ワーカーズ357  2007.11.15.        案内へ戻る

新テロ特措法、国連決議に基づく派兵、どちらもNO!

政府・自衛隊の情報隠し、軍需にたかる政・官・財を許すな!

 自民と民主の大連立の画策が一頓挫したあと、与党は新テロ特措法(補給支援新法)を実現するために、衆院での再議決も辞さずの姿勢で臨みはじめている。民主党のドタバタと求心力の弱まりをチャンスとばかりに、勢いづいている。
 しかし、自衛艦のインド洋派遣が中断されたことの意義は大きい。この中断をもたらしたのは、与党や政府のやり方に対する国民の大きな不信と批判だ。政府は、洋上での給油や監視活動をやっているだけなどと言ってきたが、実際にはアフガン本土攻撃を
行う米軍機やイラク戦争に参加した米軍艦船に給油するなど、れっきとした戦争行為に関わっていた。このことを知った国民の多
くは、自衛隊派遣を容認しなかったのだ。
 しかも政府や自衛隊は、インド洋派兵を合理化するために、給油室の数字操作や航海日誌の廃棄などさえ行っていた。この情報操作は、「シビリアンコントロール」なる規定がいかに軽いものでしかないかを暴露した。政治家や内局など「文民」自身が制服組=職業軍人と示し合わせて国民の目をごまかし、また制服組は制服組で独自に「文民」を煙に巻き、欺きながら独自に行動しているというのが、日本の自衛隊=軍隊の実状だいうことが暴露されたのだ。ぉりLも、防衛省の高宮や政治家たちの軍需企業とのただれた癒着関係が明らかとなった◇名前の挙がっている守屋氏、久間氏、額賀氏らは、アフガン戦争やイラク戦争を通して自衛隊の海外派兵がどんどん拡大し、防衛庁が防衛省に格上げされた時期に、防衛次官や防衛庁長官・防衛省大臣を務めていた連中だ。彼らの言う「国民のため」がいかにでたらめであったか、また自身が強調する「国益」にさえいかに忠実ではなかったかを、暴露した事件だ。
 新法の成立が困難となる中、民主党の小沢一郎氏が「国連決議に基づく自衛隊派遣」を唱えはじめた。国連決議があればいつでも自衛隊を海外に出せるようにしよう、武力行使も可能にしようと言うのだ。国連決議さえあれば、憲法9条違反にもならないなどとも言う。
 しかし、国連決議があろうがなかろうが、自衛隊が海外で戦争に参加することはれっきとした憲法違反だ。そもそも、国連自体が、往々にして5つの大国の利害を優先して物事が決められ、小さな国々の願い、とりわけ民衆の要求が反映されることは極めて稀だという限界やゆがみの中に置かれている。現状の国連は、諸大国の利害のぶつけ合いとその調整のための機関以上には成り得ていないのだ。国連決議=正義などとは言えないのが現実だ。
 小沢が民主党の党首に再びおさまったあと、与党と民主党の新テロ特措法での対立劇が再演されようとしている。しかし与党も民主党も、実際には自衛隊の海外派兵の拡大を望む点では共通の土俵に立っているのだということを、小沢の国連決議に基づく派兵論はよく示している。
 憲法九条改悪の動きも一見小休止のように見えるが、しかし小沢に党首復帰を請うた民主党が最大野党を占める国会の現状では、いつ憲法改悪に向けて事態が急展開してもおかしくはない。
テロを無くすどころかそれをいっそう拡大させている戦争と、それを支援する新テロ対策特措法に反対し、アフガンの民衆に対する民生支援をこそ要求していこう!   (阿部治正)


“大連立”というドタバタ劇――危うさいっぱいの“二大政党制”――

 とんだドタバタ劇というべきか。
 参院選の勝利で自民党を追い詰め、次は福田内閣を解散総選挙に追い込んで政権交代だ、と勢いずいていた民主党。その民主党はあろうことか党首である小沢代表を主役とする連立騒動で一転して窮地に立たされた。それもそうだろう。小沢民主党は「選挙で勝利することによって政権交代を実現する」という公約を掲げてあの参院選で参院第一党の地位を与えられた。その民主党が倒すべき相手の自民党と連立政権を組もうとしたからだ。いわゆる最大与党と最大野党による“大連立”構想だ。
 小沢代表は、打倒の対象と協力するという、いわば有権者に対する背信行為が頓挫したという醜態をさらした責任をとって代表辞任を表明したのもあたりまえだろう。ところが一晩、二晩明けたとたん、辞任撤回だという。政治家の出処進退ここに極まれり、といったところだろうか。それにしてもリーダーたるべき人の発言のいかに軽いことか。選挙で勝利して政権を獲得すると言って支持を集めた当の本人が、たった3ヶ月後に大連立に走り、それが失敗したらまた“選挙”で、といってももはや二度と信用されないだろう。
 小沢代表は辞任表明の中で「民主党の政権担当能力はいま一歩」だといった。が、こうしたドタバタ劇で実際は小沢代表という存在そのものが民主党の政権担当能力のなさの証だったことが証明されてしまったわけだ。
 この一連の騒動は、現在の政治状況、とりわけ日本における二大政党制の底の浅さを浮き彫りにするものとなった。

