ワーカーズ505号 2014/2/1  案内へ戻る

ひっくり返そう、企業優遇政治  -安倍逆流政治への包囲網を拡げよう!-

 アベノミクスで見かけの経済を膨らませながら、偏狭なナショナリズムや国家優先・軍事優先政治を推し進める安倍政権。昨年末に行われた名護市長選での稲嶺候補の勝利は、その安倍政治への痛打となった。露骨な札束による買収選挙をはねのけた沖縄や名護の人々の闘いを、これからのあらゆる闘いに引き継いでいかなければならない。
 昨年末の特定秘密保護法の強行で支持率が急落した安倍内閣だったが、いまだ底堅い支持を集めているのも確かだ。反面、このところの地方の首長選では福島や山口など、自民党推薦候補が軒並み落選している。これらはアベノミクスで演出したうわべの空景気の底流では、政権批判のマグマが膨らんでいる証左でもある。
 2月9日が投票日の東京都知事選でも自民党候補をなんとしても敗北に追い込んでいきたい。原発の比率を下げると時間稼ぎしながら、実際は原発回帰に突き進む安倍政治、〝積極的平和〟や〝開かれた対話のドア〟を語りながら、実際には国家間対立を煽りながら軍事優先政治を突き進む安倍政治、〝よりよい暮らし〟を語りながら企業優遇政策を連発する安倍政治に、ノーの鉄槌を突きつけなければならない。
 1月24日には通常国会が始まった。問われているのは予算案に示された企業優先政治を許すのか否か、空景気を煽る背後で、秘密法や集団的自衛権などで「戦争ができる戦前体制」に逆もどりさせるのを許すのか否か、だ。
 アベノミクスの金融緩和や財政出動で円安株高が進行しているが、が、それは一皮むけば新たなバブルでもある。輸出産業など企業利益は膨らんでいるが、庶民はガソリンや電気代、それに輸入食料品などの値上がりで生活が直撃されている。財政ではコンクリートや軍事費などに大盤振る舞い、国土強靱化という看板での既得権政治がまかり通っている。成長戦略でも同じだ。多くのメニューは特区構想など各省庁と結託した企業活動への便宜でいっぱいだ。
 負担は誰が負っているのか。消費増税で庶民に負担増を強いる一方、企業への復興特別増税は前倒しで廃止された。今後も法人実効税率の引き下げなど、露骨な企業減税のオンパレードだ。他方では、内需拡大に繋がる労働者の賃上げなどはかけ声止まり。執拗に画策するのは、労働者の雇用破壊をもたらす派遣労働の拡大や残業代ゼロ、限定正社員制度の導入など、働者の処遇悪化に繋がるものばかりだ。
 アベノミクスの口車に踊らされているわけにはいかない。労働者の雇用や処遇改善は、政権のかけ声で実現するものではない。労働者が自ら奮起し、連携した闘いで勝ち取る以外にない。
 脱原発や不安定・低処遇の非正規労働者の処遇改善の闘いという目の前の切実な闘いを拡げていくことで、安倍政治に対抗する突破口を開いていきたい。(廣)


非正規労働者
 雇用の権利と均等待遇を確立しよう!──使い捨て労働者の拡大は許さない!──


 通常国会が始まったが、補正予算や一般会計で露骨になった企業優先の安倍政治との攻防戦も正念場を迎える。特定秘密保護法の追求、集団的自衛権の容認、原発回帰の安倍政治を押し戻す闘いも急務だ。
 他方で、安倍政権のもとで進められようとしている雇用の劣悪化に繋がる施策も大きな課題だ。労働者が自ら闘いに決起することで、安倍政治への反撃を拡げていきたい。

◆ここでも逆流

 安倍政権のもとで、企業の意向を反映した雇用の規制緩和という逆流が止まらない。安倍政権は賃上げなどで利益の一部を労働者に還元することを企業に要請する一方で、解雇自由原則の導入、解雇での金銭解決、裁量労働制(=ホワイトカラーエグゼンプション)の拡大、派遣規制の見直し、限定正社員の導入など、企業にとって使い勝手の良い労働者づくりのための雇用の規制緩和を進めようとしている。なかでも目の前の雇用破壊の策動に対しては、国政レベルでも現場レベルでもすべての労働者による反撃が急務だ。
 その一つは、政府の成長戦略にも明記された派遣労働の緩和だ。現行の労働者派遣法では、同じ事業所で同じ派遣労働者を働かせられるのは3年が限度になっているが、これを働き手を代えればずっと派遣労働者を雇えるようにするというものだ。厚生労働省の審議会が、最終案を12月17日に労使の代表者に示し、今国会での成立を目指しているものだ。これが認められればますます派遣労働が拡大され、労働者どうしの間での格差も拡大されるのは避けられないだろう。
 次は、これも厚生労働省の審議会で議論されてきたいわゆる〈5年ルール〉の例外づくりのもくろみだ。現行の労働契約法では、契約社員でもパートでも5年続けて同じ事業所で働いてきた人は期限のない働き方を選べるというもので、昨年4月に導入されたばかりのものだ。この権利に例外をもうけようというのが、今回の改正案だ。これも非正規を非正規のままでずっと働かせたいという企業の思惑を体してのものだ。
 例外の対象として一定以上の〈専門知識〉〈高収入〉の人を対象とするとしているが、どのレベルで線引きするかを詰めながら3月上旬までに労働契約法の改正案を出す予定だという。
 〈5年ルール〉など、有期雇用労働者の雇用改善に繋がる制度の導入は、次に見る派遣労働の規制と同じで、リーマンショック後の派遣切りなどの雇用破壊の拡がりを受けて、民主党政権時に雇用の規制を強化する試みとして導入されたものだった。当然のこととして5年を経過する前の雇い止めの横行などが予想されるように実効性はなきに等しいものだった。が、そのわずかばかりの規制さえ邪魔者扱いし、企業にとってより使い勝手の良い雇用制度にしたいというのだ。
 この改定によって派遣労働が際限なく拡がりかねないという労働者側の危惧を受けて示されたのが、組合の意見を聞くだけという制度から労組が反対すれば〈再説明〉する、という改定案だ。これでは現状の労使関係になかでは歯止めになるような代物ではなく、まったく形式的なものでしかない。この労働契約法の改正案も、この通常国会に提出するという。
 次は日雇い派遣の緩和だ。現行では短期間の日雇い派遣は原則禁止とされているが、これを緩和して短期間派遣を拡大できるようにする、というものだ。現行の日雇い派遣の規制も、派遣切りの横行を受けて規制強化されたものだが、ここでも企業の要求は止まらない。その拡大は現行では〈世帯収入が500万円以上〉等の条件があるが、それをもっと引き下げて低所得者にも拡大しようというのだ。企業の野望は止まるところを知らない。

