ワーカーズ556号 2016/3/15      号案内へ戻る

 安倍総理の「9条改憲」と高市総務大臣の「電波停止」発言を糾弾する!

 3月2日、参院予算委員会において安倍総理は憲法改正に関して「私の在任中に成し遂げたい」と述べた。これは夏の参院選で改憲勢力が3分の2を確保し、2018年9月までの自民党総裁任期を念頭に、国会発議と国民投票による実現をめざすとの表明である。

 と同時に「我が党だけで(発議に必要な)3分の2を(衆参で)それぞれ獲得する事は不可能に近い」「与党、さらに他の党の協力」もなければ難しいとの認識も語った。

 私たちは、この安倍改憲発言に対して、直ちに反撃を開始しなければならない。

 さらにこの安倍発言に優るとも劣らない発言は、高市総務大臣の「停波」発言だ。これに対する田原氏らジャーナリストの批判声明について、3月1日の衆院総務委員会で「色々な意見があるのだなあ」とその感想を述べ、自らの無知蒙昧に更なる上塗りをした。

 この発言は、池上彰氏がいうようにヨーロッパなら政権がひっくり返る発言である!

 つまり高市大臣は「政治的な公平性を欠く」放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に電波停止を命じる可能性について「法律に規定されたものは誠実に執行するのが内閣の役割だ」と改めて主張、「憲法の条文には内閣の職務として法律を誠実に執行するとの規定がある」とした上で「ここは法治国家。法律に規定されたものは放送法や電波法に限らず、必要があれば誠実に執行するのが内閣の役割だ」と述べたのである。

 そういえばかって憲法学者の小林節氏と論争した時、高市大臣が「憲法で国家を縛る立憲主義は誤っており、憲法で国民を縛らなければならない」と発言したのを思い出した。

 安倍総理も高市総務大臣も、自らが憲法の第99条により「憲法尊重義務」を課せられた国会議員であるとの自覚がないし、そもそも立憲主義の何たるかについての知識がまったくないのだ。実際に憲法改正を発議できるのは、まさに有権者の声だけである。

 今まさに日本のマスコミは危機にある。安倍総理はマスコミ人との日常的な会食や官房機密費の支出などでマスコミを思うが儘に操作し、意に沿わない放送をする局には恫喝を加える高市大臣のやり方こそ、現マスコミの退廃と萎縮を現出させているといえる。

 来る参議院選挙、または衆参同時選挙では、思い上がった彼らに対して、私たち労働者市民の断固たる鉄槌を浴びせようではないか。(直木)


 〝 思惑 〟は打ち砕くのみ──安倍首相の改憲への仕掛け──

 安倍首相が、改憲に前のめりな発言を続けている。3月2日の衆院予算委員会では、「私の在任中に成し遂げたいと考えている」とまた一歩踏み込んだ。

 改憲をにらんだ衆参同時選挙の思惑も見え隠れしているが、仮にそうなろうとも安倍首相の改憲の野望を足元から突き崩し、安倍政権打倒へと大きなうねりを創り出していきたい。

◆仕掛け

 安倍首相が改憲への思いに踏み込んだ発言を続けている。

 年明けには「憲法改正は参院選でしっかり訴えていく。国民的な議論を深めていきたい。」(1月4日の年頭会見)と改憲に言及し、また、「(9条について)自衛隊の存在自体が明記されていない。実力組織、海外では軍隊だが、その記述がないというのはおかしい。」(1月21日の参院決算委員会)、「どの条文から改正していくかについては、3分の2が可能となったものから取り組んでいきたい。」(3月1日の衆院予算委員会)、そして冒頭の発言だ。

 安倍首相は、一昨年の14年11月に消費税の10%への引き上げを1年半延期することを目玉にして解散総選挙に打って出て、自民党を勝利に導いた。税と社会保障の一体改革での民自公合意などものともせず、とにもかくにも選挙に勝って政権基盤を盤石なものにすることだけを目的にしたような解散総選挙だった。

 今回も、すでに衆参同時選挙をにらんだ布石とも思われる仕掛けをいくつも打っている。

 たとえば、一連の日中韓首脳会談の実現、通例から外れた1月4日の通常国会召集、韓国との間での従軍慰安婦問題での合意、甘利大臣の早期辞任、一票の格差是正と定数削減、日銀によるマイナス金利政策の導入、同一労働同一賃金の導入、そして辺野古埋立作業での和解受け入れなどだ。どれも選挙をにらんで内閣支持率を押し下げる要素を無くするか、あるいはそれを押し上げるためのものだ。それもこれも内閣支持率を維持することで衆参同時選挙の可能性をぎりぎりまで探っていきたい、ということだろう。

 衆参同日選挙の目的は、むろん衆参での3分の2議席の獲得だ。憲法改正の国会発議に必要だからだ。現状のまま7月の参院選になれば、3分の2議席を確保することは簡単ではない。だが同時選挙となれば、野党勢力を分断しながら、あわよくば衆参とも3分の2議席を確保できるかもしれない。安倍首相はそれを夢想しているわけだ。7月の同時選挙を機会を逃せば、次の解散総選挙は、早くて今年秋、それができなければ18年の自民党総裁任期の終盤になり、「在任中の改憲」は遠のいてしまう。政権を取り巻く環境は今後どう転ぶか分からないし、チャンスとみれば7月に同時選挙に持ち込みたい、と考えても不思議ではない。

 不倫騒動で議員辞職した宮崎議員の問題もそうだ。情けない失態を演じた宮崎議員を辞職させ、その辞職をうけた京都3区の補選が4月24日の北海道5区の補選と重なるが、その補選に自民党が立候補しないことになった。これも7月の参院選挙前の補選で敗北するなど、悪い流れをのタネを断ち切っておきたいとの思いからだろう。

 安倍首相は、同時選挙のチャンスを覗う中で、またしても消費税引き上げの延期というカードもちらつかせている。前回の解散総選挙での二匹目のドジョウを当て込んでいるわけだ。確かに世論で反対の声が強い消費税再引き上げを延期すると打ち上げれば、負担を強いられるはずだった有権者も一息付けて好感する、というわけだ。

 現に再延期を示唆するような発言や仕掛けもある。たとえば再延期の判断基準としてこれまで語ってきた「リーマン・ショックや東日本大震災の様な重大な事態」という言い方に変えて、「世界経済の大幅な収縮」と言い換えた場面もあった。また、世界経済を分析する有識者会議も設置し、そこで「世界経済の大幅な収縮」だと認定させて消費増税の再延期のカードにしようとする思惑も見て取れる。

