ワーカーズ455・456合併号  2012/1/1      案内へ戻る

2011年の総括と2012年の闘いと展望

 まず昨年の2011年は、日本史上にも世界史上にも記憶される年であったと言っておかなければならない。日本史上は勿論の事、世界史上でもと特に強調したのは、地震・津波史上でも最大級の東日本大震災とチェルノブィリを越えたフクシマ第1原発事故のゆえである。まさに最悪の無為無策の政権下で考えられうる最悪の事態が出来したのである。
 2011年とは、これらに関連した事実を踏まえれば次の3点の視点から総括できる。
 第1点は、2009年9月に自公政権から、「国民生活が第1」「コンクリートから人へ」「公務員制度改革と天下りの廃止」等で政権交代を果たした民主党の解体状況の現出である。第2点は、「原子力安全神話」の完全崩壊と政官業の醜悪な癒着が今や誰の目にも明らかになった事である。そして第3点は、日本の政治を真に動かしてきたのは政党や政治家ではなく、官僚制度であり事務方の官僚機構であった事が露呈したのである。
 これら諸事実の発覚はまさに驚天動地の大事件である。労働者民衆の目はかくしてここに決定的に教育されてしまった。政治闘争の目標は今、根本的に準備されたのである。
 民主党が1年半前に政権交代を果たした時、労働者民衆は大いに幻想を抱く。沖縄基地県外移設を果たせず鳩山総理は自滅した。が過大な期待のツケは余りに高く、昨年夏の参院選挙で菅民主党は信任投票と位置づけたが大敗北するや口を拭い、その後の原発事故対策や経済復興対策での無為無策、唯々大増税だけを叫びつつ今日まで居座り続けている。実際、原発事故があっても政府と官僚機構は、広汎な緊急避難の指示も発せず放射能の真実も隠し続け、世界中から糾弾された。さらにまた12月には、原発の輸出を国会決議し原発事故の「収束宣言」を発する等の厚顔無恥ぶりで、今世界の笑いものになっている。
 それもこれもすべては民主党と政府の事務方の官僚機構が日本政治の真の主導権を握って動かしているからだ。野田“どじょう”政権は、マスコミにも勝財務省政権と揶揄される政権である。労働者民衆が闘うべき政治闘争の核心と打倒すべき真の敵はここにいる。
 アサンジのウィキリークスでも暴露されたが、外務官僚たちの実像は自国の政治家たちの性格と弱点をアメリカに教える事に熱心な集団であった。天下りの全面禁止を要求して官僚機構を断固統制し労働者民衆のための政治を自らの手で実現していこうではないか。
 2012年は、私たち労働者民衆が反撃ための政治闘争を開始する年としよう。(直木)


主役は《ワタシ》 一歩を踏み出そう!──グローバル化が拡げる労働者・民衆の闘い──

 日本では未曾有の大震災と原発事故に終始したこの一年。過酷な現実を前に、たじろぎながらも人々が様々な取り組みが広範囲で拡がっている。本来備えている助け合いやボランティア精神を発揮した取り組みだ。それに世界各地から様々な支援も寄せられた。
 これら自体が心打たれる画期的な出来事だったが、世界を見渡せばまた違った形だとはいえ、歴史を画する闘いが拡がった年でもあった。日本と世界、ざっと振り返っても、ともに人々の主体的な営為と闘いが拡がっているのだ。
 そのどれもが私たちに、行動へと一歩飛躍することの大切さ、大事さを教えているように思われる。世界で拡がる闘いに目を向けながら、未来が秘めている可能性について考えてみたい。

◆ユーロ危機

 この一年間、世界を揺るがせたのは、ギリシャの財政危機に端を発したユーロ危機を中心とする世界的な金融不安だった。ギリシャ危機は、膨らんだ政府債務の償還ができなくなって、そこに投資していた欧州の金融機関も破綻するかもしれない、というもので、現にフランス・ベルギーの金融大手デクシアも破綻に追い込まれた。
 いったん危機が表面化すれば、国債価格が暴落して金利が上がり、債務不履行の危惧から金融不安が欧州全域に拡がり、ユーロが売られて通貨への信用が失われ、ひいては市場や生産が落ち込むという景気の悪循環に陥る。あのリーマン・ショックを上回る危機の瀬戸際に陥っているわけだ。
 ユーロ危機は、ギリシャのみならずイタリアやスペインでも政権交代をもたらしただけでなく、米国や日本を含むアジア地域をも揺さぶっている。財政赤字はギリシャやイタリアに限ったことではなく、米国や日本でも深刻な状況に変わりないからだ。
 ギリシャが危機に陥ったのは、直接的には国の過剰借金だが、それをもたらしたのは世界的な金余りとそれを運用するマネー資本主義そのものと見るべきだろう。過剰債務に陥っていると分かっていても、高利を求めて余剰マネーは流れ込む。経済のグローバル化というのは、一部のグローバル企業や資産家に利益が集中し、生産的な投資先が見つからない余剰マネーが利益を求めて金融取引に集中する側面も併せ持っている。マネー資本主義は、利潤至上主義の市場経済、ひいては資本主義そのものがもたらしたものという他はない。