◆労務ムラ

 企業が有期雇用や派遣労働の拡大を追い求める理由ははっきりしている。いつでも雇い止めにできる、低コストの使い勝手の良い労働力を増やすことで企業利益を増やすことだ。その結果はすでに出ている。あの年越し派遣村などで浮かび上がった非正規労働者の悲惨な働きぶりと暮らしぶりの蔓延だ。
 その派遣労働や非正規労働は、製造業派遣に道を開いた小泉政権時代の雇用の規制緩和を期に急激に拡大した。いまではパート・アルバイトを含めて、非正規労働者が全雇用者の4割近くにまで増えている。その結果が不安定・低処遇の故に結婚できない、家庭を持てない、あるいは生活保護を受けざるを得ない若者の増大だ。安倍政権は、派遣など非正規労働の拡大がそうした事態をもたらすことを分かっていながら、いままた非正規労働の拡大に執着しているのだ。
 これらの雇用破壊のもくろみは、厚生労働省の審議会を舞台に画策されているが、そこで目立つのが経営者側と一体になって雇用破壊に手を貸している専門家と称する学者や有識者だ。ここでも原発ムラと同じような政官学業が結託して雇用リストラを進める労務ムラ、リストラ村が暗躍する構図が見て取れる。

◆均等処遇

 現状では非正規労働の拡大は、残念ながら不安定・低処遇労働者の拡大とイコールである。それだけ非正規労働者と正規労働者の処遇に開きが大きいからだ。正規・非正規労働者の分断は労働者の団結・連携を妨げ、結果的に全労働者の利益を妨げている。
 現実には、正規労働者にとっても人ごとではないはずだ。不安定・低処遇労働者の拡大は、それだけで正規労働者の処遇を引き下げる重りのように作用し、その影響は直接的にも大企業の追い出し部屋やベンチャー企業に多いブラック企業の拡がりをもたらしている。こうした事態は、正規・非正規への分断と裏腹の関係にある。
 正規労働者の一部には、非正規労働者の存在が自らの雇用の安全弁や高処遇の前提だとの本音も見え隠れしている。しかしそうした正規労働者でも、明日は自分が追い出し部屋に追い込まれるかもしれないし、非正規に追いやられたりするかもしれないし、あるいは自分の子どもが非正規労働者になる確立も半分近くあるのだ。
 非正規労働者の雇用の権利や均等待遇を闘い取ることは、全労働者の共通課題なのだ。(廣)
案内へ戻る


コラムの窓  2014春闘・・賃金が上がることは良いけれど?!

 今年の春闘は、安倍首相が「日本はこの15年のデフレの間に物価が下がる以上に給料が下がってきた。このデフレから脱却をする上においても、給料が上がっていくことが非常に重要なことだ」と、企業に賃上げを促し、トヨタ自動車や日立製作所等の大手企業も賃上げに前向きな姿勢を示し、連合もベースアップ(ベア)の要求は5年ぶりに、定期昇給分に加え、1%以上の賃上げを統一して要求する方針を決めるなど、政・財・大手労組が賃上げに向け走り出している。
 安倍首相はこれまで大胆な金融政策、機動的な財政出動、民間需要を喚起する成長戦略の「3本の矢」による経済政策(アベノミクス)を推し進めているが、アベノミクスの成功のためには「経済の好循環実現」が不可欠で、法人税の減税などをする政策を進め、減税分を従業員に還元し、個人消費の拡大が「好循環」を継続的にもたらすと企業に賃上げを促した。
 財界は、自動車・電気・金融関係の大企業はアベノミクスによる金融政策や財政出動によってもたらされた、為替相場の円安効果等によって高利益をあげ、「業績好調な企業は収益を賃金の引き上げに振り向けることを検討」と、賃上げについて「ここ数年と異なる対応も選択肢」として、ベア容認を打ち出し、デフレが長引き、景気低迷が続いた従来のベアについて「実施の余地なし」とは違う姿勢を見せている。
 連合は、景気の回復と継続性のためには「消費の拡大」が必要と5年ぶりにベアを要求するが、要求水準は1%以上、2月上旬から各労組が経営側に要求書を提出して春闘が本格化し、3月に経営側が回答する流れになる。
 政・財・連合(労組)が同じ「経済の好循環実現」の為に賃上げが必要と「政労使会議」で、協力して賃上げを進めることを確認したのだから結構なことで、多いに弾んで貰いたいものだ!。
しかし、政府は大量の借金財政の中、国民への増税を当てにした財政出動によって得た利益を還元すべきだとする「経済の好循環実現」とは、借金でこしらえたカラ景気で少しの施しをし、その後に増税という負担を強いることではないのか!。
 賃上げが「経済の好循環実現」に繋がるというなら、大幅な賃上げが何故今まで行われてこなかったのか?過剰生産や景気低迷は何故起こるのか?商品経済の中で、大量に生産した商品(生産物)を消費する為にはその商品を買ってくれる人、消費者(労働者)の購買力(商品を買う賃金)はどれほどあれば良いと言うのか?
 単純化した(労働者が生産した)商品の中味は、材料費などと共に賃金も含まれ、労働者が労働で付け加えた新しい価値(利潤)を含んだものとして商品代金がつけられる。
 生産した商品の中には資本が前投資した材料費や賃金分が含まれており、売るという過程で企業はその分を回収することができるのだから、生産した商品の一部分の賃金ではその商品を買うことができない。損を覚悟して商品代以上の賃金を支払う企業はないし、儲けを増やす為にはできるだけ賃金部分を押し下げるか、賃金は同じのまま大量の商品を生産しようとするから低賃金化と労働強化が行われる。
 限定的な購買力とそれ以上の生産力の差が過剰生産として現れているのだから、資本の利潤追求の衝動を抑えることや資本主義経済そのものを無くさない限り過剰生産は無くなりはしない。
 安倍首相の「経済の好循環実現」の為の賃上げとは?絵に描いた餅や懐柔策に騙されないよう気をつけねば!
労働者の購買力(賃金)はせいぜい自分や家族の生命保存の為の限られたものなのだから、絶対に減額されてはならないし、生活の安定の為にはもっと大幅な要求を突きつけ勝ち取っていかねばならない。
 それにしても連合の「1%以上」の要求は低すぎはしないか?日銀の予想では14年度の物価は消費増税分も含めて3・3%上がるとしているし、政労使会議の関係者は「大手企業に2%を超すベアを要求しないと、経済は好循環していかない」と気をもんでいるのに関わらず要求が抑え気味なのは、賃金よりも‘雇用維持’を優先することを長く続けてきた労使協調路線故か!
 内閣府幹部が「労組がここまで抑制的とは予想外だ」と漏らす様に、労組自身が企業主義に浸かり、要求に確信もないのでは、経営側の言いなりになるのは自明なことなのだが、賃金が上がらない理由の一つとして、パートや派遣社員など、賃金水準が低い非正社員の増加を見過ごすわけには行かない。
企業は、非・正規労働者を設けることによって、労働者間の分断を図り、低賃金化を図ってきたが、約2千万人の非正社員の待遇改善や非正規社員そのものの廃止を取り組まづ、労働者全体の労働条件の向上を積極的に取り組んでこなかった、労使協調の企業内労働運動にも責任はある。
賃上げがごく一部分の者しか行われない可能性は大いにあり得る。首相が「雇用や賃金の拡大に経営者も協力してほしい」などと、訴えたが、消費増税後に景気が腰折れする懸念もくすぶり、現時点でベアに前向きな企業は多くなく、これに応じているのは国内企業421万社のまだ一部だ。
「経営側は賃上げの検討では自社の支払い能力や総額人件費の徹底に留意するよう呼びかけている。」と連合が指摘するように、経営側は、ベアで引き上げた賃金水準は業績悪化しても簡単には下げられず、将来にわたる人件費増につながる恐れを懸念して、「ベア容認」を明記せず、そのかわり、初めて賃上げを「年収ベースでみた報酬の引き上げ」と定義。ベアは「その選択肢の一つ」と指摘し、賃上げ方法として「賞与(ボーナス)のみならず、特定層の賃金水準の引き上げや諸手当の改定など、多様な対応が考えられる」としている。(ベアを含む)月例賃金の引き上げに消極的といわざるを得ない経営側にどう迫ってゆくのかが問われるのだが、労使協調と政府頼みの姿勢で良いのだろうか!。 (光)


