ワーカーズ586号   2018/9/1   案内へ戻る

 絶望の選択となる自民党総裁選挙と希望の選択となる沖縄県知事選挙

 安倍一強の五年余の暴政、戦略は米国追随、戦術は今だけ金だけ自分だけの強権発動に支持・不支持が拮抗する今、「人事で干す」で竹下派の石破支持は二分され、岸田氏と野田氏は出馬断念する。かくて九月には衆人注視の、安部三選を巡る絶望の選択となる自民党総裁選挙と希望の選択となる沖縄県知事選挙がある。勿論、一方が自民党党員だけの選挙であり、他方は全国選挙でなく沖縄県だけの知事選挙であるという違いはあるが…。

 総裁選挙は国会議員票四百五票と党員等の地方票四百五票の計八百十票の奪い合い。マスコミは安倍総理が細田派などの主要派閥を中心に国会議員票の約七割を確保し、前回の総裁選時石破氏に大敗した党員票でも圧勝すべく、今回安倍総理は必死だと伝える。

 山梨県鳴沢村の別荘で夏休みを取った総理は、八月二十日には日本会議に関係する地方議員の会合に出席し、二十五・二十六の両日は宮崎、鹿児島両県を訪れ、地元首長から災害対策の要望を聞くと共に党会合で講演した。日本会議が総理の力の源泉なのである。

 アベノミクスの破綻が明らかな中、党員・党友の票を狙う総理は公然と首相官邸や公邸を利用し公務の合間に地方議員等との会合を重ねている。そしてこの戦術は歴代総理も躊躇した党務と公務の公私混同と内閣調査室を活用した反安倍への徹底したパワハラ攻撃等を特徴とする。この戦術に石破氏は正直・公正を突きつけモリカケ問題等での政策論戦を挑むも、論戦が出来ない安倍総理は逃げ回る。まさに異常である。こうした破廉恥な総裁選挙は、絶望の選択となる自民党総裁選挙をまさに端的に象徴するものではないか。

 他方、翁長知事の急逝により急遽行われる沖縄県知事選挙は、今後辺野古基地建設に向けた土砂投入を睨んだ重大な局面で闘われる。沖縄防衛局は知事の急逝に伴い予定されていた土砂投入を延期した。この事はこれまでの闘いの成果であると共に翁長知事が埋め立て承認を撤回すると意思表示の結果でもある。そしてこの対決回避は自民党の県知事選挙勝利に向けた対県民融和策でもある。沖縄県知事選挙ではこうした姑息な遅延工作に騙されることなく、翁長県知事の遺志を引き継ぎ「オール沖縄」で辺野古米軍基地反対闘争を強力に展開できる玉城デニーを擁立する事が決まった。まさに決戦は迫っているからだ。

 沖縄県知事選挙の自公候補者は日本会議に所属する佐喜真淳氏である。建設派は本性を剥き出した。今こそ私たちは米朝非核化合意が成立した時点での東アジア政治情勢の緊張緩和に向けた急展開を踏まえ、さらにこれを追い風とし一層強力な闘争を展開して辺野古基地建設断念を現実化させなければならない。まずは反基地闘争を今後とも発展させるための保証であり、希望の選択となる沖縄県知事選挙に勝利する必要があるのである。
 いざともに闘わん! (直)


 《黒田金融緩和》開き直りと無責任さと――黒田日銀の破綻とアベノミクスの本末転倒――

 この9月末に行われる自民党総裁選挙では、安倍総裁の三選が確実視されている。

 その安倍内閣の支持率が底堅いのは、第二次政権発足時に打ち出したアベノミクス第一の矢、金融緩和での“サプライズ”によるところが大きい。

 とはいっても、第二次政権発足から5年半、すでにアベノミクスのメッキは剥がれ落ちている。安倍内閣を支持する理由でも、アベノミクスへの評価は少ない。単なる“他の内閣より良さそうだ”というのがダントツの一位だ。有権者も、なんとなく現状への安住に傾いているのだろう。

 ただ、アベノミクスでのサプライズと、大企業・軍事優先政治、それに戦前回帰の改憲策動をワンパッケージとみれば、なんとなく安住、などとはいっていられない。

◆開き直りと無責任さと

 2013年4月の就任会見で、黒田日銀新総裁は「2%の物価上昇を2年で実現する」と市中に出回るお金を二倍にするという「黒田バズーカ砲」第一弾を華々しく打ち上げていた。

 それから5年、今年4月の黒田総裁の二期目の再任劇は、アベノミクスの破綻を告白する2%の物価上昇目的を撤回することから幕明けした。バズーカ砲は3回、4回と打ち込んだが、それが空砲でしかなかったことを自ら認めたかたちだ。
 その政策目標、初任の5年間で、なんと6回も先送りを余儀なくされたものだった。現に、足元の物価上昇は先々月の7月で0・8%だ。これまでもマイナス0・5%から高くても1・5%の間を推移してきていた。実情はといえば、6回目の先送り後も絶望視されていたものでしかなかったものだ。

 撤回の言い訳も空々しい。黒田総裁の言い分は、「2年で2%の物価上昇」は単なる「見通し」に過ぎないが「コミット(約束)」だと誤解する人がいるのでもう掲げない。掲げておくと、金融緩和の出口戦略や追加緩和を要求する声が出かねない、なので、現在の金融緩和を続けるための持続性を考慮して目標を掲げないことにした、というものだ。撤回は周囲の「誤解」のためだという典型的な責任転嫁だった。なんとも厚顔無恥な弁ではある。本来なら、当初の2年で、あるいは初任の5年で実現できなかったことを反省・謝罪して辞任すべきなのだ。

 黒田総裁に限らず、アベノミクスを煽った日銀幹部が前言を翻して開き直る態度には前例がある。岩田規久男前日銀副総裁のことだ。

 岩田前副総裁は、13年3月の国会での所信聴取で「2年で2%」の物価上昇が達成できなかった場合の責任について問われ、「最高の責任の取り方は辞任」「言い訳しない」と豪語した。ところが目標が達成できないまま4年近く経った16年には「目標達成できないと自動的に辞任と言ったことは一度も無い」(12月7日)と開き直り、任期満了まで副総裁の在に居座った経緯もある。なんとも厚顔無恥なことで、同じ事が黒田総裁にも当てはまる。総裁にしても副総裁にしても、結果責任など頭にないのだ。そんな連中が旗を振ってきた無力で本末転倒な金融緩和など、ただちにお蔵入りさせる以外にない。

◆修正策の“逐次投入”

 黒田総裁は、5年前の就任会見で、「戦力の逐次投入」はしないと明言した。最悪の戦術だとされてきたからだ。ところが、黒田総裁は、事実上の緩和策の失敗を認めるのを拒む一方、異次元緩和策を一つ、また一つと修正・転換してきた。

 市中に大量のお金を投入する量的緩和策で、当初は年間50兆円の買い増し、その後、80兆円としてきた国債購入。それを徐々に減らし、今では年40兆円台にまで減らしてきた。成果は上がらず、副作用ばかり目立ってきたからだ。日銀の保有高がいまでは発行総額の4割を超えてしまい、満期10年の新発国債の売買が5月以降でも5回も成立しない異常状態となっているのだ。

