ワーカーズ561号    2016/8/1     案内へ戻る

 改憲勢力三分の二の政治状況下、私たちはいかに闘うべきか

 確かに今回の参院選では議席数だけ見れば、自民党は二七年ぶりに参院での単独過半数を回復(追加入党を含む)し、改憲支持四政党の勢力は衆参で三分の二を超えた。だが安倍総理は浮かれていない。マスコミの前でこそ笑顔だったが、腹の中は違う。総理は参院選が終わると都知事選の増田候補を応援することもなく、ただちに早めの夏季休暇に入る。そして休養先では、参院選挙戦の憂さを晴らすかのようにゴルフに興じた。なぜか。

 安倍総理の不機嫌には理由がある。参院選の結果を分析すると、二0一二年に自らが政権復帰して以来、国政選挙で「常勝」を重ねてきた安倍自民党の勢いに陰りが出てきたばかりか、次の総選挙では自民党が敗北する前兆がはっきりと見えはじめたからである。

 安倍首相が今回応援に入った一一の重点選挙区の結果は一勝一0敗、勝率は一割を切る。総理が入る所は大接戦や苦戦する選挙区とはいえ、二0一二年の総選挙の時は八七%の勝率を誇り、二年前の総選挙でも自ら応援の選挙区では三八勝三八敗で勝率五割だった。つまり“俺が入れば負けない”と人一倍自信過剰の安倍には相当に応えたであろう。

 因みに安倍首相は今回、事前の情勢調査で負け想定の沖縄には応援に入らない。皮肉にも安倍側近の世耕官房副長官夫人で滋賀県の民進党林候補を落選させた勝利のみが、安倍応援演説の唯一の成果だった。又参院選全体を見ても事実上の与野党一騎打ちとなった一人区で、自民党は二一勝一一敗と予想外の苦戦を強いられ、中でも一勝五敗と負けが込んだのが、東北六県である。東北は公明党の基礎票も多くはなく、農業地帯で保守地盤が強く、過去自民党は独力で勝っていた地域だった。しかし第一次安倍政権当時の二00七年参院選で自民党は東北の一人区で全敗(当時宮城は二人区)し与野党逆転となり、二年後の総選挙で民主党への政権交代の呼び水となる。前回は失った議席を回復し、今回も重点選挙区としたが、又しても「東北の乱」が起きた。その他、米軍基地や電発が厳しく問われた選挙区では現職閣僚も2人落選するなど、安倍内閣の基盤には亀裂が生じている。

 今後とも反米軍基地建設・反原発の旗とともに引き続き反労働者政策・反社会保障削減や反TPPの旗を高く高く掲げて、粘り強く闘っていこう!(直)


 参院選後の課題  鍵を握るのは、普段からの闘い! 選挙と日常的闘いの結合へ

 参院選では、自公の与党に3分の2の議席を与えてしまった。こうした結果を招いたのは、選挙戦そのものの問題ばかりでなく、私たちの日常の闘いのあり方にこそ問題が潜んでいることを浮き彫りにした。

 つぎの衆院解散が早ければこの秋にも予想される中、1回1回の選挙に一喜一憂していても始まらない。

 ここは将来を見据えて腰を据え、身の回りで行動的なグループ作りを進め、あるいは既存の各種自主的組織などを通じた闘いを推し進めていきたい。その拡がりがあってこそ、選挙の場面でも勝利することができる。

◆二つの対抗軸

 今回の参院選では、安倍政権への対抗軸として、二つの問題を考えざるを得なかった。

 まずアベノミクスという経済政策への対案だ。

 参院選でも、アベノミクスに対して積極的な評価は少なかった。「安倍首相の政策を支持しているから」は15%しかなく、「野党に魅力がなかったから」が71%を占めていた(朝日新聞)。それでも有権者が安倍自民党や与党に投票したのは、野党がアベノミクスなどに代わる具体的な将来イメージを提示できなかったからということになる。

 たとえば、参院選では「アベノミクスは争点ではない」という識者の意見もあった。しかし、安倍政権の最大のセールスポイントで対抗軸を示すことが出来ないのは、野党の致命的な欠陥といえるだろう。

 確かに野党が主張してきたように、アベノミクスが貧困や格差を生んだことは間違いない。しかし、成長至上主義の経済モデルに取って替わるオルタナティブを示さないまま、ただ結果だけを批判しても説得力に欠ける。また企業利益至上主義に対して〝分配重視〟の対抗軸も掲げはした。が、分配重視といっても、そうした要求を実現する大衆的な闘いと主体形成の道筋を欠いた批判もまた、説得力に欠けるといわざるを得ない。

 分配には、一次分配と二次分配がある。一次分配というのは、生産活動の結果としての企業利益のうち、どれだけ賃金に配分されるかということで、これは経済情勢や労使の力関係によるところが大きい。二次分配とは、たとえば税制による再配分をいうもので、分配重視といっても、実際は次元が違うこの二つがある。選挙で争われるのは、主に再配分問題で、一時配分は春闘など労働者の闘いにかかっている。とはいえ現実は、野党や労働側が安倍首相の賃上げの旗振りに振り回されているのが実情だ。これでは分配の土俵でも主導権を取ることなど出来るはずもない。日常の闘いでも、あるいは選挙闘争でも、安倍自民党に対する私たちの側の布陣の脆弱さを痛感せずにはいられない。

 もう一つは、選挙闘争も含めての話だが、日常の普段の活動を足場にした闘いの重要性だ。

◆日常的・戦略的な闘い

 具体的に考えてみよう。たとえば安倍首相が今年に入って突然打ち上げた同一労働同一賃金だ。

 アベノミクスでの賃上げがちっとも実感されずに空文句の終わったことに危機感を持った安倍首相、とってつけたように打ち上げたのが、均等待遇や正規・非正規の格差解消策だった。

 そんな安倍首相が打ち出した同一労働同一賃金、それ自体は選挙での争点隠しで空手形でしかない。とはいっても、現実問題として同一労働同一賃金は、非正規労働者をはじめ、労働者の団結を願う労働者にとって永年の悲願であることに変わりない。

 この同一労働同一賃金、これは果たして選挙や政治の課題なのだろうか。

 賃金は雇用形態と一対、裏腹のものだ。戦後日本では終身雇用と年功賃金、それに企業内労組が日本的経営の三種の神器といわれてきた。年功に応じて上がる賃金と長期の雇用、それに企業の中だけで労働者の生活権を守ろうとする企業内組合という組合せだった。それは、戦後復興から経済の高度成長という歴史局面では、企業支配の強化と抱き合わせではあったが、追認的にではあれ労働者にも受け入れられてきたものだった。

 しかし、グローバリゼーションの進展や新興国の追い上げで、後発国型の経済成長は日本では遠い過去の話になってしまった。個々の企業は、内需拡大につながる雇用増や賃上げを背を向けて、コスト競争によるグローバルな生き残り戦略に軸足を移してきたからだ。

 他方で労働運動の側でも、戦後型の終身雇用に戻ることが最近の非正規化の拡がりや正規・非正規の格差拡大に対する処方箋だとする意見も根強く残っている。が、当時とは雇用環境が様変わりしてしまった今、労働者の総意として終身雇用制への復帰を掲げることは現実的ではないだろう。前提条件が失われてしまっているからだ。

