ワーカーズ598号 (2019/9/1)  案内へ戻る

 憲法で保障された言論の自由・表現の自由の侵害を許さないぞ!

 最近、憲法で保障された言論の自由や表現の自由がおびやかされています。

 まず、札幌市中央区で7月15日に行われた安倍晋三首相の参院選の街頭演説の際、演説中にヤジを飛ばした市民を北海道警の警官が取り押さえ、演説現場から排除しました。

選挙演説のヤジに対する強制排除、拘束という考えられない事件です。最初に排除された男性市民は安倍首相から20mほど離れたところから、「安倍やめろ、帰れ」と叫んだところ、警官が突進。男性を取り囲んで、その場から排除しました。その後、女性市民に対して警官は2時間以上も尾行、つきまとったといいます。

 また「増税反対」と叫ぶ女性も、後方から警官が抱きかかえるように聴衆から引き離されました。最初に排除された男性はインターネットのサイトに、その時の模様を「ものすごい速度で警察が駆けつけ、あっという間に体の自由が奪われ、強制的に後方に排除されてしまった」。「選挙演説にヤジを言っただけで、排除、拘束というのは意見表明すら許さないという安倍政権の意思かと感じました。選挙演説でのヤジだけで、警官がこのような行動に出て、拘束までした。実質的には逮捕と同じじゃないか。法的に問題があると、警察ではなく、検察に告発することにしました」この男性は、 北海道警の警官らによる市民への排除、拘束が特別公務員職権濫用罪(刑法194条)と公務員職権濫用罪(刑法193条)に該当するとして、7月19日までに札幌地検に刑事告発しました。

 こうした反撃は、みんなの力になります。

 そして、愛知県美術館(名古屋市東区)などで開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、旧日本軍の慰安婦を象徴する少女像などの「表現の不自由展」について、実行委員会トップの愛知県大村秀章知事は8月3日記者会見し、少女像などを展示する企画展を同日限りで中止すると発表し、4日から展示を取りやめました。美術館に「大至急撤去しろ。ガソリンの携行缶を持ってお邪魔する」との脅迫文が送られるなどし、大村知事は「これ以上エスカレートすると安心安全にご覧いただくことが難しくなる」と説明しました。

 「表現の不自由展」の展示をやめたのは、反動的な一般人からの脅しに屈した形になりましたが、政治家でも河村たかし名古屋市長が2日、トリエンナーレ実行委員会会長である大村秀章・愛知県知事に対し、展示中止を含めた適切な対応を求める抗議文を提出。「日本国民の心を踏みにじる行為」などと主張し菅義偉官房長官が国の補助金交付について慎重に検討する考えを示しました。 

 「表現の不自由展」の内容は、慰安婦問題を扱う作品のほか、憲法9条、昭和天皇や戦争、米軍基地、原発、人種差別などのテーマ性を含む作品が並んでおり、日本の加害者として先の戦争を考えるうえでいい作品だと言えます。そもそも行政は、展示の内容に不満があっても介入せず。展示させるべきです。それこそが、憲法で保障された表現の自由を守ることになります。大村知事は展示を再開させるべきです。(河野) 


 《日韓対立》労働者・民衆の視点で打開を!――いつまで経っても和解できない日本――

 韓国と日本の対立がエスカレートしている。発端は、韓国人の元徴用工への補償をめぐる軋轢だったが、それがいまでは安保・軍事領域にまで拡大している。

 この対立には、日韓それぞれの立場や事情が背景にあるが、根本的には、日本がかつて侵略した隣国との和解がいまだできていないこと、信頼を勝ち得ていないことの結果だ。

 私たちとしては、日韓両政府による国家間対立のエスカレーションに巻き込まれることなく、日韓の労働者や市民の連携を固めるためにも、国対国の視点ではなく、労働者・民衆の霊験と当事者中心の視点が大事だということを思い起こしたい。

◆対抗のエスカレーション

 対立の発端は、韓国大法院(最高裁)が昨年10月に出した元徴用工に対する日本企業への賠償命令、および韓国内の日本企業資産の差し押さえだった。この判決は、韓国への賠償は65年の日韓国交正常化交渉時の日韓請求権協定ですべて解決済みだ、という日本政府の立場からすれば、受け入れられないものだった。韓国はといえば、三権分立の立場から司法判断を尊重するとの立場であり、その前提に、被害者中心という政権のスタンスがある。こうした両国政府の立ち位置と両国の国内世論の動向を含めて、お互いに引っ込みが付かなくなっている、ということだろう。

 対立が、元徴用工の個人補償の問題に止まっていれば、まだ良かった。個別の解決策を巡って、折り合う選択肢もあったからだ。風向きが変わったのは、日本が韓国を輸出優遇国から除外する事を決めたことからだった。日本政府が戦後補償で〝いつまでも難癖を押し付けてくる韓国〟に対して、報復・制裁措置としての対韓貿易規制の強化に打って出たのだ。

 それを対抗措置と受け取った韓国が、今度は一部日本製品の不買運動や日本への旅行拒否などの通商対立へと拡大し、いまそれが軍事情報包括保護協定(GSOMIA=ジーソミア)の破棄という安全保障=軍事上の対立へとエスカレートしている。お互いに自分の行為は棚に上げて、相手の否だけをあげつらうという、相互不信のスパイラル情況に陥ってしまったわけだ。

 この間、7月末には、中・ソ軍用機による日本海での〝共同警戒監視行動〟も実施されるた。文大統領の口から〝南北朝鮮が一緒になって日本と対抗する〟という発言も飛び出した。かつての「日米韓」対「中ソ北」という冷戦構造は、いま様変わり。東アジアでの米国覇権も揺らぎ始めている。

◆上から目線

 それにしても日本国内での嫌韓感情の膨張は異様だ。

 これまでの従軍慰安婦問題や少女像問題では、嫌韓感情の拡がりはそれほどではなかった。慰安婦問題では、日本は明らかな加害者の立場だったことは、一部の右翼ジャーナリズムを除いて、多くの日本人に共有されていたからだ。が、今回の徴用工問題では、メディアの多くが日本政府の立場に同調したこともあって、韓国の身勝手な態度に反撥する世論が膨らんでいる。

 これらは、日韓請求権協定で、個人補償はすべて解決済みだと、という日本の政府の態度が土台になっている。それなのに韓国は大法院判決という形で、すでに解決済みの事をまたまたぶり返している、という理解だ。徴用工問題を単なる国家間の契約や協定のひとつだと理解しているのだろう。こうした事例に見られる様に、韓国はいつまで日本に難癖を付けるのだろうか、という素朴な批判が拡がっているわけだ。

 無理難題ばかり押しつけてくる韓国、その韓国に制裁を加え、懲らしめるべし、というような、かつて侵略した相手に対し、上から見下すような態度、これは一体何なのだろうか。

 日中戦争当時、帝国陸軍を中心に暴支膺懲(=素直に従わない暴虐な支那(中国)を懲らしめよ、の意味)というスローガンが叫ばれた。それから80年、今度は河野太郎外務大臣から韓国に対して『無礼』という言葉が二度も叫ばれた。『無礼』とは、礼儀をわきまえないこと、失礼な振る舞いをいさめる意味や、支配者や上級者など目上の者に対する礼儀を欠くことに対して使われる。時代劇での『無礼者』などだ。河野大臣のこの発言には、個人的なスタンドプレーの意味合いも含まれるが、それにしても、一体いつから侵略者日本は、謝罪・償いをすべき相手の韓国の上に立つ存在になったのだろうか。

 そういえば、中国とベトナムが戦争した時、中国は『懲罰的軍事行動』だと言った。『懲罰』とは、将来を戒めるために罰を与えること、すなわち、上位者による下級者への罰であり、また犯罪者に対する国家による処罰という意味もある。『無礼』も『懲罰』も、相互尊重すべき個人間・国家間関係の場で出てくる言葉ではないはずだ。

◆〝巨額〟な〝はした金〟

 韓国人従軍慰安婦問題もそうだったが、元徴用工の個人補償についても、日韓の間で根本的な理解の相違がある。韓国は補償金ではなく慰謝料の請求権は消えていないとする司法判断を尊重するとの立場だが、日本は個人請求権は日韓基本条約で根本的・最終的に解決済みだ、という立場だ。とはいえ、日本政府も、元徴用工の個人の請求権自体は認めている(河野外務大臣18年11月14日答弁)。最終的に解決済みだというのは、韓国政府としてその要求をすることは出来ない、ということであって、当該個人が、個人の資格で補償を求めるなり、慰謝料を請求する権利そのものを否定しているものではないというものだ。