◆マネー資本主義

 ざっと最近の世界の出来事を見渡しただけでも、経済のグローバル化が世界を大きく変容させているのが分かる。
 グローバル化は、基本的には資本による利益追求を推進力として、国境など無いかのように先進国基準の経済システムを世界に移植しつつ拡がってきた。資本は新天地で新たな資源開発にのりだし、労働力や製品市場、それに金融市場をつくりだしてきた。資本は常に新たなフロンティア、先発国に対する周辺地域を求める資本の衝動に応じて拡がってきたわけだ。
 かつてはNIEs(韓国・台湾・香港・シンガポールなど)やBRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)がもてはやされたが、いまではVISTA(ベトナム・インドネシア・南アフリカ共和国・トルコ・アルゼンチン)やNEXT11(イラン・エジプト・ナイジェリア・バングラデシュ・フィリピン・メキシコなど)、MENA(サウジアラビア・アラブ首長国連邦・クウェート・カタール・オマーン・バーレーンなど)が脚光を浴びる時代になっている。
 なぜそうなるかは単純なことだ。先発国ではテレビや車でも、いったん市場に行き渡ってしまえば、後は技術革新によるものも含めた買い換え需要しかない。しかも先発国はどこも高齢化が進むんで人口も増えない。結局、利益率は低下し、低賃金地域や新しい市場を求めて外部に出るしかなくなる。これが産業の空洞化をもたらす大きな要因になっている。
 一端グローバル化の扉が開けば、その勢いは止まらない。世界市場を舞台とする企業間競争は、より低コストの国に進出し、いったんは大きな利益を上げられる。しかし、労働市場が成熟してくれば賃金水準も上昇し、そのコスト高を逃れて新たな後進国へ資本は移動する。デジタル化したネット社会の拡がりで技術移転も早く、後発国の追い上げも激しくなる。競争は競争を呼び、資本は常に新たな利益を求めて後発国に進出する。いはば実体経済のグローバル化は、資本による飽くなき利潤追求の結果に他ならない。
 とはいえ、近年の経済グローバル化はそのレベルに止まってはいなかった。国境を越えて展開するグローバル企業はもとより、過剰生産による需給ギャップで投資先が見つからない国内企業や各国で優遇された資産家などの富裕層は過剰資金を貯め込んでいる。有り余ったお金は金融機関や証券投資をつうじてわずかな金利差や為替相場の変動、それに株式投資などの間を駆け巡って、お金がお金を呼ぶ投機の世界に大量に流入する。
 たとえば日本では設備投資額が昨年は30兆円まで落ち込んでいるのに対し、企業の手持ち資金は200兆円を超えている。また世界のGDP(09年)が58兆ドルなのに株式売買額(10年)は世界の10大証券取引所だけで年に50兆ドルを超え、世界の為替取引高に至っては、1日で4兆ドル近くに膨らんでいる。
 加えて国債などの債券市況、エネルギー、穀物などの先物市場等々、いまや銀行や証券会社、あるいは投資銀行やヘッジファンドをつうじてマネー・ゲームに投ぜられて瞬時に世界を駆け巡る。金融取引額が実体経済を遥かに超えるまでに乖離して得るのがいまのグローバル経済の実情だ。いわゆる《マネー資本主義》である。

◆ジャスミン革命

 ユーロ危機が世界を覆うのに並行する形で発生したのが《ジャスミン革命》だった。
 昨年の年明けから春にかけて、23年続いたベン・アリ大統領の追放に始まったチュニジアでの《ジャスミン革命》は、瞬時にエジプトやリビア、イエメン、サウジアラビアなどに波及した。
 エジプトでの民主化闘争では、タハリール広場に集まった20万人を超える民衆の圧力などで、30年も独裁政治を続けてきたムバラク独裁政権を倒した。リビアでは欧州諸国や米国による軍事支援を受けるなかで40年続いたカダフィ独裁政権を倒し、いまもシリアなどで苛烈な闘いが続いている。
 独裁政権を倒した一連の《ジャスミン革命》は、それぞれの国で形や過程は異なっているが、共通しているのは政治腐敗や差別構造を刷新する市民・民衆自身による反独裁の闘いによる民主主義革命だといえる。
 一連の《ジャスミン革命》ではイスラム同胞団などイスラム勢力の台頭に注目が集まっているが、民主派や独立系労組の戦闘的な闘いなどの土台があってのことだ。エジプトの政変を担ったグループ《4月6日の青年たち》運動も、最低賃金の引き上げを求める独立系労組が呼びかけたゼネストに呼応したことを契機に生まれたものだった。それらの国・地域では、旧宗主国をはじめとする欧州との経済的結びつきが強まっているなど、経済のみならず様々な場面でのグローバル化が大きな要因となっているのが見て取れる。チュニジアでは日本との間で太陽熱発電の実用プラントの建設で合意し、またエジプトではとりわけ04年からのナズィーフ内閣は新自由主義的政策を取り入れたエジプト版「小泉改革」を推し進めた。結果は日本と同じで格差拡大とセーフティ・ネットの崩壊だった。
 グローバル化で相互依存を深めたのは経済や政治ばかりではない。民主化運動自体も国境を越えた連携を取り結んだ。エジプトの若者はチュニジアや米国の青年とも交流があった。ネット社会が国境を越えた連携のバードルを下げているわけだ。

◆世界で拡がる労働者・市民の闘い

 グローバル化のもたらす変化は、いうまでもなくアジアにも拡がっている。いまや世界の工場となり、また世界の市場として拡大を続ける中国もそうだ。
 かつては農民工の悲惨な労働や生活実態に注目が集まった。が、いまや驚異的な経済成長の過程で生まれた膨大な富裕層のリッチな生活、他方では開発地域で土地を奪われた農民の抵抗・反乱や工業地帯での労働者の賃上げを求める闘いなど、中国でも格差社会の進行に合わせるかのように新しい対立軸が生まれるに至っている。
 また最近のミャンマーで始まった民主化の兆しにも見られるように、いまだ不確かだとはいえ、グローバル経済に新たに参入しようとする国も現れている。長期にわたる軍事独裁政権が続いた結果、国民生活では最貧国だと見られていたミャンマー、仮にこのまま民主化が進めば、豊富な天然資源や新しい市場目当ての先進国の資本が大規模に流入し、経済的な離陸につながる可能性もある。
 あくなき利潤を求める資本は、たとえ天然資源や低コスト労働者、それに新たな市場目当てであっても、利潤を手にできると見込んだ国には大挙して押し寄せる。それがグローバル化という現象を作り出しているわけだが、こうした経済のグローバル化は、同時に労働者や市民による国境を越えた新たな労働者・民衆の闘いも生み出さずにはおかない。

