ワーカーズ353号  2007.9.15.      案内へ戻る

安倍首相を追い詰めた『民意』衆院解散・総選挙を要求する!

 ブサマ、何とブサマではないか。全く異常で破廉恥ここに極まるともいうことができる。
 安倍総理の突然の辞任は、まさに私たち常人の判断をはるかに超えた中で行われた。
 シドニーでブッシュ総理に「テロ特措法」の延長とインド洋での給油活動の継続を要請されるや、直ちに受け入れ「国際公約」であると言い募る安倍総理の姿に、私たちは自らを見失った姿に空元気こそ見出せたもののその深い心事を見極めることができなかった。
 参議院選挙の歴史的大敗も何のその居座りを決め込んだ安倍首相は外遊した。そして、八月二十七日、批判が強かった「お友達内閣」から「お友達・お仲間派閥領袖糾合内閣」へと改造組閣したものの遠藤農水大臣は早々と辞任し「政治家とカネ」が次々発覚して早くも青息吐息の安倍内閣ではあった。それでも九月十日には、国会で所信表明演説をしたばかり。内容が乏しいとはいえ、「給油活動」の継続に職を賭するとまで言い切ったのだ。
 ところが、九月十二日昼、安倍総理は、前言を翻して唐突に辞任表明したが、国会では各党の代表質問が始まることになっていた。まさに参議院総選挙後初の「激突国会」が始まろうとしていた矢先の自公両党にとっても寝耳に水の予想外の事件ではあった。
 この安倍の行動を「敵前逃亡」といわずして、また自民党自体に対する「裏切り」だといわずして何というべきなのであろうか。この無責任な態度にはさすがの自公両党内からも「想像がつかない」「政治は自分のものではない」等との批判が渦巻いたのである。彼自身は、九月十二日、民主党の小沢一郎代表に「テロ特措法」の新法成立へ向けた党首会談を申し入れたが断られたこと、したがってこの局面を打開するのは、障害となっている自分よりも新首相の方がふさわしいと考えたことの二つを辞任を決めた理由とした。
 しかし、麻生幹事長が明らかにしたごとく、すでに九月十日から彼は辞任を口にしていたのであり、麻生氏は今のタイミングはどうかと慰留していた。まさにこうした中で所信表明が国会でなされていたのだ。ここに安倍氏の本性が完全に露呈しているのである。
 私たちは選挙民に対して一切の謝罪を口にしない安倍総理の破廉恥を絶対に許さない。私たち労働者民衆は、安倍総理の今回の唐突で無責任な辞任を断固糾弾するとともに一刻も早く衆議院を解散して民意を問うことを断固要求するものである。    (猪瀬一馬)


共産党の戦略転換

小選挙区の候補者は百三十前後

 九月八日から九日の日程で共産党は第五回中央委員会総会を行った。参議院総選挙後初の中央委員会の幹部会提案の中で志位委員長は、新しい政治情勢のもとでの新らしい前進と総選挙の勝利に向けて、次期衆院選をめぐり、「全小選挙区で擁立を目指す」とする約半世紀にわたった従来の擁立方針を見直して、候補者を大幅に絞り込む考えを表明した。
 この提案によると、比例区での戦いを重視して、小選挙区に候補者を擁立するのは三百選挙区中約百三十選挙区前後まで候補を絞り込む予定だとしている。この方針で闘われると自民・公明・民主三党の選挙戦略にも影響を与えることは必至である。
 すなわち、志位委員長は、候補者擁立の目安を、具体的には(一)七月の参院比例代表での得票率八%以上(二)こうした選挙区がない都道府県は最低一人と明示した。その理由として、「従来方針は多額の供託金没収など党に過重な負担になり、比例代表の前進のためにもマイナスが大きい」とし、比例代表での闘いに集中する考えを示したのである。
 共産党は、小選挙区比例代表並立制導入後、0三年衆院選まで九六年の沖縄二区を除き全小選挙区に候補を擁立していた。0五年衆院選でも二百七十五選挙区で候補者を擁立した。七月の参議院総選挙でも沖縄と若干の選挙区以外では候補者を擁立したのであった。
 今回の参議院選挙でも、共産党が泡沫候補の擁立をやめておけば、自民党はさらに数議席失うことになっていた。今回の決定で生じる共産党候補者「空白区」では、共産党票が民主党などに流れる現実性が生ずる。これに対して、自民党の菅選対総局長は「少なくとも自民党には大きな影響が出ることは間違いない」と危機感を抱く。また民主党の赤松選対委員長も「結果的に民主党としてはかなり助かる」と語った。まさに実感である。
 「たしかな野党」戦略の転換で、共産党は事実上野党共闘路線に踏み込んだのである。