 過去への回帰ではなく、将来を見据えれば、現状の閉塞情況からの脱却は、やはりすべての労働者の均等待遇を求める闘いを通して追求すべきだろう。正社員化の闘いもむろん重要だ。が、その闘いでは主体がほぼ非正規労働者に限定されてしまう。均等待遇は全労働者の闘いの目標になり得る。どちらにしても、自分たち労働者自身の権利意識や行動力が問われる問題だ。

 その均等待遇の要求は、一朝一夕で実現する様な課題ではない。地道な闘いの積み重ねが必要だ。こうした課題は、1回や2回の選挙で実現できるものではない。選挙時も含めて、戦略的な経済的・政治的闘いの課題なのだ。高度成長期以降の日本では、こうした闘いがまったく不充分なものにとどまってきた。これらの闘いに主体的に取り組んでいけば、そのでの問題点や課題もよく見えてくる。安倍首相などが言う均等待遇など、まったく欺瞞的なものであることもすぐ理解されるだろう。

 一事が万事、こうした取り組みはなにも労働者の均等待遇に限らない。脱原発や沖縄闘争、あるいは医療・介護や子育て支援、それに行政監視や教育問題などなどでも同じだ。具体的な課題を追求する自主的な組織やグループの活動を拡げていくことの重要性を私たちは再認識すべきなのだ。そうした息の長い生活の場に密着した闘いとを足場にしてこそ、数年に1回の選挙でも力を発揮できる。

◆足場を固めた闘いを!

 参院選では、自民党が単独過半数、自公など改憲勢力が3分の2の議席に達した。そのなかで18歳と19歳の新しい有権者では、半分が自公の与党に投票し、また20代では52%になったという。私たちも含めて、野党や左派の主張が若者に届いていないことの表れというべきだろう。

 このところ、難民問題などで、西欧各国でも移民排斥の風潮が拡がり、排外主義を煽る極右勢力の台頭が目立っている。これもイエスかノーかという二者択一の劇場型政治の表れだろうか。その背景として、普段地道な闘いに参加せず、不満ばかり募らせて、分かりやすい敵を見いだすことで不満の捌け口にしている側面も指摘されている。普段から地道な闘いに参加していれば、物事はそんな簡単な話ではなく、企業利益や国益を振り回す既存の大きな政治システムに根ざしていることに視線が向くはずだ。

 選挙でも同じだ。どうしても政権政党の進めている政治を追認するのかしないのか、最終的にはそんな二者択一の選択に集約されざるを得ない。これは別の角度からすれば、主要政党が提示する政治スタンスや政策のうち、どちらを選択するのか、という、受け身の選択ともいえる。そんな感覚で選挙をいくら重ねても、いわゆる観客民主主義から少しも抜け出せない。

 以前、当時の菅直人首相は、議会制民主主義とは期限付きの独裁だ、という主旨の発言をしている。橋下徹元大阪市長や小沢一郎も同じような発言をしていた。選挙で信任されたら白紙委任されたと同じで何でもやってかまわない、ということだろう。そんな感覚で、安倍首相は、秘密法や安保法を強引に成立させた。これから浮上するであろう安倍改憲策動では、国民主権をひっくり返して、国家が国民を統治する体制へのクーデターを狙っている。期限付きの独裁どころではなくなるのだ。

 期限付き独裁とは物事の一面で、本当の民主主義とはもう一つの側面にある。それは、国民すべてが普段から政治に対して声を上げ、直接行動も含めて政治に参加することなのだ。

 今からでも遅くはない。まずは身近な労働組合や地域で活動している市民団体などに積極的に加わり、あるいは新しい課題での運動グループをつくりだし、具体的な政治課題の実現に向けた取り組みを日常的に拡げていきたい。(廣)案内へ戻る


 参議院選挙 野党統一の「功」と「罪」

反動化強める安倍政権を止めなければならない。そのために選挙戦術は「自民落とし」であるり、反自民・反安倍政治の選挙協力は欠かせない。これは明快な論理である。しかし政党独自の主張が抑制され野党統一あるいは「反安倍政権」勢力の民進党化になってはならないし、そこに落とし穴があるように思える今回の選挙であった。選挙共闘や反安倍勢力の結集の長期化が期待されるが、今後大きな課題として受け止める必要がある。

■宮城の辛勝

 改選議席が2から1議席となった今回の選挙。自公と野党統一の現職2名の闘いとなった。自民党は序盤から党幹部を続々と投入。6月25日には安倍晋三首相と岸田文雄外相による「前代未聞のてこ入れ」(県連幹部)をした。

 沖縄、福島についで宮城選挙で自民を落としたことの政治意義は小さくない。しかし、民進党(桜井統一候補は民進党所属)の動きは悪かった。共産アレルギーのためのようだ。むしろ目立ったのは共産党の闘いだ。共産党は去年末の県議選で8名当選と言う躍進を果たしている。その地方議員が総出で共産色を捨てて「桜井、桜井・・」と街頭をねり歩く姿はかなりのインパクトを与えたと思われる。とはいえ始めから共産党活動家が桜井候補で納得していたかはおおいに疑問だ。公示以前の「統一」集会にはめぼしい共産党の活動家はそっぽを向いていたフシがある。議員や党幹部のみが参加していたにすぎない。選挙終盤にそれをかなり強引にまとめてきたと思われる。「赤旗」には連日桜井支持のチラシが入った。
 
■東北6県で自民は1勝5敗

 伝統的な自民党の牙城=東北での大敗北は今回の参議院選挙の大きな特色だ。自民(自公候補)は、前回(13年)前々回(10年)の選挙では5名の当選者を出している。改選議席が減る中でのこの自民の転落は象徴的だし、野党共闘の選挙戦術が奏功したものと言える。マスコミも「自公大勝」と言われる中のこの異変には注目した。「西日本新聞」は以下のように論評した。

 「1人区を西日本と東日本に分けてみると、自民は西で14勝2敗と圧勝し、東で7勝9敗と負け越した。とりわけ福島を含む東北6県は1勝5敗で、この東北地方に限れば「自民大敗」と言っていい。背景には東日本大震災の復興が遅れていることへの批判や不満が思い浮かぶ。農業が盛んな地域として環太平洋連携協定(TPP)への根強い反発もあるのだろう。沖縄は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設に反対する無所属新人が当選した。この結果、沖縄は衆参両院の県内選挙区を辺野古移設反対派が独占したことになる。容認派の自民がゼロになった政治的意味は極めて重い。」

 自公政治から長年裏切られてきた地域住民の、ささやかな反乱だというのはその通りであろう。「東京新聞」もほぼ同じ論評をしている。

 さてまとめと言うことになるが、政治に単純な答えはない。とはいえ自民の力を削ぐ闘いとは、その基盤である議会勢力を減らすことが効果的であることは言をまたない。自民党政権はすでに有権者の5分の1~6分の1政党でしかない。自公の議会での絶対多数は、低投票率と選挙制度によるところが大である。ゆえに、野党共闘が効果的であることは事実だ。

 同時に、安倍政治の登場が日本資本主義や社会矛盾の深い部分から生まれてきていることも忘れてはならない。民進党=岡田政治中心の野党統一勢力が、これらの問題に対応できることはありえないだろう。独自の行動と発信を一層強化してゆこう。(文)


 十八歳選挙権の実現を受けて 若者たちは?

