ワーカーズ563号  (2016/10/1)      案内へ戻る

 安倍政権による憲法改悪の動きにストップを!
  沖縄 辺野古基地反対や高江ヘリパッド建設反対の闘いと連帯しよう!


 2016年秋の臨時国会が始まりました。安倍首相が衆院本会議で行った所信表明演説を受けて、自民党議員が安倍首相の演説中に総立ちし、拍手を贈る場面がありました。自衛隊などを称えるためという理由ではあるが、国会の議場内で与党議員が首相に対して起立しながら拍手を贈る場面は前代未聞であり、違和感のある光景でした。

 9月26日の安倍晋三首相による衆院本会議での所信表明演説で、自民党議員がそろって立ち上がり、拍手を送る「スタンディングオベーション」が起きる一幕がありました。所信表明演説で日本の領土、領海、領空の警備を続ける海上保安庁、警察、自衛隊に「心からの敬意を表そう」と呼びかけたのに対し、自民党議員がほぼ総立ちで拍手する異例の事態でした。これには、大島理森議長が「ご着席ください」と注意せざるをえないほどひどいものでした。自民党議員らの安倍首相へのヨイショはひどいものです。安倍首相のやりたい放題の所信表明でした。

 安倍首相は27日の衆院本会議で、民進党の野田佳彦幹事長による代表質問で自民党の憲法改正草案の撤回を求められ、「各党がそれぞれの考え方を示すことが大切だ。自民党草案を撤回しなければ議論できないという主張は理解に苦しむ」と反論しました。自民党の改憲草案は、そもそも憲法は、国家権力の暴走を抑えるためのものであるという立憲主義の立場とは相いれず、国家による国民への義務を課すものになっています。

 自衛隊は国防軍という軍隊になりますし、緊急事態条項の創設で法律など無視して国家権力は、やりたい放題できるようになります。 今後は、衆議院・参議院での憲法調査会で憲法改正の是非を含めての議論がされます。この動きを注視して、自民党の改憲草案の動きをくいとめていきましょう。

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、石井啓一国土交通相が沖縄県の翁長雄志知事を訴えた「辺野古違法確認訴訟」で福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)は16日、国側の請求を認め、県側敗訴の判決を言い渡しました。県は上告し、辺野古裁判は最高裁に舞台はうつります。知事の「提訴は地方自治の軽視で、民主主義に禍根を残す」との訴えは届きませんでした。

高江、辺野古の基地工事は「人権侵害」 NGOが国連会合で声明

 非政府組織(NGO)「反差別国際運動(IMADR=イマダー)」は19日、ジュネーブの国連人権理事会で、声明を発表しました。東村高江周辺のヘリパッド建設の現場に政府が500人規模の機動隊を投入していることに関し「過剰な数の機動隊によって、工事に反対する市民の強制排除など抑圧的な手段を取っている」と指摘。米軍基地の存在や日本政府による人権侵害の現状を訴え、表現の自由など沖縄の人々の権利を尊重するよう日本政府に求めました。

 声明は、名護市辺野古の新基地建設と高江のヘリパッド建設について「沖縄の人々の一貫した反対にもかかわらず、日本政府は計画を進めている」と強調。

 ヘリパッド建設に反対する市民らを取材中の沖縄タイムスと琉球新報の記者が、機動隊に強制排除されたことにも触れ「報道の自由が脅威にさらされている」などと指摘しました。

 新基地建設では、沖縄防衛局が契約した警備会社が、海上で抗議する市民を特定するための内部リストを作成していたことも報告し、日本政府に知る権利やプライバシーの権利の尊重を求めました。

 安倍政権のやろうとしている憲法改悪や、沖縄に対する非人道的な対応、正規雇用を増やし非正規雇用を拡大していこうとする流れなどにストップをかけていきましょう。(河野) 案内へ戻る


 ――中国の膨張主義――周回遅れの大国エゴとの付き合い方――「抑止力」論の危うさ――

 南シナ海や尖閣諸島周辺での中国の強硬な態度が露骨だ。国際司法裁判で中国の主張が退けられた場面では、それがさらに際立った。

 中国の傲慢な行動を目の当たりにして、日本でも対中嫌悪感が拡がっている。日本政府は、それを追い風にするかの様に対中脅威論を振りかざし、軍事力整備や対中封じ込めに躍起になっている。

 とはいえ、脅威論や抑止論ばかりが飛び交うことは危険なことだ。軍事的観点以外の、日中の労働者・市民の連携や交流の拡大が急務だ。

◆悪化する相互感情

 最近の世論調査では、日本人の中国人への感情が悪化している。9月13日に米国調査機関が公表した国民感情に関する世論調査で、「相手が好意的でない」と応えた割合が、日本人で86%、中国人が81%で、それぞれ10年前から10%ほど上がったという。

 こうした相互感情の原因として、日本人では中国人の「横柄」「暴力的」という印象や、尖閣諸島の領海やその周辺への中国公船の侵入、それに南シナ海での岩礁の埋立や基地づくりが影響しているという。

 対して中国人の対日感情は、相変わらず戦争責任を省みない日本及び日本人に対して反感は強いただ、近年、訪日中国人が増えている影響もあって、少し前より若干好転している様だ。

 相互感情の悪化に歩調を合わせるかのように、日本で中国に対する「脅威論」「抑止力論」があふれている。新聞の投書欄やネットでもよく見られる。果たしてそんな単純な直接対応で良いのだろうか。

◆大国としての復活

 南シナ海では、すでに7カ所の岩礁が埋立られて人工島や滑走路がつくられ、中国の実効支配の既成事実化が進んでいる。領有権に争いがある地域で、それを無視する形で埋立や滑走路建設などを進める中国の膨張主義は、批判される他はない。

 とはいえ、中国が辿ってきた歴史的経緯抜きに、ただそれらを批判・非難するだけでは根本的な解決への道は少しも見えてこないのも事実だ。

 第二次大戦までの中国は、先進国列強による度重なる侵略と植民地化を余儀なくた。戦後に共産党政権が誕生してからも、大躍進運動や文化大革命など、様々な試練や混乱に見舞われてきた。鄧小平時代に確立された「社会主義市場経済」(?)でやっと経済の高度成長の軌道に乗り、それ以降めざましい経済発展で国力増強を進めてきたという経緯もある。

 その中国。共産党独裁政治は、当初は対日戦勝利による民族解放という正統性を主張できた。が、経済発展が進むにつれて、貧富の格差拡大や公害問題などが拡がり、かつての正統性のカンバンだけではやっていけなくなった。

 そこで登場したのが「中華民族の偉大な復興」というスローガンだ。これは現在の習近平政権になって大上段に掲げられたもので、要は、かつての中華帝国を引き写したかのようなナショナリズムに訴えるものだった。日本の戦争責任批判も、かつての様に被侵略国としての正統性は薄れ、しだいに国家間パワーゲームのカードとしての意味合いが強くなっている。

 中国の軍事力の増強についても同じだ。軍事力近代化を進める政策の直接の発端は、あの米国によるイラク戦争だった。近代兵器の威力を目の当たりにし、兵器や軍事組織の近代化を進め、今では空母や攻撃型潜水艦、サイバー兵器まで保有するようになった。

 経済発展、それを土台とする軍事力の拡大。これらが進むことで、中国の人々の国家・国民意識も高まり、国内矛盾を覆い隠すために、共産党政権もナショナリズムを国家統治に利用しているわけだ。いはば、植民地から新興国へ、そして経済大国へと発展するにつれて新たな矛盾が生み出される、という段階に入ったといえるのだろう。これらが現在の中国を突き動かす衝動になっているのだ。