 それとは別に、韓国人の間で、65年の日韓国交回復交渉そのものが、侵略国として十全な補償を行ったものとは受け止められていないという現実だ。要は、朝鮮戦争や南北対立などで疲弊していた情況のなかで、過去の植民地支配や戦争被害を〝はした金〟で清算されてしまった、との思いが強いからだ。

 その日韓基本条約での補償金はどんなものだったのか。

 1965年に締結された日韓基本条約で、日本は無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドル、計8億ドルという経済協力金を支払うこととされた。この金額は、当時の韓国の国家予算(3・5億ドル)の2倍以上。無償3億ドルは、当時の日本円で1080億円(1ドル=360円)、有償2億ドルを含めれば1800億円になる。

 単純には比較できないが、例えば第一次大戦の敗戦国でベルサイユ条約で巨額の賠償金を課せられたドイツではどうだったか。当初の賠償金総額は1320億金マルク。当時のドイツのGDPは524億マルク、国家予算は68億マルクだったのでGDPの約2・5倍、国家予算との比較では約20倍だった。むろん、払いきれなかった。

 日本では、日韓基本条約で韓国の国家予算の2倍以上もの賠償金を支払った、と、ことさら巨額さが強調されてきた。確かに疲弊していた韓国にとっては巨額なものだった。が、65年当時の日本のGNPは32兆7420億円。国家予算は3兆7230億円。なので、無償の1080億円は当時の日本のGNPの0・33%、国家予算の2・9%でしかなかった。第一次大戦後のドイツとは、比べものにならないぐらいの少額でしかなかったのだ。

◆被害者置き去りの協定

 日韓国交正常化交渉は朝鮮戦争が始まっていた1951年に始まり、日韓基本条約が締結されたのは1965年。また交渉締結直前にはトンキン湾事件をねつ造した米国による北ベトナムへの爆撃(北爆)が始まり、ベトナム戦争も激化していた。当時、ベトナムにも派兵し始めた韓国は「国庫が空っぽ」(金鍾泌元首相)の状態だった。

 日本はといえば、50年から53年まで続いた朝鮮戦争による戦争特需が、日本の復興と経済成長に大きく寄与し、53年にはすでに戦前の最高水準を上回るほどに回復していた。1965年と言えば、日本は東京オリンピックの翌年であり、54年から始まった高度経済成長真っ最中だったのだ。

 要するに、日本による植民地化や朝鮮戦争などで疲弊していた韓国の窮状につけ込む形で、しかも、朝鮮戦争特需でいち早く戦後復興を遂げた日本が、その経済力にものをいわせて請求権協定を含む国交正常化を実現したわけだ。だから、日韓請求権協定は、一面では日韓両国による条約締結という法的正当性を持つにもかかわらず、実質的には最貧国だった韓国に対して「はした金」で戦争被害を清算してしまったともいえるのだ。

 しかも韓国政府は、この賠償金を個人保証に充てず、ほとんどを道路やダムなどのインフラ整備や企業への投資に充ててしまった。だから、韓国政府が当初主張していた韓国政府による個人補償は微々たる額でしかなかった。

 請求権交渉でのこうした結果が、形式的な協定締結にもかかわらず、実質的には個人補償は実現していない、という複雑な感情を韓国の人々の中に温存させることになったのだ。

 こうした結果については、形式的には韓国政府の不当・不誠実な扱いという責任が大きい。が、本来個人保証に向けられるべき補償金は、「独立祝賀金」や「途上国支援金」という名目で支出された。だから、個人補償が確実に実施されるという保証がないまま戦時の加害責任を清算してしまった日本政府の無責任な姿勢も、また、それを容認した私たち日本の人々の姿勢も、いま問われているのだ。

◆和解できない日本

 なぜ韓国の人たちは、日本への不信と補償を求め続けるのか、という問は、「なぜ日本は、かつて侵略した国から信頼されないのか」という疑問と裏腹の関係にある。同じ事は中国との間にも横たわっている。また、アジアの人々についても、本来の意味での信頼は築けていない。

 その原因は、日本が戦前の体制と行為に関して真に清算・和解できていないからだ。

 ちょっとだけドイツと比較してみる。

 ドイツは反ナチス法によって、戦後何十年も、いまでも戦争犯罪人を追及し処罰している。戦争直後にEU(=欧州共同体)の母体となった欧州石炭鉄鋼共同体をつくり(1952年)、隣国だったフランスとなんとか折り合いながら二人三脚でEUを支えてきた。こうして、同じ敗戦国でありながら、ドイツは西欧で一定の信頼を回復し、近年はその中心に位置している。

 これに対し日本は、米国の占領政策もあって、侵略の旗印となった天皇制を象徴天皇制という形で温存(天皇退位の選択肢もあったにもかかわらず)した。戦争責任についても、極めて限定した範囲で米国が裁き、その後、一時戦犯とされた旧体制の要人を、岸信介元首相を始め次々と復活させてきた。軍事的にも、占領期の短い武装解除時代の後に再軍備を進め、いまでは世界有数の軍事大国化を達成した。しかも、安部首相を始め日本の政治家などが、日韓併合は合法だったとか、加害責任についても〝なかった〟とか〝いつまで謝り続けなければならないのか〟という趣旨の発言を繰り返しているのが実情なのだ。今年の終戦記念日の安倍首相の挨拶でも、加害行為の反省への言及はなかった。

 殴った方は忘れても、殴られた方は忘れられない。〝和解〟は被害者が持ち出せる話なのだ。日本は、戦後75年も経っても、韓国の人々からの信頼が得られていないし、真の和解が成立していないことが改めて浮かび上がっているわけだ。

◆労働者・民衆の連携こそ急務

 いまの日本でなぜこれほど嫌韓意識が広まっているのだろうか。

 嫌韓にしても嫌中にしても、両国関係を国家間関係、国と国の関係としか見ない傾向が拡がっているからだ。慰安婦にしても徴用工にしても、「もし自分が被害者の立場だったらどうするのか」と視点を変えてみれば、また違って見えるはずだ。

 慰安婦や徴用工への正式な謝罪と個人補償はきちんとすべきなのだ。それは日韓両国政府と関連企業の責任で行われるべきなのだ。私たちとしても、それを受け入れる必要がある。非侵略国や被害者への謝罪と賠償は、加害者から「もう止める」とは言うべきものではなく、被害者がもう十分だと納得するまで行うべきものだろう。

 ところが現実は、文政権だけでなく歴代の韓国政府も、政府の支持率低下など政権の危機に際して、関心を外に向けるために対外的な緊張場面を作り出す傾向もある。今回の文政権も、対北朝鮮関係や経済などに関して、政権批判の世論が高まるなか、徴用工問題では当事者中心主義という態度で対日批判をエスカレートさせてきた。日本も、安倍政権のもとで、保守派などによる嫌韓・兼中という国家間対立が煽られてきた。これでは国家間対立のエスカレーションは止められない。

 国家間関係としてしか見られないのは、個々人と政府の間、例えば労働組合や市民団体間の交流が細いのも原因の一つだ。韓国内でも少子化は日本以上に深刻だ。経済構造は財閥中心で、不安定・低処遇の非正規が多く、恋愛、結婚、出産を諦めた「三放世代」も増えている。格差は拡大傾向にあり、日本の労働者と共通した課題も多いのだ。そうした課題での両国労働者や市民の国境越えた闘いの連携を推し進めるのが、私たちにとって急務だと思う。

 そういう協力関係が太ければ、慰安婦にしても徴用工にしても、個人補償の実現に向けて両国政府を突き動かす労働者どうしの共通の闘いを推し進められるはずだ。(廣)案内へ戻る


 「民衆連帯」のメッセージを見落とさないように!

