ワーカーズ454号  2011/12/15       案内へ戻る

原子力村の巻き返しを許すな・・・大衆運動の強化、1千万人署名の成功で脱原発を実現しよう!

 福島原発の事故から9ヶ月が過ぎた。それまでは、放射能被爆のリスクは、定期検査や事故処理の際にもっぱら電力会社の下請け労働者が引き受けていた。事故後は、大量の放射性物質が東北ばかりでなく東日本一帯にばらまかれ、日本のおよそ半分の地域が放射能による健康被害におののきながら暮らさざるを得ない場所に変わった。一時は減少した汚染水の垂れ流しも再び再開されようとしている。
 国と電力会社の「安全」キャンペーンに対して市民の激しい抗議が起き、9月19日には脱原発を掲げてかつて無い規模の大集会が開催され、そしていま経産省前のテント活動をはじめ全国の各地で連日のように学習会、集会、デモなどの市民の行動が繰り広げられている。
 しかし、国・電力会社・プラントメーカーやゼネコンなどの原発推進勢力=「原子力村」は、いまだに原発優先のエネルギー政策を放棄しようとしない。定期検査などで停止していく原発の再稼働を狙い、高速増殖炉もんじゅの開発に固執し、原発の海外輸出を目論もうとしている。九つの電力会社すべての資力を投じても賄い切れないほどの被害を目の前にしても、官僚たちと計らって「被害を低く見積もればよい」と算段している。おまけに復興・除染を新たなビジネスチャンスと見なして、これをしゃぶり尽くそうとしている。原子力村は、人間と自然環境のかくも大規模な破壊を前にしても何の痛痒も感じておらず、しかも未だに強固な結束を維持している。
 私たち民衆の側にも、闘いの新たな飛躍が求められている。原子力村の巨大な力は、カネと国家権力とによって直接に支えられてきただけではない。それは、電力会社の正社員と現場で汚染水のぞうきん掛けを行う下請け労働者。電力を使う都市部と原発を押しつけられる過疎地の農漁村地域。原発が生み出す経済力や政治的軍事的ステイタスを享受する先進国民と、追われた住地でウラン鉱を採掘し被曝労働を押しつけられる途上諸国のマイノリティーの人々。それらの間にある格差や差別や収奪の関係によっても支えられてきた。
 脱原発を現実のものにしていくためには、こうした差別や収奪の構造をはっきりととらえ、それを乗り越えていく方向性を持った運動をつくりだしていかなければならない。内外の民衆の広範な連帯を追求し、脱原発を実現しよう! (阿部 治正)


2011もんじゅを廃炉へ!全国集会開催される

 12月3日、「脱原発へ! 超危険なもんじゅを廃炉へ! 全国集会」が福井県敦賀市で開催され、参加者は今度こそもんじゅの廃炉を実現しようという思いをひとつにした。若狭の原発が事故を起こしたら琵琶湖が汚染され、阪神間の飲料水も失われ生活基盤も失われる。もんじゅに何かあれば、その影響はもちろんその比ではない。
 市内を抜けて敦賀半島へ、美浜原発のその先、海を見下ろす位置にもんじゅは建設されている。午前中にもんじゅを望む白木海岸現地で集会が開かれ、日本原子力研究開発機構への抗議申し入れが行われた。午後の敦賀市内での集会は会場に1200名の参加者があふれ、通路も埋め尽くすなか、来年は勝利集会に集まろうという熱気に包まれた。もんじゅ運転再開の危険性について、抗議文は次のように述べている。
「ひずみエネルギーが蓄積された若狭湾の巨大地震が心配されています。地震に弱い構造の『もんじゅ』は活断層の真上にあります。原発震災を引き起こしたフクシマ事故を、2度と繰り返してはならないのです。16年間も停止している『もんじゅ』に、これ以上の国費を投入し、動かすことは許されません。即刻、廃炉を決断されることを強く要請します」
 政策仕分けで「存続の是非も含め抜本的に見直すべきだ」とされ、存亡の瀬戸際に立ったもんじゅを、今度こそ廃炉に追い込むときがきた。しかし、原子力機構も生き残りをかけた抵抗を行っており、簡単には退場しないだろう。その息の根を完全に止め、今度こそは何として高速増殖炉路線からの撤退を実現しなければならない。
 もんじゅの総事業費は2010年度末で約1兆810億円にのぼり、原子力機構はこれより1500億円以上も少ない額を公表していた。この巨費に加え、高速増殖炉開発にはすでに2兆円もの血税が注ぎ込まれている。1995年のナトリウム火災時、事故の映像を改ざんして「ウソつき動燃」と呼ばれ、それから名称変更や組織統合があったのだが、情報の隠ぺい体質は今も変わらない。
 こんな役人天国の独立行政法人に、年間2000億円もの予算が投入されてきた。鈴木篤之理事長は「いろいろな新しい技術を試す原子炉として使った方が、日本だけではなく世界のためになるのではないか」(10月30日・共同通信)と述べ、今後も予算を確保するために、機構がもんじゅを抱え続けることに執念を燃やしている。ちなみに、鈴木氏は東大教授から原子力安全委員会委員長を経て現職に就いているが、斑目春樹氏や山下俊一氏とともに御用学者として刑事告発されている。
 ところで、同じ若狭湾にある関電の11基の原発は、このままいけば来年の2月にはすべて停止となる。冬も節電だと関電がうるさく言うのも、いま止まっている大飯などの原発をそれまでに再稼働させたいからだ。点検を終えた原発の再稼働について、関電はいまも安全だ≠ニ言い募るが、冷却水漏れのトラブルで美浜原発2号機が8日に手動停止している。これによって、稼働中の原発は大飯2号機と高浜3号機の2基だけになった。それも今月16日と来年2月、定期点検に入る予定。
 国内電力会社のなかでもっとも原発への依存度が高い関電で、原発がなくても停電にもならないという事実が明らかになれば、脱原発への大きな歩みとなるだろう。すでに、東電はすべての原発が停止しても、来年の夏の電力は安定供給できると発表している。全ての原発が止まったら停電になるという声もあり、街頭宣伝で「すべての原発を止めよう」と呼びかけると、停電になったらどうするという反応があるくらいだ。こうした市民には、そんな心配はいらないし原発を動かし続ける危険性ははかりしれないことを訴え続けるしかないだろう。関電に、全国の電力会社に危険な原発を即時停止させ、より安全な電力供給を求めよう。 (晴)


