ワーカーズ360−361合併号     案内へ戻る

ストップ貧困、戦争国家化
 労働者の団結と闘いを強め、協同と連帯に基づく新しい社会をつくりだそう!


 07年は労働運動、政治、経済ともに、内外で大きな動きがあった。
 何よりも、「ワーキングプアの逆襲」と言われるような、労働者の新しい闘いの開始が明確となった。若者たちがこの闘いを主導していることは、労働運動に希望をもたらすものだ。
 政治の分野でも、貧困問題の深刻化や年金など社会保障の後退を背景に、自民党が大敗した。ところがこの躍進した民主も、選挙の熱さめぬ間に「大連立」への色気を見せるなど、
資本の政党としての馬脚を露わにし、いまでは「自民と民主はどっちもどっち」が世論の大勢だ。民主党は今のところは給油新法に反対の姿勢を見せているかだが、大元の日米の軍拡と軍事一体化=米軍再編はもちろん、自衛隊の海外派兵の拡大にも反対の意思は示していない。
 国際的には、サブプライム問題の噴出が、世界の金余り現象、マネーゲーム化した現在の資本主義の病巣、ドルの信認の低下を明らかにた。またこの問題とも関連して、原油など現物商品への投機が猛威を振るい、人々の日常生活に困難をもたらし始めている。
 また中国やインドやロシアやブラジルなどの経済力の増大も明確となってきた。このことは、サブプライム問題、ドルの信認低下とも絡み合いながら、世界の多極化を示す大きな要素となっている。もちろんこれは、世界の労働運動に新たな援軍と担い手が供給される歓迎すべき事態だ。
 さらには、CO2の排出、地球温暖化の問題点は、ますます深刻化している。このまま行けば、さほど遠くない将来に地球環境は予測不可能な領域、不可逆的な事態に突入してしまうと警告されている。
 こうした世界の動きの全体を受け止めながら、それと拮抗し、やがてはそれを覆し、新たな秩序に取り替えていくべき我々労働者・民衆の闘いも、ワーカーズ・ネットの活動をその一部として、発展している。ワーカーズ・ネットは、アソシエーション革命論の深化・発展・具体化が、この世界と有効に切り結ぶための鍵であるとの認識に立って、いま諸活動を進めている。労働者、読者の皆さんへの、この闘いへの共同の呼びかけをもって、新しい年に向けての私たちの挨拶としたい。


戦争被害と国家による補償
 被爆者援護法改正の取り組みをめぐって


■薬害肝炎問題と被爆者援護法

 薬害肝炎をめぐる動きが連日の様に報じられている。福田・自公連立政権は、自分たちが打ち出した、多くの被害者を切り捨てることとなる「線引き解決」案が国民の大きな不信を買う中、議員立法による「解決」策を提案せざるを得なかった。
 この動きと並行しながら、やはり「国家責任」が厳しく問われ続けているもうひとつの問題について、新たな動きが起きている。原爆被害者に対する援護のあり方をめぐる問題である。これまで韓国・朝鮮人の救済を事実上排除してきた被爆者援護法を、彼ら在外被爆者にも活用可能なものにしようという議員立法の動き。そして被爆者の範囲を極めて狭く限定してきた原爆症の認定制度を見直そうという動きだ。
 メディアの扱いは小さいが、しかし薬害肝炎問題と共通する側面を持つ問題だ。舛添要一厚労大臣も、薬害肝炎問題の議員立法による「解決」案を解説して、被爆者援護法における議員立法の動きを参考にした、と述べている。
 ひとつは戦争という典型的にして大規模な国家の行為による被害。もう一つは被害者の範囲がそれよりは小さいがやはり国家の責任が問われるべき薬害。その違いと共通点の双方を念頭に置きながら、被爆者援護法改正の最近の動きを見てみたい。

■被爆者援護法とは

 原爆投下による未曾有の規模の人命、健康、財産の破壊に対して、戦後アメリカ政府はもちろん、日本政府も何らの生活支援も補償も行ってこなかった。被爆者とその家族は一般の国民からも理解されず、社会的な孤立と差別を余儀なくされた。この流れを変えたのは、1954年に発生した第五福竜丸事件であり、それをきっかけにしてようやく盛り上がりを見せた原水爆禁止運動や原爆裁判などの大衆運動だった。
 被爆者問題への関心の広がりを背景に、57年には原爆医療法が、68年には原爆特別措置法が制定されたが、それは被爆者とその家族の切実な生活支援、医療支援への要求とは大きくかけ離れたものであった。その後も被爆者の生活、医療支援を求める運動はやまず、そうした力を背景に、1995年にようやく現在の被爆者援護法を成立させた。実に原爆投下後50年もたっての、遅きに失した制定である。
 被爆者援護法の制定過程で大きな議論になったのは、原爆被害に対する国の賠償責任をどこまで認めるかであったが、法の前文に「国の責任において」との文言が入れられることで曖昧ながら国家責任が確認されたかのように見える。保障内容は、所得保障(医療特別手当、原爆小頭症手当、健康管理手当等々)、医療支援(健康診断、医療給付等々)、福祉事業(相談事業、在宅福祉サービス等々)、そして戦後50年にわたった被爆者とその家族を放置してきた事への補償等々の意味を含んだ苦肉の施策=特別葬祭給付金などであった。

■多数の被爆者を切り捨て、外国人も事実上締め出し

 しかし、この被爆者援護法は、制定当初から様々な問題、欠陥を抱えていた。
 ひとつは、原爆症の認定制度が極めて「狭き門」となっており、多くの被爆者を認定と保障から排除するものとなっていること(認定率わずか1%)。もう一つは、韓国・朝鮮・中国人など旧植民地出身者を始めとする在外被爆者を、建前はともかく事実上保障から閉め出してしまっていることだ。
 まず認定制度だが、当初は認定基準の公表すら行われていなかった。現在はDS86、その修正版であるDS02が用いられているが、それは爆心地からの距離(被曝線量)、そしてその被曝線量と申請された疾病との関係を疫学調査を当てはめてはじき出した「原因確率表」を判断基準とするものだ。
 しかし原爆による放射線被曝の影響を爆心地からの距離で測ろうとする愚は、原爆投下後に被爆地に入った者が多数いること、投下後にみられた「黒い雨」など放射を帯びた移動物質の存在を指摘するまでもなく明らかだ。また「原因確率表」についても、それによって認定を拒否された被爆者の多くが明らかに原爆症の症状を呈して苦しんでいる実態をみれば、いかに科学性に欠けているかも明らかだ。認定の審査時間は1件あたり平均して5分弱、結局は爆心地からの距離で機械的に判断されているというのが実態だ。これらの基準による認定がいかにでたらめかは、被爆者が起こした一連の裁判で国は一勝六敗と敗退を続けざるを得なかったことが如実に物語っている。
 在外被爆者の問題はどうか。援護法自体は被爆者手帳の交付や原爆症としての認定を拒絶していないが、しかしすべての前提となる被爆者手帳の申請は日本国内において行わなければならないという奇妙な制度運用が行われている。しかし在外被爆者の多くは被曝による健康被害、そのことも影響しての低所得等々を強いられているケースが少なくない。そうした被爆者に、日本まで自費で渡航して手帳を交付してもらい、しかも日本人でさえめったに認めれれる事が無い原爆症認定のための申請を行えというのは、事実上彼らを被爆者援護法の適用から排除することと同じだ。

■すべての被爆者に国家の責任で補償と支援を

 被爆者援護法のこうした現状に対して、いま二つの方向から強い法改正と運用改善の動きが出てきている。
 ひとつは、在外被爆者に対し保障をきちんと行えるように、法改正をしようという動きだ。この動きは、被爆者団体の要求を受けながら、野党各党による議員立法の準備という形で進んでいる。その内容は、おおむね、被爆者援護法が在外被爆者等にも適用されるものであることをより明確に明らかにすること、国外からの被爆者手帳や原爆症の認定をはじめ各種の申請が行えるようにすること、在外被爆者への保健・医療・福祉の事業を立ち上げることなどを含んでいる。
 もう一つは、原爆症の認定基準を改めること。この点については、07年12月17日に厚労省の検討会が、その翌々日の19日には与党プロジェクトチームが、それぞれの見直し案を明らかにした。厚労省の見直し案は、被爆者が廃止を求めてきた「原因確率」を審査基準の柱に据えたもので、被爆者たちの批判と怒りを浴びている。与党プロジェクトチーム案の方は、これまで爆心地から2q以内とされていたものを3・5q以内にいた被爆者へと広げ、原爆投下から100時間以内に爆心地付近に入った被爆者を含めて、がんなど特定の病気を発症した場合は自動的に認定するとしている。またこれに当てはまらない者の場合は、急性症状などを加味して個別審査するという、「二段階方式」となっている。被爆者団体は、この案を「救済の方向に大きくかじを切った」と評価している。

