ワーカーズ593号 (2019/4/1)    案内へ戻る

 大阪クロス選挙 まずは維新政治を終わらせよう!
 大阪都構想に終止符を!
 小異を残して大同に!
 
 大阪は現在知事も大阪市長も、大阪維新が現職です。松井一郎知事が辞職して大阪市長選に、吉村洋文大阪市長が辞職して大阪知事選に、それぞれ立候補しました。これは、辞職して同じポストに立候補して当選しても、残りの約半年の任期しかないのが、今回のクロス選挙になれば任期は4年になるからです。

 あらためて今回の立候補者をみてみます。立候補したのは無所属で元市議の柳本顕氏(45)、地域政党・大阪維新の会代表で大阪府知事を辞職した松井一郎氏(55)の2人です。大阪府知事選には、元副知事の小西禎一氏(64)と、大阪維新の前市長の吉村氏が出馬。柳本氏と小西氏の両氏は、自民党と公明党府本部が推薦し国民民主党府連が支持、立憲民主党府連と共産党が自主的に支援しており、反維新の構図が鮮明になっています。

 大阪維新が掲げる「大阪都構想」の是非を最大の争点に、「維新対反維新」の構図で新人同士による一騎打ちとなりました。

 大阪維新が掲げる大阪都構想は、4年前の住民投票で否決されました。それをまたやろうとしています。大阪都構想は、まず大阪都にはならず政令指定都市である大阪市を廃止して4つの特別区にし、広い範囲の権限と予算を大阪府に一元化しようとするものです。つまり特別区になると、権限も予算も大幅に少なくなります。特別区にともなう初期費用に1500億円もかかります。百害あって一利なしの大阪都構想を終わりにしたいです。

 また、大阪維新はカジノを誘致しようとしています。賭博はダメです。

また大阪維新は、舞洲にカジノを誘致しようとしています。それと、国民健康保険の大幅値上げも画策しています。
それぞれの候補者の街頭での演説を紹介します。 大阪市長候補の柳本氏は、大阪・関西万博の準備時期と都構想の移行時期が重なることを指摘し「都構想実現と万博の成功は二律背反。二つを追ったら二つとも成功はあり得ない」と述べ大阪都構想にかかる費用を子どもや教育に使うべきだと訴えました。

 松井氏は「観光客が何度でも訪れてくれる大阪をつくり上げてきた」結果の経済成長として、「府市対立、二重行政の時代に戻せるわけがない」と訴えました。

 大阪府知事候補小西氏は、「都構想は百害あって一利なし。今こそ維新府政を終わらせる絶好の機会だ」と訴えました。

吉村氏は、「大阪を一地方都市で終わらせない。(府市の)二重行政を改めよう」と訴えました。

 大阪維新の松井氏はテレビの討論番組で、「知事と市長は権力者」と述べ、これに対し小西氏は、「(知事と市長は権力者ではなく)住民の代表だ」と反論しました。これは、小西氏の方が正しいです。松井氏は、選挙に勝てば何でもできると思っているのではないでしょうか?
 今回の選挙は、まずは危険な維新を知事や市長の座から降ろさないといけません。(河野)


 不調に終わった、米朝会談・・各国の民衆と連携し、運動を通して和平を強いていくことだ。

米朝会談は不調に終わりました。これを喜ぶむきもあるようですが、それは朝鮮半島における緊張関係や軍事対立の継続、軍拡の一層の進展を望む勢力のように見えます。もちろん、朝米会談がそのまま自動的に朝鮮半島や東アジアの緊張緩和や和平への動きをもたらしてくれるわけではないでしょう。

大事なことは、わずかとは言え緊張が緩和されることと緊張状態が継続されることのどちらが、この地域に暮らす民衆にとって望ましいかということ。東アジアの民衆が、自らの運動の力を通して関係各国の支配層に緊張緩和や和平に向けての取組を強制していく上で、どちらの状態が有利であるかということです。

米国による北朝鮮への武力行使や戦争の恫喝が続き、それを口実にして北朝鮮による核開発が継続したり強化されたりする状況よりは、韓国の文在寅大統領が期待する米朝の緊張緩和、それを条件として可能になる朝鮮半島の安定と経済社会の発展の方が、和平に向けての環境として遙かに望ましいことは明らかです。

朝米会談不発という事態が私たちに教えているのは、私たちが東アジアの各国の民衆と連携して、米国と北朝鮮の支配層に、そしてその周辺諸国の政府に対して、私たち民衆自身の運動を通して和平を強いていく、そのための闘いをさらに強めていく必要、この事だと思います。(阿部治正フェスブックより)


