ワーカーズ507号 (2014/3/1)   案内へ戻る
 《春闘》均等待遇・雇用保障を勝ち取ろう!──急がば回れが最大の課題──

 春闘が山場を迎えている。目の前の賃金闘争で成果を上げることは大事だ。が、それ以上に、非正規労働者の処遇と雇用の改善をすべての労働者の連携した闘いで勝ち取ること、正規・非正規問わずすべての労働者が団結して会社・政府と闘う陣形をつくり上げることが中長期の課題として不可欠だ。
 アベノミクスでデフレからの脱却をめざす安倍政権は、経済の成長サイクルを確保すべく、企業の利益を賃上げにもまわすことを企業・財界に求めてきた。応じるかのように一部の大手労組はしばらくぶりでベアを要求している。またこのところの円安や株高などで空前の利益を手にしていいる自動車大手などは、ベース・アップを容認する姿勢も示している。
 ただし、大手労組が要求しているベアが実現したとしてもたかだか1%程度。4月からの消費増税にともなう物価上昇や各種負担増を考えれば、春闘が決着する前から実質賃金や手取りが低下するのは避けられない。労働者はなぜこれほど惨めな情況に追いやられているのだろうか。すでに賃金闘争の基盤が崩されているからだ。
 組合レベルでいえば、かつては賃金闘争は民間と官公労に分断されていたが、いまでは正規と非正規にも分断は拡がっている。正社員が中心の連合傘下の大手労組は、ほとんどが企業内組合で企業利益優先の労使協調路線に取り込まれている。今年の春闘でも、安倍首相に後押しされる形でベース・アップを要求したというのが、情けない実情だ。他方では、大多数の非正規労働者は賃上げ闘争の埒外に追いやられたままだ。要は労働者が大手・中小、正規・非正規など、多重的に分断されてしまっているのだ。その結果が10年にわたる賃金低下であり、非正規労働者が36・6%にまで増えた雇用破壊であり、それにブラック企業や追い出し部屋の横行だった。
 いうまでもなく賃上げや雇用確保は、当事者である労働者自身の課題だ。一人では声を上げづらい非正規労働者が闘いに参加できるようにすること、このことを全労働者の最優先の課題にする必要がある。すでに派遣ユニオンや青年ユニオンなど、雇用形態ごと、あるいは地域ごとに様々なユニオンが結成されている。そこに至る以前の電話相談なども取り組まれている。これらを5年、10年単位で拡大していくことがなにより必要だ。
 目標ははっきりしている。時給や年収レベルでの均等待遇と雇い止め禁止などの雇用保障だ。正規・非正規労働者の団結抜きには、労働者のトータルな処遇改善はあり得ない。遠いようでも一番確実なのは、政治や企業の気まぐれに依存するのではなく、自分たち自身の力を強化して要求を闘い取ることだ。(廣)


 政権の墓穴を掘る取り巻きの跋扈──舞い上がる首相を取り巻く〝お友達〟──

 安倍首相の取り巻きによる右翼・タカ派色が強い暴言・迷言が止まらない。当事者は安倍首相が登用した、安倍首相と歴史観をともにする〝お友達〟政治家であり、また取り巻きの企業人・文化人によるものだ。それらの暴言・迷言は、安倍首相の代弁であり、安倍政治の危うさを示して余りある。戦前回帰の安倍政権への包囲網を拡げていきたい。