◆「抑止力」論の危うさ

 膨張する中国。それに対して日本の対応はどうなのか。

 安倍政権は、第一次政権時から対中脅威論一辺倒だ。外交でも中国の周辺国への「価値観外交」を繰り広げてきた。要は中国封じ込め政策だ。

 国家間関係でも、「戦略的互恵関係」などと前政権時からの建前は踏襲してはいる。が、実際は「東アジアの戦略環境の変化」を強調することに終始している。尖閣諸島周辺への中国船の接近に対し、北朝鮮による核開発やミサイル発射に対する脅威論も利用しながら、対抗的な軍事力(F35や日本版海兵隊、水陸両用車など)と軍事政策(戦争法)も整備してきた。政府のこうした姿勢は世論レベルにも波及し、周辺国の暴挙をやり玉に挙げた「抑止力」論が拡がって、政権を後押ししている情況にある。

 とはいえ、「自衛力」や「抑止論」は、あくまで軍事上の概念であり、要は「軍事論」なのだ。相手が武器を保持していたりもっと強力なものをつくったら、こちら側も同じような武器を持たなければならない。攻撃こそ最大の防御なり。これが軍事合理性だ。「抑止論」は、目先の対応として単純で解りやすいから、どうしても飛びつきやすい。

 ただし、その軍事合理性。こちらがやれば相手も必ず同じようにする、という悪循環から逃れられない代物なのだ。そんな言葉や概念をいくら振り回していても、根本的な解決には繋がらない。いつか、どこかで必ず武力衝突という破局がやってくる。だから、問題は常にそうした軍事論、軍事合理性を、どれだけ制御できるか、あるいはそれをどれだけ小さくするかが問われるのだ。

 中国や北朝鮮による「脅威」が叫ばれている。が、元をただせば、遅れた国が軍事的に強大な国に対抗しているにすぎない。中国は米国の後を追っているだけだし、北朝鮮は米国による攻撃から逃れるのが一番の目的だからだ。 北朝鮮による核の脅威を強調する米国も、すでに自分たちが配備している戦略核兵器の全面的なリニューアルを巨費を投じて進めているのだ。まったく、国家や政府が絡むとろくな事がない。

 中国を牽制する米国も、対中包囲網づくりを進めてきた。ブッシュ大統領時代からの「米軍再編」やオバマ大統領の「アジア・リバランス」だ。これはヨーロッパや中東を重視してきた態度を、アジア、とりわけ中国の台頭に備えるため、アジア重視の軍事戦略に変えてきたのだ。

 経済のTPPもそうだ。アジア経済の枠組みが、アジア投資銀行などを通じた中国中心に形成されることを阻止するため、いはば、「経済の安全保障政策」として進めてきたものだ。

 軍事でも経済でも対峙する中国と米国。とはいえ米国も対中強硬論一辺倒ではない。米中戦略対話、あるいは各種経済使節団の派遣、台湾への武器供与の規制など、間合いを計りながらだ。中国側も巨額の対米投資などもある。米中は片手で殴り合っても、もう一方の片手では握手している。いはば二股外交・二面外交なのだ。日本は歴史的経緯や安倍政権の偏狭な性格もあって対中強硬路線に傾斜し、戦略的互恵関係はお題目に止まっている。要は、複眼的視点を欠いているのだ。あぶないのは、米中関係よりむしろ日中関係なのだ。

◆対置すべきは「対話」「交流」

 普通の人々、庶民間の繋がりを考えれば、相互依存・相互交流の想いは、むしろ普通のことだ。経済使節団などばかりでなく、囲碁や音楽など文化交流も普通に行われている。そうした場面では、友好的感情があふれている。

 そうした民間交流、普通の人々の交流では、「相手は敵だ」などという感覚はない。それが国家や政府が介在すると、国益をかけた対決型になってしまう。メディアの報道姿勢もあって、国家・政府間関係の側面ばかりが肥大化してしまう。

 それに国家的リーダー、特に政治家は外に対して強い姿勢を見せたがる。威勢がよいほうが強い,頼りがいがある指導者だと思われるからだ。これらは中国側から見ても同じだ。要するに、国家間関係に焦点が当てられると、国家利益をめぐる攻防ばかりが肥大化する。

 背景には新自由主義がある。新自由主義はかつての帝国主義とは違うが、企業利益至上主義を突き詰めると、国家利益至上主義と合体してしまう。「国益論」だ。とりわけ、軍需産業などは、常に軍事的な緊張・衝突の危機が存在すること、それぞれ軍事力の強化・拡大を推し進める政府が存在することが「自社の利益」になる。米国は、世界中で戦争や紛争を巻き起こしているが、そのおかげで米国の兵器産業は、世界中に自社の武器を売りさばくことで莫大な利益を手にしている。アフガンやイラクでは、民間軍事会社に、兆単位のお金が投入されてもいる。戦争や紛争、それに国家間・勢力間の紛争は、それ自体が軍需産業に莫大な利益をもたらす。要は、軍事の問題が利益の問題と結びついているのだ。

 国家間の緊張場面では、抑止力や自衛力ばかりに注目が集まるが、ここは、憲法前文の記述に立ち返りたい。そこでは「政府の行為による戦争」とある。戦争のほとんどが政府によって引き起こされることを反省した記述だ。だから日本や中国でも、双方の政府による戦争を封殺することが国民的課題になる。そうした闘いをどれだけ拡げられるか。このことによって、戦争への道を断ち切ることができる。自衛力論や抑止論など、まかり間違っても「国家・政府の論理」、「軍事の論理」に振り回されないようにしたい。

 国境を越えた良好な関係づくりには、労働者や民衆の連携や交流が不可欠だ。仮に、戦闘機一機分の数百億円、軍艦一隻分の千億円台の予算を民間交流の支援に回せば、それだけで相互理解や相互交流は飛躍的に拡大する。そうした繋がりを太くすることで、軍事関係ばかりが突出する相互関係を善隣友好関係に切り替える事も可能だ。

 こうした相互関係は、国益主義・民族主義を強める双方の国家や政府に期待することは出来ない。抑止論という軍事論に対抗するには、別の論理、すなわち善隣友好という「庶民の論理」、「暮らしの論理」で関わること、そうした領域を拡げる以外にない。労働者や市民のインターナショナルな、国際主義に依拠した取り組みが今ほど求められている時はない。(廣)案内へ戻る


 北朝鮮の核武装をいかに批判すべきか

この9月8日、北朝鮮は国際的非難の渦中にありながら第5回目の核実験を行った。

マスコミはこの間に様々な事を報道しているが、北朝鮮情勢の真実はよく分からないというのが菅沼光弘元公安調査庁調査第2部長ら専門家の間での真実である。彼によると学識者という人たちでも、北朝鮮の労働新聞を読んだ上での自分の推測をあれこれと想像で話しているに過ぎないのである。まず私たちはこの点を押さえようではないか。

無力だった6カ国協議

 6カ国協議とは、北朝鮮の核開発問題に関して、解決のため関係各国外交当局の局長級の担当者が直接協議を行う会議であり、構成する国はアメリカ、大韓民国、北朝鮮、中国、ロシア、日本の6国である。そして2003年8月の第1回から2007年3月の第6回まで北京で合計9回の会合が行なわれたが、それ以降は開催されていない。開催されなかった間に、北朝鮮では金正日から金正恩への政権委譲がなされたのである。

北朝鮮の動向が今後の日本にどのように影響するかを検討する上での核心は、北朝鮮が既に核爆弾の小型化に成功し弾道ミサイルに核弾頭を搭載できるか否かにある。もしも搭載されているとすれば、既に日本はノドンの射程内にあり、北朝鮮核ミサイルの脅威下にある。このように核弾頭を搭載しているか否かは、決定的な問題となるのだ。

 勿論、北朝鮮は1月の「水爆実験の成功」とともに今回の「核実験成功」を伝える声明でも「核弾頭」の爆破実験に成功したと主張している。しかしこれらに関しては私たちは確認することすら困難なことであり、取り敢えずは「初めて核爆弾の小型化に成功し、弾道ミサイルに核弾頭を搭載できる」とこの声明を受け止める他はないだろう。

