ワーカーズ482号   2013/2/15         案内へ戻る
富める者を更に富ませ、貧しき者を更に貧しく
大企業と富者の守り手=安倍自民党政権への反撃を!


 安倍自民党政権は、当面は経済政策を中心に「安全運転」を心がけ、7月参院選で多数を得た後に右翼政権としての本領発揮すると見られている。
 しかしこれまでの「三つの矢」の経済政策だけをとっても、十分にこの政権の本質は明らかとなっている。日銀の独立性の建前さえ認めぬ「大胆な金融政策」=インフレ政策のごり押し、「機動的な財政政策」の名による公共事業の大盤振る舞いの一方での生活保護縮小、そして「成長戦略」と称しての企業減税や規制緩和等々。バラマキ政策のつけは消費税増税で賄うことが予定されており、成長戦略の柱として原発海外輸出さえが目論まれている。これらの政策がもたらすのは、大企業と富者へのいっそうの富の集中、そして労働者や庶民のなけなしのフトコロからの更なる収奪、セーフティネットの縮小だ。
 重要なことは、安倍政権が何故こうした政策を打ち出すのか、その背景を明らかにすることだ。
 今日の大企業は、かつてと違いモノ作りから離れたマネーゲームでしか儲けをあげられなくなっている。モノと富を実際に生み出す生産活動から離れ、一欠片の新たな富も生まないにもかわからず、儲けをあげられるかに見えるマネーゲーム。それは諸外国からの富の収奪、国内の中間層の富を金融システムを駆使して巻き上げ、それでも飽き足らずに貧者からもなけなしの金を搾り取るやり方(米国で失敗したサブプライムローンが典型)だ。その結果、バブルが生み出されたり、はじけたりし、その都度中間層はやせ細り、貧者はいっそう零落する。
 マネーゲームは生産活動と切り離された致富活動であり、作ったモノが売れるかどうかにはとりあえずは関心は無い。車やテレビや冷蔵庫の購入者が減っていっても、とりあえずは儲けをあげられる。
車やテレビだけならまだしも、働く人々に日々の生活の糧を買うための賃金を保障しようという動機さえ欠けたしまったのが、現在の資本主義だ。
 一方で、「まだやれる」とモノ作りにしがみつく企業も、市場の飽和によって以前のような儲けが得られなくなったため、労働者への安上がり使い捨ての徹底化で何とか儲けを得ようとする。規制緩和と称して、これまで国や自治体が行ってきた公共サービスにも食指を伸ばしているが、もともと利益の上がらないこの分野では、労働者への搾取はいっそう苛烈を極めざるを得ない。
 こうした動き相まって、労働者の非正規化が拡大され、格差と貧困を広げてきた。産業革命期の貧困は、資本主義が発展すれば労働者の闘いによる譲歩の強制もあって、少しずつ改善される可能性を持っていた。しかし、今日の貧困は、今のままの経済の仕組みが続く限り、改善されるどころかますます悪化し続けるタチの貧困だ。
 安倍政権による通貨膨張、公共事業バラマキ、規制緩和政策の効果は、小さく見積もってもバブル景気の発生と破裂、悪くすれば悪政のインフレさえ発生させかねない。
 労働者の犠牲による企業と富者への奉仕、それを徹底するために誕生した安倍自民党政権に対して、労働と生活のあらゆる現場から<反撃を>準備していかなければならない。反貧困=労働者への搾取と収奪の強化との闘いこそ、安倍自民党政権との対決の基軸に据えられなければならない。(阿部治正)


アベノミックスと衰退する日本資本主義--協同の経済を促進しよう

 アベノミックスと日本経済についてはすでに前号『ワーカーズ』等で分析がおこなわれている。ここでは少し異なった観点から述べてみよう。
●パットしないエコノミストの評判
 『週間エコノミスト』を久しぶりに買って読んだ。「○○チーフエコノミスト」「○○主任研究員」「○○大学教授」という名だたる専門家--私は存じ上げないが--がアベノミックスについていろいろと論じている。
 要するにアベノミックスは、従来の使い古された手法の焼き直しなので、その効果は疑問視されていると言うことだ。米国の右派シンクタンクのヘリテージ財団も厳しい評価を下している。「最も可能性の高いシナリオは、土地やエネルギーの価格が上昇する一方、他方ではデフレが続く」と。もっとらしい話しである。
 他方では「株が上昇した、論より証拠(景気上昇)だ」(安倍首相のブレーンの浜田氏)と持ち上げる者もいる。
 このように、エコノミストも評価が分かれるが、アベノミックスへの懐疑はかなり多い。経団連や同友会、連合といった面々も「金融緩和はすでにやり尽くしている」として疑念を隠さないのである。大資本の垂涎(すいぜん)のまとは今やTPP即時参加にある。ところが安倍首相は選挙を意識して明言をこれまで避けている。

●景気動向は誰にもわからない
 小論で多くを語れないので、ひとまず結論を述べよう。短期的なスパンではその景気動向を見通すことは誰にも不可能だ。
 例えばアベノミックスがどんなにつまらない二番煎じでも、東南アジアや中国、EUや米国の経済情勢に引きずられて景気が上昇しないとも限らない。
 また「アベバブル」が発生し--安倍首相やそれを支持する勢力はこのような博打を狙っているのだろう--国民や企業の資産価値が連鎖的に増大し、投資を含む消費が活発化し経済上昇につながる可能性は確かにゼロではない。
 あるいは戦後最大級の経済恐慌であったリーマンショック(〇八年)から五年を数え、経済循環から考えても上昇に転ずる可能性だって否定できない。
 仮にそうなったとしても、それらは「アベノミックスの正しさ」を証明すると言うこととは別の事である。
 その逆に景気低迷のままインフレが暴走し、円安が進行し、日本型ソブリン危機が到来する最悪のシナリオだってありうる。
 だからわれわれは「日本の景気動向」という狭い議論に拘泥せずに日本資本主義を考えたい。

●大衆の消費動向は景気を直接に左右しない
 とは言えこのことだけは言いたい。左翼系論壇をみると、国民の窮乏化が「長期デフレの原因」ととらえていることが知られる。だから賃金を上げろ、消費税を導入するなという主張もなされる。不況下で格差社会が一層厳しさを増し、他方では資本は莫大な内部留保を抱えている現実を根拠としている。
 一方での大衆の窮乏化と、他方での資本の過剰生産・過剰資本という二極分解は、その通り資本主義経済の根本的な矛盾を表している。つまり、大衆の窮乏化は、資本主義の過剰生産といつかは衝突する。そして内部的な「解決」である経済恐慌を避けられないものにする。
 しかし、残念ながら賃金上昇が資本の好景気(デフレ脱却)をもたらすものではない。私見では大衆の窮乏化は、資本主義経済の足かせではあるが、数%程度の所得上昇があったとして、資本の投資や雇用が活発化する保障はない。同じく賃金の下落が不景気を生み出すとは単純には言えないのだ。
 ただ労働者は、賃上げで資本家の利益(三百兆円の内部留保があると推定されている。)を削ることで生活を守るべきだ。あるいは消費税を撤回させ、国家や大資本の責任で財政再建を図るべきだと主張すべきだ。そもそも富は労働者・勤労者が産み出したものだからだ。
 さて賃上げが景気上昇をもたらすとは限らない、その理由をいくつか述べよう。理由は大きく二つある。
 第一に「大衆消費」は「最終消費(需要)」ともいわれるが、資本主義経済の需要の一部に過ぎない。生産設備の更新・拡大にともなう巨大な消費(需要)も他方では存在する。資本の投資を喚起しうるものでなければ「景気回復」にはつながらない。つまり大衆の消費力に対して資本主義経済は独自の相対的に別なルールで運動している。この点が重要だ。
 資本主義経済は、大衆の消費生活に対して、そこから絶対的ではないが分離し自立的に膨張や収縮をくり返している。大衆所得の変動に比して、資本の膨張・収縮の速度がはるかに大きい。これはマルクスの基本的な資本主義理解である。
 もう一つの理由は、経済の金融化とグローバル化だ。この点について話そう。

