ワーカーズ622号  2021/9/1  案内へ戻る

 資本の体制の行き詰まりを示す気候危機と利潤率の低下
 いまこそ経済社会システムの根本的転換がめざされるべき


 今年の日本の夏は異常な暑さが続いた。世界の各所で洪水が起き、熱波や山火事が多発した。まさに異常気象と呼ぶべき事態だが、これもヒトがつくりだしたもの。私たちが生きる地質年代が「人新世」と呼ばれるのは、まさに必然だ。「利潤のための生産」は利潤以外には制限を知らない生産、つまり「生産のための生産」のシステムだ。これが今の気候危機を生じさせた元凶だ。

 そしてこのシステムは、もうひとつの機制からも、自らが生み出した壁にぶち当たる。システムに内在する、「利潤率の傾向的低下」という恐ろしい事態の現実化だ。新たな投資をしても、資本として成り立つだけの利潤が得られにくいという、資本にとっての本質的な自己矛盾。致命的な自己否定。

 かたや、気候危機という地球環境の不可逆的な破壊とかく乱。他方では、利潤率の趨勢的低下。さて資本はこの二つの断崖絶壁をどう乗り越えるのか。

 気候危機に対しては、「カーボンニュートラル」「グリーンニューディール」と言葉だけは達者だが、実際には現実解を得られない。豪雨、洪水、熱波、干ばつ、気候移民、気候紛争等々は、資本の順当な再生産の条件を脅かしつつあるが、資本自身はそれを解決できない。

 利潤率の低下に対しては、搾取を巡る競争の徹底化、グローバリゼイション、軍拡と戦争、金融化、ブロック化、IT化などを進めて打開を図ろうとしてきたが、成功していない。いずれも、強大国と強大資本が、相対的に小さくなりつつある利潤を自分たちのもとに囲い込もうとする、後ろ向きの試みでしかないから、格差と貧困を激化させるばかりだ。

 資本にとっての今の流行りはAIやIoTなどIT化の徹底だ。人類の目の前には多様な科学技術の発展の道があるが、先細りやせ細る利潤を、個々の企業のもとに囲い込み、総取りをするに適した技術だけを選好して極大化させようとしている。その典型がプラットフォーム大独占企業の隆盛と発展。その下では、格差・貧困、社会分裂などは深まらざるを得ない。つまりは利潤率の傾向的低下の宿命からも脱することができそうにない。

 そもそも、気候危機と利潤率の低下という二つの断崖絶壁は、資本自身が自ら生み出したものなのだから、資本という現象が解消されない以上は、無くならないのは子どもにも分かる道理だ。

 気候危機、利潤率低下がもたらす社会の軋みと崩壊の予兆に直面して、では私たちはどうするのか。残されているのは、新しい経済社会システムに向けて大きく舵を切る選択以外にないことは明らかだ。阿部治正


 菅自民党の足下からの大激動となった横浜市長選挙総括と今後の課題

大混戦の中での山中氏の圧勝

 八月二十二日に行われた横浜市長選において、菅総理が全面応援した小此木候補がほとんど政治的には無名に等しい立憲民主党推薦の新人候補者・山中氏に大敗したのである。

 一方の小此木氏は、故此木彦三郎衆院議員の三男坊主で、菅総理は若い頃、故小此木議員の秘書の関係にあった。しかも小此木氏は、国家公安委員長と兼任の防災担当大臣の現職を辞任しての立候補だったのである。他方の大勝した山中氏は、横浜市大学教授とは言えでほとんど政治的には無名の人物だったのだから、まさに大敗だといえるに違いない。

 この市長選に立候補したのは、届け出順に元市議の太田正孝氏(75)、元長野県知事で作家の田中康夫氏(65)、前国家公安委員長で元衆院議員の小此木八郎氏(56)、水産仲卸業社長の坪倉良和氏(70)、元衆院議員の福田峰之氏(57)、元横浜市立大教授の山中竹春氏(48)=立憲民主党推薦、現職の林文子氏(75)、前神奈川県知事で元参院議員の松沢成文氏(63)の八氏で、当初の十人からに二人の辞退者が出た。

 八月八日の告示以降、横浜港・山下埠頭へのカジノを含む統合型リゾート施設(IR)誘致の是非や新型コロナウイルス感染症対策などを巡って舌戦を繰り広げた。IR誘致は林、福田の二氏が賛成、他の六氏、つまり山中、小此木も反対の立場を取ったのである。

 八月七日現在の市内の有権者数は、四年前の前回選挙時比較で3万679人増え、314万67人(男155万148人、女158万9919人)。投票率は午後9時51分確定で49・05%と発表され、前回をなんと11・84ポイントも上回り、今回の横浜市長選挙への横浜市の有権者の関心の高さが国政選挙並みだと、如実に示されたのである。

 得票数と得票率は下記の通り。
山中 竹春氏 五0六,三九二 三三.五九
小此木八郎氏 三二五,九四七 二一.六二
林 文子氏 一九六,九二六 一三.0六
田中 康夫氏 一九四,七一三 一二.九二
松沢 成文氏 一六二,二0六 一0.七六

 また横浜市内全十八区の投票所においても、鶴見区を除いて山中氏は小此木氏を上回る得票数だった。さらに言っておけば、林氏は全区において小此木氏の後陣を拝していた。

 さらに野党対自公民と維新の視点から得票率で計算すれば、山中氏と田中氏の合計が四六.五%であり、小此木氏と林氏の合計は約三四.七%と、十二%も野党側が上回る。これに維新の松沢氏の約十.八%を足しても、自公維新は野党連合に負けたのである。

小此木氏の敗因は、保守分裂と菅義偉総理のコロナ対策の拙さ

 なぜ、今回の横浜市長選挙のようなあり得ないことが実際に起きたのであろうか。また今回の横浜市長選挙における小此木氏の敗因は一体どこにあったのであろうか。しかもこの敗北で小此木氏は政界引退すると言うのだから、誰しもそれを知りたいところだろう。

 まず一番に上げられるのは、IRの可否を巡る保守の分裂でこの市長選挙に臨んだことにある。実際、小此木氏が国家公安委員長と防災特別担当大臣の重責を東京オリンピックの直前に放棄し、横浜市長選挙に立候補をしたことには衝撃が走った。しかもその時、林氏は未だ去就を明らかにしてはいなかった。だから早急な調整が必要だったのである。

 この調整がどのように行われたのか、またあったか否かも不明である。また山中氏の最大の支援者である“ハマのドン”藤木横浜港ハーバーリゾート協会会長の動きも実に不可解であった。藤木会長は、小此木彦三郎議員との親交も深く、八郎氏の名づけ親でもある。わからないこととは、告示前には「選挙は八郎が勝つんだよ」と言って憚らなかったことである。それから一転し、選挙公示後には山中氏のために各種の支援集会を開きながら、自分が行ったそれらの発言はすべて敵方を油断させるための陽動作戦だったと弁明している。だから本当のことは今の段階ではほとんど分からない。

 しかし次のことは明確だ。それまで去就を明確にしていなかった林氏が、小此木氏の立候補表明後にもし四期目の立候補に手を挙げていなければ、市長候補者の一本化が出来ており、小此木氏は当選圏内の最有力者であったことは間違いのないところであろう。まさに不可解である。結局は、菅総理が林現市長を追い詰めIRの導入をさせた後に、IRの導入がほとんど不可能になると見るや否や、林現市長や地元経済界との調整を充分図ることもなく、小此木氏にIRの導入反対の旗を振らせたことへの不信感が根底にあるのだ。

林現市長には使い捨てにされたとの虚無感のための立候補だったのではないだろうか。

 この点、人情に厚い陽性の田中角栄氏と比較して、強引さと陰性の菅総理の政治家としての資質の差異は明確だろう。しかし頼みの神通力の効力はきわめて限定的だったのだ。

 小此木氏は、横浜・自民党の市議三十六名中三十名と県議全員、さらに公明党議員も支援に回り、「自公推薦」に近い盤石の態勢だった。だが立憲民主党推薦の山中氏(共産・社民支援)と現職の林文子市長を引き離せないどころか、期日前投票で山中氏に逆転を許したという情報も流れていた。このように菅総理の強権的な全面支援がプラスになるどころか、実際には小此木氏の票を減らすマイナス要因になったようにさえ見えるのである。実際の所、小此木氏の投票数は林氏の約一.七倍。菅総理の神通力の実力は惨めなものだ。

 これまでの所、残念ながらこの調整に関しての記事は推測記事しか出てはいない。

 このような自民党の事情ではない別の大問題としては、横浜市におけるコロナ対策の無策がなる。横浜市におけるワクチン接種者数のレベルは全国水準で低いし、日々のマスコミのコロナ感染情報は、それが小此木候補の拒否と一体のものとして機能したのである。

 こうして小此木氏への菅首相の全面支援により、支援すればするほど「カジノ誘致」が最大の争点だったはずの横浜市長選が、菅政権についての評価を問うものにもなってきた。

 多くの横浜市民は、今、コロナ怖いの共同幻想の虜になっている。罹病後の死亡率を考えれば感染症の一種なのだ。ショックドクトリンにより、多くの横浜市民はコロナ禍の第五波(感染爆発)の最大の原因は、菅総理にあると考えている。全日本国民の七割が反対していたコロナ禍での五輪強行に突っ走ったこと、さらにパラリンピックも強行している。さらに菅氏のコロナ対策は露骨に人命軽視であり、東京や横浜では医療崩壊が起きつつある中で、横浜市民は菅総理に対して今本当に怒っているのである。

横浜市長選敗北の総括が出来ない菅総理総理

 八月二十三日、菅総理は自分の地元である横浜市長選で全面支援した小此木前国家公安委員長の敗北について「大変残念な結果だ。謙虚に受け止めたい」とし、この勝敗に関しは「市民の皆さんがコロナ問題、さまざまな問題について判断された」として、争点だった政府のコロナ対応が響いた可能性を認めた。併せて「急激な感染拡大を阻止し、かつての日常を一日も早く取り戻せるように全力で取り組むことが一番大事だ」と述べつつ、改めて最優先課題との認識を示した。しかし菅総理はなぜ負けたかの総括は出来ないのだ。

