ワーカーズ367号  2008/4/15      案内へ戻る

破断界にある福田内閣は打倒あるのみ――三つの失政を徹底的に追及せよ!

 成立当時六割近くあった福田内閣の支持率は、最近の調査で最も低い数値を出した朝日新聞によれば、何とたったの二十四%である。この数値は、何時内閣が退陣または総選挙が行われても不思議ではない数字ではある。
 福田内閣の決定的な失政、特に労働者民衆の生活を口先ではともかく、実際には彼らが何にも考えていない事を、この四月一日を契機に完全に明らかになった。どう言い繕うにも言い繕えない事態が出来しまったのである。
 その第一は「消えた年金履歴」の問題だ。安倍前総理が公約し、自己顕示欲の固まりの桝添厚労大臣が、「三月三十一日まで」に照合を完了するとあれだけ大言壮語したのに、大半のものは未だ不明のままなのだ。この事は「説明にあたって誤解を与えてた」云々ではなく、彼らの政治の本質が露呈したのだ。
 その二は「ガソリン税」の問題だ。暫定税率の期限が切れたため、二十六兆円の歳入欠損が生じさせた自らの責任を自覚せず、逆に居丈高に居直り、再可決すると図々しく息巻く町村等の姿は自ら醜態を晒したものとしか言いようがない。この事は、彼らの政治支配の正当性をまさに揺るがすものなのである。
 その三は「後期高齢者医療制度」の問題だ。この制度は、「金がない老人は早く死ね」との露骨で差別的なもので、その非人間性は際だっている。
 社会的な周知がないままに強行されたが故に、全国各地で老人達の怨嗟の声は日に日に高まっている。自公両党は、まさに老人を切り捨てたのである。
 全国では、すでに五百六十議会で反対の決議がなされた。今、この問題は日本全体を揺るがす大問題にまで発展した。自公両党は危機の只中にある。
 破断界にある福田内閣は打倒あるのみだ。労働者民衆は、この四月一日を契機に生々しく出来した三つの失政を徹底的に追及し、完全に打倒しよう!
 福田内閣を徹底的に追及して彼らを追い詰めていこうではないか。(直記)


迷走か閉塞か、それとも通過点か
――“ねじれ国会”は民主主義の前進と新しい政治勢力づくりの通過点――


 自民党と民主党の談合政治の色合い濃く迎えた“三月政局”は、ガソリン税の特定税率期限切れや日銀総裁選びでのドタバタ劇の中、与野党双方の迷走の様相を見せながらも新たな対決局面を迎えている。
 当初は、昨年の“大連立”騒動が頓挫した後も水面下で繋がっているとされた福田首相と小沢代表の奇妙な“信頼関係”を背景に、ずるずると小競り合いのうちに過ぎ去ると思われた。が。そうした年度末にいたる与野党の攻防をつうじて、4月末に可能になる特定税率復活の再議決を視野に入れながら、与野党の対決構造にぶれることになった。
 特定税率や日銀総裁選びなどでのもたつきぶりを、“ねじれ国会”による政治の迷走、閉塞状況と受け止める目もある。たしかに“ドタバタ劇”の再演という側面もある。しかし、“ねじれ国会”は国民・有権者の“民意”がもたらしたものであり、必ずしも政治の迷走・閉塞状況だけをもたらしたわけではない。そうした混乱や低迷の一時期の攻防戦を通して新しい政治構造の必要性や見通しをはっきりさせるためには、それ自体不可欠で有意義な一時期でもある。なによりもこうした国会を巡る与野党の攻防劇は、参議院選挙で野党に多数を与えることで生まれた衆参の“ねじれ国会”をもたらした国民・有権者の政治行為の結果でもあるからだ。
 与野党の“ねじれ国会”は、そうした政治の転換のためには不可欠の一時期を象徴するものであり、それを政権交代や有権者による政治への参画という民主主義の前進のための、あるいは新しい労働者による政治勢力づくりのための有意義な経験の場としたい。

■迷走する攻防劇

 この間の政治の迷走の象徴とされてきたのは、ガソリン税特定税率の撤廃問題や日銀総裁選びでの二転三転という状況だった。
 確かに暫定税率を一ヶ月延長する“つなぎ法案”や衆参両議長をひっぱりだした玉虫色の妥協工作、それに総裁・副総裁選びでの与野党の駆け引き劇は、その是非を問う以上に解散総選挙を視野に入れたいわゆる“政局”がらみの与野党の攻防戦という色合いが濃かったのは事実だろう。
 しかし民主党の小沢代表が言うように、ドタバタ劇を通じてであれ、現実にガソリンなどの暫定税率の上乗せが廃止され、ガソリン価格が現実に大幅に引き下げられた、という事実の持つ意味は大きい。与党が再三提案した日銀の総裁・副総裁人事が、参院で否決された件も同じだ。どちらもこれまで一時期をのぞいて継続してきた官僚政治の上に乗った自民党政治の中で当然のごとくまかり通ってきたものだった。それが参院での与野党逆転という状況の中で、現実に通らなくなったことの意味は大きい。
 個別の税制の存廃について、それが税体系や財政構造の中でしめる位置と、それをどう変えていくべきかについてはもちろん異論はある。私としてはこの間ガソリンなどの特定税率は維持ないし引き上げて総合交通体系づくりに振り向けることを問題提起した。社民党の中にも総合交通特別会計を作ることを主張している人もいる。あるいはガソリン税の環境税への再編という主張も、便宜論の色合いが濃いとはいえ与野党双方にみられる。これらの議論は、この国の将来、あるいは住民生活をどのような立場で、どう立て直していくのかという将来像の議論に直結する重要なものだ。それらは未だ深められていない。

■政治は変わる

 しかしそうした中長期の将来図をめぐる議論とは別に、目先の問題での変化・断絶を現実に実現することの意味も大きいのも事実だ。
 今回の問題に即して考えれば、現実に全国でガソリン価格などが大幅に引き下げられることの持つ意味は大きい。世論調査などでも有権者はおおむね評価しているし、衆院での再引き上げの議決にも反対の声が多い。
 確かにユーザーなどはおりからの生活用品の値上げラッシュの中でガソリン価格が下がったことを素直に喜んでいる面はあるだろう。が、実際はそんなに単純な受け止め方ばかりではない。それはこの間の与野党攻防戦を評価して自民党と民主党双方に厳しい視線を向けていることからも伺える。趣旨としては、長年にわたって政治家や官僚や道路建設業者などが道路利権に群がってきた利権構造への批判がある。それに将来的な日本の税財政構造に関する見取り図を打ち出さない与野党双方への批判もあると思われる。
 それはともかく、現実に多くの人は目先の生活の変化を政治との同時進行形で体験することの意味は大きい。人々の政治意識や参加意識が変わるには、何百回、何千回のご託宣よりも、大なり小なりの社会的、集団的な変化を経験すること、その経験の積み重ねの結果からだ。それをもたらしたのはいうまでもなく昨年の参院選挙だった。そこで有権者は衆院で三分の二をしめる与党の暴走に歯止めをかけた。その結果が参院での与野党逆転という政治構造であり、その政治構造の中で久しぶりに現実の生活に直結するガソリン価格の大幅な引き下げを実現した。
 政治で生活は変わりうる――。有権者としては自分たちの行動が政治に直結していることを身をもって体験したことになる。仮に4月の末に与党が衆院の三分の二の議席にものをいわせて暫定税率が復活しガソリン価格が全国で再び大幅に値上げされれば、そのときになぜそうなってしまうかという政治に対する関心と問いという、新たな経験を積むことになる。その意味では、迷走、閉塞状況と評されることも多い国会での与野党の攻防戦は、これまでとかく“観客民主主義”という揶揄で表現されてきた日本の民主主義の一歩前進に繋がるし、そうすべきだろう。