もんじゅを廃炉へ!集会決議

福島原発事故は改めて原子力の持つ危険性を示した。爆発によって放出された大量の放射能による環境影響、人への健康影響が心配される。また、地域経済が崩壊し、莫大な損害に達すると考えられる。事故は、これまで進めてきた大量生産・大量消費といった社会システムを持続可能なものへと根本的に改めていくべきことを私たちに示した。
「もんじゅ」は1985年に本格工事に着手し91年に完成、94年に初臨界、95年12月8日にナトリウム漏洩事故を起こし、以来2010年5月まで停止していた。そして8月、再び炉内中継装置の落下事故が起こり停止している。発電炉として本格運転をする以前の段階ですでに20年の歳月が過ぎ、施設は老朽化している。このまま運転を強行することは計り知れない危険が伴うと言わざるを得ない。
マグニチュード9.0を記録した東北地方太平洋沖地震は、各原子力施設が想定している地震の見直しを迫っている。ここ、敦賀においても周辺の活断層の見直しが求められている。これまで総合エネルギー調査会原子力安全保安部会で審議されてきた「もんじゅ」の耐震安全性に関して、活断層の連続を値切り、あるいは連動を過小評価することが行われてきた。また、400年前にこの地を襲った巨大な津波に関しても無視されてきた。これまでの耐震安全性評価を根本からやり直すことになれば、「もんじゅ」が運転できないことは明らかになるであろう。
このたびの提言型政策仕分けでは、「もんじゅ」「高速増殖炉開発」の抜本的見直しが提言された。評価結果には「国民の徹底した納得を得られる結論を得るべき」と明記されている。しかし、国民の徹底した納得など得られるはずもない。鈴木篤之機構長はインタビューに答えて高速増殖炉開発に国民の合意が得られないことを認めている。「もんじゅ」に関する仕分けはこれまで3度行われ、3度とも開発見直しが提言されている。
次期実証炉計画が事実上、破たんしている状況の中で、「もんじゅ」開発の意味はいっそう失われている。
私たちは「もんじゅ」をこのまま運転再開することなく廃炉にすることを求めると同時に、高速増殖炉開発から撤退することを求める。
12.3「もんじゅ」を廃炉へ! 集会参加者一同案内へ戻る


「沖縄通信」・・怒りの県民集会

10日(日)、普天間飛行場の辺野古移設に反対、環境影響評価書の提出の断念を求める県民集会が県庁前広場で開かれた。
主催団体「基地の県内移設に反対する県民会議」の崎山共同代表は「前沖縄防衛局長の発言は政府の意図を表したものだ。政府は大臣や閣僚を次々と沖縄に送り込んでいるが、断固として許さず、アセス評価書提出の断念を求めていこう」と訴えた。
集会では、田中前沖縄防衛局長の不適切発言を批判し、一川防衛大臣の辞任を要求する発言が続いた。
集会後、横断幕を先頭に、のぼり旗やプラカードを掲げて国際通りをデモ行進した。(富田英司)

 

暴走する自由市場 −−−グローバル資本主義に今何がおこっているのか?

●過剰貨幣資本の奔流
 現代資本主義経済を考えるのであれば、その最も特徴的な「過剰貨幣資本」の生成と運動を無視することはできません。それはグローバル資本主義の立役者であると同時にその攪乱者ないしは破壊者でもあるのです。
 「世界の金融資産は1980年には世界のGDPと同じ水準であったが、2010年末には約4倍まで拡大した。」「本来金融は実態経済を支える脇役であったはずだが、いつしか実体経済を超えて肥大化し、金融の動きが実体経済を振り回すような構図となった。」(『エコノミスト』11/14)。
 金融資産の水ぶくれを牽引してきたのが国際市場で動き回る巨額の「過剰貨幣資本」なのです。最近の為替市場でも、日本政府の実施した円高是正のための巨額の「市場介入」がほとんど効果を見せていないことにも現れています。8月4日に数兆円規模で、さらに10月31日にも同様の規模で市場介入したにもかかわらず、一時の効果はあったが現在では「元の木阿弥」状態で、歴史的円高基調は変わっていません。
 世界の投機家集団に対して、世界有数の「経済大国」日本国家の方が力不足なのです。為替の売買でも本来の貿易に関わる部分はごく一部で、9割以上はこのような資産運用や投機的利ざや稼ぎのための売買だと言われています。ところで過剰貨幣資本とはそもそもなんなのでしょうか。
 
