ワーカーズ611号(2020/10/1)  案内へ戻る

 安倍政権のいっそうの劣化版
 菅=自公政権を労働者・市民の力で打ち倒そう!


 安倍政権の継承を掲げて菅政権が発足した。「携帯電話料金の引き下げ」「デジタル庁の新設」「地不妊治療への保険適用」等々を掲げて若干の新味を出そうとしているが、これ自体安倍政権の中で言われてきた個別政策の特出しに過ぎない。

 菅首相が安倍政権の継承として特に意識しているのは、むしろ国民への負担強化、国民不在の強権政治への開き直りと民主主義の制限、そして軍備の拡張政治であることは間違いない。総裁選の中で消費税の増税を口にするなど大衆増税をさらに強化する姿勢を見せ、森友・加計・桜を見る会・河井夫妻と自民党の金権腐敗・側近えこひいき政治のウミには蓋をし、敵基地攻撃能力保有の軍拡ではさっそく米国のトランプ政権とすりあわせという前のめり姿勢だ。前政権の下で、政府に批判的な記者やジャーナリストへの取材制限、御用記者などへの優遇や便宜供与で、日本の言論や表現の自由を大きく歪めてきたのは、他ならぬ幹事長時代の菅自身だ。

 日本を含む経済先進諸国において長きにわたって出口の見えない低成長続いてきた。資本主義が不可避にもたらした長期停滞だが、、新型感染症をきっかけに「コロナ恐慌」とも呼ばれる未曾有の危機が現実のものとなっている。この危機は、菅自公政権の下では、労働者・庶民への犠牲転嫁で乗り切ることが図られるに違いない。

 とりわけ飲食・ホテル・観光・イベント・運輸業界などで大規模な休業、その果ての倒産、そして労働者の雇用不安や解雇・失業が生じている。それを引き金にして、他の業種や産業、金融機能への波及の可能性も取り沙汰されている。自公政権と財界は、自らの体制への疑念や批判に火がつくことを恐れて、持続化給付金や雇用調整助成金などで小手先の対応策をとってはいるが、財界・資本の側からその抑制のプレッシャーが強まっている。財界・資本の政権である自公政権は、その要求に抗うことは出来ない。

 いつの時代も、仕事と暮らしを守ってきたのは、先ずは当事者の発言と行動だ。声をあげ、行動すれば、必ずそれに呼応する動きが生じてくる。労働者市民は、自らの仕事と生活を守るために、同じ境遇に追いやられようとしている仲間と繋がり、団結し、声をあげることで、資本と政府の犠牲転嫁の策動を打ち破ろう。(阿部治正) 


 菅自公政権と対峙しよう――安倍亜流政権と対決し、自民党政治を追い詰めよう!

 安倍首相が辞任し、菅内閣が発足した。菅首相が直前まで安倍内閣の番頭役である官房長官だったこともあって、未だ菅内閣としてどういう国づくりを進めるのか、体系的な青写真を示していない。が、菅首相はとりあえず経済政策、安全保障などで、安倍政権の継承を掲げている。

 菅内閣が今後どういう方向に進むか、まだはっきりしないが、私たち労働者・市民の立場から、菅政権と対決し、自公政権を追い詰めていく闘いを拡げていく以外にない。

◆甘い言葉と新自由主義

 安倍首相が辞任表明をしてから2ヶ月、急な内閣交代だったこともあり、菅内閣が今後どういう方向に進むか、未だはっきりしていない。が、菅首相は記者会見などで、日米同盟基軸路線やアベノミクスの継承など、安倍内閣の基本スタンスの継承を語りつつ、他方でいくつかの〝菅カラー〟を垣間見せている。

 菅首相は、「日本をどんな国にしたいですか」との質問に対し、「自助・共助・公助、そして絆」という言葉が書かれたフリップを掲げた。そこではまず「自助」を協調する。「まず自分でやってみる」という「自助」が前提で、その次に「家族や地域」でお互い助け合う、最後にそれでも足らない場合に初めて「政府が責任を持つ」という「公助」を位置づける。そしてとって付け加えるように「絆」を持ち出す。

 「絆」というはあの東日本大震災時に広く語られた言葉だ。が、「モリ・カケ・桜」問題では「官僚は誠実に答弁している」などと開き直った答弁に終始。沖縄の辺野古埋め立てに際して「粛々として進める」という冷徹な説明を聞かされてきた側からすれば、白けるばかりだ。

 そうした中での「自助・共助・公助」発言だ。災害時の助け合いの場面などで語られてきた言葉だが、行政府という「公助」の担い手の長から発せられる言葉としては、勘違いのお粗末な言葉だという以外にない。

 「自助」という言葉は、「自己責任論」という実質的には新自由主義的なスタンスにも通じる言葉でもある。「自己責任論」は、海外での拉致・人質事件などの場面、あるいは生活保護者などに対するバッシングなどでも声高に語られていた。

 「自己責任」は当事者が言う言葉で、政府やその取り巻きが言う言葉ではない。政府批判者をも包摂するからこその政府・国家たりえるのだ。政府サイドが「自己責任論」を言うなら、政府批判者の納税義務などは解除する他はない。

 菅首相による〝標語〟は、政府による介入を重視するアベノミクスとは逆の安倍政権のもう一つの顔である新自由主義的なスタンスに通じるものであり、そうしたスタンスが菅政権の根底に組み込まれている、ということだろう。

 菅首相は、自民党総裁選挙や首相就任時の記者会見などで、縦割り行政や既得権益を打破し、規制改革を進める、とも語ってきた。その上で、GoToキャンペーンやふるさと納税制度、それにケイタイ料金の引き下げなど、国民生活に配慮した政権だというイメージも振りまき、そのうえ「国民のために働く内閣」とか耳障りの良い言葉を振りまいている。が、これまでの官房長官時代に垣間見せた強権政治の片鱗も忘れるわけにはいかない。「モリ・カケ・桜」など、安倍首相時代の醜聞などに対し、「ご指摘は当たらない」「全く問題ない」などと質問者を突き放した姿を思い起こすべきだろう。

