ワーカーズ574号   2017/9/1   案内へ戻る

 衣の下から鎧が見えた!排外主義に荷担する小池都知事

 いまだ都民から根強い支持を集める小池都知事。その小池都知事が就任後一年経ったいま、早くも本性を晒し始めた。1923年に起きた関東大震災時の朝鮮人大虐殺の犠牲者を追悼する9月1日開催予定の式典へのメッセージを断った件だ。小池知事は、理由として「大震災で犠牲になられたすべての方々への追悼の意を表し」ているので「特別な形での追悼文を出すことは控え」た、と語っている。(8月25日)。

 語るに落ちたと言う他はない。小池都知事は、他方で「このようなメッセージは……問題が」あるので自分で判断して止めた、という旨の発言をしているからだ。まさに意図的な拒否そのものという他はない。

 追悼集会の主催者は、大震災時の犠牲者追悼行事に解消するのは「虐殺はなかったという主張する人たちの意向を受けた動きとした思えない」と批判するのは当然のことだろう。しかも近年、ネット上や街頭などでのヘイト行為や排外主義的な言動が頻発しており、なかでも在日朝鮮人に対するヘイト攻撃は、エスカレートする一方だった。たとえば、13年に起きた大阪府の鶴橋市であった在日朝鮮人に対する虐殺事件の再現を叫んだヘイト攻撃。ミニスカート姿の少女が「いつまでも調子に乗っとったら、南京大虐殺じゃなくて、鶴橋大虐殺を実行しますよ!日本人の怒りが爆発したら、しますよ!大虐殺を実行しますよ!」と絶叫した、あの「事件」だ。

 今回の件は、むしろ小池氏の信条が現れたものと見るべきであろう。小池氏は過去に、「核武装の選択枝もある」発言や国旗・国歌法を支持、外国人参政権に反対するなど、国家主義的、排外主義的な言動を繰り返してきた。例の日本会議国会議員懇談会にも所属しているし、ヘイトスピーチを繰り返す在特会の関連団体で講演したこともあるからだ。

 そんな小池氏、都議選で自民候補を次々と蹴落として惨敗に追い込んだことは痛快だったが、それは戦後保守政権の土俵上での権力をめぐる椅子取りゲームの一コマ、そんな小池都知事に期待することとはまったく別物だ。都知事に就任してからは、中央政界への進出を視野に、オリンピックや築地移転に絡んで有権者受けする言動を演出してきたが、ここに来て〝改革者〟という衣の下の〝排外主義者〟という鎧を見せ始めた、ということだろう。

 私たちとしては、追悼文の拒否を糾弾し、自民党の別働隊としてあわよくば政権取りに賭ける小池都知事の最後の野望を、自民党政権と一緒にきれいさっぱりご破算にしたい。(8月26日 廣)


 問われているのは対抗勢力づくり!結集軸を提起できない民進党代表選挙

◆影が薄い代表選挙

 8月21日に告示された民主党の代表選挙、9月1日の臨時党大会で民進党の新代表が決まる。

 先の都議選で自民党は過去最低の議席に落ち込む大敗を喫し、安倍内閣の支持率急減を象徴するものになった。本来であれば、安倍政権打倒の旗を上げる立場の民進党だったが、民進党の獲得議席も2減の5議席と惨敗し、安倍政権の支持率急落と歩調を合わせて解党の崖っぷちに立たされる有様だ。むしろ、民進党が有権者から安倍自民党の対抗勢力として信任されていれば、こんな体たらく状態にはなっていなかっただろうに。

 その民進党。蓮舫代表が辞任に追い込まれ、都議選以降もボロボロと国会議員の離脱が続く体たらくだ。いくら代表選を機にした復活を夢想しても、有権者の白けた態度を振り向かせることは出来ていない。

 その代表選。前原元外相と枝野元内閣官房長官の2人による保守対リベラルの闘いだという。確かにそうした面もなくはない。ただ民進党が有権者の信頼を失っているかぎり、一端失われた有権者の信頼を取り戻すことは難しいだろう。(8月26日)

◆反省もなし

 そもそも民進党は、いったん手にした政権の座を何で失ってしまったのか、いまだ根本的な総括もできていない。あの政権選択選挙で打ち出した「政治家・官邸主導政治」「中央集権から地方主権へ」「コンクリートから人へ、」「東アジア共同体」「子ども手当」「最低保障年金」「高速道路無料化」「ガソリン暫定税率の廃止」などの旗印と政策はそれなりの支持を集めた。が、それらの実現のための戦略的構想もなく、推進主体の形成にも失敗してきたのが実情だった。そのあげくに、普天間基地の海外・県外移設、子ども手当、高速道路無料化などを相次いで反故にし、原発事故による全原発停止の情況を脱原発に結びつけられず再稼働の道を開いてしまったのだ。逆に、マニフェストにはなかったTPP参加に道を開き、最後はこれもマニフェストに反して唐突に消費増税を打ち出し、自民党政権復活への道を開いてしまったというのが、当時の民主党が政権を追われた経緯なのだ。

 民主党は、そうした政権時の失敗をいまだに総括・反省することが出来ない。保守二大政党の一翼として、政権交代そのものを目的にしてしか、結集・存在できないからだ。

 民進党に代ってざっと総括してみれば、当時の民主党の最大に弱点は、一定の正当性と支持があったマニフェストにもかかわらず、それを実現させるための戦略的な構想や推進力づくり、実施手順について、あまりにも未熟だったことだ。

 「東アジア共同体」では、米国追従の枠組みから脱却するトータルプランはむろん、米国の圧力への対処方策さえもなく、ただ単に唱えるだけに終始した。総選挙での信任という民意の上に立てられた政権であり政策であることの優位性を生かす事も出来なかった。

 「普天間基地」では、抵抗する日米同盟派の官僚の懐柔や無力化もできず、移設先を巡って、逆に官僚による情報操作に屈してしまった。「官僚支配の打破」では、公務員労組をはじめそれぞれの現場で運動を担ってきた草の根グループなどを結集して官僚包囲網を築くことも出来ず、「政治主導」は民主党大臣が電卓を叩くことに置き換わってしまう有様だった。

 民主党が政権を追われて以降、民進党に再編されてからも、こうした弱点を克服しようと努力した形跡は見られない。草の根の支持勢力との連携もつくれず、ただ単に、野党第一党の勢力を盛り返すための追求型政治に終始し、あの事業仕分けに象徴される劇場型政治、いわゆる「風」を当て込んだ政治スタイルから抜けきれてもいない。

◆対抗軸は示せず

 今回の代表選では前原前外相と枝野前官房長官の一騎打ちだということだが、争点になっているのは、野党共闘のあり方だという。前原氏は基本政策が異なる共産党を念頭に政権選択選挙としての衆院選で共闘することはないとし、枝野氏は自民一強体制を打破するためには4党共闘をすすめていく、との立場だ。ただしこれは闘い方の問題で、自民党に取って代わる新しい対抗軸の提起とはいえない。それに実際の選挙戦が近づけば、お互いにより現実的な判断を下さなければならなくなるかもしれない。

