ワーカーズ431・432合併号 2011/1/1      案内へ戻る

正規労働者と非正規労働者との賃金格差をなくそう!
待遇格差をなくさないと労働者間の真の連帯はあり得ない!
 
 新年を迎えるたびに、今年はいい年にしたいと思うのだがなかなかそうはなっていない。昨年も、民主党の菅政権は旧来の自民党政権と変わらないぐらいひどかった。
 今、多くの職場では正規労働者と非正規労働者との待遇格差がありすぎる状態である。例えば日本郵政グループ会社の非正規の人たちは、年収200万円以下という人が6割以上であり、これでは健康で文化的な生活などできようはずもない。
 そこで注目されるのは、一昨年広島電鉄での全契約社員を正規雇用する一方、一部のベテラン社員は賃金が減らされた。広島電鉄は従業員が約1300人、うち約150人が契約社員、約150人が契約期間の区切りがない社員である。契約社員らの賃金は運転士で月23万1000円、車掌が19万6500円で何年勤務しても昇給はない。昇給がある正社員と比べて月約50000円も安い。
 このような状況で、私鉄中国地方労働組合広島電鉄支部は、労働組合の側から正社員の賃金引き下げと引き換えに全契約社員らの正社員化を求めた。そして、それを実現した。本当に画期的だった。
 広島電鉄のケースは、契約社員らの割合が少なかったから実現できたのかもしれない。それでも実現までには、多くの正社員の反対があり大変だったようである。
 こういう賃金格差が、他の職場でも実現できないのだろうか?正規労働者(私も正規労働者)の側からすれば自分たちの賃金が下がるのは嫌である。しかし、一方で非正規労働者の低賃金を見過ごすことはできない。賃金やその他待遇を同じにしないと、真に労働者間の連帯は生まれないと思う。非正規労働者と正規労働者との格差是正は、正規労働者が自らの賃下げを覚悟しないと現実にはありえない。同一価値労働同一賃金を実現しよう! (河野) 


大きな政治≠語りあおう!──企業単位、国家単位の発想から脱却しよう──

 民主党中心の菅内閣の混迷は深まるばかりだ。
 もう一昨年の話になるが、政治の閉塞状況を打ち破ってくれるかもしれないとの期待に押し上げられて発足した民主党政権。たった一年半で、もうほとんどの人がそうした期待を裏切られたと感じている。
 期待はずれに終わった政権交代と民主党政権を批判するのはたやすい。しかしそれを押し上げたのは私たち有権者であり、対抗し得ていない私たち左派である。
 それ以上に、失われた20年≠こえて失われた30年≠招き寄せないためにも、ここは私たちも根本的な発想の切り替えも必要だ。

■民主党政権の期待はずれ■

 一昨年の9月、政治の閉塞状況の打破という有権者の期待を担って発足した民主党中心政権。しかし、普天間基地撤去をめぐる迷走、コンクリートから人へ≠ノ象徴された国民の生活が第一≠ニいう民主党マニフェストの失速。その柱とされた「子ども手当」や「高速道路原則無料化」の約束違反、それに「事業仕分け」すべてが看板倒れに終わりつつある。同時に、民主党に寄せられた期待は無残にも雲散霧消した。
 それが象徴的に現れたのが、暮れの24日に閣議決定された11年度政府予算案である。
 総額92・4兆円の予算案は、税収が41兆円弱、借金に当たる国債発行高が44兆円強。2年連続で税収より多い借金に依存する予算案になった。
 この予算額は、08年のリーマンショック後の非常時予算だとされた麻生内閣の予算案に比べても増えている。米国をのぞき、欧州各国がギリシャ危機を踏まえた財政緊縮に舵を切っているのと対照的な水ぶくれ予算でもある。
 個別に見ても、税制では自民党政権も踏み込めなかった法人税の5%引き下げを財界の要望を入れてあっさり決めた。租税特別措置の一部廃止や高額所得者への増税で賄ったが、雇用拡大に結びつく確証もない企業への掴み金≠セ。経団連の政治献金再開にあわせた企業減税で、企業に優しい民主党政権≠ェ際立った。
 結局、増える社会保障関連の支出やマニフェスト関連の支出を賄うために、いわば家計でのへそくりに当たる埋蔵金≠かき集めて収支の帳尻を合わせるしかなかったわけだ。
 支出についても、求職者支援制度など一部の前向きな施策も含まれているとはいえ、全体的には場当たり的なつじつま合わせがまかり通っている。
 もともと民主党マニフェスト自体が、コンクリートから人へ≠ネのか、景気対策なのか、それとも環境対策なのか最後まで曖昧で、体系的で一貫した理念に裏づけられたものとはとても言えない代物だった。しかも、そのどれも中途半端なものに終わりつつあるわけで、いったい民主党政権の政治理念や政策順位がどこにあるのかさえ、訳が分からないものになっている。

