ワーカーズ530号  2015/2/15      案内へ戻る

 人質事件を利用した憲法9条の改悪を許さない!集団的自衛権の行使も許さないぞ!

今回の 「イスラム国」による人質事件で、湯川遥菜さんと後藤健二さん、ヨルダン人パイロット ムアズ・カサスベさんが殺害されてしまいました。亡くなった方々に哀悼の意を表するとともに、「イスラム国」による残虐な行為を許しません。

今回の人質事件で明らかになったことは、安倍首相は人質の救出に真剣に動かなかったことです。安倍晋三首相は中東歴訪の中、1月17日、エジプトで「イスラム国」対策のため、としてイラクやレバノンに2億ドルを支援することを表明しました。2億ドルには難民支援、人道支援という名目が付けられているが、安倍首相は「「イスラム国」の脅威を食い止めるため」、「イスラム国と闘う周辺各国に」と言っており、「イスラム国」と敵対する米英を中心とする「有志連合」への後方支援をしています。この時点で、湯川さん、後藤さんが人質に取られているにも関わらず、まさに「イスラム国」への挑発行為をしたわけです。

その後安倍首相は人質が殺害されたとたん、「罪を償わせる」と報復ともとれるような発言をし、「日本国民に指1本触れさせない」と威勢のいい啖呵を切って、自衛隊の対テロ部隊海外派遣をはじめとする安全保障体制の強化を次々打ち出しました。「国民の生命と財産を守る任務をまっとうする」として、来年の参議院選挙後に憲法改悪のための発議をすることまで言い出しています。

翼賛体制への道を許さない!危険な流れに抗しよう!

 2月6日、参議院本会議で、対テロ非難決議が採択されましたが、ここで唯一山本太郎さんだけが退席しました。山本太郎さんは、6日夜「山本太郎はテロリスト?!」と題するブログを配信しました。「誘拐、殺害が許されることでないのは当然」とした上で、決議文に「(1)今回の事件の検証。イラク戦争の総括を含む。(2)特定の国名の明記を避けた関係各国への謝辞。(3)英訳文を同時に用意する事」を盛り込むよう、議院運営委員会に提案したが、反映されなかったとしています。

そもそも今回の人質事件は、米国によるイラクへの戦闘行為(2003年)が発端です。この決議では、「有志連合」と連帯して「イスラム国」憎しをあおるだけになると思います。山本太郎議員の勇気を称えたいと思います。

「イスラム国」に殺害されたとみられる後藤健二さん(47)と湯川遥菜さん(42)を追悼する集会が8日夕、全国各地で開かれました。大阪・ミナミの道頓堀橋の上では午後5~7時、約100人が「I AM KENJI(私は健二)」などと書かれたプラカードや紙を無言で掲げ、2人を偲びました。

また、「イスラム国」人質事件後、政権批判の自粛が社会に広がっている――。フリージャーナリストや学者らが9日、会見を開き、「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」を発表しました。こうした、今の危険な翼賛体制に反撃する人たちと連帯していきましょう。     (河野)


 失態をもアベノ改憲のテコに?──飼い慣らし作戦にはまってたまるか──

 〝イスラム国〟による日本人殺害事件を経て、安倍政権は軍事力を背景とした対外活動をさらに進めようとしている。人質救出に失敗した教訓もどこへやら、いままた邦人の保護・救出をも大義名分として、武力を行使できるような計画づくりをもくろんでいる。

 米国との共同歩調を建前に軍事力の行使もいとわない活動に突き進む安倍首相。いままた戦死者を出しかねない無謀なもくろみは封じ込めるしかない。

◆米国の後追い

 人質事件に際しての政府の姿勢は、まず「テロには屈しない」、それに「人命第一」だった。が、本来その二つは矛盾したもので、実際にやったこと、出来たことは、中東諸国の首脳や部族関係者に要請することだけだった。ここで政府の対応を検証をするつもりはない。ただはっきりしているのは、人質救出に失敗したこと、安倍内閣の積極的平和主義が、紛争を抑制して平和的な解決に貢献するのとは逆に、戦争当事国にならざるを得ないことがはっきりしたことだ。

 この事件で見過ごせないのは、これまでも一部で出ていた自衛隊を使った邦人救出活動の必要性が声高に語られていることだ。だからこそそうした危険な道と直結した安倍首相の積極的平和主義は危ういのだ。現地の情報や具体的な交渉能力も何もないまま、自衛隊による救出・奪還作戦にストレートに結びつける、その短絡さと危険性など、なにも考えていないのだろう。

 人質事件を期に自衛隊の力を使った救出作戦への傾斜を強める安倍政権の態度は、とんでもなく無謀・危険で本末転倒の代物だ。それはかつての米国ネオコンの二番煎じを演ずることであり、犠牲者ばかり出して何の成果も手に出来なかった米国の独断的で間違った道を後追いするだけだ。戦争大好きの米国でさえ、いまはそうした苦い教訓を味あわされているのに、だ。

 振り返ってみれば、今回の人質事件の背景には、パレスチナ・イスラエルをめぐるアラブ世界を巻き込んだ永年の抗争や、場当たり的で二重基準の米国の中東政策がある。より直接的な発端は、米国の対アフガン・イラク戦争だ。米国の中枢が攻撃されたことに逆上したブッシュ政権とネオコンが主導するその戦争によって甚大な犠牲者をもたらし、反米意識が拡散してその一部の武装勢力が急進化したからだ。

 もともとアルカイダとなる武装勢力は、ソ連のアフガン侵略時に米国が育てたものだったし、その一派のイスラム国は米国の攻撃によってイラクで宗派対立が拡大し、その間隙を突いてスンニ派部族の中に浸透した武装勢力だからだ。

 ブッシュ政権とネオコンは、当時のアフガン・イラク戦争の目的を米国型民主主義国の拡大だと思い上がり、大量破壊兵器を隠し持っているなどのデマ情報によって戦争に突っ走った。が、結果は全くの誤算に終わった。中東に米国の衛星国を作れたわけではなかったし、何しろ米軍占領時代以降の反米武力衝突や宗派対立の泥沼から抜け出すことが出来なかった。結果として、イラクでは少なくとも15万人以上(65万人、120万人以上という調査もある)の民間人が殺され、米兵も4500人死んでいる。

 オバマ大統領が「チェンジ」を掲げて中東政策の転換を訴えて当選したのも、難癖を付けての侵略戦争でなんの成果も得られず、数千の兵士の命と膨大な戦費負担の重圧で厭戦気分が拡がる米国の世論の支持を受けてのものだった。オバマ政権と米国世論は、甚大な犠牲を払って教訓を得たともいえる。いまでは中東紛争地に米国単独で武力攻撃しない、地上部隊は送らない、というのが、オバマ政権の姿勢だ。

 それでも米国ではブッシュ元大統領やネオコンは「平和に対する罪」などどこ吹く風、なんのおとがめも受けずにのうのうとしている。ばかりか、次期大統領選挙に弟のジェブ・ブッシュが有力候補だという。米国や米国世論もどれだけ反省しているのやら……。