 二〇一五年六月十七日、選挙権年齢を満十八歳以上とする公職選挙法改正がおこなわれ、十八歳選挙権が実現し、二〇一六年七月、参議院選挙から実施されました。

 七月十一日発表の総務省資料を見ると、全体の投票率は五十四%、その中で十八歳は五十一・一七% 十九歳は三十九・六六%でした。投票率自体、戦後四番目に低い数字だそうです。十八歳は高校生が多く、主権者教育を受ける機会があったのですでに就職、大学生である十九歳より投票率が高かったという見方をすることもできます。しかし、全体の半分の人の投票率は、まだまだ低いと思います。

 私は支援学校で働いています。今まで、生徒会行事は将来の社会生活の模擬社会のイメージでかかわってきました。選挙監理委員を決め、立候補者、推薦者の原稿を自分で考える応援をし、むずかしい時は少し支援してきました。みんなの前で「自分が生徒会長になったら、○○をします。」といきいきと公約を話している様子を見るのが大好きです。どの子も投票の経験もします。選挙管理委員の子ども達と一緒に開票している間、廊下では、落ち着かない生徒がうろうろ。結果を見て、会長に決まった人は、副会長たちと公約にむけて作戦会議です。選挙を含め、全てに子ども達は、いきいきとかかわっていました。

 しかし、障害をもった子ども達が、卒業して、働いて今回の選挙では、いやな思いをした生徒、なんだかわからないけれど「親がこの人投票しなさいというから、投票した。」と話す生徒もいました。生徒会の活動があまり結びつかなく少し残念でしたが、あきらめずにすすんでいきたいと思います。
主権者教育に向けての文部科学省からパンフレットが届いたものの、授業の一コマも与えられず、十分な説明ができないまま生徒に渡して終わりだったと、歯がゆい思いをしている教員もいますし、どんなふうに生徒と接していいかわからなかったと悩む教員もいました。今の教育現場は、ひとりひとり管理職から評価され、それが給料に反映するので、誰にも相談出来ない、余計なことは、話せない。そのこと自体が悲しいです。

 「自立心」「自尊心」を育てていくためには、大人とも誰とも対等であり、仲間との豊かな人間的な協力関係の中で育っていくものだと思います。管理教育や競争社会の中では、「権利」について学ぶことはむずかしいと思います。実際学ばないで大人になった人も多いと思います。模擬選挙などを通じて、みんなで「権利」について学び、主権者教育にもっともっと真剣に向き合い、今の社会の矛盾を教えていくべきでないでしょうか?(宮城 弥生)


 おおさか維新に浸食された兵庫選挙区

 参院選最終日の7月9日昼、JR西宮駅前はすごい人だかりで、何事かと驚きました。ここは毎月、日曜日に「安倍政権を許さない!」と街頭宣伝をやっているところですが、どちらかというと閑散とした駅前なのです。そこには公明党・伊藤たかえ候補の選挙カーが止まっていて、山口代表と伊藤候補の垂れ幕がかかっていました。どちらもまだ到着していないのにこの人出、その組織力には驚くほかありません。

 そんなこともあって、選挙結果は自民党末松信介641910票、公明党伊藤たかえ542090票、おおさか維新片山大介531165票、この3名が当選(定数3)でした。野党共闘の民進党みずおか俊一420068票で次点、共産党金田峰生228811票でした。候補を1名にしぼっていたらトップ当選なんていう計算もありますが、そんなことを言うのは現実的ではないと私は思います。

 結局、集票組織としての関係業者や利害団体、創価学会の力は絶大だったということに尽きるようです。ちなみに、比例区では自民党76万余、公明党約37万票、足せば選挙区と同じだけの票を獲得していることがわかります。おおさか維新は約47万票で、比例区では第2党です。これは前回参院選(定数2)の結果、当選は自民と維新をそのまま引きずっています。

 民進党比例区は約38万票で公明党より多いのですが、ここで与党自公の選挙協力が威力を発揮したのです。公明党は重点区兵庫で自民党から約17万票もらって当選したのです。この〝借り〟は衆院選で返すことになるのでしょう。そして、自民党衆院現職はその票が欲しいので伊藤候補の応援をした〝票絡み〟の打算で繋がっているのです。

 民進党は、この結果で兵庫における議席を失いました。前回衆院選兵庫1区で維新の党から立候補した井坂信彦候補が当選しているのが唯一の兵庫での議席となり、民主・連合兵庫は影の薄い存在に成り果てています。なお、共産党の比例区得票は約25万票で、かつて3人区だった時に当選者を出した力は今はありません。

 おおさか維新が大阪以外で唯一選挙区で議席を得たのが兵庫県、兵庫県民としては改憲3候補が議席を独占したこととあわせて、何とも情けないのですが、中身のない〝身を斬る改革〟に集められる支持者を何によって振り向かせることが出来るのか、組織票ではかなわない野党は考え抜くほかないでしょう。 
 (折口晴夫)案内へ戻る


 今上天皇譲位問題の核心とは何か―象徴天皇制の弱点が露呈した!

 7月13日の夕方、NHKニュースは「天皇に生前退位の意向がある」とスクープした。

 このニュースに対しては、当日の深夜に宮内庁次長の否定発言があった。しかし報道自体への強い抗議はなされなかった。それにもかかわらず翌日の各全国紙の第1面には、この出所の怪しい話がまことしやかに取り上げられ大々的に報道された。つまり宮内庁が組織として否定したことが、事実として報道されたのだ。これがどんなにおかしいことか分かるだろうか。こんなことがあって良いのだろうか。この事に対して安倍総理は「ノーコメント」、菅官房長官は「検討していない」を貫いた。政府としては当然の対応である。

 そして続く15日には皇位を譲る「生前退位」に向けた法改正を政府が検討していることに対して、天皇自身は早期退位の希望を持っていないことが、政府関係者への取材で分かったと前報道への謝罪もなく又各全国紙で報道された。本当に信じがたい事態である。

 この経緯に対する各全国紙の報道姿勢は、まさに報道に従事する者にあるまじき禁じ手の使用と誤報道だったとの謝罪すらなしでまったくの無反省な態度に終始した。こうした報道姿勢そのものが、ある種の政治謀略の類であることは明確である。

 天皇自身が明確に否定したにもかかわらず、こうして日本人の間には天皇譲位問題が浸透した。これは天皇の名による政治的行為であり、何とも不可解な結末という他はない。

 またこのトピックスは瞬く間に世界に伝播した。対蹠的な二紙の見解を紹介してみよう。
            ※              ※
●『ニューヨーク・タイムズ』紙
  http://www.nytimes.com/2016/07/14/world/asia/emperor-akihito-abdicate.html?ref=asia&_r=0
「テレビ放送によると、日本の明仁天皇が譲位の計画を持っている」
・日本の公共放送NHKによると、82歳になる明仁天皇(略)が側近たちに対して、息子の皇太子徳仁(56歳)に天皇の地位を譲る意向であることが明らかになった。・天皇の役割は現在は全体として儀式に限られている。第二次世界大戦終了まで、日本の人々は天皇を半神だと考えていた。また日本軍の最高司令官でもあった。日本降伏後、日本を占領したアメリカは、昭和天皇から全ての政治的権威を取り去った。現在でも多くの日本人が天皇に敬意を抱いている。
・NHKの報道の後、日本の左派傾向にある新聞の朝日新聞は宮内庁次長が、譲位の報道について、「天皇はそのような意図を持っていない」と否定した。・安倍晋三首相率いる自由民主党とパートナーが議会選挙で勝利を収めた3日後に、今回の報道がなされた。選挙の結果、彼らは参議院で3分の2を占めた。これは憲法の見直しに必要な数である。安倍首相は長年にわたり、戦争を放棄するとする日本国憲法の条項を覆したいという野心を持っている。・天皇は公式的には一切政治的権威を持っていない。しかし皇太子は安倍首相の目標に対抗するかのような行動を取っている。皇太子は1947年にアメリカの占領軍が起草した平和憲法について繰り返し発言を行っている。2015年の55回目の誕生日を前に、皇太子は日本国憲法を賞賛し「平和の大切さを心に留めておきたい」と述べた。・天皇が譲位するについては、国会が皇室典範の改正をする必要が出てくるであろう。現在の皇室典範では、天皇の崩御の後に次の天皇の即位が行われると規定されている。
            ※              ※ LE MONDE | 14.07.2016 a 07h37