■決めるのは私たち

 それにしても福田内閣そのものの閉塞状況は覆い隠せない。
 参院での与野党逆転を受けた後に生まれた福田政権。直後の“大連立”工作によるねじれ国会の脱却のもくろみが失敗した後も“対話路線”でねじれ国会を乗り切ろうとした。が、参院での与野党逆転という現実を前にしても、衆院での三分の二という議席を背景に旧来型の自民党政治を継承するしかなかった。が、イラク給油新法の強行採決などで世論の支持率はじわじわと低下し、解散総選挙に打って出ても衆院で三分の二という現有議席の確保は絶望的だ。結局目先の国会を乗り切り、できれば任期満了まで政権の延命を図る以外に選択肢は限られている。
 一方の民主党。あの大連立工作の後遺症を引きづりながら、何とか衆院の解散総選挙に追い込みたいという思惑の一方で、例によって寄り合い所帯の危うい党内事情をまたしても露呈した。それは日銀総裁、副総裁の選出で参議院で造反者がでたことに端的に表れている。
 参院での与野党逆転という奇貨を得た反面、自民党政治の転換という有権者の監視の圧力にさらされたことで安易な妥協は次期総選挙で厳しいしっぺ返しを招くことになる。当然ともいえる対決姿勢だが、それが第二保守党として常に党内からの自民党政治への追従という造反、離反の力学にさらされる。
 こうした与野党の攻防戦では、いつ解散総選挙になっても不思議ではない。厳に与野党を巻き込んでいくつもの政治グループが生まれている。麻生太郎、鳩山由紀夫などの議員連盟、自民党の中川昭一・平沼赳夫などのグループ、「せんたく議員連合」、加藤・山崎・仙石ら超党派の「リベラル」研究会グループなどだ。“再編ごっこ”とも揶揄されるこれらの動きは、与野党のねじれ現象の解消や主導権の確保などを念頭に、解散総選挙をにらんだ政界再編に備えたものだ。とはいえ議員レベルのそうした動きに惑わされる必要はない。参院での与野党逆転による“ねじれ国会”も今国会での攻防戦のありようも、もとはといえば有権者がつくりだしたものだ。
 私たちとしては、“ねじれ国会”を生んだ新たな格差社会、階級社会の足下から闘いの拠点づくりを着実に拡げ、その力を現実政治にも反映させることをめざしたい。(廣)案内へ戻る


コラムの窓・バイオロボット

 チェルノブイリという未曾有の原発事故から22年を迎えようとしています。ひとたび過酷事故を起こしたらどれほどの災厄をもたらすか、人類は充分に思い知ったはずなのに、二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーとして原発を推進しようとしています。
 最近、「サクリファイス」(犠牲・スイス映画・日本語字幕・24分)という記録映像を観る機会があり、そこでバイオロボット≠ニいうものの存在を知りました。それは、放置すれば広島の20倍から50倍もの核爆発を起こしたかもしれないチェルノブイリの炎を消し、崩壊した原子炉を石棺で覆う作業を実行したのです。
 当初、ロボットでの作業を計画したが、あまりに強い放射能によってロボットは壊れてしまったので、現役の軍人や予備役で突撃隊≠編成し、放射能汚染による死を免れない作業を強制したのです。これがバイオロボット≠ネのです。リクビダートル(事故処理作業従事者)という言葉は知っていましたが、バイオロボット≠ニいう言葉を聞いたときは少なくないショックを受けました。
 しかし、よく考えてみれば、米軍兵士だってそうだし、ワーキングプアだって、使い捨てられる消耗品として生きているロボット≠フごとく扱われています。バイオロボット≠ノよる文字通りの致死労働は次のように説明されていますが、これは過去の出来事ではなく、日本でも起こる可能性があります。
「1986年4月26日の夜、そして何ヶ月もの間、清掃人と呼ばれた百万人の男たちが燃えさかるチェルノブイリの原子炉に送られた。身の毛もよだつ放射能の下で急ごしらえの石棺で炉を覆い、全区域の破局という結末を取り消すために。彼らは素手、シャベル、放水で放射能核種とたたかった。何万という人が死に、そして死に続けている」「6月6日に炎はすさまじい数の清掃人の生け贄に感謝して服従した。しかし生け贄達はほとんど報われなかった。ロシア、ウクライナ、ベラルーシは彼らを見捨てて自己責任として放置された。西側は彼らを無視した」
 目前に迫った青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場の本格稼動、秋に予定されている「もんじゅ」の運転再開、これらはいずれもチェルノブイリの運命につながる可能性を持っています。沖合い3キロの排水口と150メートルの煙突を持つ再処理工場は既存の原発1年分の放射能を1日で外部に放出するといいます。それらは海水や大気でどんなに薄められようと、放射能汚染を蓄積し続けるのです。
 本格稼動の鍵を握る青森県知事にメッセージを送ろうという取り組み(スイッチOFF!六ヶ所再処理工場 スイッチON!自然エネルギー)をグリンピースが行っており、私もこれに参加して「放射能汚染は取り返しがつかないし、青森県産の農産物や海産物は売れなくなるけどかまわないのですか」という趣旨のメッセージを送りました。
 このメッセージに対する回答をメール受信したのですが、それは誰に対しても自動的に返信される同じ内容のメールのようです。国任せで危機意識の欠片もないその文面にはあきれますが、第一次産業に携わる県民の明日を閉ざし、子どもたちから自然を奪うことになる、重大な選択を何だと思っているのでしょう。   (晴)
「県政・わたしの提案」について     青 森 県 知 事
 エネルギー政策は国家レベルで対処しなければならない重要な問題です。我が国においては、エネルギー安定確保や地球温暖化対策の観点から、原子力政策の着実な推進と、再生可能エネルギーの開発、普及を図っていくことが不可欠であり、本県は、国策である原子燃料サイクル事業について、安全確保を第一義に協力してきたところです。
 原子力施設に関する安全を確保するためには、第一義的には事業者が責任を持って取り組むとともに、法令に基づいて一元的に安全規制を行っている国がその役割を果たしていくことが基本と考えていますが、県としても、県民の安全・安心を重視する立場から、今後とも、国及び事業者の対応状況を厳しく見極めつつ、安全確保を第一義に慎重かつ総合的に対処して参ります。  (平成20年3月31日)