ここで再確認しておきたいことは、北朝鮮が起爆装置の小型化に成功し、核ミサイル戦力を保有するに至ったと主張するのは、今回が初めてではないことだ。2013年の核実験の際にも、既に宣言していることを私たちは忘れてはならない。
何回も言っておこう。北朝鮮が言うことが事実かどうかは、既に述べたが専門家でも本当は分からない。北朝鮮の情報統制は徹底しているのだ。中国やロシアも含めて世界のどの国も、北朝鮮が核ミサイル戦力を実現化したとは確認出来ていないのである。

日本政府は「核ミサイル配備のリスク」が増大と判断

一方、日本政府はこれを「真実」と見ている。9月9日、稲田防衛相は記者会見で、「北朝鮮が、核兵器の小型化・弾頭化の実現に至っているという可能性は否定できない」と発言した。それまでの日本政府の公式見解を『防衛白書』で確認すると、2012年版では「比較的短期間のうちに、核兵器の小型化・弾頭化の実現に至る可能性も排除できず、関連動向に注目していく必要がある」として、いまだ実現できていないとの見通しだった。

それに対して2013年2月の第3回目の核実験を経た2013年版では、「比較的短期間のうちに、核兵器の小型化・弾頭化の実現に至っている可能性も排除できず、関連動向に注目していく必要がある」と、既に完成しているとの可能性に初めて言及している。日本政府・防衛省は、2013年の核実験を経て北朝鮮が核ミサイル武装を主張したことを受けて、それを信じているかのようだ。

 さらに2014年版では前年版と同様だったが、2015年版では「実現に至っている可能性を排除できない」との前年と同様の記述の後に「時間の経過とともに、わが国が射程内に入る核弾頭搭載弾道ミサイルが配備されるリスクが増大していくものと考えられ、関連動向に注目していく必要がある」との記述が新たに書き加えられている。

 つまり日本政府は核ミサイルが完成している可能性は否定できないと言っているものの、日本を射程におさめる核ミサイルはまだ配備されていないと矛盾した記述でお茶を濁しているのだ。日本政府の本音は、「よく分かっていない」と考えているのである。

今年1月の第4回目の核実験を経て今年8月2日に発表されたばかりの2016年版では、これまでの「可能性を排除できない」との懐疑的な記述から、「核兵器の小型化・弾頭化の実現に至っている可能性も考えられる」へ変更されるが、この最新版でさえ「時間の経過とともに、わが国が射程内に入る核弾頭搭載弾道ミサイルが配備されるリスクが増大していくものと考えられ、関連動向に重大な関心をもって注目していく必要がある」とあり、いまだ日本を射程におさめる核ミサイルは配備されていないと記述されている。

 核弾頭が実現しているのなら、核ノドンが実戦配備されていると考えるのが軍事的な常識というものであろう。日本政府の認識は、このように自分に都合良く考える所がある。

北朝鮮の核ミサイル武装アッピールをどのように見るのか

北朝鮮が核弾頭を持っているか否かはいまだ断定できない。確かに核爆弾の小型化は確かに難しい技術ではあるが、開発に何十年もかかる技術ではない。北朝鮮が初の核実験に成功したのは、十年前の2006年である。

 それ以来、2009年、2013年、2016年に2回と、核実験を積み重ねてきた時間的経過を考慮すれば、既に実現化した可能性は充分に高い。そもそも核弾頭の存在を「米韓が断定」していないについては、北朝鮮の核保有を容認しないという両国の政治的立場がある。公式には北朝鮮を核ミサイル保有国と認定しないことが、外交の場では北朝鮮の発言力を抑えることになる。つまり米韓当局は実際は核弾頭が実現されたものと推察したとしてもよほど強力な確証が提示されない限り、公式に認めたくはないのである。

 2013年から北朝鮮は自らの核ミサイル戦力保有をアピールしてきたが、昨年まではそのアピールは今と比較すればたいへんに控えめだった。それが今年1月の第4回目の核実験以降は、「核ミサイル武装」との強烈なアピールへ変わったのである。

 北朝鮮は核ミサイル保有の宣言と米国をいつでも攻撃できると誇示する声明も発表するだけでなく、実際に起爆装置のレプリカと思われる球体や、再突入体の耐熱実験などの様子も発表したのである。

前年まではこそこそと核とミサイルの開発を行い、時には原発建設や人工衛星打ち上げなどの平和利用だという口実まで使っていたが、今年1月の「核実験成功」発表以降は、アメリカの敵視政策に対抗するために、対米抑止力として核ミサイル戦力を強化することを堂々と宣言し、実際に堂々と矢継ぎ早に多種のミサイル実験も実行してきた。この豹変とも言える北朝鮮の開き直った態度からは、今年1月の核実験で北朝鮮が本当に核弾頭を実現化したと推察することが、必要とされる現実的判断ではないかということなのである。

 このように北朝鮮がそこまで本気になって核ミサイル武装実現の国際的な周知を図っているということは、やはりそれが実際に実現されている現実性が高いことを示している。さらに新技術の固体燃料ロケットを採り入れた潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)を短期間で開発したように北朝鮮の技術力は侮れないレベルであることも事実である。

在韓米軍も昨年から核ミサイル拠点制圧重視に

1月の実験の際、北朝鮮側は「水爆実験に成功」と自賛しているが、水爆実験での爆発規模は通常ははるかに大きいので、実際には小規模な核融合技術を利用したブースト型核分裂弾の実験だった可能性がある(爆発規模が小さかったことから、ブースト段階は失敗した可能性が高い)。今回、前回実験からわずか8カ月で再実験したのは、今後は遠慮なく核実験していこうということでもあろう。

 こうして最も情報を持っているはずの在韓米軍事当局が、昨年から対北朝鮮の作戦計画をがらりと変えた。これまでの米韓軍の作戦計画は、基本的には北朝鮮軍の侵攻には大規模な空爆・砲撃の上で正規軍陸上部隊の投入による制圧戦の想定だったが、昨年からは先制攻撃で北朝鮮の核とミサイルの施設を特殊部隊で押さえる想定もするようになった。在韓米軍がそれだけ、北朝鮮の核ミサイルを現実の脅威と考えた証拠ではないか。

結局の所、北朝鮮が既に核弾頭を完成し、日本を核ノドンの脅威下においたかどうかは確かに不明であるが、実際に「まだ実現されていない」と断定する根拠は一切ない。今回も官邸付近に配備された対核ミサイル防衛システムは無用の長物であった。

安倍政権には打つ手がない

 在韓米軍への高高度迎撃ミサイル(THAAD)配備に反発する中国との関係に暗雲が立ち込め、核・ミサイル開発に突き進む北朝鮮の脅威が高まっている中、韓国は今までとは打って変わって日本に接近を開始し始めている。

9月13日、韓国の尹外相は長嶺駐韓日本大使と会談した際、「最近は韓日間で緊密に意見交換し、協議する分野が広がっている」と強調した。尹外相の発言は、北朝鮮の核・ミサイルの脅威に関する情報共有を活性化させる軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結問題を含む協力を念頭に置いたものとみられる。

 9月18日、岸田外相とケリー米国務長官、尹韓国外相が18日、国連総会の出席などのために訪問している米ニューヨークで会談した。3氏は第5回目の核実験を実施した北朝鮮について集中的に議論した上で「一層強力な国際的な圧力が必要」とする共同声明を発表した。声明では北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返していることについて「複数の国連安全保障理事会決議を著しく無視している」と非難した。また日米韓外相会談では「北朝鮮のミサイル・核計画の収入源を更に制限する方策」を検討したと説明した。

 ケリー氏は「北朝鮮が朝鮮半島の平和への挑発行為をしなければ、対話をする用意がある」としつつも、「(北朝鮮が)直ちにすべきことは、いかなる挑発行為をやめ、核実験をしないことに同意することだ」と語った。尹氏も「挑発に相応する追加的な苦痛を加えなければならないという共通認識がある」とし、厳しい制裁が必要だとの考えを強調した。