●Kポップで日韓友好行動

 安倍政権が「ホワイト国除外」を閣議決定したことに抗して、八月十一日の夕刻、福岡市の繁華街で、市民が自主的に「日韓友好」のスタンディングを催しました。夏の暑い中でしたが、僕も頑張って「LOVE日韓友好」と書かれたプラカードを掲げて、約一時間参加しました。

 スピーカーからは、今注目のKポップを次々に流し、いっしょに踊りたくなるような「楽しい」雰囲気の中、老若男女の市民が、代わる代わるマイクを握り、それぞれの思いを通行人に訴えました。「僕の娘は韓国が好きで、よく旅行に行くし、Kポップも聞いている。」「私は韓国に旅行に行って、親切にしてもらった。」「日本人と韓国人が仲良くしたいのを、政治家のオジサンは何でじゃまするの?」

 よくある「反安倍」集会のように、目くじら立てて安倍政治の排外主義や歴史修正主義を告発する硬いトーンは控えて、日常生活の中で韓国文化を身近に好感を持って受け入れている自分たちの気持ちを前面に出すやり方に、「そうか?こういうやり方もあるのか?」と思いました。

●ナショナリズムの抑制

 マスメディアでは「韓国では反日デモが吹き荒れている」と伝えられますが、映像をよく見ると、デモ参加者が掲げるプラカードには「NO!アベ(安倍)」とは書いてあるけど、けっして「NO!イルボン(日本)」とは書いてないことに気づきます。

 この間の韓国の市民運動は、安倍政権の歴史修正主義を批判しつつも、ナショナリズム(反日)に走るのを抑制するバランス感覚が作動していることを見落とさないようにすべきです。

 従軍慰安婦の集会でも、主催者が「国旗は持って来ないで!黄色の蝶のシンボルグッズを持ってきてください!」と呼びかけているのを映像で見ました。

 「民衆連帯」のメッセージを見落とさないこと、彼らのメッセージに答えて、私達からも「民衆連帯」のメッセージを大いに発することが、今の局面で一番大切だと思います。

 ある世論調査では、日本と韓国の双方で「相手国への好感度」が低下していると言います。ところが、さらに詳しく分析すると、海外旅行やビジネスなどで相手国を訪ねた経験のある人に絞ると、好感度はそれほど低下していないそうです。

 韓国を訪ねたことがある日本人、韓国に知人友人がいる日本人には、自然と「嫌韓ムード」への違和感が生じてくるのは確かでしょう。同じように、韓国人においても、日本を訪れたことがある人、日本人に知人友人のある人は、「反安倍」集会に参加しながらも、日本の知人友人の事を思い起こすでしょう。

●未払い賃金要求は当然

 「徴用工」の問題にしても、「未払い賃金を払え!」というのは、日本の労働者にも分かりやすい話ではないでしょうか?アジア太平洋戦争の敗色が濃くなるなか、最後のあがきで軍需産業に朝鮮から無理やり連れてきて働かせたあげく、賃金もまともに払えず、終戦後朝鮮半島に帰還させたのですから、国策とはいえ「雇用責任」は厳然として企業にあるはずです。本来なら当該企業の労働組合が、率先して経営側に和解に応じるよう要求してもおかしくない話なのです。「日韓請求権協定」といった難しい話を持ち出しても、「やっぱり未払い賃金は払うべきじゃない?」という労働者としての現場感覚を消すことはできないでしょう。

●民衆連帯を進めよう!

 韓国民主化運動の支援から始まった様々な日韓連帯の運動は、まちがいなく層の厚みを増しています。慰安婦や徴用工だけでなく、原発反対運動、米軍基地問題、外国人労働者問題、労災問題などの社会運動をはじめ、歴史研究や芸術分野に至るまで、様々なチャンネルで連帯のパイプは築かれています。「仲良くしたいのに、政治家のオジサン達は邪魔しないでよ!」の精神で、これからも進んでいきたいと思います。(松本誠也)案内へ戻る


 『朝鮮史・その発展』梶村秀樹著(講談社現代新書または明石書店刊)

●はじめに

 慰安婦や徴用工さらに「ホワイト国除外」等、日韓関係はさらに悪化しています。その背景には、安倍首相と右派勢力による「歴史修正主義」と、それに対する韓国民衆の警戒感・不信感があります。歴史修正主義は、大日本帝国の満州侵略や朝鮮植民地化を正当化しようとする復古主義に貫かれていますが、その根底には「戦前以来の帝国主義イデオローグによる」「朝鮮民族は本来的に弱くて自力で発展することができない停滞した民族だから、日本が『併合』して近代文明を扶植し、導いてやらなければ滅びてしまう。

だから統治は欧米流の植民地支配=侵略ではなくて、恩恵を与えることなのだ」という「停滞史観」「他律性史観」が横たわっています。梶村氏は『朝鮮史・その発展』(一九七七年刊)で、こうした停滞史観・他律性史観を批判し「内在的発展論」による「朝鮮民衆史」を確立することに力を注ぎました。今、改めて読み直す意義のある著作として紹介します。

●日朝両国の双生児的類似性

その「序章」で梶村秀樹は「とくに、前近代において、日・朝両国とも東アジア文明圏の周辺に位置し、中国文明の影響を受けつつ、双生児的類似性をもって、しかもそれぞれ独自に歴史を発展させてきたことは疑いない。」と述べています。梶村氏の論述は多岐にわたっていますが、ここでは、その中でも全体を貫く重要な論点として「社会構成体」の発展(特に前近代史のそれ)について、ピックアップしてみたいと思います。

●古朝鮮とアジア的生産様式

 古朝鮮については「檀君」(だんくん・タングン)伝説が知られています。これについて梶村氏は「何らかの意味で実在の国家形成の動きを反映しているとみられる。」と述べています。

 梶村氏は「そうした古朝鮮「国家」のイメージには二種類のものが含まれているように思われる。その第一は、まだ崩壊せぬ氏族共同体を統合する祭政一致的な部族国家(小国)があり、その上に種族または原朝鮮文化圏全体に君臨する信仰の中枢としての、王朝のようなものであるという原初的な形態である。」「時期的には遠く櫛目文土器時代にも想定される。」「専制王権的なものでなく共和的な部族連合的なものであったことは、重大事件にあたり族長等が集会して満場一致でことを決めたという、古新羅の「和白」(ホワペグ)の慣行や高句麗の「国中大会」慣行からもうかがわれる。」「以上のような信仰権威としての牧歌的な古朝鮮王朝は、史的唯物論の論理に即して言えば、原始共産制社会の解体期に過渡的に出現する「アジア的生産様式」の上に立つ過渡的国家」であると述べています。

次に梶村氏は「第二類型の古朝鮮」について「以上とは異なって、より強力な王権、人民に対する政治的支配と収奪の体制、そして少なくとも王朝の直轄化には奴隷制の生産関係をともなうような、より古代国家に近い古朝鮮国家のイメージがある。」「支石墓・青銅器文化の段階以後出現するもの」として、「衛満朝鮮」や「楽浪郡」時代における「比較的奴隷制のウクラウドの強い段階」の古朝鮮について検討しています。

●高句麗・百済・新羅と奴隷制論争

 こうした古朝鮮と前漢「楽浪郡」支配との攻防を経て、高句麗・百済・新羅という国家が相次いで形成されます。これら「三国時代」の社会構成体をめぐる「奴隷制・封建制論争」を梶村氏は紹介します。

 それによれば「北朝鮮の学会では一九五〇年代の後半から、三国時代の社会構成を奴隷制とみる論者と封建制とみる論者に分かれて、活発な論争が展開された。」「やがて三国以前すなわち前述の第二類型の古朝鮮国家群に典型的な奴隷制を認める点で合意に達し」「三国時代はすでに封建的社会構成体に転化したという統一見解を出して収束された。」これに対して梶村氏は異なる論点を提出します。

 「しかし、奴隷制論者が主張したように、三国時代のとくに初期は」「被征服や債務などによる奴婢(ぬひ)が広汎に存在した。」「三国の奴婢の場合は」「その主人が生殺や売買の権限を行使していたように見える」「また、こうした個人奴婢とは別に、征服部族が被征服部族を総体として支配する関係がより広汎に存在した」「「下戸」と表現されている。」と指摘します。

 梶村氏自身は「社会構成体としての奴隷制・封建制の概念が、一般理論として確立されていない」「社会構成体についての理論自体を、事実に即して再検討してみる方が現実的かもしれない。朝鮮史に即していえば、やはり、①第二類型の古朝鮮から三国初期、②統一新羅から高麗、③李朝、という三段階が区別されるように思われる。そして①が比較的奴隷制のウクラウドが強い段階、③が農奴制が優勢な段階」「②は強いていえば、その中間の何ものかであるような社会構成体ということになろうか。」と問題提起をしています。

 なお「三国時代」については、日本書紀の「神功皇后」や「任那日本府」の虚構性や「好太王碑文」と「倭」の実態についても言及されています。

●統一新羅・高麗と大家族経営

 やがて七世紀になると有名な「白村江の戦」等を経て「新羅」が三国を統一します。この統一新羅は中国(唐)から律令制度を取り入れ、貴族政治のもと国家主導による経済建設を進めます。梶村氏は「生産技術面でも国家の役割が大きかった」「当時の最先進農業技術であった溜池灌漑(ためいけかんがい)水田の築造にも、国家が介入したものが多かった」「こうして、華やかな王朝文化を底辺で担ったのは、農民の重い貢納と徭役の負担であった。」「また一時的とはいえ、七二二年、耕地の国家による班給を意図する「丁田制」が強行されたことも、国家の力の相対的優位を示している。」と述べています。

