ワーカーズ529号(2015/2/1)          号案内へ戻る

 欧州で台頭する闘争的左翼!金融大資本の収奪に抗して

 ギリシャ政局の混迷は、解散総選挙(一月二十五日)で急進左派連合(SYRIZA)の躍進と勝利で幕を下ろした。この急進左派連合の下で、新内閣が組織される。

 失業率が二五%であるうえに、公務員の多い「元社会主義」ギリシャではここ数年間、公務員労働者の待遇カットが続いてきた。人員整理もあった。国家財政難という理由で年金・福祉政策も次々切り捨てられてきた。このような人的・経済的衰退は、ひいては中小資本の多いギリシャ経済を苦しめてきた。

 EUからの借り入れで国家財政を回し、その間に「身を切る改革」をEU各国から厳しく要求されてきたということだ。(しかし、ギリシャの政府債務のGDP比は二倍弱であり、日本と変わらないのだが。)

 ながらく戦乱の舞台であった欧州だが、「域内平和」という点ではEUは大きな実績を上げたのは確かだ。

 しかし、このような域内経済格差と、大資本中心の経済政策の浸透は、今回の様にギリシャの労働者・勤労者に多大の犠牲を強いるばかりか、ギリシャ経済の自立的再建を一層困難にする可能性がある。

EUの指導者とそれを支えている金融大資本たちは、金城湯池(きんじょうとうち)EUを維持したいのであれば、借入金の棒引きないしは大幅な債務削減に応ずるべきだ。

 州委員会・欧州中央銀行(ECB)・国際通貨基金(IMF)の強欲トロイカは、ギリシャへの一切の妥協におうじないと早々宣告した。ほんとうの闘いはこれからだ。

 ギリシャ国民に対する苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)と化してきた屈辱的鉄鎖は、一刻も早く打ち砕かれるべきなのだ。

 ギリシャばかりではない。全欧州で、「極左の台頭」という亡霊がはいかいをはじめた。「進撃の極右」がはなばなしく話題となってから一年も経たない。そうなのだ、EUの経済低迷と格差拡大のなかで階級矛盾は一層激しさを増しているからだ。

 今年中に政権を獲得する可能性があるのは、もう一つある。スペインの左翼政党ポデモス(「私たちはできる」の意味)だ。

 去年五月の欧州議会選挙で当選した同党党首イグレシアスは議会初演説でこう主張した。「われわれの大陸の歴史における最良の瞬間は革命でつくられ、人民により生み出された」(『日本版ニューズウイーク』)と。

 安倍政権の下で、経済低迷と生活苦や格差の拡大が進行している。政治反動も強まっている。日本の労働者・市民も、欧州の闘いに学び連帯し闘いを広めよう!(文)


 残業代ゼロ法案
  そんなに働かせ放題にしたいのか──呆れた企業の搾取欲──


 安倍内閣は、性懲りもなく財界言いなりの残業代ゼロ制度の導入をもくろんでいる。

 労働時間ではなく働いた成果で評価するなどと強弁しているが、その狙いは時間の制約を取り払って労働者をどこまでもこき使えるようにする、というものだ。こんな法案が1月26日から始まった通常国会に出される。それが通れば、現状でさえ根絶できない過労死が蔓延するような労働現場が拡がるだろう。

 財界と結託した安倍内閣による、労働破壊をもたらす残業代ゼロ制度は、廃案にする以外にない。

◆残業代ゼロ制度

 中長期にわたって労働者の働きかたに大きな影響をもたらす、労働時間法制の改悪作業が進んでいる。1月26日から春闘が始動したが、その少し前の1月16日、厚生労働省が労働政策審議会の分科会で労働時間法制のあり方についての骨子案を示した。目玉はこれまで何度も導入を画策してきた、いわゆる残業代ゼロ制度だ。

 厚労省はそれを「特定高度専門・成果型労働制」として導入しようというのだ。通称は「高度プロフェッショナル労働制」だという。官僚的な、なんとも労働者を小馬鹿にした制度名だが、中身はかつてのホワイトカラー・エグゼンプション、要は残業代ゼロ制度を表紙を代えて持ちだしたものだ。

 この骨子案の最初の出てくるのが「働き過ぎ防止のための法制度の整備など」というもので、長労働時間抑制、休日の確保、年次有給休暇の取得促進などが掲げられている。ブラック・ジョークという以外にない。次に出てくるのがフレックスタイム制の見直し、裁量労働制の見直し、そして残業代ゼロ制度の導入だからだ。なんのことはない。働き過ぎを防止するために、企業の都合で好き勝手に働かせられる制度改変や新制度の導入を進めようというのだ。

 看板に偽りあり、という以外にないが、それをなんとか正当化するために、新制度は「時間ではなく成果で評価される働き方を希望する労働者のニーズに応え」るだと。なんだか労働者の希望を実現するかのような見え透いたすり替えだ。

 対象業務も「高度の専門的知識等を要する」「業務に従事した時間と成果との関連性が強くない」職種で導入し、たとえば金融商品の開発業務、金融商品のディーリング業務、アナリストの業務、コンサルタントの業務、研究開発業務などを例示し、具体的な職種は法案成立後に「省令で適切に規定することが適当」だとしている。

 対象労働者については、年収が1075万円を参考に、これも法案成立後に省令で規定する、対象労働者の選定にあたっては、賃金が減らないように「考慮」する、としている。

 心配される長労働時間の防止措置については、次の勤務までに「一定の休息時間」を与えること、一ヶ月の労働時間について、「一定の時間を超えないこととする」、4週間をつうじて4日以上かつ1年間を通じ104日以上の休日を与えること、残業時間が100時間を超えた場合には、面接指導を義務付ける、という内容になっている。

 ご親切にと言うべきか、制度の適用に対しては、当該労働者の「同意」を義務づけ、また制度導入の要件として労使委員会を設置し、その5分の4以上の多数による決議を義務づけている。

◆詭弁

 骨子案のこれだけの内容を見るだけで、すり替え、詭弁さがすぐ見て取れる。

 職種などは、個々の企業でなんとでも分類できるし、その職種で何を任されるかは企業のさじ加減次第だ。対象労働者の年収が1075万円とその数字自体はかなり高いレベルだが、一端導入されればそのレベルが引き下げられないとも限らない。現に、07年に第一次安倍内閣で導入が画策された時には、400万円だとか700万円だとかの数字が示されていた。また14年に産業競争力会議で検討されていた時は、「労使合意型」というケースでは、労使が合意すれば年収の低いブルーカラーでも対象に出来るような枠組みが提言されていたのだ。

 長労働時間防止措置についても、いまでもそうだが、成果を求められて職場や出先などで仕事を続ける事態が蔓延しているが、それを防ぐ確実な手立てはどこにもない。想定される実質的な残業時間も、厚労省が過労死ラインとしている月80時間を超え、100時間まではお構いなし、100時間を超えてしまった場合にも、単に「面接指導」だという。本来なら操業停止に相当する場面だろう。

 本人同意についても同じだ。会社から適用を打診されて断れる労働者が果たしているのだろうか。そんな肝っ玉があれば頼もしいが、現実は会社に背く反抗分子としてとうの昔に左遷されるなどの仕打ちを受けているだろう。仮に、成果を出せば早く帰れる、と歓迎する有能な社員がいるとする。が、それは最初だけ。もっと仕事を引き受けられるはず、と他の仕事も押しつけられるのが関の山だ。

 同じ事だが労使委員会についてもいえる。5分の4というのはかなり厳しい基準だと勘違いしかねないが、メンバーが会社の息がかかった人や御用組合のメンバーであれば、それを制御するのは会社にとってたやすいことだ。