■八方美人・選挙目的政治■

 なぜ民主党政権が自民党とさして変わらないふつうの与党≠ノなってしまったのだろうか。
 『ワーカーズ』でもたびたび指摘してきたように、それは次のような実情によっている。
 第1は、民主党マニフェストが、有権者受けする公約のばらまきとしかいえないもので、理念的に一貫性を欠いた、全方位政治、八方美人的なものに終始したこと。
 第2に、ウルトラ保守から革新まで、政権交代を唯一の共通目的とした選挙互助会≠ゥら脱却できないまま、利害関係が錯綜する現実政治の舵取り役に押し出されたこと。
 第3は、そうした民主党は風が頼りの議員政党にとどまっており、有権者に根を張った党員の不在、党の理念・政策・運動が党員の意志の集大成として形成されていないこと、要は党の政治基盤が曖昧なこと、などだ。
 付け加えれば、風が頼りの民主党の主要な幹部やスター議員は、理念や政策より人気取り優先のパフォーマンス政治に走りがちだ。それに大手企業内組合出身者など、出身企業、出身業界の族議員の卵≠熨スい。トラック議連など、今それが健在化しつつある。
 これらの背景には小選挙区制中心の選挙制度がある。相対多数の票を確保するためには、どうしても最大公約数の政策を押し出す必要があり、全方位政治、八方美人の政策に傾斜しがちになる。これは民主党に止まらず、自民党にとっても同じだ。とりわけ自民党政権が揺らいだ最後の麻生内閣などは、タカ派としての個性を除けば民主党政治の直接の母体でもあった。
 最後になるが、そうした民主党を政権の座に押し上げた、いわゆる民意≠フ責任も大きい。一方では、有権者の切羽詰まった事情に根ざす当然で切実な要求も含まれているが、他方では、業界関連の利害に根ざす要求も一部の民意に反映されている。エコ・ポイントやエコ・カー減税、それに高速道路無料化などもそうだ。
 民意の悪しき側面として、自分たちの生活改善を政府の政策・財政に依存する傾向が強すぎる。それらが劇場型政治を裏側で支える役割を果たしている。民主党政権を批判するのであれば、反面では自民党政治の利益誘導、再配分型政治、それを引き継ぐ民主党を政権の座に押し上げた私たち民意≠フあり方の反省も欠かせない。

■失われた30年=。

 先行き不透明な時代状況の視界を良くするために、ちょっと思い起こしてみよう。
 自民党が政権の座から転落したのは、高度成長を背景とした利益配分型政治構造が失われたからだ。1990年前後のバブル経済の崩壊後長く続いた経済の低迷は失われた10年≠ニ言われた。その時代はどういう時代だったのだろうか。
 まず思い浮かぶのが85年のプラザ合意以降の円高、産業の空洞化、不効率の代名詞と言われた官僚主導政治、それに後発国の追い上げによる日本経済の低迷だ。
 この時期、同時並行的に進んだ非正規労働者化と格差社会。多くの企業は労働者の賃金や下請け単価を始め製造コストを限りなく圧縮することで輸出を拡大し利益を確保してきた。いわゆる大企業だけが生き残る日本版リストラ≠セ。こうした経済構造の故に、企業は史上最高の利益を上げても労働者や下請けの処遇改善に廻さなかった、というより、廻さないことで利益を確保してきた。当然にも国内市場はやせ細り、地方は疲弊し、雇用も劣悪化するばかり。ひとたびつまずくと再び這い上がることが難しい格差社会がもたらされた。国内経済は長期にわたって低迷し、大店法の改定もあって地方ではシャッター通りばかり。98年からの自殺者3万人時代が今でも続いている。今、こうした閉塞情況から抜け出す道を見いだせず、その可能性を政権交代に賭けたわけだ。
 こうした事態をもたらしたのは、単純化して言えば、東西冷戦終結後の90年代以降の経済のグローバル化のなかで、日本の位置が高度成長期と様変わりしていたにもかかわらず、旧来型の経済成長を前提とした利益配分型の政官業政治システムから脱却できなかったからだ。
 かつてそれが可能だったのは、敗戦国家としての後発国の立場で、農村からの多数の若年労働者を低賃金で働かせ、日本株式会社とも称された官民一体化した産業政策もあって、輸出主導型の経済成長を謳歌できたからだ。それを支えたのが労使運命共同体イデオロギーであり、その柱が終身雇用、年功賃金、企業内組合という日本的労使関係だった。輸出主導経済による成果は、親会社、子会社、下請け・孫請けというピラミッド構造の上ではあっても、一定程度労働者にも配分された。一億層中流社会≠烽サれなりの根拠はあったわけだ。
 しかし、そうした時代はむしろ特別な時代、望外な例外の時代と言うべきだろう。後から追いかける後発国も、当然のことながら追いつき、追い越せ≠ニ挑戦する。
 今ではすっかりかつての構造は反転し、日本は追い上げられる立場に変わっている。グローバル化で国境の壁が低くなるなかで、賃金をはじめとして先進国と後発国との間に歴然たる格差構造がある以上、同じように競争していけば賃金を始め下落圧力にさらされる。グローバル化の局面で、為替相場を間に挟んだ製品性能や賃金コストなどすべてが差別化、平準化の国際的な調整局面が同時進行しているともいえる。
 問題は、そうした間面を前にして、私たち労働者や庶民が、自分たちの独自な理念や基準を獲得できていないことにある。
 企業が利益を上げるために新技術の開拓や新製品の開発、それにコスト削減を追い求めるのは一面では当然の話である。それに対して労働者は共通の利害を連結軸に国境を越えて手をつないで企業の対抗していくことができていない。労働者は資本や商品ほど簡単には国境を越えられないから、無理からぬ面もある。が、企業間、国家間の競争の巻き込まれていては、結局は労働者に犠牲やしわ寄せが回ってくる。追い上げられる現在の日本がいい実例だ。
 領土や海洋資源でもそうだが、経済面でも国益中心、国単位のものの見方に引きずられすぎている。これは法人減税や為替戦争、あるいは経済ブロックをめぐる各国の攻防戦などに端的に表れている。日本の法人税が高すぎるとして菅内閣が法人減税を決めたが、これも労働者が世界各国で法人課税強化の闘いを連携して推し進めるという方向で対抗すべきなのだ。自国通貨安を競う為替戦争でもそうだ。ダンピングを許さないそれぞれの国の労働者の闘いの課題なのだ。
 私たちがこうした方向での将来展望を描けないとすれば、結局、税金は少なく、社会保障は多く、という政府への過大な期待となり、またそれが裏切られ続けるという悪循環を繰り返すしかなくなる。そうした矛盾の付けが国債残高667兆円、短期も含めて国の借金973兆円、という赤字財政に端的に表れている。いわば矛盾を先送りにしたその日暮らしを続けているのが実情なのだ。何も将来世代へのつけ回しなどではない。国民貯蓄の1400兆円は、地方の借金も含めれば、実はもう使われてしまってほとんど残っていないことになる。すべての預金者が引き出そうとすれば、即、破綻で、究極の不良債権でしかないのだ。
 唯一の防波堤が政府の徴税権で、消費税増税など近い将来の大増税だけが国民預金が紙くずになるのを防いでいる。こんな虚構の上で成り立つ社会は続くはずがない。失われた20年≠30年に引き延ばすことはできない。