■国家責任を再度明確にさせ、線引き・切り捨てを許ない補償を

 原爆被害者への生活・医療保障などが戦後長く放置され、やっと被爆者援護法が制定されたにも関わらずそれが多くの欠陥や限界を持たざるを得なかった背景には、戦争とその被害に対する国家の責任が問われることなく、曖昧に処理されてきたことがある。
 戦争被害に対する国家の責任が政治的に厳しく問われ、明確にされなければならないのは、何よりもそうした戦争行為を二度と再び繰り返させないためであり、それは国家に対する制裁、ペナルティーの意味も有する。
 しかし国家責任を明確化することの意義は、それだけではない。戦争被害者に対する国家補償を行わせ、生活や医療への支援の制度を設計し、施行する前提としても、国家の責任の明確化は不可欠だ。
 国家の責任を問うことと、一般の国民が負担者となる税から補償と保障の財源をまかなうことは、そぐわない面が無くない。国家が犯した罪の尻ぬぐいを、その被害者である国民が引き受けなければならないことには、しばしば違和感も表明される。この点は、中国残留孤児・婦人、そして薬害被害者への保障などにおいては、政府ばかりでなく国民の一部からも声高に叫ばれた。事実、今回の薬害肝炎への一律救済を拒む政府の主張の中には、納税者の理解、国民の納得を口実とする言動が多く見られた。
 しかし国民・市民は、税による戦争被害者への補償と救済を甘受しなければならないだろう。
 なによりも、戦争被害者への支援に対する税の支出は、国民・市民の側からの戦争被害者に対する連帯・支援の取り組みという側面も持っており、むしろ私たちは進んで国家に対して被爆者への手厚い補償と支援を要求していくべきである。
 また、戦争被害者への償いや保障のための制度は大きな財源を必要とするが、現在の制度の下ではそれをまかなうことが出来るのは政府のみであることからも、国家による税支出は必要なことだ。
 さらに言えば、戦争にしろ、原爆被害にしろ、これらに我々一般国民が何の責任もなかったとは言えない。もちろん最も大きな、決定的な責任は、当時の為政者、大企業や政治家などにあり、彼らに大きな負担を要求することは正当だが、支配層の動きを制動し得なかった責任は国民大衆にもないとは言えないのだ。被爆者への支援が遅れに遅れ、その間に被曝の被害に加えて様々な悲劇と苦悩を発生させてしまった責任の一半を、国民も受け入れるべきだろう。その意味では、納税者の負担をともなう税による財源の捻出は、国民へのペナルティー、啓蒙の意味もあると言えるだろう。
 原爆被害者への国家の責任を再度明確化させよう! 被害者への線引きや切り捨てを許さず、すべての被爆者の救済を行わせよう!         (阿部治正)案内へ戻る


人権なき社会

 2007年11月20日、改正入管難民法が施行され、16歳以上の外国人は入国時に指紋と顔写真を取られるようになりました。テロ対策ということですが、拒むと入国できないだけではなく、下手をするとテロリストの疑いをかけられるかもしれません。人権もプライバシーも、そこにはありません。
 この国の外国人処遇は、昔は煮て食おうと、焼いて食おうと自由≠セと実に明け透けに言われてきましたが、その姿勢は今も変わらないようです。こうした国家による人権なき外国人処遇は、近時の朝鮮民主主義人民共和国敵視政策とも相まって、この国に根深いアジア系の人々に対する差別と排外を公然化させつつあります。例えばそれは、「主権回復を目指す会」の排斥運動となって現れています。
 06年6月23日、栃木県真名子町において在日中国人が警察官に射殺されました。中国人実習生羅成さん(死亡当時38歳)はその時、職場を離脱して新たな働き先を探していたのですが、「見知らぬ外国人がいる」という通報で駆けつけた警察官によって射殺されたのです。警察官に職務質問された羅さんは、ビザの有効期限が切れていたこともあり、中国への強制送還を恐れて逃走しようとしたのですが、その際に「警察官に抵抗した」(栃木県警発表)ということで腹部を撃たれ、搬送先の病院で死亡しました。
 事の顛末は以上のようなものでしたが、羅さんが実習生≠ナあったことを抜きにこの事件を語ることは出来ません。外国人研修生・実習生がこの国の労働現場の最底辺にあることはもはや説明の必要もないと思いますが、羅さんはそこから脱出するためにもがき苦しみ、住民の敵意によって弾かれ、終に官憲によって殺されたのです。
 羅さんの遺族は栃木県に損害賠償を求めて宇都宮地裁に提訴し、警察官に対しても特別公務員暴行陵虐罪で刑事告発しています。例によって、栃木県警は「あくまでも正当防衛。巡査の発砲に問題はなかった」としており、安易で軽率な発砲が招いた重大な事態に対するいかなる反省もありません。
 提訴から10日後の07年9月9日、宇都宮市内で「凶悪シナ人に発砲・射殺した鹿沼警察署警官を激励するデモ行進と街頭署名」が行われています。その様子は次のようなものでした。

「その『主権回復を目指す会』メンバー数十名が、『日本人よ、不逞シナ人の横暴に立ち上がれ!』と大書した横断幕を先頭に掲げて宇都宮市内の繁華街を練り歩いたのである。
『凶悪犯を射殺して何が悪い!』
『シナ人よ、警告する。日本の警察をなめるな』
『凶悪シナ人には断固として発砲する!』‐。
 このような手書きのプラカードを掲げた市民団体≠フメンバーに対し、宇都宮市民の視線はそれほど好意的でなかったようだが(後にメンバーの一人が自らのブログで『沿道の反応が悪かった』と嘆いている)、それでも少なくない若者や主婦、お年寄りが『警官を激励する署名』に応じていたのは事実だ」(「労働情報」07・11・15)

 この市民団体≠ヘ11月27日にも、「在日特権を許すな!」として小平市役所に抗議に押しかけています。これは、在日コリアン無年金者に対し福祉給付金を支給しようとする小平市に約30名ほどで抗議、街頭宣伝を行ったものです。知人からのメールは警戒すべきこの動きを次のように伝えています。

「そもそも年金というものは日本国民であっても25年以上国民年金保険料を払わないと支給されないものである。多くの在日朝鮮・韓国人は祖国に戻るから国民年金に加入しないと自ら選択したにもかかわらず無年金者救済を要求し、国民年金保険料を払わずして血税(住民税)による給付金を掠め取ろうとしており非常に許され難いことだ。これらの要求は総連、民団より発せられたものであるが公明党がこれに一枚噛んでいる事が明らかになっている。抗議活動終了後に小平市議会鴨打喜久男議員(自民党)と市役所で面談、在日朝鮮人の年金不払いの穴埋めに、市民の住民税が投入されることは絶対に許されないと申し入れた。さらに小平市長に、市が行おうとする『救済処置』は年金制度ばかりか、国家の税制をも根底から破壊する暴挙だとする要望書を届けた」

 こうした事実をいかに受け止めるべきか、デマによって劣情を煽るものとはいえ、あまりに酷い。日本の企業によって奴隷労働を強いられているものがなぜ凶悪犯≠ネのか、納税の義務は課されているのに日本国籍がないために無権利に追いやられてきた人々の苦難を知らずに(知っていて意図的にウソを言っているのかもしれないが)何を言っているのか、反論はいくらでも出来ます。
 しかし、それすらも空しく思えるほどです。こんなものが市民権≠得るこの国はいったいどうなっているのか、心寒くなるばかりです。    (晴)


格差社会に立ち向かう“連帯型”賃金 経団連の賃金政策を押し返そう!
――“職種別同一賃金”を考える――


 07年は、“格差社会”化の進行が政治的枠組みを変えるまでに深刻化した年として、記憶されるだろう。あの7月の参院選での与野党逆転をもたらした主たる要因の一つになったと思われるからだ。
 その格差社会化の拡がりで中間層の分解をはじめとして“一億層中流社会”が解体し、新たな階級社会が出現しつつある。労働者を取り巻く環境は様変わりした。
 格差社会、最低賃金、派遣労働等々、労働者の処遇をめぐる攻防戦もまた正念場を迎えている。労働組合も、非正規労働者の処遇の改善と組織化、最低賃金の引き上げなど、新たな課題の解決を迫られ、それらに立ち向かおうとしている。
 08年は、様変わりした労働社会を、自分たちの明るい未来を労働者自身による闘いで切り開いていけるかどうかの正念場になる。
 そうした中、新年度の賃金闘争に関する経営側の指針が出された。毎年12月に出されてきた「経理労働問題委員会報告」だ。ここではそこで言及された“職種別同一賃金”(以下、「職種別賃金」)について考えてみたい。

■職種別賃金への牽制

 「委員会報告」の要旨はおおむね次のような内容だ。
 最初に「経営を取りまく環境の変化」として、グローバル化のさらなる進展とそのなかでの国際競争力の強化の必要性を強調している。
 次に、「日本型雇用の新展開」として、引き続き非正規労働者の活用、および年功型賃金から「仕事・役割・貢献度」に応じた賃金制度への転換を強調し、あわせて新規学卒の一括採用中心から通年・中途採用の推進なども強調している。
 「労使交渉に向けや経営側の基本姿勢」では、いわゆる生産性基準原理の徹底や仕事・役割・貢献度に応じた賃金制度への移行、時間・場所にとらわれない働き方の推進などが強調されている。
 今回の「報告」の特徴は、ホワイトカラー・エグゼンプションという言葉が消え、職種別賃金への批判的な記述が目を引くものになっている。 
 それ以上に注目されたのは“ベア容認”姿勢だ。委員会報告の発表の場で、草刈経営労働政策委員長があえて「ベースアップもあり得る」と発言して関係者を驚かせたという。しかし、あたりまえのはなしだが「報告書」の趣旨は、一貫して企業利益の追求で貫かれている。
 本来はこうした経団連の見解への全面的な批判も欠かせない。が、今回は報告でも特に言及された“職種別賃金”への批判的見解についてのみ取り上げる。それが格差社会、階級社会に風穴を開ける労働者独自の対抗策にも通ずるからだ。
 「報告」では“職種別賃金”について、労働市場の流動化・産業構造の高度化に逆行するものだ、と批判している。要は、企業ごとに生産性に違いがあり、地域や季節で労働力の需給も異なる、それに労働市場が職種別に分断されると、勤労意欲も減退して企業の競争力も落ちる、というわけだ。
 こうした“批判”は、要は賃金を企業の都合の良いように決めたい、という経営者の本音を言っているに過ぎず、当然、私たち労働者の階級としての利益とは真っ向から衝突するものだ。

