ワーカーズ521号   2014/10/1   号案内へ戻る

 安倍首相の戦争できる国づくり 社会をどの様に変容させる!

 殺すなかれというのは普遍的真理ではない。まず、国家的殺人は処罰の対象とはならない。さらに、国家の示唆の下に行われる殺人も訴追されることなく、闇に葬り去られる。現在、多くの国では死刑という刑罰、国家による合法的殺人は廃止されている。ところが、戦争になれば殺人はしばしば称揚される。
 日本にあっては、死刑は国民が求める刑罰として次々と執行されているが、敗戦この方戦場での殺人は行われていない。集団的自衛権行使容認の閣議決定を行った安倍首相の狙いは、このくびきを取り払って戦場での殺人を合法化することにある。
 これが憲法違反だというのは、憲法9条に「国の交戦権は、これを認めない。」と解釈変更の余地なく明記されているからだ。にもかかわらず、安倍首相は法整備を急ぎ、自衛隊員を戦場に追いやろうとしている。しかし、法整備のみによって兵士をつくりだすことはできない。
 戦前を顧みれば明らかなように、皇軍兵士として命を投げ出すことを当然と考える若者が存在し、日の丸と万歳の声で彼らを戦場に送り出す家族と地域の意思が存在し、戦争に反対する素振りにすら〝非国民〟との悪罵を投げつける民衆が存在しなければならない。少なくとも、そうした体制はまだない。
 イスラエルによるガザ攻撃、ここにはパレスチナを抹殺せずにはおれないイスラエルの国家的意思がある。イスラエルには徴兵制があり、高校を卒業したら軍への入隊となり、銃を持ってパレスチナ住民支配の任務にあたらなければならない。アムネスティの情報によれば、今年3月こうした占領政策に反対する高校生50人がネタニヤフ首相に宛てて兵役を拒否する手紙を書いたという。
 兵役拒否の先には軍による逮捕、投獄が待っている。それでも「何度逮捕されても、人権侵害には手を貸したくない」という若者が、歯まで武装したイスラエルにもいる。隣国の韓国にも徴兵制があるが、やはりこれを拒否する若者がおり、徴兵制が嫌でフランスに亡命したものまでいるという。
 日本はどうか。教育基本法が改変され、子どもたちに愛国心や日の丸・君が代への無条件の従属が刷り込まれようとしている。戦死者の受け皿としてのヤスクニへは政治家が大挙して詣でている。報道は国家的情報統制に組み込まれようとしている。侵略戦争の加害の事実は次々と抹消され、そして昭和天皇実録が登場した。
 かくして、戦争に向けた舞台装置がそろえられようとしている。しかし、それらを押しとどめることは不可能ではないし、やり遂げなければならない。前途有為な若者を、戦場に向かわせてはならない。 (折口晴夫)
  
 米国の危険な軍事作戦を非難する!

●危惧される新たな殺しの連鎖
 シリアやイラクの政情が混迷する中、原理主義組織「イスラム国」が支配地域を拡大してきた。
 これに対して、すでにイラク内での米国中心の「有志連合(英仏オーストラリア等含む)」空爆作戦が展開されてきたが、22日より事実上米国単独でシリア国内の空爆が開始された。
 軍事作戦の大幅な拡大だ。
 これらに対して「イスラム国」は、「有志連合」国民を標的とする反撃(まさにテロ攻撃)を呼びかけており、米国のイラクとアフガン撤退をうけて安定化しかけた国際情勢は。一挙に暗転した。

●残忍なのは「イスラム国」だけか?
 国際社会の政府とマスコミは、こぞって「イスラム国」の残忍さ、危険性を叫び立てている。
 そのことは疑う余地もない。だが彼らだけか「悪」だというのは子供だましだ。イスラエルのパレスチナ人へのジェノサイドはどうなのか?オバマや米国政府は沈黙しているのはなぜなのか?米国による今回のイラク・シリアでの空爆で、市民まで巻き込んでいることに沈黙するのは公平か?
 そもそも、イラク戦争(2003~11年)で戦闘員をのぞいた市民だけでも十万人以上を多国籍軍が殺戮したことはどうなのか? この、「文明諸国」によるケタ違いの残虐さを非難しないのか?
 欧米は、産業化した戦争システムが肥大化しすぎた。ビジネスと政治ショーという舞台の上で欧米指導者の語る見え透いた勧善懲悪物語は、どれだけ真実から離れていることか!

●火に油を注ぐ愚行ーー米軍の空爆
 オバマは、「イスラム国を壊滅させる」と23日、大見得を切った。しかし、オバマの戦略はまったく見通しの暗いものだ。
 軍事的な「イスラム国」攻撃は、シリアのアサド政権を救済するだけではなく、それを支援しているヒズボラなど「テロリスト」の救援活動に終始するだろう。まったく矛盾した作戦なのだ。
 現実問題として「イスラム国」「アサド政権」そして米軍が連係する「自由シリア軍」らの三つどもえの闘いになる。米軍はどのような勝利も得ることはできないだろう。
 他方で、イスラエル・パレスチナ問題をかかえながら中東のさらなる混迷は、イラク・シリア両一般国民の悲惨な現状を拡大するだけだ。
 オバマ政権と国際社会は、空爆をやめ避難民の救援や人道支援により、民政の安定にこそ全力を注ぐべきなのだ。

●宗派、民族、部族の自治と独立を!
 強者の愚かしさは、「イスラム過激派」が、なぜこの地域でそしてアフガンなどで台頭するのかを理解しないことだ。つまり軍事大国の横暴が、イスラム民衆を過激派にますます追いやることを理解しないことだ。
 武力で人々を押さえつけ、都合のよい政権作りを策する米国流の世界戦略が挫折したことを、今こそ理解すべきではないのか。
 われわれも確認したい。「軍事的解決」は、人々の怒りと強い憎悪を生み出させる。殺しの連鎖が発生し、グローバル時代には世界を戦場に変えてしまうだろう。第二第三の「9.11」が起きる可能性を高めるのだ。
 米軍の軍事介入に反対しよう、声をあげよう!(文)


 小さな旅・・・岩手にて

 前号(9月15日)で、全国オンブズマン大会の報告をしましたが、大会終了後、もう1泊して盛岡市内の街を歩いてきました。私は、宮沢賢治を記念して建てられた各施設には、2回目の見学になりました。というのも、阪神大震災を経て、花巻にある夫の実家の近くに引っ越した友人を訪ねたことがあったからです。その時は、みんなで西宮に助産院を立ち上げ、支えあった仲間5人で、わいわいと賑やかに旅を楽しみました。あれから、数えてみればもう10年以上の月日が経ったことになります。
 2日目の全国大会の会場は岩手大学で、宿泊したスーパーホテルから徒歩で行ける距離でしたが、ホテルのレンタル自転車(無料)を借りて、軽快にたどり着くことができました。大学の夏休みのせいなのか、自然をそのままに伸び放題の雑草やそびえたつ樹木に、むしろ癒されながら散策しました。校内にある「農学部教育資料館」には、大正時代からの研究資料が展示されていました。賢治が興味を持ち研究生として手掛けた地質、土壌学の論文なども紹介され、その研究がやがて冷害に悩む農家への支援と繋がっていくことになります。
 大会を終えた午後、「盛岡城跡公園」に行き、まだ鳴いている蝉の声を聞きながら落ちてくるとちの実を拾い、木陰の心地よい風に吹かれてゆったりとした時間を過ごしました。その後、「もりおか啄木・賢治青春館」に行き、扉を開けると店内の喫茶からのコーヒーの香りに思わず気を取られ、百年の趣のある建物に足を踏み入れました。
 2日目は、朝から花巻へと向かうため電車とバスで移動しました。バスの停留所は、何か所かの行き先が違うバスが止まるのに、便利な街の交通機関に慣れている私たちは、行き先を確認せず、間違って乗車してしまいました。でもバスの運転手さんは親切で、また最初の停留所まで乗せていってくれ、しかもバス代は無料で助かりました。
 花巻には、宮沢賢治を伝える記念館や資料館がいくつもあり、じっくり見ていると何時間もかかりそうでした。「賢治の学校」では、夜空を走る銀河鉄道に乗った感覚で、童話の村に案内され、様々な工夫で自然に触れ合うことができ、子どもならきっと喜ぶことでしょう。「賢治の記念館」では、賢治の生涯を追い、科学者であり信仰心のある賢治は、常に農民の苦労を思いやり、農民教育のため肥料設計・稲作指導に力を尽くしました。しかし、37歳という若さで燃えつき逝ってしまう。あらためて、宮沢賢治の生き方に教えられた旅でした。(恵)号案内へ戻る