・天皇は退位の意向を持っていないと7月13日水曜日夕刻に宮内庁は断言した。同日の早い時間に、公共放送NHKと共同通信は数年以内に明仁が退位する可能性があることを報じた。・「退位はない」と同日夜に宮内庁の山本信一郎次長は述べた。だが観測筋によると、これほどのニュースが確かな筋からの裏づけなしにNHKや共同通信から報道されることはありえないという。さきに五月に宮内庁は君主の公務の削減を発表していた。

・この情報の裏づけが取れれば、これは明仁の直系の祖である光格天皇(1771~1840)が1817年に退位して以来のこととなる。

・退位については法律に規定がない。この問題はただちにメディアと政界を揺るがすことになる。・「皇室典範の改定が必要になると思う」と与党自民党の佐藤勉国対委員長は述べた。皇室典範には退位の規定がなく、第四条には「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」としか書かれていないからである。・皇室典範の改定には全党派が支持している。ただし、共産党は小池晃書記長が退位の声明はまだ公式なものではないと述べて態度を保留している。

・今上天皇は日本の125代天皇で、歴史上はじめて平民(日清製粉という食品業者の社長の娘)を皇后に迎えた。彼は率直で国民に親しい天皇というイメージを作り上げて、日本国民には非常に人気がある。・高齢に伴い、天皇は儀礼的な活動を抑制し、訪日する外国要人との公式会食や地方自治体の首長との会見などを減らして来た。2009年にも天皇皇后は日本各地訪問の際のスピーチを断っている。

・退位についての情報は7月10日の参院選における安倍晋三総理大臣陣営の圧勝の三日後にリークされた。参院選の当日、安倍氏は日本経済の難問への取り組みを後回しにして、1947年制定の平和憲法の改定に言及した。

・2012年に起草された自民党の改憲草案によれば、天皇の地位は現行憲法における「国家と国民の統合の象徴」から「国家元首」になる。・天皇には政治的権威はないが、天皇は安倍氏の政策選択に必ずしも同意していない。

・第二次世界大戦時の役割についていまだに議論されている裕仁の後継者として、明仁は世界平和と、軍国主義日本の犠牲となった国々とりわけ中国と韓国との和解をつよく求めて来た。・2015年に明仁は終戦70年記念に際して先の大戦に対する「深い反省」の意を表明した。後継者である徳仁皇太子も憲法に対する愛着と、「平和のはかりしれない価値を心に刻む」との意志を約束している。
            ※              ※
『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事は、退位に関わって単に皇室典範改正の必要性を述べたものだが、『ル・モンド』紙の記事を最初に翻訳して紹介した内田樹氏によれば、『ル・モンド』紙は、天皇退位は安倍政権による改憲を牽制する政治的意味があると見ているとのこと。そして『ル・モンド』紙は、「確かな筋からの裏づけ」や「この情報の裏づけ」を二度も強調して慎重な報道姿勢を取る。報道機関としては当たり前の記述である。

 ではこの天皇譲位問題を『ル・モンド』紙のように安倍総理へ改憲に対する挑戦だと見ることは、正しいのであろうか。それが問題である。

 そもそも皇位継承という日本国家の最重要案件について、宮内庁長官が公式発表するならともなく、匿名の「宮内庁関係者」が天皇の「ご意向」をリークしてマスコミに流す手法は、宮内庁組織の内部崩壊とも言うべき醜態であり、ある種の無法状態手はないか。

 さらにNHK報道の後追いをした各全国紙は、この「ご意向」は宮内庁関係者への取材で分かったと伝えたのだから、天皇の「ご意向」を宮内庁長官に成り代わってもらし続ける「宮内庁関係者」を特定していたのだ。ではなぜ今に至っても匿名のままなのか。当該の者は、その無見識と無責任を当然のことながら厳しく追及されてしかるべきである。

 天皇自身が考えてもいないと釈明したことをもって、本来は直ちに否定されるべき「ご意向」が今まさに一人歩きしている。そしてこれに便乗した軽佻浮薄な政治家は国民的議論が必要だなどとのたまい、女系継承容認派の有識者もさっそくにこれに反応している。

 今話題の日本会議副議長の小堀氏に至っては「天皇の生前御退位を可とする如き前例を今敢えて作る事は、事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧は深刻である。全てを考慮した結果、この事態は摂政の冊立を以て切り抜けるのが最善だ、との結論になる」との世迷い言を吐く。譲位は駄目だが摂政は良いとは、皆様この違いが分かるだろうか?

 この発言に日本会議の立場の本質がよく見える。常日頃天皇を敬えと言っている彼ら自身が、天皇の意思を無視して恥じない天皇利用主義者なのだ。安倍内閣と深く関わるに本会議の小堀氏らにとって、天皇譲位とは国体の破壊なのである。つまり天皇の譲位は、彼らの立場からは何があっても認められず、またそもそも許せないものだからである。

 こうして宮内庁の別ルートである河相現侍従長の筋、つまり外務省の筋とその背後にいる小和田恒氏の陰が浮かび上がることになる。そうなるとその論理的な道筋が見えてくる。

 今年の3月8日、国連女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に皇位継承権が男系男子の皇族だけにあるのは女性への差別だとして、皇室典範の改正を求める勧告を盛り込んでいた。日本側は駐ジュネーブ代表部を通じて強く抗議し、削除を要請した。そのため3月7日に発表された最終見解からは、皇室典範に関する記述は消えたのである。

 興味深いことは、A.N.ウイルソンがベネディクト16世について書いた「ニューズウィーク」の記事は、日本版では「生前退位」とあったが、原文では単に「リタイア」である。なぜ「生前退位」と奇妙で意味なき翻訳されたのであろうか。因みに今回も海外では「リタイア」である。だから退位か譲位で充分だ。私はそこに外務省の意図を感じる。

 端的に指摘しよう。天皇譲位とは、大きくは改憲のための天皇利用である。自民党の憲法草案では、現行憲法の「象徴天皇」から、大日本帝国憲法と同じ「国家元首」に権能を拡大させ実質化して、政治化させる。そしてその新たな国家元首は、現実的には政権与党の錦の御旗となり、海外戦争の犠牲者の家族の前面に与党政治家の防波堤となって立つことになる。米国と一緒に戦争遂行するためには、こうした新たな道具立てが必要なのである。勿論、現時点で今上天皇との合意などはない。協議したことすらないであろう。

 そもそもNHKや時事通信・共同通信などの電通が操る大手メディアが自ら危ない橋を渡ってまで、天皇に譲位を迫ることなどありえない。すべては安倍内閣の指示の下に、なりふり構わぬ譲位話を進めたのだ。そしてこれには周到な準備がなされていたのである。

 つまり安倍内閣が話を切り出せないので、天皇が数年前から言い出したことにした。それに配慮して、安倍内閣が法改正(皇室典範、憲法)を行い、国民の賛同を得るといったシナリオが書かれた。したがって天皇が考えたものではないく承認したものでもない。
 一部には、今上天皇が、安倍内閣の憲法改憲を阻止するために、改憲勢力が3分の2を取った直後に「天皇の生前退位」を発表して、「皇室典範」の改正を迫り、改憲を遅らせた、とする説もある。しかしこれは改憲に反対する力のない己が願望の投影に過ぎない。

「ワーカーズの直のブログ」で、私は『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』(加藤哲郎氏著 平凡社新書281)についての書評を書いている。是非ご参照を願う!