 こうした対応を見る限り、安倍政権は対北朝鮮にはまったくの無力である。無力な安倍は国際連合で北朝鮮非難を大声で喚くことしか日本防衛の秘策は持っていないかである。

 9月22日、第71回国連総会における安倍内閣総理大臣の一般討論演説では、その演説の冒頭から北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返していることを取り上げ「北朝鮮は疑問をはさむ余地のない計画をわれわれの前で実行している。その脅威はこれまでとおよそ異なる次元に達したと言うほかない」と指摘した。

 その上で安倍総理大臣は「われわれは既往に一線を画す対応をもって、これに応じなくてはならない。力を結集し北朝鮮の計画をくじかなくてはならない。安全保障理事会が新次元の脅威に対し明確な態度を示すべき時だ。日本は安保理の非常任理事国として議論を先導する」と述べ、安保理が制裁強化を含む断固たる対応をとるために議論を主導する考えを表明した。

 そして演説の最後に安倍総理大臣は日本がめざす国連の安保理改革を取り上げ、「アフリカやラテン・アメリカの国々は世界の政治でも、経済でもかつてない影響力を築いた。しかし安保理では満足な代表を持てていない。安保理の改革は今実行するのでなければ、容易に10年、20年と先送りにされてしまう」と述べ、安保理改革の必要性を強調した。

 まったく一事が万事とはよくぞ言ったものである。この期に及んでも安保理の改革の必要性を説くとは。本当なら国連の大国支配を糾弾すべき所である。

 北朝鮮に対する6カ国協議が無力だったように、大国に拒否権を認めて安保理決定が屡々無力化させられてきた現実を安倍総理は知らないかである。6カ国協議が無力だったのは、覇権国家・中国がある意味、属国の北朝鮮を守ってきたからである。

 安倍総理の追求する「地球儀を俯瞰する外交」が「対中国包囲網」の別称であるように、安倍総理の主張である「安保理の改革」とは日本の「安保理の常任理事国」入りを実現することである。

 そもそもそんなことより国連憲章から「敵国条項」の削除をさせることが専決であり、中国との関係改善をめざさない限り、中国の拒否権が発動されるので無理だとの現実判断に立てないのが、安倍総理の安倍総理たる所以である。

 北朝鮮核武装の批判については、全世界の核廃絶の運動の拡大・発展の中でしか現実化されないのであり、日本共産党のように安倍政戦の尻押し部隊になることでは問題は解決されないことを知るべきである。(直木)案内へ戻る


 読書室 一ノ宮美成+グループ・K21著『黒い都知事 石原慎太郎』宝島SUGOI文庫

 現在、時の話題としてマスコミの連日の報道により焦点化している豊洲市場の移転も、その元を辿れば石原慎太郎都知事の鶴の一声と「彼を支えた都政」の黒い実態が核心だ

 この宝島SUGOI文庫の親本は、2011年1月に同名宝島社から出版された。そして翌年の1月に文庫として改訂され出版されたものである。

 普通であれば石原、猪瀬、舛添と都知事関わっていく中で埋もれていってしまう本ではあるが、あまりにもセコい舛添スキャンダルの発覚の中で行われた都知事選挙で当選した小池百合子新都知事は、小泉元総理に学んだ“劇場型政治家”として活動を開始し始めた。そしてその活躍の場として俄に注目されてた豊洲移転と盛り土問題に関する不明朗な設計変更に関わって、自分を都政の改革者とアッピールしているかのようである。

 そこで私たちも、「都政を革新する」とはそもそもどこに原点があるのかを再確認するために都政を利権構造に作り替えその中に投じた張本人である石原都政の内実を鋭く抉った本書の再読を、特に「第2章築地市場移転の陰謀」を読むことをぜひとも提案したい。

 本書のまえがきには、先行の「石原慎太郎」本との違いを明確に述べた箇所がある。「本書は、これまで何度も書かれてきた“石原慎太郎論”とは大きく違っている。従来の書は、その過激な言動に振り回され、キャラクター論に終始してきたきらいがあった。本書は、石原知事をとりまく“カネ”と“カネづる”の問題について徹底的に追跡したものだ」、つまり常に過激な言動を駆使し人々の耳目を蠢動させてきたもう一人の“劇場型政治家”の典型としての石原慎太郎の実像を具体的に暴露したのだ。ここに本書の今後も生き残る不滅の価値があり、その具体性の故に今回再度注目されることになったのである。

 まずは本書の構成を紹介する。

 まえがき
 第1章 羽田空港国際線オープンの黒い霧
 第2章 築地市場移転の陰謀
 第3章 闇の勢力に食われた新銀行東京
 第4章 幻の東京五輪で儲けまくった面々
 第5章 東京再開発に蠢くバブルの亡霊
 第6章 東京のカネは俺のカネ――税金私物化の唖然
 第7章 福祉絶望都市に栄える「強欲福祉ビジネス」
 主要参考文献

 築地市場移転と豊洲新市場の問題は、本書で解明されたように東京臨海部再開発と一体の案件であり、特にこれと関連が深い所は第2章と第4章及び第5章の3つの章である。また第6章はセコい舛添前都知事も真っ青な石原元都知事の税金私物化の実態暴露である。つまりはゼネコンと石原元知事を含めた利権政治屋が深くつながる問題なのである。

 今回紹介のきっかけとなる築地市場移転の陰謀をぜひじっくりとお読みいただきたい。

 ここでは築地と豊洲に関する事情を最新のものも含めて分かり易くまとめて、現在に至る不明朗な築地移転を鶴の一声にて決めた石原元都知事の責任を断固追及したい。

 過去にガス製造をしていたために汚染物質まみれで使いようのない豊洲。元々、土壌が汚染されていることがわかっていた東京ガスの工場跡地に世界最大の食品市場を移転させることには強い反対意見があったが、市場の移転によって、築地という銀座から徒歩圏内にある都内の一等地の広大な土地の再開発が生み出す莫大な経済的利益は、そんな懸念をかき消すのに十分な魔力を持っていた。元々豊洲は食品市場の移転先として立地条件が適していたから選ばれたのではなく築地の再開発ありきで、押し出されるように豊洲に追いやられた市場だ。これを東京都が高値で買い取る話で、東京ガスは大儲けだ。この売却を仕切った政治家に巨額の謝礼を渡しても十分お釣りが来る。築地はまた汐留の隣接地である。築地の市場が消滅しても築地が汐留と合体すれば汐留・築地地区が一大ビジネスセンターになる。つまり大手町に並ぶ巨大ビジネスセンターに昇格するのだ。この開発の建築時の入札で違法な「談合」をすれば、鹿嶋や大成建設等ゼネコンはさらに大儲けだ。築地市場では当初でこそ移転反対の中小業者が多かったが、 多くの業者がいつの頃からか大人しくなった。これには、新銀行東京が深く絡んでいると従来からいわれてきた。

 築地の移転方針が定められたのは1999年。移転先は豊洲となったのは2001年。環境基準の4万3千倍のベンゼンが検出されたのは2008年 5月。豊洲新市場の整備方針が決定されたのは2009年2月。この時は盛り土実施の方針だった。盛り土が地下空間に入れ替わったのは、2011年3月から6月の間である。

 当初は、盛り土の上に高床式施設が建設されるはずだった。これが2011年6月、盛り土部分に地下空間を作り高床式にしない設計に変更された。豊洲汚染地の売買が行われたのは2011年3月。1859億円が東京都から東京ガス及び関連会社に支払われた。

 東京ガスは汚染対策費の100億円と追加費用負担78億円を支払 った。しかし汚染対策はこの金額では実現せず、東京都がさらに849億円も投入した。2011年3月と言えば、あの原発事故と東日本大震災が発生した、まさにその時である。

 実際、この地震で豊洲においても百数箇所で液状化が発生したが、この最中に東京都は何と土地売買を実行した。しかも東京ガスが負担した汚染対策費はその後の実費をはるかに下回る金額のため、不正売買で東京都が損失を蒙ったとして訴訟も提起されている。

