ワーカーズ587号 2018/10/1   案内へ戻る
 三選安倍総裁が憲法改正を明言  全力で安倍政治と戦おう?

◆安倍三選と改憲情勢

 九月二十日自民党総裁選で安倍首相の三選が決まった。ところが「圧勝」の前評判と違い全自民党員の三割しか安倍候補は票を獲得できず、一般党員の安倍に対する強い不快感が表明されたのは皮肉なことだと言える。内閣改造・党役員人事は十月一日を軸に進めるが、政権の骨格は維持するらしい。
つまり、公文書改ざんやセクハラ擁護の財務省トップ=麻生副総理兼財務相や菅官房長官、二階党幹事長らを続投させる見通しだ。あっせん利得処罰法違反の容疑で告発された甘利も党三役で復帰の報道もある。国民を愚弄するにもほどがあると言わねばならない。

 三選後のスピーチで安倍は「いよいよ皆さまと共に、憲法改正に取り組んでいきたい」と公言し、今秋に召集予定の臨時国会での党改憲案提出に向け、公明党と協議を進める。公明党がどんな防波堤にもならないことは幾度も証明済みである。大衆行動を盛り上げて安倍政権打倒の闘いを継続しよう。

◆日本外交の孤立化と国連スピーチ

 安倍首相は九月二十五日の国連総会演説で「自由貿易体制の旗手として国際社会を主導する」とトランプ政権の閉鎖主義をけん制しつつ「北東アジアの戦後構造を取り除くために労をいとわない」と外交を語った。安倍政治の根幹である戦後アジア体制の転換とはポツダム宣言をはじめとする戦後枠組みの転換であり、「敗戦国日本の失ったもの」を奪還することだ。例えば端的には領土だ。(北方)領土の復帰無くして「日露平和条約」は結ばないということだ。あるいは「おしつけ平和憲法」を廃棄して戦前型の国家主権憲法復活なのだ。

 さらには日本の軍事強国としての復権等々なのである。防衛省は来年度予算の概算要求を公表した。今年度当初予算比2・1%増で、総額は過去最大の5兆2986億円。要求増は7年連続だ。だが、より重要なのは、年末に控える防衛計画の大綱と中期防衛力整備計画の改定だ。
この決定が、防衛費のさらなる拡大を招くのは必至だ。東シナ海に空母や潜水艦を派遣し中国を挑発し、中東地域で多国籍軍に参加を目指したり、NATOと軍事訓練を試みるなど、世界で軍事緊張を造り出す安倍政権を打倒するほかはない。それを支える安保条約や日米軍事同盟に反対し廃棄を目指そう。

 世界中に軍事緊張に利益を見出す者たちがいる。それは軍需産業関係者ばかりではない。軍部ばかりではない。政治権力の強化や獲得を目指す反動的ポピュリストもいる。彼らを暴露しアジア諸国民と連帯して闘おう。(阿部文明)


 戦前回帰と軍事大国化――アベ放漫財政の無責任――

 自民党総裁選で安倍首相が三選を果たした。満期まで在職すれば史上最長政権だというが、その内実は欺瞞と傲慢ぶりとに満ちたペテン政治という以外にない。表の顔でアベノミクスで景気と暮らしの改善を演出し,裏の顔で戦前回帰の安倍カラーの政策を実現する、という政治手法だ。

 が、安倍一強政治の継続を狙った総裁選での安倍三選は圧勝からほど遠く、自民党内でさえ安倍政治に対する批判・不満がくすぶっていることがあぶり出された。今後の展開しだいではレイムダック化は避けられない。

 とはいえ、私たちとしてはそれを待つばかりではいられない。労働者・庶民の自前の闘いで、安倍首相を政権の座から追い落としていく以外にない。

◆「機動的な財政政策」の無責任

 自民党総裁選で安倍首相は、異次元緩和はいつまでも続けられない、任期3年間のなかで出口を探っていきたい、と言わざるを得なかった。異常事態を認めた発言だった。

 異次元の金融緩和については、前号で取り上げた。ここでは税・財政を見てみたい。

 安倍首相は、アベノミクスの〝第二の矢〟だとして、歳出を増やして経済を再生させられれば税収も増えて財政再建にもつながると、積極的な財政支出を続けてきた。いわゆる“機動的な財政政策”で「経済再生」と「財政健全化」の二兎を追う、というものだ。

 その積極財政。実は第一の矢の金融緩和より前に始まっている。12年12月に発足した安倍内閣は、さっそく10兆円超の12年度補正予算を組んで財政出動に乗り出した。これ以降、毎年の様に補正予算を組んで、財政の大盤振る舞いを続けてきたのだ。

 そして来年度の19年度予算。この8月31日、年末の予算案策定に向けた概算要求が公表され、102兆円超という総額が示された。今年度当初予算が97兆円台だから、今年度より5兆円も増えている計算になる。各省庁の政策経費を一律1割カットしたものの、成長戦略向けの「特別枠」として4兆円の要求枠を認めたからだ。

 歳出増はこれに止まらない。概算要求の中には、要求事項のみで額が記載されない「事項要求」が含まれ、例えば防衛省の米軍再編関連経費の2000億円などが含まれていないなど、実際にはもっと増える。

 しかも来年秋に予定される消費増税による景気の冷え込み対策として見込む歳出も、今後予算編成過程で予算案に組み込むとしているので、さらに膨らむ。結果的に当初予算としては初の100兆円台にまで膨らむ可能性が高いものになっている。

◆膨らむ軍事・支持団体向け予算

 こうした放漫財政を象徴するものがある。すでに聖域となった感もある軍事費の肥大化だ。たとえばイージス・アショア導入だ。導入について、安倍政権は、北朝鮮の弾道ミサイルが脅威となっているから配備すると言っていた。ところがトランプと金正恩の会談などで、朝鮮半島をめぐる情勢が若干緩和した。当然、これまでの主張を考えれば、危機、国難が遠のいたのだから、配備は必要なくなった、止める、と言わねばならない。ところが現実は全く逆だ。国難がどうのこうのではなく、ともかく配備、なのだ。だったら、北朝鮮の脅威、国難などというのはまったくの“方便”でしかなかったわけだ。