共産党の選挙戦術

 この決定によって、今後の共産党の選挙戦術は、志位委員長によれば次のようになる。
 それは、幹部会報告の「新しい政治プロセスを前進させるために―『二重の構え』のとりくみを」の部分で展開されている。
 この「二重の構え」とは、まず第一に「直面する熱い問題で積極的役割を果たす」ことである。この柱には、「貧困打開と国民生活を守るたたかい」「『海外で戦争する国づくり』を許さず、憲法を守り抜くたたかい」、そして「『政治とカネ』―感覚マヒの根源ある企業・団体献金と政党助成金にメスを」があげられている。
 第二に「『綱領を語り、日本の前途を語り合う大運動』の提案」することだとしている。
 この柱には、「綱領と日本改革の方針が、こんなに情勢とかみあい、共鳴しつつあるときはない」「自民党政治の『三つの異常』をただす日本改革と、綱領の諸規定について」の二つがあげられている。
 私たちが注目しておかなければならないのは、「『たしかな野党』のスローガンについて」論評している部分である。引用すれば、「たしかな野党」は積極的な役割を果たしたとしながらも、「今後の問題としては、自公政治に代わる新しい政治の中身を探求する新しい時代が始まり、さきにのべた『二重の構え』にたった党の役割がこれまで以上に強くもとめられる情勢のもとで、新らしい情勢にマッチによくマッチした党押し出しの新しいスローガンを、検討していきたいと思います」とあり、「ワーカーズ」前号で確認したように「たしかな野党」スローガンのお蔵入りは、ここに確定したのである。
 それにしても、「二重の構え」とかなんとか、志位委員長はもったいぶって話を展開してはいるものの、その話の中身は、いつも聞かされる昔ながらの「わが党の闘いはただしい」の擦り切れたレコードの歌そのものだ。ここまでの党の衰退を今こそ直視せよ。
 共産党にとって今一番要請されているものは、なぜ共産党に支持が集まらないかの反省である。まずやるべきことは、参議院選挙での大敗の責任を取って、執行部を全員入れ替える「人心一新」の挙党体制の確立と従来とは画然と異なる活動方針の樹立なのである。
 端的にいえば、今までの「支部中心の選挙活動」ではなく、地域・労働現場に根ざした「支部」を党活動の第一線とした全面的な党の労働運動・政治活動でなければならない。

