2007.12.1   ワーカーズ358号     案内へ戻る

 消費税増税に向けうごめく政財界  勤労者・庶民増税の動きに警戒を

消費税をめぐる議論が続いている。
 10月25日の経済財政諮問会議では、日本経団連会長の御手洗ら5名の民間議員が最大で6%の消費税増税の必要を主張。11月20日の政府税制調査会の答申では消費税は社会保障財源の中核とすべき≠ニ述べられ、翌21日の自民党財政改革研究会の報告でも消費税を「社会保障税」に改組して税率を現行の10%くらいに引き上げるべきとの提言がなされた。
 もっとも、経済財政諮問会議の場では消費税増税論が勢いよく主張されたが、政府税調の答申と自民党財政改革研の報告では少しトーンダウンしている。その背景には、「経済成長重視派」と「財政重視派」の対立、そして財政重視派が党内世論で多数になった事情があると言われている。
 しかし両派の違いは、今すぐにでも消費税の増税をやるか(財政重視派)、それとも2〜3年後にするか(成長重視派)、という違い以上ではない。そしていずれの報告や答申でも、消費税増税の必要が年金や医療や福祉などの社会保障の財源確保のためだと主張され、同時に大企業への減税策の継続・拡大の決意が強調されている。
 政府・自民党内での消費税増税論の勢いの後退は、間近に迫った衆院選を意識しての庶民増税隠し、そして衆院選があろうとも実行するつもりの大企業減税に対する庶民の反発の緩和を狙ったものに過ぎない。何しろ政府・自民党の最大のスポンサーであり後ろ盾である日本の財界主流は、消費税増税に向けて並々ならぬ意思をすでに何度も何度も明らかにしている。ありがたいことに、民主党も本音では消費税の増税に反対ではなく、むしろ社会保障のための消費税増税≠ヘ彼らの持論だ。世間を騒がせたあの大連立騒動もまた、その大きな動機の一つとして消費税増税のための協力体制への期待があったと伝えられている。
 支配層の立場からは、財政政策の選択肢は限られている。彼らの頭には、財界・大企業へのいっそうの減税策、その穴埋めとしての消費税大増税=庶民増税以外の策は思い浮かびようがない。
 大衆増税に向けてのゴーサインは、遅かれ早かれ発せざるを得ない。警戒心を高め、闘いへの準備を整えよう。  (阿部治正)


 “内部告発”から“内部規制”へ ――相次ぐ企業犯罪で考える――

 それにしても企業犯罪、企業不祥事が後を絶たない。相次いで発覚した食品業界の様々な偽装事件のことだ。つい最近で言えば、北海道の「白い恋人」の偽造事件から始まり、大阪の「船場吉兆」による消費・賞味期限改ざん・牛肉の産地偽装事件にいたるまで食品偽装事件は後を絶たない。
 こうした企業犯罪、企業不祥事は何も食品産業に限ったことではない。原発の放射能漏れ偽装事件やマンションの耐震強度偽装事件、高速道路の陸橋橋桁の強度偽装事件も含め、あらゆる業界に蔓延しているかのようだ。これにいま改めて暴き出されつつある防衛利権の広がりという国家犯罪、政治家・官僚腐敗も含めて、日本はまさに腐敗列島の様相を呈している。
 こうした個々の腐敗事件・偽装事件は許すわけにはいかないし、真相究明や再発防止はいうに及ばず、問題企業には市場から排除を含めて厳しく対処する必要がある。が、今回はそうした数知れない企業犯罪そのものではなく、多くの場合事件発覚の端緒になった、いわゆる“内部告白”の意味と限界について考えてみたい。

■発端は内部告発はよしとして……

 うんざりというか、もはや市販の食品には信頼がおけないというか、食品業界の偽装事件は後を絶たない。今年6月の北海道のミートホープ社による牛肉ミンチ偽装事件以降、大きく報道されたものだけでも次のように相次いでいる。

○北海道ミートホープが牛肉ミンチ偽装(6月)
○「白い恋人」賞味期限改ざん(8月)
○偽物名古屋コーチン事件(9月)
○比内地鶏の薫製を偽装(10月)
○和菓子メーカー「赤福」の製造日偽造(10月)
○船場吉兆の消費・賞味期限改ざん事件、牛肉産地偽装(10)月
○中国産そうめんの「三輪そうめん」偽装表示(10月)

 これらのなかには01年の雪印食品関西支店による国産牛肉の輸入牛肉への替え事件をはじめとして関係者による“内部告発”によって発覚したものも多い。
 たとえば農水省の「食品110番」への通報で見ると、今年6月は252件で前年同月比で2.3倍、「白い恋人」「赤福」「船場吉兆」事件などが発覚した10月には697件に急増、前年同月比で4.9倍に達したという。
 内部告発が増えたのは、昨年4月に施行された内部告発者保護法(公益通報者保護法)の影響も大きい。それまでは告発者は組織内部、あるいは会社内部で村八分・会社八分にされ、結果的には勇気ある告発者が集団内から排除されるなどの制裁にあってきた。
 内部告発者への集団的制裁で思い出すのがあの雪印食肉偽装事件だ。その時は内部告発した倉庫会社の社長が受注激減で営業停止に追い込まれた。ちょっと違うケースでは、製造業の偽装請負を追求した請負社員が職場八分にされ、隔離された場所での就業を強いられたこともあった。不正にはほおかむりできないという正義感に基づく至極まっとうな行為が、逆に告発者を抑圧するという仕打ちをもたらすというのがいまの企業社会であり、それこそ変えなければならない、というのはとりあえずは脇に置いておく。
 内部告発者保護法そのものは00年に発覚した三菱自動車のクレーム隠しが内部告発で発覚したことを受けて制定・施行されたものだ。それを受けてたとえば内閣府国民生活局による「交易通報者保護制度相談ダイヤル」の開設や東京の弁護士会による「保護相談窓口」や「公益通報相談110番」が出来たりして一定の保護体制が整備されてきた。
 が、ここでの問題意識は、そうした“内部告発”に依存していていいのか、という点にある。