■大きなビジョンを語り合おう!■

 矛盾の深まりやジレンマとの遭遇は何も日本だけのことではない。世界も揺れ動いている。
 第二次大戦集結時には工業生産で世界の3分の2を占めた米国は、いまではGDPで4分の1に縮小し、財政支出と為替ダンピングで国力維持に腐心している。EUも域内普遍主義と個別の国益の衝突で壁にぶつかっている。中国も昨年で世界第2位の経済大国となり、あと15年ほどで米国を追い抜いて世界最大の経済大国に成長するとの予測もあるが、一本調子に発展する保証はない。政治の腐敗と民族対立、それに格差拡大という矛盾が蓄積されている。いつ、どういう形で爆発しても不思議ではない。
 こうして世界が揺れ動いている中、私たちとしては、企業単位、国家単位で対抗しようとする発想を転換すべき時だろう。諸国・諸地域の労働者が手をつないで、現行体制の転換の闘いに立ち向かうべきだ。グローバル化の荒波のもまれる中、同時にその条件が生まれつつある。
 目を国内政治に転じてみる。
 民主党政権一年半の経験で、またも政治に裏切られる結果となったが、民主党がだめならまた自民党へ、とはならない。それは元の閉塞状況への後戻りだし、現に有権者も望んでいない。未来は自民党か、それとも民主党かという二社選択政治そのものの打破が求められているのだ。
 私たちは民主党が自民党政権に取って代われるような位置を占めたときから、選挙を通じた政権交代は有権者の意志で政権を交代させるという意味できわめて大きな意義を持つと主張してきた。が、反面では民主党も選挙目当ての寄り合い所帯の体制内政党に過ぎないと批判してきた。自民党と民主党の二大政党による政権交代は、単なる政権たらい回しによる保守二党制に過ぎないからだ。こうした立場は、発足した民主党政権を通過点として、労働者・市民の未来を担いうる政治を実現するというその次の目標を踏まえたものだった。
 いま若者が未来に希望を持てない時代だという。若者に限らず、路上生活者が増え、自宅で孤独死する時代だ。私たち労働者・市民、それに左派にいま求められているのは、そうした未来を担う若者が希望をもてる大きなビジョンを語り合うことから始めることではないだろうか。同時に現実にそうした若者と実際の協力関係を築いていくことにある。
 昨年の論壇では、かつての自分探し≠ゥら自分たち捜し≠キなわち新たな社会探し≠ェブームになったという。未来を切り開く大きなビジョンなしには、目先の一歩も踏み出せない。いまこそ、そうした闘いに大きく一歩を踏み出したい。(廣)案内へ戻る


コラムの窓  もうひとつの中国

 このところ、中国に対するイメージが悪くなる一方である。
 改革開放以来の経済発展に自信をもったのはいいが、それがエスカレートして、世界中の資源や資産を一人占めしようとする「エコノミック・アニマル」ぶりや、「海洋覇権主義」をあらわにした行動が、いろんなところで目立つからであろう。
 もっとも、日本も高度成長の時代には東南アジアで、バブルの時代にはヨーロッパで、「エコノミック・アニマル」と呼ばれ、嫌われた歴史を反省するなら、他人のことをとやかく言えないのも確かである。
 それにしても、身近なところでの話題は、「中国の悪口」ばかりであり、何とか中国を敵視しないですむ話題はないものかと探してみるのだが、なかなか見つからない。何とか中国を嫌いにならずにすむ方法はないものだろうか?

