ワーカーズ522号  2014/10/15  号案内へ戻る

 尽きた三本の矢 安倍政権に経済低迷の追い打ち

 世界経済の低迷がここに来て表面化した。一つにはEUの経済失速の中心がドイツであることの重大さだ。IMFですら「ユーロ圏ではデフレに変わるリスクがある」と7日に警告を発した。この背景には中国の経済不振があると考えられている。
 他方、アベノミクスで経済が混迷していた日本経済も、4~6月のGDP成長率が年率換算で実質マイナス7.1%という落ち込みぶりが判明した。それをうけIMFも今年の日本の成長予想を、0.7%と大幅に下方修正、0.9%とした。日本のエコノミストですら、十四年度のスパンでは成長率を0.3%台に見積もっている。事実上のゼロ成長だ。

■三本の矢のゆくえ
 世界経済の影響を割り引いても、アベノミクスの成果は何もなかったと、今や断言できるだろう。
 アベノミクスの三本の矢はもそも「デフレ退治」として、大胆な金融緩和、機動的な財政出動=公共投資、民間投資を喚起する成長戦略とされてきた。
 しかし、当初から財政拡大政策の効果は疑われており、せいぜい短期的カンフル剤に過ぎない。「異次元の金融緩和」も含めて、大企業の収益を増大させたが、国内での拡大投資、新規投資の動きも鈍い。だから設備投資も減少がとまらない。
 一方、肝心の賃金だが十四ヶ月連続で実質賃金が低下し果ている。この一年間で2.6%の減少だ。個人消費はますます萎縮している。これがアベノミクスの現実だ。

■アベノバブル収縮か?
 次々と出てくる不振の経済指標。安倍首相にとってもはや株高だけが頼みの綱だろう。NISA(少額投資非課税制度)をはじめ、政権発足当初より政策的にも政治的にもお金を株式市場に集めることに腐心してきた。その株価の動きが、ここへ来て大変怪しい。
 10月来、日経平均は大幅な下落に転じている。金余りの状態とは言え、ハイリスク・ハイリターンの株式相場だ。実体経済の不振はいつかバブル相場を崩壊させるだろう。その「時」は近づいている。不安心理の中で米国ヘッジファンドの大量の売りが今回あったとされている。

■動揺する安倍内閣 
 特定秘密保護法、集団的自衛権容認、武器輸出解禁などの安倍反動政治も「景気好転」という国民欺瞞の上に成り立ってきたのだ。この足下が動揺を始めたといえる。
「女性活躍」とか「地方創生」とか、大臣ポストをセールスの看板にしてみても具体的中身がなく、「統一地方選対策」にしかすぎないだろう。また「カジノ誘致」で日本経済が再生するわけもない。行き詰まる安倍内閣をさらに追い込もう。(文)


 カジノで地域振興なんてとんでもない!

 9月29日に開会した臨時国会で、統合型リゾート施設の整備推進法案(カジノ法案)が審議されようとしています。実に憂うべき事態です。なぜカジノで観光振興、地域振興なのでしょう。確実に不幸になる人々が存在し、その犠牲の上に景気が良くなって、誰が喜ぶのでしょう。
 賭博を禁じている刑法第185条には、「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」と書かれています。しかしこれでは何も規定してないと同じです。〝賭博〟とは何か、パチンコや公営ギャンブルが許されているのはなぜか。さらに187条には富くじ発売を処罰する規定がありますが、宝くじの類も堂々と販売されています。疑問だらけです。
 広辞苑によると、賭博とは「金銭・品物を賭けて勝負を争う遊戯」とあります。まず、パチンコの場合は出玉を直接換金していない、パチンコ屋‐景品‐景品交換所と偽装しているから賭博ではない・・・。それに警察の天下り団体(通称:保通協)も噛んでいるし、なるほどそういうことなのか。
 ちなみに、法律上は偶然の勝敗によって財物その他財産上の利益の得喪を争うことを賭博というそうですが、公営ギャンブルが合法なのはなぜか謎ですね。お上が胴元だからいいのでしょうか、その利益が公的に利用される(本当なのか?)からいいのでしょうか。そういえば、明らかに健康に害のある煙草も税金ががっぽりだからいいのか。
 このカジノ法案をめぐって、報道記事を3件紹介します。さらに、本紙9月15日号でオンブズマンの全国大会報告が行われ、カジノに反対する決議が行われたとあります。その決議も紹介しておきます。 それにしても、カジノも五輪も願い下げにしたいものです。(折口晴夫)

 まず、「週刊金曜日」(10月3日号)では黒島美奈子氏が「社会病理深める〝麻薬〟カジノ法案通すのか」と論じています。沖縄のカジノ構想は1971年、米軍政下の復興策として経済界から声が上がり、その後も繰り返し浮上しています。今は仲井眞弘多知事が外国人観光客獲得のために、カジノ法案に意欲を示しています。黒島氏は次のように述べ、その愚かさを批判しています。
「国会がいま鳴り物入りで進めようとしているカジノ構想は、海外では400年近く前から、足元でも43年前から沖縄で議論されてきた使い古された策だ。しかも快感は一瞬で、長い期間をかけて心身を深く傷つける麻薬のよう。そんなことでしか国の成長を促せないとしたら、現政権の知恵などその程度というほかない」
 次に「愛媛新聞」(10月6日)社説です。こちらは「新競技場とカジノ 五輪をだしに負の遺産生むな」という見出しで、「疑問を禁じ得ない二つの巨大な計画が、『五輪のため』との美名の下、目先の利益最優先で、甘い見通しのまま進められようとしている」と冒頭で指摘しています。
 巨額の税金が投入される新国立競技場、その必要性すら疑わしい建て替えのための解体工事入札が、「最初は不調、2度目は工事費内訳書を事前に開封したとして、官製談合も疑われ不手際で失敗」というひどい状態です。文部科学省の外郭団体、独立行政法人「日本スポーツ振興センター」(JSC)もまた、天下りの利権団体なのでしょう。
 カジノについては、「賭博を禁じる刑法を含めた社会のルール転換を拙速に進める」ものとして、決して認めないと論じています。「ギャンブルを『成長戦略の目玉』(安倍晋三首相)ととらえる発想そのものも受け入れ難いが、目当ての経済効果の試算も極めて甘い。五輪を機に外国人富裕層が大挙して来日、大金を落としてくれる上、利用者の7~8割を占める日本人が負けることが『前提』」
 同じく10月6日の「神戸新聞」は、「カジノ法案めど立たず」という見出しをつけています。そうなら、ひとまず危機は先送りされたということですが、他の重要法案との関係や、与党内での足並みが必ずしもそろっていないということのようです。そうだと、これまでのあれこれの法案の強行突破のように、公明党を説き伏せ、自民党内の異論を組み伏せてしまえば、一気呵成に成立させてしまうということも予想されます
 かつて、大阪市の人工島「舞洲」への五輪招致はあえなく敗退しましたが、今度は「夢洲」にカジノリゾートの構想が夢のように立ち上がっています。候補地としては他に横浜や沖縄が、企業側ではユー・エス・ジェイや京浜急行鉄道、コナミ、三井不動産が食指を伸ばしています。「経済効果2兆円規模」という見出しがついているくらいですから、都市も企業も欲望ギラギラというところでしょう。
 識者談話として、金融財務アナリストの「まず始めることが大事」いぬのがあり、なるほどこういう人たちはそう考えるのだと納得。一方、全国カジノ賭博場設置反対連絡協議会代表で弁護士の新里宏二氏は、「不幸振りまくビジネス」と批判し、「経済効果ばかり強調されるが、代償として借金や失業、職場放棄、犯罪、医療費などの社会的損失が発生する」と警告を発しています。