 「春闘」に思う。・・「企業主義」からの脱却を。

 今年の春闘「春季生活闘争」は、日本企業全体でみれば、利益水準は依然として高く、内部留保も500兆円を超え、人手不足な状況下にもかかわらず、全体の賃上げに重大な影響を持つトヨタ労組が要求額を明らかにしないなど、連合内部の乱れもあり、自動車や電機大手などの春闘回答はベースアップ(ベア)額が昨年に及ばない回答が出されている。

 賃上げ交渉は雇い主に対して労働者が生活維持の為に賃上げを要求するものだが、企業別労働組合が主流である日本においては、個々の企業ごとの労働組合の交渉力の差が大きく、そこで労働者側が団結し、各企業・各産業が毎年同時期に歩調をあわせ団結することで交渉力を高める、統一闘争として春闘が始まった。

 交渉相手を個別企業から産業別やグルーブ別に広げ、先導役の大手企業がベアを獲得し、中小、非正規がそれに続くと言うスタイルをとり、日本の高度成長期と相まって、それなりの成果を得てきた。しかし、大手や産業別と言っても、基本的な交渉相手は個別企業であり、景気後退時には「賃上げより雇用を」と企業防衛・企業優先的な運動となり、非正規雇用が増える中、格差が拡大し、「大きく国民諸階層を結集し、国民生活を守るために闘う」との「国民春闘」なる取り組みも出されたが、企業内的要素は払拭されずに、近年は、資本とその政府主導による賃上げ交渉が続き、実質賃金は下がる一方。労働者主体の「春闘の終焉」とまで言われるのが今の現状である。

 トヨタ労組が要求額を明らかにしないで個別交渉を行う事は、(企業別組合が)個別企業別に行われてきた交渉経緯からすれば必然であり、個別企業における業績や労働者の組織力などによって勝ち取る成果に違いが出来、格差解消が進まない要因の一つなのである。

 労働組合が「企業主義」に落ち込むことはその性格からしてやむを得ないことだが、労働者全体の生活を守り戦い抜くために、こうした狭い「企業主義からの脱却」を労働者自身が自覚せねばならないだろう。

 今や安倍首相さえ言う「同一労働同一賃金」だが、「デフレからの脱却」などと、景気の好循環=企業がより多くの利益を得るための賃金政策を語っているのであり、非正規労働を固定化し、労働者間の差別を温存、利潤を得るために低い方に合わせるなど、資本に都合の良い政策として行っているに過ぎないのだ。

 私達労働者は、こうした「企業優先」の賃金政策ではなく、企業内労働運動の限界を自覚しつつ、生活向上のために粘り強く賃金獲得闘争を闘うと同時に、非正規労働の廃止、長時間労働の見直し、等々、政権に対して、制度的な要求を自らの力で勝ち取っていかなければならない。

 「同一労働同一賃金」制度を確立するためには、企業が儲けた利益を国家に拠出させ、国家的管理による、公平な分配を行うぐらいの事をすべきで、下請けや孫請けなど中小企業を含む個別企業を産業別やグループ別に、協同組合的に統一・統合して、企業間を超えた新しい運動を構築すべきであると思う。(真野) 


 「三・一文化祭」との出会い

 3月17日の日曜日のこと。福岡市内の市民集会に参加し、デモ行進しているとき。

 沿道から、リズミカルな太鼓の音が聞こえてきた。ダンダ、ダダダ、ダンダ、ダダダ・・・。打楽器の組合せで、ジャンジャ、ジャジャジャ・・・と音色を変化させつつ。

 近づくと、韓国・朝鮮の伝統衣装を着た人々が、元気にデモ隊を応援してくれている。「三・一文化祭」をアピールする横断幕を掲げて、チラシを配っている。

 思わず手を振って、チラシに手を伸ばすと、笑顔でチラシを渡してくれた。そのチラシは、翌週の日曜日に福岡市内で開かれる「三・一文化祭」のお誘いだった。

 チラシを読むと、「ノリマダン(韓国・朝鮮の遊び)」、「プンムル(農楽)」、「サムルノリ大合唱」、「チョゴリファッションショー」、「ノレチャラン(のど自慢)」、「ガンガンスルレ」、「アリラン合唱」など多彩なプログラムが写真入で紹介されている。

「在日コリアン、日本人、地域の人々と共に創り出す多文化交流のマダン(広場)です!みなさんの参加をお待ちしています!」と呼びかけている。当日、僕は他に用事があって参加できないのが、実に残念に思えた。

●三・一運動の歴史

「三・一(サミル)運動」とは、1919年3月1日、植民地支配に抗して朝鮮民衆が「独立宣言文」を呼び上げ、全国で平和的な行進を行った闘いのことだ。大日本帝国は、1910年の「日韓併合」から1945年のアジア太平洋戦争終結までの36年間、朝鮮を植民地支配した。これに対し朝鮮民衆は義兵闘争を始め、様々な抵抗運動を繰り広げていた。そのうねりがひとつになったのが、三・一運動である。全土で200万人を越える人々が参加したと言われる。これは平和的示威運動だったが、大日本帝国は武力で弾圧し、数千名の人々の命が奪われたとされる。