なぜこの転換が不可避であったのか

 志位委員長があげた理由は、「従来方針は多額の供託金没収など党に過重な負担になり、比例代表の前進のためにもマイナスが大きい」と言葉少なだが、彼は真実を押し隠している。確かに今回も共産党は供託金を、約二億円ほど没収された。しかし、こんなことは共産党にとって、数十年間全く日常茶飯事のことであったのである。
 彼らを衝撃を与えたのは、あれほど自民党よりも一層危険だと批判し続けてきた民主党に選挙民が自民党への「批判票」を集中させたことにある。まさに予想外の事であった。
 「ワーカーズ」の前号で、党の創立記念講演会において、志位委員長が党本部に届いたメールを取り上げ、「民主党に投票した」共産党支持者から「今でも共産党を支持している」との一言にすっかり舞い上がってしまったことを暴露した。そこでは、このメールを取り上げること自体、「たしかな野党」戦略の敗北だと明確に批判しておいたのだ。
 さすがにその後冷静さを取り戻した志位委員長は、今回の幹部会報告では、当然ながらこのメールを取り上げてはいない。そこで彼が取り上げたのが、次のことであった。
 「わが党は、民主党の公約の前向きの要素については実行をもとめつつ、路線上の問題点については、国民の利益にたって明らかにしていくものです」 下手な取り繕いと談じるほかはない。もともと自民党より悪いなどという批判自体、政権与党と野党との政治的立場の違いを認めない全くの観念論であり、現実に進展していく階級闘争の観点を全く忘れ去った議論でしかなかったのである。
 共産党の今回の戦略転換は以下の諸条件により必然となった。まず第一にこの観念的な立場が、現実の階級闘争の進展の中で徹底的に破産した、第二にこの間の選挙最優先の党活動に対して党員の動員力と集中力の低下が隠しようもなく露呈した、第三に隠然たる影響を行使してきたズル顕こと宮本顕治氏の存在であり、彼の死去を挙げることができる。
 彼の執念は、唐突ながら不破・上田耕一郎に対して、構造改革派時代の自己批判を強要した事に典型的に示されているのである。端からはとても信じがたい事ながら、まさに先日の死去により、擁立方針を強固に支え続けた重しが取れたのが決定的であった。
これらのことは、すでに骨がらみになっている共産党の体質そのものを象徴している。
 まさに突然安倍辞任により未曾有の危機に直面した自民党と同じく、共産党も参議院選挙の敗戦後も破廉恥にも居座る執行部の危機が着実に進行すると私は断言できる。
 ゆえに解党的出発を開始する勇気がなければ、共産党に未来はないのである。(直記彬)案内へ戻る


