ワーカーズ594号 2019/5/1    案内へ戻る

 国政選挙で安倍政権を退陣に!――底堅い政権も最後の幕引きへ――

 4月の統一選では、知事選での野党統一候補の少なさと自民党候補の分裂が目立った。野党勢力の低迷と内輪争いの余裕が生じた与党という、政治の閉塞情況を象徴するものだろう。

 結果は、首長選では現職優位、県議選でも、自民党と公明党が前回の得票率と議席を維持した。これは有権者の間での現状に対する満足度が一定水準で下げ止まっていること、特に若者ほど現状に対する満足度が高いことの反映でもあるだろう。

 大阪での知事・市長ダブル選と衆院12区補選で圧勝した維新の会は、関西以外での県議選で前回の11議席から今回は全敗、自民党補完勢力としての地域政党化がはっきりした。大阪での圧勝は、中央の政党による〝維新包囲網〟が与野党ぐるみの〝大阪いじめ〟だと受け取られ、反撥が拡がった結果だろう。共産党は支持層の高齢化の結果としての微減だろうか。

 逆の角度から見えれば、自民・公明の与党優位の現実は、立憲など野党による草の根の闘いの不在と大胆な提案力の弱さの結果でもある。安倍政治に対する受け皿になっていないのだ。沖縄では、現地の闘いを土台に衆院補選で勝利している。現場・現実の闘い、対案力がないなかでの野党分裂では、与党系候補にかなうわけもない。

 ただし、底堅い安倍政治も、ここに来て一層不透明感が増している。自民党幹事長がぶち上げた「首相4選」のアドバルーンに対し、それを支持する国民世論は極めて低い。支持が27%で反対が56%だった(朝日3月19日)。

 それに焦ったか、安倍首相は、天皇の代替わりや「令和」への改元イベント、それに新札発行や国民栄誉賞など人気取りに躍起だ。が、新札発行は5年先、国民栄誉賞は当人に拒否されて空振り、天皇代替わりや新元号制定によるイベント効果も長続きするとは考えにくい。得点を稼ぐはずの拉致問題や北方領土も、期待を膨らませるだけで、厚い壁は少しも動かない。肝心の経済や暮らしはといえば、世界経済は低迷期に入り、アベノミクスも綻びが目立つようになった。それに、閣僚や副大臣の辞任もあり、以前から引きずっているモリ・カケ疑惑も引きずったままだ。

 起死回生の政権延命策として、消費増税の再々延期と衆参ダブル選挙という「忖度発言」「腹話術発言」のアドバルーンが首相側近から上がった。が、前回のような圧勝の再現という勝算もあるわけではなく、失敗すれば政権のレームダック化は不可避、政権末期状態に陥る。
 私たちとすれば、安倍政治に取って代わる大胆なオルタナティブを提示できるかどうかが、鍵となる。ラディカルな対案を掲げて安倍政権を退陣に追い込んでいきたい。(廣)


 主権在民の徹底を!――天皇制・皇室は国家から切り離す――

 「平成」の時代が4月30日で終わり、5月1日から「令和」の時代が始まった。

 個々人の次元で考えれば人それぞれ、象徴天皇制や元号などへの考えも千差万別だろう。それらはひとつの風習や文化なのだという受け止め方もあるだろう。が、それらは政治体制や民主主義の根幹にも絡む、大きな問題でもある。

 天皇の代替わりや新元号への切り替えに際し、今一度、象徴天皇制が孕む課題について考えてみたい。

◆安倍色元号〝令和〟

 今では一ヶ月前の話だが、個人的には新元号が「令和」だと知ってびっくり、唖然とさせられた。特に「令」は命令の「令」であり、〝律令体制〟の「令」であることが即座に浮かんだからだ。〝令和〟とは何だ?「命令を唱和」せよか、あるいは「命令による和」か?

 ちなみに広辞苑を引くと、一義的な意味として「おおせ。いいつけ。命令。」とある。二儀は「長官=県令。」3として「よいこと。めでたいこと。」と出ている。4として「他人の家族などを尊敬していう語「令息」「令夫人。」とある。

 「和」もそうだが、「令」もいろいろな意を含んでいる。「令」は命令=行政法(政令・省令・条令など)であり、「律」とは刑法のことだ。「律令体制」とは命令と刑罰による中央集権的な統治体制を意味している。

 また、「令」は「麗しい」「美しい」の意味があるというが、それは皇帝の元へ家臣が整然とひれ伏す様を「麗しい」「整った様子」という意味での「うつくしい」「うるわしい」という意味だ、という説もある。現に、「令和」の考案者と言われる中西進氏も、「令」は安倍首相が言う「美しく」ではなく「うるわしく」と言うべきで、両者はイコールではない、「うるわしい」は整っている美しさのことです、と、同趣旨の説明をしている(朝日新聞、4月29日)。
 この程度のことは安倍首相も当然誰かに入知恵されているだろうし、それも踏まえて選んだのだろう。そして説明する時は、「美しく心を寄せ合う」「四季折々の美しい自然」「日本国民の精神的な一体感を支える」なのだそうだ。要するに安倍首相は、嘘を言っているのだ。安倍首相は、「令」の多義的意味を念頭に1人ほくそ笑んでいるのだろう。国家主義的発想に傾倒している安倍首相ならではの選択と説明という以外にない。

 とはいえ、元号は制定されてしまえば単なる記号や符合のようにも扱われる。受け入れる側としても、単なる「自分史」に引きつけて使用している人も多いだろう。元号だけ取り出して難癖づけしても、それほどの意味は無いともいえる。西暦にしても宗教的な出自を持っている。新元号制定という代替わりの政治ショー・劇場化の寿命は短いものに終わるだろう。