連載17   オジンの新◇経済学講座 番外続編--唯物史観の再生のために(下) 上藤  拾太郎

●『イラン革命防衛隊』を読む
 「生産力と生産関係」論を中心に、唯物史観の妥当性を考えてきた。しかし、前回述べたように、劇的な生産力の上昇(もしくは衰退)が見られない場合でも、社会の矛盾や動きの根底に経済的利害対立を読み取るのが、広い意味での唯物史観(唯物的社会観)だ。この分析方法は現在では一般にも認められている。
 たとえば日本軍国主義の「八紘一宇」、仏ブルジョアジーの「自由・平等・博愛」などが大儀として掲げられているが、その根底には、階級的利害がうごめいている。
 「反テロ・自由のための戦争」をたび重ねてきた米国の戦略が、軍事産業や多国籍企業の利益のためなのは、今では多くの人が知っている。
 あるいはイスラム教の拡大やイランの「イスラム革命」、三年前の「アラブの春」とその後の展開などの背後にも、集団的利害と闘争が隠されており、すべての社会的事象は理念や大儀からではなく、経済的階級的利害と政治力学の展開を基本に据えて解明されるべきである。
 例をあげよう。オジンは最近イスラム圏の社会事情を調べているが、『イラン革命防衛隊』宮田律、は妥当な分析である。たとえ氏が唯物史観を意識してなくとも「イスラム革命」「イスラム共和国」の根底を洗い出している。

●現代の唯物史観へ--われわれの「経済的利害」とは何か 
 「大独占」「軍部」「官僚」の利害とは富の独占か優先配分だ。では勤労者の経済的利害とは何か?これが明瞭に理解されていない。賃上げを勝ち取ることか?取り分を増やすことか?それでは狭すぎないか。
 人間の経済活動は、元をたどればチンパンジーなど他種の動物界にも存在する「互酬性」を軸に展開されてきた。「人間的進化」のほとんどの時代は、この互酬性を土台とする協同経済を基本としたとオジンは想定している。進化と歴史の過程で、これらの行動ルールから成長した精神世界は価値観として内在化されてきた。
 大胆に言う!誰もが「公正」「正義」「利害が一致する」として納得しうるのは、この互酬性ルールを基礎とした経済制度をおいて他にない。反対にそれを踏みにじることは「不公正」「裏切り」「利害の対立」と意識される。
 独占資本、官僚、軍部などの利害が、富の特定の利益配分であるとすれば、われわれ大衆的な利害は正反対に、普遍的な互酬性の維持発展なのである。
 階級社会は、互酬制度をゆがめ「公正」「平等」「自由」を自己都合の欺瞞へと変えた。これらの理念が、人間的本性に由来している(あくまで原泉として)とは言え、抽象的理念に止まれば支配者の欺瞞をたびたび許す。だから理念としての自由や公正(さらにはマルクスの「自由なアソシエーション」など)とともに、われわれのより具体的な互酬的経済制度を掲げるべきなのだ。
 話しが進みすぎたようだ、すこし戻そう。
 変革者は不平不満を煽ることにおわらない。社会として満足を得るための解を歴史の中から探す。それに向けて、人間の本性との調和を社会変革の中で、被搾取者や被差別者が闘い取るほかない。特権的利益にしがみつく病的な集団に理解を求めてもムダである。
 ゆえにオジンの第一命題はこうだ。人間の自然的本性を重視し、互酬性経済を現代のツールを利用して新たな高みに創発することだ。
*    *    *    *    *    *
 強引だ、飛躍があるぞ! …そう怒らないでくれ、展開が足りなかったのは認める。
人間主義ではないのか? そうだ人間尊重主義だ。そのために唯物的社会観をさらに徹底する必要があったのさ。(つづく)案内へ戻る