コラムの窓・・・「食の危機」

 昔から「働かざる者食うべからず」との諺があったが、今の世の中「働く仕事のある者」はなんとか食べられる。しかし、「働く仕事のない者」は食べ物を買うことも出来ず餓死している。
 さらに、子どもたちを含めて日本人の食生活が崩壊し始めている。「残留農薬」とか「食品添加物」が入っているような危険な食べ物が蔓延している。だが、その危険な食品のことばかりではなく、「朝食」を食べない子ども、「朝食」を食べれない大人、食べるとしても家で「カップラーメン」と「コンビニ弁当」ばかり、家族みんなが同じ時間に食卓に集まることができない、それぞれの学校・仕事にあわせての「孤食」スタイルが多くなってきている。学校でも「食育」の重要性を叫び、朝から給食を用意しなければならない。
 最近マスコミでは、中国の恐ろしい食品現場のニユースが次から次ぎへと流れた。そして今、世界的に中国産の商品(日本では残留農薬野菜が大いに問題になった。米国では鉛入り子どもオモチャが問題となった)に関する不安が蔓延している。
 9月9日付の「朝日新聞」には、『この夏、中国国家食品薬品監督管理局の前局長が収賄などの罪で死刑に処された。・・・約9年間の在任中、製薬会社8社から6品目の偽薬を承認し、649万元(約1億円)相当の賄賂を受け取った。』
 この偽薬によって多くの犠牲者が出たという。『偽粉ミルクを飲んだ6ヶ月の赤ちゃんは、タンパク質が基準の5分の1しかなく、臓器が成長しないまま頭だけが肥大化していった。12人の乳児が犠牲となった。その他工業用アルコールでできた酒や神経障害をもたらす甘味料を使ったみそなど、生命を脅かす事件が相次いでいる。』
 『1月に出版された「中国食品安全現状調査」によると、偽食品が原因とみられる死者毎年約40万人に上がり、約3億人の人が発病している』と、北京に赴任して4ヶ月経った記者も『針金入り餃子やハエが入った瓶ビールに何度も肝を冷やした。見えない添加物や農薬を考えると何も食べられなくなる。』と報告している。
 急速な経済発展をしている中国社会は、まさに「弱肉強食」の論理で自分の利益拡大だけがすべての「利益至上主義社会」が出現している。当初はトップの業者や役人の腐敗が大いに問題になったが、現段階では普通の生産・流通業者も下っ端役人も、メチャクチャな事を平気でやる社会になってしまっている。
 では日本社会は大丈夫なのかと冷静に考えれば、ほぼ似たり寄ったりであることに気がつく。日本の食品会社もデタラメばかり、北海道の「白い恋人」も賞味期限切れである。
 そのデタラメな食品業界の舞台裏を暴露した本を読む機会があつた。食品添加物の専門会社に勤めていた元トップセールスマンの安倍司さんが書いた「食品の裏側−−知れば怖くて食べられない」である。全国各地で講演で引っ張りだこである。
 『ほとんどの人は、自分が食べている「食品」がどのように作られているか知らない。普段コーヒーに入れているミルクが、水とサラダ油と添加物だけで出来ていること。サボテンに寄生する虫をすりつぶして染めた「健康飲料」を飲んでいること。「体のため」と買って食べているパックサラダが、「殺菌剤」のプールで何度も何度も消毒されていること。いま食べた「ミートボール」が大量の添加物を使って再生された廃棄寸前のクズ肉だということ。毎日毎日、自分の体に中に入れる「食品」なのに、それがどうやって作られていて、その「裏側」でどのような添加物がどれほど使われているのか?私たちはほとんど何も知らない。』このように私たちは知らないうちに大量の添加物を食べさせられている。
 ところが、その事を知っている人は家族や働いている者には「俺のところの特売用ハムは食べるなよ」「うちの漬け物は買うなよ」と言う。農家の人たちの中にも、農協に出す野菜や果物商品と家族で食べるものをしっかり分けて管理している人もいる。
 彼の添加物商社勤務の経験から言うと、「明太子」「漬け物」「練り物、ハム・ソーセージ」といった製造会社がお得意様であったと。
 彼は私たち消費者のためにまず、『「裏」の表示をよく見て買いなさい』とアドバイスを送る。表示されたラベルに原材料以外なものが色々と書かれている。それは、台所にないもの、すなわち「食品添加物」である。「調味料」(アミノ酸等)、ph調製剤、グリシン、酸味料、香料、着色料(カラメル、クチナシ、赤102、赤3,赤106、黄4、青1)、漂白剤(亜硫酸塩)、リン酸、酸化防止剤、乳化剤、発色剤(亜硝酸Na)、保存料(ソルビン酸カリウム)、増粘多糖類、等など。
 こうした添加物の中には「毒性や人体の影響」などで問題になり使用禁止になっているものもある。確かに厚生労働省は、添加物に対してひとつひとつの毒性テストをして、一定の基準を満たしたもののみが認可されている。ところが、複数の添加物をいっぺんに摂取したらどうなるかという実験は十分さなれていないと言う。それは、「添加物の複合摂取」という問題だ。
 紙面の関係でこれ以上怖い話を続けることができない、興味のある方は是非ともこの本を直接読んで下さい。
 安倍司さんは、『医療や政治、金融の世界では情報公開が叫ばれている。しかし情報公開が必要なのは、食品業界も同じである。医療も政治も、苦しみつつ古い体質を改めるべく変革の道を進んでいる。食品業界だけが旧態依然とした体質を変えようとしていない』と述べて、「添加物の情報公開」を要求している。(英)