 また、方向性が違う官僚に対しては「移動してもらう」という強権的な手法もあからさまだ。「人事は政権のメッセージ」という言葉も繰り返していたようだ。議会制民主政治の土俵上では、官僚に対する選挙による有権者の信任がある政治の指導性は認めなければならない。が、それは問答無用、上意下達の強権政治とイコールではないはずだ。しかも安倍政権時に強行された法制局長官の露骨な首の付け替えや歴代内閣の姿勢をあっさり覆した集団的自衛権の行使容認の閣議決定など、道理も説得力も欠いた専横政治は許されるはずもない。これらについては官房長官として支えた安倍首相との共謀の結果だといえるだろう。

 菅内閣は、安倍首相の突然の退陣を受けた、いはばピンチヒッターとしての登板だった。あくまで一時的な登板か、あるいは総選挙での信任を経た本格政権になるか、未だ不透明というほかはないが、菅首相の新自由主義的政治、強権的な政治姿勢などへの警戒感も怠らないようにしたい。

◆最悪政権

 安倍首相は、形の上では健康上の理由で辞任した。しかし、安倍政権はそれ以前から末期的症状が蔓延していた。

 まずいえるのは、安倍内閣の一枚看板だったアベノミクスの破綻が露わになっていたことだ。

 安倍内閣発足の少し前から始まった景気回復局面にも助けられて大々的に打ち上げられたアベノミクスだったが、実体はといえば、成果はさほど上げられず、逆に、巨額の財政出動と異次元の金融緩和で、財政基盤と金融システムはかつてないような脆弱さを深めているのが実情だ。株価こそ膨らんでいるが、それは安倍首相が就任する直前から上昇局面が始まっていたものだ。首相就任後は、財政支出や法人減税、それに日銀による国債購入などによる巨額な資金供給や上場投資信託(=ETF)をつうじた株の購入などのテコ入れによって維持しているのが実情だ。結果的に筆頭株主が日銀だという企業が増え続け、自民党が嫌っているはずの「国有経済化」を招いていることは皮肉というほかはない。

 しかも、成長軌道を歩むはずだったアベノミクスでも国内経済は低迷したままだ。安倍首相の在任期間中で、米国のGDPは日本の2・6倍から4・0倍に、中国は1・4倍から2・9倍に増えている。それだけ低迷する日本のGDPは、相対的に縮小しているのだ。それに企業の労働生産性も低く主要7カ国中で最下位、相対的貧困率も先進35カ国中で下から7番目にまでになっている。結局、アベノミクスは、法人減税と金融緩和で、大企業やその経営者、それに株主だけが潤う結果をもたらしただけになっている。

 対して労働者の実質賃金は低迷・下落し、また非正規労働者が増え続けたことによる雇用の劣化で、日本でも経済的格差が拡大し続け、不平等化や格差社会化が一層深まってしまった。

 雇用は改善したというが、少子高齢化で生産年齢人口は、この10年で640万人も減っている。結果的に有効求人倍率は上昇し、失業率も漸減してはいる。しかし、その多くが劣悪な労働条件を余儀なくされている非正規労働者だ。政府や一部のエコノミストは正規雇用者も増えているというが、現在の正規雇用者は地域限定正社員や賃金やボーナスが低く設定されている新型正社員、それに賃金が3分の1から半額程度に減額された再雇用社員など、かつての終身雇用時代の正社員とは全く別物の何でもありの雇用形態に劣化してしまっている。企業倒産や企業合併・買収、あるいは早期退職勧奨など、正規社員であっても定年まで安定した雇用が保障される時代ではなくなってしまっているのだ。

 結局、アベノミクスとは、長期低迷経済から抜け出す方策として法人減税や規制緩和など大企業への手厚い支援で供給サイドを拡大させ、他方で、企業の余力を賃金上げなどで消費力の向上につなげることで経済の好循環を実現することを掲げてはいた。が、実際は、実質賃金の低下と消費税引き上げによる国内市場の縮小をもたらし、大企業だけが内部留保を溜め込むだけに終わっている。要するに、アベノミクスは、財政支出と規制緩和という大量のカンフル剤を打ち続けた結果、日本経済に回復不能な体質悪化をもたらしただけで、結局は好循環のサイクルを実現できなかった、ということだろう。

 こんな状況なので、安倍首相の看板政策であるアベノミクスではもはや政権浮揚の役割は望めない。実際、世論調査でも、アベノミクスへの期待感は尻すぼみ状態、有権者から見透かされているのが実情だ。

 その間、安倍政権は集団的自衛権の行使容認や安保法制の制定、特定秘密保護法、共謀罪法など、安倍カラーの法整備を進めてきた。また、対外政策では、トランプ政権への見境もない抱きつき外交、拉致問題、領土問題での無策、失態、召集請求に対し国会開かずの憲法無視、検察庁法改定のもくろみ、政治・行政の私物化の「モリ・カケ・桜」……。

 ざっと振り返っただけでも、安倍政権は、経済のかさ上げというアベノミクスという毛針をちらつかせながら、実質的には軍事優先、国家主義的なシステムへの転換を推し進め、裏では行政を私物化した政権だったことは明らかだ。

 女性スキャンダルで就任2ヶ月あまりで退陣した宇野宗佑元首相もいたから、安倍政権は〝最低の〟政権とはいえないかもしれないが、〝最悪の〟政権だったという評価がぴったりの政権だろう。

◆輸出主導型経済モデル

 なぜこうした事態に陥ってしまったのだろうか。

 それは、一言で言えば、バブル経済の崩壊後の失われた時代のなかで、日本が輸出主導型経済による経済成長路線を追い求めたからだ。

 日本はバブル経済がはじけるまで、高度成長と安定成長という比較的恵まれた道を歩んできた。敗戦国家として再出発した戦後日本は、朝鮮戦争での銃後の工場という好位置を手にして東洋の奇跡と言われた戦後復興を成し遂げた。この間「追いつき、追い越せ」という後発国効果もあって世界第二位の経済大国として復活した。それがバブル崩壊以後、BRICs(=Brazil, Russia, India, China)や韓国などの新興国の追い上げを受け、85年のプラザ合意による円高もあってコスト競争力が失われ、長い「失われた10年」が「20年」「30年」になり、世界での例を見ない長期低迷期が続く事態に陥ル、という経緯をたどった。