 そうした場面で登場するのが、安倍首相の積極的平和主義だ。本来の「積極的平和主義」とは、「貧困、差別など社会的構造から発生する暴力がない状態」の事だとされているが、安倍首相の積極的平和主義は全く逆だ。本人は「国際協調主義にもとずく積極平和主義」などと、公式見解以上には明確な定義は語っていない。が、これまでに言及してきたや、やっていることをみれば、それが軍事力の行使もいとわない紛争への介入であることははっきりしている。PKOでの武器使用の拡大、ホルムズ海峡での機雷除去などもその一例だ。「積極的」とか「平和」などとレトリックでごまかしているが、要は、武力紛争には大国としての軍事力を使っていく、ということなのだ。あの軍事超大国の米国でさえ頓挫しているのに、最先端の兵器を保有する軍事力だけは世界有数だが、情報能力も交渉力もない日本がうまくいくはずもない。善悪や正否は別にしても、の話だ。こんなリーダーを持った日本の自衛隊員や国民は、後でほぞをかむことになる。

◆改憲へのテコに?

 安倍首相は自衛隊の能力発揮にこだわっている

 今回の事件の直接の発端のひとつとなった2億円の〝非軍事・人道援助〟の問題もある。安倍首相はこれまで減額されてきた途上国援助(ODA)を増やすことを公言し、この2月10日にはこれまでの大綱を「開発協力大綱」に代える閣議決定を行った。これは安倍首相が掲げる積極的平和主義の一つの方策で、自衛隊の海外活動の拡大と相まって、近年、援助大国として台頭してきた中国に対抗するのだという。

 安倍首相はそれを今回イスラム国と闘う周辺諸国への2億ドルのODAとして表明したわけだが、現に戦闘状態にある相手からみれば、敵対的な行為だと捉えられるのも当然だろう。援助を受ける国にあっては、その分だけ直接的な武力行使に振り向けることが可能だからだ。たとえ人道援助であっても、それが国際赤十字や国境を越えた医師団など敵味方なく支援する団体ではなく、特定の国家によるものであれば、いずれかの当事者に荷担する意味合いを持つことは、安倍首相自身も承知のハズだ。

 同じ事は集団的自衛権でもいえる。安倍首相は、集団的自衛権の行使を可能にすることで、米国などの戦争を後方支援できる場面を拡大したいとしている。現に戦闘中でなければ戦地での自衛隊の活動を出来るとし、そのために特例法の制定を必要としないような恒久法を創るとして、アラビア海での機雷除去などを例示している。休戦協定が締結されていない時期、すなわち戦時中での機雷除去は、戦争行為であり、要は戦争に参加する、参戦するということだ。

 要は、相手の発想や立場には待ったく無頓着、そんな独りよがりの勝手な思い込みが、地獄を呼び込む。以前にもいっぱいあった話だ。

 その安倍首相。邦人殺害事件から日も経たない6日、憲法改正のスケジュールについて明言した。自民党の船田憲法改正推進本部長の報告を受けるかたちで、来年の参院選後の国会発議が「常識」だとした。

 これまで13年末には特定秘密保護法を制定し、昨年は集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を強行した。今年は実際に自衛隊を動かせるようにする自衛隊法などの改正を後半国会で成立させ、8月の終戦記念日には戦後70年に際しての首相談話で、従軍慰安婦や侵略戦争の反省を語った村山・小泉談話を反故にするような「談話」を準備している。これらが安倍首相の言う戦後レジームからの脱却なのだろう。何とも国家・軍事優先の戦前回帰が露骨な安倍政治という以外にない。

◆飼い慣らし作戦?

 「アベノ改憲」には無論、反対あるのみだ。現行憲法にはおかしな前提や容認できないものも含まれている。改憲派がよく言う「不磨の大典」でもない。ただ「誰が、何を」変えようとするかが問題なのだ。この点だけは改憲派議員を多く抱える民主党の岡田新代表の言葉が一半の的を得ている。要は、安倍内閣が持ち出す改憲には乗らないということだ。

 憲法は政治的な文書で、個々の改定がどういう意味を持つのか、主導する勢力やリーダーで変わってくる。改憲派の安倍首相は、当初憲法96条の改定から手を付けようとした。それは反発を受けたので、こんどは環境権や財政健全化条項、非常事態条項を織り込むのだという。誰もが反対を言いづらく、改憲慣れさせることが狙いだという。それらの条項も異議大ありだがそれはさておき、改憲に慣れさせた次は9条改憲だという。有権者はペットか、と言いたくなるが、その作戦には乗せられたくはない。安倍政権の改憲には、何であっても反対あるのみだ。

 改憲にあたっては、国会両院の3分の2で発議され、国民投票で過半数の承認があれば成立する。現時点で衆院は自公の与党で3分の2を確保しているが、参院では維新の党を合わせても足らない。だから来年の参院選で改憲派政党で3分の2を確保すれば改憲が実現できる、と踏んでいるのだろう。

 では来年の参院選で与党の3分の2の確保を許さなければいい、ということにはならない。現時点で改憲派議員が民主党などを含めてすでに3分の2を遥かに超えてるからだ。政党や議員に任せていたのでは頼りにならない。

 結局、憲を阻止するには、改憲派政党だけではなく、改憲派議員も落とすことが必要だ。それには私たちの行動で改憲阻止の世論を拡げていくしかない。9条改憲賛成派は現状では多数派ではない。反対派の行動を拡げることで改憲派世論を押し返すこと、それが改憲派議員を落とすことにもなり、ひいては国会発議をさせないことにつながる。

 今国会に18才以上に選挙権を拡げる公職選挙法改正案が再提出される。成立すればこれで年齢が18才に引き下げられていた国民投票も実施できる。改憲との闘いは、安倍首相によって、文字通り政治日程に組み込まれたのだ。

 日本だけでも310万人というあの戦争への反省もどこへやら、戦前回帰の道を突っ走る安倍首相の暴走をストップさせなければならない。(廣)案内へ戻る


 ジハードに参戦する若者たち 【投稿】「イスラム国」とどう向き合うか?

■「敵」も知ることが大事

「イスラム国残忍論」が横行している。だから安倍首相のように「・・・断じて許せない」「罪を償わせる・・」と言う主張もやすやすと日本社会に受け入れられている。とりわけ、二人の日本人殺害事件以後は。安倍首相の政治的意図は、その勢いで安保法制改悪と憲法改悪を狙っているのは明らかだ。人命の政治利用だ。

 こんな自民改憲派のペースにはまる必要はない。

 イスラム国は「残忍」であり、そもそも日本国民の敵なのか。

 もちろん残忍なのはイスラム国ばかりではない。四次にわたる中東戦争、湾岸戦争、イラク戦争・・・欧米そしてその「代理店」=イスラエルの中東での大規模戦争は、何十万の人々を殺し傷つけ、避難民を生みだし家々を失わしめた。彼らの罪こそ第一に問われるべきだ。イスラム国が「モンスター」だというなら、その怪物を生みそして育てのが、とりわけ軍産複合体の強い影響の元にある米国の政治なのだ。

 直接的にも、「シリア反アサド勢力」である「イスラム国」を半ば公然と支援してきたのは誰だ? 米国ではないか。八〇年代に「反ソ連」勢力であるタリバンをせっせと応援して育て上げたのも米国だ。愚かで無節操なのは誰なのかは明らかだ。

 いままで欧米諸国は、どんなに残虐にパレスチナやイラク、シリア人を苦しめてきたことか。

 米国の「自由の闘い」というキリスト教的聖戦が、どの様な成果を生み出したか?