 IRカジノに反対する決議

1 2014年9月国会で「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」(以下、IRカジノ法案)が審議される。安倍晋三総理を最高顧問とするIR議連が提案したこの法案は、十分な審議もなく可決される危険性が高い。
2 IRカジノ法案は、今後2年以内に政府にIRカジノの実施法をつくらせ、2020年の東京五輪に間に合わせるという拙速法案で、カジノに伴う①ギャンブル依存症等の発生・拡大、②治安悪化、犯罪の発生、③マネーローンダリング、④教育・文化環境の悪化を招き、そして本来許されない賭博を営利業者に認めるという利権まで発生させ、法秩序の否定をもたらすものである。
3 政府や地方自治体は、現在でも刑法185~187条の例外となる特別法で公営ギャンブルを主催したり、富くじ(宝くじとサッカーくじ)を販売しており、また、パチンコ・スロットの「三店方式」による換金を認める警察の監督下で日本では既に世界最多の「ミニカジノ」が存在する。
4 これによる日本のギャンブル依存症は500万人以上とも推計される。既存ギャンブルの周辺で既に賭客の借金や生活破綻、自殺、さらに家族の財産喪失から子どもの熱中死までが発生している。そして、ギャンブルに投ずる金のために窃盗、強盗、横領の犯罪も絶えない。しかるに、この弊害を生む主催者・企業はその防止の責任を全く果たしていないし、政府も被害救済に動いていない。
5 カジノは、賭客からより大金を効率的に得る。人の射倖心を利用して、人の富を収奪するものであり、金を賭けないゲームとも異なり、人の弱みを利用する企業活動である。国内外のカジノ企業、カジノ議連、カジノを推進するJAPIC(日本プロジェクト産業協議会)、経団連、経済団体、そして誘致活動を行う一部地方自治体の首長は、大衆から娯楽の名の下に財産を収奪する事業を進めるものである。
6 これは憲法の定める日本国民の幸福追求権、生存権、生活基礎となる財産権を侵害するものである。IRカジノを国会が認めることは、これまで日本にない民間企業の賭博開帳を認めるもので、憲法上、最大の価値である人権と公共の福祉に反するものであり、絶対に許されない。
以上、決議する。
     2014年9月7日  第21回全国市民オンブズマン岩手大会 号案内へ戻る


 「従軍慰安婦」 もみ消しはできない

●「サンケイ」による あきれた「朝日」バッシング
 今年8月に「朝日新聞」が、八二年以来十年にわたり十数回記事ネタに採用していた「吉田証言」が虚偽だとして、以前の報道を取り消したのが事の始まりだ。

 故吉田清治は、自ら朝鮮半島で「慰安婦強制連行」を行ったと証言。それが実は大嘘だった。しかし、「朝日新聞」も、その後「吉田証言」の虚偽に気付き、採用することを止め九七年にはその事をすでに紙面で認めた。
 「朝日」バッシングの急先鋒の「サンケイ」ですら、当時は「吉田証言」を記事ネタに連載まで組んでいたのだから、ジャーナリズムの限界であり「朝日」だけをどうこう非難するのはおとなげない。「証言」のウソを認め記事の撤回をしたのだから、それでよいのではないか。誠意を認めよう。
 願えるのなら「サンケイ」も「吉田証言」記事を撤回し、ジャーナリズムの良識を示すべきなのだが。

●「慰安婦問題」はますます明確に
 『DAYS』10月号は、タイムリーにフィリッピンやインドネシアの「従軍慰安婦」を、本人達の証言つきで報道している。旧日本軍による慰安婦「派遣」のマル秘電報なども添付されている。
 「従軍慰安婦」は、けっして中国、朝鮮の問題ではない。旧日本軍の全組織的な行為であることはますます明らかになっているのだ。
 「吉田証言」=ウソ。ゆえに「従軍慰安婦問題」は存在しなかった、という「サンケイ」等のレトリックは通用するものではない。
 それが証拠に安倍内閣の岸田外務大臣ですら、あらためて「河野談話」を継承すると25日に語った。河野談話とは、性の奴隷とされた従軍慰安婦に旧日本軍が関わっていたことを政府として公然と世界に認め謝罪した、政府見解である(1993年、河野洋平内閣官房長官が発表した)。

●何が問われているのだろう
 一ヶ月以上もつづいている、少し滑稽とも言える「サンケイ」「新潮」や田母神氏、桜井氏などの「朝日」バッシング現象だ。彼らはこぞって「朝日」や左翼勢力が「日本をおとしめた」「国の恥」「祖国に濡れ衣を着せた」と主張している。従軍慰安婦問題を認めようとしない。その裏には何があるのだろう?

 彼らがこだわり続けているのは、戦前日本の植民地主義、つまり朝鮮半島の支配や中国侵略を歴史から抹消したいからなのだ。だから「南京大虐殺」もウソだといってはばからない。慰安婦問題も認められないのだ。
 田母神氏などは、日本軍のアジア進出は欧米の支配から、アジアを解放する闘いだとまで、歴史を偽造しようとしている。第2次大戦に突入する際の政府が持ち出したスローガン「大東亜共栄圏」そのものではないか。

 われわれは日本人であると同時に人間としての誇りがある。だからこそ戦争の責任から目をそらすべきではない。「自分たちは正しかった」などと不誠実な強弁から、真の信頼や友好は生まれるか。
 日本の過去の「恥」を認めることを「反日」だと言右翼マスコミは攻撃している。しかし、無責任な言い逃れこそみっともないことではないか。恥の上塗りで世界に日本国民をおとしめているのは、はたして誰なのか?
 右翼マスコミは、慰安婦報道が日本の国際的信頼を失墜させたという。そうではない、真摯な反省によってこそ、不戦の日本を造れるし、国際的評価を勝ち得るのではないのか。少なくともこの点ではドイツに学ぶべきだ。(堀)


 シリーズ  「田母神」を読む 『戦争大学』④ 文民統制けしからん?

●「文民こそ戦争をしたがる」
 逆説で読者を惑わせるのが、田母神氏の語りの特色だ。
いままでも、「武力が強い方が安全(平和)である、核兵器もそのために必要だ」と言ってきた。今度は、軍人こそが平和の守り手で、「文民」こそが戦争をしたがるといいだす。

「日本では、軍人が戦争をしたがると教えていますが、 ほんとうは軍人が一番戦争をしたがらない。当たり前のことなのです。自分が死ぬかもしれない、自分の部下が死ぬかもしれないのに、そんなこと好んでやりたがる人がいますか。いるわけがない。」
「湾岸戦争だってそう。結局、アメリカではブッシュ大統領とチェイニー国防長官が戦争をやりたかった。当時のパウエル統合参謀本部議長は、最後まで反対しました。」
「軍人は戦争をしたがっている、なんてウソをばらまかれているのは、日本の力を削ごうという勢力の情報戦なのです」(戦争大学)。
 はたしてそうなのか?