 自民党に取って代わる対抗軸になり得るのは、やはり内政では格差社会の解消と企業優先政治の打破、それに安保・外交では米国一辺倒の安全保障と中国敵視政策に取って代わる日本独自の東アジア連携構想だろう。

 ただこれが現在の民進党にとって難題なのだ。

 消費税や法人税を巡る両候補の見解は、枝野=消費税引き上げ反対、法人税の増税、前原=消費税引き上げ賛成、法人税引き上げ反対と、違っているし、脱原発の方針についても、前原氏は脱原発には繋がらない「30年代原発ゼロ」を踏襲しているのに対し、枝野氏は、その前倒しを主張している。これらについては選出基盤が違う議員の間で党内も割れている。しかも民進党の支持団体である連合の中はといえば企業内組合の御用組合が多数を占めており、原発にしても法人税・消費税にしてもむしろ企業利益第一の態度を取っている。こんな情況では、自民党に取って代わる対抗勢力になれるはずもない。

◆第二保守党か新しい対抗軸か

 こんな民進党に、自民党の石破元幹事長がおもしろいことを言っている(朝日8月26日)。「自民党も右から左までいるが、一つの枠に収まる。だが、民進党は広すぎる。右はひょっとすると自民党より右、左はほとんど共産党。『反自民』『非自民』で一時成功を収めても決して持続可能ではない。」「解党して現実路線の政党を作るべきで、保守であることが必要だ。小選挙区制が故に自民党から出たかった人が民進党にはいっぱいいる。そういう人を糾合すれば、否定的な意味ではない『第2自民党的』なものができる。活路が開けないわけではない。」

 発言部分の「解党して現実路線の党を作るべき」「保守であることが必要だ。」以外については、まったくその通りだと思う。今回の代表選挙でどちらかが勝つのか、あるいは選挙後に分裂――野党再編に繋がるのかなど、いろいろな可能性もある。が、石破氏が言うとおりになったら、早晩民進党は自民党に吸収されるなど、解体の場面を迎えるだろう。

 私たちとしては、国会審議などでの野党の奮起を期待してはいるし、連携も深めたい。が、中長期的には、中央政治における体制内二党制の土俵上での勝敗や離合集散に一喜一憂せず、草の根から格差社会の打破などこの日本社会を根底から変革できる政治勢力の形成に全力を注いでいきたい。(廣)案内へ戻る


 安倍政治の本質を見ない軍拡批判は的外れとなる「もうイージスは足りている」?

 北朝鮮と米国とのチキンレースが激化し、防衛軍事議論が盛んである。

それにしても、軍事は政治の延長である・・と言うことがわからない軍事評論家たちの議論には少々呆れてしまう。専門に詳しくとも政治と言う「森」全体を見ない議論だ。下記の半田氏の記事を取り上げてみよう。

『新兵器の「押し売り」で、日本はまたアメリカの金ヅルにされる武器を通じた自衛隊の「対米追従」』【ismedia】半田 滋

 この半田氏は、安倍政権の軍拡の計画を否定し反対しているのであり、安倍政治にくみするものでは決してない。しかし、かれはおそらく日本の軍事力は「専守防衛であるべきだ」と言う前提に立って、安倍政治の推し進める軍拡をめった切りにしているが、それは残念ながらずれている。

 例えば上記記事の冒頭でこのように主張する。「もうイージスは足りているのに」。
日本は二十年までに、つまり東京五輪で国民が浮かれているうちにイージス艦8隻体制になる。半田氏は指摘する。「ミサイル改良が進めば、日本海に1隻ですむ、8隻は過剰であり無駄である。米国のカネヅルにされている・・」という。

 しかし、どうして米国を見ないのか。米国は約80隻のイージス艦を持っているが「過剰」ではないのかーー米国の領土を守るだけなら。ところが米国は、伊豆半島沖やマラッカ海峡でイージス艦が事故を起こしたことで明白なのだが、全世界にその「過剰なイージス艦」を展開していないのか。つまり、「過剰」などと言うのは何を基準にしているかで変わるのである。米国は世界戦略として「適切な」イージス艦を保有しているのである。つまり米国軍事戦略からすれば少しも「過剰」ではない。

 では日本ではどうなのか。日本の「過剰なイージス艦」を安倍政権は米国と共に世界に展開するつもりなのだと、どうして半田氏はその本質を指摘しないのか。安倍政権は、日本海、東シナ海、南シナ海などで対中国作戦を展開する予定であり、その準備をしていることをどうして簡単に見逃せるのか。

 イージス・アショア(陸上のイージス装備)を導入したことがとりわけ半田氏の逆鱗に触れた。「日本は専守防衛であるべき」と言う半田氏からすれば、屋上屋根を重ねる事態であり、とんでもない無駄だということになる。それゆえに米国に騙された、米国に従属している・・と非難する。しかし、安倍氏の軍隊は、イージスアショアによって、イージス艦をより広範に西太平洋に展開できるということを意味するのではないのか。安倍氏はそれを目指していないというのだろうか。それどころか、中東など海外での戦果を念頭においている可能性すらある。再度申し上げるが、安倍政権は「専守防衛」などとっくに投げ捨てている?

 日本は米国軍産複合体のよき顧客である。同時にこの軍事取引は日米同盟を不動のものにする効果もある。日本軍である自衛隊は、米国の技術的戦略的、戦術的指揮・指導の下に置かれることも意味する。しかし、それは米国の軍部だけが望んだことなのだろうか。日本はシブシブと没主体的に引きずり回されているというのだろうか。

 私の見るところでは、安倍政権は安倍政権で、米国の核武力や通常戦力の優越性をみぬいてそれを最大限に利用しようとしているように見える。何に利用しようというのか?それは対中国包囲網作戦においてである。安倍政権と自衛隊の動向を見れば、少なくとも東シナ海での中国との一戦を前提にしている。核大国である中国と戦うのに、米国以外に安倍政権が頼れるものがあるだろうか?米国の核兵器の後ろ盾の下で、日本は通常兵器で戦い、東シナ海で海域を制覇する作戦を抱いていないのか?半田氏は安倍政権の全貌を理解していないと言わざるを得ない。

これは日本の安倍政権の思惑であるが、米国が同じであるわけではない。米国国防省などが中国との戦争や紛争を現実的なものとして選択しているとは理解できない。米国は中国台頭や軍事脅威を振りまいて、東南アジア諸国、韓国日本に武器の販売で大儲けしてきた。また米国の軍事的世界支配の維持に腐心してきたが、トランプ大統領の登場に見られるように国民は内向きになりがちだ、当初トランプはは日米同盟解消もちらつかせたーートランプは今では軍部に同調しているが。米中は対立しながらも、安定的な関係の構築にも腐心してきているのが事実だ。