■批判は警戒感の表れ

 報告書から昨年「残業代ゼロ法案」と集中砲火を浴びたホワイトカラーエグゼンプションという言葉が消えたことや、委員長発言であえてベア容認とも受け取れる発言が飛び出したことは、政治状況の様変わりも影響している。昨年7月の参院選で与野党逆転という事態が生じたからだ。背景には、それだけ格差社会が社会問題化し、低すぎる最低賃金など経営側の身勝手な態度への社会の視線が厳しくなったことが影響している。
 それでも報告は企業利益の追求姿勢に終始している。が、その中であえて言及した職種別賃金論への批判的見解は、この種の攻防戦に経団連が警戒感を持っていることの反映でもある。
 経団連の念頭にあるのは、最近の電機連合による職種別賃金要求、あるいは様々な非正規労働者自身による“同一労働=同一賃金”、あるいはその別称でもある“職種別賃金”の要求だ。経団連は戦後混乱期から立ち直った直後から、そうした賃金体系を徹底的に排撃し、企業が労働者個々人を管理できるような賃金体系に変えてきた。
 今回の委員会報告で従来の成果給賃金への切り替え姿勢を踏襲した上であえて職種別賃金への批判的な姿勢を強く打ち出したのは、職種別賃金が持つ経営への脅威に敏感に反応したからに他ならない。こうした経団連の賃金論に対しては、職種別賃金の実現をめざす立場から、あらゆる場面で反撃していく必要がある。
 ついでにいえば、経団連の毎年の賃金闘争についていえば、近年はオイルショック以降の賃金抑制政策を引き継ぐもので、要は生産性基準原理と支払能力論が骨格となっている。
 生産性基準原理というのは、労働者の賃上げは生産性の上昇率以内に抑えるという経営側としての基本原理を表すマクロ原理だ。それに対して支払能力論というのは、現実の賃上げは個々の企業の支払能力によるといういわばミクロ原理で、賃上げについてはこの二つの原則で判断する、という経営側の基本的なスタンスとなってきた。
 賃金体系については長い歴史があるが、これらは徹底的に経営側の論理が貫かれた賃金論だ。そうした賃金論では、賃金は企業の利潤に従属したもの、すなわち企業が利潤を上げればその一部を労働者の賃金にまわし、場合によれば企業が赤字なれば賃金を減らすこともできる、という、何とも企業には都合が良すぎる賃金論だ。

■移り変わりる賃金体系

 今回の報告書では当然ながら、賃金体系や毎年の賃上げに対するこうした経営側の態度が引き続き貫かれている。
 これまでの日本の中心的な賃金体系をざっと振り返れば、戦後混乱期のあとに生活給を基本とした“電産型賃金”が出発点となり、それ以降、職務給――職能給――成果給と変遷してきたが、これらは実質的には年功型賃金を大きく崩すものではなかったのが実情だった。いわば職能給などを“年功的運用”してきたからだ。こうした年功的賃金体系は、終身雇用、企業内組合と相俟って、日本的労使関係を形成してきた基本的な要素だった。
 ところがグローバル化の進展と平成不況の中、経営側はこうした日本的労使関係を維持することができなくなって終身雇用や年功賃金の実質的な再編・解体に乗り出した。その転機になったのが95年に日経連(現在の経団連)が打ち出した「新時代の『日本的経営』」だった。周知のようにそこでは「長期蓄積能力活用型グループ」「専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」という三類型への労働者の類型化が打ち出され、90年代後半以降の非正規労働者化への道を開く転機となった。さらには02年には当時の日経連労使関係特別委員会報告で「成果主義時代の賃金システムのあり方――多立型賃金体系に向けて」を打ち出してそれを補強し、年功型賃金の実質的縮小を強行してきた。
 なぜ経団連は職種別賃金の拡大を恐れるのか。それは職種別賃金が労働者の個別管理を困難にし、ひいては労働者の集団的な闘争を呼び込むことで、結果的に経営側の労働者支配の基盤を弱体化させ、やがては賃上げにも結びつく可能性を持っているからだ。
 以下、職種別賃金の意義とその実現可能性を考えてみたい。

■意格差社会の克服へ“アリの一穴”

 この数年、格差社会をめぐる議論は活発だ。その多くは格差社会の様々な断面をえぐることやその意味については様々に語っている。が、処方箋としては労働者の利益に即した道筋での問題提起はさほど多くはなかった。
 職種別賃金を実現する闘いは、格差社会に風穴を開ける有力な武器になり得る。
 現行の企業別賃金は、経団連が固持する生産性基準原理と支払能力論と相俟って、結局は個々の企業の利益に従属したものにならざるを得ない。となれば労働者としては賃上げ闘争に突き進むより、企業利益を増やし、その結果を賃金に反映したほうが手っ取り早い。現に、石油ショック以降、“春闘の終焉”が言われるように個別管理の強化によって賃上げ闘争の形骸化・無力化がしだいに深まってしまった。
 振り返ってみれば、たしかに60年前後に至る賃金体系をめぐる攻防戦は、その直前に始まった経済復興とそれに引き続く高度経済成長を背景として、経営側の思惑どうりで決着した。同時にそうした事態は企業への労働者の統合を強め、経営側主導による日本的労使関係の形成につながった。
 とはいえ、いま、格差社会の深まりは同時にそれを解決する条件をもつくりだしている。
 たとえば最低賃金の引き上げという課題もそうだ。現行の最低賃金制度の水準は、制度が発足した当初からあまりに低い水準に止まっていた。しかし当初は人手不足もあって実際にはパートやアルバイトの賃金も最低賃金よりかなり高く、そうした人でさえ最低賃金制度への関心は低かった。が、いま状況は様変わりし、パート・アルバイトの賃金が長期間にわたって低迷していたため、最低賃金のレベルにへばりついてしまった。その結果、最低賃金の引き上げという課題は、膨大な数に膨れあがったパート・アルバイトをはじめとする非正規労働者にとって、切実で現実的な課題に浮上する事態になった。だから最低賃金の引き上げと個々の職場での賃金引き上げの闘いは連動するものになり、しかも多くの労働者の共通の課題となることで連帯した闘いも可能になった。
 またこれも深刻な事態になっている介護ヘルパーの処遇改善の闘いも同じだ。いま介護報酬基準の引き下げという制度改悪によって、介護ヘルパーの賃金はただでさえ仕事に見合わないほどの低水準からさらに切り込まれ、仕事を辞めざるを得ない人が続出しているという深刻な事態にある。介護ヘルパーの賃金は介護保険制度の枠組みのなかでの報酬基準という制度と不可分の関係にあり、それは制度改正の闘いでもある。それに介護ヘルパーの賃金水準は全国どこでも、あるいは介護業者間での格差も小さく、介護業者への賃金引き上げの要求は、個々の企業の壁を越えて直接的に全介護労働者共通の要求にもなっている。それだけ連帯した闘いが現実的なものとして浮上しているのだ。
 しかも介護の職場では正規のヘルパーと非正規のヘルパーの賃金の格差もそれほど大きくなく、ここでは正規労働者と非正規労働者の連帯した闘いが現実に可能であり、それだけ大きな力を発揮できるケースでもある。
 さらにこうしたことはいま爆発的に膨れあがっている派遣労働者についてもいえる。派遣労働者も現実には個々の派遣業者のもとで働いて賃金を得ているとはいえ、何の法的保護も受けられなかった結果でもあるが、賃金単価は全国、あるいは従事する業種の違いにもかかわらずほぼ同水準にある。しかも派遣労働者は、個々の企業への従属、帰属関係は薄く、企業の壁を越えた連帯や闘いのハードルは永らく年功賃金でやってきた正規労働者より遙かに低い。それだけ企業の壁を越えた連帯や闘いの可能性が大きいといえる。
 着目すべきは、この間もたらされた非正規労働者の増大と、そこでの企業を超えた労働者の連帯の可能性の拡大だ。現に非正規化と格差社会の進行に待ったをかけるかのように、非正規労働者自身による反撃が始まっている。しかも格差社会の新たな事態は、たとえば介護労働者や製造業への派遣労働者のように、個々の企業に縛られない労働者を大量に生みだしている。そうした人たちによる企業横断的な、あるいは雇用形態に即した反撃こそ、格差社会に風穴を開ける“アリの一穴”になり得る。
 職種別賃金は、そうした企業を超えた労働者の反撃の基礎的な闘いの課題として取り上げられるべきであり、現にそうした動きは拡がりつつある。
 職種別同一賃金の実現をめざす闘いを推し進め、08年を新たな反撃の開始の年としたい。(廣)案内へ戻る


《職種別同一賃金》

○いうまでもなく“職種別賃金”というのは、労働者の賃金が企業ごとに異なる、いわば“企業別賃金”と対極をなす賃金のことで、言葉の意味としては“同一労働=同一賃金”と同じだ。
○日本の労働者の賃金といえば、成長産業の大企業を頂点として、その子会社・孫会社・下請け・取引会社に連なるピラミッド状に序列付けられた賃金構造が特徴だった。そこでは個々の企業は職能給や成果給的システムを採用しながらも、目の前にニンジンをぶら下げるようなやり方とセットではあったが、実質的には年齢によって賃金が上がるいわゆる“年功的運用・処遇”が多かった。いわば“企業別賃金”であり、この賃金体系の上で個々の労働者は企業ごとに連帯関係を分断されてきたといえる。
○職種別賃金とは、そうした企業ごとに異なる、あるいは年功によって序列付けられた賃金を、同じ職種であれば大企業であれ中小企業であれ、親企業や下請け企業であれ、あるいは景気の良い企業でも悪い企業でも同じ賃金を受け取れる、という賃金体系のことだ。いわば労働者が企業の壁を越えて連帯できる“連帯型賃金”という性格のものだ。
○こうした賃金形態をめぐる労使の攻防は、すでに1960年代前半には一旦は決着がつけられたものだった。当時の結果は経営側の完全制圧で、それ以降は経営による労働者の個別管理が強化され、賃金体系については労働側は手も足も出ない状況が続いた。それが新たな格差社会という状況のなか、姿形を替えて再度労使の攻防線上に浮上しつつある、というのが事の真相だ。(廣)