■権力・メディア依存

 内部告発が市民権を得てきたのは企業不正を絶滅するためにとって一歩前進であり必要なことだ。それは企業の不正行為を直接暴くものであり、即効性もある。が、内部告発は反面では復讐心や中傷目的などを背景にした複雑な人間模様を反映したものにならざるを得ない。その分だけ社会的な意味合いが薄められ、また信憑性、正確性そのものがおぼつかなくもなる。たとえば例の防衛利権をめぐっては、守屋前防衛事務次官と次官レースを争った元官僚からの“内部告発事件”もあった。
 それに内部告発は不正行為をなくすという意味では不十分だ。内部告発はあくまで事後の告発であって、事前に、あるいはそれがまさに進行している場面でそれを阻止することとは違う。不正行為はそれを起こさせないことこそが一番大事だ。
 そもそも日本の内部告発者保護法の立法趣旨自体が、企業による不法行為の撲滅を目的にしているとはいえ、それ以上に不法行為によって企業の存続を脅かされる事態を防ぐことに置かれている。あくまで企業の存続や企業統治が優先されているわけだ。だから告発先もまず企業組織や行政機関が優先され、報道機関など外部への通報は制限付きだ。そうした法構造自体の限界によって逆に企業の不正行為はいうに及ばず、不法行為の根絶の保証にはなり得ない性格を持っている。
 それ以上に問題なのが、内部告発制度が社会正義の実現を警察や検察などの取り締まり権力に依存するものにしてしまうという問題性にある。なぜなら、内部告発自体が警察などの取締権力をはじめとする司法権力の活動を前提したものであり、内部告発そのものが必然的にそうした国家権力の強化を呼び込むことになるからだ。
 また告発は当然のこととしてマスコミに報道されることも暗黙の前提としており、そのことによってメデァ依存という性格も強まることになる。メディア依存は一面では民主主義の強化に欠かせないものではあるが、反面では労働者の生産者としての当事者主権、当事者自治の後退にもつながるからだ。

■労働者による“当事者主権”

 雪印食肉偽装事件の時にも指摘したことであるが、こうした内部告発は告発する個人の正義感や勇気に依存した貴重な行為ではあるが、それは同時に組織的なチェック体制の欠如の結果でもある。そうした偽装・偽造事件は経営者などごく一部が関与する場合には見抜けないケースもあるが、実際の偽装行為にしても書類作成にしても直接関与するのは多くの場合は現場で働く労働者だ。実情としては弱い立場にある個々の労働者はそうした不正について経営者の指示をやむなく実行しているか、あるいは上意下達の職場の雰囲気に流されてやむなくやらされているケースが多い。
 問題はそうした不正行為に対して個人で立ち向かっていくことの困難性である。が、たとえ個々人では難しいことも、複数の人、あるいは集団であれば可能になるケースも多いはずだ。そうした手段とはいうまでもなく労働組合などだ。
 不正事件を起こす会社では、そもそも組合などないところも多い。あっても御用組合でほとんど規制力としては機能していないケースも多い。だから告発は個々人の勇気に依存せざるを得ないのだが、そうした不正行為の告発や未然防止の役割は、本来労働組合の主たる任務の一つであるはずだ。現に組合がしっかり活動しているところでは、そうした企業による不正行為を未然に防いできたケースも多い。そうした活動によって不正行為を未然に防ぎ、ひいては不正行為による企業の存続基盤の崩壊による雇用危機をも未然に防ぐことにもなる。
 こうした労働組合などによる内部監視機能の発揮やそうした活動による経営への規制力の強化こそが、取り締まり権力やメディア支配を招き寄せいることなく、自分たち自身の規制力を高めることで企業の不正行為をなくすもっとも確かな方策であることを改めて再確認したい。消費者主権は大事だが、生産者としての当事者主権の確立も視野に入れたいという思いからだ。(廣)案内へ戻る