 結局は借金漬け財政──財政への寄生で成り立つ安倍政治──

 安倍内閣による15年度の概算要求が明らかになった。予想されたように、公共事業や軍事費が突出して膨らんでいる。消費増税で庶民には増税しながら、相も変わらず財政の大盤振る舞いで有権者の支持を集める魂胆が透けて見える。消費と生産の好循環をつくりだすというアベノミクス。しかし実態は野放図な財政依存、借金依存政治を深めるばかりだ。
 私は、ワーカーズ前号でアベノミクスがもたらすものは格差社会と財政破綻だと主張したが、財政依存政治についてはほとんど触れられなかった。ここでは借金にたよるバラマキ政治で財政破綻の道を漫然と進む以外に方策がない安倍自民党政権のデタラメぶりに目を向けてみたい。

◆15年度概算要求に見るバラマキ政治

 少し前の話だが、8月29日、15年度予算の概算要求が出そろった。案の定というか、総額は101兆円超と過去最大規模となった。借金返済分をのぞく政策経費は76兆円弱だ。
 14年度予算と比べて要求額が増えた省庁は、国土交通省が15・6%増、農林水産省13・5%、経済産業省11・9%などだ。大幅に増えた理由としては、安倍内閣が掲げる成長戦略や人口減対策・地方創生事業などの「特別枠」に関わる4兆円弱の要求が主な理由だ。
 一方で社会保障費を主な要求項目とする厚労省は3・0%の増に止まっている。3・5%増えた防衛省より低い要求額で、前年並みのほぼ1兆円強の増額要求だ。消費税はすべて社会保障費に充てると繰り返し言ってきたはずだが、その中で社会保障費は8000億円の増額でしかない。消費増税による増収分はどこにいってしまったのだろうか。
 概算要求が過去最大に膨れあがったのは、安倍内閣が消費増税分も含めて公共事業や地方(農村)に振り向けているからだ。15年度の公共事業費は5年ぶりに6兆円台に乗せ、そのうち道路建設などを柱とする地方創生事業交付金として1兆2600億円を盛り込んでいる。その他にもダム・堤防の整備費23%増、道路の老朽化対策20%増、首都直下地震対策として2441億円などが目に付く。
 安倍内閣による財政の大盤振る舞いは今に始まったことではない。安倍首相就任直後の13年1月には総額13兆円もの12年度補正予算を組んだ。そして今年2月には総額5・5兆円の13年度補正予算も組んでいる。当初予算だけでなく補正予算も合わせてみれば、安倍政権は歴代有数のバラマキ政権だという以外にない。
 もとはといえば、自民党が大震災以後に掲げるようになった国土強靱化政策は、東日本大震災を口実とした道路や箱物を含む公共事業重視路線の旗印だった。加えて、最近の地方経済の衰退を口実として公共事業費の増加をめざす意味合いが強いものだった。ここでは「地方創生」が旗印に使われているわけだ。何のことはない。大震災からの復旧・復興でもいいし、地方創生でもいい、安倍政権への支持をかき集めるためにともかく公共事業など財政で地方にテコ入れするのだ、というのが実態なのだ。
 民主党政権は、「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げ、実際に公共事業支出を減らしてきた。が、政権交代が行われる前から、すでにコンクリートへの回帰は始まっていたのだ。その一例が被災地に使うはずの復興予算の無関係なところへの流用であり、また復旧・復興という建前の背後で進んでいた公共事業回帰だった。
 安倍政治でも、というよりは安倍政治そのものが野放図なバラマキ政治で成り立っているのだ。

◆借金依存という無責任

 これまでの放漫財政で、国の借金は膨れる一方だ。すでに今年3月末時点で1025兆円、国民1人あたり806万円にも膨れあがっている。14年度予算での国債発行額は41・3兆円、借金返済が23・3兆円だったから、差比引き18兆円の借金が積み増しされた計算になる。この借金は、むろん将来世代へのつけ回しとなる。
 過去最高の規模となった概算要求での101兆円という来年度の財政支出は、もちろん税収だけではまかなえない。また新たな借金を積み上げる以外にない。15年度予算で101兆円もの支出を組めば、国債発行の削減などすすむはずはないからだ。
 政府は税収と政策経費が釣り合うように、基礎的財政収支(=プライマリーバランス)を、10年度を基準として15年度にGDP比で半減、20年度でゼロにすることを目標に掲げている。そのためには来年度でほぼ10兆円、5年後には現在より18兆円も減らさなければこの目標は達成できないことになる。が、安倍内閣がやっていることは借金を増やすことばかり、財政再建、プライマリーバランスがゼロという目標は遠ざかるばかりだ。
 というより、安倍内閣でも財政再建など進める気などさらさらないのが実情だ。〝財政再建成って政権倒れる〟という事態だけは避けたいというのが本音だ。現に、消費増税を決めたことで歳出を圧縮するなどという発想は、族議員や官僚の論理から消えてしまっているという。財政再建は単なるお題目にとどまり、族議員や各省庁の要求合戦ばかりが目立つ。それを黙認しているというより、むしろその旗を振っているのが安倍首相なのだ。

◆どこにいった〝一体改革〟

 安倍内閣では、新たな経済対策を名目とする今年度の補正予算を組むことが当然視されている。13年度補正予算と14年度当初予算の前倒し執行(発注)がすすんでいるからだ。
 財務省は8月25日、13年度補正予算の69%、14年度当初予算の49%が使われたと発表した。日数の割りに執行率が高いのは、政府が13年度補正予算の公共事業費3・4兆円の7割、14年度当初予算の公共事業費12・2兆円の4割以上を6月までに使う目標を立てていたからだ。3ヶ月で7割と5割を使ってしまったとすれば、残りの9ヶ月で使える公共事業費はガクンと減ってしまう。
 その当然視されている14年度の補正予算の狙いは二つある。一つは安倍内閣の底堅い支持率の柱になっているアベノミクスで景気浮揚への期待をつなぐ〝切れ目のない手当て〟のためであり、もう一つは来年秋の消費税再引き上げのための条件づくりとしての景気浮揚策だ。公共事業の前倒しの執行で年度後半には事業費が枯渇して景気の足を引っ張ることになっては元も子も無くなりかねない、だから新たな景気対策は不可欠だとなり、そのための補正予算も必要だ、というわけだ。財政再建など、どこ吹く風、とにもかくにも借金に頼ってでも財政によるテコ入れが欠かせなくなっているのだ。
 現に安倍政権は、昨年1月に成立した12年度補正予算では「デフレからの脱却のため」、今年2月に成立したの13年度補正予算では「4月の消費増税による景気へのショックを和らげるため」などと、その都度、理屈付けを変えながら財政の大盤振る舞いを続けてきたのだ。
 こう見てくると安倍政権の景気対策と消費増税と社会保障の相互の関係がはっきりする。あるときは財政再建のためにも消費増税は必要だとし、次には消費増税を可能にするためには景気が良くなければならないとして景気委対策として財政をばらまき、それでは財政再建が一向に進まないので、また消費増税が必要だ、と、その繰り返しをやっているだけなのだ。なにが「アベノミクス」だ、という以外にない。