本の紹介
『格差社会ニッポンで働くということ』 
雇用と労働のゆくえをみつめて  
 岩波書店 2007年6月26日発行 1995円

 戦前型国家づくりをもくろんだ安倍“革命”を吹き飛ばした参院選では、“宙に浮いた年金問題”や“政治とカネ”の問題と併せて“格差問題”が大きな争点となった。橋本政権が本格的に手をつけた市場万能型の構造改革は、小泉政権になって頂点に達した観があったが、その負の遺産が政治の最前線に浮上したという意味では、他のテーマ以上に安倍自民党にボディーブローのように効いたと思われる。
 この『紹介欄』を書いている最中に、安倍首相辞任のニュースが飛び込んできた。インド洋などでの米艦船などへの給油継続問題が辞任の直接の理由だとしているが、格差社会の拡がりの中での政権への不信任が底流にあるのは間違いないだろう。
 話を戻せば、この“格差社会”に関しては、ここでは触れきれないほど数多くの著作が出版されてきた。関心がある人は誰でも1〜2冊は読んだのではないかと思われるが、この初夏に出版されたのが本書である。著者も紹介しているように、本書の内容は、昨年の秋に「格差社会ニッポンの労働」というテーマで大阪で開催された全部で10回にもわたる連続市民講座での講演録を加筆・修正したものだ。

■地殻変動の反映

 本書によれば、この市民講座は毎回60〜80人も参加者があって筆者の予想を超えた盛況だったという。筆者とともに喜ぶべきことだ考えていいのかと、ちょっと複雑な思いに駆られる。というのも、2003年に出た『リストラとワークシェアリング』(岩波新書)をこの欄で紹介したことがあったが、その本のなかで著者は、労働者に密着した著作活動に区切りをつけ「しばらくは読書三昧の生活を送りたい」と〈後書き〉で漏らしていたからだ。そこでは苦闘する労働者の着実な闘いの前進を願いつつ、現実に労働する人々の日常的な営為の中にこそその可能性を見いだしたいとする、長年にわたる著作活動に対する“徒労感”がにじみ出ていた。現実には著者の労働者に対する誠実な思いと提言が裏切られ続けてきたからだ。私としても忸怩たる思いに駆られずにはいられなかった記憶がある。
 複雑な思いに駆られるというのは、“格差社会”の深刻度が増すなかで著者による講演が多くの労働者を引きつけるようになったこと自体、労働者の生活と働き方はより厳しさを増してきたことの反映だと思われるからだ。
 とはいえ、著者による連続市民講演が盛況であったり、あるいは他にも多くの講演に招かれたりしていることは、単に格差社会の現実が厳しくなったことだけを意味するものではない。少なからずそうした現実に正面から向き合い、そうした現実を克服していきたいという労働者が現実にあちこちで増えているからこその“盛況”だと受け取りたい。こうした連続講座をもとにした本が発行されること自体、現実に進行する巨大な地殻変動の所産であり、またその一つの象徴的な表れともいえる。

■格差の諸相の分析

 本書の構成は著者を知るものにとっては極めてオーソドックスなものだ。類似の「格差本」の多くは、格差の存在をまず収入面の分析などから始める。それから格差の存在自体を不可避のものとする極論や、格差の存在を認めつつ、その格差を“機会の平等”と“結果の平等”に切り分け、“機会の平等”の実現だけをめざそうとするもの、さらには結果の平等も課題としつつも再配分システムにその是正を求めるもの等々、様々なものがある。
 著者のスタンスはそうではない。労働者自身による絶えざる地位や処遇の上昇競争を排して、現在の位置でまともな生活が可能となる働き方、言い換えれば労働者が人間としての尊厳を確保できるような働き方や処遇を獲得していくこと、そうした獲得目標を恵まれない位置にいる普通の労働者自身による連帯的な営みの発展線上に見ていく、というものだ。そこに著者の独自な位置取りがある。
 本書の叙述は市民講座での講演録が元になっているという性格上、あるいは随所に著者の問題意識がかいま見える統計やグラフも挿入されていてとても読みやすいものになっている。以下、本書の構成のみ紹介する。