 ◆暴言・迷言

 この間、世間を騒がせてきた安倍首相の〝お友達〟によるたび重なる暴言・迷言が止まらない。そこに現れたのは、政治的スタンスが安倍首相と共通する右翼・タカ派の面々による言いたい放題の取り巻き政治だ。すでにメディアでも様々に取り上げられ、ネット世界でも物議を醸している。演ずる俳優は、安倍首相によっていまのポストを得た、安倍首相の周囲にたむろする政治家や企業人、それに?マーク付きの〝文化人〟などだ。
 ちょっと振り返ってみる。
 ●まずは安倍首相によってNHK経営委員に送り込まれた作家の百田尚樹氏だ。
 百田氏は都知事選に出た田母神俊雄候補の応援に立ち、「米軍による東京大空襲や原爆投下をごまかすための裁判だった」と、東京裁判を批判する演説をおこなった。加えて他候補者について「人間のくず」だと罵倒した。これらは東京裁判を主導した戦勝国の米国への批判であり、その根底には戦前の軍国主義を正当化する視点が流れている。後者はといえば、最近ひんしゅくを買っているヘイトスピーチに通底するもので、それを煽る暴言でもある。
 ●同じように経営委員として送り込まれた学者(?)の長谷川三千子氏は、朝日新聞社で拳銃自殺した右翼の野村秋介氏の追悼文集に、事件は言論機関への政治的圧力などではなく天皇のために死んだ神聖な事件だった、と賞賛する追悼文を寄せていた。そこでは「野村秋介は神にその死をささげたのである。」そして「『すめらみこと いやさか』と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神であられる天皇陛下であつた。」「そしてそのとき、たとへその一舜のことではあれ、わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである。」と書いている。天皇の人間宣言や憲法など知ったことか、と言うわけだ。
 ●次は同じNHKの会長に登用された籾井勝人会長による一連の迷言や開き直った態度だ。就任会見で南京虐殺や従軍慰安婦など無かったかのような発言を繰り返し、取り消した後も「何が悪いのか」と、反省しない態度などが繰り返し報道された。
 ●次は萩生田光一自民党総裁特別補佐だ。彼は安倍首相の靖国参拝への米国からの「失望」表明を受けて、「共和党政権の時代にこんな揚げ足を取ったことはない。民主党政権だから言っている」と講演で批判した。オバマ政権は民主党政権だから、オバマ大統領は市民運動上がりだからそんなことをいっているのだ、と市民運動蔑視の心情を吐露したわけだ。
 ●同じような発言は首相の盟友といわれる衛藤晟一首相補佐官からも飛び出した。衛藤補佐官は、安倍首相による靖国参拝に対し、米国大使などが「失望した」との態度を打ち出したのに対し、「こちらこそ失望した」と自らのホームページの動画で発信していた。これも削除したが、安倍首相の取り巻きのメンタリティーを正直に内外に吐露したものだろう。
 ●次は内閣官房参与の本田悦朗氏による発言だ。本田参与は米国のウォールストリート・ジャーナルのインタビューに答えて、「日本が力強い経済を必要としているのは、賃金上昇と生活向上の他に、より強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにするためだと語った」と報じられた。この記事は「ナショナリスト本田悦朗氏がアベノミクスで目指す目標」と題して報じられたもので、アベノミクスの真の目的が中国への軍事的対峙にある、ということになる。それがアベノミクスの目的かどうかはさておき、安倍政治の基軸が中国との対峙に置かれていることは確かだろう。とはいえ、日本が再び高度成長のような経済成長を土台として中国との対峙をめざすなどということは、時代錯誤も極まれりといわざるを得ない。また、このすったもんだには〝オチ〟まで付いていた。後日、本田氏が記事への抗議したところ「修正の用意があるといわれた」と述べたが、出版社側に「修正すると申し出た事実もない」と否定されてしまったという。
 この他にも安倍首相の周囲には、同じような歴史観を共有する面々が結構多い。そうした取り巻きともいえる人たちのなかから放言が繰り返されているわけだ。

 ◆唯我独尊

 取り巻きの思惑としては、自分と同じ歴史観を持つ安倍首相が底堅い支持を得ていることに調子づいて舞い上がり、他面では自身を取り立ててくれた首相に恩を返したいとの思いもあるのだろう。それが首相の本音を斟酌した発言に繋がっているのだろう。
 いま斟酌と言ってしまったが、実情はそんなものではないのだろう。取り巻き連中は首相自身が要職に登用したもので、彼らは折に触れて首相と同席した事を吹聴したりで首相との距離を競ってきた。たぶん同席した場などでは首相も言いたい放題、取り巻きも「よいしょ」も含めて大いに盛り上がっているのではないだろうか。そうした場面が思い浮かぶようだ。
 こうした一連の暴言・放言を目の当たりにして際立つのは、安倍首相自身、これらの発言を一切否定していないことだ。むしろ「個人の発言」「すでに撤回している」等々とかばい、自身はといえば、同じ論調や歴史観を繰り返し発信してきたのが実情だ。安倍首相がそれらの放言を否定しないのは、自分と同じスタンスからの発言を否定しようがないということに加え、あえて取り巻きに自由勝手な発言を奨励しているふしがある。それが安倍政治を進める上で都合がよいとでも考えているのだろう。取り巻きによる極端な、暴言ともいえる発言で世論を誘導する思惑もあるのかもしれない。加えて、それら取り巻きによる雑な放言を微修正し、若干でも配慮を混ぜた裁定を下すことで、自らの政治を若干の穏健さを演出しながら推し進められる、との思惑もあるだろう。
 ただ、取り巻きによる放言を単に安倍首相の政治手法という理解に止まっていることはできない。それらの放言の土台にある安倍政治そのものが極めて危険で反動的なもの、要は、戦後体制のレジームチェンジ、言い換えれば戦前賛美、戦前回帰が目的だからだ。こうした立場は欧米基準ではネオ・ナチと同一視されるものなのに、安倍首相自身は「軍国主義と捉えるならどうぞご勝手に」と開き直っているありさまだ。
 危険なのは安倍首相の歴史観だけではない。いま対中韓で緊張が高まっているが、それは安倍首相自身が仕向けている面が強いからだ。実情はといえば、中国の強硬派との間でナショナリズムというボールを投げ合って、お互いに弾みを付け合っているのだ。
 安倍首相の言動や立ち位置には、安倍首相が頼りにする同盟国の米国から様々な批判的な声が発信されている。安倍首相の靖国参拝に対する国務省やケネディ駐日大使の発言などだ。加えて、米ワシントン・ポストや英フィナンシャル・タイムズなど、欧米諸国のメディアや政府内からも危惧する声が発信されている。唯我独尊の安倍政治は、欧米諸国の政権でさえ警戒心を呼び起こし、世界を敵に回しかねない極めて危うく危険な政治だという以外にない。
 安倍首相の取り巻きによる暴言・放言は、安倍政権の墓穴を掘る結果となるだろうし、そうさせなくてはならない。

