ワーカーズ368・369合併号   2008/5/1     案内へ戻る

空自のイラク兵站輸送に違憲の鉄槌
違憲判決が露呈した司法の危機!


 4月17日、名古屋高裁(青山邦夫裁判長)は自衛隊イラク派兵差止訴訟控訴審において、@バクダットはイラク特措法にいう「戦闘地域」、A空自のバクダットへの空輸活動は「多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援」との判断示した。判決自体は平和的生存権を憲法上の権利と認め、差止請求や損害賠償請求についても「決して、間接民主制下における政治的敗者の個人的な憤慨、不快感又は挫折感等に過ぎないなどと評価されるべきものではない」としつつ、原告敗訴となっている。
 しかし、空自の活動はイラク特措法違反であり、「憲法9条1項に違反する活動を含んでいることが認められる」と言い切り、しかも「イラク特措法を合憲とした場合であっても」と留保をつけるなど、政府の暴走の下で無視され続けている平和憲法を守らなければという裁判官の良心が溢れている。残念なのは、原告のなかに当事者(イラク派兵された自衛官やその家族)がいなかったことが原告適格性≠欠き、損害賠償請求を認めるに足る非侵害利益≠ヘ生じていないとされた点である。
 このあまりにも真っ当な違憲判決に浴びせられた政府閣僚の非難、町村官房長官「裁判所には誤りがある」、石破防衛相「なぜあえて言及する必要があったのか理解しかねる」、鳩山法相「傍論」、極めつけは中山元文科相「いろいろ問題のある人だった」「最後っぺみたなことでああいう判決を出されてのかなと思う」等々。福田首相も「問題ない」として違憲判決無視を決め込み、空自の撤退などは考えていない。そして、当事者である空自の田母神俊雄航空幕僚長は「そんなの関係ねえ」とうそぶいている。
 こうした反応は現在の司法の現状を如実に示すものである。政府の行為に違憲の判断を示すのは傍論≠ナあり最後っぺ≠ナあり、問題裁判官≠ネのである。残念ながら司法の現状は確かにその通りであり、住基ネットに違憲の判断を示した大阪高裁竹中省吾裁判長は自死したが、最高裁は国策追随でこれを覆した。最高裁は立川反戦ビラ配布についても住居侵入罪で有罪を確定させ、憲法が保障する表現の自由を投げ捨てた。
 政府や国会議員は憲法を無視し、最高裁はこれに追随している。裁判官の良心はズタズタに引き裂かれ、憲法なき無権利国家が出現するのか。あきらめることなく、異議申立てを続けよう。 (折口晴夫)


始まった草の根からの反乱
――個別企業・雇用形態の壁を乗り越えて総反乱へ!


 市場・利潤万能社会がつくりだした格差社会・階級社会。新たな貧困∞ワーキングプア≠ニいう流行語にまでなった言葉に象徴されるような現状に異議申し立てする反乱が、いまあちこちで始まっている。
 偽装請負に対する告発や提訴、日雇い派遣に代表される不安定で劣悪な雇用やピンハネ経営に対する告発、名ばかり管理職というただ働きに対する反乱、等々……。
 この10年のあいだに進行したあまりに理不尽な格差社会、階級社会の当然の結果として、いま草の根からの反乱が澎湃としてわき起こっている。
 この反乱は、市場万能社会の利潤至上主義原理に真っ向から対峙する、労働と労働者の尊厳の自覚を原点とした当然すぎる反乱だ。こうした反乱を一部の先駆者の闘いから、総反乱に拡げていく絶好の局面がいま到来している。

■弱肉強食の市場原理がもたらした二極化社会

 いまさらとはいえ社会の二極化ますますが拡がっている
 ますます集中化する大都市と衰退する地方、多国籍企業を中心とした大企業と系列・下請けを含む中小・零細企業、利益をため込む企業と雇用・賃金・労働時間で日々劣悪化する境遇の労働者、ごく一部のエリート労働者と圧倒的多数の不安定雇用と長時間労働の企業戦士への二極化、激増した明日をもしれない非正規雇用と馬車馬以上の働きを強要される長時間労働の正規労働者……社会は二極化へ向かってますます分裂を深めている。
 これらは自然現象ではない。利潤万能の市場原理とそれを盾に取った経営側が押しつけたものだ。

■とどまることを知らない経営側の利潤至上主義

 平成不況下で進行したこうした新しい階級社会・格差社会の直接の発端は、日経連の雇用形態の三類型化≠サれにこれと呼応した政府の派遣労働の解禁・緩和だった。
 この10年で進行した格差社会、その象徴ともいえる非正規労働者の激増は、雇用と賃金と労使関係の再編をねらった経営、それを促進した規制緩和委員会のお手盛り施策だった。
 が、経営側の利潤万能主義はこれにとどまってはいない!
 この4月に施行された労働契約法は、経営主導による労使関係再編の第三弾だった。要は労働協約と労働組合の骨抜きをねらった就業規則至上主義、それに経営側の悩みの種になってきた労使紛争の封じ込め政策に他ならない。
 さらにいまは政局がらみで棚上げになっている残業代踏み倒し制度としてのホワイトカラー・エグゼンプション、それに派遣労働のさらなる規制緩和だ。まさにとどまるところを知らないどん欲な利潤至上主義の現れそのものというほかはない。経営側の思惑には断固反撃あるのみだ。

■破綻した日本的新自由主義

 とはいえ利潤万能で突っ走ってきた経営側も、自分たちの政策の有効性に確信を持てなくなっている。
 思い起こせば90年代以降、日本の企業や財界はグローバル経済のもとでの対外競争力の強化を錦の御旗にリストラを強行してきた。ところが現実には90年代以降、日本企業の競争力は高まるどころか低迷から抜け出せないでいる。
 たとえば世界経済フォーラムの調査では日本の競争力は世界で第8位(07年版。社会経済生産性本部の調査では日本は経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国の19位で、主要先進7カ国では11年連続で最下位で、1時間あたりの生産性もやはり19位だ。スイスの研究所の調査でも第17位でしかない。90年代初めには世界でトップだったのにだ。
 ほかにもある。労働者の個別管理やその土台としてきた成果主義処遇は、職場全体の生産効率が低下するという、いわゆる職場力の崩壊≠ニいうしっぺ返しを受け、いままた集団主義への復帰の模索を余儀なくされている。
 当然のことだろう。目先の成果を強要されれば職場全体の、あるいは長期的な成果を追い求めるよりとりあえずの自己防衛に走るという態度も、姿形を変えた労働者の反乱であることには違いがない。これらは技術革新や設備投資よりもリストラや非正規化など目先のコストダウンを追い求めてきた日本的新自由主義≠フ破綻であり、労働者を単なるモノ扱い、利益の手段扱いする経営への強烈なしっぺ返しであることを物語っている。
 いま経営側は、すでにその破綻があらわになっているにもかかわらず、総額人件費の引き下げを推し進めていく以外に自らの生き残りの道筋をもてないでいる。

■草の根反乱∞ネガティブ反乱≠ゥら総反乱≠フ時代がやってきた!