 DVDで映画鑑賞 『ナビゲーター ある鉄道員の物語』

 この映画は見たかった映画であったが、この度やっと見ることが出来ました。
 中曽根の国鉄分割民営化の「成功」に刺激されて、ヨーロッパでも老朽化した国有鉄道の民営化が強行されました。各国での民営化の実態はあまり知られてはいませんが、イギリスのそれはケン・ローチ監督によって映像化されました。だから私は見たかったのです。
 0一年の第五十八回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に正式出品された本作は、サッチャリズムの核心として、九十年代に強行された「英国鉄道民営化」に、根底的に生活を揺さぶられた労働者の姿をとらえたケン・ローチ監督お得意の人間ドラマの傑作です。『ナビゲーター』の副題は、「線路脇の真実の物語」が正しい訳語です。
 まさに労働現場のリストラが労働者たち、個々人の人生を変えていくのです。ケン・ローチは、今までもイギリスの労働者階級の淡々とした日常生活を描いてきたのですが、「英国鉄道民営化」にも焦点を当て、この過程で使い捨てにされた保線労働者たちの身も心もボロボロになる惨憺な現実を描きました。
 九十三年にサッチャーの英国鉄道民営化法が制定され、映画で主人公となる鉄道員たち、つまり保線労働者たちには、鉄道民営化後の厳しい環境の下で、なお仕事を続けるかまた増額された退職金を受け取るかとの二者択一しか残っていなかったのです。何と厳しい現実でしょうか。この国家的な大規模なリストラという現実を前にして、保線労働者たちの仕事への誇り、また家族への愛は貫けるのかが、映画の核心です。
 ストーリーのあらすじは次のようなものです。ヨークシャー南部の保線会社には、昔から鉄道労働者として働く男たちが集っていました。しかし、九十三年にメイジャー首相が制定したイギリス国鉄の民営化は、彼らの仕事に大きな変化をもたらしたのです。新会社になって、国有鉄道時代の労働協約が次々に反古にされる屈辱的な現実が進行していく中で、ともに働いてきた仲間が次々と辞めていき、保線の労働現場にはポールとミックら五人だけが残ります。新しい会社の上層部のやり方に反抗して馴染めない彼らも、その会社の倒産により、ついに追い込まれて仕方なく派遣労働者となります。しかし、保線の厳しい労働現場での「素人たち」との仕事に、原則的で誇り高きミックは憤りを覚え反発を強めたのです。現場監督に彼は排除されます。ここにミックは苦悩を深めるのです。
 ローチ監督のリアリティある鋭い視線は、彼らの抑圧された状況を描きつつも、保線労働者たちの仲間意識や仕事への真剣な態度、その時々のユーモアと人間性をも巧みに映し出しています。こうして、映画を見る者に人間的な共感を呼び起こします。しかし、突然想像することも出来なかった悲劇を目の前に、彼らは自分を偽り自分を守らなくてはならぬ局面に立ち至ります。そこで一番卑屈になったのは何と誇り高かったあのミックでした。最後の場面で別れ別れになる保線労働者たちの後姿は、何とも悲しく寂しいの一言です。まさにイギリスでも「去るも地獄、残るも地獄」の厳然たる現実が出来したのです。
ケン・ローチ監督は一切の批判的観点は映画で明らかにしていません。実に残念です。
 ヨーロッパでも闘えなかった労働者は敗北していったのです。この先例となった日本の国鉄分割・民営化攻撃でも、労働者には如何をすべきかが突きつけてられていました。ここで私は、日本で作成された宮島義勇監督の記録映画・『俺たちは鉄路に生きる』を、思い出さざるを得ません。この映像の一部は、「YouTube」で検索すれば見られます。
 日本の国鉄分割・民営化が強行される過程で、三分の一の鉄道労働者が首を切られ、約二百人が自殺に追い込まれて、国労は組織を三万人までズタズタにされてしまいました。
 しかし、この過程で組合員全員の首切りを覚悟して、数波のストライキに立ち上がり、原則的な闘いに決起した動労千葉は、分割・民営化後二十年が経過しても未だ存在しており、「民営化攻撃」に反撃しては、断固ストライキで闘った世界でも例外的な存在であったが故に、総評に変わる新たなナショナルセンターを作ろうとの呼びかけで闘っている「労組交流会センター」運動の中核組合としての位置を不動のものとしています。
 数年前から、アメリカと韓国の戦闘的労働組合との関係も強化され、今年は募兵官の学校入校に反対する教組との結びつきも始まっています。闘う事しか展望はないのです。
 この映画を見て、私は今後進むべき進路を指し示されたと感じています。 (猪瀬)


 「地球環境問題」と私の推薦本

 11月26日付の朝日新聞によると、日本政府は地球温暖化を防止するための京都議定書で約束した目標達成のために、今回ハンガリー政府から、温室効果ガスの排出枠を買うことを決めたという。
 日本が排出枠を政府間で直接買うのは初めてで、ハンガリーで温室効果ガスの排出が減った分を、日本で減らしたことになるという。08年は二酸化炭素(CO2)換算で最大1千万トンの購入を視野に入れて交渉するとのこと。

★京都議定書削減目標の2極化
 この排出枠を売買する「排出量取引」は、97年の京都議定書に盛り込まれた「京都メカニズム」の一つである。
 いよいよ来年2008年より、京都議定書の約束期間(08年〜12年)に入ると言うことで、各国政府は自国の目標達成のためにいかにCO2を減らすかで頭を悩ませている。それは、「人類そのものの危機」と叫ばれる温暖化問題が世界的な課題となりクローズアップされているからである。
 日本政府が、地球温暖化を防止するための京都議定書で約束した目標達成とは、二酸化炭素(CO2)の排出量を90年比で6%減らす義務があること。しかし実は、その後のCO2排出量の増加分(6.9%)も削減することが義務づけられている。従って、日本政府の実際の削減目標は12.9%となる。CO2の排出量を12.9%も削減する事は大量商品生産とエネルギー大量消費の日本にとっては非常に厳しい課題である。
 「とても目標達成は無理であろう」と多くの政府や企業関係者は考えており、少しでも目標達成に近づけるために、今回の「排出量取引」に乗り出したのであろう。
 ご存知だと思うが、97年京都の世界環境会議はホスト国日本政府の頑張りもあり、奇跡的な議定書の批准をなし得た。地球温暖化の原因になっているCO2の削減を先進国が率先して取り組み、先進国全体で5%削減することを決めた。
 ところがその後、CO2の排出国第1位である米国が離脱する、さらに豪州も離脱、そしてカナダも目標達成の断念を決めた。ここ今日、環境問題に積極的に取り組んできた欧州連合(EU)のスタンスと身勝手な自主性を主張する米国陣営との間では削減目標の達成において大きな違いが出ている。
 05年までの各国のCO2の排出量を90年比で見ると、欧州(東欧を含む)と先進国40カ国全体では2.8%減となっている。特に欧州主要国のドイツは18.4%減、イギリスも14.8%減、スペインなど削減目標値を数倍上回る国もあり、東欧諸国も大幅減少の傾向にある。ところが、離脱して自主性を主張する米国は16.3%増、カナダも25.3%増など削減どころか逆に大幅に増加させている。
 日本は一応京都議定書を批准し6%削減を宣言したが、その後6.9%も増加させておりほとんど削減は進んでいない。この間政府は「チームマイナス6%」などのスローガンを掲げて、閣僚がクールビズを着たり、官庁に冷房の温度設定を指示したり、国民に省エネを呼び掛けるなどのキャンペーンを展開してきたが、そんな小手先の改善でこの温暖化問題を解決できるはずがない。現在のエネルギー政策をどう転換するのか、大量生産・大量消費型の経済システムをどう改革していくのか、そうしたレベルの社会変革が求められている。
 CO2の削減をめぐって先進国にこのような大きな違いが出ていること。さらに、この議定書では今急速に経済発展している中国やインドなどの発展途上国には目標達成の義務はない。
 こうした限界を示しつつある京都議定書を乗り越えるために、この12月インドネシア・バリ島で国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP13)がスタートする。国際的な温暖化対策の新たな枠組み作り=「ポスト京都」が注目される。