 軍事予算の肥大化は他にもある。大型護衛艦の空母化、巡航ミサイルなどを含めて敵基地攻撃能力の保有等々、軍事増強の野望は止まらないのが実情なのだ。

 今回の概算要求では、防衛省の要求額は、5兆3000億円と前年度の2・1%増だ。が、これは見た目だけの増額に過ぎない。安倍政権は、今年2月1日に成立した2・7兆円の17年度補正予算で、すでにミサイル関連の防衛予算2300億円を計上している。安倍政権発足後最初の13年度の防衛予算が4兆7000億円ほどだから、「事項要求」の2000億円も含めればほぼ1兆円、軍事費全体で2割も増やしている。

 こうした軍事予算を含めて大企業や業界団体などの支持団体には手厚い、呆れるほどの膨張財政が続いているのだ。

◆反故にされた財政再建

 そんなわけで、結局、安倍政権の「二兎を追う」はどうなったか。
 金融緩和や財政出動で、大企業や自民党の応援団体は恩恵を受けてきたが、労働者の賃金は増えず、消費は伸びない。経済が再生し、企業からの税収が増えれば財政は健全化すると言ってきたが、肝心の税収は思った様には増えていない。理由は法人税が増えていないからだ。なぜふえていないか。法人税率を引き下げたからだ。法人税は以前より少なくなっている。その尻拭いは結局、赤字国債という借金だ。その結果はといえば、財政再建計画の先送りである。

 安倍首相による放漫財政は、財政再建目標の撤回によく現れている。

 毎年発行する巨額の赤字国債によって借金は雪だるま式に増え、国債の発行残高は18年度末で883兆円、国と地方の借金はGDPの2倍を超え、ほぼ終戦時と同じ規模にまでに膨らんでいる。

 それに、今ではDGPに占める国家財政の比率が20%を超えるまでになり、皮肉にも、安倍自民党が毛嫌いするロシアなど国有経済に匹敵する国家セクターの肥大化が進んでいるのが実情なのだ。

 その国家財政を正常化するための目標として掲げてきた基礎的財政収支(=プライマリーバランス)――その年の税収だけで政策経費をまかなえる――を黒字化する目標年度を20年度としてきたが、それをあっさり撤回、自分の任期が終わった後の25年度に先送りしてしまった。要は、自分が首相のときは内閣支持率をかき集めるために大盤振る舞いし、自分の後の政権で正常化そればいい、というわけだ。。

 安倍首相がやりたいのは、何よりも戦後レジームからの脱却という旗印のもとでの戦前回帰路線だ。それには有権者の支持をつなぎ止める必要があるが、そのための財政の大盤振る舞いであり、痛みを伴う消費増税延期などの負担の先送りだ。財政再建、財政の健全化など、どこ吹く風。遠くない将来に国家財政が破綻したとしても、そんなことはお構いなし、というわけだ。後は野となれ山となれ、無責任極まるとしかいいようがない。

◆安倍政権は退陣を!

 総裁三選を果たした安倍首相。だが政権の先行きは不透明感が増している。これまでの底堅い経済は、内閣支持率など安倍政権を支える土台になっていた。が、政権の一枚看板だったそのアベノミクス、金融緩和の副作用、財政の肥大化、国債暴落の危機、金利上昇による借金返済の増額など、リスクが膨らんでいるからだ。

 これまでのところ、安倍首相は、来年秋の消費増税は実施すると言っている。消費増税にともなう消費の落ち込みも見込まれているが、景気の失速は、安倍政権の命取りになる。果たして消費税引き上げは出来るのか。

 安倍首相は、総裁三選にあたって、任期中の改憲も政治課題に挙げている。現時点では実現性が消えかかっているが、トップダウンで強引に改憲に突っ走るためには、安倍内閣への高い支持率が不可欠だ。仮に消費増税で消費不況が到来することが避けられないとすれば、これまで同様、消費増税を延期・撤回する可能性もある。

 先にも触れたが、安倍政権は、来年秋の消費増税に伴う景気の落ち込みに対処するとして、概算要求とは別に予算措置するとしている。具体的には、住宅減税や自動車減税だ。

 これにはすでに世論の中からも批判が沸き起こっている。要は、消費増税という低所得であればあるほど負担が重くなる大衆課税を強いておいて、巨額の利益を上げている自動車メーカーや住宅産業の支援をおこなうというのは、本末転倒だというものだ。至極当然のこと、安倍政権の性格がもろに出ているとしか言いようがない。

 安倍政権によって国家セクターの拡大が進み、国家財政への依存度が大きくなっていることには、私たち自身も責任がある。国家財政による所得の〝再配分〟への関心が高まる反面、むしろ賃上げ闘争など〝一次配分〟をめぐる私たち自身の闘いのありようも問われているのである。

 三期目に入った安倍政権、レイムダック化も想定される。が、私たちとしてはそれを待つことなく、労働者・市民の自前の闘いを拡げることで、安倍政権を退陣に追い込んでいきたい。(廣)案内へ戻る


 読書室 島田 裕巳氏著『神社崩壊』新潮新書 2018年8月刊行 本体価格760円

昨年12月、東京都江東区の富岡八幡宮で起きた実弟の元宮司が現宮司の実姉を刺殺した事件とその背景には富岡八幡宮経営の不明朗かつ放漫な実態、神社本庁との宮司人事を巡る任命権等の軋轢などがあり、その何れもが現在の神社界の危機を象徴するものだ。

 そもそも神社とはどのような場所で、何を祀っているのか。またその各神社の収入源や各社の経済格差、さらに神社本庁の正体と続発する神社本庁からの離脱騒動等、そして神社本庁の政治化や「日本会議」との関係など、現代神社界の数々の暗部を宗教学者の島田氏が解説する。
しかしどれだけ真実に迫れたかを評価するのは私たち読者である。

 昨年12月17日に富岡八幡宮境内で発生した実弟による実姉殺人の凄惨な事件の発生から、この9月末までに神社界を揺るがす三大事件が勃発したことを読者は知っているか。

 本書でもこの事件は、はじめにと第一章富岡八幡宮事件で詳説されている。

 二つ目の事件とは2016年正月、職員に対する年頭挨拶で未来を見据えた時「まず靖国神社創立の原点に返り、その理念を見直すことも必要」だと発言した靖国神社の徳川康久宮司(69)が、今年の3月1日に75歳の定年を待たずして退任したことである。