 菅総理の総裁任期は九月三十日まである。総理は記者団に「時期が来れば出馬するのは当然だという考え方に変わりはない」と強調したが、今回のコロナ対応への逆風から、総理が当初描いた総裁選前の衆院解散は、たいへん困難な情勢となっていると考える。

 今回、私は階級的立場からの自主投票として山中氏に投票したが、この山中氏については問題も多い。当初立候補者の一人として手を挙げていた郷原氏が「郷原信郎が斬る」のブログで連日のように問題指摘を行っている。子細についてはこのブログを参照のこと。

 不思議なのは、山中氏を候補者にした負い目を感じるが如く立憲民主党には勝利感の発露が乏しく、逆に勝手に支援してきた共産党には高揚感が充ち満ちていることだろう。

 実際の横浜市長選挙に密着取材した横田一氏によれば、今回の選挙は藤木劇場の全面展開だったという。横浜市長は林市長だが、背後には人事を握ってきた菅総理がいるとは、藤木氏の見立てだ。要するに藤木氏と林現市長と菅総理との全面対決だったのである。

今後に残された課題―立憲民主党と共産党は態度を明確に

 今後のIR問題は、山中市長と横浜市議会の過半数を占める自公議員と横浜市の幹部官僚との闘いへとその舞台を移す。次に鋭く問われてくるのは、山中市長に必要とされる政治的な技量である。しかしここに大きな問題が潜んでいる。演説の下手さ加減は明確で意思を貫けるかも未知数だ。この点に関しては、先に上げた「郷原信郎が斬る」のブログに詳しい。是非皆様にはこのブログをご検討をお願いする。ここでは簡略に紹介しておく。

 問題点の第一は、立候補者の選定過程が明確でないことだ。その選定には神奈川県の代表である江田憲司氏が深く関わっているが、極めて不透明である。この一環として郷原氏は山中氏の経歴詐称の問題を取り上げている。ここでは詳説を避ける。しかも江田氏といえば、映画「パンケーキを毒見する」でも明確だが、彼が議員になるにあたって菅氏の世話になったことを指摘できる。だから慎重さが求められていた。拙いことに違いない。

 問題点の第二は、選挙公報で「コロナの専門家」を謳っていることがある。私も当初は医師かと考えていたが、正確にはデータサイセンティストなのである。インターネットで「山中竹晴とイソジン」と入力すれば、色々と出てくる。本人は記者会見で否定したものの、吉村府知事のイソジン発言の根拠は山中氏が作成したデータだった。これも拙いことだ。実際、「神奈川県でも新規感染者数が連日二千人を超え、ワクチン接種もなかなか進まない中、八人の候補者中、自分が唯一のコロナの専門家だと訴えていた」のである。

 問題点の第三は、横浜市大学におけるパワーハラスメント疑惑がある。これについては「郷原信郎が斬る」のブログで、その疑惑の音声が二種類もアップされているのである。

 大きくはこれらの三点から郷原氏は、山中氏と小此木氏の落選運動を展開してきた。これに対して郷原氏には殺人予告がなされ、また元共産党員の有田芳生立憲民主党参議院議員にはこの間配布された郷原文書は怪文書認定を受けたのだ。さらに福島社民党党首は記者会見において記者からの山中氏のパワーハラスメント疑惑は承知していないと述べるだけで、調査するとの一言がない。誠実な印象がある福島党首のこの対応には心底がっかりした。また共産党は言わずもがなである。

 正当で正しい指摘をする者が当事者に不利な点の指摘ゆえに、ただちに利敵行為として認定され、かつ激しく攻撃される日本の政治風土の改革がまずは必要だろう。 (直木明)案内へ戻る


 二十年にわたる「対テロ戦争」の決定的敗北 アフガニスタン 伝統的自治組織を生かし平和と社会の蘇生を

■歴史的敗北を喫した欧米日の「対テロ戦争」

 アフガンでの米軍の撤退と「アフガン政権」の消滅は、米国の世界戦略の決定的敗北を意味する。

 改めて次のことを問いただそう。あらゆるマスコミの「アフガニスタン紛争解説」で語られるのが次の点だ。タリバン政権(2001年当時)が「テロリスト」ビン・ラディンをかくまったから、米国はアフガンに攻め込んだ(そして日本はそれを支援した)・・・と、さも当たり前のように経過を語る。そうなのだろうか?

 百歩譲ってテロリストをかくまったとしても、それ故に全く罪のない民間人数万人(その一割は米国の空爆だ)、多国籍軍約三千五百人(政府とタリバンの死者はカウントされていない)の戦死者を出してしまった。このような侵略戦争を正当化することは不可能である。そもそも、その時点でビン・ラディンが9.11テロの「首謀者」である証拠は立証されたものとは言えない。米国がその後、取り調べもなくビン・ラディン(と息子)の口封じをしたので9.11事件の真実や経過はいまだに不明であり、ビン・ラディンの「犯罪」は証明されていない。つまり、米国の戦争勢力による侵攻ありきの謀略と言われてしかるべきものだ。

 米国のイラク侵攻が、「大量破壊兵器の秘匿」を根拠としたことはよく知られているが、その証拠は今に至るまで何ら発見されなかった。にもかかわらず、イラク人十数万人が死亡した。アフガンもまるで同じだ。理性ある人ならだれでも理解できることは、次の事である。糾弾されるべき犯罪者は米軍であり、その司令官であり真っ赤な嘘で戦争を引き起こしたブッシュ(息子)元大統領こそ、第一に裁かれるべきその人だ。

■中村哲が語ったアフガン民衆とタリバン

 故・中村医師はアフガニスタンについて多くのことを語った。再読すれば、カブールのガニ政権が「米軍撤退」を機に自滅した今回の事情がよくわかる。2002年の日経新聞とのインタビュー記事「恐怖政治は虚、真の支援を」より以下要点を記す。

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 (中村医師からの引用開始)日本の報道で一番伝わってこないのが、アフガンの人々の実情です。北部同盟の動きばかりが報道されて、西側が嫌うタリバン政権下の市民の状況が正確に伝わらない。日本メディアは欧米メディアに頼りすぎている。市民は北部同盟(→カブール政権=カルザイ→ガニ政権)を受け入れない。北部同盟はカブールでタリバン以前に乱暴狼藉を働いたのに、今は正式の政権のように扱われている。彼らが自由や民主主義と言うのは、普通のアフガン市民から見るとちゃんちゃらおかしい。

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 カブールの住民の厭戦気分が今(2001年当時)のタリバン支配の根っ子にあると思います。各地域の長老会(ジルガ=伝統的自治組織)が話し合ったうえでタリバンを受け入れた。人々を力で抑えられるほどタリバンは強くありません。一方で市民は北部同盟は受け入れないでしょう。市民は武器輸送などでタリバンに協力しています。北部同盟に対しては、昔の悪い印象が非常に強いですから。タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです。タリバンはクリーンで一番血なまぐさい感じが無い政権。

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 例えば、女性が学校に行けないという点。女性に学問はいらない、という考えが基調ではあるものの、日本も少し前までそうだったのと同じです。ただ、女性の患者を診るために、女医や助産婦は必要。カブールにいる我々の47人のスタッフのうち女性は12~13人います。当然、彼女たちは学校教育を受けています。女性が通っている「隠れ学校」。表向きは取り締まるふりをしつつ、実際は黙認している。これも日本では全く知られていない。
 我々の活動については、タリバンは圧力を加えるどころか、むしろ守ってくれる。例えば井戸を掘る際、現地で意図が通じない人がいると、タリバンが間に入って安全を確保してくれているんです。難民化を食い止めることが何より重要。テロ対策という議論は、一見、説得力を持ちます。でも我々が守ろうとしているのは本当は何なのか。生命だけなら、仲良くしていれば守れます。日本がテロ対策特別措置法を作った(米軍支援を開始した)のは日本の平和イメージを破壊し非常に心配です。(中村医師の発言要約はここまで。)

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 中村医師がこのように語ってから約二十年が過ぎた。変化はあっただろう。しかし、今回のタリバンの全土掌握が、米軍撤退と同時に大きな抵抗もなく実現されたことを考えれば、民衆の支持が間違いなくタリバン側にあったことは確かだろう。中村医師のこれらの貴重な話は、今のアフガンをどう理解するべきか、彼らへの支援がどのように行われるべきかを教えている。また「中村哲が十四年にわたり雑誌『SIGHT』に語った六万字」はより詳しいので参考にしてください。

■アフガンの蘇生の道を考える

 「日本貿易振興機構(ジェトロ)」のアフガニスタン分析は以下のようなものだ。「アフガニスタンは、多民族国家である前に、マジョリティであるパシュトゥン人を構成する数十もの部族の間で部族間抗争が繰り返されてきた。対ソ連戦(1979~1989)争直前までは人口の九割が農業に従事し、各民族や部族は都市部以外では自律した社会を形成していたといわれる。」

 二十一世紀になってからもアフガンが統一的な「国民国家社会」ではないことは、常に踏まえられなければならない。しかし、「自立した社会」が抗争や武力衝突を必然化するものではない。アフガン部族の間での内紛激化がソ連や米国の帝国主義的「軍事介入や武器支援」により大規模化し、さらに各集団が武装化し匪賊化したことを指摘しなければならない。タリバンですら(反共勢力として)米国の軍事支援を当初受けていたのだ。ところがタリバンだけが当時「法と治安の守護者」として民衆の広い支持を受け台頭したのである。

 それはさておき、アフガンの人々の多様な生活と伝統的価値観、それは村落の共同体に根差す。さらに部族もあり民族も多様。この複雑で多様な社会は、部族会議や長老会議など分散的な緩やかな統治が適している。他方ではこの地域社会の伝統とイスラム教の溶け合ったものが「アフガン国民」としての共通の意識(中村医師)として育まれてきたと推測される。こうした土台の上でのみ平和と近代化がゆっくりと一緒に歩みだす。欧米的価値観でタリバン(実はアフガンの伝統的価値観)を罵ったり、西側流の「正義」や「自由」の機械的押し付けは有害無益だ。