 その後、農民・豪族の反乱を経て、豪族連合政権「高麗」王朝が樹立されます。モンゴルの侵略(日本では「元寇」)を経験しながらも社会経済は発展してゆきますが、その生産関係について梶村氏は「「田柴科」(チョンシグワ)という土地制度があり、官僚貴族は官職に応じて農民つきの土地を支給され、二分の一の祖(地代)を収取した。高麗初期の農業経営単位は非自立的農民を隷属させた大家族的経営であったとみられる。耕地一七結を基準として軍丁一人を徴し、それに充たぬ小経営は他に付属させるという国家の農民把握のしかたは、このことを暗示している」と述べています。

 なお、日本の「鎌倉幕府成」立と高麗の「武人政権」成立は、日本と朝鮮の社会経済発展の相似性のひとつと言えます。

●李氏朝鮮と自立的小農民経営

 十四世紀末に、李成桂(イソンギエ)が高麗王朝を滅ぼし「李氏朝鮮」を開きます。この変革の性格について梶村氏は次のように述べます。
 「高麗から李氏(イジョ)への移行は、たしかに単なる政権交代ではなく、社会制度上の変革をともなっていた。」「実際、かれらは土地制度の変革に関心を集中し、高麗滅亡に先立って「量田」(日本の検地に似たもの)を行い、貴族や寺院の荘園的土地所有をいっさい否定すると同時に、部曲など旧来の被差別地域をも一律に郡県制下に編入する「科田法」を公布させることに成功した。」「科田法体制下では、いっさいの土地は国家に集中し、従来とはちがって農民を単婚小家族単位で直接把握し、田税は一律収穫の十分の一とした。」「このような変革の背景には大家族経営の解体、小農民経営の独立化傾向を促すような農業生産力の発展があり」「一方で荘園的大土地所有を否定しながら、小農民に対する自らの支配を維持・拡大するためにも、変革は不可避であったのである。」

 しかし「地域差もあるが、当時の生産力水準は、かならずしも全国的に小家族経営が自立しうる段階にまで達していたわけでもないので」「李朝初期の土地所有制度の実質は、かなり複雑なものとなった。」「両班官僚地主の中小土地所有は、独立した経営をもたぬ私奴婢や雇工(モスム)(住みこみの隷属的な農業労働者)に耕作させる直営部分と独立した小農民に小作させる形態(「並作半収」とよばれた)とが並存した。」とも述べます。

 こうした李朝社会に甚大な損害を与えたのは、他ならぬ秀吉による朝鮮侵略でしたが、それを撃退して以降も、李朝社会の復興と発展の流れは止まることはありませんでした。

●商品経済と手工業の発展

 李朝も半ばを過ぎるころから、小農民経営の自立は進み、商品経済も広がり、やがて一部では初期のマニュファクチャ(工場制手工業)も生まれ、資本主義の萌芽が見られるようになります。梶村氏は次のように述べます。

 「官鋳の小額貨幣である「常平通宝」(略)が、常時鋳造され、広汎に流通するようになった。」「五日に一回定まった場所で開かれる定期市である「場市」(チャンシ)は、一五世紀頃からあらわれて一七世紀以降全国津々浦々に成立しはじめ」「全国どこに住む農民でも、無理なく商品経済に参加できるようになった」

 「商品経済の展開が社会構造を大きく動揺させていく段階に達する。客主などを介して遠隔地間の取引が成長し、(略)平安道の絹織物と忠清道のも苧布(モシ)等々というように、恒常的な特産物交換のルートが形成され、萌芽的な全国市場が成立した。そして全国市場を牛耳る松商(ソンサン)(開城商人)や、ソウルへの米の集散をおさえる京江(キョンガン)商人、対清貿易を握る湾商(マンサン)(義州商人)など、有力商人グループが出現した。」「複式簿記(略)も実用化していた。」「於音(オウム)(商品手形)が兌換紙幣として通用した。」

 「商品・貨幣経済はこうして有力商人に顕著な富の蓄積をもたらすと同時に、農民層の分解を進行させた。一方に商品作物生産を拡大し、小手工業仕事場を設けて近隣の貧農を雇傭する富農が出現した。」

 「一八世紀以来の商品経済の全般的展開は、遅くも開国前夜の一八六〇年代までに、賃労働を雇傭する小商品生産を広汎に生み出しており、平安道納清(ナプチョン)の鍮器(ユギ)(真鍮製の日曜の食器など)手工業や价川(ケチュン・かいせん)の鋳物工業で例証されているように、部分的にはマニュファクチュア経営が成立する段階に達していた。」

 やがて「民乱」(日本幕末の百姓一揆と似た民衆の地方反乱)が続発する時代となっていきます。「このように、一九世紀前半は、封建的なものとブルジョア的なものの萌芽、両班と民衆、要するに新旧勢力の対立の中で(略)社会の低層では経済的にも価値観の面でも、新しいものがいっそう力を蓄えていった時代であった。」

●開国と帝国主義・植民地化

 こうした「前近代史」を踏まえて、梶村氏は後半の「近現代史」に入る折り返し点にあたって、特に次のように強調し朝鮮史にかかわる「停滞史観」「他律性史観」を克服することを求めています。

 「開港に先立つ時期の日朝両国の社会経済的発展は、政治・文化的特質をもちつつ、大同小異の段階に達していた。問題は、開国によって加速された社会変動の集約としての、一大政治変革の成否にあった。そして、まだ新しい体制が固まっていない変革期に、どのような質の政治・軍事的外圧が加わったかが、その成否に、したがってその後の両国の運命に、大きく影響したとみなければならない。ある意味では、わずか二〇年の開国の時差が、明治維新を運よく成功させ、二〇余年後の朝鮮の変革を失敗においこむという岐路を生んだといえるのである。」

 「かくして、開国の時期まで東アジア世界で双生児的な発展の道をたどってきた日朝両国は、開国の二〇年の時差を利用した日本側の意図的行為を通じて、近代においては一方は帝国主義へ、一方はその植民地へという両極分解をとげていくこととなった。この過程を「歴史の必然」と称して、日本が責任を免れることはできない。ちょうど、ブルジョアジーが自己の利益のためにプロレタリアートを創出していった責任を免がれられないのと同様に。」

 江華島条約から日清・日露戦争、日韓併合へと進む日本と朝鮮の歴史を学ぶ前提として、以上のような梶村氏の指摘を踏まえることは、大変重要だと考えます。

●梶村史学の批判的な継承・発展

なお、この本が刊行された一九七七年は、戦後歴史学が「社会経済史」中心の第一期から「民衆史」中心の第二期に移行する転換点にあり、その後八〇年代以降の第三期ではそれらを批判的に相対化し「文化史(社会制度史)」に視野を広げるようになりますが、梶村氏は残念ながら第三期の論争に関与することなく一九八九年に逝去しました。

そのため同著は今日の歴史学研究の蓄積の地平から見れば、いろいろと見直すべき論点も指摘されていることは踏まえておくべきでしょう。その中でも梶村氏の基本的視点を批判的に継承・発展させようとする試みも注目されます。とくに趙景達(チョキョンダル)著『近代朝鮮と日本』『植民地朝鮮と日本』(共に岩波新書)は良質の力作と思いますが、その紹介は別の機会に譲りましょう。(松本誠也)案内へ戻る


 読書室   斎藤貴男氏著『決定版 消費税のカラクリ』ちくま文庫 2019年6月刊行

 本書は2010年6月に出版された『消費税のカラクリ』を底本として、その後の約10年の議論や徴税事情を大増補して出来上がった。それ故に決定版と銘打たれている。具体的には最新の状況を取材し書き下ろした「序章」と「終章」でこの底本をサンドイッチしたものである。第1章から第6章は底本を必要に応じて加筆し図表を追加している。この『消費税のカラクリ』の書評https://ameblo.jp/bubblejumso3/entry-12428546973.htmlについては、直のブログで公開している。是非皆様、お読み頂きたい。

 2019年7月の参議院選挙で消費税増税が決定的になった。10月から消費税は8%から10%に引き上げるが、これに伴い経済への悪影響防ぐための称してクレジットカード等で決済した消費者へのポイント還元や自動車や住宅等の大型耐久消費財の購入に対する優遇措置をすると政府は決定した。しかし運用の具体的な細部についての周知徹底はまだなされてない。