この地域の平和と自由と安定に寄与したのか?断じてノーだ!まさにその逆だ。

テロとの戦いにのめり込む欧米諸国。それに反撃する「テロ勢力」も拡大するばかりだ。世界にますます拡散しつつある。このことをわれわれは認識すべきだ。欧米諸国の愚策の後を追おうとする安倍政権を止めなければならない。

 イスラム国は日本国民の敵ではない。仮に敵だとしてもイスラム国を知ることが今大事ではないのか。相手を知ることなくして、どんな解決策もありえない。

 戦前の日本は、欧米との摩擦が強まると、敵国「鬼畜米英」の文化を拒否し、取り入れようとしなくなった。これではダメだ。われわれはイスラム国の、価値観、生活、目的、仕組み、そして「国民」の意識を知る努力をしなければ。

 すでに知られていることだが、「イスラム国」兵力の三分の一は外国人と推測されている。今日の「毎日新聞」には以下のようなショッキングな、日本人には不可解と見られる記事があったので、紹介したい。

「シリア:避難高校生が「ジハードに」…数千人が行方不明も」という見出し。

【 毎日新聞 】

 ◇トルコ南部の避難所、戻った男子高校生9割が死亡か不明

 シリアと国境を接するトルコ南部キリスのシリア人避難所の高校で、男子高校生の9割近い280人が「ジハード(聖戦)に行く」と個別にシリアに戻り、死亡もしくは行方不明になっていることが避難所の高校教諭らの調査で分かった。イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)などの武装組織に入ったとみられる。米軍主導の有志国連合による空爆が拡大した昨年秋以降、シリア行きを希望する男子生徒は急増しており、トルコ全体では数千人規模のシリア人高校生が行方不明になっている可能性がある。【毎日ここまで。キリス(トルコ南部)で大治朋子】

 高校生のような若い人達は、どこの国でも心が純粋だ。目の前で繰り広げられてい殺戮、とりわけ米国主導の空爆に死を覚悟して抵抗したかったと推測される。日本人的心情では理解しにくくとも、高校生たちは自ら望んで、決意して、死を賭してイスラム国に参加し、米国との「ジハード」に参加し続けていると推測される。

 一つ言えることは、だから米国の中東ないしはアフガンでの戦争は勝てないのだ。地元住民から憎悪で見られている。かつてのベトナムでもそうだ。
 安倍首相は、悪であるイスラム国打倒のために、それを大いに口実として憲法改正し「戦争する国造り」を目指している。憲法改悪のタイムスケジュールまで飛び出した。彼ら改憲派の思惑は見え見えだ。それには断固反対しよう。

 それとは別に中東の歴史、民衆の心を知ることから始めよう。イスラム国を「敵」「悪」「怪物」とすることは無意味である。(六)


 「エイジの沖縄通信」(NO・5) 本土も沖縄と連帯して辺野古基地建設を阻止しよう!

1.シュワブ米兵、拳銃を抜き抗議活動市民を威嚇

 闘いの現場である辺野古の緊迫感は日々増しているが、なんとゲート前で抗議する市民に対して、キャンプ内の米兵が銃を構えて威嚇する事件が起こった。

 9日午前11時半ごろ、市民らがフェンス越しに抗議活動をしていたところ、基地内の建物から出てきた米兵が銃を抜き、銃口をを上に向けながら歩いている様子が目撃された。 米兵に気づいた市民たちは「拳銃を持っているぞ」と叫び、騒然となった。米兵を目撃した女性は「今にも引き金を引きそうで怖かった。私たちを威嚇しているようだった。市民の前で銃を出すなんて信じられない」と怒りの声。

 この件に対して在沖海兵隊は「武器の取り扱い手順について議論することは出来ない。全ての兵士は米国の代表で、日米安保条約を支援するために駐留している」と述べている。この海兵隊の答弁からも明らかなように、日本国憲法(日本人の命)より日米安保条約の方が上位に位置づけられている。この事が、問題の根源である。

2.大型ブロックの投下でサンゴが損傷

 沖縄防衛局が浮具(フロート)や浮灯標(ブイ)を固定するためにコンクリートブロック(重さ15トン~20トンもある)を、大浦湾内の複数箇所に投げ入れている。

 今回、ヘリ基地反対協議会のダイビングチーム「レインボー」が大浦湾を潜水調査した結果、多数のサンゴが無残に破壊されていることが判明した。調査したレインボーのメンバーは「これだけ傷つくと、次に潜るときはサンゴがもっと死んでいるかもしれない」と述べている。

 急ぎ市民団体がこのサンゴ破壊の工事を止めてほしいと、県の翁長知事に対して「緊急要請」(アンカー設置作業<ブロック投下>をただちに中止させ、岩礁破砕の許可申請をするよう勧告をしてほしい)をおこなった。この緊急要請の呼びかけに対して、わずか2日間で2662人の賛同人が集まったという。

 この問題に詳しい市民団体メンバーは「我々が再三に渡って強調してきた県漁業調整規則にもとづく岩礁破砕許可申請の手続きもなしに強行されたコンクリートブロックの投下の違法性がますます明らかになったといえよう。翁長知事は、防衛局に対して、コンクリートブロックの投下の中止命令とすでに投下したコンクリートブロックの撤去だけではなく、『本申請外の行為』」をしたとして、埋立工事区域についての岩礁破砕許可を取り消すこともできる。」と指摘する。

 辺野古現場で闘っている市民からも「現場の闘いだけでは工事を止めることが出来ない。県も一緒になって工事を止めるために行動してほしい」との悲痛の声を上げている。

 翁長知事はこうした要請の声を受け、13日に記者会見を開き市民グループが指摘しているブロック投入場所は県の許可の範囲(約172ヘクタール)の外側との主張を踏まえ、「今回のブロックの投入は(許可の範囲を)逸脱している」と発表。

 さっそく県は知事権限(漁業調整規則に基づくもの)で、沖縄防衛局にブロックの投入場所など事実関係を文書で回答するよう要求したが、沖縄防衛局は「県から新たな許可を得る必要はない」との見解。