 その点では、アジアにおいて戦後体制の転覆を目指す安倍首相は異なる。「歴史修正主義」を掲げ、戦前日本の地位を取り戻すことが至上命題の安倍政治である。その第一ステージである東シナ海戦争に勝利するためには、強固な日米同盟こそ不可欠である。そのいみでは米国より以上に安倍首相は日米同盟を必要としていないだろうか、東シナ海戦争を実現し勝利するためにはそうならざるを得ない。トランプが登場し、TPPから離脱し日米同盟解消をほのめかした時は安倍首相は肝を冷やしたであろう、戦後体制の転換に通じるすべてのプランが崩壊するからだ。

 「防衛省はどこまで日本防衛をまじめに考えているのだろうか。」これが半田氏の結論だ。いかにも、日本政府は「まじめな日本防衛」を考えていないのだ。軍事的世界進出を考えているのだ。とりわけ西太平洋で中国軍と対峙しようとしている。そして軍事力によって戦後体制と「歴史認識」を転換しようとしている。

 したがって問題は、不まじめな防衛省にカツを入れる、などと言うものではなく、安倍も防衛省も確信犯である。それ故それらとの闘いは困難であり、国民的運動が必要だろう。

 軍事は政治の延長であり、広い政治的視野から検討すべきものだと思う。安倍政治の本質的流れがあふれ出たものが、憲法改正であり中国との戦争準備であり日米同盟の強化であることを理解すべきだ。(六)

 
 政府・自衛隊が想定している東シナ海「島嶼戦争」準備を挫折させよう

 九月二十一日「オスプレイ 駐屯地に暫定配備へ、佐賀空港での計画難航】と言う報道があった。

 地元、地権者たちの反対にあって、南西諸島とその海域で政府・自衛隊が想定している「島嶼戦争」準備はとりあえずーー極めて重要なポイントにおいてーー挫折した。もちろん予断は禁物。佐賀空港にオスプレイを十数基配置すること、佐賀空港をオスプレイの日本の拠点とすることは安倍政権・自衛隊の基本戦略だからだ。

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 水陸機動団=日本版海兵隊は、相浦駐屯地に拠点があり、佐世保港や佐賀空港のそばに位置している。しかも、中国の攻撃でも簡単には攻略されないという地理的位置と見なされ、この一帯が、東シナ海で想定している中国との戦いの後方拠点となる。

 オスプレイによる佐賀空港利用が一時とん挫したとしても、 暫定配備先としては、すでに滑走路などが整備されている九州地方の駐屯地が候補となる見通し、とされているように九州が東シナ海戦争の後方基地であることに変わりがない。沖縄や先島諸島がまさに前線基地として中国海軍と対決し、万一奪取されれば九州からの「水陸機動団」がオスプレイに搭乗して奪回に向かう、と言うのが自衛隊のシナリオなのである。このことは政府・自衛隊としてすでに方針が確定しており、こうした戦争準備を覆すには全国的の闘いの盛り上がりが必要となっている。政権を覆すような闘いが必要となる。

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 誤解のないように指摘したいが、この東シナ海戦争は、日米同盟の名のもとに開始されるが、米国は後景にいて戦争の主体はあくまで自衛隊の自力によって開始され遂行されることになっている。米国は中国のミサイル攻撃を避けて航空機などを嘉手納、普天間からガムや日本国内基地などに分散避難する。米国は情報提供や作戦などで日本を支援するだろうが、大切なことはこの戦争は日本が独自に展開する(すくなくとも開戦当初はそうなる)予定だ。そして、この闘いにおいて、日本の自衛隊は中国であろうが北朝鮮であろうが、ミサイル攻撃などで一般島民や市民たちが大被害を被りつつもこれらの国の(あくまで)通常戦力を圧倒する実力があると確信している。海洋の支配権・制空権は、自衛隊が握ると計算されているし、それだけの軍事実力を自衛隊はつけつつあるのは否定できない。中国・北朝鮮の核攻撃に対しては、日米同盟における核の「傘」を頼りにしている。

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 北朝鮮の「挑発」に対して、政治的外交的そして経済的制裁を(少なくとも中露や欧州は)強く求めており、関係国へその政策実効を求めているが、日本の安倍政権のみが「軍事圧力」を主張する異常さだ。その根拠はそのあたりにある。つまり、自衛隊の戦争準備や練度が高まり整いつつあるということだ。安倍政権にとって「半島有事」は、中国との武力対決のきっかけになりうると理解されているだろう。中国を主敵として想定している安倍政権は、開戦当初の中国のミサイル攻撃で一般国民も含み大被害を受けても、東シナ海を制覇することができると確信している。そしてこれはすでに述べたようにはったりとばかりは言えない。少なくとも安倍政権は「勝利のシナリオ」を描いてその準備にまい進している。戦争の危機は現実になりつつある。阻止するための力も最大限のものが必要だ。

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 付加すれば、この「水陸機動団」=海兵隊は、中国による尖閣諸島占領(こんなことはあり得ないが)などの島嶼奪回のためだけに佐世保にあるわけではない。米国を見れば一目瞭然で、海兵隊は侵略軍そのものである。北朝鮮や中国海岸への侵攻も想定しているはずで、このような侵略能力の高い戦力の存在自体が、東アジアでの緊張を高めている。ついでながら自衛隊の軍備や装備の欠点だけあげつらい愚弄するような評論はマイナスにしかならない。

 こうした中国の封じ込め作戦(海上封鎖により中国経済の首を絞める作戦)のもう一つの側面は、いうまでもなく南シナ海作戦だ。ところがここではご存知のように、中国が海上封鎖を避けるために先手を打って浅瀬や岩礁を埋め立てて基地の建設を進めている。さらに、安倍首相にとって「中国封鎖作戦」の相棒と期待されているフィリッピン、ベトナムは中国の脅威を口にはするのだが、日本のように武力で対決する姿勢は今のところない。東シナ海における日本のような、対中国強硬派はこちらの海域には存在しない。米国と結びつきの強かったフィリッピンも、ドゥテルテ大統領の等距離外交に変化した。そのために頼みの米国ですら「航行の自由作戦」と言ったものでお茶を濁しているだけだ。

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 まとめればこうなる。

 中国包囲作戦は、東シナ海では自衛隊により軍事的には仮に成功しても(多大の人的被害を出しながら)結局のところ南シナ海で成功のめどはない。アセアン各国は米国の戦略には距離をとっている。ゆえに中国に対して想定のような経済的・軍事的打撃を与えることは不可能である。この作戦はまさに無謀で無益で成功の可能性が無い。この戦争プランはそもそも米国がオフショアコントロールの名で作り出した。米国に挑戦する中国を海岸線で封じ込めて叩くという作戦だ。そしてこの作戦は日本にとっては米国の代理戦争のようなものとなるはず。今現在では、米国は中国のミサイル技術の高度化や量産化で、米国自身が空母打撃群などを中国近海に派遣することは困難になっている。沖縄などの最前線米軍基地も存続が問われている。