◆対処療法の失敗

 経済のグローバル化を背景として拡がる労働者民衆の反乱は,日本やアメリカでも同じだ。
 日本では小泉政権が進めた構造改革、その結果としての格差社会深化のさなかに政権交代が実現した。民主党政権誕生の原動力となったのは、いうまでもなくグローバル化に巻き込まれた結果としてのセーフティ・ネットの破綻と格差社会の深化だった。
 そうした政治や暮らしの閉塞情況を打破するとして生まれた民主党政権だったが、この2年半の経験は、それが全くの幻想だったことがはっきりした。民主党自身の責任は、むろん大きい。が、問題はむしろ民主党を政権の座に押し上げた政治構造の脆弱さにあったと見るべきだろう。民主党政権は、たとえ選挙で圧勝したとしても、現実の政権基盤は世論と御用組合の連合といくつかの業界団体しかなかった。漠とした世論頼みだけでは既存システムを根底から打破する政治主体と政治システムを創造するには力不足だったという以外にない。結局はたったの二年半で、取って代わったはずの自民党的統治システムと政治スタイルが表紙を変えただけで見事に復活してしまったわけだ。
 同じ事はアメリカでもいえる。オバマの革命と言われ、グリーン・ニュディールを掲げて颯爽と登場したオバマ政権。押し上げたのは若者と移民を含むマイノリティーだった。
 とはいえ、それは一方の勢力で、その反対側にはウォール街の金融機関をはじめとした既存の産業界の承認もあった。オバマ大統領の3年間の実績は、国民保険制度の導入などいくつかあったが、それも括弧付きのものに止まった。他方であのリーマン・ショックでのゼネラル・モーターズの救済や銀行救済などの一方で、雇用は創造されず失業率は高止まりしている。明らかな産業界優先の姿勢で、若者や労働者の離反を招いてしまった。
 日米だけに限らないが、経済のグローバル化のなかでは、単なる対処療法をいくら続けてもマネーゲームと格差社会の進行は止められない。マネー、お金がすべてを支配する社会を変えるには、利潤至上主義の市場原理、すなわち資本制システムそのものを変えなければならい。グローバル経済そのものが、社会変革が不可避な時代に突入していることを私たちに教えているのだ。

◆《代行》民主主義

 昨年11月27日、橋下前大阪知事が率いる大阪維新の会が大阪ダブル選挙で圧勝し、知事と市長を独占した。いわゆる《大阪ショック》だ。
 背景は様々いわれているが、民主党政権の総崩れが一因になっていることは間違いないだろう。が、その総崩れは、《国民生活が第一》という、本来は経済・社会変革の課題で,単なる政治的な対症療法に終始したことに根源がある。
 とはいえ、期待した民主党政権に裏切られたといって、それらに代わるスーパーマン的政治家に期待しても結果は同じだ。橋下市長の政治理念は,選挙で選ばれた政治リーダーがすべてを決する、という究極的な《代行》主義にあるようだが、これは小沢一郎元民主党代表と同じで民主主義でも何でもない。大阪都構想で二重行政を打破し、無駄を省いて暮らしをよくする、という公約もある程度は実現できても、それはマネー至上主義や格差社会を打破できるわけではない。
 政治的スーパーマンに支持が集まるのは、庶民・有権者の思いが《世論》や《民意》に止まっているからで、経済・社会変革の主体として自分たち自身が舞台に登場する参加民主主義、直接民主主義、あるいは究極的な住民自治の思想や取り組みが脆弱なことと背中合わせのものだ。
 格差社会の拡がりのなかで、日本でも独立系の労組や各種NPOに集う自律した運動も拡がっている。脱原発運動では大規模なデモも多く取り組まれている。身近なレベルの既存システムや権力構造に立ち向かう一歩を踏み出すときだ。それらの先に、自分たち自身が政治を担う主役だという思想と理念を行動で示していきたい。(廣)案内へ戻る


色鉛筆・・・「弱者に向き合う」

 東日本大震災による死者は1万5698人、行方不明者4666人(2011年8月末での警察発表)。
 「この中に外国籍住民が入っていない。被災地で外国人登録をしていた人は約9万1000人。しかし彼らは住民登録されていないので、安否の調査も行われていない。」(『ちいさいなかま12月号』辛淑玉「わたしのアングル」より)
 いつも、気づかないことに気づかされる辛さんの指摘。外国籍住民とは、パスポートを持って自らの意志で日本に来た人と、それ以外の在日韓国・朝鮮人が含まれている。
 日本による朝鮮の植民地支配により、職や住む所を追われ「やむなく」あるいは「強制連行」などで日本に移り住んだ人々だ。戦争中は『皇国臣民』つまり日本人として徴兵され、特攻機にも乗せられた。
 戦後は一転、1952年のサンフランシスコ講和条約によって「外国人」とされ、今なお多くの差別の中で日本で生きざるを得ない人々だ。例えば、常磐炭坑などには、戦争中多くの朝鮮人が強制労働にかり出され、戦後もそこにとどまって生活した。納税を始めあらゆる義務を日本人と同じに課す一方で、「外国人」だからとあらゆる権利は奪っている。 今は在日6世までもが生まれているが、旧植民地出身者を何世代にもわたって外国人扱いし差別しているのは世界の中でも日本だけだという。被災し、死者や行方不明者になってまでも排除・差別するのは止めよう。すぐにも安否の捜査に取り組み、報道の中にもきちんと含むべきだ。
 辛さんのもうひとつの指摘は、「死亡者数の中には、社会的構造的弱者が圧倒的に多いのに、それが報道されていない」という点。
 「宮城県石巻市の調査(2011年5月)によると、死亡届のあった市民のうち約400人が『障害者手帳』を持っていた。全死亡者の約13%である。被災前の市の総人口中、『障害者手帳』所有者の割合は4.7%。つまり被災した死者に占める「障害」者の割合が約三倍近くにまでなっているのだ。」