◆元号は卒業へ

 実際、平成から令和への改元に伴って、多くの企業は西暦使用に傾いている。今年は「顧客の6割が有価証券報告書で西暦標記に変えた」という(宝印刷)。外務省も、省内文書で今年から西暦使用に改めるという。他にも変える企業や組織は多い。

 また、元号の日常使用についての調査では、全年代中で安倍内閣支持は若者で一番多いが、元号の日常使用では逆だという。全体が元号40%、西暦50%のなか、70代だけが元号使用が多くて、元号45%、西暦37%、60代が元号43%、西暦48%であったのに対し、30代は元号33%、西暦62%だったという(朝日、3・19)。

 また天皇代替わりや改元で「世の中の雰囲気が変わる」と答えた割合でも、全体で「変わる」が37%、「そうは思わない」が57%だった。50代では「変わる」が50%、「変わらない」が46%だったのに対し、18~29歳では「変わる30%」「変わらない」69%だった(同)。若者は一過的なイベント感覚は別にしても、天皇代替わりや改元には冷めているわけだ。

 蛇足になるが、私個人としては、物心が付いた時から「昭和」がついて回り、西暦と25年違いという計算しやすさもあって日常でも西暦との併用にそんなに違和感はなかった。が、平成が始まった時から元号による年代思考は頭から離れてしまった。西暦換算が面倒になったからだ。今回の改元を機に、はっきりと元号使用拒否派に切り替えようかと思っている。「令和」に対して忌避感が強まったし、なにより元号は、統治者・為政者による時間の支配を象徴するものだ。漢字文化圏のアジア各国もすべて廃止している。元号の持つ本来の意味を念頭に、元号からすっぱりと卒業しようと思う。

◆平和・護憲と皇統継承行為

 最近の世論調査では、皇室や象徴天皇制への親しみや支持がかつてなく高まっているという。今年4月の調査では76%が「皇室に親しみ」を感じているという。平成天皇が即位した89年には54%だったから、この30年の間で20%以上増えたことになる。

 これは、平成天皇による激戦地への慰霊の旅や被災地への慰問などを重ねる姿、またことあるごとに発する平和への思いなどに対する好感が寄与しているのだろう。その上、体力の衰えを理由とする生前譲位の「お言葉」が、同じく高齢化社会のなか、けなげに公務に励む天皇への親近感という「国民感情」にも合致してもいるのだろう。

 付け加えれば、安倍政権になって政権と天皇のあいだのつばぜり合いが目立つようになった。あの戦争法の制定や改憲志向が鮮明になる中、天皇による平和への想いや護憲を強調する姿勢だ。安倍首相にとっては目障りな存在だと映っただろうが、リベラル・左派の中には安倍政権の暴走への歯止めとして天皇に期待する声も出てくるようになった。

 とはいえ、天皇による平和の願いや護憲は本心から出たものだとしても、それだけが理由というわけでもない。平成天皇が「全身全霊を傾けて」取り組んできたとする「公的行為」。それは象徴天皇という地位が明記された現行憲法を守ること、そうした姿勢を貫いていくことの先に象徴天皇制が国民に受け入れられ、ひいては象徴天皇制と天皇家の存続が保証されるという認識から導き出した行為なのだろう。

 こうした「象徴天皇としての務め」を、平成天皇が「全身全霊を込めて」果たしてきたのは事実だろうし、こうした両面相まって、それを主権者たる国民が受け入れてきてしまった、というのが実情だった。

◆象徴天皇制は廃止へ

 その象徴天皇制は、一部の論者が言うような、単なる風習や文化におさまるものではない。特定の個人を国民の上に置くことと、普遍的人権を否定された特殊な個人を作り出すことは、表裏の事なのだ。

 その象徴天皇制は、かつては平和で幸福な家庭・家族像を提供することで国民に受け入れられた面もあったが、家族像が様変わりしているいまでは受け入れられる理由も変化している。慰霊や慰問などの行為を自分たちになり代わって実行する天皇像を定着させ、それを国民に受け入れられることで国民統合の象徴として機能する、それが平成天皇の自画像になった。

 が、象徴天皇制の役割はそれにとどまるものではない。象徴とはいえ天皇制は「人の上に人をつくる」ものであり、本来は国家体制としての民主主義、主権在民と相容れないシステムである。その相容れない中央集権的で独裁的統治システムが、象徴という曖昧な概念で民主主義体制の中にビルトインされ、常に主権在民の意識を掘り崩す作用をまき散らしていわけだ。

 また、平和態勢づくりや民主体制の強化、それに戦地慰霊や被災地慰問などの公的行為は、本来は私たち主権者としての国民の努力、すなわち、政治の領域や共助=ボランティアの活動として行われるべきものだろう。

 象徴天皇制は、本来は主権者たる国民自身の義務と権利を棚上げにしていること、それを天皇という特別の存在に委ねること、要するに、国民の当事者主権を代行主義にすり替える、おまかせ民主主義を助長する性格を持つのだ。

 国民の自由や権利を定めた現行憲法第12条には、「国民の普段の努力によってこれを保持」と記述されている。天皇の公的行為を通しての活躍は、他方での平和づくりや自分たちの権利確保のための国民自身による努力・行動の弱さと表裏の関係にあるといえるだろう。「戦争に対する責任を明確にすることは、国民が自らの主体的責任で解決解決すべき問題であり、天皇の「おことば」や訪問で代行したり、解決したり出来ないし、またすべきではありません。」(朝日 3月7日 渡辺 治)という言葉を銘記すべきなのだ。

 象徴天皇制と皇室は、宗教団体や文化団体に切り分け、国家体制から切り離すべきである。それが本来の民主主義、主権在民の姿だ。天皇の代替わりと新しい元号の公布を、こうした象徴天皇制からの脱皮を考える良い機会にしたい。(廣)案内へ戻る