 さて『決定版 消費税のカラクリ』の構成は、以下の通りである。

 序章 消費税増税議論の現在
 第1章 消費税増税不可避論をめぐって
 第2章 消費税は中小・零細企業や独立自営業を壊滅させる
 第3章 消費者が知らない消費税の仕組み
 第4章 消費税とワーキング・プア
 第5章 消費税の歴史
 第6章 消費税を上げるとどうなるか
 終章 消費税増税「見返り」の甘い毒
 あとがき
 文庫版あとがき
 主要参考文献
 解説 本間龍

 斎藤氏は、弱者の富を強者に移転することで格差を拡大する消費税のカラクリを徹底して暴く。これらの展開は、第1章から第6章、特に第6章でまとめて批判している。したがってこの部分だけの読書も結論を早く知りたい人にはお薦めの読書法である。

 今回の迫り来る消費税増税は、従来から、①逆進性、②益税、③消費ないし景気を冷え込ませる現実性、④格差社会を出来させるを一層深刻化させるものである。①については第2章で、②については第3章で、③については第3章で、④については第4章に詳しい。

 特に第5章では消費税の歴史を取り上げ、富裕税廃止の代替財源としての大型間接税が考案されたことを暴いている。そしてマスコミが取り上げるのはヨーロッパでの消費税率の高さだが、アメリカでは消費税がない不都合な事実は深く深く隠されているのだ。

 つまりあまりにも格差社会であるアメリカ社会では、「不公平や逆進性の問題を無視してまで付加価値税を強行するような暴挙は行わなかったのである」(本書243頁)

 実際、アメリカを規範として受け入れている従米派の自公政権が口を拭ってこの事実を隠している中に、消費税とその増税のカラクリの本質が隠されているのである。

 著者の斎藤氏はこれらの分析から本書で断言する。「これ以上の消費税増税は、日本社会を大変な混乱に陥れていくはずである。いわゆる低所得者だけでなく、社会的に弱い立場の人間であればあるほど、より多くの負担を強いられる。中小・零細の事業者、とりわけ自営業者がことごとく倒れていく。正規雇用から非正規雇用への切り替えがいっそう加速して、巷にはワーキング・プアや失業者が群れを成す光景が見られることになるだろう。自殺に追い込まれる人々がこれまで以上に増加するおそれも否定できない」と。

 また斎藤氏は本書の読み方も提案している。「本書の指摘を無視した消費税増税は論外だ。…本書を読む前には"議論"もしてはならない。どうしても論じたければ、その本質を、カラクリを、率直に認め、本気で解決するための方策を用意してからの話である」と。

 今回加筆された序章には、一方で安倍政権のブレーンであった藤井聡氏を消費税増税反対派として紹介する。彼は内閣官房参与の職を辞して政権の方針である増税に反対している。他方で増税して社会保障の財源とせよと主張し、『幸福の増税論―財源はだれのために』の著書を持つ井手英策氏にインタビューして、何と5頁も割いている。井手氏は斎藤氏にへこまされたのであった。

 終章では、利権の温床としての消費税が徹底して暴かれる。そもそも消費税を導入したのは自民党だったが、増税を決めたのは民主党・民進党だった。立憲民主党が増税反対を言えない背景にはこの事実がある。また今回の増税提案で急浮上したキャッシュレス決済をした場合のポイント還元の対策は、キャッシュカードを持てない人々を排除しているのだ。さらに軽減税の導入や飲食料品の馬鹿げた切り分け等、まさに欺瞞的でしかない。

 こうした事態に対して全国紙やテレビ等のマスコミは、政府から軽減税率適用の“ニンジン”を目の前にぶら下げられたためにダンマリを決め込んでいる。これが大問題だ。

 終章では山本太郎氏の国会での闘いや彼のブレーンの松尾匡氏の依拠する今話題のMMT理論を紹介している。

 これまで私たちは各級選挙の度ごとに、政府に嘘をつかれている。それは、消費税は膨れ上がる社会保障費の財源のためにというお題目で導入されてきたのだが、実際は増税が繰り返されるごとに社会保障は削減されて来た。まさに論より証拠である。以下の図をご覧あれ!

 これを見ると消費税は法人税と所得税の減税のために増税されて来たことが一目瞭然である。今回の増税も、序章で厳しく批判されたように「社会保障を充実させるための増税」と説明されている。政府は何という白々しい嘘をつくのであろうか。そしてこの10月、またまた増税が目前に迫っているのである。

 私たちは本書を虚心に読み、弱者の富を強者に移転することで格差をより一層拡大する消費税のカラクリを明らかにし、安倍政権に反撃しなければならない。(直木)案内へ戻る


 【2000万年前の小さなサルの唯一の頭骨、脳の進化の一端を解明】(AFP)によせて

◆脳の進化については、「社会脳仮説」というものがある。つまり社会集団が大きいサルほど、脳が大きい(≒重い)という一般的傾向が知られている(R.ダンパー&澤口による)。一般的傾向としては、集団の大きさと脳の大きさ(体重比)には深い関係があることは事実だ。霊長類ばかりではなく、クジラ類(クジラ、イルカ、シャチなど)でも同様な相関関係が指摘された(「ネイチャー」)。しかし、このAFPの記事にもあるように「脳の大きさ」ばかりではなく、その構造の複雑化や進化もまた、現在では問われている(澤口)。

有名なテーマとして、ホモサピエンスと霊長類最大脳量のネアンデルターレンシスの問題がある。澤口の解明によれば、サピエンスとネアンデルタール人の前頭連合野の容量比は5:3となる。前頭連合野は「脳内を統合する中枢の中の中枢であり、そればかりではなく社会性や言語・ネットワークの”操作”能力をつかさどる」。そしてネアンデルタール人の考古学的実証は、集団やネットワークの狭さ等を示している・・つまりこの澤口説を裏付けるのだ。

◆しかし、問題はそこで終わるものではない。AFPの記事は、「霊長類の脳は、時代を下るに従って徐々に大きくなっていったと考えられてきた」がそうではなく、「類人猿の進化の過程で脳の増大が何度も独立して起きたと推論できた」というのである。他方では進化の中断や「脳の縮小」すらあったらしいのである。このことは再び三度、進化とは先天的(合目的論)に仕組まれたものではなく、≪環境状況にそのつど個別に対応した結果の連続》、に過ぎないことを示している。決して「脳の増大は回りくどい進化」(AFP)というわけではない。

ではその環境状況とは何か? それは自然界において類人猿の集団が協力・共同行動を必要とし、それを活かせた集団がより有利に子孫を残せた・・ということである。社会集団を拡大すること(も脳の増大にも)それ自体は目的ではなく、協同行動を拡大する以外に生存確率が低下する・・という状況のみにこの進化戦略は有効なのだ。しかし、集団内の協力・共同行動は、生存に有利であるとしても多くのストレスと対立と矛盾を集団の中に生み出す(生物の始原的個体主義からして)のはあまりにも明らかです。それを解消する・緩和する・制御する・・こと、つまり(社会性の高い個体が求められ)知性と感情抑制と情操の育成が客観的に求められ、進化によって導かれた。さらに相互の駆け引きや配慮、ルール造り、さらには音楽・踊り・絵画・儀式などなどの独自の文化能力までホモサピエンスは進化させてきたのだ。これがサピエンスが前頭連合野を最大化させた理由だ(結果として集団も脳も拡大・高度化した)。

◆我々人類は、かくして良くも悪くも進化の産物である。身体的にも精神的にも、生命→生存→子孫にまつわるいわく因縁の塊です。。つまり端的に言えば、人間的知性は、相対性理論や量子理論、いわんや超ヒモ理論やブラックホールの解明のために進化したのではない。それらはむしろ副産物なのだ。人間の手の進化にとってホロビッツの手は副産物に過ぎないのと同じなのだ(叱られそうですが)。人間は一定の制限下で発揮された「協力・共同行動」の生み出した進化的被造物なのです(この本性から切り離された人間論・社会論は、ゆえに無効です。)。

追加すれば理性と情念は一体的に並行して進化したともいえる。それにもかかわらず、愚かな人類はギリシャ哲学の潮流ばかりではなく近代のジョン・ロックにおいてすら人間の意識は「タブラ・ラサ」(white paper)つまり、何も書いていない真っ白な紙だと信じ込んだばかりではなく、現代でも「人間的本姓に根付く」意識の存在を否定する「Marx主義者」も最近までいたものです。生命原理に立脚しないAIの「知性」は、使い勝手の良いコンピューターの域を当分超えられないはずです。昨今の「ホモサピエンス論」にも一部うんざりしています。(阿部文明)案内へ戻る


 コラムの窓・・・ 中国のテレビを見て?