 つまり築地、移転、豊洲、土地売買、盛り土から地下空間への変化のすべては、1999年から2011年までの間に生じたことである。この期間、東京都知事の地位にいたのは誰か。石原氏は1999年4月から2012年10月まで東京都知事の地位にあった。

 東京都が東京ガスから汚染地を購入する際には、瑕疵担保特約がついていない。都民の利益を損なう契約である。そして最も重大な問題は、東京都が虚偽を公表し続けたことだ。つまり敷地全体に盛り土を行うことが汚染地対策の核心だった。この盛り土を実施したとの虚偽がホームページなどを通じて公表され続けてきた。議会審議においても、虚偽答弁が行われてきた。今回の都知事選で移転が中断され、この事実が公表されなければ、不正は闇に埋もれたままになっていた。舛添前都知事では何の問題もなかったのである。

 これらの無数の疑惑と関係するのが、東京都の天下り利権である。築地移転、豊洲決定、不正売買疑惑の動きの最中、2005年に東京都局長から東京ガス執行役員に天下った人物がいる。彼が東京ガスに利益を供与し、見返りに天下りポストを東京都が獲得する。このような推理が充分に可能だろう。

 実はこれが天下り問題の本質である。官僚機構が民間事業者に利益供与を行う。その見返りとして天下りポストを提供させる。天下り問題は霞が関官庁だけの問題でない。

 豊洲新市場の総事業費は2011年度段階での3900億円から約 1.5倍の5900億円に膨れ上がっている。 さらに拡大の見通しだ。すべては石原元都知事の責任だ。

 現在、マスコミが毎日のように豊洲新市場の地下空間の報道合戦を繰り広げているが、私たちは小池“劇場”の単なる観客に止まることなく、自民党利権政治の元をいかに絶つのかの視点でこの問題の核心に迫っていかなければならない。一読を勧めたい。(直木)


 『昭和史講義‐最新研究で見る戦争への道』(筒井清忠編・ちくま新書)

「お手軽昭和史本」は危険!

 本書は、最近巷に溢れる「簡単でわかりやすい」お手軽な「昭和史本」の横行に危機感をいだいた編者が、昭和史の様々な分野の研究者たちによる「最新成果」を集めて、コンパクトにまとめたものである。まず、編者の問題意識を「まえがき」から。

 「中国・韓国・アメリカなどとの関係の中で「歴史認識」をめぐる問題が外交の焦点となってきた昨今、「何が本当なのか、知りたい」という形で昭和史への欲求が強くなるのはある意味当然のことと言えよう。」

 ところがこうした読者のニーズに対して、書き手の側の研究者の情況は「研究の専門化・細分化が甚だしく研究者間の共通の認識が乏しくなっている」と指摘する。「読者は驚くかもしれないが、昭和史研究者と言っても、昭和の初期の内政を研究している人と、終戦のころの外交を研究している人との間では、最新の研究状況についてほとんど話がつうじなくなっているのである。」

 そこから起きる問題は何か?「ここに、一般の読者の需要に応えようとする書き手が現れ、簡単でわかりやすい昭和史についての本が多く現れる背景があると言えよう。」「二〇〇〇年代に入る前後から歴史認識をめぐる問題がかまびすしくなり、昭和史に対する関心が高まるのに相前後して不正確な一般向けの昭和史本が横行し始めたのである。」「自分らに都合のいい心地よい昭和史を実証的根拠もなくそれらはもっともらしく語っているのである。」

 「しかし、お手軽な昭和史本の氾濫は極めて危険ではないだろうか。研究が深まるほど、昭和史は幾重にも逆説の重なった複雑なプロセスだということが明らかになっている。そういう中で、歴史を単純化するお手軽昭和史本はこういう認識を妨げる方向にしか機能しない。それは、読者を賢明に育てるのでなく、ある方向に動員されやすい人間を作るだけだろう。誤った認識は誤った行動を、歴史の単純化は単純な人々だけによって動かされる「単純な歴史」を生み出すであろう。」

 そこで編者は「こうした情況を打破するにあたり、私どもにまずできることは確実な史料に基づいた正確な昭和史を読者に届けることではないかと思われる。それが乏しいことが不正確なものが横行する大きな原因なのであるから。」と編集の動機を語る。

ではどのような手法で?「前述のような研究状況の中、一人で昭和史を書くことは極めて難しくなっているが、それぞれの専門研究者の成果をまとめれば可能だ。こうしたできあがったのが本書である。」

「俗説」を検証するために・・・

 編者は「お手軽な昭和史本」は「新しい研究の成果など全く追っていないので、過去の間違いがそのまま踏襲されていたり、俗説や伝承の類がチェックもなく横行したりしている。」と指摘する。

 例えば「日本軍の真珠湾奇襲攻撃をアメリカはあらかじめ知っていたという陰謀説も昔から再三唱えられており、結構信じている人も多いのだが」と指摘する。これについては本文「第13講 日米交渉から開戦へ」で森山優が検討している。「真珠湾陰謀説とは、ローズヴェルト大統領がアジアの「裏戸」(Backdoor)から欧州に参戦するため、日本の真珠湾攻撃を察知していたのに放置して攻撃させたとする議論である。」「この議論は、アメリカの共和党系を中心に、修正派(revisionist)が主として唱えており、戦争終結直後から幾度となく繰り返されてきた。しかし、それを直接に立証する史料は現在に至るまで示されていない。」その具体的検証については、本書を読まれたい。

 他にも、日米開戦に至る交渉で妥協案を模索していたアメリカが最後通牒的な「ハル・ノート」を出すに至った経緯は何か。「二・二六事件」における戒厳司令部の石原莞爾の果たした役割は何だったか。など、様々な論点について、巷に横行する「通説」や「俗説」に対する最新の研究成果を、現段階では十分解明できていない問題も含めて、できるだけ正確に紹介しているのが本書である。

 また本書の続編ともいえる『昭和史講義2‐専門研究者が見る戦争への道』では、さらに論点が追加される。「日米開戦前の和戦を決する重要な会議において、海軍が拒絶すれば戦争はできなかったはずだが、海軍はなぜノーと言わなかったのか。」「一九四一年のゾルゲ事件において、ソ連のスパイ・ゾルゲがもたらした、日本軍が北方ではなく南方に向かうという秘密情報がスターリン・ソ連の世界政策決定に決定的影響を与えたといわれる。それはどこまで本当なのか。」「日本の敗色が濃厚な中、原爆投下は対日作戦上必要なかったのにもかかわらず戦後のソ連に対する威圧効果を狙ってアメリカのトルーマン大統領は投下したという説があるが、これはどこまで本当か。」など。

高校「日本史・世界史」復習を

 とはいえ、「第1講 ワシントン条約体制と幣原外交」から「第5講 満洲事変から国際連盟脱退へ」を経て「第15講 日本占領‐アメリカの対日政策の国際的背景」まで、一応順序よく並んではいるものの、「最新の研究成果」は、それぞれの論点について突っ込んで検証する形で叙述されているので、やはりあらかじめ「教科書程度」の歴史は知っていることが必要となるのは止むを得ない。

 あくまで本書は「お手軽昭和史本」ではないのだ。そこで、本書を読むに当たって、読者の側も努力することが求められる。それは「最新の研究成果」に触れるに当たり、その前提となる「教科書的知識」を復習することである。筆者としては、高校の歴史教科書よりも
、やや詳しい『もういちど読む山川・近現代日本史』と『もういちど読む山川・現代世界史』をお勧めする。これは学習参考書の『詳説日本史研究』と『詳説世界史研究』のうち当該部分の叙述にほぼ対応している。

 筆者のつたない学習の感想だが、日本の近現代史のうち、明治維新から日清・日露戦争や日韓併合までは、まだ比較的わかりやすい。これに対して、第一次世界大戦と大正デモクラシーの時代から、軍国主義が台頭し山東出兵・満洲事変・日中戦争・南部仏印・対英米開戦とつづく昭和史は、実に複雑でわかりにくい。それは第一次大戦後に、欧米列強の軍縮や東欧・北欧の独立、ロシア革命、中国革命など、多くのファクターが複雑にからみあい、日本政治においても「協調外交」と「強行外交」とのせめぎあいが繰り広げられるからだろう。

 昭和史、とくに満州事変前後から太平洋戦争までの歴史をどう認識するかは、古代史や中世史と違って、政治性に直結するため、学習するのにも気楽にはいかない。近年台頭する「歴史修正主義」との論争では、とりわけ気が重くなるのはやむを得ない。しかし、避けて通るわけにはいかないのである。そういう歴史的地点に我々は立っているのだから。その課題に向き合うための手掛かりとしても、本書は適当な素材を提供してくれていると思う。(松本誠也)案内へ戻る


 尖閣列島を友愛の島に!