 「令和」と「万葉集」について  「貧困」や「戦争」への民衆抵抗の心が反映

四月一日、新元号が「令和」(れいわ)に決定したと発表され、その出典は「万葉集」からだと説明されるや、にわかに「万葉集ブーム」が起きています。

 奈良時代の官人である大友旅人が、九州の大宰府に赴任した時に、宴の席で月と梅を愛でながら、歌会を催した事にちなんで命名した、というわけです。安部首相は「万葉集は日本が誇る国書」と強調していますが、その本当の価値を理解しているのか疑問です。

「万葉集」は奈良時代に編纂され、約四千五百首の和歌を収録したものですが、その詠み人は、王侯貴族から下層庶民に至る幅広い層にわたっているのが特徴です。

中でも山上憶良の詠んだ『貧窮問答歌』には、この時代の貧しい農民の苦しみが切々と詠われています。以下、山川『高校日本史B』より一部を引用します。

●『貧窮問答歌』

 なお原文は「万葉仮名」といって「漢字」を「表音文字」として用いていますので、それを「漢字仮名混じり訳」した文を、以下に示します。

【漢字仮名混じり訳】
 「人茲に、吾れも作るを、綿も無き、布肩衣の、海末の如、わわけさがれる、襤褄のみ、肩に打ち懸け、伏廬の、曲廬の内に、直土に、藁解き敷きて、父母は、枕の方に、妻子どもは、足の方に、囲み居て、憂へ吟ひ、竈には、火気ふき立てず、甑には、蜘蛛の巣懸きて、飯炊く、事も忘れて、鵺鳥の、呻吟ひ居るに、いとのきて、短き物を、端裁ると、云へるが如く、楚取る、五十戸良が声は、寝屋戸まで、来立ち呼ばひぬ・・・」
 これでも現代の私たちには読み難いので、以下「ひらがな」にすると次のようになります。

【ひらがな訳】
 「ひとなみに、あれもつくるを、わたもなき、ぬのかたぎぬの、みるのごと、わわけさがれる、かかふのみ、かたにうちかけ、ふせいおの、まげいおのうちに、ひたつちに、わらときしきて、ちちははは、まくらのかたに、めこどもは、あとのかたに、かくみいて、うれへさまよひ、かまどには、ほきふきたてず、こしきには、くものすかきて、いいかしく、こともわすれて、ぬえどりの、のどよひいるに、いとのきて、みじかきものを、はしきると、いへるがごとく、しもととる、さとおさがこえは、ねやどまで、きたちよばひぬ・・・」
 この中に、意味がわかりにくい「古語」がたくさん出てきますが、それらの意味は次のようになります。

 【古語の意味】
 「作る」〈耕作する〉、「布肩衣」〈麻でつくったそまつな袖なし〉、「海末(みる)」〈海藻の一種〉、「わわけさがれる」〈破れてぶら下がる〉、「襤褄(かかふ)」〈ぼろ〉、「伏廬(ふせいお)」〈屋根が低くつぶれた家〉、「曲廬(まげいお)」〈ゆがみ傾いた家〉、「直土(ひたつち)に」〈地面にじかに〉、「憂へ吟(さまよ)ひ」〈嘆きうめく〉、「鵺鳥(ぬえどり)の」〈「のどよぶ」にかかる枕詞〉、「呻吟(のどよ)ひ」〈細い力のない声を出す〉、「楚(しもと)」〈むち〉、「五十戸良(さとおさ)」〈里長〉
 以上の読み方と古語の意味を踏まえて、現代語に要約すると次のようになります。

【現代語訳の要旨】
 「世間並みに耕作しても、粗末で破れかけ海草のように垂れ下がったボロ布の服を着て、倒れかけ歪み傾いた家の中で、地面にじかに藁を敷いて、父母は枕の方に、妻子は足元の方に、囲むように居て、嘆きうめいており、竈に火も起こせず、甑には蜘蛛の巣がはって飯を炊くことも忘れ、力なくか細い声でうめいているところに、まるで短いものを更に端を切るように、鞭をもって、村役人が呼び立てに来る・・・」
 「班田収授法」のもと「口分田」を当てがわれるものの、土地が痩せていて、満足に収穫もできず、飯を炊くこともできなくなり、栄養失調で呻いているところに、村役人が税を取り立てに来る・・・、そんな苦しい農民の嘆きが伝わってきます。そのような「律令国家」は中央集権体制を確立するため、一方では農民から「租庸調」の税を取り立て、他方では「兵力」の確保にも努めました。

●防人の歌

 「防人(さきもり)の歌」も有名です。半世紀ほど前の飛鳥時代に、百済・倭の連合軍が新羅・唐の連合軍に負けた「白村江の敗戦」があったため、北部九州の防衛に東国の庶民が兵士として徴用されました。しかも旅費も食糧も自腹でした。そんな防人の詠んだ歌も収録されています。

「父母が、頭掻(か)き撫(な)で、幸(さ)くあれて、言ひし言葉(けとば)ぜ、忘れかねつる」
 兵隊として出発する日に、父母が頭を撫でて、無事でいるようにと、言葉をかけてくれたのが、忘れられない・・・、そんな切ない歌です。
もうひとつ。
「唐衣(からころも)、裾(すそ)に取り付き、泣く子らを、置きてぞ来ぬや、母(おも)なしにして」
 出発する私(兵士)の裾にしがみついて、「行かないで」と泣く子どもを、置いてきてしまった。この子は母親がいないというのに・・・。本当に涙なくして詠めない歌ばかりではないでしょうか?

●万葉集の本当の価値は?