 それに年収要件や残業時間の規制基準など、具体的な歯止め基準はすべて「省令」で決めるとしている。一端、労基法が改定されてしまえば、国会審議抜きの厚労省の審議会だけ、人目に触れないままの議論だけで規制ラインが変えられてしまう。「一端導入されてしまえば」という事態は単なる危惧ではないのだ。

 残業代ゼロ制度は、第一次安倍内閣の時に、財界の要請を受ける形で導入が画策されたものだ。その時はホワイトカラー・エグゼンプションという名称で、謳い文句は労働時間ではなく成果を基準とした働き方で、個々の働く人のライフワークにあった働き方だ、とそこでも詭弁を弄していた。当然のごとく、財界や経産省の狙いを察知した労働者側や専門家の批判の声に阻まれて、一端は断念したものだった。

 ところが第二次安倍内閣が誕生した13年の12月にまた頭をもたげはじめ、安倍首相もアベノミクスの「第三の矢」とする成長戦略の柱に岩盤規制の撤廃を掲げ、その中心に農協改革や労働規制の緩和を組み込んできたのだ。

◆働かせ放題

 財界や経産省が繰り返し語ってきた厚かましいとしか言えない建前には怒りを覚えずにはいられない。そのどこに「生活スタイルに合った働き方」があるというのだろうか。

 現状をちょっとだけ見てみよう。

 日本の近年の労働事情といえば、まず過労死に象徴される働き過ぎ社会だ。いまでもサービス残業や風呂敷残業は当たり前、形としては40時間までといった残業時間の規制がある場合でも、仕事が終わらずそれを超えて働いても残業代が付かない、といったケースが蔓延しているのが実情だ。

 そうした長労働時間、働き過ぎ(働かせられ過ぎ)の現実を変えることこそ、いま求められているのだ。労働基準法は、本来労働者の権利を確保するための法律だが、現状は必ずしもそうなっていない。象徴的なのは労働時間規制だ。1日8時間という原則は決められているが、労使協定等を前提として青天井で働かせることが出来る。月ごとの上限でも、厚労省が過労死の認定基準としている月80時間を超えて働かせることも可能なのだ。残業時間規制はないと同じなのだ。

 今回、財界や安倍内閣が持ち出しているのは、いまでさえ労働者保護規定が欠ける現行の労働基準法を、企業にとってさらに都合の良いものに変えようとするものなのだ。要するに、労働時間の規制強化ではなく、反対にそれを取り払ってしまいたいというものだ。そこで生まれるのは、成果を出すことに追いまくられる正社員と、不安定低賃金の非正規労働者が併存するすさんだ職場でしかないだろう。あまりの企業の搾取欲には呆れる以外にない。

 財界はこれまでに職場での労働組合による規制を次々と排除してきた。職能給だとか能力給、成果給、年俸制などにみられるいように、賃金制度に関する決定権は企業が独占するに至っている。また正規労働者を非正規労働者に置き換えることなど、雇用の分断と総額賃金削減で狙い通りの雇用システムも手にしてきた。こんどは労働時間をめぐる規制からも好き勝手に振る舞えるような、働かせ放題制度の導入をもくろんでいるのだ。いはば、今回の財界の野望は、雇用や賃金に続き、労働時間でも企業の独裁体制を確保したい、という執念から出たものなのだ。

◆暗雲は追い払うのみ

 労働者を馬車馬のように働かせたい、そんな残業代ゼロ制度は、あらゆる労働者が結集して葬むるのみだ。

 職場に蔓延する働き過ぎ、働かせられすぎの現状を変えるには、法規制の強化も大事だ。が、それ以上に有効で確実なのは、労働者が団結して働く環境を改善していく闘いだ。そのテーマは雇用のあり方、労働時間のあり方、それに賃金制度についてもいえる。

 労働者を保護する法制度はあっても、現実はそうなっていないことが多い。それは法律を無視して悪辣な働かせ方を強いる「ブラック企業」だけではない。大企業でも中小でも、同じような労基法違反としか言えない現状が蔓延している。それを働く個々人が法律に頼って解決するのは、裁判などに訴えるしかない。しかし労働時間や賃金制度などについては、ひとりの闘いだけでは限界がある。職場の仲間が結束して経営側に立ち向かっていく必要がある。それを支えるものとして労働法制、ここでは労働基準法などがある。その個々の条項に最低基準としてではあっても、労働者の権利を守る条項もある。またそうした法的保護を前提とした永年の闘いで、解雇をめぐる4要件など、労働者保護の判例も積み上がってきた。それらの闘いをこれまで以上に拡げていく必要がある。

 労働基準法など、法的権利を背景に企業と対峙するということは、単に法律に依存して自分たちの働き方を改善する、ということに止まるものではない。一定のよりどころ──ここでは労基法だが──に依拠して経営側に対峙する、そのことが重要なのだ。労働者が力を合わせてそういう立場に立てるかどうかが、長い目で見れば法律以上の力を発揮する。

 実際、年功制や成果主義といった賃金制度や、労働時間をどうするかといったテーマは、一義的には法律や政府の政策の問題ではない。労使自治、すなわち労使の間で決められるべきものだ。現状は労働組合の力が弱かったり、御用組合が多いなど、労使自治といえば企業の意向がまかり通る事と同義になっている。が、別の見方をすれば、労働者が労組などをつうじた闘いによって、いくらでも闘い取れるものなのだ。今ではそうしたものとしての労組への帰属意識や組合員としての自覚さえ持てないような職場が多くなってしまったが、いま必要なのは、自分たちの労働条件は、自分たちの団結した闘いで勝ち取る、という当たり前の観点に立ち戻ることなのだ。それは働き方のルールを、自分たちと距離が遠い政府や法律に依存する関係から、自分たち自身で決める、いわゆる自己決定権を実現する闘いでもある。その積み重ね以外に、自分たちの雇用や労働環境を改善できる特効薬などないのだ。

 この労基法改正案には、残業代ゼロの他にも、フレックスタイムや裁量労働制の営業職への拡大など、労働時間規制を企業の都合に会わせて緩和する内容も入っている。あるいは解雇自由原則への転換など、「次」の課題も続く。それらも含めて企業にとって無制限に働かせることを可能にするような残業代ゼロ法案=過労死法案は、労働者の現実の闘いによって葬り去る以外にない。

 中長期的な課題を前進させるためにも、目の前の漂う暗雲は、その都度、確実に追い払わねばならない。(廣)号案内へ戻る


 「地球儀俯瞰外交」を支える外務省の利権・責任と安倍総理の決定な政治的ミスを追及する

 この1月14日、政府・与党は、総額約96兆3400億円となる2015年度一般会計予算案を閣議決定で決めました。この予算案は、14年度当初予算に比べて総額で4600億円ほど増え対前年比では0・5%増の、過去最大となる見通しです。

「税収が足りない」と言って消費税増税しながらその一方で、この予算案の特徴といえば軍事費を突出させて社会保障費を削減するという何とも呆れ果てた予算案です。また他方で、世界で金を配って回る「安倍地球儀俯瞰外交」を展開する大矛盾を指摘したいのです。

 その中でもまず私が特に注目しているのが、外務省の予算についてです。外務省の2015年度予算は6854億円と、2014年度予算比べて約200億円の増額です。昨年比でみると何と3%の増額となっています。先程述べた軍事費の増加率も、昨年比で見ると2%でしかありません。外務省予算の突出ぶりは誰の目にも明らかです。

 ではなぜこんなに増加したかを見てみると、理由のひとつは、在外公館の新設です。

 1月11日、岸田外相は麻生財務相と折衝して、新たに6カ国に大使館を設置する事を決めたのでした。新たに設置する在外公館の所在地はモルディブ、ソロモン諸島、バルバドス、タジキスタン、トルクメニスタン、モルドバです。