 長らく続いた格差社会・階級社会化の局面から、いまそうした現実への反乱の可能性が広がっている。
 非正規労働者自身による、生存ラインぎりぎりのところからのもう後はない≠ニいうところからの反乱、過労死と隣り合わせ≠ニいう正規労働者による長時間労働を拒絶する反撃、サイレントマジョリティによる身勝手な人件費抑制への不服従という面従腹背……。
 これらの経営側への防御的かつ草の根的な多様な反乱・反抗を、いまこそ一つムーブメントとして総反乱へ転じるときがやってきた。
 すべては目先の現状を告発する行動への決起から始まる。次には多様は反乱を一つの力に転化する共通の土台での闘い、すなわち個別企業や雇用形態の壁を越えた均等待遇≠実現する闘いを拡げることだ。
 均等待遇を実現する闘いは、終身雇用・年功処遇。企業内組合という、いわゆる日本的経営を大転換する闘いでもある。それは同時に労使運命共同体思想で企業に統合されてきた労働者が、自分たちの団結した力で社会を作り直す力を獲得する闘いでもある。
 未来は闘う労働者の眼前にこそ開けている。
 すべての労働者は、個別企業や雇用形態の壁を越えて協力し、共通の目的に向けて決起しよう!(廣)
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行き詰まる米国の中東戦略
カーター元米大統領とハマス幹部の会談が語るもの


■背景にあるのは米国の中東政策の行き詰まり

 カーター元米国大統領をしてハマス幹部との会談に赴かせた背景には、いったい何があるのか。それは、ブッシュ政権が推し進めてきた中東政策が、アフガニスタン戦争、イラク戦争の泥沼化に如実に表れているように完全に行き詰まってしまっていること、そして中東問題の根っこに横たわっているパレスチナ問題もまた出口なきみじめな彷徨を続けているという現実だ。
 アフガニスタンではタリバンが復活を遂げて米国やEUの軍隊を悩ませ続けている。イラクでは米軍が駐留延長と増派を繰り返しても武力抵抗はやまず、米国の次期大統領になる可能性が高い民主党の二人の大統領候補者のどちらもが、強弱や濃淡の違いはあれ、イラク占領を批判している。米国による中東「民主化」=中東への覇権拡大戦略は、完全に行き詰まっているのだ。
 そしてパレスチナでは、一度はPLOに対してオスロ合意という屈服路線を承諾させることが出来たものの、自らに有利なこのオスロ合意にすら満足しないイスラエルの右派勢力による合意つぶしの策動をあえて止める者はいなかった。米国はむしろこのイスラエル右派勢力の強硬路線を見て見ぬふりをし、いなむしろ激励し、そのことによってオスロ合意とPLOに対立するハマスなどのイスラム急進主義組織が台頭する土壌を耕した。その結果、PLO主流派のファタハは影響力を弱め、米国とイスラエルに本当なら好都合なはずの「和平合意」を遠のけてしまったのだ。
 イスラエルは相変わらずハマス幹部の暗殺や自治区への武力侵攻や占領地への入植を繰り返し、自治区政府が受け取るべき自治区から徴収した税金の横奪に加えて、分離壁建設や経済封鎖によって自治区のパレスチナ住民に塗炭の苦しみをなめさせている。そしてそれに反発するハマスは、ますますイスラム原理主義にかたくなにしがみつき、イスラエルへのミサイル攻撃、兵士の拉致、自爆攻撃などを繰り広げている。

■混迷続くパレスチナ陣営

 イスラエル国内におけるパレスチナ問題に対する意見は、決して一枚岩ではない。パレスチナ人の要求をある程度認めようという勢力もあり、パレスチナ人に同情を寄せる勢力も極少数派ではあるが存在している。しかしそれらは大きな力にはなりえず、和平に向けての重要な局面ではいつも右派が横車を押してそれをぶちこわす。そして大方のイスラエル国民も、この対パレスチナ強硬路線に結局は引きづられてしまう。
 対するパレスチナ側の内部事情は、さらに深刻だ。長くパレスチナ人の闘争の中心にあり続けたPLOの主流派ファタハは、かねてからの財政面での不透明さと腐敗、縁故主義などが民衆の反発を買い、それに加えて米国やイスラエルが主導したオスロ合意への荷担で大きく信用を失墜させた。代わって台頭してきたイスラム急進主義のハマスはこの点を突いてファタハと鋭く対立するに至ったが、双方の衝突はやむ気配がない。
 1987年の第1次インティファーダの渦中で結成されたハマスは、その後活発な社会福祉活動、モスクの建設・運営や相互扶助や医療機関の運営で支持を広げ、地方議会選挙やパレスチナ立法議会で善戦、躍進を遂げた。06年の第2回立法議会選挙では多数派となり、ハマスの単独政権が樹立された。それと軌を一にして、イスラエルのハマス攻撃が激化し、米国やロシアやEUや国連も圧力を強めてパレスチナ自治政府への援助を停止するなどの行動に出た。
 そうした周辺の動きを背景にして、ハマスとファタハの対立が激化していった。対立は自治政府職員の給与未払い、治安権限の奪い合いなどからさらに発展して武力衝突へと至る事態となった。サウジアラビアの仲介などもあって双方が統一政権樹立へ向けて動き出す局面もあったが、しかしすぐに頓挫した。07年6月にはハマスがガザ地区を制圧し、対するファタハはハマスのハニーニャ首相の不承認で応え、ファイヤード内閣を成立させた。ここに至ってパレスチナ自治政府は、ハマスの支配するガザ地区、ファタハの支配するヨルダン川西岸地区へと分列する事態となった。もちろん、ハマスとファタハの対立激化に拍車をかけたのは、諸大国によるハマスへの圧力、繰り返されるイスラエルの軍事行動であったことは言うまでもない。
 07年11月に開かれた中東和平国際会議はハマスを除外する形で催され、イスラエルによるガザ地区への攻撃が続き、それに対するハマスの報復が繰り返されている。
 アフガニスタンやイラクと同様に、パレスチナ紛争もまた、まったく出口の見いだせないない状態に陥っているのだ。

■イスラエルと米国こそ譲歩をすべき

 パレスチナ問題が発生したそもそもの原因は、1948年のシオニスト=帝国主義イデオロギーを身につけたユダヤ人勢力によるイスラエル国家の強行建設にある。
 当時の欧米諸国や国連は、「民なき国を国なき民に」などと言ってパレスチナの地でのシオニスト・ユダヤ人によるイスラエル建国を支援、黙認した。しかしそこは「民なき国」などではなく、古くからパレスチナ・アラブが暮らしている土地だった。西欧諸国は自らの内部問題であり、自らが解決しきれなかった「ユダヤ人問題」を、非西欧の地においてユダヤ人に人工国家を与えることで、「解決」しようと図り、シオニスト・ユダヤ人もまたパレスチナ人の生活や権利など知ったことかとばかりに、経済力とテロと戦争を駆使しながら、ユダヤ国家建設・拡大を推し進めていったのだ。その背景には、米英、米ソの勢力圏争い、資源を巡る角逐があったことも周知の事実である。
 その結果、多くのパレスチナ人が故郷を追われて難民と化した。やがてパレスチナ人の中から解放運動が生まれ、民族主義派、社会主義派、イスラム急進主義勢力が育っていった。民族主義派のファタハや社会主義派のPFLPなどの行き詰まりの中で、イスラム急進主義のハマスが台頭することとなった。パレスチナ解放勢力は確かに多くの問題点を抱え、致命的な限界も持っている。しかしテロと戦争の手段でパレスチナ人を追い出したシオニストやそれを支援、黙認した勢力に、パレスチナ人をテロリスト呼ばわりする資格はない。パレスチナ問題における原罪≠ヘ、シオニストとその後援者の側にこそあるのだ。
 この十数年間、パレスチナでの「和平」が追求されてきた。しかしその内容は、オスロ合意に如実に表れているように、パレスチナ人の側が一方的に、法外な譲歩を、圧倒的な軍事力を背景に押しつけられるというものだった。イスラエルや米国などが言う「和平」は、パレスチナ人に対して「無力な者は犠牲に甘んじよ」「ユダヤ人や欧米人と同じ権利は主張するな」という宣告以外ではなかったのだ。
 こうしたやり方が、和平などもたらすはずもなかった。もたらされたのは、パレスチナ人の中からの再度の急進主義勢力の登場であり、そして80年代に台頭したそれは世俗主義を否定し、宗教的な原理主義を掲げる勢力であった。
 パレスチナにもし和平の端緒が生じる可能性があるとすれば、それはイスラエルと米国の側の譲歩によるしかない。占領者とそれを支援する者たち、これまで甘い汁を吸ってきた者たちの側こそが、譲歩をする以外に、和平はまじめな議論の対象にさえならない。
 問題は、イスラエルや米国に譲歩を強いる力が、どこに存在するかである。強大な軍事力を背景にした「力の政策」を信奉し、その成功体験にしがみついているイスラエルや米国の支配層に、善意や良心や正義の観念を期待しても虚しいばかりである。彼らに譲歩を強制することが出来るのは、「占領は結局は高くつく」ことの学習の強制以外にはない。
 彼らに占領の「高価な代償」を自覚させることが可能なのは、やはり国際的な圧力だ。何よりも、その質と内容には様々な問題がはらまれているとはいえ、パレスチナ人自身によるねばり強い解放闘争が前提だ。そして何よりも、戦争や抑圧を世界から無くそうとする労働者・民衆の国際的な行動。さらには、先んじて「高価な代償」に気づき始めたイスラエルや米国内の、そして諸大国の動向を、和平に向けて活用していくことも必要だ。
 今回のカーター元大統領の行動は、「占領は高くつく」ことへの、帝国主義支配層内部からの気づきの表れであろう。同様の気づきは、イスラエルの国内にさえないわけではない。この動きをさらに拡大していくことと同時に、パレスチナ人の解放運動がその宗教的狭量さや急進主義を、国際的な反占領・反戦・平和の運動との関わりを通して克服していくこと、それらのことが前進するか否かに、中東・パレスチナの将来はかかっている。
 パレスチナ情勢への注目と、行動を!(阿部治正)案内へ戻る