 昨年12月4日、韓国ソウルの日本人大使館前に、日本軍「慰安婦」問題の解決を求めた「水曜日デモ(1992年開始)」の1000回目を記念して、一人の少女の像が設置された。
 静かに座り前を向く姿から、日本軍の性奴隷として、拉致監禁、連続的強姦をされた上、戦後も長く沈黙を強いられた無念の思いが伝わってくる。日本政府の「知らぬ存ぜぬ」の繰り返しのひどさに、1992年被害者本人が名乗り出るも、今なお日本政府はきちんと向き合おうとしていない。
 被害を名乗り出た234人のうち、生存者は63人のみとなってしまった。1000回ものデモ、何回もの裁判、数知れない抗議の声を黙視しつづける日本政府。これらの人々の声に応えるべき時が来ている。弱者に向き会おう。(澄)


《読書室》加藤 哲郎氏著『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』平凡社新書

 この著作は、加藤氏自身が2004年にアメリカの国立公文書館で発見した戦略情報局(OSS)の機密文書「日本計画」[最終草稿]についての著作です。この「計画」は、1942年6月の時点で、つまり真珠湾攻撃から僅か6ヶ月後のことなのだが、既に戦後日本の象徴天皇制を構想した驚くべき計画でした。もちろんこの結論に至る研究はその前から行われていました。
 それでは、本書の章別構成を紹介しておきます。
 プロローグ
 第一章 象徴天皇制を巡る情報戦
 第二章 一九四二年六月の米国[日本計画]―最終草稿の発見
 第三章 戦時米国の情報戦体制―戦略情報局(OSS)の調査分析部
 第四章 「敵国日本」の百科全書―真珠湾攻撃時の調査分析部極東局
 第五章 「平和の象徴」天皇観の形成―「日本計画」第一・第二草稿
 第六章 もう一つの源流―情報調整局(COI)の「四二年テーゼ」
 第七章 第三の系譜―英米共同計画アウトライン
 第八章 「日本計画」と「ドラゴン計画」―対中国・朝鮮戦略との連動
 第九章 「日本計画」をめぐるOSS対OWI―マッカーサー書簡の意味
 第十章 「日本計画」と象徴天皇制のその後―心理戦・情報戦は続く
 エピローグ―研究案内を兼ねて
 以上ですが、小著ながらその全面的な考察に私などは驚かされてしまいます。
 ここで話は代わりますが、湾岸戦争の開始日つまり1991年1月17日、アメリカ軍を中心とする多国籍軍が対イラク軍事作戦である「砂漠の嵐」作戦を開始して、イラク各地の防空施設やミサイル基地を空爆しました。私の記憶ではフセインがいると考えられていた大統領府には、当然の事ながら2・30発のトマホーク攻撃がなされたのです。
 そこで翻って皆様に質問いたします。日米開戦当時、何故開戦の当初に皇居に対する激しい爆撃がなかったのですか。皇居が戦災にあった日付は一体何時でしょうか。知っている人なら直ぐに応えられます。答えは、1945年3月30日の東京大空襲の日です。ここで注目すべき事は皇居は爆撃されてたのではなくて、この日爆撃した米軍が意図も想像もしなかったのですが、期せずして戦災に遭ってしまったのです。なぜなら日米戦争では一貫して皇居は爆撃目標から除外されていたからです。そもそも米軍には開戦当初から天皇利用計画があり、そのために天皇が居住する皇居を爆撃をしようとの意思は、端からからアメリカにはなかったのです。その事の何故かを徹底して解明した本がこの本です。
 その意味において天皇は、つまり「国体」は当時の日本側の必死の努力と折衝によって辛うじて「護持」されたのではなく、その実はアメリカの主体的な決定による「日本計画」によりただただ利用されたのです。まさに真実はかくも重くかくも隠されてきたのです。
 もし貴方が戦後の象徴天皇制には今では大して意味はないと考えているのなら、是非この本を読んで今後のためにも真剣に考え抜いて欲しいと私は考えています。   (猪瀬)案内へ戻る