■権力至上主義の小沢代表

 一連のドタバタ劇で見えたのはなにか。それは小沢政治というのが格差社会の中で苦しむ人々や荒廃する地方の再生を後押しするものではなく、とにもかくにも自分自身が政権の座に到達するという一点で組み立てられたものでしかなかったことが浮き彫りになったことではなかったか。
 そもそも今回のドタバタ劇の中で語られた小沢代表による大連立の“論理”とはどういうものだったかというのが問題だ。自ら語るところによれば、まず参議院選での民主党の勝利は、有権者に約束した公約の実現と直結したものではない、それに民主党が次期総選挙で自民党に勝利するのも難しい、であれば自民党と連立して政権に入り、約束した公約を実現することを通じて民主党の政権担当能力を高め、それによって次期総選挙で勝利して政権の座に着きたい、というような趣旨だった。
 が、こうした大連立の口実はすでに有権者をはじめとして各方面から叩かれている。それはそうだろう。倒すべき相手に協力しながらなおかつ相手を倒す、ということ自体が矛盾そのものだからだ。
 小沢代表の態度変更に対し一部の政治ウォッチャーのあいだでは、大連立を組むことで自民・民主両党の内部分裂を促進し、それをテコとして政治路線や政治基盤に照応した二大政党制をめざしたかったのではないか、という勘ぐりもある。その真偽は分からない。しかい、実情はといえば、むしろ次期総選挙で勝てる見込みが立たなかったからこそ与党入りを画策した、というところが実情だろう。
 こうした経緯から読み取れるのは、“選挙による政権獲得”と“大連立”の間にあるギャップと同根性である。有権者から見れば両者の意味は明確な違いがある。自民党政治の転換を求めた有権者からすれば大連立は背信行為そのものだ。が、小沢代表にしてみれば両者の間にはきわめて低いハードルでしかなかったことになる。それだけ自民党と民主党の基本政策は接近していたからだ。現に、小選挙区制では自民党から立候補できないから民主党から立候補したという議員も多い。
 今回のドタバタ劇で大連立に反対した多くの民主党議員は、有権者に説明が出来ないことをあげて反対した。が、その筋論を一皮むけば、小選挙区からはじき出される不安という、いわば個々の議員の利害、議員心理に基づいて反対したというのが本音だろう。それほど日本では自民党と民主党の間で距離はない。

■“古い”政治家像の素顔と手法

 なぜか民主党支持者の間には小沢代表を支持する声も多い。“豪腕”“リーダーシップ”への期待感、あるいは“生活第一”“政権交代による政治の転換”という選挙公約への共感も背景にあるだろう。
 しかし小沢代表にはぬぐいきれない権力政治家という素顔があることも周知のことだ。たとえば91年の自民党総裁選の場面だ。当時の竹下派の会長代行だった小沢一郎が、宮沢喜一などの総裁候補を自分の事務所で“面接試験”をしてひんしゅくを買った“事件”があった。これはさしずめ真の権力がどこにあるかを示すための象徴的な“場”を設定したものだった。アラビア海での補給活動の継続を求めるシーファー在日米国大使に対する“面会”も同じような意図が働いていたのだろう。
 “豪腕”“指導力”にまつわる演出も同じだ。たとえば参院選で勝利がはっきりしても“疲れた”と言ってマスコミに露出しない、あるいは国会や党の会議にも出席しない、側近を使って自分の考えを伝える、というもったいぶった手法も意図的にカリスマ性を広めたいからだろう。
 そもそも小沢一郎を評して“フリチン政治家”といった某評論家の話を思い出した。小沢が一見強面(こわもて)なのは、普通の人はしないような、仰天するような事をすることで優位な位置を獲得する、という手法のことだ。たとえば人前でいきなり“フリチン”になって人をびっくりさせ、て萎縮させてしまう、というような意味だ。
 政治家の個性・手法という話にそれてしまったが、そうした“豪腕政治家”であっても、対米関係には人一倍神経を使ってきた。具体的には、国連中心主義の立場から直接の国連決議を受けてのものではないとしてテロ対策特措法に反対したものの、対米関係が悪化することに対しては相当苦慮していた形跡がある。

■真意は対米関係?