ドル覇権の崩壊の序曲の開始――サブプライム問題とゴールドマンサックス

サブプライム問題とゴールドマンサックスの一人勝ち

 0七年十二月二十一日、ゴールドマン・サックスの取締役会は、ロイド・ブランクファイン最高経営責任者に対して、0七年のボーナスに約七十七億円(現金二千六百八十万ドルを含む総額六千七百九十万ドル)を支払うことを承認したとの報道があった。
 この余りにも高額なボーナスの支給が決定された理由は、ゴールドマン・サックスが、競合する他の金融会社がサブプライムローン(信用度の低い借り手向け住宅融資)の問題に絡んで多額の損失を計上するのを尻目に、0七年度通期決算において過去最高益を達成したことに関係ある。メリルリンチ・モルガン・スタンレーなどの四大証券も負け越した。
 積年のライバル・シティバンクの打撃も深刻だ。0七年七〜九月期決算では、サブプライム関連の損失を約七千五百億円(約六十五億ドル)計上した。さらにこの十一月は、最大約一兆二千六百億円(約百十億ドル)もの追加損失が発生する見通しであることを発表しており、損失は合わせて二兆円規模に達する見込みだ。十二月の決算は不明ではあるが損失の拡大は必至である。こうした状況を受けてシティの株価は、急落して、十月初旬まで四十ドル台後半で推移していたものが三十ドル台半ばごろまで下げてしまった。
 今金融市場では、「シティの株価が低迷から抜け出すには時間がかかるだろう。というのも、シティのサブプライム関連の損失は、現時点で二兆円規模と見込まれているが、米国の金融関係者の間には『実際はその五〜十倍、十兆〜二十兆円はあるのではないか』とみる向きもある。最終的な損失額はいくらなのか。そのあたりがクリアにならなければ、シティへの不安は払拭されない」「どんな手を打つのか」と公然とささやかれている。
 十一月五日前後に御歳九十二歳のロックフェラー財閥のデビッド・ロックフェラー氏が突如来日した。この事もシティの窮状を告げるものだとの背景の一つに挙げられている。表向きは、十月に著書『ロックフェラー回顧録』を出版したことを受けての来日とされるが、額面通りに受け取る金融関係者は誰一人いない。
 「万が一、シティがサブプライム問題で重大なダメージを被るようなことになれば、信用崩壊から世界恐慌に発展する恐れすらある。最悪の事態を回避するため、米国側が日本にシティ支援を求めることは十分ありえる話だ」「シティはロックフェラーとつながりがあるとされている。来日の目的は、シティ支援の感触を確かめることだったのではないかとみる金融関係者は多い」とは、関係者の推測である。
 この十一月五日、くしくもロックフェラー氏の来日中に、シティのチャールズ・プリンス会長兼最高経営責任者が巨額損失の責任をとって辞任して、後任の会長には、シティグループの経営委員会会長を務めるロバート・ルービン元財務長官が就いた。「元財務長官のもとで経営を立て直すということは、シティの事実上の“国有化”ともとれる。それほど、シティはダメージを受けているということなのだろう」とは、在米金融機関幹部の弁である。

一人勝ちゴールドマンサックスの「空売り」疑惑等の急浮上

 十二月二日、ニューヨーク・タイムズが、ゴールドマンの巨額利益について、サブプライムで「空売り」疑惑があるとの報道を行った。同紙は、二日付コラムで、証券大手ゴールドマンサックスが住宅バブル崩壊を予測した社内リポートを元に、過去二年半にわたりサブプライムローンを組み込んだ「住宅ローン担保債務証書(CMO)」を大量に空売りし、「危険な金融商品を世界経済の血流に注射した」と批判したのだ。
 さらに十二月十四日、ウォールストリート・ジャーナル(電子版)がサブプライム住宅ローンの焦げ付き問題について、大手金融機関が相次いで巨額の損失を出す中で、米証券大手ゴールドマン・サックスは、同ローン関連の資産担保証券の急落を見込んだ「逆張り」投資で、一年間で約四千五百億円(四十億ドル)近い巨額利益を上げており、ゴールドマンサックスが、近く発表する決算で約一兆二千六百億円(百十億ドル)以上の過去最高益を発表する見通しだという。しかし同紙は、ゴールドマンが相場下落を予測しながら同証券の販売を続けたため、結果的に顧客が多額の損失を被ったとして、同社の顧客の信頼を公然と裏切る営業姿勢に強い批判を明らかにした。
 こうした一連の疑惑に関連して、アメリカ議会でも、ポールソン財務長官がサブプライム危機予測があったのにもかかわらず、何もせずに「放置」してきたとの疑惑の追及が始まったのである。
 すでに周知のようにポールソン財務長官は、一九九九年から0六年六月まで同社の会長兼最高経営責任者を務めていた。当然の事ながらその頃大量のサブプライム関連証券を販売したことも問題視されている。こうした責任追及の動きが拡大すれば、長官が主導するブッシュ政権の包括的なサブプライム対策にも影響が及ぶ可能性がある。
 十二月四日、ドット民主党・上院銀行住宅都市委員長は、この問題を「深く憂慮している」との声明を発表して、長官に事実関係を説明するよう要求するとともに、応じなければ正式な調査に乗り出すと警告した。同委員長は、長官が早い時期から危機を予測し今年初めにサブプライム問題が表面化したにもかかわらず、数カ月にわたり問題を放置してきた点を重大視した。同時に同委員長は、同社が自らはサブプライムローンを組み込んだ「住宅ローン担保債務証書(CMO)」の空売りで利益を上げる一方、投資家にCMO購入を勧めていた点についても釈明も求めるとみられている。
 こうして、サブプライム問題は、来年の大統領選挙の焦点の一つに浮上した。ドット委員長も民主党の大統領候補指名をめざしており、一過性で終わる気配は見せていない。

ブッシュ政権とゴールドマンサックスとのただならぬ関係

 ここまで記事を読んでくるとブッシュ政権とゴールドマンサックスとの関係についての疑問が読者に生じる。誰が考えても当然の展開だ。
 このように、実際の所、ゴールドマンサックスの関係者でブッシュ政権の閣僚や政府の要職についた人物の数は、他の民間企業を比べると圧倒的に多い。
 ブッシュ政権の初代の財務長官は、オニールだったが、ほとんど政局に影響力を持つことなく、0二年に減税政策を巡る閣内の対立で解任された。彼は、辞任後、著作のなかで、カール・ローブなどホワイトハウス内のブッシュ側近が、政策決定に大きな影響力を行使したと状況を説明した。オニールを継いだ産業界出身のジョン・スノーも影が薄く幾度も解任の噂が流れたものの、0四年の大統領選挙でブッシュ再選のために献身的に選挙運動を行なった功績が認められ、第二次ブッシュ政権でも財務長官の座についた。しかし、その役割とはホワイトハウスの決めた減税政策を売り込む「セールスマン」でしかなく、二代にわたった「無能な財務長官」により財務省の政府内での地位の低下には、目覆おうばかりであった。
 ポールソンが財務長官に就任することで、財務省が政策決定過程で影響力を回復するとの期待は、クリントン政権で国家経済会議の議長を務めた後、財務長官に就任したロバート・ルービンと姿が重なるからだ。ルービン自身もクリントン政権に参画する前はゴールドマンサックスの共同会長で、ローレンス・サマーズ副長官(元ハーバード大学教授で、世界銀行副総裁を務めたあと、クリントン政権に参画)のコンビで財務省は極めて大きな影響力を確立した事実がある。
 またポールソンが財務長官に選ばれた理由のひとつに、中国との密接な関係がある。スノー財務長官の人民元についての姿勢は弱腰だったのに対してポールソンは、九0年以降、実に七十回以上も訪中し、中国を良く理解し、独自の中国ネットワークを持ち、渾名も「チャイニーズ・ポールソン」とまで言われ、清華大学講師も勤めている中国通である。
 ゴールドマンサックスの政治的立場を政治献金から見てみよう。0四年の大統領選挙でブッシュ大統領に対する企業献金を見ると、一位がモルガンスタンレー、二位がメリルリンチ、三位が会計会社のプライスウォーターハウスクーパー、四位がUBSアメリカンズ、五位がゴールドマン・サックスである。他方、ケリー候補への企業献金では、一位がカリフォルニア大学、二位がハーバード大学、三位がタイム・ワーナー、四位がゴールドマンサックス、五位がシティグループである。これから確認できるのは、ブッシュ大統領の大口企業献金でウォール街の投資銀行が上位を占めていること、またゴールドマンサックスが両建ての大口献金企業として登場していることだ。
 ゴールドマンサックスと代々の政府との関係は密接そのもので、同社出身者の多くが政府の要職に就き、レーガン政権のジョン・ホワイトヘッド副国務長官、ロバート・ホーマッツ国務次官補、クリントン政権のルービン財務長官は、いずれもゴールドマンサックス出身者である。現在のブッシュ政権の要職にも、ゴールドマンサックスの出身者がいる。ブッシュ大統領の古くからの友人だったジョー・カード大統領首席補佐官の辞任を受けて行政予算管理局長から首席補佐官に昇格したジョシュア・ボルテンも、ロンドンのゴールドマンサックスの法務政府担当責任者で首席補佐官に就任した二人目のユダヤ人だ。首席補佐官に就任した最初のユダヤ人はレーガン政権のケン・デューバースタインです。ボルテンは、ユダヤ人であることを誇りにしており、最初の閣議に出席した際にお祈りをするように求められたとき、英語とヘブライ語でお祈りをした。彼が首席補佐官に就任したことで、アメリカの中東政策がイスラエルよりになったといわれている。
 さらに前米通商代表部代表で、副国務長官のロバート・ゼーリックも、一時期、ゴールドマンサックスのシニア・インターナショナル・アドバイザーであり、スノー長官の後を継いで財務長官になることを希望していたが、ポールソンが次期財務長官に指名されたことで、国務副長官を辞任する決意をしたとささやかれている。
 また、ルービンとゴールドマンサックスの共同会長であったジョセフ・フリードマンは、ブッシュ政権で国家経済会議の議長とブッシュ大統領の経済顧問であった。彼は、政府の職を辞したあとゴールドマンサックスに戻り、現在は、同社の取締役をしている。閣僚ではないが、連邦住宅抵当公社総裁だったジェームズ・ジョンソンもゴールドマンサックス出身で現在、フリードマンと同様に同社の取締役で、輸出入銀行総裁のケネス・ブローディも、ゴールドマンサックス出身である。
 先に紹介したが、ルービンは民主党のクリントン政権の財務長官に就任し、ポールソンは共和党のブッシュ政権の財務長官に就任するなど、ゴールドマンサックスが民主党と共和党の両党と同じような関係を維持している。
 ゴールドマンサックスは、前回ブッシュとケリーの両候補に献金した。同社はアメリカ資本主義を代表する企業だが、政治的には両党に等しく肩入れしており、オーナーはジョン・ロックフェラー民主党上院議員その人である事を片時も忘れるべきではない。
 この節については、最新刊板垣英憲氏の『ロックフェラーに翻弄される日本』(サンガ親書)を活用させていただいた。記して感謝したい。