◆財政赤字は矛盾の掃きだめ

 社会保障費の増加を賄うためには増税が不可避だ、そのための安定財源として消費税がもっともふさわしい、これが増税派の言い分だ。こんなのは、庶民に増税を押しつけようとする政治家や官僚によるごまかし以外の何物でもない。
 増税も選択肢に入るのは、たとえば医療費や教育費の全額無料化など社会保障制度の抜本的な改革へと舵を切る場面などだろう。そうではなく、人口構成の変化などにともなう自然増に対しては、予算の組み替えなどで対処すべきなのだ。しかも増税するのであれば、格差是正や再分配の目的も含めて企業増税や所得税での累進課税の強化にこそ求めるべきだろう。そこに大衆課税としての消費増税も含めるかどうかは、それこそ国民的な判断に基づいて選択すべきものなのだ。こうした観点は、小沢一郎や渡辺喜美などがいう「まず無駄を省いてから」という言い分とは、前提条件の性格が違っている。それこそ無駄遣いの是正などは常に徹底してやるべきもので、消費増税の前提にはならないものだ。
 大衆増税の導入の可否は、国家からの自立・自己責任を重視する米国型か、あるいは労使による合意でライフワークバランスを重視するオランダ型か、それとも国家による社会保障を選択したスウェーデン型か、という、いわゆる国の形の選択という中長期的な目標の設定と結びついたテーマに他ならない。その場合でも、オランダやスウェーデンで勤労者、生活者がある程度納得できるような社会システムがつくられたのも、労働組合への組織率が8割、9割という、労働者の強力な組織と闘いがあってはじめて実現できたことを忘れることはできない。日本のように労組加入率が1割台の日本で、ただ政府や財政に頼ってばかりの現状では、そうした福祉国家の実現などあり得ないだろう。日本ではそうした大きな選択の機会がないまま、永年、政財官の癒着による無責任な放漫財政でやってきてしまったのが実情なのだ。
 なぜ日本が世界最悪の財政赤字を膨らませてしまったのか。一つには日本では1645兆円規模(6月末)の個人金融資産があり、国債の消化が容易だったこともある。膨らむ社会保障費も、搾取と抑圧を土台とする資本主義経済で切り捨てられがちな労働者や社会的弱者といわれる層からの不満や反乱を抑える意味合いもあった。が最大のものは、主として公共事業や農林業への支援など、政官業癒着の利益誘導政治に他ならない。〝失われた20年〟の間に国債をはじめとする国の借金は雪だるま式に膨らんだが、その原因は、歴代自民党政権による度重なる景気対策が最大の原因だった。
 いわば膨れあがった国の借金は、資本主義経済と歴代自民党政権による利権政治の矛盾の集約点として、その掃きだめとして膨れあがってきたと見るべきなのだ。その解消・改革のためには、それこそ利潤至上主義の資本主義経済の抜本的な転換と労働者・生活者の自己決定を基盤とする政治システムへの転換が不可欠になる。

◆レジームチェンジ?

 アベノミクスによる〝異次元の金融緩和〟で市中に出回る国債が少なくなったことなどで、国債価格が上昇して長期金利が異常に低くなっている。資金が生産に結びつく設備投資などに廻らず、金利を求めて国債に向かっている現状は、日本経済の先行きを占う極めて危険な兆候である。これまでの経済学の常識では、低金利が続くということは、それだけ近い将来も物価は上がらない、デフレも克服は難しいと見られている結果であり、さらには将来における資本の利益率が少ししか見込めない、という予測の反映だからだ。それだけ企業の活力が失われつつあることの証左でもある。逆に、財政に依存する経済は、国債への信用が失われて国債価格が暴落し、金利が急上昇する危険性も高める。いずれにしても、これからは低金利と金利急上昇の間で大きく揺れ動く不安定な事態が到来するのは避けられない。
 財政への依存ともなう企業の活力低下は、別の所でもすすんでいる。経済における政府部門の比重が増え続けているのだ。それだけ家計部門から政府部門に経済の中心が移動し、旺盛な民需とそれに応える企業という、本来の健全な企業の活力が失われているわけだ。皮肉なことに、アベノミクスでの財政出動が、アベノミクスで目標に掲げる〝生産と消費の好循環〟からむしろ遠ざかっているのが実情なのだ。
 たとえば12年度のGDP472兆6000億円のうち、政府部門が占める割合は25%で118兆円超にもなっている。その政府部門の内訳は、政府が最終的に支出したのは21・7兆円、地方自治体が55・8兆円、社会保障基金が41・5兆円だ。その他は家計部門が63%で198兆円、企業部門が14・2%で67兆円弱だ。家計部門は高度成長期にはGDPの7割近くを占めていたことを考えれば、いまではそれだけ家計部門がやせ細り、政府部門が肥大化しているといることになる。これでは社会主義を国家計画経済だと勘違いしている自民党の政治家などから、日本はいつ社会主義になったのか、と批判が出るような事態なのだ。予算獲得に走り回る議員先生方からそうした声が出ないことも不思議なぐらいだ。
 話を目先の景気に戻せば、今年4月からの消費増税で家計の消費が落ち込んでいる。4~6月期の個人消費が年率7・1%も減っているのだ。実質収入が減り、家計がそれだけ苦しくなっているからだ。金融緩和や年金資金の投入などで目先の株価はそれなりに維持されてはいるが、その足元では需給ギャップがまた拡大傾向を示している。4~6月期には前期比で1・9%増え、GDP比マイナス2・2%、ほぼ10兆円の供給力過剰だ。景気の先行きは明るくないのだ。
 アベノミクスで首相は、株価など目先の景気動向の演出に躍起になっている。軍事優先の国家主義政治を政治を続けたい首相にとって、世論の不満・批判をそらすには、目先の景気を何としても維持しなくてはならないからだ。が、それは長い目で見れば、背負う重荷をますます重くしながらあがき続ける蟻地獄か、あるいは崖に向かう暴走列車のように見えてくる。私たちとしては、安倍首相がいう〝レジームチェンジ〟とはまったく別の意味でのレジームチェンジが課題だろう。(廣)号案内へ戻る


 何でも紹介 ☆ 筋トレで免疫力UP技 ☆

 9月の3連休中、北アルプスなどで山岳遭難が相次いでおこり、その中に私が8月に登った西穂高岳の独標(2701㍍)付近で滑落事故がおきたので驚いた。切り立つ岩の上を慎重に一歩ずつ歩いたばかりなので、今更ながら怖さがよみがえり山を軽く見てはいけないとつくづく思った。私は若い頃から山登りをしているが、最近は昔に比べて若者が少なく山で会う人達は同世代が多い。中高年に登山はなぜ人気があるのだろうか?やはり私自身もそうだが自然の美しさを感じ、山に登る時は息苦しいが頂上に立った時の達成感は何よりも嬉しく、自分のペースで何度も休憩しながら歩く所がいい。インターネットで中高年の登山ブームのことを見ていたら、他のスポーツに比べて筋力がなくても山に登れてしまう所も人気になっているというのだ。「筋力?」「寝たきりにならないためには筋トレが必要」と以前、健康体操教室に無料体験をした時に言われたことを思い出した。すると、NHKの「ためしてガッテン」で「肺炎糖尿病に勝つ! 筋トレで免疫力UP技」の番組があったので食い入るように見てしまい、とてもよかったので紹介したい。     最近の研究で筋肉が多い人の方が少ない人よりも病気による死亡率(重症患者の場合)が半分になることが明らかになったという。しかし、筋トレをしても効果がないから続かないという人も多くこれには理由があった。年をとるにつれて筋肉細胞の働きが弱まり萎縮してそこに脂肪が入り込んでしまい、筋肉がいわば「霜降り肉」のような状態になりこうなると筋トレをしても筋力が上がりにくいため挫折しやすという。ところが、高齢者でも楽に筋力がアップするワザが見つかった。その方法は「3分置きに速歩と普通歩きを行い最後に牛乳を飲む」というワザだ。信州大学大学院医学系研究科の能勢博教授が長野県松本市で実際に行われている方法で、5000人ほどのサンプルをとった結果(なんと10年の歳月を要したという)筋力が1.3倍から1.5倍にアップし、番組の中で60代の女性は、この運動のおかげで片足で靴下も履くことができるようになり風邪もひかなくなったいう。また、速歩を実際に実践している人が平均的に感じた効果の中で、5ヶ月後筋力が10%アップして高血圧、高血糖が20%改善されたという。
 ややキツイ速歩3分、1週間で60分、本人が早歩きだと感じる程度の速歩で、これを1日5セットを週4回行う。毎日行わなくてもよく忙しい人は日曜日に1時間でも、土日に30分間ずつでもよく、ただし2時間速歩をして2ヶ月休むということはだめで1週間単位でやらないと効果が出ないという。運動後30分以内に牛乳(200ml)を飲むか、ヨーグルトやチーズ、低脂肪牛乳を摂取する。きつめの速歩を行うと筋肉は、失った栄養を取り戻すために30分から1時間だけアミノ酸などを取り込む穴を開き、この穴の開いた時間帯にアミノ酸を多く含む牛乳を飲めば筋肉に効率よくアミノ酸が取り込まれ、牛乳を飲んだ人は飲まない人に比べて脚の脚力が2倍近く増えるという研究結果も出ているという。
 なんというワザだろう!お金を払って健康教室の筋トレに通わなくても無料で筋トレができる所が気に入り、私はさっそく日曜日にやってみた。速歩を街中でやるのは気が引けるので公園に行きタイマー片手に速歩をすると、3分がこんなにも長いものかと感じ1回目が終わるとハーハーしてしまい速歩でもあなどれなかった。やっとのことで5回目が終わると両足が張ってしまい、やはり日頃の運動不足を感じてしまったが、運動のあとの牛乳は美味しかった。速歩15分普通歩き15分で約30分の筋トレを週4回やればいいということだが、継続できるか・・・そこが問題だ。日頃パソコンやインターネットに向かっていることが多くて運動不足の人や、運動嫌いの人にも安上がりにできるこの筋トレのワザを勧めたい。(美) 


 シリーズ 「田母神」を読む 『戦争大学』③ 田母神氏の国家理解と国際論?