「プロレスラーに喧嘩を売る人はいません」(シリーズ①参照)の論調と同じように、氏は一方的に都合のよいたとえ話を引き合いに出してきている。

 いずれにしても、戦争と言う複雑な社会事象を考える際、「軍人は戦争をしたがる」いや「文民こそ戦争をしたがる」などという一面的な議論につきあうべきではないと思う。
 どちらの例でも、都合よく引き合いにだすことができるだろうからだ。

●現代の「戦争勢力」とは何か?
 米国や旧ソ連(ロシア)の場合、経済の中枢に居座る「軍産複合体」が、軍備増強と戦争、そして武器輸出に直接的利益を見いだす勢力である、とされてきた。
 ほかでもなく米国大統領アイゼンハワーが指摘したこの存在は(注)、適切なものだと考える。たしかに、第2次大戦とその後の戦争を解明するための大きな礎石だ。
 
ちょうど日本でも「原子力村」がある。巨大電力企業・政治家・官僚等が、国家予算を支配して、利害共同体を形成。補助金をばらまきながら国民を懐柔し、自己の利益をもとめて数十年間邁(まい)進してきたのだ。
 その何倍もの規模の米国「軍産複合体」は、強固な利害共同体である。軍隊・軍需産業・官僚や反動的政治家が中核となり、米国では大学などの教育機関やマスコミにまで影響を拡大している。つまり、国民的な世論操作まで手中に収めているのである。
米国においてこの勢力に対抗するのは至難の業である。だから米国は、「軍産複合体」の強い影響の元で、戦後、世界でもっとも戦争をする国となっているのだ。
 このように、田母神氏のように「戦争をしたがるのは軍人ではなく文民だ」などという単純な問題ではない。そんなところに戦争の原因があるのではない。

 日本では、「戦争勢力」はいまだに強力な存在になっていないし、また、させてはならない。しかし、今年、安倍首相のもとで武器輸出三原則が破棄され、さらに集団的自衛権容認という新たな展開があった。今後海外派兵に向けた防衛力の整備を呼び水として、日本の軍需産業も「活気づく」気配はある。おおいに警戒しなければならない。

●結局は軍部賛歌
 ところで田母神氏は、「文民こそ戦争をしたがる」「軍人こそ戦争をしたがらない」と論じた数ページ後のところで、石破氏(元防衛大臣)の国会発言に噛みついている。
 石破氏は、戦前の教訓として軍隊を制御する「文民統制がいかに重要であるか」を論じたものだ。自民党の政治家としては教科書のごとく普通の内容だが。
 しかし、田母神氏は、こう糾弾する。
「戦争に突っ走った東条英機総理以下の責任はどうなんだ、文民統制がなっとらんと石破氏は言いたいのでしょう。確かに、あの時点(開戦の年昭和一六年)では戦争をしないという選択肢もあったかもしれない。しかし、戦争をしなかったらどうなっていたのか。おそらく、フィリピンと同じようにアメリカの植民地になっていたと思います」。
 およそ田母神氏には、自分の一貫した論理というものがない。

 ここでは、文民統制が機能不全ゆえに東条英機以下軍部が、太平洋戦争に向かって暴走をしたこと、つまり、軍部が率先して戦争を拡大したことを不問にしたばかりではなく、むしろ正当化しているのだ。
 自説混迷のさなかにある田母神氏だが、言いたいことは、ようするに軍部は常に善良で正しい、ゆえに軍部は文民統制も、国民からの批判も受けたくないと言うだけのことに思える。武力信仰、軍部賛歌によって戦争勢力を側面支援する田母神氏なのだ。(つづく)


【軍産複合体:アイゼンハワー大統領が1961年の大統領退任演説で、政治的経済的、さらには研究開発までも影響を及ぼす軍産複合体が、民主主義の脅威であると、警戒を発した。】
【田母神俊雄氏は元航空幕僚長。彼の名が知られるようになったのは、懸賞論文『日本は侵略国であったのか』が、当時の政府見解と対立し、職を解かれたことだ。その後、右翼反動論壇の中心人物となる。今年の都知事選に出馬。落選したが歯に衣着せぬ主張で約六十一万票を獲得、政治家として第一歩をを踏み出した。1948年生まれ。石井義哲氏は田母神氏の盟友。『戦争大学』の共著者】号案内へ戻る


 連載27 オジンの新◆経済学講座 水野和夫氏「中産階級の衰退と利潤率の低下」 上藤 拾太郎 

 協同労働組合について述べる予定だったが、その前に、最近出版された注目の書物について話そう。
 労働者市民にとり選択肢が、どうして「資本」ではなく協同労働なのか、の問いの答えになるかもしれない。

●ピケティと水野和夫に共通するもの
 ピケティの著書『21世紀の資本論』は、日本での翻訳本が出ていないが、NHKや『エコノミスト』で特集されるなど、前評判が高い。
 それもそのはす゛、米国ではセンセーションを巻き起こしているという。だが、語学の苦手なオジンには、今は手が出ない。
 他方、水野氏の『資本主義の終焉と歴史の危機』は今年3月に発行され、7月にはすでに9版を重ねる話題の本である。おてごろの新書本だし、図も豊富でわかりやすい。
 水野氏は、知る人もいる思うが、元々大手証券会社のチーフエコノミスト。民主党政権時代には「内閣官房内閣審議官(国家戦略室)」等を歴任。近代経済学の立場から政府に助言してきていたわけだ。
 両著者の共通の視点は、「資本主義経済では、さらに中間階級が没落してゆく」「格差社会はますます進行する」ということだ。なので「資本の勤労市民に対する敵対性が明瞭になる」「資本主義は立ちゆけない」とのメッセージと受け取られる。

●極限まで下がってしまった「利潤率」
 水野氏は論じる。
 一九九七年までの資本主義の歴史の中で「もつとも国債利回りが低かったのは、17世紀初頭のイタリア・ジェノバです」「日本の国債利回りは四〇〇年ぶりにそのジェノバの記録を更新し、二・〇%以下という超低金利が(一九九七年以来)二〇年近く続いています。」「なぜ、利子率の低下がそれほどまでに重大事件なのかと言えば、金利はすなわち、資本の利潤と同じだと言えるからです。・・利潤率が極端に低いということは、すでに資本主義が資本主義として機能していないという兆候です。(=利子率革命)」「利子率=利潤率が二%を下回れば、資本側が得るものはほぼゼロです。」
   日本は二〇〇〇年以降、ダントツ最低の10年国債金利となっている。
 水野氏が掲げる長期トレンドとしての「利子率(利潤率)の低下」のグラフでは、70年代以降、米英日の利子率は低下するばかりだ。そのなかでも、日本の場合が典型的だ。
いわゆる「失われた二〇年」の時代がすっぽりはいっている。