 「万葉集」に収録されている歌は、王侯貴族の歌も、貧しい庶民の歌も、概して率直で「おおらか」でさえあるようです。その背景のひとつに、この時代の気候が比較的温暖であったことを指摘する論者もいます。『気候変動の文明論』で安田義憲氏は、この時代を「大仏温暖期」と呼んで、それ以前の「古墳寒冷期」と対比しています。また「白村江の敗戦」や「壬申の乱」などの大規模な戦乱の時代がひと段落し、まわりを見渡す余裕が生れたこともあるかもしれません。

 一見平和そうな宴の席で梅の花を愛でつつも、彼らは壬申の乱などの内乱で死んでいった同志への哀別の気持ちを抱いていたに違いありません。大乱が収束し一見平穏そうな都では、藤原氏系と反藤原氏系の陰惨な権力闘争も繰り返されていました。自分もいつ巻き込まれるかもわからない「つかの間の平和」であったのです。

また歌を詠んだ人々の中には、白村江の敗戦で日本に亡命してきた百済や高句麗の流れをくむ人々も多く、研究者の中には「枕詞」など意味のわかりにくい言葉には、当時の「百済語」(古代朝鮮語)等が反映しているのではないかとの説を唱え、歴史学者や言語学者の議論を巻き起しています。今回は詳しく触れる余裕はありませんが、万葉集は「国書」とは言っても、こうした国際文化交流も反映していることは忘れてはならないでしょう。

いずれにせよ、古代国家攻防の激動史の中で、官人たちの不安な気持ち、貧しい庶民や防人など民衆の嘆きを、様々な角度から詠っているのが万葉集です。しかも、その悲しさや怒りを、人々は率直に表現している、その力強さが、かえって読む人の感動を誘うのです。

 一生懸命働いても豊かになれない格差社会への怒り、家族と別れて兵隊にとられる嘆き、何か現代に通じるようではありませんか?「日本が誇る国書」と言いますが、それぞれの歌にこめられた民衆の心を忘れて、万葉集の価値は語り尽くせるものではありません。

 中学や高校で国語や歴史を教える教師の皆さん!万葉集の本当の価値を、未来を担う青少年達に、今こそしっかり伝えようではありませんか?(松本誠也)案内へ戻る


 読書室 副島隆彦氏著『国家分裂するアメリカ政治 七顚八倒』  秀和システム刊

 テレビ・新聞が報道しない、トランプ政権の最新情報!「人権なし、平等なし、人種差別あり」の世界になりつつある――

 副島隆彦氏による最新のアメリカ政治の分析本である。本書の発刊は2019年3月15日。当初、本人は『トランプのアメリカ政治』と決めていたのだが、出版社の反対でまずは流れた。その後、担当者が板挟みになり困っているとのことなので、国家分裂を打ち出した書名に決まったのである。この本を書き上げるまでの間、本人にはまさに七顚八倒の苦しみだったと本人は告白している。このように出版される書名の決定権は、ほとんど出版社が持っていることを皆さんは知っていましたか。

 さてアメリカでも日本でもトランプに対する批判的な報道が続いている。なぜならそもそもアメリカの国論が2つに分裂しているからである。そしてプレスビテリアン(長老派)の信仰を持つトランプ大統領は、何をするにも「神に選ばれた自分」との刷り込みから大げさかつ極端な行動を取る傾向があり、それが又ヒラリー派に格好の標的・攻撃材料を提供するものとなるからである。本当にトランプの一見気随気ままの言動には驚かされる。

 こうした二分された冷徹なアメリカ政治の現実から副島氏が予言することは何か。それは10年後にアメリカ合衆国は3つの国に国家分裂するとの衝撃的な予言である。話半分でも耳を傾けて、まずはこの本を真剣に読んで貰いたいと私は考える。

 では一体、3つに分かれるとはどんな分かれ方か。まず1つはニューヨークを中心とした「東部アメリカ」。ヨーロッパ白人社会と生きてゆく。ここには、シカゴを含めた中西部の北の方が入る。2つ目はテキサス州を中心とする農業国の「中央アメリカ」。ここで民主党支持者が多いケンタッキー州とサウス・カロライナ州が「東部」と「中央」のどちらに入るかでもめるだろう。3つ目はカリフォルニア州を中心とした「西部アメリカ」。

この国は大衆的リベラル派としてアジア諸国と付き合い(貿易)しながら、生きて行くだろう。これが米国が3つの国に国家分裂するとの副島氏の具体的な見立てである。

 それでは本書の章の構成を紹介する。
 第1章 アメリカ合衆国が分裂する日
 第2章 トランプ政治、七顚八倒
 第3章 ヒラリーを逮捕し裁判にかけろ!
 第4章 「人権尊重、平等、人種差別しない」の大思想が滅びつつある

 この本の最大の眼目は既に紹介したが、その他の重要なものはリンカーン大統領の再評価が始まっていること、さらにヒラリーがムーニー(統一協会)の主要メンバーであること、ヒラリー派の女性議員にはムーニーが多いこと、そしてムーニーを作ったのはローマン・カソリック(ヴァチカン)の中の反共主義の僧侶集団(主にイエズス会)とCIAとイスラエル政府の一部だと副島氏が大胆に言い切ったこと等々。つまりヒラリー・クリントンがどれほどに恐ろしく悪い女かを、実際に具体的に指摘したことにあるのだ。

 今日本で薩長史観による明治維新論が見直されつつあるように、米国でも奴隷制を擁護した南部同盟が悪かった、南北戦争は正義の戦争だ、リンカーンは正しかった等々のこれまで米国を支えてきた史観が見直されつつある。先月号の読書室で取り上げた橋爪氏らの『アメリカ』にも、当時のリンカーンには戦争を回避する南北分国の選択肢もあったとの指摘があった。南北戦争開戦の大義名分は奴隷制の廃止でも、実際にはそんなに徹底されてはいなかったのである。