 その長期低迷状態からの脱皮を目指して、日本は、再度コスト競争力を回復して国際競争に打ち勝つことを目指してた。そのための国内の高コスト体質を打破するとして生産の海外シフトや賃金コスト削減を強引に追い求めることになった。そのために、国内では終身雇用・年功賃金・企業内組合という日本的労使関係の再編をすすめ、派遣労働など非正規化を拡大してくことで、先進国や新興国との競争に向かった。結果的に、日本だけが継続的に賃金が下落し、GDPも伸び悩むほか、他の競争力も軒並み後退させることになった。

 日本経済がこうした経緯をたどってきたのは、不均等発展という世界経済の必然性の一つの表れでもある。マネー資本主義が世界に拡がるいま、本来ならば一端立ち止まって、利潤至上主義、競争至上主義、成長至上主義、企業中心主義を見直して、協同原理にもとづく協同社会へと方向転換すべきだったのだ。中長期的には、協同原理、協同社会への変革こそが時代が求めている将来像なのだが、私たちの力不足もあって、そうした運動・闘いを拡げていくことができなかったということだろう。

◆「自律・自闘・連帯」

 安倍首相の病気退陣と菅内閣の発足で、両内閣と自民党の支持率が急上昇した。「安倍政権を評価する」が71%、「評価しない」が28%だった(朝日新聞)。自民党への支持は、30%から40%へと10%も増えた。同情票とご祝儀相場だそうだ。また菅内閣の支持率は65%だという。そんなに簡単に内閣支持率が急上昇するのはなぜなのか。

 繰り返しになるが安倍政権の性格は、経済へのテコ入れで有権者をつなぎ止め、他方で、戦前回帰型の軍事・国家優先型の安倍カラーの政策を実現したことだ。

 安倍政治と対抗すべき野党はといえば、保守本流を標榜する野党第一党が政権交代可能な保守二党制の立場に止まっていては、安倍政治をラジカルな対抗路線で追い詰めることはできるはずもなかった。

 なぜそうなるのか。それは政権と有権者の間に何もない状態、中間組織の縮小・解体で、国民・有権者が身の回りの組織や集団に参加したり関わることが細った状態のまま、政権に向かい合う状態が進んだことが大きい。

 結果的に、私たち労働者をはじめとした国民・有権者が、個々人がバラバラにされた環境で、中央政治の展開を見物するという関係に陥いるという、いはば典型的な劇場政治が再現されたとしか言い様がない。要するに、観客民主主義だ。

 加えれば、安倍政権への支持率が相対的に高かった若年層有権者。30才代も支持率が高い傾向があったが、18~29才代も最も高かった。そうした若年層有権者は、上の世代に就職氷河期世代が存在した。バブル経済がはじけた後の就職期を迎えた就職氷河期世代=ロストジェネレーション世代は、バブル景気の残像が残る世代だったが、その下の世代は「失われた20年、30年」時代しか知らず、上の世代が就職や家庭づくりで苦労したことを見ながら成長した。なので、アベノミクスのもとで、職種や雇用形態で選り好みしない限りなんとか雇用に有り付け、今日の生活を維持できる限りで現状維持を望み、それを支えてきたアベノミクスやその安倍政権を支持する傾向があるのだろう。

 繰り返しになるが、菅首相は「自助・共助・公助」だと言った。思い起こせば、かつて私が自分たちの労働組合の旗印に掲げたのは「自律・自闘・連帯」だった。生活防衛や将来的な目標を追い求めてまず自らが自主的・主体的にものを考え、自分たちで行動を起こし闘うこと、そして多くの闘う仲間と連携し、要求を闘いとり、中長期的な目標に接近する、という、自分たちの姿勢を表した標語だったように思う。

 菅内閣や自民党への支持率が急上昇しているいま、早期の解散・総選挙が持ち上がっている。そうした場面も含め、大きな目標を見据え、目の前の目的実現のために足下から闘いを起こし、周囲の仲間と連帯してより大きな目標を実現する闘いを拡げていきたい。(廣)案内へ戻る


 読書室  斎藤幸平氏著『人新世の「資本論」』集英社新書2020年9月刊

※※ 最新のマルクス研究の成果を踏まえて気候変動と資本主義の関係を分析する中で、「持続可能で公正な社会」を実現するための唯一の選択肢が晩年のマルクスの到達点である脱成長コミュニズムであり、それこそが「人新世」の危機を乗り越えるための最善の道だと確信した、若き俊才・斎藤氏が広汎な読者に問うための初の新書刊行である ※※

 現在、各書店でも噂の『半沢直樹』に次ぐベストセラーだとのこと。当然である。日本社会の行き詰まりが今まさになんらかの打開策を要求しているからだ。

 斎藤幸平氏と言えば、英語版出版で2018年度ドイッチャー記念賞を日本人で初めてかつ最年少受賞の俊英として知られる。その受賞作の邦訳に加えて既発表の論文を増補して改訂したものが、『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』(堀之内出版)である。そしてこの本の内容は、晩年のマルクスが残した膨大な研究ノートの読み込みによる資本主義批判と環境批判の融合から生まれる持続可能なポスト・キャピタリズムへの思考、21世紀に不可欠な理論的参照軸としてマルクスを復権させた画期的な研究書なのである。

 本書は、『大洪水の前に』の問題提起を広汎な読書層に向けて啓蒙的かつ平易な表現で伝えたもので、この点に晩年マルクスの到達点を伝えたいとする斎藤氏の強い意志がある。

 この本のタイトルにある「人新世(ひとしんせい」とは、ノーベル化学賞受賞者パウル・クルッツェンが名付けた「人類の経済活動の痕跡が地球全体を覆った時代」という意味である。本来は地質年代紀を指すものだか、現在も進行しつつある行き過ぎた資本主義が地球を破壊していることへの警鐘として、「人新世」という言葉が今、注目されている。