●利潤率が下がるわけ
 利潤率が低下する傾向にあることは、そもそも経済学者が今頃気がついたというものではない。すでに18世紀にはこのことが問題となり、『国富論』で名高いアダム・スミスさらにはリカードなども「利潤率の低下の謎」を解明しようと取り組んできたのだ。
 この問題を労働価値説の立場から体系的に解明したのは、マルクス(『資本論』)であった。マルクスの考えはシンプルだ。資本どうしが競争する過程では、機械化・オートメ化が進む。つまり省力化だ。各企業はコストを下げ生産性を上げなければ生き残れない。 こうして高額の産業機械化と省力化で、労働者の比重はどんどん下がり続けている、という事になる。これを「資本の有機的構成の高度化」とマルクスは呼ぶ。
 言い換えれば「総投下貸本(設備費+材料費もろもろ+労賃)」に比較して「労賃」部分は相対的に小さくなるということ。

ところで利潤率の計算は次の通りだ。

 利潤率(%)=利潤(剰余価値)/総投下資本×100。

剰余価値(利潤)の原泉である労働者が、企業の生産に果たす役割がどんどん小さくなるのなら、同じく剰余価値(利潤)は、「総投下資本」に対して常に低下する他はないことになるだろう?

これが「利潤率の傾向的低下」だ。
  *  *   *   *   *   *   *   *   *  * * *
 すまんな、少しややこしかったかな? まあ、今も昔も、合理化や省力化を追及しながら資本は薄利多売をする他はない。利潤率の低下にあえぐ企業は、労賃の据え置きや省力化で、カツカツの企業経営をする。
 これでは働く者の生活は、資本・利潤原理の下ではますます辛いものになる、という事じゃ、このまんまではではな。(つづく) 


 コラムの窓・・・アベノミクス「輝く女性」は大山鳴動して鼠一匹かも。

 安倍首相はアベノミクスで「女性の活躍推進」を柱の一つに掲げ、今臨時国会での所信表明演説では、女性の活躍を経済成長の原動力「成長戦略の中核」と位置づけ、女性政策の部分を「成長戦略の実行」という章に盛り込んだと発言した。
 女性が活躍できない環境を改め、女性の能力を認め、活躍できるような環境を作ると大々的にアピールしているのだが、その中身は真新しいものではない。

 今までも、女性の活躍を進める政策として、「2020年までに指導的地位の女性を3割に増やす」という「にいまる・さんまる」という数字自体は、民主党政権時代の2010年に作られた男女共同参画基本計画に盛り込まれていたし、実際のところ「女性の活躍推進」の政策は、小泉構造改革政策では意欲と能力のある女性が十分に活躍できるように、女性のチャレンジを阻む社会制度・慣行の見直しを行い、積極的に支援する「女性のチャレンジ支援」という政策であった。しかし、非正規雇用やパートタイマーとしての不安定で低賃金の雇用状態が常態化し、その恩恵を受けたのはごく一部分でしかなかったのである。「女性のチャレンジ支援」「女性の活躍推進」どこに違いがあるというのだろうか!?
 このように、名前やスローガンを変えて、あたかも新しくより積極的に、省庁や民間企業の幹部に女性を積極的に登用する方針を打ち出したかなような安倍首相。「私が目指すのは全ての女性が自信と誇りを持ち、輝くことができる社会だ。政策パッケージを取りまとめていく」と述べ、企業に女性管理職登用の計画づくりを義務づける女性活躍推進法案のほか、「政策パッケージ」として、2年以内に女性の活躍を進める環境を集中的に整える法案・・育児や介護を担う女性、母子家庭の女性たちにも目配りする考えを強調し、主婦の再就職や起業支援▽非正規労働者の待遇改善▽母子家庭への支援▽妊娠・出産を理由にした解雇などのマタニティー・ハラスメント対策などが盛り込まれた法案を提出し、審議される見通しだ。

 こうした首相の試みには好意的な評価は多い様だが、女性の活躍を推進する新たな法案で、女性の登用に関して企業に数値目標の設定を義務づけることについては、厚労省の諮問機関である労働政策審議会では、経営側から「もともと女性の少ない企業がある」「目標を達成しようと数あわせが行われたり、女性が反発を受けたりする」との反対意見もだされ、義務づけを躊躇していたが、二転三転し、結局、企業に策定を求める行動計画に「達成しようとする定量的な数値目標」と「計画期間」を盛り込むよう定め、あわせて「女性の職業生活における活躍の推進に関する取り組みの内容」とその「実施時期」も決めるようにする方針で、従業員301人以上の企業が対象で、計画作りの義務づけは2016年度からとする法案を提出するとのこと。しかし、結局のところ数値目標の割合など、大部分の設定は設定義務に反対する企業任せで、大企業や官公庁などごく一部分に限られたもの、その実行性に疑問や不安が残り、目標倒れという見方もあり、女性票を当て込んだ選挙目当てだという評価も出ている。

 今までの成果がなかったから、あらためて成果を期待するという考えもあるが、今まで成果を上げられなかったのはなぜなのか、その反省が中途半端にされている中では、保守歴代政権があげられなかった成果を、同じ自民党安倍政権が繰り返ししても、スローガン倒れに終わると考えるのが一般常識ではないだろうか。

 男女を問わず、個々人の能力を発揮させる場が平等に与えられており、その中で総合的に認められて指導的地位に就くと言うことであって、指導的地位の比率が高く設定されたから活躍の場が増えるというものではないだろう、女性が活躍することと女性が指導的地位に就くこととは別のことではないか。
 まずは活き活きとして能力を発揮させる場が個々人に平等にあるのか疑わしいのに「2020年までに指導的地位の女性を3割に増やす」という発想も、目標管理型のアメとムチ的な発想であり、正規労働と非正規労働など格差拡大が広がり続ける中では、限られた「指導的地位」という位の差別意識を助長し「指導的地位」という優先的な地位に向けて女性を駆り立て一層格差拡大が広がることにもなりかけないのである。 
 女性が就職し、労働力の重要な役割を果たしていることは、女性の就業率の上昇傾向を見れば明らかである。女性の就業率は2010年(平成22年)に60%を超えた後、2013年(平成25年)の女性(15~64歳)の就業率は、平均で62.4%に達しているである。年齢階級別に10年前と比べると、最も上昇したのは、30~34歳で10.9ポイント上昇。また、有配偶者の就業率が大きく上昇し、10年前に比べ、30~34歳では12.1ポイント、25~29歳では9.9ポイント上昇し、結婚し共働きする30代が特に上昇しているのは、子育てを含めての生活改善など、そうしなければならない理由があるからだろう。 
 しかし、その就業状態は非正規やパートと言った不安定で低賃金の雇用状態が大半を占めており、決して恵まれてはいないのが現状である。 
多くの女性が社会の担い手として働いているのは確かだし、少子高齢化が進む中ではますますその進出に期待する所であり、労働力不足を悲観する企業の意を受けての政府の「女性の活躍推進」政策ではあるが、果たしてすべての女性に恩恵が与えられるのか疑問視せざるを得ない。