■「女性の権利」を脅かしているのは戦争である

 「対テロ戦争」を正当化する米国サイドが持ち出す第二の論拠が「タリバンは女性を抑圧している」という問題だ。中村医師も指摘していたように、日本だってひと昔前には女性が学んだり職業に就くことを良しとはしなかった。それどころか、今でも日本などでは女性の社会的地位は低く誇れるものではない。

 いや悠久の歴史から見れば、中世~近代の女性の地位はむしろ低下した可能性がある。ここで詳細を論ずることはできないし、もちろん例外はあるが、古今東西で紛争・戦争の多発と「女性の社会的地位の低下」は連動していると指摘することはできる。

 事実、女性の普通選挙権獲得は、多くの欧米日諸国でも第二次大戦後になってからのことだ。それでもスイスでは遅く、1971年(連邦選)、1991年(地方選)のありさまだ。またカトリック教のおひざ元のバチカン市国は、今でも実現されてはいない。十九世紀の米国の文化人類学者のモルガンが、ニューヨーク州のイロクォイ族との交流のなかで女性の社会的地位の高さに驚き「(欧州社会とイロクォイ族を比較して)野蛮人はどちらだろう?」と皮肉った故事も想起してほしい。部族的社会が押しなべて女性の地位が低いと考えるのは正しくない。そしてまた西側社会=民主主義=女性の地位が高いとしてもその舞台裏も見なければならない。なぜなら戦後女性の権利が高まったのは、平和と同時に自らの運動によるものであり、そのために一貫して闘ったのは社会主義運動や労働運動であったからだ。

 少なくとも「タリバン復活で女性の地位が脅かされる」として、タリバンを攻撃したり米軍の侵略を正当化したり、また、カルザイやガニ政権を正当化することは全く誤っているだろう。

■破壊された国土から立ち去る米国の究極の身勝手

 バイデン大統領は、アフガン政権のあっけない消滅の責任を問われて次のように語った。米国は「国家建設を担うものではなかった」さらに「多くを与えたが明日のために戦う意欲を与えられなかった」と。呆れた言い草だ。腐臭ふんぷんの軍閥政権であるカブール政権を支援し傀儡政権として利用し、国土を荒廃させ、米軍空爆で少なくとも数千人の一般市民を爆殺し、アフガン社会を苦しめ百万人ともいわれる飢餓を生み出した責任は一義的に歴代の米国政府にこそある。バイデンが個人的には「アフガン介入に否定的」であったとしても大統領としての責任は継続されているはずだが、その謝罪もない。

 米国は今や「対テロ戦争」なるものを中途で投げ捨て、中国との「競争」こそ主戦場だとスタンスを変化させた。しかし、これではアフガニスタン国民や世界の市民たちの見る目は「米国は無責任」と映るしかない。事実、米国への協力者は見捨てられ、放置され失意のどん底で混乱を極めている。タリバンは彼らに恩赦を与え包摂する方針だ。

 また、タリバンの報道担当者が「今後も日本とは良好な関係を維持していきたい」(共同)と述べ、一時閉鎖した在アフガン日本大使館の早期再開に期待を示した。アフガンでの日本の非政府組織(NGO)の活動を評価した上で、大使館やNGOの職員らの「生命と財産」を保証すると報道された。日本外交は、米国追随を転換しアフガン社会復興のために、中村医師らの伝統を受け継いだ、真の支援を開始すべきだ。(アベフミアキ)案内へ戻る


 無残な敗北に終わった〝対テロ戦争〟――中東の石油支配から〝新冷戦〟へ――

 8月15日、アフガニスタンの首都がタリバンによって陥落し、ガニ大統領は国外に逃亡した。20年にわたる〝米国史上最長の戦争〟は、タリバンの復権と米国の敗走に帰着した。その結末は、アフガンでのタリバン政権の復活と親イランのシーア派政権によるイラクの誕生という、米国にとって思いもしなかったものだった。

 米国によるアフガンやイラク攻撃は、〝対テロ戦争〟や〝中東の民主化〟を掲げたが、本音は中東諸国での親米政権樹立(=属国化)による石油支配の思惑からだった。それが泥沼に陥り、今度は中国との〝新冷戦〟だという。そんな米国の身勝手な〝米国ファースト〟の惨めな結末という他はない。

 アフガンの統治はアフガン人に委ねること、その上でタリバン政権に対し、イスラム首長国ではなく、普通選挙の実施や女性差別の禁止など民主制の確立を要求を対置すべきだろう。そのためにも、構成民族の壁を越えた労働者・市民の自立した闘いが必要であり、私たちとしては、そうしたアフガンの人々を支持し、連帯していきたい。

◆敗因は覇権国=米国の独り相撲

 なぜ米軍とガニ大統領の政府軍が敗北したのか。要するに米軍やガニ政権がアフガン人民から支持されていなかったからだ。アフガン人民がタリバンを嫌い、米軍やガニ政府軍を支持していれば、タリバンの支配地域が拡大することは無いはずだ。

 実体はといえば、米軍の作戦や空爆での〝誤爆〟や無差別銃撃なども山ほど行われた。病院やモスクや赤十字施設や市民の居住地区への空爆もあった。子供や女性を含めて何万人もの民間人も巻き添えにした。家族や知人を殺された人々を中心に、反米・反政府感情が膨らむのも当然だろう。それらが対米武装攻撃に出たタリバン復活の土台になった。

 バイデン大統領は、つい先日の7月には、「タリバンが全土を支配する可能性は非常に低い」と楽観的な見方を公言していた。現実はといえば、米軍撤退が進むと同時にタリバンが各地方都市を制圧していった。が、その時点でも「アフガン軍には自らの国を守る能力がある」ともいってきた。当初、9・11かと言われていた首都攻略は、8月15の〝無血開城〟で終わった。アフガン大統領が国外逃亡して、政権が瓦解したからだった。

 なぜこんな事態が生じたのだろうか。要するに、アフガン政府軍がまともな軍隊になっていなかったからだ。アフガン政府軍の実態はといえば、主要な軍事作戦は米軍部隊が指揮し、軍用装備品の補修は米国民間軍事会社が担うなど、自立したアフガン軍が育っていない。それに、政府や政府軍の有力者の間で賄賂がはびこり、諸外国からの支援金はピンハネして賄賂として消え、30万人と言われる兵士や警察官への給料や食料も末端まで届かなかった。士気が上がるはずも無かった。

 他方で、兵士や警察官も、国民や領土を守るというより、収入目当てで政府軍に就職した意味合いが強かった。政府や政府軍への忠誠心も弱かったといわれる。

 米軍無しでは戦えない政府軍、米軍によるアフガン人の殺戮で膨れ上がる反米感情。これらがタリバンの伸張を許し、政権を明け渡す結果をもたらしたのだ。

◆〝対テロ戦争〟の勘違い

 西側諸国やメディアの多くは意図的に、9.11米国同時多発テロを全ての発端として扱ってきた。が、実際は、それ以前の1979年のソ連軍の侵攻に対し、ソ連の傀儡政権への抵抗勢力として米国がアルカイダのビンラディンにテコ入れした経緯、また、イラク・イラン戦争でイラクのフセイン政権を支援したこと、その後の湾岸戦争でのイスラム原理主義者が憤慨した米軍のサウジ駐留など、一連の中東での米国の場当たり的介入は、あまり語られていない。9.11は、その一つの帰結でもあったのだ。

 そんな経緯を無視し、9・11が全ての発端だとする見方では、悪の根源であるアルカイダやビンラディン、それをかくまうタリバン政権への〝対テロ戦争〟を主導する米国は、正義を代表するヒーローになってしまう。現に、日本のメディアの論調には、そうした視点からの報道が何の疑問もなく数多く発出されてきた。それでは、今回のタリバン政権の復活の意味するものなど、何も見えてこない。せいぜい、民主的な選挙で選ばれた正当な政権を武力で倒したテロリスト政権、ぐらいの観察しかできないのだろう。

 タリバン政権の復活によって、アフガンが再びテロ組織の温床になる、女性の人権蹂躙に逆戻りする、という見方もある。その可能性は否定できないが、現時点ではタリバンの報道担当は、「権力を独占しない」「(イスラム法の範囲内で)女性の権利を尊重する」「過激派による外国への攻撃拠点にさせない」と述べており、対外融和姿勢もほのめかしている。また政権に復帰すれば荒廃した国家の再建への諸外国からの支援金も必要になる。内戦などで国内がまた混乱するのか、いずれにしても、タリバン自体がどう振る舞うかによる。

 しかし、テロ行為・テロ組織というのは、いつの時代でも一定の背景、土壌があってはじめて生まれるものだろう。テロを生み出す温床は、昔も今も変わらない。差別や収奪による貧困、外からの侵略、圧政や迫害、それらによる閉塞感などだ。アフガンの場合、それをもたらしたのは旧ソ連の軍事侵攻や米国の介入であり、その後のアフガン戦争だった。それらへの反発が、多くのイスラム教徒を原理主義に駆り立て、ジハード戦士(ムジャヒディン)に向かわせてきた。イスラム過激派は、そうした大国による介入と破壊などへの怒りと絶望の結果であって、大国の身勝手なおごりと介入、その結果としての収奪や貧困などをなくさない限り、大国への反発とその極端な形態であるテロ行為・テロ組織は無くならない。

◆国家とは暴力支配が前提

 今回のタリバンによる首都掌握とガニ政権の瓦解を、正当な民主的選挙で成立した正当政府を武力で倒した、との批判がある。メディアでも同じ観点から批判する論調も多い。確かに、武力抵抗を繰り返したタリバンは、自爆攻撃や自動車爆弾など、時には巻き添え必至の無差別攻撃を繰り返してきた。それらに対する批判は免れない。だからといって、これまでのアフガン政府がはたして民意を正当の反映したものだと言い切れるだろうか。

 01年の米軍による空爆でタリバン政権が放逐された後、アフガン復興計画をつくるドイツでの〝ボン合意〟をもとに暫定政府や移行政府がつくられた。が、その構成は少数民族のタジク人が多く、多数派のパシュトン人の反発が拡がり、後の武力抵抗の伏線になった。むろん、ボン合意にはタリバンは排除されていた。その後、ロヤ・ジルガ(憲法を制定する大会議)が開催され、正式な大統領選挙が行われたのは、04年10月だった。