読書室
アソシエーション革命論を追求する読者には必読の最新刊
橋本剛氏著『マルクスの人間主義 その根源性と普遍性』 窓社二千三百十円


 橋本氏は、本書の「はじめに」の中で、我が国におけるマルクス主義の栄枯盛衰を簡単に俯瞰した後、新自由主義の跳梁跋扈を批判し、今マルクスの何が見直されるべきなのかと提起する。
 橋本氏によるとマルクス理論の核心は、〈人間主義〉および〈民主主義の理念〉の二つで、これらの点こそはマルクス理論におけるもっとも〈根源的〉なものである。したがって、これからのスターリンの離反こそ、マルクス理論から離れるにあっての〈決定的〉なものだったと橋本氏は指摘する。
 この基本理解に関わって、今流行の「マルクス主義は科学的社会主義」との規定や「社会主義は暴力革命としてのみ可能なのか」に疑義を呈しつつ、マルクスの歴史観は「階級闘争史観」ではなく「階級闘争超克史観」とするのが適切だとする。労働者階級がその階級的自覚に立った階級闘争を通じて革命の〈現実的可能性〉を〈現実性〉へと転化する中にこそ、〈非暴力原理〉の普遍的な実現に他ならないとするのが、前著『人間主義の擁護』(窓社)以来の橋本氏の見解である。
 では、本書の全体を概括してみよう。
 第一章では、マルクスの〈人間の本質〉論を確認し直すためもので、若干の論争史を踏まえて書かれた。この中で広松渉氏の見解を検討してその途方もない主張を的確に批判した。私達は、ここでマルクスの〈現実的人間主義〉が「不当に無視」され、また「見当違いな矮小化」を被った事が確認できる。
 第二章では、カントの〈人間の尊厳〉の思想とマルクスの〈現実的人間主義〉との密接な血脈関係を、資本主義の原理を「自然権」と見たホッブスを検討する中で明らかにし、「理想主義者」カントの〈目的の国〉概念とマルクスの〈自由の国〉概念との継承関係を本質的に明らかにした。
 第三章では、「疎外された労働」と労働価値論の関係について、〈労働疎外論〉の見解が『資本論』では一層精緻化され貫徹された事を明らかにした。特に価値形式(価値形態)論を解明することで徹底的に追求している。読ませる展開がなされおり、一読知的興奮を覚えるのを禁じえない。この章は、本書の最長の章だが、それはこれまでこの面での研究が弱いことと大いに関係がある
 第四章では、橋本氏のマルクス理解の根本かつ総括である見解が、「人間主義と民主主義」との表題の下に、「なぜ既存『マルクス主義』者は人間主義の受容にたじろぐのか」とのスリリングな問題提起をする中で展開され、「人民の自己規定」の概念と「人間にとっての根本は人間そのものである」との命題の意味が徹底して明らかにされる。この作業の中で構造主義的マルクス主義者アルチューセルの見解も検討している。そして、「なぜ労働者の解放は『自己解放』でなければならないか」が本書全体のまとめとして述べられている。
 私見では、マルクス理論の現代的再生とは、哲学史上でのカント・ヘーゲルとのマルクスの諸概念の継承関係を、深刻に確認する事で始めて現実となる。その意味において、哲学史とは「阿呆の回廊」では決してなかったのである。
 橋本氏が本書を通じてもっとも展開したかった事は、「人間にとって根本的であり、最高存在であるものは人間自身である」〈人間主義〉と〈「人民の自己規定」としての社会関係〉=〈理念としての民主主義〉も、近代の〈啓蒙〉精神を通して人類が獲得した歴史的成果であり、この基盤でこそ、マルクスの〈労働者階級の自己解放〉の理念やこれに導かれた〈人間疎外の体系としての資本主義社会に対する根源的批判理論〉の真の理解が出来るとの見解である。
 私は、かくも平易に記述された本書が、橋本氏の永年の研究の精華であると評価する。『社会思想史』におけるルソーへの的確な認識と『人間主義の擁護』の第一章「人間的解放をめざす『疎外』論の再生のために」・第二章「マルクスの官僚制批判」で述べられた見解を基にして、構造主義的解釈や広松氏の見解の検討を踏まえて、マルクスの〈疎外〉概念を明確にし、前著よりさらに練り上げられた論理展開で、前著を数段上回る仕上がりとはなった。ここに至るまでの橋本氏の研鑽と学問的な情熱に後進である私は、大いに啓発されかつ驚嘆する。付論の「非暴力主義の思想的源流――『平和憲法』擁護の人類史的意味」も読み応えある議論である。この「非暴力」を巡っては、この間問題となった「民主主義」との翻訳語は的確かとともに大いに議論したいものだ。
 私は、本書が私達の追求している「アソシエーション」革命論の構築にも大いに役立つものと確信している。本書の検討を強く勧めたい。 (猪瀬一馬)