 これらの場所に、日本国家がなぜ今の時点で、新設する必要があるのか、全く納税者に対する説明不足であり、かつまた全く理解不能な無駄遣いではありませんか。

「理由と膏薬はどこにでもつく」との例えの通り、外務省は「『安倍地球儀俯瞰外交』の下、各国との密接な関係を築くのが目的」(報道課)といっています。しかしながら安倍外交の成果を見せられたことなどついぞありません。私たちは、安倍総理が「大名行列」よろしく民間会社の社長達を率いてむやみやたらに世界を回り、多額の金を配ってきた事実しか知りません。昔から「ただで物やるにさえ上手下手」の格言があります。人に物や金を与える事が、後々大変なことになることも往々にしてあるからです。後で触れますが現実に中東情勢に配慮不足の安倍総理は、今回中東外交で大失敗してしまいました。

 実際、安倍総理はオバマ大統領に嫌われています。そのため、現在に至っても最少限の儀礼的な対面をしただけです。安倍総理の露骨な「日本会議」よりの政治姿勢は警戒されているからです。また中国でも歓迎もされず、さらに韓国とは2年近くも冷たい関係があるだけで、本来は安倍人気高揚策であった北朝鮮拉致被害者の調査報告も、昨年9月までになされるはずが、一方的に反古にされているような、実に情けない状況です。

 既に周知のように外務省の職員は、外地に行くと国内での給料の他に外地勤務手当が加算されると聞いています。つまり外地に行くと彼らは、国内と外地の分の給料を貰うのです。まさに税金に寄生し旨い汁を吸い尽くす、呆れ果てた外務官僚たちの利権構造です。

 元レバノン大使の天木直人氏は、外務省の在外公館設置についてコメントしています。

「さまざまな言い訳を付けて大使のポストを増やし、予算を拡大させたいのでしょう。毎年のように同様の動きがあり、外務省にとって究極の利権です。新設する国では、いずれも現地で事故を起こした日本人のサポートくらいしか仕事がないのではないか。近隣国の外交官が兼任すれば、事足りる話ですよ」

 まさに外交官の仕事の実態を知り尽くした天木氏の的確な至言ではないでしょうか。

 ここで私は、今回のイスラム国による日本人人質問題を論評したいのです。

 まず問題にしたいのは、湯川氏がイスラム国に拘束されたのは昨年8月、後藤氏が消息を絶ったのは同10月だということです。しかし報道によれば、外務省が「緊急対策本部」を設置したのは、1月20日なのです。さらに報道によれば、後藤氏については家族に身代金の要求が突き付けられており、外務省もその事実を知っていたとされています。

 政府に厳しい事で知られている「日刊ゲンダイ」は、以下のように報道しています。

 ところが、2人が拘束された情報をキャッチしていながら、数カ月にわたって無視し続けたのは、「自己責任だ」「放っておけ」という空気が外務省内で支配的だったからだという。省内には「いい迷惑だ」とまで言い放つ職員もいたそうだ。

 1年前に安倍首相の肝いりで発足した「日本版NSC」も、全く役に立たなかった。これまでに行われた28回の会議では、「イスラム国」が議題になったことは一度もなく、パイプづくりも怠っていた。安倍首相だけが勇ましく「積極外交」なんてホザいていたが、その裏の危機管理は全く機能していなかったということだ。

 加えて、ヨルダンの現地対策本部で指揮を執る中山泰秀・外務副大臣は、イスラム国と敵対するイスラエルと親密で、「日本・イスラエル友好議員連盟」事務局長だった。この人選にも、中東の識者たちは驚いていた。

 中東各国に駐在する大使たちも頼りない。駐トルコ大使の横井裕氏は79年に外務省入省後、「チャイナスクール」に所属し、アジア大洋州局中国課長、在上海総領事、駐中国公使などを務めた中国通で、中東各国とは全くの無縁。そんなのが人質解放交渉でカギを握るといわれる駐トルコ大使なのだから頼りない。

 さらに、駐イスラエル大使の松富重夫氏は96年に当時TBSアナウンサーの有村かおりとの“路上チュー”を写真週刊誌にスッパ抜かれた醜聞男だ。松富氏は当時、妻子持ちで泥沼不倫の末、99年に離婚、01年に有村と籍を入れた。フツーの会社であれば、とっくに左遷されていただろう。こんなヤカラに人質の命を預けていたのだから、暗澹たる思いになってくる。

 安倍総理の判断の甘さといい、この事件が起こった時岸田外務大臣と中谷防衛大臣は日本にいなかったのですから、一体何と表すべきなのでしょうか。まさに彼らの危機管理の内実が暴露された事件です。さらに外務省の対応とその内情の悲惨さは、実に明確です。

 ネット界には、安倍総理もこのような展開は知っていたとの解説もあります。私もよく読む「新ベンチャー革命」がその代表です。「本ブログでは、イスラム国と米国戦争屋CIAネオコンはつながっているとみています。安倍首相が先日、イスラエルを訪問し、米戦争屋CIAネオコンのエージェントであるネタニヤフ・イスラエル首相と同じく米戦争屋CIAネオコンのエージェント・ジョン・マケイン米共和党上院議員と会っていますから、安倍氏は、米戦争屋がイスラム国指導者・バグダディに指示して、対日脅迫の偽旗テロ事件を起こすことを事前にウスウス知っていたとみるべきです」とまで書いています。

「新ベンチャー革命」は、昨年9月に安倍総理が渡米した時マケイン議員と会ったことを持って議論を展開していますが、その説の真偽は、私には残念ながら判断できません。

 ここでソーシャルネットワークの充実に使命感を強く持っている岩上安見氏の意見を紹介する事お許しいただきたいと考えます。現在、彼の所は会員数が五千人を切って危機にあるので、私自身も皆様の支援をよろしくお願いしたく考えています。

「「はめられた」安倍総理の決定的な政治的ミス!~イスラエル国旗と日章旗が並ぶ前で、「イスラム国との戦い」を事実上宣言」IWJ Independent Web Journalhttp://iwj.co.jp/wj/open/archives/226436

 イスラム国からの「犯行声明」、あるいは彼らをテロリストと呼び、彼らとの戦いを「対テロ戦争」と呼ぶなら、まさしく「宣戦布告」であるが、そうした声明をイスラエルに訪問しているタイミングで受けとった安倍総理の間の悪さについて、東京大学名誉教授の板垣雄三氏は、先ほど私(岩上安身)の電話での取材に応じて、こう答えた。

「ヨーロッパでイスラエルは孤立している。欧米とイスラエルにすれば、日本がしゃしゃり出てきたのはもっけの幸いでしょう。日章旗とイスラエルの旗が並んだその前で記者会見を行なうという、最悪の状況で『テロとの戦い』を宣言してしまった。これははめられましたね。安倍総理の決定的な政治的ミスです。

(日本の)一般のマスメディアは、イスラムは親日的だから、欧米の人質と違って、特別扱いしてくれるのではないか、などと言っておりますが、大間違いです」

 日本は泥沼の戦いに何の覚悟もなく、引きずり込まれてゆくだろう、と板垣教授はみる。

「日本はこのままだと、滅びの道を辿る事になりますよ」

 安倍総理は、ネタニヤフ首相と前に、イスラエルを「友人」と呼び、イスラム国を単なるテロリスト扱いした、そのツケは、これまで日本が官民挙げて苦労して築いてきた対アラブ、対中東外交の積み上げを劇的に崩壊させてしまうかもしれない。

 安倍総理は、ここにあるように「まさに飛んで火にいる夏の虫」でありました。彼はまさに「はめられ」たのです。海千山千のアメリカとイスラエルに、してやられてしまったのです。中東でもこれまで憲法9条を持つ国として尊敬されてきた日本の評判は、お調子者の安倍総理の短慮によって一気に暴落してしまいました。軽率で無責任な安倍総理は、自らが招き寄せたこの決定的な政治的ミスに責任を感じているかどうか、私たちは是非とも知りたいものです。この事態に責任を感じない指導者には退場勧告を突き付けます。

