ワーカーズ458号 2012/2/15  案内へ戻る
在日米軍再編見直しを発表!
辺野古移設と普天間固定化を許さず!


 日米両政府は2006年の在日米軍再編のロードマップ(行程表)の見直しを発表した。
 2006年の合意とは普天間飛行場の辺野古移設、在沖海兵隊のグァム移転、その後、嘉手納以南の米軍基地5施設・区域の返還が行われるというパッケージ(一括実施)となっていた。
 これまで、沖縄側に対して「辺野古移設(新基地建設)を実現しなければ、基地返還はしない」と、脅かし続けてきた。
 今回、このパッケージを切り離して、沖縄の海兵隊のグァム移転と嘉手納以南の米軍基地5施設・区域の返還を先行させるのが最大のポイント。
 具体的には、在沖海兵隊1万人の県内駐留は堅持して、8千人の海兵隊のグァム移転合意を破棄して、4700人をグァムに移し、1500人を米軍岩国基地(山口県)に移し、残りはハワイやオーストラリアなどに「ローテーション」で駐留させる計画。
 基地返還では、牧港補給地区(キャンプ・キンザー)とキャンプ・瑞慶覧の一部返還を日本側が要請している。
 最大の問題である普天間飛行場の辺野古移設は、これまでどおり堅持していく。米側は普天間飛行場の補修工事を計画。
 日本政府は、パッケージを切り離し、先行返還を示して沖縄側の要望に応えた形をとっているが、実際は昨年末に米議会がグァム移転費の計上を認めなかったという米側の都合である。
 大幅な国防費削減を迫られる米政府は、新国防戦略による米軍再編を進めており、国防総省も「辺野古断念」を議会側に伝えたと言われている。
 このように、今回の発表も、米国の戦略・判断任せという点で、日本政府の主体性のなさと米国追随の姿勢は相変わらずである。
 沖縄側からは、基地返還について、返還の時期や規模などが明示されておらず、結局は「絵に描いた餅」になるとの懐疑的な見方が強い。
 海兵隊4700人のグァム移転についても疑問が多い。なぜなら、これまで在沖海兵隊の実人数が公表されたことがない。日本政府も沖縄に海兵隊員が何名駐留しているのか?まったく把握していない。定数の数字だけが移転して、実態数は変わらない「数のマジック」でごまかされると。
 SACO合意から16年。さまざまな削減計画が合意されてきたが実現されなかった。結局、沖縄の状況(「辺野古移設」「普天間固定化」について)は何も変わっていない。
 これが沖縄の思いである。
 最後に、注目を集めた宜野湾市長選は、自民、公明、新党改革推薦の新人の佐喜真淳氏が元職の伊波洋一氏に900票差をつけ、初当選した。
 佐喜真氏は普天間飛行場の返還・移設問題について「現状固定化は阻止しなければならない」と選挙戦で述べた。しかし、かつては「県内移設の容認派」であり、普天間飛行場にオスプレイの配備問題もあり、新市長がどう対応していくか、注視したい。(富田英司)  


逆ではないのか貧者による国家救済>氛氈s税と社会保障の一体改革》を考える──(1)
目次
◆官僚・財界の自己チュー
◆負担増と給付減
◆能力に応じた負担
◆土俵のすり替え(──以上今号)
◆企業責任=i──以下次号)
◆土俵を拡げる
◆シグナル

 始まった通常国会では《税と社会保障の一体改革》一色といってもいいほどだ。なぜいま《税と社会保障の一体改革》なのだろうか。ますます膨らむ社会保障費と破綻が避けられない国会財政は何を意味するのか。目先の論議への対案を考えると同時に、私たちなりの根源的な解決策について考えてみたい。

◆官僚・財界の自己チュー

 野田内閣が《税と社会保障の一体改革》を政権の一枚看板にしたのことには、いきさつがある。
 ギリシャの政府債務危機に端を発するEUの金融不安に直面した前任の菅首相が掲げた消費税増税。前首相と同じ財務相から首相に上り詰めた野田首相が、参院選の敗北で全首相が棚上げした消費税増税路線を、自らの内閣の存在意義に押し上げた。政権の実績として歴史に名を残すと考えてのことだろう。菅にしても野田にしても、財務相経験後に首相に上りつめた経歴では共通している。その財務省にとって消費税増税による財政再建は永年の悲願≠セった。千載一遇の機会として、菅や野田を消費税増税に後押ししたのは容易に推察できる。
 消費税増税が官僚主導で押し上げられたことを象徴する一幕があった。増税する5%分の使い道についてだ。野田首相は引き上げ分はすべて社会保障に使うと言い続けてきたが、当初案ではそのうち1%分は既存の財政支出にかかる消費税分を賄うために使う、とされていたのだ。庶民には生活費を削って負担させるのに、官僚が握る予算はしっかり守る、という代物だった。さすがに多方面からの批判を受けて撤回したが、一事が万事、官僚の発想とはかくも自己チューなのだ。
 消費税増税による財政再建という発想は、なにも財務省をはじめとした官僚だけではない。経団連を中心とした財界もまったく同じだ。市場原理や企業利益優先の財界は、その企業社会の安定のために不可欠の税・財政改革を、企業負担によってではなく逆進性が強い大衆課税としての消費税で賄うことを一貫して主張してきた。
 いってみれば、菅にしても野田にしても、国家統治の観点から官僚や財界などの思惑と利益の土俵上で財政再建を実現しようとしていることでは共通しているわけっだ。
 いまさらの感もあるが、ここで《一体改革》について、ざっと振り返っておく。

◆負担増と給付減

 野田内閣による《税と社会保障の一体改革》は、広義にとらえれば当然のことながらそれなりに包括的なものだ。税でみれば所得税・相続税・証券取引税、それに消費税が絡む。社会保障についても医療・介護・年金、それに子育て支援も含まれる。
 《一体改革》はこれらを包括的に改革しようという触れ込みで、看板だけみると税を引き上げて社会保障を充実する、と勘違いしてしまう。ところが《一体改革》の意味合いはまったく違う。
 税制改革では個人所得税で課税所得5000万円超の最高税率を40%から45%に引き上げる、相続税では基礎控除を4割減らし,最高税率を6億円超で50%から55%に引き上げる、株取引に係わる証券優遇税制は10%に引き下げていた特例を止めて20%に戻す、などだ。累進税率は昔に比べて遥かに低いままで、金額的には消費税に及ぶべくもない。それに相続税などは、あの鳩山由紀夫の母親から毎月もらっていたとされる毎月1500万円の子ども手当≠ノ象徴されているように、ザル法もいいところだ。
 《一体改革》で突出しているのは、言うまでもなく消費税引き上げだ。スケジュールとしては、14年4月に5%から8%へ引き上げ、1年半後の15年10月に10%に引き上げるという。が、消費税はこの引き上げでは終わらない。《一体改革素案》が出された後、民主党の年金改革案での試算で、将来的にはさらに7・1%の引き上げが必要だとされているのが知れ渡った。それを公表する,しないでもめた経緯もあった。が、それ以前に《素案》には「今後5年をメドに次の改革に関する『法制上の措置を講ずる』」とされており、10%に引き上げた直後にさらなる引き上げが組み込まれているのだ。
 消費税率については、これまで経済界・民間シンクタンク、それに省庁から様々な試算が公表されており、そのいずれもが20%〜25%への引き上げを提示してきたが、民主党政権もそのレベルまでの引き上げを想定しているのは疑いがない。
 《一体改革》のもう片方の社会保障についてはどうだろうか。これも先に触れたように税を引き上げて社会保障を充実する≠ニいうのとはまったく意味合いが違う。
 改革案は多岐にわたるが、巨額の財政支出が必要な医療や介護、それに年金改革の性格としては、いずれも支出の抑制が貫かれているのだ。たとえば、医療では70〜74歳の窓口負担を2割に引き上げ、介護では会社員の保険料を定額から収入に応じた額への引き上げ、それに年金では受給資格の68歳への繰り下げなど等々。要は高齢者が増えるのにともなって増えていく支出を抑制するというもので、個々人にとってはいずれもサービスダウンになる。これが社会保障改革≠フ核心なのだ。
 《一体改革》とは名ばかり、要は税負担を押しつけて社会保障サービスは切り縮めるものなのだ。