 また、政府の菅官房長官も「県の許可を得ている(仲井真前知事の許可のこと)。政府側の対応に問題ない。環境保全に万全を期しながら作業を進めていく」と反論。

 このように安部政権、まったく翁長知事の主張や沖縄の民意を無視して、強引に基地建設を推進していく姿勢を崩していない。

3.ようやく「検証委」はスタートする

 翁長知事は辺野古埋め立て承認の取り消しや撤回をめざし、早急に有識者の「第三者委員会」を設置して4月頃の答申を期待していたが、委員の人選に手間取りなかなかスタート出来なかった。

 6日、ようやく委員6名が集まり「第三者委員会」の初会合を開き、検証作業を開始した。「今後毎月2回程度、計10回ほど会合を開き、6月中には意見を取りまとめ、遅くとも7月には県に報告する」となった。

 翁長知事は手続きに瑕疵があった場合は承認の「取り消し」、瑕疵がない場合にも承認の「撤回」が可能との見解を示してきたが、委員長に選任された大城氏は「撤回は第三者委員会が話し合う問題ではない」と説明。

 こうした状況の中で、翁長知事の与党メンバーから「沖縄防衛局は海上作業を急いでいる。6月には埋め立て本体工事が始まるかもしれない。検証を急がなければ作業は意味を成さない。知事は慎重になるのも分かるが、早く次の手を打たないといけない。」との意見もあり、検証委がスタートした期待の声と共に、懸念する声も上がっており、今後の対応が注目される。

4.安部政権の翁長知事「いじめ」に抗議の声を!

 安部政権や地元沖縄自民党からの嫌がらせなど、翁長県政にかかる圧力は日増しに強くなっている。

翁長知事に対する安倍政権の嫌がらせは、まさに陰鬱な「いじめ」である。去年12月、新知事として日本政府に就任挨拶に行くことが前例になっているにも関わらず、面談拒否をする。その後も、翁長知事に対する嫌がらせは続いている。今年になってからも、「サトウキビ関連交付金」要請で西川農林大臣が翁長知事との面会を拒否。ところが、同日県サトウキビ対策本部長のJA会長や県選出の自民党国会議員団とは笑顔で面談をしている。

また、「県軍用地転用促進・基地問題協議会」(会長・翁長知事)が外務、防衛両省に要請行動をしたが、外務大臣・防衛大臣は面談拒否。さらに、この要請行動には知事のほか城間那覇市長や稲嶺名護市長など5首長が参加したが、自民党(仲井真支持者)の佐喜真宜野湾市長と桑江沖縄市長の2人は参加していない。この要請行動での不参加者は初めてである。

 この「いじめ」体質こそが安部政権の真の姿である。こんな体質の政治家や「党」では国民をまとめ上げ指導していくなどはとても出来ない。今後、本土で原発再稼働問題が焦点になることが予想される。その際、原発再稼働を認めない県知事や市長に対する嫌がらせ、再稼働に反対する市民運動に対する弾圧など、沖縄のような「強権姿勢」を発揮することは十分考えられる。その意味で、本土からも翁長知事に対する「いじめ」や沖縄の民意を無視する安部政権の姿勢に抗議の声を上げていこう。

 さらに、翁長知事のもう一つの課題は県庁問題。仲井間県政が8年間も続き自民党寄りの幹部が多く、仲井真前知事のもとで埋め立て承認で動いてきた。その流れを変えるために翁長知事は県庁人事に取り組んできた。昨年12月に副知事2人を交代させる。今年1月に重要な部長人事(知事公室長・総務部長・土木建築部長など一部幹部職員を交代させる)、そして今度の検証委の任命などをやり遂げ、ようやく翁長県政の態勢が出来たばかりである。

5.沖縄の闘いの展望・・・全県民的な闘いに!

 長年、沖縄で反基地闘争を闘ってきた市民団体メンバーは、こうした状況を踏まえて今後の闘いの展望を次のように述べている。

 「安部政権は沖縄を対中国の前進基地として再編強化するとの方針を貫徹するために、沖縄の民意を分断し踏みつぶしていく姿勢だ。既成事実を積み重ねていけば、うのうち沖縄県民は『諦める』と見ている。沖縄県民もこのファシズム安倍政権と対決し勝利するためには、腰を据えて態勢を整えて対峙することが求められる。辺野古新基地を阻止するための全県的組織の結成を目指さなければならない。また、同時に翁長県政があらゆる機能を駆使して、時機を失うことなく的確に対抗策を打ち出すよう激励していく。県民を団結させ翁長県政を支えて、内外のあらゆる智恵を結集させ全県民的な闘いを作り上げる。」

 さっそく、結成された「止めよう辺野古新基地建設・実行委員会」(野党国会議員・県議会与党・市民団体などが参加)は、22日(日)午後1時~辺野古ゲート前で2000人規模の抗議集会を計画している。

 また、2日に読谷村では、読谷村・村自治会・村議員団・村老人クラブ連合・村婦人会・村青年団協議会・村職員労働組合などの9団体で「辺野古新基地建設を阻止する読谷村民会議」を発足させた。6日から週1回の辺野古支援バスを開始。そのためのチラシを全戸配布して参加を呼びかけている。

 この「読谷村民会議」が出来たきっかけは若いお母さんの提案だと言う。このような「村民会議」が各市町村に広がっていく可能性がある。

6.辺野古と連帯し安部政権の戦争への道を止めよう!

 安部政権の戦争への道をどう止めるかは、本土の私たちにも問われている課題である。

 安倍政権は今回の「人質殺害事件」を利用して一挙に戦争する国家づくりをめざし始めた。この辺野古新基地建設は対中国との前線基地の一つとして位置づけ、基地建設を絶対進める姿勢を示している。この戦争への道を止める闘いがこの辺野古の闘いとも言える。

 辺野古で10年以上続く座り込み行動の前線に立ち続けてきた、ヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表は「海外の識者も支援してくれている。十年前のボーリング調査の時と比べものにならないほど、支援の輪が全国に広がっている」と語っている。

 事実、辺野古の現場には闘いを支援する本土の人たちが多数参加している。東京・大阪・京都・千葉など全国各地で辺野古支援の集会や「ヒューマン・チェーン」などの抗議行動も盛んに取り組まれている。沖縄と連帯する闘いを全国に広げていこう!