 安倍首相とすれば、衆参3分の2の議席確保につながるかもしれない同時選挙の可能性をぎりぎりまで見据え、チャンスとみれば解散同時選挙に打って出るのだろう。衆参3分の2の議席を確保できれば、悲願だった憲法改正の発議にこぎ着けられるかもしれないからだ。こんどの7月の参院選がらみの政局は、これらの思惑を孕んだ展開となる。

◆ハードル

 とはいっても安倍首相の思惑がとんとん拍子で進むとは限らない。

 まずアベノミクスの賞味期限切れだ。

 アベノミクスは選挙戦略の一枚看板だったが、3本の矢やトリクルダウン論など、はじめから経済の因果関係を逆さまにねじ曲げたものに過ぎなかったが、ここに来てそれがまやかしだったことが実際の数字でも明らかになってしまったのだ。たとえば、実質賃金が4年連続で下がり続けていること、家計支出も2年連続で低下していること、貧困率が悪化するなど格差も拡大していること、物価も低迷していること、それにGDPも昨年10月~12月で1・4%(年率)マイナスと低迷を続けていることなどだ。日銀のゼロ金利政策に至っては、思惑と大違いの円高株安をもたらし、はじめから混乱を振りまいただけだった。安倍首相がいくらアベノミクス第2ステージだと大見得を切っても、足元の経済状況は、どれも低迷や悪化を隠しきれなくなっている。トリクルダウン論の帰結は、この3年間で企業の利益は5・1兆円増えた半面、人件費は0・8兆円も減ってしまったことに象徴されているように、完全なまやかしだったことがはっきりしているのだ。

 政治の土俵でも同時選挙で大勝するような切り札があるわけではない。5月には先進国首脳会議(サミット)が日本で開催されるが、そこで議長国としてリーダーシップを発揮できるような材料もない。いま世界で最大の関心事になっている中東からの難民問題でも、難民受け入れを閉ざし続ける安倍政権は、西欧の指導者を納得させられるだけの貢献策を提示できそうもない。

 それに改憲にあたって当てにしていた大阪維新の会の橋下徹は、家庭の事情もあってタレント弁護士に復帰し、同時選挙になっても立候補しないと見られている。仮に改憲を争点として同時選挙に打って出ても、それが大きなうねりに持ち込めるカードにも事欠いているわけだ。

 そこで同時選挙の唯一の目玉として練られているのが、17年4月に先送りした消費税の10%への引き上げの再延期だ。安倍自民党が経済状況などを理由にして再延期を決断し、それを民意に問うという名目で同時選挙に打って出ればどうなるか。前回の解散総選挙での自民党勝利の再現という二匹目のドジョウとなるのだろうか。

 確かに毎日の生活に疲弊している有権者からすれば、再延期は消費増税に賛成・反対するにかかわらず一息付けることになる。ただし政権によるそんな甘い見通しを吹き飛ばすかの様に、政治への絶望や怒りが拡がっている。

◆生活からの怒りを!

 この2月に1本のブログが発信され、政界も含めて広く波紋や共感が拡がっている。今では広く拡散した「保育園落ちた日本死ね!」というブログだ。そこでは「一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」とつづき、「(議員が)不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ」と怒りがぶちまけられていた。

 私生活型主権者意識というべきか、積極的平和主義だとか一億総活躍社会だとか、大風呂敷を拡げる前に目先の生活をどうしてくれるんだ、という切羽詰まった怒りの発露、という思いが強く伝わるものだった。ちょっと前だったら、自民党などから「利己主義だ」と批判が集中したかもしれない。例の「戦争行きたくない」のケースのようにだ。だが日常の生活に根ざしたこうした不満や怒りが充満しているのが現実なのだ。

 「戦争行きたくない」にしても「日本死ね」にしても、むしろ私生活から発する怒りや抗議の声がこれまで少なすぎたというべきだろう。今回も共感が拡がっているが、こうした不満や怒りが政治にも向けられ、次の場面での行動への入り口になるのだ。

 こんどの参院選に向けては、脱原発や戦争法反対で街頭に進出した若者たちも声をあげ始めて行動にも踏み込んでいる。そうした人たちとも連携して安倍首相の二匹目のドジョウの思惑は打ち砕いていく以外にない。(廣)号案内へ戻る


 日本経済の老衰化進む 協同経済のアソシエーションに置き換えよう!

■アベノミクス・ジ・エンド

 超低金利&マイナス金利の劇薬効果、ジワリ。というのが日本経済への今の印象である。プラスどころか負の影響のみが目立つ。

 ようは、金利操作(上げたり下げたり)によって、資本の投資が盛んになるとか景気が上向くということは原理的にあり得ないのである。

 つまり、黒田日銀がこの三年間実施してきたQQE=金融大緩和にしても超低金利政策やマイナス金利を導入しても効果はない。この基本的な正しさは完全に証明されてきた。それでは日銀のやったことの現実的帰結は何か?

 それはせいぜいのこと"バブル"の創出である。投機的行動は、一定の範囲では実体経済からかけ離れて運動することは知られている。そして、現代日本において小型のバブルが出現したのである。

 かくしてアベノミクスは「ジエンド」だと、ブルームバーグはエコノミストからの聞き取りで結論を出した。しかし、今頃きづいたのか、と言いたくなる程度の話だ。

 安倍首相がアベノミクスの成果だといっているのは、この小バブルに群がっている一部の国際的資産家たちの儲け話だ。しかし、日本を食い尽くしたと踏んだのか外国勢は逃げ始めた。「TOPIXは今年に入って12%下落、日本の株式売買の7割を占める海外投資家は8週間連続でネットで売り越した。2013年に海外投資家が15兆円を日本の株式市場につぎ込んだのとは対照的だ。」という状況の変貌ぶりだ。?【色あせるアベノミクスへの期待】

 ここまでは過去の話ということです。

 今や【ブルームバーグ】のように、国債が利子を産まなくなってきた。そればかりか「マイナス金利」がまたたくまに広がったが、これはすでに金融大緩和で下地ができていたのだ。そして国債がマイナス金利に転落すれば、他の債券・利子類も同じ方向に進むということだ。

 年末時点でのマイナス金利国債は全体の三十六%、現在はその倍となっており、国債の過半数がマイナス金利となっている。ゆえに、次々と個人向け国債販売は中止となっている。たしかに買う人はいないだろう。

 この顛末はどうなるのだろうか。そのまえに今年と来年のОECD経済予測(二月十八日公表)を見てみよう。

 おおむね予測値が低下している。それにしても日本の経済実績も予測も、先進国のなかでどん尻だ。安倍首相らが常々非難攻撃してきた「失われた二十年」「デフレ時代」といえども0・9%の成長率があった。08年、09年のリーマンショックなどの世界恐慌も平均値に含まれている。それでもアベノミクス時代よりはまだましというものだ!