●金融経済も自立的な運動をしている
 資本主義の不安定性や矛盾を象徴する、経済の各分野の自立的運動は別の局面からも増大している。経済の金融化およびグローバル資本主義の拡大がそれだ。
 資本主義経済の消費と資本の蓄積への衝動の相対的な自立性を述べたが、現代では実体経済の数倍の規模で金融経済が自立的に収縮や拡大を続けている。
 この新たな存在が資本主義経済の循環性を攪乱し、経済の先行きをさらにみとおしえないものにしているのである。
 大衆消費も、資本の強蓄積も、金融経済も、加えてグローバル化した資本主義諸国の経済的跛行(はこう)性も加わりその制御や見通しは一層困難性を増しているのだ。
 このようなアンバランスな経済的膨張や収縮が資本主義の特徴である。そのアンバランスが極限にさしかかり、誰にも予測し得ないある一点において「暴力的調整」が貫徹するというのがマルクスの恐慌論・資本主義論である。(〇八年のリーマンショックと経済恐慌はマルクス経済学の正しさを再度証明している。)
 ちょうど引力圏を脱出できなかった宇宙ロケットが、結局は地球に激突するようなものである。もちろんロケットの場合は、推進力を増せば、引力圏を脱しうる。
 しかし、資本主義社会の生産や消費や信用体系、流通過程、諸国家間の交易は、これらの要素が自立した運動を行うにもかかわらず、他方では相互に不可分の前提となってたがいにコミットしているのである。
 だから「大衆消費を拡大すればよい」(たとえば減税政策)「生産を調整すればよい」(公共投資、金融政策)「信用の膨張を調整すればよい」(金融政策)「交易の管理をすればよい」(通商政策、為替管理)という性格のものではない。そのような対症療法でクリアできるものではない。ここが現代資本主義理解の大切なところと思われる。
 ブルジョア経済学者たちは、このような「調整の方法」を追求し学説を打ち立てたと主張してきたが--例えばケインズやマネタリズム--、それは成り立たなかった。その話しにもふれよう。

●ケインズ主義とマネタリズムの混種=アベノミックス
 『週間エコノミスト』(毎日新聞2/5号)の論争では、マネタリスト系は「公共投資は効果をもたらさなかった」(失われた二〇年)せいぜい「モルヒネ効果」とケインズ系をグサリと突く、「金融緩和と政府による日銀の指導が大切だ」という。
 ケインジアンは、「金融緩和はすでに実施されているが効果がないことが証明されている」とりわけこの四年間で「日銀がマネタリーベースを一・五倍に増加させてもデフレから脱却できなかった」と指摘しあくまで財政出動(イノベーションなど)に期待を寄せる。
 双方の批判は正しい。両者とも経済政策としては有効ではないことを証明している。
 アベノミックスはその両者をより極端に押し進めようとしているのだ。ブレーンの浜田氏(内閣官房参与・マネタリスト)は「日銀がいやいや、少しずつ金融緩和したから(これまでは)市場が反応しなかった」と理屈づけしている。この程度の知恵なのだ。
 この浜田氏は、他方のアベノミックスの公共投資については「しかし、景気対策を財政に頼るのは、個人的見解だが、筋違い」と。ずいぶん無責任なブレーンではないか。
 アベノミックスは、エコノミスト達すら認めている無力化したケインズ主義とマネタリズムの混合だ。大資本家たちの疑念も無理もない。いわんや勤労者が期待を寄せえないものだ。

●資本の政治支配の行き詰まり=アベノミックス
 いまや日本の累積政府債務は税収の約二四倍だ。そこへきてアベノミックスは、十年間で二百兆円の公共投資を謳いあげているように、以前のバラマキ政治復活である。安倍首相は今年末、累積総債務額一千兆円越えの首相として歴史に名を残すであろう。
 しかし、先祖がえりというだけではおさまらない。かつての財政出動とは違い、経済環境は一変している。上記のように日本はすでに世界で最大級の財政赤字国だ。貿易収支も赤字が増大している。
 それにもかかわらず空前の規模で積み上げられ続けている政府債務は、私に言わせてもらえば、(日本)資本主義の敗北であると考えている。自滅というべきかもしれない。
 新たに十年間で二百兆の公共投資を打ち上げたことは、政府や国家に国内の階級矛盾を解決(抑止)する事ができない無力さの証明と理解できる。
 垂れ流された国家的借財は、言うまでもなく、大資本や官僚などのために使われてきた。しかしながら他方でそれは、自民党的政治のもとで農民や中小企業救済のためにも、また小泉政権以来きり縮めがなされたにしても、福祉・雇用政策などに投下され続けたのである。つまり国民を「国費」で買収してきたのである。
 そのうえで自民党は長期安定政権を戦後数十年も維持することができたのである。自民党は、巨大な財政をテコに諸階級や国家内部の軋轢を緩和し、戦後のほとんどの時期の「政治的独占」を果たすことができた。
 現代では、労働者や市民の華々しい街頭の闘争は影が薄いにしても、これは間接的階級矛盾の反映であることは明らかであろう。赤字財政は階級矛盾の爆発の封印として政府により投下されてきたのであり、その意味では赤字財政(世界的な現象であることは知られている。)は階級矛盾の深刻な様相を潜在的な形で表現しているのである。
 そしてこの「間接的階級矛盾」は、やはり国家と政府を追い詰めているのである。衆議院選挙の大勝利にもかかわらず、自民党没落のカウントダウンは進行している。
 今われわれが警戒すべきなのは、ナショナリズムや国境紛争、強権政治の登場だ。それらは本当の歴史の方向性を混乱させ、勤労者・労働者の目を狂わせる可能性があるからだ。