 ここで副島氏は、24年前に書いた『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』ではリンカーンを自然法派としてきたが、この本では自然権派だったと訂正する。この両者の違いが、読者には腑に落ちる形で了解できるであろうか。ここにはヨーロッパ政治思想の根本に関わる大問題が横たわっている。実際、リンカーンは共和党の政治家であり、民主党の政治家ではなかったのである。

 さて、南北戦争に関しては、以下の地図をご覧のほど。(三色によって区別されていてワーカーズ紙では印刷不可能です。ご覧になりたい方はワーカーズ直のブログをお読み下さい。)
このように合衆国内に止まった奴隷州がミズーリ、ケンタッキー、ウェスト・バージニア等であった。

青が北部(アメリカ合衆国)諸州、赤が南部(アメリカ連合国)諸州。
水色は合衆国に留まった奴隷州。但しこの地図ではノースカロライナは
アメリカ連合国になっているが、副島氏によればアメリカ合衆国であった。

 こうして米国の南北戦争にも、鋭い歴史解明のメスが入れられることになったのである。
 特に第4章は、これまで人類の指導理念である、「人権尊重、平等、人種差別しない」の理念が音を立てて崩れつつある現状を描いて読み出がある。実に見事な展開である。ここで副島氏に従って強調しておきたいことは、「アメリカ・ファースト」とはアメリカ第一主義などではなく、誰でも知っている「レディ・ファースト」、つまり女性を優先するのと同じ思想の表現であり、何よりも米国の国内問題を優先するということである。

 さらに人類の指導理念が崩壊しつつある現状を受けて副島氏は、これらの指導理念が今にも私たちの上に落ちそうなのにそれを見えない振りして日本国憲法を論じる、この国の論壇の拗くれた、おかしさを厳しく指摘する。

 本当は、副島氏が指摘したように私たちは日本国憲法を云々する前に、まずは憲法の上に君臨する日米安保条約=軍事条約を廃止するとの議論を、本気になって開始しなければならないのである。(直木)


 本の紹介 「国境なき助産師が行く 難民救助の活動から見えてきたこと」 著者 小島毬奈
  発行 ちくまプリマー新書 定価 840円+税 
 
小島毬奈(こじま まりな)さんの経歴 1984年7月東京都生まれ、高校はオーストラリアへ留学。帰国後、2005年看護学校へ進学。2009年都内の病院の産婦人科に就職。2014年「国境なき医師団」登録。2014年3~7月、11~12月パキスタンへ。2015年3~9月イラク・シリア、2015年12月~2016年9月レバノン、2016年11月~2017年2月地中海難民捜索救助船、2017年5~9月南スーダン、などの活動に参加。

 著者の小島毬奈(こじま まりな)さんは、「国境なき医師団」の助産師です。小島さんの「国境なき医師団」としての最初の活動は、パキスタンの病院です。仕事はたいへん忙しい毎日だそうです。5~6㎏もの巨大な新生児が生まれたり(普通は3㎏ぐらい)、仮死状態の新生児が生まれたりは日常茶飯事、大量出血、双子、3つ子、逆子、陣痛中の産婦の叫び声、などです。

 パキスタンの女性は多産です。それは、この国で女性が人として価値を認めてもらえるのは、出産して多くの子供を持つ、女性の立場の低さに憤りをおぼえます。

 小島さんは、2回のパキスタンの活動の後日本の病院でアルバイトの生活に戻ります。「国境なき医師団」の活動に参加している人たちは、その活動をしているときは医師団から給料を支給されますが、それ以外は自分で生計をたてなければなりません。

 そして小島さんは、イラクのシリア人難民キャンプでの活動に参加しました。そこでは、産科病棟のマネージャーの仕事、他のスタッフとのあつれきがけっこうあったそうです。

 小島さんは、「私には助産師というスキルで目の前の人を助けることはできますが、『戦争』という彼らの根本的な問題を解決するスキルは何もありません」と戦争への憤りを語っています。

 地中海難民ボートでの活動は、すごく過酷だったようです。2016年~17年だけで8000人近くの難民がリビアからイタリアに向けての地中海を渡る途中に命を落としています。「国境なき医師団」は、リビアからゴムボートで地中海を渡ってくる難民を海の途中で救助して、アクエリアス号という船で2日間かけてイタリアに送り届けています。その船の中では、難民のごみの処理や食事や医療行為などを行っています。

 しかし、イタリアはあまり難民を受け入れたくないようです。難民反対の国民感情やなどです。2018年6月には、アクエリアス号がイタリアから入港を拒否されるということが起きました。最終的には、スペインが受け入れました。
 次に南スーダンの国連保護区での活動は、とにかく暑い、汚い、きついというものだったそうです。重症患者の分娩や診察や治療を行っていました。

 著者の小島さんは、海外での活動で述べていることは、女性の地位の低さを感じているそうです。女性は子供をたくさん産まないと評価されないと。そして、戦争の代償が大きいと。

 この本は、「国境なき医師団」の活動がどんなにたいへんか理解できました。今後も「国境なき医師団」への支援を続けていこうと思います。 (河野)案内へ戻る


 本の紹介 「カリブ海の小国 アンティグア・バーブーダとバルバドス」 2019年5月 1日 発行 
 著者 ジョージ石井

 著者の石井さんは、1993年ご両親と初めての海外旅行を体験して以来、よく旅をされています。アンティア・バーブーダは76か国目でバルバドスは77か国目です。

今まで、「ベラルーシの傷」「セルビアの陰を見る」「南米の小国ウルグアイ」「珊瑚礁の国ニウエ」「軍隊のないミニ国家リヒテンシュタイン・サンマリノ・アンドラ」「不思議なアルメニア」「ドイツのカーニバル」「おじさんの世界一周」「アゼルバイジャンの風景」「マケドニアを歩く」「四国歩き遍路」「スペイン巡礼・ポルトガルの道」「火山群島カーボベルデ」「秘境スワジランドとレソト」「未知のアルバニアとモンテネグロ」「不思議な不思議なモーリシャス」の本を発行されています。1冊、200円から300円 本はジュンク堂池袋店(新刊のみ販売)新宿模索舎、著者のメルアド hqg04202@yahoo.co.jp で購入できます。

