ワーカーズ527-8合併号 2015/1/1   号案内へ戻る

 子どもたちの未来が危ない 安倍自公政権の戦争火遊びを止めよう!

 世界中で子どもたちの受難が続いている。ユニセフは「肺炎、下痢、マラリアが、毎年200万人の子どもの命を奪っている」と言い、国境なき医師団は「はしかによって毎日約330人の子どもが命を落としています」と言う。こうして、可能性を開花させることなく幼い命が消えて行く。

 21世紀への希望はブッシュによるテロとの戦争によって破られ、再び憎しみと武器がばらまかれてしまった。何より、米国軍産複合体は商品の消費地を求めて世界中を探し回っているのだ。彼らの欲望が昔も今も子どもたちの未来を奪っている。

 幼児死亡率が最も少ない国に属する日本はどうか。児童虐待や子どもの貧困が話題となり、自ら命を絶つ若者も多い。医療の進歩の恩恵はあるが、子どもたちをとりまく環境は厳しさを増している。さいわい、自衛隊員はまだ戦場に追いやられていないが、安倍政権は自衛隊員を〝国益〟のいけにえにしようとしている。

 その昔、京大生渡辺白泉は「戦争が廊下の奧に立っていた」と詠んで、特高警察に弾圧された(京大俳句事件)が、教育は再び少国民を生み出そうとしている。すでに、生徒に自衛隊で宿泊防災訓練を受けさせる高校が現れ、自衛隊によるリクルートが活発化している。それを可能とする、自治体から自衛隊への情報提供も進んでいる。

 生れ出た命が庇護の下で育まれ、教育によってその可能性を開花させ、自らの労働によって生活を豊かにする。これは夢物語にすぎないのだろうか。学校は日の丸と君が代への従属という愛国心を押し付け、道徳がその後押しをする場となりつつある。労働は苦痛以外の何物でもなく、しかも生活を維持することもできない。

 安倍首相が理想とする国にはひとつの道しかない。国のために命を投げ出す少国民の育成、ひたすら従順に働く若者、等々。世界においては、「イスラム国」という憎悪で形成された暴風が吹こうとしている。2015年、安倍的暴風を跳ね返し、核も軍隊も消し去る風を吹かそう。 (折口晴夫)


 これからが本当の攻防戦だ!──真価が問われる安倍政権との闘い──

 12月14日におこなわれた衆院選挙で、自公の与党は前回に続いて大勝した。安倍首相は、アベノミクスを進めていくのか否かを争点にし、結果的にそれが信任された形になった。が、選挙が終わるやいなや、「安倍政権二年間の信任を得た」と語り、改憲にも取り組んでいくと明言した。

 衆院選を経て開けた今年、統一地方選やその後の集団的自衛権の行使容認を反映した自衛隊法改正などが政治日程に組み込まれている。安倍政権との闘いは、今年、まさに正念場を迎える。

◆失速した補完勢力

 前回衆院選での自公圧勝を考えれば、今回の衆院選で与党は議席を減らすのではないか、との見方が政界やメディアでは一般的だった。それを押し返しての衆院解散と与党圧勝の選挙結果で、安倍首相の思惑はずばり的中した結果となった。

 今回の衆院選で、与党は3分の2(317)を超える325議席を獲得した。数からみれば圧勝といえるが、少し数字を読み込むと、その圧勝の基盤は極めて脆いことに気づく。こんどの選挙でなにが変わったのか、あるいはどう評価すべきなのか。時期遅れの感もあるが、少し数字を見ながら振り返ってみたい。

 まず獲得議席。

 与党大勝といっても、獲得議席数は自民党は前回総選挙の294から290へと減らしている。その減り方が事前の予想を下回っていただけだ。公明党は若干増やして31議席から35議席へ。与党としては325議席で、前回とまったく同数だ。

 民主党は57議席から73議席へ若干増えたものの、みんなや生活からの移籍組を加えてのことだから、そんなに増えたとはいえない。躍進したのは共産党で、8議席から21議席へと倍以上に増えた。。
 その他で目立ったのは、維新の党などの中間政党の凋落だ。日本維新の会から分かれた維新の党と次世代の党、それにみんなは衆院選挙前に分裂や合流など再編された。それらをひとまとめに考えると、前回は日本維新の会とみんなで72議席獲得したのに、今回は維新と次世代で43議席しか獲得できなかった。

大幅な凋落だ。

 次に得票率。
 前回総選挙と比較しやすい各党の比例区の得票率を見ると、自民党が27・6%から33・1%、公明党が11・8%から13・7%、民主党が16・0から18・3%、維新・次世代が29・1%から18・4%、共産党は6・1%から11・4%などとなっている。自民党はせいぜい投票者の3分の1、公明党と併せてもやっと過半数を獲得したに過ぎない。議席のうえで3分の2の議席を獲得したといっても、それは小選挙区制度で水ぶくれしたものに過ぎない。与党の基盤は盤石なものではないのだ。

 総体的に見ると、支持基盤や後援会組織が整備されている、いわゆる組織政党が得票率を上げている。浮動票頼りの民主党は微増、維新などは大幅に減らしている。こうした結果は、前回59・31%(比例区)だった投票率が、今回52・65%へと戦後最低の投票率に止まった影響もあるだろう。「投票日には有権者は寝ていてほしい」と失言した森元首相の言葉が現実になったかのような結果といえる。

◆消極的支持?

 今回の衆院選で議席が大きく動いたのは維新の党と共産党だ。理由は野党としての立ち位置の違いだ。

維新の会は、前回は石原慎太郎と組んだ日本維新の会として自民党以上の極右的姿勢と新自由主義的な政策を前面に押し出した選挙だった。今回は石原の次世代の党と分裂し、自民党以上のタカ派ぶりを維持していたものの、他方では是々非々の姿勢も目立った。維新の後退は、むしろ特定秘密法や集団的自衛権、あるいは領土問題や靖国参拝などで、安倍政権そのものが極右的な姿勢を押し出していたことが原因だろう。かつて維新の橋下徹が、自民党の安倍や太陽の石原を一本釣りにするかのアプローチをやっていたように、三者は政治姿勢でも重なる部分が多かった。その1人の安倍が政権の座に就き、軍事優先の国家主義改造を進めてきたわけで、これでは橋下や石原が表舞台に登場する場面もないということだろう。

 他方、共産党の躍進はそれなりに根拠がある。民主党は、政権時代の3年間で主要政策の大半で自民党と重なるようになり、第二保守党の性格を強めてきた。それに対し共産党は、平和・生活・雇用などを前面に掲げ、軍事優先や大企業優先政治を推し進める安倍政権との対決姿勢を示してきたことで、安倍政権への批判票を集めたのだ。