 実際、近年の資本主義体制の発展と地球における人口の増加に伴い、気象変動、台風の大型化、深刻化する海洋のプラスチックゴミから大気中の二酸化炭素の増加まで、地球環境に壊滅的打撃を与えている。その結果、現代社会は2つの危機に直面しているのである。

 1つ目は、「人新世」を生み出した資本主義の危機である。実際の所、際限なく利潤獲得を求める資本主義は世界中を覆い尽くした結果見事に行き詰まり、長期の経済停滞に苦しんでおり、もはやその延命のためには、直接に労働者への搾取を強めるしかないのだ。

 2つ目は、気候変動をはじめとする環境危機である。資本主義は労働者だけでなく、自然環境をも搾取しながら、発展していく。地球上での二酸化炭素排出量の増加が、経済成長と並行していることからもわかるように、地球規模での気候変動の原因は、高々ここ1世紀にも満たない、無限の経済成長をめざす現代資本主義にあることは明白であろう。

 ここで本書の構成の各章の見出しと各章の書き出しの最初の小見出しで紹介したい。

 はじめに――SDGsは「大衆のアヘン」である!
 第1章:気候変動と帝国的生活様式
 ノーベル経済学賞の罪、他
 第2章:気候ケインズ主義の限界
 グリーン・ニューディールという希望?他
 第3章:資本主義システムでの脱成長を撃つ
 経済成長から脱成長へ、他
 第4章:「人新世」のマルクス
 マルクスの復権/〈コモン〉という第三の道、他
 第5章:加速主義という現実逃避
「人新世」の資本論に向けて、他
 第6章:欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
 欠乏を生んでいるのは資本主義、他
 第7章:脱成長コミュニズムが世界を救う
 コロナ禍も「人新世」の産物、他
 第8章 気候正義という「梃子」
 マルクスの「レンズ」で読み解く実践、他
 おわりに――歴史を終わらせないために

 現在、国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)のように気候変動の解決に取り組む動きや個人も行動を始まっている。だがエコバッグやマイボトルを持ち歩くといった程度の変革では意味がない。SDGsも百害あって一利なし。「自分は温暖化対策につながることをしている」という自己満足に陥るだけ、つまり「大衆のアヘン」として現実から目を背ける免罪符として機能しているだけだ。斎藤氏によれば、今本当に必要なのは「拡大と成長」を大前提とする資本主義というシステムの変革に大胆に挑むことなのである。

 多くの人々は、資本主義の下でテクノロジーを発展させ、二酸化炭素排出量の削減を実行することにより気候変動が止まれば万々歳と考える。だが現実には無理だ。なぜなら無限の経済成長を追い求めながら、二酸化炭素排出量を確実に減らすなどできないからだ。

 だが資本主義には自ら成長を止めることはない。常に新しい何かに投資をし、絶えず資本を増やすためには、新しい市場を作り出し、益々多くのモノを売らなければならないから。南北問題とは、結局の所資本主義の「拡大と成長」が不可避に生み出すものである。

 したがって資本主義の加速に断固として歯止めをかける以外に、この危機に対する解決策はないというのが斎藤氏の考えだ。その知恵をマルクスのコミュニズム(共産主義)思想に求めたのが、この本で示された「脱成長コミュニズム」という考え方なのである。

 そもそも今でもマルクスは生産力至上主義でヨーロッパ中心主義であるとされる。確かに初期にはそのように読めたが、『資本論』第1巻刊行後のマルクスには大転換がある。

 本書の第4章、第5章では、マルクスの本来の「コミュニズム」(共産主義)の、一般的にはソ連のイメージとは全く違う、21世紀のコミュニズムを徹底的に論じている。端的に言えば、資本主義時代の成果を基礎として協業と地球と労働によって生産された生産手段を、〈コモン〉として共同占有することで個々人的所有を再建すること、そしてコミュニズムとは、つまりは〈コモン〉を再建することだ、とマルクスは考えたのである。

 これらの章では、マルクスの研究メートを踏まえた『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』のエッセンスが縦横無尽に展開されており、まさに読ませる内容になっている。

 紙面の関係で多くを語れないのが残念である。ここでは3点のみ指摘しておきたい。

 まずは1881年の「ザスーリチ宛の手紙」である。実際に送られた手紙は素っ気ないものだったが、マルクスは3回も書き直し、資本主義の段階を経ることなしにロシアはコミュニズムへ移行できる可能性があると認めた。最晩年のマルクスが単線的な歴史観から決別したことはこれで明白だ。さらに翌年に書かれた『共産党宣言』「ロシア語第二版への序文」でもこのことははっきりと誰でも再確認できる。この点に注目した先行研究にK・アンダーソンの『周縁のマルクス』がある。私の読書室でも既に取り上げている(読書室『周縁のマルクス ナショナリズム、エスニシティおよび非西洋社会について』)。だが斎藤氏はこの著作を素晴らしいものだと評価しつつも、それが凡庸な結論に映るとしたら、それは「ヨーロッパ中心主義」の棄却にしか焦点を当てていないからとする。すなわち斎藤氏はもっと踏み込み、「生産力至上主義」からの決別がもたらした理論的意義を、単に進歩の方向が単線から複線になったと言うことよりも、マルクスのコミュニズム概念が大きな深まりを見せることにもっと注目することが必要だと斎藤氏はするのである。

 この文脈から求められるのは、この観点からのマルクスの既成著作の再読である。

 既に1875年の『ゴータ綱領批判』には、コミュニズムでは貨幣や私的所有を増やすことをめざす私的な生産から「協同体的富」(ゲノッセンシャフトリッヒ・ライヒティウム)を共同で管理する生産に代わるとある。これは斎藤氏の本書の表現では、〈コモン〉の思想に他ならない。そしてゲノッセンシャフトリッヒとは、フランス語のアソシエーションと同義であり、ここにマルクスの到達点がある。『資本論』が完成しなかったのは、偶然ではない。マルクスは、農学者のリービッヒに物質的代謝論を学び、さらにフラースのエコロジー研究と共同体研究へとつながり、「持続可能性」に気づいたからである。