●お粗末な国際論
 ずでに前回、前々回と見てきたように田母神氏は「戦争できる国、軍事力の強い国が平和」であり「核兵器は持った方がよい」と主張する。その背景には独特の国際理解がある。

「アメリカは、目の前の国が束になってアメリカに向かってくることがないように、日本とロシアを喧嘩させ、日本と中国を喧嘩させ、日本と韓国を喧嘩させ、中国とロシアを喧嘩させている。それがアメリカ外交の基本です」
 さらにドイツや欧米社会については「国際社会とは、キリスト教の社会の世界です。キリスト教というのは『信ずる物は騙される』と言う社会」と氏はあざけっている。
 また「共産主義国家(中国)というのは、暴力革命を党是としてもっているわけです。そして領土を拡大してゆく。世界を共産化しようという思いはすてていないんですよ。」(石井氏の補論)

こんなレベルの低い人達が、軍隊のトップにいた(いる?)という事自体が「日本の危機」ではないか。
 戦争の発端は偶発性もあるとは言え、戦争は偶然に起きる物ではない。その国家がかかえる内部問題の外部への転嫁なのである。それぞれの国家が抱える「国内矛盾」と、国際的政治関係を抜きに「軍事力の強い国は平和だ」などと言うのは失礼ながら無知に等しい。

●戦争は国内問題と深く関わっている
 戦前の日本史を考えてみよう。19世紀終盤、すでに植民地争奪戦は世界的に終盤を迎えており、「世界は列強によりおおかた分割された」のであった。
 米英仏独露の列強に遅れること百年~数十年。日本の近代化が国家の主導で開始された。近代化を推し進める際に必要な資金は、先進国からの借財でまかなわれうるものではなかった。
 日本政府は、半封建的な小作農など国民を重税と低賃金労働で働かせ、それらの余剰をもって国家中心に近代的工業化を押し進め(いわゆる官営工業)さらに軍備拡大をおこなったのである。こうした政策の実行には、政治的独裁つまり官僚制度と警察・軍事体制がともなっていた。
 世界史的に当時は「列強による世界の分割」が終盤の時期。そこで日本が植民地のターゲットとしたのが、朝鮮と満州→中国であった。
 市民の反戦運動が未成熟であった当時の日本。社会主義政党も官憲の弾圧やコミンテルンの引き回しで混乱し、国民の力を結集できずにおわった。
 こうして、官僚的で軍国的体制が強化され、議会活動や民主主義が絞め殺され、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)→韓国併合(1910年)、満州かいらい国(1932年)さらに日中戦争へと無謀な侵略戦争が歯止め無く拡大されたのである。

●軍事力で平和は購(あがな)えない
 ところが田母神氏には、このような基礎的な歴史認識もないし、まともな日本国家の理解もない。だから「軍事力が強ければ、相手は戦争を挑んでこない」(田母神氏)なんて無責任なことが言えるのだろう。
 戦前の日本はアジアでは無敵だ。それなのに中国・朝鮮に攻め入り、はては東南アジアやネパールまで侵攻した。「強い日本」が自ら戦争をしかけているではないか。日本が「コミンテルン(注)にハメられてしまった」(田母神論文『日本は侵略国家であったのか』)なんて理由になるのか?
 そればかりではなく、当時世界最強の米国に、相対的には劣弱な日本が「戦争を挑んだ」のだ! 弱い国も強い国に戦争を仕掛けるのだ。これを「ルーズベルトに騙されたから」(同)なんて説明が世界に通じるのか?お笑いぐさではないのか。
 田母神氏には日本国家の理解がないと言わざるを得ない。無垢な日本が「だまされた」「裏切られた」で説明できるものではないし、責任逃れをすべきでもない。

 このように戦前の日本近代史は「軍事力で平和は購(あがな)えない」よい教訓なのだ。日本人は多くの犠牲をはらったが貴重な歴史的経験を積んだといってもよい。その歴史から賢明な多くの日本国民は学んだはずだったが、残念なことに一部「軍人」はちがうようだ。(つづく)

【コミンテルン:共産主義インターナショナル。レーニンが創設。スターリンがソ連の国際支配の手段として利用。階級闘争を放棄し各国共産党・社会党の混乱と衰退の原因となる。】
【田母神俊雄氏は元航空幕僚長。彼の名が知られるようになったのは、懸賞論文『日本は侵略国であったのか』が、当時の政府見解と対立し、職を解かれたことだ。その後、右翼反動論壇の中心人物となる。今年の都知事選に出馬。落選したが歯に衣着せぬ主張で約六十一万票を獲得、政治家として第一歩をを踏み出した。1948年生まれ。石井義哲氏は田母神氏の盟友。『戦争大学』の共著者】号案内へ戻る


 シリーズ「近現代史を学ぼう」・・・第1回 温故知新

★今なぜ、歴史が大切なのか
 最近、この「温故知新」という四字熟語を新聞などで見たことがない。
 論語の「故(ふる)キヲ温(たず)ネテ新シキヲ知レバ、モッテ師タルベシ」という一節にもとづいて生まれた成語である。
 「故」とは、過去のできごと、歴史を意味する。「温」は、肉をとろとろと煮つめてスープをつくること。すなわち、肉を煮つめてスープをとるように、歴史を調べつくしてそこから新しい見方や知識をえる、これが「温故知新」の意味である。
 この「温故知新」という用語は日本の「戦争責任問題」に関わり、1970年代の反戦運動の機関紙などに、この「温故知新」という用語がひんぱんに登場していたことをよく記憶している。
 「今の若者は歴史を知らない」と嘆く年配者が多い。まさにその通りだが、若者からは「歴史勉強(日本史か世界史の選択)は受験中心の暗記で、特に日本の近現代史はほとんど教えてもらっていないので、知らない」と言う。最近の若者アンケート調査によると、アメリカと戦争をしたことを知らない若者がいるとの報告もある。
 この事は、当然今の学校教育システム(大学受験偏重教育)の弊害が顕著にあらわれている例だ。今の日本の右傾化状況とこの教育問題の弊害が深く関わる。
 しかし、この歴史ボケは若者だけでなく大人にも言えるとことだ。最近地方議員の劣化が社会問題になっているが、こうした問題議員を見て感じることは人権や歴史をまったく知らないレベルの低い言動であること。同時に、こうした問題議員を選出してしまう私たち選挙民も劣化しているのではないか?。
このように、今私たち日本人の劣化が指摘されているが、その一つの原因が歴史を学ばなくなったことから来ているのではないかと思う。違う言い方をすれば、日本の支配者階級は国民が偉くなるより「無知」のままがいいと。よく「もの言わぬ民は滅びる」と言われるが、「歴史を学ばない民も滅びる」と危惧する。
 この事で参考になったのが、本誌「ワーカーズ(3月15日・508号)」の「何でも紹介」の問題提起。
 「何故『世界史』を学ぶ直す必要があるのか?人によって様々かもしれないが、僕なりに主に3つの問題意識をいだいている。第一は日本と中国、朝鮮の関わり、特に明治維新から日清・日露戦争を経て、植民地支配・侵略戦争に至る『近現代史』、第二は地球環境問題からみた『環境と文明の歴史史』、第三は農耕・牧畜経済から産業革命を経て現代に至る『世界経済史』だ」との意見に大賛成である。
 ある歴史著者は「私は歴史を知ることとは、御用学者が書いた作り話(表層の虚飾部分)を剥ぎ取り、真実(深層の部分)に、手をぐいっと突っ込むことだ。国家が作った歴史書(その多くは大学教授と名のつく御用学者たちが書いたもの)は、虚飾に満ちたものである」と、指摘する。
 現在私たちは2014年の日本社会で生活している。長く低迷する今日の社会状況下で第三の壁の突破が叫ばれている。歴史的に見て第一の突破は「明治維新」、第二の突破は「敗戦」との解釈。そして、今の壁を突破するには「戦争」しかないと言う右からの声が大きくなっている。
 この意味でも、私たちは今日のこの日本社会の基礎を作った「明治」「大正」の歴史をどうとらえるか。戦争体制に突入していった「戦前」の歴史、敗戦後の「戦争責任」「戦後責任」の追求・解明が絶対必要である。
 今日の日本社会をしっかり理解するには、近代国家のスタートとなった「明治維新」から今日までの継続性を分析する近現代史の歴史学習が必要だ。
 私としては、このシリーズ「近現代史を学ぼう」で最初に取り上げたいテーマが「戦争」である。あの「アジア・太平洋戦争」を語り継ぐとは、明治の「日清戦争」さらに「日露戦争」、大正そして昭和の海外侵略戦争の継続、そして「敗戦」とその戦後を通した視点で「戦争」問題を取り上げたい。(沖田未来)


