ワーカーズ533号  (2015/4/1)   号案内へ戻る

 ついに戦端は切り開かれた!!―翁長知事を断固支持する

 3月23日、翁長沖縄知事は、ついに海猿等の暴挙が続く辺野古での作業停止を防衛局に指示して、防衛局が1週間以内に従わない場合は岩礁破砕の許可を取り消しを示唆した。これに対して菅官房長官は、去年ボーリング調査等も沖縄県と必要な協議を済ませており手続きに問題はない、今後も「法令に則り、粛々と対応していく。現時点で作業を中止すべき理由は認められない」と同日直ちに反論して見せた。ついに戦端は切り開かれた。

 こうした安倍政権の対応は、民主政体の自己否定である。民主政体とは、国民の意思に基づいて法律、政令を決定する。その担保の為に選挙がある。法律や政令は国民の意思に基づかなければならない。では米軍基地に対する沖縄県の民意は一体どこにあるのか。

「辺野古への米軍基地移転を認めない」の民意は否定できない程明確だ。地元の名護市長には反対派が当選、昨年反対派の沖縄知事が当選、年末の衆議院選挙では、反対派が小選挙区全てで当選した。今、沖縄県に自民党の国会議員はいない。民意は実に明確である。

 安倍政権は沖縄県の民意を踏みにじり、民主政体を愚弄している。安倍政権は、翁長県知事の指示に従い、今直ちに岩礁破壊作業を停止しろ! 辺野古基地移転を断念しろ!

 沖縄県居住以外の日本人は沖縄県の人々の意思も分かるが、それよりも日米関係の方が遙かに大事だと、辺野古基地移転問題での日米関係の悪化を懸念しているかもしれない。

 今こそ日本と同じ敗戦国ドイツに学ぶ必要がある。彼の地の駐留問題は「ドイツ駐留NATO軍地位補足協定」で「施設が、共同の防衛任務に照らしてもその使用よりもドイツ側の利益が明らかに上回る場合には、ドイツ当局の当該施設区域の返還請求に適切な方法でこれに応ずるものとする」と記述している。そして「ドイツ側の利益」の基準とは、合意議事録で、「ドイツの非軍事部門の基本的な必要性、特に国土整備、都市計画、自然保護および農業上、経済上の利益に基づく」と表現されている。つまり返還した時、ドイツ側の利益が多い時には、米国に返還要求が出来て、米国はそれに応ずるとされている。

 まさに日本では普天間問題がこれに該当する。つまり要求すると「日米関係が壊れる」というのは正しくはない。安倍政権が、沖縄県の意思を無視して辺野古移転を強行しようとしているのは、安全保障上の理由ではなく、ただただ「米国によく思われたい」だけの事である。

 安倍政権は民意よりも何よりも、属国日本の鏡として歴代自民党最悪の乱暴な従米政権の本性を自己暴露しているのである。(直木)


 〝あぶない〟安倍ワールドの住人たち
  戦前回帰、軍事優先の風潮が拡がる自民党


 安保法制で、自公が合意した。海外を中心に、自衛隊活動がかつてなく拡大される。

 安倍首相の前のめりな言動が続き、それに感化されてか、自民党議員のトンデモ発言も飛び出した。

 戦前回帰、軍事優先の自己チュウな世界に住む面々による安倍自民党。任せていては私たちをどこに連れて行くか分からない〝あぶない〟政権は、その座から引きづり下ろす以外にない。

◆自民党公明派?

 3月21日、安保法制で自公が正式合意した。昨年7月の集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を現実のものにする、自衛隊の海外活動を飛躍的に拡大する内容になっている。

 与党合意はすでに多く報道されているし、ワーカーズ前号でも取り上げたので、ここでは触れない。その与党協議では、安倍官邸の意向が矢継ぎ早に示され、公明党は防戦一方だった。「歯止め」論議に方向転換した時点で、合意は実質的に決まっていた。

 その公明党が果たした役割は、自民党の共犯者だという以外にない。自民党側が投げ続けた多くのメニューを一部修正して合意するというパターンを、昨年の集団的自衛権論議と同じで今回も繰り返した。

 公明党が提起した「三原則」というのも、結局は、アベ安保法制を容認する刺身のツマでしかなかった。自民党が提案する大風呂敷を、ちょっと隅を折り曲げただけの公明党支持者向けのポーズでしかなく、結局、自民党の提案を若干薄めて容認するというものでしかなかったからだ。

 公明党は、個々の政策で連立を解消することなどあり得ない、という立場を崩さなかった。そうしたスタンスのもとでは、なにが提案されても若干の修正でそれを容認するしかない。主義主張や政策は二の次、選挙協力や与党としての利権で繋がっている情況では、もはや独立した政党とはいえない。自民党公明派と揶揄される、その通りの役割しか発揮できない決着となった。

 ただ、自公合意は抽象的で、曖昧な部分や先送りされたものも多い。今後の闘いでアベ安保法制を封じ込めていく闘いを拡げていく以外にない。

◆「八紘一宇」!?