 ◆対案と闘い

 安倍首相が強気の態度を崩さないのは、低下したといえいまだ底堅い支持率、人気があることだ。その背景にはタカ派的言説に吸引させられる風潮が若者の間で拡がっている現状がある。こうした傾向は、ネット右翼の増殖や、都知事選で「侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ」と訴えた田母神候補が60万票獲得して〝善戦〟したことでも浮き彫りになった。
 なぜ若者(だけではない)が田母神候補など、超タカ派に引きつけられるのか。一つの実例が新聞投書にも現れた。「若者は平和に飽きたのか?」という79歳男性からの投書に対する2月13日の反論投書で、20歳の女性からのものだ。引用としてはちょっと長いが、一つの傾向が読み取れるものなので全文再掲する。

 「若者は平和に飽きたのか?」(13日)に反論です。
 東京都知事選挙で田母神俊雄氏が健闘し、若年層からの支持を強く得たことを、「若者が平和に飽きた」、ととられてしまうのは非常に残念です。
 「原発廃止が平和につながる」との見方もあるでしょう。しかし、原発を廃止したら電気料金の上昇は免れられないのです。損失を被るのは若者です。企業の利潤が減少すれば、確実に新卒の採用枠は減ります。
 また、田母神氏は消費税増税対策として、都民税減税や公共事業の拡大を挙げていました。これらを実行すれば、雇用は回復できるでしょう。さらに、自衛隊は戦争のためではなく、平和を保つ手段として戦争を回避するための最低限の実力だと思います。
 「失われた20年」と呼ばれるような長年の不況で育ってきた世代です。むしろ若者の「苦痛の叫び」として受け取ることはできないでしょうか。

 この投書の文面からは、現実政治に対する冷静な分析や批判精神の視点は感じられない。たとえば電気料金の話は原発ムラの言い分のオウム返しだし、企業が巨額の内部留保をため込む一方、雇用や賃金の改善はすすんでいないことは見ていない。あるいは現状の雇用難が度重なる〝景気対策〟にもかかわらず少しも改善されないことでも同じだ。が、ともかく若者が追い込まれている現状への閉塞感となんとかそれを打ち破ってほしいという心情や願望だけが映し出されていることを示している。
 こうした投書は最近のネット右翼の論理をどれほど反映しているか判別は難しいが、一つの傾向を示しているのは確かだろう。都知事選で田母神候補が善戦したことを受けた街角インタビューで、「歴史の真実は分からないが、田母神氏のように考えれば誇りが持てる。」(26才男性会社員)「ぶれやすい政治家が多い中、強さを感じた。」(21才男子大学生)(いずれも朝日新聞2月11日)と語った若者の〝真実より心情が優先〟するメンタリティーと共通するものだろう。
 それはこの間の〝失われた20年〟のなかで、それだけ抑圧感や閉塞感を感じている若者が増えているという現実だ。その反作用として、敵を外部に求める姿勢や〝昔は良かった〟式の、安易な現状批判に吸い寄せられているという構図かもしれない。
 そうした風潮を打ち破るのは、単に〝戦争への反省〟や〝憲法を守れ〟式の戦後民主主義の視点を拡げるだけでは足りない。善隣友好の具体的道筋の提案や取り組みの拡大、あるいは成長至上主義と決別した新しい経済・生活システムの提案、力強い労働運動や市民による闘いなどと結びつけたアプローチが求められているということだろう。私たちはそれをアソシエーション革命やワーカーズ政策綱領として提案してきたが、それらも含めて現実の若者に届くようなメッセージや運動がいまこそ求められているときはない。私たちも、同じように考える多くの人や地やグループと連携しながら、より具体的で実践が伴った形で安倍包囲網を拡げていきたい。(廣)案内へ戻る