 日銀は、国債購入でお金を市中にばらまいたが、上場投資信託(ETF)買い入れによる株式市場へのてこ入れも年間6兆円ペースでやってきた。

 お金の流通量を増やすという量的緩和ではうまくいかなかった、というわけで、次は金利操作による景気刺激策だ。

 日銀は、国債購入による量的緩和から長期金利操作によるテコ入れに軸足を切り替えるとして、16年9月にはマイナス金利も導入した。
 その黒田日銀、今でも「ゼロ%程度」という誘導目標そのものは下ろしていない。が、日銀は今年7月31日の政策決定会合で、年0・1%という長期金利目標を、その2倍、プラマイ0・2%まで容認する姿勢に転換し、黒田総裁は、それを記者会見でも明らかにした。

 手を変え、品を変えつつ、2%の物価目標を追い続けた日銀だが、すべて空砲に終わってきた。

 見ての通り、日銀は、日銀の政策で2%物価上昇目標を達成するという黒田総裁の5年間の異次元緩和が事実上破綻してもそれを正面からは認めず、小手先の修正を繰り返してきた。戦略展望無きままに「戦力の逐次投入」を繰り返した関東軍の後追いという他はない。

◆アベノミクスの「功」「罪」?

 黒田総裁は、アベノミクスの継続を、底堅い経済を引き合いに正当化している。確かに堅調な指標もあるが、それはアベノミクスのおかげだといえるような代物ではない。

 底堅い輸出や輸出産業の好調な収益は、円安に支えられており、その円安は日銀の金融緩和をつうじた為替操作によるところは大きい。が、他にも、リーマンショックからは回復し、欧州を発端とするソブリン危機=政府危機が解消に向かったことなど、この間に世界経済に大きな波乱がなかったこと、米国や中国の経済成長に恵まれたことが大きい。

 それに株高も,企業業績というよりも、日銀の量的緩和や年金積立金管理運用独立法人(GPIF)による株式投資の拡大が品薄となったか株価を押し上げている面が大きい。

 またこのところ好調を維持している有効求人倍率の改善や失業率の減少も、アベノミクスの結果とはとてもいえない。少子高齢化の進行で、団塊世代の大量リタイアや若年労働力の減少など、15才~65才の労働力人口の減少で労働力需給が逼迫しているだけだ。それに、就業者が増えているといっても、高齢者や女性が増えているだけで、しかも、正規社員が非正規雇用に置き換えられているのが実情だ。

 この数年、たしかに正社員も増えている。が、その正社員、地域限定正社員だとか新型正社員だとか、要するにかつてはほぼ全国一律だった長期雇用・年功賃金・ボーナス・退職金という絵に描いた様な正社員ではない。今では元々の正規社員と非正規の間に、低処遇で複雑な何段階もの雇用・処遇形態の正規社員が大量につくられているのだ。結果が物語っている。労働者の賃金は全く増えていない。むしろ安倍政権以前から官制春闘を演出したアベノミクスを含めた過程でも、傾向的に低下しているのが現実なのだ。

 異次元緩和の功罪の「功」の部分の実情がそんな程度のなか、「罪」の弊害も目立ってきた。

 国債などの債券市場の機能不全、日銀の上場投資信託(ETF)買い入れによる株式市場の変調、低金利の結果としての銀行経営の悪化や、年金資金の目減り、首都圏の不動産の値上がり、アパート投資の破綻など、資産バブルの進行やその綻びなどだ。

 現在は、震災からの復興特需やオリンピック関連投資、万博誘致、それに外国人旅客の増加などで経済は底堅いとしても、イベント中心のカンフル剤頼みのテコ入れ策ではいつ息切れするか分からない。

 それに国債の値下がり――金利上昇――財政破綻のリスク、度が過ぎた緩和策によるハイパーインフレのリスクなど、経済危機の火種は確実に蓄積されているのだ。

 そんなアベノミクス、日銀幹部も安倍政権も、アベノミクスで物価目標を達成して経済を成長軌道に乗せる、などもはや無理なことは分かっている。ただ、政権浮揚のために常に財政出動や低金利などの景気対策を打ち続けるしかない。それさえ出来ていれば、安倍首相がやりたいこと、軍事優先政治や憲法改定をはじめとした戦前回帰の国家改造などが実現できればそれでいいのだ。後は野となれ山となれ、どうなっても良いのだ、というのがアベノミクスの真実なのだ。

◆アベノミクスの本末転倒

 安倍首相や黒田総裁も言うように、現状がデフレ経済というのは正しくないとしても、日本がデフレ経済に突入したのは、経済のグローバル化で政府と財界が選択した経済戦略によるところが大きい。要は、コスト削減至上主義だけを頼りにした輸出主導型経済で、新興国が台頭するグローバル世界に臨んだからだ。

 成長戦略はどれもうまくいかず、長時間労働ばかり蔓延させても労働生産性は落ちるばかりだ。輸出にためのコスト削減(=リストラ)で雇用・賃金破壊を進めれば少子高齢化も止められず、国内市場は縮小し、消費不況=デフレ経済に陥ることは当然だからだ。現に、本格的なデフレ経済は先進国では日本が最初に遭遇したのだ。

 安倍首相や黒田総裁が狙うインフレターゲットは、アベノミクスが登場した時点でも指摘したが、そもそも政策目標たり得ないのだ。

 デフレとは、一言でいえば供給力に対する需要不足で起こる現象だ。売りたくても買い手が付かない結果、モノやサービスの価格がじりじり下がっていく。そうしたデフレ経済のなかでいくら市中(銀行)に大量の資金を投げ入れたところで、投資や雇用は上向くはずもない。またせっせと国債を買い込むか、あるいはその一部が〝マネーゲーム〟に向かうのが関の山なのだ。

 経済対策で真っ先にやるべきなのは、消費の拡大に繋がる政策、具体的にはまともな雇用の拡大と賃上げだ。政策目標はあくまで「豊かで安定した暮らし」のはずだ。そしてこれは労働者、労働組合の闘いの課題でもある。

 にもかかわらず、アベノミクスは、「お金は、まず企業へ」だ。金融緩和や財政出動で円安を誘導して輸出を拡大、株価を押し上げて企業の含み益を拡大する、それが廻り廻って労働者の賃上げに繋がり、やがてはデフレ脱却に繋がる、というのがアベノミクスだ。が、現実は、企業が稼いだ利益は内部留保や役員報酬に充てられ、賃金には廻らない。アベノミクスは本末転倒、順序がアベコべ、ペテンかあるいは毛針に過ぎないのだ。

◆GDP神話からの脱却

 世論調査によると、現状への満足感がじわりと増えているという。

 内閣府がこの8月24日に公表した国民生活に関する世論調査の結果によると、現在の生活に「満足」と答えた人は74・7%(前年比0・8%増)で、2年連続で過去最高を更新したという。改革への諦めや対案が見えていないせいもあるのだろう。