 かつて「東シナ海を友愛の海に!」と唱えた人物がいる。民主党政権時代の首相、鳩山由紀夫である。この時、多くの政治家もマスコミも「また宇宙人がたわごとを」と一笑に付し、真剣に取り合わなかった。その結果はどうか?いまや尖閣列島を含む東シナ海は「友愛」どころか、大国の覇権主義の争奪、軍事衝突の危機をはらむ「憎悪の海」と成り果ててしまっているではないか!

 「友愛の海」…。例え過去の「宇宙人」の発した言葉であったとしても、現在の「地球人」には、それを応用し実現する英知が無いと誰が断定できるだろうか?「火星人」がいるかどうか「地球人」が調べるために、ロケットで火星探査機を飛ばそうという今日である。ましてや「宇宙人」の唱えたこのごく簡単な構想は、遥かかなたの「火星の話」でもなく、何千メートルの「海底の話」でもなく、すぐそこに見えている「海上の話」ではないか!

 今のEUがそのお手本である。最近でこそギリシャの財政破綻問題やイギリスのEU離脱問題、中東からの難民問題などで、いろいろな欠陥が喧伝されているにしても、少なくとも次のことは紛れも無い事実である。かつてドイツとフランスが石炭や鉄鋼の資源を巡って血みどろの争いを繰り広げた「ルール地方」は、今や争いの種ではなくなった。同じように、かつてプロイセンとオーストリアが鉱工業資源をめぐって争ったシュレーゼン地方も、今では争いの種ではない。

 確かに、それには半世紀以上もの時間と、多くの人々を介した交渉と議論の労力が費やされた。人は言う「平和はただでは手に入らない」と。それはそうだろう。同じように次のことも言わなければならない。「平和は武力による威嚇でも手に入らない」と。武力の発動を抑制するシステムは必要だ。かつて人々はそれを「集団的自衛権」(抑止力)に求めた。ところが、サラエボの一発の銃声を、ヨーロッパ全域にもわたる大戦争に広げてしまったのも「集団的自衛権」だったことが皮肉にも暴露された。

 そこで第一次大戦後、「ヨーロッパ連邦」を唱えた人がいたが、当時はまだ「理想論」として相手にされなかった(「宇宙人」とまでは揶揄されなかっただろうが)。その結果、ヨーロッパは同じ間違いを二度繰り返した。第二次世界大戦のすさまじい被害は、前回の比ではなかった。

 さすがに人々の思考環境に変化が訪れた。そんな折、フランスのジャン・モネとかいうブランデー商人が、カナダを訪れた時のことである。ある町で移動手段がなく足止めをくらい、困っていたところ、地元の人が「その馬を使いな」と勧めたという。ジャンが「ありがたいが、俺はここに戻って来ないので、あなたに馬を返せないのだよ」と言うと、地元の人は「かまわないさ。その馬は、向こうの町へ行ったら、そっちの物になるんだよ。また使う人がいて帰ってくれば、馬はまたこっちの物になるのさ。」と言ったという。

ジャンは「そうか!馬を共有すればいいのか?」と膝を打った。そして「これは使えるぞ!」とひらめいてフランスに飛んで帰った。もちろん彼の頭に浮かんだのは、他でもなく、フランスとドイツの国境の鉄鋼や石炭のことだった。彼はフランスの外務大臣か何かになって、石炭や鉄鋼を共有すればいいと言い始めた。彼は、もはや「宇宙人」とは言われなかった。何故か?人々の意識が変わり、彼の構想に本気で耳を傾けるようになっていたからだ。決してジャン・モネ一人だけではなく、様々な分野から同様の発想をする人々が現れた。こうしてヨーロッパ石炭鉄鋼共同体は発足し、のちのEUに発展してゆくのである。

「だけど中国が相手じゃさあ…」という反論が聞こえてくる。だが国家としての中国も、いくつもの地域に住む漁民や農民や労働者の上に君臨しているという、基本的な原理から見たらどうなるか?尖閣列島とその海域に生活がかかっているのは、沖縄県の漁民であり、福建省沿岸の漁民であり、台湾の漁民ではないか?そして、その魚を食べて生きる近隣住民ではないか?大切なことは、この海域の漁業資源を乱獲しないよう、そして海洋を汚染しないで生態系を守るために、沖縄県と福建省と台湾の漁民や住民が協力することではないか?その具体的なノウハウを提供しあえるのは、直接にはそれぞれの自治体であり、国家ではない。沖縄県と福建省と台湾の賢明な自治体職員には、それができるはずだ。

いきなり「○○協定」なるものを結ぼうとしても、今の時点ではそれぞれの「国家」が横槍を入れてくるのは目に見えている。だからまず「フォーラム」から始め、この海域の生態系がどうなっているのか?漁業資源の持続的維持と地球環境問題との関係はどのようになっているのか?認識を共有することから始めるのは可能なはずだ。「国家」(中国の場合は共産党政権)も反対できないやり方で、自治体外交を始めることは不可能ではない。

お手本は「EU」だけではない。実は「ASEAN」も少し別のやり方ではあるが、同じようなことを試み始めている。こちらについても、我々は謙虚に学ぶべきではないか?

「友愛の海」を「宇宙人のたわごと」と片付けてしまえる情況そのものを、「過去の寓話」にしなければならない。幸い我々は「宇宙人」と違って様々な「知恵」を持っている。「海外の先例から学び、自らの条件にアレンジする」ことこそが「地球人」(人類)の知恵である。「地球人」だからこそ「尖閣列島を友愛の島に」するための方法について、いくつもの具体策を提唱することができるのだ。そして、それは実現する時がくる。EUへの長い道のりが示すように、人々の意識が変わる時は、必ず来るのだから。(松本誠也)


 「エイジの沖縄通信」<NO.31>「辺野古違法確認訴訟の沖縄県敗訴はおかしいぞ!」

 9月16日(金)午後、福岡高裁那覇支部で「辺野古違法確認訴訟」の判決が言い渡された。国の是正指示に県が従わないことは違法だとして、県が敗訴した。

もう皆さんも、福岡高裁那覇支部多見谷寿郎裁判官の判決文を読んだと思うが、その内容はとても裁判判決とは言えず、まさに「政治家」(安倍政権の代弁者)であった。

 今回の訴訟における多見谷裁判長の審議は異例の連続であった。様々なこれまでの経緯の中で、翁長知事は「解決のためには十分な協議が必要」としてきたのに、代執行訴訟の和解の後、国との協議において「本質的な議論がまったくなかった」と指摘。さらに国は県に十分な準備の時間を与えないような速さで訴訟を進めてきた。こうした国の姿勢に翁長知事は「地方自治の認識に大変疑問をもつ」と反論。

 さらに、第2回の口頭弁論の際、弁論の冒頭で裁判長は確定判決に従うかという質問の意図について、県側に異例の『釈明』をした。不作為の違法確認訴訟が強制的な執行力がないとしたうえで「従う気持ちがなければ、無駄な裁判をすることになるので、そうなれば取り下げを勧めることになる」と説明したのである。