 今回の選挙で自公が大勝したといっても、安倍政権の政策を積極的に支持して信任を与えたとはいえない。たとえば選挙直前の有権者の評価として、次のような調査結果もある。

 アベノミクス   成功だ37%  失敗だ30%
 集団的自衛権容認 評価する32% 評価しない50%
 原発再稼働    賛成28%   反対56%

 こうした世論からすれば、いわゆる安倍カラーの本来の政策課題では支持されているとは言い難い。安倍政権が信任されたというよりも、与党に対抗しうる魅力ある野党がいないという消極的支持に過ぎず、景気の先行きも楽観できないまま、もう少し安倍政権にやらしてみるしかない、ということなのだろう。

◆安倍政権の正体

 安倍首相は今回の選挙で、アベノミクスの是非が争点だと言ってきた。前回は「強い日本を取り戻す」だったのに比べて、安倍カラー隠しの姿勢は露骨だった。自民党の選挙公約では集団的自衛権や改憲などもさりげなく羅列してきたが、実際の選挙演説では曖昧な言い方か、あるいは言及さえしなかった。

 が、選挙直後には特定秘密保護法や集団的自衛権も含めて「信任していただいた」、改憲は「一歩一歩進める」として、これまでの安倍政治を推進する姿勢を明確にしている。

 その安倍カラー政治とは何か。それは安倍政権が強引に進めてきたことを見るだけで分かる。第一次内閣では国家安全保障戦略の策定と国家安全保障会議の設置、衆参での憲法調査会の設置、国民投票法、第二次内閣では、特定秘密保護法、靖国参拝、河野・村山談話の敵視、集団的自衛権、原発回帰、普天間基地の辺野古移設推進などだ。

 これらの安倍カラー政治は、いわゆる〝戦後体制からの脱却〟というスローガンに集約される。本人は明言を避けているが、それが〝惨めな〟戦後体制への嫌悪感と戦前体制回帰への想いを表現していることは明らかだ。そこから押しつけ憲法への嫌悪感と復興しつつある中国への敵愾心となって対中封じ込めに躍起になる。その現れが「積極的平和主義」という〝武力行使も持さない平和〟という理念と「地球儀を俯瞰する外交」という外交姿勢だ。現に、PKOでの武器使用基準の拡大やアジア諸国をはじめ中国をとりまく周辺国への外遊を重ねてきた。

 安倍首相によるこうした戦前回帰路線は、本来であれば、日本を占領統治し憲法を押しつけた張本人である米国への敵愾心に結びつくものだ。それを感じ取った欧米からは、安倍政治は歴史修正主義、いはば戦後世界秩序を否定するものだ、との疑念が投げられる事態を招いている。戦前回帰と日米同盟は、本来両立しないはずだが、米国と対立しての戦前回帰など、アジア諸国をはじめ国際社会で受け入れられるハズもなく、集団的自衛権など、方便としてでも対米協力を前面に押し出さざるを得ない。

 その安倍首相が本命視しているのが憲法改定だ。今回解散に打って出てまで確保したかったのは、改憲の道筋をなんとしても付けたいと考えたからだろう。そのためには財政でも金融でも大盤振る舞いし、なんとしても目先の景気を維持する、それで得た権力の座と確保した時間を使って改憲の機運を高め、改憲へのステップを着実に進めたい、というのが安倍首相の思惑なのだ。

 その改憲も、国民投票で審判を下す有権者に受け入れやすい条項から始めるという。環境権やプライバシー権、あるいは災害時の非常事態条項などだという。そうした条項で改憲が実現すれば有権者は改憲慣れする、9条改憲はその後で良い、ということなのだ。私たち有権者も馬鹿にされたものだ。

 翻って、憲法は不磨の大典ではないし、天皇制の象徴天皇制としての存続など妥協の産物としておかしな部分もある。その改定も永久にダメなものではない。が、改定の内容を規定するのは、その時点の政治構造や政治情勢なのだ。安倍政権など自民党政権下での憲法改定は、歴史を逆流させる後ろ向きで野蛮なものだ。そうした改憲などは許してはならない。

 9条などに込められた平和国家、国民主権、基本的人権などは、あの戦争やそれに突き進んだ戦前体制の反省に立った理念によって形づくられている。それは明らかに進歩、飛躍といえるものだ。だからこそ、いろいろ問題があるにしても戦後の人々に広く受け入れられてきたわけだ。

 安倍首相はその戦後憲法体制が気に入らない。だからその改定に挑戦しようとする。しかし、安倍首相が推し進める〝戦後体制からの脱却〟路線は、極めて危ういものだ。安倍首相自身は、一国の権力者であり、発言は慎重になされている面もある。が、いうこととやっていることは全く別、安倍政治の本質は隠しようがない。

 安倍政治の行く末を暗示するかのような発言がある。「今、一番したいのはシナと戦争をして勝つことだ」という発言だ。ただしこれは安倍首相ではなく、石原慎太郎の言葉だ。もともとは雑誌のインタビューに答えた言葉だが、12月16日の引退会見を報じたテレビでも流された。石原慎太郎の本心の一端を吐露したものだと思われるこの発言は、日中戦争や太平洋戦争で殺され死んでいった何百万人や何千万人の命など何とも思っていないか、自分の野望のための将棋の駒扱いする類のもので、そのあけすけさには呆れかえる以外にない。

 仮にいま安倍首相に問えば、自分はそうは思わない、と返答するだろう。ただ言論の自由があるから……、とも付け加えるかもしれない。それでも安倍首相が言ってきたことややってきたことをみれば、石原と同じようなことを考えているのでは、と勘ぐりたくもなる。安倍首相や首相をとりまく右翼人脈の振る舞いなどをみれば、誰が見ても石原慎太郎とダブって見えるからだ。

◆正念場

 衆院選での大勝で権力基盤を固めた安倍首相だが、今年は世論と対立するテーマが目白押しだ。

 まず衆院選で信任をかけたアベノミクス。日銀による資金の投入や年金資金の株式での運用枠拡大などで、なんとか円安・株高は演出してきた。が、こんな劇薬による対処療法がいつまで続けられるわけもない。現実はといえば、消費増税もあって景気の低迷から抜け出せないままだ。

 原発回帰も正念場を迎える。年明け早々には川内原発の再稼働承認の場面を迎えるし、4月の介護報酬改定に向けて給付の引き下げも打ち出している。その4月には統一地方選があり、その後には日米ガイドラインに向けた最終報告が予定されている。また先送りされていた集団的自衛権の行使に必要な自衛隊法の改定などが組み込まれ、また財政健全化計画の提示も約束している。