 このとき、選挙民の目の前に存在するのは、米軍と米軍が支えるカルザイ暫定大統領、それに地方に割拠する軍閥しかいなかった。一つの軍閥が政権運営ができるはずもなく、結局、3年間も暫定政府の議長(大統領)をやったカルザイしか選択肢が残されていない中での大統領選だった。かりに、米軍がアフガン攻撃を始める前に大統領選を実施していたら、タリバンのオマル師が大統領になっていたかもしれないのだ。

 これはイラク戦争でも同じだった。

 イラクで国民議会選挙が行われたのは2005年1月だ。が、抵抗勢力による武装攻撃と米軍による掃討作戦のいたちごっこが各地で続いていた前年の11月に実施された米軍によるファルージャ侵攻作戦。武装勢力と一般の民間人を多数殺害し、建物の9割が破壊され、あちこちに死体が散乱していたというその掃討作戦は、その国民議会選挙を何としても予定通り実施したいという米国の思惑が強行したものだった。

 要するに、正式な国民議会選挙は、武力によってフセイン政権や抵抗勢力を排除した上での投票だった。選挙民の眼前には、米国が主導する連合国暫定当局(CPA)と米軍傀儡の国民会議しか選択肢がなかったわけだ。

 〝国民から選ばれた正当政府〟の実態というのは、諸勢力が等しく選挙に参加した結果としての政府ではなく、このような特定勢力による武力支配の確立が確立した上での、選択肢が限られた中での選挙、要するに、既成事実の押しつけでしかなかったのだ。

 正当な民主的選挙で成立した正当政府という表面的な観察では、何も真実は見えない。国家とは《物理的暴力行使の独占》という先人の教えもある。

◆中東の石油支配から米中〝新冷戦〟へ

 米国の〝対テロ戦争〟では01年のアフガン攻撃に続き、03年にはイラク戦争に踏み切った。米軍は11年12月にイラクから完全撤退したが、米国はイラクでも手痛い失敗を重ねた。ブッシュ元大統領が北朝鮮とイランに並ぶ〝悪の枢軸〟と名指ししたスンニ派のバース党政権だったイラクで、親米政権をつくって属国化しようとしたそのイラクで、まさかの親イランのシーア派政権ができてしまったのだ。イランを孤立化させるはずが、逆にシーア派のイラン・イラク・シリアという米国の思いどうりに動かない〝非米〟国家が連なる事態を招いたわけだ。今度はそれにアフガンも加わった。

 そのイラク。91年の湾岸戦争後も、米国はイラクへの空爆を続けていたが、03年、大量破壊兵器の隠匿やアルカイダへの支援疑惑を理由にイラク戦争を開始した。

 このイラク戦争で〝ネオ・コン〟に乗っ取られたブッシュ政権は、〝中東の民主化〟を掲げていた。中東はサウジなどの王家や首長が支配する国や、フセインなどの独裁者が支配する国が多い。その〝民主化〟とは、国家改造を意味する。しかし、米国流の価値観や政治制度を武力攻撃で押しつけるのは〝征服〟でしかない。体制変革の権利は、その国の人々だけが持つものなのに、だ。米国がそれを強行すれば、民主化などとはほど遠い、親米政権を通じた〝属国造り〟にしかならない。

 湾岸戦争後、イラクの石油利権に手を伸ばしていたのは、フランスや中国、それにロシアだった。イラクの武力征服で米国がイラクの石油への支配権を確立すれば、それはフランス・中国・ロシアの利権を排除することでもある。だからフランスや中国・ロシアが〝ブッシュの戦争〟に強硬に反対したのも、石油利権抗争の一シーンでもあったわけだ。

 その石油利権、現在は、シェール・オイル、シェール・ガスの開発で石油資源の比重は下がり、結果的に〝中東〟の存在価値は小さくなっている。代わって米国がめざすのは、世界第二の経済大国で、近い将来、米国の覇権を脅かす力を秘めた中国との競争での勝利だ。〝覇権国家の地位の維持〟こそがトランプ・バイデン政権の至上命令となった。

 バイデン大統領は、アフガンからの米軍撤退期日を,一時、対テロ戦争20周年の9・11に設定した。安全かつ確実な撤収作戦よりも〝20年に及ぶ対テロ戦争を終わらせた大統領〟としての実績をアピールしたかったからだ。要するに政治的動機による撤退の決断だったわけで、現実は惨めだった。文字通りの〝敗走〟で、自らの大統領の地位への執着を優先させたことがバレてしまったからだ。

◆反省しない日本

 日本は米国の対テロ戦争にいち早く追随した。日本は01年~10年まで、米国艦船に洋上給油など支援してきた。アフガン政府にも総額で7000億円の資金援助した。またイラク戦争でも資金援助や掃海艇の派遣、陸上自衛隊の部隊もサマワに派遣した。アルカイダ支援や大量破壊兵器の保持等を理由に多国籍軍でイラク戦争も始めた。

 結局、二つの開戦理由は無かったことを後に米国も正式に認めたが、その〝対テロ戦争〟での死者は、少ない見積もりでも兵士で20万人、民間人で30万人、100万人を超えるという調査もある。〝対テロ戦争で〟これだけの人々が死んでいるというのに、その張本人である米国のブッシュ元大統領は、何のおとがめもなくバイデン大統領の就任式にものうのうと顔を出している。

 日本も同じだ。米国と一体となって対テロ戦争を担ったイギリスのブレア首相は、戦後厳しく指弾された。が、アフガン攻撃に率先して同調した小泉元首相、イラク戦争にイラク特措法を強引に成立させて戦争に加担した小泉元首相は、何の責任をとらず、なんの反省もしていない。

今回のアフガン戦争・イラク戦争を含む〝対テロ20年戦争〟に加担した歴代政権を、断固糾弾していく必要がある。

◆民衆レベルの連帯を!

 タリバンは、イスラム首長国制の国家づくりを目ざし、民主的な普通選挙を否定している。アラブ首長国連邦などと同じようなイメージなのだろうか、多民族国家と部族社会を土台とする国家形態だ。

 そのタリバンは、権力を独占しないとして、かつてのカルザイ元大統領や軍閥の一部と政権づくりで交渉しているという。権力分掌もほのめかしている。また、かつて批判が集中した女性への迫害も改めるとの姿勢も示しているが、武力で政権を倒したという経緯もあって、それがどれだけ現実の施政に反映させるか、まだ不透明だ。

 アフガンの先行き自体、いまだ不透明だ。首都の東部などで、逃亡した政府軍兵士と地元軍閥が合流し、反タリバンの武装闘争を準備している地域もあるという。武力衝突や内戦が継続する可能性もゼロではない。

 仮に政権が変わっても、私たちは新政権に抗して自分たちの生活や権利を主張するアフガンの人々を支持し、連帯していきたい。実際、この厳しい状況のさなか、アブガンの人々の首都や中部バーミヤン州では、タリバン政権に対する抗議デモも起きているという。私たちは、例えば米国によるアフガン攻撃やイラク戦争の反対して世界でデモに立ち上がった何千万人もの人々と連帯して、大国や政権に抗するアフガンやイラクの民衆と連帯していきたい。国家間対立を超えて、世界の労働者・大衆は連帯して闘うという立場を堅持したい。(廣)


 米国の隠れた戦争犠牲者

 米国による〝対テロ戦争〟としてのアフガン・イラク戦争の米軍の死者は約7000人、戦費の総額700兆円だったという。アフガン戦争だけで戦死者2000人、戦費200兆円だった。

 また米国のブラウン大学の調査では、2018年までの犠牲者が、アフガンとイラクの政府軍と警察で約11万人、武装勢力の戦闘員は両国で約11万人、民間人の死者はアフガンで3万8千人、イラクで18万~20万人だったという。

 他の調査では、民間人の犠牲者総数が50万人とも100万人を超える数字も出されており、ブラウン大学の調査はかなり控えめだ。

   ◇ ◇ ◇

 この7000人という戦死者も非常に多い。が、それと同様に深刻なのが、米国の帰還兵・退役軍人の自殺者が異常に多いことだ。その多くが屈強な青年や壮年だと思われるが、その中でPTSD(心的外傷後ストレス障害)に由来する自殺者が相当含まれているという。これは戦場での恐怖とストレス、一般市民を殺害してしまったことなどの良心の呵責によって引き起こされるといわれている。

 政府による詳細な統計はないが、退役軍人(アフガン・イラク戦争からの)の自殺者は「全米イラク・アフガニスタン帰還兵」(IAVA)によると、14年の秋2ヶ月で1日平均22人の退役軍人が自殺している。単純計算で年間8000人。その一定割合はPTSDに由来しているといわれる。また、また、10年の帰還兵の自殺者は6500人だったという、11年の日本での報道もある。

 また米退役軍人省は、イラク戦争またはアフガニスタン戦争に携わった退役軍人の最大20%が罹患していると推定している。

   ◇ ◇ ◇

 米・疾病管理及び予防センターによれば、一般国民の自殺率は10万人あたり11人。イラク戦争後は米陸軍の帰還兵は18・1人で約1・65倍、3分の2も多い。単純計算では、8000人の内、3000人を超える人がPTSDによって自殺している計算になる。単純計算で10年間で3万数千人だ。

 ブラウン大の研究チームの調査によれば、兵士・退役軍人の自殺者の実数は、両戦争期間中、3万人を超えているという。

 いずれにしても戦死者以上の犠牲者が出ていることが推測できる。米軍などに殺されたアフガンやイラクの兵士や民間人は桁違いに多いが、米国兵士の犠牲も深刻なものがある。まさに戦争行為がそれだけ過酷なものであることを物語っている。(廣)案内へ戻る


 強欲資本主義もかすむ 極限の格差社会=中国 習近平の「共同富裕論」登場の背景

■ジャック・マー失墜

 去年の秋の事である。十一月にアリババグループの子会社のアント・フィナンシャルが上場のわずか二日前に、中国当局から上場をストップされた。さらに大富豪でありアリババの総帥であるジャック・マーの「失踪」が世界に衝撃を与えた。さらに今年四月には、中国当局に史上最高額の182億2800万元(約3100億円)もの罰金を喰らった。中国で何が起きつつあるのか?