 最後に、沖縄の「オール沖縄」について。沖縄に「蟻が象を倒す」という言葉がある。

 昨年の衆議選では、巨大な象(自民党)に蟻(野党)バラバラに立ち向かって蹴散らされ踏みつぶされたのが本土であった。沖縄は旧自民党から共産党まで保守と革新が「大同団結」して巨大な象に立ち向かい、見事に倒したのである。この「大同団結」と「全県民的な闘い」の取り組みがポイントで、「オール沖縄」の基礎となっている。

 沖縄も今回の選挙戦で突然この「オール沖縄」が可能になった訳ではない。これまでの基地反対闘争の現場で、すべての政党・セクトが大結集し共に闘う「全県民的な共闘会議」などが結成され、「大同団結」して闘ってきた歴史があるからだ。(富田 英司)案内へ戻る


 経済統計からみた日本経済   経済停滞のもと窮乏化と格差が進む

月末ともなると、さまざまな経済指標が公表される。それを見ながら、日本経済の動向を考えてみよう。

■力のない鉱工業生産

【日経1/30】
 経済産業省が30日発表した2014年12月の鉱工業生産指数(2010年=100、季節調整済み)速報値は前月比1.0%上昇の98.9だった。上昇は2カ月ぶり。基調判断は「一進一退にある」から「緩やかな持ち直しの動きがみられる」に変更した。
 出荷指数は1.1%上昇の98.3で、在庫指数は0.4%低下の112.0。在庫率指数は4.1%低下の112.2だった。
 併せて発表した14年10~12月期の鉱工業生産指数は前期比1.8%上昇と、3四半期ぶりのプラスだった。一方で2014年通年の鉱工業生産指数(原指数)は前年比2.1%上昇と、2年ぶりのプラスだった。【日経QUICKニュースここまで】

 あいかわらず、鉱工業生産の動きは鈍い。十二月は消費が多い。それを勘案すると政府が喜ぶようなものでは全く無いだろうし、在庫調整も手間取っている印象だ。去年の夏頃にピークと見られた在庫だが、削減努力があっただろうにこの程度ではよほど「購買力」「消費力」が萎縮していると考えざるを得ない。

しかし、他の情報を総合すれば、汎用機械、電子機器、自動車などが生産を復調させつつあるとも見られる。

■国内消費は縮小、外需に頼る?

次にこれを見てみよう。

【ロイター1/30】
 生産動向のこうした持ち直しの背景には、円安による輸出数量効果がようやく表れ始めたこともある。10─12月の実質輸出は11年の大震災後の夏に次ぐ大幅な伸びとなっている。生産も昨年8月をボトムに底打ちした。【ロイターここまで】

【日経1/30】
 総務省が30日発表した2014年12月の家計調査によると、2人以上の世帯の消費支出は1世帯当たり33万2363円で、物価変動の影響を除いた実質で前年同月比3.4%減少した。前年同月を下回るのは9カ月連続。季節調整して前月と比べると0.4%増加した。【日経ここまで】

 つまり誰でもが理解できるように、国内消費は依然として縮小のさなかにある。ノーテンキな麻生副首相ですら「消費の縮小は大きな不安だ」と言わざるを得ないのだ。

 それを幾分カバーしつつあるのが、「円安」の追い風を受けた輸出産業という事になるだろう。国内では住宅着工件数も大幅ダウン。消費税増税の後遺症を越えた、深刻な事態を明らかにしている。

 国内消費が萎縮しているのは、労働者の賃金が一七ヶ月連続で前年度を下回っていることに如実に示されている。去年すでに降下した賃金を、今年もまた下回るという「螺旋階段を下る」ようにである。国内消費が萎縮することは必然だという他はない。

 他方、小売業界はそれほど落ち込みがないともいう。そのわけは、去年一年間の外国人旅行者が中国人を中心に一千万人を越えたとか。おおいに日本で買い物をしてくれたらしい。皮肉にも日本経済を支えているのは一部で中国国民のおかげでもあるようだ。

 景気の動向はさておいて、今春闘で、大幅賃上げを勝ち取る必要がある。インフレが「バブル期以来の」二・六%であり(総務省)、この一年半の賃金低下を考えれば「二年前の元の生活に戻る」だけでも五%程度の賃上げがなければならない。大幅獲得を目指そう。

 もうひとこと。

インフレが二・六%に達したのだから、日銀は「量的緩和策」を中止すべきだ。「二%目標」と黒田氏は言ってきた。いまさら「消費税は別枠」とはふざけていないのか。国民にとっては「物価上昇」であることに変わりがあるものか。インフレ策を中止すべきだ。

■雇用改善の中身はどうか?

【日経1/3】
 総務省が30日発表した2014年12月の完全失業率(季節調整値)は3.4%で、前月に比べ0.1ポイント低下した。改善は2カ月ぶりで、1997年8月(3.4%)以来17年4カ月ぶりの低水準となった。卸売・小売業や医療・福祉などで就業者数が伸びた。雇用者数は5646万人と、現在の基準での調査を始めた53年1月以降で最高となり、総務省は「雇用情勢は改善傾向で推移している」と判断した。仕事を探していない「非労働力人口」は4452万人と46万人減少した。【日経ここまで】

 「雇用情勢は改善・・」と安倍首相の自慢話が聞こえるようだ。仕事があるのはもちろん良いことだ。しかし、「消費の低迷」「長期化する賃金低下」という現実と合わせて考える必要がある。

 家庭収入が減少するなか、非労働者までもが働きに出るしか無くなってきたと言うことでもあるだろう。「就業労働者の増加」「非労働人口の減少」はそれを示していないか。

 さらなる深刻な問題は、正規雇用から非正規雇用への趨勢としてのシフトチェンジがある。一四年はとりわけこの動きが顕著であった。「非正規率」は三七・九%になり、ここ一、二年で被雇用者の四割が非正規雇用となるだろう。

 「雇用の拡大」「失業率の低下」は結構だが、中身こそが問題だ。ここにこそ日本の問題がある。ワーキングプア=低所得者の拡大が上記報道にもあるようにサービス業で拡大を続けている。労働組合組織もない弱い立場の労働者が拡大しブラック企業の温床ともなる。

 トマ・ピケテイのいう格差社会の亀裂が深まるばかりだ。  

■デフレは怖くないーーインフレこそ罠だ

【日経】
麻生「石油が下がる、金利が下がる、円が下がることは、経済にとって決して悪いことではない」との認識も改めて示した。〔日経QUICKニュース〕

 ニューヨークの商品取引所では、原油一バレルが四十五ドルを割ったとか。ピーク時からは三分の一だ。この一、二年でも半分ぐらいになったと思われる。(実際にはガソリン価格は二割程度下がったところだが。)

 原油産出国ではない日本では、原油取り扱い商社以外は、原油安はメリットだ。インフレと消費税増税に悩む消費者としてのわれわれは、ホッと胸をなで下ろす。

 ここで言いたいのは、労働者・勤労者・生活者諸君は、デフレを恐れる必要はないと言うことだ。むしろ危険なのは、日銀=安倍政権=財界が押し進めるインフレ政策である。 インフレは、居ながらにして大資本にインフレ利得をあたえる。奪われるのは労働者・勤労者の所得からである。追加収奪なのだ。(竜)


 「労働価値論からみた現代経済」先進国を席巻したリフレ派=金融大資本

 混迷する日本経済だが、世界経済の不透明感も増している。IMFですらこの一年間、経済成長予測を下方修正し続けている。(米国のみが例外に少し上方修正された)この経済成長の低下傾向という問題と、それに相矛盾する先進国でのバブル(株価上昇など)の膨張がある。この矛盾した動きは誰でもが思いつくように、いつの時点か信用不安に転化する可能性を示す。

■ECBドラギ総裁の「リフレ宣言」

「[ロイター東京 23日] - 欧州中央銀行(ECB)は22日の理事会で、月額600億ユーロ、総額1兆1400億ユーロの資産買い入れ策を決定。」

 先週、欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁が、とうとう「量的緩和政策」に乗り出した。経済規模を考慮すると、日本と同様の規模で、市場の予想を上回ったとか。

 そこで改めて思うが、米国、英国、日本そして欧州という順番で「量的緩和」政策が大々的に導入されたことになる。

 「リフレ派」というのは、2~数%のインフレが資本にとって最適な環境である、という信心を持つ一種の新興宗教だ。日本人は「鰯(イワシ)の頭も信心から」ともいうが未開人の「トーテム=呪物崇拝」と大差ない。というのはなんら科学的根拠がないからだ。

 欧米キリスト世界は、イスラム原理主義を危険視するが、「リフレ原理主義」も始末が悪い、労働者・国民の生活を破壊するからだ。

■インフレは好景気を生まない!