 徳川宮司は江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の曾孫にあたり、現役時代は石油会社に勤務し定年退職後は芝東照宮に勤務していた。この芝東照宮とは初代将軍の徳川家康を祭神と祀る神社であるから、彼の宮司就任は当然にも自然な流れで理解が出来るだろう。

 しかし靖国神社は徳川幕府を打倒して明治政府を樹立した「官軍」の戦没者を祀る「東京招魂社」として始まったことを考えれば、将軍家に連なる人物が靖国神社の宮司に就任するのはいかにも奇妙である。この経緯を明らかにした記事は私も一切読んだことはない。

 そもそもこの発言は前年10月の亀井静香元金融担当大臣や石原慎太郎元東京都知事が靖国神社を訪れ、徳川宮司に対して賊軍とされた戦没者の合祀の申し入れに関連する。その申入書には「西郷南州や江藤新平、白虎隊、新撰組などの賊軍と称された方々も近代日本のために志を持って行動したことは勝者・敗者の別なく認められるべきで、これらの諸霊が靖国神社に祀られていないことは誠に残念極まりない」とされていたのである。

 本年2月28日、靖国神社は徳川康久宮司が同日付で退任し、後任に元伊勢神宮禰宜の小堀邦夫氏(67)が3月1日付で就任すると発表した。すでに2年前から徳川元宮司は官軍を西軍、賊軍を東軍と呼称して賊軍も英霊として合祀すべきだと主張していたので、定年前の退任は異例だが結局はその発言のため辞任にまで追い込まれたと考えられる。

 さらに三つ目の事件とは9月17日、全国8万の神社を傘下におく宗教法人・神社本庁事務方トップの田中恒清総長(74)が9月11日の理事会で、総長を辞任する意向を表明したことが同庁関係者の話でわかったことである。この田中総長も又75歳定年前の退任は異例である。田中氏はこれ以上皆様の批判に晒されたくないとの弁を吐く。そして総長を指名する立場の鷹司尚武統理・今上天皇の姉池田厚子総裁は受け入れる方針である。

 田中氏は石清水八幡宮の宮司で2010年に総長に就任し、総長3期目で伊勢神宮の式年遷宮の成功で高く評価されていたという。現在まで日本会議の副会長も務めていたが、昨年夏以来神社本庁の職員宿舎の売却が問題化しており、その真相解明を訴えていた幹部職員2人が懲戒処分になり、裁判に訴えられ一部の理事からは総長への批判が出ていた。

 この三大事件について、島田氏は本書『神社崩壊』の中でどの程度しっかりと解明しているかとの問題意識で、以下の本書の各章の小見出しを検討して確認していきたい。

はじめに
「永遠に祟り続けます」/凶行の背景/神社界の危機を象徴する事件
第一章 富岡八幡宮事件
予兆/蕩尽の果てに/なぜ自由に大金を動かせたのか/日本一の黄金神輿/潤沢な寄進による豪華設備/莫大な不動産収入/いかにして「金満神社」となったのか/「成田山信仰」を生んだ出開帳/神仏分離と「深川不動堂」の誕生/「富岡家」の勃興/神社界の重要人物/「日本会議の生みの親」
第二章 神社はそんなに儲かるのか
ヴェールに包まれた財務状況/宗教法人の収益ランキング/神社の年収は?/宮司の平均年収は?/「兼業神職」「兼務社」の実態/神主は儲からない/神社とは、どのような場所なのか/国家による保護/戦前の靖国神社の収入/「公務員」だった神職/戦後の農地改革による大打撃/広がった「神社格差」
第三章 神社本庁とは何か
神職への圧力/神社は法律でどのように分類されているのか/あくまで民間組織/戦前は国家機関として/GHQによる変革と国家管理の断念/「本宗」とは何か/伊勢神宮がなぜ「本宗」なのか/神宮大麻/減少する貴重な収入源/神社本庁への特別納付金/本庁と神宮、各神社の経済的な関係/すべては「遷宮」のために/人事権の掌握/続発する神社本庁からの離脱/揺れる神社本庁
第四章 神々の相克――神社本庁は「新宗教」である
なぜ靖国神社と伏見稲荷大社は神社本庁に属さなかったのか/多種多様な神々/神話と神々の関係性/混沌とした日本の神々の世界/天照大神と八幡神/神による非情な宣告/伊勢の地が選ばれた理由/なぜ天皇は伊勢神宮に参拝しなかったのか/本当は恐ろしい天照大神/神々の相克のドラマ/いつの間にか最高の神社へ/神社本庁は「新宗教」である
第五章 神社本庁の政治学
「敬神尊皇の教学」/「神宮神道」というイデオロギー/政治化する神社本庁/神道政治連盟と神宮制度改正案/政教分離の壁/靖国神社国家護持運動/「違憲判決」の影響/一九八五年の公式参拝/政治運動の成果/「日本会議」の結成/宗教法人であることのジレンマ
第六章 揺らぐ神社の権威構造
古代、神社はどのようなものであったか/磐座での祭祀/神は常在しない/社殿の変化/神と人の距離/権威化する神道/神々の組織構造/皇室と神社界の未来/「神社崩壊」の危機
おわりに――神社は再生するのか
減少する参拝客/宗教離れしてく世界/「再生」の手段/神社本庁の「責任」

 これらの小見出しを子細に検討すれば、島田氏は殺人事件以外の二つの事件についてはほとんどその解明を避けている。もっとも田中総長の辞任の件については、時系列では当然ながら問題指摘できなかったとはいえ、2017年夏から問題になっていたのだから総長の責任に触れなかったことには、島田氏の解明の姿勢に大きな疑問が残ると言えよう。

 ここで神社界について確認しておきたいのは、神社界総体と神社本庁との関係である。

 戦前は国家機関であった神社は、統轄官庁は明治5年に創設された神祇省から教部省を経て内務省社寺局に統括されてきたが、1947年5月に内務省は廃止された。つまり戦後創立の神社本庁は、神社界における単なる数ある民間の宗教法人の一つである。正確には単立の宗教法人に対して包括宗教法人である。