 これらの政策課題は世論の批判が強いものばかりだ。たとえば衆院選直前の世論調査では、アベノミクスが成功していると応えたのは37%で失敗だと応えたのは30%でやや信任されているものの、集団的自衛権を評価すると応えたのは32%で評価しないと応えたのは50%、原発再稼働については賛成が23%に対し、反対が56%もあった。消費再増税についても反対が多い(朝日)。

 安倍カラー政治を進めるためには、これら世論が反対する案件を議席にものを言わせて押し通すことになる。強引に進めれば世論の厳しい拒絶反応を引き起こし、内閣支持率が落ち込む場面もあり得る。また景気対策の効き目が切れて景気失速が重なれば,安倍政治も失速を免れない。

 実際、衆院選直後におこなわれた安倍政権に力を入れてほしい政策を問う世論調査では、景気・雇用が30%、社会保障が33%、原発・エネルギー政策9%,外交・安全保障が8%となっており、憲法改定に至っては3%でしかない。世論の関心は、選挙後も経済・社会保障なのだ。それをごり押しして原発再稼働や軍事優先,あるいは憲法改定など強引に事を進めようとすれば、世論との亀裂の深まりは避けられない。

 安倍政権の基盤は、絶対多数という獲得議席とは逆に、極めて脆いものだ。その意味でも、今年は安倍政治と私たちとの闘いの分水嶺の年でもあるのだ。

 衆院での絶対多数の確保によって安倍政権がこれまでのように暴走し続ければ、世論や異議申し立てする人々との亀裂も大きくなる。代議制民主主義の土俵を超えた、直接民主主義の場で声を上げる人も増えるだろう。

 ただし、9条改定など世論の少数派に過ぎないことで、改憲など無理だと侮ることはできない。改憲につながる集団的自衛権の行使容認を閣議決定したように、安倍政権で改憲に向けたステップを着実に踏むことを許していけば、いつか来た道ではないが、手遅れになっているという事態がこないとも限らない。安倍首相をとりまく側近は、16年の参院選挙をダブル選挙とし、あわせて憲法改正の是非を問う国民投票も実施する、などと語っているのだ。

 私たちとしても安倍政権との闘いが正念場を迎えていることを銘記したい。(廣)号案内へ戻る


 安倍自民党"敗北" 選挙結果の一分析 小選挙区制度のもとで鬱屈する「民意」

選挙結果は、総じて「安倍首相にもう少し続投させてもよい」とのメッセージとうけとれる。しかし、細かく見れば決してそれほど単純でも自民安泰でもない。

●引き続く自民党衰退

 国民の意思をもっとも表現していると考えられる比例区得票で見てみよう。自民党は得票率33%。民主党以下野党を大きく引き離していることは事実だ。しかし、所詮は投票者のちょうど三分の一、つまり三人に一人が自民党に入れた。そのうえ戦後最低の投票率52%だ。ザクッと言えば有権者の六人に一人が自民党に投票したにすぎないわけだ。
これで「国民の信任が得られた」というのは、強引すぎる。自民党に投票しなかった66%の人、そして年末選挙にしらけた人も含めれば有権者六人中五人は安倍政権にそっぽを向いたのだ。

 自民党の数十年にわたる衰退の歴史は、小泉ブーム(郵政選挙)でも、安倍政権でも止まることはない。今回も去年の参議院選挙より八十万票を減らしているのだ。これで「圧勝」「大勝」を言うことがおかしい。有権者の支持政党では、かつて自民党は五十%を越えていたのだ。「国民政党」を自負することができた。しだいに四十%台に下がり、多少は日々変化するものだが今日の読売新聞によれば三十六%とか。
 自民党の歴史的衰退は、一旦民主党政権の登場で完結したと想われた。ところが鳩山・菅・野田民主党の大失態により、棚ぼたのように政権復帰を果たしただけである。自民党の歴史的衰退傾向は少しも停止していないことが今回選挙でも確認された。
ただそれを救ったのが「小選挙区制」だ。自民党はもう数%支持率が衰退すれば、相対多数の一党派に成り下がる。

●自民党衰退の背景

 自民党の支持基盤は、伝統的に財界・商工業経営者だが、農村の個人農家こそが大衆的な支持基盤をなしていた。他方、都市部ではかつてから政党支持は多様化し、公明や民主、その他共産党に至るまでの「都市政党」が支持を分け合い存在してきた。

 ところが支持基盤であった農村の疲弊と過疎化により、自民党の支持は減衰が止まらないと言うことだ。

 安倍政権は、TPPや他の新自由主義的政策を導入し,農村でも企業経営を拡大しようとしている。こうしたことは実際は矛盾したことで、結局は伝統的自民党支持基盤をさらに掘り崩しているのだ。

●維新混迷、次世代壊滅  みんな消滅

 自民党のさらに右側の一層危険な右派=「第三極」は失速した。

 今選挙が有権者の約半分の投票率とは言え、さまざまな政治傾向を読み解くことはできる。
 まず、顕著なのがいわば「自民党右派」あるいは「極右政党」の失速である。

石原元東京都知事などの「次世代の党」は、十九議席から二議席へと転落。壊滅した。
 現状維持で喜んでいる維新だが、一丁目一番地の「大阪都構想」が市民・府民の反対で風前の灯火である。橋下代表による労働組合の弾圧も法廷闘争の結果痛打をうけているし、府民の反撃は開始された。もはや橋下ブームは消え去り幻滅に変わりつつある。維新分解は時間の問題だろう。
 「大勝」とされる自民党さえ、4名も議席を減らしているのだ。こうしてみれば、安倍自民党の右展開は、国民からそれなりに厳しい目で見られているといえる。けっして国民の政治意識が右傾化した、ということではない。

●躍進共産党はどこまでゆけるか

 結果的には現状維持の政党が多かった中、唯一大敗したのが「次世代」であり唯一大勝したのが共産党であった。比例区で得票率十一%を越えた。

 大方の政治解説のように「安倍自民党への批判の受け皿」であることはまちがいない。
経済不況という有権者のアベノミクスへの不満もあるが、安倍首相の集団的自衛権行使容認閣議決定のような、強引な戦前回帰の路線に不安を感じる国民の意思の反映だろう。

 議席数は二十一と自民党の十部の一だが、得票率を考えれば、得票率三十三%の安倍政権にとって無視できない存在となるだろう。

 しかし、共産党が単なる「批判の受け皿」の域を超えられるかは、大いに問題だ。それは彼らの過去の歴史にある。

 この党は、かつてソ連体制を「社会主義」「労働者国家」としておおいに持ち上げてきた。そのごも「欠点はある」としながら中国共産党、旧ルーマニア(チァウシェスク大統領)、の体制(ひどい搾取と抑圧の体制)と友好をはかってきた。

 ソ連崩壊や東欧革命、中国の天安門事件などをへて、それらと距離を取り軌道修正を図っているが、新しい社会展望は依然国家主義的であり、それほど基本に変化がないとおもわれる。

 民衆アソシエーションによる、協同の経済の発展を基軸にすえるわれわれとの隔たりは、この点ではかなり大きいのだ。

共産党が今後得票率を数%上げたとすれば、安倍政権反対党から、政権をうかがう党派となりうるのだ。そうなれば共産党の政権構想が問題となるだろう。さらに社会観や歴史観がどう変わったのか、かつての国家主義、統制経済、を克服しうるのかが問われ始めるだろう。
ドイツにおいても、有力州で旧東ドイツの政権党が復活している。メルケル首相などへの批判票が集中し他と見られる。しかし、旧社会主義の流れをくむ彼らの政権ビジョンや社会政策はおおいに疑問があり、注視する必要がある。

●すすむ政治ギャップ  いまこそ大衆行動を!