 まさに近隣諸国と「密接な関係」を築くとは一体いかなる内実であるべきかが、今ほど私たちに対して真剣に問われている時はないといえます。
 私たちは、安倍総理と外務省のここに至る迄の責任を鋭く追及するものです。 (清野)


 色鉛筆・・・小さな手

 もうすぐ2歳になるこの小さな手

 色々なことに感心を示し、「これ何」ばかり聞くことが多く、自分が理解出来るまで何回も聞き返します。模倣を繰り返し、自分と関わっている相手の反応をみて、知識を積み重ねていきます。

 そして毎日、確実に成長していきます。もちろん、日頃から関わっている父親や母親の役割も大きいとおもいますが、一番は集団の中に入り、学んでいくことが多いと思います。

 私は特別支援学校で働いています。子供達と付き合っていく上で、昔、普通小学校や中学校で経験した辛い思い出を話してきます。中学校の時、国語の時間の本読みの時に、自分の順番が回ってきたけれど、先生は、次の人を当てて、不思議に思った彼女は、「先生、私の順番です。」と問いかけました。「あなたは、読めないから飛ばしました」とみんなの前で言われ、撃沈。漢字を書くことは苦手だけれど、読むことは出来るのに、練習してきたのにと悔しい思いをしたそうです。その後、馬鹿が移るとか、いじめにつながり、保健室登校になったそうです。

 また、視力が弱く、眼球が本人の意思とは関係なく、いつも動いていて「気持ち悪い」と言われた悲しい思い出。共生共学の理念で始められた。特別支援学校入学後に、地域の居住地の学校との交流、絶対したくないと子どもたちは訴えてきます。そして、支援学校の中で、いじめられて、悲しい思いをしたから、人をいじめないというわけでは、ないのです。自分より障害が重い子供、いじめ返す子供が多いです。今までいた辛かった集団にしかえしをしているかのように感じます。

 私に出来ることは、過去の辛かった出来事を聴いて、受け止めることです。そして明日からの一歩につながるように応援することです。この新しい集団の中で学び、しっかりとした目標を持った人生が送れるように、そのためには、「何をすべきか」を考えられる人になって欲しいと想います。

 このかわいい手、どんな子供も社会の宝です。大人が守らなければ、生きていけません。

 私たちが、より良い集団・社会を作っていけるように、みんなで力を合わせて、頑張ることが大切だと想います。(晃)号案内へ戻る


 ピケティ『二十一世紀の資本』(みすず書房)五五〇〇円を読み出して

■『資本論』(マルクス)を実証してしまったピケティ

 ピケティの政治的立場は伝えられるところではフランス社会党であり、国家(主導)社会主義の立場だ。
フランスのように強大な官僚制国家の下では、改革も国家主導であるという発想の政党だ。 

 さきに言ってしまえば、こんな狭い視野では彼の社会改良施策が、極端な累進課税という提案に止まるのは避けられない。だがこの本の価値はありふれた「政策」や「処方箋」にはない。この本の核心は、資本が強力に自己増殖を推進し、持てる者と持たざる者の格差がほとんど不可避的に拡大する、という歴史的事実を統計的に明らかにしたことだ。

■ピケティの論旨

彼の研究概要は必ずしも複雑ではない。

 クズネッツ(ノーベル賞経済学者)の曲線は、十九世紀の格差の大きな社会から、二十世紀中葉までに格差の収縮を見た、ということを示した。しかし、とピケティは言う。その後の二十一世紀までのスパンも加えれば、独特のU字曲線となり、少なくとも先進国では格差は再び拡大をつづけている。

 彼の分析では、二十世紀前半に生じた突然の「格差の収斂」は、主に経済外的な二つの世界大戦による産業基盤と富の消失によるものだとする。つまり特殊な例外だと。

【r>g】これが彼の研究で確認した法則だ。つまり「資本の平均年間収益率」>「経済成長率」。世界大戦の一時期をのぞけば格差は法則的に拡大すると。

■マルクスへの無理解

ピケティは、マルクスを理解して批評しているとは言えない。

「マルクスは無限蓄積の原理」という言葉でひとくくりにしている。根本にはマルクスへの無理解と言うよりも、「学の体系」に対する考えが浅い。彼の業績は偉大ではあるが単なる実証家だ。

 マルクスは、その第一巻において、資本の根本的趨勢を(運動法則)描き出した。その資本の蓄積拡大の飽くなき衝動を明らかにした。それが、「無限蓄積の原理」か?

 そもそも学とは、単独では存在し得ない。というより現実とは多様で重層的な諸法則の全体のことである。具体的に考えてみよう。
 万有引力の法則。そこから導かれる重力加速度。

それはほぼg=9.80m/ssとなる。

重力の法則でさえ、現実に物体(ゴルフボールが)がスカイツリーの先端から落下する場合は、空気の抵抗、風の影響、地球の自転の影響などを考慮に入れなければならない。月の重力の影響だってある。だから重力加速度の公式はそのまま当てはまるわけではない。ソフトテニスボールなら一層空気や風の影響を受ける。だからといって重力加速度の公式が「無効だ」「間違っている」という事ではないはずだ。

 マルクスの『資本論』も、学的体系の一部に過ぎない。そのあとに国家や政治(あるいは戦争)の影響で、経済法則が変形することを(補正されるべき事を)知っていた。マスクスを研究すれば、容易に分かるはずだ。

 『資本論一巻』のみで、マルクスを「無限蓄積の原理」とピケティが決めつけるのは、はなはだ間違っている。

■イデオロギーにこだわるのはピケティ

 ピケティは、自分の研究が資本主義の打倒や崩壊を証明するものではない、というスタンスに神経をかなり使っている。「マルクスと同じではない」と。というのも、彼の実証研究は階級社会の暴露であり、財産=資本の自己増殖が「強力な力で」(ピケティ)進むこと、そして私的所有制度のもとでの富の格差の傾向的拡大を統計的に証明してしまったからである。

 ピケティが証明した一五〇年(国によるが)の資本主義の歴史は、世界大戦で財産が破壊され、みんなが貧乏に陥り、格差が縮まった時期をのぞけば、資本の富の拡大のみが傾向的に進むと言うことだ。もてるものはますます富み栄え、持たざるものは賃金労働の鉄鎖に一生つながれ、貧困から脱し得ないと。

 そのことを彼は一方では前面に打ち出し認めている。このように彼の偉大な研究が『資本論』の法則を実証したにもかかわらず(それ故にか?)マルクスと距離を置こうとしている。政治的配慮というか世渡り上手というのか?