 周知のように小沢民主党は、参院選で対テロ特措法の延長反対を明言し、それは参院選勝利によって現実に参院で延長法案の成立阻止が可能になった段階でも変わらなかった。その“一貫性”は評価できるものの、参院選挙後に小沢代表の揺れる胸中を吐露するようなアドバルーンが上げられた。雑誌『世界』に発表された小沢論文のことだ。そこではインド洋やアラビア海での補給活動を止めるかわりに、アフガン国際治安支援部隊(ISAF)こそ国連決議にもとづく国際貢献活動だとして推進する姿勢を表明していた。いわば武力行為も含む国際貢献活動自体は推進するとの立場からテロ特措法の停止を打ち出すものだった。結局小沢の真意は、自衛隊の海外派兵に反対するものではなくて、いわば派兵の根拠に異議を対置するというものでしかなかった。
 こうした小沢の主張は、国連中心主義という自らの理念に忠実であることを示したい思いもあっただろうが、本音では補給活動の停止で当然予想される米国の反発への配慮を表明したに等しいものだった。
 ところが武力行為も可能だとする小沢の主張は、民主党はもとより自民党内からさえ憲法違反の非難を浴びて民生部門での援助に軌道修正せざるを得なくなり、結局は補給活動の停止だけが矢面に浮上した格好になってしまった。これは対米協調を心情とする小沢にとって大きなプレッシャーになったと思われる。
 そもそも小沢の対米スタンスは、将来的には武装自立をめざすが、当面は対米協調で行くという現実保守主義にある。あの湾岸戦争当時、“当面は米国に抱きついていくしかないだろう”という小沢の言葉も漏れ伝わっていた。そうした戦術的対米協調路線は、湾岸戦争での90億ドルの対米支援が失敗だったというトラウマと相俟ってPKOその他の自衛隊の海外派兵に腐心してきた小沢の言動に繰り返し現れている。その当の小沢に対しては様々な圧力が加わってもいただろうし、直接の圧力が無くとも、小沢にとっては相当なプレッシャーだったと思われる。
 こうした小沢代表が、国連中心主義を看板に掲げながら自衛隊の海外派兵の恒久法づくりで自民党と“合意”したとすれば、それは対米強調に資する有力な材料になると判断していたからだとしても不思議ではない。それはともかく、有権者との約束よりも対米配慮を優先する小沢政治が、民主党議員とその背後にいる有権者の手痛いしっぺ返しを受けたという以外にはない。

■独自の政治勢力づくり

 今回の大連立騒動について、仮にもし大連立が成立すれば、日本でも本格的な二大政党制時代が訪れる、という“解説”も語られた。確かに自・民連立政権ができれば現行の小選挙区制が維持される限り、自・民両党の衆議院議員は最大300人に限られるので、候補者になれない議員が出てくる。そうなれば自・民両党で何らかの対立軸によっる分裂が起き、それがたとえば市場原理主義と社民勢力といった形で再編され、二大政党制が生まれる、というものだ。
 机上で考えればそうした推理も可能だろう。しかし現状の日本ではそうならない可能性のほうが高い。労働組合が堂々とストライキで闘う力を持ち、何百万もの反戦行動を起こせる対抗勢力が存在する西欧諸国とは違い、日本ではストも打てない連合や貧弱な反戦平和運動など見ても、社民勢力の基盤は弱い。そうした土壌では大連立は二大政党制ではなく大政翼賛政治をもたらす可能性のほうが遙かに高い。現実の政治的闘いと勢力づくりを欠いた、単なる政界再編に期待するほど危険なものはない。現状の日本における二大政党制は、支配勢力による政界再編と同義でしかないのだ。
 そもそもに“政権交代可能な二大政党制”という政治認識そのものに大きな落とし穴があるというべきだろう。“政権交代可能な二大政党制”という場合、その前提として二大政党間のあいだでの基本政策の一致という暗黙の前提が含意されていることが多い。たとえば米国のように、安全保障=軍事戦略については大統領の下に結束するという政治風土があり、共和・民主両党に根本的な対立はないとされる。日本でも社会党の解体局面では“一国平和主義”がさんざんやり玉に挙げられ、いま民主党では自民党以上の強硬派も多数存在するというまでになった。いまでは自・民両党の間で憲法改定をはじめ、いわゆる“国の基本政策”ではそれほど根本的な相違があるわけではないのが実情だ。
 しかしそうした二大政党制というのは、見方を変えれば二つの保守政党のどちらを選ぶのかということであり、また一つの保守政党がへまをやったら他の保守政党に政権をたらい回しする、という体制でもある。私たち労働者としては、そうした二大政党制の策動に巻き込まれることなく、独自の政治勢力の形成に向けて努力していくことこそ緊急の課題なのだ。
 安易な二大政党制に頼ることなく、自分たちの主張と勢力を拡げるという、初心に返った闘いを推し進めたい。
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アメリカ社会を根底から揺るがすサブプライムローン問題