 安保法制で暴走を続ける安倍首相。それに感化されてか、戦争賛美の〝トンデモ発言〟も飛び出した。

 今となっては、少し古いニュースとなったが、3月16日の参院予算委員会で自民党の三原じゅん子議員が、あの〝八紘一宇〟も「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」だ、とぶち上げたのだ(別掲)。私はその模様を車を走らせながら聞いていたのだが、この議員、何を考えているのか、と唖然とさせられる思いで聞いていた。続いて「世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる……」とのたまっていた。その標語が、あの天皇制軍国主義のもと、アジア諸国の植民地化を進める上で、国民をイデオロギー的に統合する上で大きな役割を果たしたことなど意に返さない、といより、すっぽり欠落させた論理で「紹介」したのだ。

 答弁に立った麻生財務相も、「こういった考え方をお持ちの方が三原先生みたいな世代におられるのに、ちょっと正直驚いたのが実感です。」と、さすがに困惑した答弁をするしかなかった。

 この一件、ネットなどでは早速やり玉に挙げられていたようだ。が、メディアではどうだったのだろう。朝日新聞は翌日の紙面で、小さな囲み記事で紹介していただけだった。2日後の19日には、宮崎市にある「八紘一宇の塔」(現在は「平和の塔」)の写真入りで、「八紘一宇」という言葉の由来などを報じている。

 なぜ三原議員はこの言葉を持ち出したのだろうか。三原議員の質問は、多国籍企業による課税回避を防ぐための国際的なシステムづくりを提案する発言のなかで飛び出したものだった。その提案自体は、最近の多国籍企業の税逃れに止まらず、各国による法人税引き下げ競争にどう対処するか、という、国家と資本の対立の側面から派生した現代的なグローバルテーマに即したものだった。

 そんな文脈で飛び出た言葉だったので、マスコミなどは単なるイレギュラー発言、政治的背景が薄いと判断したのだろうか。正面から取り上げるのではなく、上から目線の、「ちょっとおかしいですよ」といったニュアンスが感じられる記事だった。確かにそうした類の発言だったのかもしれない、ネットなどでの反響に対して、当の三原議員は「侵略を正当化することなど、まったく考えていない」とブログで語っている。

 ただ、この「まったく考えていない」というフレーズ自体も、安倍首相を始め、トンデモ発言をする当事者がよく使う詭弁だ。主張と弁解の間で一貫性が断ち切られている。かつて厚生年金基金で拠出者に膨大な損害を出し続けたAIJ投資顧問の浅川和彦社長が、「損害を与えるつもりは全くなかった」という発言を繰り返していたことを思い出させる。そんな「つもり」が通用すれば、この世に詐欺罪など無くなってしまう。

 ただこうした〝トンデモ発言〟は、そうした弁解が本人の主観や願望とは違う次元で、世の中の空気を変える役割を果たす場合もある。〝トンデモ発言〟が繰り返されることで、戦争賛美のイデオロギーが大手を振ってまかり通るような時代の到来に繋がりかねないからだ。暴走する安倍政権のもとで、それに同調し、おもねるようなトンデモ発言が、モグラたたきのように頻発すること自体が、おかしな時代風潮を象徴しているというべきか。

◆〝国軍最高指揮官〟!?

 トンデモ発言は、三原氏の発言だけではない。安倍首相本人も、かなりきわどい、容認しがたい発言を繰り返している。

 3月22日にあった防衛大学の卒業式。自衛隊最高指揮官として読み上げた訓示のなかで安倍首相は、「不戦のため、決然と行動する」とぶち上げたのだ(別掲)。

 「不戦のため、決然と行動する」。こうした安倍首相の言葉も、極めて危険で危ういものだ。要は「戦争をしないため、戦争準備を怠りなく進める」。こうした論理なのだが、これは軍拡競争そのものの倫理であって、好戦主義に共通のものだ。日本はあの敗戦から学んで、戦争をしないために戦力も放棄するとしてきた。それはそれなりに一貫性がある。ところが「戦争しないために戦争準備する」というのは論理矛盾以外の何物でもない。歴史上、多くの国がそうした論理のもとで戦争をしてきた経緯をそのまま再現するような発言でしかないからだ。

 安倍首相は、その数日前にも〝問題発言〟をしている。3月19日の参院予算委員会で、自衛隊を「我が軍」と述べたのだ。政府はこれまで〝建前〟としては「自衛隊は日本を侵略から防衛するための必要最低限の実力を備えた組織で、軍隊ではない」と言ってきた。安倍首相の発言は、その〝建前〟を取り払ってしまったもので、これでは歴代政府が散々苦心して軍事力を整備してきたことが全部ごまかしだったことになってしまう。

 首相官邸は弁解に走っているが、安倍首相の頭のなかでは、すでに自分自身は陸空海軍、要するに日本国軍の最高指揮官だというイメージなのかもしれない。勇ましい安倍首相だが、これも「あぶない」発言の代表だろう。

 先に取り上げた三原議員は、もはや例外ではない。〝戦後体制からの脱却〟を掲げ、積極的平和主義だとかの軍事優先政治に走る安倍首相の独自な歴史観や安保感は、とりまき政治家やお友達の暴走発言=トンデモ発言を誘ってきた。それらが相乗効果となって世間に拡がることが「あぶない」のだ。

 世論調査では、自衛隊の海外行動の拡大には、反対が52%と多い。世論は安倍政治になびいてはいないが、トンデモ発言の連発を容認してしまっては、やがてはあの戦前と同じような言葉が飛び交うのが当たり前の時代を将来しかねない。「トンデモ発言」は「トンデモ」な段階で封じ込めていく以外にない。(廣)

 防衛大学校卒業式 内閣総理大臣訓示(抜粋)

 ……。戦後、我が国は、ひたすらに平和国家としての道を歩んできました。
 しかし、それは、「平和国家」という言葉を唱えるだけで、実現したものではありません。
 自衛隊の創設、日米安保条約の改定、そして国連PKOへの参加。国際社会の変化と向き合い、憲法が掲げる平和主義の理念のもと、果敢に「行動」してきた、先人たちの努力の賜物である。私は、そう考えます。
……
 「昨日までの平和」は、「明日からの平和」を保障するものではありません。大量破壊兵器の拡散や、テロの脅威など、国際情勢は、私たちが望むと、望まざるとにかかわらず、絶えず変転しています。
 「不戦の誓い」を現実のものとするためには、私たちもまた、先人たちに倣い、決然と「行動」しなければなりません。いわゆるグレーゾーンに関するものから、集団的自衛権に関するものまで、切れ目のない対応を可能とするための法整備を進めてまいります。
 「行動」を起こせば、批判にさらされます。過去においても、「日本が戦争に巻き込まれる」といった、ただ不安を煽ろうとする無責任な言説が繰り返されてきました。しかし、そうした批判が荒唐無稽なものであったことは、この70年の歴史が証明しています。
平成27年3月22日
内閣総理大臣 安倍 晋三