「私の結論は、マルクスの無限蓄積の原理と永続的格差の拡大の含意ほど悲惨ではない。私が提案するモデルは、格差拡大は永続的ではないし、富の分配の将来の方向性としてあり得るいくつかの可能性の一つでしかない」と語りつつ「だが考えられる可能性はあまり心休まるものではない。具体的には根本的な不等式r>g、・・この執念深い論理の影響に対抗できる様な公共制度や政策は考えられる。たとえば、資本に対する累進課税などだ。でもこうした制度や政策の確立は、かなりの国際協調を必要とする。残念ながらこの問題に対する実際の対応は、実際にはるかに慎ましく効果の薄いものとなるだろう。」(『二十一世紀の資本』より)

 つまりこうだ。彼の発見した法則【r>g】は、累進課税のようなさまざまな社会政策を「実際はるかに効果の薄いもの」へと無力化しつつ、貫徹すると認めているのだ。あたかも重力加速度が、鉄球でもテニスボールでもあるいは羽毛の落下を(さまざまな変異をともないながら)貫徹しているのと同じことだ。

 ピケティは自分の見いだした「格差拡大法則」のまえで少々戸惑っている。かれはマルクスを結論ありきの研究から、『資本論』を書いたとしているが逆だ。政治的思惑に配慮して、ピケティの実証研究の成果を素直に受け入れていないのは、皮肉にもピケティ自身ではないのか。

 彼の改良的な政治的立場からの願望ではなく、彼の実証研究をわれわれは検討の上受け入れるだろう。怠惰なマルクス主義経済学への一喝でもあるだろう。

■ピケティの積極面こそ大切

 彼の研究は、「当たり前の帰結」「マルクスがすでに解明したもの、今更・・」というこえも出そうだ。

 しかし、彼の研究はトリクルダウン理論を実証的に無力化し、アメリカンドリームに引導をわたし、そして新自由主義の化けの皮をはぎ取った。

 同様にピケティの本は、安倍内閣の「資本が一番活動しやすい国造り」といった諸論を反国民、反労働者・勤労者のものとして糾弾できる現在的材料を与えた。このように政治的意義は計り知れない。

 一方、ピケティの課題は分配、所得のみ。その歴史的分析なのだ。相続財産がこの不公平にかかわるが、根本にある賃労働と資本に論及が無い。富の原泉で労働者の搾取、という問題意識が乏しいように見える。

 さらには、資本主義の現段階の分析があるわけでもない。現代資本主義に特徴的な金融資本主義の分析もない。(今のところ)

 このような諸点について意見もあるだろうが、『二十一世紀の資本』が持つ積極面こそ讃えられるし、実践的な政治論戦に大いに有効である。

 米国や中国では、大変な反響で本もよく売れているらしい。確かにわれわれも読む価値のある一冊だ。(亮) 


 コラムの窓・・・「中村哲さんの予言」

 イスラム国における日本人人質事件で、犠牲者が出てしまったことに胸が痛む。過去の人質事件の時の「人の命は地球より重い」との言葉、沖縄の「命どう宝」という言葉が生かされなかったことに無念さを感ずる。

 実は、この事件が起こる前の12月に、私は医師で「ペシャワール会現地代表」である中村哲さんの論文(「通販生活」2015年春号)を読みショックを受けた。

 84年にパキスタン北西のペシャワールに赴任し、ハンセン病治療を始め、その後アフガニスタン国内への活動を広げ、飲料水・灌漑用井戸事業などの水利事業に携わり、数々の実績を上げ、日本の「民政支援」の先駆者であった中村哲さん。

 その哲さんの論文の表題を読んで驚いた。「戦争の実態を知らぬ指導者たちが勇ましく吠え、戦の準備をする日本。危機が身近に、祖国が遠くになってきた」と書かれていた。

 「積極的平和主義」など勇ましい言葉を連発する安部首相。「集団的自衛権」行使の実行をめざす安部首相。日本ではなく、アフガンにいる中村哲さんは安部首相のもつ本質的な危うさを肌で感じ「危機が身近に」迫っていることを。祖国・日本がどんどん消えていく危機感を感じていたのではないか。
 少し長くなるが中村さんの論文内容を紹介する。

 「アフガニスタンは日本にとって再び遠い国になった。NATO(北大西洋条約機構)が指揮するアメリカ軍が中心となったISAF(国際治安支援部隊)が年内に戦争任務を完了して、治安権限委譲が終わるという。要するに敗北である。治安は一向に改善の兆しがない。欧米軍が進駐して十三年前より著しく悪化している。一世を風靡した『アフガン復興支援』の掛け声も、莫大な援助額と共に、貧富の差を絶望的に広げたあげく、どこかに消えてしまった。アフガンを皮切りに、集団的自衛権を名目とする不毛な戦いで、世界中が振り回されたことは、想起されるべきだ」

 アメリカのブッシュが始めた「アフガン戦争」並びに「イラク戦争」という不毛な戦争が、今の中東の混迷原因であることを明確に指摘している。

 そして、今のアフガニスタンの実態を次のように述べている。

 「干ばつは依然として進行中である。食料自給率は既に半減し、最悪の食糧危機国に指定された(二〇一〇年・世界食糧計画)。現在、国民の三分の一に相当する七六〇万人が飢餓線上にあると伝えられる。国民の病気の背景に栄養失調があり、特に子供の死亡率は最悪である」と。

 「だが、日本から届く報道は、情けないものだ。人の命に関る重大事も、取ってつけた様な政治議論で薄れてしまう。特に、集団的自衛権に絡む『駆け付け警護』には唖然とした。二流西部劇に似ている。現地がまるで野蛮人の巣窟で、文明国の部隊が護ってやらねばならぬような驕りである。これは主権侵害というものであって、我々の事業と安全を守るのは現地の住民と行政だ。・・・日本はこれまで、アフガニスタン国内では民政支援に専念してきた。そのことが日本の信頼であり、我々の安全保障であった。それが覆されようとしている。・・・アフガンへの軍事介入そのものが、欧米諸国による集団的自衛権の行使そのものであり、その惨憺たる結末を我々は見てきた。危機が身近に、祖国が遠くになってきた。実のない世界である。」(2014年12月、アフガニスタンより)

 今回の人質事件は、今私たちの日本社会が重要な岐路に立っていることを明らかにした。国民の安全を危うくするような安部首相の「勇ましい外交路線」=テロ撲滅を旗印にした欧米諸国の対テロ戦争へ参加していくのか、それとも中村哲さんが提起する「日本独自の第3の外交路線」=アフガンにおける民政支援を基盤にしたような平和外交を堅持していくのか、私たち一人一人が問われている。(英)号案内へ戻る


 シリーズ田母神を読むⅡ
 論文『日本は侵略国家であったのか』⑤ 日本は米国に騙されて開戦したか?


●「次世代の党」の壊滅と田母神氏の選挙結果

 去年十二月十四日に実施された衆議院選挙。田母神氏は東京十二区から「次世代の党」より立候補した。最下位落選であったが、法定得票を越え約三万九千票も獲得した(得票率18,5%)。侮れる数字ではない。

 とはいえ,一年前の東京都知事選挙で、六十万票超を獲得し極右の存在感を示した事を想えば、その凋落は甚だしいものがある。

「安倍首相を支える自民党より右の極」を掲げて選挙戦を戦った次世代の党。改選前の十九議席から、ほぼ十分の一の「二議席」にとどまり壊滅的敗北を喫した。

 国民からすれば、「次世代の党」はそもそも安倍自民党との区別も定かではない。さらに極右のいい加減な歴史観や世界観、そして田母神氏が日々展開している拙劣な政策が知られるにつれて(本連載でも批判を続けてきた)、さすがに国民の嫌悪感が強まったのであろう。「なんだその程度か」と。
実際、次世代の党の宣伝はかなりひどかった。

「自民党の中に左翼がいる」とか「日本の生活保護なのに 日本国民なぜ少ない (在日韓国人) なぜ八倍」とか「慰安婦の真実が分かった今もっと怒ろう」とか、ネットでも街頭でも稚拙なウソのオンパレードだ。生活や労働に根ざす訴えはまったくない。

 安倍政権により煽られ登場した、より観念的なネット右翼の壊滅(政治進出の失敗)も、今回の選挙の特徴であった。

●ダマされた論(私は悪くない?)

