ワーカーズ653号 (2024/4/1)    案内へ戻る

  大阪万博・・カジノをやめて能登復興に集中すべき!
 
 開幕まであと1年にせまった大阪万博、2億円のデザイナーズトイレや「世界最大級の無駄」とも呼ばれている大屋根リングなど問題が山積していますが、カジノは日常生活を害するものであり、大阪万博はカジノのための万博ではないでしょうか。  

 実際、IRの誘致候補地となっていた夢洲を万博会場候補地に決定し2016年9月、吉村大阪市長(当時)は「万博とIRで相乗効果が出せるような仕組みにしていきたい」と発言、相乗効果を狙うために万博開幕の前年である2024年にIR開業を目指し、2019年3月大阪維新の会が公表したマニフェストでも「2024年には夢洲にIRの開業を実現」と。ところが、工期や国のIR整備計画申請受付の延期などもありIR開業予定時期はどんどん後ろ倒しされ、現在の2030年開業予定となったのです。横山大阪市長のみならず、吉村大阪府知事や松井前大阪市長なども、いまでは「万博とカジノはセットではない」といったポーズをとっていますが、大阪万博はカジノありきの万博であることは明らかです。  

 2013年12月に大阪府・市は「IR立地準備会議」を設置、2014年4月に松井大阪府知事(当時)はIR予定候補地を夢洲とする意向を表明し、その4カ月後である2014年8月には万博の誘致を表明しました。  

 大阪万博を夢洲で開催するのを松井氏がこだわった理由は、夢洲がカジノ候補地だったからです。  夢洲はもともと廃棄物の最終処分場だったためインフラ整備に巨額の金がかかります。カジノだけでは税金投入には無理があります。しかし、万博という大義名分を使えば、夢洲のインフラ整備を図ることができる、だからこそ、松井氏は万博誘致を決めたのではないでしょうか。  

 一方、住民運動として2022年には大阪カジノ誘致の賛否を問う住民投票の実施を求める署名運動がおこなわれ、住民投票実施の条例案を吉村知事に直接請求するために必要な法定数を超えたというのに、維新独裁体制大阪府議会はこれを否決、松井・吉村両氏は府民の民意を切り捨てました。     

 2016年に松井知事(当時)は「IR、カジノに税金は一切使いません」と明言していたにもかかわらず、カジノ用地の汚染土壌対策として788億円を上限大阪市が負担することを決定、IR開業後に施設拡張がおこなわれる場合は追加で約257億円の公費負担が必要だと市が試算しているほか、万博跡地の一部を「国際観光拠点」とするべくIR予定地と同様の対策をした場合はさらに約766億円が必要だと見られています。つまり、夢洲の土壌対策には今後、合わせて1000億円が必要になるかもしれません。  

このような万博やカジノに税金を投入するのではなく、能登半島復興のために税金を使うべきです。これがまともな考えです。(河野)


  実質賃金の長期低下の日本 日銀「金融引き締め」転換は労働者と弱者の切り捨てだ


 低金利政策とその進化系である異次元のマイナス金利政策(アベノミクス)をもてはやしてきた財界人や経済学者、エコノミストも、今ではその弊害や不合理性をあげつらっています。もちろんアベノミクス=黒田日銀の罪は大きく、日本の労働者の低賃金を運命づけてきました。

 そこで打ち出されたのが「脱マイナス金利」「有利子転換」。3月の利上げは17年ぶりのことです。

■誰のための金融政策「転換」なのか?

 政府日銀と経団連などは「世界金融危機(2008年)以降の超低金利時代にゾンビ企業が増大した」として今更ながら「新陳代謝が遅れ、潜在成長率がゼロに低落した」と嘆いています。今こそ金利を上げてゾンビ企業の整理淘汰を断行して「強い経済へモード転換」を目指すとしています(日本経済新聞)。

 つまり大資本は散々低金利の恩恵をうけ、少なくとも輸出業では最高益をあげ、またこの2年間のインフレ便乗値上げで儲けてきたのです。弊害が現れ超低金利策の継続性が危ぶまれると一転して弱い企業の淘汰政策を採用しようというのです。あまりに身勝手であり政策の混乱ぶりだと言わねばなりません。政策金利は今回0.1%上がっただけですが、政府日銀そして経団連などは今後本格的に「利上げ」を推し進めるものと予想されます。