神話に見る自然災害と自然破壊

 昨年は東日本を襲った大震災と津波、そして福島原発事故という巨大な人災、その復興もままならない年越しとなった。被災者たちはどのようなお正月を迎えているだろうか?ところで、年末年始にかけて各地で舞われる里神楽には、不思議な神話が多い。その中には、現代でいう自然災害や自然破壊にまつわる意味が込められているのでは、と思えるものもある。そこで、今回は正月ということで、しばし俗世間を離れ、神話について考えてみたい。
「天の岩戸」と日蝕
 里神楽で必ずといっていいほど舞われるのが「天の岩戸」。太陽の神であるアマテラスが、弟神のスサノオの乱暴な行いに怒って、洞窟に隠れ岩戸を閉めてしまう。すると、世界は真っ暗になってしまった。
 なんとかしなければと、オモイカネをはじめ長老の神々が、集まって話し合う。そこで、岩戸の前でアメノウヅメが面白おかしく舞い踊り、神々がどっと笑う。なんだろうか?とアマテラスが岩戸の隙間から覗いたところを、タジカラノオが力まかせに岩戸をこじ開けると、世界はまた明るくなった。
 神話はいくつものストーリーが複合しているので、一概には言えないが、太古の人々が「日蝕」という自然現象に大いに恐れおののき、その原因と対応策を一生懸命考えたに違いない。
太陽は動植物の生命の源であり、その太陽が無くなってしまうことは、大変な災厄であると思われた。その原因は、地上の人間たちが愚かな争いをしたからではないか。争いをやめ、仲良く踊ったり笑ったりすることで、太陽が戻ってきた。というわけだ。
「黄泉の国」と火山の噴火
 イザナミとイザナギは夫婦となり、島々を産み、さらに風の神や水の神などを産み続ける。最後に「火の神」カグツチを産んだところで、火傷を負いイザナミは死んでしまう。悲しんだイザナギは、イザナミに会いに「黄泉(ヨミ)の国」へ行く。そこで見たのは、変わり果てたイザナミの死骸だった。体にはウジがわき、「八柱の雷(イカズチ)」がまとわりついていた。
驚いて逃げるイザナギをイザナミが追ってきた。そしてイザナミは「地上の人間を一日に千人殺そう」と呪いのことばをかける。これに対してイザナギは「それなら一日に千五百人産ませよう」と呪い返しのことばをかける。
この物語も謎めいていて、様々な角度から解釈できるが、ひとつには、人類が火を発見し、土器を作ったり、食物を煮炊きできるようになったこと、反面、火の発見のきっかけは火山の噴火であったことが関係していよう。火は人類に恩恵をもたらす一方、危険で人間に火傷を負わせたり、森林火災で村を全滅させることさえある。
実際、火山が噴火すると、噴煙の中から「雷」が発生するのが見える。イザナミは「恵みの母」であると同時に、火を産んだことで「雷」を身にまとう恐ろしい「死神」にもなった。ついに火山噴火の姿で「千人殺そう」と迫ってくる。
 これに対し、犠牲者を出した村人たちは、「これからは千五百人産んで、繁栄を取り戻そう」と決意する。みんなで協力し、たくさんの子供を産み育てることで、巨大な自然災害から立ち直ろうとする、そんな太古の共同体の精神が、この物語に垣間見れる。
「八俣の大蛇」と森林破壊
 スサノオが出雲の肥河の畔にやってくると、老夫婦が泣いていた。「八つの頭をもつ大蛇(ヤマタノヲロチ)が娘を食べに来る」というのだ。そこでスサノオは、八つの門をもつ生垣を作り、強い酒を満たした桶を置いた。そこへヤマタノヲロチがやってきて、桶の酒を飲み、寝てしまったところを、スサノオが退治した。
 一説には、ヤマタノヲロチのモデルは肥河そのものだと言われる。上流から砂鉄が流れてきて水が赤く濁っていることや、いくつもの支流があること、毎年氾濫を起こして村に被害をもたらすことが、ヤマタノヲロチの姿として表現されたという。氾濫する河川が、暴れる大蛇に見えたのだろう。
 ところで、川はどうして氾濫するようになったのか?砂鉄が採れることから、この地方では鉄作りが行われていたという。鉄を作るためには高温の火が必要で、そのため森林を伐採して、大量の薪が使用された。森林が破壊されると、山の保水力が失われ、洪水が起きるようになる。河の氾濫は、鉄の生産のため森林を破壊した「人災」でもあった。
 スサノオの作った「八つの門をもつ生垣と桶」は、治水のための土木工事を連想させる。現代に連なる「森林破壊」と「砂防ダム」の悪循環は、すでに古代から始まっていたことになる。
 新年をはさんで、山間の村々では「里神楽」が舞われる。今はその数も減ってしまった。しかし地元の保存会や学校の協力で、復活している地域も少なくない。年末年始にかけて、僕は高千穂や豊前の神楽を訪ねる小旅行を繰り返している。そこに太古の人々は、どんな思いを込めていたのか?そんなことを想像しながら。(松本誠也)案内へ戻る