 私見では、米国軍部は日本の強硬な対中国姿勢が無ければ、とっくにこの戦争プランをゴミ箱に投げ捨てたであろう。ところが安倍政権が、中国の脅威が高まったから対中国オフショアコントロール戦争の一翼を東シナ海でやりたいという?そのためには米国軍に今日本から立ち去られては困るというわけだ(在日米軍の存在は米国の核の傘を担保するものと理解されている。)。米軍への破格の優遇施策や国家財政を傾けた軍拡がそのために進められている。アジアで最も危険な政治家アベを打倒しよう。(六)案内へ戻る


 茨城県知事選挙の焦点は、中央対地元の保守分裂そしてカギを握るのは原発と民進党だ

 8月10日に告示された茨城県知事選挙は、中央対地元の闘いだとの様相の下で大激戦となっており、その選挙戦は“実弾”が飛び交う凄まじさだと形容されている。

 三人の立候補者がいるもの当選すると目されているのは、自由党・社民党推薦の現職で全国最多の7選を目指す「非自民」の橋本昌氏(71)と橋本氏の多選反対を掲げて立候補した自公推薦の大井川和彦氏(53)の二人である。

 茨城県政の奪還をめざす自民党は連日、自党の国会議員を茨城の現地に大量投入している。主な名前を挙げれば、二階俊博氏、岸田文雄氏、石破茂氏、野田聖子氏、加藤勝信氏、斎藤健氏等々。8月20日は小泉進次郎氏が現地入りした。まるで中央の選挙である。

 とりわけ力を入れているのが他ならぬ菅官房長官だ。彼は実に半年も前から茨城の現地に足しげく通い、大井川陣営の選挙プランナーも
菅長官が送り込んだのだという。

 事情通によると「自民党県連の頭越しに水戸一高卒の元経産官僚で動画配信大手「ドワンゴ」役員の大井川氏の擁立を決めたのも菅長官だともっぱらの噂で、茨城県は菅氏が今なお『政治の師』と仰ぐ故梶山静六元官房長官の故郷なのでその思い入れはたいへん強いものがある。さらに静六氏の息子で県連会長の梶山弘志氏を内閣改造で初入閣させたのも、菅人事だという。それも茨城県連の引き締めを図った県知事選対策」とのことである。

 6期24年にわたり県知事に君臨する「水戸のプーチン」こと、橋本氏は元々自民党の推薦を受けて1993年に初当選した。当初は自民党と県政を二人三脚で進めていた。そして梶山静六氏の影響下の茨城県政であり、かつ全国8位の県財政力がある中では大型開発の公共事業が行われていたことは当然の展開である。こうした中で橋本氏の独断等が目立ってきた。「水戸のプーチン」とあだ名される理由である。そのため、2009年の5期目の選挙戦から自民党は多選を理由に推薦を見送り、元国交次官を対立候補に擁立したが40万票以上の大差で破れたので、前回の選挙は独自候補を擁立できなかった。

 今年の3月、橋本氏の多選批判を強める自民党は菅長官らが官邸主導で大井川氏を擁立し、また盟友である党県連会長の梶山地方創生相を中心に票固めを計ったが、農協、医師会、建設業協会、市長会、町村会など県内の有力団体が次々と離反した。

 橋本・大井川両陣営が互いに金権批判を展開する中傷合戦が続く中、実動部隊の自民県議には支持が伸び悩む大井川氏に見限り、党の方針に面従腹背を決め込んだ者も少なくないという。それにしても金権政治の自民党が金権批判とはまさに天に唾する行為である。

 農業県である茨城は全国農政連会長を務める有力者の地元で菅氏ら官邸主導の農政改革に不満を持つ農家は少なくない。それは東北六県と同じ事情である。首長候補に元経産官僚を押し立て農協が離反し地元の自民党が分裂するのは、一昨年の佐賀県知事選と同じ菅官房長官の負けパターンである。今回この全国屈指の自民王国で敗れ、有力団体との対立関係が続けば、来年の県議選や次期衆院選にも響くのは必至の展開となるであろう。

 頼みの公明党は7月中旬にようやく大井川氏の推薦を決め、告示日には茨城出身の山口代表が来援した。しかし自民党との確執から橋本知事は知事期数を重ねるごとに中央への反発を強め、今選挙ではついに東海村の日本原電東海第2原発の再稼働を認めない考えを表明するに奇策に打って出た。これまで原発推進派の橋本氏が県知事選挙の出陣式で東海第2原発の再稼働反対を明言したので、推薦した連合茨城の傘下にある日立グループの労組や民進党関係者に動揺が走る一方、出馬会見で再稼働については住民投票の実施に言及していた大井川氏が自民党県連の反対で持論を封印した経緯もあり、今まで東海第2原発再稼働に反対だった公明党はこの土壇場で大きな矛盾を抱える羽目に立ったのである。

 今回、橋本氏は原発推進の安倍政権に再稼働反対と対決姿勢を鮮明にした。このことは苦し紛れの上とはいえ、実に画期的なことではないか。佐藤元福島県知事は謀略で排除されたが、福島原発事故があったことで最早そのような強攻策は自民党は決断できないと私たちは考える。私たちが今回の茨城県知事選挙に注目する理由もまさにここにある。

 勿論、今回のような菅官房長官の茨城県知事選挙に対する猛烈な肩入れは佐藤元福島県知事のような反原発など主張する知事を絶対許さないとの立場である。しかし安倍農協改革への反発から茨城県農政連も長年県知事だった橋本氏に味方しており、また連合茨城も橋本氏を一旦は推薦している。そのため大接戦ではあるが現職が優勢の情勢である。

 安倍政権の再浮揚に向けて負けられない自民党の茨城県連幹部は、ついに禁じ手の“実弾”を配ったといわれる。複数の週刊誌が「4月に100万円、6月に30万円を同党の県議全45人に配った」と報じた。事実なら総額6000万円近い現ナマが飛び交う呆れ果てた泥仕合は、地元でも投開票の8月27日まで続くと予想されている程の酷さだ。

 東京都議選、仙台市長選に続いて茨城県知事選でも敗退したら、安倍政権の基盤が大きく揺らぐことは確実だ。実際の選挙戦においても典型的な中央対地元の戦いになっており、橋本氏も演説で「なぜ国会議員がこんなに来るのか。他に仕事はないのか」「自民党の口利き政治をなくしたのにまた復活してしまう」と訴えている。また金権批判については橋本氏もその街宣車に「県民党 金権選挙ノー」の文字を掲げて批判の回避に必死である。

 今回、今井秘書官ら経産省主導で原発推進の安倍政権が総力で無理矢理に原発再稼働の強行と茨城県政を転換させようと必死になっていることが分かる。自民党の狙いはハッキリしている。橋本氏の多選批判を前面に出して原発を県知事選挙戦の争点から隠し、とにかく勝って再稼働をさせたいのである。それにしても今回、菅官房長官らが官邸主導で無神経にも経産省出身者を担いだことは、頭隠して尻隠さずのお粗末さではないだろうか。

 橋本氏は「原発自体は否定しないが30キロ圏内に96万人いる。東海第2原発の再稼働は不可能だ」と明言した。さらに知事選には同じく原発反対を公約している共産党推薦の鶴田真子美候補(52)も出馬している。鶴田候補を支援する市民団体の票が橋本氏に流れるかどうか。それと現時点までほとんど活動していない民進党が残り数日間、“非自民”の橋本支持に本気で動くかどうかが、今回の茨城県知事選挙の勝利のカギとなる。

 横浜市長選挙は低投票率と民進党の分裂により安倍政権に痛打を浴びせることは出来なかったが、東京都議選、仙台市長選に続いて茨城県知事選でも安倍政権を敗退させようではないか。それにしてもまたまた民進党のふがいなさを見せつけられた思いだ。(直木)


 「エイジの沖縄通信」(NO42)

(1)高江裁判で「共謀を遂げた」との不当判決出る!