世界史の教科書では、1918年に第一次世界大戦(帝国主義戦争)が終結すると、アメリカのウィルソン大統領が「民族自決」を宣言し、ロシア領からフィンランド・ポーランドが独立、オーストリア領からチェコスロバキキア・ハンガリー・ユーゴスラビアが独立した。またロシアでは労働者農民が社会主義革命を起こし、ドイツなど各国でも労働者の闘いが巻き起こった。

こうした第一次大戦後の気運の中で、朝鮮では「三・一運動」が広がり、中国では「五・四運動」が起き、日本では「米騒動」が起きた。その後、各国では労働者農民の運動や民主主義の運動が繰り広げられた。「三・一運動」を機に、大日本帝国は朝鮮植民地支配の方式を「武断統治」から「文化統治」に切り替えた。

しかし、1931年の満州事変、1937年の盧溝橋事件を経て、大日本帝国はアジア太平洋戦争に突入すると、「総力戦体制」を構築する一環として、朝鮮を「兵站基地」と位置付けた。この過程で、多くの朝鮮人労働者が日本の鉱山や土木工事に「徴用工」として、若い女性たちが「従軍慰安婦」として、1945年の終戦まで過酷な扱いを受けた。

今、日韓が対立している「徴用工」「従軍慰安婦」問題の歴史的経緯を、私たちはしっかり捉えなければならない。

●民衆連帯の運動を

 先に紹介した「三・一文化祭」のチラシをもう一度読むと、「第30回」と銘打っている。ということは1989年頃から続いているわけだ。1980年代の韓国では軍事独裁政権に対する民主化運動が繰り広げられ、日本でもこれに連帯する運動が広がっていた。

 その後、盧泰愚大統領の来日、村山・河野談話、サッカー「日韓ワールドカップ」、「韓流ドラマ」ブームもあり、日本人と韓国人の親近感が改善したかと思われたが、近年は「嫌韓」「反日」という言葉に象徴されるように、双方の国民感情は悪化している。「ヘイトスピーチ」の横行など、本当に恥ずべき状況と言わなければならない。

 両国の世論調査でも、双方の国民に対する「好感度」は低下しているとされる。ただ、興味深いことだが、観光やビジネスで相手国を訪れた経験のある人を対象にすると「悪感情」は低いとも言われる。

 先日、福岡市内の私立大学キャンパスで「朝鮮通信使」の歴史に関するシンポジウムが開かれたので参加した。その中で、日韓の大学生が共同でフィールドワークを行う試みが報告された。共通のテーマで共同作業を行うことを通じて、お互いの気質の違いを乗り越え、理解し合える関係を築くことができたという。

 僕自身は、自治体労働組合の交流で釜山やソウルを訪問したり、市民運動の交流で釜山を訪れ原発反対や被爆者支援について意見交換をした少ない経験があるくらいだが、何か共通のテーマで民衆レベルの交流のチャンネルを持つことは、大切だと思う。

 「三・一文化祭」は、民衆連帯の貴重な運動であることは間違いない。今回は残念ながら参加できなかったが、別の機会にぜひ参加したいと思う。(松本誠也)案内へ戻る


 読書室    橋爪大三郎氏・大澤真幸氏共著『アメリカ』河出新書

 キリスト教国家としてのアメリカの本質と対米従属する日本を語り尽くす対話本

 昨年11月に出版された新書である。橋爪氏と大澤氏はこの本を含めて既に『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)を始めとする5冊ほどの対談本を出版しており、お互いをよく知る関係である。そのことが大澤氏の忌憚のない質問と橋爪氏の回答をめぐる討議を成り立たせており、またそのことがこの本を生き生きとさせ、充実した内容にしている。

 大澤氏の問題意識とは、アメリカには極端な両義性があるというものだ。まずアメリカは圧倒的な世界標準である点。誰もがアメリカで代表される価値観を標準としているし、世界の客観的な実態であるという前提で行動している。ならばアメリカは地球上の様々な国や社会の平均値に近いのか。逆である。アメリカは他に似た社会を見いだせない点で全くの例外だとする。標準なのに例外。つまりその二重性によりアメリカは「現代」を代表するが、日本とアメリカの関係、いや日本のアメリカに対する関係が非常に独特で他に類例を見ない。かつて日本はアメリカと総力戦を戦い、完敗した。しかも2発の原爆を落とされた。それでも日本はアメリカが好きなのだ。ではアメリカに詳しいかといえば、日本以上にアメリカを理解しない国民は他にないとの立場を取っているのが大澤氏である。