見直される黄河・長江文明

 現代の「覇権主義」中国のイメージは、古代からの「中華思想」を軸にした「力と支配」の中国史のありかたとオーバーラップする。秦の始皇帝、漢帝国の武帝。黄河文明に源流を持つ中国文明の歴史は、常に周辺の民を武力で制服してきた「帝国の盛衰史」であった。その歴史の上に、現在の「漢民族」の文化が成り立っていると見れば、あたかも現代中国の覇権主義は、「力と支配」の中国文明の歴史的宿命であるかに見えてくる。
 だが、果して中国の歴史は、黄河文明以来、「力と支配」の「帝国興亡史」一色に塗りつぶされていたのであろうか?実はそうではない。
 最近、「長江文明」の発掘調査が進み、中国の古代史は大きく見直されてきている。北の「黄河文明」はあわ、ひえなどの畑作と牧畜を主な生業としてきたのに対し、南の「長江文明」は稲作と漁労を主な生業としてきた。この自然条件の違いもあってか、黄河流域の北の文化の担い手が、好戦的特徴を持った城壁的都市国家を築いたのに対し、長江流域の南の文化の担い手は、「稲魂」信仰を政治原理にした母権的で平和的な都市国家を築いていたらしい。

東西に逃れた長江の民

 中国の古代史は、黄河文明と長江文明という、この異質なふたつの文化圏が併存しながら展開していったというのが、最近の見方である。しかし、いまから四千年前の激しい気候変動をきっかけに、北から南への民族大移動が起こり、長江文明の稲作民は、北からの好戦的な民に駆逐され、西に、南に、東に逃れていったらしい。
 西に逃れた民は、今の雲南省や貴州省を中心とした山岳地方に、棚田を築き「少数民族」として生き延びる道を選んだ。南に逃れた民は、インドシナ半島や東南アジアの島国に住み着いた。そして東に逃れた民は、日本列島にボートピープルとしてやってきて、主に西九州や山陰・北陸地方に住むようになったらしい。
 現代でも、よく雲南省に旅をした日本人が、「何ともいえない懐かしさを感じた」と言うのには、こうした歴史的な背景がある。長江の民は頭に「羽飾りの帽子」をかぶり船を漕いでいた。「羽人の漕ぐ船」という、そっくりな絵が、雲南省近くの遺跡の銅鼓にも、日本海側の弥生式土器にも彫られているのは、驚きである。

「江南」から来た出稼ぎ

 さて現代に戻ろう。つい三年前の秋、僕は上海に旅行した。
 背の高い女性のガイドさんに、あちこち案内してもらった。ちなみに彼女は「北京出身です」と言っていた。そして、ある中国茶のお店に連れていってもらった。そこでは、小柄な女性の店員さんが、中国茶の入れ方をいろいろ「手ほどき」してくれた。その店員さんの親切さに、思わずニッコリしていたのを見て、後でガイドさんが「かわいい女の人を前に、顔が真っ赤でしたよ」と、ユーモアたっぷりに、からかった。
 ガイドさんとの会話は続いた。「あなたは小柄な女性が好きですか?」、「はい」、「すみません、私、大柄で」、「いえ、そういう意味じゃなくて・・。それにしても、店員さんは、みんな小柄な方でしたね」、「あの人達は、江南から来たんですよ」
 ガイドさんの説明によれば、中国茶の店員さんは、もとからの上海っ子ではなく、江南つまり長江の南の農村地域から、出稼ぎにきた人達なのだそうだ。北京出身で今は上海の都会に暮らすガイドさんにとっては、「あの人達」「江南から来た人達」なのだ。
 かつて北方の民に駆逐され、奥地に散っていった長江の民の「末裔」が、今度は出稼ぎ労働者として、都会にやってくるようになったのが、現代の中国の状況なのだ。

「出稼ぎ者」を描く画学生

 中国の大都会では、一方では共産党の幹部やその師弟が、高級官僚や資本家として、大手を振ってエコノミック・アニマルを演じている。他方では、ビルや道路の建設現場では、地方から出稼ぎにきた労働者が、新しい生活を求めて働いている。このコントラストは、すさまじいものである。
 先日、福岡のアジア美術館で開かれた「中国現代の美術」展を見て、圧倒された。
 例えば「若夫婦」という大きな油絵。貴州省からの出稼ぎの若い夫婦が、工事現場で働く姿が描かれている。過酷な待遇の中でも、希望を捨てない強い眼差しが印象的である。
 また「労働者の小屋」という絵も圧巻だ。出稼ぎ労働者達が、日本のかつての「たこ部屋」のような狭い部屋に、身を寄せ合うように住んでいる。小さな寝台にひしめきながらも、仕事を終えた穏やかな表情をしている。
 都会で芸術を学んだ画学生たちは、現代の中国の発展に深い疑問を持っているように見える。彼らは、出会った出稼ぎ労働者の表情に、ある種の親近感と真実を感じ、本当にリアルに迫力を持って描いている。「文化革命」期のような、画一的な「共産党礼賛」の労働者像とは全くちがう、ありのままの、怒り、希望、不信、力強さの表情が、自由なタッチで描かれている。
 キャンバスの向うから、力強くこちらを見つめる、若い男女の出稼ぎ労働者たち、そして彼らを力いっぱい描こうとする若い画家たち、僕はたまらなく、彼らと握手したくなる。大好きになれるかもしれない「もうひとつの中国」が、そこにあるから。(松本誠也)


菅首相上告断念で、「よみがえれ!有明」訴訟完全勝訴へ!