 第1章 労働のパノラマ――労働者の第一次的階層形成
 第2章 格差と不平等を見る視点
 第3章 大企業と中小企業の処遇格差
 第4章 個人処遇としての賃金格差
 第5章 正規雇用と非正規雇用――女性労働者の位置
 第6章 正規雇用と非正規雇用――若者たち
 第7章 「働き過ぎ」と「働けない」の共存
 第8章 「官民格差」と公務員バッシング
 第9章 困窮する人々とセーフティネット
 終章  格差是正と労使関係

 第1・2章は、職種別、所得階層別に見た労働者の分布状況の概括だ。加えて、拡がりつつある格差社会に対しては、職場における労働者の発言権の強化などで変えることは可能なのだ、との著者の変わらぬ視点を提示している。第3章から第8章までは、伝統的格差としての企業規模にもとづく格差から始まって、賃金体系、雇用形態、女性と若者差別、企業戦士と(潜在的)失業者、官民格差攻撃まで、格差社会が進行する諸断面とその大括りな打開策の提案となっている。第8章と9章は著者による格差社会からの脱却にかかわる処方箋、あるいは問題提起だ。

■労働者に寄り添った打開策

 こうした構成を見れば明らかだが、著者は格差社会の最大の問題として労働者のあいだでの分断構造を最重視している。本書の表題をあげるまでもなく、労働者を取りまく様々な諸局面を、あくまで普通の労働者に寄り添って考察してきた著者の立場から見れば当然の事ともいえる。中央と地方という格差も含めた多面的な格差の拡がりというなかで、まずは労働者同士の分断・格差構造を打破することで社会変革の主体形成につなげる必要を主張してきた私としても、まったく同感だ。現在進行中の格差社会を、かつての相対的な「一億総中流」時代から「新しい階級社会」への転換だと捉えれば、新たに造り出された支配構造とそこでの労働者の連帯的な闘いの拡がりをつくりだすことは、格差社会に立ち向かう緊急かつ最重要の課題だ。
 問題はそうした格差社会の突破口づくりと主体づくりだが、ここでも著者は日々困難な状況の下で働く普通の労働者の日常的な営為に軸足を置いている。そこでは少ないイスをめぐる“椅子取りゲーム”にも似た競争に走るのではなく、同じ職場、同じ境遇に置かれた労働者同士の連帯の試みに解決策を求める。労働者の結集の拠り所を労働組合に求める立場ともいえる。が、それは連合に代表される企業内組合ではなく、企業横断的な産別組合や一般組合、あるいはいま様々な形で生まれつつある各種のユニオニズムに求めている。それこそが「若者達自身による格差社会への最も具体的な挑戦」なのだというわけだ。
 繰り返すまでもなく、本書は市民講座での講演をもとに発行されたという性格上、格差社会の打破に向けた見取り図としては、さほど独創的なものでも掘り下げたものでもない。が、本書での普通の労働者に寄り添った格差社会への関心のありようと問題意識、それに打開策の方向性などは共感できる部分が多い。その意味ではとても読みやすいものになっている。蛇足になるが、それ以上は私たちも含めた実践者自身による闘いにかかっているということだろう。
 著者が「読書三昧」の生活から脱却し、再び精力的な著作・講演活動を再開されたことを著者と共に喜びつつ、また私たちの眼前に横たわる課題の大きさを思いながら、是非多くの労働者が本書を手にとって読んで欲しいと願わずにはいられない。(廣)案内へ戻る


川崎造船クレーン倒壊事故の一側面

 8月25日、川崎造船神戸工場の建造用クレーンが倒壊し、7人が死傷した。3人の労働者が死亡する、重大な死亡労災事故であった。30日の地元紙に、神戸市在住の元工場労働者(60歳)の投書が掲載された。その全文を紹介したい。