 ドラギ総裁の言い分は、「欧州が景気後退局面に陥りそうだ、デフレに陥るかもしれない」(主旨)。ゆえに、大金融緩和をとる。その最大の手段が「量的緩和策」という手段だ。 

 (金利引き下げ政策も同時に強化はするが)すでに長期にわたって低金利なので効果は乏しいうことだろう。

 この非伝統的経済手法とは中央銀行が、国債を大量に買い込むことだ。だから円やユーロやドルが市場に大量に流れ込む。
これはたしかにインフレの「環境整備」となる。

 そもそも国民大多数にとってインフレは 好ましいものではない。それは経験でわかる。しかし、その事は少し置いておく。

 では企業にとってデフレは不景気であり、他方、インフレ=好景気なのか?労働価値論から述べてみれば、インフレもデフレも貨幣現象であり、実体経済と区別しなければならない。

 だから「スタグフレーション」のように不況下でのインフレもあるのだ。現在の日本も1~2%インフレと不況が(消費税導入後の約一年間の景気後退を見よ)同居しているではないか。

 労働価値論を理解しないリフレ派が、景気上昇局面での「物価騰貴」と貨幣の過剰流通による「インフレ」を区別できない。これはは致命的欠陥だ。過剰流動性の市場への供給は、典型的な貨幣現象としてのインフレに止まる。

 ところがリフレ派は「インフレ」の発生を「好景気」と勘違いする。貨幣の減価に起因する名目的物価上昇を「景気回復だ!」と思い違いする。
貨幣現象と実体経済をごった煮にして「インフレは物価騰貴であり景気上昇だ!」という錯誤ないしは信仰にしがみついている。これが今をときめくリフレ派の諸君の思考回路のすべてだ。

■インフレ利得は誰に?

 労働価値説から考えればインフレは、貨幣価値の下落であり、だから名目物価の上昇にすぎない。円やらユーロやらが、市場に出回る現実の商品を超えて投入されれば、貨幣の価値は単純に下落する。当たり前のことでしょう。「過剰貨幣」が一巡すれば、新たな「価格体系」のもとで安定する。インフレは理論上ゼロ%に落ち着く。リフレ派はそれでは効果が薄いとばかりに「量的緩和策」は、「インフレ2%目標」なのでこの範囲に到達するまで当面継続的に実施される。

 さて、そこまでして政府=中央銀行=財界がインフレにこだわるワケは?インフレが名目価格の騰貴に過ぎないならなぜ?誰にとっても同じく物価があがるのに?

 実はこれの裏側には「波及過程」というカラクリが存在している。市場支配力のある大資本から物価上昇は、徐々にあるいは急速に波及する。現実には価格転嫁力の乏しい中小資本や個人経営、労働者さらには年金生活者などは、価格転嫁や賃金上昇が後手後手になる。

 例えばこの一年で2%のインフレが高進したとして、たとえ翌年の春闘で2%の賃上げを獲得しても、その時間差で大企業に「インフレ利得」が転がり込む、というわけだ。誰が得かは歴然だ。

■リフレ派に立ちはだかる壁

 しかし、さらに問題は少なくとも三点ある。

まず、日本でもそうだが、「異次元の金融緩和」宣言から二年。日銀は国債を買い続けてかわりに貨幣を放出し続けているが、それほどのインフレ(円安と原油安の影響を相殺とみて)にはなっていない。この重大な現実をしっかり考えよう。
 
 では、大量の貨幣はどこに向かったのか?通常の商品市場にはその多くは向かわなかったといわざるを得ない。

 またこんな現実もある。日本の例で言えば、景気低迷ないしは下降局面であるが、大企業を中心に利益は過去最高を記録し,内部留保も最高を更新し続けている。このような企業利益には先の「インフレ利得」も大量に含まれているだろう。

 これらの資金は、結局のところ金融市場に向かったと考えざるを得ないのだ。企業も新規投資ではなく、内部留保等を金融投資に回しているに違いない。だから景気低迷でも、株などが上がりうる(暴落する事もあり得るが)。

 つまり、言葉をかえればお金は商品市場には、わずかしか追加で流れず、金融市場に向かうのだ。これは「金融商品インフレ」と名付けてもよいものなのだ。

だから第二点は。 「量的緩和策」がインフレを呼び込み、景気の上昇をもたらす、とするリフレ派の理論(理論などと言えるか疑問だが)は、完全に破綻している。

 実体経済は、いくら貨幣が手元にあっても、金利が低下しても盛り上がらない。なぜなら利潤率が低下しており、「本業」の経済への追加投資には消極的だ。企業はハイリスクだが、バクチ的に金融商品や為替・株投機に参加しているのが現実なのだ。日銀による円の大量供給は、実体経済を活性化するものではないのだ。
 
■リフレ論=金融大資本の育成政策

 このように見てくれば、リフレ派というのが金融資本育成政策だと断定できる。リフレ派が先進諸国を席巻したのは、金融資本が支配を確立したことの反映である。金融資本が総資本の頂点に君臨したことを示した。

 その前提として、自動車、機械、その他の産業資本も構造的に「金融化」している事がある。投資信託、投資銀行、その金融機関は、容易に過剰貨幣資本をかき集めて業務を拡大している。

 「リフレ理論」がどんなにばかげていても、彼らには階級的な意図と、金融資本(金融経済)の育成という実際的な目的が明確にあるのだ。

 コンピューターやネットの利用などで、金融経済は現実経済の数倍の市場に成長したと言われている。

 急速に拡大を続ける金融経済だが、資本主義の首を自ら締めてい事を最後に指摘しておこう。

 これがリフレ派の第三の壁だ。

 金融資本取引はどんな富も生み出さないし、人々にとって意味のある福祉労働のようなどんなサービスも提供しない。私に言わせれば「死資本」だ。

 富を生みだし、保全し、活用しお互いに利用できるのは、ただただ人間労働のみなのだ。金融資本はこの真の富を吸い上げるだけなのだ。社会の巨大なパラサイト(寄生虫)である。

 金融資本の成長は社会のお荷物を増やすことだ。ゆえに、資本の平均利潤は、一層低下するだろう。リフレ派の黒田さんたちが毎日していることは、結局この様な事なのだ。自滅的というか自虐的行為というか。そればかりでなく、経済の金融化は、持てるものと持たざるものの所得格差を拡大する。他方、総資本は、労働者への搾取の強化で「利潤の低下」をカバーしようとする。トマ・ピケティや水野和夫も指摘している。格差社会はますます強化されようとしている。

 このような総資本からの圧力には、団結の力で立ち向かうしかない。(竜)案内へ戻る


 何でも紹介・・・ 防犯カメラの設置利用、この世は監視社会?!