★警告強める報告書
 この新たな枠組み作りを前にして、地球環境問題に関する重要な報告書が国連や世界の科学者から幾つか出されている。
 一つめは、国連環境計画(UNEP)が10月末世界約40の都市で発表した評価報告書「第4次地球環境概況(GEO4)」を紹介する。5年ぶりに改定された内容は、かつてない環境の変化により「人類の生存そのものが危機に瀕している」との強い警告を出している。
 同報告書によると、87年から20年間で世界の人口は50億人から67億人に増え、貿易量は3倍となり、1人あたりの収入は40%増加している。こうした経済発展が地球環境に大きな変化をもたらした。
 毎年200万人以上が大気汚染が原因で死期を早め、早期死亡者数は年間50万人にのぼると。有害な紫外線から人々を保護する「オゾン層」も、南極上空の「穴」はこれまでで最大の規模になっている。汚染された水は病気や死亡の最大原因となっており、使用できる淡水は地球規模で減少し、2025年までに18億人が水不足となり、世界人口の3分の2が日常生活に支障をきたす「水ストレス」状態に置かれる。また、生物多様性も年々急速に低下しており、1万6千種以上が絶滅の危機にあると。報告している。
 二つめは、国際エネルギー機関(IEA)が発表した「07年版世界エネルギー見通し」を見ると。
 急速な経済発展を続ける中国が今年、温室効果ガスのCO2の排出量で米国を抜いて世界一になるという。各国が現在の政策を続けた場合、世界のCO2の排出量は2030年には05年の1.6倍の419億トンに膨らむと。特に、中国が114億トンに、インドも33億トンに大増加すると予測している。
 先進国のCO2の削減が進まない。発展途上国の中国・インドなとが経済発展めざして大量のエネルギーを消費していく。このままでは、世界のCO2排出量は右肩上がりで増加していく。これ以上地球が温暖化すれば、まさに「人類の生存そのもの危機」である。
 この現実を直視すれば、当然CO2の削減をめざすこと、そのためにはCO2を大量に排出する化石エネルギーから脱却をめざすエネルギー政策の転換など、早急に対策を取る必要がある。

★今後の展望と本の紹介
 生産量の少ない「封建社会」から、大量のエネルギーを利用した機械制大量生産を可能とした近代の「資本主義社会」もとで、私たちの社会は大進歩をとげた。しかし、もはや無政府的な「大量生産・大量消費・大量廃棄」を繰り返す資本主義的生産システムを続ければ、もはや人類はこの地球に生存できなくなることを示している。この地球の温暖化問題は、これまでの資本主義的発展の限界と矛盾を示していると言える。
 スウェーデンの環境政策を長年分析し、欧州の環境問題の取り組みを研究したきた小澤徳太郎氏の著書「スウェーデンに学ぶ『持続可能な社会』」(朝日選書・1,300円)は、これからの未来社会のあり方を考える点で、とても参考になる本である。
 「私たちの『経済のあり方』『社会のあり方』が、環境問題の直接の原因だから。工業化社会では資源やエネルギーが大量に使用される。その結果、必然的に生ずるのが、水質汚染、大気汚染、廃棄物などの『環境への人為的負荷』である。・・・つまり、環境問題が示唆する本質的な問題は、それほど遠くない将来、私たちが日常の経済活動から生ずる環境負荷の蓄積に耐えられるかどうか、ということ。つまり、私たち人類の存続危機に関わることである」と。
 そして、「20世紀の『持続不可能な社会(大量生産・大量消費・大量廃棄の社会)』から21世紀の『持続可能な社会(資源・エネルギーの量をできるだけ抑えた社会)』への大転換が必要である。そのためには、政党・政治家が具体的政策を打ち出すことが求められている」と述べている。新しい社会をめざす変革が必要である。(若島三郎)
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 民営郵政職場より