 連載19 オジンの新◆経済学講座 GDPを下げて豊かな社会になろう(中)上藤拾太郎

 ●富を見直せ!
 年間国内総生産=GDPは一年間の国内の総付加価値だといえる。さらに付加価値は企業の「売り上げ」から中間製品価格を引いたモノだと前回に話した。つまりGDPのややこしい概念は商品やサービスの売買から生まれたもので、GDPは庶民の「富」や「生活の豊かさ」を意味しない。だから君が社会革命を目指すなら、もっと根本的に考え直す必要がある。
 そもそも富とは使用価値のことだ。そうだろう。社会にとって必要なもの全てを指している。タダ同然でも空気も水も無ければならない。これらは計り知れない使用価値を持っている。価格のないもの、タダの物、廉価なものは富じゃないとか、さらに高額商品こそが富であり、それを買える資力(貨幣)を「豊かさ」と考えるのは断じておかしい!
 前回に紹介した『経済成長神話の終わり』(講談社現代新書)でも、商品価値・価格ではなく「使用価値」に目を向けよという指摘があるが、われわれはもっと前に進むべきだ。

 ●アイデアと技術で生まれる使用価値
 水、空気、光、土地、空間は普遍的な使用価値だ。しかし、衣服、宝飾品、食材、家、車、スマホ・・・等々。暖かくするため、着飾るため、便利なために「必要」だからこれらも立派に使用価値を持っている。
 だから、多くの使用価値は価値観や技術により大いに変化する。例えば原始時代には堅果類(ドングリなど)は食べれなかったが、火の利用と土器の普及で煮て食するようになった。縄文人はこうして定住を開始したと言われている。あるいは、一部の若い人には古着が「ビンテージ・ファション」になったりする。また、今年は空前の大雪で苦労した人も多いはずだ。雪を捨てる場所が無くみんなが困っただろう。ところが一方では、この雪を利用してスキー場があるし、札幌では雪祭りが行われ大勢が押しかける。このように使用価値はアイデア次第でもある。
 人間にとって使用価値こそが大切なことは、自明なことのように思える。一体どうして高額商品や貨幣が富であるかの転倒がおきたのか?
 そもそも戦後日本は、欧米のように多くの使用価値が商品として販売される社会となった。日用雑貨、家電製品、車とかすべてがだ。大衆消費社会というやつだ。貨幣がなければ必要なモノが入手できない世の中になってしまった。人がこの様な社会で生まれ育てば、「豊かさ」「富」は貨幣の大きさだと勘違いを起こしてしまうのだ。
 貨幣が経済の主役となるとどうなるのか。例えばこうだ。国民は賃労働が必要となりいつのまにか戦後、農村地帯から都会へと人が毎年移動した。資本は都市部に偏った投資を行い雇用を創るからだ。その結果、農村はしだいに人口が減り、田舎の町はシャッター通りとなってしまった。反対に都市部には人が溢れ、住宅、自然環境、インフラ整備、セキュリティの劣化が深刻な問題となった。

 ●「里山資本主義」という考え 
 しかし、都市の過密や農村の衰退は宿命ではない。農村にこそ未来の豊かな世界がある。オジンは決して農本主義(農業が社会の根本という考え)ではない。農村地域の復興は、農村のみならず、都市問題の軽減化にも意味を持つ。農村(非都市部と言うべきだが)での新しい地域産業の興隆こそ、社会再生のために大きなカギを握っているのだ。
 それをすでに実践している人たちもでてきた。こうした中で、「里山資本主義」という言葉が少しずつ広がっている。次回はこの提案について検討しよう。(つづく)


