ワーカーズ352号 07/9/1   案内へ戻る

反動、貧困化促進の路線は変わらず  安倍政権を大衆行動で追いつめよう!

 改造安倍内閣が発足した。党三役を「お友達」で固め、内閣人事は各派閥への配慮とベテラン起用でまとめた、衆院選対策を最優先した陣容だ、とメディアは評している。
 しかし今回の内閣改造に示された最大の問題は、今の自民党が依然として新自由主義=市場競争主義の構造改革、そしてそのほころびを新保守主義で取り繕う政治を継続しようとしていることにある。安倍首相は、内閣改造後の記者会見にあたっても、「美しい日本」「戦後レジームからの脱却」の路線は間違っていないと言い張り、そして構造改革を「再スタートさせる」ことが大事だと強調している。
 もちろん、安倍は「都市と地方の格差」や「痛み」への配慮を口にすることも忘れてはいない。言うまでもなく、民主党からの批判を意識した主張だ。しかし、安倍自民党の最大のアキレス腱は、実はこの点にこそある。
 というのは、参院選での自民党の大敗は、単に民主党の批判に反撃しきれなかったというよりも、むしろ国民大衆・勤労市民から、その勝ち組べったりの政治、生活無視の保守イデオロギー陶酔を厳しく批判された点にこそ、その本質があるからだ。
 民主党について言うならば、党首の小沢一郎は最近にわかに生活保守への傾斜を強めてきた。参院選でも中山間地対策、小育て支援策等々を強調した。もちろん小沢一郎の生活保守への急傾斜は、その多くが選挙対策のためのマヌーバーで、決して新自由主義的改革派としての基本路線を修正したわけではない。だが、地方と生活者の声を汲み上げる振りをしたエセ庶民政党・民主党に、反動化・「貴族」化した安倍自民党は敗北すべくして敗北した。いわば「生活保守」に「イデオロギー保守」が打ち負かされたのだ。
 多くの国民の意識は、安倍自民党への批判をエセ庶民政党として登場しつつある民主党に託す段階にとどまっている。だから安倍自民党は、小沢の民主党こそが自分たちの不倶戴天の敵なのだと勘違いもしている。
 しかし、安倍自民党の本当の敵は、資本と金持ちの利益最優先、軍事強国化や反動国家化をめざす自民と民主の総体としてのブルジョア政治によって生活を破壊され、権利を奪われていく労働者・勤労市民である。安倍自民党に、労働者・市民の本当の力を知らしめなければならない。格差と貧困反対、反動政治反対の大衆行動を発展させ、安倍自民党を追いつめよう! (阿部治正)


無法地帯にまた反乱――拡がる“ワーキングプアの逆襲”――

■はじめに

 非正規労働者の反乱が着実に拡がっている。
 ちょっと前は偽装請負労働者自身による告発、最低賃金以下で働いているいわゆるワーキングプアの人たちによる決起行動などだ。今回は日雇い派遣労働者による提訴だ。
 始まった非正規労働者の反乱は当事者の処遇の改善をもたらすだけではない。日本の労働運動の決定的弱点になってきた企業内労働運動の枠組みを外部から突き破る可能性をも秘めたものだ。
 こうした“ワーキングプアの逆襲”ともいえる非正規労働者の反乱を支援し、至る所でその闘いを拡げていきたい。

■派遣労働者の闘い

 8月23日、日雇い派遣大手のグッドウィルが、支払うべき給料から一回の派遣につき200円を「データ装備費」などとして天引きしていたことに対し、全額返還を求める集団訴訟があった。提訴したのはグッドウィルユニオンの26人で、100人規模になる第二次訴訟も準備中だという。この他にも同労組は、賃金不払いや派遣法違反・労基法違反事案に関して、労基署などへの申告行動も併行して取り組んでいる。
 それにしても日雇い派遣業界は、労基法など無いがごとしで、労働者を人とも見ない、単なる使い捨て商品としてしか扱っていない。それでなくとも生活すらままならない低賃金で働かせ、その上いったん支給した賃金の中から毎回200円という、当事者には少なからぬ金額を追加搾取していた。それを企業収益としてあらかじめ見込んでいたのだという。こうした給料からの天引きは、「業務管理費」(フルキャスト)など名目こそ変われども他の業者もおこなっている。
 他にも、補償なしの「直前キャンセル」、スタッフによるキャンセル・欠勤・遅刻への罰金(ペナルティー)、集合時間から作業開始までの時間の賃金不払い、Tシャツや軍手などの備品購入の強制など、およそ労働基準法などあってなきがごとしの無法地帯を余儀なくされてきた。
 派遣業法で禁じられた職種への派遣も後を絶たない。少し前には派遣大手のフルキャストが港湾業務に違法派遣したとして一ヶ月の事業停止命令を受けている。こうした違法派遣は他の業者でも日常茶飯事だといわれる。
 日雇い派遣という労働実態は、99年の労働者派遣法の対象業務の原則自由化、04年の製造業への派遣解禁という規制緩和以降、急激に増えていった。日雇い派遣=スポット派遣といわれる登録型と一定期間継続して働く常用型も含め、派遣労働者数は96年度の72万人から05年の254万人と、10年間で3・5倍にもなっている。登録型派遣労働者は、掛け持ちも含め、大手派遣会社で100万人台の登録者を抱えている。グッドウィルも今年7月で278万人、フルキャストは174万人(06年)の登録スタッフを抱えているという。
 こうした派遣労働者市場では、携帯電話一本でつながった派遣会社ともとで、雇用保険なし、健康保険料も年金保険料も払えないような劣悪な条件にもかかわらず働かざるを得ない労働者が急激に増えている。そこはいわば労基法という法的保護も、労働組合という集団的規制による保護も得られない無法地帯ともいえるような世界だ。