 これに対するのが橋爪氏である。橋爪氏も日本人はアメリカが存在するのが、当たり前だと思っている。当たり前すぎて、アメリカがいない世界を考えられないほどだとする。そしてアメリカの存在を不思議だとして、さらにアメリカべったりの政策を七○年以上も続けてきた日本はもっと不思議かもしれないと橋爪氏は鋭い問題提起するのである。

 本書は、こうした問題意識を持つ二人がアメリカの急所を突きとめるために対話した本である。アメリカを知るため、二人で手分けをしてピンポイントでキリスト教とプラグマティズムの2つの攻略ルートと日米関係の真実を知る、要はアメリカを知ることは日本を知ることなのであり、つまりは日本と自分とが「変わる」ことを追求した本なのである。

 それでは本書の目次を紹介する。
Ⅰアメリカとはそもそもどんな国か
 1キリスト教から考える
 2ピルグリム・ファーザーズの神話
 3教会と政府の関係はどうなっているか
 4教会にもいろいろある
 5大覚醒運動とは何だったのか
 6なぜ独立が必要だったのか
 7なぜ資本主義が世界でもっともうまくいったのか
 8アメリカは選ばれた人々の選ばれた国なのか
 9トランプ大統領の誕生は何を意味しているのか

Ⅱアメリカ的とはどういうことか
 1プラグマティズムから考える
 2プラグマティズムと近代科学はどう違うのか
 3プラグマティズムはどこから来たのか
 4パースはこう考えた
 5パースからジェイムズへ
 6デューイはこう考えた
 7プラグマティズムと宗教
 8ふたたびアメリカの資本主義を考える
 9プラグマティズムの帰結

Ⅲ私たちにとってアメリカとは何か
 1なぜ人種差別がなくならないのか
 2なぜ社会主義が広まらないのか
 3なぜ私たちは日米関係に縛られるのか

 アメリカはキリスト教国であることを知らない人はいないであろう。欧州では今やほとんどの人が教会に行かなくなったのに対して、アメリカでは今でも毎日曜日に教会に行く人々が国民の40%いるという。しかしキリスト教といっても、大きくは正教・カトリック・プロテスタントに分けられる。では英国国教会は一体どこに分類されているかを知っている人はいるだろうか。さらにピューリタンの言葉は知っているかも知れないが、ピューリタンとはプロテスタントの何派なのかを知っている人はいるだろうか。

 アメリカのキリスト教徒が欧州のカトリック教徒やプロテスタント教徒とかなり異なる行動様式を持っていることを私たちは知る必要がある。そしてこの点では、橋爪氏と大澤氏とが森本あんり氏の『アメリカ・キリスト教史』を踏まえた議論を展開する「Ⅰアメリカとはそもそもどんな国か」は大変参考になる。そこでは不信仰派の大澤氏のあけすけで率直なキリスト教に対する質問に、現在ルーテル派教会メンバーである橋爪氏の回答は直截であり、まさに端的に語っている。アメリカの宗教事情が実によく説明されている。

 トランプ大統領が福音派で、福音派が彼の支持基盤であることの関連が理解できる。まさに神により選ばれし者の自覚と自己顕示欲の一体化がトランプに体現されたのである。

「Ⅱアメリカ的とはどういうことか」では、プラグマティズムは哲学でなくアメリカ流の生き方であるとするのが、橋爪氏の断案である。この主張が大澤氏の的確な質問や様々な提起などを媒介に詳しく展開されている。この解明は類書にはない優れたものである。

「Ⅲ私たちにとってアメリカとは何か」では、アメリカのトラウマ的原罪ともいうべきネイティブ・アメリカンと黒人奴隷が取り上げられている。欧州には身分はあるが奴隷はいなかったが、アメリカには身分はないが、奴隷制ができた。なぜ人種差別になったのか。

またアメリカではなぜ社会主義が広まらないのかが、論じられている。フランスではプロテスタントの役割を啓蒙主義が果たした。啓蒙主義は社会主義やマルクス主義と親和性があり相性もよい。だから欧州は福祉社会であり、社会民主主義が定着もしている。

 だがアメリカではカルヴァン派の影響による個人主義と主体性が尊重されており、そのために社会福祉は政府や国がやることではなく、個人の献金によってなされるべきだとの国民的な合意に近いものがあることによる。なぜそうなったのかは詳しく説明がされて、カトリックやルーテル派と異なるとの説明には、私たちにはまさに初耳の説明である。

 カルヴァン派で非分離派の長老派と異なり、分離派のカルヴァン派で会衆派が多いアメリカ社会ではこうした社会意識が広まった。結局、人種差別も社会主義が広がらないのも、その根底にはキリスト教(カルヴァン派の影響)があると解明されているのである。