最高裁不当判決に抗議する  住基ネット大阪訴訟原告として

 3月6日、最高裁判所は威圧的に我々の前に建っていた。正面には見下ろすように階段が連なっている。うんざりしながら上る。深奥から内裏雛が現れそうである。判決が申し渡される第1小法廷へは迷路である。ここはバリア・フリーを断固拒絶している。
 やがて、おもむろに、お雛様ならぬ5人の裁判官が現れる。中央の涌井裁判長と、4名の老けた小泉チルドレン達である。又、元行政官、高検検事長でもある。
 横尾和子裁判官(元社会保険庁長官)はこちらを凝視している。社保庁は宙に浮いた年金5000万件の年金記録の突合作業に既に住基ネットを利用しているが、2000万件は迷宮入りである。この人に住基ネットと人権問題に対する公正な判断が出来るのだろうか。そして憲法の番人としてのこの人達の資質を問いたい。
 中央の涌井裁判長が判決文を読み上げる。うつむいて自信なげに。まったく聴こえない。瞬きをすると終了。後、弁護士に翻訳してもらう。原告住民の逆転敗訴=B即ち住基ネットは合憲≠ニいうお墨付きを与えられたのである。仰々しい儀式の空疎な判決である。
 この判決に対して弁護士は三行半判決=B憲法学者は人権無し、権力を信用しろ、問答無用判決≠ニ喝破した。江戸時代に戻ったのかしらという人もいた。河村参議院議員はICチップを内蔵した住基カードは日本だけである≠ニ。このカードには4情報に加えて年金、健保、介護保険等の機能を持つ社会保障カード≠ヨの利用拡大が計られている。
 我々は無断で11桁の番号を付し、同意なしに氏名、生年月日、性別、住所と更新履歴を国などが利用するのはプライバシー権(事故情報コントロール権)を侵害し、憲法に違反すると訴えました。
 大阪高裁竹中裁判長は、今日の高度情報化社会においては自己情報コントロール権は、憲法13条が保障するプライバシー権の重要な内容と考えられる。又公権力によるデータマッチング、名寄せの危険性は住民の人格的自律を著しく脅かす=B第三者による監視機関がないなど目的外利用禁止の為の制度的担保が不十分≠ニして、拒否している住民に住基ネットを運用することはプライバシー権(自己情報コントロール権)を侵害し憲法13条に違反している=B守口市は控訴人の住民票コードを削除せよ≠ニ我々の訴えを認めてくれました。
 後、裁判長は自死され、命を購って憲法の原点となる13条を守られたのだと痛感するようになりました。澱のように沈み込む現実の重苦しさの中で。
 高裁判決文の重さに比して最高裁判決の軽さは? 行政側の主張を引き写しただけである。住基ネットは住民サービスの向上、行政の効率化の為にあり、寿遊民の権利を侵害しない。違反すれば法で罰せられる。個人情報を一元的に管理する主体は存在しない≠ニ。
 現実には、自衛隊による市民運動の監視と、その情報収集していた事実。愛媛県愛南町では殆どの住民の住民票コードと印鑑登録等の情報まで漏洩しました。一元化の主体霞ヶ関WAN、LGWANは整備されつつあり、国民の人格的自律は危機に瀕し、自己規制、萎縮的効果を果たすのである。住民サービスであるが、利用に必要な住基カードの普及率は1・5%であり、守口市の場合少し高くても2・36%(08年2月まで)である。発行開始から5年余過ぎているのに。
 従って、守口市でも住民サービスや行政の効率化に役立っているとは殆どいえない。住基ネットによって、住民票コードをマスターキーとして、国民の情報のデータマッチングが可能なインフラが出来てしまったのである。個人情報を一元的に管理する主体の有無に関わりなく。そして現在国と自治体あわせて、どこで、どのような行政事務に住基ネットが利用されているのか、守口市、大阪府、総務省のどこの担当役人も把握していない。無責任きわまりない。
 上告人守口市であるが、既に守口市個人情報保護条例を定めている。これは個人の尊厳をうたっている憲法13条に則っている。条例の手引書には、今日の情報化社会での情報集積、管理、利用の危険性を述べて自己に関する情報などがどこに、どれだけ、どのようにあり、それが正しく利用されているかを自らチェックする必要があり、このことを自己情報コントロールという≠ニ明記している。そして実施機関(市長など)は市民に自己情報コントロール権を保障しているので∞削除の請求∞利用中止の請求≠フ権利を認めているのである。
 本来の姿に戻ろう。我々住民が主権者である。市町村は住民の立場に立とう。 地方から中央に対してNO!を発信しよう!
 住基ネットは住民に益なし、金食い虫、セキュリティの問題%凾ゥら切断している矢祭町、国立市に続こう! 2008年3月25日  山中 喜美子 案内へ戻る

Revolveする世界《3》    北山 峻 

 (4)戦争で焼け太りし世界一の大帝国へ
 
 その後は世界一の工業国・経済大国となったアメリカは、二度の世界大戦においても西欧列強の中では唯一戦場になる事もなく、逆に戦争特需によって莫大な利益をむさぼり、政治的・軍事的にも頭抜けた巨大国家となり、戦争下弱体化した他の帝国主義諸国をもその指揮下に置く勢いでした。
 特に第二次世界大戦後は世界の憲兵として、敗戦国であった日本や西ドイツ・イタリアばかりかイギリスやスペインなどを含む世界40カ国あまりに20〜30万人もの軍隊を常駐させ、太平洋・大西洋・インド洋から地中海に至るまで巨大な艦隊を遊弋(ゆうよく)させて様々な「紛争」に介入し、世界各地で人民を蹂躙し、収奪して肥え太り、世界最強の超大国として世界に君臨してきたのです。
 閑話休題。少し横道にそれますが、現代最大の兵器である核兵器についていいますと、第二次大戦後アメリカは、ヨーロッパや日本に対して、NATOや日米安保条約によってアメリカの「核の傘」の下に縛り付け、それらの国々の核武装を阻止しようとしましたが、ケネディがフランス大統領ド・ゴールに「フランスが核攻撃を受けたとき、アメリカは自国の壊滅をと引き換えにソ連との核戦争に踏み切れるのか」と詰問されて蒼白となり、フランスの核武装を認めざるを得なかったように、中国も、ソ連の妨害をけって、「中国人は、たとえズボンをはかなくても核兵器を造って見せる」(陳毅外相)として64年に原爆、67年に水爆を造ったのでした。それに対し日本の支配層は、未だにおとぎ話である「核の傘」を撒き散らし、ミサイルを4〜5発連射されれば「何の役にも立たない」ことは世界の軍人の常識となっている、それゆえカナダでさえも導入を拒否しているミサイル防衛(MD)システムという一兆円もする高額な「おもちゃ」をアメリカに押し売りされ、07年12月18日、ハワイで米軍の指揮の下で、実験に成功したと発表しましたが、反動の石原慎太郎などは、今年(08年)1月に、それと一体になっているパトリオットミサイルの演習を新宿御苑でした防衛省に対し、「皇居前広場でやれ」などとアメリカのお先棒を担いではしゃいでいる始末です。全く阿呆につける薬はない。
 