 アンティグア・バーブーダという国は、カリブ海の東部にありアンティグア島とバーブーダ島とそのほかの小さな島からなっています。南米からカヌーでやってきた先住民アラワク族が住んでいましたが、カリブ族やスペイン人に滅ぼされました。カリブ海の国や島に導入された奴隷の数は、1501年から400年間で573万人です。最初の労働力はアラワク人やカリブ人などの先住民でしたが、酷使したためほとんど絶滅しました。次にアイルランド人やスコットランド人の戦争捕虜や政治犯や路上生活者を連れてきましたが、熱帯のため死亡率が高かった、それでアフリカ奴隷を働かせていました。

 アンティグアの歴史博物館は、先住民のアラワク族の歴史や黒人奴隷のことが載っていたと。

 続いてバルバドスは、カリブ海で最も東にある珊瑚礁の島国です。4世紀半ばに先住民のアラワク族が住んでいましたが1200年ごろ南米から来た好戦的なカリブ族に追放されました。1536年ポルトガル人が上陸するも住まず、1627年英国の植民地になりました。1834年奴隷制廃止、1966年英連邦加盟国として独立しました。

 バルバドスのジナゴーク(ユダヤ教の建物)博物館では、16~17世紀にかけてスペインやポルトガルの南米やカリブ海進出にユダヤ人も参加していました。1654年、ポルトガルが反ユダヤ人政策をとりました。ユダヤ人たちは新天地を求め、バルバドスや南米の北端ギアナ地方、米国のニューヨークへ移動しました。ユダヤ人が、イギリスが支配していたバルバドスに移動した数は300人です。1750年にブリッジタウンに1万人が住んでおり、うちユダヤ人は800人が住んでいました。ユダヤ人は、商人として力を発揮していましたが、イギリス商人の嫌がらせに耐えたと。

 カリブ海の黒人がいまだに白人に奴隷化されている映画「ジャマイカの楽園の真実」があるそうで、これは観てみることにします。
 今後も、石井さんの本を楽しみにしています。皆様も是非読んでください。読みながら旅の風景が浮かんできます。(河野)


 コラムの窓・・・違憲訴訟は隔靴掻痒!

 戦争法(安保法制)違憲訴訟が全国22地裁で25件、7600人を超える原告によって取り組まれています。私その一員として、大阪地裁に足を運んでいます。「平和的生存権等侵害損害賠償請求事件」と「自衛隊出動差止等請求事件」が併合されており、4月23日には第10回口頭弁論が開かれました。

 ところが札幌地裁では全国初の判決、それも「却下」という判決が4月22日に出てしまいました。原告の証人尋問も証人調べもなく、突然裁判長が弁論終結と言いだし、弁護団が裁判官忌避を申し立てていたところでした。これは、行政訴訟の対象となる『公権力の行使』にあたらない、不適法な訴えだということによって、門前払いするものでした。

 自衛隊の部隊に国際平和協力業務を行わせ、武器を使用させることは『処分』であり、「日本国民は、受入国の敵対勢力から攻撃を受ける対象となる危険性を受忍する地位に立たされる」(原告準備書面)ことによって平和的生存権・人格権が侵害される、というのっ原告側の主張です。安保法制改定は憲法第9条の解釈を変えるものであり、社会通念上受忍すべき限度を超えている。私たちには「平穏な生活を妨げられない利益」がある、等々。

 それにしても、人権や民主主義を踏みにじって恥じない国会議員らが過半数を占めるなかで、とんでもない法律がどんどん世の中に出回ってしまう、これを直接止めることができない法体系とはどんなもんなんでしょう。日本の法体形では憲法や国際条約(例えば人権規約とか)があって、これに反しない範囲で法が存在することになっているはずです。ところが、新しくできた法律の合憲性を検証する場(憲法裁判所)がありません。

 やむなく、〝損害賠償〟といった回り道をして争われているのですが、裁判官たちが憲法判断を避け、損害の有無だけで判断しがちなので、原告勝訴はほとんど望めません。過去、小泉首相や安倍首相の靖国参拝違憲訴訟などがあり、判決文のなかでその違憲性が書き込まれたことはありましたが、これらも主文は「原告の請求棄却」、敗訴判決です。

 誰もが、損害を受けたかどうかなどと原告適格性を問われることなく、この法律は違憲だという主張で裁判を争うことができ、勝訴したらその法律は無効になる。そういう裁判制度を持った国もあるのですから、日本はよほど主権者が蔑ろにされています。選挙権は主権のほんの一部にすぎないのに、それさえ行使することなく統治されることに甘んじているこの国の現状は、まるで前世紀のような有様です。

 さて、大阪地裁の裁判進行ですが、原告の個別の損害論を主張する段階に入っています。被告国側はそんなものは法的保護に値しない、単なる主義主張だという態度です。それでも、次回は午前に原告の西谷文和氏の尋問が、午後には15名の原告の尋問が採用となりました。総数57の書証が提出されたのですが、例えば西谷氏の場合は次のような立証趣旨となっています。

「フリージャナリスト。中東やアフリカの紛争現地で経験した事実、日本の役割について憲法第9条を生かした平和ブランドの非軍事的貢献を主張し、同時に、安保法制の違憲性を述べている」

 注目の次回口頭弁論は5月22日(水)10時から、大阪地裁201号法廷で終日の予定で行われます。ここが大きな山場、法廷での戦いに多大な期待は禁物ですが、されど裁判、公的な場で公然と異議申し立てすることの意義はあるでしょう。 (晴)案内へ戻る


 「エイジの沖縄通信」(NO61)

①米軍が高江の「反対派テント」を勝手に撤去する!