 コラムの窓・・・ 交通の安全

 最近のことですが、JALに乗ったら客室乗務員がひとりで何もかもこなしていました。大変だなあ、異常事態になったら対応できるのだろうか、なんて心配になってしまいました。その後、交通の安全についての講演とシンポジウムに参加したら、JAL不当解雇撤回裁判原告団の方が次のように話されて、そうなのかと思いました。
「航空法では設計上、客室乗務員の数は、旅客50名に対し1名となっています。この規定によって、全日空でも日本航空でもB787が国内線を飛ぶときは、客室乗務員の数は6名ないし7名になっています。しかし、B787型機はドアが8か所あるため、1~2か所のドアに客室乗務員がいません。一刻の猶予もない緊急時、旅客を無事に避難させるためには、各ドアに客室乗務員がいないことは問題です。私たちは旅客の安全よりもコスト優先の考え方に対して、会社や国交省に対して改善を求めています」
 航空業界では、JALとANA、スカイマークなどの独立系、ピーチアビエーションなどの格安系(LCC)があります。スカイマークやエアドゥが誕生したのは1998年、2012年にLCCが運航を開始しています。航空業界の完全自由化です。その結果、次のような事態となっているということです。
「これまで燃料を補給する時、旅客が飛行機に搭乗することはできませんでした。しかし、飛行機を効率よく飛ばせるように飛行間の地上滞在時間を短くするために、燃料補給と旅客の搭乗を同時並行して行うことができるようになりました。実際、LCCでは着陸から次の出発まで25分間しかありません。遅延をさせないために不審物チェックなど、十分な安全チェックができるかが心配されます。また、何かトラブルがあれば、即遅延につながり、五月雨式に遅れが生じます」
 なるほど、規制緩和というのはこうした形で現れてくるのですね。航空事業者から要望が出されたのは129項目もの規制緩和策、パイロットの年齢制限や乗務員の乗務時間制限などの緩和、「飛行間点検を整備士がしなくてもよいように整備士を各空港に配置せず、パイロットがその代わりに飛行間の点検をできるような検討もされています」
 こんなふうになっていくとどうなるか、そのひとつの帰結が2005年のJR西日本・福知山線列車脱線事故による107人の死亡です。国鉄からJRへ、分割民営化によって事業の運営目的は「公共の福祉の増進」から「安全と効率の調和」へと、ありていに言えば安全より儲けが重視されるようになったのです。長距離バスで重大事故が起こるのも、儲け重視で過労運転が常態化しているからです。
 シンポジウムでは具体例として、「2012年7月24日阪急バス山口営業所に西宮労働基準監督署から拘束時間・運転時間の超過に対する是正勧告」が出されたにもかかわらず、今日においても9割超えの社員が過労死認定を超える勤務で日々約1000台のバスを動かしている実態が明らかにされました。阪急資本の悪徳ぶりにはあきれるばかりです。
「毎年、過疎化した自治体に対して『撤退』『路線廃止』を口実に補助金を要求して、年間2~3億円ほどの税金投入を受けています。市町村から税金投入を受けて、2013年度決算では純利益『3億9500万円』と公表しています。しかしながら、この収益の中から、何ということか持ち株会社である『阪急阪神ホールディングス』が『株主配当』として1・5~2億円を吸い上げているという信じられないことが行われています」
 2012年の日本の死因別死亡者数は、1位が悪性新生物で約36万人。自殺は7位で26433人。6位は不慮の事故で4・1万人ですが、交通の安全はこの項目に関する問題です。バスの事故などは大きく取り上げられますが、目立たない(あまり報道されない)けど多いのが事業用トラックの死亡事故です。言うまでもなく、これはトラック輸送における経費節減の犠牲が押し付けられたものです。
 運転手がたるんでいるから事故が起きる、事故を起こした運転手を吊し上げ罰を与える、これでは事故はなくなりません。これでは、事故原因の究明ではなく、事故を隠蔽しようという力が強く働きます。講演では、「個人の責任追及ではなく、エラーを生じさせた背景や生じたことの理解に力点を置く」ことだという解説がありました。
 この点、事故を起こしたらミーティングでお立ち台に立たせて謝罪をさせるような職場(郵便局がそうでしたが)は下の下ということでしょうね。福知山線の事故以降、JRは無理な回復運転をしなくなったのか、よくダイヤが乱れています。ちっとも遅れない鉄道というのも不自然なもので、電車の遅れを許容できないような社会は異常です。それより、価格破壊のLCCや夜行バス、交通の不安は尽きません。 (晴)


 連載26 オジンの新◆経済学講座ーー自立した諸個人の協同労働 上藤 拾太郎

●搾取と企業
 前回の話のポイントは、ブラック企業が強搾取というならホワイト企業も搾取があるということだ。
 では、どんな場合でも働くことが「搾取」を伴うのか?
もちろんそうではない。
 「搾取」とは、会社・企業が工場や店舗をもち、材料を集め、そして労働者が「雇われて働かされる」、ということに起因する。
 現代の搾取はほとんどの場合「資本と賃労働」という雇用関係から発生する。前回も述べたように、これはマルクスの解明による。
 しかし、現代でも搾取をともなわない労働もたくさんある。たとえは、個人商店や零細企業だ。しかし、これらの小規模経営は不安定な経営基盤にあり、やりがいもあるが苦労も多い。家業として受け継がれている場合も多いが、企業のヒエラルキー組織で働かされ、機械の歯車のように働くよりはマシと、独立する若者も絶えない。そのなかで成功する者たちもいる。

●協同労働
 それらに対してみんなで仕事起こししよう、というのが現代的協同労働だ。個人経営よりも、基盤が大きく仲間的関係で物作りやサービス提供をする。
 昨年から『ワーカーズ』という映画が好評上映中だ(自主上映)。実際の活動が紹介されている。ぜひ、見てほしい。
 これはわしらの「ワーカーズ」とは名前が偶然一致しただけで、別の団体の別の運動だ。
しかし、やはり単なる偶然ではないとも思える。なぜなら目指すところはおおよそ一緒だからな。これからの時代に「協同労働」はキーワードとなるはすじゃ。
 ブラック企業だホワイト企業だといっても資本は資本。そんなことではなく働く者が主体になって経営し、社会にも貢献できる。そんな働き場を求めるのは人の自然の感性ではないか?

●アソシエーションの時代
 はなしをもどそう。もっとも、協同労働は「労働者協同組合」としての歴史がある。
十九世紀の中葉は、労働者のストライキ闘争の支援などを目的として創られた。その後は、浮沈をくり返してきた歴史を持つ。
 しかし、戦後六十五年、というよりもこの三十年間、自立した市民たちの自主的な活動が多方面で見られる様になった。市民運動といわれる物がそうだが、経済組織でもNPOに代表される「非営利組織」だ。
 いつもそうだが変革は大衆の生活から生まれる。十数年前アメリカのレスター・サラモンが「アソシエーション革命」を提唱した(例えば『NPO最前線』岩波書店)。これは革命の書ではなく、NPOや非営利組織が世界的に成長していることを実証的に示しただけだ。
 しかしこの本の影響は少しずつ広がった。
 サラモンの調査によれば九五年、世界二十二カ国において就業労働人口の四・八%(農業含まず)が非営利組織で働いている。現在ではわれわれの間でもNPOで働いている人はけっこういる。ところが、サラモンの統計は協同組合を含んでいないので、世界的に自主的なアソシエーション経済組織ははるかに多いのだ。