■サブプライムローン問題による大量解雇の嵐□

 現在、ウォール街には人員削減の嵐が吹き荒れている。金融業界は、今まさにサブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)で被った大損にあえいでいる。そして、高リスクな社債や法人向け融資も同じく深刻な状況である。八月には、米クレジットカード大手キャピタル・ワン・フィナンシャルも、住宅金融子会社グリーンポイント・モーゲージを閉鎖し、約千九百人を解雇した。
 今年、米金融サービス業界での人員削減は、既に過去最悪の規模となっている。0七年一月から十月までに、金融関連企業が発表した解雇者の合計は十三万人。この数字は、転職斡旋の米チャレンジャー・グレイ・アンド・クリスマスの調査によるものである。これは、昨年の公表数五万人の倍以上、0一年に記録した過去最高の十一万六千人を超える過去に想像できなかった数字だ。こうした人員削減の約八割は、ここ二カ月の間に公表されたもので、ちょうど住宅不況の深刻さがマスコミに取り上げ出された時期に重なっている。
 十一月二日、米国最大の銀行・シティグループのプリンス会長兼最高経営責任者(CEO)は、サブプライム住宅ローン関連で損失が急拡大している責任を取り、辞任する。サブプライム問題に関しては大手証券、メリルリンチの会長兼CEO・オニール氏も十月三十日に引責辞任していた。この一週間で大金融機関のトップが二人も辞職する異例の事態となり、米国の金融システムや景気への影響は深刻だ。プリンス氏の後任には、シティグループの経営委員会会長で竹中平蔵氏の上司と目されるルービン元財務長官に決定した。
 シティグループは、サブプライム関連のデリバティブ(金融派生商品)などハイリスク商品に積極的に投資したことが裏目に出て、十月十五日に発表した七−九月期決算では、約六千七百億円(五十九億ドル)の損失処理を迫られ、最終利益が二十三億七千八百万ドルと前年同期比で六割も減少。さらに週明けには追加損失を公表する方針で、プリンスCEOは、膨らみ続ける損失の責任を取らされた格好だ。
 ウォールストリート・ジャーナル紙によるとシティグループに関しては、七つの系列ファンドが所有する九兆二千億円(八百億ドル)の高リスク商品について、証券取引委員会(SEC)が適正に会計処理されているか調査を開始している。
 当然ながら、住宅金融会社は、特に人員削減の規模が大きい。業界最大手の米カントリーワイド・フィナンシャルは、九月に人員削減を実施した。その規模は、総従業員五万六千人のうちの約四分の一、一万二千人を整理した。その他の米インディマク・バンコープが、同じく九月に一千人、米アクレディテッド・ホーム・レンダーズ・ホールディングも八月に千六百人の削減計画を発表した。
 アメリカの花形であったM&A(企業の合併・買収)を担当するベテラン銀行員、金融機関の財務担当者、トレーダーにも解雇の嵐が吹き荒れている。通貨の流動性の危機で生じた損失により、金融工学で隆盛を極めてきたウォール街は、0三年以来、初めて経験する大規模な人員削減を余儀なくされているのである。

■サブプライム損失十七兆円弱――FRB議長□

人員削減の波は、サブプライムローン事業に関連する企業だけでなく、さらに広範囲にアメリカ社会の隅々までに及んでいる。その影響は、製造業にまで拡大している。今やアメリカのワーカーズクラスの一部は、職場にあっては人員経理・賃金カットに脅かされ、家庭にあっては持ち家を売却処分される危機に直面している。住んでいる家の明け渡しを強要されている人々は、すでに二百万人に達しているのである。
 ゼネラル・モーターズ(GM)は、七〜九月期決算で、約四兆四千億円(三百八十九億ドル)の巨額赤字に転落した。本業の自動車事業も北米では依然赤字が続いており、経営再建の足取りは重い。巨額赤字の要因は、繰り延べ税金資産を取り崩すための費用三百八十九億ドルの計上を迫られたことだ。自動車事業の不振による累積赤字に加え、GMが四十九%の株式を保有する金融会社でサブプライムローン絡みの損失が拡大し、繰り延べ税金資産計上の前提となる利益が見通せなくなった。
 今回のGMの巨額赤字は、サブプライム問題が金融市場の混乱にとどまらず、主要製造業の業績にまで波及し、問題の根深さを印象付けた。
 GMは、0五年に年間で百億ドルを超す赤字を計上した後は、大規模なリストラ効果などで次第に黒字に転換してはいたが、自動車の販売増は中国や中南米など新興国の伸びが主因で、足元の北米の自動車事業は二億四千七百万ドルの赤字だ。米国の自動車市場はこれまで住宅価格や株価の上昇といった資産効果に支えられてきたが、サブプライム問題で資産価格が下落し、自動車市場も冷え込んでいる。
 GMの主力は、大型車でサブプライム問題やガソリン高が及ぼす影響はトヨタより大きいとみられ、再建の行方は予断を許さない厳しい情勢だ。
 十一月八日、米連邦準備理事会(FRB)のバーナンキ議長は、上下両院合同経済委員会で証言し、サブプライムローンの焦げつきが金融機関などに約十六兆九千億円(千五百億ドル)の損失をもたらす恐れがあるとの見方を示した。当初最大一千億ドルと見積もっていた想定より損失額が大きくなる可能性を認めた。
 同日の証言では、共和党のブレイディー下院議員が「サブプライム関連の損失は千五百億ドル程度まで膨らむとの試算もある」との指摘に対し、バーナンキ議長は「おおむね正しい」としてこれを認めた。だが損失額は一兆ドルとの声は、今市場を駆け巡っている。