●NHKにも登場した協同の経済
  歴史は表面的な華々しい政治活動によって刻まれてゆくものではない。社会変革の展望の視点から、現在最も欠けているものは「ある種の」経済的なあるいは人間的な成熟である。それは世界的な成熟が必要である。
 この要件が欠けていれば、大胆な政治行動も労働者権力も歴史を革命的に切り開くことはできない。
 二月七日、NHK「クローズアップ現代」で「協同労働協同組合」が特集された。日本におけるささやかな労働変革も取り上げられたが、スペインのモンドラゴン協同組合(スペイン第二の家電メーカーを含む、八万人の労働者協同組合)もかなりの比重で紹介されたのである。
 それらは「雇われて働く」という事を少しずつ脱皮してゆく労働者の姿だ。地域住民一体となって仕事興しをつづける、本来の仕事や経済の在り方である。これらは普通の人間関係を土台として生まれた経済だ。地域にとって必要なことが「仕事」になる。これこそマルクスのアソシエーション社会のひな型だ。この様な経済が、この様な人間が歴史的に拡大生成されなければならない。
 スペインのモンドラゴンは、失業率が二五%の同国にあって新たに二千人の雇用増大を果たし、一気に注目を集めるようになったと紹介された。
 競争をあおる極端なグローバル資本主義、格差社会、倒産、解雇、福祉切り捨て、生活破壊等々。これらへの反発や反省として「協同の経済」が注目されるのはあまりにも当然ではないか。私は、このような歴史の本当の方向性を加速し励ますように行動し発言し論ずる必要があるものと信じる。
 ゴールデンアワー(古い表現だが)にNHKで放映されただけに影響も少なくないと期待したい。
 協同の経済は特に先進国で発展中である。だが、途上国も伝統的コミュニティが存在し、世界にもつながる協同の経済に成長する可能性はある。
 この番組のコメンテーターであった富沢賢治氏(一橋大学名誉教授)が指摘した、協同労働の協同組合法や法人付与の制度の確立が当面の課題である。(阿部文明) 案内へ戻る


もうひとつの核戦争

 いささか旧聞に過ぎるが、昨年7月11日付け毎日新聞が「輸出の最前線で今」を報じている。リード文を読めば、より巨大な核汚染の危機がひしひしと迫ってくる。
「東京電力福島第1原発の事故後、原発の是非を巡る政策が定まっていない中で、日本の原発輸出ビジネスに変化の兆しが見えない。経済発展が目覚ましい中国やインドなど新興国は、急増する電力需要を火力発電所の建設でしのいでおり、化石燃料の枯渇や価格上昇への懸念から、原発への期待は高い。原発輸出の米、露、仏、韓国などは巨大マーケットととらえて国を挙げて輸出攻勢をかけ、日本も激しい受注競争を繰り広げている」
 資本の欲望が、国家がらみで原発輸出へと走らせている。たとえその先に悲惨な放射能汚染が待ち構えていようと、今はこの〝核戦争〟を勝ち抜くことしか頭にはないのであろう。原発震災を引き起こしてしまった日本が原発と手を切り、脱原発へと世界を導けばこの戦争もいくらかは沈静化するかもしれない。以下、日本の原発輸出の現状を探る。 (折口晴夫)

一 モンゴル
 日米がモンゴルに核処分場を建設するという、極秘計画が毎日新聞にすっぱ抜かれたのは2011年5月の出来事だった。同年9月にエルベクドルジ大統領が国連総会で「モンゴルに核廃棄物を搬入されてはならない」と演説、この件は沙汰やみとなったかである。しかし、モンゴルには140万トン(推定埋蔵量)のウランがあり、1980年代にソ連によって開発が行わたこともあり、このまま眠らせてはおれないだろう。
 いま考えられているのは、ウランを掘り出して核燃料を製造し、日米韓から原発を買った国にそれを輸出する。その原発から出る使用済み核燃料をモンゴルが引き受ける、という仕組みだ。これで外国の核廃棄物を受け入れないという条件は満たすし、ウランを売りやすくなる。原発輸出国も輸入国も廃棄物処理に頭を痛めないで済む。3方1両損、いやいや誰もがウィンウィンでめでたしとなるのか。
 勿論そうではない。モンゴルはウラン開発が出来て、その販売においても有利な条件となる。しかし、その見返りに解決のつかない負の遺産を抱え込むことになる。最新の英国情報で、「放射性廃棄物の最終処分場となっていた中部カンブリア州の議会は30日、処分場建設計画の是非を問う採決を行い、否決した」(1月31日「神戸新聞」)。これで処分場の候補地がなくなったが、「英国政府は『原発を新設する現在の方針は変えない。ほかの自治体が候補地に名乗り出てくれるよう働き掛けていく』としている」。何処も同じ、破局の先送りだ。

二 ベトナム
 原発輸出のために2010年10月、菅政権のバックアップの下、電力会社と原発メーカー総ががりで「国際原子力開発株式会社」が設立された。主な事業内容は、「原子力発電新規導入国における原子力発電プロジェクトの受注に向けた提案活動、および関連する調査業務等」となっている。同社のホームページを開くと、ベトナムが目前のターゲットとなっていることがわかる。
 2011年9月29日、ベトナム電力公社とのニントゥアン第2原子力発電所プロジェクトに関する協力覚書を締結している。覚書のなかに、ベトナム側から6条件が提示されたとある。①最新で実証済みで、高度な安全性をもつ原子炉の提供。②ベトナムの原子力産業の育成支援。③人材育成支援。④資金支援。⑤安定した燃料供給。⑥放射性廃棄物処分に関する支援。
 この内容からして国家的支援、つまり税金を投入しての原発輸出であることを物語っている。昨年10月29日付け東京新聞「東日本大震災の復興予算の不適切使用問題で、2011年度第3次補正予算に盛り込まれた復興予算のうち5億円を、経済産業省がベトナムへの原発輸出に関する調査事業費として支出していたことが本紙の取材で分かった」というのがそれだ。⑤や⑥の条件は、モンゴルのウランを使用することで乗り切れる。
 ベトナム中南部のニントゥアン省タイアン村は、「ウミガメが産卵に来る国立公園の海に隣接し、特産品のブドウやニンニクの畑が広がる静かな集落だ。同省内にベトナム初の原発4基が造られることになり、うち2基は、この1500人ほどが住む半農半漁の村で日本が建設を請け負うことになった。日本にとっても初の原発輸出である」(2012年7月13日「神戸新聞」)。なお、第1原発の2基はロシアが受注している。また、実質的な原発輸出第1号は台湾第4原発である。米国GEの契約だが、主要機器は日本製だ。建設から10年余、紆余曲折を経て、まだ稼働の目途が立っていない。

三 インド・その他
 原発を輸出するために定められた原子力供給グループ(NSG)のルールによると、輸出国は相手国から①事業内容や事業者の詳細な説明、②原発以外に転用したり再輸出しないという保証、③国際原子力機関(IAEA)の査察受け入れの確約、などを得なければならない。そのために2国間の原子力協定を結び、国内法を整備する必要がある。日本が現在原子力協定を結んでいるのは11カ国と1国際機関、米・英・加・豪・仏・中・韓・露・カザフスタン・ベトナム・ヨルダン、そして欧州原子力共同体である。
 現在締結交渉を行っているのが、インドや南アフリカなどである。インドは核拡散防止条約(NPT)に加盟していないが、ブッシュ政権が2008年に原子力協定を結んでいる。フランスとロシアがこれに続き、日本も遅れてはならじと締結を急いでいる。アジア、なかでも中国とインドは〝最大の潜在市場〟として世界の原発メーカーが受注獲得にしのぎを削っている。
 そのインド南部のクダンクラム原発1号機で燃料装荷が開始され、稼働を阻止するために数万の住民が非暴力の抵抗を行っている。「9月9日には住民3万人が原子炉施設から500メートルまで陸と海から接近、平和的な人間の輪で泊まり込み包囲をした。翌10日朝、州政府は1万人の武装治安部隊、警備艇、警備用軽飛行機なども投入、警棒殴打、催涙ガス発射、ついには実弾発砲で制圧に乗り出し、群衆への発砲で男性一名が死亡した」(「世界」2012年11月号)
 昨年3月、日本・トルコ両政府が原発輸出を可能とする原子力協定で実質合意、リトアニア政府と日立製作所が原発輸出で基本合意、4月にはヨルダン原子力委員会が三菱重工業と仏アレバの合弁会社に優先交渉権を与える。まさに怒涛の勢いというべき攻勢である。何しろ、「アジアや東欧、中東などの新興国でも、経済成長や人口増加で電力需要が高まると予想され、原発の開発計画が目白押しだ。国際原子力機関(IAEA)は30年までに世界で100万キロワット級の原発が130~170基増えると予測。原発を輸出の柱に据える韓国やロシアなどとの受注競争は激しさを増している」(2012年8月15日「朝日新聞」)