 そればかりではない。すでに当連載でふれてきたノーベル平和賞をもらったバングラデシのユヌスが提唱するソーシャル・ビジネスは、その後に世界的広がりを見せている。他にも「社会的企業」と呼ばれている企業群が存在する。これらは二十一世紀になって目立って拡大した。サラモンの「アソシエーション革命」はさらに進撃中だ。
 大切なことは、現代は自他共に認める資本主義社会であるが、底辺の社会経済組織は別の原理、つまり「利潤」原理ではない新しい「人間的価値」や「働く意義」で動き出しているのだ。
 だから「これら非営利団体の連係で別な社会を創ってみては?」と考える若者達がいろいろと現れたのも不思議ではない。マネー資本主義・市場経済に対抗するオルタナティブ(対抗社会)だ
 未来を支える新しい社会ビジョンは、こうして生まれつつある。その先頭に立つのが労働者協同組合、協同労働協同組合なのだ。(つづく)号案内へ戻る


 独立はならなかったがスコットランド独立投票の意義を考える

●「ウクライナ独立戦争」という時代を超える
現在停戦中とは言え、ウクライナ軍と東部2州の独立戦争は、介入しているロシアとNATOの一足触発の状況を生み出している。
 それに対して、「スコットランド独立」は、否決されたとは言え鮮烈な印象を与えている。その国際的な意義を讃えたい。
 「国家の一部」と見なされていた一地方が、どの様な理由によれ独立を決意し、その意志を全住民に問いかけた意義は大きい。
 英国のキャメロン首相は、保守的でタカ派でもある。もちろん言われているように「キャメロンの誤算」もあったのは間違いない。たかをくくってスコットランド自治政府首相との、住民投票→独立の賛否決定。という取り決めを結んだ。
 しかし、このようないきさつは重要な事とは思わない。
 「独立」という問題は、戦争や内戦の原因となってきた。スコットランドは、近代国家の中で立派な「例外」を示したことは重要だ。

●北アイルランド独立闘争の教訓
 国際法上はイギリス統治下にとどまっていたことに不満を持つアイルランド・ナショナリストは、1919年から1921年までアイルランド独立戦争(英愛戦争)を起こしアイルランド駐留英軍に対してゲリラ攻撃を行った。1921年にアイルランド側代表、イギリス政府は休戦に同意し、12月には英愛条約が調印された。
 条約により南アイルランドにイギリス連邦下のアイルランド自由国が成立したが、アルスター地方の内6州は「北アイルランド」としてイギリスの直接統治下にとどまることになった。現在も続く北アイルランドの帰属問題はこの条約に始まっている。(ウィキペディア)
 北アイルランド独立をめぐる武力事件は2011年以降も、散発的な暴力事件が継続している。2013年にはベルファストの市庁舎でのイギリス国旗掲揚を中止することが議会で決定され、それに反対したユニオニスト側が議員の自宅や警官の車に放火するなど暴動事件を起こした。
 双方のテロ抗争が、長年英国を震撼させてきた。英国キャメロン首相がスコットランドの「独立」志向に対して住民投票を「承認」したのも、このような抗争の泥沼に落ち込むことを避けたかったからだろう。 

●「国家」が問われている
 近年も、ボスニア、ヘルツゴビナの例。チェコ、スロバキアの例など、独立や自治を獲得するまで、内戦を経過するケースがほとんどではないか。
 「世界で一番新しい国(2011年独立)」の南スーダンは、スーダンとの石油をめぐる戦争、そして内戦により百万人といわれる避難民を生み出してしまった。
 世界的に「独立予備軍」も少なくない。
 スペイン、カタルーニャ地方も、歴史的言語的経緯から独立志向が強いと言われている。二十世紀初めには独立戦争も戦われたが、当時のフランコ政権の弾圧を受けた。
 また、クルド人やウイグル族の独立志向は、それぞれイラク、中国などの独裁国家により徹底して抑圧されてきた。
 もし、安倍首相の「説」のように「人々の意志で国家が形成」されたものなら(『新しい国へ』)、地域や民族の分離や独立を弾圧することなどありえないはずだ。
 国家というものが住民や民族の意志とは別な存在であることは、これらの現実から見えてくるだろう。本来は国民あるいは人々を束ねるのは、国家ではなく、住民の意思でなければならないはずだ。民主主義を語るのであれば、スコットランドの例がハプニングではなく世界のスタンダードになるべきなのだ。(六)


 色鉛筆・・・辺野古の強行・強硬・強攻・・・工事を止めよ

 驚いた。長く辺野古の闘いを続けておられる平良悦美さん(80歳)の次の言葉だ。(琉球新報8月29日)10年前と今の政府の姿勢が全く異なり、その「間違い」に強い怒りを持つ。
「(当時の首相)小泉さんは『民衆の頭越しには進めない』とはっきり言っていた。当時の防衛局は32回も(テント村に)説明に来た。説明にも来たし住民説明会も開いた。だが今回は一度も住民との対話の場を設けていない」と。
それどころか、10年前の市民による粘り強い反対でボーリング調査を断念させられた恨みを晴らすかのように、今基地ゲート前では、高さ3センチの三角形の突起の並ぶ「殺人鉄板」を歩道上に敷き、民間の警備員、県警と機動隊員、防衛施設局職員と三重四重に米軍とその新基地建設を「守って」いる。海上では、侵入禁止区域を大幅に広げ、なおかつ全国から海上保安庁巡視船を大量に集め、高速のゴムボートと共に湾内を埋め尽くしている。10年前は中立姿勢だったものが、今はカヌー上の抗議活動の人を羽交い締めにしたり、ケガを負わせたり眼鏡を壊したりと「暴力保安官」に変貌している。

10年前の小泉首相が特別「良い人」だった訳ではない。イラクに自衛隊を派遣し、現地で人質となった人の家族が「自衛隊の撤退」を口にしたとたん「自己責任論」で猛烈に叩いた。8月に普天間基地わきの市街地、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落炎上。 直後に上京した沖縄県知事と宜野湾市長に対し、夏休み中を理由に会おうとしなかった。(アテネ五輪の金メダルにはしゃぐ姿と対照的だった)
当時と今が決定的に違うのは、2回連続して名護市長選で基地建設反対の稲嶺進市長が当選していること。2回の市議会議員選挙でも、市長支持の議員が過半数を占めている事だ。選挙のたびの政府による天文学的な数の「札束攻撃」にもかかわらず、それは揺らいでいない。工事を強行し続ける政府に怒りは燃え上がり、今沖縄県民の8割が「中止」を求めている。(一体他県のどこで、こんな暴挙ができるのか?)
だから政府は名護市に近寄れない。市長との面会も避け、せいぜいが上空からの視察でごまかしている。
政府は、昨年12月の仲井間知事による埋立承認をもって、強行工事の根拠と主張しているが、4年前の知事選で「県外移設」を公約にして当選したはずの人の、いわば県民への裏切り行為がその根拠だ。11月には「移設推進」を公約にして立候補する仲井真氏が、劣勢とあって、菅官房長官は「知事選で基地は争点にならない」「結果がどうあれ工事は粛々と進める」「辺野古は過去のこと」などと発言、政府の焦りをものがたっている。
工事でも10年前には「半年かけて63カ所でのボーリング調査」を予定していたものが、今回は21カ所、さらにそこから5カ所も割愛してしまっている。調査期間も短縮に短縮を重ね、はたして「調査」と言えるのか?と疑問の声もあがっている。
政府の焦りは、辺野古でのなりふり構わぬ強行工事と、それらを「守る」警察、海上保安官らの暴力として現れている。海上の市民は、一人か二人乗りの手漕ぎのカヌーに乗る。それは猛スピードの海保のゴムボートの前では木の葉のようなものだろう。ゲート前でも海上でも、市民らはずっと丸腰・非暴力を貫いて闘ってきている。平良さんのような高齢の方も、幼いこどもたちもいる家族らも。基地反対の声は、今大きく広がっている。ただちに政府は工事を中止するべきだ。(澄)

★辺野古の「へり基地反対協議会」からカヌーが不足しているので、「カヌーカンパ」の要請がきている。 カンパ振込口座 01700-7-661422(名義「ヘリ基地反対協議会」)号案内へ戻る