 裁判をやる前から結果がわかっているかのような裁判長の発言、これは司法が政府にからめ捕られていることを恥ずかしげもなく露呈したと言える。

 昨年2015年10月、「代執行訴訟」が始まる時、異例の人事異動で多見谷氏が福岡高裁那覇支部に派遣され「代執行訴訟」の裁判長になった。

 三里塚闘争において、この多見谷裁判長は親子三代100年間にわたり農業を営んできた市東孝雄さんの農地を奪う不当判決を下した裁判長である。なお、控訴審で多見谷判決をそのまま踏襲した裁判官の1人(右陪席)が定塚誠裁判官で、今回の代執行訴訟の国側最高責任者として赴任している。

 この多見谷氏が福岡高裁那覇支部の裁判長となった時、「これは意図的な人事異動だ、十分注意する必要がある」との声が多く上がっていた。

 今回の判決は、まさにその事を証明した判決内容とも言える。

 安倍政権はこの裁判だけでなく、辺野古・高江でも「法を無視したやりたい放題」(本土機動隊だけでなく自衛隊ヘリの投入など)の工事強行である。

 安倍政権メンバーは口を開けば「法治国家」とか「沖縄の負担軽減」と言うが、法を守っていないのは国ではないか!あの辺野古新基地建設が普天間の代替基地と言えるのか?高江のオスプレイパッド基地建設が住民の負担軽減になるのか?沖縄の貴重な海や森を破壊することがいいのか?そんな事は、みんなバレバレである。それでも「負担軽減」「負担軽減」と繰り返すだけで、自分で物事を考えない大臣ばかり。

 沖縄県民はこの不当判決を受けてひるむどころか、さらに闘いの結束を強めている。

 最後に、沖縄の知人からの報告を紹介する。
 知人は、「今回の裁判は、政府と法務と司法が仕組んだからくりの一手『違法確認訴訟』(国の是正指示に対して県の不作為は違法である旨の国が仕掛けた訴訟)で県は裁判長の詭弁のレトリックで全面敗訴に嵌められた。国家の政治テロともいうべき沖縄襲撃が続いている。次の仲宗根勇氏の論考を今こそ更に全文を読んでほしい。以下は論考中段の文中より一連の司法画策に関する部分の引用である」と述べている。

 この仲宗根勇氏とは、「うるま市島ぐるみ会議」及び「うるま市具志川九条の会」共同代表で元裁判官である。

 その論考の一部(一連の司法画策に関する部分)を紹介する。

 まず「 結局、法廷闘争の帰結とは関係なく、基地包囲の闘いの現場に結集する県民の無抵抗・不退転の民衆運動の持続発展こそが辺野古・高江の闘いの帰趨を決することになるだろう」と指摘している。

 そして、『「当事者が自由に処分しうる権利または法律関係」について「当事者双方間に互譲(ゆずり合い)がある」ことが訴訟上の和解の成立要件である。従ってこの条項は和解成立の要件を欠き無効なものとなる。通常の能力を持つ裁判官がこのような和解条項を提案するはずはなく、これは、裁判事務に不案内の法務官僚が作成したものだろうと、私は、直感した。2016年3月24日付けの中日新聞や沖縄タイムスに共同通信の配信記事が掲載された(「菅氏主導、極秘の調整-辺野古和解の舞台裏」(中日新聞)、「国、移設へ透ける打算--辺野古訴訟和解の裏側」(沖縄タイムス)。その記事内容は、案の定、私の推測どおりであった。記事によると2月2日に首相官邸の執務室で首相が国の訴訟を所管する法務省の定塚誠訟務局長らと協議、2月12日には官房長官、外務、防衛大臣と定塚誠訟務局長が協議の結果、B案(暫定的な解決案)の受け入れに傾く。記事は、「関係者は定塚氏は高裁支部の多見谷寿郎裁判長と連絡をとっていたとみられると証言する。」とも書く。三権分立、司法権の独立に重大な疑念を抱かせる驚くべき内容である。「多見谷寿郎裁判長と定塚局長は、成田空港に隣接する農地の明け渡しを求めた「成田訴訟」を千葉地裁、東京高裁の裁判官として手がけた過去がある。多見谷氏が福岡高裁那覇支部に異動になったのは昨年10月30日のことである。」(2016年3月24日付沖縄タイムス社説)。
「送り込み人事」が疑われ得る多見谷裁判長と貞塚局長のこの間柄からすると、関係者の「証言」は、法務省を含む官邸側が裁判長と裏で通底したのではないかとの疑いを抱かせる・・・」(『沖縄差別の集中的表現=辺野古新基地建設の暴力的強行--沖縄差別の源流と「和解」をめぐる疑惑・今後の闘い』と題する論考より)』(富田 英司)案内へ戻る


 日銀の「総括・検証」という欺瞞でも隠し通せない日本経済の衰亡

日銀のこれまでの金融緩和を総括・検証したとして、黒田氏が記者会見した。予想どおり、もはや政策カードのない日銀はこれまでの政策を据え置き、言い訳に終始した。株式市場が好感したのは、緩和策の手じまいでなかったからにすぎない。

「毎日新聞」は社説で、今回の「総括・検証」を「社説 黒田日銀の転換 あの約束は何だったか」【毎日新聞】、「無謀な実験は失敗に終わったということだ。」 と酷評した。

 もちろん黒田日銀はーー以前の日銀と同じぐらいにーー目標を達成できなかっただけだが、黒田氏の派手なマスコミへのプレゼンや「二年で2%」などの具体的な数値を設定したために裏切り、肩透かし、との思いが強いのだろう。

黒田総裁は、政策の限界が枠組みの変更をもたらしたとの見方を、昨日の記者会見で強く否定した。それに対して「こうした検証や枠組みの変更が必要になったこと自体、行き詰まりを如実に示している。」なのに「日銀自身は、誤りを認めようとしない。」と「毎日」は手厳しい。

「時計の針を2013年4月4日に戻してみよう。 「2%、2年……」??。記者会見に臨んだ黒田総裁は、大きく記した「2」が並ぶパネルを自ら手にし、決定したての金融緩和策に自信満々だった。」それなのにその反省もない、と毎日は怒る。

 さらに毎日は「市場をゆがめた責任」として黒田氏を告発する。

「日銀のもとには、将来値下がりの恐れがある国債や投資信託といった資産が450兆円以上も積み上がった。今後も当分の間、増加を続けるだろう。円という通貨の信用にかかわる問題だ。 日銀は段階的に国債の購入額を減らしていかねばならない。だが、日銀という巨大な買い手が市場から手を引こうとした途端、価格が急落し、長期金利は急上昇しかねない。それを回避しようとすれば、国債購入をいつまでも止められず、バブルや景気の過熱を招く恐れがある。極めて難易度の高い出口戦略を求められよう。」(毎日社説)

 おおむね、「毎日社説」の日銀批判は正しい。

私としてはこの話に、「資本主義の若返りは不可能であることを示した」と付け加えるだけだ。

 アベノミクスの元祖三本の矢のうち、財政出動は急場しのぎのカンフル剤だ。一方日銀による金融政策も金融緩和による株価浮揚と経済の活性化の条件づくりにしかすぎない。しかし、金融緩和策は実体経済がついてこない場合は単なるバブル政策で、経済には毒にしかならない定めであった。肝心かなめは「成長産業の育成」であった。かつて五十年前の自動車や住宅、家電、造船、鉄鋼などのような高度成長を支えたような新たな産業を育成することが、アベノミクスのーーあるいは低成長下のすべての先進資本主義国のーー目標である。

 アベノミクスは極端な政策を掲げた分、その失敗も明白なものとなった。成長産業は空振りに終わり小バブルが発生し、国債や株式が日銀のようなこ準国家機関やGPIFのような公的機関によって買い占められることに収れんしつつある。今やこんな大騒ぎがなにも生み出せず、新たな大きな矛盾の開始地点となってしまった。経済の金融化は深まり「成長産業」はかえって遠ざけられ、経済の体力消耗と国家化=赤字財政が進行しただけだ。

 日本経済は世界的な実験場と化している。生産能力を徐々に弱めている先進資本主義は、金融化により一層後進国に寄生する存在となりつつある。他方、自力での「成長産業」は見いだせず、資本主義の若返りが不可能であり、どうあがいても歴史を逆には戻せないことがアベノミクス=黒田日銀の「実験」からの貴重な教えなのだ。(リュウ)


 コラムの窓・・・ 結局メダルの数ですか!

