
 相場のリード役とされるトヨタ自動車は生産台数世界一を視野に入れ、今年三月期決算では連結営業利益二兆二千億円が見込まれ、このため、相場の底上げをめざす同社労組は、千五百円のベースアップを求めたが、年間一時金こそ過去最高額の満額回答を得たものの、経営側の姿勢を崩し切れず、回答は前年と同じ千円にとどまり、低額回答という賃上げ抑制が続いている。

 今年の春闘前半戦の回答状況の特徴は、電機産業に見られたように、同じ業種内でも企業業績を理由とした、回答のばらつきが目立つようになったことや、松下電器産業が千円の賃上げを育児手当として、子がいる従業員に配分したほか、電機各社は、大卒の初任給を軒並み引き上げるなど、少子化や団塊世代の大量退職の中で、賃上げの一律配分を見直す回答も目立った。労働環境の改善や人材確保が不可欠との認識がでてきたともいえるのだが、格差是正が大きな課題であったことを考えれば、企業業績の四期連続最高益が見込まれる中、労組側が長年の横並び回答が崩れることを容認し、あまりにも低調で、分断された状況といえる。

 個別企業内に留まり、労使協調路線の下、企業業績重視の交渉をしていたのでは、労働者は分断されるばかりである。
 社会的な安定や発展をめざし、本当の意味での格差是正をめざすなら、個別企業内に留まっているべきではないだろう。もっと広く・高所に立って、物事を見つめ、社会的な活動を推し進めなければならない。 (光)


2007.4.15.読者からの手紙
米原子力空母配備のための浚渫工事について

 三月二十九日、横浜防衛施設局は、母港化反対の多数の横須賀市民の意見を踏みにじり、原子力空母のアメリカ海軍横須賀基地への配備に必要な浚渫工事について、許認可権を持つ横須賀市港湾部に同意を求める協議書を提出しました。ここは総力で闘うべき局面です。
 この事については、すでに横須賀市の漁業関係者が公害調停を申請しています。今回の横浜防衛施設局の暴挙に対して、「原子力空母の母港問題を考える市民の会」(呉東共同代表)は、「協議申請は、原子力空母母港化に反対する約三分の二の市民の声を踏みにじり、浚渫と放射能被害について、話し合いを求めて公害調停を起こしている漁業者の願いを無視するものであり許せない」との抗議声明を発表したのです。
 この声明の中で、「原子力空母の母港問題を考える市民の会」は、横須賀市と国に浚渫工事協議の中止を求め、強行した場合には工事の差し止め訴訟など「断固たる手段に訴える」と表明しました。まさに批判は行動でこそ裏打ちされていなければなりません。
 また同時に同会は、四月十五日に告示される横須賀市議会選挙において、先の住民投票条例の否決に与した議員たちに対して「厳しい審判を下そう」と呼び掛けたのです。
 また四月五日には、この浚渫工事をめぐる国と横須賀市の港湾協議についての第一回公害調停が横須賀簡易裁判所で開かれました。調停申立人は、横須賀港周辺で操業する三人の漁業者です。彼らは、原子力空母配備による放射能被害や浚渫による海洋汚染への防止対策などの措置が取られるまでの工事の禁止と協議の完了をしない事を求めたのです。
 調停には国・市側から担当者ら約二十人が出席しました。しかし調停について彼らは「法的根拠が明らかではない。浚渫工事は必要不可欠であり、漁協の了解も得ている」と答弁、調停不成立を主張したのです。これに対し、申立人代理人の呉東弁護士等は、国が市に提出した港湾協議書の開示、施工前の海流・生物調査結果と浚渫土砂の海洋投棄計画の公表、汚濁防止対策など五項目について再説明を求めました。しかし国側がこの再説明を拒否したため、調停委員から調停を継続して、国・市双方が申立人側からの要求について次回(五月十四日)までに検討結果を回答するよう求めたのです。その際「(国と市は)調停が継続中であることを尊重して対応するよう」要求しました。全く当然ではあります。
 調停後、記者会見した呉東弁護士等は「国・市は冒頭から説明を拒否、打ち切りを主張するなど行政機関としての住民への説明責任をまったく放棄した態度で遺憾だ」と抗議しました。その上で「国・市が次回で打ち切り、調停不成立にもちこむ可能性は強く、調停の実現へ最善を尽くす意味で協議を差し止める行政訴訟を提起せざるを得ない」と表明しました。そして四月六日には、横浜地裁に行政事件訴訟法に基づく「協議の差止め」「仮の差止め決定申し立て」を起こし、今回の横須賀市議会選挙での一大争点としたのです。
 今回の市議会選挙は、まさに浚渫工事についての住民の声を議会に反映する絶好の機会です。私もこの横須賀市議会選挙では奮闘していきたいと考えています。 (笹倉)


 ある風景・開かれた共同体をめざしているようなある集団を訪れて

 農業(酪農も含む)をやって集団生活をしているある団体を訪れた。野外での食事、いろんな食事が用意されている、やきそば、おにぎりなど。バーベキューとかでジュージュー、牛の肉を焼いているところ。
 私自身は年寄りなので菜食で十分だが、近くにオッパイを出す乳牛が牛舎にいて、牛は何とも感じないかも知れないが、その近くで牛肉を焼き、プンプン匂いをさせて人間どもがウマイウマイと食いまくる。その無神経さににあきれたが、一度、牛肉食ってしまうと後は平気になるらしい。私はやはりその中に入ることはできなかった。
 ある日本人の家族が未開の人々と交流したいと思って家族みんなで、アフリカのある地方だったと思うが戦禍に見舞われていない、原始のままのある村へ辿りついた。当地の人々は歓迎の意をこめて野豚を狩り、明日はやきブタ≠ナ歓迎の宴をはるとかで一夜ブタ君を縛って置いておいた。
 日本人家族のオカミさん、明朝、殺されて焼きブタになる野ブタを哀れに思い泣きながら、末期の水≠セとブタ君に水を飲ませたりしていた。明日(みょうにち)、丸焼きになって出てきたブタ君の肉を切り取ってパクつき夕べの涙はなんだったんだろう?≠ニおかしいやら、因業な生物(人間)のありようを口にした。ある一線を越えれば、人は無限に非情になれるものらしい。
2007・4・8あさ  宮森常子
(おまけ)
 人という生物のありように疑問と恐れを抱いたかの如く、最近ドイツの作品ヒットラー最期の1週間≠ニいう映画が作られたこと。またあちらを立てればこちらが立たず≠ニいう二律背反も対立の相互浸透があちらもこちらも≠創り出しその上での統合に向かえれば・・・(地球はひとつ)という願いは不可能な夢物語であろうか。共通項となる媒介物が必要であろうか。
 いろんな人々の人生=Aいろんな生物のありようは古代からそれほど変わっておらず、空間的なちがいに拘わらず似ているもんで、ただとりまく環境がそれぞれちがっているだけのこと。その環境が今絶望的かどうかはそれぞれ個々のご都合だけで、動く段階が超えれるかどうかにかかっていよう。もう遅いかどうかわからんが。案内へ戻る