 昨年8月、高江ヘリパッド工事の強行に関して市民らは強く抗議行動を展開した。その混乱の中で防衛局職員がケガをしたということで、Yさん、山城さん、添田さんたちが事後逮捕された事件があった。Yさんは高江から本土に帰り、自宅で生活していたところ逮捕された。

 逮捕容疑は「公務執行妨害」と「傷害罪」で、長い拘束期間とこの裁判を経て、7月27日(水)に那覇地裁で判決が言い渡された。

 判決主文は「被告人を懲役1年6月に処する。3年間その刑の執行を猶予する」(罰金刑ではなく懲役刑)との内容。『検察側の求刑どおりの懲役期間をそのまま認める』という不当判決。なお、弁護人の科刑意見は「低額の罰金刑」だった。

 裁判官は「被告人は、山城博治及び添田充啓らと共謀の上、稲葉正成(防衛局職員)の身体を押すなどして、・・・公務員が職務を執行するにあたり、これに暴行を加えるとともに、・・・その暴行により、加療約2週間の打撲傷などの傷害を負わせた」と。

 なお、Yさんは「本件当日まで添田さんのことは知らなかったなど」と供述して、添田さんらとの共謀を否定している。

 しかし、裁判官は「『こいつを中に引き入れてしまえ』という山城の声をきっかけに、被告人及び添田らが稲葉をテントの中に押し込み、押さえつけるなどした・・・山城の発言に基づき、被告人が山城及び添田らと暗黙のうちに現場で意思を通じ合い、共謀を遂げたことは明らかである」と。

 弁護人側は「市民が占有していたテントを撤去するのは違法であり、かつ、集会の自由を侵害するものであるから、公務執行妨害罪は成立しない」と主張。

 また、「診断書の根拠が薄弱であり、被告人には暴行罪が成立するに過ぎない」と主張。 稲葉を診察した医者の尋問で「各種検査では異常は認められなかった」「全治2週間というのは、本人の要望に基づき書いた」「このようなケースで頸椎捻挫が起こったことは、私の29年間の医者生活でもなかった」などを証言している。

 ところが、裁判官は「整形外科医として相当の経験を有する医師が、被害者を実際に診察した上で診断書を作成したというのであるから、弁護人の主張を踏まえても、その診断結果は信用することができる」とした。

 要するに、Yさんが何を言っても、事実認定は全て防衛局の主張どおり認めてしまっている。最初から被告人有罪の予断に基づいて書かれた判決と言える。

 当然、Yさんの弁護側は控訴へ!

(2)「海上作業ヤード」(ケーソン工事)が中止に!

 沖縄平和市民連絡会の北上田毅さんが、沖縄防衛局から情報公開請求で入手した資料で凄いことが判明した。

 沖縄防衛局が、埋め立て用の大型ケーソン(コンクリート製の箱)の仮置き場として設置を予定していた「海上作業ヤード」を取り止めていたことがわかった。

 海上基地を造るために、埋め立て用の大型ケーソン(コンクリート製の箱)を設置して、その中に大量の土砂を投下することになっていた。

 今後考えられる事は、防衛局は工法の大幅な変更をせざるを得ない。そのためには、設計概要の変更を申請し、翁長知事の承認を得なければならない。

 なぜ、このような事になったのか?

 この事を、「チョイさんの沖縄日記」は次のように説明している。

 『今回の事業では、大浦湾に設置予定の38個のケーソンを仮置きするために、大浦湾の中央部・瀬嵩沖に3箇所の海上ヤードを造成することが予定されていた。海底に大量の石材を投下し、285m×60m、172m×45m、119m×40mもの巨大なマウンド(台座)が、それぞれ水深17m、10m、6mのところに造られる。

 大型ケーソンは長さ52m、奥行22m、高さ24mもの巨大なもので、本土で造られ、海を曳航して沖縄に運んでくる。すぐに設置できないので、いったん仮置きするための海上ヤードが必要とされていた。

 ところが、今回、開示された文書で、海上ヤード造成が「取り止め」になっていることが明らかになったのだ。海上ヤード造成は、「ケーソン新設工事(2工区)」、「汚濁防止膜等工事」、「中仕切岸壁新設工事」の3つの工事に分けて発注されていたが、そのいずれも、昨年年末から3月末に「取り止め」となっている。

 海上ヤードの「取り止め」は、防衛局にとって極めて深刻な事態である。

 防衛局はその理由を明らかにしていないが、まず、考えられるのは、ケーソンそのものが不用になったということだ。ケーソンに代えて、鋼管杭等、他の工法による護岸造成の検討が始まったのかもしれない。あるいは、ケーソンの基礎に支持杭等を打ち、ケーソンのサイズも大幅変更になったのかもしれない。今年2月から大浦湾の数十ヶ所で海底ボーリング調査のやり直しが始まっていたが、我々が指摘してきたように、海底地盤に何らかの問題が見つかり、工法変更せざるを得なくなったのだろう。

 いずれにしろ、ケーソン護岸を他の工法に変更する場合は、県に、公有水面埋立法に基づく設計概要変更申請を提出し、知事の承認を得ることが必要となる。知事が承認しない場合、防衛局は工事を進めることができない。その意味で、今回の海上ヤードの「取り止め」は、埋立工事そのものが頓挫するかもしれない実に大きな意味を持っているのである。

 今年になって再開されたボーリング調査は、「ケーソン新設工事(その1)」の「確認ボーリング」と言われているが、「ケーソン新設工事(その1)」の施工箇所とは全く関係のない広い範囲で行われている。実際には、海底の琉球石灰岩層に軟弱部や空洞等、何らかの問題が見つかり、ボーリング調査をさらに詳細にやり直す必要が生じたのではないかと思われる。

 再開されたボーリング調査もこの7月で終った。ところが、さらに今回、19地点の海底ボーリング調査2件の一般競争入札が行われたのだ。何故、こんなにいつまでもボーリング調査を繰り返すことが必要になったのだろうか?