 人手不足で残業につぐ残業 休日出勤だらけ

 10月1日に郵便局が5つに分割民営化されました。私は、その中の郵便事業鰍ノ属しています。郵便事業鰍ヘ、主に郵便配達と郵便内務に分かれ内務の仕事をしています。
 民営化になるにあたって問題だったのは、まず準備不足があげられます。ニュースなどで問題になっている内容証明郵便について、今までの郵便局長印に変わる郵便認証司印が必要になっていることなど、職場内で周知徹底されていませんでした。
 11月6日付の読売新聞によると、内容証明郵便の取り扱いのミスは全国で約37000件にものぼると言います。
 また、窓口事務機の操作においても民営化前よりものすごく手間がかかるようになり、利用者の方をずいぶんまたせるようになってしまいました。よく時間外窓口で利用者の方から、「えらい遅いやないか。民営になってサービス良くなると思ったら、悪なってるやないか」。と怒られます。 
 それから、決済系システムというパスコンを使っての事務も、今回民営になって初めてする仕事ですが、すべての使い方を知っている人がごく限られていますので、結局操作ミスをするときがありますが、一度データを本社に送ってしまえば訂正はできないのです。これは、窓口での締め処理においても同じです。誰でも間違いはあるのだから、訂正できるようにしてほしいのですが。・・・
 これら民営になって手間のかかる仕事が増えたから人が増えるのかと思いきや、人は増えるどころか減る一方です。まず非正社員の人たちは、給料が安いのに正社員並みにこき使われる状態なので、若者を中心に次々と辞めていきます。その後、募集はしているが人が入ってこないようです。時給が770円では人はなかなか入ってこないでしょう。
 また、正社員は退職などで人が減っても後補充されません。後補充は非正社員でとなっていますが、それもなかなか入ってきません。正社員も精神疾患やその他病気で長期休まざるを得ない状況です。
 その慢性的な人手不足をどこで補うかと言えば、当然今いる正社員非正社員の休日出勤や残業になっています。先月私は、22時間の残業と休日出勤2日、祝日出勤1日つまり時間外労働を46時間したことになります。こんな状態では、日頃の疲れは取れません。何とかしてほしいものです。
 現場はこんな実態ですが、日本郵政鰍フ西川郵政総裁は11月6日付けの読売新聞によるとこう言っています。
『日本郵政会社の西川善文社長は5日の定例記者会見で、10月1日の民営化後の約1か月間を振り返り、システムトラブルや事務手続きミスが頻発したことについて、「お客様に迷惑をかけたことを申し訳なく思う」と陳謝した。当面、年賀状業務を「民営化後の最大の試金石」と位置づけ、「(遅配が相次いだ)今年の年賀状の轍(てつ)は踏まない」と、遅配防止に全力を尽くす考えを強調した。』
 『2008年の年賀はがきの発行枚数は前年比約3%増の39億1650万枚と4年ぶりに増える。郵便局会社と日本郵便が、「それぞれの顧客で取りこぼしがないように」販売目標を別々に掲げている。KDDIと連携し、電子メールでの注文を受け付けるなど新機軸も打ち出している。
 遅配の再発防止策については、年賀状を仕分けする専用の区分機を07年の28台からさらに104台増やし、全郵便局での年賀状の投函(とうかん)枚数や輸送状況を細かく把握するほか、配達するアルバイトも増やす方針だ。』
西川総裁は、遅配が多数出た昨年の年賀の反省から今年は、年末アルバイトを増やすなど万全をつくす旨言っていますが、今現在年末アルバイトの確保は不十分の状況です。結局しわ寄せは、今働いている我々にくるでしょう。このままでは過労死がさらに増えることになります。このような状況を何とかしなければと思います。   (河野)


 『蟹工船』のブームについて

 一九八0年代韓国の全羅南道の道庁所在地で発生した光州事件は、民主化を求める活動家やそれを支持する学生・市民が韓国軍と衝突し、多数の死傷者を出した痛ましい事件でありました。その頃、韓国の反骨精神に富む出版人が大変な決意を持って出版したのが、小林多喜二の『蟹工船』でした。それは、国民抑圧体制の構図を暴露しその事実を鮮明に描いた作品が、この頃の韓国の時代にぴったりだとの判断があったからでしょう。
 二十余年後の今年、韓国でまたこの本は新訳本が出版されました。今韓国では、非正規労働者の雇用・労働条件改善に向けた闘いが、民主労総を中心にして高揚しております。こうした中での再翻訳とはなりました。まさに時代は「繰り返して」いるのです。
 日本においても『蟹工船』への注目は特記すべきものがあります。0六年十一月、『30分で読める…大学生のためのマンガ蟹工船』として漫画化されました。この企画は、白樺文学館(と小林多喜二ライブラリー――インターネットで検索可能・私)設立者である佐野館長の発案です。小樽商科大出身の佐野氏は、若年より先輩である小林多喜二のファンで、「原作はとっつきにくい」との声が多かったことから、その漫画化を構想して親戚の漫画家の藤生ゴオ氏が、原作を難解なものとしている方言や隠語などの注釈を欄外に表記し作画したのが特徴です。佐野氏は、この漫画を「いわば多喜二の入門書として出した本。読者からは『漫画で読んで感動し、原作を読みました』などの反応が相次いでいます」と解説しています。初版六千部は、既に完売して今年一月末には増刷までされたのです。
 この九月には、沖縄県の那覇市で出版社を経営する兼久氏が、著名な文学作品を漫画化する「まんがで読破シリーズ」の一冊として『蟹工船』を刊行し、この漫画はコンビニで発売されているといいます。残念ながら私の家の近くにはおいていませんでした。
 この夏文芸誌の『すばる』は、「プロレタリア文学の逆襲」という特集が組まれたのです。編集担当者は「格差・若年ホームレス・ネットカフェ難民などという言葉を盛んに聞くようになり、プロレタリア文学を再評価する意味」があると考えたとのことでした。
 このように、韓国や日本の中でも特に北海道や沖縄は、地域的に今大変な経済危機に陥っており、そこで戦前のような「饑餓的賃金」にあえぎ「生きさせろ」と声を上げつつある若年層労働者に、この本に対する共感が高まりつつある様子です。この流れの延長として、 山村聡監督・脚本・主演で、森雅之・日高澄子や中原早苗等が脇を固めた一九五三年映画『蟹工船』のDVD が発売されました。北星DVD社からの販売です。
 この映画のカメラマンは、『切腹』『人間の条件 第一・二部』『人間の条件 第三・四部』『人間の条件 完結篇』などの代表作を持つ名カメラマンです。そして、七十年の安保闘争を記録した長編『怒りをうたえ』の監督でもあります。その名は宮島義勇氏。
 何より彼の特筆すべき行動は、国鉄分割・民営化に反対して、八五年十一月から八六年三月までの二波にわたるストライキを打ち抜き、断固とした原則的な闘争で勇名をはせている勤労千葉の記録映画を、愛用の手動カメラを使い手弁当で撮影・監督したことです。
 この時代を象徴した手堅い日本の名作映画のリバイバル公開を喜びたいと思い、彼らの顕彰も兼ねてここにお手紙いたしました。  (笹倉)案内へ戻る
 