■これまでの超低金利政策(アベノミクス)は、労働力の安売りだ

 1999年に始まる政府日銀の超低金利政策は円安誘導政策です。この政策は輸出企業に一定の優位性を与えましたが、円安政策はその実、労働力のダンピング(安売り)なのです。日本の労働力を国際的には安くさせ、労働者の犠牲の下で日本製品の輸出の優位性を作り上げたのです。ゆえに、国際的にみて日本の労働者の賃金は見る間に低下しました。ところがその結果として国内の消費需要がしだいに低迷し、国内産業も長期にはマイナスの影響をもたらしたのでした。ゼロ~マイナス金利で儲けてきた資本家は、今ではその副作用や弊害に気づいたと言うわけです。
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 労働者に犠牲をもたらす金融緩和政策を今回日銀が中止するというのですから、労働者が歓迎すべきかと言えばそうではないのです。上記のように超低金利政策が労働者の低賃金政策であるとすれば、今回の日銀の転換は別の形での労働者あるいは零細・中小企業への犠牲の転嫁なのです。その点をもっとマスコミは告発すべきなのです。

 3月に政府と日銀が「金融引き締め政策」に転換したのが、なんと日本経済がマイナス成長含みで、さらに労働者の実質賃金が約2年間にわたり連続減少のさなかなのです。この政策転換の意図は極めて階級的で身勝手なものです。「引き締め転換」による中小企業への貸し渋り貸しはがしが強まる可能性があります。政府や大企業経済界は「ゾンビ企業の淘汰」を目標にしているからです。

 しかし、今後の「高金利」政策が「強い経済への転換」を大企業に保証するものでは全然ありません。

■金融緩和政策「解除」の政策矛盾

 日銀による「利上げ」の具体的内容は、マイナス金利政策を解除し、短期金利の操作を主な政策手段としました。これにより、日銀当座預金(法定外準備金)に適用する金利をプラス0.1%とし、金融機関どうしが短期市場で資金をやり取りする際の金利「無担保コールレート」を0%から0.1%程度で推移するよう促すとしています。イールドカーブコントロール(YCC)も廃止しました。低く強引に押さえつけていた金利は「上がる」と考えられますが、現在のインフレが2~3%であることを考慮すれば、実質的な金利は当面はマイナスとなり変化は乏しいと思われます。
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 一方で、国債の買い入れは継続すると発表されました。日本政府は財政の穴埋めとしてこれまでに莫大な国債発行を実施してきました。一千兆円を超える債務が積みあがっています。そしてそれを「市場消化」する事が困難なので国債発行残高の半分は日銀が買い支えています。

 結局、今回の政策転換は政策金利をほんの少し上げましたがインフレ下でもありそのうえ「国債買い入れは従来通り」というちぐはぐなものになっています。

■軍備拡張と日銀国債買い入れ「継続」の深い関係

 しかし、次のことははっきりしています。

 日銀が今回「国債買い入れ政策」を撤廃せずアベノミクス時代並みの「国債購入月6兆円」を維持しました。これについては今後の財政拡大のためにその手段を残したのだと見るべきでしょう。つまり、日本政府の財政の日銀依存(事実上の日銀引による国債引き受け)が大規模に今後も継続されることを強く示唆しました。
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 その場合に政府や財界の念頭にあるのは、43兆円(後年度負担を含めるとより大規模になる)という軍備拡張プランを決定していることです。増税や負担金増額ばかりでは賄えない予算は結局日銀引き受け=日銀の国債買受が決定的に重要だからです。財界は軍需産業の再興のチャンスであると意気込んでいます。

■補論・そもそも日本の金利が低い理由

 日本の金利が長期的に低くなっているのは日銀の政策によるものとばかりは言えません。日銀はリフレ派の貨幣数量説(市場にお金をばらまけば景気は良くなる)に従ってさらに強引に金利をマイナスまで引き下げました。しかし、日本の高度経済成長期には、実質短期金利4%、実質長期金利5%が普通でした。

 低金利の基本のキを言えば日本国内の資金需要が不活発であるという点にあります。ではなぜ資金需要が乏しいのでしようか。それは、国内の需要の低迷だと言えます、したがって産業の低迷、個人消費の低迷の反映です。だから、日銀の政策転換だけで昔のように実質金利5%まで「金利上げ」を作り出すことは不可能です。しかしながら、すでにふれたように仮に実質金利0.5%まで上昇しただけで、体力のない個人や零細中小企業の倒産は進行するから問題です。
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 また高度成長期以降の金利の低下傾向は利潤率の低下と連動しておりマルクスの指摘した「利潤率の傾向的低落」と言う資本自身の制限と指摘することもできます。
 しかし、だからと言って資本はじっと死を待つつもりはありません。その一つが日本資本の海外投下・キャピタルフライトです。資本を米国や欧州・中国さらにはグローバルサウスに移動することです。ところがその弊害として国内産業の空洞化や円安が進んでいます。果てしのない悪循環が日本でそして世界の先進国で発生しています。