自民党安倍政権と国民のギャップがますます拡大するだろう。今後安倍政権は、有権者六人に一人の支持に基づいて「憲法改正」やそれに匹敵する集団的自衛権行使のための法改正を断行しようとする。

 いまこそ大衆的な力で、ほんとうの国民の声を突きつけてゆく必要がある。
沖縄の衆議院選での自民党全敗は、再び三度いや五度六度と、沖縄県民の意志を突きつけた。辺野古新基地建設反対、米軍基地撤去の闘いを「民意」を旗頭に、全国民で支えてゆく必要があるだろう。安倍反動政権との大きな闘いの舞台としてゆこう。
さらに議会制度のギャップも深刻だ。有権者六人のうち一人の意志で、議会が自民党に席巻され悪法が次々通過することはそもそも許されない。

 小選挙区の悪弊はここ露呈している。その是正を図ると同時に、大衆行動でわれわれの意思を表明してゆこう。すでにヨーロッパでは極右の台頭とともに、スペインやギリシャで行動左翼が政権を目指す勢いだ。声を挙げ行動しよう。(山)


 ヘイトスピーチに有罪確定! 言葉の暴力 ヘイトスピーチをあらためて断罪する!

 最高裁は9日、在特会(在日特権を許さない市民の会)の上告を棄却。地裁高裁の判決が確定した。千二百万円損害賠償と朝鮮人学校周辺での街頭宣伝の禁止が決まった。
民族間、国家同士の対立をあおり続けてきた在特会などの不条理な運動に、一定の歯止めとなるだろう。

 在特会の運動は、特定のマイノリティを社会から排除しようとする。まるでイジメの心理構造そのままだ。社会的病巣をこれ以上広げてはならない。その面では当然の判決だ。
 
決定を受け、京都朝鮮初級学校を運営する京都朝鮮学園の柴松枝(シソンジ)理事(72)らは10日夕、京都市内で急きょ記者会見を開いた。柴理事は「全国の朝鮮学校を守る重要な足がかりになることが期待されます」と述べて、こう続けた。「子供たちの明るい笑顔を取り戻すために努めてきました。民族的誇りを育み、社会の一員として成長していく環境を守っていきたい」(朝日ここまで)
 
在日韓国人・朝鮮人に浴びせかけた「国に帰れ」「死ね」といったヘイトスピーチは、、日本人にとっても不快で聞くに堪えないものだ。かつての米国の「KKK団」を彷彿とさせるこのような運動は、人間の尊厳を傷付けるばかりでなく国民同士の悪感情を作り出す危険な行為である。

しかし、このような社会現象は、中央政治の右展開や国家主義・愛国主義の風潮と無関係ではないだろう。その点では、要注意だ。

 在特会のいう「在日特権」云々はそもそも言いがかりである。
むしろ日本の政治から排除されてきた彼らにも、参政権を認めてゆくべきなのだ。北欧などでは「外人」の参政権が徐々に認められてきている。

 市民的権利に欠ける在日朝鮮人達は、「特権」どころか十分な(少なくとも日本人と同じような)人権がないのであり、それこそが問題であることを改めて言いたい。
「ヘイト規制」が論議されてきているが、その法的な判断の一例として事実上の法規制が始まったといえる。(文)号案内へ戻る


 色鉛筆・・・新しい年を迎えて

 昨年を振り返ると、遠くは岩手県まで全国オンブズマン大会に参加し、近くは大阪高槻市の戦跡をフィルドワーク、伊丹市の「さよなら原発・1000人集会」、福井県の高速増殖炉「もんじゅ」の現地抗議集会と、無事に活動をこなしてきました。安倍政権が仕掛けてくる度重なる攻撃に、これでもかと私たちの力量を試させられた、そんな1年だったように思います。

 ところで、郵便配達の仕事は年々きつくなり、日々の業務でゆうパック配達は常態化し、時間指定の郵便に振り回される仕事になりました。8月のお中元も大変でしたが、12月に入っていきなりゆうパックの嵐で、体はへとへとになりもう限界! と叫びたくなる状況でした。自転車で配達の私たち女性に、ビールの詰め合わせのお歳暮を抱え5階の階段を昇るのは、並大抵ではありません。

 それでも、若い男性の同僚が増えた私の職場で、ビールなど重いものの配達は積極的に男性が引き受けてくれるなど、うれしいことがありました。次世代端末ディノスを巧みに操作し、配達も早い若い男性の同僚の存在は、頼もしくもありちょっと不都合と思う自分があります。というのも、今年60才になる私にとってはディノスで労務管理されることで、結果は配達が遅いことが目立ってしまう、そんな厳しい現実を突きつけられています。

 そして、12月の衆議院総選挙は、投票券・候補者はがきの配達に神経をついやされ、年賀準備と重なり忙しさが倍増。なんでこんな時に選挙? と不満をつのらせ、結果が与党圧勝と悲惨な現実がさらに追い打ちをかけました。それでも、めげずに、自分たちの思いを伝えようと「ピースネット」のグループで、街頭に出てビラまきとアピールを行いました。月1回の宣伝も定着し、馴染みの顔の人も出来、出会いが生まれました。

 西宮市では、1月に入ると県会議員の補欠選挙が予定され、年賀の一息もつかぬ間にまたまた選挙なのです。こんな選挙三昧の年は、20数年仕事をして初めての経験と思います。3月までもう少し、ゴールが見えてきました。

 さて、皆さんに好評の「色鉛筆」は、今年も4人の女性担当者で順番に回していきます。静岡、宮城、兵庫と各地方での出来事、伝えたい思い、それぞれが発信します。私は「色鉛筆」を書くことで、自分自身の今を整理する作業になっています。文章を書くことは、自分を見つめ直すいい機会になるはずです。

 読者の皆さんも、ワーカーズに原稿を載せてみませんか? ワーカーズとつながって、より大きな輪を作っていきましょう。今年もよろしくお願いします。(恵)


 シリーズ 田母神を読むⅡ  論文『日本は侵略国家であったか』④
   中国、朝鮮、台湾の温情あふれる支配?