 (5)絶頂の大帝国から没落の階段を下る
 
 しかし蒋介石を支援した中国国内戦争で敗れ、朝鮮戦争で引き分け、ベトナム戦争で敗退したばかりか、第2次世界大戦でぼろぼろになった英・仏・独・日・伊などの帝国主義諸国が復興してくると工業の独占が崩され、ド・ゴールの要求による急激な金の流出によって1971年ブレトンウッズ体制が崩壊に追い込まれるに至りました。さらに73年には米英で事実上の独占体制を築いてきた国際的な石油の支配が、イスラエルに反対するアラブ諸国の反乱によって切り崩され、オイルショックに追い込まれたばかりか、中東支配の支柱としていたイランのパーレビが打倒され、イラクのフセインが米英に敵対してソ連やフランスとの提携を強めるという危機的状況に追い込まれました。
 その後戦後一貫してアメリカと一線を画していたド・ゴールの後継者である、フランスの大統領ジスカールデルタンの提唱で先進国首脳会議(サミット)と、現在のG7に繋がる各国蔵相・中央銀行総裁会議が開催され、アメリカ単独での世界政策の決定に「たが」がはめられるに至ったのでした。70年代半ばに起こったこれらの事態がアメリカの衰退のはっきりした第一段階を示すものでした。
 その後1979年に開始したソ連のアフガン侵略戦争が88年にソ連の敗北で終結したあと、89年のベルリンの壁の崩壊を経て91年にソ連が崩壊すると、アメリカは91年のイラクに対する湾岸戦争に勝利したことともあいまって、再び唯一の超大国としての「自信」を取り戻し、折からのIT革命と金融ビッグバンによる一人勝ちの状況の中で、再び単独行動主義に走り、9・11以降、フランスやドイツなどの警告をも省みず国連をも無視して一人で指揮棒をふるい、アフガン戦争、イラク侵略戦争に突進したのでした。
 だが、この間アメリカ以外の世界もかつてないきわめて大きな変貌を遂げていたのです。
 
 (四)73年以降の世界の変貌
  
 アメリカがはっきりと没落の階段の一段目を下った1973年以降も、世界は急速な変貌を遂げてきています。
 
 (1)EUとユーロの誕生
 
 その変貌の第一は、ナポレオン戦争以来、幾度も激突を繰り返してきたフランスとドイツが、1988年の軍事協力協定の締結を基礎に西欧の弱小帝国主義諸国を糾合してEUを立ち上げ、さらにドルに対抗する新たな基軸通貨としてユーロを導入し、ソ連崩壊後は東欧諸国をも取り込んでヨーロッパ全体を統合する勢いを強めていることです。
 EUの中には、EUに加盟していながらもアメリカと結託し、ヨーロッパの共通通貨であるユーロの創設に反対し、今でもユーロを使わずにいるイギリスなどもいますが、EUは、全体として仏独をその枢軸として結束し、今では東欧諸国をも次々にその中に取り込んで東方に拡大し、アメリカやドルに振り回されない独自の経済圏を構成してじわじわと拡大を続けています。
 ユーロは、1999年のその発足時には、世界の外貨準備高のうち16%でしたが、2006年には22%に6ポイント増加し、ドルが71%から64%に9ポイント減少したのに対して、あまり目立ちませんが少しづつ拡大を続けています。ただ国際債権発行残高においては、ユーロ建て債権はユーロが発足するや否や急速にその発行額を伸ばし、2003年にはドル建て債権を上回り、2006年の段階では世界の債権発行額の50%を超えたと報道されています。今後アメリカとドルの衰退の中でEUとユーロは、ますますその存在感を強めていくでしょう。
 これらのユーロの動きについて、東北大教授の田中素香などは次のように述べています。
「2000年には100円を切っていたユーロ相場は、06年8月、150円を突破しその後も最高値を後進しながら07年1月には159円に迫る高値となった。・・・・・東方拡大によってEU企業は低賃金の生産基地を域内に確保した。EUの産業は、21世紀の世界市場競争への橋頭堡を東欧に獲得したのである。さらに東欧はEU経済変革の中核となっている。生産・物流・金融の地域ネットワークが東欧を基軸に展開している。EUに新規加盟した東欧諸国の経済成長率は旧EU15カ国の約2倍から5倍であり、家電製品や住宅などの需要が東欧諸国で急拡大している。東欧の急成長が西欧をも活性化している。」(田中素香著「拡大するユーロ経済圏」日本経済新聞社刊、2007年4月、pB)
 「EUは東方拡大によって獲得した経済の活力、競争力回復を基盤に世界各国とのFTAネットワークの形成へと向かっている。@FTA締結済み;中南米(メキシコ、チリ)、南アフリカ、地中海諸国、AFTA交渉中;メルコスール(ブラジル)およびインドと進め、韓国とアセアンに対しては07年に締結予定。また湾岸協力会議(GCC)7カ国との交渉も加速している。Bパートナーシップ友好協定;ロシア(96年)についで中国とも締結へ。このような展開はEUの世界経済への影響力を拡大させる方向に動くであろう。」(田中素香前掲著、p325)
 「戦間期の衰退するポンドと台頭するドルの2つの通貨が基軸通貨として並存したように、当面はドルとユーロの2極通貨体制が続くだろうが、米国のサブプライムローンに端を発した世界に混乱は基軸通貨交代を予想以上に早めることになるであろう。」(日経新聞08年2月21日、水野和夫(三菱UFJ証券チーフエコノミスト)著「再考・基軸通貨ドルの行方・下」)

 (2)中華帝国の再興
 
 73年以降の変貌の第二は、そしてこれが最大の変化ですが中国の再興です。
 1976年の毛沢東・周恩来・朱徳という中国革命の三元老の死後、78年に実権を握ったケ少平の指導の下で、中国ではいわゆる「社会主義市場経済」と称する私的資本主義体制への改革運動が開始され、旧来の硬直した国家資本主義体制の急激な改廃(改革=人民公社の解体・国営企業の民営化など)と、経済特区という国家的優遇政策による外国資本の大々的な導入(開放)によって、無尽蔵の安価な労働力を提供しての外国独占資本の下請け基地として急激な工業化政策が実施されはじめました。
 この改革・開放政策の下で、89年の「天安門事件」による一時の停滞をはさみながらも、中国は、ほぼ30年間にわたって年平均9%〜10%にもなる史上前例のない超高度経済成長を遂げ、この30年間で、その経済規模はおよそ40倍に拡大し、現在では実質で日本の2・2倍、アメリカの7割を占める世界第二の経済大国となっている。同時に中国は、かつての国家資本主義時代に確立した中国共産党の単独独裁政権という開発独裁型の政治体制を維持しながら、石油・鉄鋼・金融・保険・通信・自動車などの基幹産業においては、例えば三大石油メジャーとして再編したシノペック・ペトロチャイナ・シヌークなどのように外国資本に対抗しうる巨大資本を国家権力の主導の下で育成し、次々と国際的な巨大資本の仲間入りを果たさせています。
 2006年のトップ500社のうち、25社の営業収入が1000億元(およそ1兆4000億円)を超え、うち23社が世界企業500社の基準に達し、そのうち19社が2005年の世界企業トップ500社入りを申請し、ランクインした。1995年の世界企業トップ500社にランクインしたのはわずかに3社しかなかったから、中国企業の拡大は世界の中でも群を抜くものとなっています。ちなみに、中国第1位の中国石油化工集団公司(シノペック)の2006年の営業収入は8230億元(11兆5220億円)で、世界企業ランクは23位です。(「中国情報ハンドブック」2007年版、p484)
 