七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)の決断 ――国際ルールの根本的変更

 四月十一日、ワシントンで開催されたG7は、共同声明を発表して閉会された。
 この共同声明で注目すべきは、「国際会計基準審議会(IASB)およびその他の基準設定機関は、オフバランス関連会社に対する会計および情報開示の基準を改善するとともに、特に市場が緊張下にある場合の金融商品の評価について、時価評価会計のガイダンスを向上させるため、迅速に行動を開始すべき」と「2008年7月までに、バーゼル委員会は、流動性リスク管理に関する改訂ガイドラインを発出し、証券監督者国際機構(IOSCO)は、格付会社のための行動規範を改訂すべき」の二つである。
 わかりにくくは書いているがその核心を突けば、要は「時価会計」と「バーゼルU」つまり「BIS基準の8%」を止めることだ。
 サブプライム問題が拡大する一方のアメリカの大銀行が、今や破綻の縁にあることを直感しつつあるアメリカの意思がここには透けて見える。このアメリカの意思に対して、「明日は我が身」のヨーロッパ勢も、「バーゼルU(BIS基準)」の緩和には同調している。彼らは賢かったので「時価会計」の導入には必死に抵抗した経緯がある。またしても日本はピエロとなったのである。
 グローバリズムの名の下に、ここ十数年、日本企業と日本の金融機関を締め上げさんざん痛めつけてきたアメリカの「天下の宝刀」があっさりと捨て去られた瞬間である。ここに国際ルールは根本的変更されたのである。
 G7前日の四月十日、米連邦準備理事会のバーナンキ議長は「金融商品の時価評価は、流動性が低下した市場を不安定化させた一つの要因と言えるが、当局は制度見直しに慎重を期すべき」との見解を示していた。
 講演後の質疑応答では、バーナンキは「流動性が非常に低い市場で資産を売却する動きが、評価損の計上、投げ売りといった事態につながったという意味では、時価評価が時に不安定要因として働いたと言える」と述べた。また「全体としてみると、時価会計は投資家にとってプラスとなっているが、資産価値は、資産の流動性が低下している局面ではなく、市場が安定し、正常に機能している状況で決められるべきだ」との自分勝手なご都合主義を披瀝した。
 アメリカの大手銀行・証券会社のバランスシートが、時価会計による資産評価のため大暴落した。これが今回のバーナンキ発言の背景にある。
 今や破綻しそうな大銀行や証券から、サブプライムの不良債権を買い取るため、これらの不良債権に無理やり担保評価をつけ、額面の七十%が適当と評価し、イングランド銀行や、ニューヨーク連銀が、損覚悟で買い取っている。また「どれだけでも米国債で貸し与えて」、最近は「国債との交換」などとまで言い出している。
 まさにあきれ果てるほどの身勝手さではないか。日本が不良債権を処理しきれない銀行へ公的資金との別名で税金を投入したことを、許されざる事だとさんざん言い放ってきたアメリカやヨーロッパの政府関係者は、今やそのことをすっかり忘れたふりをして、自分たちもそっくり日本のまねを始めた。彼らに今や自分を省みる余裕はないのだ。まさに因果は巡る展開ではある。
 世も末とはなった。資本主義の未来はここに限られたのである。(直記彬)


光市母子殺害事件に待望≠フ死刑判決?

 4月22日、もうこれ以外ありえないという期待£ハりの死刑判決が元少年に下された。これは司法の自殺行為ではないか。無期懲役という高裁判決に対して、「特に酌量すべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」として最高裁に破棄され、差し戻されたという経過から、これは司法全体としての判断というほかない。
 ところで、裁判はもっぱら遺族の復讐心を満たせばいい、という国民的感情≠ヘどこから来たのだろうか。その大きな要因はここにある。放送界の第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の放送倫理検証委員会は4月15日、この事件の裁判を扱ったテレビ各局の番組について「『番組の多くが極めて感情的に製作され、偏った内容になっていた』などと指摘、各局に裁判報道の改善を求める意見を通知した」(4月16日「神戸新聞」)
 検証委はほぼ全番組が「被告・弁護団」対「被害者遺族」という対立構図を描き、感情的だったと総括し、「安易な対比的手法は、事件の理解にも犯罪防止にも役立たない。裁判制度にゆがんだ認識を与えかねない」(同紙)と偏った内容≠ノついて指摘している。どうせなら与えかねない≠与えた≠ニすべきだったが、この間、この改善要求はなかったかのような報道が繰り返された。
 この陰鬱なマスコミの死刑判決翼賛報道が始まる少し前の4月10日、4人の死刑囚に刑が執行された。これで鳩山法相の下での死刑執行は、昨年12月以降3回目で計10人となった。こんな風に国を挙げて死刑へと傾くのは、国民が求めているからとされている。確かに、光市事件裁判でも死刑を求める遺族¢ホ死刑反対の大弁護団≠ニいう対立図式が煽られ、弁護団への排斥感情を増幅させた。ここでは遺族はひたすら死刑を求め続ける≠アとを強いられているが、これもまた実に残酷な扱いではないか。
 この陰鬱な雰囲気のなかで、ジャーナリズムの意気を示したのが「AERA」(4月28日)である。ジャーナリスト綿井健陽による5ページにわたる安田好弘弁護士の紹介記事、「『悪魔の弁護士』と呼ばれて」である。安田弁護士がもっと重視しているのは、裁判での認定事実と客観的証拠(被害者の遺体にある痕跡)の齟齬である。安田弁護士が「司法の場は事実を解明し、法律が支配する場であるから、法律が公正・適正に適用されることが最大の目標。感情や世論ではない」というとき、私は完全に同意できる。
 判決内容に少し触れると、「公訴提起されてから安田好弘弁護士らが弁護人に選任されるまでの6年半以上もの間、それまでの弁護人に対し、新供述のような話を一回もしたことがないというのは、あまりにも不自然」という点。綿井氏が今年3月、拘置所面会で元少年に会って当時の会話を聞いたら、「そのとき『あーやっと弁護士さんに会えた』と思った」と2年前の最初の出会いについて語ったということだ。安田弁護士も、「そもそも一・二審の弁護人が彼に事実を聞いていない。尋ねてもいない。これはあまり言いたくないが、弁護過誤だった」と指摘している。
 安田弁護士についていえば、東京高裁が4月23日、顧問先の不動産会社社長らに資産隠しを指南したとして強制執行妨害罪に問われていた事件について一審の無罪判決を破棄し、ほう助罪で罰金50万円の逆転有罪判決を行っている。未決拘置日数を1日1万円と換算したら罰金を払う必要がない、つまり10ヶ月もの拘置を安田弁護士は受けており、これはもう裁判抜きで先に刑が執行されたようなものである。この事件は安田弁護士がどれほど権力から憎まれているかを示すものであり、安田悪徳弁護士≠印象付けるために仕組まれたものである。
 光市事件についていえば弁護団は22日午後、「極めて不当な判決。もう1度証拠を検討し直し、正しい判決を出すよう強く求めていく」として上告した。司法はもう1度、法廷は復讐の場か事実を明らかにする場か、どちらなのかと問われることになった。もちろん、マスコミももう1度踊ってしまうのか試されのだが。 (折口晴夫)案内へ戻る


Revolveする世界  4

 (4)ブラジル・中南米諸国の変貌と南・南協力の展開
 
 73年以降の世界の変貌の第四は、ブラジルを始めとした中南米諸国のアメリカからの自立とアジア・アラブ・アフリカ諸国やEUとの連携の動きです。
 100年余りにわたってアメリカの裏庭といわれてきた中南米でも、キューバ革命から半世紀近くを経て、生産量世界第5位・南米最大の石油産出国であるベネズエラで、1998年反米チャベス政権が成立したのに続いて、ボリビア共和国でも、2005年12月サンチェス親米地主政権を打倒する先住民たちの反政府実力運動を背景にして初の先住民大統領として社会主義運動のエボ=モラエス党首が当選しました。モラエスはコロンブス以来500年に及ぶ西欧帝国主義の残酷支配を断罪し先住民族の復権を目指す21世紀的人権宣言ともいうべき新憲法を制定しようとしていると報じられています。
 また2006年11月にはエクアドルでもチャベスを信奉し、反米を鮮明にしているファエル・コレア大統領が誕生し、同じ11月にニカラグアでも、サンディニスタ民族解放運動の指導者であるダニエル・オルテガが大統領に復帰し、大統領就位式にはチャベス大統領と共にイランのアフマディネジャド大統領も出席しました。
 チャベス大統領は、アメリカ支配の道具であるとして、アメリカが推し進める米州自由貿易地域(FTAA)反対して、ボリバル代替統合機構(ALBA)を立ち上げ、キューバ、ボリビア、ニカラグアとの協力関係を強化しています。04年12月のキューバとの間での3万人の医療関係者の受け入れとその見返りとしての日量9万バレルの石油を供給する包括協定を手始めに、ボリビア・エクアドルなどのALBA参加国とのあいだでは市場競争でなく連帯と協力に基づく人民協力協定(TCP)による統合を掲げて、安価な石油供給、国債買取、テレスル衛星放送によるアメリカのメディア支配からの脱却、天然ガス南米縦断パイプライン敷設などの政策を推し進めています。対米FTAに反対する南米諸国も、ベネズエラ、キューバ、ボリビア、エクアドルばかりでなく、ブラジル、アルゼンチンにまで拡大しています。
 またブラジル労働者党出身のルラ大統領は02年の当選以来、南米諸国やEUとの協力を強化すると共に、アラブやアフリカ諸国などとの南・南協力を積極的に推し進めています。
 ブラジルは、05年5月ブラジリアで南米・アラブ地域34カ国の首脳を集め、アメリカのオブザーバー参加を拒否して南米・アラブ諸国首脳会議を開催し、南・南協力を盛り込んだ「ブラジリア宣言」を採択し、06年9月にはやはりブラジリアで、ブラジル・インド・南アフリカ首脳会議(IBAS)を結成し、貿易の推進、原子力の平和利用、WTOでの協調など、戦略的パートナーシップの強化を確認したようにアメリカから自立してアジアやアラブ・アフリカ諸国との協力関係の強化を推し進めています。
 