◆能力に応じた負担

 《一体改革》が叫ばれているのには、むろん理由がある。それは財政赤字の拡大で国の借金が膨れあがり、このままでは財政が破綻する、というのが最大のものだ。12年度予算では国債発行額は実質46・8兆円で税収額の42・3兆円より多い。積み上がった国債残高は1000兆円に迫り日本のGDPの2倍にも膨らんでいる……。いまは個人金融資産の1400兆円の範囲内で、国債はほとんど国内で保有されているが、このまま膨らんでいけば国債償還に疑念が持たれ、国債価格は暴落。金利が高騰して借金が雪だるま式に膨れあがり、やがては国家財政は破綻する、というわけだ。
 日本がそうした奈落への道を進んでいるのは確かだ。が、問題は、なぜこうした事態を招いたのか、それをどう解決し、乗り越えていくか、ということにある。
 最初に《一体改革》支持論の主張を見ていこう。まず財政悪化の原因だ。
 支持論は、日本の少子高齢化に並行して国債残高が増えてきたとして、高齢化に伴って増えてきた社会保障支出が原因だという。たしかに残高の推移だけを見ると高齢化と並行して増えてきたように見える。このところ社会保障費は年々1兆円ほど膨らんできたのは確かだからだ。
 しかし国債残高が急激に膨らんだのは、平成不況期の数次にわたる景気対策=Aすなわち需給ギャップ=過剰生産に苦しむ企業へのテコ入れとしての財政支出が主な原因だ。あの小渕元首相が「私は世界一の借金王」と自虐的な発言をしたことが話題になったことも思い出すべきだろう。
 だから高齢化に伴って社会保障支出が増えたから借金が膨らんだ、というのはとんでもないごまかしでしかない。社会保障支出が増える人口構成になったのに、それに見合った財政支出の組み替えを怠ってきたから、相も変わらず企業減税や景気対策という名の企業支援の財政構造を温存してきたからこそ、借金が膨らんできたのだ。
 次は解決策についてだ。
 支持論は財政悪化の原因や消費税導入の必要性を、一貫して世代間対立に転嫁してきた。
 一つは、現在の生活レベルを次世代の借金で賄うのは世代間不平等だ、というものだ。二つは,所得税だと現役世代に負担が偏るのに対し、消費税は負担が公平だ、というものだ。
 一つ目の世代間対立論に対しては、前段でも触れたように、企業へのテコ入れを将来世代の負担で賄ってきたのが現実であり、世代間不平等だというのはすり替え論以外の何物でもない。
 二つ目の負担の公平化≠ノついては、仮に年金をなくせば、個々の親の扶養で個々の子どもに負担がかかるだけである。年金はそれを社会的に担うだけの話で、親子の問題、世代間の問題ではないのだ。公平化≠言うのであれば、所得でも年金でも、高額取得者により多く負担する《実質公平》なものに変えていく必要性が浮かび上がるだけだ。実際には年金にも所得税はかかるが、年金額が低いから所得税も少ないだけの話である。結局、消費税はいくら論理をすり替えても、現役でも高齢者でも低所得者に負担が重い大衆課税なのだ。
 世代間対立に解消するこうした世代間対立論≠ノ対しては、税の原則である能力に応じた負担≠対置すべきだろう。
 歴代自民党内閣は、経済成長や豊かな生活へのモチベーションとして、富裕層への減税を繰り返してきた。個人所得税は最高時の75%から,いまでは40%に段階的に引き下げてきた。同じような理屈で相続税や資産課税、それに株価対策などといって利子課税などの不労所得への減税もおこなってきた。個人所得税といっても、実際は単に現役か高齢者か≠ネど世代にではなく、まさに富裕層を優遇する法改正を推進してきたのだ。
 ここから出される結論は、いうまでもなく所得税か消費税かではなく、不労所得や富裕層への増税か、それとも低所得の庶民への増税か、が問われるべきなのだ。消費税ではあべこべになる。すでに日本の一次分配ではジニ係数が急速に上昇し、先進国のなかでも富者と貧者の格差が大きな社会に変質している。再配分機能を持つ累進課税の強化こそ必要なのだ。

◆土俵のすり替え

 消費税をめぐって世代間対立≠あおる支持派の論拠がすり替えに過ぎないことを見てきた。次に、《一体改革》の、土俵そのもののまやかしを見ていきたい。
 《税と社会保障の一体改革》という対比の設定自体、きわめて意図的なものだ。
 ふつう《一体改革》と言えば、歳入・歳出改革=Aあるいは《税・財政一体改革》、《行・財政改革》と言うべきものだ。それをあえて《税と社会保障の一体改革》としたなおは、財政破綻の原因が社会保障支出の増加にありそれを増税で賄う、という枠組みに誘導したいがためだ。逆から言えば、社会保障以外の支出を既得権として聖域化するものでもある。《一体改革》が浮上するや、軍事予算など他の財政支出の是非問題がさっと後景に退いてしまっただけでなく、整備新幹線や高速道路の建設が堰を切ったように復活した。まさに改革の土俵をすり替える装置になったわけだ。
 ここで社会保障支出増と増税に関して、国家財政を家計と対比してみたい。
 普通の家庭では、子どもが生まれれば養育費が掛かり、子どもが高校や大学にいって教育費が増えたり、また高齢者を抱えるようになって介護・医療費などが増えたりする。すると収入が増えないかぎり、マイホームやマイカーの買い換え、家のリフォームなど、予定していた高額出費は先送りしたり我慢するなどして養育・教育費や介護・医療費に回す。たまの外食も減らしたり、各人の小遣いなども減らすかもしれない。あるいは事前の蓄えも必要だろう。要は、各家庭では、その時々に必要になる不可欠の出費を賄うために、貯蓄をしたり出費をやり繰りしているわけだ。そうしたやり繰りを、国家財政でもやればいいだけの話なのだ。高度成長期、多くの労働世代が少ない高齢者を抱えていたときには、新幹線など公共事業や箱物づくりでもやればよい。しかし高齢化が進んだ現在、そうしたものは最低限で我慢し、必要な高齢者支援に回す。それだけの話なのだ。
 そうした観点で打ち出されたのが、民主党のマニフェストであったはずだ。国の総予算207兆円の無駄を削って国民生活へ。これは当たり前の話であり、普通の家計の感覚にも通じるものだった、ハズだ。それができははじめて平成維新≠ノなるはずだった。温暖化対策と高速無料化などの整合性について重大な瑕疵があったことはさておき、私たちは民主党政権がそれを実現する《決意》も《戦略》もないと批判しただけだった。
 ところが民主党政権は最初の予算編成で躓き、最後の舞台だったあの事業仕分け≠熏砕けに終わってしまった。その後で持ち出してきたの消費税だった。これは民主党政権の有権者に対する最大の裏切りに他ならない。
 そこで《一体改革》だ。国の総予算207兆円にはほとんど切り込めなかった。マスコミなどは「事業仕分けなどでは財源が出なかった」と、民主党政権の《決意》や《戦略》の検証抜きで結果を追認するばかりだ。しかし、無駄な支出を省くことは、一般家庭でもやってきたことなのだ。いまでも高級官僚の天下り、財団、独法の抜本整理など、省ける無駄は無数にある。無駄でなくとも不要不急の支出で先送りすべきものも多い。
 繰り返すが、《一体改革》での私たちの立場は、《社会保障費の増大は支出の組み替えで》というものだ。特別会計を含む総予算の抜本的な組み替えで必要な財源の捻出をすべきだし、それは可能なのだ。そのための課題は、民主党が限界をさらけ出した《決意》と《戦略》にある。《決意》の核心は社会変革への目的意識であり、《戦略》の核心は官僚組織に依存しない独自の政治勢力に依拠する、というところにある。
(以下、次号に続く)(廣) 案内へ戻る


色鉛筆−政策がダメなら、対策を!