 (3)インドの再興
 
 73年以降の変貌の第三はインドの再興です。
 インドはその豊富な理工系人材と高い英語力そして欧米の10%程度という低廉な賃金(例えばプログラマーの賃金が年収70万円程度)によって、IT産業では世界でもトップクラスの能力と実績を持ち、インドの経済成長の牽引力となっています。インド工科大学(IIT)やインド科学大学院大学(IISc)を筆頭とする全インドの1234校の技術系大学から、毎年12万人を超えるITエンジニアが輩出されているというのです。
 一般的なソフトウェア開発の規格であるカーネギーメロン大学(アメリカのメロン財閥の創った大学)のソフトウェア工学研究所による技術認証、SEI−CCMで、最上級のレベル5を獲得している企業が世界に130社あまりある中、インド企業は実にその半分以上に及ぶ73社を占めています。そして2003年度のIT産業の規模は196億ドル(2352億円)でしたが、1997年度の50億ドルに比べ4倍増しており、ITの業界団体であるNASSCOMとマッキンゼーのレポートによれば、08年度の生産規模はさらにその4倍の700〜800億ドル程度と予測されています。(榊原英資・吉越哲雄著「インド 巨大市場を読みとく」東洋経済新報社刊、p62)
 そしてこの豊富な理工系人材によってインドは最近では製薬業界や医療で急成長を遂げています。例えばその医療技術は世界の最高の水準にありながら、アメリカの10分の1ほどのコストしかかからないので(骨髄移植でアメリカ40万ドル、インド3万ドル、肝臓移植でアメリカ50万ドル、インド4万ドル)03年実績で、世界中からメディカル・ツーリズム(医療サービスを目的とした旅行)でインドを訪れた人が年間10万人を超え、世界一のメディカル・ツーリズム受入国であるシンガポールの年間15万人に迫る勢いとなっているようです。(榊原・吉越著、p77)
 最近では、世界一の製鉄会社であったインドのミタル・スチールが第2位のルクセンブルグのアルセロール社を買収合併し、世界で圧倒的なシェアを持つ巨大資本となったために、世界第3位の新日鉄などが、ミタルによる買収におびえて住友金属やJFEスチールなどの国内メーカーばかりでなく、韓国のポスコや中国の上海宝鋼集団との連携を強化していますが、鉄鋼ばかりではなく今までは外国企業に席巻されていた自動車や電気機器などの産業においても、最近話題になった28万円の小型乗用車の発売など、インド資本による独自ブランドの開発が急ピッチで進められています。
 インドは、1960年代からソ連が崩壊する1991年まで、あらゆる製品を国内生産でまかなうといういわば「鎖国」的な産業振興策をとってきた結果、もともと「サンダルから人工衛星まで」といわれるほど広範囲の製品を製造できる技術力、生産能力を備えていましたから、それが1991年以降の自由化・外国資本の積極的な導入によって経済活動が一挙に活性化し、中国から10年遅れで、劇的な生産力の増大となって現れているのです。
 インドは、1990年から2005年までのわずか15年間にその生産力を3・7倍化し、今では日本とほぼ同じ4兆ドル世界第4位の生産力を持つ大国に成長してきましたが、しかしもう伸びきったゴムのように成長が止まった米・欧・日などの先進工業国とは違ってインドは、中国やアセアン諸国・ブラジルやイランなどの諸国と同様にまだまだ計り知れぬ成長の余地を残しており、今後2〜30年の間には中国と共にアメリカを凌駕する世界1位と2位の大国になるであろうと思われます。(368に続く) 案内へ戻る


反戦通信−20・・・4.6防衛省『人間の鎖』

 4月6日(日)2時30分より防衛省前において、「基地をけとばせ!ストップ米軍再編」をめざした「人間の鎖」の取組みが行われた。
 主催したのは、防衛庁前での定期抗議行動(毎月第1週月曜日6時30分〜7時過ぎ)を行っている「辺野古への基地基地建設を許さない実行委員会」。これに、沖縄の「ヘリ基地反対協議会」と「沖縄平和市民連絡会」も加わり組織された。
 当日は、実行委員会に加盟している「平和フォーラム」「平和委員会」「全労協」や全国各地の反基地団体など、約550人が参加した。各地からの訴えを交えながら、都合3回の「人間の鎖」で手をつなぎあい、「米軍基地はいらない!」「基地強化に反対!」の声を上げた。
 駆けつけた参議院議員・山内徳信さんからも力強い激励の挨拶があった。
 この「人間の鎖」取組みのあと、午後6時より文京区民センターにおいて、「基地強化を許さない交流集会」が開かれた。
 最初に沖縄の「ヘリ基地反対協」代表委員・安次富浩さんから辺野古の闘いの報告があった。「焦る防衛省は環境アセス法違反の環境現況事前調査を海上自衛隊の掃海母艦『ぶんご』や海上保安庁の強化(中城海上保安省保安本部に格上げし人員を19名から一挙に3.5倍の67名に増員し、環視艇3隻、ゴムボート30隻等の新規購入の予算化をめざしている)を投入して強行したが、その環境影響評価方法書の内容はまさにデタラメであり、オスプレイの配備や戦闘機装弾場、洗機場、艦船接岸浅橋など、その事業基本計画の主たる部分が秘匿されていた。県環境影響審査会の委員からも方法書のずさんさが指摘され、結局防衛省は1年間調査を延期せざるを得なかった。やはり辺野古の現場で毎日体を張って、海上で保安庁と闘ってきた成果である。しかし、防衛省は違法な環境調査の強行突破を画策し、3月17日より環境調査を開始した。この調査は来年3月末まで予定されている。これからも厳しい闘いが続くので支援をお願いしたい。」と訴えた。
 次ぎに「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表でもある高里鈴代さんからは米兵による女子中学生暴行事件に関する報告があった。「沖縄の米軍基地は圧倒的に海兵隊基地が多い。この海兵隊は戦場の最前線に送られる部隊である。今度の事件の特徴は暴行事件を起こした海兵隊員は若年兵士ではなく、基地外に住んでいる30代の兵士であったこと。また、被害者である女子中学生に対するバッシングがもの凄かったこと。」を指摘された。
 その後、岩国からは「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」の田村さんから、「市長選では負けたが、今現市長のリコール運動を準備している。市民と反基地団体との連携で米軍再編をくい止めたい」との力強いアッピィールがあった。
 さらに、神奈川からは厚木基地の爆音訴訟の第4次原告団は7000人以上になつたこと。横須賀の原子力空母配備に反対する署名運動や港の工事差し止め訴訟の闘いの報告、キャンプ座間基地前で2年4ヶ月座り込みをしている女性グループの報告などがあった。
 米兵による事件が沖縄・岩国・横須賀と続く中で、米軍基地を抱える各地の反基地団体が交流会を開いた意義は大きい。
 各地の闘いと連帯して米軍再編をくい止めよう!(若島三郎)