 そこで私は、「昭和天皇に対する最終的な決定は、1945年6月にトルーマン大統領と太平洋問題調査会(IPR)のジョン・マックロイたち『賢人会議』で決まったおり、多くの人々が誤解しているようにマッカーサー元帥と昭和天皇とが話し合って決めたのではありません。(略)その意味において「国体」は護持されたのではなく、アメリカに利用されたにすぎなかったのであり、これまで真実はかくも隠されてきたのです。

 もし貴方が戦後の『象徴天皇制』には、今では大して意味はないと考えているのなら、是非この本を読んで今後のためにも真剣に考え抜いて欲しいと私は考えています。

 明仁天皇の誕生日の十二月二十三日午前零事にA級戦犯の絞首刑は執行され、米国は当時の明仁皇太子にメッセージを発していたのです。『政治とは関わりを避け、平和のシンボルとして行動せよ、さもないと……』と。(略)まさに米軍と象徴天皇制と憲法第9条は一体の物、つまり三点セット」と書いた。

 日本国憲法は、確かに国民に基本的人権を保障した。しかし天皇はその埒外にあり、人権も選挙権も居住の自由も職業選択の自由もない。今回明らかになったように退位の自由すらない。そして譲位問題で浮かび上がるのは、象徴天皇と基本的人権との関係である。日本会議を含めた保守陣営は、米国が問題意識なく是認してきた現状に対して、象徴天皇にも基本的人権を認めるか否かが焦点となる大問題に直面することになるのである。

 本来の天皇制の天皇は基本的人権の埒外である。では象徴天皇制では、一体どうなのか。

 今回の天皇譲位問題は、戦後米国が日本国憲法の中に上手く嵌め込んだはずの象徴天皇制の弱点を露呈させた。最大の失敗は、旗というシンボルは古くなったら捨てて新しい物に取り替えればよいが、象徴天皇は人間であり、老齢化し死亡して譲位の問題が発生する。その場合、米国との関係はそのまま円満に継承されるかという大問題を公然と提起することになる。つまり昭和天皇は米国と見解を統一して納得し、今上天皇は昭和天皇に乞われたヴァィニング夫人を家庭教師につけて米国が一生懸命に教育してきたからだ。

 敗戦国の元首が、戦勝国に対して皇太子に家庭教師を付けてと要請するとは! まさに昭和天皇の究極の保身戦術ではなかったか。しかし現皇太子へは、米国からは何の教育もできていない。現皇太子には、不安材料がある。娘の愛子のため女性天皇の願望も強いこともその一つに数えられている。また皇位継承の順番の問題もある。

 そしてその解決のための皇室典範の改正には今後様々な困難がある。保守陣営の中には今や石原慎太郎のような共和主義者もいる。これも困難の一つだ。それ故に今後、小堀氏を始めとする日本会議を含めた保守陣営の総体を大いに揺るがす事態の発生も充分ありうる話だ、と私は考える。 (直木)案内へ戻る


 「NYダウ、史上最高値更新」という金融経済のアダ花

■金融資本主義が押し上げる”株価”

米国の株価は、乱高下を繰り返しながらも上昇を続けているようだ。日本の株式だって二十年間ゼロ成長という最悪最低の経済状態であっても「管制相場」があるにしても一万六千円前後にいる。米国は世界最大の金融帝国だ。米国の推移も見ながらこの問題を検討してみよう。

「NYダウ、史上最高終値を5営業日連続で更新」【読売新聞7/19】
【ニューヨーク=有光裕】週明け18日のニューヨーク株式市場で、ダウ平均株価(30種)の終値は前週末比16・50ドル高の1万8533・05ドルだった。終値としての史上最高値を5営業日続けて更新した。(ここまで読売)

株式相場の話に入る前に、株や証券、土地、為替各市場に巨大な金が流れ込むようになったが、これを筆者などは「経済の金融化」「金融資本主義」などと呼んできた。
金融経済は資本主義をある意味で変えた。「金融経済とは、・・権力の配分、収入の配分、富の分配を大きく変える」(『金融が乗っとる世界経済』ロナルド・ドーア著中公新書刊)ものである。
より具体的に述べれば「先進工業国・脱工業国の総所得において、金融業に携わっている人たちの取り分が大きくなる傾向にあること。」(同上)。

さらにこのドナルド・ドーアは「企業利益を金融業と非金融業に分けた内訳で・・全利益所得における金融業の各社の割合は平均で、1950年年までは9・5%。2002年にはそれは41%となった。」(要旨、同上)また、ドット=フランク法はこの傾向を変えるものではないと指摘している。

しかし、せつかくのドーアの指摘であるが、金融資本主義の「影響と大きさ」は、「金融業界の取り分」「金融業界のGDP比」と言うものでは十分表せないが、金融資本主義急拡大の一端があらわされているといことで下図も参照のこと。
▲1860年以降の米国GDPにおける金融セクターの割合
Confer Thomas Philippon: "The future of the financial industry"(ニューヨーク大学レナード・N・スターン・スクールファイナンス研究科)

この変化は、「産業資本主義から投資資本主義」への変化だとも言われる。いずれにしても従来の資本主義の旗手である造船、鉄鋼、自動車、重電・家電製品、精密機械、建設業・・・という歴史的産業資本の育成を社会的任務として生まれた「金融資本」だが、独立し今では寄生化し投資先を目指して世界を目まぐるしく動き回る投機的資金へと変貌したのである。この動きが為替の変動や株の乱高下を作り出す。さらに債権を買いあされば金利は低下するに決まっているので、「超低金利」の原因でもある。

「金融資本」は証券会社&銀行の資金だけを意味するのではなく、今では産業資本自体が、投資先を見いだせずこのような証券投資市場に参入するのである。だから金融業界の利益と金融資本の総利益は同じではない。もちろん個人の資産投資家の資金を含む。

ピケティの定式γ>gも、同じ事実の別の表現と言えるのだ。金融資産(家)――個人でも企業でも――の利益率=γは、それ以外の運用資産を所有しない人(つまり、賃金労働者や無職、年金生活者など)の所得=gよりも高いスピードで成長する、と言うことである。しかも、金融資本主義の近年の急成長を考慮に入れていないピケティは強調しないが、彼の言う格差は加速している、金融資本の急成長に対応して。

■米国ダウの株価長期トレンドがあとづける金融資本主義化

参照http://baseviews.com/chart/dow-ja.html

この超長期トレンドを見れば、単純に「経済の成長と株の上昇を結び付けられる」と考えることはできないだろう。この表から分かるように米国の黄金時代の50年代、60年代、70年代、さらには80年代の前半まで、米国株式は上がってせいぜい1000ドル程度か、それ以下であった。