★戦後67年・日米安保61年を考える 第4回・・・「新たな第三極をめざして」

 2012年を迎えて、連載のタイトルを「戦後67年・日米安保61年を考える」に変えて、この連載をもう少し続けたい。
 この連載のはじめに、「今私たちは大きな歴史的な転換点に立っているのではないか」と述べたが、どんな転換点なのかをここで論じたい。
 昨年1年を振り返れば、世界中で「抗議の人」が誕生した。中東では「アラブの春」、チュニジアでは「ジャスミン革命」、そしてエジプト・リビヤでは独裁政権を打倒した。
 アメリカの若者たちも「WE ARE THE 99%」というフレーズを合言葉に、金融資本の牙城であるウォール街を占拠した。この運動は世界各国に飛び火して、世界1000近くの都市で連帯集会が開かれた。
 欧州債務危機が発生し、破産寸前のギリシャ、IMF監視下のイタリアと経済危機が叫ばれているが、それでも人々は立ち上がっている。また、ロシアでもプーチン批判の大規模なデモが始まった。
 こうした状況を、雨宮処凜さんは「私は今、生まれて初めて『革命』の時代を生きている」(「週間金曜日」12月2日号)と述べている。
  日本では3月11日大地震と大津波の発生。福島第一原発の爆発と放射能汚染被害の拡大によって、全国各地で「脱原発」の声がわき上がり、原発反対の集会やデモ(パレードも含めて)が取り組まれ、電力会社の「原発神話」を吹き飛ばした。
ここで2年前の政権交代はなぜ起こったのか?あらためて考えてみると。
戦後の新たな国体となった「日米安保体制」のもと、自民党政権は対米従属の外交政策・経済政策を「アメとムチ」(金のばらまきと脅かし)によって推し進めてきた。
 在日米軍が要求する基地を日本の税金で建設・提供し、莫大な駐留費(思いやり予算も含めて)を負担し、「日米地位協定」によって米軍人・軍属が起こす犯罪や事故に対して日本側に逮捕権も裁判権もないなど、米軍の言いなりである。在日米軍の75%も押しつけられきた沖縄の叫び(米軍基地被害者の叫び)に、何一つ耳を傾けてこなかった。
 経済的には、大型国家予算のバラまきであるケインズ流経済成長路線のもと、公共事業による自然環境破壊は凄まじく、人間が安心して住めない環境に悪化している。規制緩和・自由化・効率化という利益至上主義の経営原理が蔓延し、社会における人間関係は崩壊し、すべては金次第という社会風潮を築いてしまった。気がつけば、国の借金残高は約1千兆円を超えようとしており、国家予算の約半分が借金で賄われている有様である。
 やはり「日本社会の在り方を根本的に考え直す時期に来ている」ことを多くの人たちが感じ始めていた。そこに、今回の福島原発事故という決定的な悲劇が起こってしまった。この原発事故を教訓としてエネルギー政策を変えていかなければならないと若者・女性が抗議の声を上げ始めた。その思いが「脱原発」運動に結びつき広がったといえる。
 ところが、現在の民主党政権は政権交代したときの公約である「マニフェスト」すら放棄し、もはや新たな政策提起も変革の姿勢もまったく無く、ただ官僚任せの従来路線の政策を進めるだけの「第二自民党」に成り下がっている。
 多くの人たちは「民主党」に失望し「自民党」もダメだ。では、どうする?
 そこで登場してきたのが「第三極志向」。その「第三極志向」のあらわれが、大阪府知事選と大阪市長選のダブル選挙に圧勝した橋下氏の「大阪維新の会」であり、名古屋の河村市長に対する期待感であろう。
 国政レベルでも、渡辺氏の「みんなの党」などが第三極の受け皿をめざして、候補者の発掘や各種自治体選挙に取り組んでいる。
 しかし、いずれも保守政党の立場からの第三極の登場であり、将来的には保守勢力の大連立という危機も含んでいる。違う見方をすれば、従来の革新政党である「共産党」や「社民党」などに魅力がなく、革新政党が第三極の受け皿になっていない現実がある。
 こうした状況を考えれば、私たちも新たな「第三極」をめざした方向の追求と活動が必要となっているのではないか。新しい未来社会の青写真を打ち出せる新党の立ち上げをめざして、それを見据えた大胆な展望論が求められている。(富田 英司)
 
コラムの窓「死刑執行への圧力」

1995年は苦難の年でした。
 年初に阪神・淡路大震災が発生し、家屋倒壊や火災によって多大な犠牲者が出ました。新幹線の高架が崩れ落ち、阪神高速道路は横倒しになりました。世界に冠たる日本の土木技術に陰りが見えたのです。同時に、その後に続く巨大地震の脅威が日本列島を覆うことになったのです。
 春3月には地下鉄サリン事件が発生し、凶暴な無差別テロが社会を震撼させました。ここから今日の監視社会、監視カメラが氾濫する地域社会が生まれ出たように思われます。それは相互監視を強め、異端の排除へと進み土あります。そして今、オウムが関与し27名の命を奪った殺人事件の刑事裁判がすべて終結し、13名の死刑が確定しました。
 世論の関心というか、むしろマスコミが主導する関心事は、オウム事件の社会的な意味はなんだったのを置き去りにして、首謀者松本智津夫の死刑執行に移っています。何ということでしょう。この国の世相はどこまで荒廃すれば行きつくのか、その先に恐るべき陥穽が待ち受けているようで、暗い気分になります。
 そして年の瀬の12月8日、高速増殖原型炉「もんじゅ」が稼働から3カ月余でナトリウム漏れ火災を起こしました。かねてからナトリウム火災事故の危険性が指摘されてきたし、すでに他の国はこの事故を防ぐことができずに高速増殖炉開発から撤退しています。科学者・技術者としての自覚があったなら、この時点での撤退も可能だったでしょう。そうはならなかったその後の経過は、本紙前号「もんじゅを廃炉へ」で述べましたので省略します。
 それから16年、東日本大震災が発生し、津波によるおびただしい犠牲と福島原発震災による取り返しのつかない放射能汚染。いつか起こるとされた最悪に事態が、防ぎ得ぬままに起こってしまったのです。半ば末世的世相となっても仕方ない局面です。在特会なる新種の右翼排外主義が勃興し、橋本「維新の会」が隆盛を極めるのも、ある種当然と言うべきかもしれません。
 死刑をめぐって、民主党政権への死刑執行の圧力がどんどん高まっています。昨年7月の千葉法相による2名の死刑執行から1年5ヶ月執行が途切れる一方で、死刑判決は量産され、死刑囚は132名(12月15日現在)にもなっています。千葉のあと、江田五月は「(死刑には)より深い議論が必要」と述べ、現法相の平岡秀夫は「国際社会の廃止の流れや国民感情を検討して考えている間は当然判断できない」(この項11月17日「神戸新聞」)と述べています。
 ちなみに、1993年3月26日以降、死刑執行84名、病死15名、自殺1名という数字があります。そして、今年の死刑確定は24名です。今や、人を殺したら無条件で死刑なんてことになりつつあります。それが世論であり、マスコミの論調でもあります。10月には大阪地裁で裁判員裁判で死刑の違憲性が問われ、元最高検検事が絞首刑は「限りなく(憲法が禁じる)残虐な刑に近い、という思いを抱いている」(10月12日「神戸新聞」)と証言しました。
 1948年の最高裁判例で、絞首刑は残虐な刑罰に当たらないとされていますが、日本の司法はそこから1歩も前進しないかのように、この裁判では次のような判断が示されました。「最善の方法かどうかは議論があるが、死刑はそもそも生命を奪って罪を償わせる制度で、ある程度の苦痛やむごたらしさは避けがたい」(11月1日付「神戸新聞」)
 私は国家による合法的殺人、死刑制度はあってはならないものだと考えています。国家にそのような強権をもたせることは危険なことであり、その先に市民の戦争への動員、殺し・殺される、死の強制とはひとつながりだと思います。私と同じ死刑廃止論者であるドキュメンタリー作家の森達也氏は、すべてオウムで変わったと次のように述べています。「もう一度書く。この社会は今も集団化を進めながら善悪二元化を加速させ、管理統制を求めながら厳罰化を推し進めている。だからこそ大阪で疑似ファシズム的な政策が圧倒的な支持を受け、背中を押された治安権力は強引な捜査や起訴を正当化し、差別や排除が条例に形を変えた」(「麻原を吊るせ」の大合唱が揺るがないこの国・12月16日「週刊金曜日」)
 暗い、暗すぎる! しかし、上昇への可能性は残されています。まっとうな職と人間的な生活があれば、社会は捨てたものではないのです。それを誰かが実現してくれるのを待つのではなく、私たちの力で実現しようというのが民主主義というものではないでしょうか。2012年も、そうした方向へと進むために奮闘したいものです。 (晴)案内へ戻る
 