 色鉛筆  介護日誌・・・ちょっとひと休み、美術館へ

 『浜松市天竜二俣の秋野美術館で、秋野不矩・小倉遊亀・片岡球子さんの3人展を見てきました。お勧めですのでお出かけを。お三方のパワーには圧倒されますが、明治女の底力にも驚かされます。なんたって若い!』
 友人からのこんなはがきに誘われて、母のショート中の休日を選んで義妹と出掛けた。JR東海「掛川駅」から天竜浜名湖鉄道に乗り換え、小さなおもちゃの様な電車はのどかな秋の田園風景の中を、時には農家の軒先をすれすれにかすめながら走り「天竜二俣駅」に到着。田舎道を15分ほど歩くと、浜松市秋野不矩美術館が丘の上に見える。天竜杉と漆喰で作られた建物そのものが、周囲の風景となじんでいて素敵な眺めだ。館内の床も壁も天井も、すべて藁などを含んだ自然素材なので空気がやわらかく感じられる。
 天竜市出身の秋野不矩は、1908(明治41)年〜2001年までの93年の生涯、小倉遊亀は1895(明治28)年〜2000年までの105年(!)、片岡球子は1905(明治38)年生まれで、現在102歳。
 「描くことこそ我が人生・・・世紀をまたいだ女性画家たち」と題したこの特別展は、3人それぞれが、たとえば富士山、こども、インドの寺院など思いのままの題材を、自由にのびのびと描いていて、色彩もとてもすばらしい。描くことが楽しくてたまらないといった作者の姿が思い浮かんでくるようだ。
 私には、インドの寺院を描いた秋野不矩さんの絵が一番印象に残った。柔らかな色合は、絵の具の原料が石や泥から取ったものだからだろう。縦1.2メートル、横7メートルの『オリッサの寺院』(1998年90歳の時の作品!)の前では、一度も行ったことが無いインドの土ほこりが舞う乾燥した空気の中に立っている様な錯覚を起こし、しばらく動けなかった。
 秋野さんは、50歳で離婚。5人の子を育て、54歳でインドに渡り以来インドを描き続けている。明治生まれの、そろって長寿の3人が各々、教職経験者であったり、この当時の女性としてはかなり恵まれた家庭環境であったのかもしれない。戦争もあり、食べることや子育てなどの苦労もあっただろう。それでも自らの心の思うままに絵を描き続けたこと、それを貫き通すパワーには圧倒される。
 「ただただ自分の好きなものを描いていただけなんですけどね」と、晩年の秋野さん。
 私の亡母も、今介護中の義母もともに大正生まれで、貧しさや戦争そして子育てに身を粉にして働かざるを得なかった。亡母が鍬や鎌のかわりに、ごつごつとした手に絵筆を握りはじめたのは、晩年になってのことだった。絵でも歌でも、心の自由、思うがままの表現は誰にも平等に保障されるべきだと強く思う。
 秋野美術館では、四季折々に展示作品がかえられるということなので「ぜひまた来ましょう」と義妹と約束して帰路についた。
 さて義妹のところに初孫が誕生した。母には曾孫にあたる。「お母さん曾孫が生まれたんだよ。」と言っても実感が無いので反応はいまひとつ。お正月の初対面が楽しみだ。(澄)
                                   