それが85年プラザ合意時点の1200ドルへ。ところが5年後の90年には3000ドルを突破した。いったい何が起きたのだろうか。「景気」「経済成長」と言った要因では説明できない――当時米国経済は日本の猛追を受け貿易赤字の拡大などで往年の輝きを失いつつあった――”新たな”要因が加わったことを意味するだろう。それが、ウオールストリートやシティさらにはシンガポールなど国際金融センターが造られ、金融取引が国際的に自由にできるようになったことである。巨額の過剰ドルがこれらのセンターに集められるようになったのである。(この自由な国際金融センター造りに日本は乗り遅れたとされている。)

しかし、歴史経過は逆になるが、このような金融取引の自由化を歴史的に要求せしめた遠因は、71年の「金ドル交換停止」というエポックメイキングな出来事であった。72年と80年前後には世界同時不況が顕在化して各国は過剰商品や過剰設備に悩んでいた。金との交換停止となったドルは、国際通貨という位置に安住しながら徐々に貨幣価値を下げ世界各国にも「オイルダラー」「ジャパンダラー」などとして滞留した。こうした資金を自由に投資できるオープンな規制の少ない金融取引センターがかくして登場したのである。

この、株式相場の「経済実態とかけ離れた高騰」と言う現象は、かくして生じ始めたのである。その後はIT不況でも、2001年の同時多発テロや2003年のイラク戦争などで大幅に下げたがすぐ元に戻ることを繰り返した。あのリーマンショック=大恐慌で13000ドルから7000ドル程度まで半分に暴落したものの、回復は早く2013年には同じ以前の水準に戻り現在ではダウ平均18000ドル超だ。

このように、「株式」などの市場は様々な指標、例えば成長予想とか為替変動とか雇用情勢とか・・で変化する。しかし、趨勢として肝心なのは世界的な過剰資本・過剰ドル、つまりは現実的経済運営に行き詰まり投機資金として駆けずり回っている資金が増大しているということである。端的に言えば、国際信用不安さえなければ「リスクオン」で、投資資金は買い!買い!買い!・・と一斉に進むほかはないのだ。だから株式市場は乱高下しながらも上がる仕組みがある。

最後になるが、このような「経済の金融化」の意味するものは、各企業や金融会社にとって短期的にはベストの「利殖方法」であっても、長期的には非生産的な部門の資産を巨大化することで「生産資本の重しとなる」ことである。利潤率は低下し新規経済投資や研究開発を阻害し生産力の向上は妨げられ、資本主義経済の運命を縮めるめるものなのだ。

この世に「打ち出の小づち」などは存在しない。無から有は生じないのである。生産的労働とそれらの産業からのみ現実の富は造られるのである。ところが金融資本主義は、資金を生産部門ではなく非生産的部門に引きつけ富の吸い上げを図っている。金融資産家に富が集まり、格差社会が固定化し深刻化する。これが現代資本主義の構図となっている。(リュウ)


 コラムの窓・・・「理念なきオリンピック、カネまみれの東京五輪!」

 それにしてもオリンピックの混迷はどうだろう。愚かなメダル争いからドーピング迷路にはまって抜け出せない、リオ五輪では多数のロシア選手が参加できなくなってしまいました。オリンピックにどのような理念があったとしても、スポーツは国家を背負い、背負わされているのです。

 そもそも、100分の1秒を競ったり、何回転もしてみせることにどんな意味があるのか私は理解できないのですが、そうすることによってメダルを取れるなら国家的意義があるのでしょう。ここでは、選手は国威発揚の手段でしかないのです。それでも、競技者は勝ちあがることが宿命だから、国家に絡め取られるほかないのです。

 1968年のメキシコ五輪では、200メートル走で1位のトミー・スミス選手と3位にジョン・カルロス選手が表彰式で星条旗が掲揚される間中、黒い手袋をはめた拳を突き上げて黒人差別に抗議しました。彼らは帰国後、米ナショナルチームからの除名・追放され、職に就くこともできなかっということです。

 この時、2位となったオーストラリアのノーマン選手は左胸に丸い人権運動のワッペンを付けていたそうです。このように、国家を背負うことに抵抗する選手もいるようですが、金メダルを取った日本選手はお定まりのように日の丸を手にウイニングランをします。あれは自発的なのでしょうか、それともやらせでしょうか、どちらにしても見たくない情景です。

 こんなことだから、オリンピックは利権そのものなのです。東京五輪は招致合戦でカネまみれとなり、準備段階でも途方もなく費用が膨れつつあります。当然のこと放映権も巨額となり、マスコミは五輪批判などできないでしょう。7月15日の『週刊金曜日』は〝呪われた東京五輪〟を特集し、森利権・JOC利権を追及しています。

 ところが、都知事選がこの呪われた東京五輪にメスを入れている、とはとても言えないようです。すでに過去の政治家となった山口敏夫候補が、「東京五輪・パラリンピックなんかもうヤメてしまえ!」、「森の森による森の為の東京五輪」では大会開催は危ういといった主張をしています。これはこれで面白いのですが、ひとつのエピソードにすぎないのが残念です。

 さらに、7月2日の『日刊ゲンダイ』が〝五輪バブル 浮かれる日本スポーツ界〟を告発しています。この国は税金でメダルを買おうとしているのです。「JOCの橋本聖子選手本部長は、東京五輪までの6年間で、600億円といわれていた強化費について、『800億円から1000億円が必要。さらに増える可能性もある』なんて言っているが、冗談じゃない」(同紙)

 関係者にとって五輪は打ち出の小槌、選手は金蔓。腐った五輪。選手の皆さんはこの現実をどう考えているのでしょう。もうすぐリオ五輪狂騒が始まりますが、テレビを見ながら〝ニッポン・ニッポン〟なんて浮かれていたら、テレビの向こう側の巨悪はそれを見て笑いが止まらなくなるでしょう。 (晴)案内へ戻る


 戦争経済とアベノミクス ジリ貧の路程にさらに踏み込む

新安保法制や集団的自衛権の行使が「決議」され、戦争が一段と身近なものとして感じられてきた。先日の参議院選挙の街頭宣伝において、ある「左翼系?」弁士は「アベノミクスは戦争経済」「日本は戦争をしなければ経済が成り立たなくなっている」(要旨)と主張した。

いささか極論であると思う。しかし重要な問題であることは当然だ。あらためて「経済と戦争」に関するまとまった記事をネットで検索して以下の「中立」風のものを見つけたのでそれに即して考えてみよう。

「戦争と経済の真実-戦争にはどのくらいの経費がかかるのか?」【the capital tribune japan】というテーマである。しかし内容は「戦費」だけではなく「戦争と経済成長」も含まれていたし、そちらの方が重要なテーマだと思う。
http://www.capital-tribune.com/archives/1要点を引用しよう「(下記)グラフを見ると、どの戦争についても、戦争の遂行によって実質GDPが上昇していることがわかる。しかし、日本が直接当事者となった日清戦争、日露戦争、太平洋戦争では、戦争終了後に反動が起こり、GDPが低下している(赤の矢印)。特に太平洋戦争後のGDPの減少はすさまじいものがある。日清戦争、日露戦争の場合には、投入された戦費と名目GDPの増加分は近い水準だが、太平洋戦争については、GDPの増加分よりも戦費の方が圧倒的に大きい。
一方、日本が直接戦争の当事者にはならず、経済的な恩恵だけを受けることができた第一次大戦や朝鮮戦争では、実質GDPの大幅な成長をもたらしている(グレーの矢印)。
第一次大戦については、戦後の反動(1923年、1924年)が見られるものの、それまでの成長分が大きかったことから、トータルではプラス収支と考えてよいだろう。」