■近代植民地の日本タイプ

 田母神氏は日本の植民地支配の、温かい配慮を長々と讃えている。少々長い引用になる事をお許し願います。

 「日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。」(田母神論文『日本は侵略国家であったか』より)

「キン・ソグォン大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。」(同)
「李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子まさこ妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。」(同)
「中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。」(同)
 「イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。」(同)
 こんなことが何か美談であり、自慢できる話であるかに長々と書いているが、田母神氏は自分の言っていることが分かっているのだろうか?後で具体的に触れるが、このような一部エリートや王族など旧支配層を宗主国が取り込もうとすることは、何も珍しいことではない。植民地支配の一典型なのだ。

■仏・日型植民地支配は"よりまし"か?

 植民地支配で一般的なことは、すでに述べた侵略であり引き続く軍事的支配を基礎としている。とはいえ、何でも暴力で統治することは、現地住民・民族の反乱を呼び起こす。そこで経験的に導き出されたのが、「代理支配」なのだ。田母神氏もぜひ研究すべきだ。

 以下のことはよく知られている。

「植民地人が本国人と同様の公職がつくことが必ずしも不可能であったわけではなく、官公庁や軍において高官に登用され、あるいは本国議会に選出される例もあった。このような傾向は、同化主義を建前とする日本やフランスの植民地に特に強かった。」(WIKI植民地より)
 旧支配層、王族の一部を保護し懐柔し取り込むこと。現地の有能で従順なエリート達の養成が、欠かせない植民地経営の柱となる。彼らは宗主国にとって都合の良い代理人であり支配の楯となる。
 このような宗主国の支配方法はすでによく知られたことである。wikipediaに典型事例の列挙があるので、参考までに貼り付けておこう。(読み飛ばしもオーケーです)

「*フランスでは1789年から、植民地から本国の国民議会に議員を選出することが認められた。
*フェリックス・エブエはフランス領ギアナで黒人奴隷の子として生まれたが、いくつかの植民地の長官を経て1941年にフランス領赤道アフリカの総督に任命された。
*後にコートディヴォワールの初代大統領となるフェリックス・ウフェボワニはドゴール政権下でフランス公共保健・人口相(厚相に相当)に任命された。
*ダダバイ・ナオロージーを始めとする数名のイギリス領インド出身者がイギリス下院議員に選出されている。
*後に日本軍占領下で建国されたビルマ国の国家元首となるバー・モウは、1937年にイギリス領ビルマ植民地政府の初代首相に選出された。
*イギリス領インド植民地政府の高級幹部職員であるインド高等文官(ICS)の採用試験は、19世紀後半にインド人にも開放された。結果、インド独立時にはインド人ICSが全体の過半を占めるにいたった。
*ムハンマド・アクバル・カーンはイギリス領南アジア出身のムスリムとして、はじめてイギリス領インド軍の将官に進級した。
*アブドゥル・ラヒームは1908年にマドラス高等裁判所の裁判官に任命され後に同裁判所長官となった。
*フィリピンは1937年にアメリカ合衆国に直接統治される植民地から、独立を視野に入れた自治植民地(コモンウェルス)に移行し、独立準備政府の初代大統領としてマニュエル・ケソンが国民投票によって選出された。
*日本統治下の朝鮮における道知事の概ね半数程度は朝鮮人であった。
衆議院議員として朝鮮人の朴春琴が選出されたほか13名の植民地出身者が貴族院議員に任命された。
*洪思翊をはじめとする朝鮮人の陸軍士官らが将官に進級した。(田母神氏も挙げた事例だ)」

【Wiki植民地参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0 】

■植民地(コロニー)の歴史から

 ギリシャローマ時代の植民都市がコロニーだ。以来このような一般通念が定着した。とはいえ古代の植民都市と近代の植民地主義は大きく異なる。

 手短に言えば、古代植民都市は過剰人口の土地探し、といった意味合いが中心である。古代では人の移動がともなうのだから、その植民都市に母都市と同様な支配や文化を持ち込むのである。

 他方、近代資本主義とともに広がった植民地は、金(キン)の探索(重金主義)にはじまり、次第に資源開発や原料基地、商品の市場として、欧米諸国によって拡大された。

 近代植民地の展開は、アメリカ合衆国(本国自体が欧州の植民国家だ)や日本の植民地のような、伝統的「植民」の例もあるが多くはない。資源獲得や市場の確保といった本国資本の目的からして、本国民の大量の植民をともなわないものも多い。

 アフリカ、インド、アジアなどに進出した英国などは「植民」を目的とせず、ゆえに現地の「本国化・内地化」を必要としなかった。(アメリカ合衆国やオーストラリアへの植民とは目的が異なって。)

 しかし、どの様なタイプの植民地支配でも、植民地の現地人の少数のエリートを「支配者」の一部に取り込むことは、大なり小なり現地支配上必要である。

 宗主国の権力者が絶大な権限を振り回して現地人を支配するのではない点は、ひと味違う狡猾な「近代的」支配方法だとも言える。

 だから田母神氏のように、無邪気に植民地出身者の栄達事例を並べ「日本の温情溢れる植民地」に思いをはせることはいかがなものか。「栄達事例」は植民地支配方法の一つであるに過ぎないのだから。

 田母神氏は、いつものことだが、木を見て森を見ない、いや森を見ようとしない。
「自治主義、分離主義と同化主義、内地延長主義という植民地統治思想の違い」があり、日本は内地延長を建前としていたが(wiki)、実際は「大和民族の優越」を誇り、朝鮮人、中国人は「外地人」として見下されてきたのである。

 「内地化」によって本国国内と同等な扱いになるわけではない。

■もう一言 「内地化」という植民地スタイル

「我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。」(田母神論文)

「大学や道路を作ってやったから、施しものに感謝しろと」と氏は言外に語っていないか。

 そうではないか。道路や発電所ばかりではなく大学創設を含めた教育制度、神社参拝、創氏改名など日本文化の押しつけを日本国家が推進していたのだから「文化をもたらす者」と「文化を授けられる者」という上下関係はそこから当然生じるだろう。

 帝国大学の設置は、「内地化」植民地の文化的拠点であることは間違いない。裏返して考えてみよう。政治的、文化的主体性を奪われた国民・民族は不幸ではないのか、田母神氏にそんなことは想いもよらないのだろうか。