福島原発事故以来、私たちに何が出来るか? 日々、そう思い暮らしている人が多いと思います。駅頭での署名活動やビラ配布、各種の集会や学習会に参加して、その意思表明?、あるいは自身を納得させている自分がいます。原稿の締め切りが過ぎてしまった前日、2月11日に神戸で開かれた集会は、飯館村の酪農家を招いて話を聞く、まさに「福島と向き合う講演会」でした。他にも、有機農家を母体とする「兵庫県有機農業研究会」からのアピール、福島の子どもたちの避難を受け入れた「明石プロジェクトチーム」などで、具体的な支援活動が報告されました。
 飯館村の酪農家の長谷川さんの話では、福島第一原発1号機に続き、3号機が水素爆発した14日11時頃、心配になって夜の9時頃役場に行くと職員が40マイクロシーベルトを超していると小声で言い、口外するなと口止するよう指導されたと言ったそうです。区長の立場の長谷川さんは職員の口止めを無視し、帰ってすぐに集落の班長さんたちに知らせたのでした。翌日、地区全体の緊急集会を開き、行政の指示が何もない中、取り合えず放射能の危険性・対処の仕方を伝えるしか術はなかったと、今一度、行政への怒りを顕わにされました。
 長谷川さんはマスコミにも働きかけ取材を受け、実際に現地で被曝線量数値が異常に高いことを計測で明らかにしたのに、マスコミは正しい情報を伝えなかったことに、政府の姿勢と重なることを知り、その責任の所在を追及することが必要と、立ち上がりました。その背景には、昨年6月10日の、同じ酪農家の友人の自死があり、そのメッセージに「原発さえなければ」という彼の悔しい思いを受けとめることにありました。自分の使命はこの思いを伝えることにあると、全国を回っておられます。近く、本も出版予定とのこと。
 有機農家の方からのアピールは、福島の子どもたちに安全な野菜を届けようと、発足したプロジェクトチームの紹介です。そもそも、40年前に残留農薬ゼロをめざし有機農業に取り組む農家の選択をした会、これからは、福島在住の人々の健康をささえながら、生態系から放射能を取り除いていく長い取り組みとなると、決意を新たにされています。しかし、当初は被災を理由に自分たちの有機野菜を出荷するという単なる「商売」でいいなか? と苦悩されたとのこと。それは、福島の方からの子どもに安全な御節料理を食べさせたいという、声が届いたことで一掃され、野菜の出荷にとどまらず、被災農家の方の保養・一次避難・疎開・移住まで含めた支援を計画されています。とても実効性のあるプロジェクトに関心を持ちました。
 私自身も安全な野菜・食品を提供してくれる「あしの会」という共同購入に入っています。その便りの中には、りんごを福島に送る行動の呼びかけ、秋田の有機米を作っている反骨農家仲間の「個別所得補償制度」に反対し、その補償金を被災地にと、運動されている人達の報告、など皆さんにもっと知ってほしいことがあります。このことはまた、別に機会に。 (恵)


コラムの窓 「税と社会保障の一体改革」への視点

そもそも、このテーマを「コラム」で扱うべきか?
もちろん、全面展開するのはとうてい無理である。制度の歴史を振り返り、今日の論点を整理し、現在の経済情勢を考慮し、本質的な問題を指摘し、あるべき方向性を示し・・・となれば、「連載もの」でも、半年や一年はかかる。「コラム」に出来ることは、せいぜい糸口となりそうな「視点」を羅列するくらいだろう。
まず「一体改革」というが、「何をいまさら」と言いたい。というのは、この問題は約十年ほど前の「年金制度の改正」からの「積み残し」だからだ。
六十五歳から支給される「老齢基礎年金」というのがある。月々、六万円ちょっとの僅かな支給額ではある。この財源のうち、三分の二は「国民年金保険料」から、三分の一は「税金」から賄ってきた。「改正」というのは、このうち「税」からの支出割合を、それまでの「三分の一」から「二分の一」に引き上げたことを指す。
これには前提条件があって、国会の付帯決議で「必要な税制上の所要の措置を講ずる」こととされていた。「所要の措置」とぼかした表現ながら、事実上は「消費税率の引き上げ」を想定していた。基礎年金の一人一人の支給額は変わらなくても、受給者が増えれば「総額」が増える。それを賄うために、国民年金保険料を引き上げるのは困難で、税財源から賄う割合を増やすしかない、というのが共通認識であった。
先行して税の割合を二分の一にした時から、「税制上の措置」はもはや「時期の問題」でしかなくなっていた。ただ、その場合でも税率のアップは二%程度というのが、当時の計算であったように記憶している。
つまり、過去の経過から今、直面している課題は、あくまで「基礎年金」における「税の比率」を「三分の一から二分の一に」引き上げたのに伴い、消費税率を「五%から七%程度に」引き上げることでしかなかったはずなのだ。
それが、いつのまに「十%」にすり替わってしまったのか?国民の不信感の根底はそこにある。マスコミの世論調査では、消費税増税について「容認論」が約三割程度、「慎重論」が四割程度で、容認論が以前より減ってきている。当時の容認論の背景には、「国民年金保険料を上げられたらたまらないし、保険料未納問題も抜本策が見つからないし、その分に限って、消費税の若干の増もやむを得ないか、その代わり時期や方法には配慮してよ」、という現実的な妥協の意識があったのではないか?
基礎年金問題に限った、たった二%程度の税率アップでさえ、何故いままで実施ができず、「埋蔵金」に頼らざるを得なかったかを、まず反省すべきである。低所得者に配慮した制度設計が遅れているからか?所得税や法人税など、他の税制から当てる方策の余地は無いのか?現行制度の枠内でも、検討する義務があったはずだ。
それを、いっさいせず、国民に説明してこなかった。そればかりか、「他にもいろいろある」と、いきなり大風呂敷を広げた。労働者から不信の声が高まるのは当然だ。
なるほど「他にもある」だろう。例えば、「基礎年金」問題ひとつとっても、将来、人口の老齢比率がさらに増えた場合、二%の税率アップですむ補償はない。また「国民年金保険料」の未納問題の抜本的解決策は見出せるのか?さらに「介護保険」も、現在「保険料」と「税」の支出割合は、それぞれ「二分の一」だが、介護サービスの需要増に対応できるのか?「医療費」も、ガン患者の増加による化学療法、放射線治療など「高度医療」の需要が拡大し、抑制に限界があるなら、健康保険と公費負担の制度は現状で間に合うのか?
 確かに「他にもいろいろ」だろう。だから、どれもこれも「消費税増税」だというのか?だが、一つの問題(基礎年金)も解決できないのに、味噌も糞も一緒くたにして「一体改革」を唱えれば「前に進む」かにはやしたてるのは、問題のすり替えか誤魔化しでしかない。
きとんとした情報提供なしで、財界や官僚は「ギリシャのようになってもいいのか?」と国民を脅かし、あおられた国民(の一部?)は「公務員バッシング」にしか解決の道を見出せないとすれば、制度の混乱ばかりか、社会の疲弊までもたらされるのは明らかだ。
 「一体改革」を言うなら、「社会保険料」と「税」(及び「国債」)に代わる、第三の「共同支出」のあり方も含めた根本論議が不可欠だ。(松本誠也)案内へ戻る