 この国では、政権交代があっても、誰が首相になろうと、大臣が短期でどんどん変わろうと、省庁施策の一貫性は揺るがない。官僚は優秀であり、議員のように人気を気にする必要もなく、法に守られながら○○ムラを操り利益追求に励んでいる。原発輸出の勢いが止まらないのも、宜なるかなである。
 しかし、この〝核戦争〟の果てに輸出国においてフクシマの再来を見るようなことになれば、輸出国は怨嗟の的となるだろう。子どもや孫たちのために我々が取りうる選択肢は、この戦争から降り脱原発を実現する以外ないのである。

伊藤正子(京都大学大学院准教授)研究室「ベトナム原発建設予定地周辺の写真」
http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/asia/chiiki/members/ito/gallery4.html
同「ベトナム原発輸出関連」http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/asia/chiiki/members/ito/n-power.html
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放射能からこどもを守ろう関東ネット
「原発事故 子ども・被災者支援法」の地域指定などを求め、関東ホットスポットの市民が三度目の省庁交渉


 昨年6月に議員立法として成立した「原発事故 子ども・被災者支援法」は、画期的な内容を持っています。原発事故をもたらしたことについて国の責任を認め、それまで支援の対象とはされなかった自主避難も含めて避難の権利を認める。子どもに対しては生涯にわたって国の責任で健康管理を実施する。医療費の減免などについては被害者側に立証責任を課すなどと言うことは行わない。住民の声を反映させる機会を設ける。そうした施策を通して、東京電力の原発事故がもたらした被害者一人ひとりの生活再建や健康管理を実現させることなどを謳っています。
 私たち関東ホットスポットに住む市民は、今後行われるこの法律の基本方針の策定において、福島県以外の関東ホットスポットも地域指定すること、この地域においても子どもと妊婦への長期的な健康調査を実施することを要求して、中央省庁との交渉を重ねてきました。
 1月16日に行われた三度目の交渉においては、それまで頑なであった国の姿勢にほころびが見え始め、関東ホットスポットの一部である茨城県北部での健康調査の必要性に言及し始める、放射線による障害はガンだけではなく免疫不全に起因する様々な疾病をもたらす可能性を認める、学校保健法に基づいてすでに実施している学校健診のデータの利用の検討を表明する、環境省が実施しているエコチル調査についても放射能障害を含めることが可能かどうかを検討する等々の、これまでには無かった反応が見え始めています(エコチル調査において放射性物質を加えることをこの後決定)。
 以下に、1月16日の交渉で省庁に手渡した要望書を掲載します。

■「原発事故 子ども・被災者支援法」の支援対象地域に茨城・千葉・埼玉のホットスポット地域を含めることの要望と、これまでの話し合いを踏まえての質問

 昨年6月に「原発事故 子ども・被災者支援法」が議員立法として全会一致で成立しました。
 この法は、原子力発電所の事故を発生させた責任が国にあることを明確に認めた上で、以下のことを謳っています。
・原発事故による放射線被曝の状況を明らかにするために、被曝放射線量の推計や評価を国の責任において行う。
・支援対象地域に住む者も、自主避難を選んだ者も、避難先から帰還した者も、適切な支援が受けられるようにする。
・事故当時、支援対象地域に住んでいた、あるいはいまも住んでいる子どもや妊婦(胎児を含む)の医療費については減免を行う。
・健康被害が生じた際の立証責任は被害者ではなく国に存する。
・事故当時、胎児及び子どもだった被害者は、一生涯にわたって健康診断、あるいは医療費の減免を受けられる。
・施策の適正な実施のために、施策の具体的内容に被災者の意見を反映し、施策を定める
 過程を透明性の高いものにするための措置を講じる。

 この法の成立は、福島をはじめとする東北の人々だけでなく、北関東に住む私たちにとっても大きな朗報でした。というのは、私たちが住む茨城県、千葉県、埼玉県にも、放射能汚染ホットスポットと呼ばれる地域が出現し、放射能汚染への対処を余儀なくされてきたからです。

 北関東のホットスポットに住む私たちは、事故の直後から大きな不安に直面せざるを得ませんでした。線量計を持っている市民は自ら測定をして、極めて高い放射線量であることを知り、同じ不安を抱いている市民に声を掛け合って、それぞれの自治体に放射線量の測定体制の確立や除染の必要などを訴えてきました。その成果もあって、多くの自治体で給食食材や農産物の測定、学校や幼稚園・保育園・公園などの除染、民地・民家の一部除染などが実施されることになりました。

 しかし、自治体の取り組みにはバラツキがあり、除染活動と言っても汚染された広範囲な地域の中のほんの一部のエリアにとどまっており、何よりも放射線の影響から子どもや妊婦の健康を守るための施策はほとんど手つかずのままに放置されています。

 関東地方のホットスポットに住む市民と自治体にとって大きな障害となっているのは、国の支援の不在です。市民はいま子どもの健康診断に自主的に取り組んでいますが、自費による受診のために大きな経済的負担を引き受けざるを得ません。自治体も厳しい財政をやりくりしながらの施策を講じており、市民の要求に十分に応えることが出来ません。自費による受診で甲状腺のしこりや嚢胞が見つかる子どもが多数現れ、学校検診のデータでは心臓に異常が発見された子どもたちが急増していますが、国からの承認を得られず、組織的な健康診断・健康調査の取り組みになっておりません。

「原発事故子ども・被災者支援法」は、日本のチェルノブイリ法とも呼ばれています。その理由は、冒頭に述べたこの法の画期的な内容を評価してのものですが、何よりもこの法が、国による現行の避難指示区域(年間追加被曝量20ミリシーベルト以上)では不十分であり、それ以下の線量の地域の住民(住んでいた者も含む)も支援対象に含めるべきだとの明確な意思に基づいて提案され、議論され、成立したという経緯の中に示されています。この法が、低線量内部被曝の危険性の認識、放射線から身を守るためには予防原則が重要だとの認識の上に立って制定されたことも明らかです。周知の通り、チェルノブイリ法では年間追加被曝量が1ミリシーベルトを超える地域は移住の権利が生じるゾーンとされ、健康診断や健康調査など様々な支援が行われています。

 原発事故によって引き起こされた被害の救済は、何よりも福島県など東北の被災地の人々に向けられるべきですが、その福島県と同程度ないしもっと高い放射線量で汚染されたエリアが北関東に存在することは、様々な機関の調査やデータからも周知の事実であり、見過ごされてはなりません。関東ホットスポットの被災市民、特に子どもや妊婦に対する国の支援の不在。この状況を一刻も早く克服するための真剣な取り組みが、いま求められています。