■アメリカ社会を根底から揺るがすサブプライムローン問題□

 サブプライム・ローンの本格的破綻は、0八年から0九年にかけて深刻化すると予測されている。今進行しているローンの破綻は、これからが本番なのである。
 アメリカでは、今後数百万人がローンを払えなくなり、家を競売にかけられて奪われ、ホームレスが増えていく。サブプライム・ローンを組んだ人の多くは、ヒスパニックと黒人だ。それゆえ、政治的な人種問題に発展して暴動が起きる現実性も否定できない。
 また、今回首を切られたアメリカの金融業界で働いてきた従業員は、概して高給取りであり、高級マンションで生活していただろう。再就職するまでの生活は容易ではない。高級マンションを売りに出す事になるかもしれない。しかし、金融市場がどんどん縮小しているから再就職先もないだろう。彼らは今まで良い生活をした分受けたダメージは深い。
 銀行間で貸し借りをするインターバンク市場の金利も高めに設定されて、銀行同士が相手を信用していない状態だ。債券格付け機関は、自社に都合のいいように格付けをしてきたとの指摘もあり、どの債券がどのくらい不良なのかも分からなくなっており、しかも債券を関連会社に持たせている銀行が多い。どの銀行がある日突然破綻に瀕するかの予測もつかない。米金融界では「どこから飛び出してくるかは分からないが、不良債権はまだまだ隠れている」が、その共通認識だ。まさに金融機関は疑心暗鬼の状態なのである。
 そもそもサブプライムローンを利用した人々は、ふつうの金融市場での有利な融資を受ける可能性の低い低所得・貧困層であり、ほとんどの債務者は今後ローンを払らえず、その結果、担保となっている住宅を差し押さえられ、破産する運命にある。しかし、一番大元の融資者は抵当を没収して利益を得る。住宅バブルとは巧妙に仕組まれたマルチ商法に近いものであった。被害者はアメリカ階級社会の下層にいるヒスパニックと黒人だ。
 「2台の自家用車がある家」。これは戦後直後の日本に紹介されたアメリカン・ドリームだった。ところが、この夢を実現できたヒスパニックと黒人は意外に少ない。なぜなら彼らに住宅資金が融資されることは、白人に比して、異常に低かったからである。
 この仕組みをレッドライニングと呼ぶ。簡単に説明する。ある地域が「地価や住宅価格が低下傾向にある」と判断された場合、その土地や住宅を抵当にした融資に対し厳しい査定を行う。その地域を赤緯線で囲んだことからレッドライニングと呼ばれている。ところが、この「地価や住宅価格が低下傾向にある」地域というのは、ほとんど決まってヒスパニックのバリオと黒人ゲトーである。経済的なことばで語りつつ人種への言及がまったくなくても、金融という自由市場は人種差別的に機能するのである。
 彼らは、利用したくてサブプライムローンを利用しているのではない。これを利用しないと、アメリカン・ドリームが実現できないから、それに賭けざるをえなかった。グリーンスパーンの金融政策は、結局のところ彼らに罠を仕掛けて、彼らを誘惑したのである。
 0四年に連邦準備制度委員会が、サブプライムローン融資業者にローン利用者の情報を開示することを求めた際、それに猛反対したのは金融業者の団体であった。
 十月十七日の『ニューヨーク・タイムズ』紙は論説文で、サブプライムローン融資にあたって人種差別を行っていないとの挙証責任は金融業者にあると論じた。債務を債券化する金融工学による金融業者のどす黒い思惑が、世界経済をここまで混乱させている。それは、決して債務の支払いができなくなった人々の「無責任さ」が原因ではないのである。
 主要都市の郊外に果てしなく広がった住宅街は、今後ゴーストタウンになるだろう。
 ヒスパニックと黒人とも重なるが、退役軍人も貧困層であり、この問題に拍車をかける事態も出来している。十一月十一日、全米ホームレス根絶連合が退役軍人省と国勢調査局のデータをもとに推算し、十一日の退役軍人の日を前に公表した報告書で明らかにした。
 報告書によれば、二〇〇六年には、常時十九万五千八百人の退役軍人がホームレス状態にあると推計した。これは七十四万四千人のホームレス人口の約二十六%にあたり、さらに同年にホームレス状態を経験した退役軍人の総数は四十九万五千四百人と推計した。
 報告書は、ホームレスとなる理由として、一、収入不足二、身体的な障害三、精神面の障害四、薬物依存五、社会的つながりの弱さ六、社会保障制度の欠如を指摘する。一般の人がホームレスとなる理由と変わらないものの、長期にわたり家族・友人の支えがないことや訓練・勤務から来るストレスなど、退役軍人には乗り越えるべき課題が多いとした。
 特にイラク、アフガニスタンからの帰還兵の置かれている状況は深刻だ。帰還兵のうち二十―二十四歳では失業率が十五%にものぼる。二万人以上が身体に障害を持ち、イラク帰還兵の十九%、アフガニスタン帰還兵の十一・三%が心的外傷後ストレス障害など精神面での障害に悩まされていると指摘。ホームレスになる危険が高いことを強調する。
 このように、サブプライムローン問題は、アメリカ社会を根底から揺るがしており、その事態の深刻さは日に日に深刻になっているのである。    (直記彬)


反戦通信−17「スリランカ内戦・・・戦争、それは利益だ」

 11月8日夕刊の朝日新聞によると、スリランカ北部ジャフナ半島で、政府軍とタミル人の武装組織「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)の間で激しい戦闘があり、63人が死亡したとの記事が載っていた。最近、政府軍とLTTEとの内戦が激化しており、両軍から多くの死者がでている。
 北部の分離独立を望む少数派タミル人の組織「タミル・イーラム解放の虎」と、多数派シンハラ人中心の政府との内戦が、停戦をはさみながら20年以上も続いている。英国の植民地時代にタミル人が重用され、その時の分断統治が影響していると言われている。
 この内戦の状況について、スリランカ在中のMさんから、次のようなレポートが届いたので紹介する。(E・T)