■「緩やかな回復過程」ではなく「緩やかな死への旅路」

 この世界の病人と化した日本経済の原因は、日本国内の生産的経済が危機的状態であることを意味している。生産的産業の国外逃避が拡大する一方で国内では経済の金融化とサービス化=不生産的経済へと変化が続いていることを示している。先進諸国はたいていこのような過程の中にいるが、日本が突出しているということである。

 人口減少、生産性の低下、イノベーション・成長産業の不在とかいろいろ言われているが、それらは大なり小なり的外れと言わざるを得ないのだ。

 アベノミクスと黒田バズーカは、日本をさらに恐ろしく腐朽化せしめた。マイナス金利は単に「金利政策」というばかりではなく、上記したように3年間の大緩和政策の総結果というべきなのだ。これらを踏まえて今後の展望を思考してみよう。

 ①ますますキャピタルゲイン目当ての高速回転マネーゲームへと、市場の様相が「進化」するだろう。もはや金利では"利殖"が実現できない。じっと保持するのはナンセンス、売買益しか利益にならないからだ。

 ②借金王国=日本政府が一番利益を得る。借金すればするほど儲かる、というのであれば企業なども借金するかと思えばそうではない。有効な投資先がなければ借金しても依然として無意味だ。この状態は少しも変わらない。せいぜい高速回転マネーゲームに参加するという程度だろう。それに対してすでに巨額の政府債務を持ち、借り換え国債を頻繁に発行している政府には最も都合のよいことだ。ただ、手放しで喜ぶことはできない。いずれにしても景気が低迷し続ければ税収が落ち込む。それに日銀がマイナス金利国債を買い続ければ、「国債を高く買う」のだから日銀の財務内容は一気に悪化するし、発行国債の大半を買い続けることは早晩、限界が来るものとみられる。

 ③個々人の預金が無意味になる。しかも金融機関が「利ザヤの縮小」から圧迫を感じるとすれば、個人貯蓄が現金として「タンス貯金」に向かう。これはすでに発生している。金庫が売れているらしい。信用機関が今現在の「マイナス金利」で倒産することはない、と言われているし事実そうだろうが、中国経済の下降は止まらず、チャイナ関連倒産は拡大している。不良債権が拡大すれば、信用危機の引き金になる可能性もある。

 ④泥沼にはまって進退窮まったというところだが、こうなると安倍政権はさらに無謀な行動に出る可能性がある。ちらほら出ているのが「キャッシュレス経済」だ。とはいえ、G20で、国際信用制度を動揺させる可能性がある、として日本の勝手な行動が規制された(マイナス金利導入を指してのことだ)。結局政府内で検討されているのは10兆円程度の財政テコ入れ策のようだ。

 「日本病」「世界の病人」などという言い方は実は適当ではないと私は思う。特効薬で治癒するというものではない。またよく言われるような「アベノミクスの失敗」といったレベルの問題ではない。むしろ老衰経済というものである。資本主義の死にいたる「緩やかな」衰弱過程に、最も早く踏み込んでいるというのがいっそう真実に近いのだ。資本主義経済を打破しよう!協同経済からなるアソシエーションに置き換えよう。(竜)


 「自民党女ヤジ将軍」の丸川珠代大臣、「謝罪し撤回した発言」を堂々の再開陳へ!

 既に丸川珠代大臣については、ワーカーズと直のブログで2回も話題に取り上げている。

 直のブログでは、その纏めとして「丸川珠代大臣の持つ辞書に『反省』の2文字はないことを知れ!」の表題で2016-02-11に取り上げている。此方も今回是非とも再読をお願いしたい。

 2月7日の講演で「1ミリシーベルトには、何の根拠もない」と発言した事で追い詰められた丸川珠代大臣は、発言した事は記憶しておらず、言葉が足りなかったと言い繕っていたのだが、結局の所、2月12日にはこの発言を撤回して謝罪する羽目になった。

 その時に私は、3ヶ月前の12月に環境大臣・原子力防災担当大臣に就任した丸川大臣が「風評被害の払拭は福島復興に欠かせない」と発言していた事を忘れてはならない、と釘をさしておいた。そもそも大臣には、まるで反省した色が見えなかったからである。

 要するに丸川大臣の当時の発言も、2月に謝罪して撤回した発言も皆が恐れているほど放射能は恐れるに足りないとの彼女の独りよがりの「独断」が吐露されただけなのだ。その意味において、懲りずに同じ事を繰り返す、まったく反省していない丸川大臣ではある。この流れから見れば、2月に謝罪した事自体が言葉だけのものと疑われても致し方がないものなのである。そして私のこの疑問は、的中したのだ。

 3月2日、丸川大臣が2月に「謝罪し撤回した発言」を堂々と再開陳した事件は起きた。まさに「丸川珠代大臣の持つ辞書に『反省』の2文字はないことを知れ!」である。

 この日の参議院予算委員会において丸川大臣は、1度は撤回した「反放射能派」という言葉の意味について、「1ミリシーベルトが安全という考えを持っている、あるいはリスクがまったくゼロでなければ受け入れない方たち」だと誹謗中傷した。

 思い起こせば、2月7日の講演の中で丸川大臣は福島第一原発事故で被災者の多くが古里に帰れないでいるのは、「反放射能派というと変だが、そういう人たちがワーワーと騒いだ」事で長期除染料の目標が1ミリシーベルト以下に定められたのだ、これには何の根拠がないとの聞くに堪えない暴言を吐いた。しかし勿論、この数値には多大な根拠がある。

 ここで東京電力(株)のホームページから、福島第一原子力発電所事故に関する「事故と放射線に関する基礎知識」から線量限度(年間1ミリシーベルト)に関する記事を検索してみよう。                                       **