色鉛筆 ー袴田巌さんは無実だ!即時再審開始を求める全国集会ー1月13日 静岡で開催

 1966年(昭和41年)6月、旧清水市(静岡市清水区)で味噌会社専務一家4人が殺されるという事件が発生し、その犯人として従業員であった袴田巌さん(当時30歳)が逮捕・起訴された。、袴田さんは逮捕後、「自分は無関係だ」と主張していたが、連日12時間以上、排便も取調室で行わせる拷問同様の取り調べの結果、無理やり犯行を自白させられた。その内容は、パジャマ姿で4人を刺殺し現金を奪って放火したというものだった。その後の裁判で袴田さんは一貫して無実を訴え、パジャマの再鑑定が行われると血痕が発見できなかった。ところが事件から1年2ヶ月後、工場の味噌タンクの中から血液が付着した、「5点の衣類」が出てきた。検察官はこれこそが袴田さんの犯行着衣だとし、裁判官もそれを認め、1980年に最高裁で死刑が確定した。
 袴田さんは47年間も拘禁され、今年の3月で満78歳を迎える。人生の半分以上を拘置所で過ごし、いつ死刑にされるかという恐怖と長年の拘禁生活による病魔と闘いながら無実を訴えている。袴田事件の第2次再審請求審(2008年4月25日請求)では、死刑判決が犯行着衣として有罪の決定的な証拠とした「5点の衣類」についてのDNA鑑定、被服の専門家に取る実験、味噌漬け実験、検察官が半世紀近くも隠し続けていた証拠の開示等によって、死刑判決は根底から崩れ去り袴田さんの無実が明白にされた。静岡地方裁判所で昨年末に事実調べが終結し、今春3月にも予想される静岡地方裁判所の判断を日本国内はもちろん世界が注目している今、全国集会が開催された。
 集会は、主催者側の予想以上の参加者が全国から集まり、今までの集会とは違い会場は熱気に包まれていた。やはり、無実の罪で47年間も長時間閉じ込められている袴田さんの冤罪を晴らしたいという思いが集結させたのだろう。まず、袴田さんを救援する清水・静岡市民の会の代表の楳田さんから、「再審開始を勝ち取り、検察の上訴を阻止するためには、しっかりした新証拠と世論の後押しが必要です。これからも気を緩めないでいく」という挨拶があった。この市民の会は、市民と弁護団が一体となって月例会、街頭署名、地裁・地検への再審開始の要請行動、東京拘置所の袴田さん訪問、各地での集会など地道に30年近く支援活動を続けている。衣類の味噌漬け実験もこの会が、再現のために味噌を作り、支援者らの血液を衣類につけ、味噌につけることを繰り返して「明白な捏造である」という事実を証明した。
 弁護団からは西島弁護人が再審はどのように進んだか詳しい報告があり、昨年の12月の最終意見書で、白半袖シャツの犯人の血と袴田さんのDNAが一致しないこと、5点の衣類がつけられていた味噌の量が80キロと少なかったため、直接の捜査で発見されたはずであること、ズボンのBがサイズではなく、色柄であり、袴田さんがはけないものであることなどをあげ、5点の衣類の証拠としての価値は認められないことを示した。特にDNA鑑定結果が袴田さんの冤罪を示す大きな足掛かりになったわけだが、私が思い出すのはある年の袴田集会に参加した時のことだ。若い女性の弁護人の方が「DNA鑑定をやったらどうか」と言うひとことから始まったということを聞いた。2001年に「5点の衣類」のDNA型鑑定で「鑑定不能」という結果で弁護団には鑑定は困難と言う理解があったようだが、彼女の新しい発想と科学の進歩によって立証されたのだ。数多くの弁護人の方々の熱意を感じる。
 さらに、裁判所の勧告により、検察官が長年隠し続けきた証拠が開示されると、袴田さんが事件発生当時は従事員寮の自室で寝ていて、その後被害者宅の消火活動に同僚らと一緒に従事したとする、同僚らの事件直後の供述調書があったことがわかった。なんとひどい!無実の袴田さんは警察・検察によって犯人にされてしまったのだ。証拠の捏造や証拠の隠蔽という捜査機関の犯罪的行為が明らかになり、「冤罪を出させないような仕組みがない、誰がこんな間違いを起こしたのか明らかにしたい」と、西島弁護人は訴えていた。
 そして、冤罪が証明されて無罪となった布川事件の桜井昌司さん・杉山卓男さん、免田事件の免田栄さん、島田事件の赤堀政夫さんたちが、袴田さんに、無罪をとるまで頑張ってもらいたいと連帯アピールがあった。その中で、印象に残っているのは、布川事件の杉山卓男さんが東京拘置所で1970年代に袴田さんと話をした思い出を語ってくれたことだ。運動場で会話は禁じられていたため、袴田さんは独り事を装い、空に向かって話していた。「明日の裁判で(犯行時の着衣とされた)ズボンがはけないのが分かるから無罪になる」と元気に話していたという。自分が無罪になることを信じていた袴田さんの言葉はつらくなる。犯人ではないのに犯人にされてしまったのだから、どんなに悔しかっただろう。47年間も拘束されている袴田さんは、身も心もボロボロでもう時間がない。一刻も早く、拘置所から普通の生活に戻してあげたい。
 最後に、お姉さんの秀子さんがお礼を述べた。いつも集会であいさつをする秀子さんの凛とした姿は、私たちにまっすぐ生きていくことの大切さを感じさせてくれる。「こんなにたくさんの人が集まってくれたのは初めて、1月27日に会って伝えてきます」と言う言葉に参加者から拍手がわき起こった。
 集会アピールとして参加者一同で、静岡地方裁判所が再審開始と刑の執行を停止する決定を行うことを強く求め、検察庁に対しては、再審開始決定が出された際には審理を引き延ばすことなく、検察の職権で袴田さんの身柄を直ちに釈放して再審公判に付するよう、強く求めることを採択した。3月に静岡地裁がどんな判断を下すかしっかり見ていかなければならない。(美)


元日の社説を論じる

 年の初めの全国紙社説、これを読み比べ、論じることに一定の意義があるだろうという判断のもと、ここ数年、新年の初仕事としてきた。今年はこれを新年早々、ワーカーズのホームページに掲載して頂いた。これを本紙に掲載するのは、いささか時期遅れの感があるが、新聞各社が2014年をどう臨もうとしているのか、関心を持ってお読みいただきたい。
 さて、昨年は安倍首相のやりたい放題の1年、年の瀬までじたばたして他国からも顰蹙を買った。年明けの事件といえば、中国人が熱気球で尖閣諸島に上陸しようとして海上に落下、海上保安庁の巡視船に救助され、中国海保局の船に引き渡された。この年末始も、あの海域では日中のにらみ合いが続いているということだ。そういう任務に携わっている人々も労働者だとして、危険なだけでまったく無意味な任務のために正月休みもないなんて、お気の毒というほかない。                    (折口晴夫)

「読売新聞」 日本浮上へ総力を結集せよ 「経済」と「中国」に万全の備えを
 すでにこの見出しだけで内容がわかろうというものだが、社説は冒頭でデフレの海でおぼれている日本を救い出すために、政治の安定とアベノミクスの成功が不可欠であると主張する。具体的には、「当面は、財政再建より経済成長を優先して日本経済を再生させ、税収を増やす道を選ぶべき」というもの。
 そのアベノミクスの評価では、「3本の矢のうち、2本の矢によって、日本の景気を持ち直し、株高・円安も実現するなど、一定の成果を上げている」としている。しかし、成長戦略という3本目の矢が的を射なければ、民間主導の持続的経済成長を実現できない。「だが、国家戦略特区で行う規制緩和のメニューが各府省や関係団体の抵抗で大幅に後退するなど、戦略の実効性は心もとない」と危惧し、首相に指導力の発揮を求めている。
 そこで障害になっているのが全原発停止、「液化天然ガスなど輸入発電燃料の追加負担は1日100億円に上る。国富が資源国に余剰に流出している」点だと断じ、早急な原発再稼働を主張している。原子力規制委員会審査を急げ。安倍政権が閣議決定しようとしているエネルギー基本計画が原発を「重要なベース電源」と位置づけ、「新増設に含みを残した点は支持したい」とし、さらに次のように言う。
「日本は世界有数の原子力技術を保持している。安全な次世代型原発新増設は、人材確保・育成の観点からも必要だ。原発のインフラ輸出を成長にも生かしたい」
あきれて、声も出ない。
 社説は後半で「偶発的衝突の恐れも」という小見出しをつけ、中国との軍事的軋轢について触れている。しかし、この間の尖閣をめぐる〝領土争い〟の原因をつくったのは日本側だということには触れない。「安倍首相の靖国神社参拝が、中国側に対話を拒む口実に使われることがあってはならない」とか、「日米同盟の深化によって、中国を牽制することも重要だ」、「集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更に踏み切ることも、避けて通れない」等と、好き勝手を言い放題だ。
 さらに社説は、仲井真沖縄県知事の辺野古埋め立て承認によって、「1996年以来の日米間の懸案が解決に向かいつつある」と評価し、「辺野古への移設が実現すれば、沖縄の基地負担軽減と、抑止力の向上に大きく貢献するだろう」と主張している。読売新聞元日号は、別の紙面で橋元五朗という特別編集委員を菅官房長官と対談させ、次のように言わせている。
「お友達内閣の何が悪いんですか。問題は良い友達か悪い友達か、ということです。悪い友達を選んではいませんね」
以上のごとく、読売新聞は安倍首相の暴走の道を掃き清め、さらに加速させようとしている。権力の監視ではなく、お先棒を担いで恥じない。