12月15日、菅直人首相は「国営諫早湾干拓事業の5年間の排水門常時開放を命じた福岡高裁判決について、『開門により海をきれいにしていこうという高裁の判断は重いものがある』と述べ、上告を断念することを表明した」(12月15日「神戸新聞」)。これによって、1997年4月のギロチン≠ニ称された堤防閉め切りから13年余を経て、ようやく有明海再生への1歩が踏み出されることになった。
 民主党が政権交代時に掲げたコンクリートから人へ≠フ政策理念の実現は、八ツ場ダム建設中止が逆風によって頓挫し、腰砕けの状態になっている。今回の菅首相の決断も、低迷した支持率の回復などの政治的思惑から出たものなら、同じ轍を踏む可能性もある。開門の決断が遅れるなかで、すでに営農者の利害も深く絡まっており、開門への障害は山積している。
 そもそも諫早湾干拓事業は、今から遡ること60年になろうかという1950年代に計画されたもの。その後、食糧増産から減反の時代に移り、干拓事業の意義は完全に失われていた。にもかかわらず、防災を目的に加えて事業は継続され、あの世紀の愚挙、ギロチンによる有明海の遮断の実況中継へと至った。あの映像に日本の土木技術の高さを見るか、豊饒の海をくびり殺す暴挙を見るか、利害の分かれるところだろう。
 しかし、堤防閉め切りによって漁業が大打撃を受けたことは否定しようもなく、有明海再生のためには開門以外ないことは明らかである。これが司法の場でも確定した今、長崎県知事や議会がこれに反対し続けることは実に愚かな行為である。営農者が不安を抱くのは当然だが、マスコミまでがこれを煽るのは、ジャーナリズムとして失格である。漁業者と営農者、今は利害が鋭く対立しているかに見えるが、和解が不可能ではないことを示さなければならない。
 3年の猶予のうちに5年の開門を命じた佐賀地裁判決は、その付言において「判決を契機に、速やかに開門が実施され、適切な施策が講じられることを願ってやまない」(2008年6月27日)と述べているが、自公政権によって2年余の歳月がムダに失われた。そして、12月6日の福岡高裁判決は事業の公共性について次のように指摘している。原告らが
「生活の基盤にかかわる権利である漁業行使権に対する高度の侵害を受けているのに対し、本件潮受堤防の防災機能は限定的なものであり、現時点において、本件干拓地における営農にとって本件潮受堤防の締切りが必要不可欠であるとはいえない。また、本件各排水門を常時開放することによって過大な費用を要することとなるなどの事実は認められない」
 同じ12月6日の「よみがえれ!有明訴訟弁護団」も、その声明において次のように述べている。
「すでに事業が終了し干拓地での営農が開始されている状況を踏まえ、私たちは、訴訟の内外で、開門こそが漁業と農業・防災を正しく両立させる方策であることを明らかにしてきた。干拓地農業が成功するためには、毒性のアオコが発生する調整池の汚濁水に代わる農業用水を確保しなければならない、真の防災を実現するためには、干拓事業のためになおざりにされてきた排水路や排水機場の増設など、有明海沿岸で一般に採用されている防災対策をきちんと採用することが不可欠である」
 政権交代による民主党政権の誕生はすでにその意義をすべて失われた感があるが、この福岡高裁判決に背を押され、コンクリートから人へ≠フ政策理念がたとえひとつでも実現されるなら、その波及効果は無視できない。そして、何よりも豊饒の海、有明海の再生は未来への希望である。   (折口晴夫)案内へ戻る
  

反戦通信27「沖縄通信」・・・「12.18座間行動」

 毎月第3土曜日の午後1時から、「キャンプ座間」において抗議集会とデモが開催されていると聞き、12月18日に初めて参加した。
 2007年12月9日に米陸軍第1軍団前方司令部が発足し、「キャンプ座間」は後方司令部から最前線のための前方司令部へと、その役割を変化させた。
 移駐開始以来、座間の町は軍用車の通行が増え、空にはヘリ騒音が増え、基地沿いの通学路からフェンス越しに銃を構えた訓練が見られるようになったと言う。
 さらに、2012年度末までに陸上自衛隊・中央即応集団司令部が配備されようとしている。
 この中央即応集団は防衛のための自衛隊ではなく、海外派兵や対テロ・ゲリラ戦を想定した特殊任務の部隊であり、大規模災害時の増援部隊となる一方、戦地への先遣隊の役割も担う。現在、司令部は朝霞駐屯地にあるが、これがキャンプ座間に移転されれば、日米両軍の司令部が配備されることになり、日米両軍の共同軍事演習が容易になり、陸上自衛隊の海外派兵体制は一段と強化される。座間の街がアメリカの侵略戦争の拠点にされ、戦争の発信基地となることになる。
 この日の抗議活動は「バスストップから基地ストップの会」、「第1軍団の移駐を歓迎しない会」、「基地撤去をめざす県央共闘会議」、「神奈川平和運動センター」の4団体が主催し取り組まれた。
 市民団体関係者や労働組合員など約400名あまりが集合場所の座間公園に集まり、1時半から集会を開き、2時すぎからそれぞれのメッセージを書いた横断幕やリボン・ハンカチ・風船を持ちデモを開始した。
 デモでは「第一軍団司令部は出ていけ」「陸自即応集団司令部の移駐反対」「返還地への自衛隊宿舎建設反対」「日米軍事強化・一体化反対」などを大きな声で訴え、基地正門前では4団体の代表が「抗議文」を読み上げ、基地のフェンスを人間の鎖で包囲した。
 主催者の皆さんは、「沖縄では今、普天間基地の代替基地を辺野古につくる計画に対し、県民全体が『NO!』の意思を示し、日米合意の撤回を求めて頑張っている。沖縄に次ぐ第二の基地県・神奈川の私たちも、県内から米軍基地をなくす運動をつくり出すために、今後も座間で定例の抗議集会とデモ(毎月第3土曜日の午後)を続けていきたい」と力強く述べた。(英) 