【連載 NO2】岐路に立たされる兵営国家--金正日の死と世界史のなかの北朝鮮

目次
  はじめに
1 帝国主義時代が生み出した金体制
2 「社会主義」ではなく国家資本主義でもない兵営国家   (457号掲載)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
3 軍事経済のもとで衰亡しつつある金体制
4 北朝鮮や旧ソ連の「巨大な歴史的意義」を讃えるのか?   (本号掲載)
5 20世紀の戦争と国家、そしてスターリン体制       (以下次号掲載予定)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
6 金体制は路線転換が可能か?
7 改革開放への動向    以上

【前回の要約:北朝鮮や旧ソ連は、「社会主義」ではないばかりではなく「国家資本主義」というような商品生産の拡大や資本蓄積を実現する体制ではありませんでした。それらは帝国主義戦争下で国家形成が行われ、その後も軍事体制・戦時経済を継続してきた退廃した社会であると考えられます。】
◇[3]軍事経済のもとで衰亡しつつある金体制
 「先軍政治」(金正日)つまり軍事優先で戦時体制や準戦時体制を継続することは、経済的には拡大再生産の先細りや特に民生的な消費物資の貧困、さらには技術革新の停滞、そして疲弊・旧式化した生産設備の更新すら滞るのは不可避なのです。
 軍事的経済つまり戦車や大砲や軍艦を造ることは、またはそれらを使用することもどのような生産物をもたらしません。その過程につぎ込まれた労力、資材、原料、エネルギーすべてが生産力の向上や拡大生産の余剰を産み出すものではないからです。十年、二十年と軍事経済を継続すれば、当然工業力も低下し疲弊し言わんや民生の消費財や食料生産はますます飢餓状態に落ち込んでゆくでしょう。
 これらは,経済学以前の自明なことがらです。それが北朝鮮でありそして旧ソ連体制の根幹に存在していたのです。(「世界の警察」を自認する米国が展開した朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争等々の軍事費の重圧のもと、軍事費がGNP比1%の日本や2%のカナダに対して、経済超大国である米国ですら60年〜90年代にかけて経済成長率低下があきらかにみられます。)
 戦争経済は究極の浪費なのです。生産力の衰退現象が加速度的に発生し、社会的富の全般的な窮乏として現れ「反帝国主義」「社会主義」のかけ声もぼろが出て国民の不満が鬱積するという経過をたどるのです。現在の北朝鮮の状況は、すでに指摘したように旧ソビエトのスターリン体制がたどった軌跡をいっそう極端に踏襲しているといえるでしょう。
 強権をもってすべての生産や流通を軍事目的として動員しようとする国家は、私的な自由市場をそのまま認めることはできず、生産手段の私的小所有を制限し拘束することが当然となります。武器や軍事物資生産を最優先とする、−−旧ソ連でおなじみの−−「計画経済」「現物経済」が構築され「市場=商品貨幣経済」というものは抑制されせいぜい二義的意味しか持ち得なくなるのもまた当然なのです。
 国民的な需要に基づき形成される市場経済は、ミサイルや軍艦、戦闘機などを創り出し売買するということはほとんどありえないことです。国家こそが、この需要を生み出し、それらの工場・生産設備を国民的剰余価値の収奪に基づいて短期間に建設しまたは拡張することができるでしょう。
 生産物(商品)を販売して剰余価値を実現する、という本来の資本の論理もここではせいぜい二義的な意味しか持ち得ないのが現実です。(だから、世界中に商品を売りまくり富を蓄積する現代中国やかつての台湾の「国家資本主義」とは異なった体制なのです。)
 この「非・市場経済」の現実が「社会主義」の幻想として利用されました。スターリン体制成立期の1930年前後に発生した「クラーク(富農)撲滅・農民集団化」あるいは、金日成体制成立期の1950年台後半に主張された「100%社会主義化」などがそうです。個々の農民や小経営が消滅したばかりではなく、人々の豊かさへの願望や奢侈やレジャーへの要求も消費生活の豊かさも「経済の国家統制」により最小限に抑制されることになります。
 北朝鮮の国家予算の真相は不明であるし、旧ソ連の経済統計もウソが多いことは有名でした。しかし、簡単に考えれば米国の半分の経済力しかないと見られた旧ソ連が、その後四〇年にわたって軍拡競争を米国と互角に渡り合ってきたのであれば、その疲弊は深刻なものであったことはめいはくです。すでにふれたヤコブレフ(ペレストロイカ時代のソ連共産党書記・政治局員)の証言のように、過大な軍事経済が「ソ連崩壊の根源」となったのです。
 経済超大国である米国ですら、ソ連との軍拡競争、ベトナム戦争などによる経済的負担は、軍事産業を潤したにしても、経済力の低迷に直面させられ、ブレトンウッズ体制(金・ドルのリンク、固定相場制)の崩壊一因ともなり、経済成長は鈍化し日本などの猛追をうけざるをえなかったのです。
 北朝鮮の軍事支出は、公式には国家予算比でおおよそ14〜11%(86年〜94年)とされていますがそれを信ずるものはいないでしょう。旧ソ連をさらに上回る準戦時体制を維持している北朝鮮の現実からして、−−旧ソ連が平時で国家予算のほぼ半分(49%)が国防費なのですから−−国家予算の半分以上は軍需にかかわる予算ではないかと予想できます。まさにこの理由からしてもこのままでは金体制の崩壊はそれほど遠い先のことではないでしょう。