「朝日新聞」 市民と政治 にぎやかな民主主義に
 読売とちがって、朝日の社説は見出しだけでは分からない。結論的に言うと、「投票日だけの『有権者』ではなく、日常的に『主権者』として振る舞う」ことが必要であり、そのために「補強パーツ」として、「住民投票や審議会などの諮問機関の改革、パブリックコメントの充実などを提案する」
 東京・小平市の雑木林に道路を通す計画に反対した哲学者の國分功一郎氏の主張を引いて、社説は強大となった「行政を重層的に監視」しなければならないと主張している。市民は選挙で議員を選ぶが、国政を実質的に握っているのは「行政機関」であり、民意がそこには及ばないと言うのである。
「この法律(特定秘密保護法・引用者)は行政府による情報の独占を可能にする。何が秘密かを決めるのも管理するのも、結局は行政府の人である。肝心の国会は監視できる強い立場を与えられていない」「この法律は行政府の権限を強め、立法府を相対的に弱める。行政府が民意の引力圏から一段と抜け出すことになった」
 社説は、「静かな雑木林からの呼びかけに、もっとにぎやかな民主主義で応える新年にしたい」と結んでいる。そんな感傷的な物言いでいいのか。読売社説と対決できるほどに、断固たる決意を示す呼びかけが必要ではないか。

「毎日新聞」 民主主義という木 枝葉を豊かに茂らそう
 安倍首相の強い国指向に対して、毎日社説は「だが、強い国や社会とは、どんな姿を言うのだろうか。指導者が、強さを誇示する社会なのか」と疑問を呈する。そして、「違う、と私たちは考える。強い国とは、異論を排除せず、多様な価値観を包み込む、ぶあつい民主社会のことである」と反論する。
 多数決を民主主義だとし、「あらゆる政策を、賛成する側と反対する側に分け、多様な世論を『味方か』『敵か』に二分する政治。対話より対決、説得より論破が、はびこってはいないだろうか」と指摘する。
 いま必要なのは「幹しかない木ではなく、豊かな枝葉を茂らせた木を、みんなで育てる」ことである。「その枝葉のひとつひとつに、私たちもなりたい、と思う。『排除と狭量』ではなく、『自由と寛容』が、この国の民主主義をぶあつく、強くすると信じているからだ」といった末尾の一説を読んで、ようやく見出しの意味が理解できるという仕掛けだ。
 毎日は安倍が年末に靖国を訪れ、保守支持者から喝采を受けたことを例に持ち出して、こう指摘する。
「参拝の支持者は、日本人なら当たり前のことをなぜ批判するのか、と言う。首相の参拝は、こうした激しい愛国心、ナショナリズムを喚起する。参拝支持者が愛国者で、反対者は愛国心のない人間であるかのような、不寛容さを生み出す」
 ここまではいいのだが、そのあとで「だれもが愛国者である」という小見出しをつけ、「この国で日々、地道に、懸命に働き、生きている、あらゆる人々は、みなそれぞれに国の未来を真剣に考える、愛国者たちである」などと言いだす。確かに「無数の、無名の貢献が私たちの社会を支えている」のは事実だが、そうした人々を〝愛国者〟という言葉で括ってほしくないし、安倍の支持者と愛国心を競うなど愚の骨頂だ。元日からこんな社説を掲げるようでは、安倍の暴走と闘うことはおぼつかないだろう。

「産経新聞」
 産経新聞は手元になく、産経には社説もないので、元日の産経抄に触れたい。昨年11月、小笠原諸島・西之島付近で火山活動があり、それによってできた溶岩島が西之島と合体した。これが大隅半島と合体した桜島と似ていると指摘し、はしゃいでみせる。
「新島はもっと大きくなり、『先輩』の西之島をのみ込む可能性もある。そうなれば、周囲の日本の領域はわずかでも広がるという。それに新島は中国のものでも韓国のものでもない。れっきとした日本の新しい領土である」
 これだけでは物足りないので、大晦日の「主張」を取り上げよう。その表題は「回顧2013 日本再生の希望が見えた 『成長』『憲法』で突破口開け」。もうこれだけでも充分だろうが、冒頭を引用してみよう。
「日本人が、誇りと豊かさを取り戻すため、活力ある国づくりに再び歩み出した1年だった」「昨年暮れに自公連立の安倍晋三政権が発足するまでの日本は、崖っぷちにあった。政権を担った民主党は国政を迷走させ、世界に『衰退する国』と映った。われわれも自信喪失気味だった」「しかし、今は違う。徳俵で踏みとどまると、経済が再生を始め、自国の安全保障を確かなものにすべく、さまざまな取り組みが進められている」
 牽強付会もここまでくると見事だが、ここには、安倍の再登場に小躍りしている産経の浮かれようが溢れている。読売のように「尖閣諸島を奪おうとしている中国が、軍事力による圧力をますます強める1年でもあった」などと言うことも忘れない。
 そんな産経が安倍に注文を付けるの憲法改定への取り組みである。「再生の希望がみえた年にしては、首相のライフワークである憲法改正では足踏みが続いた。国民の多くが憲法改正に前向きになっており、国会ではすでに『護憲一本やり』の政党はごく少数派となった。にもかかわらず首相が提唱した改正要件を緩和する96条の先行改正論は下火となり、国民投票法改正も持ち越した」

 以上のように、読売、産経の主張は強固で曖昧さもない。これは安倍の再登場がそうした勢力を鼓舞し、それに煽られ安倍の暴走も可能なのだろう。このブロックとの闘いに我々は向かわなければならないのだ。

追記 後日、元日の産経新聞で樫山幸夫論説委員長の「年の初めに」を読んだ。表題は「国守り抜く決意と能力を」というもので、日本は今「英国の教訓」に学ばなければならないという内容だ。イギリスの融和的政治がナチス・ドイツの台頭を許したという故ケネディ米大統領のハーバード大学卒論「英国はなぜ眠ったか」を引用して、次のように言う。
「防衛費は平成15年から10年間も削減された。自民党内閣は日中友好の幻想に依拠し、民主党政権が『東アジア共同体』などを夢想している間に、中国は軍事拡大を続けた」「『眠っていた英国』の教訓はここにある。防衛力増強があたかも『悪』であるような感情論がまかり通っている状況では、尖閣諸島を失うことになりかねない。イギリスが大戦を防げなかったように」
 次いで、前述のように安倍首相をほめたたえ、安倍靖国参拝批判が激烈で異様だと憤慨し、「『心ある国』の指導者として、国に命を捧げた人々の霊にぬかずくのは当然だろう。自衛官ら国土防衛にいそしむ人たちの支えになって国の守りに資するはずではないか」と高言している。この様子では、産経は今に自衛隊員に国のために死ねと言いだすだろう。恐ろしい新聞だ。
 読売新聞社についても付言すれば、渡辺恒雄会長・主筆が「情報保全諮問会議」座長に就任した。前述のように特別編集委員が〝お友達内閣の何が悪い〟と言い放っているが、なるほど、読売のトップと安倍は〝良い友達〟なんだ。実にわかりやすい新聞ではある。案内へ戻る