 自民党は企業の利益を優先した労働政策を推し進め、雇用の流動性の強化や労働規制の緩和の政策を実施している。その為、正規労働と非正規労働や能力主義による競争と賃金格差などで「労働市場における労働者同士の競争を激化させ」ているし、ホワイトカラーエグゼンプションなどの労働時間の見直しによって残業代の見直しと長時間労働など、労働条件の改悪化が進んでいる。
 こうした現状の中では「輝く女性」の為の法案の恩恵にあやかるのは、大企業や官公庁で働く少数のエリート女性であり、社会の土台を支え、地道に働く多くの女性は少子高齢化で減少する安価な労働力の供給源としてしか見られず、それを支える為の「輝く女性」政策であり、その恩恵は限られたものでしかないだろう。(光)号案内へ戻る


 色鉛筆   出生率1・43・・・人口減少は続く

 2013年の合計特殊出生率は、1・43で前年を0・02ポイント上回ったと、6月に発表された。(図参照)微増上昇は2年連続だが出生数は過去最低で、図のように出生数より死亡数の方が多く人口の自然減数は過去最多だった。2・07が人口を維持できる水準とされているがその水準には遠く、今後も人口の減少に歯止めがかかりそうにないという。1970年代半ば、出生率が2・00を切ったが政府の危機感は薄く、少子化が問題になったのは90年、「1・57ショック」と騒がれた。94年、政府は初の総合的な少子化対策「エンゼルプラン」を発表し毎年のように対策を打ち出すが、予算の投入が不十分で保育所の拡充はニーズに追いつかず待機児童問題が深刻化し、05年には過去最低の1・26になり、その後も政府は様々な対策を打ち出してきたが効果はなく人口減少は止まっていない。 
 内閣府が実施した少子化対策に対する調査で『まず、「給料アップ」で結婚を後押しして欲しい』と、未婚男女のこんな気持ちが浮かび上がったという。調査は昨年11、12月、20~59歳を対象にインターネットで実施し、約1万3千人から回答があった。少子化の原因のひとつは結婚しない男女の増加で、50歳時点で一度も結婚したことがない割合を示す生涯未婚率は10年で男性が20・1%、女性が10・6%で上昇傾向が続いている。調査では、結婚の支援として重要だと思うことを複数回答でたずね、その結果、「給料を上げて安定した家計を営む支援」が49・2%と最も多く、次いで「雇用対策をして、安定した雇用機会を提供」が42・0%、「夫婦が共に働き続けられるような職場環境」は40・4%だった。
 なんと今の若者たちが、安い給料で身分も不安定な非正規雇用で働かされている現実がはっきりわかり、男性の多くが長時間労働を強いられ、女性に家事や子育ての負担が偏れば出産後も働き続けるのは難しくなるような働き方をされていることもわかった。だから若者たちは経済的に不安を感じて将来の見通しが立たないから、結婚をしようとしないのだ。少子化対策にはまず若者たちの非正規雇用をなくすための政策を打ち出すべきだが、企業は相変わらず人件費を抑えるために非正規雇用を増やし、雇用全体で非正規雇用が36・6%で過去最高になっている。アベノミクスの効果で景気が上向いていると報道されているが、景気回復の前に非正規雇用の問題の解決に真剣に取り組むべきだ。
 さらに、アベノミクスの女性の活躍推進『働きたい女性が希望に沿って個性や能力を発揮できる社会』とは?いったいどこの国の話しだろう?大半の女性たちは社会や男性から差別されて、年々貧困率が高くなっている現実とあまりにもかけ離れていてあきれてしまう。『2020年に指導的な地位の人の3割を女性に』という目標ではなく、「すべての人を正規雇用に」という目標を掲げてもらいたいものだ。
国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、出生率が今のままなら2026年に1億2千万人を切り、今から34年後の48年に1億人の大半を割り込み、100年後、日本の人口は約4300万人と今の約3分の1になってしまうという。同時に「超高齢化」が押し寄せ人口全体は減るが、65歳以上の人の数は30年近く増え続けるという。いったいどうなっていくのか不安を感じざるを得ない。老い先短い私たちより、若者たちや子どもたちの未来のために安心して暮らせる社会を創っていかなければならない。(美)


 何でも紹介  「子どもの貧困」  阿部彩著

「基本法」はタナザラシ?

 昨年の国会で「子どもの貧困対策基本法」が制定され、その具体的な対策を検討する委員会が発足し、ようやくこの八月末、「子どもの貧困対策大綱」が発表された。当日こそ新聞各社は「貧困の連鎖を断ち切る」などの見出しでこれを報じたが、そのあとがさっぱり・・・。
 今回の国会での焦点になるかと思いきや。安部総理大臣の所信表明演説では、「子どもの貧困」について一言も触れていない。従来からの「女性の働き方」や「子育て支援」は触れるものの、それと関連してはいるが次元の異なる独立した問題だからこそ「子どもの貧困」自体を問題として「基本法」や「大綱」が作られたというのに、その自覚が欠如しているのか?あるいは意図的に無視しているのか?(取り上げれば「財源の裏付け」を問われるから?財務省の意向を反映してか?)
 野党も野党である、首相に対する各党の代表質問の記事を見ても、「子どもの貧困対策」についての政府の取り組みを問う質問は見えない。まあ、今後の委員会質疑などでは出てくるのかもしれないが、このように「子どもの貧困」は、現在の政治的課題の中では、あきらかに優先順位の低い位地に貶められている。このこと自体に、僕は大きな危機感をいだくのである。

貧困率は十六%に

 子どもの貧困問題に関わる関係者からは、早くも「大綱には肝心の数値目標がない!」と危惧の声が上がっている。関係者とは、今回の「子どもの貧困対策大綱」作成に関わり、様々な提言をした児童福祉関係者、小児医療関係者、教育関係者、地方行政の担当者、子どもの社会問題を専門とする学識経験者たちなどである。本来なら「子どもの貧困率を何年度までに何%まで抑える」という大目標があって、各論のそれぞれの目標数値が組み立てられるのが「対策」なのに。
 OECDが調査している各国の「子どもの貧困率」の中で、日本のそれは年々上昇し、今回の発表では「16%」。実に子どもの六人に一人が「貧困状態」だというのだ。この数字は、アメリカについで第2位だそうだ。
 今回取り上げる阿部彩著「子どもの貧困」(岩波新書)が出版されたのは2008年。今から6年前で、このときはOECDの発表した日本の貧困率は15%で、やはり「貧困大国」アメリカに次いで第2位だった。そのころから事態は改善されるどころか、じわじわと悪化しているのが今日の情況なのだ。
 この一年間、大綱策定に関わる委員会に張り付いて取材した新聞記者の感想が特集記事に掲載されていたが、委員会の席上、関係者が様々な具体的な対策の必要性を力説するのに対し、同席している官僚はただそれを聞き流すだけに終始していたという。財源のかかる対策は、そのために財政的な措置が必要なのだが、それを行なう姿勢がない。かといって「財源が無いのでそれは無理」と言うと紛糾するので、それも言わない。
 かくして、各委員の貴重な発言は、言いっぱなし、聞きっぱなしとなり、出来上がった大綱も「数値目標なし」つまり「財源の裏付けなし」。あとは、各自治体の「基本計画」にお任せしますという「責任は地方にマル投げ」(つまり国は無責任)なのだ。関係者の前ではニコニコして「もっともです」と言いながら、首相も官僚も、心の中ではアッカンベーをしているのだとしたら、許されないことではないか?重ねて言うが、野党もそれを許しているのだから同罪ではないか!