 9月20日の神戸新聞は「競技力向上てこ入れ必須」という見出しでリオパラリンピック閉幕を報じ、日本勢が初めて金メダルを取れなかった、「メダル量産へ強化策課題」と主張しました。21日の産経新聞も同じように「リオパラ閉幕 東京目指し競技力向上を」という主張を掲げ、次のように述べています。

「トップ選手の活躍は、スポーツを通じた障害者の社会参加を促す刺激になる。都市機能のバリアフリー化や、障害者への偏見をなくす『心のバリアフリー』で社会を変える契機にもなる。だからこそ、金メダル獲得に向けた選手強化を惜しんではならない」

 朝日新聞は違っていて、「パラリンピック メダルより大切なこと」(21日社説)との見出しで、「安易な勝利至上主義とは一線を画すべきだろう」「成果をメダルの数だけで評価するような考えは、大会の精神から大きく逸脱している。そう言わざるを得ない」、といたってまともな主張になっています。

 さらに、五輪はあらゆる差別を認めず相互理解を求めている「にもかかわらず、国威発揚の場ととらえ、選手に過大な荷を負わせる空気が厳としてある。その帰結がスポーツ界を揺るがしたロシアの組織ぐるみとされるドーピングである」、と批判しています。8月のコラムで私が述べたのと同じようですが、もはや五輪は初志に帰ることはできないのです。

 スポーツそのものは中立だという主張もありますが、スポーツと国家権力や愛国心との親和性は否定できないのでしょう。競技が世界的なものになっていけば、スポーツは1%の競技者に独占され、競技者の背には大くの利害関係者が張り付くことになります。こうなるとスポーツはもはやスポーツではなくなり、国家や企業のイベントと化すほかないのです。

 さらに、パラリンピックについて触れれば、これが傷痍軍人のためのリハビリに始まるものだという点も触れなければならないでしょう。この点については、9月12日のNHKクローズアップ+「〝戦場の悪夢〟と金メダル~兵士とパラリンピック~」で詳報されました。海外では戦場から帰還した負傷兵も数多く参加しており、今回は17ヶ国の兵士が出場しているということです。

 ここで強調したいことは、兵士に対する治療の目的は第1に戦場に戻すことです。その負傷兵のリハビリのために始まったパラリンピックに、〝心のバリアフリー〟を求めるには無理があります。そこにあるのは、オリンピックの競技者よりさらに超人的な競技者に対する賞賛ではないでしょうか。ちなみに、番組では、治療・リハビリによって負傷兵の2割が戦場に復帰と報じました。この事実に、私は暗澹たる思いを禁じ得ません。

 私も、若い時期にはフルマラソンを走り、自己ベストの更新をめざしたこともあります。しかし、60の坂をころげている今は、年相応に走ることが出来る健康を維持したいものと思っています。金のかからないスポーツこそ庶民のものです。 (晴)案内へ戻る
  菅長官慌てて否定 しかし 「北方領土」二島返還でケリか

プーチン訪日という歴史的外交が決定された九月下旬、いかのような 報道が流れた。

「政府は、ロシアとの北方領土問題の交渉で、歯舞群島、色丹島の2島引き渡しを最低条件とする方針を固めた。」(北方領土、2島返還が最低限…対露交渉で条件【読売新聞】 9.22)


こんな重大情報が「複数の政府関係者」から漏出した。やらせでない限り安倍政権の求心力の陰りか、妨害工作かもしれないとの推測も成り立つ。

 しかし、安倍首相がプーチンとよしみを通じて展開しようとしている外交は「五十六年以来の二島返還に立ち戻る」と言う以上ではなく少しも意外な内容ではない。さらにロシア人の島居住者の権利を保護すること、さらに資源共同開発など現実的な対応が進むことは、極東の平和維持と言う意味では決して小さくない意義を持っている。

十二月のプーチン訪日が決定している。欧米諸国によるプーチン包囲網が敷かれる中での訪日であることが、その政治的意味をいやがうえにも高めている。何らかの成果を合意する可能性はあるということだ。

 安倍政権の「独自外交」は、海外権益がますます日本資本主義のなくてはならない収益源と化している現代において、政治的軍事的影響力の海外拡張政策にある。憲法改悪も「非常事態法」も軍事費の肥大化もさらには中国敵視政策も、すべてはこの路線から生まれてくるものと考えられる。米国が大統領選挙中であることも、内向きさを強めさせている。その間をぬっての安倍外交ははばかることなくこの路線を歩むものとなるだろう。

 それゆえ仮に安倍首相が、「北方領土問題」を解決して日露平和条約を締結するとすれば、国際的な得点ばかりではなく国内的歴史的得点になるだろう。もちろん日露平和条約締結の意義自体を否定すべきではない。とはいえ安倍政権がそれを政治野心の一部に組み込んでいるのでありその成果を誇大に利用しようと企んでいる現実を見極める必要がある。全貌を明らかにして安倍政治と闘おう。(山崎)


 色鉛筆・・・卒業生の笑顔に励まされて

 東日本大震災の年に支援学校の高校生として入学してきた子ども達は、いつもより入学式が遅れました。中学校の卒業式の日にはあった自宅が津波で流され、仮設住宅の子どもも何人かいました。また、親が行方不明の子どももいました。出勤する道は、橋の前で通行止めされているところも多く迂回したり、道路が陥没したりスリリングな毎日でした。

 しかし入学してきた子どもたちと一緒に、復興のむけて歩んでいくことは、私にとって大きな希望でした。

 中学校では、ノーマライゼーションの理念で普通学級の子ども達と音楽や体育・美術などで交流してきました。卒業アルバムを見せてもらっても、健常の子ども達と同じクラスで写っています。

しかし、中学生の時は支援学級にいた子ども達は、いきなり集団にはいってとまどっていました。その子たちに中学校時代の様子を聞くと、なかなかなじめなかったようだったと話しています。先生のみえないところで、いじめられたり、また反対に「さわらぬ神にたたりなし」状態だったようです。同じ目標にむかって一緒に汗を流したり考えたりという環境にはあったのだと思いますが、教員の数が足らなかったりして、きめ細かく対応できずにいる現状があり、まだまだむずかしいようです。

高校を卒業したら社会人になることを目標に毎日を一緒に歩んでいく上で、一番多かったのは、人間関係のむずかしさ、人とコミュニケーションをとるむずかしさです。

基本的生活習慣や金銭管理などは、練習して繰り返して、そのことが大切だと思えば、できるようになります。しかし、コミュニケーション能力を高めていくことは大変なことだと思います。けんかして話し合って誤解がとけたりするまで時間がかかります。子ども達同士で解決できるのが一番ですが、その力がつくまで私が入ることも多くありました。

実際、今の社会の中でも障がい者でなくても、コミュニケーションをとることが苦手だという人が多くいます。そして、安定した気持ちで働けない人も多くいます。

今の社会が働いてお給料をもらって自立できるかというと、なかなか容易いことではありません。

しかし、東日本大震災のときに入学してきた子ども達は、社会人となり、歯をくいしばって離職することもなくがんばって働いています。障がい者枠での採用だったり、施設利用の工賃だったり、お給料は健常者の人より低いです。今年20歳成人をむかえる仲間同志で連絡をとりあって、交流しています。また趣味をみつけて、働くことと余暇の切り替えをして、長く働く努力をしています。最近一緒にお茶をしたり、学校に遊びにきてくれたりする卒業生の笑顔に私自身が励まされました。

安保法案や沖縄の辺野古裁判や高江のへりパットの話を聞くと、本当に悲しくなる世の中です。宮城県の最低賃金ももっと上がって欲しいと思います。みんなが安心して働けてお給料もあがり安定した生活がおくれるような社会を実現させたいです。(宮城 弥生)

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