●発生のメカニズム
 さて、マルクスの『資本論』には「遊休貨幣資本」という概念はありますが、この様な「過剰貨幣資本」という概念はありません。これらは水と油です。「遊休貨幣資本」は資本の回転・変態の中の一コマであり、それは再び再生産の過程へと循環してゆく存在だからです。ところがこの「過剰貨幣資本」は、一部は生産過程に投資されるものの、その大半が景気の動向にかかわらず、生産過程には入らず投機的な運動を生涯の役割としているのです。
 同時に、マルクスの時代は金本位制であったので、信用の膨張はあっても、景気の低迷とともに収縮し、巨額の常態としての「過剰貨幣資本」の存在はありえないことでした。
 なぜこの様な事態になったのでしょうか?
 現在の過剰貨幣資本の怒濤の膨張は、71年の「金ドル交換停止」(いわゆるニクソンショック)が引き金となったのです。世界の基軸通貨であるドルが金との交換停止におちいったにもかかわらず、米国は当時の圧倒的な政治的経済的影響力の下で、「ドル=基軸通貨」としての位置を維持しました。端的に表現すれば、ドルたれに流しの自由裁量権を米国が獲得したのでした。かくして「金」の裏付けもなくドルが世界中に散布されることになったのです。当時の米国の世界戦略にとって、たいへん都合のよいことでした。
 ようするに現在世界の金融市場をうごめいている「過剰貨幣資本」あるいは準貨幣を含む「マネー」「流動性」というものは、生産過程から剰余価値として生まれ出たにしてもその再生産過程から常態として遊離しているばかりではなく、「金」と切断されたためにそれ自身において水ぶくれし(価値が下落し)、主に金融市場に滞留している貨幣資本(主にドルを基調においたもの)であると言うことができます。
 古くは朝鮮戦争、ベトナム戦争、中ソ包囲網、対ソ軍拡競争の展開があり、貿易赤字の拡大さらには多国籍企業の世界展開という歴史的経過の中で海外に流失した米国ドルが、「金ドル交換停止」の背景であると同時に、その後の世界的な「過剰貨幣資本」の累進的拡大を導いたと言えるでしょう。
 それらは時には「オイルマネー」や「ジャパンマネー」などと称されましたが、世界の金融センターの拡充などともあいまって80年台には世界的に「マネーゲーム」が横行し、バブル経済が登場したのでした。これらのマネーの大半は、生産物の交換を媒介するという当初の性格を失い、株や為替その他の金融商品(あるいは架空資本化した土地)の売買に注ぎ込まれ一時は右肩上がりの相場を形成し、実体経済に対して相対的に独自の領域を形成するようになったのです。その頂点にいたのが巨額の貿易黒字と低金利政策にあった80年台後半の日本なのです。
 米国のドルの垂れ流しは、現在までとどまるところを知りません。「同国の経常赤字は新興国、発展途上国とユーロ十五カ国および日本の経常黒字をくわえたものにほぼ匹敵する。」「つまり、二〇〇〇年代初頭、世界の生産過剰分のほとんどすべてをアメリカが引き受けてきたのである」(同上)。(『世界同時不況』岩田規久男)
 米国は、基軸通貨国という立場をフルに活用して、世界中の生産物・富をドルで購入し支配し、そのかわりドルをとめどなく世界にまき散らし続けているのです。[米国以外の資本家政府が、米国中心のこの様な寄生的な搾取体制に反発しつつも、過剰生産の安全弁としての役割を認めざるを得ないという事情がここにあります。国際市場の統一制という意味でも、ドル=基軸通貨は、どんな不満にもかかわらずこれまで世界のブルジョアジーにはなくてはならないものだったのです。〕
 その後も先進国が、財政赤字に転落してゆく中で振り出された国家的な信用膨張は、過剰な流動性を底上げしていったと考えられます。

●資本主義の展開から見た「過剰貨幣資本」
 この間(60年台から90年台)に韓国や台湾が、軍事国家の主導の下でこの様な資本の一部を取り込み「国家資本主義」としての高度成長を開始しました。その後中国や東欧、旧ソ連(ロシア)も「自由主義経済圏」の仲間入りをはたしたことにより、これらの資本の新たな活動のフィールドになりました。その面では一部の「過剰貨幣資本」は国境を越え、間接投資あるいは現実的な資本投下などの形で後発諸国の経済開発の原資となってきた面もあります。(この面では「過剰」資本とは言えないが。)
 当時のブラジルやインドそしてベトナムなどもこの資本の取り込みのために、それぞれに閉鎖的な経済政策(「社会主義」を自称していました。)を修正し「経済開放」と経済開発を目指したのでした。それらは確かに彼らにとって当時も現在も、もっとも手っ取り早い近代化の道でした。
 19〜20世紀前半当時の先進諸国による商品輸出が、後発国・低開発諸国の地場的産業を打ち崩したばかりではなく、低開発国として固定化し先進国に従属化してきた歴史とは確かに対照的な事ではないでしょうか。
 この巨額の流動性の存在は、国境を越えまたは突き破り、グローバル資本主義を打ち立ててきたと言うことができるのです。しかし、この様な流れが新しい問題を現代のわれわれに突きつけています。
 今でも資本を必要とし、経済的浮揚を求めている国家や地域あるいは企業はごまんとありますが、この巨大な貨幣資本の投資が先細りしつつあります。理由は単純です。2008年の経済恐慌以来の信用不安が、投資先を制限しているからなのです。