母子家庭にしわよせ

 この本は「子どもの貧困」の情況を出来るだけ客観的に示すため、様々な社会調査を行い、その方法論や解析結果の解釈に力点が置かれているので、僕などのように「社会調査法」を専門としない者にとって、ちょっと読みづらく、読み通すのに根気がいる。実はまだ、関心のある個所を流し読みしただけで、全部を熟読したわけではない。それでも、子どもの貧困を取り巻く情況に、日本特有のいくつかの特徴があることがわかる。
 特徴の一つ目は、子どもの貧困は、かなりの割合で「母子家庭」にかたよっていることだ。最大の要因は、労働者の中の男女格差、とりわけ非正規労働者の割合が女性において高いからだということは誰でも気がつくだろう。だが、それだけではない。母子家庭に至る経過はいろいろあるが、その中で離婚による場合、元の配偶者であった男性の方も、非正規労働者化し、養育費を仕送りする余裕がないことを理由に無責任な対応をしているケースも多い。また昔なら団塊世代が現役で働いていて所得もあり、母子世帯になった娘を同居させてカバーすることもできたが、今は娘の扶養どころか団塊世代そのものが退職し、やがて介護される立場になってきている。

貧困の世代連鎖

 特徴の二つ目は、貧困が「世代的に連鎖」する傾向が強いことだ。なぜそうなるか、社会調査の解析結果では、一つの要因には絞れず、様々な要因がからみあっているような。いちばん分かりやすい仮説は、育った家庭の所得が低いと、教育にもお金を掛けられず、勉学条件が不利になり、学歴が低くなり、低賃金労働者になる率が高いのだろうということだが、実際にはそんなに単純ではない。生まれた時の栄養状態、医療へのアクセスの遅れ、家庭環境による勉学へのモチベーション、親のストレスによる家内不和、教育費不足による学習材料の欠如、住居環境、貧困地域の環境、親の就労状態による子育て時間の不足などが、複雑にからみあって、一筋縄にはいかない。つまり貧困の連鎖の回路のどこにクサビを打てば、決定的な効果が得られるのかが見えにくい。
 これは経済的な問題だけではない。最悪のケースが「児童虐待の連鎖」である。親に虐待されて育った子が、やがて親になる。子ども時代に情操形成がうまくできなかったことが原因で、親として自然な感情であるはずの「わが子を可愛いと思う心」が枯渇してしまい、経済的貧困との相乗効果で虐待に至ってしまうのだ。わが子を可愛いと思えない、そんな自分の感情をどうしようもない、そんな母親の悩みは、どんなに苦しいものだろうか?そして、そんな親に毎日、虐待されながら、どうして自分はそんな目に合うのか、わけもかわらず日々を過ごす子どもの側の苦しみは、本当に、本当にかわいそうだと思う。

働く者全員の課題だ

 今こそ、社会全員が、首を寄せ合い、眉をしかめ、深刻に相談しなければならないというのに、「女性の閣僚を増やしました」と自慢げに笑っている首相も首相、その女性閣僚をターゲットに「ウチワ配布問題」や「在特会とのツーショット」を追及するだけで悦に入っている野党も野党。僕は腹の底から怒りを覚える。憎しみさえ感じる。
子どもをないがしろにする社会は、すでに腐敗し堕落しているのであり、いつか必ず滅んでいくだろう。これだけ関係者たちが議論して力を注いで問題を明らかにしたというのに、これほど一生懸命に政策を提言してきたというのに、その「基本法」は骨抜きにする、「対策大綱」には数値目標も財源もつけない、まるで詐欺師ではないか?今起きている深刻な事態に、つまり苦しむ子どもたちに、何の痛みも感じず、何一つ責任を負わず、「アッカンベー」を決め込む醜い大人たち。そんな腹黒い政治家や官僚を、どうして断罪しなくてよいだろうか?
 貧困と虐待の暗い闇の中で、人知れず苦しんでいる母と子、毎晩のように救急車で搬送される子どもたち、この人々に向き合いながら、救急病院で、児童相談所で、福祉施設で、支援学校で、行政の窓口で、貧困問題の研究所で、孤軍奮闘し、声を上げながら、その声が届かず歯軋りしている関係者たち。この人たちの苦闘する姿に、巨大な松明の強い光を当て、社会の隅々まで音が届くよう警鐘をガンガン鳴らすことは、古い言い方だが「労働者階級の第一級の政治課題」ではないでしょうか!つまり「みんなの問題」ではないでしょうか?(誠)号案内へ戻る


 大阪泉南国賠アスベスト訴訟勝訴

 10月9日、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は「石綿の危険性について医学的知識が確立した1958年には、工場への排気装置設置が技術的に可能で、国が義務付けるべきだった」(10月10日「神戸新聞」)と国の賠償責任を認める判決を下した。
 尼崎のクボタと違い、泉南は小さな工場が多く、労働環境も劣悪。国はこうした実態も知っていたにもかかわらず、石綿の生産、自動車や造船など基幹産業への供給を優先した。こうした構図はすべての公害被害に共通するものである。御用学者を使って被害の原因究明を遅らせ、加害企業による害毒垂れ流しを継続させ、被害を拡大した。アスベストや水俣病はまさにその典型である。
 その被害救済でも、あやまった病像を固定化し、対象者を最小限にしぼる。この国では官僚の責任放棄によってすべてがそうなるのだが、まれに裁判での救済がある。泉南アスベスト訴訟は同じ大阪高裁で国の責任についての判断が分かれ、最高裁の判断が注目されていた。提訴後、14人の原告が死亡するという壮絶な闘いののちに勝ち取られた、文字通り命がけの勝利だ。
 泉南アスベスト被害については、「命てなんぼなん!‐泉南アスベスト禍を闘う」(原一男監督作品)というドキュメンタリーがある。3月15日の本紙8面を参照されたい。

追記 10月1日付けの「労働情報」によると、今年8月2日、中国の江蘇省昆山市の自動車部品工場で爆発事故があり、75人の労働者が死亡した。GMなどの多国籍企業に部品を供給しており、日本のホンダも含まれている。
 爆発の原因はホイールキャップの製造工程で発生する可燃性の粉塵が堆積、発火しもの。防塵や換気によって防げる事故だったが、労働者への犠牲の押し付けと規制当局の職務怠慢によって多くの命が奪われた。
 多国籍企業はこうした実態を見ぬふりをし、或いは知りながら利益をむさぼっているのである。産業革命この方、資本はこのように労働者の生き血を吸って生きながらえているし、これからもそうし続けようとしている。 (晴)