シティグループの大赤字はゴールドマンサックスの仕掛けが原因

 十一月二日、米国最大の銀行・シティグループのプリンス会長兼最高経営責任者は、サブプライム住宅ローン関連で損失が急拡大している責任を取り、辞任した。サブプライム問題に関しては大手証券メリルリンチの会長兼最高経営責任者・元財務長官オニール氏も十月三十日に引責辞任していた。たった一週間で大金融機関のトップが二人も辞職する異例の事態となり、米国の金融システムや景気への影響は深刻さが浮き彫りとなった。プリンス氏の後任には、シティグループの経営委員会会長で竹中平蔵氏の上司と目されるルービン元財務長官に決定した。ここにもブッシュ政権と金融機関との癒着が見て取れる。
 今回サブプライム問題でついに発生した信用収縮とゴールドマンサックスの「空売り」とポールソン財務長官の果たした役割をつぶさに観察すれば、アメリカ国内にとんでもないことが起こりつつあることが誰にでも確認できるだろう。
 それは何かといえば、ついにジェイとデビットとの、つまりブッシュ政権内での主客の転倒に対応して、ロックフェラー財閥内での内訌が始まったとの見方が真実である。
 シティグループとゴールドマンサックスとのサブプライムローンでの明暗の差については、私たちは以下の事実を踏まえる必要がある。
 十一月十七日、ゴールドマン・サックスの銀行セクター担当株式アナリストが、シティグループの株式を、今までの「中立」から「売り」推奨に変更し、米国の株式市場は値を下げた。その余波を受け、日本の株式市場も何日か株価を下げた。
 この日、ゴールドマンのアナリストが、シティグループの株式を「売り」にした理由は、サブプライムローンが原因で、シティがさらに巨額の損失を出す可能性があるとの判断からである。ただでさえサブプライムローン問題に疑心暗鬼の投資家や市場に対して、動揺を引き起こすに足る十分な内容である。
 この「売り」指示がなされた対象会社は、ロックフェラー財閥の主流で米国の代表的銀行でもあるシティグループであった。しかも売り推奨をしているのが、同じくロックフェラー財閥傍系の天下のゴールドマン・サックスのアナリストだというのである。
 これでは、株式市場に何の影響が出ない方が不思議なくらいだ。
 しかも注目しなければならないのは、今回のゴールドマンのアナリストが、アナリストレポートで予測したシティのターゲット株価は三十三ドルだったことだ。このレポートが発表される前営業日(十一月十六日)のシティグループの株価は三十四ドル近辺で、その差はたったの一ドル程度だった。
 シティの株価が「中立」から「売り」推奨になったと経済・金融ニュースで聞くと、「それはまずい! 今すぐ売らねば!」と投資家の誰しも考えるだろうが、ターゲット価格と実際の株価とでは、たったの一ドルしか違っていなかった。まさに作り出された群集心理がここにはあったといわざるをえない。通常、株式アナリストは、投資家に対して「買い」「中立」「売り」のどれかの推奨をするが、実際には、多くの推奨は、買いまたは中立で、売り推奨は数が少ないのである。
 なぜなら、証券会社の株式アナリストがある企業に対して売り推奨をすれば、当然企業は怒ってその証券会社とのビジネスを打ち切ってしまう。証券会社は顧客を失うのである。したがって株式アナリストによる売り推奨は、そもそも企業からの仕事をあまりもらえないような二流以下の証券会社や投資銀行が行うケースが多い。一流の証券会社のアナリストの場合、「売り推奨をするぐらいならば、当該株式に対する推奨をそもそもやらない」からである。
 こうした株式知識を踏まえれば、超一流の銘柄に対して、同じく超一流の証券会社が売り推奨を行う例はほとんどないが、今回ゴールドマンがシティに対して出した売り推奨はまさにこの例であった。しかし、よくよく考えれば、ゴールドマンとシティは、同じロックフェラー財閥糸とはいっても周知のように完全な競合にあるのだから、ゴールドマンがシティを売り推奨にしたところで、別に何の不思議もない。

サブプライム問題の今後と中国との関係

 十二月十八日、米下院本会議は、サブプライムローン対策の一環として、差し押さえや借り換えに伴う債務減免分への課税を免除する法案を可決した。上院も同様の法案を可決したが、その内容が異なるため、両院協議会での調整が必要になるとのこと。ブッシュ政権はサブプライムローンについての対策の法的救済策の整備に「一見」必至のようだ。
しかし、十二月二十一日、シティグループ、バンク・オブ・アメリカ、JPモルガン・チェースの米大手銀行三行は、当初サブプライムローンの焦げ付き問題への対策として計画していた基金の創設を見送ると発表する。基金は、金融機関の傘下にある投資目的会社から、損失が出たサブプライム関連の証券化商品を買い取ることを目的に計画されていた。
 この基金創設は米財務省の主導で今年九月から検討されてきたが、国内外の金融機関に拠出を求めていた資金が思うように集まらず、大手銀の間に自力で損失を処理する動きが広がったこともあり、計画を断念した。これはブッシュ政権の手痛い「失敗」である。
 左記三行は、総額約五兆七千億円(五千億ドル)の基金創設をめざして、日本も含む世界十数か国・地域の金融機関に一律約五千七百億円(五十億ドル)の資金拠出を求めていた。しかし、拠出金に損失が出る可能性があることなどから、資金集めが難航した。三井住友フィナンシャルグループなど日本の三メガバンクも、協力を見送る方針を決めていた。
 ブッシュ政権は、こうしてサブプライムローンという暗礁に乗り上げ、進退窮まったかに見える。しかし、その内実はどうなのか。私たちはすでにロックフェラー財閥における主客転倒の事実を知っている。すでにブッシュ政権はジョイが動かしているのである。
 先にシティとゴールドマンサックスの争いを見てきた。このゴールドマンサックスが台頭する中国の後ろにいる。彼らは中国への外資導入のアドバイザーの位置にいるのである。
 すでに0三年、ヴィクター・ソーンの『ザ・ニュー・ワールド・オーダー・エクスポーズド』において、ゴードン・トーマスの『火種――中国そしてアメリカへの攻撃の裏事情』が紹介されていた。この本の内容は驚くべきものである。
 0六年、ソーンの本は、『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた』と核心をつく意訳された表題で、翻訳・出版された。その十二頁に、ゴードン・トーマスの著書にふれて、「この本は危険だ。なぜなら昨年アメリカで出版されたほかのどんな本よりも、アメリカの権力者が進めている密かな謀略を暴いているからだ。その謀略とは、『アメリカを意図的に衰退させ、中国を次の超大国にする』というものである」と書いてある。
 今回のシティへのゴールドマンサックスの仕掛け方が、今後中国がドル覇権を崩壊させる仕掛け方の先蹤となることは、想像するに難くない。今、サブプライムローンからアメリカ国債への資金の流れが作り出されているが、この動きも想定内のことである。ここ数年のうちに、中国によるアメリカ国債の売り崩しの攻撃が必ず仕掛けられるであろう。
 もう一つの傍証はポールソンしの出処進退だ。ポールソン財務長官は、年収約四十四億八千万円(四千万ドル)のゴールドマンサックスの会長兼最高経営責任者の地位を投げ打って、たった年収二千万円(十八万ドル)の現職に甘んじている。そればかりではない。そのために彼は保有していたゴールドマンサックスの株式三百二十三万株を手放し、時価総額で約四億八千六百万ドルを手に入れた。日本円に換算すれば、ゆうに五百億円を超える金額である。私たちにはまさに想像を絶する天文学的数字といってもよい。
 ここまでして、彼が財務長官になった目的は何だったのだろうか。功成り名を遂げた後の純粋な社会奉仕か。はたまた歴史を動かす当事者になろうとのギラギラした野望か。
 私の考えはあえて述べなくてもすでに明らかだろう。さて、読者諸賢はこの問題をどのように考えるのだろうか。お考えを聞きたいところではある。   (直記彬)案内へ戻る


DVDで映画鑑賞・小林多喜二『蟹工船』

 蟹工船の労働の過酷さは映画を見れば明らかであるが、なぜこうしたことが許されていたのかについては、現代では前提知識が不可欠である。したがって、蟹工船での労働が如何に過酷なものであるかとともに如何に当局からも目こぼしされていたかの理由を、小林多喜二によって端的に書かれている原作から引用する。