 確かにマルクスは脱成長コミュニズムを書き残してはいない。だが研究メートにはある。

 第6章では、資本主義下の欠乏とコミュニズムの潤沢さが対比的に論じられている。

 現在の「人新世」では、あらゆるものを資本主義が商品化し金儲けの手段にした結果、人々が生活する上で絶対的に必要なものまでが「単なる商品」と化してしまった。例えば水や電気や土地など。現代的なものでいえばインターネット。新型コロナウイルスで言えばマスク。感染拡大前は「儲からない」としてマスクの国内生産は減らされていた。

 本当に必要なものまで商品化された結果、私たちの生活は不安定になり、貧しくなっている。本来、生きていくために必要なものは「商品」ではなくて、誰もがアクセスできる「共有財産」にすべきものであり、斎藤氏の本ではそれらを〈コモン〉と呼んでいる。

 斎藤氏が展開しているコミュニズムとは、共産主義革命を起こそうという話ではないし、ソ連や中国のような国家統制を目指すものでもない。本来、「商品」として市場に委ねるべきではないものを、〈コモン〉として自分たちの手に取り戻していこうとするものだ。

 第7章で詳しく紹介されているが、すでに〈コモン〉を取り戻す試みはいろいろな形で存在する。例えば「市民電力」である。東京電力に依存しなくても、自分たちで太陽光パネルを共同出資して地域で電気を管理すればいい。またコロナ感染で閉所された世田谷区の保育所の自主管理他の例の紹介もされている。このように〈コモン〉を広げていった先に私たちを待っているものが、注目すべき新しい21世紀のコミュニズムなのである。

 資本の無限の膨張に歯止めをかけて、経済をスローダウンし、庶民の生活と自然環境を優先する社会に大転換する。資本が生み出す欠乏や破壊から脱却すれば、私たちの生活は現在より豊かなものになるのであり、豊かさと経済のスローダウンは両立するのである。

 逆にそうしなければ、地球規模での気候変動などの環境危機は悪化し、南北問題等の不平等や経済格差が深刻化して、社会秩序も乱れ、社会はさらに野蛮化してゆくだけだ。

 斎藤氏は、「目先のエコ」に捕らわれるのではなく、世界はもっと大きな変革の必要性に直面しているのだという視点を、この本を刊行することで共有したいと考えている。

 資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明にその後の繁栄などありうるのか。その解答は、斎藤氏が立派に答えていると私は考える。そしてヒントは、斎藤氏が発掘した晩期マルクスの研究メートの中に眠っていたのである。

 旧来の「マルクス主義」者は脱成長など正気かと言うだろう。現にれいわ新選組のブレーンの一人でもある松尾匡氏らは、『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう―レフト3・0の政治経済学』を出版して、反緊縮の経済政策を打ち出して実に意気軒昂である。

 しかし斎藤氏はこの「人新世」の危機を乗り越えるには、晩年のマルクスの〈コモン〉の再建による「脱成長」の到達点こそが最善の道だとして、本書を書いたのである。

 資本主義と気候変動の問題に関心を持つ3・5%の人の決起にこそ今後の希望がある。

 まさに後生畏るべしとは、この斎藤氏を形容するのために発せられた言葉ではないか。

 読者の皆様へは、この本の刊行を機会に是非ご一読をお薦めしたいと考える。 (直木)案内へ戻る


 何でも紹介欄   ベーシックインカムをめぐる積極論と慎重論

 新型コロナの特別給付金の支給をきっかけに「ベーシックインカム」をめぐる論議が改めて活発化しています。

 これまでの社会政策における給付金制度は、様々な事情により、労基法の休業手当・休業保障、雇用保険の失業給付(基本手当)や育児・介護休業給付、健康保険の傷病手当金や出産手当金、労災保険の休業補償給付、公的年金保険の老齢給付や障害給付、生活保護制度の各種扶助(生活・医療・教育・住宅・介護・出産等)、児童手当法の給付などが支給されるしくみになっていますが、労働の実績や資産・所得などに左右される問題があります。

 これに対してベーシックインカムは「すべての人に、個人単位で、資力調査や労働要件を課さずに無条件で給付されるお金」として注目されています。すでに諸外国では部分的に試行されています。

 しかしながらベーシックインカムの現実的制度化については、財源のあり方や既存の社会保障制度との整合性、労使関係や賃金制度への影響などの観点から、様々な課題や異論も出されています。そこでベーシックインカムをめぐる積極論と慎重論を検討してみる必要があると思われ、以下の二冊をご紹介します。

●『世界9』「特集1、ベーシックインカム、序章」(岩波書店)

 「ベーシックインカムを日本で導入しようというなら」で、 今野晴貴氏は欧州で提唱されているベーシックインカムを安易に日本に、そのまま導入することの問題点について警告しています。欧州に比べて日本では「二つの前提」が欠けていると指摘します。

 第一に、欧州の福祉国家制度のもとでは、医療や教育などの現物給付(ベーシックサービス)が確立されており、その上での現金給付は、それなりの効果が期待できるのに対し、日本では国家による現物支給(ベーシックサービス)は極めて脆弱で、企業内福利厚生や個人の生命保険と特約に依存しているため、ベーシックインカムは特に非正規労働者には不利な効果をもたらしかねないことです。

 第二に、欧州のように産業別労働組合を基盤とした「同一労働同一賃金」が確立している状況に比べて日本では企業別労使関係のもと職能型賃金制度により労働者間の格差が大きく、非正規労働者の低賃金や無権利状態がまかり通っており、これを放置したままでの現金給付は、使用者による不当な賃金諸手当の切り下げの口実になりかねないことです。

 実際にコロナ危機下の労働相談で「特別給付金を理由に賃金諸手当を削減された」という訴えが寄せられたと言います。 労働運動の強化こそが急がれることを強調しています。

 他方「連帯経済としてのベーシックインカム」で、山森亮氏はブラジルやスペインの実践例から、ベーシックインカムは様々な連帯経済(地域通貨、マイクロクレジット、フェアトレード、消費協同組合、労働者協同組合)と結合してこそ意味があると述べています。