 コラムの窓・・・「拝啓 本土の皆さんへ」

 本土の皆さんもご存知だと思いますが、日本政府(安倍政権)は普天間の固定化を理由にして、辺野古の埋め立て「新基地建設」を強行しようとしている。
 稲嶺進名護市長の再選に見られるように、名護市民は明確に新基地建設にNΟを突き付けた。また、沖縄県民の7割が辺野古の新基地建設に反対している。
 なぜ日米政府が17年間も辺野古新基地建設にこだわるのか?
 普天間飛行場を始め那覇軍港などの中南部の古くなった基地を廃棄して、辺野古に新たな巨大な軍事拠点基地を建設したいとの意図。さらに辺野古を囲む東村高江と伊江島に新たなオスプレイ訓練のためのオスプレイパッドを建設する。また、辺野古新基地とキャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブを結合させて、北部地域に新たな巨大な軍事基地ゾーンを建設しようとしている。
 伊江島ではオスプレイバッド6個所がもう完成してしまった。高江ではオスプレイバッド1個所だけ完成したが、N4とN1での工事を阻止するために毎日24時間の阻止活動と監視活動の反対運動を続け頑張っている。
 安倍政権が強引に建設しようとしている辺野古新基地は、どんな内容の基地でどんな問題があるのか?少し説明したい。
 1、巨大基地の建設・・・現在あるキャンプ・シュワブの陸上部分と辺野古・大浦湾の広大な海を埋め立て建設する。新基地の高さは水面から約10メートルあり、滑走路は1800メートルがV字型で2本。ヘリパッド41所、弾薬搭載エリアもある。そして、沖縄防衛局の提出した建設事業には「軍港機能」のことが出ていなかったが、埋立申請書に軍港機能の記載があることが明らかになった。これにより、佐世保に常駐している「ボノム・リシャール」(オスプレイを艦載、水陸両用ホバークラフトを艦載、海兵隊員の載せ他国への殴り込みをする艦船)が接岸出来る事になる。また、米空軍の最新鋭のF35Bステルス戦闘機も辺野古新基地に配備することが明らかになっている。
 2、埋め立てに使用する土砂量・・・広大な海を埋め立てるその必要土砂量は、2100万立方メートル。と言われてもピンとこないと思う。那覇市にある沖縄県の県庁舎を例にすると、「地下2階・地上14階の県庁舎に土砂を入れたとすると、74棟分」の土砂を必要とする。必要土砂量を10トンダンプで運べば「350万台」が必要となる。
 その必要土砂をどこから調達するかと言えば、辺野古ダムやキャンプ・シュワブ周辺から、さらにヤンバルの山を削り調達、それでも足りないから本土の九州や瀬戸内の山から調達予定である。
 3、基地建設費用は誰がいくら負担するのか・・・政府は当初建設費用を5千億円と発表していたが、追加計画がどんどん加算され、最終的には1兆5千億円位かかると言われている。この費用は全て日本国民が負担、私たちの税金で建設される。人口99%の本土の皆さんが建設費用の99%を負担することになる。こんな多額な税金を米軍基地建設に使う余裕が今ありますか?東北や福島の人たちの救済を優先すべきではないのか。
 4、建設期間と基地の耐用年数・・・この巨大基地を建設するのに10年。焦る日本政府は8~9年で完成させると言っているが?またこの基地が完成すれば、耐用年数200年と言われる。沖縄が米軍に支配され戦後68年たつが、もしこの基地が完成すれば半永久的に存在続ける。そして、72年の本土復帰以後新しい基地建設はなかった。沖縄に初めて建設される新基地となる。
 5、豊かな恵み辺野古・大浦湾の破壊・・・辺野古・大浦湾海域は、ジュゴン生息海域。辺野古と嘉陽の海草藻場では食痕が記録されている。沖縄の野生ジュゴンが生存できるか、全滅するかを左右する重要生息海域だ。大浦湾はアオサンゴ・ハマサンゴが群集する珊瑚の宝庫の海だ。人々の暮らしを見守ってきた命の海。まさに沖縄本島最後の自然の海である。
 本土の皆さん、今安倍政権が強引に進めようとしている辺野古新基地建設は、このように問題だらけ。本土からも「問題あり!」「建設反対!」の声を上げて下さい!(英)案内へ戻る