読書室 「大逆事件・・・死と生の群像」 田中伸尚著  岩波書店 定価(2700円+税)

 日本が植民地帝国化していく大きなうねりの中で、天皇制国家が生み出した最大の思想弾圧事件「大逆事件」で、幸徳秋水らが処刑されてから今年で一〇〇年となる。
 一九一〇年五月、宮下太吉の爆裂弾の製造を手がかりに、明治天皇暗殺を企てたとみなされた幸徳秋水ら二六人が「大逆罪」で逮捕され、大審院特別刑事部は非公開裁判で、一人の証人も採用せず、わずか一ヵ月ほどの審理で、一九一一年一月一八日に二四人に死刑、二人に爆発物取締罰則違反で有期刑の判決を言い渡した。
 死刑判決を受けた幸徳秋水ら一二人は、判決からわずか一週間後の一月二四日と二五日に死刑が執行され、残りの一二人は天皇の「恩命」で無期に減刑された。
 戦後の諸研究の積み重ねでこの事件は、一九〇四年日露戦争前後の反戦運動の高揚などに驚いた当時の明治政府が、社会主義者、無政府主義者、またその同調者、さらに自由・平等・博愛といった思想を根絶するために仕組んだ国家犯罪だったという事実が明らかになっている。
 敗戦前までは事件の真相は闇の中に置かれてあった。事件関係者らは、公判に付されてからは天皇に弓を引いた「逆徒・国賊」の烙印を押され、あっという間の大量処刑によって社会には、天皇制国家への恐怖と社会主義的思想を恐れる空気が広がり、事件について公然と話題にされるようなことはほとんどなかった。
 戦後になって初めて一般の目に触れる形で伝えられたのが、反骨のジャーナリストとして有名な宮武外骨<がいこつ>が編集した「幸徳一派大逆事件顛末」(一九四六年末)である。
 隠された資料を発掘し、当時存命だった関係者への丹念な聞き取りなどによって真相を明らかにしたのが、神崎清の「革命伝説]であり、雑誌「世界評論」四七年一一月号から連載が始まった。
 「大逆事件」は思想の弾圧と、その核心を早くに見抜いた石川啄木が、事件関係の新聞記事を筆写し、判決全文などを収めた「日本無政府主義者陰謀事件経過及び附帯現象」や秋水から三弁護人に宛てた「陳弁書」などを収めた「A LETTER FROM PRISON」が公になったのは五一年である。
 住井すゑが、小学校のときに事件の話を聞き、それを原点に「橋のない川」(全七部)の筆を執ったのは、敗戦から一〇年以上経た五八年からである。
 この後、多くのジャーナリスト・学者がこの大逆事件に関した著作を出版している。
 今回の出版の動機を田中伸尚氏は、次のように述べている。
 「もう多くの人が本を出されている。私はこの大逆事件にどうアプローチするか?ずっと考えていた。その一つのきっかけが、森長英三郎さんの『大逆事件事件風霜五十余年』のはしがきを読んだことである。『大逆事件が政治、社会、文学、さらに国際的に与えた影響については十分に研究されてきたが、これは大逆事件の影響の半面にしか過ぎない。大逆事件によって、多くの被告人の家族たちや、死刑を免れた被告人たちが、官憲の圧迫や官僚政府の教宣によって、どんなに苦しんだか、その苦しみにたえたかを明らかにすることなしに大逆事件の本質はつかめない。そして遺族たちの苦しみは五十余年後のいまも部分的にはつづいていることをおもうと、大逆事件が世紀の大事件であったことを、いまさらながら痛感するのである。しかし本書はそういう面までも明らかにしようとするものではない。それは別の人がやるであろう。私はただ遺族たちをはげましたい。また苦しんで死んだ人たちの霊を弔いたい。そういう気持ちだけで、この小冊子をつくった』
 これを契機として、田中伸尚氏は大逆事件・被告二六人の生地・家族関係者を訪ねる取材の旅を始める。
 大逆事件の経過を知る意味でも、被告二六人の逮捕の流れを本に沿ってまとめてみると。
 大逆事件が発覚したきっかけは、一九一〇年五月信州の爆裂弾関係者の逮捕<宮下太吉、新村忠雄、新村善兵衛、新田融>から始まる。この事件から当時の無政府主義者・社会主義者の最高指導者であった幸徳秋水及びその同調者に対するデッチ上げ逮捕が続く。
 秋水関係者<幸徳秋水、菅野スガ、古河力作>の逮捕。
 六月になると、新宮関係者<大石誠之助、高木顕明、崎久保誓、峯尾節堂、成石勘三郎、成石平四郎>の逮捕。さらに、岡山の<森近運平>の逮捕。土佐の<奥宮健之>の逮捕。
 七月になると、熊本の「熊本評論社」関係者<松尾卵一太、新美卵一郎、飛松与次郎、佐々木道元、坂本清馬>の逮捕。
 八月になると、大阪の「大阪平民社」関係者<武田九平、岡本頸一郎、三浦安太郎>の逮捕。
 九月になると、神戸の「神戸平民倶楽部」関係者<岡林寅松、小松丑治>の逮捕。
 そして、〇九年五月に出版法違反で逮捕されていた箱根・大平台の住職<内山愚堂>も大逆罪で逮捕される。
 私も、これまで幾つか大逆事件関連の本を読んできたが、このように被告二六人全員を丁寧に調査し、事件の全体像と残された遺族の皆さんのその後を追跡した本は知らない。 今月の二四日が秋水らの命日になっおり、その前日の二三日には「高知・中村」や「岡山」や「新宮」などで、二九日には東京の「大逆事件の真相をあきらかにする会」も一〇〇周年の追悼集会を計画している。
 この大逆事件の全容や本質=「国家による思想暗殺」は多くの人たちの努力であきらかにされてきた。しかし、田中氏も指摘するように「遺族関係者による再審請求の闘い、取り組みがなされてきたが、いまだ国家犯罪である『大逆事件』の被告らが法的に無罪になっていない。無罪を勝ち取っていない」と。
 今日でも「デッチ上げの不当逮捕」「えん罪事件の多発」「検事による証拠改ざん」等など、警察・検察・司法権力の民衆弾圧の本質は何も変わっていない。
 そういう意味でも、大逆事件被告者の法的な無罪を勝ち取ることが重要な課題となっているのではないかと考える。(英)案内へ戻る