■企業と行政の共同犯罪

 日雇い派遣労働が拡大する背景にはもちろん非正規労働者の拡大がある。正規社員を減らしたい企業は、必要な労働力を必要なときだけ雇用できる派遣労働者は、労働力の調整弁として使い勝手が良い。だから企業は派遣労働の規制緩和を求め続けてきた。それを可能にしたのが派遣労働の解禁であり、その断続的規制緩和だった。
 この規制緩和で日雇い派遣という業態がこれほどまで膨れあがることを当の厚労省は「想定外」だったと開き直っている。そのうえ日雇い派遣について「制度上可能なので問題とは考えていない」(厚労省需給調整事業課)という無責任ぶりだ。
 こうした監督官庁の姿勢そのものが、派遣労働者を雇用の調整弁としか見ない受け入れ企業や、利益を上げるためには違法行為でも何とも思わない派遣会社も含めて違法派遣や労基法違反事例を生み出す温床にもなっているのだ。いわば、日雇い派遣の無法地帯は、政治と行政と企業の共同犯行の結果もたらされたものという以外にない。
 日雇い派遣市場自体は、いまでは労働法の規制が尻抜けになり、労働組合の保護も及ばない無法地帯として、この日本で膨大な数の派遣労働者にとって生活の場になっている。こうした現実そのものが、ワーキングプアの増大、ひいては格差社会の拡がりをもたらしている。
 こうした実情は、当の派遣労働者の決起を引き起こさずには置かない。今回のグッドウィルユニオンの提訴もその一環だろう。今後多くの当事者が闘いの声を上げていくだろうし、私たちはそうした当事者の勇気ある決起を支え、拡げていく手助けを惜しんではならない。

■ 企業利益に依存した企業内組合

 今回の派遣労働者の提訴にいたる取り組みは、派遣労働市場の現状やこれまでの経緯からして当然ともいえる決起行動だ。こうした行動はもっと拡げていかなければならないし、現に拡がっている。違法行為の告発などの効果はすぐ現れるだろう。それほど派遣労働市場の現状はひどいものだからだ。
 が、この派遣労働者の闘いが持つ意味はそれに止まらない。それは派遣労働者をはじめとした非正規労働者の闘いが、これまでの日本の労働運動の致命的な弱点だった企業内労働運動のカベを突破する可能性を秘めているからだ。それは端的に言って個別企業の枠を超えたところでの運動が展開され、追求されざるを得ないからだ。
 日本の労働組合は戦後に企業別組合としてつくられた。総評なども企業内組合の連合組織として一定の役割を果たしてきた。しかしそれは経済の高度成長という土台があってのことだった。高度成長が終わって成熟社会の低成長時代になり、いまグローバリゼーションが進行する中で終身雇用や年功賃金を柱とする“日本的労使関係”は解体され、その上に成り立ってきた個別企業の利益に従属する企業内組合は、いまでは労働者の利益を確保することはまったくできなくなっている。
 問題はそうした労働運動の閉塞状況をどう打ち破っていくのか、にある。
 90年代以降の日本の労使関係は、終身雇用と年功賃金構造が崩れたが、その土台で成り立ってきた企業別組合も産業別組合などに再編成されるべきものだった。が、現実はといえば企業内組合は産別組織に自己脱皮できなかった。
 結局、企業内組合の外部から始める以外にない、というのが日本の実情だろう。実際、産別組織への脱皮は、いま爆発的に拡大している非正規労働者の闘いによって切り開いていく以外にはない。その具体的な理念やステップについては別途検討したいが、ともかくその脱皮は、切り捨てられ、虐げられた当事者による闘いを土台にして初めて可能になる。
 今回の派遣労働者の決起は、こうした将来展望を身をもって実証するものだといえるだろう。

■企業横断的な労働組合

 今回の闘いの意味はどこのあるかといえば、それは単に賃金のピンハネを取り戻す闘いや賃金の引き上げという直接的な課題に止まらない、運動上・組織上の新しい可能性を内在させているところにある。
 日雇い派遣業界は低賃金であるばかりでなく、働く場の補償自体がない。雇用と労働の権利そのものの獲得は切実な課題だ。そうした課題を解決し、自分たちの働く場や賃金と労働時間などの処遇を改善させていくためには、継続した闘いが不可欠だ。
 その場合、現時点では派遣元企業の労働者が組合をつくるなどして団結するのは大きな前進だ。しかも派遣業界は労働諸条件が低レベルであることで、労働諸条件の企業間格差が少ない。それだけ企業を超えたところで労働者が団結できる可能性がある領域だ。仮に企業横断的な労働組合が結成され、個別企業の壁を越えた力を背景にした闘いを個別企業や派遣業界に突きつけるようになれば、派遣労働市場の中で少なくとも劣悪な低賃金などの労働条件を改善するそれなりの規制力を発揮できるだろう。
 こうした雇用形態別組合はそれだけでは派遣労働者の労働条件を満足なものまで引き上げることは出来ないかもしれない。派遣労働者の引き受け企業が各種業界にまたがっており、それぞれの産業ごとに労働条件も異なっているからだ。その上でさらに労働条件を引き上げていくためには、そうした業界ごと、産業ごとの労働者の規制力の獲得が不可欠だ。が、それには産業ごとの労働者による集団的な規制力が必要で、それには個別企業の統制が及ばない個別企業の外で結成される産業別労働組合の力が不可欠だ。派遣という雇用形態を基盤として決起した今回の“ワーキングプアの逆襲”は、そうした産業別の業界規制力を獲得する前段階として、一定の労働条件を闘い取るためにくぐり抜けなければならない組織形態ともいえる。
 こうした将来展望を見据えながら、派遣労働者の闘いを全力で支援し、拡大していきたい。(廣)案内へ戻る