 アベノミクスは、成長率主義やインフレ・ターゲットなど、自転車操業のGDP神話に縛られ、煽られたものだ。それは追い求めて手に入るものではない。

 「豊かで安定した暮らし」は、政治の仕事、政府の政策では実現できない。まずは労働者自身の、労働組合の闘いでめざすべきものという初心に返る以外にない。

 内需主導型経済にしても、具体的には高齢者・子育て支援など、労働者・庶民の闘いで実現する以外にない。その結果として内需主導型経済が現れる。

 あわせてGDP神話から脱却するためにも、今じわりと拡がっているシェアリング・エコノミーなど――協働型経済の比重を拡げていきたい。旧来型では協同組合的ネットワーク、最近では、所有ではなく占有優先のカーシェアや民泊なども運用次第で協働型経済づくりに寄与できるだろう。GDPに換算されなくとも、豊かな生活を確保する道は他にもあるのだ。(廣)案内へ戻る


 杉田水脈議員の打算と無知・・同性愛者が示唆する深い社会的基礎

 杉田議員への国際的非難は、安倍側近ジャーナリストが引き起こしたレイプ事件において、あろうことか被害者である伊藤詩織さんの「おちど」を攻撃したことに始まる。BBCがこの件で特集報道をした。それにつづく時代錯誤とも思える同性愛者=「非生産的」?という決めつけが、さすがに国内世論にも火を着けた形だ。

 杉田議員の思想・スタンスは、安倍政治の産物だと考えられる。同時により過激であり、観念的で無節操でもある。(権力欲者の特色だろう。)過去のTwitterなどを見ると「反日的なるもの」「非正常なるもの」(と彼女が思いついたものは)に次々に杉田議員の攻撃の的となり排除すべきものとされた。それは「思想」などというものレベルではなく児戯に等しく見える。一貫性が少しでもあるとすれば、長期安倍政権の下で注目を集めて権力の中枢に上り詰めたいという卑しさだけだろう。

 ◆同性愛には自然史的視点も必要

 話は変わるが、「同性愛」の問題が今回注目を集めたことはじじつだろう。同性愛も「人権」「権利」として認めるべきだ、その視点から杉田議員の暴言を批判するのは正しい。とりわけ「同性愛カップルが、子供を産めない=非生産的」との論理は批判されて当然だ。しかし、私見ではもっと話しを深めてほしいとも考えるものである。というのは、未開社会、原始社会に関心がありさらには霊長類に関心がある私としては、「人間を含めて自然界において同性愛は異例でも異端でもない」ことを知っているからだ。同時に真に生物的に「同性愛が非生産的」なのであれば、進化的に淘汰されるはずだが、そうはなっていないのだ。これらの専門家たちもその事実を知っている。

 とくに高等動物と言われるイルカやゴリラ、ボノボなどの同性愛行動は良く知られている。いずれも社会性が高い種だ。未開社会でも伝統的に同性愛がみられ、事実上の結婚生活が認められているケースも知られている。ゆえに、「生産的か非生産的か(子供を産むか否か)」という次元を超えたところで同性愛(カップル)は何らかの社会的必然性にもとづき存在するようなのだ。科学的解明はまだだが、人間社会の深い理解が求められているのだと思う。

 ◆山際寿一氏の同性愛論の紹介

 国際的な類人猿研究者で、文化批評などでも活躍している山際氏は「同性愛」について論じた数少ない研究者の一人だ。

 『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル)から、発言を少し拾ってみよう。

 「そもそも性交渉とは、優劣を解消する行為でもあります。」
「サル(ニホンザルなど)の間にオス同士の性的興奮が伴う性行動がおきない理由は・・明確な順位付けがされてい(るからで)・・オス同士で性行為をしてしまうと序列に混乱が起こり、社会の崩壊を招きかねません」(つまり)「ゴリラはサルと違って優劣を意識しません。」(これが同性愛を受け入れられる理由だと――阿部)
「私は、霊長類の研究を通じて、人間には同性愛行動を起こしやすい性質が進化の遺産として受け継がれている、と考えるに至っています。」**************************************************

 山際論に対してはいろいろと疑問や批判もあるとは思いますが、人間が「対等性社会」の形成へと進化を伴いつつ歩んできたことと「同性愛(婚)」は無関係ではないと思われます。未開社会での「同性婚」で女性の場合の報告をよんだことがあります。その社会的意義とは?またの機会にご紹介したいと思います。
(阿部文明)


  読書室  白井聡氏著『国体論 菊と星条旗』集英社新書

 国体とは全国各地で開催される国民体育大会のことではない。戦前の日本の国家体制は天皇を頂点とする国家体制だったが戦前はそれを国体と呼んだ。そしてポツダム宣言を受諾するか否か、又国体が護持されるか否かと議論は紛糾したが、昭和天皇の「聖断」が下されたとの神話は今でも維持されている。だが天皇は事前に護持を確認していたのである。

 それでは戦後にも国体はあるのだろうか。白井氏はかって国体の頂点には天皇がいたが、戦後日本のその地位には天皇ばかりではなく驚くべきことに米国が加わったのだという。

 明治維新から敗戦までの天皇と国民の関係。そして敗戦から現在までの米国と日本の関係を分析し、両者の関係が相似形だと歴史を追って白井氏は論証して見せたのである。

 ここ二ヶ月続けて読書室では白井氏の著作を取り上げた。6月号に『増補「戦後」の墓碑銘』を、7月号に『戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ』を書いた。今月号も彼の著作を取り上げる。このように3ヶ月間も連続して白井氏の著作を取り上げてきたのは、これらの3著作が白井氏の鋭い問題意識から、私たちを常に啓発し続け示唆に富む実に充実したものとなっているからに他ならない。そして本書こそは白眉の本である。

 では本書の目次を紹介する。
 序―なぜいま、「国体」なのか
 年 表 反復する「国体」の歴史
 第1章「お言葉」は何を語ったのか
 第2章 国体は二度死ぬ
 第3章 近代国家の建設と国体の誕生(戦前レジーム:形成期)
 第4章 菊と星条旗の結合―「戦後の国体」の起源(戦後レジーム:形成期1)
 第5章 国体護持の政治神学(戦後レジーム:形成期2)
 第6章「理想の時代」とその蹉跌(戦後レジーム:形成期3)
 第7章 国体の不可視化から崩壊へ(戦前レジーム:相対的安定期~崩壊期)
 第8章「日本のアメリカ」―「戦後の国体」の終着点(戦後レジーム:相対的安定期~ 崩壊期)
 終章 国体の幻想とその力

 白井氏はまず明治維新以来の日本の「国体」、つまり万世一系の天皇とその赤子(国民)で構成された「永遠の家族」とする=「天皇制」が、実は明治維新に成立した時点から矛盾を抱えていたことを切開する。それは日本の現実の歴史に投射すると天皇自らが実効的に政治支配者として君臨した時代は短く、むしろ例外的ですらあったからだ。即ち時代によって支配統治の政治的形態(政体)は変化したが、政治の次元を超越した権威者として天皇は常に変わらず君臨してきた(国体)という秩序感である。つまり明治時代前の天皇制とは実質的「権力」(政体)と精神的「権威」(国体)が分かれていたのである。

 この考え方は、近代の国体の最大の危機(=敗戦と占領支配・属国化)において、やがて巨大な役割を果たすことになる。

 戦後の国体の起源は1942年確定の米国の戦略諜報局(OSS)の構想にあった。昭和天皇の戦争責任を問わないことや象徴天皇制を存続されるとの政策判断は既に決まっていたのである。詳しくは私、直のブログ2016年2月1日の「加藤哲郎氏著『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』を今また再読する」をぜひ参照されたい。