「文化を施すもの」これはアジア・アフリカ諸国人に対する、欧米人の伝統的な放漫な姿勢とも共通する。

 他国・他地域の文化文明を理解してリスペクトするのであれば、「内地化」ということはありえないのだ。いやあってはいけない。田母神氏が讃えて止まない内地化は、露骨で無慈悲な植民地政策の一つなのだ。

 内地化と言うものは対等互恵でも何でもなく、民族差別化そのものなのだ。(文)号案内へ戻る


 コラムの窓・・・ 「一年の計」は憲法の世界史から

 「一年の計は元旦にあり」と言うが、安倍首相にとっての元旦は「一年の計」ではなく「四年の計」を考える日となりそうだ。

 というのも、昨年末の衆議院選挙で、与党が議席の四分の三を確保した結果、これから四年間、「憲法改正」の発議がいつでも可能となったからである。問題は四年間のうち、どのタイミングで「国民投票」に打って出るか、それまでのプログラムをどう組むかである。

 今春の統一地方選に勝利し、秋の自民党総裁選で再選を果たし、来年の参議院選挙に勝利しなければならない。再来年にはいよいよ消費税十%が待っている。それまでにアベノミクスはデフレ脱却を果たせるか?国家機密法や集団的自衛権に関連する諸法令の改正は、世論の反発を招かないか?

 そもそも、憲法改正の国民投票で過半数確保への世論形成はうまくいくのか?「景気回復」の期待から寄せられた与党への支持票が、「憲法改正」にも同じように踊るとは限らない。あれこれの難題が安倍首相の頭の中をかけめぐり、「初夢」どころか、夜も寝られないかもしれない。

 そういえば、記者会見での安倍首相の表情は、総選挙に大勝したにしては、どこか「目が笑っていない」のに気づく。「経済優先で」と話しながら、心は別のことを思っている。今は亡き祖父の岸信介の心情が、背後から乗り移って、マインドコントロールされているわけでもないだろうが。

 さて、そういうわけで、私達にとっての元旦も、「四年の計」を見通しながらの「一年目の計」とするのが賢明と言えそうだ。まずは、今一度「世界史」をおさらいし、改憲論者、とりわけ「九条改正」論者と対峙できるだけの、歴史的認識を身に着けることから始めてはどうだろう。

 例えば「憲法」の歴史。ジョンロックの「社会契約説」とイギリス議会の「権利の章典」。ドイツの憲法を参考にした明治の「大日本帝国憲法」。戦後日本の平和憲法制定の経緯。その際参考とされたアメリカ合衆国憲法、ドイツのワイマール憲法、フィンランド憲法、ソビエト憲法。また「戦争の放棄」(第九条)のもとになった第一次大戦後の「不戦条約」(パリ条約)。

 そして、それぞれの憲法を取り巻く歴史。イギリス絶対王政と闘った名誉革命。フランス革命と人権宣言。ドイツ統一と帝国憲法。日本の明治維新と自由民権運動から憲法制定へ。日清・日露戦争、大正デモクラシー、日韓併合、満洲支配、日中戦争、太平洋戦争に至る近現代史。

 「憲法を語らせたら、あいつにはかなわない」と言われるくらいになろうではありませんか!改憲論者がタジタジとなり「わかった、わかった、もうその話はよそう」と根を上げる、そんな「初夢」を見ることから、新年をスタートさせたいと思います。(誠)


 連載33 オジンの新◆経済学講座 
  つなぎのお話・・最近のゼロ・マイナス金利と利潤率の低下
   上藤 しゅうたろう

■ゼロ・マイナス金利とは?

金利=利子率の決まり方

「新発2年物国債の利回りがついに消滅――。十一月十九日午後の国内債券市場に軽い衝撃が走った。期間1年を超える新発国債の利回りがゼロまで低下(価格は上昇)するのは史上初だ。日銀による量的・質的金融緩和の副作用で、償還までの期間が短い国庫短期証券(TB)の利回りはすでにゼロやマイナスを経験しているが、その「異常事態」がついに期間の長い国債にまで及んできた。」(朝日電子)。後日談をすれば、十二月三日とうとうマイナス金利となった。

 マイナス金利は少し置くとして、このように日本の中・長期金利はここ二十年ぐらい下がり続けている。いや、九〇年バブル崩壊時の金融危機に一時上昇したのは当然なので除外すれば、三十年ぐらい金利は長期下降中、今ではゼロ%台が常態だ。この金利変化の要因は複数ある。

 だから短期間に上下する変化要因と、長期的に下降する要因を区別して考えるべきなのだ。

 第一に金利はそもそも商品と同じで市場の需給で決定される。資金需要が旺盛になれば金利は高くなる。これは好景気ばかりではなく、経済恐慌に突入すれば返済資金需要が逼迫する。ので金利の急上昇がみられる。逆に資金需要が減少すれば、金利は低下する。

 だから現代の国家、中央銀行は,この法則を利用して中央銀行紙幣の支給や引き締めで金利をある程度コントロールできることを学んだ。(短期)金利の誘導で、倒産防止など経済に一定の影響を与えうる。

 念のためだが、したがって低金利を単純に「政策的なものだ・・」と考えるのは反対だぞ。

 そもそも利潤率が低く、資本のインセンティブが低下しているからこそ中央銀行は低金利政策をとるのだから。コール市場への介入にしても、とくに黒田流「量的緩和政策」にしても金利負担の軽減を企業に図る狙いだ。市場金利がすでに下がっているから、政策でもっと下げているだけなのだ、逆ではないぞ。

 ところがまあ、すでに下がりきった金利がさらにほんのちょっとさがっても、その「金利差」は元々少なくインセンティブにもつながらないのが現実だ。

■金利は利潤率とイコールか?

第二に、やはり商品市場と同じで、金利にも需給以外の法則がある。

 商品価格が需給関係で変動すると言っても、通常、新車が一万円まで下落しないし、自転車が二百万円になることもない。なぜなら価格の実態は労働価値であり、自動車のような多くの部品や工程からなり大きな社会的労働が費やされているものは、そもそも三輪車や自転車とは違うのである。

 労働の投入量の大小がそれぞれの「商品価格の背後」に存在するからだと、労働価値説では考える。

 金利は「お金の市場価格」といえるが、このとらえどころのないカゲロウのような金利も、労働が生み出した価値の一部が変化したものなのだ。だから銀行融資の金利は企業家にとっては剰余価値=利潤を当然の限界と考えるだろう。利潤を失いたくないゆえだ。

 他方、金融資本家(銀行や企業法人、個人)の立場からすれば、平均利潤率以下の貸出金利は魅力がないだろう。それ以上の金利を求めるはずだ。

 このような相矛盾するモメントは、結局のところ社会的な新たな平均利潤率を形成する。前回、前々回に論じたように、現代では金融市場が巨大化し、産業的企業ですら「トヨタ銀行」「○○銀行」と言われるようになれば、事実上利子・金利=平均利潤率となると考えて良いだろう。