  
色鉛筆−−人間を入札するな

兵庫県尼崎市で、市民課住民票入力業務に就いていた女性5人が市役所前にテントを張り、ストライキを行ないました。偽装請負が発覚し、直接雇用を訴えるため「武庫川ユニオン」市役所分会を結成し、07年2月から市と交渉を続けてきた結果のことでした。07年4月からは派遣社員として契約が成立したものの、市の態度は二転三転し、結局は今年度は競争入札にかけるという酷い通知を彼女たちに付きつけたのです。
 08年3月末、雇用契約が終える3日前、ストライキを一日中止し、混乱している職場に復帰し業務につく彼女たちを、支援するために報告集会がもたれました。私も仕事帰りに参加しましたが、兵庫県の北部からむ支援の人が駆けつけ、関心の高さを思わせました。彼女たち5人のそれぞれのアピールは、自分たちだけの闘いではないことに気づかされた、その連帯感あるあふれる想いが参加者の共感をよびました。
 それにしても疑問に思うのが、尼崎市長は市民派の市会議員をへて当選した女性であるのに、なぜこんな非人間的な対応ができるのだろうか、ということです。自らの退職金も3000万円を超える額から500円に下げるという、革新的な行動派なのに。市の財政再建のためなら、女性の補助的な労働をますます固定化し、さらに劣悪な労働形態を押し付けることも平気なのでしょうか。
 こんな争議を抱えている尼崎市の現状をふまえ、市民オンブズ尼崎が市の総務局職員部の給与課長を報告者にし、「市政出前講座」を開きました。市が直接雇用する非常勤嘱託員、臨時的任用職員の勤務条件などが説明されました◇それにしても、1年契約で毎年契約を更新し、8年間勤務している学校給食勤務の実態は、なぜ職員になれないのか疑問が出てきます。勤務時間も6時間と7・5時間があり、残業時間も入れると8時間勤務の正規職員との差は、ほとんど無いと言ってもいいのではないでしょうか。
 派遣社員は、争議の5名を含め21名で、毎年忙しい3カ月だけの業務もあるようです。会場から派遣社員の時間給の質問があったのですが、給与課長は市は関知していないと返答し、非難を受けるはめになりました。税金で賃金を支払っている以上市は責任を持って把握しておくべきでしょう。自分たち職員の給与は守るが、公務員試験を受けていない労働者は不安定雇用は仕方ない、ということでしょうか。
 ストライキを体験した勇気ある女性5人は、4月以降も市と交渉を続け、これまでの業務に戻り仕事を再開できるよう諦めず、頑張っています。私たちもそれぞれの職場で仕事に追われる日々ですが、労働条件が悪くなっているのを見過ごさず、諦めず、彼女たちに続きましょう。(恵)案内へ戻る


後期高齢者医療制度は直ちに廃止せよ!
高齢者医療の財源は企業と国家の負担でまかなうべき


■ねらいは企業と国家の負担削減

 4月1日から後期高齢者医療制度が施行された。2年前の国会で自民・公明の与党による強行採決によって導入された制度だ。制度の施行が迫るにつれて、その高齢者いじめの本質が次第に知られるようになり、反対の声が大きく高まっていたが、実施されてしまった。
 政府・与党は、この制度の導入について次のように述べている。後期高齢者の心身の特性に合わせた医療サービスを介護サービスと連携して提供することにより生活の質を向上させることを目的としている♂]々。
 しかしその実際の内容は、後期高齢者と呼ばれる人たちの心身の特性を逆に無視し、医療サービスをかえって切り縮め、生活の質を低下させ破壊するものとなっている。この制度が目指している本当の目的は、後期高齢者に必要とされている医療サービスや彼らの生活を犠牲にすることを通して、医療をはじめとする社会保障への企業や国家の財政負担を削減することにおかれている。
 この制度の特徴と、その問題点を見ていこう。

■容赦ない収奪と医療棄民化

 この制度は、75歳以上の人たち全員を一括りにし、国民健康保険や被用者保険などから脱退させ、それらとは別建ての後期高齢者医療制度に加入させるものである。65歳から74歳までの一定の障害のある方も、加入する。制度を運営するのは都道府県ごとに組織される後期高齢者医療広域連合であり、加入者から徴収される保険料は広域連合ごとに異なるが、平均では月6000円、年間72000円となっている。
 政府・与党は、財源は公費が5割(国が6分の4、都道府県と市町村が6分の1ずつ)国民健康保険や被用者保険からの支援金が4割で、後期高齢者の負担は1割に過ぎないなどと言う。しかし保険料は2年ごとに見直すという規定があり、保険料負担の絶対額が増大していくばかりでなく、1割とされている保険料の負担割合も引き上げられていくことは避けられそうにない。平均寿命には地域差があり、平均寿命の長い広域連合ほど負担が増大していかざるをえず、長生きへのペナルティーとなりかねない。
 また、これまでは被用者保険の扶養家族として負担がゼロであった人も、新たに保険料を徴収される。この被用者保険の扶養家族であった者からの徴収は、6ヶ月間は免除、2年間は半額負担でよいとするなどの「激変緩和」措置が用意されているが、こうした措置をとらざるを得ないこと自体が、この制度の矛盾と大衆収奪的性格を物語っている。
 収奪的性格は、年金からの天引き制度にも現れている。年金受給額が月額1・5万円、年額18万円以上の者は、保険料が年金から天引きされる。しかも政府・与党は、この制度発足のどさくさに紛れて、65歳から74歳のお年寄りからも新たに年金天引きを実施しようとしている。
 保険証の取り上げも大問題だ。年金月額1・5万円以下の者は自分で保険料を納めるが、滞納が1年間続くと保険証を取り上げられて「資格証明書」に切り替えられ、医者にかかるといったんは全額(10割)を自己負担しなければならなくなる。さらに1年半の間滞納が続くと今度は保険給付自体が差し止められてしまう。これまでは高齢者には資格証明書は発行されないことになっていたが、これからは容赦なく保険証が取り上げられてしまう。現在、国民健康保険の保険料滞納者からの保険証取り上げが横行し、多くの低所得者が必要な医療を受けられずに健康を悪化させ、命さえ奪われるという事態が生じている。後期高齢者医療制度はそれにさらに輪をかけようとしているのだ。
 そうなると低所得者などへの減免措置などを期待したくなるが、この制度では減免措置を行うことは難しい。保険料は広域連合ごとに条例で定められることになっているが、広域連合は市町村や都道府県と違い一般財源を持っておらず、そこから手当てする独自の保険料減免措置は困難な仕組みとなっているのだ。
 さらにこの制度は、医療機関に支払われる診療報酬を、後期高齢者については別建てとしている。後期高齢者に限り病気ごと、患者ごとの包括払い制(定額制)を導入し、必要な治療を何回行っても、診療報酬は同じにしてしまおうというわけだ。これでは、積極的な治療を行えば行うほど、医療機関の持ち出しが増え、経営を圧迫することとなる。治療は抑制され、必要な治療さえ受けられなくなる可能性が生じる。
 後期高齢者への医療の抑制、医療サービスの切り縮めの意図は、療養病床の23万床削減計画や都道府県の「医療費適正化計画」とも連動している。後期高齢者医療制度の柱の一つは、病院から在宅へ、医療から介護へというものだ。しかし、病院から出たあとの受け皿の整備がまったく進んでいないない状況、在宅介護システムが低い介護報酬や介護労働者の劣悪な労働条件などによって崩壊状態に直面している状態で、安易に「平均在院日数の短縮」「在宅看取り率の向上」が良しとは言えないはずだ。