郵便職場から 年賀繁忙期を終えて

 いったい、何回目の年賀格闘? になったのだろう。思えば21年間、毎年の繰り返しだが、この機会に振り返ってみることにした。今年は、年末の12月23日を最後の休みとして、年明け1月5日まで連日年賀組み立てに追われた。年賀販売のノルマは告げられたものの、不思議なことに前年のようにうるさく達成に向けての激励? もなく平穏に過ぎていった。けれども、本局の人員不足を理由に、私たちに余分の仕事が押して付けられ、4時間勤務と6時間勤務では到底、こなせない仕事内容となった。
 昨年6月からのDOSS(次世代端末機)を携帯するようになって、配達の種類がいくつにも別れ、私たちは混合配達(小包や速達など)という仕事を追加されたことを、改めて意識させられることになった。郵便物の種類が増えたことで、それに伴い再配達の時間指定も細かくなり、その時間に合わせた仕事は、当然、時間を気にしながら精神的にも追いつめられる仕事にならざるを得なかった。時間指定で配達に行っても受取人は不在、反対に受取人の希望がこちらに伝わっていなかったり、日々、何らかのトラブルがあり、その結果は配達員で対応することになる。
 人員不足は深刻で、12月のお歳暮のゆうパック配達に課長はもちろん、部長、副部長までが地図を片手に配達をする事態になった。日頃はディスクワークだから現場のことを少しでも知るためには、いい経験だろうと私は思ったが、暗くなってからの配達にはさすがすこし気の毒になった。日頃、部長の役割は、誤配指導と称して対話を行い始末書を書かせることが中心らしいが、年賀の時期はこちらが忙しいため対応ができず、どうやら年賀作業で席を立ち外に出て行った社員の、回数のチェックをしていたらしい。 部長というプライドが、年賀作業を手伝うという意識を遠ざけるのか、孤立し壁を作るそんな職務に何かしら、悲しいものを感じてしまう。
 今回の年賀作業では、私たちの職場は初めて経験する若者が6人、それも20~30代の男性たち。どうなることかと心配を他所に、みんな頑張って乗り越えることが出来た。日頃はおばさんたちに囲まれているのに、アルバイトに高校生の女の子が来たり、何か日頃と違う環境が若者に刺激を与え、いい励みになったのかなあと、今ふりかえって思う。この若者たちも、就職活動を続けやっと見つけた仕事を辞めてきた人、これまで家に引きこもりで初めて仕事に就いた人、夜間の高校に通いながら勤め、今春卒業で専門学校を目指している人、公務員の仕事に就きたいと就職活動を続けている人など、みんなここを足場にして次のステップを目指している。
 人員不足は、とうとう人身事故を起こすことになってしまった。1月24日、バイクで夜間配達の期間雇用社員が配達途中、自転車に乗った高校生と出会いがしらに衝突した。高校生はけがもなく無事だったが、配達員は頭蓋骨骨折の重体だという。ヘルメットを被っていても、こんな大事故になるとは、配達員にも家族がいるはず、他人事ではない。人員不足は、人事を任されている部所の責任だと思う。雇用を確保し、安全に仕事ができる様に計画を立てるのは経営側の仕事。募集しても人が集まらないと、言い訳をするが、それは集める力量が無いというより能力が無いという方が正しいと思う。働く条件を良くすれば、人は集まるはずだ。これまでの局の怠慢が、事故を起こしたといっても言いすぎでないだろう。
 管理者に責任を追及しても、実際に被害を受けるのは現場の労働者だ。もう、私たちは命をかけて仕事に臨む、そんな厳しい現実を突きつけられている。自分を守るために労働条件の改善を要求していくことを、現場の仲間と共有化していく作業が今、急務であることを実感している。 (折口恵子)


ハノイ短期滞在記--二日目

◆ハノイは寒い?-- キョウチクトウと梅と紫ランが同時に咲く町
 クリスマスまであと二日。ハノイは「真冬」だ。写真のように防寒具を着ている人が多い。「耐え難い寒さだ」とこぼす人も。
 しかし、東北人の私からすれば、少し大げさだ。最低でも十度、昼間の気温は十七八度にもなる。10~11月ぐらいだ。欧米の観光客の中にはTシャツの人もちらほらいた。とはいえ沖縄や台湾よりはるか南で「常夏」とのイメージもあるベトナムだが、ホーチミン市とは違いハノイは「中国の山地から冷たい風が吹く」らしい。
 街を歩くと「冬」でも緑がいっぱいだ。大木が多い。夏の日よけにはちょうど良いだろう。夏は四十度を超えるという。初めてみる木々。中には日本でおなじみのものも。
 公園で梅の花びらが開き、街路ではキョウチクトウが終わりかけの赤い花を残していた。文廟では紫ランの花がほころびようとする。それぞれに日本なら、早春、盛夏、初夏に咲くのだが。植物の開花サイクルは一つの謎におわった。
 そういえば、日本から最近植えられた多くの桜の木が枯れてしまったとか。

◆朝のスナップショット
 朝の時間に余裕があり、ハノイホテル周辺を散歩した。
 ひとだかりがあり、写真を撮った。看板の文字は読めないが保育所だろう。親たちが小さな子どもたちを連れてきていた。親子三人乗りのバイクも結構あった。
 ハノイの住宅事情はかなり悪いときいた。狭い場所にたくさんの人が住んでいると(写真)。しかし、よくみているとすさんだ感じはなかった。というのは鉢物の植物がキチンと手入れされ、小鳥があちこちで大切に飼育されている。下町の風情といってもよい。長年のコミュニティが少なくともこの付近には残っているようだ。
 信号のきわめて少ないハノイの町。信号があってもバイクは必ずしも止まってはくれない。「手を挙げてゆっくり歩いて渡る、走ってはいけない」と聞いた。
確かにその通りのようだ。バイクも何のその、物売りの女性がゆったりした歩調で道路横断(写真)。よける義務があるのはバイクのようだ。「ハノイ流歩行者優先」か?