映画紹介
「日本の青空」監督:大澤豊
 制作:インディーズ

 映画「日本の青空」を観た。
 「月刊アトラス」の編集部に勤める派遣社員の沙也可(田丸麻紀)が、編集部の一員として憲法問題の取材を行う中で、戦後憲法の成立の過程に踏み入っていくという話しだ。
 映画が特に力を入れているのは、これまでの戦後憲法成立史の中では語られることが少なかった、憲法学者・鈴木安蔵と彼を主宰者とする憲法研究会(鈴木安蔵、高野岩三郎、森戸辰男、室伏高信、岩淵辰雄、杉森孝次郎ら)が果たした役割を描き出すことだ。

 映画は、現代と過去とを交互に行き来しつつ展開される。
 戦中の鈴木安蔵たちの反政府活動とそれに対する過酷な治安弾圧(鈴木安蔵は治安維持法が最初に適用された人物)。戦後における日本政府・松本烝冶を長とする憲法問題調査委員会による明治憲法さながらの憲法改正案。それに対抗しつつ生み出されていく鈴木安蔵たち憲法研究会の憲法草案。憲法研究会自身の中での、天皇制廃止の共和制論(高野岩三郎)、象徴天皇正の便宜的な存続論(鈴木安蔵)等々の間での様々な議論。日本政府とGHQの間の激しい議論と、GHQが鈴木安蔵たちの憲法草案を取り入れていった事情。鈴木安蔵たちの草案では空白とされていた軍事条項が、幣原喜重郎の考えに発するとされる「戦争放棄」「軍事力不保持」という内容を盛られていく過程。
 それらに交互にかぶさるように、現代に生きる沙也可とその友人たちが鈴木安蔵の家族を取材したり、各種の資料などの調査を通して様々な発見をしていく過程が挿入されつつ、映画は進んでいく。

 映画の内容は、憲法をめぐる議論、文献内容の紹介、歴史の教科書に出てくるような古い話が随所に登場し、特に若い人たちには決して理解しやすいものではないだろう。その印象をやわらげるためだろうか、若い女性派遣社員の沙也可やその恋人の修介(法学生)をストーリーの案内人として登場させるなどの工夫は見られる。
 さらに映画は、女性をあたかも生まれながらの平和主義者、反戦主義者であるかのように扱っているが、これは少し教条的で、古くさい発想だ。
 また、映画が紹介する憲法をめぐる様々な重要な論点―象徴天皇制か共和制か、戦争放棄・非武装か国民軍保持か、幣原喜重郎や占領軍・GHQの役割をどう評価するか等々―についても、決して十分に掘り下げられているとも、また焦点が正しく当てられているとも言い難い。
 もちろん、制作者たちの善意は疑いない。映画は、安倍晋三などの進める反動的な改憲、憲法の改悪の動きを牽制するという目的に制約されている。特に、反動派が好む「押しつけ憲法」論への反論が意図されているようにも取れる。そうした限定された目的のための映画だと受け止めれば、その意義は理解できなくはない。
 しかし、やはり戦後憲法と護憲運動の限界に思いをめぐらせる視点がないのは残念だ。戦後憲法と護憲運動の限界を厳しく見つめることなくして、反動的な改憲策動にも正しくは立ち向かえないという状況に、すでに我々は突き当たっているというのに。
 官僚、軍隊、職業政治家、資本家や富裕者が支配する今の社会をどうやってより民主的で平等な社会へと変革していくかという視点から戦後の憲法をとらえ直していく作業は、まだ本格的には着手されていない。こうした作業に本腰を入れて取り組んでいく必要があるということを、あらためて感じさせられた映画であった。   (治)


もう一つのたしかな「KY」政党―参議院選の総括はいずこに?