◇[4]北朝鮮や旧ソ連の「巨大な歴史的意義」を讃えるのか?
 したがって、このような北朝鮮や旧ソ連を一定の独自の内容のある社会経済システム−−たとえば「資本主義の急速な発展を導く」(林紘義氏)とか、「社会主義の前夜」(T・クリフ)とか−−と考えるのは無理があるし、現実にそぐわないと私見では考えます。
 旧ソ連や北朝鮮を「社会主義ではなく国家資本主義である」と考えるマルクス主義系の政治潮流や学者たちは、一定の影響力を持っていました。確かに、「社会主義」を自称するスターリン派のデタラメに対して、一定の科学的批判を突きつけたトニー・クリフや林氏たちの当時の立論は政治的な意義があったでしょう。
 しかし、すでに論じてきたように旧ソ連や北朝鮮が積極的な意味で「○○資本主義体制」と規定されるようなものではありませんでした。商品の存在や価格・貨幣の存在からその様な主張ができるでしょうか? 「資本主義」では商品が市場で販売されて、剰余価値が実現され、近代的労働者への「搾取」が実現します。しかし、すでにふれてきたように旧ソ連や北朝鮮では、経済の目的は剰余価値の獲得を直接の目的としません。これらの体制の核心的な部分は、軍事体制の構築維持のための独裁政治と「計画経済」にもとづく圧倒的な実物経済であり、自由な市場経済の否定(資本の運動の抑制)の上にありました。そのことはT・クリフも林氏でも認めている事実です。
 したがって、私見では北朝鮮や旧ソ連に対する「国家資本主義」という規定は、この体制への間違った歴史認識をあたえるだけなのです。
 強調したいことは、それらは帝国主義戦争時代に新生国家が陥った、資本主義の退廃的プロセスなのです。北朝鮮の例は、その退廃した現実を旧ソ連体制以上に鮮明に示しています。
 「ソ連は国家資本主義である」とはじめて唱えたトニー・クリフは、「国家によりすべての生産手段が統合された資本」であると論じました(『現代ソ連論』)。
 他方、60年台のソ連の「経済改革」に刺激を受けた林氏は、スターリン体制を「本源的蓄積の体制」と規定し、さらに本源的蓄積の体制は、歴史的必然を持って市場経済・自由経済へと内在的に進化すると主張しました。さらにこの様な歴史観にもとづいて「半封建的ロシア」の生産力を解放し「ソ連における国民経済の急速な発展」を導いたスターリン体制の「歴史的な巨大な意義」を唱えました(『スターリン体制から自由化へ』『マルクス主義労働者同盟綱領』等)。この小論で長々と論ずることはできませんが、ソ連体制に対するあまりの過大評価と言わねばなりません。
 つまずきのもとは、当時の林氏が旧ソ連当局の誇大宣伝を真(ま)に受けた点や、帝政ロシアの時代の産業力をあまりに低いものと決めつけたところにもあります。しかし、旧ソ連の現実の歴史が、国民的労働と富を集中して、軍事体制・戦時体制を形成してきたという最も基本的な問題を見過ごし、「(軍産複合体の)国家」や「(戦時的)経済」というものの内容を具体的に見ようとしないところに、よりふかい欠陥があったとおもいます。
 スターリン政権が工業、農業、労働力の国家化を強引に推し進めたのは、「国家資本」の形成・集積のためではなく、国防体制の構築に総動員するために資本・市場経済を抑圧し規制するための集中であったのです。そのことは第一次5カ年計画(1928〜32年)いらい明白なことでしょう。(それまでの1921〜28年のソ連・ロシアであるならば、「国家資本主義」とよべたでしょうが。スターリン体制はこのような「国家資本主義」経済を変質〈否定〉させたと言うべきです。せっかく林氏は「国家による資本・市場の抑圧」(同上)を認めたにもかかわらず「ソ連は国家資本主義」というクリフのソ連規定を乗り越えることができなかったのです。)
 ロシア・ソ連の経済成長について簡単に振り返ってみましょう。帝政ロシア時代(19世紀末から第一次大戦までの間)の工業生産の上昇率は平均で5%と推定されています(これはソ連時代と比較してかなりの高水準だと考えられます)。革命ロシア・旧ソ連時代で、もっとも成長の高かったのはネップ時代(本来の国家資本主義時代)でしょう。これは公式統計から推定できます。
 旧ソ連の改革派統計学者ハーニンによれば、1928〜89年の60年間に「ソ連国民所得」は6,9倍にとどまったとして、旧ソ連公式統計の89,5倍をまっこう否定しました。ちなみにアメリカは同時期に6,1倍です。しかし、旧ソ連の数字はきわめて平凡ですが、自己崩壊(1991年)に至るほどのものではなかったかに見えます。
 しかし、その内容が問題です。ソ連や北朝鮮さらにはナチスドイツのケースでも明らかなように、初期の段階では国家国民を挙げた工業の基盤づくりが成功し飛躍的な生産の増大の時期があります(北朝鮮の場合はソ連の援助もあった。)。事実スターリンは第1次5カ年計画の成果を誇り次のように語りました。
 「あらゆる近代的防衛手段を大量に生産できる国になった・・・以上が工業の分野での5カ年計画を4カ年で遂行した総結果である」と。
 しかし、その後現実の戦争の勃発や、数十年の長期にわたる臨戦態勢の中で全力で軍需生産に傾斜するために、民生品の生産はもとより工業基盤の拡大生産や、新技術の導入、設備の更新が停滞し経済全体の衰弱へとたどり着いたのでした。くりかえしになりますが、これがソ連自己崩壊の最大の原因であったと考えられます。このように旧ソ連や北朝鮮の体制は、初期の経済建設の「成功」があったとしても、一貫した軍事体制という性格に規定され、時間の経過とともに社会全般の機能不全にいきついたと考えられます。
 したがって、スターリン体制がその初期に(第一次5カ年計画)、工業の基盤を確立したと言うことをもって「進歩的」「画期的」というのはあまりに一面的であると私は考えます。スターリン体制とは基本において軍事体制であり、初期の工業基盤の建設のみならずその後の経済的・社会的衰退の必然性をも含むものであると思うのです。案内へ戻る