読者からの手紙
「武器輸出三原則」の緩和---莫大な浪費・・・軍事産業の強化に反対しよう!

 野田政権は12月27日、武器の輸出を原則として禁じる「武器輸出三原則」の緩和を正式に決め、官房長官談話として発表した。
 「武器輸出三原則」は、1967年の佐藤自民党政権が@共産圏諸国A国連決議で禁止された国B国際紛争の当事国やおそれのある国への武器輸出を認めないとの方針表明に続き、76年に三木内閣がこの三原則の地域以外の国へも武器輸出を「慎む」とし、原則、輸出禁止にしたものであったが、83年に中曽根内閣が米国に限り武器技術の供与を認めて以来「例外」をつくって緩和してきたものである。
 野田政権は、日米のミサイル防衛(MD)の共同開発や生産など、個別の案件ごとに例外措置をしてきた「例外」をより一層“緩和”し、北大西洋条約機構(NATO)加盟の友好国などに拡大@平和貢献・国際協力に伴う案件A日本と安全保障面での協力関係がある国との国際共同開発・生産に関する案件について、武器(防衛装備品など)輸出を認めたのである。この包括的な例外措置を設けたことで、武器の共同開発や防衛装備品の海外移転がこれまでより格段に進むし、海賊対策と称して巡視艇などの艦船を輸出することもできるようになるのである。
 今までは国際共同開発への参加障壁となっていた「武器輸出三原則」の拡大“緩和”は、あらゆる国との武器共同開発を可能にし、高性能装備品の最新技術の獲得やコスト削減といったメリットが見込める事から、武器の生産や輸出が「安全保障や国際平和に役立つ」などのエセ平和主義・へ理屈を並べ立てて「防衛装備品の国際共同開発や共同生産」に積極的に参加し、膨大な利益をもくろむ三菱等の軍事企業や産業、及び、自衛隊をより強化し軍事的影響力を強めようとする好戦的な自衛隊幹部連中の要請に他ならない。
 野田政権は、「震災からの復興」を最大の課題といいながら、一機100億円もするアメリカのロッキード・マーチン社のステルス戦闘機F35を次期主力戦闘機に決め、当面42機導入しようとしているが、こうした最新軍事兵器の開発や導入と「武器輸出三原則」の“緩和”は決して無関係では無い。我々の血税を軍拡や軍事産業に注ぎ込み、莫大な浪費を進める軍国主義の復活に断固反対しよう。(M)


二宮金次郎について

 11月初以来、家事と掃除係りを引き受け、腰を下ろすヒマもなく、1日が30時間も40時間もあれば、自分の時間、本を読んだり書いたりする時間がもてるのに。またこうした日常の忙しさは、私にとってどんな意味があるのだろうか・・・・など考え出すと、敗戦とともに私どもが葬り去った二宮金次郎、柴を背負い学び続ける彼の世界は、かつてオカミから教えられた彼の姿(それは国家がからめとり、お手本として利用した草の根の学を志す少年の姿であろう)とは全くちがって、日常の中での農業従事者の学び、農業のプロ、篤農家、当時の農業者の姿が浮上してくる。
 現在の私はまあなんと女二宮金次郎をめざしているのでは?・・・と苦笑する。十分に時間があり(金はなくとも)自由に思いをはせることのできた11月までのかつての生活にもどりたい、と思わないでもないが、(孔子さまが周の時代にもどりたがったように)そうすれば、そこでは私自身が崩れ去る生活待っているだけだろう。
 時間が欲しいと思いつつ、生活に工夫を加えて現実の中で生きていくことの中でつかみえたことこそ、古い世代の私がこれぞ伝えたいというダイヤモンドのような輝きをもった真理に、出会えるのではなかろうか。ここまできてはじめて若い世代の人々がいう後ろを振り返らない≠ニいうオルフェの言葉の意味がわかったように思う。 
2011・12・9  宮森常子


新年への抱負

新年明けましておめでとうございます。私は日本郵便で働いていますが、昨年10月11日付で30年近く働いてきた職場から他の職場へ強制配転されました。新職場は、一人がする仕事量は大変多く、超過密労働とほぼ毎日残業(最終電車で帰宅する時もある)で心身ともにまいっています。少なくとも前職場では、ちゃんと仕事はできていましたが今は全然できておらず、みんなに助けられている状態です。こんなばかげた強制配転のおかげで、新職場の人に迷惑をかけています。今後、強制配転はやめるべきです。
今年は、まずゆっくりでもいいから確実に与えられた仕事を覚えつつこなしていけるようにします。そして、無理をしないようにします。今のままでは、過労死か病気になるような気がするので、頑張りすぎないようにします。
それから、今年は文章読解力を身につけるため、本をたくさん読むようにします。そのためには、限られた時間を有効に使うようにします。
今年のモットーは、何をするにも無理をしないです。 (ま)


野村證券はつぶれるのか?