 詳しくは以下を参照ください。「日銀政策になにも期待できない 資本主義の低体温症は死に至る病」(「ワーカーズ・ブログ」2024.1.30)。

 日銀の政策「転換」の意図するものを暴露して闘いましょう。(阿部文明)案内へ戻る


  利益を手にしたのは企業・資産家だけ――トリクル・ダウン詐欺に加担した黒田異次元緩和――

 植田日銀が、異次元金融緩和からの転換に舵を切った。

 異次元緩和の導入を招いたデフレの原因は何だったのか。アベノミクスと異次元緩和の意味合いと性格など考えてみたい。

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◆ゼロ・マイナス金利からの転換

 3月の政策金利決定会合で植田日銀総裁は、2013年から11年間続けてきたゼロ金利政策(16年2月からはマイナス金利政策)からの転換に舵を切った。異次元緩和の終了、普通の金融政策への転換だという。

 これまでマイナス0・1(日銀への当座預金)だった短期金利を、プラス0・1%に設定し、また〝無理手〟とされる長短金利操作(YCC=イールドカーブ・コントロール=16年9月から)も廃止する。それに、これも〝禁じ手〟とされる株式購入(ETF=上場投資信託)やJリート(=上場不動産投資信託)の買い入れもやめる。が、金融緩和的環境は維持し、月額6兆円ほどの国債買い入れ(現在590兆円)は続ける、というものだった。

 慎重に、というべきか、金融引き締めによる景気の悪化を批判されないように、一歩踏み出した、というわけだ。

 この転換では、昨年末からの日銀幹部による事前アナウンスなど、周到な準備を続けてきた。まだ影響ははっきり出ていないが、マイナス金利の〝副作用〟は解消できるのだろうか。

◆肥えたのは企業と資産家

 ゼロ・マイナス金利の目的は、企業の設備投資での借入金の金利負担の軽減や、マイホームや車購入でのローン金利軽減など、デフレ脱却に向けた景気対策だった。

 これらは、政府による国債の大量発行を支える財政ファイナンスでの利払いの軽減、円安による輸出企業や多国籍企業への収益構造へのテコ入れでもあった。

 労働者や預金者の将来への備えとしての貯蓄は、ゼロ金利で利子収入が消滅。企業への利子所得移転を無理強いされ、低金利による円安で輸入物価は高騰、実質賃金の低下をもたらした。

 そして何より、金利差による記録的な円安への誘導で、ここでも輸出企業や多国籍企業の収益改善が際立つ結果をもたらした。

 これらの結果膨らんだ企業収益は、まずは株価上昇と配当の増額で株主に還元され、株主に評価された経営者の報酬は増額され、企業としては内部留保が史上最高額にまで膨れ上がっている。

 他方で、労働者の賃金は〝失われた30年〟を通して、実質的に横ばいか下がり続けてきた。

 これがアベノミクスの異次元の金融緩和がもたらした現実だった。

(別表――1)    異次元緩和11年間の主な変化

円・ドル相場   1ドル=85円 →  1ドル=144・69円
           (12年12月)     (23年12月)
日経平均株価  12397円   →  33464円
           (13年3月末) (23年12月29日)
日銀が買った株式(ETF)
       1兆5440億円  →  36兆9758億円
        (13年3月末)    (23年3月10日)
企業の内部留保  328兆円  →  554兆7777億円
            (13年度)       (22年度)
完全失業率     4・3%   →  2・5%
            (12年)        (22年)
実質賃金指数   105・9   →  100・8
  (20年=100)(12年度)     (22年度)

◆輸入インフレによるデフレからの脱却?

 日銀がゼロ・マイナス金利からの脱却に踏み切ったのは、ここ数年の物価上昇による深刻な実質賃金の低下や家計の可処分所得の低下という、いわゆる〝副作用〟が膨らんだからだ。

 現在進行中の物価上昇は、日銀が意図したものとは違っている。円安による食料品などの輸入インフレ、ウクライナ戦争による資源・燃料価格の上昇などによるもので、賃上げなどによる内需拡大によるものではないのだ。

 24年春闘では、一部の高収益企業の賃上げではそれなりにあったとしても、それは物価上昇の後追いでしかない。

 現にこの2月の物価上昇は、対前年比2・8%上昇、生鮮食品を除いた食料品は5・3%上昇で、低所得層ほど実質賃金は目減りしていることになる。

 24年春闘の中間集計では、連合の発表(2回目集計)では、全加盟組合1446組合で5・25%、300人未満の組合(777組合)で4・5%、300人以上(669組合)では5・28%となったという。賃金の実質的な上昇を反映するベースアップでいえば、はっきり分かる組合(1237組合)で3・64%だった。