 さて本論に入ろう。

 田母神氏は語る。「侵略・植民地は(列強諸国)みんながやっていた、だから日本は悪くない」あるいは
「日本はダマされて戦争した、戦争責任はない」という子供じみた繰り言だ。

 当時の列強諸国も、もちろん日本と同罪である。日本の侵略主義のみが責められるものではないし、それは許されない。われわれは等しくこのような国家主義、帝国主義に反対するし、安倍首相の戦前回帰の政治路線はもちろん、田母神氏のような過去の日本の弁解や美化の論調を、批判するのである。

 氏は言う。「さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し三百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。」(田母神論文「日本は侵略国家であったのか」より)

 時は世界大戦の最中。アジアで戦火を拡大する日本に対して、「来るべき戦争」に米国政府が備え始めたのは何も不思議ではない。そんなさなかであれば情報戦争、駆け引き、騙し合うは戦時の常。「日本はダマされた」「戦争に巻き込まれた」では軍隊トップの田母神氏の論文の「結論」としては何とも情けないのではないか。

 端的には真珠湾攻撃自体、誰でも周知のように隠密の奇襲作戦、つまり「だまし討ち作戦」だ。米国がそれを察知して「わざと泳がせていた」からといって「ダマされた」では理由にならない。

 孫子の兵法を取り上げるまでもなく、謀略、罠、騙し合う、情報戦は、広い意味での「戦略」であり、「罠にはまって開戦した」などとまるで「開戦の責任は米国にある」かの言い訳は成り立たない。

 問題はこうだろう。彼ら右翼は、過去の侵略や植民地主義の汚名をそそぐ事で、現代の軍備拡張や海外派兵、特定秘密保護法など、ようするに戦前体制の復活を目指しているのである。だがそのためには、都合の悪い歴史や事実を偽造したいということだろうが、断じて許し得ない。

●日米開戦の経緯ーー戦争は避けるべきだ

 41年の春以来の、日米の外交交渉は難航した。日本がハル四原則(あらゆる国家の領土保全と主権尊重 /内政不干渉/機会均等/平和的手段によらぬ限り太平洋の現状不変更。)を拒絶したからである。

 ハルやルーズベルトの思惑が何処にあったにしても、世界史的に言えば(何度か論じたように)民族自決と不戦を公然と謳った「ハル四原則」は当時として進歩的である。

 ハル四原則は、明らかなように当時、野蛮な軍部支配のもと、侵略と植民地主義を中国・朝鮮およびアジア各地で展開していた日本への打撃ではある。しかし、それを拒否することは歴史の流れに逆らう暴挙なのは言うまでもないことだ。

 ハル四原則を引き継いだ「ハル・ノート」(41/11/26)も、単なる日本への挑発ではない。少なくとも戦争回避の道は明確に存在していた、
つまり侵略の中止なのだ。

米国の世界戦略がすでにその裏に仕込まれていたとは言え、ハル四原則を理解できず拒否し日本政府が開戦の道を歩んだことを擁護することはできない。

 そのうえ日米開戦は御前会議(41/9/6)で事実上決定しているのである。「罠」とか「巧みに開戦に追い込まれた」かの見解は,事実ではなくあまりに無責任だ。

 日米開戦は、国家中枢で決定されたのであり、低次元の言い訳はいくら積み上げてみても無駄であろう。
よく言われる日本に対する当時の米国の経済制裁(石油の輸出禁止)なども右翼論客は「戦争原因」として持ち出す。責任は米国に(も)あると。

 現在イランやロシアが、西側の経済制裁を受けているが、とはいえこれも政治駆け引きであり、戦争回避のために多くの手段が残されている。

●倒錯したコミンテルン史観

 懲りない田母神氏は「実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。」(同上)とまで言う。

これでは中国(国民党政権も毛共産党も)さらに米国もそして日本も全てがダマされた。悪いのはただ一つコミンテルン? ということになってしまう。

 こうなると日本はコミンテルンと米国にダマされた、一番馬鹿な国となるが・・つきあいきれない無駄話はこの辺までとしよう。

●米国による「植民地支配はいやだ」?

 田母神氏は、日本による中国朝鮮の支配をあれだけ褒め称えたのに、やはり日本が外国に植民地支配されるのはいやだと言い出す。

「日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第二, 第三 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。」(同上)

 植民地の居心地の良さや繁栄を語ってきた田母神氏だが、立場が入れ替わり「植民地の被支配者」となることはいやなようだ。
 それどころか侵略戦争に対する闘いは正当だと言いだす。なんというご都合主義ではないだろうか。

「強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。」(同上)

 「日本にその気はなかったのに、米国にダマされて開戦した」としてきた氏だが、いまでは日米開戦には「大儀」があったと言い出す。今度は米国侵略戦争に対抗する日本の解放闘争として正当化する!

「解放闘争」。この言葉が独立や民族自決のために日本軍と闘ってきた毛沢東や蒋介石でなく、もちろん民族解放戦線のホーチミンでもなく、さっきまで中国朝鮮の侵略と支配を正当化してきたあの田母神氏のものなのだ!あきれはてるばかりだ。(終了)


 石橋克彦の警告!

 1月22日、「神戸新聞」夕刊に石橋克彦氏の「『夢の』リニア中央新幹線」という随想が掲載された。内容はリニア中央新幹線の安全性を危惧するもので、東海地震発生による被害を予測するもの。

「甲府盆地南部や名古屋周辺での震度7近い長時間の揺れ、南アルプスの急峻なV字谷の斜面崩壊による路線や列車の埋没、広範囲の地盤沈降、内陸の糸静線断層帯までがずれ動いた場合の路線の切断‐これらによる複合的地震被害はリニア計画で十分には考慮されていない」

 神戸大学名誉教授・地震学というのが石橋氏の今の肩書だが、まだ現役の神大教授だった時に地震と原発事故の複合的大災害の発生を予測し、警告を発したことは夙に有名である。この警告を無視し、この国は2011・3・11を迎えてしまった。

 例えば2007年12月15日、大阪で「原発震災は必ず起こる」と題した石橋氏の講演会が開催されている。同年7月16日の新潟県中越沖地震(M6・8)によって柏崎刈羽原発を直撃、全7基の原発が停止した。手元にある当時のチラシには次のように書かれている。

「幸運にも大惨事には至らなかったが。次はいつ・どの原発が大地震に直撃されるか? 柏崎か浜岡か原発銀座、若狭の原発群も危ない!!

 日本中が地震の巣だが、特に新潟‐神戸構造体といわれる場所は、北米プレートとユーラシアプレートは1年に2センチメートル、お互いに押し合うことでエネルギーが生じている地震の巣。

 神戸大の石橋教授は『日本列島の総ての原発と核燃料施設が危険性を内包しているが、特に地震ポテンシャルと原発震災の規模において最も危険なのは、浜岡原発と若狭の原発群。それぞれ首都圏と、京阪神・中京圏を滅亡させる脅威を持っている。中央防災会議が、東海地震対策のなかで浜岡原発の問題を無視しているのは重大な失政』と警鐘を鳴らしておられます」

 原発震災は福島で起こってしまったが、関電社長にして電事連会長の八木誠氏が高浜原発や大飯原発の再稼働に執念を燃やし続け、これを阻止できなかったなら、若狭の原発群が京阪神を滅亡させる可能性が高まる。しかし、そうした危機感はこの地域に住まう大多数の人々には共有されていない。

 これに追い打ちをかけるように、八木誠氏は原発の再稼働が遅れているから電気料金を再値上げするとうそぶいている。全原発停止状態がいつまで続くのか、薄氷を踏むような思いだ。リニアの愚に警告を発する石橋氏の次の言葉から、我々は技術の功罪を汲み取らなければならないだろう。

「約50年前の日本に、二つの最先端技術が華々しく登場した。『夢のエネルギー』の原子力発電所と、『夢の超特急』の東海道新幹線である。

 後者は昨年の50周年までに、乗客死者ゼロで約56億人を運び、日本の発展に貢献した。一方前者は、2011年の福島原発事故が史上最悪の環境
破壊を引き起こした」 (晴)号案内へ戻る


 「エイジの沖縄通信」(第4回)・・・辺野古と本土との連帯運動を広めよう!