★「秋野美術館」の紹介・・・静岡県浜松市二俣町二俣
 電話0539(22)0315/開館時間 9:30〜17:00/休館日<月曜日>


 オンブズな日々・その30 「公費買収制度

 国会議員であれ、県議や市議であれ、議員である限り選挙を逃れることは出来ません。その選挙のための多額の費用をどう工面するか、議員さんには頭の痛いところです。ここに救済策として、選挙公営制度があります。選挙用のポスターと宣伝カーのガソリン代、運転手の報酬を公費負担するものです。
 ところがここに落とし穴があり、多くの候補者が不正に手を染めているのです。その実態については、朝日新聞が11月19日の朝刊・1面で報じました。問題はポスター代とガソリン代の負担限度額が、世間の常識を越える額なのです。候補者はこの限度額を目指して、不正請求を行っているのです。
 朝日新聞は続報で、「1日にガソリン200リットル給油したり、毎日ぴったり同じ量を給油したり」(11月21日)と、給油議員 お粗末な意識≠報じています。ところで、私の手元に春の統一地方選挙で当選した西宮市議会議員の「公費負担一覧表」がありますが、45名中22名がポスター代を限度額まで請求しています。
 ガソリン代について高額の2名を調べたところ、1名は6日間毎日約60リットル給油していました。燃費をリッター5キロとしても、毎日300キロ走ったことになります。もう1名は1日約40リットルでした。しかし、選挙は4月15日からだったのに、13日・14日の給油も記載しています。何と、この市議は事前運動のガソリン代まで請求し、選管も支払っていたのです。
 西宮市議会のこの無残な実態を見て、とりあえずポスター代の不正請求に対して監査請求を取り組みました。組み立ては、単価300円で十分ポスターは作成できる、企画や写真撮影にお金をかけてもその2倍の単価600円が限度である、これを超える請求は水増しであり、市長は返還を求めなければならない、というものです。
 この主張を補強する事実として、監査請求人の1名が「印刷業者からリーフレットの印刷代も込みで請求しましょうか」というさそいを直接持ちかけられた、という陳述を行っています。こんなことは候補者と印刷業者の間でおおっぴらに行われていることのようですが、関係者が口をつぐんでいれば、おおやけにはなりません。
 監査請求のほうは予想通りと言うべきか、あっさりと請求棄却となりました。その内容も少し紹介します。まず、この選挙公営制度の目的は、「選挙における経費の増大を防ぐとともに、候補者間の選挙運動の機会均等を図る」というものです。請求と支払い事務については、提出された書類を見るだけの形式的な審査で十分とされ、限度額内の公費負担であれば「市に損害をもたらせたものとは認められません」としています。
 監査委員はさらに、主観的な憶測や推測≠ナ監査請求するなと言い、事実を究明することなく不正にふたをしてしまいました。監査請求の末尾に次の主張を付け加えましたが、これに対しても監査委員は「単なる立法論であり、・・・住民監査請求の対象となり得ません」と判断を逃げています。
「なお、こうした不正を助長している高額にわたる現在の公費負担額は、適正な金額に是正されなければならない。選挙の公費負担はその趣旨からして、必要最小限で十分である。こうした漫然とした公費支出は選挙をゆがめ、候補者を不正に走らせ、市民を裏切るものであり、『百害あって一利なし』の典型である。この点についても、監査委員の注意を促すものである」       (晴)


 コラムの窓   会社の常識、社会の非常識

「会社の常識が社会の非常識だった。」と陳謝したのは、鋳鉄管製造大手の栗本鉄工所(大阪市西区、東証・大証1部)横内社長である。
 カタログで公表している自社仕様より薄い鉄板を使った型枠を、高速道路の橋工事用として旧日本道路公団に納入していたことや納入時に提出を求められる強度試験のデータも改ざんし、偽装の「おわび」会見での発言である。
 「会社の常識」について具体的には語っていないが、会社の利益追求のためにコストを削減し、結果として諸基準を下回り、偽装していたことを認めたということであろう。
 建築物の耐震偽造から、食肉の牛肉偽装・表示不正・賞味期限切れ原料の使用等々、最近の偽装事件の多さは毎日と言っていいほど暴露され、日本社会は偽装だらけで、偽装を行うことこそ「会社の常識」のようだった。
 偽装が明るみに出されている背景には、地球の温暖化現象に対する環境問題への意識高揚、頻繁に起こる地震の発生による耐震意識の高まり、食の安全意識の向上等、コスト削減や利潤追求より、安全で安定した平和な社会を求める社会的な意識の高揚=「社会の常識」の高まりがある。
 今日の社会は、資本主義的民主主義の下、資本家と労働者は対等と装うことで、労働者をだまし、労働強化することによって、資本家は多くの利益を得てきた。この偽装的な「常識」が土台となっている以上「会社の常識」による偽装やねつ造、政・官・財の癒着・贈収賄事件は無くなりはしない。
 常識」というものは、絶対的・普遍的なものではなく、科学的進歩による耐震技術が高まれば耐震基準も高く設定されるだろうし、軍国主義の時代には強権的政治が行われたように、政治体制や科学的進歩の発展条件など、そのときの諸条件によって変化する、したがって、生活の安定と豊かで平和な社会を創り上げていくためにはより一層、科学的知識の学習と高揚をはかり、「社会の常識」をより高めねばなるまい。(光)案内へ戻る


 非正規労働者の闘いをともに担おう

 連合が10月15日に非正規労働センターを開設した。第10回定期大会では、これまでの正社員や公務員などを中心とした運動では限界がある、パートや派遣などの非正規労働者の組織化に取り組むことで本来の労働組合運動としての姿に立ち返る、との姿勢を打ち出した。非正規センターはこの方針の具体化の一つだ。
 連合の方針転換を待たず、すでにワーキングプアと呼ばれる若者たちが中心となって、新たな労働運動の組織化は始まっていた。
 時給1000円前後、年収が100万〜200万円、社会保険なし、経営者の胸先三寸で解雇、アパートも借りられずネットカフェやファストフード店で夜を明かす日々…。自らがおかれたこうした劣悪な労働条件、生活条件への憤りから出発し、労働法を学び、社会の仕組みを学び、連帯と団結の大切さを学びながら闘いに立ち上がっている。ライブドア、グッドウィル、吉野家、すき屋などのメジャーな企業から、ちまたにひしめく多くの小零細企業に至るまで、労働者からSOSが発せられたところには飛んでいって経営者と対決し、賃上げ、有給休暇取得、雇用継続、解雇予告手当を出させる数々の成果を上げている。
 いまでは新聞を見てもテレビを見ても、大企業労組の名前よりもはるかに頻繁に青年ユニオン、フリーターユニオン、女性ユニオン、○○地域ユニオン、POSSE等々の名前が登場するようにさえなった。
 開始されたこの若者反乱、労働者反乱を、さらに大きなうねりへと押し上げていくために、正規、非正規を問わず、ひとり一人の労働者が、それぞれの持ち場で頑張っていこう。未来は労働者のものだ!         (H)