 そしてその手がかりは、まさに「原発事故 子ども・被災者支援法」として、いま国民と政府の手の中にあります。私たち、茨城、千葉、埼玉の放射能汚染ホットスポットに住む市民は、この地域を「原発事故 子ども・被災者支援法」の支援対象地域に含めること、そして子どもと妊婦に対する長期的な健康サーベイランスを事業内容として組み入れることを、下記の通り改めて要請します。

 同時に、この間の各省庁との話し合いの中で要請し、おたずねしてきた諸点に対して、回答を頂けるようお願い申し上げます。

                  記

<要請事項>
1.「原発事故子ども・被災者支援法」の基本方針策定においては、公衆の追加被ばく限度である、年間1ミリシーベルトを超える放射線被ばくを受けた地域(「放射能汚染対処特措法」の指定地域を含む)及び、事故後に初期被曝(放射性ヨウ素)を受けた地域を対象地域に含めること。

2.基本方針策定においては、事業内容として子どもや妊婦への医療モニタリングの継続的な実施を含めること。

<質問事項>
…略…

2013年1月16日

復興庁 御中
環境省 御中
原子力規制庁 御中
厚生労働省 御中
文部科学省 御中

【要望提出団体】(県別)     
放射能からこどもを守ろう関東ネット(茨城、千葉、埼玉)
小美玉市の子供を放射線から守る会
子供の未来を守ろう@うしく
子供を守る結城市民の会
下妻市の子ども達を守る会
常総市の子ども達を守る会
常総生活協同組合
生活クラブ生活協同組合 取手支部
つくば・市民ネットワーク
とりで生活者ネットワーク
古河市の子ども達を守る会
放射能汚染からこどもを守ろう@つくば
放射能汚染からこどもを守ろう@守谷
放射能汚染からこどもを守ろう@竜ヶ崎
放射能からいのちを守る茨城ネット
放射能NO!ネットワーク取手
八千代町の子ども達を守る会
我孫子の子どもたちを放射能汚染から守る会
鎌ヶ谷市放射能対策 市民の会
環境とエネルギー・柏の会
郷土教育全国協議会
こども東葛ネット
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自給エネルギーの会
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ちば放射能対策支援ネットワーク
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流山の子どもたちのために放射能対策をすすめる会
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放射能汚染から子どもたちを守る会・野田
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SCRmisato
放射能から子供を守る会@印西
茨城県・埼玉県南東部・千葉北西部の市民有志

連絡先 千葉県流山市鰭ヶ崎1479-31
阿部治正
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─生活保護費削減を考える──目的意識と戦略思考が不可欠

 安倍政権の13年度予算。人からコンクリート優先政治への先祖返りが鮮明になった。670億円の生活保護費の削減がその象徴だ。他方では、官公庁庁舎の建て替えで何十億、何百億円、企業支援のファンドとかなんとかで何百億円とかの大盤振る舞いなのに、だ。生活保護費の引き下げは、セーフティ・ネットの底抜けに繋がる性格のもので、弱者切り捨て政治に転換する許し難い暴挙だという以外にない。
 他方、弱者どうしの間で足の引っ張り合う現象も少なくない。身近な弱者どうしの敵対心を煽ることで、本当の対抗軸の所在から目を遠ざける統治手法の結果でもある。
 生活保護費問題に限らず、感情や思いをぶつけあうだけの閉塞情況を脱皮するための、戦略的視点の重要性について考えてみたい。

◆弱者たたき

 安倍内閣による生活保護費削減を含む予算案が提示されてから、賛否両意見が飛び交っている。危惧の声や批判的意見が多いものの、なかには同調する声も無視できない。
 批判的意見としては、生活保護の最後の砦としての生活保護費の削減は、被保護者の生活を直撃するばかりでなく、医療費負担や就学援助の削減、さらには最低賃金などに連動しており、多くの社会的弱者の生活をも直撃する、さらにはセーフティ・ネット全般の縮小に繋がるもので、今以上の格差社会をもたらす、等などだ。
 逆に同感する声はといえば、国民年金だけで生活する人や非正規などで働く正直者が低賃金などで苦しい生活を送っているにもかかわらず、国=税金に依存する被保護者のほうが優遇されているのは、常識に反しているし、モラルハザードを招く、といったものだ。
 中には次のような無視するわけにもいかない声もある。朝日新聞(2月6日)の声欄に掲載された無職66歳の女性の投書だ。その投書はいう。

「政府は生活保護の支給額引き下げを決めました。私は賛成です。もちろん国民は最低限の人間らしい生活を営む権利があります。しかし国民年金で暮らすお年寄りや、正社員になれず、人の嫌がるつらい仕事をして必至で働いている若者より、生活保護受給者のほうが生活が楽な場合があるという現実があるからです。……医療扶助……。どう見ても生活保護の方が守られています。少ない収入から年金保険を払い懸命に働いてきた人が、生活保護受給者より報われない生活をしている現状はおかしいし、働くより楽だから一生生活保護でいいという人も増える一方でしょう。支給額の引き下げだけでなく、支給蹴っても不正受給がないよう厳しくしてほしいと思います。」

 この投書のような思いを抱く人は、少なからず存在するのだろう。しかもそれが現実の一面を見ていることも事実だ。朝日新聞は翌日の7日にもパート52歳女性からの同じような「声」を連日に渡って掲載した。それだけ多くの声が寄せられ、無視できないとの判断からだろう。その投書も次のようにいう。

「生活保護費の支給額減額が段階的に行われることに賛否がある。年配者、障害者、母子家庭など本当に必要な人が大半を占めるのは間違いない。最低限の生活を保障する制度だから減額すべきでない。果たしてそう言い切れるだろうか。
 子どものいる4人家族の支給額28万円は果たして最低限なのか。年配者の単身者の支給額も、国民年金の満額受給額より多い。正直者が損をする制度だと思ってしまう私の心は貧しいともいえる。
 それでも今後まじめに働くより、高い年金保険料を払って受給するより、生活保護費をもらう方がよいと考える人が出てもおかしくない金額ではないか。

 この投書の文面だけ見れば、確かにその通りだろう。
 ところで、生活補助というのは生活扶助、住居扶助、教育扶助、医療扶助など8つの柱で構成されている。今回の主たる削減はそのうちの生活扶助で、いわば生活保護の本体部分にあたる。給付額については地域差があり、高いところでは東京都の借家住まいの4人家族で28万円。ただし、単身世帯では7万円程度、4人家族でも22万円ぐらいで、高すぎるとはいえない。
 受給者の情況はといえば、長期失業者もいるが傷病者、高齢者、妊婦、母子(父子)家庭が圧倒的に多い。それら受給者の多くは病気や障害など、何らかのハンデによって働くことができず、あるいは貯蓄も使い果たしてやむなく受給者になる。
 それに受給者が全員満額受給してるわけではなく、収入があればその分は差し引かれる。確かに、通院のための長距離タクシーの常用などで生活保護費をだまし取るなど不正受給も横行している現実があるが、それでも全体の0・4%だという。怠け者やずるい受給者など、ごく一部での話だ。
 生活保護の最大の問題は、生活保護費の支給額より少ない収入にも関わらず、その権利を行使していない、できない人が大勢存在することだ。受給者は社会からの脱落者だという本人と世間の目など旧来型の否定的な理解に基づく躊躇、それに権利行使の方法を知らないなど申請の機会に出会わないままのひと、あるいは所管の役所での門前払いなど、理由は様々だ。これらの生活保護対象者(世帯)以下での生活を余儀なくされているケースの解消こそ、喫緊の課題であることは間違いはない。日本では貧困率の割りに受給者が少ないとか、GDPに占める生活補助費も少ないとか、むしろ生活保護制度の貧弱国でもあるのだ。