 (5)上海協力機構の強化と中印ロ外相会議の定例強化
 
 この間の変貌の第五はアジア中央諸国の協力体制の前進です。
 1996年4月、アジア大陸中心部を覆う安保・経済協力機構として、中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンの5カ国(上海ファイブ)で発足した上海強力機構(SCO)は、01年ウズベキスタンが加盟し、05年の第5回首脳会議では、アフガン・イラク侵略の過程で経済協力をえさに中央アジアに入り込んだ米軍駐留に期限をつけることを宣言し、この年モンゴルが、06年の第6回首脳会議にはイラン、インド、パキスタン、アフガニスタンが参加して準加盟国となり、さらに07年には年ロシア中部で6千人規模の合同軍事演習を行い「ビシケク宣言」を発表するなど活動を活発化させています。SCOは、世界の石油の20%、天然ガスの38%、石炭の40%、ウランの50%以上を生産する世界最大の地域機構として、EU以上に、一極支配を目指すアメリカの巨大な障害物となっています。
 また、2007年10月、この間定期的に開催されている中印ロの3カ国外相会議が北京で行われ、外国貿易の決済通貨としても一切ドルを使わないほど反米の態度を貫いているミャンマーの軍事政権の転覆を狙う米英日に反対して、「ミャンマーの制裁にそろって反対する」声明を発表するなど中印ロと米英日との外交的対立が強まっていますが、2月21日、ロシア外務省は、今年(2008年)の5月にこの3カ国に、初めてブラジルを加えた4カ国による外相会議を開催すると発表しました。「新興諸国(BRICs)として外交・経済面の協調を強化する狙い」と2月22日付けの日経新聞は伝えています。
 アメリカは、中東の石油を支配するために、パレスチナを制圧してイスラエルを安定させ、イラクとアフガンを鎮圧した後、イランを挟み撃ちにする形で侵略し支配して世界における石油支配を磐石にしたいと考えていますから、イランを巡ってこれを侵略しようとする米英と、これに反対しこれと経済的交流を拡大する中・ロや南・南諸国と、これらの中間にいるがどちらかというと中ロに近いEUの間で、今後もはげしい駆け引きが続いていくに違いありません。
 
 (6)民衆の覚醒の前進=戦争に勝てないアメリカ
 
73年以降ますます明らかになってきた世界の変貌の第六は、アメリカが戦争で勝てないということです。現代世界においては、世界最新・最強を誇ってきたアメリカの軍事力を持ってしても、弱小国の政府を倒し、国土を破壊し、多くの民衆を殺傷することはできても、民衆を支配することはできないということがますます明確になってきています。
 イラク侵略戦争開戦時に、フランスの大統領シラクは、「アメリカは単独で戦争を始めることはできても、単独で戦争を終わらせることはできないだろう」と、如何にもフランス的な言い回しで戦争に反対しましたが、アフガンやイラクでの戦争の展開は全くその通りになっています。
 すでに20世紀の半ば1950年代において、ゴーリズム(ド・ゴール主義)として有名なフランス大統領ド・ゴールは、一般民衆が立ち上がって運動に参加し始めたベトナムやアルジェリアの反帝民族解放運動に直面し敗北するや、一斉に植民地を放棄し撤退しました。しかし当時自信に満ち溢れていたアメリカ帝国主義は、フランスが撤退した後のベトナムに入り込み20年にわたる総力戦を繰り広げましたが、ベトナムを屈服させることができず、ついに惨敗を喫してベトナムから撤退したのでした。その後、愚かにも1979年アフガニスタンへの侵略戦争を開始したソ連も、10年にわたる戦争の結果アメリカのわだちを踏んで惨敗を喫し、逆に自国体制の崩壊を早めたのでした。
 その後世界民衆の反帝自立・民族自決の覚醒はさらに進み、パレスチナでもアフガンでもイラクでも、チェチェンでも、民衆の反米、反ロ、反イスラエルの闘争は倦むことなく続けられており、アメリカやロシアは泥沼の中に引きずり込まれています。
 100年前と比べると、世界の民衆の覚醒は何百倍も前進し、民衆は世界中のどこであっても帝国主義の横暴な振る舞いに対して異議を唱えており、今後この反帝自立の運動は世界中でさらに拡大していくに違いありません。
 
 (7)米英日三国同盟のひび割れ
 
 73年以降の世界の変貌の第七は、これらの変化の複合的な総体として、反動的三国同盟である米英日の間でさえも、軋みが生じていることです。
 すでにEUの結成や共通通貨であるユーロの創設に対してイギリスは、アメリカと一体になってそれに反対してきましたが、仏独枢軸との争いに敗北してヨーロッパにおいてさえ次第にその影響力を減退させています。
 また、かつては東洋の日本と並んで、西欧におけるアメリカの片腕とみなされていたドイツも、フランスとの同盟によってアメリカと一線を画し、今ではEUの中軸として歩み始めています。
 さらにEUからアメリカのイラク侵略戦争に参加したイギリス・イタリア・スペインの各国では、アラブ人民からの反撃をうけて、列車やバスに爆弾が仕掛けられ多くの市民が殺傷されるという事態になり、国民的反対の高まりの中で相次いでイラクからの軍の撤退に追い込まれています。イラク侵略戦争を積極的に後押ししたイギリスでさえもが、アメリカのスピッツと揶揄されたブレアがひっそりと退陣し、今ではこっそりとバスラからの軍隊の撤退を進めている始末なのです。
 また日米の間でも、日独印などが共同で提出した国連改革・日独印の安保理事会の常任理事国入りの提案に対して、アメリカやイギリスがこれに反対してこれを否決しました。これは主としてドイツの常任理事国入りに反対する意味であるとアメリカは説明していましたが、実際は、相当の経済大国でもあり、政治的には最も使いやすい属国である日本が国連の常任理事国入りをすることによって政治的にも発言権を増して自立化の道を進むことを警戒するのがアメリカの真意でした。これには日本も落胆の意を隠しませんでしたが、しかし臥薪嘗胆で、日本はあくまで常任理事国入りを目指して、その後もこつこつと世界各国に対する工作を続けています。
 また、第2次世界大戦時の日本軍による様々な蛮行の1つである「従軍慰安婦」問題に対して、アメリカ議会が昨年日本非難の決議を採決しましが、これは、第2次大戦においてアジア諸国で2000万人もの民衆を殺戮した蛮行を「頬かむり」してやり過ごしたいという日本に冷や水をかけるものでした。これは実際の効果としては「北朝鮮の核兵器・ミサイル問題を巡る六者協議」での日米の間に不協和音を起こし、「拉致問題の全面解決」を主張する日本と、「36年に及ぶ朝鮮支配の補償」を主張する北朝鮮とこれに深い理解を示す韓国や中国との間で、「拉致問題が解決しなくても『テロ支援国家』の指定をはずす」というアメリカの態度となって現れています。
 それぞれ10万〜20万人もの民衆を殺戮した広島・長崎への原爆投下といい、東京や大阪への大空襲といい、さらには100万人を超える民衆を殺戮したベトナムへの侵略戦争といい、現在のアフガンやイラクへの侵略といい、今に至るまで一言の謝罪もしていない世界最大の侵略国であるアメリカが言える立場ではないのですが、しかし現在のアメリカにとっては世界人民の包囲の中で、その矛先をそらすためにも臭い茶番をしなければならないほどの窮地だということなのでしょう。
 アメリカのイラン封じ込め政策は、日本の財界が、「これで日本の石油輸入が安定化する」とまで期待していたイランで発掘された260億バレルの埋蔵量という中東最大規模の大規模油田であるアザデガン油田への75%資本参加・権益の獲得に圧力をかけそれを挫折に追い込んだのです。それでも日本の財界は泣く泣く、民族系資本の抜け駆けという形で、06年十月、出光系の子会社に10%の資本参加を確保させて開発が行われていますが、その空いたスペースにすぐに中国などの資本が参加して、日本はアメリカのおかげでアブラゲをさらわれてしまう格好になってしまったのです。
 また、北朝鮮が核実験をした直後からは、中川昭一や麻生太郎などの政治家ばかりでなく、京大教授の中西輝政や西部邁、平松茂雄や桜井よしこなどの学者やジャーナリストが、雑誌「諸君」や「正論」などによって大々的に日本核武装論をときまわって日本の自立を強調しはじめ、アメリカの必死の抑制にもかかわらずこの核武装論は、保守系の論壇においては今では大手を振って論議されています。(中西輝政編著「日本核武装の論点」、伊藤貫著「中国の『核』が世界を制す」・いずれもPHP研究所刊、2006年など)
 これらに見られるごとくに、小泉・竹中の推し進めたアメリカべったりの政治・経済政策に対しては、日本財界やその意を受けた政界やジャーナリズムの怨嗟と批判は相当に厳しいものがあり、これが「普通の国」=つまりアメリカから自立した国を唱え、田中角栄以来の中国との関係強化を目指す小沢訪中団への財界人の参加希望の殺到と、野党の団としては空前絶後という400人の大型訪中団の実現となった背景にあると思われます。
 これらの世界的な、劇的ともいえる力関係の変化が、次第にアメリカ包囲網を形成し、アメリカをその衰退の第二段階とも言うべき深い衰退と没落の中に追い込んでいるのです。
 これが、グリーンスパンが悩んだ「謎」を発生させた根源的な世界的状況であることは言うまでもないことでしょう。
 