1.辺野古基地建設ノーの「国会包囲」行動

 26日(日)午後、首都圏の沖縄出身者や市民運動家らが呼びかけた「ヒューマンチェーン(人間の鎖)」が、国会周辺で取り組まれた。
 沖縄の澄んだ海を表す青い上着を着た人や青い横断幕を持った参加者約7千人が、国会の周囲約2キロを手をつないで並び、「沖縄の民意に従え」「青い海を埋め立てるな」の声を上げた。

 沖縄との連帯運動において、これだけの参加者が結集したのは始めではないかと思う。安倍政権のおごる政治の象徴が「原発再稼働」であり「辺野古基地建設」だ。

 呼びかけ人の一人である野平晋作さん(ピースボート共同代表)は、この運動の趣旨を次のように述べている。

 「沖縄の民意がはっきりと示された。政府は考え直すべきなのに、安倍首相は知事との面談を拒み、沖縄振興予算も削ると。だから今度は、本土の市民も建設に反対なんだと、目に見える形でアピールしたい。」「沖縄の米軍基地の問題は、米国に従属した日本がその矛盾の多くを沖縄に押しつけていることによって生じた問題だ。まず、沖縄に米軍基地を押しつけないことを本土の市民が決意する。そうしたら、日本全体の問題として、本土の市民も向き合わざるをえなくなる。」(1月23日の東京新聞より)

 この日、東京の「国会包囲」行動に連帯して京都でも「1・25沖縄の民意を無視するな!辺野古に基地は作らせへんin京都」が取り組まれ、沖縄連帯を示そうと言うことで青色に統一されたデモに150人が参加した。

2.けが人続出の辺野古現場

 安倍政権の菅官房長官は「埋め立ては承認された。粛々と進めていくだけだ」との言葉を繰り返し、まったく沖縄県民の民意を無視している。

 1月に再開された辺野古新基地建設の現場では、県警や海上保安庁の弾圧・過剰警備が大問題になっている。ゲート前や海上で、けが人を続出させる海上保安官や警察官の暴力行為が横行している。 

 15日には、ゲート前で県警警察官と抗議行動の県民が衝突して80代女性が転倒して頭部の強打して救急車で病院に搬送された。16日には、海上でカヌーで抗議行動をしていた男性が、海上保安官に胸部を強く押され肋骨を骨折するけがを負った。20日には、海の現場を撮影していた映画監督の影山あさ子さんの抗議船に海上保安官が乗り込み、影山さんに馬乗りになって海上撮影を妨害しカメラを奪おうとする暴力行為をおこなった。ゲート前でけがをした女性も「警察官の排除の仕方もひどいやり方になっている。私たちを排除する時急に力を抜くので、後ろに倒れてしまい頭を強打する」と述べている。 

 こうしたひどい暴力行為に抗議するため、沖縄平和運動センターやヘリ基地反対協議会などで構成する「基地の県内移設に反対する県民会議」は、23日(金)12時から那覇市の第11管区海上保安本部前で抗議集会を開いた。また、沖縄選出の国会議員5名も海上保安本部を訪れ、「過剰対応中止」を求める要請行動を行った。

 同じ日に、沖縄に連帯して社民党の福島瑞穂参院議員事務所も東京の参議院会館において集会を開き、海上保安庁や防衛省の担当者を呼び抗議を申し入れた。

 25日(日)には現地辺野古でも、東京での「国会包囲」行動に合わせて米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、県民らが集まり二回の「人間の鎖」をつないだ。

 十年以上続く座り込み行動の前線に立ち続けてきた、ヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表は「海外の識者も支援してくれている。十年前のボーリング調査の時と比べものにならないほど、支援の輪が全国に広がっている」(1月26日の東京新聞より)と語っている。

昨年の7月から始まった辺野古基地建設阻止の座り込み抗議行動は、もう8ヶ月目を迎えている。諦めず、粘り強く抗議行動を続ける辺野古の闘いを支援するために本土から多くの人たちが辺野古現場に参加している。また、全国各地で辺野古支援の集会や抗議行動が取り組まれている。

 辺野古と連帯して新基地建設ノーの運動を広めていこう!(富田 英司)


 読者からの手紙  共産党よ、お前もか!?

 今マスゴミは、イスラム国と後藤氏に対するある事ない事を垂れ流し続けてはいます。安倍総理に一切の責任はないとする、露骨な擁護発言は青山総研の主宰者・青山氏が担当者として発信しています。彼は相変わらずの「危険地帯に行った彼らが悪い」という実に安直な自己責任論からの発言なのですから、一体そのどこに彼の「高邁」な見識があるのかと疑問は募るばかりです。

 その他のマスコミは、当然ながらこんなにも露骨に振る舞う事は出来ず、安倍総理のエジプトでの不用意な発言がこの事態を招き寄せたのだとの核心的な指摘は、曖昧にして慎重に避けています。こんな中、防衛大学教官を退官して「孫崎チャンネル」を公開している孫崎氏のスタンスは明確です。

 彼は、自らのツイッターで「★【イスラム国】元外交官・孫崎享氏『安倍氏、貴方に責任があるのです。貴方の中東演説が間違いなく引き金になったのです。それで人が殺されたのです。その責任が一片だに見えない』http://hosyusokuhou.jp/archives/42474873.html孫崎 享 @magosaki_ukeru」と明言しています。

 私も同感です。このような中で共産党も、このように安倍総理の中東での発言の責任を指摘するのを慎重に避けてきた事を皆様はご存じだったでしょうか。

 共産党がこの人質問題を党見解として発表したのは、実に1月25日のNHK番組でありました。その見解はといえば、「残虐非道な蛮行を非難――政府は人質解放のためにあらゆる努力を」というものでした。ここには安倍中東訪問外交がこの事態を招き寄せたとの重要な指摘が欠落していました。私は、「共産党よ、お前もか!?」と叫びたいのです。

 共産党は、今ではまるで干からびたするめのように人々をみずみずしい感性で感動させる党ではなくなってしまって久しいですが、それにしてもこの見解表明ははないだろうとの思いが沸々と沸いてきて仕方ありません。

 まさに安倍総理の中東外交こそが今後の大問題となるのは目に見えています。こんな事で中東地域にまでも「集団自衛権」の行使をもくろむ安倍政治と対決できるのでしょうか。

 ところが今回共産党の「躍進」で議員になった池内議員が、党官僚的資質をまだ身につけていなかったからなのでしょうが、「安倍政権こそ言語道断」とツイートしたのです。

 早々この事は注目されて産経新聞がニュースに仕立てました。以下に引用します。

「安倍政権こそ言語道断」とツイートした池内氏、共産は不問? 「党見解」から異例の暴走://www.sankei.com/politics/news/150126/plt1501260002-n1.html

 共産党の池内沙織衆院議員(32)=比例東京ブロック=が、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に拘束された湯川遥菜(はるな)さんとみられる男性の殺害画像がインターネット上に公開された後、ツイッターに「こんなにも許せないと心の底から思った政権はない」などと安倍晋三首相を批判し、イスラム国の蛮行を批判しなかったことについて、同党広報部は25日、「本人の判断で取り消した」と説明した。

 ■志位委員長はイスラム国を強く非難

 党幹部が池内氏を注意したり、本人が謝罪したりする可能性に関しては「本人の判断で発言を取り消した」と繰り返し、不問に付す可能性を示唆した。

 湯川さんが殺害されたとする画像がネットに掲載されたことに関し、志位和夫委員長は同日朝のNHKテレビ「日曜討論」で「今回彼ら(犯行グループ)がやっていることは残虐非道な蛮行だ。絶対に許すわけにはいかないと強く非難する。日本政府に対しては人命最優先で解放をはかるためにあらゆる手段、あらゆる可能性を追求してほしい」と語った。同党広報部は「志位委員長の発言が党の立場だ」と強調した。