 《紹介》 沖縄の地方紙「琉球新報」[沖縄タイムス」を読んでみよう。

 防衛省と沖縄防衛局には、10年以上前からの米軍によるオスプレイ配備を知りながらぎりぎりまでそれを否定し嘘をつきとうしていたという「前科」がある。辺野古への新基地建設計画でも「巨大軍港」が建設されることが隠されてきた。最近になって埋立申請書に軍港機能記載が「ある」という事実が明らかになった。滑走路と軍港が隣接するまたとない「使い勝手の良い」米軍の新基地建設は、米軍は一円も出さずとも日本人の税金から1兆から1兆5000億円もが使われると言う。
こんな巨大基地ができれば世界的にみても脅威的な存在となり、それゆえにまた敵からの格好の攻撃の的となる。物言わぬサンゴやジュゴンを破壊し、子や孫たちへ200年にもおよぶ過重な負担を強いる新基地建設計画は、名護市という一地方の問題などでは無い。
「海にも陸にも新しい基地は造らせない」と主張し圧勝の上再選を果たした稲嶺進名護市長は、沖縄県民だけでなく、日本全体にも大きな勇気を与えてくれている。その勇気ある闘いを本土から少しでも支援するためにも、沖縄の地元新聞「琉球新報」「沖縄タイムス」を読んでみませんか?
政権寄りの本土の新聞とはまるで違う内容ゆえ、右寄りの発言を続ける桜井よし子氏からは「左翼新聞」とか「偏向新聞」と非難されたと聞く。
かって辺野古アセス提出時期について記者に問われた沖縄防衛局長が、オフレコで「(女性を)犯す前に犯しますよと言いますか」と発言。本土紙はこれを報じず、沖縄の地元紙だけが大きくスクープした。2004年8月の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故の際にも、本土のメディアは「巨人オーナーの辞任」をトップで大きく報道。沖縄県民の抱く恐怖や怒りは、本土の私たちに伝えられることは無かった。「偏向新聞」は本土のほうなのでは?と思う。
私がこの新聞が好きな理由は、女たちやこどもたち、戦禍を生き抜いたお年寄りたちの声がたくさん取り上げられている点だ。それらは揺るぎない平和への思いに裏打ちされている。
「琉球新報」電話098-865-5111
「沖縄タイムス」電話098-860-3000 (澄)


 安倍のエネルギー基本計画

 2月25日、安倍内閣は関係閣僚会議を開き、新たなエネルギー基本計画案を決定した。安倍の原発復活計画とでもいうべきもので、そのために「ベースロード電源」なる珍奇なレッテルを原発に張ることを思いついたようだ。昨年末に募集されたパブリックコメント、私も意見を送った(本紙2月1日号参照)が総数18663件、賛否のほどは分からないが市民の怒りが結集されたものと思う。
 報道によると、「東京都知事選で原発政策が争点化し、昨年末にまとまった当初案に対して原発推進のトーンが強すぎると与党内で批判が噴出、修正に追い込まれる異例の事態となった」(2月25日「神戸新聞」)。今後、与党内の協議を経て3月中の閣議決定をめざすという
 安倍首相らは都知事選で原発を争点とするのは適当ではないとし、争点はずしに躍起となっていた。しかし、舛添都知事が誕生するや一転して、原発再稼働が容認されたかに言いつのり、安倍のエネルギー基本計画推進に踏み切ったのだろう。
 それにしても〝ベースロード電源〟とは何か。原発はいったん稼働させると、出力を上下させたり頻繁に止めたりはできない。だから、夜間の余剰電力を消化するために揚水発電があり、オール電化などという電力消費を電力会社は煽ってきたのである。つまり〝ベースロード〟というのは単純に止められない、需要があろうとなかろうと原発は動き続けるというだけのことなのだ。
 核燃料サイクルもプルサーマルも、もんじゅも全てが止められないのである。核燃料サイクルを止めたら、使用済み核燃料は処分不能の核のゴミとなり、原発は糞づまりで動かせなくなる。プルサーマルを止めたら、大量のプルトニウムの存在を世界的に批判される。もう原発はどうにもならないところまで来ており、虚構の上に虚構を積み重ねなければ完全崩壊する。
 ふりかえれば、2010年版エネルギー基本計画では原発はクリーンなエネルギー源とされ、地球温暖化防止のためにその比重を高めるとされていた。3・11後、紆余曲折はあるが12年9月の革新的エネルギー環境戦略によって、30年代末までに原発稼働ゼロが打ち出された。当時、こんな生ぬるい方針は認められないと批判したが、年末の安倍政権の登場をみたとき、民主党野田政権の〝革新〟を少しは評価できるのかと思ってしまう。
 このように、原発推進は目前の事実を見ないことにしてやっと積み上げることが出来るガラス細工にすぎない。しかし、これを死守しようという勢力は今さえよければいい、その先に何が待っていようと今の利益を享受したいのだ。春から夏に向けて、原発再稼働を許さない闘いを頑張ろう。 (折口)案内へ戻る


 色鉛筆・・・正義の味方アンパンマン でも!?