三原じゅん子議員の予算委員会での発言(抜粋)

……。「八紘一宇とは、世界が一家族のように睦(むつ)み合うこと。一宇、即ち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強いものが弱いもののために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族をしいたげている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる」
ということでございます。これは戦前に書かれたものでありますけれども、この八紘一宇という根本原理の中にですね、現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかというのが示されているのだと、私は思えてならないんです。号案内へ戻る


 安倍首相の「我が軍」!! ニュースにチェック「朝日デジタル3/24」を読む

"安倍首相、自衛隊を「我が軍」 参院予算委で述べる"

安倍晋三首相は20日の参院予算委員会で、自衛隊と他国との訓練について説明する中で、自衛隊を「我が軍」と述べた。政府の公式見解では、自衛隊を「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」としている。

 維新の党の真山勇一氏が訓練の目的を尋ねたのに対し、首相は「我が軍の透明性を上げていくことにおいては、大きな成果を上げている」と語り、直後は「自衛隊は規律がしっかりしている、ということが多くの国々によく理解されているのではないか」と続けた。

 憲法9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定める。2006年の第1次安倍内閣の答弁書で「自衛隊は我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織で、『陸海空軍その他の戦力』には当たらない」とした。一方、自民党が12年に発表した憲法改正草案には「国防軍」の創設が盛り込まれている。【「朝日」ここまで】

 とうとう安倍首相の自己陶酔もここまで来たのかと、目を疑った。

安倍首相の頭の中では、いまやご本人様は「陸海空・日本全軍の総司令官」の座に就いたのである!

  精鋭たる日本軍は世界への雄飛を期して、今や遅しと安倍総帥の出動命令を待っている・・と。

しかし、呆れてばかりはいられない。

今日の朝のニュースで中谷防衛相が、沖縄県知事の辺野古埋立作業停止・岩礁破砕許可取り消し発言について「日本は法治国家だ、遺憾である・・」旨語っていたが、とんでもない。反対でしょう?

安倍内閣こそ法律無視も甚だしいではないか!

これだけあからさまな憲法無視の「日本政府」とは? そもそもなんなのか。

これは政治的危機ではないのか。沖縄新基地反対、反原発、安倍政権NO!の運動もいよいよ高まりつつある。一歩も引けない状況だ。首相の座から引きずり下ろそう!(文)


 ロイター四題  白旗掲げた? リフレ派

■「異次元金融緩和」の空振り

[東京 17日 ロイター] - 日銀の黒田東彦総裁は17日の金融政策決定会合後の記者会見で、物価上昇率が前年比でマイナスに転じる可能性を認める一方、企業や家計の物価観に影響はなく、原油安の影響がはく落することで2015年度を中心とする時期に物価目標の2%に達するとの見解を強調した。
物価はプラス幅を縮小しているが、円安・株高基調が続いており、現時点で追加緩和は不要との判断とみられる。
<今のところ物価の基調に変化なし>
午前中の金融政策決定会合では、賛成多数で政策の現状維持を決め、「緩やかな回復基調を続けている」との景気判断を据え置いたが、消費者物価指数(生鮮除くコアCPI)について、足元は「0%台半ば」から「0%台前半」、先行きは当面「プラス幅が縮小」から「0%程度」にそれぞれ下方修正した。【ロイターここまで】

日銀が金融政策運営の目安とするコアCPIは、昨年4月に前年比1.5%(除く消費増税分)上昇したのをピークに下落基調にあり、ことし1月は同0.2%の上昇率にとどまったです。黒田総裁は会見で今後も「エネルギー価格の動向次第で、若干のマイナスとなる可能性を排除できない」と、あの二年前の「異次元の量的緩和策」をぶち上げてたのとは様変わり。とても弱気ですね。

当然でしょ。年間八十兆の追加緩和策まで決定して、大量の国債を買い続けています。数年先には、国債の半分以上は日銀所有になるという異常事態が迫っています。ところが、消費税分は別とすれば、年率1.5%のインフレもここへきてむしろ物価は落ち着いてきています。労働者勤労者の皆さんはヤレやれとホッとしたところでしょう。

この話のキモはここです。黒田さんたちリフレ派が大騒ぎしてきた「量的緩和策」は、まず次の点で破たんしています。思うようなインフレが実現できず、後で指摘するように金融市場にほとんどが流れ込み、小バブルを生み出しただけでした。

リフレ派の目論見ははずれたのは、「インフレを継続できなかった」というだけではありません。

この一年間の低インフレ(リフレ)が景気を押し上げた兆候も一切ありません。なぜなら、14年度のGDPは確定値ではありませんが、政府ですらわずかにマイナス成長を暫定的に認めています!消費税増税とともにインフレが物価をかさ上げし、リーマンショック以来の不況(リセッション)が起きただけでした。

むしろ、ここにきて円安と原油安ぐらいが、景気を多少支えているという現実です。今後インフレ率がマイナス(つまりデフレ)になっても、景気動向にはほとんど関与するものではありません。それは今後明らかになるでしょう。

■アベノミクスのウソ

[東京 17日 ロイター] - 3月ロイター企業調査によると、今年の大企業・中堅企業の賃上げは、トヨタなど一部の好収益企業を除き、昨年を超える勢いが広がっているとは必ずしも言えない結果となった。
昨年を上回る賃上げ率を予定しているのは全体の14%。ベースアップ(ベア)を予定していないと回答した企業も39%に達した。4月の賃金改定後のベースで、昨年の3%の消費増税前と比較した賃金上昇幅は76%が「2%以下」となり、増税分をカバーできていない。【ロイターここまで】

その通りです。せめて、もとを取り返しましょう。労働者のみなさん団結しよう!!