予想外に大敗した共産党

参議院選は「KY」内閣、つまり空気を読めない安倍内閣の歴史的敗北であった。今回の選挙は、一人区での圧勝を背景に、民主党の大躍進を刻印した。これは、国会での「党首討論」を袖にして、一人区を遊説しつくした小沢戦略の勝利であった。安倍自民党の参議院選での議席喪失率は、四十二%である。ところで、わが日本共産党も選挙区では一議席、比例区でも一議席の合計二議席を減らして、非改選の四議席と合わせれば、九議席から七議席へと後退した。今回の共産党の議席喪失率も四十%であった。自民党が大敗したと「赤旗」は大々的に報道してはいたが、まさにこの意味において、共産党も大敗したのである。七月三十日、選挙直後の常任幹部会声明「参議院選挙の結果について」では、この明確で重要な事実には一切触れず、「日本共産党は、比例代表選挙で三議席を獲得しました。これは、一議席減の結果ですが、得票数では、前回及び前々回の得票を上回る四四〇万票(七・四八%)という地歩を維持することができました」と述べるにとどまった。
ここで示された数字は、今回の投票率と有権者総数の増加を踏まえれば、正確なものではない。何よりも得票率の推移の比較が核心である。この観点から数字を補正したら、共産党は十数万票の増加が予想できたはず。実際には、現に共産党は、前回比で絶対数が四五,三六四票しか増えていない。だからこそ敗北したのである。
今回の参議院選挙は今回の参議院選挙は、共産党にとって実に久しぶりの追い風の選挙の位置づけであった。七月二十五日の「全国いっせい総決起集会」で、志位委員長は、現に次のように演説していた。
「どの問題でも、『たしかな野党』日本共産党が果たしている役割がこんなに光っているときはないし、こんなに語りやすいときもありません」共産党にとっては、議席を増やし、「党首討論」と「議案提出権」を獲得する予定の選挙ではあった。しかし、まさかの大敗北。ここは真面目な者なら、真剣な総括をしておかねばならない時だ。ところが、選挙前と選挙中に喧伝された「たしかな野党」戦略の総括はまったくない。一体全体、「たしかな野党」路線の検証は、いずこへと消えてしまったのだろうか。共産党が己の姿を見失い、この点での総括から逃げまくっていることは誰の目にも明らかである。呆れた共産党の参議院選「総括」五月十七日、参院選前の共産党第四回中央委員会総会での幹部会報告において、志位委員長は、自民・公明批判の後、民主党についてその前に議決した「三中総」決議を引用して、次のように述べた。
「日本の進路にかかわる重大問題について、民主党が自民党政治と同じ流れに合流し、財界からも、アメリカからも信頼されるもう一つの保守政党への変質をとげた」「今日の民主党は、自民党政治の『三つの異常』を共有する政党であり、政治の基本でどちらかが『よりまし』とはいえないのであります」と民主党を規定した。これが参議院選挙での共産党の一貫した主張だった。
日本共産党が、各種選挙の度に「たしかな野党」を唱え、「共産党の前進こそ日本の未来を切り開く」のだと叫び、民主党は勿論の事、社民党・新社会党を含めすべての野党を、口を極めて批判・攻撃してきた事は、周知のとおりである。
ところが、先に引用した常任幹部会声明では、まず次のように自画自賛する。
「日本共産党は、自民・公明政治にたいするこの国民的審判のうえで、自公政治に正面から対決する『たしかな野党』として、とくに政治論戦で一定の役割をはたしえたことを確信しています」。そして、今回の民主党の躍進を念頭に置きつつ、今までの主張をこそこそと隠し、口を拭って、次のように続ける。
「今回の選挙での自公政治にたいする国民の審判は、それにかわる新しい政治の方向と中身を探求する新しい時代、新しい政治的プロセスが始まったことを意味するものです。この選挙の結果は、自民・公明の政治にかわる新しい政治はなにか、という問題について、国民の選択が明らかになった、ということではありません。国会論戦でも、国政選挙でも、国民の声にこたえる政治とはなにかという問題が、ますますその比重を大きくしてゆくだろうことは、疑いありません」と、自らの敗北に触れることなく述べる神経は超一流の一言だ。なんと保身に長けた「総括」なのか。共産党が、先の民主党の基本性格を正しいとしたのなら、選挙後の今こそ声を大に、「民主党は自民党と同列かそれ以上に危険な政党なのだ」として、本気で暴露していかなければならないのに。「参議院選挙後の日本の前途は、まさに絶望的であり、今回の参院選における労働者民衆の民主党選択はとんでもない過ちを犯した」と共産党は言わなくてはならない。これこそが「真」の総括であり、論理的思考というものである。まさに「たしかな野党」とは負けの戦略だ。「正しいのはわが党だけ。他党はすべてだめ」と切り捨てるだけでは、労働者階級の階級闘争は一歩も前進しない。現に共産党は、これで国政選挙六連敗の手痛い敗北を喫したのである。
 共産党は、今安倍退陣を言うが、誠実な政党ならば根本的な自己批判をする事で自らの敗因を分析し、志位・市田・小池氏ら共産党執行部は、安倍内閣にただちに模範を示す事だ。これが安倍内閣への行動による実に明確な批判となるだろう。共産党を救う「希望のメール」今回の参議院選挙では、「護憲勢力」としての共産・社民両党は、民主党大躍進の陰になり、議席・得票率を減らしてしまった。
小泉構造改革がもたらしたこの間の経済格差と貧困層の拡大や、米国のグローバル化に追随した改憲策動と「戦争国家」体制の追求は、労働者民衆の怒りを巻き起こしたものの従来の「護憲勢力」である共産・社民両党や九条ネット等への支持につながらなかったのである。民主党を執拗に批判してきたにもかかわらず、大躍進を許したばかりか、自らの衰退を出来させた共産党は、憔悴し切り、まさに進退窮まった。
この時、共産党を救う「希望のメール」が共産党本部に届いたのだ。このメールに党本部は飛びつく。まさに共産党にとっては「百万の援兵来る」の心境なのであろう。
七月三十一日、「赤旗」一面のコラムである「潮流」欄で、担当者は、「二十二歳の女性」から党本部によせられたメールを次のように紹介した。
この女性は、日本共産党の政策に「心から同調していた」けれど、「自公を、安倍総理をひきずりおろすため、私自身…票が分散しないよう苦肉の策を講じることになりました」と民主党に入れたようだとしながらも、「しかし」と続けて「日本共産党を支持する気持ちはまったく変わっていません。自信をもってがんばっていただきたいです。そうでないと心苦しくて仕方ありません」と書いあったとの事。
この若い女性からのメールをわざわざ紹介した「潮流」の筆者は、「〇七年参院選は、日本の新しい変化を予想させます」と記事を結んだのである。
  ここでこのメールに触れたのは、八月九日、他ならぬ志位委員長が、日本共産党創立八五周年記念講演会の中で行った「参議院船の結果」報告において、「潮流」に紹介された女性の手紙をほとんど全部紹介しつつ、次のように触れたことを批判したかったからである。
 何と志位委員長は、「同様のメールは、党本部に多数寄せられました。こうした思いから民主党に投票したわが党支持者が少なからずあったのではないかと思います」と想像力豊かにコメントして、次のような驚くべき誇大妄想を語った。
 「比例代表の四百四十万という得票は、従来のわが党の支持者をそのまま維持したというのではありません。一方で、従来のわが党の支持者が『苦肉の策』として民主党に一票を投ずるという動きもありましたが、他方では、おそらく百数十万という規模で無党派層、他党派支持層からの支持を得た結果が、四百四十万という得票であります。それは激烈な選挙戦に正面から挑んだ、激しいたたかいの結果です」 この発言は、まさに「殿御乱心」の一言ではないか。共産党が獲得した票は、百数十万単位で、民主党に投票した旧共産党支持者と入れ替わり、その代わりの新共産党支持者を引き付けたと断言するのだから。この大胆な主張に驚かない者がいるのであろうか。
しかし、あれだけ批判した民主党に旧共産党の支持者が投票したと志位委員長が言い張るのなら、それはまさに「身内」から、この間共産党が一貫して追求してきた「たしかな野党」戦略の決定的な破産を突きつけられたという事実なのである。七月二十九日、つまり投票日の「赤旗」には、「大激戦、大接戦」という大きな活字が紙面に踊っていた。七月三十日の常任幹部会声明「参議院選挙の結果について」では選挙区でも健闘したというが、一体どこの選挙区が「大激戦、大接戦」であったのか? 東京都では、最下位当選者から十三万票、神奈川県では四十万票、埼玉県では四十万票、京都府では九万票、大阪府では十五万票の差があったのだ。この悪夢にうなされた志位委員長が自他を欺くために飛びついたのが先のメールではあった。だが、このメールの主張自体が、そもそも共産党が受け入れがたいものである。なぜなら、自民党と同じくらい悪い民主党に投票したとの事なのだから、冷静に考えれば共産党が追求してきた「たしかな野党」戦略を痛打するものである事は、誰の目にもまったく明らかであるのに、わが志位委員長はそんな事は想像すらできない哀れさである。
この事から、今後共産党が民主党との共闘も辞さないことは想像するに難くない。こうして「たしかな野党」戦略は当面お蔵入りすることになるであろう。それにつけても共産党の選挙戦略のこの惨めな破産を何と形容すべきであろうか。