 また「可視化されたベーシックインカムの可能性」で、本田浩邦氏はアメリカやヨーロッパのコロナ給付金やベーシックインカムの部分的導入の諸事例を紹介したうえで、従来のケインズ主義的な完全雇用政策が限界に直面していると指摘し、ベーシックインカムの歴史的背景を説明します。

 このように、論者によって力点の置き方は様々ですが、いずれにせよベーシックインカムについて論議するときには、社会保障制度で十分な現物支給(ベーシックサービス)が確立されているか?産業別労働組合を基盤とした同一労働同一賃金が確立しているか?欧州と日本との制度の違いを踏まえる必要があると言えるでしょう。

●『ベーシックインカムを問い直す その現実と可能性』佐々木隆治・志賀信夫編著(法律文化社)

 より深く問題点を考察するには、この本が適当と考えられます。今回は目次のみの紹介に留めます。

「労働の視点から見たベーシックインカム論・なぜ「BI+AI論」が危険なのか」今野晴貴
「貧困問題とベーシックインカム」藤田孝典
「ベーシックインカムはジェンダー平等の切り札か・「癒しの道具」にさせないために」竹信美恵子
「財政とベーシックインカム」井手英策
「ドイツにおけるベーシックインカム」森周子
「フランスにおけるベーシックインカム」小澤裕香
「スイスにおけるベーシックインカム」小谷英生
「韓国におけるベーシックインカム」孔栄鐘
「ベーシックインカムと制度・政策」森周子
「ベーシックインカムと自由・貧困問題との関連から考える」志賀信夫
「ベーシックインカムと資本主義システム」佐々木隆治

 以上二冊の他にも新書サイズの解説本が、いくつか出ていますので、参考とされることをお勧めします。(松本誠也)案内へ戻る


 シリーズ「小さな旅」(第5回)ドキュメンタリー映画「岸辺の杙(くい)」の紹介

 今回はこれまでのハンセン病療養所の紹介ではなく、沖縄の名護で映画制作を続けている「じんぶん企画」の輿石正監督がハンセン病の在日韓国人作家の崔南龍(チェ・ナムヨン)さんの生涯を描いた105分の長編ドキュメンタリー映画「岸辺の杙」を紹介する。

 輿石監督は、これまでも名護市民として辺野古の闘いを取り上げた「泥の花」(名護市民・辺野古の記録)、「辺野古不合意」(名護の14年とその未来へ)、「金城祐治さん」(辺野古「命を守る会」の根もとには)等の作品。また、「シバサシ」(1970年代の反CTS闘争)、「10年後の空へ」(OKINAWAとフクシマ)、「未決・沖縄戦」(沖縄戦の未決が沖縄に日本にそしてアジアに問いかける)等の作品を作り続けてきた。

 今回の作品「岸辺の杙」紹介の欄に輿石監督は次のように書いている。

 「1931年2月26日、神戸の朝鮮人集落で生まれた崔南龍。2013年岡山県瀬戸内のハンセン病療養所・邑久光明園で私は、初めて崔さんに会った。眼は完全に光を失っていた。このドキュメンタリー映画を完成させるのには7年かかった。その大半は私の自業自得の死骸で埋めつくされている。それでも制作をやめなかったのはなぜだったか。『らい』からの問いは、静かで重い・・・」。

 輿石監督自身がこの映画のナレーションを務め、「ハンセン病という語句を意図的に避けて、『らい』という言葉にこだわっている。それはハンセン病というと言葉の実態がない、すり抜けていく。国家政策で隔離された痛みや歴史、国家の加害性をうやむやにしたくないとの思いからだ」と述べている。

 さらに、「崔南龍さんに対して、何度も立ちはだかる日本の差別の歴史が画面に写し出される。象徴的な事例として、国民年金制度では日本国籍の患者には福祉年金の受給資格を与えられたが、韓国籍の崔南龍さんは外国人として対象外にされた。外国人登録証明書への指紋押なつを巡っても、在日韓国人には押なつを拒否する人もいた中、日本政府は崔南龍さんの指が曲がり、感覚がないため押なつは無理と決めつけた。押なつを『拒否する権利』すら与えなかった」と延べている。

 輿石監督は「差別の中にある、もう一つ奥の差別を浮き彫りにしたかった。生きる上で差別がある。この不条理さを諦めるのではなく、考えることだ。一人一人が考えることが大事ではないか」と私たちに問い掛けている。

 この映画を観てから私も崔南龍さんの作品を地元の県立図書館で見つけ読み始めた。

 一番参考になった本が「一枚の切符」<あるハンセン病者のいのちの綴り方>(みすず書房/2017年発行)である。この本で孫和代さんが「著者・崔南龍が歩んできた道」を書いている。この本を読みこの「一枚の切符」とは何か?を知ってほしい。

 「崔南龍は1931年神戸生まれの在日韓国人2世。幼児の時、家庭の事情で植民地下の朝鮮へ渡って父の実家で暮らすが一家離散、1年後に父が働く神戸に戻る。新たな生活を始めたが、1941年小学生3年生の頃にハンセン病を発病。その年に父が自死。孤児となり1941年7月15日、10歳で岡山県のハンセン病療養所邑久光明園に入園。患者病歴番号764号、南竜一と名付けられた。

 その後、療養しながら園内の無認可の光明学園で学び、のち、邑久町立藻掛小学校第3分校に編入し、繰り上げ卒業する。さらに、光明園の青年教育と文芸活動である創作会「島影クラブ」の会員となり、1948年17歳で初めて書いた短編、父の死を描いた『黴(かび)』を園の機関誌に発表して高く評価される。1957年頃から作家・木島始氏の指導を受け、園外でも『黒いみの虫』が『文芸首都』で佳作として紹介される。それは書く意欲と自信につながり、その後青年団団員と共に機関誌「青年」を編集・発行していく。