ちなみに、私は五%賃上げを会社に要求しましたよ。だって、消費税三%プラス、コアインフレですから、五%が最低要求でしょ。まだ未回答ですが(泣)

結局は、円安・インフレ利得・金融取引等々で史上最高の経常利益を上げ、剰余金をこれまた最高に積み上げてきた大企業の一人勝ち。そのおこぼれすら労働者には「トリクルダウン」してきていません!

これは政治的なペテンではありませんか。アベノミクスの略取をこれ以上ゆるせませんね!

■経済の金融化だけが進行

[東京 18日 ロイター] - 日銀が18日に発表した2014年10─12月期の資金循環統計によると、家計が保有する金融資産残高は12月末に前年比3.0%増の1694兆円となり、過去最高を更新した。企業の金融資産も1019兆円と過去最高。高水準の現金・預金の保有が続いているが、外部からの資金調達を積極化する兆しもうかがえる。
企業の金融資産残高も同7.7%増の1019兆円と過去最高を更新。リーマンショック前の07年3月末以来となる1000兆円超えとなった。現金・預金残高が同4.3%増の231兆円となるなど、引き続き手元資金を厚めに保有する動きがみられる。一方、対外直接・証券投資が過去最大となったほか、負債では借入や企業間・貿易信用など外部からの資金調達も増加しており、企業行動が積極化する兆しもうかがえる。
地方公共団体などを含めた一般政府の負債残高は、過去最高の1193兆円。財融債を含めた国債発行残高も最大の1023兆円となった。【ロイターここまで】

活性化したのは金融経済のみ、歴然としています。

バブルの発生で、金融資産が上昇し、それがさらに資金を呼び込んでいるようです。

しかし、バブルははじけるもの。ピケティの研究でも、あきらかです。それは現実の富ではなく、信用制度をテコとした膨張であり、やがてしぼむものです。

他方では、国債の買いあさりで、日本の国債の二十五%をすでに日銀が所有。事実上の日銀の直接買い入れと変わりありません。安倍政権公認の違法行為で、危険なバブル経済をめざしています。

■資本家たちもリフレ路線に疑心暗鬼

【ロイター二月二十三日】
(ロイターの企業調査によると)これ以上の追加緩和について、回答企業の72%が「必要性を感じない」と答えた。
「必要だと感じる」との回答は28%で、日銀が公約しているからという理由が目立ち、「目的達成」のためと認識されている。
必要性を否定する回答には、実体経済への具体的な効果はなく、むしろ弊害を指摘する声がほとんど。「景気改善に効果が見込めない」(機械)「日銀と金融機関の間での資金移動という印象で、実需に結び付いていない」(化学)などの意見が目立つ。
弊害としては「財政健全化に向けアブノーマルな状態を続けるのはリスク要因を増やすだけ」(ゴム)、「将来的な日本国債の信頼性が懸念される」(機械)など、財政への不安のほか、「円安進行で仕入価格が上昇し利益が圧迫されてしまう」(小売)、「賃金上昇が追い付かない」(電機)「原油価格下落に伴う消費マインド改善を見極めることが先決」(建設)「円安恩恵は一部企・・【ロイターここまで】

正直に言いまして、リフレ派のトンデモ理論は、資本家ですらハラハラものでしょう。誰が見ても、政府債務はとっくに一千兆円をオーバーしていますから。GDPの二倍を超えようとしています。あのギリシャ以上です。

ただ、資本家が沈黙しているのは、日銀の繰り出すこのじゃぶじゃぶ資金の活用についてです。大企業を中心に経常利益が過去最高になりうるのも、本業の売り上げではなく、株式市場などの小バブルをフルにかつ用し抜け目なく儲けに結び付けたのもなのです。

裏では黙って大儲けしていて、表向きは「国家財政の不安」とか「日本国債の将来の懸念」についてもっともらしく語っているのは、さすがに資本家はずるいではありませんか。(竜)号案内へ戻る


 もしマルクスがピケティの『21資本』を読んだら① 上藤 拾太郎

とりあえず「γ>g」のγとはどのようなことか

ピケティは「γ>g」を、『二十一世紀の資本』の結論として掲げ、格差の拡大へ向かう強い潜勢力であることを示そうとした。マルクス経済をやったものとして、読み解く努力をしてみた。

■まずはγとはなにか

γは「資本収益率」と日本語で示されている。資本(資産)に対しての果実の産出比である。別な面から見れば、資産の増殖のスピードであるともいえる。

結論を単純に言えば、ピケティのγは、マルクスの「利潤率」を拡大した概念と大雑把にみることができる。

ピケティは、著書の中でおおよそγを五%と想定している。(γの変化についてはのちに触れます。)

「地代」「利潤率」「利子率」「利回り」などなど、資産に対する歩合を意味するものは多数ある。それらの大平均だ。ピケティは、それをγで表現していると理解すればいいようだ。

ピケティの引用を見てほしい。

「γは資本の平均年間収益率で、利潤、配当、利子、賃料などの資本からの収入をその資本の総価値で割ったものだ。gはその経済の成長率、つまり所得や産出の年間増加率だ」(『二十一世紀の資本論』二十八頁)