 兵士の病気に思うこと

新聞紙上からだけ知ることだが、戦場から帰還した兵士で精神を病む者が多いという。ベトナム戦争に参加したアメリカ兵だったネルソンさん、アフガンに進攻したロシアの兵士、現在イラクから帰還したアメリカ兵士たちは、精神を病んでいるという。日本でも、海外に向かった自衛隊員の自殺が報じられている。
 私は11月初旬、沖縄に旅し、沖縄戦の跡を私の想像をまじえつつ、歩いた。そもそも沖縄戦は、本土の楯としての役割を背負わされた戦いであっただけでなく、戦場でも沖縄島民は日本軍兵士の楯にされたこともあったろう。米軍兵士の向けた火炎噴射器の炎は誰が浴びたであろうか。
 アフガンやイラクから帰還したロシア兵やアメリカ兵が、精神を病んでいるという報道に人間のあかしを見るように思うが、かつての日本軍兵士は? 南の島で片腕を失いつつ生還された、ゲゲゲの鬼太郎のオジさんいわく、日本のオクニは国民をいじめ、戦場でも兵隊はえらい目にあわされ、いじめぬかれ、死んだら神≠ニしてまつるとは勝手千番というようなことを言っておられたとか。
 私なら靖国に祭ってもらいたくない。ゲゲゲの鬼太郎オジさんのコトバは、兵隊で戦場をさまよった体験者だけに説得力あるコトバ。しかも淡々と話す語り口、結論的な。魂にふれるコトバ。日本兵士の死んだ魂も持主のような行状を知らされてきた中で、ヒトのコトバに出会った思いであった。
 大河ドラマの黒田カン兵衛ですら、戦場では人の体を矢を防ぐ楯にしたシーンがあった。三島由紀夫は他者(戦死者)を楯にして生き残っている負い目からか、自ら楯になろうとする思いを抱いていたのではなかろうか。それが武士道とは死ぬこととはおぼえたり≠フハガクレと結びついたのでは? とひそかに思う。が、今、彼に問いたいのは、沖縄での戦中戦後の状況を、どう思うか、ということであった。
 ここで私は1冊の本沖縄の反戦ばあちゃん≠鮮やかに思い起こす。沖縄の民俗として、どんなに貧しくともお墓、立派な住めるようなお墓を作るという慣習があり、そのために、ばあさんはムコさんと南の島へ出稼ぎに。戦争はサイパンにいたときに終わった。多くの自決した人々とは別にばあさん(若かったろう当時は)は、」傷ついた近所の人を両肩に、逃げ回った。傷には薬草を探したりして。
 沖縄へ帰り着いてからのことも記録は続いていた。この本は、ばあさんの後述記録である。沖縄タイムスに写真とともに紹介されていた集団自決の中でも傷つきながらも、生き残った幼い子どもたちの記述も思い起こしてもらいたい。沖縄の人々の生≠ニ死=Bそして現在。
 最後に海外へ派遣が決まった自衛隊員17名の自殺。これを私どもはどう受け止めるか、私どもが生き抜くこととどう重なるか。   2007・11・8 宮森常子 


 紙面アレコレ通信

 色鉛筆「原発で未来は築けない」で取り上げられていますが、柏崎刈羽原発関連の報道、新たな事実の発覚は途切れません。11月15日の「神戸新聞」に過小評価4断層見逃し≠ニいう記事が載りました。
 記事は「東電が今回始めて開示した減記録は2、5号機と3、4号機の増設に伴い79、80、85年に実施した延べ約1675キロ分。東電は計15の調査地点で断層を認め、4つの断層があると評価。増設申請に盛り込み、国の安全審査もこれを通していた」というもの。だとすると、断層の存在を意図的に隠して申請し、国もこれを容認したのではないか、という疑惑が生まれます。怖いだけでは済まされない、悪質な隠蔽≠ナす。

 新テロ特措法はマスコミでも連日報道されていますが、テロとの戦い≠フ真実はちっとも明らかにされていません。この点、ペシャワール会・中村哲医師の現地報告(会報93号・07年10月3日)が貴重な情報を提供しています。詳細はホームページでご覧になってください。 
「政情と『国際世論』を見る限り、『むなしい』の一語です。もう放っておいて欲しい、そう思います。6年前の『アフガン報復爆撃』と『アフガン復興ブーム』のとき、誰が現在の状態を予想したでしょうか。欧米諸国の軍事介入、『対テロ戦争』の結末は既に結論が出たと言えるでしょう。武力介入は、よき何物も、もたらしませんでした。アフガン民衆の現状を抜きに進む先進諸国の論議に、忍耐も限界に近づきつつあります」
「民衆の半分が飢えている状態を放置して、『国際協調』も『対テロ戦争』も、うつろに響きます。よく語られる『国際社会』には、少なくともアフガン民衆が含まれていないことを知りました。しかし、このような中でこそ、私たちは最後の一瞬まで事業完遂を目指し、平和が戦争に勝る力であることを実証したいと思います。皆様のご理解とご協力を切にお願い申し上げます」        (晴)案内へ戻る