 23春闘ではベアが大手で2・12%、中小で1・96%だったのに対し、23年の物価上昇率は3・1%、食料品が8・2%上昇していたので、 実質的な正社員の賃金は、0・98%縮小、中小では1・14%縮小したことになる。だから今年2月まで、22ヶ月連続して実質賃金が縮小していたわけだ。

 ということは昨年の実質賃金ほぼ1%の下落と今年の2・8%の物価上昇に対し、3・8%以上のベアがないと、実質賃金は下がることになる。3・64%では物価上昇の後追いにも満たないのだ。

 しかも、こうした賃上げさえ、企業だけが利益を貯め込む現状への批判回避、それに〝24年問題〟など、人手不足という経済原理の結果としての賃上げであって、未だ企業・経営側の手のひらでの賃上げの域を出ていないのが現状だ。

◆トリクル・ダウン詐欺

 日銀が大幅な金融緩和に踏み切ったのは、大胆な財政出動、金融緩和、成長戦略という〝三本柱〟からなる〝アベノミクス〟を打ち出した安倍首相に押し切られたからだ。

 安倍首相と黒田日銀総裁は、物価目標2%をめざす金融緩和で合意し、13年に共同発表した

 そのときの会見で、黒田総裁は「2年間で物価目標2%を実現する」と大見得を切った。が、2年どころか黒田緩和10年間でも結果は出せなかった。

 そもそも安倍首相のアベノミクス〝三本柱〟は、〝トリクル・ダウン詐欺〟にもとづくもので、まずは「世界で一番企業が活躍しやすい国」をめざす、というものだった。要するに、大企業が利益を上げられるようになれば、おのずと富は下流にししたたり落ちる、という根拠のない仮説に基づく〝詐欺〟のような代物だった。

 そのアベノミクス10年の現実は、富は株主や企業や経営者が独占し、下流としての中小企業や労働者の賃金、あるいは高齢者の年金、子育て世代への支援、医療や介護など社会保障費などに配分されることはなかった、ということだった。

◆失われた30年

 〝失敗〟はアベノミクスだけではなかった。

 日本は90年のバブル経済崩壊後、ほぼ30年以上にわたって経済成長や賃金レベルが停滞し、それが〝失われた30年〟として、現在に至る。

 たとえば、バブル経済崩壊後の90年代の歴代政権による経済の構造改革の失敗だ。いわゆる〝平成不況〟期に、自民党政権は、10回以上の国債発行による財政支出を中心とした〝景気対策〟を打ってきた。が、構造的な供給過剰と需要不足を解消できず、ずるずると不景気を引きずっていった。

 さらに、平成不況を受けた自民党の歴代政権は、イギリス病(=非効率な国有企業、手厚い社会保障や労働者保護による経済低迷)への警戒感から、日本経済の〝高コスト体質〟からの脱却を目めざしていた。当時、対外純資産が世界一だった日本で、内需の柱でもある賃金は、バブル崩壊後も系統的に低く抑えられた。これでは需給ギャップも解消されるはずもない。

 加えて、バブル崩壊後も低金利政策が続けられたことで、労働者や庶民の金利収入が剥ぎ取られるという、いはば〝見えない収奪〟として需要不足に追い打ちをかけた。景気低迷下で消費税を5%に引き上げた橋本内閣は1年後の98年、金融システム不安の拡大や経済の失速を招いて退陣を余儀なくされた。

 90年代以降の過去を振り返ると。まるで現時点の日本を見ているようだ。要するに、90年代の平成不況下での〝失われた10年〟が、ずるずると20年、30年と続いている状態なのだ。

 01年に発足した小泉政権も、基本的に同じだった。

 政権発足直後の所信演説で「構造改革なくして日本の再生と発展はない」とぶち上げ、二本柱を掲げた。一つはバブル崩壊以降の負の遺産の精算、すなわち財政支出による景気対策という名の対症療法からの転換、二つ目は産業合理化と民営化(郵政民営化など)、いわゆる〝高コスト体質の一掃〟だ。要するに、経済のグローバル化に対応できる産業競争力の強化策だった。

 小泉政権が構造改革を掲げざるを得なかった背景には、平成不況への対処療法が限界にぶち当たっていたからだ。すなわち、実質ゼロ金利が続いて金融緩和策の余地がなくなっていたこと、財政支出も、国債発行残高(当時666兆円)が膨れ上がっており、後は国債の日銀引き受けという〝禁じ手〟しか残されていなかったからだ(ちなみに〝禁じ手〟は、安倍・黒田コンビによって実質的に突破された)。

◆輸出主導型経済成長の陥穽

 90年のバブル崩壊から始まる〝平成不況〟。その〝失われた10年〟は、その後20年になり、30年になった。

 この間、2010年に中国にGDP世界第2位の経済大国の地位を奪われ、昨年はドイツに第3位の地位を奪われ、現時点で世界第4位の位置まで落ち込んだ。数年後にはインドにも追いつかれ、世界第5位の地位まで沈むことが確実視されている。