詳しくは後ほどとして、とりあえずgは国民経済の「成長率」だ。国民経済計算では、国内総生産は=総(分配)所得=総(支出)消費、これを三面等価と行っている。さらにそれらは=総付加価値となっていることを覚えておいてほしい。

■ピケティの「資本」は「資産」と読み替えたほうが分りやすい

もう少しγ=資本収益率を検討しよう。

資本収益率と利潤率は違った概念だとピケティは言う。しかし、それが近似の概念であることはあきらか。

「資本収益率は、一年にわたる資本からの収益を、その法的な形態(利潤、賃料、配当、利子、ロイヤリティ、キャピタルゲイン等々)によらず、その投資された資本の価値に対する比率として表すものだ。だから、「利潤率」より広い概念だし、「利子率」よりはるかにひろい。この両方を包含する概念だ。」と(同上)。

つまり、企業資本→利潤、金融資産→利子、土地→地代、株式→配当等々であり、それらをひっくるめてピケティの「資本収益率」(資産収益率と読み替えてもよい)が把握されている。

しかし、これはピケティの欠点でもある。「収益は資産から生まれる」というのは、価値の真の源泉をさらにあいまいにする。資産、たとえば株や債券から価値や富が生じるものではない。生産的労働のみがそれらを生み出す唯一の源泉であるからだ。

■利子や配当も、企業資本の生み出した剰余価値によって成り立っている

しかし、「広い概念」「狭い概念」といった区別にわれわれは止まるわけにはいかない。マルクスなどの労働価値論からすれば、近代的地代や利子、配当、ロイヤリティ等々は、企業・生産的資本が生み出した剰余価値=利潤の転化したものだ。その剰余価値がそれぞれ異なった「資本(資産)形態」つまり土地だったり、貸与資金だったり、株だったりの歩合に流転しているのだ。これらは信用制度の発達から生まれた「擬制資本」といわれるものだ。

土地やおカネや株式それ自身は何も生み出すものではないのは、とうぜんでしょ。

それらは所有権や貸与の契約に基づいて、信用制度が安定している限りにおいて剰余価値の取り込みを果たしたのである。

この把握こそが、近代経済学潮流のピケティには見当たらないのが、残念である。

* * * * * * * * * * * * * * * * * *

余談になるが、現代では、ほとんどの経済学者が無視していることは、労働価値説に立脚し、その展開の中で経済を理解することだ。それゆえに経済の動向や現象の意味を理解できていない。利子が下がったの、株が上がったのと、地価が下げ止まったとか現象ばかりを追いかけている。

格差の問題(ピケティ)や、利潤率の低下の問題(水野和夫氏)など、鋭い切り口なのだが、資本主義の原理との関係が明確にされてないのが残念だ。

そもそも、労働により、経済は成り立っているのであり、生産的労働だけが現実の「富」を生み出し続けていることをノーベル賞経済学者ですら理解しない。だから黒田さんや浜田さんなどの珍奇なリフレ派がのさばったりもする。金融経済や信用膨張を無責任な政策であおり続けている。

■γは剰余価値/総資本(総資産)として示される

資本主義経済の根本は、生産的労働が創り出す剰余価値=利潤が、様々な資本(資産)にあるいは産業分野に流転しているということである。つまり、これら利潤、利子、配当等々は根本的に「剰余価値=利潤」の生成に拘束されていることになる。

とはいえそれらの変動が常に一体であったり、パラレルであるとは限らない。短期的には市場の需要に左右され、相矛盾した動きがあったりもする。また、リスクの高い株式は、一般的には短期金利よりは高い配当を約束しているとうとう、リスクの程度にも依ったりするのも言うまでもない。

とはいえ長期的には追随した動きをとることが予想されるのだ。たとえば、一定期間の剰余価値=利潤の生成が低調であれば、資本が同じままとして利潤率は低下するし、他の「資産」への剰余価値の流出もおおむね低下するだろう。

さてこのように「資本収益率・γ」は、資本を資産と事実上読み替えているピケティにとっては、ふさわしい概念だ。これは「総資本=総資産」が平均的に単位当たりどれだけの利益を生みだすのか、率として表示するものだ。

このようにして、マルクス『資本論』の表現に一応置き換えれば。

γ=総剰余価値/総資産(総不変資本+総擬制資本+総人件費) と大雑把に示せるだろう。

概念としてはこのとうりだ。しかし問題は、精密な統計を期待できるのか、である。

■γ=資本収益率は、利潤率とともに「傾向的低下」(マルクス)するのか?

マルクス経済学徒に興味津々の統計と見解をピケティが提示した。ゆえに、むしろマルクスの言う「利潤率の傾向的低下」の法則を再考する必要がある。なぜなら、企業・資本という把握をマルクス『資本論』はしている。それに対して、資産=資本という広範囲な「資本概念」へと拡大されたとはいえ利潤率の低下理論を、排除する理由はない。利潤率の低下が真実であれば、収益率も傾向的には低下することは理の必然ではないだろうか。
* * * * * * * * * *
もちろん正確な統計を期待することはできない。資本にとり有用な、その限りでの経済統計である。統計の不備はもちろんとして、その概念が曖昧模糊としているのだから。

ピケティの目指す、「格差の歴史的証明」も大雑把であることを前提としてなされている同様に利潤率、剰余価値率、を直接に示す統計は存在していない。われわれは近似した統計を利用しつつ、間接的にそれらを示すほかはないのである。
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あらためて利潤率とはどういうことか。利潤率=剰余価値/(不変資本+可変資本〈人件費〉)だ。

一定期間に投入された資本に対する比率として、剰余価値=利潤の相対的低下は、同系列の「利子」でも「配当」でもーーもちろんそれぞれが短期的には別個の要因で上下しうるとしてもーー長期的には同様の運動をすると理解できるだろう。