 マッカーサーとの会見で天皇が「戦争の全責任は自分にある」と発言したとの彼の証言は神話となった。それは自分達の君主は高潔な人格であり、それ故にマッカーサーが感動し敬意を抱いた。つまり米国は「日本の心」を理解したと考えたい動機で生まれたのだ。

 ここにおいて彼は昭和天皇を戦争責任から守る征夷大将軍となり、天皇退位を迫る勢力から天皇を守る究極の勤王の志士となる。かくてマッカーサーの下で戦前国体は、天皇制の存続・戦争放棄・沖縄の犠牲化の「戦後国体」の三位一体となり、完成したのである。

 マッカーサーが憲法私案の即時承認を迫ったのも、極東委員会が開催される前に米国主導で決めて置きたかったからに他ならない。つまり米国が天皇利用をするためにである。

 安倍総理は憲法を押しつけられたと言うが、その内実は天皇を戦後支配に利用したいがため、ソ連やオーストラリア等から天皇を戦争責任から守るために急いだのである。

 こうして戦後日本は天皇制民主主義の国家に変貌した。偽デモクラシー国家の誕生である。要するに主権は天皇からマッカーサーに移動した。その事実は戦後日本の武装解除を決定した権力と同じ権力が1950年の朝鮮戦争に際し一切の民主的プロセス抜きで一片の政令により再軍備(自衛隊前身の警察予備隊の創設)を命令したことで現れた。そして日本を「独立」させたサンフランシスコ講和条約は、同時に結ばれた日米安保条約とワンセットであった。安保条約での米国の要求は「我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」である。要するに戦後日本は天皇が自ら望んで属国になったのだ。

 白井氏によれば戦前戦中の保守支配層はかつて自らが主導して「鬼畜」と呼んだ相手に膝を屈して取り入ることで自らの復権の機会を?み取り、それと引き換えに自発的に主権を放棄した。革新陣営も米国の強制的民主化を支持してそれを補完した。そしてこの国家主権の構造は占領終結でも変わらず、日米安保体制として現在まで続いているのである。

 白井氏は、江戸時代に典型的なように現実的な権力はしばしば天皇と並び立ち、時に凌駕するする権威性を帯びるとする。

 占領下の日本に君臨し天皇に対する救世主として登場したマッカーサーの許には推定約五十万通の手紙が全国から集まった。その多くにはマッカーサーを天皇以上の、あるいは天皇に代わる権威として崇め奉る心情が溢れていると白井氏は紹介して次の注を付けた。

「昔は私たちは、朝な夕なに天皇陛下のご真影を神様のようにあがめ奉ったものですが、今はマッカーサー元帥のお姿に向かってそう致して居ります」(『拝啓マッカーサー元帥様――占領下の日本人の手紙』岩波現代文庫)

 朝鮮戦争時、原爆を使用せよと要求したマッカーサーがトルーマンにより解任され帰国するに際し、天皇を庇護したマッカーサーを讃えるためマッカーサー神社を建立する計画が持ち上がった。発起人は秩父宮を始め田中耕太郎最高裁長官、金森徳治郎国会図書館長、野村吉三郎開戦時駐米大使等の錚々たる人々であった。しかし当のマッカーサーの日本人の精神年齢は十二歳だとの発言で、日本人の崇拝心は一挙に萎んでしまったのである。

 ここでまた白井氏が付けた注を紹介したい。「帰国したマッカーサーが、世界中から注目していた五月三日から始まった議会の公聴会で『日本人は十二歳の少年』ぐらいの知的成長であると言明したため、この神社設立の意気込みは、『神』に裏切られた怒りと軽率な憧れに対する赤恥に耐えられず、一夜にして消えた」(『國破れて マッカーサー』西鋭夫氏著中公文庫)

 このことは日本人の心性では当然の展開であった。白井氏は主に日本人の心性の分析から戦後国体を論じてきたが、私にはそもそも彼の議論の進め方に難点があると考える。

 端的に言えば日本人の心性から日本の政治制度を分析するのではなく、日本の政治制度から戦後の日本人の心性を詳しく分析する必要がある、と私自身は考えるからである。

 実際、この事を最初に明らかにしたのは「律令がわかれば日本が分かる」とした日本の法制史学者の斎川眞氏である。『天皇がわかれば日本がわかる』(ちくま新書1999年)でその事実を解明した。研究熱心な白井氏も残念ながらこの本は知らないようだ。

 斎川氏は日本の国家体制論を明快にまとめた。日本の国家体制は古代から現代まで4区分できる。それは(1)部族社会(2)奈良から江戸(拡大部族制+律令制)(3)明治から戦前(拡大部族制+律令制)+(イギリス+プロシヤ型政体)(4)戦後(拡大部族制+律令制)+(イギリス+プロシヤ型政体)+(アメリカ型政体)の4区分である。

 斎川氏によれば日本に革命(レヴォリューション)思想がない以上、日本の国家体制は過去から現在に至るまで順々に積上げ多層化したものとならざるを得ない。要するに日本は混合政体という国家体制であり、無思想・無規範という特徴を持つと斎川氏は主張する。

 だから欧米社会では中世のカトリック教会支配体制を打破し近代国民国家を創り出す市民革命があったが、日本ではそれは国家体制上起こりえない。したがって今の日本は未だに欧米で言えば教会の権威に相当する律令官僚=天皇教が隠然たる影響力を持ち、日本社会の隅々に拡大部族制がタコツボとして存在するプレモダン(前近代)社会なのである。

 こうした背景を考えれば、安倍総理に忖度し、かつ総理の関与を隠すために現代の律令官僚達が平然と虚偽証言や公文書の改竄に手を染めて一向に恥じない現状も、またこうした国家官僚の明白な犯罪行為を捜査も逮捕もしない警察・検察官僚達の現状も、さらには伊調セクハラ問題等を始めとして次々と明るみに出た事件や日大理事長やボクシング協会山根会長や全日本剣道連盟「居合道」部門での金銭授受の不正が常態化していた事実に至るまでの日本スポーツ界の全く呆れた果てた現状も実によく理解できる。

 「平成」が終わろうとする現代でも、其処彼処にいる親分やお局支配、すなわち拡大部族制が社会の最根底部に存続し続ける日本の特性から全てを認識すべきなのである。(直木)案内へ戻る


  「日本近現代史一五〇年」を学び直そう

●安倍首相の「歴史修正主義」とは?