当初の見方として、アリババのジャック・マーなどを叩くことでデジタル・プラットフォームの力を削ぐこと(特に金融資本の力を削ぐこと)、また、国際的な経済人となったマーらの政治的発言(政府の金融政策批判)を弾圧するだけのものと見られた。つまり歴史的に見れば、ロシアのプーチンが、政治に口出しするまでに力をつけた新興財閥(オルガルヒ)叩きを盛んにやったことと同じに考えられた。

 ところが今年に入りそう単純でないことが次第に明らかになってきた。鄧小平の改革開放路線で掲げられた「先富論(豊かになれるものから先に豊かになる)」から「共同富裕論」に移行する、ということが言われるようになった。

■習近平の「共同富裕論」とはどのようなものか

 中央財経委員会第十回会議(八月十七日)の習演説でその一端が示された。その後、党中央機関紙人民日報が分かりやすくそれを伝えた。

 「3度の分配などの方式を通して、高収入の規範と調整を強化し、合法的な収入を保護し、過度の高収入を合理的に調整し、高収入の人々と企業にさらに多く社会還元するよう奨励する」

 「キーワードは六文字〈調高、拡中、増低〉だ。すなわち、行き過ぎた高収入を合理的に調整し、中等収入の人々の割合を拡大し、低収入の人々の収入を増加させるということだ。」

 「初回分配・再分配・三次分配の協調配分の基礎制度を構築することだ。それは中間を大きくして、両側を小さくするという楕円型の配分機構だ。もしも初回(一次)分配が、市場が主導するものならば、さらに効率が重要になる。再分配が、政府が主導するものならば、全体の公平正義の促進が旨となる。それならば三次分配は、すなわち社会の成員のさらに高い精神の追求を体現する」〈温情の手〉があれば、それは前の二回の分配の有益な補充となる」

「大企業であるほど、〈社会から取り、社会に返す〉ようにしなければならない。最近、テンセント(騰訊)は500億元(約8500億円)の資金を投入し、〈共同富裕専門項目計画〉を起動させ、積極的に国家の戦略に呼応している。」

 「共同富裕は少数の富裕ではなく、平均主義の線引きでもない。・・〈収入画一論〉〈富の略奪による貧者救済〉ではさらにない。このことについては、正確に全面的に認識し、偏見や曲解誤読を忌諱していかねばならない。」(ここまで「人民日報」)

 *************

 まとめれば、この「政策」は主に大企業や富裕者に向けて発信されたものであり、大企業の〈温情の手〉による施し物で、低所得者の底上げを図る、と言うのが習近平の「共同富裕論」ということになる。天狗になったアリババは叩くが、党に従い恭順の姿勢を見せたテンセントは称揚されている。

■強欲資本主義もかすむ

 ジニ係数から見る極限の格差社会=中国

 社会の「格差」を示す代表的指数がジニ係数だ。
★南アフリカ 0.620★インド 0.495★中国 0.477★ブラジル 0.470★米国0.391★英国 0.352★日本 0.339★ドイツ 0.294★ノルウェー 0.262(OECDによる2015~17年)

*************

 アングロサクソン国(英・米)については、トマピケティのベストセラー「21世紀の資本」でも格差が激しい国として指摘されている。両国は確かに日本よりもひどい。とはいえ、中国のジニ係数ははるかに悪く世界最悪クラスだ。

 ジニ係数は少ない方が「平等」であり、理屈の上でのことだが完全平等ならゼロとなる。他方、極端な格差国は「1」に近づく。一般的に0.3台なら格差の目立つ国。0.4超えると暴動や内乱が頻発するとされている。確かにそれに近い米国での暴動・略奪は時折報道される。中国は改革開放の三十年間で一気に極端な格差社会となった。
 労働者の立場を守るべき労働組合は存在せず、労働分配率は40%台といわれる(日本は60%台)。他方農民も多くは個人農であり、彼らの利益のために闘う農民協同組合はない。他方では、法人税は低く、不動産取引や金融取引税などはなく「勝ち組」になった企業家・富裕層に圧倒的に有利だ。次々と大富豪が中国から羽ばたいたわけだ。クレディ・スイスの報告書によると、中国では最も富裕な1%の人々が国全体の富の31%を保有している。

確かに鄧小平の改革開放と「先富論」とは、開発独裁=国家資本主義のイデオロギーであったことが再度確認できる。

 さて、格差の深刻さからして富裕者からの「〈温情の手〉による施し物で、低所得者の底上げを図る」程度の話で問題が解決するはずはない。

■中国版貧困対策と民間大企業からの財源確保

 このような中国の深刻な貧富の差は、言うまでもなく「特色ある社会主義」の看板を直撃する。「社会主義初期段階」だと言い訳しても、米英などの弱肉強食社会よりも深刻な格差と貧困問題の存在は共産党政権の正当性を掘り崩す。それゆえ反政府運動や内乱・暴動発生が共産党政権にとって危惧されているだろう。比較的恵まれているとされる都市住民の可処分所得も微増でしかなく、教育と医療、不動産の支出負担に苦しんでおり、習にはやることがたくさんありそうだ。とりあえず、西側の新自由主義諸国並みの(かなり緩いのだが)資産課税、不動産税、法人税、金融取引税等の新設・強化ぐらいはやるべきだ。財源を確保して再分配の原資とする、かくして企業天国は終わりにすべきだ。しかし、仮にも社会主義を名乗りたければ共産党に連なる特権者の巨大な権益、つまり国有企業を人民所有にするところまで行くべきであるはずだが。

 すでに明らかなように習近平の「共同富裕論」は、社会主義・共産主義への回帰ではないし、毛沢東主義への回帰でもない。まずは中国版貧困対策とみるべきだが、習の始めた「所得再分配」政策が大企業の寄付行為程度のものなら失敗に終わるだろう。ゆえに、企業増税に不可避的に進むと推測されている。

■民間大独占=デジタル・プラットフォーマーの抑制

 習指導部の動きについては、異なる視点も紹介しておきたい。

「〈We live in AT〉という言葉があるほどに、中国人の生活がアリババ(A)とテンセント(T)のサービスなしでは、ほぼ成り立たないという状況があります。また、アリペイやウィーチャットペイのような決済サービスが市場シェアの大半を占め、決済インフラを実質的に担っています。さらに、消費者とのデジタル接点を活用して、消費サービスへの入口だけではなく、コロナ感染リスクの有無を判定する健康コードや、コロナ後の消費を促進するデジタル消費券の配布のような公的サービスをも担うようになりました。 このように、いわゆるプラットフォーマーのインフラ化によって、〈公共〉と〈民間〉の境界線が曖昧となってきた今、政府が独占的な地位を獲得したプラットフォーマーへの規制強化に乗り出しているのです。」(NIRジャーナル)。

 民間大企業の国営化は、改革開放の成果を台無しにする。習もこの辺をわきまえて「公営も民営も大切」と前出の中央財経委員会で述べている。デジタル・プラットフォーマーの規制については、現在準備を進めている「デジタル人民元(CBDC)」の進む道を開けておく必要のためかもしれない。デジタル人民元の普及ののちには、国家による優位性が少なくとも金融界に打ち立てられる、と習ら指導部が展望しているだろう。

 さらに上海大学の元教授(政法学)チェン・ダオイン氏は、習主席が目指すのは諸外国の制約を受けない堅強な製造業を基盤にした「強い」中国だと指摘。「皆が猛勉強して無理に大学に進学し、オタクになることは望まれていない。職業訓練校で学び、健康で必要なスキルを身につけ、社会主義建設の担い手になる人がいることを主席は望んでいる」と解説(ブルームバーグ)。

 「共同富裕論」は山積する社会・経済問題の改革の突破口として指導部は位置づけている可能性がある。今後、習指導部と既得権益層との軋轢は深まるだろう。とはいえ、語感だけは社会主義的な「共同富裕論」であるが、共産党の既得権益に切り込むこともないし、民間大資本を大々的に接収することも習自身が否定しているので改革は中途半端なものにとどまるほかはないだろう。(アベフミアキ)案内へ戻る


 送迎バス内園児死亡事故はなぜ起きたか

 7月の末、福岡県中間市にある私立双葉保育園の送迎バスの車内に朝から夕方まで約9時間放置され、5歳の男児が熱中症で死亡するという痛ましい事故が起きた。「どうして放置されたの?」「どうして誰も気かつかなかったの?」と保育士である私は疑問に感じることばかりで真実を知りたいと思い、友人の力を借りて福岡の地元の新聞を取り寄せてもらい詳しく知ることができた。

 西日本新聞(8/5)に『7月29日午前8時過ぎに自宅前からバスに乗った倉掛冬生ちゃんは午後5時15分ごろ、園駐車場のバス内で見つかった。振り返ると幾つものターニングポイントが浮かぶ』と、私が疑問に感じていたことが4点あげられており、その事実に驚くことばかりで同業者として私の意見も述べたい。

 ①1人でバス運行 

『園のバス2台のうち1台は人手不足で約1年半前から1人で運行 』

 1人でバスを運行するのは間違っている。もし事故や車内で嘔吐・怪我が起きた時子どもたちはどうするのだろうか、これでは命を守ることができない。私の園では散歩に出かける時は必ず3人以上で出かけることになっている。もし子どもが事故や怪我をした時、1人がその場を離れると他の子供たちを守るには2人が必要だからだ。園外では何が起こるかわからないので複数で対応している。複数で対応するのが当たり前だと思っていた。

 また、バスの運転手が40代女性園長というのにも驚いたが、運転手や保育士の人手不足ならバスの運行をやめるべきだったと思う。私の地域で送迎バスは幼稚園だけなので保育園の送迎バスというのも初耳だった。『中間市の認可保育園の大半が送迎バスを運行していて炭鉱労働者を送迎するのに伴なって託児所に子供を預けた地域の歴史があって運行をやめられなかった可能性がある』(朝日新聞8/5)と地域性のものもあっただろうが、保育園の送迎バスに同乗者の配備といった運行や安全管理についての定めはないというのだからまたまた驚く。運行するならば安全性を確保するのが責任だ。無責任すぎる!