そもそもの話、利潤率の低下は十八世紀以来知られたことであった。マルクスによれば、生産的なーーつまり生産工場、鉱業、建設業などーー企業資本の利潤率は、不変資本(ロボットや制作機械等)の価値の増大に比して可変資本(人件費)が相対的に減少するために利潤率が低下する。

これを「資本の有機的構成の高度化」という。難しそうだが、各企業は激しい競争の中で資本の省力化・効率化を求めざるを得ない。そのことが、全体としての利潤率の低下となってしまうのだ。

であるならば、総資産・資本が、企業利潤率の低下に加えて、経済の金融化や産業のサービス化といった趨勢の中で、長期的には利潤率の低下を実現する、あるいは潜在的に隠し持っていることは理の必然と考えられる。では、ピケティの研究においてγはどのような歴史傾向にあるだろうか。

ところが、ピケティは、「マルクスの利潤率の低下は起きていない」と明言している。しかし、ピケティのマルクス理解は、正直言ってかなり怪しいのだ。マルクスを「無限蓄積の論理」と理解し、逆に「利潤率の傾向的低下」を限りなくゼロに近づくものと、極端に理解している。その上での批判となっている。

しかし、果たしてそうなのか。ピケティ自身も、留保をつけながらもγ(資本収益率)の若干の歴史的低下を認めている。「フランスとイギリスでは超長期で見るとわずかに下がった可能性がある。18、19世紀の4ないし5%から、21世紀には3ないし4%に」低下した旨示している。(同上214頁)

先進国のγの変化は乏しいが、超長期的には低下している可能性がある、今後の検討が必要だ。(つづく)


 「エイジの沖縄通信」(NO.7) ★新基地阻止で、県民も知事も大結集!

1.新基地阻止の瀬嵩県民集会に3900人!

 3月21日、辺野古新基地建設委員会(県議会与党5会派と市民団体で構成)が主催する「止めよう辺野古新基地建設!美ら海を守ろう!県民集会・海上行動」が開かれ、県民3900人が結集した。

 会場となった瀬嵩の浜は、米軍キャンブ・シュワブと隣接する辺野古の浜(ここに座り込みテント村がある)ではなく、大浦湾の少し先の方にある浜で、大浦湾と辺野古崎を大きく展望できるすばらしいながめの浜である。

 この浜からは、沖縄防衛局の作業船などが設置したオイルフェンスなど作業海域を見渡せる事ができる。当日午前、国会議員や県議を乗せた抗議船7隻とカヌー17艇が作業海域周辺で抗議活動を展開したが、海上保安庁の海保職員(海猿)がカヌーを拘束したり抗議船に乗り込んで押さえ付けたりなどの妨害行為を繰り返した。

 県民集会では、稲嶺進名護市長をはじめとする多くの関係者が登壇して挨拶。特に、20代の若者4人の挨拶に対して、会場から最大の拍手喝采が起こった。

 ここではそのうち2人の挨拶を紹介する。

 『神奈川県で看護婦をしている女性は「米軍基地を沖縄に押し付けているヤマトの人間として、この場にいる資格があるのか」「ここに来たら若い人も全国からたくさん訪れていて、国の暴力行為何としても許さない気持ちを皆が持っていると感じた。若者の立場から新しい平和産業の構築を考えたい。」と、時に涙で言葉を詰まらせながら訴えた。

 東京の大学に進学して初めて米軍基地が集中する沖縄の『異様さ』に気付いたという沖縄出身の4年生男子学生は「二度と戦争を繰り返さないと教わってきたことが自分の隣にある米軍基地と結び付かなかったが、今は分かる。世界中で辺野古に新基地はいらないという声を上げ続けていく」と決意を込めた発言。』(3月22日付、琉球新報より)

 辺野古ゲート前でいつも闘いの先頭に立ち、先月米軍に不当逮捕された山城博治さんが「このゲート前には、年寄りも若者も、男性も女性も、沖縄の人も本土の人も、多くの人が新基地を阻止するぞ!との一点で結集し、ゲート前では皆が協力し合い、助け合い、励まし合い、頑張っている。まさに、ここは『辺野古学校』だ」と言った言葉が忘れられない。

2.翁長知事、「腹は決まっている」と発言!

 3月24日、翁長知事は沖縄防衛局が進めている海底ボーリング調査について、「30日までに作業を停止すること」を指示した。また、指示に従わない場合は「岩礁破砕許可を取り消すことがある」とも述べた。

 これに対して、菅官房長官は「仲井真前知事から埋め立承認を受けている。政府の対応に全く問題はない」と、そして得意の「粛々と進めていく」を繰り返すだけ。
中谷防衛相も「環境保全に万全を期し最適の方法で作業を進めている」と発言。

 こうした政府の姿勢を受け、さっそく沖縄防衛局は対抗措置として行政不服審査法に基づき、「指示取り消しを求める審査請求書」と、「指示の執行停止を求める申立書」を林農相に提出した。

 政府が行った「悪事」を通すために、同じ政府の機関に泣きつき審査を請求している訳で、その結果がいかなる内容になるかは分かり切ったことである。

 防衛局は1月末から大浦湾に岩礁破砕の許可も得ずに、大量の大型コンクリートブロックを投入しサンゴ礁を破壊し始めた。県はその破壊の現地調査を行うために、米軍に臨時制限水域内への立入申請をしたが、米軍は県の申請を拒否。米軍が日本政府と一体となって県の調査を妨害した。

 調査も拒否、作業中止も拒否。ただ、政府の言うことだけを聞けとばかりに、国家権力を総動員して、ゲート前でも海上でも暴力拘束を繰り返し怪我人を続出させている。一体どちらが「悪事」を続けているのかは明白だろう