◆扇動と分断

 上記の投書にも見られる批判的な見解の特徴は、国民年金受給額の低さや派遣など非正規労働者の低処遇と生活保護受給者の受給額を単純に比較し、その理不尽さ、不当性に怒りを向けているところにある。確かに受給額だけみれば疑問を持って当然だ。しかし、その逆転現象は、それぞれの制度が時代の推移に取り残されてきた事によるところが大きい。
 たとえば、国民年金は、農家や自営業で定年年齢を超えて収入が見込まれる人を想定してつくられた経緯もある。パート・アルバイト、あるいは派遣労働者などに適用されている最低賃金は、サラリーマンなどの扶養控除の範囲内で働くママさんパートや高校生などの小遣い稼ぎのアルバイトを想定したまま極めて低いレベルに据え置かれてきたことなどが原因だ。そうした制度が様変わりしてしまった社会の現実に追いついていないのだ。状況の変化に合わせて改善・充実すべき制度を、財界などの抵抗で実現してこなかったところに今の逆転現象があるのだ。

 安倍内閣が生活保護費を減らしたことには複線がある。発端は、お笑いタレント家族の生活保護需給の実例、及びそれをたたく国会質問だった。話題になりそうな事例を取り上げることで、自分たちの政治的思惑へと世論誘導すること。それがあのお笑いタレントたたきでも繰り返された。一部の生活保護の不正受給(?)をことさらやり玉に挙げることで受給者全体への反感を煽ること、それをテコに生活保護費や社会保障給付全般の切り込みを容認するような世論を作り上げること、をだ。背景には自民党の「家族責任」「自己責任」という、社会保障を社会的コストとしか見ない立場からその圧縮を目論む政治的立場がある。弱者切り捨て政治が、その根底に横たわっているのだ。

◆目的意識と戦略思考

 賛同意見の特徴を一言で言えば、政治や社会に対する不満・不信を身近な弱者を敵視することで解消する、というメンタリティーである。直接的な感情、あるいは建前抜きの本音ともいえる。こうした寒々しい感情のぶつけ合いを見ると、あらためて弱者どうしが個々バラバラにされている情況に胸が締め付けられる。
 そこで問われるのは、年金制度や最賃制度をどう改善・充実するか、という課題だ。逆転現象にばかり目を向けていてはそういう課題とその改善に目が向かない。いはば思考停止だ。むしろ政治の側でそれを意図的につくりだしてきたのが実態なのだ。
 こうした場面では、素直な実感以上に建前こそが重要になってくる。直接的な感情・本音を一端咀嚼し、そこから一歩踏み出し、現状を主体的に変えていくという目的意識とそこからの一歩の行動が大事なのだ。そのためには全体情況と具体情況を整理して、手順を踏んで解決するという視点が不可欠になる。その先に見えてくるのは、弱者の大同団結こそが現状を変える最大の武器だ、という解決策であるはずだ。
 身近な弱者を敵視するというメンタリティーの対極にあるのはあの米国で始まったオキュパイ運動だ。その感性こそ見習いたい。1%の理不尽な富の強奪者に対する99%の奪われたものによる連携した闘いを呼びかけているからだ。
 7日の「声」欄の投稿には救いと展望が含まれている。それは同時並行的改善を呼びかけているからだ。後段では次のようにいう。「今、若者や非正規雇用者の低賃金が社会問題になっている。最低保障金額に満たない賃金で働く人たちがすべて生活保護受給者予備軍であると言っても過言ではない。そうならないために生活保護費のきめ細かい見直しや、低賃金労働者の雇用条件向上を合わせて検討すべきだ。」
 弱者の大同団結のためにも、主体的、戦略的思考が不可欠だ。(廣)案内へ戻る


沖縄通信 NO32・・・映画「ひまわり」

 1月12日、うるま市を皮きりに、沖縄で注目の映画「ひまわり・・沖縄は忘れない、あの日の空を」の一般公開が始まった。
 2011年、「製作を成功させる沖縄県民の会」が発足し、多大な制作費のために製作協力券を発行し、多くの支援・協力を受けての映画完成と上映活動となった。
 上映を待ちかねていた多くの人たちが上映会に詰めかけている。上映会場では「ヤッサー ヤッサー」と声をかける人、すすり泣きする人、上映終了後拍手が鳴り止まないなど、反響がすごい。県内では全市町村での上映をめざし、3月・4月と上映会が続く。
 沖縄県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦から14年後の1959年6月30日、午前10時40分頃、嘉手納飛行場を離陸した米軍ジェット機が突然、石川市(現うるま市)の住宅街へ墜落し、民家を押しつぶしながら、宮森小学校の教室に炎上しながら激突した。住民6名、学童11名(後に後遺症で1名死亡)の尊い命を一瞬に奪い、重軽傷児童154名、住民56名を出す大惨事となった。そこはまるで地獄のような光景だった。
 沖縄戦で多くの命を失った県民にとって子どもたちはまさに希望の星であった。基地さえなければ尊い命を犠牲にすることもなかったと、遺族をはじめ県民の嘆き悲しみは尽きることなく、53年たった今日まで続いている。
 上映後のアンケートに、「多くの人にぜひ見てほしい」「本土でも上映してほしい」等の声が書かれている。
 本土でも、東京・新宿武蔵館では1月26日より、大阪・梅田ガーデンシネマでは2月9日より上映が始まっている。今後、順次全国で公開される予定。上映日程は、ホームページ「ひまわり」で見ることができる。今日の沖縄の現実を知る意味でも鑑賞をお勧めする。(富田 英司)

★「映画『ひまわり』を成功させる沖縄県民の会」からの呼びかけ。
 映画「ひまわり」の完成を報告できますことは、私たち「映画ひまわりを成功させる沖縄県民の会」として、感動で胸が一杯です。
 一年数か月前、私たちは宮森小学校の米軍ジェット機墜落事故及びその記憶を決して忘れてはならないとしてまとめられた「石川・宮森630会」による三冊の証言集「沖縄の空の下で」を、現在の沖縄そしてこれからの沖縄を考える原点と考え映画化するために集まりました。・・・
 戦後67年が経過した沖縄は今も戦争が終わっていません。基地を飛び立つ戦闘機や米軍ヘリ、オスプレイが常駐し、昼夜を問わず訓練を続けています。いつ事故が起きるかわからないのが現実です。米兵による事件・事故も後を断ちません。
 この映画に込められたメッセージは、人間にとって最も大切なものとは何かという問いかけと、私たちの記憶や体験は、いつか消えていくけれど、どうしたら次の世代にその記憶は受け継がれていくのか。戦争も基地も人間がつくったもの、ならばそれらは私たちの努力で無くすことができるはず、それが現代を生きる私たちの役割ではないかという問いかけではないかと思います。・・・
 この映画には沖縄県民の思いがこめられています。また、全国の皆さんのご支援もいただきました。エキストラを含め一千人近い方々が製作に参加しています。・・・
 何よりも、「ひまわり」の製作を支えて下さった多くの県民の皆さんに心からの感謝を申し上げます。
 一平少年のさしだした一本のひまわり、ここに込められた「いのちのバトン」は、私たち一人一人に手渡されていると思います。
 スクリーンからあふれてくる、いのちの賛歌、平和への願い、未来への希望が一人でも多くの方々に伝わりますよう今後の上映活動にもお力を貸していただけますようお願いを申し上げます。  <会長・加藤彰彦>