 経済規模の相対的縮小は、円安という為替相場によるところも大きい。それに〝定常型経済〟という言葉もあるように、経済規模が拡大しないこと自体、悪いことだとは言い切れないにしても、問題はその中身だ。

 なぜ日本は〝失われた30年〟に陥り、そこから脱却できないのだろうか。単純化してみれば、バブル経済崩壊以降の経済再生を、輸出主導型経済で実現しようとしたことだった。

 90年代以降の歴代自民党政権は、地球規模の競争に対抗出来るだけの企業や産業や社会づくり、いはば国家システム総体のコストダウンで経済成長を実現しようとしてきた。

 現に経団連や経済同友会は、ことあるごとに対外的な競争力にマイナスとなる高い労働コストや各種の規制などの〝高コスト体質〟をやり玉に挙げてきた。

 実際、矛先は正社員中心の年功賃金に向けられ、派遣労働など不安定・低処遇の非正規労働の拡大や成果主義賃金の採用が進められた。それに非効率な流通産業の合理化、公的企業の民営化などにも向けられ、さらには法人税の段階的で大幅な減税も進められた。

 この時期は、〝リストラ〟が流行語になり、希望退職での人減らしや不採算部門の切り捨てなど、様々な企業・産業合理化も進められた。

 輸出主導型経済とそのための高コスト体質の是正とは、視点を変えれば、コストが低い中国など海外への産業流出であり空洞化であって、国内需要の削減でもある。その結果は、輸出産業や外国に拠点を持つ多国籍企業の収益は増えるが、縮んだ国内需要でGDPは増加しない。それに円安で拍車がかかり、円安になるほど輸出企業は価格競争だけで優位になる。当然、技術革新や生産性向上も進まない。

 結局、国内経済は拡大せず、とりわけ賃金は30年以上継続的に低迷、あるいは減少してきた。これらは安倍政権でも継続的に続けられてきたものだった。

 その結果生じたことは、富を蓄えたのは巨大輸出企業や多国籍企業だけ。労働者は賃下げ、国内経済の空洞化も進んだ。

 安倍政権によるアベノミクスは、さらに異次元の金融緩和による極端な円安誘導でのコスト競争力の強化で経済成長をめざしたわけだが、それはそれ以前の政権の〝成長戦略〟の二番煎じで、その結果もまったく同じの二番煎じ、三番煎じ、低迷から抜け出すことは出来なかった、というわけだ。

◆まずは労働者の発言力・規制力の強化から

 輸出主導型経済に、何を対置すべきか。

 〝失われた30年〟では、政府や企業は、コスト競争力による経済成長を追い求めてきた。その結果は見ての通り、大企業や資産家だけが肥え太るという現実だった。

 もは利潤至上主義の経済成長による生活改善ではなく、私たちとしては中長期的課題として、利潤システムそのものからの脱却を目ざす場面だ。
 すぐ全面転換とはいかないにしても、産直経済、生産者と消費者を直接結びつける自律型の経済圏の拡大、企業組合、協同組合型企業の拡大などから始めることは可能だ。
 それらと並行して、なによりも労働者、労働組合の力を強化する、労働者の発言力・発信力、労働者の規制力・規程力の強化は最大のかつ緊急の課題だ。

 全米自動車労組のストの成果、ユニオン型組合によるストの試みも拡がっている。企業内組合から同一労働・同一賃金などをテコにした企業横断型の組合への転換も大きな課題だ。そうした課題に精力的に挑戦していきたい。(廣)案内へ戻る


  ウクライナ人民はそれでも戦う 腐敗堕落したゼ政権を乗り越えよう

 ロシア侵略から二年が過ぎました。国際的ジャーナリズムのほとんどが語らない、ウクライナの戦いの新たな道について今こそ考えなければなりません。ウクライナ政府は「領土奪還まで戦う」と主張しています。しかし客観的に見ればそうとは限りません。すでに一部の左翼は新たな戦線を意識しています。

■ロシアばかりではない
 欧米日の資本が「舌なめずり」するウクライナの国土・国民

 ロシアの蛮行に対して、各国政府や大企業はウクライナを何らかの形で支援しています。この勢力つまり欧米日政府のような資金や技術を持ちウクライナに新たな商品市場や投資先を見出そうとする勢力です。すでに米欧諸国は軍需産業や軍隊と連携して大量の武器の提供をしています。各国の軍産複合体は米国を頂点として莫大な利益を上げたはずです。一部無償もありますが、それ以外はウクライナの債務になっています。