 国際放射線防護委員会(ICRP)は、「余分な被ばくはできるだけ少なくするべき」という考え方のもと、放射線防護について議論し、勧告を行っています。日本でもその勧告の多くを法律に取り入れ、一般の人が平常時に受ける放射線については、自然界からの被ばくや医療での被ばくを除いて年間1ミリシーベルトを線量限度としています。

 この年間1ミリシーベルトは、原子力発電所を含む放射線源を導入・運用するものに厳格な管理を求める趣旨から日本で採用された放射線防護のための目安であり、安全と危険の境界を示すものではありません。

 ICRPでは、原子力発電所の事故のような緊急時には線量限度を設けず、目安として年間または一度に20~100ミリシーベルトの範囲を示しています。その後、緊急事態が収束しても通常より高い放射線量が継続する場合は、状況に応じて年間1~20ミリシーベルトとしています。避難や除染によって被ばくを低減する際には、社会的・経済的要因を考慮して、放射線防護を行うよう勧告をしているわけです。                        **

 ここで明確に確認出来たように、この数値は国際放射線防護委員会(ICRP)が公開している数値なのである。この点において「何の根拠もない」との丸川大臣の発言はどうにも隠しようもなく、結局は自らの発言の不明を恥じて撤回する他はない展開となる。

 かくして2月12日、丸川珠代環境相は記者会見して、東京電力福島第一原発事故後に国が除染の長期目標を年間被ばく線量1ミリシーベルト以下に定めた事に「何の根拠もない」とした自らの発言を撤回したのだ。そして被災者に謝罪する一方、自らの引責辞任は否定した。当然の事ながら東日本大震災から5年の節目を控える中での不用意な発言は、国会で野党に追及され撤回を余儀なくされたのである。これが真実である。

 丸川大臣はその謝罪と撤回の記者会見で自らの発言について、「事実と異なるものであり、福島に関連する発言をすべて撤回させていただきたい」と表明して、「被災者の皆さまに対し誠に申し訳なく、改めて心からお詫び申し上げる」と述べたのであった。しかし自らの進退については、「しっかり福島の皆様の思いに応える事が大切だ。引き続き職責を果たしたい」と説明した。こうした展開から、丸川大臣の「反省」の真実を問いたい。

 ここに至る過程において、丸川大臣は自身の講演に関する報道関係者の取材メモを入手し、講演の出席者からも聞き取り調査をして、発言内容を確認したと明らかにした。当初は国会で「記録を取っていないし、そういう言い回しをした記憶はない」と釈明していた。

 つまり長野県松本市で開かれた自民党の若林健太参院議員の集会で講演した際に、丸川大臣は、「『反放射能派』というと変だが、どれだけ下げても心配だという人は世の中にいる。そういう人たちがワーワー騒いだ中で何の科学的根拠もなく、時の環境相が1ミリシーベルトまで下げると急にいった」などと発言していた事を惚けていたのだある。

 そして今又3月2日の発言である。このように丸川大臣は同じ発言を繰り返して全く恥てもいないのだ。つまり丸川大臣は、自らの発言に全く責任を感じない人なのである。

 まさに「自民党女ヤジ将軍」の名にふさわしい人格の持ち主ではある。その意味では、何の学習もせず自らの行動規範も何もない、まったくもって呆れ果てた人物ではある。本人は東大卒業の女子アナを一枚看板にしたいのであろうが、やる事なす事、ただただ常人からすれば鬼面人を驚かすの類でしかない。

 その意味において、まさに規格外れの安倍内閣にぴったりとあった大臣として認定するしかないご仁ではある。ぜひとも安倍総理と共に退陣すべき人なのである。(直木)号案内へ戻る


 東京地検特捜部における「国策捜査」と「国策不捜査」の間には何があるのか

 3月7日、東京地検特捜部は平成26年2月の東京都知事選に出馬した元航空幕僚長の田母神俊雄氏の政治資金の一部が使途不明となっている問題で、業務上横領の容疑により田母神氏の資金管理団体の事務所などを家宅捜索して、田母神氏や当時の会計責任者らから事情を聴くなど、その使途不明金の解明を進めている。

 田母神氏は26年3月の都知事選と26年12月衆院選に立候補した。落選こそしたがこれらの選挙で寄付などで集まった1億数千万円の内、選挙対策本部事務局長が約3000万円を遊興費などに流用したとして、業務上横領罪の告訴状を警視庁に送付していた。

 使途不明金が計上されているのは、資金管理団体「田母神としおの会」=約5050万円、田母神氏が代表を務める「次世代の党衆議院東京都第十二支部」=約490万円、田母神氏の選挙対策本部事務局長が代表の「太陽の党参議院全国比例第1支部」=約8万円。26年当時、同じ人物が会計責任者だった。

 田母神氏の代理人弁護士は「3団体の通帳は会計責任者が管理しており、会計責任者が現金を引き出して横領したとみている」と説明していた。

 他方、知事選の選挙対策本部長を務めたテレビ番組制作・衛星放送会社「日本文化チャンネル桜」の水島総社長は、産経の取材対して「選挙に関わったスタッフが勇気をもって内部告発した。不正は許してはいけない。東京地検特捜部には使途不明金の全容を解明してほしい」と話した。

 水島社長らは会計責任者の他、田母神氏を含めて計3人に横領の疑いがあるとして東京地検に刑事告発した。それによると会計責任者は「田母神氏らから依頼され、政治団体の口座から毎週数十万円を引き出した。田母神氏らに渡し、一部は自分でも使った」「田母神氏のために高級スーツなどを買った事もある」などと証言したといい、特捜部の調べにも同様の供述をしたとみられる。

 3月8日、田母神氏は朝日の取材に対し、「私的に流用した事はありません。冤罪みたいなもの。戦わなきゃいけない」と容疑を否定。今夏の参院選に立候補する意向があった事を明かして、「いい国にしたいという思いはあるが、こうなってしまうと難しい。身の潔白がいつかわかる」と述べた。この発言は、彼を担ぎ上げて美化し続けてきたとはいえ、水島社長も又吃驚の仰天発言である。この男は事ここに至ってもまだ国士気取りなのだ。