 1959年の国民年金法による障害福祉年金から除外された在日韓国・朝鮮人への年金支給要求運動のなかで、1961年62年在日療友とともに生活記録集『孤島』をガリ版で発行。ハンセン病患者が隔離法廷で死刑となった「菊池事件」への再審請求や、在日外国人の指紋押なつ問題で独自の立場をつらぬき、ハンセン病胎児標本問題をめぐる運動にも影響を与える。

 2006年『大和高田から天安へ/恨(ハン)百年』」が第32回部落解放文学賞・記録文学部門(選者・鎌田慧)で佳作を受賞。2013年に視力を失うが、なおも光明園にあってかつてのハンセン病療養所の情景を口述筆記で記録するが、2017年8月死去。

 著書として、2002年『猫を喰った話/ハンセン病を生きて』(「崔龍一」名義/解放出版社)、2006年『崔南龍写真帖・島の65年/ハンセン病療養所邑久光明園から』(解放出版社)、2007年編著書『孤島/在日韓国・朝鮮人ハンセン病療養者生活記録』(解放出版社)、2017年『一枚の切符/あるハンセン病者のいのちの綴り方』(みすず書房)等がある。」

 なお、ドキュメンタリー映画「岸辺の杙(くい)」の購入申込みは、下記のところに連絡して下さい。(富田英司)

 ★DVDの販売について
  ・県内外送料込みで1枚/3300円(税込み)
  ・申込先 (じんぶん企画)jinbun@edic-121.co.jp案内へ戻る


 コラムの窓・・・コロナが来た夏!

 長雨・豪雨のつゆが過ぎたら酷暑の夏。記録的降雨の次は記録的高温、それに追い打ちをかける記録的大型台風。この激した季節のうつろいは何によるのだろうか。それに降って湧いたようなコロナ禍が加わり、一層の禍禍しさを覚える夏でした。

 そのコロナ禍であちこちの集まりがなくなり、映画館も休館とあっては、出かけることもあまりない日々が続きました。そうそう、裁判所まで休廷となり、やっと開廷したと思ったら傍聴制限で抽選漏れ、出かける意欲を削がれてしまいます。

 必然的に自宅で読書の日々が増えましたが、一方で雨の日も日照りの日もごみ収集や郵便配達の労働者が毎日のようにやってきます。リモートなどとは縁遠い、現業の仕事がそこにあります。年金生活の身であれば、雨が降れば出かけるのはよそう、用事はあるけど日が陰ってからに出かけよう、と私は日和見的に日を過ごすこともできます。

 しかし、今を働いている人々はそうは出来ません。私も子育ての時期には雨の日も雪の日も、汗にまみれてもヘルメットをかぶって郵便を配達した日々がありました。それが辛かったかというと、その時はそうでもなかったように思います。それなりの役割があり、その役割を果たすことが苦になることはないのでしょう。

 だけど今となっては、郵便配達のようなきつい仕事は1日と持たないように思います。その仕事はどんどん厳しくなっているように見え、彼らがそれに耐えて仕事をしているのをみると、よく頑張っていると励ましたくなります。なのに、マスクをしないで郵便配達をしていると郵便局に通報してくる人がいるとか。

 さて、そのコロナが兵庫県にやってきたのが3月1日、西宮市在住という報道があり、わが町にコロナがという軽い衝撃でした。その後はあわただしく学校が休みとなり、公的施設も閉鎖となり、いくつもの集会が開催不能に。あたりには活動停止という重苦しい空気が漂いましたが、出来ることは続けてきた日々でした。

 そして9月6日、5月開催を断念した「老朽原発動かすな!大集会」が大阪・うつぼ公園で開催され、1600人の参加者がコロナ禍を吹き飛ばし集まり、御堂筋デモも行われたのです。久々にはじけた感がみなぎった集会とデモでした。

 そのターゲットは関電美浜原発3号機と高浜原発1・2号機、何としても40年越えの再稼働は阻止しようという思いが集まったものです。3・11以降に再稼働した原発は関電4基、九電4基、中国電1基ですが、8月に稼働していたのは5基のみで、とりわけ伊方原発3号機は定期点検と仮処分で止まっています。

 安倍前首相が執心にした原発輸出、日立が英国での原発新設計画からの撤退方針を固めたことで完全に破綻しました。

 この建設計画は日立の英原発子会社「ホライズン・ニュークリア・パワー」が手がけるもの。安全対策の強化などで事業費が当初予定の2兆円から1.5倍の3兆円規模に膨んでいました。

 菅新首相は安倍路線継承のようですが、病気を口実に投げ出した安倍さんの尻拭いができるのか、お手並みを拝見しましょう。(晴)案内へ戻る
 
 誰もが幸せに生きる社会を作り出すために。生活保障と闘いを!

★いつも犠牲は労働者に!

 厚生労働省は9月24日、新型コロナウィルスの影響で解雇や雇い止め(見込みも含む)に合った人は23日時点で6万439人になって、業種別(18日時点)では飲食業が前週から2278人と大幅に増えて9814人となり、初めて最多になり、製造業が9561人、小売業が8526人、宿泊業が7818人になっていると発表した。

 解雇や雇い止めが新型コロナウイルスの影響で増えていると言うが、密閉、密集、密接の“三密”を避けた影響が多数出る産業だけではなく、製造業にまで含めた全産業下で行われていると言うことは、コロナ過自粛による一過性の経済不況ではなく、根本的には現代資本主義経済が行き詰まりつつあり、本質的な経済停滞がコロナ過によって表面化したと言うことであろう。

 資本主義経済社会では利潤追求意欲の為に、労働者を搾取・収奪することによって飽くなきは生産過剰を発生させ経済停滞をもたらす。労働者は搾取収奪された上に、その経済的停滞を乗り切るために、更に、“首切り”“雇い止め”等で犠牲を強いられるのである。

★解雇には断固とした労働者の闘いで!