 これはもう、「確認ボーリング」ではなく、「護岸本体の設計に必要な調査」が再度、始まったことを意味している。2014年から調査を続けてきても、未だ、実施設計に必要なデータが得られない。大浦湾の護岸工の基礎地盤の問題はかなり深刻なのだ。海上ヤードの中止は、ケーソン護岸の大幅設計変更によるものだが、今回、明らかになった海底ボーリング調査の全面やり直しは、さらにそのことを裏付けるものである。』

 このように、辺野古新基地建設の工事は明らかにまた遅れることになる。これまでのデタラメな工事施工のためムダに税金が使われてきた。また、ゲート前に機動隊の配備、海上では海保の配備、さらに民間警備などの人件費で、莫大な税金が浪費されてきた。さらに工事が続けば、さらに税金が浪費される。

 辺野古新基地建設工事の中止を、今決断すべきだ。(富田 英司)案内へ戻る


 「働き方改革基本法案」いかに闘うか?

 いよいよ九月下旬の臨時国会に「働き方改革基本法案」が提出される情勢です。三月に出された「行動計画」を受けて、法案の骨格が練られ、八月下旬の労働政策審議会を経て、国会提出のはこびです。長時間労働や低賃金で働く労働者の怒りを背景に、「残業規制」や「同一労働・同一賃金」などが打ち出されていますが、他方で「脱時間給・残業代ゼロ」法案がセットで提出されるなど、問題だらけです。労働者はこうした動きに対して、いかに闘うべきでしょうか?

多様な搾取形態からの連帯はいかに?

 一方ではホワイトカラーや技術職を中心に、長時間労働による過労死が多発しています。しかし今回の「残業規制」は「過労死ライン」と言われる「月百時間」を容認するなど、過労死の根絶には程遠い内容です。
また、他方では「ワーキングプア」と呼ばれる、低賃金で無権利の非正規労働者が、格差と貧困に悲鳴をあげています。しかし「同一労働・同一賃金」も「企業の裁量」にゆだねるなど有名無実です。

しかも、もっとも過酷な実態にある運輸労働者や建設労働者は、今回の残業規制の対象から外され、本格的な労働時間規制は先送りされています。医師の宿直と日勤の連続による長時間労働の是正も先送りされ、部活や授業の準備作業にあけくれる教育労働者も同様です。

さらに外国人労働者の実態は、表向きは「留学生のバイト」「技能実習生」という体裁をとりながら、実際には農業栽培や収穫、水産加工、製造現場等「3K(きけん・きつい・きたない)」職場で無権利状態・低賃金のもと、本国の労働力輸出ブローカーへの多額の借金を抱え「債務奴隷」と言っても過言ではない実態です。

このように、現代の労働者は「多種・多様な搾取形態」のもとにあり、一口に「闘い」と言っても、具体的な課題は千差万別です。しかも、労働組合に組織される割合は極めて小さく、自力で闘うことすら困難な状況です。こうした多用で困難な状況を、いかに乗り越えて連帯して闘うか?重く問われています。

「連合」の中からも外からも闘おう

 安倍政権は、本気で「働き方改革」を徹底推進する意思も能力も無いと言わざるをえません。彼らは、一方では労働者の怒りや不満をこのままにしておけば、政治的な支持を失うことを恐れ、いわば「左にウィングを広げて」労働者の歓心を買おうとしています。

他方では、企業側へも配慮し、「ホワイトカラー・エグゼクティブ」以来の念願である「脱時間給(残業代ゼロ)」法案を、今度こそ強行して財界の関心を買おうというわけです。

どちらも、本音は国民の人気を繋ぎとめて、本命の政治課題である「憲法9条の改訂」を成し遂げたいのでしょう。逆に言えば「改憲」の実現性が遠のけば、もう「働き方改革」なんて安倍政権にとっては、どうでもよくなるのかもしれません。

 「脱時間給」をめぐる一方的な「政労合意」と、その「見送り」のゴタゴタに見られるように、「連合」中央の姿勢は現場の労働者から厳しい批判にさらされ、すっかり信頼を失ってしまいました。「連合」中央に「徹底した闘い」を期待する労働者は少ないでしょう。

しかし、労働者の組織である以上、連合内部から様々な闘いのアクションを起していくことは、放棄してはなりません。また、連合の外からも、過労死遺族の会、原発やアスベストなど労災被害者組織、労働弁護団、地域合同労組、障害のある労働者の組織など、様々な労働者の闘いが展開されています。

 それぞれ「孤軍奮闘」している労働者の多様な連帯で、まやかしの「働き方改革」を打ち破り、労働者の望む本当の改革をめざしましょう!(松本誠也)


 コラムの窓  戰ふ兵隊

 かねてからその名だけは知っていた、亀井文夫監督のドキュメンタリー映画「戰ふ兵隊」を観る機会がありました。1938年5月19日、徐州を占領した中支那派遣軍は泥沼にはまり込むように武漢攻略へと突き進みました。

 軍の意向によって撮影されたこのドキュメントは1939年に制作されましたが、軍の検閲の結果、上映不許可、公開禁止となりました。たしかに、この映像は戦意高揚どころか、厭戦気分を起こさせてしまう内容になっているのです。

 中国農民が焼け野原にたたずみ、わずかの荷物を持って避難の行列を作っている場面、痩せこけた馬が倒れて死んでしまう映像等々、戦争の被害に目を向けています。また、軍は当然にも戦意高揚を期待していただろうに、戦闘場面はわずかしか出てこないで、むしろ兵士の日常とでもいうべき映像を亀井は意識的に撮っているようです。

 そんなこともあってか、亀井は1941年に治安維持法違反容疑で逮捕・投獄されて監督免許を剥奪されました。戦後、釈放された亀井は1946年に昭和天皇の戦争責任を追及した「日本の悲劇」を製作しましたが、これもGHQの再検閲により、公開禁止の憂き目に会ったということです。

 ちなみに、徐州会戦については日野葦平が従軍日記「麦と兵隊」を書いています。私は今年8月、その徐州に出かけました。南京・徐州・上海を7泊8日でめぐるフィールドワークでしたが、平岡正明「日本人は中国で何をしたか 中国人大虐殺の記録」(潮出版社)を携えて行きました。1972年に出版された本ですが、何とそこに「日本映画人による上海戦の記録」として亀井文夫が紹介されているのです。

 1937年11月、亀井文夫はドキュメンタリー映画「上海」を撮っています。亀井ら一行が上海に着いた時には上海戦は終わっており、帰国する頃には南京大虐殺が始まっていたと平岡は指摘し、「日中戦争、太平洋戦争を通じて最後の、唯一の、『リングサイド』の特権を行使した日本側のフィルム」だという評価を与えています。

 上海にはバンドという外国人租界があり、上海戦はそのバンドをはさんで行われ、平岡が引用しているエドガー・スノーによると、「人々はアパートの屋根の上で、瓦と漆喰の地平線の彼方に隠れている中国軍の塹壕の方を眺めていた。すると日本の急降下爆撃機がこの塹壕の上に数トンの爆弾をぶちまけるのが、まるで手に取るように眺められるのであった」というのです。