 蟹工船はどれもボロ船だった。労働者が北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいい事だった。資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まり、金利が下がって、金がダブついてくると、「文字通り」どんな事でもするし、どんな所へでも、死物狂いで血路を求め出してくる。そこへもってきて、船一艘でマンマと何拾万円が手に入る蟹工船、――彼等の夢中になるのは無理がない。
 蟹工船は「工船」(工場船)であって、「航船」ではない。だから航海法は適用されなかった。二十年の間も繋ぎッ放しになって、沈没させることしかどうにもならないヨロヨロな「梅毒患者」のような船が、恥かしげもなく、上べだけの濃化粧をほどこされて、函館へ廻ってきた。日露戦争で、「名誉にも」ビッコにされ、魚のハラワタのように放って置かれた病院船や運送船が、幽霊よりも影のうすい姿を現わした。――少し蒸気を強くすると、パイプが破れて、吹いた。露国の監視船に追われて、スピードをかけると、(そんな時は何度もあった)船のどの部分もメリメリ鳴って、今にもその一つ、一つがバラバラに解ぐれそうだった。中風患者のように身体をふるわした。
 然し、それでも全くかまわない。何故なら、日本帝国のためどんなものでも立ち上るべき「秋」だったから。――それに、蟹工船は純然たる「工場」だった。然し工場法の適用もうけていない。それで、これ位都合のいい、勝手に出来るところはなかった。
 
 また、プロレタリア文学の『蟹工船』は、引き締まった文体でつづられている。
 小林多喜二の作品の書き出しの最初の数行を引用してみよう。

 「おい地獄さ行ぐんだで!」
 二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹をすれずれに落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。

 この文体に比べれば、DVDの『蟹工船』の山村聡監督・脚本のせりふは、原作を豊かにふくらませたものになっており、乗船までの様々な人生を背負った登場人物が出てくる。
 映画『蟹工船』では、港を一瞥した後、因業な人買い業者とその手代とのあこぎな会話から始まる。女郎屋からの朝帰りの足で乗船するその日暮らしの労働者もいる。実に悲惨としか形容しがたい人々の群れ。その中に描かれる個々の家族の情愛の数々。山村聡自身も、妻殺しの犯罪者でありながら、偽名を使って乗船した季節労働者として登場する。
 警察からの問い合わせを訳知り顔の工場長が乗船の事実がないと否定したことを種に、彼に仲間内での不穏な動きを教えろと指示し、彼も「スパイ」になれというのかと応ずる。
 こうした取引が成り立った中で、蟹工船での過酷な労働と不潔な労働環境の中で、雑夫と蔑称される彼らと博光丸の監督・浅川との強圧的な労働現場支配との闘い・小競り合い・爆発が描かれる。この鬼気迫る様々な演技の中で、若い頃の森川信や花沢徳衛の脇役の演技と森雅之の演技が光る。小林多喜二が丹念に収集した事実の重さでリアリティがある。
 数ヶ月のオホーツク海での厳しい現地ロケの敢行と名人芸と形容しかいえないカメラマン・宮島義勇氏のカメラワークがオホーツクの波濤をとらえこの名画を支えている。彼の技は本物だ。実際にこの作品は、第八回毎日映画コンクールで撮影賞を獲得した。
 映画の最後では、原作と異なって、蟹工船のストライキ首謀者はほとんどが銃殺されてしまうが、この重大な場面での「同じ日本人がなぜ」とのせりふは、明らかに原作より見劣りがするものになった。山村聡が一体なぜこのせりふに換えたのかについて、今では理由は一切分からない。しかし、何とも残念であるので、ここでは原作を紹介しておく。

 ハッチの入口で、見張りをしていた漁夫が、駆逐艦がやってきたのを見た。――周章てて「糞壺」に馳け込んだ。
「しまったッ」学生の一人がバネのようにはね上った。見る見る顔の色が変った。
「勘違いするなよ」吃りが笑い出した。「この、俺達の状態や立場、それに要求などを、士官達に詳しく説明して援助をうけたら、かえってこのストライキは有利に解決がつく。分りきったことだ」
 外のものも、「それアそうだ」と同意した。
「我帝国の軍艦だ。俺達国民の味方だろう」
「いや、いや……」学生は手を振った。余程のショックを受けたらしく、唇を震わせている。言葉が吃った。
「国民の味方だって? ……いやいや……」
「馬鹿な! ――国民の味方でない帝国の軍艦、そんな理窟なんてある筈があるか」
「駆逐艦が来た!」「駆逐艦が来た!」という興奮が学生の言葉を無理矢理にもみ潰してしまった。
 皆はドヤドヤと「糞壺」から甲板にかけ上った。そして声を揃えていきなり、「帝国軍艦万歳」を叫んだ。
 タラップの昇降口には、顔と手にホータイをした監督や船長と向い合って、吃り、芝浦、威張んな、学生、水、火夫等が立った。薄暗いので、ハッキリ分らなかったが、駆逐艦からは三艘汽艇が出た。それが横付けになった。一五、六人の水兵が一杯つまっていた。それが一度にタラップを上ってきた。
 呀ッ! 着剣をしているではないか! そして帽子の顎紐をかけている!
「しまった!」そう心の中で叫んだのは、吃りだった。
 次の汽艇からも十五、六人。その次の汽艇からも、やっぱり銃の先きに、着剣した、顎紐をかけた水兵! それ等は海賊船にでも躍り込むように、ドカドカッと上ってくると、漁夫や水、火夫を取り囲んでしまった。
「しまった! 畜生やりゃがったな!」
 芝浦も、水、火夫の代表も初めて叫んだ。
「ざま、見やがれ!」――監督だった。ストライキになってからの、監督の不思議な態度が初めて分った。だが、遅かった。
「有無」を云わせない。「不届者」「不忠者」「露助の真似する売国奴」そう罵倒されて、代表の九人が銃剣を擬されたまま、駆逐艦に護送されてしまった。それは皆がワケが分らず、ぼんやり見とれている、その短い間だった。全く、有無を云わせなかった。――一枚の新聞紙が燃えてしまうのを見ているより、他愛なかった。
 ――簡単に「片付いてしまった」
「俺達には、俺達しか、味方が無えんだな。始めて分った」
「帝国軍艦だなんて、大きな事を云ったって大金持の手先でねえか、国民の味方? おかしいや、糞喰らえだ!」
 水兵達は万一を考えて、三日船にいた。その間中、上官連は、毎晩サロンで、監督達と一緒に酔払っていた。――「そんなものさ」
 いくら漁夫達でも、今度という今度こそ、「誰が敵」であるか、そしてそれ等が(全く意外にも!)どういう風に、お互が繋がり合っているか、ということが身をもって知らされた。
 毎年の例で、漁期が終りそうになると、蟹罐詰の「献上品」を作ることになっていた。然し「乱暴にも」何時でも、別に斎戒沐浴して作るわけでもなかった。その度に、漁夫達は監督をひどい事をするものだ、と思って来た。――だが、今度は異ってしまっていた。
「俺達の本当の血と肉を搾り上げて作るものだ。フン、さぞうめえこったろ。食ってしまってから、腹痛でも起さねばいいさ」
 皆そんな気持で作った。
「石ころでも入れておけ! かまうもんか!」
「俺達には、俺達しか味方が無えんだ」
 それは今では、皆の心の底の方へ、底の方へ、と深く入り込んで行った。――「今に見ろ!」

 ワーキングプアだのプロレカリットだのと呼ばれ、若年労働者を取り巻く現在の情勢は、悲惨そのものだ。グッドウィルなどの労働者派遣業は犯罪行為を行っているのである。
 韓国でも二種類の翻訳があるように、グローバリゼーションの展開によって、『蟹工船』は、今や世界文学の内実をもつに至った。ますます読者を獲得するのは間違いない。
 蟹工船の最後の数行には、「俺達には、俺達しか味方が無えんだ」それは今では、皆の心の底の方へ、底の方へ、と深く入り込んで行った。――「今に見ろ!」とある。
 こうした中で蟹工船の作品が、再注目される時代が到来した。まさに背景は同じなのだ。このDVDの『蟹工船』の再発売もこうした流れに位置付いているのである。 (猪瀬)


薬害肝炎訴訟「信じていいのか」原告団の喜びと不安

 12月20日、政府との和解協議が決裂し、年内解決は無理かと思われました。しかし、23日になって、「一律救済」を福田首相が表明、事態は大きく変わりました。原告団の不安は、一度目の政府の裏切りを経験したゆえに当然の事と思います。行政の責任と謝罪が不可欠とし、全員救済の実現まで安心できないとする原告団の思いを、国は真摯に受けとめるべきです。「病は進む。早く立法を」原告団は時間との勝負なのですから。
 連日のテレビ出演、厚生省への全員救済に向けた働きかけは、原告の肝炎患者にとってはとても大変なことだろうと思います。新聞記事を見ると、原告団の代表・山口美智子さん(51歳・福岡市)は、私たちと同世代で子どもの年令もほぼ同じ。とても他人事と思えない、そんな心境でペンを執りました。薬害の恐ろしさと誰が罹ってもおかしくない当時の状況を、皆さんにも共有していただきたいと思います。

出産時にフィブリノゲン投与
 山口さんは、1987年9月、二男の出産時に大量出血しフィブリノゲンを投与されました。直後に肝炎感染が判明。当時4歳の長男を夫に、二男を産院に託し、入院生活が始まった、とあります。出産は何が起こるかわからない、妊娠中の定期検診を受けていても予測できないことが発生します。出産に臨む女性には、輸血の可能性は誰にでもある、と自覚を促すことが必要だと思います。
 2000年10月から約1年間、インターフェロン治療を受け、かかった費用は約300万円。小学校の教師をしながら、こどもの教育のために蓄えた貯金を切り崩した。「息子たちのために長生きしないといけない」。後ろめたい気持ちを必死で振り払った、山口さん。副作用で髪は抜け、高熱と悪寒に襲われても教壇に立ち続け、生徒の前でかつらを外し、病との闘いを話したこともあったという。そして2001年3月、21年間の教師生活に終止符を打つときが来た。病は山口さんの生き方を大きく変えてしまったのです。
 自身の病が薬害によるものと気づいたのが、大阪地裁の提訴のニュース。03年に九州訴訟の原告に、実名で公表した結果、同じ産院で出産した人たちが次々と原告に加わった。勇気ある山口さんの行動で、闘いは広がり裁判所も注目されることで、判決には慎重にならざるを得なかったのでしょう。24歳になった長男の言葉は、母に大きな支えと更なる勇気を与えたはずです。「お母さんには薬害を社会に訴える使命があるんだよ」と。