 そのほかにも金融支援があります。ウクライナは戦時のため財政危機で公務員の賃金や社会保険の支払いに苦慮しているのです。その結果国際的な金融組織が絡んで膨大な債務をウクライナの人々の肩にかぶせています。米国金融資本のブラックロックなどはウクライナ人の借金を手玉に取って戦争で打ちひしがれている人々から長期的利益を目指しています。

 ブラックロックは、ウクライナの再建に必要な資金調達を支援しています。具体的には、ウクライナ政府への融資、ウクライナ企業への投資、ウクライナの復興債の発行などで50億ドルの融資を計画し、長期にわたる金融ビジネスの定着をもくろんでいます。「大企業が舌なめずりするウクライナの戦後復興」(jacobin参照)。
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 また日本の場合、殺傷武器支援はさすが憲法や平和運動を刺激するので実施されていませんが、ウクライナ復旧計画なるもので資本の投下を目指して準備しています。クボタとヤンマーホールディングスは農業分野でのウクライナ復興に参加しています。ウクライナの基幹産業である農業基盤の回復に貢献を謳っています。住友商事と川崎重工業はガス輸送の近代化の支援のほかにウクライナの被害を受けた電力・交通インフラの整備に関与を狙っています。企業にとって戦争は金になり焼け跡も投資のうってつけの場所なのでしょう。

■新自由主義的国家建設の為にする対ロシア戦争を拒否せよ

 ウクライナがソ連解体(1991年)の後、東欧やロシアのように欧米資本の急激な流入を避けてきたという歴史的事情があります。10年ぐらいの混乱の後ウクライナはロシアの周縁国としてロシアの資本と強い政治的影響下に置かれてきました。しかし、ソ連解体後のウクライナの経済・政治状況は経済開発と言うよりは農民の「小土地所有」への移行以外は従来の「ソ連型」経済の土台のまま財閥体制が出来上がり保守的で官僚的な停滞的社会となっていました。しかしその後のマイダン革命やロシアによるドンバス占領などへの反発により次第に世論は若者を中心としてEU側に傾いてきました。

 こうした経過からウクライナでは資本の近代化が進んでおらず、欧米日からは新たな資本の投下先としての可能性がおおきいと「期待」されています。人口も多いし農業から鉱工業までグローバル資本から見れば投資先として魅力的なのです。これらが欧米日資本がなぜ「舌なめずり」するのかと言う理由です。
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 そしてこのような西欧の動きは当然ゼレンスキー政権の政治路線、つまり積極的な新自由主義的労働政策と外資導入、対欧米連携政策の推進の基盤となっています。欧米諸国からそれなりの待遇でゼレンスキーが歓迎されるのは、まさに彼らのパートナーとみなされているからです。ゼレンスキーが最高司令官として指導するロシアとの戦争は、まさにこのようなものなのです。ゼ政権はこのようにしてロシアとの戦争と一体のものとして国内の労働者抑圧を推し進めているのです。

 戦時ウクライナの体制や法律はますます新自由主義の貫徹すなわち労働者の権利の抑圧として打ち固められつつあるのです。「政府が発表したウクライナ「新労働法草案」は、戒厳令下における労働者の権利に対する最大の攻撃だ!」(ウクライナ社会運動2024/01/18)

■戦争とは形を変えた階級闘争である

 「戦争」とは国と国とが、例えばウクライナ兵とロシア兵が武器を使って領土の取り合いをする・・と言うものではないのです。そのような理解は捨てるべきです。ウクライナ戦争の軍事戦略や戦術そして戦況などがテレビで毎日流されてきますが、それは表層的な問題です。

 そうではなく、戦争の深い歴史的意味は戦争を通じていかなる社会の形成につながるのか、と言う問題なのです。どの階級が台頭し新たに優勢になるのか、どの階級が没落するのかの争いなのです。だから、戦争は領土領域を争う形を取りつつも内乱と同様に階級対立とその闘いの一つの延長部分なのです。つまりウクライナ民衆から見れば、敵はロシア兵やシロビキ・財閥などの支配層であるばかりではなく、ウクライナ国内の財閥や新自由主義階級、官僚・ゼレンスキーらです。ウクライナ人民の敵は自国内にもいるのです。繰り返しますが労働者はこの戦争の中でロシア兵ばかりではなくゼレンスキー国家と「人民のしもべ」から激しく攻撃され続けています!
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 プーチンから見れば「大ロシアからのウクライナの離脱(欧米資本の流入)」をロシアは武力で引き留めたい(領土確保)のでしょう。かくしてドンバス軍事占領とウクライナへの全面侵略が開始されました。プーチン7月論文に従えば、ウクライナ全体を服属させウクライナ人民を支配収奪する決意なのです。