読書室
新しい時代の経済を模索する『社会起業家』
斎藤 槙 岩波新書840円

 グローバル資本主義が、弱肉強食で金次第の価値観を振りまいている一方で、新しい経済への胎動も静かに動き出しています。
 前回の『ワーカーズ』にも紹介がありましたが、東京の城南信用金庫が「脱東電」「脱原発」で注目を集めています。サイト「オルタナ・オンライン」に理事長である吉原毅氏のメッセージがありますのでその若干の紹介からはじめましょう。「社会的企業」のよい例です。
 信用金庫はロッチデールの流れを汲む協同組合であり、互助組織であると位置づけています。城南信用金庫は創業者の「中小企業の健全な育成」「豊かな国民生活の実現」「地域社会への奉仕」を掲げていました。「銀行には成り上がってはいけない」と。
 平成二十二年に理事長に就任した吉原氏は信用金庫も企業本位の業績主義、収益主義に堕落している、という反省から新しいスタートを切った。「お金や利益を重視する資本主義や自由主義のいきすぎにより生じた〈貧富の差の拡大〉〈道徳や倫理の衰退〉等の社会問題を解決し、助け合い協同組織の地域金融機関」とあらたに位置づけました。
 東日本大震災への対応としても募金活動、支援物資、東京方面避難者への支援活動などを会社を挙げて実施したとか。また、東北の信用金庫内定取り消し者、岩手6名、福島4名、計10名を受け皿として雇用。
 去年四月1日には、東電や政府の「原発は安心・安全・低コスト」を鵜呑みにしてきたことを猛反省し「原発に頼らない安心できる社会を」というメッセージをホームページで公開。前年比3割以上の電力削減。省電力の設備投資の客には一年間無利子の融資「節電プレミアムローン」などを発案するなど、企業としての「社会的責任」を果たしてゆきます。
 「私は会社が大好きで、社会に貢献し、多くの人たちとつながっているという満足感だってあるわけです。」「しょせん企業は、社会的発言などせずに金儲けだけを考えていればよい、というニヒリスティクな事なかれ主義にとうてい賛同できません。」「企業は社会に感謝し社会に貢献していかねばならない」(以上、吉原理事長)。
     * * * 
 このような「社会的企業」は、今に始まったことではありません。しかし、現代の動きは、「資本主義・利潤主義・市場主義」への対抗経済(オルタナティブ)としていっそう意識的であるといえるとおもいます。城南信用金庫の活動・実践のような「社会目的」を明確に打ち出している企業は、世界的に見ても増大しているようです。
 格差社会の深刻化とコミュニティの分解という現実の中で、追い打ちをかけるかのような弱者切り捨ての政治がまかりとおろうとしています。こうした中でボラティア運動やそれに支えられたNPOの活動が国際的に興隆していることがしられています。東日本大震災でも、政府や行政の動きの鈍さをカバーするように、多様なボランタリーな活動が震災被害者をささえています。
 このような動向とも深く関わっているのが「社会的企業」の活躍なのです。今回紹介する岩波新書『社会起業家』は、「NPOのような企業、企業のようなNPO」この様な事例紹介が中心です。
     * * *
 本書冒頭に紹介されているのがガレージでの販売から始まった米国のアイスクリーム屋の「ベン&ジェリー」。今ではアメリカで大人気らしい。「ビジネスを通じて社会を変える」ことを目的としているといいます。自然食品であることは当然として、さまざまな社会プロジェクトに参加。NPOと連携してホームレスの職業訓練としての店舗も設置するなど活動も多様である。
 「ベン&ジエリーをみていると、アイスクリーム屋なのか?それとも環境・社会運動家なのか?と聞きたくなるような、不思議なビジネスモデルが浮かび上がってくる。」「こうした企業が増えのびている背景には、利潤だけを追求してきた企業活動に限界が見えたから」「企業も社会の一員として社会に貢献していかなければならないという『企業の社会責任』の考え方は、今ではごく一般的に受け入れられている」。
 このような「社会的企業」あるいは企業の社会責任の自覚は「ダブル・ボトムライン(DBL)」非公開株式投資市場の広がりとしてもあらわれています。
 つまり、経済活動の上で二つの基準が存在するという事です。一つは企業の継続性を保障すると言う意味での収益、もう一つが「社会的責任」なのです。
 協同組合あるいはNPOなどでは、従来この様な「社会活動」と「利益」との間でそれを矛盾・葛藤というとらえ方があるが、これらの新しい企業ではこのような「葛藤」とのとらえ方は無いかのようです。
 さらにその背景では人々の「企業」を見る目が変わってきたことがあります。「ステークホルダー(利害関係者)の行動の変化」つまり、「社会的企業」という特別なジャンルがあるのではなく、普通の企業も「社会的立場」「社会的責任」という事を無視して営業できなくなっているという事でもあります。消費者、投資家、従業員、取引先、地域社会等の認める関係の中で、経営は実施されなければならないということなのです。
 投資家というと「もうけ主義者」と見られますが、出資先が「どんな企業か?」を気にしている投資家も多いと言います。例えば、軍事産業とそれに関わる企業には「出資したくない」とか。
 「社会投資フォーラム」は、NPOのコープ・アメリカの表裏一体の組織。基本スタンスが「社会的責任を果たしている企業に投資する。そうではない会社には投資しない」こと。ちなみにアメリカの「社会責任投資市場」は、全米で委託管理されている投資金額の11%に上るといいます。一方、企業も社会性を高めることで、米国ではかえって資金調達がやりやすくなるという社会環境が現実のものとなっているという指摘もあります。
 以前からある「株主行動」も同じような性格のものです。たとえばプロクター&ギャンブルが、傘下のコーヒー会社で使用するコーヒーを「フェアトレード認定」(註)のものにすると決定しました。株主行動の影響力を証明したものと評価されています。
 こうしたなかで、環境、品質にくわえISOによる「社会的責任」をテーマとした新規格が検討されているとか。
 この面で先駆けの「経済優先順位研究所(CEP)」は、軍隊、環境、市民権、女性の働きやすさと少数民族の働きやすさ等々、この様な問題に企業としてどの様なスタンスにあるのかを調査し公表してきました。たびたびその公表は、新聞の一面を飾ったとか。CEPは、現在では企業のビヘイビアに「説明責任」を課しています。
 CEPの「企業認定機関」SAIの創り出した国際規格SA8000はおおまかに以下の項目からなります。@児童労働の禁止A強制労働の禁止B健康と安全の保障C団結権と団体交渉権の保障D差別の禁止E懲罰の禁止F労働時間の厳守G基本的生活賃金の保障H労働環境を管理するための制度作り。
「(CEPの創業者)アリスの過去三十年間にもたらした社会変化は、計り知れない。今では、企業の唯一の責任は利益を上げること、などという経営者は、探すのが難しくなった」。
 日本にも支店のあるアウトドア商品の「パタゴニア」の創業者イヴォン(米国)は「社会を変える道具として会社を使う」と主張しています。環境問題に特にこだわり、ペットボトルの廃品リサイクル。綿はオーガニックで環境を汚さない。「企業が利潤に魂を売り渡すとき、家族の絆を崩壊させ、地球経済の長期的健全性を損なう。使い捨てのビジネスという概念は、社会のすべての側面に持ち込まれるのです。」「エジプトから綿を買い、日本で布にし、ジャマイカで縫製し、カリフォルニアの倉庫に送り、ニューヨークの店で売る、といったことはやめなければならない」。
 社会的企業の団体である「ソーシャル・ベンチャー・ネットワーク」は、七割が企業で、三割がNPO。核エネルギー反対、グローバル経済に対抗する、戦争反対などの政治的色彩を持つとか。
 「地元生活経済のためのビジネス連盟(バリー)」という団体は、地元生活経済が、すべての人に安全で豊かな暮らしをもたらすばかりではなく、自然の摂理と調和し、生態学的・文化的な多様性を促進し、豊かで楽しいコミュニティの生活をもたらすこと、あるいは地産地消などを企業目的として掲げています。
 スターバックス、は「世界60カ国で貧困に苦しむ人々に救いの手をさしのべる人道団体、〈ケア・インターナショナル〉」と連携を始めた。スタバのCEOは「企業の成功は、多くの人々とシェアしてはじめて達成される」と。このように環境保護のNPOともパートナーシップを結んでいる。フェア・トレードもしていると。
 フェアトレード運動を推進する「トランスフェアUSA」が目指しているのは、低賃金が問題視されるなかで、開発途上国の農家をまもることである。このため小規模の農家を協同組合化してゆく事で、輸入業者、小売業者、焙煎業者に対して有利な取引ができる様にすることである。NPOにも活動の継続性・拡大を、コーヒー会社には質のよいコーヒーを安定的に確保するという共存があるといういます。
   *  *  * 
 「国家の力の縮小は、NPOセクターの成長にも寄与してきた。」 「財政赤字、福祉国家構想の危機」は、人々の主体的な社会関与を他方では生み出し続けています。これは大きな希望でしょう。端的には国家が見捨てたから、自分たちでやるのです。
 しかし、言うまでもないことですが、この様な流れに問題がないと言うことではありません。ベン&ジェリーは、大企業にその後買収されています。「社会責任」を担う会社も増えてはいても、「もうけ主義」は相変わらずという事も普通にあるのではないでしょうか。あるいは「今日のYMCA。団体の本来の存在意義がぼやけてしまう。」「市場機会をつかむことによって、意図しない方向にNPOが引っ張られてゆく可能性がある」という研究者の意見も当然にあります。
 アウトドアーのアパレルメーカー「パタゴニア」の創業者も、大企業化することが「創業の目的を曖昧にする」と悩んだらしいです。
 このように「偽善」だったり、試行錯誤や揺り戻しと言うことは避けられないにしても、グローバル資本主義に対抗しようという運動は、市場で取引をしている企業の中からも開始されています。市場主義、経済自由主義、利潤主義はその内部からでさえあれ批判を受けているのです。その背景には、資本主義への失望と変化への希望があるでしょう。
 変化というものは、一面では常に原点への回帰です。市場・貨幣経済が行き詰まっている現在、人同士の関係を重視する互酬的取引へと回帰する予感がここには存在します。
(註)フェア・トレード:【大辞林】発展途上国の生産物を、その生産者の生活を支援するために、利潤を抑えた適正な価格で、生産者から直接に購入すること。労働条件や環境保護などにも配慮して行われる。(文明)