 近年とみに悪名の高い東京地検特捜部は、1947年東京地検に「隠匿退蔵物資事件捜査部」として設置された。この前身からも知られるように、米国のための捜査機関だった。そしてこの東京地検特捜部の最大の特徴は、政治的な動きをする事にある。彼らは米国にとり不都合な政治家を失脚させる道具に政治資金規正法を極めて恣意的に使うのである。

 典型的な例として今こそ思い出す必要があるのは、小沢事件である。特捜部は小沢氏を政治資金規正法上の虚偽記載したと決めつけて、小沢氏の秘書を即逮捕し、また元秘書だった石川議員を議員辞職にまで追い込んだが、結局の所、小沢氏に罪は問えなかった。

 更に思い出す必要があるのは、元検察官の郷原氏が「絵に描いたような斡旋収賄事件」と形容した甘利事件がある。この事件が発覚して数ヶ月が経過したが、いまだ捜査がされていないかのようだ。少なくとも私たちの耳には、何も入ってはこない。

 大臣室で賄賂を受領するし、政治資金を貰ったと主張しているが政治資金収支報告書には未記載であった等々。さらにこの事件の場合、恐喝紛いの示談「交渉」をしていた秘書は逮捕すらされていない。甘利前大臣も国会を休み続けている。小沢事件の顛末とのかくも明確な違いは、なぜなのであろうか。この事は誰でも知りたくなるというものである。

 東京地検特捜部は、その捜査方法の違いについて明確な説明責任を果たす義務がある。今回の田母神氏に対しての東京地検の動きには、甘利事件の「国策不捜査」のためのアリバイ作りとしての「国策捜査」であるとのネット界の評価がある。まさに図星だろう。

 今回問題の田母神氏は、2008年まで航空自衛隊幕僚長だった。彼は、Aグループ代表元谷外志雄が私的に主催する「懸賞論文」審査会へ「日本は侵略国家であったのか」を投稿した。そして最優秀論文として当選したが、後でそれが出来レースだったとばれた。かくして彼は、その自衛隊での地位を失う事になった。

 この事一つ取って見ても、彼の人格のいかがわしさが分かるというものである。また彼の主張―1946年12月8日の「真珠湾攻撃」は「ルーズベルトの仕掛けた罠」に嵌められて日本が決行したものだ―は、アメリカの恥部を公然と晒したものであり、許せざる反米的思想である。米国軍隊から見れば、現地軍(世界標準の用語で言えば土民軍)の自衛隊の最高幹部がこのような思想を持つ事をアメリカは決して許さないのである。

 既に日米開戦時には、米国は日本の外務省極秘電報や軍事機密電報の暗号を解読しており、日本からの最後通牒も第一撃となったハワイ攻撃計画もルーズベルトは知っていた。しかしこの重大な情報を、彼はハワイ現地のキンメル提督には教えていなかった。職務怠慢の故に彼は解任された。彼と彼の遺族は長い間、アメリカ政府と裁判闘争を続けていたが、和解してキンメル提督は名誉回復したのである。これが歴史の真実である。

 当時の日本政府と大本営の暗号が解読される事はあり得ないとの立場は、まさに夜郎自大そのものであった。ドイツから暗号が破られているとの指摘も無視して敗戦までその事実を認めていなかったのには、驚く他はない。

 こうした田母神氏の反米の立場は、水島社長や右翼に最大限持ち上げられた。そのために選挙に担ぎ出されたのだが、その資質のために今の落剥し哀れな境遇があるのである。

 それにしても水島社長は、東京地検特捜部の本質を知っていたのであろうか。なぜ警視庁ではなく、東京地検特捜部に刑事告発したのか。私たちにはまったく不明だ。

 今私たちがここで確認出来るのは、東京地検特捜部における「国策捜査」と「国策不捜査」の間にあるものは「法の下での平等」ではなく、捜査される者の「政治的な立場」だという事である。それも従米ではなく、反米こそが決定的な問題なのである。(直木)号案内へ戻る


 「エイジの沖縄通信」(NO.25)・・・「辺野古工事の中止問題」

①問題の「先送り」にすぎない!

 3月4日、まさに突然と「代執行訴訟」で福岡高裁那覇支部で和解が成立し、本土マスコミは「国が柔軟な姿勢に転じた」と大々的に報道をした。普段、本土マスコミは沖縄問題をまったく無視して報道しないが、今回はNHKさえ熱心に報道した。なぜか?

 この和解の骨子を確認すると①県と国は埋立承認取り消しをめぐってそれぞれが起こした訴訟を取り下げる。②沖縄防衛局は取り消しに対する審査請求・執行停止を取り下げ、工事を直ちに中止する。③国は承認取り消しについて是正を指示。県は不服があれば指示取り消し訴訟を起こす。双方とも判決には従う。④判決確定まで普天間飛行場返還と埋立について円満解決に向け協議する。という内容である。

 まず確認すべきは、ここで工事が中止になったのはこれまでの闘いの成果であること。

 安倍政権は沖縄の民意をまったく無視して、これまで大成建設を中心とするゼネコンに「莫大な税金」を投入し、機動隊・海保などの「国家権力」を総動員して、強引に辺野古工事を進めた。

 しかし、一昨年の夏に始まった辺野古ゲート前での工事阻止の座り込み行動が600日を超え、当初の少ない人数から現在は「オール沖縄会議」の指揮の下に毎週水・木を集中行動日と定め300名以上の県民が早朝6時から参加するようになった。この事が勝利の最大の要因であると言える。このような「オール沖縄」の取り組みが、本土の人たちにもどんどん拡がり、全国津々浦々から個人・各種団体が次々にゲート前に駆けつけ座り込み行動に参加するようになった。また、この勝利でこれまでの闘いの戦線を新たに組み直す余裕が出来たと言える。

 安倍政権はなぜ急に和解に応じたのか?安倍政権はこれまで裁判所の「暫定的和解案」(工事中止と両者協議)をまったく否定していたのに。

 多くの報道が指摘するように、「代執行訴訟」の敗北の判決を避けたいと判断したようだ。この裁判では、国側の代理人(弁護士)の発言の趣旨がはっきりせず、裁判長から注意を受けるなど、県側の翁長知事や稲嶺名護市長の証言に圧倒されていた。

 安倍政権はこの訴訟で敗北すれば、6月の沖縄県議選、7月の参院選挙に多大なマイナスとなる。ここは少し時間を稼ぎ、その間に作戦を立て直して7月の参院選挙(衆参同時選挙になるかも)で大勝利を収めようとの魂胆である。