 刑事や法廷ドラマの科学捜査場面で、犯罪者を捜す場合、よく登場するのが、建物内や街角など、町中に設置されている防犯カメラの映像利用による犯人捜しである。

 防犯カメラに写っている「顔認証」や最近では歩く姿で個人の歩幅や姿勢、腕の振り方など、無意識に出る特徴を調べることで、個人を識別しようという「歩容認証」の研究も進められ、人の歩き方に注目した歩容認証は、顔がはっきり映らないような低解像度歩行映像でも認証可能な技術で、広域監視に唯一利用できる生体認証として注目されている。

 実際の話としても、2009年2月22日に起こったNHK福岡放送局の爆発事件では、『2月22日午後5時半ごろ、放送局の東側玄関で発生。玄関の天井が一部破損し、現場には破裂したコンロ用のガスボンベや、給油口に布が差し込まれたプラスチックのタンクが残っていた。防犯カメラには、男がバッグを置いた直後に爆発が起きた様子が映っていた。男はニット帽にサングラス、マスク姿で、紺の上下、白の手袋をしていた。』と防犯カメラの映像から犯人を特定する重要な手がかりを得ているなど、防犯カメラ映像が事件発生時にニュースとして流されるのをよく見かける。

 指名手配書の写真や防犯カメラの画像などから容疑者の特徴を記憶し、駅や繁華街を歩いて似ている人を捜し出す捜査手法は、大阪府警が1980年ごろに始め全国に広まったとされる。

 防犯カメラの設置利用によって、検挙率も高まり、現在の捜査は防犯カメラなしでは成り立たないと言っていいほど、重要な決め手になっている。

 そうした成果に拍車をかける為に、「防犯ボランティア団体の活動を支援し、子どもを犯罪から守るための環境を整備するため」として、警察庁が民間の防犯団体に防犯カメラの管理を委託する、「防犯カメラ設置モデル事業」なる事業も警察庁主導で行われ、全国の駅周辺やアーケードなどでは自治体主導による普及活動が進み、通学路に防犯カメラを設置するなど、今では、その市場規模はこの20年で2.7倍にもふくれあがり、日本国内で4百万台以上の防犯カメラが設置され、その数は日々増加しているのである。

 しかし、防犯カメラに依存しすぎてる現状も指摘されている。

 防犯カメラの普及と10年で画質(画素数)が7~8倍上がっり、「顔認証」や「歩容認証」などの認証技術の高度化・高機能化が図られてはいるが、『記憶容量の技術的な理由に加えて、被写体の人物から肖像権侵害もしくはプライバシー侵害で損害賠償請求されるリスクを低減する』ためにわざと防犯カメラの画質を落とす事もあり、画質の劣化や不鮮明があるのに、防犯カメラの映像にこだわった警察が犯人と決めつけ、十分な捜査をしないで逮捕し、自白を強要することもおこっている。

 画像や映像が人違いだった場合、一生犯罪者のレッテルを貼られることになりかねないのである。

 防犯カメラの設置利用による犯人逮捕という捜査手法は、検挙率の向上=犯罪を起こせば必ず逮捕されるという、ある種の"抑止力"を持つとする考えもある。

 しかし、犯人の特定や犯人逮捕は‘犯罪’がおこってからの事後対処であり、‘犯罪行為’の原因(格差拡大や貧困など)はその社会から発生し、社会不安やその弊害を取り除いていかない限り、‘犯罪行為’を減らすことはできない。

 格差拡大や貧富と言った矛盾した社会を維持形成してきた権力機構としては、社会矛盾の解消・是正は(権力側からの改革と言う)限られた範囲のものでしかなく、その恩恵に当てはまらずに取り残された者の‘反抗’や‘犯罪’の発生を全て無くすことはできないから、防犯という名の監視態勢を一層強化するという、‘犯罪’と監視のイタチごっこを繰り返すのである。

 ‘犯罪’は起こるという前提で、‘犯罪’を取り締まる"国家の権力=暴力装置"としての警察機構としては、国家に対する‘犯行’を未然に防止し、抑えつける任務を持っており、犯人逮捕は成果であり結果でもあるから、詰まる所、国民への監視態勢を強化し維持していくことが主要な任務となるのである。

 かつて5人組と言う制度があったが、『その制度は、江戸時代に領主の命令により組織された隣保制度で、起源は、古代律令制下の五保制(五保の制)といわれ、時代が流れ、1597年(慶長2年)豊臣秀吉が治安維持のため、下級武士に五人組・庶民に十人組を組織させた。江戸幕府もキリシタン禁制や浪人取締りのために秀吉の制度を継承し、さらに一般的な統治の末端組織として運用し、名主・庄屋の権威を裏付け、住民の生活を制約すると同時に町村の自治とりまとめを強化することには役立った。近代的自治法の整備とともに五人組は法制的には消滅したが、第二次世界大戦中の隣組にその性格は受け継がれていた。』(ウィキペディアから抜粋引用)

 この5人組のような、互いに監視し合う制度と同様に、"防犯"という名目の下に、今は何百万台の防犯カメラによる"監視"が行われていると言う現実を、無視はできないでしょう?!(光)


 コラムの窓・・・死刑と私刑

 内閣府が5年ごとに行っている死刑制度に関する世論調査、昨年11月の調査結果によると、「死刑存続」が80・3%(09年85・6%)、「死刑廃止」が8・7%(09年5・7%)という結果で、相変わらずこの国の住人は死刑を断固支持しています。安倍政権が定期的死刑執行(13年は8人)を行い、「死刑制度は国民に支持されている」と豪語する所以です。

 この結果について、「神戸新聞」は社説で「変動の幅は小さいとはいえ、容認は減少し廃止は増加した。死刑制度に対する国民の意識が変わりつつあるのではないか」と述べています。なるほど、希望的観測と言えなくもないが、そういう見方もできるのですね。「今回の調査結果を踏まえ、政府は情報開示を進めるとともに、存廃を含めた死刑制度の今後について、国民的議論を促すべきだ」(同紙)

 死刑をめぐるもうひとつの報道、「裁判員の死刑判決破棄確定へ」(2月5日「朝日新聞」)という記事は、地裁段階の死刑判決を高裁が破棄し「無期」としたもの2件を、最高裁が支持したという内容です。「裁判員裁判での死刑判決は昨年末までに22件。今回の決定の2件のほか、もう1件について、二審が死刑判決を破棄し、最高裁で審理が続いている」(同紙)