 そもそも神社界の包括宗教法人には神社本庁の他、神社本教・北海道神社協会・神宮教・出雲教等の宗教法人と単立宗教法人の伏見稲荷や靖国神社等がある。靖国神社も入っていないのだ。現在、神社本庁に靖国神社が入っていないことをどれだけの人が知っているであろうか。なぜかと言えば、伊勢神社等が内務省社寺局の管轄だったのに対して、靖国神社は内務省の管轄外で直接に陸軍省と海軍省が所管していた。戦後、陸軍省等が解体された時、宗教法人に移行するが神社本庁には入らず単立の宗教法人になったのである。

 又神社本庁は天照大神を祭神とする伊勢神宮を本宗としている。つまり神社本庁は新興宗教なのであり、これを不服とする神社界でも第2位の社殿数を持つ伏見稲荷は、神社本庁には入っていない。にもかかわらず神社本庁は神社界で実に大きな態度を取っている。

 そもそも日本の神々の出自には大きく分けて3種類ある。第1の種類は『古事記』や『日本書紀』に登場する神々で、第2の種類は記紀神話には登場しないが現に祀られている八幡神や稲荷神等で、第3の種類は天神様のように優れた人を神々として祀ったものである。

 ここで深刻な問題はこの前2種の神々との関係性や格付けである。これについては各神の来歴は不明な点が数多く、謎に満ちている。つまり神社界は混沌としているのだ。

 第2の種類の神々と、例えば稲荷神と天照大神との相性は悪い。しかし秦河勝や秦氏との稲荷神とは関係が深い。そして秦氏には親鸞の師で有名な法然や能の観阿弥・世阿弥親子や現静岡県知事の川勝平太氏がいる。ここに日本古代史の謎が隠されているのである。

 島田氏も本書で「二十二社」を取り上げている。平安時代に二十二社の制が誕生し畿内の主な神社の格付けが行われた。康保2年(九六五)に十六社が指定され、伊勢・石清水・賀茂・松尾・平野・稲荷・春日・大原野・大神・石上・丹生・木船(貴布祢)、その後吉田・広田・北野、さらに梅宮・祇園(八坂)・日吉で二十二社となる。京都の神社は、例えば春日・大野原・日吉も百済系の藤原氏の神社であり、八幡や稲荷も渡来系である。

 しかし神社界で最大勢力の八幡神との関係はよい。現に今年の9月まで総長の田中氏は石清水八幡宮の宮司で神社本庁で人事権等の大きな権限を持つ事務方のトップであった。そして八幡神社の頂点である宇佐神宮も女性宮司の承認具申を何度も提出したが、男尊女卑思想の神社本庁はいまだに認可しない。この神社にも富岡八幡宮と同じ火種が残る。

 このように神社本庁は天照大神を最高位に優遇して恥じない。島田氏が言うようにここに神社本庁の抱える矛盾がある。島田氏が徳川宮司の中途退任をなぜか書いていないのも、本書の記述を神社本庁関連に絞ったためであり、そこにその理由があると私は考える。

 周知のように神社本庁は伊勢神宮と靖国神社を国家護持することを政治運動の目的としている。がしかし、もしこれが可能になれば宗教法人としての神社本庁は、その社会的な存在意義を喪失してしまうのである。要は彼らは自らの首を絞める活動をしているのだ。

 さらに本書にも明らかにされたように富岡八幡宮と日本会議の創設には深い関係があるにもかかわらず、その解明と真実に迫ろうとする島田氏の姿勢にも大いに疑問がある。

 すなわち明治時代に神仏分離が行われた時、富岡八幡宮と一体であった永代寺の住職の16世周徹は還俗して富岡八幡宮の宮司となった。その際、必要となった姓は富岡と名乗る。そして名も宥水とした。富岡家が代々宮司を受け継ぐようになったのは、彼から始まったのである。この点を富岡家の人々は大きく誤解し、豪奢な生活にも無反省だった。

 出雲大社のように代々の宮司を受け継いできた千家家のような社家もあれば、富岡家のように明治からの社家もある。その後、富岡宥水氏は養子を取り、その人物は宣水を名乗り大正から1949年まで宮司であった。そして宮司はその養嗣子の盛彦氏に受け継がれた。盛彦氏は富岡八幡宮の境内で宮司である実姉を殺した元宮司の茂水氏の祖父である。

 この盛彦氏は神社界では極めて重要な人物である。なぜなら戦後神社本庁の総長を務めたことがあるからである。このため、富岡八幡宮には顕彰の銅像が建っている。盛彦氏の経歴については『戦後神道界の群像』に記載されている。彼は福岡県築上群八津田村生まれで富岡宣水氏の長女よし子と結婚し、養嗣子となり富岡八幡宮の宮司になった。がしかしその旧姓は不明だと島田氏は書く。しかし戸籍を確認すればそんなことはあり得ない。

 ここで島田氏は何らかの真実を上手く隠しているのである。その理由は、私は皇太子と姻族となる小和田家が、三代前が不明というのと同様の扱いではないかと考える。

 ここで注目しなければならないのは、先に紹介した『戦後神道界の群像』の記述である。

 そこには盛彦氏が「(昭和)四十八年御遷宮の年に伊勢で開かれた第5回世界連邦平和促進全国宗教者大会では曹洞宗円覚寺派菅長朝比奈宗源と同宿する機会を得、日本の現状を憂へる二人はすっかり意気投合し、日本の現状を何とかしなければならないと明治神宮宮司伊達巽・成長の家総裁谷口正春・真光教団開祖岡田光玉・安岡正篤・山岡荘八等に呼びかけ『日本を守る会』発起人となって同会設立に尽力したことは晩年最大の仕事であった」とする。つまりはこの盛彦氏が「日本会議」結成に?がる運動の創始者なのである。

 この「日本を守る会」こそは「日本会議」の前身で、「元号法制化実現国民会議」を母体とした「日本を守る国民会議」と1997年に統合されて「日本会議」が誕生したのだ。

 ここで唐突ながら紹介しておけば、私は「ワーカーズの直のブログ」を公開しているが、ここ1ヶ月のアクセス数のベスト3は多い順から紹介すると①神社本庁と日本会議と櫻井よしこ氏との関係に潜むどす黒く深い闇とは?②神社本庁の内紛の激化とその背景とは③神社本庁で更に内紛の深刻化―内部告発の部長を懲戒解雇 の神社ブログの3本である。