 安倍晋三首相が、九月の自民党総裁選挙で「三選」をめざして、組織固めを画策しています。三選の大目的が「憲法九条の改正」(自衛隊の明記)であることは、本人も公言していますし、彼を取り巻く「保守派」も同じです。

 その安倍首相の拠って立つ歴史観は、九〇年代から台頭してきた「歴史修正主義」であると言ってよいでしょう。韓国併合や満洲建国を「ロシアの脅威」から正当化し、日中戦争を「国民政府の責任」と正当化し、アジア太平洋戦争を「米英の包囲網」から正当化し、戦後の平和憲法を「戦勝国の押し付け」と否定したい心情がベースになっています。

 戦後の歴史教育が、朝鮮や満洲に対する植民地支配を反省し、中国や東南アジアに対する侵略戦争を反省してきたことを「偏向した左翼史観」「自虐史観」と、真っ向から否定するのが「歴史修正主義」です。

 今、私たちは、韓国併合や満洲事変から日中戦争や太平洋戦争に至る歴史はもちろん、日清・日露戦争を通じて朝鮮や台湾や樺太への支配を強化してきた「大日本帝国」の歴史、さらには明治維新後の江華島事件、琉球処分、千島樺太交換条約等の歴史にも遡って、日本の近現代史を正しく学ぶ必要があります。

 同時に、幕末における農民や町人の「世直し一揆」、明治初期の「自由民権運動」、さらに「日露戦争」に抗して幸徳秋水や与謝野晶子等が繰り広げた反戦運動、また「大正デモクラシー」で花開いた労働運動、農民運動、女性解放運動、部落解放運動、社会主義運動をはじめとした民衆運動の歴史も、改めて学び直すことが必要でしょう。

 とはいえ「日本近現代史一五〇年」は膨大で、大部の「歴史全集」等を読破する時間は、普通の労働者にはとてもありません。かといって、お手軽な一冊の新書や文庫の「近代史本」では、それなりに「分かり易い」けど、執筆者のバイアスがかかっており(右であれ左であれ)、どうしても偏ってしまい、歴史修正主義者との「客観的歴史論議」には不十分です。

 そこで、僕なりに次のように勉強していることを紹介したいと思います。

●まずは高校教科書『日本史』から

 見解の異なる他者と「歴史」について論議するには、まずは「共通のベース」が必要です。その評価はともかく、最低限、日本の高校生レベルで「政府公認」の共通認識となっている歴史を土台にしなければ、論議は噛み合いません。

 高校教科書としては『詳説日本史B』(山川出版社)をお勧めします。

 第Ⅳ章「近代・現代」のうち第9章「近代国家の成立」では、1「開国と幕末の動乱」、2「明治維新と富国強兵」、3「立憲国家の成立と日清戦争」、4「日露戦争と国際関係」、5「近代産業の発展」、6「近代文化の発達」と、明治維新から日清・日露戦争までの歴史が、コンパクトにまとめられています。

 つづく第10章「二つの大戦とアジア」では、1「第一次世界大戦と日本」、2「ワシントン体制」、3「市民生活の変容と大衆文化」、4「恐慌の時代」、5「軍部の台頭」、6「第二次世界大戦」と、第一次世界大戦後の世界軍縮やロシア革命・中国「辛亥革命」などの国際情勢を背景に、大正デモクラシーが花開いたものの、世界恐慌を機に満州事変、日中戦争、アジア太平洋戦争、敗戦に至る経過がまとめられています。

 そして第11章「占領期の日本」、第12章「高度成長の時代」、第13章「激動する世界と日本」では、戦後民主主義から朝鮮戦争・高度成長を経て、バブル崩壊後の日本の諸課題までの経過がまとめられています。

 これだけで167頁あります。ざっと新書本一冊位の分量です。とりあえず通読しておきたいものです。

 高校日本史は、何も「山川出版社」でなくても良いのですが、この後紹介する各論につなげるためにお勧めしました。

●各時期の論争点を『近現代日本史と歴史学』で

 さて高校教科書の『日本史』を踏まえて、各時代ごとに日本の歴史学で何が論点になってきたか知るには、成田龍一著『近現代日本史と歴史学・書き替えられてきた過去』(中公新書)がお勧めです。

 この本では、山川の『日本史』の叙述を引用しながら、「明治維新」(開国・倒幕・維新政府)、「自由民権運動の時代」、「日清・日露戦争の時代」、「大正デモクラシー期」、「アジア・太平洋戦争の時代」、「戦後社会論」の各時代ごとに、歴史叙述がどのように変遷したかを解説しています。成田氏は戦後の歴史学研究は、三つの時期に分けられると指摘します。

第一期は、敗戦後からの歴史学で、「経済史」をベースにしていましたが、これは戦前とりわけ三〇年代の「講座派・労農派」を中心とした「日本資本主義論争」に見られるような「唯物史観」に基づく歴史研究の蓄積を引き継いでいます。その観点から例えば、明治維新の起点を「天保の改革」(マニュファクチュアの発達など国民経済を重視する見方)に置くか、「ペリー来航」(世界資本主義を重視する見方)に置くかが論点となります。

 第二期は、一九六〇年代からの歴史学で「民衆の闘い」に注目するようになります。これは当時の「安保闘争」や「ベトナム反戦運動」、「アジア、アフリカ、ラテンアメリカ人民」など内外の民衆運動の高揚を反映し、その視点から歴史を見直そうとするものでした。「民衆の闘いが歴史を進める」という見方です。

 第三期は、一九八〇年代からの歴史学で、「社会史」の視点が強調されるようになります。これは「ジェンダー」や「地球環境」など様々な社会問題が露呈し、新しい資料の分析も進んでいく状況を反映しています。この「社会史」を重視する歴史学の状況は、今日まで続いていますが、分析対象が多様化・個別化するなど、やや「焦点ぼけ」し、未だ試行錯誤の段階にあるのも否めません。しかし例えば「幕末期の社会制度が、明治維新後の制度に引き継がれている」ことや「戦前の総力戦体制が、戦後の高度成長体制に引き継がれている」など、社会制度論的な観点を提起していると言えます。

 私達に大切なことは、「歴史修正主義」の問題ばかりに目を奪われ、歴史学全体のこうしたパラダイムシフト(経済史・民衆史・社会史)に目を向けることを忘れてはならないことだと思います。

●岩波新書『日本近現代史』シリーズで最新の知見を

 高校教科書『日本史』で得る共通認識をベースに、『近現代日本史と歴史学』で示される歴史学の論争点を踏まえて、いよいよ各時代ごとにやや詳しい歴史を学ぶ段階に進むことができます。

 岩波新書『日本近現代史』シリーズは、二〇〇六年から二〇一〇年にかけて、十冊が刊行されていますが、それは歴史学研究の最新の成果を踏まえ、第三期の「社会史」の各領域の様々な歴史叙述を、現時点で総括しようとする試みだと言えます。

 ①『幕末・維新』井上勝生、②『民権と憲法』牧原憲夫、③『日清・日露戦争』原田敬一、④『大正デモクラシー』成田龍一、⑤『満州事変から日中戦争へ』加藤陽子、⑥『アジア・太平洋戦争』吉田裕、⑦『占領と改革』雨宮正一、⑧『高度成長』武田晴人、⑨『ポスト戦後社会』吉見俊哉、⑩『日本の近現代史をどう見るか』岩波新書編集部編。それぞれ新資料により「通説」を実証的に批判する野心的編集となっています。

 新書本一冊読むのに一週間としても、十冊読むのには二~三箇月はかかりますが、必要に応じて高校教科書『日本史』や『近現代日本史の歴史学』に戻って、基礎的事実や論点を確認すると、わかりやすいです。

 総じて言えるのは、「幕末・維新」や「アジア太平洋戦争・敗戦」の前後の歴史を「断絶」の視点ではなく「連続」の視点で捉えることに重きが置かれていると言えます。

 明治政府の基礎は、実は江戸末期の「幕府と各藩の協議組織」のしくみがベースになっていること。大正デモクラシーの潮流の中に、その後の軍国主義に転化してゆく要素があったこと。敗戦後の高度成長の基礎は、戦前の総力戦体制にあったこと。等々。