■財源は企業と国家に! 管理・運営は勤労者と当事者に!

 この制度は、後期高齢者の特性に配慮した医療の提供を目指すなどと言うが、その本当のねらいが医療費の削減におかれていることは明らかだ。財界=大企業は、小さな政府の美名の下で社会保障費の削減を推し進めてきた。彼らの言う小さな政府は、官僚や政治家からその強大な権力を奪い、官僚や政治家による富の浪費を阻止することにではなく、もっぱら財界=大企業の税・社会保険料負担を減らすことに目的がおかれている。
 そのために彼らは、庶民増税を繰り返すとともに、年金や医療や介護など社会保障を切り縮め、そうしてひねり出した財源分をそっくり大企業減税へと振り向けてきた。ねらい打ちにされてきた社会保障分野は毎年2200億円の削減が強行され、年金、介護、医療はボロボロとなってしまったが、今度の後期高齢者医療制度でそれにさらに拍車がかかろうとしている。財界=大企業がこの制度の本領発揮を期待しているのは、団塊の世代が高齢期を迎える時期であり、そのときには大量の医療棄民が発生することとなってしまう。
 政府・与党は、年金や高齢者医療の財源負担は現役世代との公平をはからなければならないなどとも言う。しかし政府・与党の施策が現役世代に対しても極めて過酷であることは、相次ぐ勤労者増税、社会保険料引き上げ、労働市場での競争主義の煽動、過労死を生む加重労働の強制、パートや派遣など無権利で不安定な雇用の増大、働いても働いても貧困からの出口が見えない若者たちの激増という現実を見れば明らかだ。
 どんな社会であれ、働く能力と意欲のある人々にはその力の発揮の場を保障すると同時に、そうした力を持たない人々、労働からのリタイアの時期を迎えた人々の生活を支える責任と義務がある。利潤目当ての生産が支配する資本主義社会とて、その義務を免れるわけではない。私たちは、資本と国家に対して、その責任を果たさせるために圧力をかけなければならない。年金、介護、医療などの財源を彼らに支出させなければならない。
 それと同時に、年金、介護、医療などに対する、勤労者と当事者の発言権、コントロール権を強める闘いを開始し、前進させることも決定的に重要だ。社会保障の財源は資本と国家の負担で! その運営は勤労者と当事者の手で! その手始めに、後期高齢者医療制度を廃止するために闘おう! (阿部治正)


読書室
日本古代史の真実と日本文明派に振り下ろされた鉄槌の名著
岡田英弘氏著『日本史の誕生 千三百年前の外圧が日本を作った』弓立社 定価二千九百四十円

 この本は、十四年前に購入したのですが、私が時間の余裕があると思い出したように手に取る本です。ほとんどの人は知らないのですが、日本の歴史に興味と関心がある人は、必ず読むべき本だと私は確信しています。
 この本が取り上げているのは、日本の古代史です。主要に取り上げている文献は、『魏志倭人伝』・『魏志東夷伝』・『日本書紀』・『万葉集』そして『古事記』です。岡田氏は、『古事記』は偽書と言ってはばかりません。
 この本は優れた本なのですが、唯一私が気に入らないのは、『日本書紀』の書名に関する説を、省略していることです。岡田氏は、余り脇道に逸れたくなかったのでしょうか。私は、『日本書紀』の胡散臭さが、端的に証明された良い説だとは考えているのですが。その説をここで書いてみます。
 ほとんどの人は意識したこともないでしょうが、わが日本にも正史があります。順に列挙してみましょう。
 まず問題の『日本書紀』、続いて『続日本紀』・『日本後紀』・『続日本後紀』・『日本文徳天皇実録』そして『日本三代実録』です。ここで明らかにしておきたいことは、前六六0年の神武天皇の即位から八八七年の光孝天皇の崩御までしか正史がないことです。何とも呆れたことではないでしょうか。
 ここで皆様に是非ともご確認いただきたいことは、『日本書紀』の書名の特異性です。何とも突出していませんか。この書物は、最初の正史として、永らく宮中でも講書されておりました。『日本書紀』成立後約三百年経てから、『源氏物語』が書かれました。この『源氏物語』の「蛍の巻」には、光源氏と玉鬘との間の会話に、この書についての決定的とも言える文言があります。
 「こちなくも聞こえおとしてけるかな。神代より世にあることを、記しおけるななり。日本紀などは、ただかたそばぞかし。こちらにこそ道々しくはしきことはあらめ、とて、笑いたまふ」
 創作とは言え、最初の正史を一方的で偏ったものとの断案は、紫式部のあっぱれな心意気を示してはいます。しかし、日本の古典学者は、ここは『日本書紀』の誤記としているのです。根拠があるのでしょうか。なんともはや。
 この正史の成立した時、和綴じの本はなく、すべて巻物でした。ここから書物の数え方として、巻との数え方は今に残っているのです。当然ながら印刷技術はなく、すべては写本だったのです。ある人が巻物を写した時、書名の脇に写した意味で書と書きました。つまり『日本紀』に添え、書としたのです。その行為が時間を経るに従って不明になり、脱落と考えられて書名に進入したとの説があります。すなわち、これが『日本書紀』の成立なのだとの説です。
 この説は、先の正史の順序にぴったりと当てはまります。だから私は正しいと確信しているのです。私が言いたいのは、こんなにも大事な事を曖昧にしている正史とは何かと言うことであります。
 さて、岡田氏の本に戻りましょう。この本の一九七0年から一九九0年間での発表済みの十三本の論文と三本の書き下ろしの論文と一本の対談とで構成されている本です。ただし既発表の論文は徹底した訂正と加筆がされて、一九九四年の時点での岡田説として首尾一貫したものに仕上がっています。
 彼の主張の革新性のため、結論を紹介することは唐突かつ断定的な印象となるため、ここではあえて彼の主張を取り上げることは差し控えます。
 目次を紹介しますので、是非ご自分で彼の論理展開を確認してください。