 これらのブログで私は日本神社界のタブーは、在日朝鮮人の存在比重が社会一般の数倍であるとはっきりと書いておいた。又日本会議の広告塔として活躍している櫻井よしこ氏が東京の赤坂氷川神社の境内に住んでいることも暴露している。神社境内に建物を造るのには神社本庁の許可が必要である。つまり神社本庁総長の決裁が必要なことなのである。

 神社本庁は櫻井よしこ氏になぜこんな特例とも表現する他はない便宜を与えているのか。この事実と櫻井氏の言動とは関係があるか否か。誰でも知りたくなることではないか。

 島田氏は櫻井よしこ氏の件は勿論、直接田中総長にインタビュー等をしてこれらの事実を抉り出し真相に迫る努力を傾けてはいない。こんな体たらくでは、私は出版社が「宗教学者がタブーをえぐる」と大宣伝する割には、真実に迫ってはいないと判断している。

 読者には島田氏の解明が真実か、私のブログが真実かの判断をお願いしたい。(直木)案内へ戻る


 何でも紹介欄 ・・・梶村秀樹『朝鮮史』

 今年にになって、ピョンチャンオリンピックをきっかけに、韓国(大韓民国)と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の首脳会談や米朝首脳会談が相次ぎ、昨年までの「戦争の危機」がウソのような状況が展開されています。

 一方で、日本国内に目を転じると、相変わらずの「ヘイトスピーチ」に象徴されるように、在日韓国人・朝鮮人に対する排外主義的な風潮が、止むことがありません。

 韓国史・朝鮮史について、また日韓・日朝関係史について、古代・中世から近現代まで、通して学ぶことは重要ですが、「新書本」サイズのしっかりした「通史」は多くないのが現状です。

 梶村秀樹の『朝鮮史』は、「講談社現代新書」の東洋史シリーズの一つとして一九七七年に刊行され、今日では絶版になっていますが、今読み直しても、決して古さを感じさせません。そこで、今回はそれを紹介したいと思います。

●「双生児的類似性」と「開国の時差」

 梶村氏の叙述で印象深いものがいくつかあります。

 「朝鮮は日本にとって最も近い外国である。(略)「から」、「天竺」、「もろこし」、「南蛮」などの外国一般をさす単語(略)、その最初に位置する「から」が古代朝鮮南部の加羅諸国の名からきていることでもわかるように、朝鮮は、日本人が最初に認識した外国である」(9頁)

 「前近代において、日・朝両国とも東アジア文明圏の周辺に位置し、中国文明の影響を受けつつ、双生児的類似性をもって、しかもそれぞれ独自に歴史を発展させてきた」(9頁)

 梶村氏は古代から中世を経て近世(日本は江戸時代、朝鮮は李朝時代)に至るまで、日本と朝鮮は「双生児的類似性をもって発展」してきたと言います。その「双生児的類似性」が、大きく運命を分けたのが「開国の時差」だったと梶村氏は強調します。

 「開国に先立つ時期の日朝両国の社会経済的発展は、政治・文化的特質をもちつつ、大同小異の段階に達していた。問題は、開国によって加速された社会変動の集約としての、一大政治変革の成否にあった。そして、まだ新しい体制が固まっていない変革期に、どのような質の政治・軍事的外圧が加わったかが、その成否に、したがってその後の両国の運命に、大きく影響した(略)。ある意味では、わずか二〇余年の開国の時差が、明治維新を運よく成功させ、二〇余年後の朝鮮の変革を失敗においこむという岐路を生んだといえるのである。」(94頁~95頁)

●「停滞史観」「他律性史観」の誤り

 もう少し詳しく梶村氏の歴史叙述につきあってみましょう。

 「日本の朝鮮史学は、朝鮮近代史叙述の始点を一八七六年の江華条約におき、外からの近代化をその叙述内容としてきたが(略)一八六〇年代を近代史叙述の始点におくのが妥当だと思う。前章までにみてきた諸変化が合流して、歴史総体として近代化に向かう不可逆的な歩みが、この時期に始まっていると認められるからである。」(94頁)

 ここで梶村氏の言う「諸変化」とは、十七世紀後半から、商品作物生産や小手工業仕事場が発達し、織物の取引などを軸に、全国的に貨幣経済が発展し、李朝の封建的支配体制を大きく掘り崩してゆき、農民や商人の「民乱」が多発する過程のことです。こうした諸変化が近代化に向かうのが一八六〇年代だったと梶村氏は強調し、従来の史観を批判します。

 「戦前以来の帝国主義イデオローグは、日本の朝鮮植民地支配を合理化するために、「停滞史観」「他律性史観」に基づく事実離れのした朝鮮史像を造作し、日本国民総体がこのイメージを再生産してきた。「朝鮮民族は本来的に弱くて自力で発展することができない停滞した民族だから、日本が『併合』して近代文明を扶植し、導いてやらなければ滅びてしまう。だから統治は欧米流の植民地支配=侵略ではなく、恩恵を与えることなのだ」といいなしてきた。このイメージの誤りは、前章までにみた、開国前の朝鮮社会の内在的発展を示す諸事実だけからも、明らかであろう。」(94頁)

●戦後歴史学の問い直しにも

 梶村氏のこの指摘には、実は歴史学上の重大な問題提起が含まれていると思います。「近代化」の始点を「開国」におくか、国内の「商品経済」発展におくか、という問題は、朝鮮史のみならず、「日本の明治維新」の起点をどこにおくか、という問題とも共通しているからです。

 かつて戦後歴史学において、遠山茂樹は明治維新の始点を「天保の改革」においていましたが、後に「ペリー来航」に修正し、現在の通説となっています。今、その「通説」が再び問われているという、最近の歴史学の状況を考えると、梶村氏のこの問題提起は、新たな視点で再度見直してみる必要があると思われるのです。