 その上で、改めて高校教科書「参考書」レベルの『もういちど読む山川日本近代史』を通読すると、「開国」から「敗戦」までの近代史を、やや詳しく展開していて、見通しがきくようになるでしょう。

●歴史学を基礎に「歴史修正主義」と対峙を

 「歴史修正主義」との論争で言うなら、とくに一九三〇年代からの日本の「総力戦体制」構築へ向けた動き全体の中で、満洲の軍事的経済的開発、朝鮮における軍事目的の鉄道・資源開発や農業開発の問題を捉える必要があるでしょう。また、そうした「総力戦構想」が破綻してゆく過程で、中国の国民政府との場当たり的な戦争やの泥沼にはまり、ナチス・ドイツやスターリン体制・ソ連の趨勢を読み誤り、苦し紛れの南部仏印進駐から、明確な展望を欠いたアジア太平洋戦争に突入していった経過をとらえる必要があるでしょう。

 また「憲法9条」論争で言うなら、「平和憲法」は単に「戦勝国」(GHQ)の圧力のみではなく、敗戦の過程でイニシアチブを握った日本支配層のリベラル勢力が「外圧」を利用した要素をどう評価するか。「平和」条項には第一次世界大戦後の「パリ条約」における「不戦」条項の理念が引き継がれているなど、「世界的潮流」との関連もとらえるべきでしょう。

 また当然のことながら「中国近現代史」や「韓国・朝鮮近現代史」も同時並行して学ぶ必要があります。そもそも日本の歴史は、古代から近代を通じて、中国や韓国・朝鮮の歴史と密接に連関して進んできたわけですから。

特に歴史修正主義者が「韓国併合」(植民地支配)を正当化する理由として、「朝鮮は経済が未発達で自力では近代化できなかった。日本が保護国として開発したからこそ近代化できたのだ。」という主張が問題となります。

これに対して従来から「日本と朝鮮は近世まで同じような社会経済発展をたどり、小農民やマニュファクチュアも発達し、近代化の潜在的要素は日本と同様だった。日本の植民地支配が朝鮮の自生的な経済発展を阻害した。」との反論がなされてきました(梶村秀樹『朝鮮史』など)が、それはどの程度そう言えるのかは、実証的に論ずる必要があります。単に「経済史」だけでなく「社会制度史」からの補強も必要かもしれません。また唯物史観の側の「アジア停滞論」(アジア的生産様式論の狭い解釈)の総括とも関わる問題です。これについては、別の機会に述べたいと思います。

 ともあれ、歴史修正主義と対峙するためには、最低限でも高校教科書『日本史』を学んだ上で、『近現代日本史と歴史学』(成田龍一)で歴史学の論争経過をおさらいし、岩波新書『日本近現代史』シリーズで最新の知見の要点を学び、その上で「中国史」「韓国・朝鮮史」に視野を広げることが必要と思います。(松本誠也)


  何でも紹介 ・・・夏の夜空に花が咲く花火大会

 私はここ数年夏になると地元の花火大会に出かけている。7月の末は山の上にあるホテルの花火大会。夜7時半から始まるので4時頃のシャトルバスに乗って花火を見る場所取りをして、持参したビールとおつまみでほろ酔い加減になると「ヒュード-ン」と花火が上がり始める。クライマックスでは芝生の上に寝転んで見ていると、上がった花火が降るように落ちてくるので両手を上げて歓声をあげている。ところが、昨年と今年は何故か雨が突然降りだし、慌てて荷物を片付けカッパを着て傘をさして雨と風に耐えた。周りを見ると親子連れがレジャーシートをベビ-カーにかぶせていたり、若いカップルは土砂降りの雨に濡れながら笑い合っている等々、みんな帰らず耐えていた。いったいどうなることかと思っていると、何故か雨が止んで必ず花火が上がるのだから面白い。花火大会には雨が付きものかもしれない。でも芝生が濡れていて寝転んで見られないのが残念だった。

 そして、8月の初めは海上花火大会。運のよい事に漁師をやっている従兄弟の船に乗せてもらい海から花火を見る事ができる。夜7時半から始まるが船は5時半に出航。海風が心地よく、沖から見る街の景色もなかなかいいものだ。漁師仲間の船数隻と繋がってプカプカ浮きながらみんなで持ち寄ったお酒やおつまみで盛り上がり、すっかりできあがった頃に花火が上がりだす。海上に浮かぶ2台の台船から「これでもか!」という勢いで打ち上げられる花火は、1時間に1万発の乱れ打ちだから見ごたえがある。打ち上げ花火は360度どこから見ても同じ形に見えるというのだから不思議だ。見晴らしがよく遠方からでも見えるので大勢の人たちが暑い夏の夜、外に出て涼みながら夜空に花が咲く花火を見る事ができるのだろう。

さらに今年は、県の花火大会人気ランキング1位のふくろい遠州花火大会に行ってきた。家から車で2時間ほどかかるので、旅行会社のバスツアーを利用した。15時にバスに乗ると雨が降り出しあっという間にゲリラ豪雨!友人と「花火できるかな」「また雨だね」「笑うしかないね」と笑い合っていた。道路が冠水している中をバスが進んでいくと、雨がやみ同じ市内なのに雨が降った跡もないのだから驚いた。この頃全国各地で大気の不安定によって局地的大雨が降っていた。今年は西日本集中豪雨、猛烈な暑さ、逆走台風と異常気象で今までにないことが起こったが、政治も同じで悪い事をしても平気で嘘をついても首相でいられるとは前代未聞の出来事が起こっている。

 それから雨は降らずバスの駐車場から会場まで歩いて行くと、地元の人たちがお気に入りの場所にシートを広げていたり、会社の前でバーベキューをしたりしていた。地元ではない私たちは有料席に座り綺麗な夕焼けを見ながら持参したビールとおつまみで花火が上がるのを待った。河川敷の会場だけではなく周りも人、人、人、全国から約40万人も集まったという。19時から21時までの2時間、2万5千発の花火が次々に上がってくるのを間近で見られたのはすごかった。

 まずは「ヒュー」と一本の光が空高く上がり「ド-ン」の音と共に「パッ」と綺麗な菊花火が夜空に大きく輝き、一瞬に消えてしまうが一瞬の華やかさが心に残る。さあそこから「スターマイン」といっていくつもの花火を組み合わせて、短時間に数十から百発の玉を連続的に打ち上げる花火で形や色もいろいろで「バリバリ~」と音もすごい。すると今度は「メロディースターマイン」。「天国と地獄(運動会の競走の時のよく流れる)」の曲に合わせて上がる花火は軽快な音楽と花火が組み合わさり自然に体が動いてきた。そして、2機の巨大クレーン車で富士山の仕掛け花火を作り、色の変化で富士山を表現する「空中ナイアガラ大富士瀑布」はとても綺麗で見とれてしまった。フィナーレは打ち上げ協賛企業で1千3百万円も提供した遠州トラックグループの「ジャンボワイドスターマイン」。約4分間で3千発の花火がクラシック音楽の調べに乗って怒濤の花火が夜空に上がるのは大迫力で、会場内は歓声と拍手が沸き起こった。

 花火師は花火を上げた時にでる模様や色などを細かく計算して、火薬をそのようになる様につめて作り上げるという。この職人技とコンピューター制御によって花火大会は年々進化している事を実感する。夜空に咲く花に見とれたり、音と光を体中に感じて元気な気持ちになれるので機会があったら花火大会に足を運んでみて下さい。雨具をお忘れなく(美)案内へ戻る


  コラムの窓 ・・・ 原子力発電のたそがれ!