 ②降車時確認不足 

『バスは午前8時半ごろ園に到着。園児7人のうち4人が1歳、2人が3歳。泣く子をあやす中で年長の冬生ちゃんへの気配りがおろそかになり、乗車口から1、2歩上って車内を確認したが誰も見当たらなかったという』

 余りにもひどい!泣く子を抱っこしながらも後部座席まで行って確認していれば冬生ちゃんの命は守られたはずだ。さらに驚くのは1歳の乳児が送迎バスに乗っていることだ。乳児はいろいろなものに興味を示し何でもやりたがる時期で自分の思うようにならないと泣いたりするのが成長過程の姿なので保護者が送迎するものだと思っていた。乳児の送迎バスは危険過ぎる。私の園でバスに乗って出かける時は必ずシートベルトをずるように確認しているが、事故のあったバスではチャイルドシートやシートベルトをしていたのだろうか?

 ③担任の欠席扱い 

『担任保育士は欠席者の名前を書き記す園内のホワイトボードに園児に名前がないのを知りながら他の職員や保護者にも連絡を取らずに欠席扱いにしていた』 

 担任保育士は冬生ちゃんが教室にいなかったので欠席と思い込んでしまったのだが、この「思い込み」が一番怖い。過去にもこの思い込みで事故が起きている。2005年8月10日埼玉県上尾市立上尾保育所内で、4歳の榎本侑人君が本棚の下の戸のついた収納庫の中に入り、熱中症で死亡した事故だ。『これは、決して特殊な事件ではない。どこの保育所でも起こりうる「人災」である。小さな嘘、怠慢、思いこみとすれ違い・・・日々のひずみの積み重ねが、必然的に子どもの命を奪うことがあるかもしれないことに気づいて欲しい』(死を招いた保育より抜粋 猪熊弘子著)この事故も「部屋にいるだろう」「友達と遊んでいるだろう」と保育士たちが思い込んで所在確認をしなかったことで事故が起きた。私は今回の事故が起きた時この事故を思い出しすぐに本棚から探し出して一気に読んでしまった。いつもこの本を読み終わると『保育園は何よりも子供の命を守るべき場所である』という言葉に背筋が伸びて私の教訓にしている。

 担任保育士が園長に「冬生ちゃんはお休みですか?」とひと言確認すれば園長も冬生ちゃんのことに気がついて、バスに行けば命を守ることができたかもしれないと思うと残念無念でならない。私のクラスでも欠席の連絡がない時は事務室に行って連絡がないか必ず聞いている。電話連絡があってもうっかり忘れてしまうこともあるのはお互い様なので目くじら立てずにやっているが、こういうコミュケーションが事故防止に必要かもしれない。

 ④健康管理カード 

 『氏名や健康状態を記したカードを登園時に職員に渡す仕組みで、園長が運転するバスではカードを保護者から直接受け取らず園児のバックの中に入れてもらっていた。もう1台のバスは添乗職員がカードを受け取らないと乗車できない運用にしていた』 

 なんとずさんなやり方だろう。園長が直接受け取れないなら降車時にバックから出して担任保育士に渡すことを毎日していなかったのだろうか。カードはバックに入ったままだっというので驚く、何のための健康カードだったのか。担任保育士もそのカードを毎日確認しているならカードがなければ園長に確認していたら冬生ちゃんの命を救えたかもしれない。

 保育士の仕事をしていてこの「確認」というのがとても大事だと日々感じている。子どもたちはよく動くので常に子どもの所在を確認しているが、確認できない時は保育士間で声をかけあい所在を確認できた時はホットしたり、保護者からの伝言や保護者への伝言も担任間同士で必ず共有して確認している。また薬の投与も誤飲がないように必ず2人で声を出しながら確認しあって服用する等々確認だらけだ。子どもの命を守るには思いこまないで保育士間で声を出しあって確認することだと思っているが、これには保育士間の人間関係がうまくいっていないとコミュニケーションが取りにくい。だから常に人手不足でコミュニケーションどころではなく日々の生活をこなすだけで余裕もない職場では事故が起きてしまうのだ。

 今回の事故も人手不足で管理者である園長が自らバスの運転をするのは考えられないが、この園長も人材不足なのか40代で園長になり、朝早くから運転をして日中も人手不足から保育に入ってそれから管理者の業務をして夜遅くまで仕事をしていたと思うとやりきれない気持ちになる。しかし、人手不足ならば安全のためにバスの運行をやめたり、理事長たちに人員配置を要求する等事故を防ぐことをしなければならなかったと思う。

 このように今の日本では現場の人達の献身的な働きで成り立っている。コロナ禍の中で政府は医療崩壊しているのに緊急事態宣言を出すだけで医療従事者へ負担を負わせ、高齢者の介護施設においても人手不足なのにコロナ禍でより負担が増えている。保育園でも人手不足から事故が起きてしまったが、事故が起きれば個人的責任を負わされてしまう。個人的責任や現場の負担が増えないようにするのが政府の仕事ではないか。

 私のクラスの子供の父親が感染し濃厚接触者の母親と子供が一緒に自宅にいるのだ。これでは家庭内感染が増えるだけで、自宅療養ではなく大型医療施設をつくって感染者を防ぐなど具体的な政策をやるべきだ。政府のやっていることはひどすぎてまさに『政府の貧困』と言うしかない。何もしない政府はもういらない。冬生ちゃんと同じ年の孫がいる私にはひとごとには思えなく残された家族を思うと切なくなる。痛ましい事故が起きないことを願いたい。(美) 案内へ戻る


 読書室 伊藤 誠氏他著『21世紀のマルクス―マルクス研究の到達点』2019年11月刊

○本書は、カール・マルクスの生誕200年を記念して編まれた論文集である。本書の立場は、マルクス思想・理論の発展的継承を志向したもので、まず第一の柱を『資本論』関連の研究の現段階を紹介し、第二の柱を歴史観と変革構想として、マルクスの哲学、経済学、政治理論、歴史理論、未来社会構想そしてエコロジー論を取り扱い、マルクスから継承すべき成果と残された課題を明らかにしたものである○

 本書は論文集なので、まずはその所蔵論文九本の表題を紹介してから、その各々に私が短評を加えることで本書の紹介としたいと考える。

まえがき
Ⅰ『資本論』をどう読むか
第一章 『資本論』と現代…伊藤 誠
第二章 マルクスにとって『資本論』とは何だったのか…大谷禎之介
第三章 物象化論と『資本論』第一部の理論構造…佐々木隆治
第四章 資本の統治術…大黒弘慈
Ⅱ 歴史観と変革構想
第五章 マルクスの「生活過程」論…田畑 稔
第六章 マルクス政治理論の転回…大藪龍介
第七章 マルクスの歴史把握の変遷:市民社会論マルクス主義批判…平子友長
第八章 非政治的国家と利潤分配制社会主義―ポスト・スターリン主義の社会主義に寄せて…国分 幸
第九章 マルクスの脱近代思想とエコロジー的潜勢力―エコロジーをめぐる連帯の拡大へ向けて…尾関周二

 では各論文に対して私の短評をつけていこう。

 まず執筆時八十三歳の伊藤氏は、学術文庫の『資本論を読む』で著名であり、宇野派の重鎮である。また二0一六年に『マルクス経済学の方法と現代世界』、二0一七年には『資本主義の限界とオルタナティブ』を出版した精力的な研究者である。

本論文は編集者の一人でもある伊藤氏が書いた『資本論』をめぐる総論的な論文である。その問題意識は、『資本論』の理論体系とその核心を論じた後、現代資本主義の位相と構造変化を分析しつつ、新自由主義の限界を指摘し、二0世紀社会主義の崩壊と二一世紀社会主義の可能性を論じたもの。しかし二0世紀社会主義=ソ連型社会主義なのである。

 したがってここでは伊藤氏に大谷氏や佐々木氏のソ連=国家資本主義論との真摯な議論こそが求められていたと考える。また宇野派の大内力氏『国家独占資本主義論』の現在での有効性についても、レギュラシオン派とは別に伊藤氏の立場からの評価がほしかった。

 『マルクスのアソシエーション論』等の著書を持つ最年長の大谷氏は最年長の八十五歳であり、この論文が絶筆となった。年齢を感じさせない充実した論文である。
本論文は大谷氏の最後の論文にふさわしく、実にまとまった形でマルクス経済学批判大系の中での『資本論』の位置づけがしっかりとなされている。残念と追悼しきりである。

 四十代の佐々木氏は、新版『マルクスの物象化論』の中にこの論文をさらに圧縮・図表化し、核心となる画竜点睛の論文として加えたことからも分かるように、廣松氏の哲学的な理解とは異なる物象化論が『資本論』第一部の重要な論理構造となっていることを実証した重要な論文である。皆様啓発されること間違いなし。皆様の熟読を期待したい。

 さらに今ここで『増補改訂 マルクスの物象化論』を既に持っている人には、本書を買えば新版『マルクスの物象化論』購入は必要がないと私からの助言を明記しておきたい。

 『模倣と権力の経済学』等の著書を持つ大黒氏は、私には初見であった。大黒氏は、フーコーの「新自由主義的統治術」を補助線として利用し、資本の統治をいかに破壊していくのかを論じる。このような問題意識とは私には初めて聞いたので、熟読が必要である。

 『マルクスとアソシエーション』と『マルクスと哲学』の重厚な著書を持つ田畑氏の論文は、いつもながらの丁寧な展開でマルクスの「生活過程」概念確定を追求している。次に予定される著書の重要な部分となる論文である。心して精読してゆきたいと考える。

 『マルクス社会主義像の転換』等の大藪氏は、マルクスのフランス三部作を論じた後、マルクスのイギリス政治体制の分析が論文の形式でしか行われなかったことを問題とし、『資本論』に比較してのマルクスの政治分析の不足を論じている。私は大いに啓発された。