 『近現代日本史と歴史学』で成田龍一氏は、戦後の歴史学は三段階を経てきたと主張します。

第一段階は、戦前(一九二〇年代以来)の唯物史観を引き継いだ「社会経済構成体史観」いわば経済決定論です。
第二段階は一九六〇年代の安保闘争やベトナム反戦に触発された「民衆史観」です。梶村氏の『朝鮮史』は、ちょうどこの「民衆史観」全盛期に書かれただけあって「朝鮮民衆」という言葉が多用されます。
第三段階は一九八〇年以降の「社会史」の時期です。この「社会史」は多用な傾向に分かれてゆきますが、その中で「社会制度」を重視した史観には、方法論的に注目できると思います。残念ながら梶村秀樹氏は、若くして逝去されたため、この「社会制度史観」を彼なりに吸収したら、どのように朝鮮史を叙述し直したことだろうと思うと、本当に惜しまれるところです。

 今世紀に入って「歴史修正主義」が台頭する昨今、改めて韓国・朝鮮の歴史、日韓・日朝関係史をどうみるか問われる状況のもと、新たな視点で再読してみるべき価値のある、決して古くない貴重な一冊です。
(松本誠也)案内へ戻る


 コラムの窓 ・・・2020があぶない!

 9月初め新潟でオンブズマンの全国大会があり、その分科会で「共謀罪と公安警察‐ 市民の自由と社会秩序のあり方を考える 」ことになりました。2020東京五輪をゴールとしたマイナンバーカードと顔認証、そして監視カメラという総監視システムが稼働しようとしています。

 清水勉弁護士はフリージャーナリスト常岡浩介さんの違法ガサ入れ国賠訴訟事件を担当していますが、これはISに拘束され公開処刑された湯川遙菜さんに関連して〝私戦予備・陰謀罪〟容疑で取材機材も含めすべてを押収された事件です。常岡さんがIS支配地域に行けなかったので湯川さんが殺害されても、公安警察はそのことには無関心。公安は送検できるかなど考えないで、捜査押収を目的にしており、かつての特別高等警察に近づいているのです。

 私戦予備及び陰謀罪とは、外国に対して私的に戦闘行為をする目的で、その準備や陰謀をする罪。刑法第93条が禁じ、3ヶ月以上5年以下の禁錮に処せられる。ただし、自首した者は刑が免除される。という何か亡霊のような罪状で、公安は何でもありを証明するものです。当然、今後は共謀罪が脅威となるでしょう。

 元北海道警察・警視長の原田宏二さんは2004年、北海道警の裏金を告発し、今は「明るい警察を実現する全国ネットワーク」で活躍されています。まず、警察の任務(警察法第2条)は①個人の生命、身体及び財産の保護、②公共の安全と秩序の維持(公安警察の任務)。形は都道府県警察となっているが、実態は国家警察(ヒト・モノ・カネを警察庁が握っている)と。

 そして、公安警察は「公共の安全と秩序の維持のために、現体制を暴力的に破壊しようとする勢力及びその行為から民主主義を擁護する機能を果たす」ことを任務としており、その実態は闇(公安・外事部門で7~8000人、機動隊を含め1万人)、マスコミの取材対象外となっています。

 法的根拠のない捜査、やりたい放題している(共謀罪はその根拠を与える)。防犯カメラ・Nシステム・ビデオカメラ・三次元顔画像検索システム・GPS(位置捜査)・DNA(究極の個人情報)。チェック(公安員会・議会・裁判所・マスコミ)がなくなっている。さらに問題なのは人々の意識、無関心だ、と原田さんは怒っています。

 その具体例を示したのが、近藤ゆり子さん(大垣警察市民監視違憲訴訟の勝利をめざす「もの言う」自由を守る会)でした。シーテック社(中部電力子会社)による巨大風車建設計画をめぐって、岐阜県警大垣署が市民監視を行い、その情報を業者に流していたことが「朝日新聞」(2014年7月24日)によって報じられました。近藤さんは徳山ダム建設中止訴訟を起こした張本人として、〝危険人物〟視されていました。近藤さんは大垣警察市民監視違憲訴訟の原告として、公安警察による市民監視を許さないと協調しました。

 なお、国会における警察庁警備局長発言は、「管内における・・・各種事業・・・風力発電事業・・・とか道路工事の事業とか様々な事業・・・等に伴い生じ得るトラブルの可能性について、公共の安全と秩序の維持の観点から関心を有し・・・必要に応じて関係事業者と意見交換を行っております。そういうことが通常行っている警察の業務の一環だということでございます」となっています。

 そういえば8月に中国に行ったおり、上海・浦東空港の入国手続きで、10指の指紋を取られてしまいました。悔しいしできることなら避けたかったけど、いやなら関空に逆戻り。国境って何であるのか、軽やかに乗り越えられたらどんなにか楽しいだろう。もひとつそういえば、関空税関が没収した神戸朝鮮高級学校生徒のお土産は返還されたようです。愚か者たちのたくらみがひとつ破れました。懲りない彼らは〝お土産没収事件〟を繰り返しています。恥の上塗りをしたいとは、全く困った人たちです。 (晴)


 「エイジの沖縄通信」(NO54)・・・翁長雄志知事と翁長樹子夫人の言葉の重さ

 沖縄県知事選は9月30日(日)が投開票日である。

 この「沖縄通信」が皆さんの手元に届いた時には、沖縄の新知事が決まっているだろう。

 選挙結果がどうなるか、今記事を書いている私には分からないが、指摘すべき大問題はこの知事選における自民党・公明党連合の公選法違反とも言える違法選挙の事実だ。

 名護市長選で勝利を得た自公は、今度の知事選でもえげつない「期日前投票戦術」(今回の知事選では投票者に証拠写メまで強制する手口、さらに驚くことに陣営が期日前投票の報告を求める用紙を配布していた事が明らかになった。特定の陣営が投票の報告を求める行為は、憲法で保障されている『投票の秘密』を侵していると言える)や「デマを流す電話かけ作戦」、さらに本土の国会議員等を大動員(なんと小池東京都知事までも)して、沖縄県民に圧力をかける選挙戦を展開した。