自殺者3万人社会の病理

 私たちが生活しているこの社会は、3万人を超える自殺者が12年も続いています。その総数は12年間で40万人近いそうで、その遺族や友人など関係者の総数は膨大です。その数からして、これはすでに社会的問題です。しかし、自死遺族は家族を突然失った悲しみに加えて、社会からの孤立にまで苦しまなければならないのが現状です。自殺する者に問題がある、自殺者を出す家庭に問題がある、子どもが自殺するのは親が悪い、等々・・・
 自死とは何か、私は生きていく希望の喪失の絶望的表現ではないかと思います。それが破滅的な無差別殺人≠ノ向かったら社会を揺るがす衝撃を与えますが、自死というかたちで処理≠ウれるなら、たとえその数が膨大であっても社会は関心を払わないのです。そのことがなおさらに、自死遺族を孤立させ、自殺者を減らさなければならないという切実感さえ薄くしているのではないでしょうか。これは社会的病理というほかありません。
 こうしたなかで、自死遺族の「二次被害」が問題になっています。それはどういうものか、私は最近まで全く知らなかったのですが、「週刊金曜日」(12月17日号)が「孤独死・自殺・無縁社会・死≠ニ向き合わない日本」を特集しています。そこで紹介されている「二次被害」の実態は驚くべきものでした。ぜひ、読者の皆さんにもこれを読んでいただきたいと思います。
 例えば、賃貸アパートで自殺し変わり果てた娘を発見した父親は、不動産業者から「(貸主から)家賃補償の請求(数年分)がくると思いますよ」と言われ、臭気を除去するための改装工事やお祓いの費用など100万円以上を支払った上に、5年分の家賃まで請求されています。他にも、21年分の家賃補償や、アパートの建て替え費用(1億2000万円)を請求された遺族もいるということです。飛び降り自殺では、落下現場の消毒だけではなく、深さ1メートルの土の入れ替えまで要求されたとかで、ここまで来ると悪意・敵意すら感じてしまいます。これでは、遺族まで自殺に追い込まれるのではないかと危惧します。
 勿論、アパートの持ち主が実際に損害を被り、その補償を求めることを全面否定はできませんが、遺族に抱えきれない経済的負担で追い討ちをかけるのは、あってはならないことだと思います。そこで考えられるのが、「自死遺族二次被害者保護法」(仮称)の制定であり、現在これを実現するための署名活動が行われています。自殺者を鞭で追い、その遺族を責め苛む、この社会は重く病んでるのです。病む社会が新たな自殺を誘発する、この絶望から抜け出す新たな年を開かなければと思います。  (晴)
* 署名について、詳しくは「全国自死遺族連絡会」のホームページで確認してください。
  

集会案内 自死者の尊厳回復に向けての講演・シンポジウム
自死&自死者、自死遺族への偏見・差別の是正へ

 この12年間、毎年3万人以上の方々が自ら命を絶っています。そしてその後には、悲嘆に暮れる多くの遺族たちが残されています。
 「自死」に対する世間の偏見・差別の風潮の止まない今日、多くの自死遺族たちはその苦しみ、悲しみを語りたくとも、語れないのです。そしてまた、「自死者」の尊厳はないがしろにされたままです。そのことが一層、さまざまな側面で遺族たちの重圧となってのしかかってきます。
 この度、「自死」や「自死者」、「自死遺族」に対する偏見・差別を是正し、その尊厳回復に向けた第一歩として、この講演会・シンポジウムを開催いたします。
 みなさんのご参加、お待ちいたしております。

日時  1月19日(水)午後1時30分〜5時
会場  ニコラ・パレ 9階ホール(JR四ッ谷駅より徒歩1分)
定員  150名(申し込みは FAX・03‐5775‐3871 へ)
主催  認定NPO法人 グリーフケア・サポートプラザ