 10月23日の新聞に前日のLTTE(タミールタイガー)によるアヌラーダプラ(北の町)軍事空港への攻撃記事があった。指導者プラバカランを中心に20人のタミールタイガーの特攻隊員の最後の写真もあった。特攻隊員は全員死亡、スリランカ空軍の数台のヘリコプター・航空機も破壊され、人的損害もあった。
 数ヶ月前はトッピガラでのスリランカ軍の大勝利が新聞をにぎわしたばかりだ。若者達の死は何ともいたましいかぎりだ。しかしよく考えると、こうした長い間の紛争に疑問の念を生じせざるをえない。
 前UNP政権の時にLTTEとかわした一種の休戦協定で、話し合いのためにLTTEのプラバカランがどこからともなく姿をあらわした。「どこに隠れていたのだろうか?」スリランカ人の多くはいぶかしく思った。この狭い国のどこにそんな隠れ場所があるのか。その後、協定が破られたかのようにLTTEの小型機がコロンボ国際空港に隣接する軍事空港に攻撃を加え、撃墜されることなくどこかへ飛び去った。
 UNPのラニル大統領がひそかにLTTE側に援助していたのは公然の事実だ。兵器運搬を故意に見逃したり、資金の横流し、さらには軍側の諜報部員の名簿さえもらしていた。そのため、彼らインフォーマントの多くが自宅や隠れ場所でLTTEの暗殺者に殺された。 現大統領のラジャパクシャについては、まだこうした事実は伝えられていないが、多分政権が変われば、同様の事実が暴露されるかもしれない。
 タミールの人達はシンハラ多数派のこの国でやはり被差別の側にいる。経済的にも苦しい人達が多い。だから若者達はそうした状態を変えたいと思っている。
 しかし、LTTEの指導者達が実際この欲求にこたえているかは疑問だ。長い間の戦争がこの国の構造の中に取り込まれてしまって、一種のビジネス化している格好だ。そうなると戦争の継続で甘い汁をすえる軍需物質ブローカー(兵器はほとんど輸入)や軍・政府首脳たちは、本気で現状を変えようとは思わない。戦死者達はヒーロー扱いされ、けなげな遺族は息子を誇りに思っていると語ってはいるが心中の悲しみはいかばかりか。
 国民の半数以上が栄養不良のこの国で、戦争の負担は重くのしかかってくる。政府はこれを逆手にとって、物価高や生活苦の責任を戦争におしつけ、自分たちは世界一多数の各省大臣たちに大盤振る舞いをしている。
 確かイギリスの作家ジョージ・オーウェルだったか「戦争、それは利益だ」と述べている。古くはアメリカの南北戦争当時、火薬会社のデュポンが戦争の長引くのを望んで、南北両軍にバランス良く肩入れした。ベトナム戦争でもデュポンは、枯葉剤生産で大儲けをしている。最近では「アメリカのイラク侵略戦争は石油利権獲得のためだ」と、グリンスパンにさえ批判された。日本もアメリカ・ノルウェーなどと並んで仲介者顔をして、スリランカに手を伸ばしているが、その資格があるかどうかは疑問だ。
 「無惨やな、殺し屋企業雇い入れ」(ブラックウォーター、イラク市民虐殺)
 「民主主義、石油利権のはげ隠し」
 「戦争の継続で吸う甘い汁」
 「南米の新しき風、鬼は外」(ベネズエラ、ボリビア、ニカラグア、エクアドル等に反   米政権誕生)
  新しい風に期待しようではありませんか。 (スリランカ・M)案内へ戻る


コラムの窓・韓国、死刑廃止国となる!

 死刑執行が相次ぐ日本とは対照的に、韓国では10年も死刑執行が止まっています。アムネスティ・インターナショナルの基準によると、執行停止10年の「事実上の死刑廃止国」になるということです。韓国で最後に死刑が執行されたのは金泳三政権末期の1997年12月30日、この日、23人が処刑されました。
 朴正熙軍事独裁の時代、政治犯に対する死刑が当然のように執行されていました。1975年の「人民革命党事件」での8人の死刑執行はその一例です。独裁政治に反対した活動家が、拷問ででっち上げた政府転覆の罪を着せられ、殺されたのです。
「今年1月、ソウル地裁で1975年に最高裁が出した死刑判決を誤りと認め、元被告8人全員を無罪とする再審判決が言い渡された」「32年後の名誉回復の法廷に広がったのは歓声ではなく、おえつだった。8人は死刑判決の18時間後、刑場に送られていた」(6月22日付「神戸新聞」)
 金泳三の次に大統領になった金大中は自らも死刑宣告から生還したこともあり、死刑執行を停止しました。アムネスティによると、今も死刑執行を行っているのは64カ国で、年ごとに減少してます。韓国においても凶悪事件に死刑存続論が根強いようですが、政権担当者の賢明な選択によって、死刑廃止へと向かいつつあるようです。
 しかし日本では、「法相が絡まなくても、自動的に客観的に進むような方法を考えてはどうか」という発言が、法務大臣から飛び出しています。その資質を疑う鳩山邦夫は、福田政権でも法相に再任されています。先の発言の真意は次のようなものです。
「判決6カ月以内に法相が執行を命令しなくてはならないという法律は守るべきだ。しかし、誰も死刑執行の署名をしたいとは思わず、法相に責任をおっかぶせる形ではない方法がないかと思う」「ベルトコンベアーといってはいけないけれど、(死刑確定の)順番通りなのか乱数表か分からないけれど、自動的に客観的に(執行が)進む方法を考えてはどうか」(9月30日付「朝日新聞」)
 いやはやとんでもない法務大臣があったものですが、残念ながら今の日本の世相を反映したものでしょう。11月5日の「神戸新聞」夕刊に、広島女児殺害事件の被告に死刑を求める署名が7000人分も集まった、という記事が掲載されました。署名を広島高検に提出した被害者の父は、「思った以上に集まり驚いている。後ろで支えてくれていると思い頑張っていく」と語っています。それにしても、こうした吊せ≠ニいう野次馬の怒声はいつまで続くのでしょう。
 一方で、米国の犯罪被害者遺族が「死刑で癒されない」と、死刑反対の声を上げています。1995年、オクラホマシティーで起きた連邦政府機関の合同庁舎ビル爆破事件で娘を亡くしたバド・ウェルチさんは犯人の死刑を求め、犯人の死刑は執行されましたが、「私にとって何一つ癒やしにならなかった。むしろ苦しむ家族を増やしただけだ」(10月30日付「神戸新聞」)という思いを抱いています。
 作家の森巣博は吊せ≠ニいう市民に対して、自らの手で死刑を執行すべきだと迫っています。鳩山法相に対しても、死刑制度存続を望むなら刑務官に頼ることなく自ら処刑すべきではないかと主張しています。いささか過激ですが、テレビでいかにも被害者の思いを共有していますという識者≠フ死刑判決を当然とする発言を聞くたびに、同じような思いに駆られます。この国はいつになったら野蛮な刑罰を廃止し、文明国の仲間入りが出来るのだろうか。  (晴)