 (五)アジア再興の世界史的意味

 (1)古代から世界史を統一的に把握する
 
 この数年、アンドレ・グンター・フランク(1929〜2004、ベルリン生まれ。アムステル大学名誉教授、マイアミ大学、フロリダ大学教授)の「リオリエント」(1996年・藤原書店刊)やアンガス・マディソン(1926年イギリス生まれ。OECDで20年以上にわたって経済成長要因の分析や経済政策について研究。ブラジル・メキシコ・ガーナ・パキスタン政府の経済政策顧問。78年からオランダのグーニンゲン大学教授)の「世界経済の成長史 1820〜1992」や「経済統計で見る世界経済2000年史」(2001年・柏書房刊)などの、OECDなどで用いられている最新の経済統計を駆使しての世界経済史の大著が日本でも相次いで公刊されています。これらの著作の前史をなしているのは、ここ2〜30年にわたって繰り広げられてきたエリック・ボブズボームやウォーラースティンやブローデルなどの、世界史を各国史や各地域史の寄せ集めではなくではなく、密接な内的関連を持った単一の世界として統一的に把握しようとする一連の著作ですが、今後はこの世界を内的関連を持つ統一体として分析・研究し把握する方法が世界史を把握する方法としてはもっとも正統な方法になると思われます。
 彼らの研究の成果に依拠し、世界を1つのものとして、その生産力の推移を概観してみましょう。
 
 (2)西暦0年から現代までの生産力の地域別変化
 
 世界の生産力の増大と各地域の貢献度をアンガス・マディソンは以下のように試算しています。(「経済統計で見る世界経済2000年史」p309)
 
 (a)西暦0年
 
 東アジアでは、最初の統一王朝であった秦が崩壊し、その後の三国鼎立時代(つまり三国志の時代)を統一した劉邦が建国し(BC202年)、その後200年続いた前漢の末期。インドでは、マウリヤ朝が滅びそのあとを継いだマガタ王国が、南インドを支配していたアーンドラ朝に滅ぼされ、逆に南インドにバンドヤ王国が成立して隆盛を極めていた時代。ヨーロッパではローマ共和国のオクタヴィアヌスが初代皇帝に即位してローマ帝国となったころですが、
 世界の実質GNP(単位;1億1990年国際ドル=国際ドルは国連比較プログラムによる購買力を示すための平価単位。1990年に米国で1ドルで購買しうるのと同量の財・サービスを、その国・地域で購買するのに要する通貨量)総計1025、うちアジア782(76・3%)(そのうち中国268、インド338、日本12)、西欧111(10・8%)、旧ソ連・東欧35(3・4%)。
 ここで言えることは、我々が学校教育の中で教えられた世界史というものがいかに西欧中心の偏ったものだったのかということがわかって愕然とするということです。世界の生産力の7割以上を担っていたアジアについては、例外的に中国の王朝史を除いてはほとんど教えられもせず、ギリシャ・ローマについてはハンニバルのアルプス越えだの、クレオパトラとシーザーの物語だの、ペルシャ戦争やアレキサンダーの東征だの、キリスト教の迫害史だのなどなど、瑣末なことに至るまで教えられていたのはなんだったのかと思うのです。
 これは現在日本で行われている歴史教育というものが、客観的な世界を公平・公正に記述したものでは全くなく、近代以降世界の支配者となった欧米の側から見た極めて一方的な、偏見と予断に満ちたものであることを示しているのでしょう。このような偏見に満ちた教育によって子供たちの頭の中に形成される、欧米を崇拝しアジアやラテンアメリカやアフリカを一段低いものとして蔑視する誤った世界観を打破することなしには、この世界の中で真の意味での人間の平等や民族の平等をかちとる事も、平等で公正な社会を実現することも出来ないということを、今後しっかりと確認していくことが重要でしょう。

(b)西暦1000年
 
 中国では、907年、隆盛を誇った唐が滅びたのち、960年に宋が建国されて再び繁栄した。インドでは各地にいくつもの王朝が並立していたようで、チャフマーナ朝(908〜1192)、西カルキア朝や南インドにはカーカティア朝(1001年〜1326年)があり、さらに中央アジアに成立していたガズニ朝(962〜1186)が幾度もインドに侵入し戦乱が起こっていた。西欧ではフランス王国、神聖ローマ帝国、東ローマ帝国などが分立していた時代であり、まるでヨーロッパ列強が成立しているかのような幻想を持たせますが、
 その西暦1000年、世界GNP総計1168、うちアジア821(70,3%)(そのうち中国266、インド338、日本32)、西欧102(8・7%)、旧ソ連・東欧54(4・6%)であり、西欧のすべてをあわせてもわずかに中国の38%、インドの30%でしかなかったのです。
 