●収縮する信用・投機性強める市場
 資本運用には信用制度の安定が欠かせません。しかし、ご存じのような世界的同時株安、そして国家財政危機にみなもとをもつ国債の信用不安が重なっています。
 金本位制の時代であれば、景気低迷にともなって銀行に回帰するため流通貨幣は劇的に収縮します。しかし、金との関係を持たない現在では、貨幣は生産過程をはじめとする現実経済や金融取引から遊離しても単純には中央銀行へは回帰せず「過剰貨幣資本」が流通過程の中に滞留し肥大化することになります。
 かくして「再び膨張する行き場のない巨額余剰マネー」(『エコノミスト』11/14)の去就が問題となっています。この記事によれば、行き場の無くなったマネーは、「資産運用会社」、各企業内、円、金・商品市場等に集まっているらしいのです。
 冒頭にふれたように、投機家たちが円(為替)を消去法で買っているのが、「歴史的円高」の背景であることは明らかなことです。近年の金相場の高騰も、国債のヘッジ投機(国債がディフォルトした場合の保険)の活発化もすべては同じ事情の反映なのです。

●国家と経済を攪乱する市場
 「ソブリン危機」つまり「ギリシャ危機」「イタリア危機」という言葉が現在ではマスメディアからあふれていますが、国家信用危機におびえた金融機関が国債を手放そうとする一方、一部のしかし巨大な貨幣資本を扱う投機家が、国債の乱高下から巨大な利益を手にしているのです。そしてそこにさらに資金が集まるのです。
彼ら自由市場の英雄たちは、一国家をディフォルトにおい込むのに手を貸すことぐらい何の罪の意識もないようです。ギリシャやイタリアの国民は、国家財政再建のために今後、増税や社会福祉費の削減等、より一層の窮乏が待ち受けているだろうことなど意に介していません。
 もちろん巨利を得たものがあれば、大損失を出す投機家もいますが、天罰というものでしょう。
 彼らはガンと同じであり、弱りかけた肉体に発生すると、その肉体をさらに蝕み自らも破滅の道をたどるのです。少しでもまともな経済成長ではなく、投機的に信用の混乱を加速させ、経済秩序の機能不全から自由市場の信用収縮を結果的には生み出しているのです。
 現在進行している資本主義の典型的な矛盾は、信用制度を支え続けてきた「国家=政府」それ自身の信用が動揺し市場からあなどられ、国債も標的とされ信用制度全体が不安定化していると言うことです。ヨーロッパの先進国(例えばイタリア)でさえ国債の金利が上昇し上げ止まりません。そればかりではなく、この国家を支援する例えばIMFやEUの国際的諸機関もその力の限界を、自由市場の巨大なマネーの前で露呈しているのです。
 12月1日、世界の有力6中央銀行が、電撃的にEUの銀行にドルを大量に流し込んで信用不安の拡大防止にやっきになっていますが、このような前代未聞の処置にむしろその事態の深刻さがあらわれています。

●次は何か?
 もともと国家と自由市場は同志であり兄弟です。資本主義経済を支えてきた車の両輪と言えます。ですから、現在の両者の抗争も景気の回復等があれば、「和解」がなされるかもしれません。しかしその前提として、諸国家はいっそう国家連合として経済秩序に協力する、国家連合はいっそう単一国家として経済統治を促進する、という困難な課題が横たわっているようです。弟分であるはずの市場は、兄である国家の今ではきわめて手強い存在になってきたからです。つまり国際金融市場が巨大化し技術革新もともない個々の国家では制御困難となりつつあるからです。あるいは次のように表現することが適切かもしれません。金融市場はボーダレス化しています。それを制御する諸国家も連携を強化することなしに有効な手立てをとることは難しいのです。
 単一国家への統合を展望するEUでは各国の利害が対立し、主導権争いもあります。しかし、矛盾に満ちたグローバル資本主義は、一つの方向性として今後この様な形で進展してゆく可能性を示しているようです。EU諸国の「国家財政の統合」が今後を占う試金石となるでしょう。
 しかしながら、われわれはこの様な資本家勢力の「兄弟げんか」の行く末をあまり心配する必要はありません。資本の身勝手さや冷徹さをよく知るわれわれからすれば、資本の横暴と闘い、経済の再構築としての脱資本・非資本の経済循環を創り出してゆくことこそ肝要だと考えます。(阿部文明)案内へ戻る