 序章 日本の歴史をどう見るか 第一部 倭国は中国世界の一部だった 邪馬台国は中国の一部だった 邪馬台国の位置 西域と卑弥呼 親魏倭王の正体 親魏倭王卑弥呼の正体 邪馬台国は存在しなかった 倭人とシルク・ロード 日本建国前のアジア情勢 中国側から見た遣唐使 「魏志東夷伝」の世界 第二部 日本誕生 神託が作った「大和朝廷」 新しい神話―騎馬民族説日本人は単一民族か 日本語は人造語だ 歴史の見方について 付録〈対談〉邪馬台国と倭国

 この本で、日本文明派の依拠する日本文明の独自性と特徴をことごとく批判論破し、『魏志倭人伝』の政治性と『日本書紀』のいい加減さとを完膚無きまで暴き立てた岡田氏が、皮肉な事に「新しい歴史許可書をつくる会」の会員だとは、何たることでしょうか。まさに「事実は小説よりも奇なり」なのです。
 しかし私たちは、この本に学ぶことが出来るし、学ばなければなりません。
 「目から鱗が落ちる」体験をすること請け合いです。   (猪瀬一馬)案内へ戻る


読者からの手紙
士気が上がらないこと夥しい

 神奈川県知事と横浜市長は、ともに民主党の国会議員を辞職して、自治体の首長になった人物として知られています。ここで書きたいのは中田氏の事。
 最近自らの不祥事の発覚が続く横浜市の中田市長は、鳴り物入りで引っ張ってきた「話題」の人物の任期半ばでの辞職が相次ぐことで、人を見る目の確かさと任命責任とが問われて、今窮地に立っております。
 ケチのつき始めは、0五年四月の「ヤンキー先生」こと、義家弘介氏の横浜市教育委員への抜擢登用がありました。彼は就任後、横浜市の全校を回ると言いながら、0七年退職し参議院選挙に立候補して当選したのは記憶に新しいことです。同時期、全国最年少の公立中学校長として、元楽天副社長から転身した三十五歳の本城慎之介氏も、最初の年の修学旅行で部下との飲酒事件を引き起こし、厳重注意を受け、以後鳴かず飛ばずで結局二年後に退職しました。
 0六年四月、文科省の天下り教育長の伯井氏の後を受けて、葛飾区教委の指導室長であった押尾賢一教育長が、中田市長によって抜擢されて就任したのですが、この三月任期を三年も残したまま突然去っていきました。
 また横浜市立大学学長と理事長も、この三月任期をそれぞれ二年一年残しながら辞任したのです。
 四月九日、任期途中での辞職者がかくも続いたことに対する記者の質問に対して、ゆとりがなくなった中田市長は「一人一人事情があでしょうし、私が全部コントロールでき人じゃない」と逆ギレしてしまいました。まさに彼の鼎の軽重が問われてしまったのです。まさに呆れた発言ではありました。
 中田市長の安易な人選びでは、士気の上がらないこと夥しいものがあります。もっと市民に対してもこの辞任に至る経過の説明が必要なのではないでしょうか。私たちには、詳しい説明どころか辞めたこと自体、ほとんど知らされていないからです。何が開かれた市政なのでしょうか。
 これらのすべての責任は市長にあるのは自明のことです。  (稲渕)

ワーカーズを読んで

 世論の動向や世相については、私でも何とか感じとることはできるが、経済の動きについてはさっぱり。私の最大の弱点といえよう。365号から連載REVOIVEする世界″は、わかりやすく解説してくれるのだが、(4)「超巨大なもう一つの金融取引きの世界」に至っては、用語も見慣れないものばかりで頭の中が飽和状態。理解どころのさわざでなく、政策に現れた現象の解説になってどうに
かアーそうだったのか、と腑におちる感がある位。
 しかし現在の世界の動き、ナゾを知るには経済の動きを見なければ、自らをもあざむきかねない危うさを感ずる。ファイルにしてこの記事に取り組んでいる。といっても読むのがやっとであるけれど、今後こうした記事の掲載がありがたい。年よりの寺小屋学、事始めといったところか。
 思えば苦手な経済は、避けてきたように思う。これからや。次は「商品生産の揚乗について考える」にとりかかる。前途多難か洋々か:いま″勉強せんと。08・4・5

・枚方の集会に参加して
 原発の汚染についての話を聞いた。絶望的な気持ちになった。最近の新聞では原子力の平和利用を述べていた。集会のお話では安全な利用は不可能という結論。六ヶ所村ラプソディー″という記録映画を見せてもらった。平和利用どころか、フランスでは放射能のゴミのリサイクルをはやめたそうだが、六カ所村では受け入れるという。幻滅感に襲われながらも、エネルギーをできるだけ使わない方向でやるだけやるたい、気ぼるたい″(氷川きよしの玄界灘舟歌より)でやる以外にないと思
う“節電アイデア集″を片手に。08・4・9
・原点≠ニいうこと(自己確認のために)
 TV放送によることだが、音楽家の坂本竜一氏が世界にとどく音楽をめざしているという。それが音楽に関心をもったことのなさそうなオバチャンが音楽っていいね″と思わずいうような音楽を。
 私はすべてに吉痴だけど、ある芸術家に惹かれたことがあったし、またミロが、シュールレアリズム運動に参加しながら、運動の制約をはみだした行為もあって、頭目から放り出され、芸術なんて知らないよ″という市井のオッチャン、オパチャンからも好かれる″作品を、後には共同制作もやったミロに、ぞっこんだった。
 これが私の芸術への原点であったといえよう。坂本氏は本当の意味でプロなのであろう。誰もがそれぞれの道でプロであろうし、だからズブの素人でもいいね″と感じとることができるのであろう。
 思えば戦中戦後の記憶は、おなかばかり減って、求める何もなかったように思う。美空ひばりをさまざまな事柄とともに記憶している億。自分が何が好きかもわからない。だから坂本竜一氏やミロに心をゆすぶられるのであろう。その先に最近亡くなった小田実氏がいた。
 彼の運動には思考の自由さの魅力があった。自らの思考・生死の問題にも自由であること、これを犯そうとする力には一歩もひけぬことを学んだ。私はなぜ書くか。なにを。いかに。一粒のブドーの実として。世界のタテヨコ十文字の織りなす模様を表現(書く)したい。欲望といえばこう言えよう。みなスタートラインに立っている。これは手塚氏がブツダ≠ナ、ここに行き着くまでの遍歴を描いて、あとは一人天の宿題として残した。
 私がTVにこだわることから始めたのだったが…。過去に立ちもどった人もいるだろうしいま″に生きようとする人もいるだろうが、同じことのように思えるが…。素材として何を選ぼうと。
08・4・8  (宮森常子)


編集あれこれ
 四月一日号、nO六六号では、「後期高齢者医療制度」についての記事を是非とも掲載すべきであった。結局何の問題提起もできず残念であった。
 今後、医療関係者や医療労働現場や隣接する介護労働・福祉労働現場からの問題の本質をえぐる鋭い論文や報告を期待したい。   (猪瀬)案内へ戻る