(c)西暦1500年

 それからさらに500年後、中国では世界最大の帝国を築いた元(1271〜1368)を破りモンゴル高原に退けた明(1368年〜1662年)は、その後300年にわたる長期王朝を築きましたが、1500年は丁度その中期に当たっていた。インドでは中央アジアにモンゴル帝国の衣鉢を受け継ぐ強力なチムール帝国が君臨していて、それに圧迫されながらもサイッド朝、ロディ朝などが続いていましたが、1500年にチムール帝国が滅びたあと、インドでは1526年ムガール帝国が成立しました。ヨーロッパではポルトガル王国、イスパニア王国、イングランド王国、フランス王国、神聖ローマ帝国、ローマ教会・イタリア諸邦、東ローマ帝国、モスクワ大公国などが林立し、地理上の発見からアメリカ大陸の発見を経て、競ってアメリカ侵略に乗り出す時代ですが、
 その西暦1500年、世界GNP総計2471、うちアジア1613(65・3%)(そのうち中国618、インド605、日本77)、西欧443(17・9%)(そのうちイギリス28、フランス109、ドイツ81、イタリア116、スペイン47)、旧ソ連・東欧147(5・9%)でした。
 ヨーロッパは相当に発達しましたが、それでもヨーロッパ諸国をすべて併せても、いまだ中国一国、インド一国よりも小さい経済規模でしかなかったのです。しかし、このような西欧の弱小諸国が、スペイン・ポルトガルを先頭にアメリカ大陸やアフリカ大陸に「進出」し、そこからの言葉には表せないほどの残酷な略奪を基礎にアジアに入り込み、ダニのように次第にアジアに食い込んでくるのです。

(d)西暦1700年

 それから200年後、中国では1616年に女真族の王ヌルハチが起こした清が、1644年明を破って中国を支配し、1661年から1722年まで続いた聖祖康熙帝の時代に盛隆を極めました。インドでは1700年依然としてムガール帝国が続いていましたが、ポルトガルに続いてオランダ、イギリス、フランスなどが相次いでインドに到来し綿布や香料を輸入し、新大陸から略奪した大量の銀や金で支払いをしました。そのご彼らはさらに中国や日本にまで来て交易しましたが、彼らの貿易量は東アジア全体の貿易量のわずかに5%以下でしかなかったようです。例えば1700年の長崎での交易量で見ると、中国船によって日本から持ち出された商品が2万トンを超えていたのに対し、ヨーロッパ船が持ち帰ったのはわずかに500dでしかかったようです。(「リオリエント」p316)また、当時のヨーロッパには交易に必要な輸出品がなかったので、例えば1615年のオランダの東インド会社がインドや中国商品を輸入する対価として輸出した96%は新大陸から略奪した金銀の地金であったようです。(「リオリエント」p162)インド洋にしても東南アジアにおいてもヨーロッパ諸国の交易量は全体の交易量のわずかに10%程度でしかなかったようです。また陶磁器と絹を独占していた中国は、その輸出によって世界の銀生産の最終的な「シンク(排水口)」となっていた。17世紀始めの明朝末期の中国には、南京100万人、北京60万人、をはじめとする大都市があり、1800年までに広州は、連接する姉妹都市の仏山と合わせて150万人の人口を擁していたが、これは、当時の全西欧の都市人口をすべて併せた数字にほぼ匹敵するものであったようです。(「リオリエント」p209)
 この西暦1700年の世界GNPは、総計3714、うちアジア2295(79・4%)(そのうち中国828、インド906、日本154)、西欧726(19・5%)(そのうちイギリス107、フランス212、ドイツ134、イタリア146、スペイン79)、旧ソ連・東欧269(7・2%)でした。
 この時代でも依然としてアジアは世界の中心であり続け、ヨーロッパはすべてを合計しても中国一国、インド一国よりも小さい世界の周辺地域に過ぎなかったのです。次号へ続く  北山峻  案内へ戻る


反戦通信(NO・21)「9条ピースウォーク」に参加して

 2月24日(日)広島・平和公園をスタートした「9条ピースウォーク」は、71日間かけて5月4日(日)の千葉・幕張9条世界会議をめざして今も歩き続けている。
 私の住む静岡県では、4月9日に県の西部に入り、10日は浜松市、11日は袋井市と繋いで、15日には静岡市内に、17日は富士市、18日は三島市、22日は箱根越えをして、神奈川県に抜けていった。
 1日だけ私も参加して歩いてみた。広島からずっと歩いてきた人、途中から参加して歩いている人、昨日から参加して明日帰る人、今日だけ参加して途中の駅で帰る人、等などそれぞれである。
 途中、道添いの人たちに「9条ピースウォーク」のビラを配り、「戦争の放棄を定めた憲法9条をもっと考えよう」と呼びかける。とても歯切れの良い軽快な曲(ピースウォークのイメージソングで、ミュリエル・カイザーの原詩に、アーサーさんと木坂さんが訳詞して、横井さんが作曲した曲である)にのって、町から町に歩いていく。
 さらに、途中の休憩所や昼食場所では、地元のボランティアの人たちが食事や飲み物を用意して待ってくれている。その美味しさと気持ちに感謝して、また次の町に向かって元気に歩いていく。
 この「ピースウォーク」のよい所は、「それぞれの思い それぞれの参加方法」(@歩く・・・長期間歩く人には実行委員会が宿泊と食事を準備する。A迎える・・・宿泊や食事の世話、交流会の開催など。Bサポート・・・実行委員会の手伝い。C声援・・・歩く人と平和のキャッチボールを。D寄付・・・食事や宿泊などへのカンパ。)で関わって下さいと呼びかけていること。従って、広島から千葉まで、色々な人たちが色々な関わり方で参加しており、非常に多くの人たちの協力で繋いでいる。
 いよいよ5月4日〜5日の2日間千葉の幕張メッセにおいて、日本の「9条の会」運動と連携した「9条世界会議」が開かれる。
 5月4日(日)の全体会議は7,000人の参加を予定。ノーベル平和賞のマレッド・マグワイア(北アイルランドの平和活動家)、コーラ・ワイス(アメリカのハーグ平和アピールの代表)、池田香代子(「世界がもし100人の村だったら」の著者)などの講演とイラク帰還兵、元国連のイラク調査官、高遠菜穂子さんなどの発言が予定されている。 第2日目の5月5日は、四つの「分科会」で3,000人が参加を予定している。
 全世界を軍事力で支配し戦争経済で国を保持しようとするアメリカ帝国主義、そのアメリカ帝国主義の忠実なポチとなりつつある日本。
 4月17日、名古屋高裁はイラクへの航空自衛隊の派遣について、「バクダッドは戦闘地域であり、航空自衛隊による米兵の輸送活動は米軍の武力行使と一体となった行為と評価せざるを得ず、憲法9条に違反している」と、世間の常識と合致するすばらしい違憲判決をくだした。
 これに対して翌日、田母神(たもがみ)航空幕僚長は、会見の席上でこの違憲判決が隊員に与える影響について、お笑いタレントのフレーズを引用して「そんなの関係ねえ」と毒づいた。
 自衛隊は司法の判断も、憲法も守らない!と言っているに等しい。軍部独走の兆しを見せ始めている。この発言を許すわけにはいかない。この田母神航空幕僚長の発言に抗議するとともに辞任を要求する行動を開始しよう!
 この「9条ピースウォーク」の蒔いた種をしっかり咲かせ、私たちの連帯と運動の広がりによって、日米の軍事路線・帝国主義にストップをかけよう!(E・T)