「天下三分の計」戦略なき共産党の悲喜劇

日本の政界が自民党と民主党の二大政党制へと移行する兆しが見えつつある現在、私たち労働者派がめざすべき道は何であろうか。それは、すでに破産が確定した共産党の「たしかな野党」戦略でないことは明らかだ。
私たちがめざさなければならないのは、「天下三分の計」であり、労働者民衆のための第三の勢力の結集である。それは、今回の沖縄県選挙区で象徴されるような一人区での一対一の対決であり、二人区以上の選挙区では、保守党に対して連合して闘う事である。具体的にはさまざまな政治的な工夫が不可欠であるが、自分たち「独自」の闘いが不可能である以上、連合するに消極的であってはならないだろう。
  敗北した共産党は、事実を追認する形で、「わたしたちから(野党共闘の)門戸を閉ざしたことはない。国民の切実な要求の実現のため、野党間協力を強めながら実行させたい」。共産党の志位和夫委員長は、民主党との協力関係構築をめざす方針を繰り返している。八月九日の党創立八五周年記念講演会でも「野党が共同して自公政治を追い詰める」と強調したせざるを得なかったのである。
  共産党は、この秋の臨時国会で、民主党が再提出する年金流用禁止法案や郵政民営化凍結法案に賛成する方針だと伝えられる。また最大の焦点となるテロ対策特別措置法の延長反対でも民主党との共同歩調をめざすという。そして、「障害者自立支援法による負担増の撤回」など独自に主張する政策も、この政治状況を利用して実現したい考えで、民主党の協力に期待しているとも伝えられてはいる。
  私たちも現実の政治状況においては、労働者民衆の利益を追求する上で、連合して闘える部分は共闘し、意見が対立する場面では、労働者民衆の利益を擁護する立場で闘っていければよいのである。
 そうした闘いを追求することで「第三の立場」の独自性を労働者民衆に訴え、足場を強固に撃ち固めていかねばならない。 共に闘っていこう。                         (直記 彬)案内へ戻る