 読者からの手紙 上映会『遺言 原発さえなければ 福島の3年間―消せない記憶のものがたり』を見て

 9月19日に上映された表記の映画は、3時間45分の長編ドキュメンタリー映画です。 この映画は、神奈川県で上映運動を行っている知人達から、紹介を受けて見に行きました。またワーカーズも協力団体になっている関係からわざわざ千葉から会員の参加もありました。
 会場は関内ホールの小ホールで参加者は小ホールを6・7割位の席がうまったでしょうか。会場で入館者数の発表はありませんでした。
 映画は五章構成で、一章汚染 取り残された住民たち 二章決断 酪農家人生の崩壊 三章避難 ご先祖さまを残して 四章故郷 つなぐ想い 五章原発 原発さえなければ というものです。
 福島第1原発事故の直後から、福島入りをした豊田直己共同監督の鋭い問題意識と機敏な行動力によって発表できるかどうかも定かでない状況から、取り溜め続けられた映像群は極めて非日常的ながらもこれが福島の日常的な状況だと感じ取れるに充分なものでした。豊田監督が作った初めての映画だとはとても思えないカメラワークが光っています。それを支えたものこそ、まさにイラクやパレスチナなどの紛争地を駆け巡り長年培ってきたフォトジャーナリストの技量のさえではなかったでしょうか。
 観客はすばらしい映像の数々にすっかり呑まれて静まりかえっています。時々映像の人物が醸し出す巧まざるユーモアが会場に笑いの渦を巻き起こしますが、映画全体は極めて深刻な内容なのですぐに笑いはかき消されてまた静まりかえります。
 こうして原発さえなければの一点に向かって、映画はクライマックスへと展開していきます。私自身もつい涙がにじんできました。多くの観客もそうであったでしょう。まさに百万言を費やしても、これら映像の具象性に優るものはありません。
 最後の方に飯館村の酪農家が福島で共同牧場を開設して復興を津から強く始める場面があります。この流れにより観客も救われる思いがしたところで、映画は終わりました。
 その後、豊田監督から15分ほどこの映画の制作意図が語られて、特にエンディング場面の共同牧場の解説がありました。その牧場経営は当時も厳しかったが、しかし希望の光を表現したかったし、今に至っても状況は相当厳しいとのお話でした。
 私自身もも当時と比べてそんなに状況が好転したとは考えていませんが、今問題のTPPなどが成立したら本当に終わってしまうとの豊田監督の指摘に、またまた今後も闘っていかねばならないと力を与えられたように感じました。
 上映会活動を企画した関係者の皆様、本当にありがとうございました。(清野)
 
 読者からの手紙 スコットランド独立を問う住民投票の波及を考える

2014年9月16日付 英フィナンシャル・タイムズは、二日後の住民投票について、大凡次のような予想を掲載していました。以下要約して引用します。

 英国人は金曜日の朝、奇妙な感覚を覚えるだろう。英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)は救われたが――少なくとも世論調査によれば、そうなる見通しだった――、連合はこれまでになく脆く見える。
 18日の住民投票では、45%かそれ以上のスコットランド人が分離に賛成票を投じるだろう。これは、住民投票に向けた運動が始まった段階の最も壮大な期待を除くあらゆる予想を上回る数字だ。
 反対に回るスコットランド人の多くは、忠誠の情というよりもリスク回避から、そう決断した筈だ。独立後のスコットランドがどの通貨を使うのかという問いに関して、きちんとした答えを民族主義者たちから奪ったユーロ危機がなければ、英国という連合王国はお仕舞いだったろう。
 連合支持派でさえスコットランドの異質性という現実を受け入れてきた。デビッド・キャメロン英首相は、不適切なアクセント(イングランド訛り)で話し、不適切な政党(保守党)に所属している為にキャンペーン期間の大半を通じて口を出さなかった。これは首相による賢明な判断であると同時に、英国がいかに脆い存在かを示す究極の証拠だった。
 問題はさらに悪化しようとしている。今回の住民投票によって連合の絆が引っ張られて緩んだだけでなく、投票後も緩み続けるからだ。
 ウェストミンスターの主要政党すべてが、エディンバラへの権限移譲をほぼ即座に始めると約束した。キャメロン氏の前任者で、前回の総選挙でやっと29%の得票率を確保しただけのゴードン・ブラウン前首相はその権威をふり絞り、「他ならぬ近代的な形のスコットランド自治」を約束した。ブラウン氏がそのような事を約束できる公職に就いておらず、イングランド人も、ウェールズ人も、北アイルランド人も、議会自体も相談を受けていないという事実は、あたかも時機が来れば解決される問題のように思えた。
 これは無頓着さの極みに達する憲法の即興だ。英国を統治する取り決めに関する撤回不能な約束が、土壇場で切羽詰まった人たちが展開するキャンペーンの餌としてバラ撒かれたのだ。
 こうした政治家に下る罰は、その約束を守らねばならないという苦しい試練だ。スコットランドは既に権限を持っている全ての事に加え、税率と福祉給付を変更する機会を与えられている。これは「最大限の分権」――一般に外交と防衛以外のすべてに関する自治を意味すると受け止められている言葉――には当たらないが、それも手始めに過ぎない。
 スコットランド民族党(SNP)の党首でスコットランド行政府首相のアレックス・サモンド氏はもっと多くの権限を求めるだろうし、住民投票で獲得する得票率を考えると、同氏にはその権利がある。2つの首都は、最大限の分権或いはそれに近い物に向けて議論する事になる。ここで言いたい事は、スコットランドへの権限移譲の拡大が悪い考えだという事ではない。権限移譲は正しいし、避けられない。要点は、スコットランドへの分権は18日に何とか勝敗ラインを越えようと必死になっている政治家が熟考してこなかった、英国の残りの地域の統治に関するほぼ回答不能な大問題を生み出す、という事だ。
 今となっては、よもやそんな事をせざるを得なくなるとは思わなかった最後の遊説のために列車が北へひた走る中で、キャメロン氏と仲間たちがパニーニの包み紙の裏に新憲法を殴り書きしているイメージを拭い去るのは難しい。
 1つの疑問が残る。実の所、連合主義者はどれほど連合主義なのか? 英国という連合王国の支持者でさえもが、エディンバラとウェストミンスターが次第に乖離していく様子――欧州連合(EU)創設の際の文言をひっくり返せば、絶えず緩み続ける連合というところか――を思い描くようになった時、民族主義と連合主義の違いは見えなくなるほど薄れている。

 長々と引用して申し訳なかったが、スコットランド住民投票が独立反対に決したのはここにあるようにユーロ危機と撤回もできずまた実現も大変困難な約束によってでした。これによりイングランドとスコットランドとの政治的な関係は静まるどころか、ウェールズと北アイルランドをも交えて一層複雑な様相を呈する事になっていく模様です。
 他方、この住民投票の実施について、北野幸伯氏の「ロシア政治経済ジャーナル No1109 2014/9/22」の「スコットランド住民投票が日本に与える影響」が興味深い事を書いています。ぜひ皆様に紹介したいと思い、概略を引用します。

 皆さんご存知のように、スコットランドで「独立するか、しないか?」を問う住民投票が実施されました。そして結果も皆さんご存知のとおり。「独立反対派」が勝利しました。
 しかしもし「独立支持派」が勝ったらどうなったのでしょう? 恐らくスコットランドは、独立を達成した事でしょう。英政府が軍隊を送り、内戦が勃発するというような話は、全然聞きませんでした。
 この事は、非常に重要です。なぜか? 「領土保全の原則」と「民族自決の原則」は、矛盾しています。しかし「民族自決の原則」を「領土保全の原則」より上にすると、少数民族がどんどん独立してしまう。それでこれまでは、「領土保全の原則」が上とされてきました。
 ところが、欧米は、ある先例を作ってしまいます。それが、「コソボ」。セルビアの自治州だったコソボは、アルバニア系住民が多い(約92%)。コソボ自治州議会は08年2月、セルビアからの独立を宣言しました(勿論セルビアは反対)。そしてアメリカ、イギリス、フランスなどは、即座にコソボを「独立国家」として認めてしまいます。
 米英仏は、セルビアの「領土保全の原則」より、コソボ・アルバニア系住民の「民族自決の原則」を重視したのです。欧米は、「先例」をつくってしまった。
 これを利用したのが、プーチン・ロシアです。ロシアは、コソボが独立宣言した約半年後、08年の8にグルジアと戦争をしました。そしてグルジアからの独立を目指す、南オセチアとアプハジアの独立を認め、「国家承認」してしまった。ちなみにロシアとセルビアは、同じ「正教圏」に属し非常に仲がいい。それで、プーチンは、欧米がコソボ独立を認めたことに、とても憤っていたのです。
「やられたら、やり返す!倍返しだ!」ですね。欧米がコソボを独立させるなら、俺たちは南オセチアとアプハジアを独立させる!
 こうして領土保全の原則より、民族自決の原則が上になるケースが、三つになりました。
 そして2014年3月。ウクライナ領クリミア自治共和国とセヴァストポリ市で住民投票が行われた。結果、97%以上がロシアへの編入を支持したとされる。勿論ホントかどうかはなんともいえません。しかしクリミアの住民の約6割はロシア人。「編入派」が勝ったとしても不思議ではないのです。また「民族自決の原則」が、「領土保全の原則」の上になりました。
 今ウクライナは、同国からの独立を目指す東ウクライナのいわゆる「親ロシア派」と「領土保全」をかけて戦っています(現在は停戦中)。そして今回のスコットランド。
 さすが成熟した民主主義国家イギリスというべきでしょうか? ウクライナとは対応が違います。「住民投票で過半数を超えれば、仕方ない。独立を認めざるをえない」というのですから。
 欧米は、いつも「自分たちは、道徳的にもっともすぐれている」と確信しています。それで、自分たちの基準を「グローバルスタンダード」にしてしまう傾向がある(例えば捕鯨はダメ!など)。そんなイギリスで、スコットランドの独立を問う住民投票がおこなわれた。結果、独立はできませんでしたが、賛成派が多ければ独立したことでしょう。これは、コソボを上回る先例になります。
 つまり世界中でこれから、「少数民族が独立したければ、住民投票すればいい!」となる。中央政府が、「領土保全の原則」を前面にだして軍隊を送って阻止するようなことは、「時代遅れの残虐行為」になる可能性がある。
 コソボが独立した08年以降「民族自決の原則」が「領土保全の原則」の上になる傾向が出てきた。今回のスコットランドの例で、その流れが更に加速する可能性が強いのです。
 実際、スペインからの独立を目指すカタルーニャ州でも、11月に住民投票が実施される予定です。
 ここから「日本への影響」をみてみましょう。世界の潮流は、1、民族自決の原則は、領土保全の原則より上になるケースが多い 2、少数民族が独立したければ、住民投票だけでいいです。