 子どもたちの夢の世界 アンパンマンミュージアムに行きました。ヒーローであるアンパンマンが登場すると、親子で生き生きと目を輝かせて、見入っていました。アンパンマン体操も一緒にやりました。
 これほどまでに、アンパンマンが長く大切にされ、人気な背景は作者やなせたかしの強い思いが人々の心に根強く残っているからではないでしょうか?僕らはみんな生きているで始まる「手のひらを太陽に」の作詞者でもあり、昨年亡くなりました
 一九七五年、以前作成した続編の絵本『それいけ!アンパンマン』を出版。絵本のアンパンマンは当初、貧困に苦しむ人々を助けるという内容であり、未就学児には難解な内容で、編集部や批評家、幼稚園の先生などから酷評されました。しかし、次第に子供たちの間で人気を集め、幼稚園や保育園などからの注文が殺到するようになりました。シリーズを重ねていくに伴い、アンパンマンの仲間や敵のキャラクターが増えていきました。
  
 ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景には、作者やなせたかしの従軍経験があります。戦中はプロパガンダ製作に関わっていたこともあり、とくに戦いのなかで「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感しました。しかし、これまでのヒーローは「正義」こそ口にするが、悪者と戦うことが主であり、飢えや空腹に苦しむ者を救わず、戦いによって汚染や破壊された自然や建物に対しての後始末や謝罪があまりみられませんでした。戦中、戦後の深刻な食糧事情もあり、当時からやなせたかしは「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えをもっていました。五十代で「アンパンマン」が大ヒットする以前は売れない作家であり、空腹を抱えながら「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたと話していました。こういった事情が「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」という着想につながった。アンパンマンと「正義」というテーマについて、やなせたかしは端的に「『正義の味方』だったら、まず、食べさせること。飢えを助ける。」と述べています。
 空腹の者に顔の一部を与えることで力が半減すると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。かつそれでありながら、たとえどんな敵が相手でも恐れない。これらの点について「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」第一作『あんぱんまん』のあとがきよりと、自身が絵本のあとがきで語っています。

 アンパンマンミュージアムはとても楽しく充実したものでした。しかし残念なことは、アンパンマンが全部商品化されて、子供コーナーで遊ぶおもちゃも全部売店で売られています。子供が欲しがっても、高くてお財布と相談になってしまいます。無料で入場できる場所もありますが、今度行くときは貯金してから、準備してからと思います。そのためには、つらくても頑張って働こうと思います。正義の味方を見に行くのもお金がかかるのでなかなか簡単には行けない、資本主義社会だから…そこだけが悲しいです。 宮城 弥生)


 集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を許してはならない。

 安倍首相が集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更にいよいよ本格的に乗り出した。
 2月20日の衆議院予算委員会でも、「閣議決定して案が決まったら(国会で)議論いただく。それらに沿って自衛隊が活動する根拠がないから、自衛隊法を改正しなければならない」と答弁。憲法解釈の変更に向け、首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、この4月にも報告をまとめる見通しだと言われている。
 集団的自衛権とは、他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある。
その意味においては日米安保条約を締結している日米間における集団的自衛権は今の憲法解釈上からもできるとする意見があり、なぜ今憲法解釈をさらに推し進めて、集団的自衛権の行使容認を勧めようとしているのかが問われなければならない。
 従来日本政府は、自衛隊が米軍の日本防衛以外の作戦に直接協力できない理由として、「憲法9条は国際紛争解決の手段としての武力による威嚇または武力行使を禁じており、自国の防衛以外に武力行使はできない」と説明してきた。このため米国側には「憲法を改正し集団的自衛を認めるべきだ」とする声も出て、国内でも呼応する人が現れるなど、憲法第9条の変更への圧力をかけてきている。
 自衛隊は「軍隊ではない」から国際貢献への自衛隊の派遣にいたる過程は、敗戦による帝国軍隊の解体と平和憲法の制定、朝鮮戦争の特需と日本資本主義の再生・発展、海外進出と密接に結びつき、日米安保条約の範囲ではあるが、着実に力を持つようになったこと、米ソの冷戦構造が崩れ、中国の台頭と海外進出など、近隣諸国との激しい経済競争が行われていることなど、経済情勢や国際情勢とあわせて考えなければ、単に「平和憲法を守ろう」と憲法擁護だけでは、本当の“平和”をもたらすことはできないだろう。
実際、憲法解釈の取り方によっては全く違ったものとして解釈されているのだから、日本の平和憲法とは何なのかと問いたくもなるのだが、今は、「最高責任者は私だ」と言い切った安倍首相らの強引な憲法解釈行為に反対し、闘わなくてはならない。
また、武器の輸出は認めず、認める場合は例外とするいまの「三原則」を撤廃し、新たな原則に反しない限りは輸出を認めるようにする、新しい武器輸出原則の見直し案も検討されている。
 「三原則」は1967年に佐藤首相が、共産圏▽国連決議による武器禁輸国▽国際紛争の当事国またはそのおそれのある国へは武器輸出を認めないと表明し、76年に三木内閣が、その他の地域にも輸出を「慎む」としたものだが、米国への武器技術の供与を皮切りに次々と例外が設けられた。それでも、そのつど官房長官が談話を出し、輸出する理由を説明してきたが、今回の新たな原則は、国際的な平和及び安全の維持を妨げることが明らかな場合は輸出しない▽輸出を認める場合の限定と厳しい審査▽目的外使用や第三国移転の適正な管理が確保される場合に限定する、というものだが、「国際紛争当事国」などが外され、具体的な歯止めが示されないと言うことで、武器輸出が大手を振るって行われやすくなるというものだ。
 原則を見直す背景には、産業界、特に防衛産業の育成と企業の利益を上げ、それによる自衛隊の調達コストの低下を図ろうとする政府の目論見がある。
 いったん国境を超えた武器が、どこでどう使われるかを管理することはきわめて困難な今の現状では、新原則などただのお題目に過ぎない。
 軍需産業の育成や武器輸出原則の見直し、憲法解釈変更の集団的自衛権の見直し、どれも戦争を前提にした話ばかりだ。
 私たちは戦争を前提にするのではなく、いかにして国際的な協調を生み出していくのか考え、資本による国際的な競争ではなく、労働者・市民による国際的な連帯を目指して、安倍首相らの憲法解釈変更と闘っていこう。「M」案内へ戻る