色鉛筆  介護日誌21  「暑くてはらはら・・・」

 今年は74年ぶりの猛暑だという。熱中症による死者も、少なくなかった。お年寄りは、水分補給や体温調節がうまくコントロールできない。我が家の母(85歳・介護度4)も、暑さで汗をびっしょりかきながら、首までしっかりとタオルケットを掛けて寝ていて「暑くない」という。気が向かなければ一晩中何も飲まず(枕元には常に水を置いてある)、翌朝導尿カテーテルの袋が空だったこともある。母の場合これは「大事件」であり、もし管が詰まって排尿ができなくなると体調を崩してしまうので、すぐに訪問看護婦さんにSOSを出して、来てもらわなくてはならない。そのために24時間いつでも連絡がとれるようにしている。大量に汗をかき、水分補給がそれに追いつかないために、毎年夏に一回はこの「大事件」であたふたすることになる。
 午後は西日のあたる母の部屋に、一人置いて私は仕事に向かう。冷房を入れっぱなしでも不安、まるっきり入れないのも不安。仕方なくどろぼう対策には目をつぶり、窓を開けたまま出る。突然の排便に備えてつけている紙おむつの中のお尻は、あせもとたむしのまだら模様になってしまった。
 こんな風に、毎年のことながら゛はらはらの夏゛なのだ。それを救ってくれるのが「ショートステイ」や「デイサービス」。空調が整えられ、水分もこまめに飲ませてくれる。常に人の目があり、そして看護婦さんもいてくれるので、家族にとってこんな大きな安心はない。
 とはいえ、先日一週間ぶりに「ショートステイ」から戻ったら、お尻にひさびさに床ずれが出来ていて、痛くて座っていられないと大騒ぎになった。ずっと同じ姿勢で長時間を過ごしたため出来たもので、手当てをしてくれた訪問看護婦さんが「寝てる時も座っている時も、なるべく自分で時々姿勢を変えてね。」とアドバイス。母は「はい!」と答えたけれど、実際にやってくれるかどうかは????。お付き合いの長い看護婦さんなので、その辺は承知しているので「お返事だけじゃだめですよ」とさらに念押しをする。それでもたぶん・・・・・やらないだろうなあ。
 7月29日の参院選を、母は棄権した。車椅子になってもう5年。ずっと投票していない。お年寄り、障がいをもつ人、長時間労働にしばられている人、病弱な人、ホームレスの人・・・など思い浮かべるだけでも、つくづく弱者の声が届かないシステムだと思う。多くの在日外国人をはじめとして、これら弱者の投票権を保障する方法を考えなおすべき時が来ていると思う。(澄)


反戦通信−15・・・「教科書検定問題」

 沖縄県民はついに、「『教科書検定意見撤回を求める』沖縄県民大会」を9月23日に開くことを決定した。
 実行委員会には、県議会のほか、県遺族連合会や九つの元女子学徒隊で構成される「青春を語る会」など沖縄戦遺族や体験者の団体、県婦人連合会や県子ども会育成連絡協議会、県老人クラブ連合会、県PTA連合会、連合沖縄など各世代や労働団体など計22の多様な団体が加わっている。
 今後、実行委員会は1995年の少女暴行事件に抗議する「10.21県民総決起大会」参加団体数の670団体を上回る、5万人以上の参加者をめざして、超党派による大会開催の準備に入る。仲井真県知事も参加を表明している。
 高校歴史教科書検定意見で、沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍関与の記述が修正・削除されことで沖縄県民の怒りが爆発した。各市町村議会で次々に「反対意見書」の採択が進み、県議会も全党一致で「反対意見書」を採択した。
 これを受け、7月4日に県、県議会、県市長会、県市議会議長会、県町村会、県町村議会議長会の代表が文科省などを訪ねて、検定意見撤回と記述の回復を求めた。
 しかし、文科省の対応はひどいもので撤回を拒否した。「代表団」に対する政府・文科省の対応のひどさを聞いた沖縄県民は、さらに怒りを爆発させた。
 この高校歴史教科書の修正・削除問題の事の起こりは、大阪地裁の「岩波訴訟」。1945年3月末、渡嘉敷・座間味両島で発生した「集団自決」で日本軍部隊長の自決命令があったとする「沖縄ノート」(1970年出版)の記述は誤りとして、当時の指揮官と遺族が岩波書店と作者の大江健三郎さんに出版差し止めと損害賠償を求めた訴訟である。
 7月27日に第10回口頭弁論が開かれ、座間味島の「集団自決」について記した『母の遺したもの』の著者である宮城晴美さんが被告側証人として出廷した。
 「軍命の存在(村幹部は米軍上陸時に自決するよう指示された)を示す住民証言を例証し、助役による『自決命令』を否定し、『集団自決』における軍関与を指摘し、部隊長に責任はあると」証言した。
 次回は9月10日に沖縄で出張法廷が開かれ、当時「集団自決」を体験した金城重明さんが証人尋問を行う。さらに、11月9日に大江さんの尋問も予定され、12月21日に最終弁論を行って結審し、来年3月までに判決が言い渡される見通し。
 憲法を「改悪」し、戦争ができる国づくりをめざす政府にとっては、この沖縄の「集団自決」問題は『のどに刺さったトゲ』であり、何としてでも取り除きたいとの強い意図から、このような訴訟や教科書検定問題を意識的に取り上げたのである。
 沖縄に関する多くの本や証言記録に取り組んでいるフリージャーナリストの森口豁さんの著作「沖縄、近い昔の旅」の中に興味深いデータがあった。それは、防衛庁の戦史研究会がまとめたもので、「日本軍に殺されたり、不利益を受けた沖縄住民の数」(表1)と「戦場で死んだ14歳未満の子どもたちの死因」(表2)である。
 これる見ると、沖縄戦がどのような戦争であったかがよくわかる。日本軍の機密文書にも「軍人軍属ヲ問ワズ沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」と書かれている。表1の「スパイ容疑」で処刑された人は、区長や公民館長や学校長や駐在巡査など住民のリーダーが多い。すなわち、犠牲者がでないように住民を守る立場に立ち行動した人たちが日本軍に殺されている。表2では、幼い子どもたちさえも日本軍に強制的に戦場に引っぱり出され、さらにガマから追い出されて死んでいった実態がよくわかる。
 ここに記載された数字はまさに「氷山の一角」であろう。この記録は生存者の証言だけで、「死人に口なし」である。
 政府・関係省庁はこうした沖縄戦の実態を記録したデータを数多く保有しているにもかかわらず。自分たちに都合の良いデータのみを公表し、都合の悪いデータは公表しない。こうした情報操作を通じて労働者・市民を欺いている。(若島三郎)案内へ戻る