■「戦争は政治の延長である」(クラウゼビッツ将軍)植民地獲得競争時代以後の資本主義の戦争が、「経済のために求められている」と考えるのは、政治的立場が左右のいづれかにかかわらず一面的で正しくない。戦争は政治的目的達成の手段として発動される、というクラウゼビッツの言葉は依然として名言である。一般化するのは難しいが、国内の偏狭な民族主義を利用しつつ、政府や国家が国内外の権力の強化や支配の拡大を狙うことが戦争の目的である。決して単純な「経済利益」ではないことを強調したい。

一昨年前に起きたロシア・プーチンによるクリミア半島併合という軍事行動を見てみよう。クリミアを抱えることは経済的な重荷であり、欧米諸国の経済制裁を考慮すれば始めから「経済メリット」はないのだ。きわめて政治的・軍事的行動である。同様にロシアがシリア内戦に空爆で参加したことも似たものである。ロシアの国威発揚⇒プーチンの国内権力固めとの意図に貫かれている。

「経済」と言う点では、一部の軍需産業が政治的影響力を行使してーー米国の軍産複合体に典型的に見られるように――政府に死の商人よろしく戦争を煽り、ロビー活動を展開して「危機」「テロの脅威」「愛国心」を民衆に訴える。このように現代の戦争は、権力強化を目指す政府の野心が国民的な偏狭な排外主義を煽り、さらにそれらを利用して暴利を得ようとする軍需産業が引き起こすのである。これは総資本の意思と言うものではなく、政権の政治野心と特定の産業利益の追求の結果なのだ。

■戦争や軍事費の増大は経済成長を阻害してきた確かに近代資本主義の歴史は戦争と切り離せず、戦争とともに租税強化や国債の乱発などで巨大な国家財政が構成される。そして、武器弾薬のみならず国民的軍隊を動かすために必要とされる食料や衣服などなど巨大な需要と消費が巻き起こる。ヨーロッパを中心として発生してきた資本主義経済は、欧州の――ナポレオンから第二次大戦まで――の度重なる戦争の産物のように思える。なるほど戦争は特定の科学技術の開発を促進し産業に貢献もしたし、新たな重工業や化学産業にも大きな刺激を与えてきた。

しかし、それは一面的見方でしかない。上記図表にもその一端がみられるが、二つの世界大戦こそが戦争の否定的本質を開示している。それは工業が軍需に集中し、それゆえ生産量が向上するのは短期間だけで、資本の再生産や技術革新が停滞することで長期には経済は衰退する。戦乱に巻き込まれた国民は多数の人的被害があるし、戦乱により産業基盤が破壊されもする・・ことなど否定面が鮮明に表れる。

では、上記『the capital tribune japan』の記事にあるような、日本が巻き込まれない大一時代戦や朝鮮戦争などの「対岸の火事戦争」は日本資本主義の経済に貢献するのか?
なるほど日本においても「朝鮮戦争は日本資本主義再建のきっかけとなった」という一般的な従来の評価もあるが、これらも含めて一面的である。

戦地とならない場合でも、軍事費の増大=軍事経済は経済成長を阻害するすることは統計的にも理論的にも明確だ。下図参照。

赤□が日本で、青△が米国です。
出典「戦後日本の経済成長の性格 」延近 充
http://web.econ.keio.ac.jp/staff/nobu/profile/milex-economic_growth.htm

中長期にわたる戦争や軍需経済の肥大化は、資本主義経済に否定的な影響を及ぼす。これは典型的にはベトナム戦争などで経済的にも消耗した米国経済であり、同時に対米軍拡競争に国家的規模で取り組みなおかつアフガン戦争を引き起こして体制自壊に至った旧ソ連邦の史実が証明している。

軍需は国家が引き起こす巨大な消費であり需要である、と言う点では公共投資に似ているが、港湾設備や鉄道や道路などのような生活や生産に何のプラスにもならずに、ミサイルや戦車や潜水艦などは経済の循環から脱落して消費されてしまうのみだ。再生産には一切の寄与をなさないのだ。まさに戦争は経済と言う面からすれば全くの無駄なのだ。

意地悪な言い方かもしれないが冒頭の「左翼系弁士」の主張に違和感があるのは「日本は戦争をしなければ経済が成り立たなくなっている(だから戦争に前のめりになる)」というのではない。「戦争で成り立つ経済」などはそもそも存在しないからなのだ。日本の長期にわたる経済的困窮が社会的矛盾を深めさせており、社会的分裂や抗争が潜伏し拡大する。その矛先をかわし反政府運動として拡大することを阻止するために安倍政権は戦争を欲しているのだ。国民内の卑しい愛国心や民族主義に火をつけ海外に打って出る。これは明治維新政府の台湾征伐(明治七年)以来の国家支配者たちの常套手段だ。

■アベノミクスと戦争

アベノミクスほど資本主義を追い詰める経済政策をかつて見たことがない。自業自得と言うものだ。政府の金融財政政策は、最初から失敗が約束されている。政策の中で産業資本再生という「正道」がほとんど無視され、--この再建が困難であるが故にスルーして--金融経済拡大や株価高騰策に収れんしている。当然にもその効果が出ないので再び財政出動へと傾斜してソブリン危機にまた一歩近づく様子だ。

さらに安倍政権の政策力点は軍需産業のテコ入れと武器の海外輸出、原発再稼働といった「経済の重荷」にしがみついている。アベコベミクス、とはよく言ったものだ。
(そうさせてはいけないが)仮に日本が戦争経済に本格的に移行すれば、資本主義経済の没落は早まるに違いない。

だが戦争は起きうるし、現に発生している。安倍政権はすでに中東など戦争地帯への参戦を決意した。戦果を挙げ国威発揚によりーーあたかもプーチンのようにーー国内の権力固めと国際舞台での"活躍"を狙っているのだろう。同時に自衛隊の参戦は、日の丸武器の見本市でもある。オランドやプーチンが「イスラム国」空爆の戦果により自国戦闘機の世界的発注を獲得したことに安倍首相はさぞかし刺激されているだろう。
(六郎)


 照会・・・原発事故から5年後の約束≪チェルノブイリ法≫ 福島の避難者を救済しよう

7月9日(土)の午後、「原発被害者の救済を求める全国運動」の関西集会が行われました。当日は、100名を超す参加者で、会場は座席が足りず立ち見も出るという熱気高まる様子でした。講演は、ロシア社会制度研究者でモスクワ国立大学に留学の経験もある尾松亮氏で、2012年「子ども・被災者支援法」の策定に向けた作業にも参加され、避難者の方にとって有力な味方です。

 チェルノブイリ法の正式名は、1991年5月15日付(N1244-1)ロシア連邦法「チェルノブイリ原発事故の結果放射能被害を受けた市民の社会的保護について」という長い名前です。この画期的な法が成立するためには、地方議会の良識ある判断と闘いが必要だったのです。モスクワのソ連最高会議委員会では被害の事実の隠ぺいを図り、イリノイ博士に科学的なのは生涯350ミリシーベルトを許容量とする概念と、主張させたのです。