 このように北野氏は議論を展開していき、外国人参政権を容認する弘前市と沖縄独立論へと警告を発したのです。元外交官の佐藤優氏が言うようにスコットランド住民投票は沖縄県独立運動に実例を示すものとなった現実性はありました。
 日本本土との様々な格差の中で、ついに今回の沖縄県知事選挙には、沖縄独立を公約に掲げる候補者が登場しました。沖縄県知事選に出馬を表明した琉球自立独立実行委員会の大城浩詩実行委員長の「沖縄独立」を掲げた主な公約は、「・1年以内に、沖縄を日本から独立させる・米軍を撤退させる・かわりに中国軍、韓国軍を入れる」というものです。
 この公約に対して明治天皇の玄孫で作家の竹田恒泰氏は、ツイッター上で「「内乱罪か内乱陰謀罪が適用できる」と指摘する程の過激な警戒心を露わにした上で「国からの独立自体が暴動となり、それが現実味を持てば自衛隊が投入されるだろう」とも論じたのです。
 学習院講師を解雇された竹田氏自身に、嘗ての宮家の子孫でトラブルメーカー以上のまともな資格があるのでしょうか。己を知らぬ何という呆れ果てた発言ではないでしょうか。
 このずれまくっているご仁には、先に引用した北野氏の忠告を送りたいと考えます。
「『イギリスは、独立の是非をスコットランド住民の民意に委ねた。日本は、沖縄住民の意志を踏みにじり、自衛隊を投入し、武力で鎮圧した野蛮な国だ!』となる可能性がある。
 そんな事にならないように、沖縄の人たちが何に憤っているのかに耳を傾け、どうすれば、その不満を解消できるのか、誠実に考え実行する必要があります。そうでなければ、まだ小さい独立の機運がどんどん強まっていく事でしょう。
 日本政府は、こういう動きを、決して軽く見るべきではありません。
 ウクライナ国民だって、1年前までは平和に暮らしていた。それが、それこそ『アッ!』という間に『内戦』に突入していったのですから」
 周知のように沖縄県知事選挙の候補者は、現在辺野古海岸埋立申請を承認した仲井真氏、県民総意での決定を訴える下地氏、埋立申請承認撤回を明言できない翁長氏、埋立申請承認撤回の喜納氏そして沖縄独立をめざす大城氏です。本当に翁長氏は情けない候補です。
 是非これらの候補者の選挙戦に注目していきたいと私は考えています。(猪瀬)


 『だけど、くじけない・・・。』

 これは、平成24年2月に長倉洋海氏が、震災後の東北のこどもたちを撮った写真集である。この中で、私の眼をひいたのは、10ページの南相馬の11歳の少年の『万輪』のいうスポーツについての言葉である。少し長いが引用する。〝未来の自分は今、私が願っている様なやさしい人になっていますか。外に出てみんなで遊べる。いつでもみんなと会える福島県になっていますか。今すごしている1秒1秒を大切にして下さい〟という書き添えがある。自分が大人になったときの人としてのありようを問う大人っぽい問いである。私はこの11歳の少年の問いが、少年らしさよりも状況のきびしさから生まれる大人っぽい人間の問いのように、思えてならない。福島の少年は早く大人になってしまったように思われてならない。少年らしく遊びにふける時間を少年たちから奪ってしまったのだ。原発は早く大人に育たねばならなかった、一言で言えばイヤに分別くさい言葉。福島の子どもたち、私はそう思えてならない。人間の成長の自然をも奪ってしまう原発のおそろしさを改めて知った思いである。9月21日、大阪、宮森」号案内へ戻る


 編集あれこれ

 本紙前号1面、安倍改造内閣や党幹部はカジノ議連メンバー多数と報じています。これら安倍の右翼的お友達、そのまたお友達は極右。海外では安倍の評価自体が極右政治家であり、知らぬはこの島国の住民ばかりなりというところでしょうか。
 8・9面の全国市民オンブズマン岩手大会報告でも、カジノ問題に触れています。IRカジノ法案(特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案)に反対する決議では、「IRカジノを国会が認めることは、これまで日本にない民間企業の賭博開帳を認めるもので、憲法上、最大の価値である人権と公共の福祉に反するものであり、絶対に許せない」としています。
 どんなものでもそこに商機があるなら逃さない、敵対勢力のどちらにも武器を提供する、他人の不幸を儲けの対象にする、カジノもそうしたものとして悪党どもがたかろうとしているのです。「国内外のカジノ企業、カジノ議連、カジノを推進するJAPIC(日本プロジェクト産業協議会)、経団連、そして誘致活動を行う一部地方自治体の首長」ら。
 野々村事件は兵庫県警による本人の任意聴取段階となり、出張はほとんど行っていない、金権の購入を切手購入と装い、クレジットカードの改竄も行っていたことを認めているようです。県内オンブズ3団体は野々村元県議以外にも2名の県議を刑事告発し、8名の県議(刑事告発と重複)の監査請求を行っています。どこまでも続くぬかるみ、全国の自治体議会に飛び火し、これまで隠されていた公費の杜撰な支出が暴かれだしています。
 2・3面の「再び泥沼にはまりつつある軍事超大国」と6面の田母神本の紹介では、世界に戦争と武器をばらまく大国とこれからその仲間入りを果たそうというこの国の戦争勢力を批判しています。まるで地獄から這い出してきたような「イスラム国」にしても、叩けば抑え込めるというものではないでしょう。憎悪のなかから立ち現れ、憎悪を吸収して膨れ上がる、そんな〝怪物〟を生み出したのは「軍事が強ければ攻められない、戦争がなく平和でいられる」という田母神らの暴力信仰ではないでしょうか。
 こうして、この国が戦争に向かおうとするとき、天皇が装いを改めて登場することの重大さがあります。4面の昭和天皇実録に対する論評は、宮内庁の作為、それは不都合な情報の封印であり、まさに情報統制への大きな流れと軌を一にするものです。読売新聞などは、1面で「昭和天皇苦悩の日々」とか「軍暴走へ抵抗克明に」等の見出しをつけています。
 日独伊3国同盟のなかで、最高権力者としてただひとり、戦争責任をすり抜け生き延びた昭和天皇ヒロヒト。東京裁判において権力者たちは裁かれましたが、ヒロヒトは免責されました。残念ながら、人々によって天皇制に終止符を打つこともできませんでした。捕虜虐待などの実行責任を問われたBC級戦犯の刑死者は1000名、そのうち旧植民地の朝鮮人が148名、台湾人が173名でした。
 今年初めテレビ放映された「忘れられた皇軍」(大島渚監督作品)は、日本軍に従軍し戦傷を負いながら、戦後韓国籍となり(日本国籍を奪われ)何の補償もなく街頭に投げ出せた元兵士を追ったものです。植民地化し、物資も人も奪い、そして捨て去った、天皇の名の下に行われたこの罪はとてつもなく深いものです。
 (晴)

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