 このところ毎年、8・15を挟む1週間ほどは中国を訪問しています。その際、ホテルで中国のテレビを見るのですが、中国語は全くわからないので、その内容は理解できません。そこは漢字圏の国ということで、漢字の字幕が出るのでおぼろげながら報道の内容は読み取れるのです。

 以前は衛星放送も写っていたのに、今回はCCTV(中国新聞)報道ばかりで、①米国との経済摩擦について、②香港の(暴力的)デモと台湾の総統選挙情勢について、③日韓の経済摩擦について、④朝鮮民主主義人民共和国のロケット発射、等々。帰国して確認したところ、いくつかわかったことがありました。

 まず、気になっていた核弾頭らしきものが地上で爆発した映像、それがロシアだったことがわかりました。米ロによる〝実戦用〟核兵器開発競争への不安が膨らむ事故であり、中国がどう考えているのかはわからないままです。また、拿捕されていた船が解放されたという映像は、英領ジブラルタル自治政府がイランのタンカーを解放したというものでした。何はともあれ、こちらはいい知らせと受け取っていいのでしょう。

 国内の報道では洪水の映像がずっと流れていました。これは台風9号の被害なのかと思いつつ、台風10号はどうなのかと思っていました。というのも、宝塚からのフィールドワーク参加者が豪雨の予報が出ているとか言っていたので、西宮はどうなのかと心配していました。

 結果は、JRが運休となり飛行機も欠航とかあったが雨の被害は出なかったようです。私たちが関空から南京に向かったのは13日夜、帰国は上海から関空で20日の午後でした。こに日程によって、台風の影響も盆休みの混雑の影響も受けず、フィールドワークは雨にも会わず無事終了したのです。

 さて、中国報道で際立っていたのは香港情勢の報じ方でした。2020台湾総統選挙も中国にとっては気になるところであり、盛んに無所属の柯文哲台北市長の映像が流れていましたが内容は全くわかりませんでした。いずれにしても、現職の民進党蔡英文総統の再選は避けたいところなのでしょう。

 香港報道で際立っていたのは暴力的デモに反対する人たちの行動が大きく紹介され、結束バンドで縛られた人物の映像がたびたび流れていました。さらに、識者が机を並べインタビューを受けている場面も報じられていました。これらが国家的キャンペーンであることはわかりやすかったのですが、結束バンドで縛られた人物が何者なのかは謎でした。
「被害者の1人は、共産党機関紙・人民日報系の環球時報の記者だった。手足を結束バンドで拘束されて暴行を受ける映像を、国営中央テレビも繰り返し放送」(8月15日「神戸新聞」)

 なるほどそうだったのか、とにかく香港の抗議行動がどれほど違法で暴力的かということを国民に植え付ける報道が行われていました。デモ規制の警察の暴力的弾圧と中国本土からの圧力が、学生や市民の抗議行動を過激化させていることには触れていないようでした。中国はどこへ行くのか、香港や台湾の明日はあるのか、暗い気持ちになります。

 今や中国ではホテルでも顔認証が必要なところがあり、街中にはスローガンが溢れ、建国70年のポスターが貼られています。カメラによる監視網から逃れる術もない、何かしら息苦しさを覚えます。翻って日本はどうか、国家がウソと排外で国民を組織しようとしています。私たちはそのワナに絡め取られることなく、違いを超えて互いに尊重し合える場を失わずにいたいものです。 (晴)案内へ戻る


 「エイジの沖縄通信」(NO65)

①沖国大米軍ヘリ墜落15年抗議集会

 2004年8月13日、沖縄国際大学に米海兵隊のCH53Dヘリコプターが墜落炎上してから15年となる。この事故機は、市街地上空で制御不能となり中部商業高校から我如古公民館を経て沖国大の1号館に激突炎上した。その衝撃でヘリコプターの様々な金属部品が周辺に飛び散り、バイク、乗用車、民家を破損した。民間人に死傷者が出なかったことは不幸中の幸いだが、米軍は即座に現場を占領・封鎖し、県警・消防・宜野湾市長・大学関係者等の立ち入りをシャットアウトした。この米軍のシャットアウトがなぜ出来るのか?が大問題になった。そして、今問題になっている「日米合同委員会」の存在が明らかになった。

 現地から今年の抗議集会の報告が届いたので紹介する。

 「今年も、8月11日(日)午後5時から宜野湾市役所前の広場で、ヘリ墜落に抗議すると共に普天間飛行場の閉鎖返還を求める集会が開かれ、約150人が参加した。

 主催は『島ぐるみ会議ぎのわん』と『普天間基地爆音訴訟団』。松川宜野湾市長にも参加要請を行なったが、不参加だったという。

 はじめに、普天間飛行場にむかって『普天間基地をかえせ』『オスプレイを撤去せよ』等とシュプレヒコールを繰り返した。手にした『子どもを守ろう!普天間閉鎖』『CLEAR ZONE, DO NOT FLY』との2種類のメッセージボードが高く突き上げられた。

 島ぐるみ会議ぎのわんの共同代表、宜野湾市選出の新垣清涼県議が主催者挨拶を行なったあと、第2次普天間爆音訴訟団の島田善次団長が『15年前と何も変わっていない。変わったのは堕落した市長だけだ。沖縄は団結しなければならない。行動する民にならなければならない。子供たちの未来のために立ち上がろう』呼びかけた。

 このヘリ墜落事故から、宜野湾の空の危険はまったく何も変わっていない。それどころかオスプレイの普天間配備以降、地元の小学校や保育園への落下物問題等々、危険性がますます増加しているのが現実である。

 普天間飛行場の無条件返還こそが求められている。

②「有識者会議」設置は「御用機関」との批判が上がる

政府は埋め立て予定海域の大浦湾側に広がる軟弱地盤の改良工事について、土木工学の専門家らでつくる有識者会議を設置する。さっそく9月上旬に東京都内で初会合を開く。 防衛省は軟弱地盤改良を進めるためには県の玉城デニー知事に計画変更を申請して承認を得る必要がある。そのために「有識者会議」を設置して、その答申の「お墨付き」を得て工事の正当性を高めたいと狙っているようだ。

 それに対して、沖縄県内の識者からは「移設を進めようとする政府のアリバイづくりではないか」「県との裁判を前にして露骨な嫌がらせだ」とか「委員は政府が決めるので、審議への影響を考えて埋め立てが困難だと言う委員はほとんど選ばないだろう。結論ありきになる可能性が高い」等々、批判の声が上がっている。

 この問題について、「チョイさんの沖縄日記」は次のように述べている。

 「問題は地盤改良工事が技術的に可能かどうかということだけではない。最も重要な問題は、あの豊かな自然が残されている大浦湾の環境に致命的な影響を与える、こんな大規模な地盤改良工事が許されるのかどうかということである。報道によれば、有識者会議は土木工学の専門家だけで構成される。せめて形だけでも環境面の専門家を入れるのならともかく、もう結論は目に見えている。全くの茶番劇としか言えない。

 埋立承認の際の留意事項として設置された学者らによる環境監視等委員会は、もう無残な『御用機関』としての役割しか果たしていない。今回、設置される有識者会議は、さらに露骨な事業推進のための『お墨付き』を与える組織でしかない。地盤改良工事の設計概要変更申請に対して、知事が不承認しにくい環境づくりを狙ったものである。

 それにしても、政府は学者らを都合よく使うのもいいかげんにすべきだろう。今年1月、政府は軟弱地盤問題に関して『地盤に係る設計・施工の検討結果 報告書』を公表した。そして、日下部治東工大名誉教授にこの報告書の鑑定を依頼し、3月にその鑑定書が出された。日下部名誉教授は、『概略検討としては適切』としたものの、『詳細設計では、より密度の高い地盤調査や土質試験を実施するのが有益、必要に応じ、追加の地盤調査・土質試験が計画・実施されることも想定される』等と指摘した。しかし政府は、『学者の鑑定書で適切とされた』というだけで、追加の地盤調査の必要を指摘されたことについては全く無視を決め込んでしまった。有識者会議で学者の意見を求めたところで、自分たちに都合のいいところだけを抜き取って利用することは目に見えている。」と厳しく批判している。(富田 英司)案内へ戻る


 津波浸水想定区域に清水庁舎と桜ヶ丘病院を移転する計画に反対!