 事故前は自然条件で、生涯70ミリシーベルトを超えないとされていた事実を守るために、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア共和国代表は、イリノイ博士に反対しました。各共和国は勇敢にも自ら決定することを選んだのです。そして各共和国の思いが法を決定しました。地方議会が被害者の立場に立って選んだことは、その後の補償にも大きく影響しています。移住か居住を選べる権利、移住権で住宅・雇用・引越し費用などを補償、被害者とその後に生まれた子どもを含め生涯の無料医療支援など、まさに生きる権利が実践されているのです。

 それに比べ、今の日本政府の非常識な無理やりの帰還政策は、福島からの避難者を精神的に追いつめ、避難先の住宅補償も来年3月末で打ち切りと経済的にも困難を強いています。そんな中、避難者と共に助け合いながら生きる社会を目ざす「協同センター」設立のお知らせがあり、困難な状況にめげず支援を続ける体制作りに力強さを感じました。

 集会では、他にも一人ひとりが出来るアクションが提案されました。チェルノブイリ法に学び、地方議会に働きかけ独自の支援策の要求をし国の政策を変えていこう、市民からの請願・陳情を出して「意見書を」採択してもらおうと、議会を利用することの提案でした。あとは、避難者に住宅支援の延長、被害者に「健康に生きる権利」を補償するための100万人署名を全国で取り組もうと呼びかけています。署名を通じて街頭・地域・職場で無関心な人にも真実を伝えるため、時間を費やすことの必要性を感じています。私たちの出来ることから始めてみませんか? (折口恵子)案内へ戻る


 「エイジの沖縄通信ーNO29」  高江で「オスプレイパッド」建設工事強行される

1.強行前日の様子

 高江で2年ぶりの工事が再開されるとき聞き、急きょ沖縄に向かった。工事強行の前日に高江に入りました。

 久しぶりの高江は様変わり。車でN4ゲート前を通ったら、こちらのメンバーがゲート前でチェックしているのではなく、機動隊と沖縄防衛局職員が人数や車ナンバーをチェックしている。私にしてみれば、攻守反対になっている。

 北部訓練場のゲート前を通れば機動隊・軍警備・防衛局職員がびっしりと並んでいた。。集会会場となったN1ゲート前も機動隊・防衛局職員がびっしりと並び威圧する。

 それでも、午後2時~の抗議集会には1600人の県民が大結集し、参議院選挙で当選した伊波洋一さんも元気に挨拶する。
 問題は明日からの工事着工です。機動隊は朝から県道70号線を封鎖して、反対派の車を阻止する作戦のようだ。

2.機動隊のメチャメチャの暴力排除

 昨晩は夜中にもかかわらず機動隊が排除に来るのではないかと、支援者の皆さんと一緒にN1ゲート付近で徹夜する。

 明け方5時頃、北側から機動隊約300名があらわれ、南側からも機動隊約200名があらわれ、私たちをサンドイッチの様に挟み撃ちにするような強制排除が始まり激しい衝突が始まった。

 こちらはゲート前の道路に約150台以上の車をビッシリおいて200人で抵抗運動。私たちは機動隊に包囲されたが、まだ車は数台しか排除されなかったので、まだまだ抵抗出来ると思っていた。

 しかし、500人以上の機動隊及び工事業者がまさに一斉に襲いかかり、あっという間にゲート前のテントは破壊され、ゲート前車両の上にのって抵抗していたメンバーも機動隊員の暴力の嵐を受け、ケガ人が続出。もうこれ以上の抵抗は命に危険があると判断し、車の上での抵抗行動を止めた。

 この時の機動隊員による暴力によって3人ものケガ人が救急車で搬送される騒ぎとなった。

 同時にN1ゲート裏とパッドGとHの入り口にもゲートが新設された。

3、戒厳令下の高江

 本土では高江の工事再開の事をほとんど報道しなかったが、さすがに23日の本土機動隊の暴力弾圧は報道したようだ。

 今の高江の様子を一言で言えば、高江は機動隊の「戒厳令下」にあると言える。法律を無視した地域住民支配が続いている。

★機動隊等の国家権力の地域支配・・・高江区民はたった140人なのに、機動隊・防衛局職員・アルソック警備員・工事関係者など1,000人近くが高江地域に集まり、工事優先の地域支配をしている。

★県道70号線を封鎖・・・早朝から新川ダムの道の所で、違法の道路封鎖をして、支援者がN1ゲート前に行けないようにした。道路封鎖をしていない時も、新川ダムの道の所で検問を実施して、一台一台の運転者に免許証の提示を要求する異常検問を実施した。

★座り込み抗議者を長時間拘束してトイレにも行かせない・・・ゲート前で機動隊に長時間包囲され、トイレに行きたいと訴えても、「ダメ」の一点張りでトイレに行かせなかった。人権が無視され続けた。

 25日以降、毎朝7時半ころからN1ゲートにはダンプが次々に砂利をおろしにやって来る。

 そのダンプの前後を機動隊のカマボコやパトカーなど警察車両7台に守られながら時速20キロのスピードで来る。迎えるN1ゲート前では、40人以上の機動隊やアルソック警備員がダンプの搬入を警備する。

 今高江ではこんな「戒厳令」に近い状態が毎日続いている。(富田英司)


 色鉛筆・・・「出生率1・46」2年ぶりに増えたが人口減少は過去最大

 2015年の合計特殊出生率は1・46で、前年を0・04ポイントを上回ったと5月に発表された。(図参照)2年ぶりに増えたといっても、2014年の出生率が「1・42」で9年ぶりに低下したのだからそれに比べれば増えたということだ。人口を維持できる水準「2・07」とはかけ離れていて、安倍政権が掲げる「希望出生率1・8の実現」という目標にもほど遠く、少子化対策が進んでいないことがわかる。それよりも15年に生まれた子どもの数も5年ぶりに増えたが、死亡数はそれを上回っていて人口の減少は28万人を超えて過去最大を更新していることに驚く。人口減少に歯止めはかかっておらず、これから出産する女性が減っていくだけにこれからも人口減少の流れは変わりそうになく、少子高齢化社会に向けて抜本的な解決をしなくてはならない。

 政府は、保育所の緊急整備や子育てと仕事の両立支援の「エンゼルプラン」を打ち出してから20年以上過ぎて課題は出そろっているのに、本格的な対策は先延ばしされて何も解決されていない。さらに待機児童問題も起こり安倍政権は、「1億総活躍プラン」で保育サービスの拡充や保育士の待遇改善をうたうが、財源のめどが立たないまま置き去りになっている。この財源は消費税率を10%に上げないと確保できないというが、上げなくても財源はある。安倍政権は法人税を毎年下げていく等、大企業優遇策によって大企業は内部留保が膨れ上がっている。2015年10月~12月の法人企業統計によると企業の利益剰余金は355兆円で、2012年同期の274兆円から81兆円も増え、アベノミクスの3年間で3割も増えている。

経済の立て直しが必要だと言うアベノミクスは、それら全て大企業が儲かるようになっているだから大企業が税金を負担すれば財源はあるはずだ。

 儲けることが第一の大企業優先の社会そのものが変わらなければ、若者の雇用の安定、安心して子どもを産み、育てやすい環境はできないのだろうか?と、悲観的になってしまうが「保育園落ちた」の匿名ブログのように今の社会に怒りを持っている人たちが大勢いることを信じて、私も怒りの声をあげていきたい。(美)

 案内へ戻る