 一地方の知事選・地方選挙にこんなにまで政府が介入する事例を聞いたことがない。このような選挙介入を許すなら「地方自治」などは成り立たない。

 命を削って最後まで日本政府の権力重圧に抗して沖縄の自尊心を守り、「ありとあらゆる手段を講じて辺野古に基地を造らせない」と奮闘した翁長雄志知事の死は、今考えても大変残念である。

 そこで、皆さんに亡くなる8月8日前の6月23日「沖縄慰霊の日」に翁長知事が読み上げた「平和宣言全文」を紹介したい。さらに、9月22日の「玉城デニーうまんちゅ大集会」で翁長樹子夫人が県民に訴えた内容を紹介したい。(富田 英司)

1.沖縄慰霊の日(2018年6月23日)『平和宣言全文』

★20数万人余の尊い命を奪った地上戦が繰り広げられてから、73年目となる6月23日を迎えました。
 私たちは、この悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する『沖縄のこころ』を大事に今日を生きています。

 戦後焼け野原となった沖縄で、私たちはこの『沖縄のこころ』をよりどころとして、復興と発展の道を力強く歩んできました。

★しかしながら、戦後実に73年を経た現在においても、日本の国土面積の約0.6%にすぎないこの沖縄に、米軍専用施設面積の約70.3%が存在し続けており、県民は広大な米軍基地から派生する事件・事故、騒音をはじめとする環境問題等に苦しみ、悩まされ続けています。

 昨今、東アジアをめぐる安全保障環境は、大きく変化しており、先日の、米朝首脳会談においても、朝鮮半島の非核化への取り組みや平和体制の構築について共同声明が発表されるなど緊張緩和に向けた動きがはじまっています。

 平和を求める大きな流れの中にあっても、20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのでしょうか。日米両政府は現行計画を見直すべきではないでしょうか。民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できるものではありません。「辺野古に新基地を造らせない」という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません。

 これまで、歴代の沖縄県知事が何度も訴えてきたとおり、沖縄の米軍基地問題は、日本全体の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきものであります。国民の皆様には、沖縄の基地の現状や日米安全保障体制の在り方について、真摯に考えていただきたいと願っています。

★東アジアでの対話の進展の一方で、依然として世界では、地域紛争やテロなどにより、人権侵害、難民、飢餓、貧困などの多くの問題が山積しています。

 世界中の人々が、民族や宗教、そして価値観の違いを乗り越えて、強い意志で平和を求め協力して取り組んでいかなければなりません。かって沖縄は「万国津梁」の精神の下、アジアの国々との交易や交流を通し、平和的共存共栄の時代を歩んできた歴史があります。

 そして、現在の沖縄は、アジアのダイナミズムを取り込むことによって、再び、アジアの国々をつなぐことができる素地ができてきており、日本とアジアの架橋としての役割を担うことが期待されています。

 その期待に応えられるよう、私たち沖縄県民は、アジア地域の発展と平和の実現に向け、沖縄が誇るソフトパワーなどの強みを発揮していくとともに、沖縄戦の悲惨な実相や教訓を正しく次世代に伝えていくことで、一層、国際社会に貢献する役割を果たしていかなければなりません。

★本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、恒久平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に伝え、未来を担う子や孫が心を穏やかに笑顔で暮らせる「平和で誇りある豊かな沖縄」を築くため、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。   沖縄県知事 翁長雄志

2.翁長樹子さんの訴え「県民を愚弄する政府に負けるわけにはいかない!」

★泣かずにしゃべれる自信がありません。翁長雄志の家内の樹子でございます。本当にたくさんの方に支えていただいて、必死に頑張ったんですけど、8月8日に(翁長雄志は)急逝いたしました。

 正直、翁長が亡くなって、頭の中では理解しているつもりなのに、心がなかなか追いつきません。洗濯物をたたんでいるだとか、ご飯を出したときに突然、「あっそうだパパ」って顔を上げちゃうんですよね。そしたら遺影の翁長がいつも笑っているの。「ばかだなあ君は」って言って。

 翁長が恋しいです。あの笑顔がもう一度見たい。あの笑い声がもう一度聞きたい。でも、かなわない。

★この選挙は正直言って翁長がいつも言っていたように、みんな同じウチナーンチュだから、みんな一生懸命考えてみんなが出した結論はもう、そういうことなんだということで、私は今回、本当は静かに皆さん県民の一人ひとりの方が出す結論を待とうと思っていました。

 ところが、日本政府の方のなさることがあまりにもひどいから、たった140万人の(日本国民全体の)1%しかない沖縄県民に、「オールジャパン」と称して、政府の権力を全て行使して、私たち沖縄県民をまるで愚弄するように押しつぶそうとする。民意を押しつぶそうとする。何なんですかこれは。

★こんなふうに出てくるというのは正直、とても躊躇がありました。でももう、何だか翁長が「もう仕方がないな、みんなで頑張らないといけないから君も一緒になって頑張っておいで」と言ってくれたような気がして、今日はこの場に立っております。

 この沖縄は、翁長が心の底から愛して、140万県民を本当に命がけで守ろうとした沖縄です。県民の心に1ミリも寄り添おうとしない、なさらない、相手の方には悪いけど、申し訳ないけど、私は譲りたくはありません。

 いまデニーさんの話を聞いて、よかった、うちの人の心をデニーさんが引き継いでくれるんだと思ったら涙が止まりません。

 残り1週間です。簡単には勝てない。それでも簡単には負けない。翁長が信じていた、私たちウチナーンチュの心の中をすべてさらけ出してでも、マグマを噴き出させてでも、必ず勝利を勝ち取りましょう、みなさん。

 頑張りましょうね。ぬちかじり(命の限り)。ぬちかじりですよ。頑張りましょうね。よろしくお願いします。(9月22日「玉城デニーうまんちゅ大集会」にて)案内へ戻る


 読者からの手紙  恫喝やごまかしで未来が託せるか!