色鉛筆− 原発で未来は築けない

西宮市の阪急「西宮北口」駅前に、オール電化のマンションが登場しました。電気は安全で便利、しかも深夜料金の格安料金を活用して、電気代が割安となれば誰でもその気になってしまいそうです。しかし、それには原発の余った電力を活用する、という電力会社の都合のいい仕掛けがあることに、気づいた人が何人いたでしょうか。
 大阪の枚方市に事務所を置く「ストップ・ザ・もんじゅ」は、様々な取り組みを展開し、原発の危険性を訴えています。7月の新潟中越沖地震をふまえ、今回10月末に、西宮市女性センター(正式名は違う)に事務局代表の池島芙紀子さんを招き、お話を聞く場を設けました。
 穏やかな表情で、物静かに語られる池島さんに、いわゆる活動家らしくない風情を感じたのは、私だけではないと思います。肩肘を張らず、自分の生活のなかに自然と取り入れられた反原発の思想に、共感を覚えました。また、たんに反原発を掲げるだけでなく、8年前に脱原発政策グループを結成し、政治家・学者に訴える行動力・アイデアは教えられる一面でした。
 中越沖地震での柏崎刈羽原発の被害は、基準地振動S2の450ガルを大きく超え、1号機では680ガルに達していたというから驚きです。基準値振動とは、「塑性変形するが壊れてはならない」という規定で、東部電力の設計値が1号機では280ガルしかなかったというから、お粗末な耐震基準に唖然とします。地震発生時、1号機・5号機・6号機が停止中だったことは、不幸中の幸いでした。
 池島さんは、省エネについても広く啓蒙していこうと、自宅での冷房の使い方や待機電力のムダを訴えています。原発に変わる自然エネルギーとして太陽光発電の利用がありますが、費用の問題で自己負担がたいへんと、残念ながら踏みとどまったことが、参加者から出されました。私は後日、図書館の本で調べたら、なんとベランダに設置してできる小型の太陽電地があったのです。費用も数万円で、発電した電気を蓄電すれば、300時間以上のテレビを見ることができるというからすごい代物です。
 柏崎刈羽原発の再稼動に警鐘を発し、閉鎖を求める声明文を、科学者・技術者が提出しています。新耐震設計審査指針は建物・構築物は「十分な支持性能を持つ地盤に設置しなければならない」と規定していることを指摘し、柏崎刈羽原発が規定に違反していると抗議しています。「ストップ・ザ・もんじゅ」などによる全国の原発・再処理工場を一旦止めて耐震安全性を確認を要望する緊急署名や、「さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト」による柏崎刈羽原発の運転再開に反対する署名が取り組まれています。私たちの未来が大きく左右される原発の存在を、あらためて問い直すきっかけとなればいいと思います。署名にご協力を!(恵)