 3月13日に、へり基地反対協の安次富浩共同代表ら市民や弁護士18人が、防衛局が県の許可を受けずに岩礁破砕をしているとして、沖縄防衛局長の井上一徳局長を県漁業調整規則違反の疑いで那覇地検に刑事告発をした。

 この件に関して市民団体のメンバーは「防衛局は昨年8月28日、埋立本体部分について県から県漁業調整規則第39条にもとづく岩礁破砕許可を得た。しかし防衛局は、今年1月末から工事の施行区域一帯でコンクリートブロックを投下してきたが、これは許可の範囲外であり、県漁業調整規則に違反している。昨年8月28日の岩礁破砕許可には、『本申請外の行為をし、又は付した条件に違反した場合は、許可を取り消すことがある。』という許可条件が付されているので、当然知事は取り消しができる。今回、私たちは、翁長知事が防衛局に対して毅然とした措置を行なえるよう側面から援助する意味を込めて告発に踏み切った。」と述べている。

3.安倍首相のウソとゴマカシ!

 沖縄の基地問題で、安倍首相は口を開けば「基地の負担軽減」とか「普天間の辺野古移設は基地の負担軽減につながる」と言っているが、これはウソとゴマカシである。

 「世界一危険な」米軍普天間飛行場は移設ではなく即時閉鎖だ。米軍は戦後70年間も他人の土地を勝手に占拠し居座っている。返すのが当たり前ですよ。

 辺野古は普天間の代替施設と呼ばれているが、とんでもない。単なる代替基地ではなくまさに超大型の新基地である。基地の長さ1800メートルで滑走路2本を持つ。高さは水面から約10メートル。そして耐用年数200年で半永久基地となる。基地建設の埋め立て土砂量は2100万立方メートル必要になる(東京ドーム17個分にあたる。10トンダンプで350万台にあたる)。その土砂の半分近くは本土の各地(九州や瀬戸内など)から運ぶことになる。

 オスプレイもF35戦闘機なども離発着出来る。強襲揚陸艦ボノム・リシャールや原子力潜水艦などが接岸できる護岸(軍港のこと)の建設。タンカーや貨物弾薬補給艦が接岸できる燃料桟橋の建設。航空機に弾薬を搭載したり降ろしたりする弾薬搭載エリアの建設等など。海兵隊・海軍・空軍・弾薬庫・燃料施設が総結集する最大規模の基地となる。

 また、安倍首相は記者団の質問に答えて「沖縄に丁寧に説明をして理解を求めていく」とよく言う。しかし、新しく沖縄県知事になった翁長氏に一度も会っていない。会わないので話もしていない。県民に対しても、今後沖縄の米軍基地をどうしていくのか?という問題を説明したこともない。これで、どうやって理解を得られるのか?(富田英司)号案内へ戻る


 色鉛筆・・・待ちに待った女川駅 開通

東日本大震災で町の大半が津波で流された女川の町、線路も駅も流されました。あれから四年たった三月二十一日 女川駅が開通しました。駅舎は海猫をモチーフに設計され、二階には銭湯が再開されました。原発のすぐ近くです。

 私の子供はソフトボールを中学校から十年間続けていました。高校の新人戦の場所は毎年、女川の総合グランドで開催されていました。女川には、美味しい魚が一杯販売されており、試合が終わると買い物をして帰るのが楽しみでした。

 女川に今年久しぶりに訪れました。高台にある病院や学校、そして総合グランドは以前と変わらない景色でしたが、沿岸部分はすべて津波で流され、私が買い物をした魚屋さんや、子供が宿泊していた民宿がなくなっていました。以前の道もなくなっており、道に迷いました。総合グランドは高台にあるので、それを目指して運転していくと、あの懐かしいグランドに復興住宅が建っていました。消防署も役場も総合グランドの中に移転されていました。

 山から土を削り盛り土工事を沿岸部からすすめていました。また復興住宅もまたまだ建設中でした。

 子供が試合していたグランド巡りを続けました。矢本のグランドにも仮設住宅が建ってていました。十年前には、このようにグランドに住宅が建っているとは、誰も想像できなかったと想います。電線にご遺体がひっかかり、津波がひいたあと、高い場所でなかなかおろせなかったと地元の方が話されていました。

 今、沿岸部は盛り土の工事です。毎日、工事してくださっている方に感謝します。しかし、復興はまだまだです。東京五輪選手村の完成予定図とあまりにも違いすぎる仮設住宅、とても悲しいです。もう少し被災地のことを考えて欲しいです。

 みんなで力を合わせて、復興にむけてがんばっていきたいと想います。 (宮城 弥生)


 「コラムの窓」・・・コラムについて

 この「コラムの窓」の記事を担当して長くなるが、いつも書き終え「コラムらしくなかった」と反省することが多い。「コラム記事」はなかなか難しい。

 「コラム」でいつもすばらしい記事を書く辛淑玉さんと斉藤美奈子さんを尊敬し、こんな「コラム」を書けるようになりたいと思っている。

 私が読んでいる辛淑玉さんの「コラム」は、保育者と父母を結ぶ雑誌「ちいさいなかま」の『わたしのアングル』という連載である。

 彼女は「危険水域」というコラムで「講演会で、『なぜ韓国に帰らないんだ』という質問を浴びせられることがある。在日が日本にいるのは日本の居心地がいいからだと言わせたくて躍起なのだ。帰るところなどないと答えると、『ならば、日本社会に尽くせ』『植民地などなかった、慰安婦は嘘だ』と堂々と言う。そして『文句があるなら韓国に言え』と。まったくまともな議論にならない。・・・確かなのは、彼らは近現代史をまったく知らないということだ。その人生で一度も学んでいないのだ。受験にも出ないし、まして社会に出てから学ぶ機会などまずない。在日と出会うこともほとんどない。同じように、アイヌの人に出会うことも、戦時性暴力の被害者に会うこともまったくない。まともな本を読むこともない。何かあると、戦争だったんだから仕方がない、と思考停止して終わり。・・・こんな世の中に誰がした」と指摘している。