 
 編集あれこれ

 前号1面は都知事選の総括。細川・小泉連合(小泉・細川連合とした方がしっくりするのですが)、あの人たちもこのグループも雪崩を打つようにその下に向かったのには私も驚きました。きっとこれが最終決戦だと思った人たちが、宇都宮候補を引きずり降ろしてでも、脱原発候補の一本化を焦ったのでしょう。
 細川都知事が実現したら安倍政権に対する牽制にはなるだろうし、もしかしたら脱原発も少しは進むかもしれません。しかし、安倍政権が原発を諦めることはなかったでしょう。小泉・細川の挑戦を思いのほか易々と退けた安倍政権は、原発再稼働に向けてエネルギー基本計画を確定しようとしています。
 骨がらみの原発。電力会社は銀行融資に縛られ原発再稼働をめざし、原発資金に囚われた立地自治体も再稼働を容認し、人々は原発と運命を共にしようとしているかです。しかし、電力会社にしても、地元の人々にとっても、今は原発と縁を切るいい機会です。関電社長にして電事連会長の八木誠は原発と運命を共にするつもりのようですが、地元の人たちには何とかこの呪縛から逃れてほしいと思います。
 2面からは安倍政権の教育委員会改革を取り上げています。近畿圏の人間にとっては、橋下教育改革という目に見えるかたちで政治家による教育支配が進んでいます。いくつもの抵抗が組織され、橋下維新の会の思惑取りに進んでいるわけではありません。しかし、多くの教育労働者は頭を低くして、嵐が過ぎ去るのをやり過ごそうとしています。
 5面のコラムで「広がるガールズプア」について紹介していますが、私もこのテレビは観ました。とりわけ、シングルマザーの苦境は見過ごせません。所得税法には寡婦控除というのがあり、シングルマザーには経済的な救済制度があります。これに準じて自治体においても保育料や公営住宅の減免が行われています。はじまりは〝戦争未亡人〟の救済策だったそうですが、今では男親にも認められています。
 しかし、未婚の母親は除外されているのです。古い結婚観、家族観に囚われた政治が阻んでいるのでしょう。当事者などの頑張りがあり、八王子市などで寡婦控除のみなし適用が進んでいます。税は法律で縛られていますが、保育所の保育料や市営住宅の家賃は自治体で決められます。橋下独裁より自治の力、自治体レベルでも安倍政治と対抗することは出来ます。
 7面の随想では福島原発告訴団が紹介されています。一般に事故による被害は損害賠償というかたちで民事訴訟で争われます。過失があれば刑事責任が問われます。ところが多くの公害事件では、罪を問われ獄に繋がれるということにはなっていません。東電福島原発震災においても、あれだけ明白な安全軽視、対策放棄がありながら誰も逮捕されていません。
 警察・検察への告訴・告発、それがダメなら検察審査会への審査申し立て、と粘り強い闘いが続いています。原子力ムラの犯罪者たちを、このまま放置することは出来ないのです。ところが、この取り組みでは製造者責任、原発メーカーに対する告発が抜けています。理由は原賠法でメーカー責任が免責されているからですが、これほど理屈の合わない法律はありません。
 ということで1月30日、東京地裁にGE、東芝、日立の責任を追及する裁判が提訴されました。私も原告になっていますが、国内外1400名を超える原告が名を連ねています。提訴後も原告募集が行われているので、さらに巨大な原告団が形成されるでしょう。内容については、別の紙面でいずれ報告させて頂きます。(晴)

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