 4月3日の夜、高江の「ヘリパッドいらない住民の会」が座り込みのためにN1ゲート前に設置していたテントが突然何者かによって撤去された。翌日、それが米軍の犯行であることが明らかになった。

 高江の住民の皆さんは、オスプレイが訓練をするための新しい「6カ所のヘリパッド」建設に反対する運動を続けてきた。その反対運動の座り込みを続ける拠点が、「ゲート前テント」であった。これまで、このような暴挙はなかった。

 それにもかかわらず米軍は、今回事前の通告もなく、突然夜中に持ち去ったのだ。沖縄では米軍はまさにやりたい放題である。

 しかし、「ヘリパッドいらない住民の会」の皆さんは、すぐに変わりのテントを設置して座り込みを継続している。

 撤去されたテントが設置されていた場所について、「チョイさんの沖縄日記」は次のように指摘している。

 「テントが設置されていたのは、沖縄県が管理する県道70号線の道路敷である。北部訓練場は日米地位協定に基づく米軍の専用施設だが、県道70号線は日米地位協定2条4項(a)で、日米の共同使用地となっている。そして日本政府は沖縄県に道路用地として使用させている。したがって県道70号線の敷地の管理権は沖縄県にあるのだ」と。

②ジュゴンの死と辺野古工事!

 1頭のジュゴンが西海岸の古宇利島付近で死んだ状態(それも全身傷だらけ)で発見された事に、沖縄の皆さんは大変なショックを受けている。

皆さんも知っているように、過去には沖縄諸島沿岸にたくさんのジュゴンが生育していた。ところが、近年海の環境破壊が進む中で沖縄のジュゴンは全滅の危機にひんしていた。それに追い打ちをかけたのが辺野古新基地建設である。沖縄島最大の餌場(海藻藻場)であった辺野古・大浦湾海域で始まった辺野古工事以降、沖縄防衛局の環境アセスメントにおいて3頭のジュゴンしか確認されなくなってしまった。

 このジュゴンの死を知った沖縄の「ジュゴン保護」市民グループの皆さんは、さっそく「沖縄のジュゴン個体群の存続の危機を訴える緊急声明」を発表し、9日には東京の衆議院第2議員会館で報告集会と政府(環境省と防衛省)交渉を行った。

 事前の報告集会では、死んで発見されたジュゴンは「個体B」と呼ばれ、子どもの「個体C」と共に古宇利島付近で生育していて、時々餌場である大浦湾に移動していた事が確認されていた。もう1頭のオスのジュゴンは「個体A」と呼ばれ、20年前から大浦湾近くの嘉陽沖で生育していた。

 この3頭のジュゴンが毎年元気に泳ぐ姿がカメラ等で確認されてきた。ところが、2014年8月から始まった辺野古工事以降、泳ぐ姿が確認されなくなり3頭のジュゴンの生育が心配されていたのである。その結果が、ジュゴン「個体B」の死である。

 ジュゴンに詳しい沖縄の浦島悦子さんは「B子さん(親しみを込めて、私たちはそう呼んできた)の死因が何だったのかはまだ分かっていない、しかし、基地建設も含め私たちの営為が彼女を死に追いやったのは確かだ。海を埋め、破壊・汚染し、ジュゴンの生きられない環境にしてしまったツケは、同じ自然界の生き物である私たち自身に返ってくる」と述べている。

 私は沖縄のジュゴンが私たちに「警告」を発していると思えてならない。

③山城さんと稲葉さんに不当な最高裁決定

最高裁第3小法廷(宮崎裕子裁判長)は25日までに、名護市辺野古の新基地建設などに対する抗議活動を巡って威力業務妨害や公務執行妨害・傷害などの罪に問われた沖縄平和運動センターの山城博治議長の上告を棄却する決定をした。懲役2年、執行猶予3年とした1、2審判決が確定した。同様に威力業務妨害の罪に問われた名護市辺野古の稲葉博さんの上告も棄却する決定をした。

 那覇地裁判決は「米軍反対運動の中で行われたが、犯罪行為で正当化できない」と判断。福岡高裁那覇支部も支持した。

 山城さんと稲葉さんの裁判支援をしてきた「山城博治さんたちの完全無罪を勝ち取る会」は報告書でこの裁判を次のように指摘している。

 「沖縄の司法の歴史の中で、これほど異例づくめの裁判がかってあっただろうか。山城さんたちの裁判が始まってから、ずっと通常の裁判で考えられない事態が相次いだ。それは、裁判所自体が公判の度毎に厳戒態勢を敷いていることからして異常である。裁判の日、那覇地裁の門扉は固く閉ざされ、その内側に裁判所職員、民間ガードマンが配置され、回りを多数の警察官が監視の目を光らせている。何とも異常な光景である。」

 「高江のヘリパッド建設は全国からかき集められた機動隊の暴力によって強行された。辺野古の新基地建設工事はまだ初期の段階だった。山城さんを中心に辺野古ゲート前で阻止行動が展開されれば頓挫しかねない。山城さんを現場から排除すること。政府にとってそれが大きな課題となり、山城さんを狙い撃ちして逮捕する機会をうかがってきたことは容易に推測できる。」

 最高裁決定の受け山城さんも、「この事件は反対運動に立ちはだかった政府の圧力だ。1、2審判決は本質に触れていない」と指摘し「最高裁は外形的に判断するのではなく、運動の背景を聞いてほしかった。この裁判は運動を萎縮させる狙いがあることは明らか。なおさら臆するわけにはいかない。今後も現場で声を上げ続ける」と述べた。(富田 英司)案内へ戻る