 同時にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさん(16歳)の受賞スピーチを取り上げ、「受賞を通じて何を訴えたいかという問いに対して、『子どもたちに、声を上げ行動を起こそうと伝えたい。変化を起こしたいなら立ち上がらないといけない』と述べたのだ。そうだね。立ち上がらないといけない。子どもたちより先に私たちが。」と指摘し、かならず希望と指針を示す。ここが大事ですね。

 次に斉藤美奈子さんは、東京新聞29面の「本音のコラム」という連載を書いている。

 彼女も「仮免で長距離」というコラムで「すごいなあ。この国は無法地帯にどんどん近づいていくようだ。集団的自衛権の行使容認を閣議決定したと思ったら、今度はそれを方便に『日米防衛協力のための指針(ガイドライン)』を見直すのだって。専守防衛に徹する自衛隊は、そもそも国外に出て行けない部隊だった。自動車教習所の中だけでの運転を許された教習中のドライバーみたいなものである。それが1997年以降。仮免許めいた法律があれば、米軍に協力するため路上でも運転ができることになった。ただし、『周辺事態』『非戦闘地域』いう地域的限定をつけての話。ところが今度は『日本有事』『周辺事態』『平和』の三分類を撤廃し、『いかなる段階においても、切れ目ない形で』協力できるようにするという。なんと無体な。仮免許ドライバーに長距離トラックの運転を命じるようなものである。事実上の無免許運転。ダメでしょ。それは。・・・何もかも解釈で突破できると思ったら大まちがい。国民の負託なき閣議決定自体が本当は『仮』なのだ。」 彼女のコラムは例え話がユニークでうまく、とてもわかりやすい。

 2人の引用でこの「コラム」を終わりにしようと考えたが、「それじゃダメじゃん!」と言われそうなので、もう少し続ける。

 安倍首相が20日の参院予算委員会で、自衛隊と他国との訓練について説明する中で、自衛隊を「わが軍」と述べたことが問題になった。彼の意識はもう「自衛隊」ではなく、とっくに「軍隊」になっており、「軍隊」を動かしたいという本音が出たと思う。

 この発言は当然「憲法9条」に反すると同時に「憲法99条」(憲法尊重擁護の義務)にも関わる憲法違反であり、安倍首相は即辞任すべきである。ところが、国会で紛糾して大問題にならない。

 福島の原発問題や沖縄の米軍基地問題などに関する安倍首相や各閣僚の発言を聞いていると「ウソとゴマカシ」ばかりである。その「ウソとゴマカシ」が徹底的に批判されない、報道されないところに、この国が「危険水域」に入っていることを示している。

 安倍政権の「危険水域」を感ずるのは、辛淑玉さんや斉藤美奈子さんや私だけではないと思う。(英)


 退職を迎えて

 私は、22年間の勤めを終え今年3月末日に郵便局を退職しました。やっと、時間に追われる仕事から解放される、この安心感は何ものにも代えがたいと実感する日々です。1日の拘束時間は通勤時間を入れると、最短でも約8時間 、年末年始は10時間を超えることも度々ありました。

 かつて、4時間労働制を掲げ国政選挙に挑戦した「社労党」で、私も選挙スローガンのポスターを張る作業を手伝いました。労働者が本来、人間らしく生きるための生活の時間配分は、労働に4時間、趣味や遊び、学習に4時間、家事・育児・介護に4~6時間、睡眠に6~8時間、自治会活動など地域活動にも2~3時間、などユニークなものだったと覚えています。

 何よりも、働かずして高収入を得て資産を貯めている資本家たちに、労働することを義務づけ、所得の分配は平等とする考え方は、働く者の心髄に響いたことでしょう。約25年前の訴えは
、労働者が政治の主人公になり政策を決めていくことで、その当時でも実現可能な選挙公約だったのです。それに比べ、、今の労働者の実態は、給与所得は減り、非正規が増え4時間どころか、ますます長時間の仕事を押し付けられている最悪な事態です。賃上げが闘争でなく、政府と経済界で申し合わせて行われるという、まるでお情けと言ってもいい事態が通用する社会になってしまっています。

 退職するにあたり心残りは、人手不足の勤務状態のままで、去って行かざるを得ないことでした。時間指定の郵便物の時間に迫られながら、通常郵便の配達もこなさなければならない、一体、ひとり何役の仕事をさせられるのか。朝のミーテイングでの、配達途中の交通事故の報告も後を絶たないのは、時間に余裕が無いので焦ってしまう結果だと思います。募集しても人が集まらない、これを理由にいつまでも人手不足を引きずって現場に犠牲を強いる管理者たち。自分たちの経営能力が無いことを自覚しなさい、管理者たちも評価を受けるべきと思います。

 職場で一番年齢も高く勤続年数も長い私は、本来なら以前と比べ働き方が変わり困難な仕事内容になったことに対し、みんなの意見をまとめ改善の要望を出す立場にあるのに、その努力をしてこなかったことを後悔しています。自分の管理者に対する反発を個人的な形でしか表現出来ていなかった、職場の全体的な問題点をまとめ要求するという冷静な視点が欠けていたと今になって気づいています。幸い、同僚で30代の男性がその代役をやってもらえそうな人格の持ち主なのです。若い人たちが自分たちで立ち上がるのを、陰ながら見守っています。(折口恵子)

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