 労働契約法第十六条に「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」とあります。

 「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」には、無闇に解雇は出来ないことになっていますが、経営側は●業務上地位を利用した犯罪行為●会社の名誉を著しく害する重大な犯罪行為●重大な経歴詐称●長期間の無断欠勤●重大なセクシャルハラスメント、パワーハラスメント●減給などの懲戒処分を受けても同様の行為を繰り返す等、「就業規則違反」(懲戒解雇の事由として認められるようなケース)を持ち出したりして解雇を正当化しています。

 又非正規という一時的雇用形態を常態化しておき、正規労働者と同じ仕事をしているのに差別化し、雇い止めしやすくした身分制度を作り上げました。

 経営者側のこうした法をかいくぐったやり方には、個人的な反発抵抗や法を盾にした法廷闘争だけでは不十分です。

 同じ境遇を理解し共に闘う仲間の団結した組織的な闘いが必要。

★衣・食・住等生きる為の保証を。

 菅義偉首相は「自助、共助、公助の国づくり」を表明し、首相の“真意”とはかけ離れた「自己責任?」「責任逃れ」などと批判を浴びたが、それほど「共助・公助」を実施してこなかったからこそ浴びせられた批判だったのだ。

 コロナ過で出されたいろいろな給付金は手続きに手間取り、一時的でその場しのぎに過ぎなく生活の永久的保障にはなっていない。

 一生涯、衣・食・住等生きる為の生活保障がある社会を目指そう!(光)


 色鉛筆・・・住民投票否決されるが、庁舎移転予算は白紙へ、

 私が住んでいる街で、津波浸水想定区域に清水庁舎と桜ヶ丘病院を移転する計画が起こり、本誌608号(2020年7月1日)に報告したがその後を報告したい。

 私たちは「静岡住民投票の会」を立ち上げ、「庁舎移転は住民投票で決めよう」と住民投票を求める署名活動を行い6月に55635筆の署名簿を選挙管理員会に提出した。
 住民投票の署名は普通の署名と違い地方自治法に定められたルールがあり大変な作業だった。まず署名を集める人が受任者になって自分の署名簿に署名を集めるのだが、同じ区の18歳以上の有権者であることや日付順で住所・氏名・生年月日・押印を直筆でなければ無効になるというのだ。
 運動を進める私たちもこのルールを理解するのに戸惑いながら署名を集めたが、ルールを無視して集める人やルールがおかしいという人もいたりして試行錯誤をしながら55635筆集めた。だが、選挙管理委員会の審査結果で無効署名数が3335筆もあって有効署名数は52300筆になった。普通の署名と違って住民投票のルールが余りにも厳しいのは集めにくくするためだと思わざるを得なかった。

 そして、7月13日「住民投票条例の書類」と「署名簿」を市長に提出した。私たちは今まで市長との面会を何度も求めたが実現しなく署名活動を開始したのだが、今回もはじめ市長は署名簿を受け取ることも拒否したのだから呆れてしまう。自分と意見の違う人たちと会うことができない小心者のではないかと思う。私たちが再三要求してやっと『5分だけ市長が対応』という返事で当日を迎えたが、受け取るだけで市長とのやりとりはなく、市民の声を聞こうとしない市長だった。

 それから私たちは、8月の臨時市議会にむけてこれまでの活動報告や市議会採決の日程案内等を載せたチラシを作成して配布したり、市議会議員へアンケートを行ったり直接会いに行った。会うことや話しをすることを拒否する人や話しをしても『個人的には疑問を持っていても会派で決まっている』と言い、会派のしがらみに縛られて何も言えない議員が多いことか分かりがっかりしてしまった。

 その後市長は住民投票条例案に反対の意向を示し、『タウンミーティングや市民アンケート、パブリックコメントなどで市民意見を集約した』と意見書を議会に提出した。なんと自分たちの都合のいいことを一方的にやっただけで市民意見を集約したとよく言えるものだ。さらに私たちとは1回も話し合わないのに『市民に丁寧に説明した』と嘘八百を並べている。市長の説明責任が不十分だから住民の意思を確認するために住民投票を求めたのだ。

そして、8月4日臨時市議会の総務委員会が開かれ、自民党、志政会、公明党の与党3会派が庁舎移転に市民意見は反映されているとして条例案に反対し、創生静岡、共産党、みどりの党は住民投票を実施すべきとの立場で条例案に賛成した。審査の冒頭私たちの代表が「庁舎移転は市民理解を得られていない」等と意見陳述をしたが、市は『十二分に市民意見を集約した』と従来の主張を繰り返すだけで議論は深まらず、多数派の与党3会派が追認して否決されてしまった。7日の本会議でも条例案に賛成8、反対36で否決されたが、その本会議で賛成した3会派の代表が条例案を採択すべきと主張したが反対派からは1人の反対演説もなかった。反対ならば正々堂々と意見を述べて市民に説明するのが議員の仕事でないかと思う。

 残念ながら住民投票は否決されてしまったが、私たちはこうした無責任な市長や多数派の与党3会派の議員たちを許すことができないと「市長のリコール運動」や「市議選(3月19日告示28日投票)の候補者擁立」を今後の運動課題としていくことを確認し合った。

 するとなんと8月22日の静岡新聞の一面に「清水庁舎移転予算白紙へ」という見出しに驚いた。市は昨年9月議会で庁舎移転の予算を94億円計上していたがその予算を白紙にするというのだ。

 市長は5月にコロナ対策を優先するとして事業の凍結を表明し、9月に方向性を示すとしていたが、予算を白紙にするという事だったのだ。

 凍結した時からこのストーリーができていたのだろう。ならば私たち市民に寄り添って話しをする市長であって欲しかったと思うが、庁舎移転に反対の市民とは怖くて会えなかったのだろう。

 否決されてからわずか2週間で「予算白紙へ」というニュースを聞いて仲間たちと喜びあって、住民投票の実現を目指した「静岡住民投票の会」は解散することになった。

 しかし、移転予算は白紙になっても中止ではなく移転計画は残ったままなので、仲間たちとこれからも市政に対して目を光らせていきたい。(美)9月23日記

 川柳 作 ジョージ石井

値上げして割引と言う餌を撒く
森友へ公僕自死の反旗振る(題「旗」)
イージスの御託並べる再軍備(「並」)
幕閉じる老舗コロナの人泣かせ(「幕」)

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