 読者からの手紙・・・嘆くな、あきらめるな! 投票率の低下は体制批判の表れだ。

 総務省が4月22日発表した、統一地方選後半戦の平均投票率は、59市長選47・50%、283市議選45・57%、東京特別区の20区議選42・63%、66町村長選65・23%、282町村議選59・70%と相次いで最低を更新。4月7日投票の前半戦に続いて、21日投開票された統一地方選後半戦の70市区長選のうち、40市区で最低投票率を更新したとのこと。

 地方選への関心の低さが問われているが、国政選挙の投票率は、平成29年10月に行われた第48回衆議院議員総選挙では、53.68%、平成28年7月に行われた第24回参議院議員通常選挙では54.70%となっており、平成26年の衆議院議員総選挙の52.66%に比べれば多少あがったものの、地方・国政を問わず、投票行動に対する低下傾向は全体的に続いている。

 選挙で50%の投票率で、その50パーセントを得て当選したとすると、有権者全体の25パーセントで当選したことになる。有権者の過半数以下、四分の一の支持でも「国民」「市民」を代表する首長や議員先生になるのだから、何かおかしさを感じるし、投票率の変動による影響は選挙制度に対する危機感と懐疑制をもたらしている。

 選挙に対する関心の低下や投票行動の是非については有権者の意識性にあるが、意識性に影響をあたえているのは何なのか?

「選挙の争点が見当たらない」「投票したい候補者がいない」「投票しても政治は変わらないと思っている」など、政治への無関心、あきらめが強まっていると指摘されている。

 野党を含めて自民党から分裂した政党が多く、基本的には自民党と変わらない政策ばかりでは「争点」は見いだせないし、沖縄の軍事基地に対する民意に背き、辺野古基地建設を強行する安倍政権の行為が続けば「政治は変わらない」とあきらめるかもしれないが、そうした雰囲気にしているのは、今日の政治に原因があるのは明らかだ。

 選挙行動への不参加は政治的未熟さや低さからだけではないと思う。

 今回も自民党系の議員が多く当選したが、ちなみに、投票率が下がると保守政権側が優位になり、野党候補者は苦戦するという。このことは、保守政権に反対している有権者が投票に行っていないと言うことなのだ。

 保守政権候補者には入れたくないが入れたい候補者もいない、だから面倒だから投票に行かない。諦めかもしれないこの行動は反保守・政権側に対する一種の反対行動ではないのか!。

 諦めさせているのは野党や政権反対勢力にも責任があるではないのか?!

 選挙制度そのものは民主主義的方法ではあるが、今の政治支配の一環でもあり、体制維持の一翼を担っている。国政選挙でも50%に近づき下がりつつある中で、主要な首長選や身近な地方選挙でも50%を切る投票率の低下は体制側からも脅威である。
 有権者の政治意識を読み取る必要があり、それに答えるだけの力量を我々が持たなければならないと言うことである。(乙見田 慧) 


 色鉛筆・・・原発再稼働の是非は県民投票で十一万県民の署名が問いかけたもの

 女川原発再稼働の是非を問う県民投票実現を求めて「県民投票条例の制定」を求める直接請求運動に無取り組み、受任者の皆さんの奮闘によって、二ヶ月間で十一万一千七百四十三人の有効署名が集められました。原発がある女川町では、町民の二十一%の方が署名をしました。

 条例案を審議する県議会はかつてないほど注目され、連日、傍聴席が県民で埋め尽くされました。しかし残念ながら三月十五日宮城県議会の中で賛成少数で否決されました。

 約百五十人の傍聴席からは、「無視された」「県民の声を聞く気がない」ため息が漏れ、涙する人もいました。

 党の方針に左右される県議ではなく、自分たちが投票で決めたかったと多くの県民が願っていました。誠に残念で悔しい結果でした。

 約一年前から県民投票実現に向け、準備され。署名運動が始まりました。個別訪問や街頭署名など多くの方がこの運動に取り組みました。
 この運動が多くの県民が知れ渡り、賛成でも反対でも県民投票で決めることが大切だと必然的にみんながそう思いました。

 四万の署名が集まれば、県議会で審議してもらえる。だからそれを超えれば次のステップにいけると思っていましたが、実際には予想をはるかに超える十一万を超える有効署名が集まったのです。

 それは、やはり東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の発生から八年、被災地の住民はじこの惨状を目の当たりにし、今なお避難が続く福島の被災者への思いをよせてきました。

 原発事故の影響は宮城県内でも続いています。水産物の輸出禁止や汚染廃棄物の処理など、問題は暮らしに直結しています。まして女川原発はすぐ近くにある原発です。重大な事故が起きた場合、三十キロ圏内に暮らす住民は二十一万人に上り、避難先は県内全域に及びます。県民が「我がこと」と捉えて、原発再稼働を問う県民投票を求めたのは、当然の結果です。

 県民の政治参加の機会を認めず、また意志表示する機会を奪った村井知事と自民党、公明党議員の責任は重たいと思います。

 福島第一原発事故で原発のあり方が転換期を迎えている今だからこそ、有権者が議論を尽くし意思表示する県民投票は大事にすべきでした。
 心からそう思います。

 毎日の生活で、原発がなくても、電気をつけることに困っていません。原発はいらないのです。

 女川町にも太陽光発電ができました。東電は地元にお金をいっぱいばらまいていますが、そんな圧力にも負けず、地元の人が土地を貸してくれました。

 そして、この運動を通じて多くの方と知り合うことができました。これからも原発再稼働反対を仲間とともに訴え続けていきたいと想います。(弥生)

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