肝炎患者は350万人
 B型肝炎患者を含めると全国に約350万人もの患者が存在する、肝炎患者。薬害で発症するC型肝炎に比べ、B型肝炎はウィルス(HBV)の感染によって起こる病気です。ウィルスに対しては体内で免疫機能が働き、これを排除しようとしますが、その際ウィルスだけでなく肝細胞ごと攻撃してしまうために、肝細胞が破壊され肝炎を引き起こすと、されています。感染は、母子感染・性行為によるもので、母子感染は85年以降は対策がなされ、ほとんど起こっていないようです。
 しかし、幼少時に感染した場合でも、30歳ごろから肝炎が発症しますが、その内の90%の人は、肝炎の症状が現れない無症候性キャリアとなります。一方、残りの10%の人は治療せずに慢性肝炎に移行、肝硬変や肝がんへと進展する恐れもあるそうです。肝硬変になっても自覚症状はありません。ですから、40歳以上になれば肝炎ウィルス検査を一度受けたほうが良い、と専門医はアドバイスをしています。
原告の山口美智子さんは、元小学校の教師ですが、B型肝炎を患いながら高校教師をされていたT先生を、ふと思い出しました。もうすぐ30歳を迎える長女が高校生の時、地歴科を教わり、その個性ある授業に共感を覚えたのを思い出しました。T先生が久しぶりに担任を持ったクラスで、出された学級通信が本になり、今一度、本を開いてみました。生徒に伝えたいことを、自分の体験談を述べながら率直に文章化されるその姿勢は、生徒にも伝わります。朝鮮民族学校の必要性を否定する生徒の意見を、実際に民族学校に自ら足を運び、意見交換を行ないました。校則で統制する管理教育には反対し、生徒の思いを大切にじっと見守ることを選んだT先生は、今どうされているのか・・・。

薬害はなぜ再生産されるのか
  ミドリ十字が、汚染された血液製剤をアメリカの子会社で製造し、輸入し続けたのは1980年代。最も多く輸入された1番危険な時期が84〜85年ごろ、厚生省の薬務局長だった松下康蔵氏はミドリ十字の社長でした。松下氏の部下も次々天下りしたようです。ミドリ十字と厚生省の癒着関係はできあがっていた、ということです。
 薬害エイズ訴訟でも、今回の薬害訴訟でも、証拠資料は厚生労働省の地下倉庫でみつかっています。政府は、全国で次々起こる薬害裁判を、わずらわしく思いながら時の経過にまかせ解決を延ばしてきました。しかし、女性患者たちが前面に出て頑張るその意気込みに、政府も重い腰を上げざるを得なかったということでしょうか。製薬会社と国の責任と謝罪を求めることは、当然のことであることを、私たちの側からも追求していくべきです。
 福田首相が「一律救済」を決断する前日、東北大の学生ら約20人が繁華街で、首相官邸あて葉書を配布しました。その内容は、「総理、あなたの声が聞こえない。患者全員の救済と安心して治療を受ける態勢の構築を」と、住民に手渡しました。学生たちの企画は、街角でであった人の心に響いたはずです。 折口恵子案内へ戻る


新年に思う・・・「生きる」とは!

 昨年末に2人の知人が亡くなった。
 『死』は平等である、誰しもいつかは『死』にいたる、『死』と『生』はセットであるという。
 私ももうすぐ60歳を迎えようとしているが、改ためて「人間はなんのために生きているのか」、「生きるとは何か」、「残された人生をどう生きるべきか」など、今その事を「自問自答」している。
 人間誰しも歳をとり、生きられる時間が残り少なくなると、ある面で、哲学者に少し近づくのかもしれない。
 こうした時、いろんな先達者たちの「生きざま」を描いた文学作品や映画などを通じて、この世の中に本当にすばらしい「生き方」をした人がいると驚いたり、また感銘を受けることがある。
 ここで、紹介するのは韓国の「東亜日報」の記者が書いた記事である。
 「東亜日報」の記者は、2人の修道女を捜しにオーストリアのインスブルックに向かった。その一人であるマリアンさん(71歳)が住んでいたのは、インスブルック市内から列車で20分ほどの小さな村。住所だけを頼りに、あちこちで尋ねながら捜して、ようやく彼女に会うことができた。記者は、「あんなにきれいで若かったのに。島の人たちの手や足になり、一生をおくった2人のおばあさんに心から感謝します」との、小鹿島(ソロクト)の住民たちからの手紙を手渡した。そこで彼女から聞いた話は、次のような内容であった。
 「韓国の全羅南道に小鹿島という島があり、その島はハンセン病患者の療養所になっていた。1962年、マリアンさんはもう一人の修道女のマーガレットさんと、その島を訪れた。当時まさか一生、その島で奉仕するとは思っていなかった。しかし、島を離れることはできなかったと。最初は患者が6千人もいた。子どもは200人位だった。薬もなく世話をする人もいない。薬が足りなければ、オーストリアの知人に頼んだ。栄養失調の子どもたちのためには、栄養剤や粉ミルクを手に入れてやった。ひとりひとり治療してあげようと思ったら、一生住まなければならないと思った。」
 2005年11月21日、この2人の修道女は一通の手紙を残して島を去った。
 手紙には「年をとったので仕事が思い通りにできなくなりました。みなさんに迷惑をかける前に離れます」と書かれていた。
 2人は、送別会を大げさにされるのがいやで、来たときと同じように、静かに島を去った。2人は島を離れる日、藍色の海をながめ、とめどなく涙を流したという。20代の後半から40年余住んだ小鹿島は故郷同然だつた。むしろ戻ったオーストリアこそ、見知らぬ地であったと。
 この記事のタイトルは、『天使たちを訪ねて』となっていた。
 びっくりする話である。一つの仕事や自分の課題を最後まで継続すること、成し遂げること。そこに生きる価値があるのではないか。
 新しい年の始まりに、新たな思いを胸に抱いて。(E・T)

ソロクト略史 
1873   ノルウェーのハンセンがらい菌を発見
1907 法律「癩(らい)予防ニ関スル件」制定、日本の隔離政策始まる
1910 日本、韓国を併合
1916 朝鮮総督府は官立全羅南道小鹿島慈恵医院を開設(定員100人)
1917 小鹿島慈恵医院が開院式を挙行
1919 3.1独立運動始まる 朝鮮全土に拡大
1926 小鹿島慈恵医院拡張による島民の反対闘争が起きる
1931 らい予防法(旧法)制定
1932 財団法人朝鮮癩予防協会設立(事務所は総督府警務局内)
1933 小鹿島癩療養所第1期拡張工事開始
1934 官制公布に伴い小鹿島慈恵医院は小鹿島更生園と改称
1935 朝鮮総督宇垣一成、制令第四号「朝鮮癩予防令」を公布
府令により小鹿島に光州刑務所小鹿島支所を設置
小鹿島更生園第1期拡張工事落成式を挙行
1936 小鹿島更生園の第2期拡張工事が始まる
1939 小鹿島更生園の第3期拡張工事が始まる
小鹿島「患者地帯」大桟橋工事を昼夜兼行で120日で完成
1942 小鹿島更生園園長周防正季が入園患者李春相により刺殺
1943 米国で治療薬「プロミン」の効果発表
1945 8月15日 日本、無条件降伏
8月21日、小鹿島で朝鮮人職員らによる患者の大虐殺(死者84名)
8月24日、日本軍が小鹿島に出動、日本人200名は軍撤退で引揚げ
 

介護保険料の滞納者増加  年金額が年18万円しかない人が介護保険料を払えるのか!

 介護保険制度は被保険者の保険料と税金等によって賄われています。その主要な財源である保険料は、第2号被保険者と第一号被保険者により支払い方が別れます。第二号被保険者の保険料は、国民健康保険に加入している人は国民健康保険の保険料と一緒に、会社等に雇用されている人は自分たちの加入している医療保険の保険料から、介護保険料は差し引かれます。自分が希望するか否かとは関係なく、介護保険料は差し引かれています。
 65歳以上の第1号被保険者で年金額が月に1万5千円以上ある人は、年金の支払時に予め介護保険料を差し引いて年金が支払われるようになっています(特別徴収)。また月1万5千円以下の年金受給者は自らが保険者に介護保険料を支払うようになっています(普通徴収)。第1号被保険者の保険料はその所得によって5段階から9段階程度(保険者により異なる)に分けられ、低所得者は保険料が安くなるようにはなっていますが月1万5千円以下の人も保険料を支払わなくてはなりません。保険料は保険者により異なりますが、例えば月額3500円の保険料であれば、最も低い段階の人の保険料は2310円となります。1万5千円以下の人でさえ介護保険料も支払わなければ、介護サービスは利用できないのです。実際問題としてそれが可能なことなのでしょうか。
 2003年から2007年までの第1号被保険者の介護保険料の納付状況は98%となっています(全国平均)しかしそれは、年金からの天引きを含めた割合です。個別に支払う普通徴収の収納率は全国平均で90%となっています。現在普通徴収の人の約1割の人が介護保険料を支払うことができずにいます。未納率は年々増加しています。このままでは、年金制度と同じく、未納者が増加にうより介護保険制度自体が機能しなくなる可能性もあります。また本来支払えるはずのない所得階層の人たちにまで、強制的に支払いを要求し、支払っていない期間があると、ペナルティを課し、介護サービスを利用しにくいものにするようになっています。具体的には保険料を納めないでいると、以下のよう措置がとられます。
 @保険料を1年以上滞納すると、介護サービス費用がいったん全額自己負担になります。保険証には『支払い方法変更の記載』が行われます。A1年6ヶ月以上滞納すると、一時的に保険料給付が差し止められます。なお滞納が続く場合には、差し止められた保険給付額と滞納分を相殺することがあります。B2年以上滞納すると、新たにサービスを利用するときには、保険料未納期間に応じて利用者負担が1割から3割に引き上げられたり、高額介護サービス費の給付が受けられなくなります。 このように厳しくする必要があるのでしょうか。1万5千円から2310年を支払わせること、所得の15%以上を保険料として支払わせることのほうが異常だとしか思えません。
 仮にサービスを受けることができたにしても、利用料として1割を支払うようになります。一定の額以上の介護サービスを領した場合に給付される高額介護サービス費や介護サービス料軽減制度のなども在りますが、不十分です。
 低所得者の人でも介護保険制度が利用できるように「応能負担」の仕組みも取り入れ、介護保険制度を抜本的に見直す必要があります。
           (Y)  表1  第1号被保険者の保険料、普通徴収の徴収状況(未納者の推移)
 