 ところが池内氏はツイッターで、首相が「テロ行為は言語道断であり、許し難い暴挙だ」と述べたことを念頭に「『ゴンゴドウダン』などと、壊れたテープレコーダーの様に繰り返し、国の内外で命を軽んじ続ける安倍政権」と書き込んでいた。

 その上で「安倍政権の存続こそ、言語道断。本当に悲しく、やりきれない夜。眠れない」と記していたが、イスラム国を非難する言葉は皆無だった。

 その後、投稿は池内氏のアカウント上では閲覧できなくなった。池内氏が削除したとみられるが、ツイッター上では削除理由を明らかにしていない。

 ■“上意下達”徹底に、ほころびが…

 共産党は政策など重要課題をめぐる党の「公式見解」に関して“上意下達”が徹底されているとされ、党員がそれを逸脱する発言をするのは極めて異例だ。

 ネット利用の「フロンティア政党」を自任する同党だが、所属国会議員が自慢のネットでの発言で“暴走”してしまったわけだ。

 自民党関係者は「池内氏は見境なく安倍政権を批判する習性が身に染みついてしまっているようだ」と冷ややかだ。

 池内氏は昨年末の衆院選で東京12区から出馬したが敗れ、比例で初当選した。共産党は吉良佳子参院議員(32)=東京選挙区=と並んで党所属女性国会議員の“2枚看板”に育てる戦略を描いているとされる。赤旗国民運動部のツイッターによれば、当選後の第一声は「待ってろ安倍!」だったという。(政治部編集委員 高木桂一)[2015/1/26]

 長々とした引用をし申し訳なかったが、産経新聞らしく斜に構えて多分に茶化したやり方ではあるものの、共産党が必ずしも安倍総理大臣を「見境なく」全面批判していない事、志位委員長も慎重な事が図らずもよく分かる一齣であったと私は考えています。(稲渕)号案内へ戻る

 
 阪神・淡路大震災・・・あの日から20年

 朝5時前に起き出し満地谷に向かう。満地谷墓苑は墓地であり火葬場であり、浄水場や貯水池もあり、春ともなれば花見でにぎわうところです。野坂昭如の「火垂るの墓」の舞台となったのがこの満地谷の貯水池、ニテコ池です。震災前、ニテコ池は情緒がありましたが、土手がコンクリートに覆われて殺風景になってしまいました。

 ここの広場が西宮震災記念碑公園となり、記念碑には震災犠牲者の名が刻まれています。家から歩いて墓地を超え(満地谷という名なのに墓地は山になっています)5時半過ぎに公園に着くと、記帳所が設えてあり、白いカーネーションが提供されていました。私にはこの日に慰霊すべき対象もなかったので記帳もせず、カーネーションも手向けず、次々と訪れる人々を見続けていました。

 少しして、市長が何か挨拶をしたようですが言葉は聞こえず、5時46分になって黙とうが行われ、それが終わると再び記念碑に歩み寄る人々が続き、私は家路につきました。あの日から20年が過ぎましたが、何も失わなかった私には想像もつかない悲しみと苦難の日々を多くの人々が経験してきたのだと思います。

 避難所から仮設へ、そして復興住宅へと何度も住むところを変えなければんらなかった被災者も多くいます。その復興住宅は高齢化が進み、高齢の1人暮らしの方々をどのように支えるのか、そして「孤独死」を何としても防がなければという難問に突き当たっています。

 さらにその上にのしかかっているのが、借り上げの「災害復興公営住宅」は20年で退去しなければならないという取り決めです。民間からの借り上げ費用と入居者が支払っている家賃との差額を、県や市が負担している。20年契約なので明け渡さなければならないといった理由が自治体側にあったとしても、終のすみかと思って生活していたものを今になって追い出すのは酷というものです。

 世相がそうした負担を快く思わなくなっているので、自治体も切り捨てやすくなっているのでしょう。世間では〝復興〟というけれど、それはどのような状態をいうのか、そもそも復興するというのはいいことなのでしょうか。私には分かりません。確かなことは、起こってしまったことをなかったことにすることはできない、ということです。 (1月17日・折口晴夫)号案内へ戻る


 編集後記

 2015年に入り早一ヶ月を過ぎた。時は立ち止まってはくれない。

「ワーカーズ」もなんとかこれらの事実や背景を追って、その進むべき道を探求すべく、微力ながら進んでいる。

 世界に広がる貧富の格差拡大はますます広がりつつあり、マルクス以外にも経済的不平等の実態を解き明かした?!とされるピケティ氏の『21世紀の資本』が世界で150万部以上売れたという。

 ピケティ氏が「資本が強力に自己増殖を推進し、持てる者と持たざる者の格差がほとんど不可避的に拡大」するとの指摘や、資本への“規制”をのべ、今はやりの「新自由主義の化けの皮をはぎ取る」上では高く評価すべきものと批評する【ピケティ『21世紀の資本』を読み出して】は短く簡潔だが、資本の飽くなき利潤追求が、格差拡大の根源であり、その資本を如何に規制し資本主義経済から新しい社会・経済体制を目指すものにとっては、ピケティ氏の主張を理解するためにも参考になると思う。

 経済危機に苦しむギリシャの選挙で、急進左派連合(SYRIZA)の躍進と勝利はEU経済にどういう影響を与えていくのか、ひいては世界経済への影響は?!今回は躍進した左派について述べているが、今後の運動や影響について注目していく必要がある。

 国家財政の破綻と人民への大増税など負担の増大は往々にして国民感情を左右に大きく分断する。搾取する側と搾取される側の対立は宗教・民族対立や国家間の対立へと拡大し殺戮や破壊が国家利益の擁護を理由に公然と行われている。

中東やアフリカでの紛争・対立は欧米による支配権の獲得と抵抗の歴史的背景などを念頭に置いて対処していかねばならないが、安倍政権の野望(影響力の拡大)を目指す最中、(1月末、安倍首相の中東訪問中)二人の日本人がイスラム国に拘束され、身代金要求されるという事件が起こった(一人が拘束され、他の一人が行方不明になっていることは2ヶ月も前に政府は把握していたという。)

 イスラム国は拘束している人の解放を早期に行うべきだが、安倍首相の言う「積極的平和主義」による人道支援はイスラム国支配下の“難民”を含むすべての人々に公平に行き渡っているわけでは無く、イスラム国と闘っている国への人道支援であり、イスラム国はテロ組織・国家として壊滅すべき対象として見ているのだから、イスラム国から見れば日本国は敵対国である。

 紛争地域の長い歴史を考慮すれば、こうした行為を残虐で暴力的だと言うのは、敵対感情を助長するだけで問題の解決にはならないし、「集団的自衛権の行使」を容認し推し進める安倍政権にとっては「国民保護」という名目で自衛隊という暴力装置を海外へ派遣する理由ともなりえるものなのだ。

 「臭いところには蓋を」など関わるべきでは無いとの説があるが、グローバル化した世界の中で無関心を装うことは出来ない。

 自分の立ち位置をはっきり自覚し、その信念で立ち向かっていくことが求められているのであり、“平等”を説くなら、弱者である“搾取される側”に立つのが我々の立場であろう。

 安倍政権が残業代ゼロ法案を提出したのは、まさに“富”“搾取する側”に立つからで、ますますその姿勢は明白になっている、

 こうした労働時間延長などの搾取強化についても、そのギマン性を暴露し、労働条件の確保と改善に向けて闘うことは、格差解消に向けても必要なことなのだ。

 ワーカーズ529号がこうした課題に答えているかは読者の判断に委ねるしかない。(光)号案内へ戻る