沖縄県民もこの和解内容が報道されすぐに心配したのが③の問題である。

 案の定、その心配はすぐ表れた。7日、石井啓一国土交通相が翁長雄志知事に対して、辺野古埋め立て承認取り消し処分を是正するよう指示した。まだ一度も協議していないのに、もう結論ありきの対応である。まさに「舌の根も乾かぬうちの」手続きで、沖縄は猛反発している。

 沖縄の琉球新報も「国は柔軟な姿勢に転じたかに見える。だがそれは見せ掛けにすぎない。敗訴間近に追い詰められた国が、やむなく代執行訴訟から退却したのである。県と国の対立は仕切り直しとなった。だが新基地建設という国の頑迷な姿勢はいささかも揺らいでいない」と指摘している。

 事実、安倍首相は和解に関して記者団に「辺野古が唯一の選択肢であるという国の考えは変わらない」と強調しており、根本的には問題が「先送り」されただけである。

②現地辺野古の新たな動き!

辺野古新基地建設事業では埋立工事だけではなく、現在飛行場部分に建っている米軍兵舎、施設等の建替え工事等が必要となっている。計画では約60棟の米軍兵舎の建替工事が必要となり、防衛局は数年前からそのための工事を進めている。

 最近、早朝のゲート前では工事の生コンダンプがづらりと並ぶ光景が見られる。座り込み抗議者が機動隊によって強制排除されたあと、これらの生コンダンプが次々に基地内に入っていく。

 沖縄防衛局は、今後本格的な埋立工事を開始すれば大量の生コンが必要となることを承知している。そこで、当初の計画を変更しゲート前で阻止される生コンダンプ輸送より、シュワブ基地内に生コンプラントを建設する準備を着々と進めている。高さが21.6mもある巨大なプラントである。

 建設工事に必要な県への手続き(赤土等流出防止条例、水質汚濁防止法に基づく届出)が終わっており。防衛局の書類では、3月7日「工事着手」で、5月15日「完成予定」となっているので、すぐにも工事が始まる可能性がある。

 辺野古ゲート前では、山城博治さんが「和解と言いながら、7日に国交相が知事に是正指示を出した。政府は和解する気など最初から無い。埋立工事は中断すると言っているが、キャンプシュワブ内の作業は継続する可能性が高い。警戒を解くわけにはいかない!」と、現場闘争の緩みに警告を発している。

 また、Kさんも「確かに埋立工事とボーリング調査は中断すると政府は明言したが、シュワブ内の陸の工事がある。ゲート前行動を緩めてはいけない。監視行動を強めよう!」と、三つのシュワブ内の動きに注意を促した。

(1)米軍兵舎の建て替え工事。防衛相は新基地建設と関係ないと言っているが、とんでもない。26件もの契約工事が継続される。
(2)生コンプラント建設工事。3月7日から2ヶ月かけて建設される計画だ。6万個ものコンクリートブロックを製造する。
(3)工事用仮設道路着工に向けた準備作業。

③さらに広がる反基地闘争!
 沖縄では、辺野古ゲート前の闘いと共にオスプレイ配備に反対して始まった普天間基地の野嵩ゲート前・大山ゲート前での早朝抗議行動は今も毎日続いている。また、「嘉手納爆音」を中心にした嘉手納基地ゲート前で抗議行動も取り組まれている。さらに、読谷トリーステーション前でも抗議行動の検討へと闘いの輪が広がっている。

 今、このような沖縄の闘いに恐怖し敏感に反応しているのが米軍であり、米議会などにおける最近の動きはそのことを反映している。そして、沖縄・辺野古の闘いは全世界に伝えられ、注目され、特に米国側から安倍政権にいろいろとプレッシャーがかかる状況となっている。(富田 英司)号案内へ戻る


 公務員が休暇とり、辺野古支援して何が悪いか!

 「辺野古集会参加の国道事務所職員を厳重注意」したとの報道(三月十日)があった。このことが国会で取り上げられたという。
 ふざけるなと言いたい。この「男性」は休暇で沖縄へ行ったのだ。公務員も仕事をはなれれば一市民ではないのか。選挙活動しようが、辺野古で反基地闘争に参加しようが自由である! そうではないというのだろうか。

 これは重大なことであり、休暇中にでもこのような反政府・反与党的行動が規制されるとすれば、重大な憲法違反であり、安倍らが言うところのーーそもそも浅薄なものだがーー自由や民主主義の価値観を真っ向否定するだろう。

 イギリスやフランスでは、警察や消防署も待遇改善のストライキをすることもたびたびあるし、政治的行動も伴うが、そんなことの適否が国会で問題にされるということはない。いわんや休暇中に少なくとも合法的に集会や抗議行動をするのは、誰にも譲れない権利だ。

 報道では9日の予算委で「日本のこころを大切にする党」の和田政宗氏は「国家公務員法、人事院規則に違反している」と主張し、処分の有無を確認したらしい。

 「国家公務員法」を振り回したこの和田議員が「日本のこころ」を大切にしているなど信じがたいことだ。沖縄はこれまで幾多の戦争の最前線に歴史的に置かれてきた。基地問題でいまだに苦悩する沖縄住民に共感し、行動を共にすることこそが「日本のこころ」「人のこころ」というものではないのか。それを処分せよとは愚かの極みだ!

 内閣府の河内隆官房長は政治行為には当たらず、年休を取得して参加していることから法や規則には抵触しないとの考えを示した。しかし、問題なのはそのうえで「国民の信頼を失う恐れのある軽率な行為だった」と述べ、9月2日に上司が厳重注意したと説明したと。こんなことが国会でやり取りされた。

 「法や規則として問題ない」と言うのなら厳重注意自体が不当である。さらに「国民の信頼を失う恐れのある軽率な行為だった」と決めつけたがこれこそ根拠のない不当な言いがかりであり撤回すべきである。 公務員の辺野古参加者を威嚇するのが目的のこの国会でのやり取りなのだ。屈してはならない。(亮)


 「文字」は かつて支配階級の独占物であった

「福岡県糸島市教委は3月1日、同市の三雲・井原遺跡で、弥生時代後期(1~2世紀)とみられる硯(すずり)の破片が出土した、と発表した。今回の発見は日本における文字文化の始まりを考える上で貴重な成果といえる。・・中略