◆日本語学校を訪問
 生まれも育ちもハノイのリンさん(女性)が、一日案内してくれるというので安心だ。ホテルのロビーでご対面。日本に仕事で来たことがあり、日本語はとても上手だ。一年前に結婚した夫は、日本企業に勤務しているとか。
 本日の初めの目標地へ砂埃をあげながら四〇分ほど車で移動した。バッチャン村という陶器の村だ。村の中は細い道がうねうねとはしっている。両側に陶器商店がびっしりと建ち並ぶ。ちなみにベトナムは同業者が集住していることはめずらしいことではない。かなり奥で車を降り、一時間程度散策と買い物をした。
 陶器と言えば器(うつわ)だが、観音様やらの人物像、豚、イヌなどの愉快なキャラクターもある。クレヨンしんちゃんやキティーちゃんもあった。ハスの花など造形も色彩も豊富であった。
 次は、兄の経営する日本語学校を見学することになった。本人はすれ違いに東京に行っていたが。ハノイ貿易大学、ハノイ工科大学の学生が学んでいた。日本企業への就職希望者だ。
 授業を中断して、コメントを求められたので、私は生徒の前で簡単な挨拶をした。リンさんが通訳をした。そのあと日本についての質問をいくつか受けた。私からも「どうして日本語を学び、日本に行きたいのか」学生たちに質問した。
 ある男子学生(日本企業に就職内定)が日本語で、「日本で経験と技術を身につけ、ベトナムに戻って起業したい」旨きっぱりと述べた。拍手もあった。これは多くの若者に共通の願望に感じられた。
 いずれの学生も目の輝きがちがう。子供のような純心さだ。

◆旧市街地付近にて
 電気自動車で、ハノイ市民のオアシスといわれるホアンキェム湖畔から旧市街地へ。ここでも一つ一つの街が同じ職種が集まってできている。ブリキ職人、玩具類の街、楽器の街等々。リンさんのガイド並みの知識に驚いていたが、高校生の時までこの旧市街地に住んでいたとか。なるほど。ハノイ大聖堂、オペラハウスなどは歩きで観た。
 ハノイ大聖堂の敷地からこぎれいな住宅街の写真を撮った。日本でいえばマンションに思えたが、意外にも縦が「一戸」らしい。土地も含めて私的に所有していると、リンさんの説明。見れば、ハノイでは、いや農村部でさえ道路沿いの家は間口の狭い三階建てが多かった。察するに地代が高いだけでなく、家族構成も影響しているだろう。ベトナムは今でも大家族で住んでいる。
 観光スポットの土産店は価格が高い。日本へのお土産に、ホアンキェム湖近くの町のスーパーを案内してもらった。十分の一以下の安さだ。しかし、違和感があったのは、別棟のロッカーにバッグ類を預けないと店内に入れないことだ。万引き防止策だという。

◆再会、ウオンさんは女社長?
 当時まだ元気だった父や母と一緒に、仙台でウオンさんにあってから六年ぶりだ。控えめで優しそうな人だったと記憶している。日本で再会したのとはちがう。他に誰も知り合いのいないベトナムだから、旧友との再会のように嬉しかった。ウオンさんも今日、明日の運転手の手配から、この夕食の宴の席のセッティングまでしてくれた。
 同席したウオンさんの友人の男性が「彼女は今では女社長だ」と言っていた。ウオンさんは多くを語らなかったが、独立して会社を作ったらしい。どおりで「貫禄」もついてきた。二人の子どもはお婆ちゃんがみているとか。
 ベトナムは社会主義だ。つまり軍人と役人の世界だ。旧ソ連のノーメンクラツーラ、中国の太子党と同じで、親の力やコネがまかり通る世界だ。特権階級の壁は厚い。やる気があってもコネの乏しい学生は、ますます「民間」に目を向けている。多国籍企業に就職するか、経験を積んで起業家になるのはやはり一つのトレンドのようだ。
 ウオンさんから別れ際に自作の絵をもらった。日本に帰って開けてみたらベトナムの伝統的な稲刈りの風景画だ。黄金色があふれ、青々とした手前の竹林と対照的に描かれている。素朴な人柄は変わってないようだ。家の玄関に飾った。(阿部文明 つづく)案内へ戻る


 元旦にパブリックコメントを提出しました

 1月6日締切りの「エネルギー基本計画に対する意見」を、年越しで考え抜いてようやく提出しました。安倍首相は1月中にもこれを閣議決定するつもりでしたが、2月以降へと先送りされたようです。
 都知事選がにわかに原発を巡る選択となったことも影響しているのかもしれませんが、私たちがめざす核なき社会へは、橋下徹大阪市長も主張できるような〝脱原発〟によって一歩前進とはならないでしょう。脱原発を主張する当選の可能性のある候補ならだれでも支持するのか、問われているのは私たちの主体性です。 (折口晴夫)

 パブリックコメント
 原発の再稼働、輸出に反対します。核燃料サイクルも断念すべきです。
 3・11以前と同じ根拠で原発の再稼働、活用を主張していることに驚きを禁じ得ません。フクシマの深刻な現状を認識するなら、原発はもう動かすべきではないという結論以外あり得ないはずです。
 エネルギー源を海外に求めるということは、資源の略奪と表裏をなすものであり、日本があの無謀な戦争に突入していった原因でもあります。その破綻が8・15でした。資源小国の克服、自前のエネルギーを、ということで提起された核燃料サイクルも「もんじゅ」のナトリウム漏れ火災によって破綻しました。
 核燃料サイクルの核となるのは、プルトニウムの増殖を実現する高速増殖炉でした。しかし、「もんじゅ」は高速増殖炉の原型炉としては失格となり、今や単なる高速炉と称されるようになっています。再稼働が可能かどうかさえ見通せません。六ヶ所使用済み核燃料再処理工場も、いつになったら稼働できるのかという状態です。
 つまり、近い将来において核燃料サイクルが回り出す可能性はないのです。たとえ、再処理工場を稼働させることが出来たとしても、すでに過剰になっているプルトニウムを更に増加させてしまい、世界の国々から核兵器開発の疑惑を招くだけです。
 その疑惑、核燃料サイクルの破綻を糊塗するためにプルサーマルが実施されつつありましたが、プルサーマルにはいかなる合理性もなく、核暴走の危険性を増すだけです。これ以上「もんじゅ」や六ヶ所再処理工場に税金を投入する無駄は即刻止めるべきです。使用済み核燃料はすべて直接処理すべきであり、そのための方策を全力をあげて研究すべきです。
 電力供給のためのエネルギー源を何に求めるのか、化石資源・地下資源は地球上で偏在しており、ウランも限りある資源です。これらを取り合う危険は回避すべきです。ウランの採掘からはじまる原発はあらゆる場面で放射能汚染をもたらし、環境破壊と被曝労働を避けることができません。
 これに対して、自然によってもたらされる無限のエネルギー源の利用は、それぞれの適地にふさわしいエネルギー源の活用が可能であり、国家間の争いを招くことはありません。日本には太陽パネルでも、風車でも、地熱発電においてもしっかりした技術があります。核燃料サイクルに振り向けている税金をこれに注ぎ込めば、自然エネルギーによる電力供給は大きく前進するでしょう。
 そもそも、科学の発展は失敗の繰り返しによってもたらされるもです。船は沈没するし、列車も脱線します。飛行機も墜落します。それらの事故で多くの犠牲者を出してきました。しかし、あえて言えば、それらの犠牲はそこに居合わせたからであり、原発事故による広範な環境破壊、健康破壊とは質が違っています。
 スリーマイル、チェルノブイリ、そしてフクシマの現実を見ると、原発も失敗を繰り返しながら技術の発展につながるとはいえません。原発は過酷事故を起こしてはならないのです。現状のなかで原発再稼働を主張することは、第2のフクシマ、日本の破滅の可能性を招きよせることになります。
 科学技術はまた、生産・消費・廃棄というサイクルの技術を確立させないで実用化すべきではありません。生産だけを重視してきたから、公害による膨大は被害をもたらしたのです。使用済み核燃料の処理、廃炉後の核汚染廃棄物の持っていき場がないなかで、原発を普及させてしまったこと自体が間違いだったのです。
 こんな状態で、新興国が原発を求めているから輸出するというのは間違いです。輸出先でもし過酷事故が起きたらどうするのでしょう。メーカーには責任がないのだといっても、道義的責任を回避することは出来ません。むしろ、自然エネルギーを活かした電力供給を支援することがあらゆる点でプラスでしょう。
 以上の考察から、私は「エネルギー基本計画に対する意見」が示す方向性はこの国の針路を危うくするものと結論します。3・11以前と同じ口調で原発を推進してはならないのです。