 この「上海」には、中国軍が最後までたてこもって抵抗した南市、崩れた壁の向こうに散歩する英国兵の見える四行倉庫、1部屋ずつ1軒ずつ抵抗を排除して進んだ激戦地の大場鎮、などが記録されているそうです。フィールドワークではバンドや四行倉庫にも足を運んでいます。といっても、上海バンドはもはや行楽地に過ぎませんが。

 亀井文夫について、私は「戰ふ兵隊」を観ただけで、確たる評価を下せません。人はあれかこれか簡単に振り分けられるものではないし、変化や発展もあります。その人生を通じてなしたことが、未来に示されるのだと思います。さいわい、彼の戦後の作品「世界は恐怖する 死の灰の正体」はインターネットで検索すれば観ることができます。長編なので私もまだ観ていませんが、必見です。 (晴)案内へ戻る


 読書室 小島 英俊氏・ 山﨑 耕一郎氏 (著)『漱石と『資本論』』祥伝社新書 本体価格800円

今年2017年はロシア革命100年、また夏目漱石生誕150年で『資本論』刊行150年に当たる。一見全く無関係に見えるが漱石と『資本論』には奇妙な邂逅があり、その深奥を探っていくと、実に興味が尽きない脈絡に辿り着く。その解明の書である。

 明治期の文学者から二人の名前を挙げよと言えば、必ずその名が上がる小説家として夏目漱石と森鴎外がいる。中野重治氏が『鴎外 その側面』で明らかにしたようにその官僚臭故に、鴎外より漱石に圧倒的な人気がある。そして日本の小説で最も売れた小説は漱石の『心』であるという。その圧倒的な人気から、岩波書店は営業方針から漱石の自筆原稿の復刻で『心』を復刊させ稼いでいるほどである。

 漱石は1900年から2年間イギリスに留学したが、その時妻の実父の中根重一氏に以下の手紙を送っている。

 欧州今日の文化の失敗は明らかに貧富の懸隔はなはだしきに基因いたし候。……日本にてこれと同様の境遇に向かい候わば(現に向かいつつあると存じ候)、かの土方人足の智識文字の発達する未来においては由々しき大事と存じ候。カール・マークスの所論のごときは単に純粋の理屈として欠点これあるとは存じ候えども、今日の世界にこの説の出づるは当然のことと存じ候。小生は固より政治経済のことに暗く候えども、一寸気焔が吐きたくなり候間かようなことを申し上げ候。「夏目が知りもせぬに」などとお笑い下されまじく候。(1902年3月15日付書簡)

 このように漱石はマルクスの説を知っていた。それは漱石の蔵書を所蔵管理する東北大学に『資本論』第1巻の英訳本があることからも知られている。しかし漱石はほとんどの蔵書に書き込みをしていたが、この英訳本にはまったくないのである。

 なぜか。この謎解きがここから始まる。本格的には第四章で行われている。実際、漱石がイギリスではっきりと感じた貧富の懸隔は今も古びていないし、現代の大問題でもある。「カール・マークスの所論のごときは……今日の世界にこの説の出づるは当然のこと」と『資本論』に注目したのは、理科系の頭の漱石にはあまりにも当然であった。

 近代人・漱石が感じたこと、そして『資本論』の価値は、現代に生きる私たちにとっても決して古びていないことを示したのが本書である。
 本書の目次を紹介する。

 第一章 漱石とマルクス
 第二章 『資本論』大意・要約
 第三章 『資本論』受容とマルクシズム
 第四章 漱石と社会主義
 第五章 今も生きる『資本論』

 第一章の「漱石とマルクス」については、私が書くことによって、読者の読書の喜びを奪わないようにここでは触れないことにする。

 第二章はこの漱石が注目した『資本論』の真価を理解するために、全3巻・17編・98章・131節から成る『資本論』を創意工夫して96ページでまとめたものである。したがってこの章がなんといっても快挙であり、本書の白眉である。

 この章を主にまとめたのは、向坂逸郎氏と向坂正男氏の兄弟を叔父に持つ、元日本社会主義青年同盟の委員長だった山崎耕一郎氏であり、それ故に日本共産党との立場の違いや解説の微妙な違いも読みどころである。

 第三章は『資本論』やマルクシズムが日本でどのように受け入れられたかを明らかにしたものであり、『資本論』全訳を初めて完成させた高畑素之氏の『資本論』第1巻が大正時代に十万部以上売れたと書いてある。それに比べれば、マルクスの場合は『資本論』第1巻の初版が千部で売り切るまで四年もかかったというのに。まさに隔世の感である。

 第四章は漱石は本当に社会主義に共鳴していたか等の真実に迫るものである。この章も私は読者から喜びを奪わないように振る舞いたい。
 第五章は今も生きる『資本論』として、ソ連崩壊後のマルクシズムの辿った道や日本共産党の変化を論じている。一時の動揺が収まるとマルクスの理論そのものではなく、「経済構造上の強者への富の集中を防ぎ弱者を助けよう」との思想・精神注目が集まってきた。

 中国も社会主義体制から資本主義との混合体制に変化し、「社会主義市場経済」へと舵を切った。『資本論』で中国経済を読み解けば、資本主義的手法で大発展を続けているが、根付いていた社会主義が適度に作用していると本書は述べている。そしてBRICs各国も中国がモデルとなると評価している。山崎氏も丸くなったものである。

 最後に先進国での格差を論じており、ジニ係数を利用したり、ピケティの議論を紹介している。そして『資本論』の再評価を訴えて本書は終わる。

 漱石とマルクスという天才は、資質も家庭環境も社会環境も異なり、その肌合いも対称的である。それでも貧しき者に対する同情、社会の平等化への気概は共通して強かった。

 こうしたことがあるために漱石も『資本論』もまたまだ現代的である。読者の皆さんも本書を手にとって今日に通じるもの、現代への警鐘となる問題意識を認識していただければと考えている。 (猪瀬)


 東燃のLNG火力発電所建設反対運動 活動報告

 前号(573号)で、東燃のLNG火力発電所建設反対運動の活動報告をした後の8月8日に田辺信宏静岡市長が、LNG火力発電所について「清水都心のまちづくりの方向と一致しない」と建設に反対する意向を正式に表明した。このニュースが流れて涙を流す仲間もいるほど「この日を待っていた」と、私たちは喜んだ。7月に県知事が県議会で反対の意向を表明した事に続いての市長発言だったので、2年間の運動が実ったと仲間達と喜びをわかちあった。

 ところが喜びもつかの間、事業者のJXTGエネルギー(4月に東燃とJXグループが合併した)は、『地域の理解がえられるよう改めて市と協議を重ねて事業を検討する』と、計画続行の意向を示した。東燃はあきらめていないことがわかり完全撤廃するまでは、気を緩めないで反対運動をしていくことを仲間達と確認しあった。