西谷正・九州大名誉教授の話 硯は文字を書く道具であり、弥生時代に文字を書くことが始まっていたことを裏付ける。楽浪郡との外交を担った伊都国ならではの発見。文字を使ったのは楽浪郡の人で、在地の人にはまだ定着しなかったのではないか。(毎日新聞報道)

 歴史的な発見だ。文字の歴史はどう考えても富の「管理」「支配」そして「外交」という歴史の発展段階と照応している。つまり"国家"の胚胎から成立の時代に登場する。

 メソポタミアの楔型文字やエジプトのヒエログリフ。また、エーゲ文明のミノアの線文字A、ミケーネの線文字B・・。これらは物流が中央集中化した(しつつあった)社会変動と強く結びついている。解読された線文字Bが、物流・備蓄の記録であったことなどがそれを示している。

一方、インカ帝国は広範囲な領域に中央集中的な物流体制を構築できたが、「文字」の不存在が特色だ。しかし、文字に代わる独特な「記録する道具」キープ(写真)がある。これは十進法で在庫や物の出入りなど記録するがそればかりではないらしい。

「キープは単なる記号以上の複雑な体系を持ち、言語情報を含んでいることが近年の研究によって明らかにされている。王や役人は人民の統治に必要な情報などをキープに記録し、その作製および解読を行うキープカマヨック(キープ保持者)と呼ばれた役人がいた。キープカマヨックはインカ帝国統治下の各地におり、人口、農産物、家畜、武器など資源についての統計や、裁判の判例なども記録した。」(ウィキペディア)

このように文字は、経済支配や富の管理に不可欠の道具である。つまり社会階層が明瞭となり、階級支配(王権の成立)の移行のなかで、支配的階級・グループの独占物として成立してきたといえるのだ。

ここまで挙げてきた初期文明時代では鮮明ではないが、そののち官僚制度の成長とともに「戸籍簿」やそれに基づく「徴税制度」確立へと向かう大きなテコになったのが「文字」でありそれを独占的に操る官僚たちである。

中国の象形文字は「占い」のようなところから形成されたという。端緒はこのような「シンボル」以上のものではなかったが、それを経済管理の道具として体系化し、その後漢民族からモンゴル系民族へと支配民族の変動があっても、中国が何千にもわたって広大な領域を統治することを可能にしたのも、官僚制度の成立=「文字」が大きな役割を果たしたと思われる。

私の大好きな韓国歴史ドラマで、李氏朝鮮四代の「世宗大王」(十五世紀中ごろ)というのがある。(「根の深い木」というドラマも世宗大王の物語だ。)このドラマの中心が官僚制度=特権階層の文字の独占を打ち破る経過が描かれている。特別な訓練が無ければ習得が難しい「漢字」ではなく、庶民の言葉をそのまま表現する簡略な音節文字「ハングル文字=訓民正音」の創作過程なのだ。

見どころは、官僚集団の必死の抵抗である、死を賭して妨害をしようとする。世宗はやむなく側近を集めて秘密のプロジェクトチームを立ち上げ秘密裏に文字を作りあげる。そして、策を用いてひそかに庶民に広げさせる、というストーリーだ。

開明的な王様というところだが、実際はあまりに強まった官僚の権力をそぎ落とす、という王権側の思惑もあるだろう。このように「文字」の独占は当時は情報の独占であり、国家=支配権力そのものであった。庶民が文字を読めるようになり、自分たち自身の文化をつくり、考え記録し伝え合い自立化することは官僚たちの最大の脅威であったのだ。いつの世も「武器」と「情報」の独占こそ国家の土台なのだ。

現在では、識字率は上昇し世界的に見て日本ではとりわけ高い。これは江戸時代も含めてのことらしい。国家が国民の読み書きを逆利用して統制し訓戒し「律法」に従わせる道具として利用し始めたからだ。文字は読めても情報を操作することで国家の支配権を維持しようとしている。「武器」の強大化と「情報」の独占を目指している安倍体制は、そもそも国家というものが民衆にとって「何か」をよくよく示している。国家は国民のためにあるべしとは、はかない理想論か幻想だ。税金をしこたま集めても"見せ玉"として国民のために使うのは一部だ。この施し物の量が少ないと文句を言うのが悪いとは言わないが、国家の廃止を真剣に展望するべきだ。(上)号案内へ戻る


 あれから5年 東日本大震災におもう

あの東日本大震災から5年。今日は、3月11日 写真は、仙台空港内です。空港にきました。いま、私が座っている到着ロビーは、5年前の津波がおそってきて、水の中です。当時空港にいた人たちは、津波で孤立し、お土産品を食料として、過ごしたそうです。

私は、宿直勤務の明けで、子どもとスパゲティを作り、昼食を食べてから、修理していた車を取りに行く予定でした。子どもと一緒に行動をしていて、コンビニで甘いものを購入して、車の中で食べている間に緊急地震速報が、なりました。車が遊園地のコーヒーカップのようにいっぱい揺れ、怖いから外に行こうとしたけれど、立っていられる状況ではなく、そのうち、パリんと音を上げて、コンビニの電気が消えました。地震が落ちついたら、駐車場にいた人たちと無事を確認しあい、泣いている小さい子どもをなぐさめました。今までひとことも話したことないもの同志、助け合うという気持ち、救われました。

コンビニの店長が、すぐに水とか販売してくれて、助かりました。危ないからと、店内から商品を運んでくれて、レジが動かない中、電卓で計算してくれて。

そのあと、原発が爆発したから、外に出ない方がいいとメールが回ってきて、スキーウェアとサングラスで次の日から仕事に行きました。ラジオの情報は、大丈夫としか言わなくて、目に見えない放射能の恐怖にさらされました。

友達から支援物資をもらい、職場のみんなで分け合いました。

内陸にいて、たまたま運良く助かり生きています。亡くなった方のご冥福をお祈りし、助かった命を大切に、精一杯生きていきたいなと想います。(弥)


 「色鉛筆」・・・沖縄暮らし

 思いがけない昨年暮れから今春までの沖縄暮らしで感じたこと。

 ベランダで洗濯物が揺れ、室内には赤ん坊の声、そこへ上空を米軍ヘリが飛ぶ。また公園で幼児と遊んでいると、複数の戦闘機が思わず耳を塞ぐ程の爆音で飛び回る。「辺野古が唯一の解決策」と繰り返す政府を「日本の国の政治の堕落だ」と翁長県知事は批判したが、こうした「沖縄の日常」を何十年も放置し続けていることもまた政治の堕落だと思う。