★「沖縄通信・NO45」稲嶺氏再選・・・名護市長選報告

 注目の名護市長選は、日本政府に屈しない現市長の稲嶺ススム氏が再選を果たした。
 稲嶺ススム氏は19839票で、末松文信氏15684票に、4155票の差を付け大勝した。投票率は4年前の前回並みの76.71%だった。
 この勝利は、地域の未来は自分たちで決めるという名護市民の「自己決定権」の意思表明、ひいては沖縄県民の未来を展望する歴史的勝利である。
 「総力戦」という軍事用語があるが、まさしくこの市長選、稲嶺市政を押しつぶそうとする日本政府(安倍政権)と名護市民・沖縄県民が誇りを守ろうとする激しい総力戦であった。
 自民党の石破茂幹事長の応援演説「500億円の名護振興基金の創設」に見られるように、政府は再編交付金などの金で名護市民を支配していこうとした。今回の選挙でも、政府は湯水のごとく選挙資金(膨大な金や人)を投入し、なりふり構わずに民意をねじ伏せようとした。
 しかし、名護市民はこうした日本政府のやり方に怒りの声を上げた。
 稲嶺市政は基地押しつけの再編交付金を受け取らず財政の健全化をめざし実現した(市予算が287億円から358億円へ、建設事業費は69億円から84億円へ、基金積立額は38億円から70億円へ)。この4年間、名護市民は稲嶺市長と共に自立する地域(基地のない町づくり)をめざし前進してきた。
 稲嶺ススム氏は仲井真知事の辺野古埋め立て承認に対して「名護を見捨てた」と厳しく批判。そして「基地押しつけの再編交付金がなくても財政を健全化させた実績」を強調し「辺野古の海にも陸にも新たな基地を造らせない。信念を貫く」と新基地建設反対を明確に訴えた。
 今回の名護市長選では、幅広い層から稲嶺氏支援が見られた。
 観光業界の平良朝敬氏(会社・かりゆしグループのCEO)は「観光は平和産業だ。辺野古移設を受け入れると楽園を放棄することになる」と述べ、基地と観光が両立しない事を訴えた。
 また、元自民党沖縄県連顧問・元県議会議長の仲里利信氏。彼は沖縄4区で当選した西銘恒三郎衆院議員の後援会会長を勤めた自民党沖縄県連の重鎮である。その彼が、「西銘氏が公約を破棄し、辺野古移設を認めてしまった。私は抗議の意味で後援会会長を辞任した。仲井真知事の辺野古移設承認は県民への裏切りである」と述べ、稲嶺氏の当選をめざして毎日自分の宣伝カーで名護に通い選挙応援を展開した。
 このように、多くの沖縄県民が稲嶺氏応援に駆けつけた。毎日1人で「辺野古の海を守ろう」という手作りゼッケンを付け辻立ちする人などあり、こうした応援活動が名護市民を感動させ勇気づけた。
 逆に私たちも、朝の辻立ちで手を振れば、自動車の窓を開け「ご苦労さん」「頑張ろう」と声をかけられ、自動車のクラクションを鳴らす人など、多くの市民から勇気づけられた。
 街宣カーでの呼びかけ(単なる連呼ではなく、ウチナーグチでの訴え)に対して、家からわざわざ出てきて手を振る人・声をかけてくる人が多く。投票当日も、わざわざ事務所に来て「結果が心配で心配で、家にじっと座っていられない」と選挙結果を心配する年配者を見て、胸が熱くなった。
 日本政府(安倍政権)に対する怒り、自民党沖縄県連に対する怒り、仲井真知事の裏切りに対する怒りなど、その様々な思いの中から名護市民は民意を明確に示した。(富田 英司)案内へ戻る


編集あれこれ
 前号は、1月1日・15日合併号で紙面は12面あり豊富でした。
 1面は、「特定秘密保護法を成立させ 原発推進 集団的自衛権行使を目論む安倍政権を引きずり下ろそう!」という記事でした。安倍政権は、昨年天下の悪法特定秘密保護法を成立させました。この法律は、国民の知る権利を大きく制限するものであり、特定秘密を知ろうと行動しただけで逮捕や家宅捜索をされる恐れがあります。みんなの反対の声で、この悪法を施行させないようにしましょう。
 2~4面は、「暴走政権は許さない!-対抗運動・対抗勢力を結集しよう!-」という記事でした。安倍政権は、福島で原発事故があったにもかかわらず、原発再稼働の動きをみせています。また、今年の4月から消費税が5%から8%に上がろうとしています。そうなると、私達の生活はかなり苦しくなります。それに引き換え、公共事業費や防衛費の予算は大幅に増えます。集団的自衛権の行使もしようとしています。こうした安倍政権と対抗できる勢力が必要です。そして、労働運動の強化も必要です。
 4面の「色鉛筆」は、沖縄の名護市長選に関する記事でした。名護市長選は、辺野古への基地建設に反対する稲嶺進市長が再選しました。まずはよかったです。しかし、基地建設反対の闘いはこれからです。
 5面は、死刑執行についての記事でした。谷垣法務大臣は、4度目の死刑執行を行いました。残虐な刑罰である死刑を廃止させないといけません。6・7面はベトナムのハノイ短期滞在記の記事でした。9・10面は、沖縄通信でした。沖縄の仲井真知事が辺野古埋め立て申請を承認していまいました。仲井真知事の裏切りはひどいものです。それでも、名護市長選では、辺野古基地建設に反対する稲嶺市長が再選しました。意義ある勝利です。
 12面は、放射能汚染と健康被害を隠蔽しようとする御用学者の様子が報告された記事でした。これに対抗するために、お互いが連携していかなくてはなりません。
 1月23日に、東京都知事選が告示され選挙戦がスタートしました。これについても注目していきます。  (河野)
 案内へ戻る