 私が住んでいる街で、庁舎と病院の移転問題の正念場を迎えている。この問題については本誌575号(2017年11月1日)に「津波浸水想定区域に病院と庁舎を移転するとは正気の沙汰ではない」と報告したが、その後を報告したい。

 17年の3月、田辺市長は桜ヶ丘病院の移転先を現在の市役所清水庁舎にして、清水庁舎を今よりも海に近く想定浸水が深い場所の清水駅東口に移転・新築する計画を発表した。(中止になったLNG火力発電所建設予定地の向かえ)何と言っても現庁舎も津波浸水想定区域で津波被害のおそれがある所に病院を移転するのは正気の沙汰ではなく、東日本大震災の教訓が何も活かされていない。現清水庁舎の場所に桜ヶ丘病院を移転させて、玉突きで清水庁舎を強引に移転・新築させるのは某ゼネコンと裏取引きがあるのではないかと言われている。まさしく安倍政権と同じ穴のムジナだ。

 その後、反対する住民達はそれぞれの会で市長に要望書を出したり学習会を続け、反対署名を集めて今年の2月議会に請願したが、保守派議員達は「もう決まったことだ」と言って審議もしないで不採択になった。4月には市長選があり、これはチャンスと期待したが反対候補を統一することができず田辺市長が再選してしまった。しかし、清水区では反対する2候補の合計得票数が田辺市長を上回ったり、新聞社の出口調査では清水区の回答者のうち50・7%が庁舎移転に「反対」をした(賛成は27・8%)。この結果を見て清水区の住民達の半数が移転に反対していることが分かり、私達はやる気が盛り上がった。

そして、反対する住民達が集まり「住民の安心安全のためには津波浸水想定区域に新清水庁舎と新桜ヶ丘病院を新たに建設してはいけない」と確認し合い、もっと反対運動を広げていこうと、6月に8団体が中心になって「清水庁舎・桜ヶ丘病院の移転を問う市民の会」を立ち上げた。それからは、横断幕やプラカードを持って駅や庁舎、イベント会場でスタンディング行動をしたり、チラシを手渡すと「私も反対です」「がんばって下さい」と言う声がたくさん聞かれ「賛成」と言う声は聞かれなかった。宣伝カーで市内を回ったり、チラシの戸別配布をして住民に訴えてきた。

 田辺市長は4月の市長選で3選を決めた際に「市民に丁寧に説明する」とはっきり言ったので私達は5月に市長との面談の要望書を提出した。ところがのらりくらりと2ヶ月余り面談実現に向けた交渉をやり8月19日に実現する予定だったが、緊急の市長日程を理由に突然中止となった。市長にとって都合のいい住民とは意見交換をしているのに反対の声を上げている私達とは会おうともしないのだ。

 すると、田辺市長は8月20日の定例記者会見で突然、清水庁舎の移転を進めるための条例改正案と概算事業費85億~90億円を盛り込んだ9月補正予算案を市議会9月定例会に提出することを明らかにした。このニュースに驚きこんなにも早く市議会の議決を得ようとするとは思ってもいなかった。やはり反対運動が盛り上がらない前に何が何でも強行して住民達に諦めさせようとしているのだ。ここであきらめてはいけないと、私達は21日に会議を開き,市長が19日に会わなかったのはこのことがあったからのではないかと考え、この機会を逃してはならないと、次の日の22日に田辺市長に対して移転の賛否を問う「住民投票の実施を求める要望書」を提出した。素早く反応したことがよかったのか、22日は今までになく大勢のマスコミが集まり、テレビニュースや新聞に取り上げられ宣伝になった。要望書の回答期限は9月1日として市長が要望に応じない場合は住民投票の直接請求も考えていくつもりだ。大事な局面を迎えているが仲間達とあきらめないで反対運動をしていきたい。

 私達の仲間が「なんでだろう?静岡市は90億円もかけて、大きな地震がきたら大津波が来る海の近くへ、わざわざ清水区役所の移転を計画しています。桜ヶ丘病院も、津波が心配の場所へ移転を計画しています。みなさんどう思いますか?計画の見直しは、まだ可能です。みんなで声をあげましょう!行動しましょう!」と呼び掛けて8月31日に市民デモを計画している。大勢の住民達が大きな声を上げれば、津波浸水想定区域に庁舎と病院を移転することはできないと仲間達と訴えて行きたい。8月26日記(美)


 「いち労働者」として悩みながらの「参院選総括」

 投票日が近づいたある日、僕は友人のA君と食事しながら、参院選への対応について、深刻な議論をしていました。なにしろ新聞報道では「自公で過半数を確保、改憲勢力3分の2をうかがう」と危機的な状況が伝えられましたから。

 そんな中、まず僕の立場は自治体労働者として、労働組合の組織内候補者(立憲民主)を落とすわけにはいきません。「労組推薦」というと世間では「大企業や官公労の既得権擁護」と見られがちですが、そんな事はありません。自治体では、臨時・非常権職員や委託職員などの「官製ワーキングプア化」の進行や、図書館・病院・保育所・清掃などの民営化・指定管理者化・独立行政法人化などに歯止めをかけなければなりません。また「自治研」活動を通じた市民運動とりわけ「自然エネルギー」や「子ども食堂」など多種多様な分野の活動との連携のためにも、推薦議員を通じた「政策提言活動」を後退させるわけにはいきません。そのため、職場では自治体労働組合の候補者の必勝を呼びかけてきました。

 他方、地域の社会民主党からは「政党要件を失ったら大変なことになる」と「崖っぷち」の応援呼びかけが来ていました。どちらも落とすわけにはいかない・・・。地域で平和集会を開くとき、社民党が軸になって呼びかけるからこそ、共産党から立憲民主・国民民主まで、さらに様々に主張の違う市民団体の幅広い共闘が成り立っているのです。社民党が議席を失えば、平和運動は大打撃です。そこで苦肉の策ですが
、「僕は自治体候補の応援に回るので、A君は社民党の応援に回ってくれないか?」と「応援の分担」を話し合いました。家族にも同様の呼びかけをしました。

 さて、「労働の解放をめざす労働者党」のメンバーからも、協力依頼がありました。僕としては「断るべきではない」と考えました。公示前のチラシ・ポスティング、宣伝カーの運行コースのアドバイス、カンパなどささやかではありますが協力しました。自分の立場も説明し「僕自身の票は入れられないが、ポスティングの3%は得票につながるから」と、やや言い訳がましいエールを送りつつ。ただ意見として「いきなり国政選挙で議席をめざすのは財政的にも組織的にも無理があるのではないか?地方自治体選挙への挑戦を積み上げるのが賢明ではないか?」と、「社民党」や「新社会党」や「緑の党」の自治体議員の奮闘例を上げて、問題提起しました。

 「介護労働の共同体原理」についてもA君と議論しました。彼は「自分が介護労働者であることもあり基本的な趣旨は理解できる」とのこと、僕の方は「介護労働と一般の生産労働とのローテーションかワークシェアリングの方が良いのでは?」とやや異論を表明しましたが、まあこれからゆっくり議論を深めるべき課題です。

 緑の党は、幾人かの「市民派候補」を推薦し、そのうち「職場でパワハラを受け、労災認定の闘いを貫いた」女性候補は、心情的に応援したいところでした。何しろ職場でもパワハラに合っている組合員の闘いを抱えていますので。せめて街頭行動には何らかの協力をしたいと思いました。

 何とも矛盾に満ちた選挙闘争ではありました。安部政権の憲法改悪を阻止するための「大同団結」はもちろん大切ですが、その中でもより労働者的な候補を押し上げていくため、地方選も組み合わせて、現実的な対応がせまられていると痛感する次第です。(福岡S)案内へ戻る


 読者からの手紙・・・   偉大な第一歩

 今年の7月5~6日に第41回国連人権理事会が行われ、ベネズエラとパレスチナ両国によるアメリカの経済封鎖非難決議案が28対14,棄権5の大差で各国の承認を受けたことがごく小さな取り扱いで新聞に載った。扱いは小さくても、これは大変重要な意味がある。

今アメリカは世界各国、中南米はもとよりアフリカ・中近東アラブ・極東更に南太平洋・インド洋の小国、ヨーロッパ東西にまで、軍事・政治・経済・マスコミ宣伝(テレビ放映)に大量の資金をばら撒いて、第二次大戦後、一貫して赤化防衛の理屈の下に大領域、拡大(ノーム・チョムスキー氏の言)の為に、侵略・介入・誘拐・拷問・虐殺・暗殺ありとあらゆる手口を使って、利権によって人権を押しつぶしてきた。そのことに対する非難、声高な抗議が出版界、放映会に広がっている。

国連には主要委員会は6つあり、それぞれ軍縮・経済・人権・非植民地化、行政・予算・法律を担当しており、信頼性を失ったとの批判を受けていた人権委員会は、2006年に廃止され、新しく人権理事会が設立された。そうした中で今回この理事会で「数によって、」・・界の国々がアメリカの経済封鎖を非難したことの意味は大きい。軍事力と経済力はアメリカ政治の右手と左手のようなもので、封鎖の裏側には大量の贈賄があり、手下の地下集団にはヘロインも与えられる。