コラムの窓  定年退職制度

 2007年問題。2007年から2010年にかけて、団塊の世代(1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)の3年間に生まれた世代、厚生労働省の統計では約800万人(出生数))が一斉に定年退職をするため、大量退職によるベテラン職員不足の発生や年金制度をはじめとして、社会に大きな影響をもたらすことが予想され、技能継承のため、定年延長、再雇用等で乗り切ろうとする企業がある一方、彼らの蓄えた技術や能力、人脈を自社で生かすべく、団塊の世代の人材を獲得しようとする企業も現れている。
 800万人という団塊世代と60歳定年制という制度が引き起こす社会現象だから、要は定年制度を廃止してしまえばことは足りる。
 国際的には、年齢による雇用差別を禁止していることから定年制を禁止している国が多い。 日本にも定年制を定めていない企業もあるが、日本の企業の正社員と公務員は、その大部分が定年制を導入している。
 定年退職者を継続雇用することも多くの企業で行われているが、一般企業の正社員においては、60歳を定年にしているところが圧倒的に多く、最近では、年金(厚生年金)の受給年齢が65歳に引き上げられることもあって、改正高年齢者雇用安定法(下記については、2006年4月1日施行)によると、事業主は65歳までの、定年年齢の引き上げが課題として浮かび上がってきている。しかし、日本の男性の平均寿命は既に78歳、健康寿命も72歳であり、国民世論も「高齢者は70歳以上(70%以上)」と答えている。日本人の5人に1人が65歳以上となった社会においては65歳定年も一過性の感がある。
 これでは問題の先送りでしかなく、定年制度は程の良い首切り制度という性格は何ら変わらない。
 なお、定年退職者を継続雇用することも多くの企業で行われているが、(継続雇用とは、現に雇用している高年齢者が希望するときは、当該高年齢者を定年後も引き続いて雇用する制度のこと。)継続雇用の基準を定めるということは、逆に言えば継続希望者全員を雇わなくてよいということでもある。労働条件もパートや契約社員という身分で、賃金の切り下げを始めとする雇用条件が引き下げられることが多い。
 定年制度という首切りとその制度を利用した労働条件の切り下げに反対し、自由な職業選択と、安定した生活補償制度の確立を目指してともに頑張りましょう。(M)
 

美しい国の野蛮

 法務省は8月23日、3人の死刑執行を発表した。安倍政権になって3度目、計10人の死刑囚に刑が執行された。いずれも、長勢甚遠法務大臣が執行命令書に署名をし、安倍美しい国%煌tの法相にふさわしく、その手は殺人マシーンと化している。
 死刑囚が100人越え、これがこのところの日本の犯罪シーンである。前回の死刑執行によって99人となったものの、その後の死刑判決増産によって106人となっていたので、現在まだ103人の死刑囚が執行を待っている。野蛮な国である。
 なぜ、これほどまでに死刑判決が相次ぎ、死刑が執行されるのか。体感治安≠ネどというものが煽られ、法廷が復讐の場となり、裁判官が事実の究明を忘れ、この国は死刑待望社会となってしまっている。国家による合法的殺人が暴走したときの恐ろしさを、都合の悪い歴史はなかったものとしてしまうこの国は、再び経験しようとしているのか。
 死刑待望論の根拠は何か。危ない奴は隔離しろ、抹殺してしまえ、そして目には目を≠ノ尽きるのではないか。ここには、犯罪がなぜ起きるのか、死刑制度は犯罪抑止につながるのか、そもそも凶悪犯罪は増えているのか、こういったことを冷静に検討しようという姿勢がない。とりわけ、マスコミ報道のワイドショー化、犯人視報道は犯罪的ですらある。これまで幾多の冤罪を生み出してしまったことへの反省もなく、視聴率さえ稼げばよいという姿勢である。
 冤罪に関連して言うなら、鹿児島県議選の選挙違反事件の無罪判決によって検察のいい加減さが断罪された。富山の女性暴行誤認逮捕で実刑を受け、服役後に無実が明らかとなった柳原浩氏は8月22日、再審の結審にあたり実名での記者会見を行い、「今まではまだ前科の二文字が残っていた。(論告で)無罪と言われ、うれしかった。前科が半分消えたと思う」「(検察に)すいませんでしたと言ってほしかった」(8月23日付「神戸新聞」)と心境を語っている。
 最高検察庁はこのふたつの冤罪事件について内部調査を行うなど、地に落ちた検察の権威回復に躍起となっている。しかし、冤罪の温床である代用監獄を温存し続ける限り、拷問による自白偏重の捜査はなくならない。日本の代用監獄制度は国際基準から見れば「拷問」だということが、今年の5月、国連・拷問禁止委員会によって指摘されている。その最終見解では次のような指摘が行われた(「週刊金曜日」7月20日号参照)。
@代用監獄の使用制限
A捜査と拘禁の完全な分離
B警察拘禁期間の上限の設定
Cすべての警察拘禁下における取り調べの録音や弁護人立会いのもとの監視
 21世紀の今日においても、政策として行われる死刑、権力抗争の手段となった死刑、等が横行している。権力にとって、この合法的殺人は大きな魅力なのである。そういう視点からすると、日本における死刑は国民の不満を解消する手段のようである。憂うべき風潮というほかない。     (折口晴夫)