 そもそも「利潤」は会計的には推定できるが、「平均利潤率」という統計が存在しない。だから長期利子率から平均利潤率を推定せざるを得ないことがある。

 そんなわけで水野和夫さんは、説明抜きに「長期金利・利子=利潤率」と大雑把に見なした。読者にはここに疑問を感じた方もいるかもしれないが、巨視的な話しでは、このぐらいザックリとした割り切りをしないと長期的趨勢を見定められない。

■現在の超々低金利時代の「意義」

 そこで一つの結論だが、短期的には今後とも市場の需給変動や中央銀行の政策で金利は上下しうる。

 他方、長期的には、「資本の有機的構成の高度化(設備資本の巨大化)」および「産業構造の高度化(サービス・金融業の巨大化)」の両面から、利潤率は低下するし、利子率も市場変動で小ブレしながらも利潤率に引きずられて長期的に低下する。とこうなるのじゃ。分かってくれただろうか?

 もちろんこんな事に「意義」などないが、もしあるとすれば、資本が資本として「利潤」を挙げることがきわめて困難になった、という事だ。高い利潤率を上げうる分野は国内ではなかなか見あたらない。

 ゆえに金融資本家ばかりか産業資本は余剰貨幣を実態経済へ再投資することを渋り、株や債券売買益を目指して金融取引に一層巨額の貨幣を投入する。少なくとも物作りの産業には自ら積極的に投資しない。(だから橋や道路、港湾設備などは国の公共投資を媒介とせざるを得ないのだ。)。

■象徴的なマイナス金利と言う事態

 日本の現時点のインフレ率を三%と見積もれば、すでにかなりの実質マイナス金利である。インフレという状況での実質マイナス金利は珍しくはない。しかし、今注目されているのは「名目金利」ですらマイナスとなる逆転現象だ。金を借りると借りた人に「マイナス利子」が支払われるのだ!

近年日本やドイツから聞こえてくるマイナス金利(名目)は、「利潤のあがる投資先が少ない」ので「資金需要が低下した」と言う域を一歩超えているとおもう。

 金利がマイナスになるのは、一般的な低金利状態プラス、金融市場の波乱(信用不安)におびえて、国際的には比較的信頼の高いと想われている日本国債やドイツ国債に買いが集まっているからなのだ。

 世界中の労働者から絞った富を、もう増やすことは出なくとも安全に保管したい金融資産家達が増えている。もしもバブルが崩壊すれば金融資産は吹き飛んでしまう。 信用膨張で膨らんだ資産を、どのようにしたら安全に維持できるのか、そのためには「安全保管料」を、預け先に支払うという姿だ。スーパーリッチや金融資本の最近の行動傾向で、とりあえず日本やドイツ政府に「保管料」を手渡していると言うことになる。

 このように巨大化した金融資産が生み出した現象が名目での「マイナス金利」である。

 マイナス金利は「傾向的な利潤率低下=利子率低下」と、その元でたびたび発生する不安定な信用膨張(バブル)の生み出した副産物なのだ。今後はさらに拡大することが想定されるだろう。

 もっともドイツも日本も足下の経済は降下中だ。特に日本は国債の乱発もありこのマイナス金利が何処まで続くかは分からない。ソブリン危機が発生すれば一転、金利は高騰し、黒田さんは天井まで飛び上がる!
*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  
労働者協同組合とアソシエーションの話しは、すまんが準備中だ。 (つづく)号案内へ戻る


 読者からの手紙  「自民単独で300議席超える勢い」と報道した全国紙編集の楽屋裏とは

 皆さんは、殆どの全国紙の二面に「首相動静」という欄がある事をご存じでしょうか。

 その12月16日には、安倍と16日に寿司屋で会合をする事が書かれていました。

 参加者は、時事の田崎史郎、朝日の曽我豪編集委員、毎日の山田孝男特別編集委員、読売の小田尚論説主幹、日経の石川一郎常務、NHKの島田敏男解説委員、日テレの粕谷賢之解説委員長の面々です。

 総選挙二日後、この面々が安倍総理大臣とオフレコで手土産付きの会合をしたのです。

 12月18日の「しんぶん赤旗」は、実に生々しい記事があります。記者が張り込んでいたからです。引用してみましょう。

 雨上がりの夜、寒風吹きすさぶなか、SP(要人警護の警察官)が店の周りで午後6時59分から午後9時21分まで目を光らせました。店は、報道関係者が事務所を構えるプレスセンター(千代田区内幸町)からほど近い場所にあります。

 午後9時20分に店を出てきた安倍首相は“満腹”だったのか、上体やや後ろにそらせながら大手を振って公用車に乗り込みました。首相との会食を終えて、おみやげを持って出てきたマスメディア関係者の多くは足早にタクシーへ。

 テレビ番組のゲストでおなじみの田崎史郎時事通信解説委員が最後に出てきて、店外で待っていた記者8人に簡単なブリーフィング。「あらかじめ座る席が決まっていた」などと説明。「完オフ」(完全なオフレコ)が条件の会食とされ、何が話し合われたかは語りませんでした。

 この記事が実際に記者がその見聞を元に書かれたものかどうかは、本当はわかりません。

一昔前は、赤旗はウソ旗と有名でしたから。しかしまるで見てきたような生々しい描写である事は読めば明らかです。

 まさに官房機密費は、こうしたマスコミ対策に今も確実に使われていると想像できます。

 防衛大学教官を退官して以来、政府に辛口の意見を言い続けている孫崎 享氏は、そのツイッターで「総選挙協力功労賞:すしでご馳走します。16日首相動静、夜すし店しまだ、時事・田崎論説委、朝日・曽我編集委員、毎日・山田編集委員、読売小田論説主幹、日経石川常務、NHK島田解説委員、日テレ粕谷解説委員長。米国ではまずない現象。恥ずかしげもなく鮨食いに行く、安倍に飼われる隷属軍団。」と実に辛辣な見解を明らかにしています。

実に的確な見解だと言わざるを得ません。ここから分かるように全国紙は、自民党向けの紙面作りをしてきたのです。寿司屋での会合は、その感謝のための接待でした。

 労働者民衆を愚弄するのもいい加減にしいろと言いたくもなるではありませんか。

 私が維新の党の江田憲司氏を唾棄するのも、彼が官僚時代に官房機密費を関係者に手渡していた張本人であるにもかかわらず、一切口を拭ってまるで無関係を装い沈黙を貫いている事に今でも腹が立っているからです。

 江田氏よ。マスコミの前で立派な事を主張する前に、まず自分自身が官房機密費の運用に深く関わっていた事を子細に告白して懺悔すべきではないでしょうか。 (S)