 安倍首相が三選を果たした自民党の総裁選挙では、公平でまともな投票が行われたのか疑問が残るところである。

 ある政治評論家のH氏は「総裁選は公職選挙法の対象外だから何でもありだし、党員の投開票もいい加減なものです。“犬猫党員”という言葉も あるくらいで、自分で会費を払って知人を勝手に党員にしてしまうことは昔からよくある。安倍政権では国会議員に党員獲得の厳しいノルマを課しているから、なおさらです。・・・陣営が誓約書まで取って必死に締め付け、組織的に投票させても、55%しか取れなかった。党費を払っていながら投票しなかった一般党員の多くは、安倍首相を支持していないと考えるのが普通です。そうなると、厳密に見れば、本当に党員票の55%を取ったのか怪しいものです。投票用紙をかき集めて、ひとりで大量投票しているケースもあるでしょう。都道府県連の開票結果はメールなどで党本部に送られるそうですが、数え間違いや、数字の入力ミスがあっても、国政選挙のよ うなチェックは入りようがありません」と述べており、その投票結果に疑問を投げかけている。

 岸田政調会長が不出馬を決断したのも、自ら率いる派閥全体が干されることを危惧してのことだった。西村官房副長官が、地元の神戸市議に対し「石破を応援するな」と圧力をかけていたことや、安倍応援団のひとりが、石破派の斎藤農相に「石破を応援するなら辞表を書いてからやれ」と迫っていたことも公になった。

 自民党内選挙で公職選挙法に触れないからといえ「干されてもいいのか」という恫喝による選挙と投票行動がまかり通っていることこそ問題ではないのか!

 今、日本では多くの大企業で会社や労働組合で「組織ぐるみ選挙」が横行しています。住所の移動や期日前投票を利用した投票行動の監視、買収や恫喝、デマや嫌がらせが当たり前のように行われ、「公正な選挙」など口先だけのものとなっています。

 こういう情勢から生まれた安部自公政権をほかに託せる政権がないからといって支持することは良いことだろうか?世論調査で安倍政権を支持する理由の一位は「ほかの内閣より良さそうだから」である。目先の“安定”を望むあまりに大きな変化を望まない今の世論情勢では、益々彼らをつけ上がらせ、彼らの手法を見て見ぬ振りで、犯罪者を野放しにするだけである。

 加計・森友問題では“忖度”がまかり通り、国会内での多数を頼りに追求をはぐらかし続けた安倍首相。これが「ほかの内閣よりよさそう」の実態なのだ!

 全国の心ある有権者の皆さん!恫喝やごまかしに惑わされずに、将来を見据えた投票行動をしましよう!(真)

 
 色鉛筆・・・「砂川闘争から沖縄へ」

 60年前の東京砂川で繰り広げられた「米軍基地拡張反対闘争」。大勢の機動隊員とぶつかり合う農民、学生、労組員ら。激しい闘いは流血の事態となり、多くの涙や苦悩の後ついに勝利する。1957年制作のドキュメンタリー映画『流血の記録/ 砂川』(亀井文夫監督)は、人々の喜怒哀楽の表情や、決して引かない強い意志「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」に、圧倒される。

 先日、映画上映とともに、当時闘いの中にいた土屋源太郎氏のお話を聞く『砂川から沖縄をつなぐ反戦平和の集い』に参加した。

 土屋氏は1957年9月に「米軍基地内に侵入した」として逮捕されたものの、1959年3月の東京地裁伊達裁判長のもと「駐留米軍は戦力にあたるため『憲法9条違反』(伊達判決)」全員無罪を勝ち取る。ところが、検察が高裁を飛び越して最高裁に跳躍上告、異例の早さでその年の12月16日一審判決を棄却差し戻しとされ、そして有罪とされた。 これは後の2008年、米国公文書館から、当時の田中耕太郎最高裁長官と、米駐日マッカーサー大使との間での密談などの記録文書14通が発見され、不正な裁判だったことが明らかとなる。当時、翌年1960年の安保改定を進めていた日米両政府にとって「伊達判決」は、何としても潰さなければならなかった。

 さっそく土屋さんたちは、2009年「伊達判決を生かす会」を結成し活動を開始。

 会は、2014年7月最高裁の決定は憲法違反として、再審請求を提出。折しも安倍内閣が安保法制についてその法的根拠に砂川最高裁判決を悪用したことへの抗議の意志をも込めた。(2018年7月最高裁が棄却決定)

 60年代までは、米軍基地の8割は本土、2割が沖縄にあった。ところが50~60年代の本土の基地反対闘争によって、その多くが沖縄に移された。戦後から1972年まで、沖縄は日本から切り離され、米軍施政下に置かれていたことがそれを容易にした。

 「あなたはいつ、沖縄への移設を知ったのですか?」との問いに土屋氏は、「1995年まで思い至らなかった。移設反対運動を出来なかったことを悔やみ反省している。」と答えた。 帰路知人が、「何も知らなかった。今日は頭を殴られた気分だ。」と一言、私も同感。

 今気づけば、本土上空にもオスプレイが飛び交い、迎撃ミサイル配備といった事態になっている。そもそも砂川闘争によって、横田基地の機能が拡大、強化され、オスプレイ導入と本土内の訓練の拠点化が明確になったと言う。

 沖縄戦で、唯一地上戦の場にされ、県民の4人に1人の命が奪われた。畑も交通網も建物も何もかもが破壊つくされた戦後。他のどこよりも国からの手厚い対応がされねばならないはずが、1952年の「サンフランシスコ講話条約」で逆に日本から切り離され、米軍施政下に放り出された。米軍による事件・事故、植民地支配に苦しめられ続け、それは今なお続いている。

翁長知事は生前、これらの歴史事実を繰り返し話された。「子や孫のために沖縄がどうあるべきかを考えるのが私の仕事だ」との視点を持つ話に新鮮な感動を覚えた。アジアのみならず世界への、未来への視点も持つ希有な政治家だった。

沖縄で米軍ヘリが墜落したとき、子どもたちが危険にさらされたとき、すぐに駆け付けた日本政府の政治家はいない。それが、知事選で自らの推す候補のため(辺野古基地反対の候補を落とすため)には、怒濤のように沖縄に押し寄せてくる。自民党三役は、9月中沖縄に張り付いている。

 政府は砂川判決当時と変わらず、司法を抱き込み意のままの判決を出させる。県知事選でどの候補が当選しても、辺野古工事は強行しようとするだろう。だが、沖縄は各種世論で、県内移設に7~8割が反対している。決して無視してはならない数字だ。(澄)

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