 この章の最後の部分は、日米関係について論じられている。対米従属から永続敗戦も話題となる。ほとんど内政干渉のようなアメリカの注文に関しても唯々諾々応じてしまうメンタリティは何故かと大澤氏は問う。これに対して橋爪氏は、その根源には遡って解説をする。アメリカにとって日本とは、負けると分かっていて戦争を仕掛け、もう戦えないと分かっても玉砕や特攻をする合理的思考が出来ない民族と映る。そのため、戦力は取り上げた。戦後日本が対米従属になったのはアメリカが強大でも日本が弱小だったからでもなくアメリカが日本を信頼していないことが根幹にある、と橋爪氏はこの間の事情を切開する。つまり日本人には合理的な理性と判断力がないとのアメリカの判断があるのである。

 日米関係は対等ではない。だから「俺の言う事を聞いていろ」と最後に言われるのであり、「それで仕方がない」とか「それでいいです」とか「もう慣れちゃいました」っていうのは、二次的、三次的な現象である。つまりは自分で戦争をする、政治をする、外交をする発想と能力を手に入れさえすればよいのだ、と橋爪氏は大胆にも喝破する。これに対して大澤氏は「喜んで対米従属していることが問題だ」、「アメリカが日本に対して好意を持っているという幻想をつくって」、「日本人はアメリカに愛され解放されたみたいな図式によって、その危うさに直面するのを回避した」と応じるのである。まさに核心だ。

 ここで橋爪氏は歴史的なアナロジーでもつて明治維新の時、武士が日本社会で果たした役割を今アメリカが果たしていると指摘する。つまり戦後日本は町人と農民の国になったのであり、現状に甘んじるのは怠惰以外の何者でもない、と橋爪氏は剔抉したのである。

 最後に橋爪氏は「アメリカのものの見方や行動様式を体得すること」、アメリカべったりでなく「アメリカと違った価値観と行動様式をそなえた、日本を発見すること」、「日本とアメリカの関係が、成熟したつぎの段階に進むために不可欠の作業」と結論する。
 是非読者の皆様に一読をお勧めしたい。 (直木)案内へ戻る


 コラムの窓 ・・・ 原発重大ニュース!

 国際環境NGO・FoEjapanが2018年度重大ニュースを発表しました。とりあえず、この11件のニュースの表題を並べてみます。

「日立、英・ウエールズ原発輸出から事実上撤退」「原子力損害賠償法の見直し~原子力事業者の保護を継続」「横浜地裁、国・東電の責任を認定」「東海第2原発の再稼働・運転延長の審査終了」「第五次エネルギー基本計画閣議決定」「子どもたちの甲状腺がん200人以上に~多くの集計漏れ?」「11歳の少女が甲状腺に100ミリシーベルトの被ばく」「ALPS処理・汚染水の海中放出に異論続出」「市民が撃退~二本松での除染土再利用実証事業」「関西電力・火山灰想定を再評価へ」「避難者に対する住宅支援、相次いで終了へ」

 これらの表題から読み取れることは、国策としての原発再稼働は不変だが、原発輸出は破綻。3・11による放射能汚染は広く薄くばらまき、事故責任・被害をなかったことにする。ここに原発をめぐる攻防があります。しかし、表題だけでは内容がわからないかもしれませんので、関電に関するニュースを取り上げてみます。

 御存じのように、関電は電力会社のなかで最も原発への依存が高い企業でした。若狭湾(福井県)に11もの原発を稼働させていましたが、そのうちの老朽化や出力が小さい原発4基は廃炉。そして、現在稼働しているのは大飯3・4号機、高浜3・4号機の4原発。他に、40年越えの美浜3号機と高浜1・2号機が再稼働に向けた「定期検査中」となっています。

 3・11後、電気事業連合会会長となった八木誠社長(現会長)が原発再稼働の旗振り役となり、再び原発依存へと復帰した感があります。電事連会長はその後中部電力社長を経てこの6月、再び岩根茂樹現社長が会長職に就くようです。関電はこうして〝原発地獄〟からの脱出の機会を失い、堤未果言うところの「今だけカネだけ自分だけ」の道を突っ走っているのです。

 重大ニュースにある火山灰想定の再評価というのは、鳥取県の大山が噴火した場合の降灰シュミレーションで関電が過小評価しているとし、原子力規制委員会が昨年11月21日に再評価を行うとしたものです。本来なら稼働中の4原発を止めてということになるはずですが、規制委は運転停止を求めていません。

 そうしたなか、福井の中嶌哲演さんが断食を行い、声明を発しました。3月4日、雨のなか断食中の中嶌さんは関電本店への申し入れを行いました。2月26日に発せられた中嶌さんの断食声明は、「末期の眼で観ているような ― 関西電力は老朽原発(高浜①・②、美浜③)の延命工事の中止を!」というものです。老朽炉の対策工事費合計は3810億円、対して廃炉費用合計は1390億円。老朽炉の延命と廃炉、企業経営のあり方から考えてどちらがいいのか、岩野茂樹社長も考えるべきでは、と問うています。   (晴)