色鉛筆・・・ どんな子どもにも平等な未来を

 私は、震災直後にもかかわらず、四月から軽度知的障害の支援学校に転勤となった。電車は復旧せず、片道40キロの車での道のりは遠く、当初はガソリン不足で、道はあちこちに亀裂が入り、夜道だとわからずにハンドルを取られることが多く毎日恐怖心と闘いながら通勤していた。あれから七ヶ月、徐々に通行止めだった橋や道が修繕され、最近は景色を楽しむ余裕も出てきた。水田の景色もいつもどおりの四季の景色で、今は稲刈りが終わり、残ったお米を食べる鴨がいっぱい集まっている。真冬の地吹雪のときに、目印にする赤の横線が入ったポールが道路の脇に設置されはじめている。
* * * *
 転勤先の学校は軽度知的障害者が一般企業で働くことを目的としていて、授業も現場実習・農作業と実践的なことが多く組まれている。職場にもだんだんと慣れ、卒業生も多く訪れるようになった。最近知り合った卒業生のA君は、清掃業者で働いている。野球と合コンが大好きで、交流の幅が広い。軽度知的障害で療育手帳を持ちながら、社会の一員として働き、生き生きとしている彼の姿は、まぶしかった。
 話が深まるにつれ、私の子どもの友達と交流があることがわかり、さらに話がもりあがるのかと思ったのだが、急に彼の口調がトーンダウンしてきた。
「俺ここの学校卒業したこと、みんなに隠しているんだ。だから内緒にしておいて」「療育手帳も更新時点数高くて取得できなかった。いや療育手帳ないと企業で採用してもらわれないから、ばかなふりしたんだ」と話し始めた。
 ノーマライゼーションの時代が到来しているにも関わらず、彼は自分の卒業高校を正直に言えないでいる。でも嬉しかったことは、療育手帳を更新取得出来なかった彼を、つまり企業からすれば税金対策には利用できない彼を、彼の仕事の成果を評価し引き続き採用してもらえていることだ。
* * *
 来年度の入学希望生徒の教育相談を初めて担当した。「中学校の先生が特別学級のほうがいい、療育手帳取得した方がいいといわれたからそうしました」と答える保護者。こちらの質問に緊張のあまり答えられない子どもを「違う質問されたから答えられませんでした」と答える保護者をみていると、子どもの障害を認めたくない、受容したくないという気持ちがひしひしと伝わってくる。軽度知的障害者とは? どの子どもも平等に学習をし生きていくためには? を考えて仕事をしていきたい。  宮城(弥生)


コラムの窓・・「12月8日」

最近は12月8日が何の日か答えられない人が増えている、とマスコミが論じていた。 1941年12月8日未明、日本の海軍連合艦隊はハワイの真珠湾を奇襲攻撃して大勝利をおさめた。
今年はこの真珠湾攻撃から70周年と言うことで、日米で様々なイベントが取り組まれている。
日本海軍の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まったと言われ続けてきた。
米国はこの突如の奇襲攻撃に対して「リメンバーパールハーバー」との言葉によって、対日戦争に対する国民の結束に成功したと言われてきた。最近は、当時の米国指導者は事前に日本の真珠湾攻撃を知っていて、その攻撃を利用したとの主張も出ている。
実は、真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まったと言うのは、歴史の事実に反している。
海軍の真珠湾攻撃の約1時間前、陸軍は12月8日午前2時15分、マレー半島のコタバルのパク・アマット海岸へ敵前上陸作戦をおこなった。
上陸部隊は久留米18歩兵師団を中心とした5300人の兵力。イギリス軍が海岸に構築した地雷原や鉄条網の防御線により、日本軍は大苦戦、4時間の大激戦の末にようやく上陸に成功する。しかし、日本軍はこの上陸作戦で320人もの戦死者を出している。
このように、太平洋戦争は日本陸軍のコタバル上陸作戦によって始まった、と言うことが正しい歴史の事実である。戦争中に使用された教科書には、この陸軍のコタバル敵前上陸の勇ましい日本軍の戦いが詳細に書かれ、戦意高揚に利用されていた。
しかしなぜか?戦後このコタバル上陸作戦の事は隠され、「伝えられなかった戦争」になってしまった。
なぜ、コタバル上陸作戦のことが消されたのか、戦後の米国占領軍の政策が影響しているのではないか。
日本を占領したGHQは日本側が使用していた「大東亜戦争」と言う用語の使用を禁止し、「太平洋戦争」にあらためた。
戦争中の教科書に載っていた「コタバルの敵前上陸」の部分は真っ黒に塗り消された。戦後の教科書には「太平洋戦争は真珠湾攻撃から始まった」と書かれている。
当時の日本軍の最大目標は、東南アジアを侵略し石油などの資源を確保することだった。
コタバルに上陸した日本軍はマレー半島を破竹の勢いで南下して、最後にイギリス軍の最大拠点であるシンガポールを陥落させて、当初の目標である南方の資源を手に入れた。
日本軍はこのマレー半島の進撃中に、中国大陸で日本と闘っている中国軍を支援するマレーの華僑(中国人)を徹底的に虐殺している。マレー半島には、日本軍に虐殺された華僑の慰霊碑がたくさん作られている。
こうした日本軍の蛮行は、朝鮮や中国だけでなくマレー半島をはじめ東南アジア全土で繰り広げられた。
こうした事実の上にたち、「太平洋戦争」と呼ぶのではなく、「アジア太平洋戦争」と呼ぶべきであるとの主張がある。(英)案内へ戻る