 一方ゼレンスキー政権の下においては、すでに論じてきたように対ロシア戦争が戦時体制も戦後復興も新自由主義による社会経済の建設を展望するレールの上で実行されています。ゆえに必然的に戦争体制の内部的軋轢が進んでいます。ゼレンスキー政権と与党「人民のしもべ」は次々と労働者の資本への屈従を法制化してきたのです。このため、階級対立は戦時体制にもかかわらず、あるいはそれゆえに増々先鋭化しつつあります。
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 ロシアの財閥資本と官僚主義・軍閥が勝利するのか、それともウクライナの財閥資本やゼレンスキーら新自由主義ブルジョア階級が勝利するのかとしてこの二年間戦争は遂行されてきました。しかし、ウクライナ人民にとってロシア軍との戦争はゼレンスキーや国内の財閥資本や官僚体制との闘と表裏一体にならざるを得ないのです。これからの戦争で肝心なことはウクライナの労働者階級が(でき得ればロシアの労働者と連帯しつつ)この両者に戦いを挑み、歴史にその存在を刻み新たなる社会への土台を打ち固めることが出来るかです。そのような運動に高められるのかの分岐点にいます。

 ウクライナの左翼はゼレンスキー政権と決定的に決別し労働者を組織扇動しなければなりません。二つの敵と闘うために!

■革命は国家の「敗北」を恐れない

 しかし、労働者人民の自国政府に対する階級的戦いは大きく遅れています。理由は、ロシアと同じように国家による言論や大衆行動の統制が強まっているからです。しかしながら戦争が長期化する中で、ウクライナでは労働組合を中心に資本とその政府であるゼレンスキー政権との闘いはますます公然となりつつあると報道されています(LINKS)。ゼレンスキーを頂点とする、腐敗と堕落の政治がはびこる政権を打倒し労働者農民そして兵士が団結して財閥や企業を統制し、ロシア侵略軍に対する不服従の抵抗戦を構築する道を選択すべきです。この過程でゼ政権の弱体化は不可避であり戦争の「敗北」を乗り越えて必要があります。
(阿部文明)


  「神々の王」モディ首相の企み インドの階級闘争

 インド経済は近年、世界でもトップクラスの成長率を誇っており、国際的に注目されています。2023年には世界第5位の経済大国となり、2030年には世界第3位になると予測されています。この成長の背景には、IT産業を中心とした各種産業の発展、政府による経済改革や外資の導入、人口増加による巨大な市場などがあります。

 近代化も進んでいます。都市部では高層ビルが立ち並び、多くのインド人がスマートフォンを持ち、インターネットを利用しています。しかし、インドには依然として多くの国内問題が存在します。いや、深まりつつあるからこそ問題なのです。
 
■混沌渦巻くインド社会

インドの人口の約60%は農村部に居住しており、農業は重要な産業です。しかし、農村部では貧困やインフラ不足などの問題が深刻です。さらに農民は貧困層が多く、借金苦や天候による収穫量の不安定さに悩まされています。自営農民が大半を占めているとはいえ他方では40%程度の農民が小作=地主関係の中に閉ざされています。

 農村における階級分断が存在するばかりではなく、都市部と農村部の間には大きな格差があります(国内の南北格差)。都市部では経済成長の恩恵を受けている人が多い一方、近代化の波で低賃金労働者が増大しています。失業問題も依然深刻です。このような、近代化の過程における社会矛盾が、渦巻いているのが21世紀のインドです。
 
■ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立

 インドでは、貧困でも独立自営農が多数を占めていますが、残りの農民の大半は小作・地主関係が依然として存在しています。(自分の土地だけでは暮らせなく、土地を借りる「自営農」もかなり存在するようです)この自営農民に対して小作農民の分布はイスラム教徒の多い地域とは、ある程度相関しています。

 この歴史的背景としてイギリス統治時代、多くのイスラム教徒が土地を失い、小作農となった経過があります。イスラム教徒はヒンズゥー教徒農民に比べて傾向的に小作農が多くを占めるのです。こうしたことからイスラム教徒はヒンズゥー教徒から差別を受けることがあり、土地所有が限られ貧困な身分として虐げられています。
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  上にも示したように、インドの農村部における地主階級の主たる宗教は、一般的にヒンズゥー教です。ヒンズゥー教はインドの主要な宗教であり、農村部を含む広範な地域で信仰されています。地主としての地位を持つ人々あるいは自営農民の多くがヒンズゥー教の信者であるため、農地の所有や地主と小作農との関係において、ヒンズゥー教の文化や価値観が反映されることが一般的で、そのために階級的対立が宗教対立の形をとるケースが多々あります。
 