ブックレット紹介 『不思議な不思議なモーリシャス』

本誌に時折投稿していただいているジョージ石井氏より、旅行記ブックレット(20~30ページ)が送られてきましたので紹介します。本ブックレットの他、『キプロス鎮魂の旅』『おじさんの43日間世界一周』『未知のアルバニアとモンテネグロ』『秘境レソトとスワジランド』です。ブックレットは、ジュンク堂池袋店の旅コーナーに置かれているほか、「地球旅遊─ONLINE」のホームページの通販ページから申し込みができるそうです。
 氏は、個人的・家庭的な過酷な体験もあって、家族会の交流やお遍路など続ける傍ら、普段の生活を切り詰めながら未知の世界の発見と癒しの旅を続けてきました。また日常的には脱原発の取り組みなど地域での活動にも精力的に取り組んでいます。案内へ戻る


コラムの窓・・・「関電の傲慢」

 いま、関電のホームページを開くと、「電気料金の値上げに関するお願いについて」の一文が掲載されています。それは「このたび弊社は、火力燃料費の増加等により」に始まり、「何卒、ご理解を賜りますようお願い申し上げます」と締めくくられています。要するの、火力発電用の燃料代がかさむので電気料金を値上げしたいという内容です。
 ついでに、こんなことも書いています。「弊社は、今後も引き続き、安全確保を大前提に原子力の再稼働に全力で取り組むとともに、聖域を設けず、さらなる徹底した経営効率化に最大限の努力を積み重ねながら、最大の使命である電力の安全・安定供給に全力を尽くしてまいります」
 ナニトドゴリカイヲといわれても、「原子力の再稼働に全力で取り組む」としている以上、理解できるわけがありません。しかも、〝聖域を設けず〟経営効率化に努めるというのが大ウソとあっては、1円たりとも値上げを認めることは出来ません。そもそも、〝火力燃料費の増加等〟の内訳はどの様なものか、これが問題です。
 1月25日、若狭連帯行動ネットワークが30余の共同提出団体を募って、関電八木誠社長あてに「電気料金値上げ申請に関する関西電力への要望と公開質問書」を提出しました。そこでは、関電の大赤字の原因は「原発を基軸電源として推進し、石油火力のLNGへの転換を遅らせてきた電力会社の経営責任」だと、八木社長を追及しています。
 さらに具体的な疑問点として、まず第1に日本原子力発電への電力料支払いがあります。3基ある原発(活断層ありとされている敦賀の2基と東海の1基)が全く稼働していないのに、日本原電の「今年上半期売上高(連結)は762億円で、純利益が過去最高の209億円だと報じられています。これは関電を含めた5電力会社が基本料として755億円を支払ったからです」
 関電は2011年度、日本原電に約341億円(5社合計1443億円)支払っています。この年の日本原電の原発節部料率は4・6%、5社の購入電力量は約10億キロワット時、従って購入単価は何と144円です。こんな支払いがまかり通り、その費用が電気料金に入り込んでいるのです。直ちに、まともな契約に改められるべきです。
 次に問題なのは、「原発の固定費が巨額であり、原発の設備利用率が下がると経営危機に陥るという脆弱な電力供給構造」です。これを数字で見ると、発電電力量は原子力2010年度670億キロワット時、2011年度323億キロワット時、営業費用は3865億円と3265億円。つまり、発電はほぼ半減したのに、費用はわずかしか下がっていないのです。
 11基もの原発を擁する関電、どこまで行ってもこの泥沼から抜け出すことは出来ません。ならば、1日も早く脱原発へと踏み出すべきだと思うのですが。ここには、原発の発電構成比率を50%に高めようという無謀な経営方針を立て、老朽石油火力(原発のバックアップ電源)からLNGコンバインドサイクルへの更新を先送りしてきたツケが重くのしかかっているのです。
 もっと腹立たしいのは、顧問の人件費や車台まで電気料金原価に含めていることです。
神戸新聞(2月6日夕刊)によると、関電は秋山喜久元会長ら14人の顧問の給与1億4000万円のほか、「顧問の車や、本店ビルの執務室、応接室の経費を『賃貸料』などとして原価に参入していた。顧問のスケジュール調整をしている秘書の給与は『人件費』に含めていた」
 公開質問書は次のような指摘で締めくくられています。「貴社の場合、2012年3月末で2兆3151億円の送配電・変電資産がありますので、これを売却して、発送電分離と公正・中立な送配電ネットワーク樹立に貢献し、電力自由化と再生可能エネルギーの普及を推し進めるのが、公益事業を担う企業としての責務だと私たちは考えますが、いかががですか」
 我が家は団地の借家住まいゆえ、太陽光パネルも取り付けられないし、大阪ガスの発電(家庭用燃料電池のエネファーム、ガスエンジン発電で給湯・暖房も行うエコウィル)も利用できません。慇懃無礼で傲慢な八木誠の関電から電気を買い続けなければならない悔しさをどこにぶつければいいのか、いっそ沖縄にでも引越せば原発由来の電気から逃れることが出来るのだけれど。いえいえ、何としても大飯原発3・4号機の停止をめざすべきでしょう。 (晴)案内へ戻る


色鉛筆・・・ 袴田さんの再審開始と無罪釈放を!!