コラムの窓・死刑廃止をめぐって・その2

 12月18日、国連総会において死刑執行停止を求める決議案が賛成多数で採択されました。欧州連合(EU)加盟国など計87カ国が共同提案したこの決議案は、死刑存続に深刻な懸念を表明し、執行の一時停止や死刑の適用漸減を求めています。主要国では日・米・中が反対しましたが、賛成104、反対54、棄権29という結果です。
 この数字からも分かりますが、今や死刑廃止は世界の趨勢となっています。米国においてもすでに18州で死刑は廃止されており、国民が望んでいるから死刑を存置するという日本政府の主張は、その異常さにおいて際立っています。中国についていえば、この国は死刑を政策≠ニしており、2005年にはなんと1770人以上の死刑を執行しています。最近も、貧困山村の生徒や児童23人に売春を強制していた教師に死刑判決が出ています。
 日本の現状はといえば、12月7日に3人の死刑を執行し、今年の死刑執行数は9件となっています。今回、初めて氏名と執行場所が公開されました。従来の秘密主義からの一歩前進とは言え、死刑廃止までの距離の遠さにめまいがします。現状で、死刑存続が世論の多数派であるというのは確かなようですが、だから死刑存続というのはあまりに無能な政治です。
 12月20日の「朝日新聞」に、団藤重光・元最高裁判事の「死刑廃止なくして裁判員制度なし」というインタビュー記事が掲載されました。現状のままでは国民が国民に死刑を言い渡す♂ツ能性、つまり人殺し≠ノ手を染めることになると言うのです。

(遺族が犯人を殺したいと思う感情)「そうした『自然な感情』を持つのと、それを国が制度として、死刑という形で犯人の生命を奪うのとは、全く違うことです。戦争だって『人情から当然だ』といって是認するとしたら、とんでもない」
「ジャーナリズムが『被害者は、こんなにも悔しい』とむき出しの感情を流していては、国民は法的な判断力を持てないままになる。そうした国民が出す判決は、それだけ間違う可能性も高まります」

 団藤氏のこの危惧は当然です。弁護士資格を持つタレントの橋下徹氏の光市母子殺害事件に関する発言は法律の専門家としてはあまりに低劣であり、視聴者の劣情を煽って弁護活動を妨害するなど弁護士としての資質を疑うものです。彼が煽った光市事件弁護団に対する懲戒請求は、当然にも大阪弁護士会によって退けられています。今は逆に、彼に対する懲戒請求が組織され、私も署名したところです。
 ついでながら、この橋下氏を担ぎ出して大阪府知事選に望もうという愚かな動きが表面化しています。この有名人なら誰でもかまわないという無節操に、大阪府民がどのような結論を出すのか、市民としての見識を問われるものであり、興味津々というところです。  (晴)
  

「読者からの手紙」・・・人間らしく生きたい!

 朝8時15分に家を出て、帰宅は23時40分過ぎ。そして翌朝は25時間連続勤務のために朝7時過ぎに家を出て、翌日10時40分の帰宅。我が家の20代の息子のここ最近の勤務状況だ。
 警備会社の契約社員として働いているが、同僚の病気入院や退職による人の入れ替わりが激しく、常に人員不足で、どう見ても1人で2人分の仕事量だ。4日〜5日分といった小刻みな勤務予定もころころ変えられる。一週間先の予定も立てられない。家と職場の往復、食べて働いて寝るだけの生活。人間らしい暮らしとはほど遠い。
 「起きろ〜!」「もう何回言ったら分かる!」
 朝7時過ぎ、近所の家から若いお母さんの怒鳴り声。母と小学生の男の子2人の家庭。最近母親の職場が他の会社に吸収合併され、さらに長時間勤務を強いられる様になったとのこと。帰宅が遅くなり、小さな子どもの就寝時間もどんどん遅くなり、朝起きられないのも当然だ。
 日本人の年間自殺者は毎年3万人!、月に約2500人、一日に約82人。弱い者をさらに追いつめる今の日本社会。人間らしく生きたい!(S)

 
 パレスチナをめぐる二つのドキュメンタリー映画について(大学映画祭にて)

 1本は男性監督、もう1本は女性監督が撮ったもの、いずれも日本人。
 はじめの1本はout of place≠ニ題し、パレスチナの外から描いたもので、哲学者の故エドワード・サイード不在のままで、現実と彼の理論を現実の中で、多くはイスラエルの移民生活者‐人種的にもさまざまな人々の語りの中から、多層多種の人々の多様性を包み込みながらの流れが作られていくという、シンフォニーの形成を思わせる彼の思想を映し出していくといったドキュメンタリー。
 方法としてはまずサイードの思想があって、それを現実に検証していくといったドキュメンタリー映画。サイード氏がアラファトと対立し離れたという事情もあったろうが。
 他方、女性監督が撮ったガータ‐パレスチナの詩‐=Bガータという若い女性を10数年にわたって撮ったもの。旧習に身をゆだねることのない結婚、そしてイスラエルとの「石の戦い」にはじまって彼女の生きた足跡を追ったもの。イスラエルの砲火の下でも歌い踊りつつ生きるパレスチナ農民のウタを背景として。
 前者がまずサイードの思想の前提があって撮られたドキュメンタリーであるのと違って、移りゆく現実(はげしくなる攻撃のもとでの)の中でガータの、農民の中に流れるウタと共にうたいあげるような彼女の生≠追ったものである。戦火の中で一歩一歩昇っていくガータの生≠ヘ、パレスチナの農民のウタであり、ガータは詩であろう。
 ただひとつ、ガータをヒーローのように典型として見てほしくない、ということである。監督も、そのようには描かなかったはず。2007・12・18 宮森常子


色鉛筆‐2008年、私は努力します

朝6時に夫と共に起床、朝食の準備(パンだからほとんど時間はかからない)をし、夫は新聞を見ながら朝食を摂る。私は、夫を送り出した後、7時前後に朝食を摂り、末娘が起きてくる7時20分まで、ざっと新聞に目を通す。その間ラジオからもニュースは流れ、娘の弁当を作りながら耳を傾ける。娘は8時20分に登校、洗濯を始め(我が家は風呂の残り湯をベランダまでバケツで運ぶ)9時25分頃に家を出て職場に向かう。
 就労時間が長くなったため、帰宅がこれまでの17時ごろから18時〜21時頃になり、仕事で精一杯という毎日が続いています。それに加え、年末年始は年賀の組立作業があり、年々、疲れが蓄積され嫌でも体力の無さを実感せざるを得ません。健康で仕事を続けるためにも、減量をし体力を付けるための運動を真剣に考える時です。今年こそ、ウォーキングを継続して続けることを目標にしたいと思います。
 そして、もう一つは、私たちが関わっている地域での活動のことです。米軍によるイラク攻撃後に結成した「西宮ピースネット」、憲法改悪に反対する「99条+九条の会・阪神」、そして主催者でもある「現代を問う会」は、いづれも西宮駅頭で街宣を行なっています。街宣にはハンドマイク・ビラ配布・署名活動、時にはシール投票と、いろいろアイデアを盛り込んで、市民にアピールしています。
 ところで、ビラ配布については20代の女性メンバーから、あまりやっても成果が無いのでは? と、否定的な意見が出されています。彼女はパソコンでのプログを利用した呼びかけなどは積極的に行い、新参加者の結集にも前向きです。確かに、駅頭でのビラ配布は、受け取らない人が多く、配布する側は根気が必要です。しかし、何を配布しているのか、受け取る側にわかるよう工夫したり、ビラの内容を簡潔にすれば、受け取りも良くなるのではないかと思うのですが。
 最近、わが家の郵便受けに宅配されるビラに、町の薬屋さんの「健康瓦版」があります。B4サイズの裏表には、ぎっしりと活字が埋まり、治療方法の情報が満載です。体験談が紹介され、病院の治療では良くならなかったのに、漢方薬で症状が治まった例などを見れば思わず試してみたくなります。その瓦版にこんな文章がありました。
「『運を見方にする方法』という本があります。中谷章宏の書いたものです。駅前のチラシ配りについての本書での答え。『チラシはいるから受け取る。要らないから受け取らない。という物ではありません。大切なのは配っている人に協力する姿勢です。仕事をしている人に協力する姿勢を示すなら、普段手にしない情報があったりしてそれがきっかけですばらしい発想が生まれることだってあるのです。いわゆる発想に幅が生まれます。いる・いらないを先に判断すると限られた情報の中で貧弱な発想しか生まれないのです・・』が答」
 要するに、チラシを受け取る人に運が開けるということのようです。情報の提供という大切な行為を私たちはやっているんだ! と自覚しこの一年も、堂々と胸をはり街頭宣伝を続けて行きたいと思います。今年も、色鉛筆をよろしくお願いします。(恵)        案内へ戻る