本の紹介 『マルクスのアソシエーション論』 2011年9月20日発行  桜井書店 5200円

 私としてはこの『何でも紹介』欄で文庫や新書など主に平易な入門書や解説書を中心に紹介してきた。ところが本書は400ページを超える分厚い専門書ともいえるもので、値段も5200円と普通の読者にとって手にしづらい本かもしれない。とはいえ、アソシエーション革命論に関心を抱いていた私にとって多くの示唆に富む本書は、本欄でも外すことのできない著作だという思いで取り上げたい。
 アソシエーション論については、『ワーカーズ』でもたびたび取り上げてきたし、著作も多く紹介してきた。そのなかにあっても本書は、生涯を通じてマルクスを研究し、また永年新MEGA(「新マルクス=エンゲルス全集」)編集にも携わってきた大谷氏の集大成とも言える著作なので、アソシエーション論に関心がある読者は、ぜひ手にとって読んでほしい。
 まず本書の構成を紹介する。

序章  「現存社会主義は」社会主義か
第T部 アソシエーションとはどういう社会か
 第1章 マルクスのアソシエーションとはどういう社会か
 第2章 「資本主義的生産の否定」はなぜ「個人的所有の再建」か
 第3章 「アソシエートする」とはどういうことか
第U部 ソ連の社会は「社会主義」だったか
 第4章 ソ連の社会は国家資本主義だった
 第5章 ソ連の社会は資本主義だった
第V部 アソシエーションをめざして
 第6章 アソシエートした労働とはどのような労働か
 第7章 アソシエーションを実現する個人はどのようにして生まれるのか
 第8章 資本主義はアソシエーションを懐妊し産みおとす
 第9章 自由な諸個人のアソシエーションをめざして
終章  マルクスにとって「資本論」とはどういうものだったか

 本書ではソ連社会も取り上げているが、中心テーマはいうまでもなくマルクスのアソシエーション論だ。
 多くの人にとってこれまでの社会主義・共産主義といえば、あのソ連で実現された社会主義を意味した。マルクスについても、ソ連など社会主義国の思想的・理論的創出者で、ソ連の崩壊とともに歴史の過去に追いやられた人物だと見なされてきた。現実政治でもそうだったし、いまだ教科書やマスコミも同じ扱いだ。それ以前に社会主義をめざす左派の人たちも、社会主義とは国有計画経済であり、国家権力を倒す政治革命によって実現すべきだとの教条的な理解が主流を占めていたといえる。あのレーニンやスターリン的なマルクス解釈が広く浸透していたわけだ。
 そのマルクス理解でいえば、実はあのソ連崩壊を期に日本でもマルクスの再解釈や読み直しの機運が芽生え、その過程で再評価されてきたのがマルクスのアソシエーション論だった。そういう私もその1人なのだが、大谷氏はそれまでの資本論研究という実績の上で、あくまでもマルクスの著述に忠実にアソシエーション論を再構成しようと研究を重ねてきた人であり、重みが違う。大谷氏は、かつて1960年代から80年代にかけて久留間鮫造氏とともに、私も愛読している『マルクス経済学レキシコン』の編纂に携わり、また1992年から国際マルクス=エンゲルス財団の編集委員として新MEGAの編集作業に携わっている。日本では手書きの草稿ノートも含めてマルクスの著作研究の第一人者であり、訳語も正確だ。
 その大谷氏の概念的中心軸を本書の即して一つだけ取り上げるとすれば、いうまでもなく「資本主義はアソシエーションを懐妊し産みおとす」(第8章の標題)というものだろう。これは社会主義とは資本主義の廃絶によって新しい社会をつくりあげる、という従来的観念を超えたもので、要は、新しい社会の萌芽はすでに資本主義の胎内で成長しつつあり、未来社会とはその萌芽を全面開花させることであり、さらにはその産みの苦しみを和らげるためにも資本主義の深い洞察が不可欠になる、という理解だ。まさに同感というべきで、それは大谷氏の前著である『21世紀とマルクス』の「はしがき」でも述べられている。その第3部「資本システムのなかにアソシエーションを見る」の概略紹介で、「資本主義社会の理論的把握の重要な構成部分をなす、アソシエーションというこの社会そのものの胎児の概念的把握、資本主義社会によるこの胎児の出産の生みの苦しみと、誕生後の成長によって形成されるであろう成体の展望とに触れる緒論稿を収めた。」と述べられている箇所だ。こうした記述に、大谷氏の問題意識の所在がはっきり述べられている。
 本書は著者の生涯をかけた『資本論』研究を土台として、ソ連が崩壊した1991年以降、ほぼ20年間にも及ぶマルクスアソシエーション論の集大成として発行されたので、大部分がこれまでに発行した著作や論文の再録だ。書き下ろしは第9章のみだが、アソシエーション論の部分はほとんど21世紀になってからのものだ。それに本書の発行にあたって章別構成の再編成を行ったうえ本文も加筆・訂正を加え、それに詳細な「注」を新たに書き加えている。全体として著者のアソシエーション論理解の全体像とその核心を提示するものになっている。
 ところで、アソシエーション論、あるいはアソシエーション革命というとらえ方は、単にマルクス革命論の核心は何か、という問題に止まらない。いま世界各地でマルクスの復権やその再評価が拡がっている。なぜかといえば、混迷を深める資本主義が世界を覆い、単なる対処療法に止まらない根源的な解決策が模索される時代に入っているからである。時代は資本主義社会のオルタナティブを求め、それにもっともふさわしいのは、まさにマルクスのアソシエーション論だろう。
 実は私は本書の元になったものも含めて大谷氏の著作や論文の過半をすでに手にとって読んでいる。それをすべて読み返すのは大変な作業だが、本書でその全体像をまとめて読めるのは本当にありがたい。今回はまだよく読み込むのはできていないが、アソシエーション革命論をより深めるにも不可欠の著作なので、再度じっくり読み込んでいきたい。(廣)案内へ戻る