ラテンアメリカ(中南米)だけでも食料や薬品不足で4万人の市民の死亡に直接つながり、ベネズエラは1160億の損害を被った。

ベネズエラの決議案に投票した各国の色分けを見ると、現在の国際情勢がよくうかがわれる。「棄権」5カ国は総て中南米ーこれらの国は過去も現在も頭上に座す大悪魔(ベネズエラのチャベツ大統領の言葉)に首根っこを押しつけられている、つまり恐怖がある。「反対」の14カ国は、総てCIAのお世話を受けているが同時に自ら帝国主義でもあった。「賛成」は良心派カタール(産油国)を除いて昔アメリカの植民地であって、その苦い記憶があり、現在も苦しめられているが、アメリカから独立する気概も持っている。また中国・インドのように核も経済戦も実力をつけている。サウジアラビアについてはビン・サルマン皇太子とカショーギ事件(明らかにCIAのでっち上げだが)との関連で推理するしかない。

 アメリカ合衆国は、人権委員会から離脱したが、国連平和維持活動(PKO)には極端に熱心で、予算分担率(2017年の統計)は、28.47%で中国・日本・ドイツ(それぞれ2・3・4位を占める)三ヶ国合計を上回る、気前の良さだ。15カ国を上回るミッション活動はほとんど10年たっても進まない。ミッションと言うよりはコミッションで、悪徳医が患者と薬局との間に入り、コミッション(手数料を取る)のやり口と同様である。装甲車に乗って、武器を携え貧しい国々の村民の移住地に入っていけば、自分の親類や父や息子のいるいわゆる「ゲリラ」「過激派」「テロリスト」の村の隅々まで知り尽くしているミリタントは現地の住民にとっては敵ではない。外国のミッション兵士は総て貧しい国の青年達で、高い給与目当てで、何も知らないまま送り込まれてきた犠牲者である。

 スリランカでもそうした者たちの死亡通知がしばしば自宅に届けられる。軍需品・食料・遺族への手当金・すべては当事国の国民が支払い。儲けは民間企業(軍と関連した)に流れ込む。

 アメリカがどのように他国を考えているかは、ギリシャに介入した時の米大統領の発言を見れば理解できるだろう。

 クーデターがギリシャで起きたのは、総選挙が開始される二日前のことで、選挙が行われていれば、リベラル派のベテラン指導者イエオルイオス・パパンドレウが首相に復帰するはずだった。パパンドレウは1964年4月、現代ギリシャの歴史において、初めて、圧倒的多数を獲得して選出された首相だ。このときも又、彼を失脚させる企てがすぐに動き出した。宮廷(この時、ギリシャには名目的でしかなかったが王様がいた。)ギリシャ軍部・そしてギリシャ駐在のCIAが手を組んだのである。

 この時米国のジョンソン大統領(J・Fケネディ大統領が暗殺されて、すぐに大統領の座にすわった。)はワシントンの「解決策=命令」を言い渡す目的で、ワシントンで働いていたギリシャの特命全権公使フィリップ・デイーンを呼びつけている。公使はアメリカの示す解決策がギリシャ議会に到底受け入れられないだろうし、ギリシャ憲法にも反すると抗議した。「それではよくお聞きなさい」とリンドン・ジョンソンは言った。「おまえのところの議会や憲法などくそ食らえなのだよ。アメリカは像でギリシャはノミなのだ。ノミが像を悩ますなら、ただ像の巨体の下敷きになればよい。ぺしゃんこになれば良い・・・大使殿合衆国は相当額のドルをギリシャに送っているんだよ。もし君の首相(パパンドレウ)が民主主義とか議会とか、れから憲法について、我々に講釈したいというなら、首相、議会そして憲法も、長くは持たないと思ってくれたらよい。」

1965年7月、とうとうイエオルイオス・パパンドレウが王の勅令によって首相の地位から引きずり下ろされた。パパンドレウは反共主義者であった、しかし彼でさえ超大国から独立を維持したいと考えていた、アメリカから独立すると言うことはギリシャの諜報機関がCIAと一体化され、議員達の盗聴すら筒抜けになっている状態を止めることをも意味していた。

 現在、トランプは先の「イースター・テロ」をチャンスに、大量のドルを一部議員・閣僚・企業にばら撒き、CIAはすでにスリランカ諜報部と一体となって、細部にわたる情報を手に入れ、活動を始めている。なんと驚くべきことにアメリカの弁護士会をスリランカの法的活動に加えろと圧力をかけている。反対にスリランカの弁護士会をアメリカの法律活動に参加させろと要求したらどうだろう。リンドン・ジョンソンではなくても「ノミが像に何が出来るか」とせせら笑いで終わりだろう。(M・K)


 色鉛筆・・・再生可能 自然エネルギーについて想う

 フィンランドでは、使用済核燃料最終処分場「オンカロ」は今建設が進められています。見学は二十三万円かかるそうです。
 場所はラウマ市近郊のオルキルオト島で地下約四三七mの深さまでトンネルを掘り下げ、原発から生じる使用済核燃料を人間など生物にとって放射能が安全なレベルに下がるまで一〇万年間保管する施設です。

 二〇二四年頃から最終処分を開始する計画になっています。なんと一〇万年銅の蓋で閉じ込めておかないと安全なレべルまで下がらないのですね。国が管理していくそうです。うまく引き継がれれば良いですが。一体平均寿命の何倍でしょうか?驚くばかりです。

 フィランドは地盤がほとんど岩でできているので、計画は進んでいますが、他国は地下に水脈も多く、なかなかうまく進んでいません。研究が進められているところが大半です。日本では、北海道で模擬施設などを作っているそうです。

 フィンランドは原発エネルギーを今までの六割に減らしますが、廃炉にせず残念ながら続けていくそうです。

 一方ドイツは福島の原発事故の影響を受け、脱原発、エネルギーの大転換を政策として宣言し、実施しています。

 ドイツのなかでも、先進的な地域電力自立の地と知られているライン・フンスリュック郡の取組は素晴らしいです。再生可能エネルギー導入時においての市民との公聴会での説明はみんなの気持ちを奮いたたせました。① 化石資源はいずれ枯渇し、現在がピーク ② 気候変動による被害コストがこのままでは三兆三千億ユーローになる ③ 化石資源の輸入に対する依存問題。

 ドイツでは天然ガスは大部分をロシアに石油はほとんど中東に依存しており、年間約九百億ユーロー国富が原産国に流失している。その使い方についてドイツは何も口を挟むことができないし価格の高騰に対してもあらがうことができない。ライン・フンスリュック郡だけでも二億九千万ユーローのエネルギーコストが石油や電気やガソリンの輸入依存により流失している現実を転換して、自前の再生可能エネルギーや省エネ化を推し進めていけば、そのお金が地元に残り、地元の経済に貢献するという政策をみんなで思いが一致し実行に移していくことができました。

 最初の取組は、庁舎や学校などの公共施設の省エネ化でした。古い学校の校舎等にも太陽光発電を設置しCO2排出ゼロにしました。二〇〇五その年に初めてバイオマスによる熱供給を導入し周辺住民がその効果を知り、利用したいと参加し始め拡がりました。ライン・フンスリュック郡の再生可能エネルギーの成長は、二〇〇七年当時で全体の消費電力の二十七%二〇一二年には一〇〇%を超え、二〇一七年には電力需要の三〇〇%近くに達しています。その内訳は主に風力発電ですが、市民が盛んに自分の家の屋根に太陽光発電装置を設置して太陽光も十六%の割合を占めています。

 自己発電で足らなければ地域から供給される。その中で暮らせば、大規模な発電所は、原子力発電所のような施設は不要になります。ドイツは二〇二二年までに原子力発電絡む完全撤廃することを決めています。二〇五〇年に再生エネルギーの発電比率を八十%に引き上げる事を目標に連邦、州政府、市民が一丸となって頑張っています。

 ノイアキルヒ村は、地域熱配管と光フィーバーを埋設して、村全体がLED化しており夜でも明るい安全な村だそうです。空き家改修も町が補助金を出して熱供給が進み、若い夫婦が住んでいるそうです。

 いつか私もドイツのノイアキルヒ村に行ってみたいと想いました。

私自身が取り組めることは引き続き原発再稼働を反対し続け、再生エネルギーでもまかなっていけことを、周りの人に伝え、理解を深めていってもらうことです。また太陽光パネルの設置や電気自動車の利用を目指して貯金をしていきたいし、国から補助が出るような運動が展開されればいいなと想います。(宮城 弥生)

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