 1966年清水市(現静岡市清水区)で一家四人が殺害された袴田事件の第二次再審請求で、犯行時の着衣とされた(5点の衣類)についた血痕のDNA型鑑定を巡る4回目の尋問が静岡地裁で1月28日に行われた。
弁護側・地検側がそれぞれ推薦した鑑定人二人の尋問は昨年11月から計4回、非公開で行われ、DNA鑑定を巡る証人尋問は今回で全ての日程が終了した。犯行時の着衣とされるこの衣類から、両鑑定ともに「袴田さん」「被害者」の型は検出されなかった。これによって“再審開始のための要件”は充分に満たしたにもかかわらず、検察側は自分で自分の鑑定が「信頼できない」、だから弁護側の鑑定も信頼できない(前回12/26)と発言。今回は「言い過ぎだった、撤回する」などとのらりくらりと再審開始の阻止を企んでいる。 1月28日の尋問終了後に開かれた三者協議(裁判長・弁護側・検察側)で、村山浩昭裁判長は、双方が鑑定に関する意見をまとめた上、3月29日までに提出すること、検察側に対しては弁護側が開示を求めている証拠に関し、その存在の有無と開示するか否かについての回答を3月1日までに明らかにするよう求めた。
       ◇ ◇ ◇
犯行時の着衣とされる「5点の衣類」(ズボン・ステテコ・緑色のブリーフ・スポーツシャツ・半袖シャツ)は、証拠捏造の疑いが非常に濃いにもかかわらずこれを証拠として1968年に静岡地裁は死刑判決を言い渡した。
 事件発生の4日後、清水警察は袴田さんの部屋から肉眼では見えないほどわずかな血痕しか付いていないパジャマを押収し、マスコミには「血の付いた衣類を発見」と、大々的に発表。その直後に逮捕し、拷問に近い取り調べで虚偽の「自白」をさせている。
 ところが一年二ヶ月後(一審公判中)、事件のあった味噌工場のタンクの味噌の中から5点の衣類が「発見」され、その12日後には袴田さんの実家の捜査に赴いた警察官がこのズボンの共布を「発見」する。
こうして「自白」では犯行時はパジャマだったはずが、1年二ヶ月後には5点の衣類に替わり、それを証拠に死刑判決が下された。
 2008年の最高裁判所は、特別抗告棄却決定書の中で「5点の衣類は、長時間味噌の中に漬け込まれていたものであることは明らか」と断定している。それならばと袴田さん支援者らが実験してみると、それはわずか20分で出来ること、さらには1年以上も味噌漬けにしたら、元の生地の色も血の色も真っ黒になって、現在開示されているものの様に鮮やかな血の色は残せないことが明らかとなった。
 ステテコにはズボンよりも広い範囲にたくさんの血が付いているが、この不自然さを2004年の第一次再審即時抗告審の東京地裁は「犯行途中でズボンを脱ぐこともありうる」などと言う笑えないこじつけで抗告棄却をしている。
素人でもちょっと調べれば明らかになることが、うやむやにされたり排除されたりする。 司法は自らに不都合な事実や悪行が白日のもとにさらされるのを恐れて再審の阻止をしているのか。
 「元ボクサー」という差別意識からの犯人視、人間性破壊の取り調べで無実の人が「自白」、証拠捏造をしてまでも犯人に仕立て上げる――袴田さんの逮捕から半世紀、同じ過ちを繰り返している。警察・検察・裁判所の体質は変わっていない。
◇ ◇ ◇ ◇
現在、確定死刑囚には面会や文通は厳しく制限されており、袴田さんの手元に届くか否かはわかりませんが、手紙やハガキを書いておくって下さいとの呼びかけがあります。
 『袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会』事務局は、袴田さんへの励ましと同時に、「誰でも面会や文通をさせてほしい」という要求を法務省に対して示す根拠となると説明しています。
送り先
 〒124―0001 葛飾区小菅1―35―1A 東京拘置所内
        無実の死刑囚  袴田巌様          (澄) 案内へ戻る


気になったコマーシャル

 久しぶりにTVにはりつくことのできた1月27日の日曜日、大同生命のコマーシャルだが、〝ずーっと中小企業を応援してきた大同生命〟のいうことにや、〝長生きしている中小企業はみな家族主義を貫いている〟という。
 私は三島由紀夫氏の「絹と明察」を思い出した。この小説は近江絹糸の争議を取材したもの。この会社の社長の言〝社長は親、社員は子〟という。長屋の家主と店子の関係じゃあるまいに、近江絹糸という会社の労使間の争議について、争議参加者の背後にまわり、家族主義のおネバでくるみ、破ろうとしたのだが、さわやかな争議参加者は動じなかった。
 三島はこの争議に注目し、家族主義を超えて進むことをハンバーガーをかじりつつ、生きる若者たちに今後の変革を期待すると結んだ。
 大同生命はカネの活用の対象を中小企業とみているらしい。そして家族主義をふりまわす。私は若者たちが、それを超えて進むほどにたくましく育ってもらいたいと願っている。2013・1・29  大阪 宮森常子
  
編集あれこれ

 世論調査では支持率が上昇しているという安倍晋三首相、あの選挙前から〝次期首相〟として、本紙でも毎号1面で登場しています。勿論、その右翼思考を批判し、改憲と軍事化への警鐘を鳴らしてきました。組閣後は〝アベノミクス〟という土建・利権政治への回帰を批判してきました。
 前号2・3面で、これを「企業にご馳走、ツケは労働者・弱者に」と表し、巨額の財政出動は企業の懐に収まり、私たちに残されるのは国家債務の更なる増大と、その圧力による消費税増税・庶民増税だと述べています。実に見え透いた手品ですが、怪しげな経済学者が太鼓判を押せば、マスコミがこれを持ち上げ、庶民も信じようとしてしまうのです。しかしこの場合、信じる者は救われません。
 4・5面ではモンサントの危険なGM種子について、3本の映画が紹介されました。これがTPPとも関連すること、日本がTPPに参加すれば全面的な門戸開放を迫られるだろうと指摘しています。これに関連しているのが、2月1日から実施された米国産牛肉の輸入規制緩和です。
 これは牛海綿状脳症(BSE)対策として、米国産牛肉の輸入を認める対象の牛の月齢を20カ月から30カ月までに拡大するものです。昨年10月、内閣府食品安全委員会が規制を緩和しても「人の健康リスクへの影響は無視できる」という答申を厚生労働省に提出していました。これが本当に安全なのかどうか、残念ながら私の知識では判断できません。一方で、この輸入規制緩和はTPP参加を先取りするものだという批判もあります。
 さっそく、2月2日の「神戸新聞」に「米国産牛 スーパー対応二分」という記事が掲載されています。積極派「仕入れ増やす」、消極派「豪州産で十分」。積極派のイトーヨーカ堂は「米国産は日本人がこのむ量の脂肪が入っていて味が良い」といい、コープこうべは「米国産も豪州産も価格はほとんど変わらない。価格メリットがないので、BSEの発覚以来扱っておらず、今後も対応は変らない」とのことです。
 更に、イオンは輸入牛肉は自社農場の豪州産が中心で米国産の扱いは消極的とか。「傘下のマックスバリュー西日本(広島)も同様で、関西スーパーマーケット(伊丹市)も仕入れの計画はない」そうです。なるほど、同じスーパーでも微妙に違いがあるということで、賢い消費者はそうした姿勢の違いを見極める必要があるのです。ちなみに、外食産業は歓迎ムードで、吉野家などはほぼすべて米国産牛肉だとか、やはり300円出せば食べられる牛丼は止めた方が無難なのか。
 8面で郵政の非正規労働者の闘いが紹介されていました。今やすっかりブラックな企業としてその名が定着した日本郵政、そして、こちらも堂々の御用組合と化したJP労使の春季生活闘争方針を見ると、「組合員の切実な声としての署名を会社へ提出し、要求実現に向けさらに交渉を強化する」とあります。この署名は全組合員の力を結集するために、組合員だけではなく家族からも集めるそうです。
 郵便の職場では、正規職が退職してもあと補充はなく、非正規職が増え続けています。その非正規職はほんの些細なミスでも大幅な時給の切り下げが横行しているのです。まして〝人事・給与制度改革〟という恣意的評価による更なる処遇劣化が進もうとしているのに、組合員に賃上げお願い署名でもさせるつもりなのでしょうか。
 組合側がこんなに体たらくだから、経営側は安んじて〝賃上げ要求は無責任〟などとほざけるのです。経団連副会長にして日本郵船会長宮原耕治氏は次のように述べています。
「企業の支払い能力を無視して先に賃金を上げるという要求は、あまりに無責任だ。環太平洋連携協定(TPP)やエネルギー問題のめども立たない中、企業はまだ日本でどんどん投資をやっていけるという確信はない」「日本の賃金は国際水準ではトップレベル。アジア各国との競争を考えた場合、みんなの賃金が一緒に上がるのは時代遅れで悪平等だ」(2月2日「神戸新聞」)
 闘うことなくして何が得られるのか。6~7面の「レ・ミゼラブル」の映画紹介も含め、本紙前号は安倍政権や総資本との闘いを呼びかけるものとなっています。 (晴)案内へ戻る