続いては、佐々木氏の師匠筋で大谷氏との共著『マルクス抜粋ノートからマルクスを読む』等の著書を持つ平子氏のマルクスの歴史把握の変遷を追求した力作論文である。率直に言わしていただけば、私がこの論文集の中でもっとも高く評価する論文である。

 私が感動したのは、平田清明氏らの市民社会論マルクス主義は、「理論的には、マルクスの物象化概念を物化のレベルにまで具体化する方法意識を欠いていたために、疎外・物象化にかかわる諸現象を剥ぎ取り可能な『ヴェール』とみなし、その『奥底』に将来社会(「市民社会的社会主義」)が待機しているという、資本主義批判を本質的に欠落させたマルクス像を提起」したと明確にしたことである。更に物象化と物化の違いには注目だ。

 『資本論の誤訳』の解説を書いていたことで私は国分幸氏の名前を初めて知った。その後彼は廣西元信氏の衣鉢を継いで研究を深め、一九九八年に『デスポティズムとアソシアシオン構想』、二0一六年に『マルクスの社会主義と非政治的国家』を出版していた。今回の論文は、これらの二著を要約して紹介した力作である。私はこの二著にも関心がわいた。

 最後の論文は、『言語的コミュニケーションと労働の弁証法』の著書を持つ尾関氏のものである。この大著は私も持っているものの、未だ未読であった。最近、マルクスのエコロジー論に関心が集まる中で尾関氏によるイギリスのウィリアム・モリスに対する再注目を促した論文は、時宜にかなったものであり、貴重だと私は考えている。
各々に対する短評はこれで終わりとする。

 改めて論文執筆者と私たちワーカーズとの関係を考えると、実に興味深いものがある。

 そのことを具体的に指摘しておけば、まず大谷氏にはワーカーズ会員の学習会で「社会主義社会とはどのような社会か」について講義を受けたことがある。ソ連社会主義とは国家資本主義が結論だった。また会員の中には佐々木氏の自宅での交流をしている者もいる。さらに田畑氏が編集長をしている季刊『唯物論研究』に二回寄稿した会員もいる。田畑氏はワーカーズを認知している。さらに立場が異なる大藪氏とも、他の新左翼党派と共同で共同討論会を開催したこともあると思い出した。

 「類は友を呼ぶ」という。先に紹介した三人と私たちは同じ方向を模索している。このことが確認でき、私たちは孤立していないことを実感し、本当にうれしく感じる。(直木)案内へ戻る


 大阪市立の高校の大阪府への無償譲渡は、住民投票で否決された大阪市廃止・分割=トコーソーの実践版だ!

来年4月に、大阪市は市立の高校を大阪府に移管し、台帳価格で約1500億円の土地、建物を大阪府に無償で譲渡します。このような巨額寄付を議会に諮らずに、条例で行なうことができるのでしょうか?これは、無茶苦茶です。

 現在大阪市立の高校は現在21校です。そのうち、西高校、南高校、扇町総合高校の3校を新設の桜和高校にまとめる統廃合が決まっており、来年4月には今の扇町総合高の敷地に1年生だけの桜和高、2、3年生だけの西高、南高、扇町総合高が併存します。これを4校とカウントすると、来年4月時点の市立の高校は22校で、すべて大阪府立高校となります。昨年12月、大阪市議会は高校廃止を議決し、大阪府議会は大阪市立の高校を府立高校とすることを議決して、高校移管は決定しました。た。

 しかし、大阪市が22校の土地、建物などを無償で大阪府に提供することは市議会に諮られていなません。無償譲渡は松井一郎・大阪市長と吉村洋文・大阪府知事の意向であり、移管計画は最初から無償譲渡が前提だったと言えます。大阪市議会で野党会派は「なぜ有償譲渡や有償貸与、無償貸与ではだめなのか」と追及しましたたが、松井市長や市教委から合理的説明はありませんでした。

 このような中、大阪市民5人が7月30日、住民監査請求を行ないました。 

 大阪維新のやろうとしていることは、2度にわたる住民投票で否決された大阪市廃止・分割=トコーソーです。維新よ、住民投票の意思に従って大阪市立の高校の大阪府への無償譲渡はやめろ。 (河野)     


 「ミャンマーの人たちとつながろう!」 つながる会設立発表集会報告

 2・1クーデターから半年を経て、8月21日の午後、兵庫県尼崎市で「ミャンマーへの思い」を共有する市民の集いがありました。これまで、神戸市でも国軍抗議の屋外集会とデモが月1回のペースで行われ、その延長線上での集会でした。屋外集会では、在日ミャンマー人の若者が多く集まり、軍に対するシュプレヒコールは真剣で力強いものでした。

 今回の集会は、支援する側のアジア隣人としての私たちの決意を迫られる、どうつながるのかを問う貴重な場となりました。まず、ミャンマーと日本の関係を歴史的に正しく認識するため、泰?鉄道(死の鉄道)、インパール作戦のフイルムが上映されました。当時のビルマの人々が食糧も粗末な中、機械も使わず人力で鉄道の建設工事を担わされる映像は、強制連行で朝鮮人が炭鉱で虐げられる場面に重なりました。

 連合軍の捕虜6万2000人、東南アジアで徴用された20万人を超える労務者も加わり、ビルマでは10万人あまりが建設現場に送りこまれ、少なくとも3万人以上が命を失いました。総勢の犠牲者数は枕木1本につきひとりが亡くなったと、語られています。そして、今も走り続ける泰?鉄道の出入口には、多くの犠牲者を出した建設記録が刻まれています。日本軍は、中国や朝鮮だけでなく、ビルマやタイでも同じように現地の住民に強制労働を押し付けたのです。

 集会を主催した1つでもある阪神共同福祉会の理事長、中村太蔵氏の呼びかけは心に響くものがありました。

「私の知り合いのミャンマーの留学生が言った。〝私は名前も出します。写真もいいです。人間一度死にます。恐れていません〟と。横にいた私は、一瞬彼女の目を見た。同世代の日本人が、このような決意を語ることがあるだろうか。ミャンマーに限らず、今、国家権力が自国の民にむき出しの弾圧を行使している風潮がある。そのミャンマーに最大の経済援助をしているのが日本である。日本政府がミャンマーの軍事政権を援助することに抗議し、命をかけて弾圧に抗するミャンマーの人たちへの支援を強化しよう。同じアジア人として!」

 当日、ミャンマー留学生の彼女は、実名を述べ、支援への必死の訴えを短い言葉で語りかけました。今後の身の安全も顧みず、決断した彼女の姿勢を、私たちは無駄にすることは出来ません。尼崎市内老人施設で介護ヘルパーとして働く彼女を支え続けた中村氏の存在は、隣人だからこそ自分の問題として関わることが出来た証明です。ちょうど、私の末娘と同い年の彼女に、他人事と知らんぷりは出来ません。

 同志社大学在学中の女性も支援の声を上げ、地域で募金活動を展開しています。「嘆き悲しむことしかできなかった私に、行動する勇気をくれたのはミャンマーの同じ〝Z世代〟」だと。

 是非、読者の皆さんも賛同と支援お願いします。送金先は「ミャンマーの人たちとつながる会」年間1口5千円。郵便振替口座「多文化共生と地域福祉の会(00990-5-324971)」 (折口恵子)


 「沖縄通信」・・・対馬丸撃沈77年に思う

 本土の8月と言えば、8月6日が広島原爆追悼式、8月9日が長崎原爆追悼式、そして8月15日が「終戦記念日」となる。しかし、私の記憶では前には『敗戦』記念日と呼んでいたと思う。

沖縄では、6月23日が全沖縄戦没者の「慰霊の日」である。しかし、この6月23日は沖縄戦が終結した日ではない。

 第32軍の牛島司令官が自決し、日本軍の組織的戦闘が終了した日である。この日以降も沖縄は戦場でありつづけ、8月15日以降も多くの犠牲者を出している。
この立場から「6月23日を戦争の終結日とすれば、沖縄戦の重要な側面が歴史から消えてしまうことになる」として、大田昌秀元県知事をはじめ多くの研究者は6月23日に沖縄戦が終結した日と考えていない。日本軍が正式に降伏調印式をおこなった9月7日に公式に沖縄戦が終結したという解釈をしている。牛島司令官自決の日を「慰霊の日」としていることに、異論を唱える沖縄県民も多い。

沖縄の人たちにとって8月の慰霊は、学童疎開船「対馬丸」の追悼式である。

太平洋戦争も終盤にさしかかり、沖縄が要塞化されはじめたころ、マリアナ諸島サイパン島が陥落し「サイパンの次は沖縄が攻撃される」ことが確実視された。

1944年7月7日、日本政府は沖縄県から本土へ8万人、台湾へ2万人、計10万人の疎開計画を決定した。

8月21日、三隻の疎開船が一般疎開者とともに、第2陣の学童疎開者を乗せて沖縄から長崎へ向かって那覇港を出港した。対馬丸には国民学校の児童や一般疎開者1661人を含む1788人を乗せていた。

翌22日午後10時12分、疎開船「対馬丸」が鹿児島の悪石島沖でアメリカ軍の潜水艦「ボーフィン号」から魚雷攻撃を受け沈没した。学童784人を含む1484人が犠牲となった。奄美大島の悪石島の海岸には、たくさんの死体が漂流したという。生存者は学童疎開者59人、一般疎開者と乗組員168人だけであった。
この事件、軍部の箝口令によって極秘にされ、話をする事も出来なかったと言う。

対馬丸記念会は事件から77年の節目となる8月18日、今年も那覇市若狭にある小桜の塔で慰霊祭を開催した。新型コロナウイルス感染防止のため一般参拝を中止し、関係者らで静かに犠牲者の冥福を祈った。

この対馬丸記念館には何度も見学に行き、亡くなった幼い学童達の写真がずらっと並んでおりその痛ましさに声が出なかった。(富田英司)案内へ戻る


 コラムの窓・・・郵便の行方!