読者からの手紙 も≠ニが

  信用金庫や郵便局の女性職員たちが、体の重たい私が座っていて立ち上がるとき、えらい苦労するのを見て手を引っ張ってくれたりお尻を押してくれたりする。お礼をいうとこれも仕事です≠ニいう。
 も≠ニいうのは、本来の定められた仕事をはみ出る部分も包摂していう場合であろう。定められた仕事に限定する場合これが仕事です≠ニいう言い方になるだろう。
 定められた部分とはみ出る部分を統合する作用が機能しない病気があるそうな。統合失調症≠ニいうそうで、すべてバラバラになって統合できないという、一種の脳の欠陥をいうらしい。これも現代の脳の病気であろう。
 先日、近所の近大の演劇がこの患者を扱ったテーマ、家族(兄であった)が、病気の弟が立ち直れるように、自分が食べる料理を作ることを手とり足とり教えることをはじめる。つまり、病を克服し統合機能をつくるか、回復させるための訓練をはじめる。細分化された現代文明による現代の脳病、世の中に案外多いらしい。
 人と人とのつながりを目標にするにも、こんなところから始めねばならなくなっている。文明の進歩というのは恐ろしいもの。近大でみた演劇は、イギリスの作家によるもの。 2010・12・19   宮森常子


読者からの手紙 「あきらめ」から「見限り」「期待」への活動の必要性

 民主党政権が誕生して一年半、当初自民党的政治からの「変革」への期待が大きかったが、沖縄普天間基地問題や小沢問題などで、ごたごたを繰り返し、マニフェストに掲げた多くの約束事は影を隠し、首相も鳩山から管へと変わっても依然として私たちの将来についての展望は見えてこない。財政問題も自民党の垂れ流し政策を引き継ぎ、赤字国債を頼りに大企業優先・消費税増額を見越した大衆収奪強化に向け着実に突き進んでいる。国民新党・社民党ばかりでなく、立ち上がれ日本や公明党との連立を企策、ひいては自民党との大連立までも視野に入れたなりふり構わない政治手法は民主党に期待した市民・労働者への裏切りでもある。
 支持率が20%台まで下がりいまだに下がり続けているのはこうした裏切り行為に対する「あきらめ」からであるが、他に指示するものもないので「見限った」わけでもない評価でもある。
 「あきらめ」と「見限り」とは意味が多少違う、「あきらめ」には多少の期待がこもっており、ややもすると期待感が復活する場合があるが、「見限り」となると期待したものはなくなり新しい別なものに期待感を移すと言うことで、今、最も必要なのは「あきらめ」から「見限り」新しい運動への期待を市民や労働者に訴えかける活動である。
 自民党や民主党などの官僚主導・大企業優先の資本主義経済の暴露や糾弾を通じ、労働者・市民参加のアソシエーション社会の必要性を訴え、多くの労働者・市民の「あきらめ」から「見限り」を経て新しい社会への期待を抱くような活動を我々が訴えかける必要がある。来年の「ワーカーズ」にはその活動の先駆とならんことを期待します。(I)


色鉛筆ー学校をダメにする新勤評

 冬休みも間近な12月の日曜日、全国から闘う教職員が大阪に集まり、一人ひとりの生の声でアピールする、とても魅力的で迫力のある集いに参加してきました。子ども達が大きくなり、公教育の場から離れてしまった私は、教育の現場がこんなに追いつめられていたことに驚かされました。そして、自分の仕事をランク付けで評価される私の職場と通ずるところがあったのです。
 大阪府では06年度の「評価育成システム」の結果から教職員の給与に反映させています。教育長、校長の指示や意向に従順に「がんばる教員」だけを評価し、その給与を上げています。橋下知事はこの制度をさらに強化しようとしている、それが新勤評なのです。
 今年度、「進学指導特色校」10校に1億637万円、1校当たり1千万の予算が投ぜれました。橋下知事はその学校の教員に「ステータス」を与えようとしています。府立高校に露骨な「差別」を持ち込むことで、子どもたちにも「差別」を正当化してしまう考えを植え込み、さらに学校間の格差を助長してしまうのです。
 兵庫県でも宝塚市・川西市・伊丹市の定時制高校を統廃合しようとする動きは、エリートを優先して、様々な課題を持つ生徒の保護を無視し、教育を受ける権利まで奪おうとしているといっても過言ではありません。
 北は宮城、南は福岡とこの集いに参加した教職員のアピールには、教職員の評価システムをめぐっての「業績評価裁判」「人事査定システムを問う自己申告不提出訴訟」「再任用拒否撤回闘争」など、いづれも評価を下した人事委員会を訴えるものです。評価主義の導入が現場の教師をどれほど抑圧しているか、アピールは証言しています。
 ユニークな取り組みを一つ紹介しましょう。東京都で、分限免職にされたHさん、裁判も継続中ですが、その不当性をDVDを作り宣伝しています。タイトルは、「不適格教師の烙印を押された男 ジョニーカムバック」です。当日は予告編が上映されました。体罰を受けたとされる生徒の証言もあります。Hさんはギターを弾き歌も唄える演出家。闘いには特技も必要ですね。
 今年も色鉛筆で新年のあいさつをしたいと思います。うれしいことに担当者が3名から4名に増えました。内容もさらに充実を目指し、女性パワーを発揮したいと思います。今年もよろしくお願いします。(恵)案内へ戻る