 シリーズ「近現代史を学ぼう」・・・第2回「明治の謎・伊藤博文暗殺(上)」

★はじめに
 歴史上の一つの事件を取り上げて、明治の歴史を考えてみたい。
 本紙「ワーカーズ7月15日NO・516号」の読書室「フリーメイソン=ユリテリアン教会が明治日本を動かした」という記事の中に、「福沢諭吉は、・・・二人の息子を米国留学させ、『日本の独立自尊』を更に追求していった。そして全く意外にも『ワルの頂点』である伊藤博文もまた追求していたのだ。まさに『事実は小説より奇なり』ではないか。伊藤博文が朝鮮併合に強く反対して、山県有明に暗殺されたのはその遠因がここにあったのかも知れないのである」と書かれていた。
 伊藤博文が山県有朋に暗殺されたとはどういう意味なのか?こうした疑問を持った人もいたと思う。なぜなら、私たちはこれまでの歴史の勉強では「伊藤博文はハルピン駅で朝鮮独立運動の義士・安重根にピストルで撃たれて暗殺された」「安重根は朝鮮では義士・英雄とたたえられソウルに記念館も作られている」と、教えられてきた。
 最近再び、日韓関係においてこの安重根が脚光を浴びている。
 昨年6月、パク・クネ韓国大統領が訪中の際、安重根の石碑建立を周近平国家主席に提案した。この石碑建立は、いつの間にか「記念館建設」へと話が拡大し、今年の1月19日にハルピン駅に新しい「安重根記念館」が建設され開館した。
 それに対して、日本政府は2月4日記念館開館について「残念で遺憾だ」との答弁書を閣議決定。菅官房長官も会見で「遺憾である。安重根は日本の元総理大臣を暗殺したテロリストだ」と中国・韓国を批判した。
 安重根は朝鮮では「義士・英雄」として今でもたたえられいるが、日本では「テロリスト」呼ばわりされている。残念ながら、この歴史観の相違が戦後69年になってもなかなか縮まらない。
 私が読書室の記事を契機として、この伊藤博文暗殺問題を少し調べてみると、伊藤博文暗殺に関係した本が昔から沢山出版されていることに気がついた。

1.まず、事件の経過について
 ★1909年(明治42年)10月26日午前9時・・・貴賓車から降りた伊藤博文がプラットホームを歩き始めた直後、突然銃声が連続して響いた。伊藤博文に三発の銃弾が命中、撃たれてから30分後に死亡。また、伊藤と一緒に貴賓車から降りた日本の随行員3名も銃弾により負傷。犯人として韓国人・安重根がロシア兵士に逮捕される。
 ★同年 10月30日・・・検事の被告人訊問(伊藤博文暗殺の動機)について、安重根が有名な「伊藤博文罪状十五箇条」を述べる。
 ★1910年(明治43年)2月9日・・・第三回公判で、安重根が「孝明天皇暗殺犯は伊藤博文だ」と陳述し、法廷大混乱する。
 ★ 同年 2月14日・・・安重根(32歳)に死刑判決
 ★ 同年 3月26日・・・死刑執行
 ★1910年(明治43年)6月・・・日韓併合が断行される。曾禰第二代韓国統監が更迭され、寺内正毅が新統監に就任。軍事力による「武断派」統治が始まる。
 ★1938年(昭和13年)12月・・・元貴族院議員・室田義文(伊藤博文に随行してハルピン駅で狙撃され伊藤の暗殺事件を目撃した人物)が、暗殺事件から約30年を経て「室田義文翁譚」を発行し、安重根単独犯説に異を唱える。

2.伊藤博文暗殺の謎
 この伊藤博文暗殺事件に関して様々な疑問点を指摘する本が出版されているが、とても全部は紹介しきれないので、重要な疑問点二つだけを紹介する。
 ここからは、参考文献の「フルベッキ写真の暗号」(斉藤充功著・学研パブリッシング発行)から引用する。
 謎の1.「犯人複数説」・・・この説の根拠として多く引用されるのが、伊藤と一緒にハルピン訪問に同行し、その事件の銃弾で負傷した貴族院議員で男爵の室田義文の自叙伝「室田義文翁譚」である。次のような記述がある。
 「パン!パン!と音がした。はっとして気がついて見ると、堵列した儀仗兵の間から、小さな男が恰度大きな露兵の股の間をくぐるような恰好をしながらピストルを突き出している。・・・その時例の小男は既に兵隊の手で押さえられていたが、真実伊藤を撃ったのは、此の小男ではなかった。駅の二階の食堂から、斜下へ向けて佛蘭西の騎馬銃で撃ったものがある、それが即ち伊藤暗殺の真犯人である。と言うのは、伊藤のうけた銃弾は、いづれも佛蘭西の騎馬銃の弾丸で、三発あったが、その第一彈は肩から胸部乳下にとどまり、第二彈は右腕関節を突きぬけ臍の側を縫つて臍下で止まっている。そして、第三彈は、右手臍の側を縫い、腹部の皮をすうっと切って外部へそれてしまっている。が何にせよ、右肩から斜下に撃つには、如何なる方法によるも二階を除いて不可能である」
 室田は狙撃を間近で目撃し、自身も被弾し、そして、伊藤の遺体の処置にも立ち会った人物である。このハルピン駅のプラットホームは私たちがよく見る終着駅のプラットホームとは違い、ホームに二階建ての建物があり、一階に喫茶店があり、安重根はその喫茶店にいて伊藤到着後ホームに移動し狙撃している。二階には食堂・従業員の更衣室があり、その窓から駅構内の暗殺場所まで40メートルの距離で見渡せた。また、その二階は朝から晩まで往来は自由であったという。
 謎の2.「安重根の伊藤博文罪状十五箇条」の謎・・・逮捕された安重根は取り調べに対して堂々と自分の主張を述べている。その主張が伊藤博文射殺の理由(これが「伊藤博文罪状十五箇条」)である。
 十五箇条すべては紹介できないが、伊藤が第一代韓国統監として韓国を支配していたので、その時の罪状(韓国に不利益条約を押し付けた、韓国皇帝を廃位した、韓国王妃を殺害した、韓国民を虐殺した、等々)を述べているが、第十四の罪状が最大の謎である。
 1910年(明治43年)2月9日の第三回公判で、安重根が度肝を抜く陳述をした。
 「伊藤侯爵は日本の為に功労あると言うことも聞いて居ますが又一方日本天皇陛下に対しても逆賊であるとのことを聞きました之から其事実を申し上げようと思います」と、安重根が陳述すると、裁判長は慌てて突然審理を中止する事を宣言し、公開を禁じ、傍聴人の退廷を命じた。法廷は混乱し騒然となった。
 なお、この陳述の内容については当然「陳述調書」に、「今を去る四十二年前現日本皇帝の御父君に当たせられる御方を伊藤さんが失いましたその事皆韓国民が知って居ります」と書かれている。
 「今を去る四十二年前の現天皇の御父君」とは、明治天皇の父君は孝明天皇のことになる。1867年1月に孝明天皇は「天然痘」で死亡している。確かにその後、この孝明天皇の死因に対して数々の疑惑が取りざたされてきたが、この時安重根は伊藤博文が孝明天皇を暗殺したという疑惑(この時日本人のほとんどはそうした疑惑を知らない)を、どうして知ったのか?なぜ伊藤の罪状に載せたのか?それが最大の謎である。
 この伊藤博文が暗殺された当時の明治日本の政治情勢はまさに混沌としていた。日清・日露戦争に勝利し、軍部・右翼は「なぜ、韓国併合をすぐ断行しないのか、そして満州も確保せよ」との大声を上げ政府を批判していた。この問題は次号で取り上げたい。
 なお、私が読んだ参考文献を紹介しておく。(沖田未来)
★参考文献 
 ①「伊藤博文暗殺事件・・・闇に葬られた真犯人」(大野芳著/新潮社/2003年8月発行)
 ②「暗殺・伊藤博文」(上垣外憲一著/ちくま新書/2000年10月発行)
 ③「フルベッキ写真の暗号」(斉藤充功/学研パブリッシング/2014年6月発行)号案内へ戻る


 読者からの手紙 ノーベル物理学賞を受賞したのは日本人が3人? 2人?