投稿ー福島からのたよりA 
 
 チェルノブイリの事故から原発には不安があり、いろいろと勉強していたつもりでしたが、まさか現実になるとは・・・。家にとじこもり、すき間にガムテープを貼り、ニュースを見る毎日。そうしているうちに、あの時備えていた期限切れ(?)のヨウ化カリウムがあったことを思い出し、家族にくわしく説明もせず、2粒ずつ飲ませてしまいました。孫には2分の1粒、そのことは後になって1ヵ月も心をが痛んでいました。飲んだ方がよかったのか、飲まない方が良かったのか。ニュースやインターネットでも賛否がわかれるところでしたが、1ヵ月後、長男に「やっぱり飲んでよかったんだよ」と言われ、やっと心が楽になりました。
 原発が爆発したというニュ−スを聞いたとき、庭の家庭菜園の小松菜、ほうれん草、大根、白菜をありったけ収穫し、台所に取り込みました。もしかして、死の灰が降ってきたら、野菜は食べられなくなると思ったからです。これらは後で、とても役に立ちました。4〜5日すると、スーパーはからっぽ、ガソリンも行列。福島市の多くの人は放射能のことを知らされず、死の灰の降る中、食糧やガソリンを買うために屋外に何時間も並んだのです。
 良心的な人々は、自転車で通勤し、高い放射能を浴び続けたのです。福島市渡利に住む友人は、16日の朝、黒い車にはテニスボールくらいの斑点が、ポツポツついていて、目が痛かったと言っていました。今思えば、あれは死の灰だったのでは・・・と。
 何も知らされず平静を装う国や福島市民。給水車や消防団活動で町内を回らなければならない夫。私たちは、1才半の孫のためという理由をつけて、裏切り者のようなつらい気持ちで、17日福島を出て、山形県南陽市に避難しました。近くの友人が先に避難していて貸別荘を借りられたので、米や野菜を積んで出かけましたが、行けば行くほど雪が深く別世界でした。ガソリンも買えず、不安の中、4泊5日程過ごしました。
 夫は明るい性格で、いつも笑顔が絶えない人でしたが、落ちこむ暗い顔は、その時初めてでした。そんな中、お嫁さんが2人目の子を妊娠していて、不安もつのるばかり、山形では近くに病院がなかったこともあり、21日には福島に帰ってきてしまいました。
 私たちは電気のおかげで、便利で豊かな社会生活を送っていますが、電気がなくても豊かな国や、私たちよりももっともっと貧しい国もあります。先日、ブータンの国王夫妻が来日されましたが、GNPではなくGNHが国の目標とか、とてもすばらしいと思いました。ブータンからのたくさんのお見舞金を頂いたことを知らずにいたのは、とても申し訳なく思いました。が、国王の謙虚で誠実そうな人柄には、とても好感がもてました。
 原発を廃炉にするため30年以上もかかるという。私たちはそれを見届けてから死にたいなあと思います。20年前、原発反対の座り込みを大熊町役場前でしたことを思い出し、今では、そんな体力気力もなく、日々の生活に追われています。が、今の私に何が出来るか・・・。私にはペンがあったなと思いました。せめてわが家のりんごを食べて下さる消費者の皆さんに、おたよりすることで今の気持ちを伝えられたらと思います。昔よりも、もっと堂々と反原発を訴えることができること、少し心が楽になりました。
 子どもや孫には絶対に負の遺産を残してはならない。私たちは犠牲者ですが、これも自分の力のなさと受けとめますが、これ以上犠牲者を増やすことはやめてほしいと思います。皆さん脱原発を推進させていきましょう。 2011・11・20  福島市 S.G
(前回12月1日号で紹介した残りの文章を掲載しました。今後もワーカーズへの投稿を歓迎しますと伝えてもらっています。読者の皆さんもGさんへの感想などお寄せください。直接便りを送りたい方はご住所をお知らせします)