クレーン倒壊はなぜ起きたのか
 まさか私が3年前まで働いていた工場でこんな大事故がおきるなんて、と報道される内容に身震いした。川崎造船神戸工場のクレーン倒壊事故のことだ。
 私も神戸工場勤務時代に応援の形でこの倒壊したクレーンの玉がけ作業に従事したことがあるから、人ごととは思えない。亡くなった方々のご冥福とけがをされた方々のご回復を祈るばかりだ。
 なぜこの事故はおきたのか。直接の事故原因はこれから調査されるだろう。しかし現場の人たちだけの責任追及に終わってしまってはならない。このクレーンも他のクレーンも老朽化している。だから修理が必要だった。
 私が勤務していたとき有志の人たちと一緒に、クレーンの老朽化について改善するよう労働組合に申し入れたことがあった。しかし、その後も改善されず、造船の業績が好調なこともあって、クレーンもフル稼働していたのであろう。
 土曜日の休日出勤で修理して、月曜日から稼動させようとしたのではないか。会社上層部の責任こそ問われなければならない。

 ここに言い尽くされている、というのが読んでの感想である。倒壊クレーンを残したままで、使用可能なクレーンを稼動させて建造作業を再開するめどが立たないようだ。
「倒壊したクレーンがあった第4船台では、工場内で製作した船体の各ブロックをクレーンでつり上げ最終組み立てを行っていた。同社大型バラ積運搬船31隻を受注。事故前には17隻目を建造中だった。同社は納期に間に合わせるため、船台内部で一部の作業を再開」(9月1日付「神戸新聞」)
 無理な生産スケジュール、手抜きの保守など、目先の利益を追った結果が今回の事故である。労働組合は「遺族らへの十分な対応と、事故原因究明に向けた捜査への積極的な協力‐などを会社側に申し入れた」(同紙)ようだが、事故が起きてからでは遅い。組合員の声に耳を傾け、安全第1で対応していたら、こんな事故は起きなかったかもしれない。
 同じような問題に、多くの生産現場が直面していることは、想像に難くない。原子力発電においても、原発を停止しての点検の間隔を長くする、点検期間を短縮する、つまりは稼働率をどんどん高めようという圧力が強まっている。その結果、すでに重大事故が起こっているが、現状ではいつ取り返しのつかない事故が起きるかわからない危機的状態である。
 資本にいい資本があるのかということではないが、今日、あまりに目先の利益追求に過ぎるのではないか。まるでギャンブルのごとき、綱渡りのような企業活動が跋扈し、躓いて破局を迎えた企業もすでに多い。その過程で多くの労働者が職を奪われ、命を奪われている。これら資本の暴走を、何とかして止めなければと思うのだが。 (晴)


天木直人氏のブログを読む

 最近、「政治家とカネ」の関連がとりただされ、毎日のように新聞紙上をにぎわせていますが、このことにより私は初めて報告書に添付する領収書がコピーでよいことを知りました。なるほどこんな事では五重計上などが発覚したように不正はし放題なのだと認識しました。それにしてもこのコピーでよいとすること自体、私からいわせれば全く浮世離れしています。コピーはオリジナルのものに限ることだけでも徹底すればかなりの不正は防げると私は確信したのです。なぜこの核心点をつく人があまりいないのか、全く不思議なことです。共産党も政党助成金のことをいうだけでこの事はいっていないようです。
 これに関連していえば、天木直人氏のブログの指摘にも私は仰天しました。引用します。
「2007年08月30日 国会議員になりたがる理由がわかる これには驚いた。7月29日に当選した参議院議員がわずか3日間で7月分の給与全額を受け取っていたというのだ。29日は日曜日だから実働日は2日間だ。もっとも実働と言っても、選挙直後の国会議員にどんな実働があるというのか。横峯良夫などは娘の全英オープンに同行しキャディーをしていた。これが全国に放映されていた。
 月額130万円あまりの給与(歳費)はおろか月額100万円の「文書交通費」と称する使い放題の手当てまでフル支給されていたのだ。いうまでもなく、これらの金はすべて我々の税金だ。8月30日の夕刊紙日刊ゲンダイの大スクープである。
 民間会社は勿論、公務員でさえあらゆる手当ては日割り計算だ。参議院事務局の答えがふるっている。『法律で『議員はその任期が開始する当月分から歳費をうける』と定められているから、従うしかない。おかしいなら議員が法律を変えれば済む話です』と言う。
 いいだろう。そんな不当な法律は即刻改めればいい。おりしもネットカフェー難民が報じられたばかりだ。経済格差がどんどん広がっている時だ。国会議員は自らを恥じて自発的に法律を変えるべきだ。それが出来ないようなら国会議員はいかさま連中が目指す究極の特権階級ということだ。
 せめて庶民の党である共産党や社民党の党首は、率先して行動を起こすときだ。なんとか言ってくれ。それが出来ないようでは野党もグルだ。横峯良夫が口を滑らせたように、『これで6年間の生活が保障された』と思っているのではないか。明るみに出た以上、この法律は変えざるを得ない。それでも国会議員の中から変更の要請が出てこないようでは、国会議員はすべてふとどき者の集まりだという事である」
 先に問題にした領収書のコピーの件といい、驚くしかないこの事といい、共産党や社民党が率先して問題にしていかなければならないことです。とりわけ、共産党は政党助成金の返納を自らの清潔さの宣伝に使っているのだから、七月の給与全額受領を直ちにスクープし当選議員は率先して日割計算分以外の給与を返納すべきなのではないでしょうか。
 日刊ゲンダイにできて「しんぶん赤旗」にできない理由は一切ないのです。この一事をとっても共産党の政治感覚がずれていることが確認できるというものです。  (笹倉)