 何でも紹介・・・物質がおよぼす人類史への影響について

 『世界史を変えた新素材 (新潮選書)佐藤 健太郎署』 は、「はじめに」で「人間社会では変わらぬ者は何一つとない」「変化するという事は、人間社会の本質」だとして「社会に変革が起きるために必要な要素とは何だろうか。もちろんどんな変革であれ、単一の原因で起こることはなく、さまざまな要素がそろって初めてものごとは動く。だが筆者は、中でも「材料」のカに注目してみたい。あらゆる変事の要因は、突き詰めれば紙や鉄、プラスチックといった、優れた材料たちの力に行き着くと言えるのではないだろうか。このことが最も端的に表れているのは、石器時代、青銅器時代、鉄器時代といった名称だろう。」と「材料科学」(*注 材料の科学的性質を研究したり、工学的な応用や開発を行ったりする学問分野。*)の視点から、12の素材(金、鉄、紙、絹、陶磁器、コラーゲン、炭酸カルシウム、ゴム、磁石、プラスチック、アルミニウム、シリコン等々)の物語を描き、その素材が歴史変化に関わって、大きく変える役割を果たしたのか、基本的にはそれぞれの物質が人類の文明上、どのような経緯を経て利用されるようになり、現在はどう利活用されているかを記述した本である。

 それぞれの素材がどのように発見され、どう利用されて広がっていったかが、世界史のひだに分け入るようなエピソードを入れながら、わかりやすく書かれていて、発明後の人間社会をどのように変えたかを簡潔に知ることが出来、専門的な知識がなくても十分に楽しめるとの評価がされている本である。ーーーーーーーー

 デンマークの考古学者クリスチャン・ユルゲンセン・トムセンは1836年「北方古物学の手引き」で社会の歴史的な時間の流れを、主に利用されていた道具の材料によって石器時代(先史時代の区分のひとつで、人類が石材を用いて道具や武器をつくっていた時代)青銅器時代(石を利用した石器の代わりに青銅を利用した青銅器が主要な道具として使われた時代を指す術語)、鉄器時代順に発達したとまとめた。
 この時代区分は先ヨーロッパ史を中心に考えて提唱されたものであるが、中東、インド、中国にも適用することが可能であり(青銅器時代は多くの文明において国家形成の開始された時期に当たり、世界最古の文字が発明されたのもこの時期にあたる。)この三時代区分によって、考古学的な整理はなされた事になっている。ーーーーー

 人類史は人間が行ってきた活動史であり、人類が、生きる為に物質の発見と応用もし、生産諸力の要求と発展に刺激された人間がだどってきた歴史過程なのである。

 歴史観はいろいろあるが、新素材の発見と変化・開発・応用を人間社会史に結びつけることは重要であり、人間が使う道具の材質やその変化と開発は生産力を大いに発展させたであろうし、人間の意識や行動を刺激してきた事は間違いない事である。

「人間社会にも自然と同様に客観的な法則が存在しており、生産力の発展に照応して生産関係が移行していくとする」「唯物論的歴史観」史的唯物論は19世紀にカール・マルクスが唱えたものである。

 カール・マルクスは『経済学批判の序言』で、『生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、』『一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。』『物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約』し、『人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定』する。

 そして、『社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。』『経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とを常に区別しなければならない。ある個人を判断するのに、かれが自分自身をどう考えているのかということにはたよれないのと同様、このような変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識を、物質的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならないのである。』と、生産力の発展に照応して生産関係が移行し、人間の意識も生産諸関係の総体としての経済的機構によって規定されていると、人間社会にも自然と同様に客観的な法則があると述べている。

『一つの社会構成は、すべての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる問題だけである、というのは、もしさらに、くわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生するものだ』と。

 まさに、《革命的情勢なしに革命はあり得ない》のであり、古い社会の中から新しい社会への諸条件が作られ、古代社会・封建社会・資本主義社会へと進化してきたと指摘している。

 1917年ロシア革命を指導したレーニンは、唯物史観の発見はそれ以前の歴史学説の持っていた二つの主な欠陥を取り除いたとし『第一には、それ以前の歴史学説は、せいぜい人々の歴史的活動の思想上の動機を考察したにとどまり、こうした動機が何によって呼び起こされたかを研究せず、社会諸関係の体系の発展における客観的合則性を把握せず、これらの関係の根源が物質的生産の発展の程度のうちにある事を見て取らなかった。第二には、それ以前の学説は、他ならぬ住民大衆の活動を考えに入れていなかったが、これに対して史的唯物論は、大衆の社会的生活諸条件とこれらの条件の変化とを自然史的な正確さで研究する事を初めて可能にした』(『カールマルクス』レーニン1914年著)と。