 裁判員裁判では量刑が重くなるらしいのですが、すでに多くの市民が22件もの〝合法的殺人〟の決定に関与していることに驚きを禁じ得ません。被害者の遺族が死刑判決を求めるのは感情的にも避けがたいと思いますが、裁判員も感情移入して国家による究極的な権力行使、死刑にゴーサインを出すのはあってはならないことだと思います。

 それは、私刑を死刑として公認するようなものではないでしょうか。もっとも、死刑が私刑とどれ程のちがいがあるのかという疑問もあります。例えば、イスラム国による処刑はどちらなのでしょうか。それはテロだと言われそうですが、米国やイスラエルはもっと大量の市民・子どもたちの殺人を行っています。テロ集団を壊滅させろというなら、テロ国家に対しても毅然たる態度を取るべきでしょう。

 リンチにテロに死刑、それに戦争どれも殺人にかわりはないのです。これらすべてがこの地球上から消え去ったとき、人類はようやくく野蛮を脱するのです。犯罪としての殺人、そして自死はその後もなお残るでしょう。人々の生きる営みがあり、そこに喜怒哀楽といった感情が絡むかぎり、なくなるものではありません。殺すな、生きようという呼びかけを発信し続けたいものです。

 ところが、「産経新聞」は仇をとるというのは人間として当たり前の話しだというのです。

「日本国憲法には、『平和を愛する諸国民の公正と信義』を信頼して、わが国の『安全と生存を保持しようと決意した』とある。『イスラム国』のみならず、平和を愛していない諸国民がいかに多いことか。この一点だけでも現行憲法の世界観が、薄っぺらく、自主独立の精神から遠く離れていることかよくわかる。護憲信者のみなさんは、テロリストに『憲法を読んでね』とでも言うのだろうか。いのちが危険にさらされた日本人を救えないような憲法なんて、もういらない」(2月7日「産経抄」)

この論者の意識はイスラム国レベルのお粗末さですが、安倍晋三首相も同類で、戦争したくてたまらないのでしょう。追記 11日の新聞報道で、裁判員裁判での死刑判決破棄、3件目の決定が最高裁によって下されたことが明らかになりました。 (晴)案内へ戻る


 色鉛筆・・・一刻も早い無罪を!

★「集会」

1966年の「袴田事件」により死刑が確定し、昨年3月静岡地裁の再審開始決定で実に47年7ヶ月ぶりに釈放された袴田巌さん(78歳)の、無罪判決を求める集会が、1月25日静岡市清水区で開かれた。主催は「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」である。

主催者の代表は「きわめて卑劣な検察の抗告により、いま袴田さんは非常に不安定な状況に置かれている」と憤る。弁護団の白井聖浩弁護士も「検察官が何が何でも有罪に・再審開始はさせないとなりふり構わぬ態度をあらわにしている。一刻も早く無罪確定を勝ち取りたい」と決意を述べた。

続いて昨年7月から浜松の自宅で巌さんと暮らす姉の秀子さん(81歳)が、「巌は残念ながらインフルエンザで今日は来れませんでした。普段は買い物にも『行く』と言って一緒に歩いている。買ってきた干し柿を、軸も丸ごと食べてしまったり、毎日書いている日記も、意味不明な内容が多く、拘置所の中のものを引きずっている。拘置所から出てきたからと、すぐに治るものではない。私も戸惑い、様子を見ている。拘禁症状は、一生治らないかもしれない。このままでも良い。とにかく再審開始、無罪になることを願っています。」といつものように背筋を伸ばし、力強く訴えた。

★「釈放から」

昨年3月27日静岡地裁の村山浩昭裁判長は、第二次再審請求に対して、再審を決定。その上死刑の執行の停止と、身柄の釈放も実現させた。「五点の衣類」が捜査機関の捏造した証拠である疑いがあることにも言及し、「国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、刑事司法の理念からは到底耐えがたい事と言わなければならない。」「無罪の蓋然性が相当程度あることが明らかになった現在、これ以上袴田さんに対する拘置を続けることは、耐えがたいほど正義に反する状況にある。」と非常に踏み込んだ内容だった。

釈放後袴田さんは、入院を経て7月から浜松の姉の家で生活を始めた。8月末に自宅で倒れ緊急入院。肺炎、胆石の除去手術、心臓カテーテル手術を受けて一ヶ月後に退院。その後は順調に回復し、10月には東京での死刑廃止を求める集会、11月には飛行機で松江でのシンポジウム、その他多くの集まりに姉の秀子さんとともに参加している。

★「今」

再審開始決定に導く大きな力となったのが、「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」のいわば素人による「味噌漬け実験」の取り組みだろう。事件の1年2ヶ月後に味噌タンクの中から発見された「五点の衣類」(当時の物的証拠100点以上のうち唯一証拠として採用された)に関して、実際に衣類を味噌に漬けて色の変化を調べ、証拠の「味噌漬け五点の衣類」は、短時間で作り出せることを突き止めた。

タイミング良く、弁護側の粘り強い証拠開示請求により、検察から開示された衣類のカラー写真と、この実験結果とを比較することが出来て、再審の重い扉が開かれた。「カラー写真がなければ、裁判所に実験は評価されなかったかもしれない。」と市民の会の会員は語る。

これら支援する人たちや弁護団らは、地道で根気強い取り組みを続けている。たとえば地元でのビラまき・署名、味噌漬け実験の取り組み、東京高栽・東京高検への要請行動等々。袴田さんの失われた47年7ヶ月を、誰も取り戻すことは出来ない。そこで味あわされた絶望と恐怖による拘禁症状を、癒やすことは出来るのだろうか。難しいことだと思う。せめて、これらの取り組みが無罪確定という結果をつかみ取ることを祈る。国内だけでなく、海外からも広く注目されている。

今秋には映画「袴田巌」の完成が予定されている。監督の金聖雄氏は「SAYAMAみえない手錠をはずすまで」で2014年毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞を受賞している。(澄)案内へ戻る


 編集後記

 日本人殺害事件では、多くのメディアが命の大切さや暴力の残虐さを協調した。無論その通りだ。が、あまりに邦人殺害だけがクローズアップされた。が、今でも紛争地では毎日のように人が殺されている。日本のメディアは大々的にそれを報じない。日本人も普段はそれを考えない。当然かもしれない。どこかで人が殺されても毎日それを考えていては自分の体と生活が持たない……。

 イスラエルは昨年夏のガザ攻撃で病院なども標的にして500もの子どもを殺した。シリア、イラクでも米国はいまでも無人機攻撃による誤爆・巻き添えで民間人や子どもを殺している。。その家族や隣人はどう想い、なにが残るのだろうか。日本人が標的にされた時こそ、複眼思考が大事だ。
 目の前には、この事件をも自分の野望に利用している宰相がいる。事の動きは激しい。本紙もミニサイズながらその野望に切り込んでいきたい。      (廣)

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