  
コラムの窓    三権分立制の限界

 自衛隊イラク派遣差し止め訴訟の名古屋高裁控訴審判決で、航空自衛隊による多国籍軍の空輸活動を「首都バグダッドでは一般市民にも多数の犠牲者が出ており」『戦闘地域』への派遣であり、憲法第9条に反する行為としたが、差し止め請求自体は却下した判決が出された。
 同様の訴訟は全国11地裁に起こされたが、いずれも自衛隊イラク派遣は原告の具体的な権利、義務に直接影響を及ぼすものでないとして門前払いで原告敗訴が続いていた中で、小泉元首相の『自衛隊が行く所が非戦闘地域』などと言った、イラク特措法制定過程のごまかしを、憲法9条の政府解釈やイラク特別措置法の規定に基づき、自衛隊のイラクでの活動実態を詳細に検討した判断としては評価すべきであろう。
 今回も結果的には控訴を棄却したが、自衛隊を巡る訴訟で過去に憲法判断に踏み込んだ判決は、自衛隊の存在を違憲とした73年の「長沼ナイキ基地訴訟」の札幌地裁判決があるくらいだから、自衛隊に関する憲法判断を避けてきた司法が、踏み込んだ指摘をした意味は重要である。
 それにしても三権分立制をとっている我が国ではあるが、憲法の改正論議や海外派兵の恒常的立法化論議の中で、こうした判断がなされる機会が少ないし、司法権の最高の場である最高裁ではなく地方の下級審でのみ立法・行政の反動化や拡大解釈に異議を唱える実態は、三権分立が不十分かもしくは名ばかりのものであることの証でもある。
 三権分立制では、「国家の権力を区別して,それらを異なった機関に担当させ,相互にけん制させて国民の基本的権利を保障しようとする政治組織の原理」で,一般には立法・行政・司法の三権に分けて他の機関が暴走しないよう、相互に抑制と均衡を働かせる制度と言われてはいる。しかし、「立川ビラ配り事件」の最高裁の上告棄却などの司法判断などの事例をみれば、現実は、この三権が互いに補完し合い市民や労働者の権利や生活に一定の垣根を設けて、コントロールしようとする意図が伺える。
 立法・行政・司法という権限を持った機関は、その国家を支配する者の一機関に過ぎない。いずれにしても国家の機関である以上、その国家を超えることはできない。
 労働者支配を強め、搾取や収奪によって膨大な利益を得ようとする支配者は、立法・行政・司法の機関を通じて労働者の自由や権利を奪う政治的反動化の道を進むだろうが、三権分立制の幻想に囚われることなく、労働者独自の力を蓄え、色々な機関を利用した粘り強い活動をして行こう。(光)


色鉛筆
 後期高齢者医療制度に思う・・・もうこれ以上の弱い者いじめは止めるべし!


 3月、86歳の母に後期高齢者医療被保険者証が送られてきた。同封の説明書は17ページもあるが、複雑な区分や計算法なども入っていてとても分かりにくい。2000年に始まった介護保険制度の時も、短時間に検討しただけでスタートさせてしまったためあちこちにほころびが出てきて「見直し=負担額増とサービスの減少へ」の連続だ。後期高齢者医療制度もこの二の舞になりそうだ。
 「広辞苑」によると「後期高齢者とは、一般に75歳以上の高齢者のこと。この年齢層は有病率や日常生活上の困難が急増する」とある。当然高齢者や病人に優しい制度であるべきはずが、75歳以上は強制加入・必ず年金から保険料が天引きされる。払えない人は排除するという「姥捨て」としか言いようのない制度だ。
 『日野秀逸東北大学教授は「高齢者だけ別枠にして、死ぬまで保険料を払わせるような制度は、世界でも例のない異常な制度」だと指摘。(略)厚生労働省の老人保健局長も務めた堤修三大阪大学教授も「健康の保持という価値が医療費の適正化という経済価値に従属するものだとすれば、その延長には節制ができずに不健康であるものは穀つぶしであるという差別と抑圧の構造が待っている」と警鐘を鳴らしている』(兵庫県保健医協会企画編集「月刊保団連」より)
 いくら長寿高齢者などと言いかえてみても、冷酷非情であることにかわりは無い。後期高齢者医療制度の廃止を強く望む。
 消えた年金問題などという騒ぎがあるが、その年金に加入することを許されなかった人たちがいることを知人をとうして最近知った。
 京都市などに住む玄順任さん(80歳)ら5人は、2004年「在日韓国朝鮮人高齢者の年金」訴訟を起し、日本政府が原告たちを老齢年金が受けられない無年金状態においたとして国家賠償を求めている。80年近く日本に住みまじめに働き、納税義務もきちんと果たしているにもかかわらず、日本は「国籍条項」を理由に在日外国人を社会保障から排除してきた。
 また東北地方でひとり暮らす、在日朝鮮人「慰安婦」の宋神道さん(86歳)は月7万円の生活保護費だけが頼りの生活だ。日本の起した戦争の被害者として、国に謝罪・保障請求訴訟を起すが2003年に敗訴が確定している。日本はこうした人たちからも「介護保険料」などはきっちりとむしり取っている。
 戦争責任ときちんと向き合うとともに、国籍・年齢で差別すること無くあらゆる弱者は社会で支えてゆくべきだ。これ以上の弱者いじめは止めるべし!(澄)    案内へ戻る


投稿 あれから3年、尼崎JR脱線事故に思う

 事故が起こった日、私は世間の情報を遮断された職場で、いつもの様に同僚と仕事をしていました。そこへ、同僚の知り合いから携帯電話を介して事故の知らせが入りました。どうやら、同僚の息子さんが電車に乗り合わせていないかを、気遣っての連絡だったようです。幸い、息子さんは無事でしたが、こんなに多くの乗客が犠牲になるとは、誰も予測していませんでした。
 当初、運転士の操作ミスがいち早く指摘され、個人の資質ばかりが問われJR西日本の安全対策まで踏み込むのには、まだ時間がかかりました。3年経過した今も、運転士を含めた107人の遺族に、JRから事故発生の十分な説明がなされず、教訓化されるはずの安全対策にも疑問の声が上がっています。
 地元の神戸新聞は事故発生の4月25日の1週間ほど前から、遺族の方・被害にあい通院中の方などを取材し、その後を追っています。それによると今でも、被害にあった2割の人が治療中で、電車に乗ることも心情的に出来ない後遺症がある人が紹介されています。体の傷は治っても、心の傷はそう簡単には癒されないということでしょう。このことは、遺族の方にはもっと深刻な事態です。
「なぜ、息子は死ななければならなかったのか。無念やなあ。残念やなあ。悲しいなあ。息子はおれの半分しか生きてへん。夢もあったやろし、したいこともあったやろう」
「一つの家族を築き上げるのに何十年とかかります。しかし、それを崩壊させるのには五分とかかりません。数秒です。このことをJR西は忘れずにいていただきたい」
 1両目で長男を失った60歳代のご夫婦の言葉ですが、この言葉を真摯に受け止めJR西は職場管理を見直した安全対策を打ち出して欲しいと思います。運転士に課せる運転中の過剰な声かけ・報告は、むしろ運転に集中する力を失い危険な状態にしてしまう。これは、どこの職場でも共通したことです。民営化した郵政の職場でも、やたらに報告が多くなり、区分・配達に要した時間・配達物数・事故物数など、そのための時間が余分にかかり精神的に追い詰められています。安全対策は、そこの現場で働く労働者の声を生かしたものであることが、基本になるのではないでしょうか。(恵)


 指輪≠めぐるおはなし

 香港では、家に伝わるヒスイを母から娘へと渡していくという。
 もう、5・6年前になろうか、何かのツアーで香港へ旅したときのこと。ガイドさん(女性)の説明によると、ヒスイを伝えていくという習慣について、彼女はヒスイを伝える相手を血縁にこだわらない、自らの意志にそぐわなければ、みつからなければ、あの世までヒスイを持っていく、と言っていた。つまり血縁でなく結縁というわけだ。香港は慣習の枠をも破りつつあると感じたものだった。
 香港だけでなく、日本でも、同じことがあった。ヒスイの指輪をもらったのは、時代の波にもまれた女性からであった。私もそのように伝えていく。私もそのように伝えていく。私どもは戦争をぬきにしては語れぬ世代。
 08・4・15 宮森常子


編集あれこれ
 今、社会問題化していることとして一番大きいのは、後期高齢者医療制度でしょう。
 その意味で、前号でこの問題が取り上げられたことは良かったと思います。後期高齢者という名称自体が、年寄りは早く死ねという意味にとれますし内容もそうだと思います。このような後期高齢者医療制度は、即刻廃止すべきです。
 現在のねじれ国会についての原稿も、興味深かったです。ガソリン税を総合交通体系全体に使うべきという主張、なるほどなと思いました。
 読者の皆さん、今後ともワーカーズをよろしくお願いします。 (河野)  案内へ戻る