 新聞報道によると、経済産業省が大手電力による顧客引止め、不当な顧客囲い込みの規制に乗り出したようです。そういえば、我が家にも「以前、関西電力とご契約いただいていたお客様へのおトクなお知らせ」なるものが来ていました。それによると、①7月1日から電気料金の値下げ、②2000円QUOカードプレゼント、③関電ガス契約で基本料金2ヶ月無料、だそうです。

 私は何より原発の電気と縁を切りたいと大阪ガスに切り替えたので、関電の料金に関心はありません。しかし、大阪ガスも含め料金の値下げ競争をしているなかで、関電が原発をどんどん再稼働させたら関電回帰も起きかねないという危惧があります。なにしろ、「電力値下げ関西夏の陣」(8月2日「神戸新聞」)ということで、脱原発などどうでもよくなっています。

 関電は7月27日、今年度第1四半期の純利益18%減と発表しました。家庭向けの顧客流失の歯止めがかからず、電力販売量の減少が続いているということです。料金値下げ競争の泥沼のなかで、関電に残された道は更なる原発への依存しかありません。福井県の若狭湾に11基の原発を持つ関電ですが、すでに4基は廃炉、3基は40年越えの老朽原発、まさに満身創痍です。

 4基がかろうじて稼働となっていますが、高浜3・4号機は定期検査中で、4号機は8月20日に原子炉容器の上蓋(うわぶた)に設置された温度計の接続部分から放射性物質を含む微量の蒸気が漏れで9月中旬の営業運転予定が延びるようです。しかも、高浜3・4号機はプルサーマルなので、使用済みとなる燃料(プルトニウムとウランの混合酸化物・MOX燃料)の処理に頭を悩ますことになるでしょう。

 関電がはまり込んだ経営的泥沼は、原発が持っている欠陥によるものです。もうとっくに経済的には成り立たない原発にしがみつく限り、事故が起きたら破滅、使用済み核燃料は溜まるばかりで処理不能、廃炉となった原発は死重となってのしかかる、残るは国策としての核保有だけ。これに従うことによって、利益を得ようとする電力資本という構図です。

 そうしたなかで、東電は原発事業の再編を模索しています。中部電力や日立、東芝と団子になって経費削減を目指そうというのです。4社は事故を起こした福島原発と同じ沸騰水型軽水炉(再稼働している原発はすべて加圧水型)を手がけており、再稼働に大きな壁が立ちはだかっているのです。神戸新聞(8月23日)は「原発の負担を減らすのは各社が抱える課題だ。原発の数が電力会社の格を決めたのは過去の話だ」という大手電力関係者の声を伝えており、重荷をおろせない〝ぐち〟を聞かされているようです。

 安倍晋三首相が執心した原発輸出はどれも暗礁に乗り上げ、核燃料サイクルも立ち往生しています。フクシマ後、原発事故の恐ろしさが世界中に知れわたり、原発の建設費が高騰し、合理的な判断力がある諸外国では原発からの撤退が進んでいます。日本においてはフクシマは軽んじられ、なかったことにすることによって〝原発再稼働〟が可能となっているのです。

 日米原子力協定が発効から30年を迎えた7月17日、自動延長(いつでも終了できる)されました。今後、プルトニウム保有と核燃サイクルが問題となり、約47トンものプルトニウムをどうするのか、核燃サイクルが動き出せばプルトニウムはさらに増えることになります。米国はプルトニウムの削減を求めており、ここに抜け道はありません。

 安倍首相は「唯一の被爆国」を強調しますが、米国の核の傘の下でプルトニウムを大量に保有し、人工衛星だって打ち上げる技術を持っています。一体どの口が核廃絶と言うのか、他国に検証可能で不可逆的な核廃棄などと言えるのか、わたしはその神経が理解できません。 (晴)


  「エイジの沖縄通信」(NO53)・・・沖縄戦とオスプレイ

1.本土の8月15日と沖縄の6月23日

 今年も8月15日「終戦記念日」を迎えた。

 この8月15日を「終戦の日」とする事に疑問が指摘され、「敗戦の日」すべきとの主張もある。

 また、「世界基準」からすれば玉音放送があった8月15日は「終戦」ではなく、戦艦ミズーリ号で降伏調印した9月2日こそが「終戦の日」との主張もある。

 実は沖縄戦においても、同じような問題が指摘されずっと議論が続いてきた。

 ご存知のように、沖縄では6月23日を「沖縄慰霊の日」と定め休日にして、摩文仁の平和公園で毎年追悼式を開催する。この6月23日とは第32軍司令官牛島満司令官等が自決した日で、日本守備隊の組織的戦闘が終わったと言われている。

 しかし実際は「最後の一兵まで闘え」という命令のもと、残存した日本軍は6月23日以降も沖縄周辺で戦闘を継続した。その残存した日本軍が公式に降伏文書に調印したのは、日本政府の調印日(9月2日)より5日遅れた9月7日で、調印場所は米軍嘉手納基地であった。

 従って、沖縄戦が終了したのはあくまで9月7日で、牛島司令官自決の6月23日を「慰霊の日」に定めることに疑問が投げられてきた。

 沖縄市では「慰霊の日」を休日とする一方、1993年全国で初めて市町村独自 の「沖縄市民平和の日」を条例で制定した。この条例制定により、9月7日を「沖縄市民平和の日」と定め、毎年9月7日に記念行事を実施している。

2.沖縄戦の「裏の戦争」とは?

 今話題の映画「沖縄スパイ戦史」を紹介したい。

 本土決戦を迎える前の「時間稼ぎ」「捨て石」として闘われた沖縄戦。

 その沖縄戦の実相や悲劇は多くの証言や著作・映画で語られてきたが、この映画は戦後70年以上語られなかった陸軍中野学校の「秘密戦」に焦点を当てた作品である。

 長期かつ緻密な取材で本作を作り上げたのは2人の女性監督。

 映画「標的の村」「戦場ぬ止み」「標的の島 風かたか」で沖縄の米軍基地の闘いを描いた三上智恵さんと、学生時代から八重山諸島の戦争被害の取材を続けてきた大矢英代さんである。

 「京都新聞」のコラムは、この映画を次のように伝えている。

 『この夏、話題を集める一本の記録映画を見た。太平洋戦争末期、日本で最大規模の地上戦が行われた沖縄戦の裏面史に迫る「沖縄スパイ戦史」だ。民間人を含む20万人以上が犠牲になった沖縄戦は、1945年6月23日に組織戦戦闘が終わる。だが、北部では10代半ばの少年を中心にした過酷な遊撃戦が続いていたことを映画は教える。少年たちの部隊は秘密戦教育の特務機関、陸軍中野学校出身の青年将校によって村ごとに組織され「護郷隊」と呼ばれた。正規部隊に編入された学徒の少年兵部隊「鉄血勤皇隊」とは別の組織である。そのゲリラ戦で戦車への特攻など絶望的な戦いに挑み、約160人が戦死した実相が元少年兵らの証言であぶりだされる。精神に異常をきたすなど足手まといになった者は、命令で幼なじみの手で射殺されたという。情報が敵に漏れないように住民をマラリアのはびこる島へ強制移住させる、住民同士を監視させて密告させる組織をつくる、さらにスパイ・リストに基づく住民虐殺・・・。映画が伝えるのは、軍が住民を手駒のように使い、本土決戦に向けた「捨て石」とした沖縄戦のやりきれない闇の深さだ。軍隊は本当に住民を守る存在なのか。監督をした三上智恵さんと大矢英代さんの問いは、今も続く沖縄の問いでもあろう。』

 現在、東京の「ポレポレ東中野」やその他の劇場で先行上映されている。是非、多くの人に観て欲しい作品である。

3.横田に米空軍オスプレイ正式配備!