ホットスポットから東電・政府を撃つ
東京電力東葛支社に市民が怒りの抗議デモ


 2月11日、東葛地域(千葉県北西部)の市民が集まって、東電と政府に対する抗議の集会とデモを行いました。抗議行動は、昨年の10月11日にも行われましたが、これが第2弾目です。当日は、東京の代々木公園でも大規模な集会とデモが行われ、東葛の市民も二手に分かれての行動となりました。
 集会は午後1時半から、東電東葛支社近くの柏市名戸ヶ谷第2公園で開催され、東葛各地から参加した市民が、脱原発、そして日々の生活の中で切実な問題となっている放射能汚染との闘いについての各地の取り組みを、代わる代わるマイクを握って訴えました。
  ◆  ◆  ◆ 
 福島原発の爆発事故を受けて、黙っていることは原発を認めてしまうことと同じを自覚し、何か行動をしなければならないと思い立ち、映画『カリーナのリンゴ〜チェルノブイリの森』の上映に取り組んでいるという若い女性。
 東海第2原発の廃炉を求めて、12万人の署名を達成した市民グループからの報告。
 自宅の庭に、昨年までたくさんやってきた鳥や虫がこなくなった。東電は電気料金を値上げしようとしているが泥棒に追い銭、再び原発推進に使われる。東電がマスコミや政治家にばらまいているカネ、高額な役員報酬にこそメスを入れるべきと訴える男性。
 原発事故は原発犯罪との認識に立たなければならない。国も自治体も除染除染と言っているが、汚染物質をある場所から別の場所に移動させているに過ぎない。国も自治体も原発犯罪の幕引きを測ろうとしている。これを許さず地域から反撃を組織していきたいという柏市議の発言。
 松戸の市民は、日本のマスメディアの犯罪的役割は目に余る、メディアへの批判と働きかけをやっていかなければならない。チェルノブイリの例を見ても子どもの健康リスクは無視できない、これから十数年後を視野に入れて、しっかりとチェックの体制をつくらせていかなければならない、と訴えました。
 柏の市民からは、焼却施設の建屋内の空気が流れてくるエリアのお宅で体調を崩す人が出てきている。自宅から出た汚染度は自宅庭に置いたままの状態を強いられている。東葛ホットスポットではマスクの着用は避けられない。内部被曝は食物経由もあるが呼吸から入る放射性物質も軽視できない、との訴えが行われました。
  ◆  ◆  ◆ 
 私からは、流山市の状況について、以下の様な報告を行いました。
 流山市では、測定も除染も遅々として進まず、汚染土や焼却灰の処理の目途もまったく立っていない。市の取り組みは、市民や議員の厳しい批判や追求に対し、それを6割くらいに薄めた内容を、数ヶ月遅れでのろのろ追随実施している現状。
 とりわけ市長が、問題の深刻さと重要性をまったく理解していない。市長は事故から9ヶ月も経った昨年12月に、トンデモ発言を行って、多くの市民のひんしゅくを買った。事故直後に国が主張し、しかし今では国でさえ大っぴらには言えなくなった、「年間20ミリ、毎時3.8マイクロでも大丈夫、年間100ミリ以下では健康障害は生じない」とのでたらめな主張を未だに声高に主張している原発擁護派の人物の見解を賞賛・賛美したのである。怒った市民の中には、この市長の発言をきっかけに、流山から引っ越してしまった人たちもいる。
 「さようなら原発1000万人署名」については、東葛の市民は、1950年代の杉並区民の役割を引き受けていく意気込みで取り組んでいる。第五福竜丸事件が起きたとき、静岡や焼津の市民は地域社会の圧迫感の中でなかなか声を上げられなかった、いま福島の市民も同じ状況の中に置かれている、東葛市民は、僭越な意味ではなく、福島の人々の悔しさも引き受けつつ声を上げ、1000万署名を成功させる起爆剤になろうと決意している。
 反原発の闘いは、色々なやり方がある、流山では9月議会において「反社会的企業である東電を市の入札に参加させるのはおかしい」と提起し、今年の1月1日から、原発の電気よりクリーンなPPSの電気を買うことになった。年間で1900万円の経費節減になったが、子どもと女性の健康調査・健康診断に用いるべきだと要求している。創意工夫を発揮し、力を合わせながら幅広く、奥深い活動を、この東葛地域でつくりだしていこう。
  ◆  ◆  ◆ 
 参加者からのこうした発言の後、東電東葛支社を取り巻く形で、市街地のデモ行進に移りました。「きれいな大地」「きれいな海」「きれいな空気を返せ」「子どもを守れ」「すべての原発を止めろ」「再稼働を許すな」「農業、漁業の被害者への責任をとれ」等々のコールを元気よく行いながら、そして東電東葛支社の前では一段と高らかなシュプレヒコールを発しながら、デモを敢行しました。
 約30分ほどのデモを終え、出発地の公園で再び総括集会を行い、長期戦になる放射能汚染との闘いを視野に入れつつ、何度でも東葛支社を取り巻くデモに取り組むことを確認して、この日の行動を終えました。
(流山市議会議員 阿部治正)案内へ戻る


投稿ー福島からの便りC(ワーカーズ457号より続き)