以前より街頭署名活動をしているが、8月19日には日の出埠頭頭に大型豪華客船ダイヤモンド・プリンセスが入港したので仲間達と署名活動を行った。県外の人たちが多かったが、計画のことは話すと快く署名してくれた。清水港が日本三大美港と言われているのは、海から綺麗な富士山が見えることで人気があり、国内外からの観光客が多く来ている。年々クルーズ船(豪華客船)が寄港することが増え、今年の初め、国交省より国際クルーズ拠点に選定され、今年は年間五〇隻、数年後には一二〇隻が入港確実と言われている。富士山に三保の松原と綺麗な景色の前に火力発電所の煙突が立ったら景観が悪くなり、危険を感じて観光客もクルーズ船もこなくなるかもしれないと、懸念されていた。

計画が発表されて、2年半やっと火力発電所より豪華客船の方が経済効果あることがわかってきたのか、地元の議員や経済界の人たちが反対の方向に動き始めたので楽観的になっていたが「建設予定地は事業者の所有する土地なので、知事や市長には権限はなく事業者が計画を断念するまで反対運動を続けていく」と、連絡会(反対運動の6団体)で話し合った。

 すると23日、知事と市長がそれぞれの定例記者会見で、LNG火力発電所計画について改めて否定的見解を示し、計画の見直しを求め「今後は市と県が連携して事業者と協議していく」と、市長が方針を示した。また、一歩進んだ。「奇跡が起きた」という人もいるほどだ。

 私たちは、気を引き締めて事業者に抗議をしたり、知事と市長に面談を申し入れたり、清水の街づくりについての学習討論会やサッカーのエスパルスのサポーターに署名活動をしていくなどの反対運動を、計画が完全撤廃するまで沖縄のようにあきらめないで運動していくつもりだ。(美)案内へ戻る


 何でも紹介  これは便利 「料理レシピアプリ無料動画」

 数年前から、料理好きな息子が携帯電話でレシピを見ながら料理をしていたので息子に聞いてみると、それは「クックパッド」といって簡単おいしいレシピ(作り方)がが載っているとのこと。私は携帯電話は持っていないがiPadを持っているので検索してみた。

 驚くことに237万品を超えるレシピがあり、料理名・材料名を入れる所があって 「鶏肉」と入れると写真付きで261512品のレシピが載っていた。その中から「鶏もも肉のレモン蒸し」を選ぶと、材料や作り方が写真付きで載っているのでとてもわかりやすい。

私は若い頃から、作ったことのない料理を作るのが好きで料理のカード、本、新聞の切り抜きなどを集めてきたが、年々量が増えて分別整理する暇もなく作ろうと思っても探すのに時間がかかっていた。クックパッドを知ってからはメニューを決める時間が短縮されたり、知り合いからきゅうりをたくさん貰って悩んで「きゅうり」と入れると「大量消費」のレシピがあったりして、なんと便利なものがあるものだと感心して活用してきた。

 すると、今度は同じ料理レシピアプリ無料でも動画を見ながら料理することができるものがあって、料理レシピ動画数ナンバーワンの「クラシル」を使ってみた。今までの料理アプリはテキストと写真で料理を作る過程を説明していたが、クラシルは料理を実際にレシピに沿って作っている動画を見ながら料理することができるので失敗がなく、1分動画というのも魅力で気軽に作れるのでこれも活用を始めた。何と言ってもこれらのアプリが無料という所が気に入っている。

 年を重ねた私たちの時代は、料理いえば今日の料理というテレビ番組や、料理本が主流だったが、今の若い人たちはスマホやタブレットを使って料理レシピを活用しているようで、便利なものは年を重ねた私たちも使っていきたいと思う。動画付きのアプリはおいしくて、簡単にできる料理ということで人気があり、料理を作るのが苦手の人や、料理をあまり作ったことがない初心者の人や、年を重ねた男性や、仕事の忙しい人にお勧めしたい。

 するともっと驚くことがテレビで紹介されていた。「ミールキット」といって、料理を作る際に必要な材料とレシピがセットされて宅配サービスをするというのだ。メニューに悩まなく、買い物にも行かなく、洗ったり切ったりすることもなく、すぐ調理できるというものらしい。

番組の中で 、ある母親が「少し高くなるが、仕事が終わって家に帰るとお腹を空かしている子ども達にすぐ作ってあげることができて便利だ」と、話していた。

毎日仕事と家事に追われている母親の切実な声で、ゆとりのない今の社会から出てきたサービスのひとつだ。労働環境は一昔と何も変わっていなく、働く母親達は孤軍奮闘している。

父親も母親も労働時間を短縮して、子どもたちと一緒にご飯を作って食べることができるようなゆとりのある社会はできないものだろうか。(美)


 色鉛筆  さとにきたらええやん 「こどもの里 さと 」

 大阪市西成区釜が崎―。日雇い労働者の街と呼ばれてきたこの地で、三十八年にわたり活動を続ける「こどもの里」さと
 
 この場所では0歳からおおむね20歳までの子どもを、障害の有無や国籍の区別なく無料で受け入れています。地域の児童館として学校帰りに遊びに来る子や一時的に宿泊する子、様々な事情から親元を離れている子どもだけでなく、子どもたちの親たちも休息出来る場として、それぞれの家庭の事情に寄り添いながら、貴重な地域の集いの場として在り続けてきました。

 こどもたちの遊びと学び 生活の場です。

 誰でも利用できます。子どもたちの遊びの場です。お母さん、お父さんの休息の場です。学習の場です。生活相談 何でも受け付けます。教育相談 何でもききます。いつでも宿泊できます。 ―緊急に子どもがひとりぼっちになったら ―親の暴力にあったら ―家がいやになったら ―親子でとまるところがなかったら 土・日・祝日もあいてます。利用料はいりません。とみんなに呼びかけています。

 こどもの里のドキュメンタリーを観ました。「ものすごいとこや」みんな本音で向き合いこんな安心できる社会があることに、世の中まだまだ捨てた物でないと感じました。地域のつながりは素晴らしいです。

 発達障害がある、まさき君は自転車大好き、遊びに夢中になると周りが見えなくなってしまう。そんな、まさき君にいらいらしてしまうお母さん、お母さん自身も育った環境による苦しみを抱えカウンセリングを受けていますが、さとの職員も親子共々支えています。

 対人関係や健康に悩みをもつお母さんと離れて長いことこどもの里で暮らし、就職が決まってお給料を母にいわれるがまま渡してしまい、さとの職員が彼女のお金を守るために通帳を一時預かりする場面では、泣けてきました。今や彼女は独り立ちして自分の力で暮らしています。

そしてこどもたちは、路上で暮らす人に味噌汁や毛布を配ったり、色々な事情を抱え大変だけれど、助け合い暖かい地域でいようとがんばっている姿は感動しました。子どもたちもそんな大人の姿を見て、学ぶことは、多かったと思います。
 
これからの社会を歩む子どもも大人も安心できる居場所は何かを考えさせられました。どんな子どもたちも、社会の大切な宝物。そのことを大切にしながら、これからも子どもたちと関わっていきたいと思います。(宮城 弥生)

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