 政府は米軍横田基地に米空軍CV22オスプレイ5機を、10月1日に正式に配備することを発表した。沖縄以外に米軍オスプレイが配備されるのは初めてとなる。さらに、米軍は今後段階的に配備機数を増やしていき、10機態勢にすると言う。

 空軍CV22は潜入作戦などで特殊部隊を輸送するのが任務で、夜間や低空飛行などの過酷な条件での運用が多いので、海兵隊MV22オスプレイより事故率が高いと指摘されている。

 私の住む静岡県の御殿場・東富士演習場もオスプレイの訓練区域になっている。

 普天間の海兵隊MV22オスプレイは、普天間→岩国→横田→御殿場の順に飛んできて東富士演習場で訓練を繰り返している。

 今度の空軍CV22オスプレイは、横田→御殿場となるので訓練頻度が当然多くなることは間違いない。

 米軍機が日本の空をどんな飛び方をしても「日米地位協定」上、日本側が運用に関与できない。これで本当に私たちの安全が確保されるのか?

 これまで米軍機の事故や米兵の事件が多発し多くの犠牲者を出してきた沖縄県は、何度もこの「日米地位協定」の根本的改定を訴えてきたが、まったく日本政府は動かなかった。

4.佐賀に自衛隊オスプレイ配備!

 横田に米軍オスプレイ配備が決定したと思いきや、今度は自衛隊オスプレイが佐賀空港へ配備されるとの事。

 8月24日佐賀県の山口祥義知事は、自衛隊初となる陸自輸送機V22オスプレイを佐賀空港に配備する計画を受け入れると正式表明した。また、オスプレイ配備に反対姿勢を示してきた地元漁協であるが、今回漁業幹部は県知事の協議開始の申し入れを受け入れ、今後協議する考えを示した。

 国と佐賀県のオスプレイ配備の合意ポイントは、①国は20年間に100億円の着陸料を支払う。②県は着陸料を元に漁業振興基金などを創設する。③防衛省、県、漁業組合などの関係機関で、環境保全と補償を検討する協議会を設置する。となっている。

 また、金である。政府は言う事を聞かせるために莫大な金(私たちの税金だ)を出す、県知事も地元漁協幹部も金を当てにして危険な軍用機の配備を認めてしまう。こうした構図は沖縄でも岩国などでも同じように見られる。

 危険なオスプレイが民間空港に配備されるリスクをどう考えるのか?このオフプレイが長崎県・陸自相浦駐屯地に新設された離島防衛専門部隊「水陸機動団」の隊員輸送を担うことになるが、その事をどう考えるのか?等の諸問題をしっかり討議すべきだと考える。(富田 英司)案内へ戻る


  読者からの手紙・・・旅の途中の一枚のビラ

 先日日本へ行く途中、航空時間の便宜上、横浜の親戚の家へ泊まることにして、久しぶりに横浜中華街を見物してまわった。沢山の中国の人々が行き来している。

 路上でビラをまいている人達が居た。興味をもって近づくとカラー刷りの写真を載せたビラだった。内容はある宗教団体が人々に訴えるものだった。

 それは先の中国首相・習近平を糾弾して裁判にかけることを要求したものだ。習氏は中国の経済政策の地球的経済プラン「一帯一路」(あるいは逆の一路一帯か)、ともかく昔のシルクロードにならって、東から西に陸路、海路で各国をつないで、EUにならって経済圏をつくって、その通路にある国々のインフラ整備、経済発展をはかり相互の経済の結束を高めようとする、プランの立て役者である。

 この宗教団体は中国国内に広範な影響力をのばして、それを恐れた共産党政権が弾圧をはかった、というものだった。写真には、拷問され、殺され、その殺した人間の内臓を売買したという説明書きが並んでいた。一瞥ショッキングなビラである。これが事実か、まったくの嘘かは、我々外国人にはわからない。

 しかしこの訴え、あるいは政治宣伝が街頭でなされうるということは、日本側の許容力の広さか、政府側の汎アメリカ、反中国の宣伝の一部か、あるいは正義感(これは多分ない)からか、はわからない。

 しかしもいずれにしても「いや」なことだ。真実にしても虚構にしても、あってはならないことだ。中国は現在グローバルな経済戦争でアメリカをしのごうという構えだ。この流れと、国内の貧困層、他民族とのアンバランスは、真の社会主義とはほど遠い拝金主義、不正、汚職が蔓延している。

 死刑制度は大手をふってまかり通っている。ロシアのオルガルヒ(官僚と財閥の独占的政治経済支配)と同様、権力と経済的富の癒着は資本主義の富と権力との「偏在」とまったく変わらない。

 毛沢東、レーニンはこのような社会システムを目ざしたものではない。権力と富は「自然」と同様、「普遍」である社会制度を構築する壮大な任務は、全世界の巨大な人民大衆が担わなければならない。(M)


  色鉛筆・・・人間ドックで病気が見つかりました

 職場の検診で人間ドックを申し込み受診しました。超音波検査で、腹部リンパ節が腫れており、受診したその日に血液内科がある病院を紹介されました。

 それから精密検査を重ね悪性リンパ腫と診断されました。心も身体も追いつかないまま、職場に病気休暇を申請し治療が始まりました。

 最初は、生体検査のため外科に入院して、開腹手術をしました。外科は、毎日手術があり、大勢の先生たちに手厚くみていただきました。

 昔と違ってパソコンの時代、引き継ぎはパソコンの共有の中で進められることが多いです。患者さんに一生懸命接してそのあと廊下でパソコン入力をしている看護婦さんたち、時間外労働も多いのではと心配しました。

 次に抗がん剤治療のために、感染病棟に入院しました。同室の人は、初めて出会ったばかりの人です。しかし、同じような病気の人で同じく抗がん剤治療を受けています。再発した方も多いです。恐怖心と闘いながら、病気を克服して、お家に帰りたい、社会復帰をしたいという気持ちは同じです。私より熱が高いのに、必ず治るから一緒に頑張ろうと声をかけてくれました。私自身も泣けてきましたが、すぐに仲良くなりました。

 入院生活では、今日の体調を確認しあったり、抗がん剤の副作用対応を教えてくれたり、毎日心強いです。支え合って生きていくことが、本来の人間同士の繋がりだと強く感じました。この経験を大事にし、毎日を大切に過していきたいと思います。(志)

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