沖縄滞在中、基地関連のニュースに何度も驚かされた。それほど本土との報道の差が大きい。いわく「外来機常態化で嘉手納基地の爆音がさらに増加」「嘉手納基地内から残留性有機汚染物質が流出しても、立ち入り検査の権限は無く、米軍からの一方的な安全である旨の通知で済まされようという事態」「米軍演習場周辺の砲爆音に対する住宅防音補助制度(1997~)は、沖縄では補助無し、県外では100%」その他、実弾演習によって繰り返される山火事などなど、「基地負担軽減」とはほど遠い現状にある。

仲井真前知事の時には、密室でお金(予算)と空約束(普天間の五年以内の運用停止)で丸め込み、埋め立て承認をさせることができた。だが今は違う。県民の意志は、新基地建設反対とはっきりと示されている。過去の長く苦しい闘いが受け継がれ、未来を見据えた屈しない闘いへと変化している。本土の側も、辺野古阻止の国会包囲行動や埋め立て土砂搬出に反対する全国協議会の発足などの動きもでている。

「和解」のポーズを取って笑顔で握手をしながら、今も辺野古工事の強行を狙う安倍政権を注意深く見据えてゆきたい。今、本土にいる私の頭上に爆音は無い。その音は忘れまい。(澄)号案内へ戻る


 「子どもの貧困問題」に思う

 子どもの貧困対策が社会問題になっているが、2日の参院予算委員会では、「子供の未来応援基金」(子どもの貧困対策を担うNPO法人などへの助成を目的)への寄付額が1949万円にとどまっている事が明らかになった。

 質問した民主党の蓮ぼう氏は、「寄付を呼び掛ける広報活動などに2億円以上の予算を計上している。この2億円を基金に入れれば良かった。あやふやな、財源のない貧困対策だ」と批判した。

 まったくその通りである。単に子ども基金を呼び掛けるだけでなく、本気になって「子どもの貧困対策」に取り組むべきだ。

 辺野古新基地建設では、大成建設などに予備工事として何百億円という税金を使い、本当に完成させるためには1兆円以上の税金がかかると言われている。また、一機150億円以上もする役に立たない「米軍オスプレイ」を購入するなどの軍事予算の増大。

 一方、子どもの貧困対策や保育園支援などには知らん顔。未来の社会を支える子どもたちを、しっかり育てようとする姿勢がまったくない安倍政権である。。
 米軍基地で苦しむ沖縄では、地域の子どもたちに無料や格安で食事を提供する「子ども食堂」が、県内各地(8市町の児童館や民間施設など18カ所)で立ち上がっている。

 うるま市にオープンした食堂「スマイルカフェ」では、開店を告げる館内放送が流れると、遊んでいた小学生が次々と食堂に集結。「腹へった」「大盛りにして」「みんなで食べるとおいしいね」と言いながら、にぎやかに食卓を囲む。地域の中高生も訪れ、何杯もお代わりをするという。

 館長さんは「利用者の中には休みの日に1人で食事する子や気になる中高生も多い。子どもがほっとして本音を話せる居場所になるよう、長く活動を続けていきたい」と言う。

 一体国の予算・税金はなんのためにあるのか?子どもたちのためにも、私たちの社会を当たり前の社会にする必要がある。(E)


 コラムの窓・・・「商品としての食べもの」

 飽食の時代といわれて久しい。その飽食のとなりに飢餓があることも周知の事実です。何故そうなのか、これも分かりきったことです。食べもの(今や全てのもの)が商品である限り、生産者に利益をもたらすかぎりにおいて、消費に供されるのです。

 田畑で収穫・出荷されることなく放置される作物は、商品となりえなかった作物の哀れな末路です。豊作は喜ばしいはずなのに、しばしば値崩れの原因となる困った事態に転化するのです。まがったキュウリ、虫食いのある葉物野菜、不揃いな果物、これらは商品へと〝飛躍〟できない落第生です。

 食品が流通に入るともっと異常な扱いを受け、少なからぬ食品が商店の棚から撤去され廃棄物となります。不心得な廃棄物処理業者がこれを流通させ大騒ぎとなりましたが、それも充分食べられるものが廃棄物となっているからでもあるのです。異物混入とかは論外ですが、賞味期限切れでない廃棄物も多くあるのです。

 最近、フードバンクの方のお話を聞く機会がありましたが、そこで示された数字は驚くべきものでした。日本の食資源は約9000万トン、内訳は食用65%で廃棄物35%・3000万トンです(2010年度農林水産省調べ)。廃棄食品の行方としては、肥飼料化が53%、エネルギー化が1%、あとは焼却で何と1400万トンです。

 それでは、食品ロス(まだ食べられるのに廃棄される食品)はどれくらいあるのか、500万トンから800万トンとされています。その内訳は、食品流通関連企業での食品ロスが100万トン、外食産業での食品ロスが200~300万トン、家庭から廃棄される食品が200~400万トンです。

 何ともったいないと思いつつ、旅行に出かけてバイキング形式の食事はうれしい、と思いつつ残った食材はどうなるのだろうと思ったりしたことはありませんか。せっかく買ったのに、冷蔵庫で賞味期限切れまで放置して捨てたことはありませんか。反省です。そうした無駄とは違う、流通の構造的欠陥は苦笑で済ますことはできませません。

 それが、賞味期限についての3分の1ルールです。まず、納品期限として小売りに渡す期間が賞味期限の3分の1以内。販売期限として小売りの店頭に置くのが次の3分の1の期間。そうすると、まだ賞味期限3分の1残っていても廃棄、商品としての〝品質〟が保てないと判断するのです。フードバンクはこうした賞味期限切れ前に廃棄される食品をもらい受け、福祉施設や要支援生活者に提供しています。

 さて、この食品ロスの総量を、日本におけるコメの年間総生産量850万トン、国連機関が飢餓に苦しむ国に行う年間の穀物支援400万トンと比べてみてください。資本主義的商品生産の〝足枷〟が一方で食べものを捨てさせ、他方で餓死する人々を生み出しているのです。この足枷を何とか外せないものかと思い悩むところです。 (晴)

号案内へ戻る