 「物質的生産の発展の程度」と「大衆の社会的生活諸条件と・・・変化」が「住民大衆の活動」の諸条件である事を指摘している。

 人間社会は、新しい物質の発見や応用による「生産力の発展に照応して」社会の諸矛盾が顕著となり、その解決の為、新しい生産関係に移行=変革していくと言う歴史を繰り返している。

 人類は、よりよい生活を求めて「鉄器時代」から「メタマテリアル時代」(*注)にまでに物質の発見と応用を進化させてきた、これにより、より未知なる自然界への発見と理解を進め、より高度な生産関係・社会様式を生み出すことが出来るはずで、その為の、人間による諸活動(変革への闘い)が必要である事は言うまでもない事である。(真野)

(*注)メタマテリアルの「メタ」とは「超越した」という意味であり、メタマテリアルとは、光を含む電磁波に対して、自然界の物質には無い振る舞いをする人工物質のことである。「電磁メタマテリアル」は、「従来の光学の常識を超越した物質」という意味。
 「メタマテリアル」という語句自体は「人間の手で創生された物質」という意味で、発展と応用範囲は、光を自在に操る「メタマテリアル」が注目され始め、マイクロ波制御技術や波長限界を超えた分解能をもつ「スーパーレンズ」の開発と、それに伴う半導体製造技術の微細化、光ファイバー、光通信、光ディスク、遮蔽装置、視覚的(光学的)に対象を透明化する技術である光学迷彩など、透明マントや原子スケールの分解能を持つ光学顕微鏡が実現できるなどに応用が期待されている。
 また、2007年には米国防高等研究計画局(DARPA)がメタマテリアルの発展形である「アシンメトリック・マテリアル」によって、姿の隠蔽・実体弾からの保護と内部からの攻撃を両立させる技術を開発していることが報道された。案内へ戻る


 「エイジの沖縄通信」(NO60)

①南西諸島への自衛隊配備が重大な局面を迎えている

元自衛官の小西誠さんの講演「自衛隊の南西シフト/戦慄の対中国・日米共同作戦の実態」に参加した。

 小西さんは、与那国島、石垣島、宮古島、沖縄本島、奄美大島、馬毛島、種子島等で急ピッチに進む自衛隊配備の状況について詳しく説明をしてくれた。3月26日には、宮古島と奄美大島では自衛隊の新基地配備式典が予定されている。

 ★「与那国島」には、2016年3月駐屯地に陸自の沿岸監視隊+空自移動警戒隊(計200人)が配備された。

 ★「石垣島」では、3月1日から陸自の警備部隊+対艦・対空ミサイル部隊(計600人)の基地工事を開始した。来年度から沖縄県の環境アセスが始まるので、それを逃れるために今年度中に工事を始めた。

 ★「宮古島」では、まだ基地建設は終わっていないが、3月26日に陸自の警備部隊と対艦・対空のミサイル部隊(計800人)の配備式典が行われる。すでに宮古島の自衛隊基地には車両100台が入りまさに「進駐」の様相である。

 もう一つの懸念が、「下地島空港」(3000mの民間空港)に、航空自衛隊のF15戦闘機を配備する計画案である。

 ★「奄美大島」でも、大型基地建設がどんどん進み、3月26日に陸自の警備部隊と対艦・対空のミサイル部隊(計600人)の配備式典(記念パレード)が計画されている。

 ★鹿児島県「種子島」隣りの「馬毛島」(まげしま)は、空母艦載機がタッチ・アンド・ゴーの訓練をする米軍空母艦載機の離着陸訓練場(FCLP)となる。しかし「馬毛島」は、米軍のFCLP基地だけでなく、自衛隊も使用する可能性がある。

 ★九州の「佐世保」近くの駐屯地に、自衛隊初の「水陸機動団3000名」(日本の海兵隊)が配備され米軍合同の上陸訓練を行っている。「佐賀空港」への自衛隊オスプレイの配備計画もある。また、空自の新田原航空基地(宮崎県)と築城航空基地(福岡県)では、米軍との日米共同使用が決まった。

 沖縄本島の自衛隊も、陸自の第15旅団への昇格。那覇空港の空自F15戦闘機が40機態勢になるなど増強が進んでいる。
 今問題になっている辺野古新基地建設も自衛隊利用のためでもあり、南西諸島の諸基地の「前線指令部」的役割を果たすのではないかと言われれている。

 南西諸島の現地の島々では住民が声を上げて連日反対運動を取り組んでいる。私たちも辺野古の新基地建設反対運動と共に、南西諸島への自衛隊配備反対運動にも目をむけて支援の行動を取り組みましょう。

②静岡市議会への「請願署名」報告

 琉球新報・滝本記者の「静岡講演会」を開催した際、滝本記者は「次は本土の私たちが答えを出す番だ」と強調された。「沖縄の民意」を踏みにじる安倍政権に対して、問われているのは本土の私たちの闘いである事を痛感した。