 日本のダマスゴミは、ノーベル物理学賞を日本人が3人受賞したと大はしゃぎしています。どのテレビチャンネルを回しても道行く人たちにどう思うかなどと実に下らないインタビューをしています。まさにテレビは狂態を晒しているのです。
 この狂態に一国の総理も悪のりして、技術の勝利だ云々の、これまた実に下らない浮ついた議論をして恥じ入る様子もありません。日本人の受賞者本当は2人であり、中村修二氏はアメリカ国籍なのであり、その意味では日系アメリカ人として報道されなければならないと私は考えます。
 実際の所、アメリカでは日本人2人とアメリカ人1人が受賞したと報道されています。
 更に一層の違和感があるのは、LED発明に対する実にいい加減な歴史的評価です。
 日本の報道はといえば、「青い光を点した」とか「LED(発光ダイオード)で三原色が揃い、応用に圧倒的な可能性が開かれた、圧倒的な市場シェアといった事が喧伝されてばかりいます。まるで優れた商品を作ったから受賞したかの如くですが、ノーべル委員会は決してそんなレベルの事を受賞の理由には挙げいません。この点はまさに日本のダマスゴミの我田引水の極みです。
 ノーベル委員会がLEDを評価しているのは、「低消費電力の灯り」の開発による、地球全体規模での省電力への巨大な貢献にこそあります。
 話をわかりやすくするために具体的な例を挙げましょう。それは、従来の普通の白熱灯であれば40日程度しか持たなかったものが、潜水艦用に開発された蛍光灯の発明で電球そのものの寿命を400日ほどに延ばしました。それがLEDの発明によって更に4000日まで伸びたのです。
 この事に伴って今までは、たかだか1年前後の寿命であった蛍光灯の灯りがLEDの登場によって10年規模まで延長され、かつ消費電力は激減したのです。この低消費電力であれば、発展途上国の必要電力源も少なくて済み、充分に産業を支える事ができるという歴史的な評価を受ける事になりました。
 この消費電力の削減の意味は人類史的な評価ができるものです。翻って日本の産業界を顧みれば「原発をフル稼働させないと我が国の産業は破滅する」の大合唱です。全国で原発が全然動いていない事も、この夏の猛暑も節電の警告や停電がなかった事も知らない極楽とんぼなのですから、全く呆れるではありませんか。
 中村氏が発明に対する企業からの成功報酬が2万円をだった事を不服として200億円を要求する裁判の過程で、彼は企業と約8億円で和解したのですが、この結果、司法は腐っているとの言葉を残して彼は日本国籍を捨てるに至ったのです。
 こうした頭脳流失を防ぐため、また技術立国を維持していくためにも必要な政策を充分に遺漏なく準備していかなければならない筈の総理大臣が、このノーベル賞の受賞にあたって一体何をしたのでしょうか。
 以下に 時事通信(2014年10月9日)を貼り付けます。
 社員発明「企業のもの」=報酬規定義務付け―政府
 政府は9日、社員が職務上の研究で発明した特許を「社員のもの」とする現行の職務発明制度について、企業が発明に貢献した社員に報酬を支払う社内ルールを定めることを条件に、「企業のもの」に変更する方針を固めた。研究開発に取り組む社員の意欲を維持しつつ、「発明の対価」をめぐる企業の訴訟リスクを減らすのが狙い。特許庁が来週開く有識者委員会に改定骨子案を示し、了承を得た上で特許法改正作業に入る。早ければ開催中の臨時国会への法案提出を目指す。
 現行法では、社員の発明について、企業が将来の商品化などを視野に特許を申請する場合、「相当の対価」を社員に支払って、特許を取得する権利を譲り受ける必要がある。

 皆さんはこの記事を読んでどのように感じましたか。これでは商品開発をする社員のやる気がなくなるばかりではないでしょうか。今すぐ整備すべき事は、「発明の対価」の妥当な基準作りと法的な整備、また発明の底辺を大きく拡げるための基礎研究体制の充実ではないでしょうか。
 安倍総理大臣が今回した事は、真逆でまさにペンペ草しか生えないような亡国の道に舵を切っていると言えます。ノーベル賞受賞で舞い上がっている安倍総理をテレビを見る度に、つくづく物事が自分の行動でどうなっていくのかについての先見力が全くない事に驚くばかりです。 (S)号案内へ戻る


編集あれこれ
 前号は、12面と記事の量・質共に充実していました。
 さて1面は、「安倍首相の戦争できる国づくり 社会をどの様に変容させる!」という記事でした。日本では、先の戦争の後は戦場での殺人は行なわれていません。安倍首相は、集団的自衛権行使容認の閣議決定を行ない、戦場での殺人を合法化しようとしています。この行く先は、徴兵制です。このような動きにストップをかけないといけません。
 2面は、「米国の危険な軍事作戦を非難する!」という記事でした。シリアやイラクの政情が混迷する中、「イスラム国」が支配地域を拡大してきました。これに対し、米国はシリア国内への空爆を始めました。武力で人々を押さえつけ、自分たちに都合のよい政権作りをしようとしている米国、このやりかたはさらなる戦闘行為の拡大を生み出すでしょう。米国の軍事介入に反対していきましょう。
 3・4面は、「結局は借金漬け財政―財政への寄生で成り立つ安倍政治―」という記事でした。安倍内閣の2015年度予算の概算要求が出ました。公共事業や軍事費が突出しています。それに引き換え社会保障費は、8000億円の増額要求にとどまっています。4月からの消費税の増税の影響で、4~6月期の個人消費が年率7・1%も減っています。生活が苦しくなってきたのです。
 5面の、「筋トレで免疫力UP技」という記事、「3分置きに速歩と普通歩きを行ない最後に牛乳を飲む」というのは次の休日に試してみようと思います。5・6面の『田母神「戦争大学」(産経新聞出版)を読む』という記事、田母神氏のいう「戦争できる国、軍事力の強い国が平和」、「核兵器は持った方がよい」という危険な考えに反対していかないといけません。6面のシリーズ「近現代史を学ぼう」は、本当にそうだと思います。最初に取り上げるテーマが「戦争」、楽しみです。
 7面の、「交通の安全」という記事、公共交通の事故が多発していますが、価格破壊や過重労働が原因の多くをしめていると思います。安ければいいという風潮にもストップをかけないといけません。8面の「オジンの新 経済学講座」、9面の辺野古基地工事の強行、10面のスコットランド独立を問う住民投票、上映会「遺言原発さえなければ 福島の3年間―消せない記憶のものがたり」など多彩な記事がそろいました。いい紙面だったと思います。    (河野)

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