講談社の絵本「パンプキン」の紹介
 
 パンプキンというのはカボチャの英語である。これは原爆投下が命中するように試験的に空から投下した爆弾のことで、爆弾が恐ろしい凶器であることのイメージを柔らげるためにパンプキン≠ニ名付けたのだそうだ。未だに不発弾が埋まっているのが発見されるという。
 このパンプキン&s発弾が埋まっていた跡地に、それをしるした標識のようなものが建てられていて、これをめぐって全くちがう二人の少年少女のありようが描かれ、少年たちを世話し、パンプキンのことを教えたおじいさんの話が書かれた児童向けの絵本である。
 少年はパンプキン≠自由研究のテーマにして詳しく調査しており、兵庫のこの地へパンプキン≠フ標識をたずねて東京からやってくる。この少年は標識の建てられている地に住むもう一人の少女に、
知らないことは、こわいことだよ。誰かの言ってることが事実と違っていても、そうなのかなあって信じてしまう。ぼくはそれがいやなんだ≠ニ、この「たくみ」という少年はいい、日頃から詳しく調べていて、この地のパンプキン≠ノついて調べるためにやってきたのだった。
 この地のもう一人の少女は、いつも見慣れている標識のこととて、そんなに関心をもたなかったし、最初はたくみ少年をなんてしんどいぶった奴なんだろう≠ニ思ったが、次第にパンプキン≠ノ興味をもち始める。
 当地の少女のおじいさんはパンプキン≠ノ詳しく、二人の少年少女を招いて長崎チャンポンをごちそうしてやって、こう言う。
 この長崎チャンポンみたいに、肉も魚も野菜も、いろんな材料がまじりあって、うまいひとつの味をみんなで作りあげる。そんな世界になったらええなあ∞国どうしの戦争でなくても町と町、人と人の戦いは毎日起きている・・・
 この地の少女は長崎ちゃんぽんめざして、がんばってやろうとしなかったけれど、あきらめたらそこで終わりやもん。なんかわからんけど、あたし、がんばる≠ニ結論する。
 以上がストーリーのあらましだが、いろいろ多様なものを包摂しつつ、創り上げていくことを、長崎チャンポンにたとえて児童向けにわかりやすく説いた本といえよう。
 この本のストーリーからうかがえるのは、この少年少女の二人の関係は、最初の段階の関係より一歩高く踏みだした関係に変わっていて、そこには意味ある対話が成立している。私ども大人は、このような少年少女が育っていくのを、たのもしい限りであると思うし、大人も学びたいものである。 2011・11・12 スズメ(宮森常子)
(宮森さんは「大阪 わが町レポート6号」を発行されていて、今回そこから転載させていただきました)


ここにも政官業の癒着構造が

 ここにも《政官業専》がどっぷり癒着した現実を目の当たりにさせられて、暗然とした気持ちになった。この12日に国土交通省が東京外郭環状道路の建設工事再開を発表したからだ。理由はなんと震災対策や20年の東京オリンピック招致に向けた物流網を整備する必要があるからだという。総事業費1兆2880億円にも上るこの外環道の工事再開でゼネコンなどが潤うばかりでなく、これを機に全国の高速道路網の建設が促進されるとの思惑があるとも言われている。
 この計画は、表向き国交相の諮問機関「高速道路のあり方検討有識者委員会」が求めた形を取っているが、ご多分にもれず、業者と官僚が根回しし、政治家のお墨付きを受けて諮問機関に言わせた、との構図が見え見えだ。政官業と研究者・専門家といわれる輩が結託して利権に群がるこうした構図は、《原子力ムラ》を見るまでもなく、日本では広く知られた構図だ。
 いま国政をめぐって復興増税や消費増税の話が聞かれない日はない。社会保障でも年金や医療をはじめ負担増ばかりが議論されている。民主党政権は、「無駄を省いて国民生活が第一の政治へ」とか言っていたが、いまでは「無駄を省いて」についてはメディアもあまり言わなくなっている。未曾有の大震災と原発事故を経験した今、普段はできなくとも今まさに不要不急の無駄を省いて被災地に、というスタンスは不可欠なのに、〈ああ、またか〉という思いだ。
 不要不急の出費といえば、なにも外環道だけではない。これも12日に成功したH2ロケットだ。成功率95%になって国際的な信任を受けられるようになったと喜んでいるが、積んでいるのは偵察(スパイ)衛星だ。いま急いで打ち上げる必要性に乏しいこんなものが、一端決定したという理由で止まることがない。同じ事はあの八ツ場ダムの建設でもいえる。民主党政権は選挙時のマニフェストで中止を掲げたが、いまでは推進派の巻き返しで建設継続の動きが報じられている。すでに官房長官が継続委方針を述べている。現状では民主党内の反対もあって決まったわけではないが、小豆島・新内海ダムのようにすでに全国でダム建設の再開の動きも見られるという。八ツ場ダムは無駄な公共事業の象徴としてストップをかけるはずだったのに、だ。
各省庁は、いったん手にした予算は使い切る、決めた事業は続ける、というのが決まりのようで、あの大震災や原発事故などまったく関係がないかのようだ。
 業者や官僚のこうした習性にストップをかけるのが政治の役割であるはずだが、民主党政権も自民党と同じようにそうした連中の掌の上で踊らされているとしか考えられない。政官業に専門家とか研究者がぐるになって既得権に群がるのは、なにも原発だけではない。(H)   案内へ戻る