 本土の新たな運動として東京の「小金井市議会」や「文京区議会」、大阪の「堺市議会」で取り組まれた「辺野古新基地中止」を求める陳情・請願活動に注目した。

 そこで、静岡市議会の2月議会に「辺野古新基地建設工事の中止を政府に意見書をあげる請願署名」を提出する事を決め、さっそく署名活動を開始。

 この「署名活動」には本当に驚きました。ほぼ2ヶ月間、必死に街頭での署名活動を取り組みましたが、多くの通行人の市民が次々に署名をしてくれた。このような積極的な反応は初めてで、驚くと共におおいに喜びました。

 ちょうど同じ時期に、ハワイのカジワラ氏も世界に「ネット署名」の呼び掛けをしていたので、良い連鎖反応があったのではないか?と思う。

 そして、約2ヶ月間でなんと2,472筆の署名が集まった。

 2月市議会の「議会運営委員会」で請願陳述をしたが、陳述時間はたったの5分。静岡市議会は有名な保守王国なので、残念ながら自民党・公明党等の多数否決で「請願署名」は不採択となった。

 しかし、午後の本会議で「請願署名」の紹介議員が、「請願」賛成の立場で発言をしてくれた。本会議場に「辺野古工事中止」の声が鳴り響きました。

 なお、静岡市議会以外にも他の県内市議会でも、こうした「辺野古工事中止」の請願活動が取り組まれ。また全国各地の地方議会でも「辺野古工事中止」を求める陳情・請願活動の取り組みが拡がっている。

 沖縄問題に対して本土の「無関心派」が多いなか、本土の人たちの意識を変えるためにも、全国各地の地方議会でこうした陳情・請願運動を「下からの全国運動」として取り組む意義は大いにあると考える。(富田英司)案内へ戻る


 読者からの手紙・・・Fさんからのコメント

 「性格・気質にほぼ全面的に規定され、あえて運命に逆らうかの主体的意識的事故改造姿勢は全くないわけではない。しかし、70年有余を生きてきて我が人生に悔いはなし、と言い切れない自分がいる。何故か、政治・社会・人間に向ける関心は比較的に強い。その矛盾に気づきつつも憲法理念を実現せよ! 今こそ、日本のみならず、世界の人間相互が最悪の事態(戦争を含む理不尽な暴力)を避けつつ、かくも平穏、心豊かな生活を求めんとするアナキズムは理念だが、現実の国の支配。権力者及び自己中というべき排他偽善のナショナリズムを掲げる圧倒的多数の諸国民をみると、人類に救いは望めないというべき・・・」(F}


  色鉛筆・・・遺伝子組み換え食品表示の「義務」は無くなるのか?

 私たちが知らないところで、食の安全性が問われる事態が進んでしまっている。これまでも、他国と比べ日本の残留農薬基準が緩かったり、他国では使用禁止となっている農薬を許可している実態があった。今回、取り上げた遺伝子組み換え食品は、今までは混入率5%未満で「遺伝子組み換えでない」と表示できていたのを、0%(不検出)の場合のみしか表示できないようにするという。これは、2018年3月28日、消費者庁が遺伝子組み換え表示制度に関する今後の方針を公表した内容だ。消費者の「表示を厳しくしてほしい」という声に応じてとの理由だが、真相は全く逆のことだったらしい。

 「日本に大豆やトウモロコシを輸入する際、分別業務を請け負う全農子会社がどんなに目を皿のようにして頑張っても(実際にやるのは機械だが)、0・3~1パーセントの遺伝子組み換え原料の混入は絶対に避けられない。それでも、優れた分別管理のおかげで日本は99%の精度で今まで分別できていたのだ。それを『不検出』まで厳格化したことで、今後は今まで手間と費用をかけて分別を外注していた企業は、どんなに分別しても0%にできなければ、わざわざやる意味がなくなってしまう。」(日本が売られる・堤未果著)

 こうして見れば、「遺伝子組み換えでない表示」の厳格化は、分別していた企業に業務の意義を失くさせ、生産者が努力して維持してきた「非遺伝子組み換え」市場を崩す、むしろ後退したものといえる。これからは市場で売られる食品が、遺伝子組み換えか、そうでないかを選択できなくなってくる。今でも、醤油や味噌などの加工品や、油や酢などは遺伝子組み換え飼料で牛や豚や鶏や卵、牛乳や乳製品に、表示義務はない。

 こうなったら、自分で食べ物を選び購入する手段をもつしかないと思う。私は、週1回配達の共同購入を利用しているが、生産者の便りなども添えられ、その苦労と成果を少しでも共有できる関係がいいなあと思っている。安心して安全に生活できる環境作りは、消費者の側からも努力と要求が必要と思う。皆さんの食に対する思いはどうですか?(恵)

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