 3・11の震災の前年から93歳の祖母は、ディサービスに通うのを楽しみにしていましたが、年明けからショートスティになり、震災後そのままロングスティにかわりました。家からすぐ近くの老人ホームに入所し、「自分は温泉に泊まりに来ている」といって喜んでいましたが、震災があったことすらわからず、5月22日亡くなりました。亡くなる前年まで1人でバスに乗りコーヒーを飲みに行くハイカラな人でした。
 祖父は、小学校を出て独学で航空機関士の免許を取り中華航空に入社、日本と中国に食糧を運ぶ仕事をしておりました。戦争が起こり、特攻隊に選ばれ死を覚悟したものの、飛行機が故障し、戻ったため助かったと言っていました。また、訓練中に離陸後飛行機が爆発、自分は格納庫の上に座席ごといたという。パラシュートで脱出した友人は、パラシュートが開かず即死。
 そんな数奇な体験をした祖父は終戦とともに、この大笹生の生家に戻り妻と農業を継ぐことになりました。石だらけの土を掘り起こし、りんごや梨を増やし、それらが実る頃55歳で胃がんのため亡くなりました。本人曰く、「オレは騒音公害でこんな病気になった」と、とても寡黙な祖父とにぎやかな祖母でした。私は小学校に入るまでは一日中畑で過ごし、祖父が植物の名前をいろいろ教えてくれました。ゴザの上で昼寝をし、目が覚めると梨棚の葉っぱがざわざわと風にゆれていた記憶があります。おやつなどはなく、やかんのフタの穴を指で押さえ水を飲む程度でした。
 まるで古野せいさんの本のようだと思いましたが、貧しさのあまり夜中に医者を呼ぶこともできず、6ヵ月の梨花さんを亡くしてしまうそんな時代は、つい50年前まで日本にあったことを思うと、今の私たちの暮らしは何と贅沢で恵まれているかを思い知らされます。そして原発に依存して豊かな暮らしを続ける私たち、せいさんの時代の人達や、私たちの子孫にはとても申し訳ない気がします。ちょっとの我慢やちょっとの工夫で電気はいくらでも減らせます。寒さも慣れれば人間の方が強くなります。もう少し不便で健康的な暮らしを取り入れていきたいと思います。
 とにかく1歳半の孫を守らなくてはという一心から避難を決意しましたが、その間父と母、老人ホームの祖母は福島に残りました。とてもあの狭い別荘に8人は無理だし、80歳以上はあまり放射能の影響はないだろうと思ったからです。母は震災のニュースが流れるたびに初めて見る映像に、毎日驚いて、毎日毎日父が飽きもせず説明していました。今は震災があったことすら覚えていないかも知れません。
 私たちが山形にいる間、福島ではスーパーには長蛇の列が外まで続き、マスクをする人、しない人、ガソリンスタンドにも長蛇の列が続き、何も知らされない人々はいつものように仕事をし、ガソリンがなくても自転車で通勤し、大量の被曝をしました。長崎や広島の何十倍もの被爆をした福島市民は、これからどんな保障を受けられるのか全くわかっていません。
 震災原発事故直後から、農作業をやめない人々がいつも畑にいました。目に見えない放射能がどれ程危険か知らされず、桃の剪定や自給野菜の種まきや草取りなど、黙々と続ける農家の人々。政府が「ただちに影響はないって言うんだから大丈夫だべ」と皆口々に答えます。しかし、農協から畑を耕さないように通達が来たのは、大分あとのこと、もう春の種まきは終わっていました。
 福島でもここ大笹生は、比較的放射線量は低い方ですが、孫がつけていたガラスバッジの3ヵ月の外部被曝は、0・4ミリシーベルトなので年間1ミリシーベルトを超えています。内部被曝を少しでも少なくするために遠くの野菜で別メニューを作らなくてはなりません。二重に手がかかります。しかしそういう工夫をしながらここに住み続け子孫に命のバトンタッチをしようと決めたのは長男と嫁さんが避難しないと言うからです。他の地域に行っても仕事があるかどうかはわからないし、さらに避難先だっていつ危険なことがあるかはわからない。それよりは今ここに住んで、この地をよりよい地にすることの方が、大切だとも思います。
 今は放射能も大分下がり、りんごも米も皮をむけば不検出というところまできました。全国の空間線量の低い地域に住む人々は、年間1ミリシーベルトを超えることはありませんので、特に子育てが終わった方々は、是非福島の野菜・果物を食べていただきたいと思います。ここ福島は、世界一おいしい農産物が生産できるところと自負しています。これからも頑張って作りますので、応援よろしくお願いいたします。
 3月31日、石巻の夫の実家を訪ねました。夫の父は17年前、肺がんで亡くなりましたが、生前は毎年毎年新鮮な魚を車に積んで、我が家の台所で刺身を造り夜は酒の肴においしいお刺身とチリ津波の話題で盛り上がりました。夫が5歳の時夫の家族は、十八成浜(くぐなりはま)という所に住んでいて、チリ地震に逢い家の2階まで、津波が押し寄せ、その恐ろしい体験をいつも身振り手振りで話すのでした。この経験から石巻で一番高台にある日和山の近くに移り、今回の津波の影響は受けずにすみました。この日、海を見わたす日和山に登ると、ふもとの街はあたり一面無惨な姿でした。(福島で果樹園をされているGさんより)


サンゴの海

 2月9日朝がた目が覚め、自然の映像をよく送ってくれるNHKの1チャンネルを合わせると、沖縄のサンゴの海をうつしていた。
 サンゴの海に住む大小のお魚たち、それにたわむれるダイバーたち。こんな美しいサンゴの海を軍艦で荒らしてほしくない。大きなお魚はブリューゲルの有名な諷刺画の絵のように小魚をくわない。
 大きなお魚がエラを広げると、小さなお魚がその中に首をつっこんでつつく。エラの中に何かくっついているらしい。小魚に囲まれて大きな魚がゆっくりと進む。のどかなサンゴの海。ささくれ立った神経をなごませてくれる。沖縄に通いながら海を知ることのなかった私。見ていて飽きない。
沖縄は平和と共生の国と聞いてきたが沖縄の海もそう。私どものマブヤー(魂)をいこわせてくれる海。私は海とたわむれるスベを知らない。このご時世になにをねぼけた気楽なことを、と思われるだろうが、これが本来の海の姿ではないかと思う。今日は冷えて午後でも関西は10度以下。
2012・2・9 大阪 宮森常子


編集あれこれ

前号訂正 色鉛筆の2段目と3段目が組み間違っていました。1面の稼働中の原発はあと2基とあるのは3基の間違い、関電が40年越えの稼働延長をめざしているのは高浜原発3号機ではなく美浜原発2号機でした。以上、お詫びし訂正します。
 ちなみに、福島第1原発を除き、現在40年を超えているのは美浜原発1号機と日本原子力発電敦賀原発1号機です。美浜原発2号機は今年7月には40年越えとなるので、関電はすでに昨年7月に安全性は確保されているという報告を保安院に行っています。福島原発が大変な状況のなかでも、関電は虎の子≠フ原発の60年稼働延長を目指していたのです。
 この40年越えの稼働延長について1月末、細野原発事故担当相は「すでに40年を超えているものが再稼働できることはあり得ない」と述べ、福井の2基は再開困難としています。しかし、政権交代の象徴とされた八ツ場ダム建設中止を国土交通省官僚やダム推進派によって潰された前科≠ェあり、細野発言が実行されるかは限りなく不透明です。
 この件についてさらに付け加えると、40年廃炉はけしからんというのと一定の評価をするのと、マスコミの評価は二分されているようですが、神戸新聞社説は次の通りです。「原発のない国へ、政府が確固とした姿勢で臨むことが重要だ」「40年を厳密に当てはめると、事故前まで54基あった国内の原発は、2030年までに36基廃炉となり、今世紀半ばには原発のない国になっている」(1月28日)
 この論調は40年廃炉を評価するものですが、一方でこれは現存する原発の40年稼働を容認するものであり、第2のフクシマの危険を冒して今世紀半ばまで原発と共存することになります。いかにも甘い認識、ぬるい論調です。若狭は原発震災前夜といわれており、地震が起きる前に1日も早くすべての原発を止めるほかありません。
 さて、前号は久しぶりに12ページ立てとなりましたが、いかがでしたか。元旦号から1ヶ月も空いたので、その間にホームページに掲載した記事も載せたものです。沖縄の米軍基地をめぐる情勢が緊迫してきています。「沖縄通信」でしっかり伝えていきたいと思います。野田政権が不退転で望むという社会保障と税の一体改革は、結局のところ年金改悪と消費税増税にすぎないのかと多くの市民が落胆し、ハシズム≠ニいう鬼子を生み出す現実にも迫っています。
 11面で紹介されている王兵(ワン・ビン)監督の「無言歌」、私も観に行ってきました。全編強風吹きすさぶゴビ砂漠の収容所で、朝には死者を寝ていた布団ごと縛って運ぶ日々が映し出される、そんな映画でした。案内チラシには「中国、1960年。文革前の隠された悲劇。歴史に飲み込まれた名もなき民の姿に、人間の尊厳を見いだす慟哭と希望の誌」と書かれています。
 広辞苑を引くと、百家争鳴「多くの学者が自由に自説を発表し論争すること。1956年に中国政府が『百花斉放』と併せ提唱したが、その結果、共産党批判が起こったため、反右派闘争に転じた」とあります。権力を揺るがす批判、その兆しさえ押しつぶされたのです。映画では、上海からやってきた女性が夫の遺体を探し、弔い、遺骨を持ち帰るさまがひたすら写し取られています。ぜひ、ご覧になってください。 (晴)
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