日米関係の真実――大連合はアメリカの意思

 七月末の参議院選挙での政府与党の大敗北から、九月十二日の安倍総理の政権の放り投げ、そして今回大連合構想の発表とその不調による小沢代表の突然の辞任と「恥ずかしながら」と踏み止まり前言撤回に至るドタバタ劇の背景には、「ロックフェラー政局」とでも名付けるべき日米関係の真実が露呈した事態があったのではないかと私は推察しています。
 この三ヶ月の間、小沢代表は、田中角栄に己を重ね、属国の悲哀にむせび泣いた事は想像に難くない。福田の「自然体」と比較して、小沢代表の「緊張感」は特記に値します。
 小沢代表は「給油活動は憲法違反」と明言。参院選大勝利の余波が続く八月八日、小沢代表は、会見を要請してきたシーファー駐日大使を民主党本部に呼び出し、四十五分間も待たせたあげく、報道陣に全面公開し、彼を“晒し者”にした上で、テロ特措法反対の自分の立場を再度明確にしました。これに対し、ポチ保守派の中西輝政氏は、「非礼という以前に、あのやり方は社会人として問題がありますね。まさしく小沢氏の政治手法であり、パフォーマンス。大使は、小沢氏のダシに使われたのです」と怒りを露わにしました。
 それほど強気だった小沢氏が、そもそも大連立など言い出すはずはありません。この間の米国の言語道断の内政干渉は枚挙に暇がないのです。したがって、ロックフェラーが来日した時期、「政局」が一挙に流動化したのも、決して無関係とはいえません。関係大ありです。もちろん表だった具体的な証拠は一切ない。すべてはタイミングからの判断です。
 この十一月期の彼の日本訪問は、公式には、新潮社から自伝『ロックフェラー回顧録』が発刊されたこと、また彼が名誉会長の「ニューヨーク近代美術館」が三洋電機の出資により東京表参道で関連ショップを開店した為との事。しかし、今年御歳九十二歳のD・ロックフェラーが、公式発表通り、単に「本のサイン会」や「近代美術館の関連グッズのショップの開店記念」のために来日したとの話を真に受けるのはあまりに世間知らずです。
 このサイン会は、十一月四日に行われ、翌日の五日には天皇との会見をしました。皇居に向かう直前には、最近イラン国営放送とのジャーナリスト契約をした『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日』以下の著書で知られているベンジャミン・フルフォード氏からインタビューを受けています。一連の記事はベンジャミン・フルフォードのブログ参照の事。
 その後、ロックフェラーは、新潮社と三極委員会の日本支部である財団法人「日本国際交流センター」主催の「出版記念会」に出席しました。会場は、「ホテル・オークラ」の宴会場です。このホテルは、虎ノ門の米国大使館の直面する歴史のあるホテルで、本館と別館が、地下通路で繋がっているという不思議な構造を持っています。
 この事に関連して、新聞の「首相動静」をみると、十一月五日の福田首相は、午後四時三十九分に、経団連元会長のトヨタ自動車の豊田章一郎と面会しています。この豊田元会長は、今年の五月ニューヨークで、デヴィッド・ロックフェラーと甥のジェイ・ロックフェラーとともに国際団体「ジャパン・ソサエティ」のパーティーにおいて、面通しされている人物です。したがって、この時期での豊田氏の訪問は、ロックフェラーのメッセージンジャボーイだったとする推測も充分成り立ちます。またなぜ福田総理は彼と会ったのでしょうか。もちろん、それもこれも理由は全く明らかになってはいません。
 また、ロックフェラーと今回の大連合推進の立役者の読売新聞の渡邊恒雄氏や中曽根康弘氏等は、周知のごとくキッシンジャーを通じて、固く結びついています。この事は政治の初歩的知識です。したがって、この時期、彼らが福田総理や小沢代表に対し、米国政府を代理して、ブッシュ政権のメッセージを伝えることは十二分に考えられることなのです。
 有名な「きっこの日記」から引用すれば、この間の渡邊恒雄氏の行動は以下の通りです。

 7月中旬、ナベツネが森喜朗を呼びつけて、自民党が大敗した場合の「アベ続投」と「大 増税のための大連立」を指示する。
 7月29日、参院選で自民党が惨敗するも、ナベツネの命令通りに、アベシンゾーは続投を表明する。
 8月16日、ナベツネが「読売新聞」の社説に、自分で書いた「大連立構想」を発表する。
 8月21日、ナベツネが民主党の鳩山由紀夫幹事長を呼びつけて「大連立」を提案するも、拒否される。
 8月末、ナベツネが森と中曽根を使って小沢一郎を呼びつけて「大連立」を提案する。
 9月12日、ナベツネの命令によって、アベシンゾーが小沢一郎に党首会談を申し込むも、無視されたことによってアベは用済みとなり、辞任する。
 9月25日、最初は麻生太郎に決まっていたのに、ナベツネの指示によって「何でも言いなりに動く」という理由で福田康夫が総裁に就任する。
 10月30日、ナベツネの命令で、森喜朗が小沢一郎を呼び出して、「福田との党首会談で大連立の話を飲むように」と念を押される。
 11月3日、福田から党首会談の要請を受けた小沢一郎に、密室で「大連立」を提案するも、小沢は即答を避け提案を持ち帰る。

 結局、鳩山由紀夫幹事長が渡邊氏の当初の予想を裏切り、明確に断った事で、アメリカの意思である大連合の頓挫のそもそもの遠因を作ったのです。今回民主と自民の「大連立」構想を推進した「読売新聞」主筆の渡邊恒雄氏の主宰する「山里会」とは、このオークラ本館の地下一階にある日本料亭「山里」に由来しています。ここでの夕食の最低料金は、懐石料理一食一万三千円です。貴族趣味の彼らにふさわしい場所ではありませんか。
まさに「頭隠して尻隠さず」とは渡邊氏等にふさわしい言葉です。もっとも、内実のない彼らは、自分たちを権威づけるために、アメリカの威光を殊更にこれ見よがしに破廉恥にも誇示しています。つまり彼らは自己顕示欲の固まりのように人物たちなのです。
 この事で小沢代表は、アメリカのさらに厳しい監視下におかれることになり、その立場は微妙なものとなりました。週刊新潮がいうとおり、「第二の田中角栄になる」かどうかは今後の「政局」の推移にかかっているといえます。注目していきたいものです。(猪瀬)案内へ戻る