 .読者からの手紙

 雨宮処凜さんの話しを聞いた

 八月十六日、週刊『金曜日』に記事を書き続けており、『生きさせろ!』や『ワーキングプアの反撃』の著書でも知られ、今や時の人となった雨宮処凜さんの「『生きさせろ!』今、若者たちに起きていること」と題するわが組合が企画した二時間ほどの講演を聞きました。
 講演の最初には自己紹介もかねて、高校時代は生きる希望もなく、リストカットを繰り返していたが、20代の頃は居場所がある気がしたので「反米右翼」団体に所属していたこと、そして民族派パンクロックバンド「維新赤誠塾」ではヴォーカルを勤め、そのファッションから、「ミニスカ右翼」とも呼ばれていましたが語られました。
しかし、現在彼女は左翼に転向しており、イタリアで生まれた「プレカリアート(不安定なプロレタリアート)」支援運動の最先頭に立っていること、フリーターやネット難民の生活状況や彼らの考え方を極めて具体的に語りました。
彼女自身も高校を出た一九九五年は、経団連が打ち出した「新時代の『日本的経営』」の影響で、就職できなかったことを自分に問題があると考えていたが、この報告書や労働法制の規制撤廃がフリーターを生み出していることを知り、また「正社員は正社員」で過労死するまで働かせ続けていることを許せないとして運動を開始したことを淡々と語りました。ほんとに何も知らされていなかったと当時を振り返り、もっと教員は学校では労働法制や実際の企業の問題点を生徒に教えてほしいと注文を出されてしまいました。
 彼女の活動の一端は、2007年4月30日に東京都内で行なわた「自由と生存のメーデー07〜サウンドデモ」に象徴されています。このデモには、雨宮処凛さんと社民党党首福島瑞穂さんも参加しており、デモの様子は「YouTube」で見ることができます。皆さんもぜひ見てください。
 彼女が言うには、フリーターも政治的に目覚めてきて、左翼化し生存権を主張するようになってきたとのことです。最賃金制度の確立を採りも闘う機運は今、大きな展望を切り開きつつあります。
フリーター等の青年は、今回の参議院選挙では、今住んでいるところでほとんど選挙権がなかったのではないかと彼女は語りました。選挙権を獲得できるほど長く一所に定住していない状況があるからだというのです。この指摘には目からうろこが落ちました。
 最近、彼女は、グットウィル・グループの降り口会長に対して、何の根拠もなく強制的に差し引かれた一日当たり二百円のデータ設備費の返還を求めて、「折口ちょっと出てこい」デモを敢行したとのことです。
常日頃は、また講演会当日も、いわゆるロリータ・ファッションなので、傍目からはとてもそんな大胆なことをする人には見えません。
 この講演の中で、「貧乏ビジネス」という言葉を解説されて、私などは聞いたこともなかったので大変勉強になりました。とにかく元気な人が現れたものだと感心することしきりです。   (笹倉)


 想像力について

 今頃、こういうテーマで字を書くのは間もなく三つ児同様、家の中を這いまわる生活が控えておるだろうと思うからであろう。
 あきらめた最期の沖縄への旅を少々ムリでも、敢行することに決めたのは、一つは敬愛する太田昌秀氏の沖縄に基地はいらない≠ニいう宣言。もう一つは、目取真俊氏が大阪にやってきて沖縄のことを想像力をもって感じ取って欲しい≠ニ講演されたことを新聞で知ったのがきっかけ。
 前に沖縄へしばしば旅したとき、宿の方との話しの中でやっぱり戦争のことも体験しなければ真底」わからないのかな?≠ニいう私の問いに、沖縄の方はそんなら何べんも戦争せいやならんことになる≠ニ答えられたのを覚えている。
 また東京へ行った友(女学校時代)の娘さんが、イギリスに出張とかで住んでいるが。その地では反核運動が盛んである(だいぶ前7・8年前であろうか)とも聞いたが、当時被爆国の日本人である私なのに、実感がなかった。なぜ遠隔の地で? 離れているから余計に想像力が働き、核の恐ろしさが実感されることになるのではないか。「痛み」を想像すると気絶するほどに。
 沖縄への旅お思い立ったのは沖縄戦の痕跡‐それはどうしても死≠ニ結びつく‐と共にこの地で生≠フ芽吹きとも思える読谷の漁港の岸壁に、小学生が描いたという壁画をカメラに収めてきたいからである。近くて遠い沖縄、そこでの生≠ニ死≠巡って距離を埋めたい。媒介をなすのは想像力であり、その材料を求めての旅である。
 戦争世代の人間の一人の私がようやく、辿りついたリクツである。現実は沖縄と本土との距離は、せばなったようでもあるが・・・。2007・8・22 宮森常子 案内へ戻る