 2011年12月25日、日本を代表する大手証券の野村證券がネット上に飛び交う「破綻説」を否定し、ある経済評論家に対して「法的措置」を取ると発表しました。この日は休日でしたが、野村には拡大する一方の「風評」をただちに抑える狙いがあったようです。
 野村證券を巡っては、2012年1月号(20日発売)の情報誌「ザ・ファクタ」が「野村救済に『資本注入』計画」という記事を掲載しました。この情報誌は、「オリンパス粉飾決算」を指摘したことで有名になり、今夏以降の野村について欧州の金融当局や格付け会社が厳しい見方をしており、これに野村証券や日本の金融当局が対処する様子などを詳しく書いています。
 時事通信も既に22日、金融危機の連鎖を防ぐため巨大金融機関が策定を義務づけられている「再建・破綻処理計画」を金融庁が野村証券にも求める方向で調整に入ったと報道していました。そのため23日夜頃からツイッター等に野村證券が「破綻寸前」といった書き込みが寄せられていたのです。
 野村證券が「法的措置」を取る相手は副島隆彦氏と目されており、それは副島隆彦氏の公式サイトの掲示板に「副島隆彦です。(中略)おそらく野村証券は、すぐにもつぶれるでしょう。ついにヨーロッパとアメリカの金融危機は、いち早く日本に飛び火しました」という氏自身の投稿が寄せられた事に対応した行動です。
 私たちは「ヨーロッパとアメリカの金融危機」が日本に飛び火したかどうかは、本当に野村證券が破綻するかどうかで確認できる「幸運」に立ち会えることになります。(梶)案内へ戻る


壊死する風景・八ツ場ダム

去る12月某日、高崎から吾妻線に乗り継ぎ、川原湯温泉をたずねました。八ツ場(やんば)ダムの地元です。やはり現場は自らの目で見、感じてみるものです。まだ行ったことのない方に、一度現場をたずねることをお勧めします。
川原湯温泉駅を降りると、斜面の工事や空にそびえる橋脚がじつに異様です。
手前の岩島駅い戻るかたちで吾妻渓谷沿いに散策すると、ダム建設予定の現場に出ます。左手に日本一短いトンネル(たった8m)を見、右手に山の斜面を切り裂いて道路建設がどんどん進行中。
山を貫く二重の高架橋をくぐり抜け、山間を登り、日が落ちる頃、松の湯温泉のただ一軒の宿に泊まることに。このひなびた宿に他の客はなく、貸し切り状態でした。
いったん外に出て身震いして入る湯は、硫黄の臭い漂うカルシウム硫酸塩泉で、源泉が35℃ぐらいで、すばらしい泉質です。ただ滝とせせらぎの音が聞こえる静寂に、ひさしぶりに心身共にゆるゆるできました。
翌朝、145号線沿いに岩島駅を目指すと、ここでも巨大な架橋、道路工事が風景を切り裂いています。ふたたび川原湯温泉駅へ戻り温泉街に向かうと、遠くに代替地の造成も見え隠れし、ダム湖にかける予定の湖面1号橋の巨大な橋脚が3つ立ち並んで天をつきさしています。
温泉街をゆるゆると登ると、ひなびたというより寂れおり。共同浴場の笹湯はすでに10月で廃業しており、移転で廃墟になったり、建物の土台だけが残るだけでした。
共同浴場のうち、小さな聖天様・露天風呂は入れず、残る王湯(玉湯)へ立ち寄ることに。露天風呂と内湯を渡り廊下でつなぐけっこう大きな施設ですが、ここもまた誰も他に客がいず。含硫黄−カルシウム・ナトリウム−塩化物・硫酸塩温泉で、源泉は80℃近くもするいい泉質です。
こんな風情ある温泉街が、駅や、線路や、鉄橋や川や森とともに沈んでしまうとなれば、失うものの広大さいくばくか。露天風呂に身を浮かべながら、岩手の被災地を宮古から吉里吉里(きりきり)まで海岸沿いに南下した時の情景、土台だらけの廃墟が脳裏に浮かびます。
開発の利権が滅ぼす川原湯の壊死する風景、そは民主党の墓場なり。
参考文献:管聖子/大西暢夫『山里にダムがやってくる』山と渓谷社2000年(津村 洋)


編集あれこれ
 前号の第一面は、「原子力村の巻き返しを許すな!」という一千万人署名運動の成功を呼びかけたものでした。是非大衆運動を強化して成功させたいものです。
第二面と三面は、「2011もんじゅを廃炉へ」の全国集会と集会の決議を掲載しています。また【沖縄通信】は、怒りの県民集会を報告しました。
 第四面と五面六面には、「暴走する自由市場」と題して、グローバル資本主義の現段階を分析しています。読者には力作ですので、時間を掛けての熟読をぜひ期待します。
 また連載となる「色鉛筆」と「コラムの窓」では、震災後の教育現場と12月8日のコタバル上陸が何故知られていないかについての記事があります。
 第八・九面には、大谷禎之介氏の『マルクスのアソシエーション論』の書評が掲載されています。読者もこれを手引きに大谷さんの本の購読をお勧めいたします。
 第九面と第十面には、読者からの手紙を三通掲載しました。今後とも読者の皆様からの投書を期待しております。
 なお前々号で第一面において橋下候補への反対記事を掲載しましたが、彼が当選した分析を未だになしえていないことを率直に反省しておきたいと考えます。    (猪瀬)
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