 Fさんからの手紙

「かつての旧左翼・新左翼を超克し、変革のための思想、理論を懸命に模索せんとする能動的意思を貴紙から、はだで感じる。

私も街宣で引用することが多いが、具体的な体制、権力、資本の実相、本質を鋭くえぐり、提起する事例、分析に感心する。しかし口先の従、自己ギマンの人間でしかない私のヒガミ根性か、脱原発、非戦平和、よりマシな人間性実現というが、真当な社会を目指し、奮闘する人は存在するものの、物を考えず、人のアラ捜し、他人の非難、不信、殺伐な世の中に自らも促進させている日本人の多数派に苛立ち猜疑を抱く。

民意を歪め排除するブルジョワ選挙の制約を乗りこえ、それでも大衆運動、選挙戦に傾斜するといっても、自前の党もなく、社民・共産とも協力しないでは、所詮、理想を追う夢見る、極少数派に終わらないだろうか?」 (F)号案内へ戻る


 読者からの手紙  阿部治正さんの選挙結果は残念

 衆議院選挙告示日に、ワーカーズ紙に時おり投稿している阿部治政さんが立候補した旨を知人からのメールで知りました。

 同居の孫の世話をしているので、現地支援は考えませんでした。自分の出来る範囲で、呼びかけようと思いました。「信頼出来る友人が千葉7区で立候補しているので、南関東ブロックの比例区は社民党に投票してください。ご家族や友人・知人にも働きかけて頂けると大変嬉しいです」とメールやメールを知らない人には手紙で働きかけをしました。

 神奈川や千葉、山梨に居住のない人にも、この三県に住む友人や知人がいれば、投票依頼してくれるように頼みました。12月13日(土)までに働きかけた人数は約80人。

 反応のあったメールの一部を紹介したいと思います。

「了解しました。できる範囲で声を掛けてみます」「選挙の件、了解しました。家族、友人にも話しますね」「総選挙のこと、詭弁と強権を憎み、広く長期的な展望を持つ、人格高潔の士、阿部治正さんの社民党に一票を投じます」「趣旨は了解しました。何のために解散したのか分かりませんが、自民党の数だけは減らしたいですね」「比例は社民党に入れるつもりですが、わが国の重要な岐路と思う選挙が国家主義の方向に大きく曲がりそうな結果が予測されます」「仲間と車で福島第一原発の事故で避難を余儀なくされている富岡から浪江周辺を南相馬市まで見て、昨日、帰ってきたところです。手つかずです。改めて怒りがこみ上げてきました。ご連絡いただいたことは了解しました」

 日常生活やいろいろな活動で会った人にも積極的に声をかけました。妻も10人以上の人に働きかけをしました。「家族・友人に働きかけ最低10票は確保できる」「社民党に入れるよ」との励ましの声がある一方で、反応のない人も多かったです。

 毎日遅くまで、自分としてはほぼやり抜いたと思います。もっと早く立候補のことを知り、チラシなどあればもっとできたのかも。カンパも選挙事務所あて送りました。

 残念な結果に終わりましたが、反応のあった人に応援感謝のメールをして交流ができたような感じです。

 地道な日常活動あるのみです。月々の放射線量の測定は3年以上になり、脱原発の集会やデモの他に、大江健三郎さんたちが呼びかけた「戦争を1000人委員会」の地域準備会を8月に作り、毎月、活動を続けています。(石井良司)
 

 敗戦から70年・侵略戦争の痕跡が消えてゆく

 昨夏、敗戦時に学齢世代だった方の戦争体験を聞く会を開いた。それでも、もう70代後半から80代の世代で、記録を残しておくことにした。ずいぶん以前に、通信兵として戦争を経験した方がよく戦争経験を話していたのに、90代で亡くなられ、記録を取っておくべきだったと悔やまれる。

 次に、晩秋のよく晴れた日、「タチソ」を見学した。旧陸軍高槻地下倉庫(暗号名「タチソ」)は、雨とともに土砂が流入、天井も落下。70年の風雨にさらされ自然によって埋め戻されようとしている。こうして貴重な戦争遺跡がひとつ、又ひとつと消え去ろうとしている。もう入れなくなる前に、記録と記憶に留めておこうと企画された見学会に参加し、その内部を見た。

 この地のトンネル群の建設には間組が加わっており、例によってダイナマイトによる掘削など、一番危険で過酷な作業は3500人ともいわれる朝鮮人が行っている。そのなかには、約600人の強制連行された朝鮮人もいたということだ。現場近くの粗末な飯場に住まわされていたのだが、その名残が最近まであったということだ。

 こうした地下壕は本土決戦に備える、要するに制空権をなくすなかで、軍事施設を空襲から守るものとして全国各地に建設されたものである。タチソは用途が倉庫から川崎航空機のための地下壕となって、旋盤などが運び込まれるところまで進んでいたが、敗戦で無用なものとなった。敗戦から3日くらいの間、本部前で書類を焼く煙が出ていたということだ。

 しかし、コンクリートが張られたところは一部だけで、天井が崩れ落ちて入れなくなったトンネルもあるとか。比較的現状を留めているところに入るのだが、入口が埋まりかけて這わないと入れなかった。ちなみに、空軍の地下壕もあるが、こちらはしっかりしたコンクリート張りだったとか。

 敗戦から70年の年を迎えようとしている今、あらゆる戦争の痕跡が消えつつある。とりわけ、戦争準備を始めた安倍自公連立政権は侵略戦争をなかったことにしようとしている。そんなことを許してはならない。
 (晴)


 新年に向けて なめたがれい

ここ東北三陸地方では、年越しに「ナメタガレイ」を食べます。関東は「シャケ」関西は「ブリ」が、出世魚として、縁起魚です。

シャケは生まれた川から大きな海で、色々な敵から身を守りながら、成長し、もとの川に逆流して戻ってくる。ブリは、成長の度に名前が変わり、ハマチが大幅なったのが、ブリです。

ナメタガレイは、子持ちが好まれ、子孫繁栄を意味するそうです。また、値段が高いので、魚屋さんに聞いてみると、ナメタガレイの口が小さく大きくなるスピードが、遅いしいっぱいいないそうです。

しかし、縁起魚や出世魚を重んじる日本人、仕事に精一杯、出世が夢でがむしゃらに働くしかない。それを叶えるためのアイテム、

そういう私も年越しにこだわり、季節の移り変わりを体感したい、みんな健康で来年も頑張って欲しいと、高くなる前に、早めに「ナメタガレイ」を購入して、煮て冷凍しました。新しい年は、アベノミクスに惑わされず、地に足をつけて、歩いていきたいです。(宮城 弥生)

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