 昨年12月の郵便法改正により、10月2日から土曜日の郵便物(普通扱いとする郵便物およびゆうメール)の配達が休止となりますが、直接関係者でなければ特に関心のないことだと思います。しかし、これまで土曜日に配達されていた郵便が月曜配達になってしまうので、全く関係ないとも言えません。

 郵便法という法律があることもあまり知られていないと思いますが、第1条では「この法律は、郵便の役務をなるべく安い料金で、あまねく、公平に提供することによつて、公共の福祉を増進することを目的とする。」その目的が明記されています。

 第7条では検閲の禁止を、第8条では秘密の保護を明記しています。さらに8条の2には信書の秘密の保持の規定があります。戦前の郵便に課せられた苦い役割を再び負わされることのないように、郵便法は1947年に生まれたのです。

 さて、私が郵便局に就職した1970年はやっと日曜配達が廃止されたころで、まだ祝日の配達はありました。この日曜配達廃止は、郵便労働者もようやく日曜日に休めることになる〝画期的〟な労働条件の改善でした。速達等の配達は日曜日も休まないので、日曜出勤者は平日休みとなります。やがて祝日休配となり、休日も増えることになったのは喜ばしいことでした。

 それでは今回の土曜休配はどうか、土日連休になっていいのではという単純な問題ではなさそうです。すでに、信書というべき手紙やはがきは斜陽に向かっているので、日常生活にはさして影響がないかもしれませんが、郵便職場では人減らしが強行されようとしています。日本郵便は最大に非正規職場となっているのですが、郵便の翌日配達を可能にするために郵便内務に非正規夜間労働者が大量に動員されています。

 今回、その翌日配達も廃止(「お届け日数の繰り下げ」とあります)されるので、夜間労働も大幅に少なくなります。これは労働条件の改善となるのですが、深夜勤専門の非正規労働者にとっては月数万円の収入減となり、生活が困窮することになります。それほど郵便局は劣悪な職場なのですが、土曜出勤と夜間労働の減による人減らしによって、郵便は更に衰退へと向かうでしょう。

 コロナ禍、エッセンシャルワーカーという聞きなれない言葉が飛び交っています。雨の日も風の日も雪の日も盛夏も休まず(10月から土日休みとなりますが)配達される、これもまた社会を下支えしている欠かせないものです。その職場でもコロナ感染が多数しているのですが、あまり報道されることはないようです。

 梅雨時も大変だったと思いますが、8月の長雨のなか、カッパを着てマスクをしてバイクを走らせている郵便労働者をみると、ご苦労様という気持ちになります。私もそうして働いてきたのですが、今の郵便局は取り巻く条件も含めどんどん悪くなっています。民営化後の郵便局は、儲けることを〝目的〟とした職場になってしまっているのです。

 郵便法第3条は「郵便に関する料金」を定めており、次のように書かれています。

「郵便に関する料金は、郵便事業の能率的な経営の下における適正な原価を償い、かつ、適正な利潤を含むものでなければならない。」
郵便はもはや公的なものではないと宣言しているようで、かつて郵便に携わったものとしてなんだかさびしい思いが募ります。 (晴)


 郵便局 10月から普通郵便物土曜休配へ それにともなう大幅な減員にストップを!

 10月から普通郵便物(封書と葉書)ゆうメール、特定記録郵便を現行の日曜・祝日休配に加えて土曜日も休配になります。そして、それまでの送達日数が1日程度遅くなります。

 ただ、速達・ゆうパック(小包)・ゆうパケット・レターパック・クリックポスト・書留は、今まで通り土・日・祝日の配達はあり送達日数に変わりはありません。

 これを見て思うのは、普通郵便については送達日数が遅くなってもいいと会社側が割り切ったことです。その代わり、書留以外の荷物郵便については今まで通りの送達日数を維持し、力を入れていくということです。

 これで職場ではどういう影響があるかですが、今まで普通郵便物を深夜帯で処理するため働いてきた社員は、日勤帯の時間で働くことになります。これにより、様々な手当てが大幅に減ります。正規社員は、全部の日数を深夜帯で働くことはなかったのでこれで職を失うことはありません。ただ、非正規社員は深夜帯で働いてきた人は、全日数を深夜勤務だったので、その方たちが全員日勤帯に移行できるのか?大幅な人員削減がありそうです。

 また、日本郵政グループの増田寛也社長は5月14日の記者会見で、2021~2025年度までの5年間で3万4500人を削減すると言いました。増田社長は、減員についてリストラではなく、自然減や採用の抑制と言っていますが3万4500人もの減員がリストラ抜きでできるはずがありません。

 こんな状況ですが、職場には危機感がないように思います。仕事は、年々作業が細かくなり労働密度が濃くきつくなる一方です。仕事の遅い人や精神的に病む人が、働き続けられないような状況です。まさに今こそ働く者の連帯で、困難な状況を乗り切っていきます。                            (郵政労働者K)案内へ戻る


 臨時病院の開設を

 新型コロナ感染症の爆発的拡大で、重症にもかかわらず入院できずに、自宅で死亡する痛ましい事例が続発している。

 政府と都道府県は、公共施設などを活用して、臨時病院を早急に開設する責務がある。そのために看護師を確保するため、処遇面での改善をはかるべきである。

 この間の感染爆発に対して、国や都は当初「入院制限」や「自宅療養」を打ち出した。しかし、これは新型コロナ感染症の病態を無視した危険なやり方であった。

 新型コロナ感染症は、一見「軽症」に見える患者が、自覚症状がないまま容態急変し、本人が医療機関に連絡出来ないまま、重篤化する特徴がある。

 だから感染した患者は、最低でも、療養施設に入所し、看護師が深夜・早朝を含め定時の巡回で、酸素飽和度を測定し、異常の場合は直ちに救急搬送する必要があるのだ。

 自宅療養と訪問診療では間に合わないケースが、特に深夜帯に起きる危険性がある。

 オリパラの屋内競技施設を活用し、医療従事者を大募集して、臨時病院を開設することこそが急務であると声を大にして要求する!(夏彦)


 川柳  2021/9 作 ジョージ石井

 無為無策自宅待機の無責任
 千羽鶴嘆く総理の読み飛ばし
 二度接種終えて世界は三度打ち
 GOTOの旗がだらりと観光地
 生き方もそれぞれと知る声の欄
 断捨離は過去と未来のせめぎ合い
 コロナ後を待つ愛用の旅カバン

 朝採りの野菜出荷に農の汗(課題「ネタ」)
 黒幕へ赤木ファイルの意趣返し(「黒幕」)
 香港のリンゴと消える民の声(「紙」)
 ゲルニカに歴史認識試される(「試す」)
 叩かれるまではだんまり虚偽データ(「叩く」)
 増す災禍病める地球の意趣返し(「予感」)
 コロナ禍が過ぎれば税の揺り戻し(「予感」)
 無為無策谷底を見る総理の目(「谷」)
 谷渡り続く飲み屋の呻き声(「谷」)
 入管の人権無視に重い腰
 接種率上げ支持下げる旗遊び
 巣籠りの命クーラー守る夏
 脱炭素地球を守るキーワード(「守る」)
 白衣の手エクモ見守るコロナ棟(「守る」)
 難民が睨む五輪のフードロス


 色鉛筆・・・ 再審開始、無罪判決を!

今年も春先に仕込んだ味噌のかめを開けると、その香りに心がふわりと和む。この味噌に関連して、袴田巌さん(85歳)に死刑判決が下されたまま、もうすでに41年にも及ぶ月日が費やされている。

1966年、旧清水市の味噌製造会社専務一家4人を殺害した犯人とされ、事件から1年2ヶ月後、袴田さんの仕事場の味噌タンクの中から、鮮やかな赤い血のついたシャツ・ズボンなどの5点の衣類が「発見」された。これを決定的証拠として、1968年静岡地裁が死刑判決を下した。ここに至るまで捜査機関は、袴田さんをボクサー崩れであるなどと差別し犯人と決めつけ、当時の報道は、これらの情報を一方的に大量に流し続けた。これが地裁決定に影響を与えたものと思うし、決して無縁ではないはずだ。

つづく東京高裁そして最高裁で死刑確定とされてしまった。1980年の最高裁では「(略)その発見時の状況等に照らし長時間味噌の中につけ込まれていたものであることは明らか」として死刑を言い渡している。公正な目で裁判資料に向き合えば無罪を示す証拠は山とあり、素人の目にも明らかだが、思い込みかつ誤った根拠で死刑とした。そもそも血のついた衣類を1年以上も味噌に漬けたことのある人はいないはずで、「明らか」などと断定すること自体ずさんそのものだ。

支援者として2008年以前から、衣類・布の味噌漬け実験に取り組んでおられるY氏は「どこの大学の研究室、どこの企業に問い合わせてもそんな実験をやっている所は無い」と笑う。彼らの実験で、味噌に漬かった衣類の血痕は、短時間で黒くなることは実証済みであり、5点の衣類に付いた血か゛赤いのは、短時間しか漬けられていないねつ造の証拠の証だ。

第二次再審請求審で、2014年にようやく静岡地裁が再審開始を決定したものの、2018年東京高裁は、これを取り消す決定を下した。2020年12月最高裁は、高裁の決定は「著しく正義に反する」として、高裁に差し戻されている。現在、高裁、弁護団と検察による三者協議が、3月、6月そして8月30日と3回行われている。

 証拠はねつ造であると主張する弁護団に対し、7月30日検察は意見書を提出した。いわく「当時のタンクの味噌の色が淡い色にとどまっていることなどから、血痕の赤みを失わせるような化学反応が進行していたとは認められない」と主張。その内容は、あくまで検察が専門家への聞き取りをしたもの、すなわち聴取記録・捜査報告書であり、専門家自身の書いたものではない。いかにも無内容で、手詰まり感が漂う意見書だ。

弁護団関係者は「われわれの実験では(どのような条件下でも4週間から半年ほどで)血痕が黒くなる。その事実への反論になっておらず、意味が無い」と語る。

最高裁は、再審開始を取り消した高裁の決定は誤りであると明言しているのだ。一刻も早く再審開始をすべきだ。

コロナ感染拡大で、静岡県にも緊急事態宣言が発令され、袴田さんの住む浜松も感染者が多い。汗をかきながら日々歩きつづけているのだろうか。濡れ衣は取り除けと誰もが願っている。(澄)

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