 色鉛筆  出生率上向き 1.32

 女性が産む子供の平均数を示す合計特殊出生率が00年以来6年ぶりに上向き、05年の史上最低出生率1.25から0.07ポイント上がって06年は1.32の出生率となった。今回の出生率の回復は、団塊ジュニアを含む30代以上の出産が増えた影響が大きく、30代以上の出生率が若い世代を上回る「逆転現象」が広がったのが今回の特徴のようだ。
 政府は女性の少子化担当大臣を置いて、その効果が少しずつ表れてきたと出生率の上昇に喜んでいた。ところが、この発表があったのは、7月の選挙前の6月。6月と言えば5000万件を超える「宙に浮いた年金」1千数万件の「消えた年金」問題が大騒ぎになっていた。だから「出生率が上向き」といってもたいした問題にもならなく、参院選の争点にもならなかった。政府が少子化対策として『子育てか仕事かの二者択一と迫られる現状を改めるため、ワーク・ライフ・バランス実現の重要性を強調、保育サービスの拡充や働き方の見直しなど』を打ち出したがその財源もなく具体的な施策も固まっていない。毎年、毎年、同じことを繰り返している政府。いろいろな対策を考えるが結局の所、『財源がない』ということで、実効性、実現性はない。
 ある日、新聞におもしろいデータを見つけた(図参照)女性が生涯に産む子どもの数が一番多いのは沖縄県多良間村の3.14人で多良間村は、沖縄本島から南西に300キロあまり、2つの島に1400人が住むという。さらにおもしろいのは、多良間村を筆頭に全国市区町村の上位19までを島が占めるというのだ。(図中もすべて島)なぜ島は子だくさんなのか、聞き取り調査をしたところ「夫や近所の人が子育てに協力する」「野菜を近隣から譲り受けるなど生活費が安い」「子どもを大事にする価値観」といった要因が大きかったという。これを読んで納得してしまった。全国各地が島のようになったら出生率はグーンと上がるだろう。
 さて、都会で暮らす私の息子夫婦も「子どもなんか無理、生活できないよ」と言っていたが「なんとかなるさ」という気持ちになって今月初めに無事、男の子が産まれた。産まれたその日に携帯電話の写メールで孫の顔が見られ、毎日写真を見つめている。出産前に「家計が苦しいから紙オムツではなく布オムツで頑張るんだよね」と言っていた息子夫婦を遠くにいながら応援していこうと思っている。(美) 案内へ戻る