■モディ首相=ヒンズー教至上主義の狙い:小農民階級とナショナリズム

 インドは多民族国家であり、ヒンズゥー教徒とイスラム教徒を中心とした宗派対立が歴史的に存在します。近年はテロ事件も発生しており、社会の不安定化につながっています。そうした社会矛盾を煽りながらヒンズー教を政治的にも持ち上げて台頭したのが実はモディ氏なのです。

 モディ氏が率いるインド人民党BJPは、かつて非主流派の政党でしたが、ウッタルプラデシュ州のアヨディヤ地域地に建っていたイスラム教寺院(モスク)について1990年に運動を起こしたことで世間にその名をとどろかせました。そして、1992年にはヒンズー教徒の活動家を集めてこのモスクを文字通り破壊し、南アジア各地でヒンズー教徒とイスラム教徒を巻き込んだ暴動のきっかけになりました。モディとインド人民党(以下、BJP)の意図は、多数派農民に圧倒的に根差しているヒンズー教徒の支持をかき集めることで、伝統的な「名門政党」国民会議派の政治支配を乗り越えることでした。
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 インド人民党BJPからすれば、世俗的でエリート家族が支配し英国風の中道の政治を推進する国民会議派は排除すべき存在でしょう。「植民地時代の名残だ」と。
そればかりではなく英国植民地支配はもとより、それ以前の支配国であるムガール帝国(イスラム教徒)の文化は排除されるべきだとします。こうして太古より伝統的に存在する、インドが生み出した価値観こそヒンズー教であるとし、これこそインド人のアイデンティティであるということになります。キリスト教やイスラム教は外来思想にしかすぎないと。モディ氏らは農民や都市部の低開発分野の伝統的産業を担ってきた広範な大衆のナショナリズムの強固な基盤をヒンズー教に見出しています。
 
■総選挙とモディ首相の政治的狙い

 インドでは2024年の4~5月の数週間にわたって総選挙が実施され、モディ首相と与党・インド人民党が3期目の政権獲得を目指します。インドの最新の世論調査では下院の543議席のうち、与党・インド人民党が308~328議席を得るとの予測があります。303議席を獲得した2019年の前回選挙からさらに議席を伸ばし、単独過半数を維持するとの見方が強いのです。モディ首相とJBPはそのために強引なことをしてきました。
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 モディ氏らとJBPによるモスク破壊(1992年)のまさにその場所にヒンズー教寺院「再建」の暴挙が発生したウッタルプラデシュ州のアヨディヤ地域は、ヒンズー教の聖地として知られています。ラーマ神の生誕地とされています。そのため、農村部ではヒンドー教の文化や信仰が強く根付いています。祭りや行事、寺院などの宗教的な活動が盛んに行われています。

 モディ氏が1月に、開所式に参加した豪華なヒンズー教寺院は、その破壊されたモスクの跡地に「再建」されたのですが、この事実は、イスラムの支配の上に立つ「インド精神」の復活を象徴させようとするものです。ラーマ神の寺院再建は、ヒンズゥー教徒のアイデンティティと誇りを高めるプロジェクトとして推進されてきました。モディ首相は2014年の選挙公約で、ラーマ神の寺院再建を掲げました。ゆえに「公約の実現」と言うことになります。彼は資金調達に積極的に取り組みつつラーマ神の寺院再建を政治的に利用し、ヒンズゥー教徒の支持を拡大してきました。自らを「インドのあらゆる人々を代表する」ために神から遣わされたラーマ神の「道具」だと公言しているそうです。BJP幹部はモディ氏を「神々の王」とうたっています。

 こうして、モディ氏らに対するインド農民世界の支持が固められようとしています。
 
■モディ政治とは新自由主義の一派にしかすぎない

 後回しになりましたが、モディ氏らの建前論の検討は終わりにして一番大切な話しをしましょう。これまではモディ氏らの政治的イデオロギー的背景を中心に見てきましたが、モディ政権がこの十年間国際的評価が高いのは「メイク・イン・インディア」つまりインド国内での製造業振興政策、外国直接投資の促進つまり外資誘致政策、デジタル・インディアつまりデジタル化推進政策などです。それに加えて、財政規律の強化、ようするに財政赤字削減政策と言うことになります。新自由主義そのものです。
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 中国では改革開放政策と言うのがありましたが、それにより中国は投資を呼び込み国内の安い労働力を提供し「世界の工場」と呼ばれるようになりました。インドが、その後を追っています。まさにインドの改革開放政策で、南部の都市部での第二次産業の興隆が開始されており、冒頭のようなGDP成長率が世界でトップクラスになっています。

 しかし、それに応じて、貧富の格差やとりわけ農民階級の没落と困窮化が今後社会問題として急浮上してくると予想することが可能です。それゆえにモディ政権が行ってきたヒンズー教翼賛により貧困層の農民の支持取り付けなどは、空手形による下層民衆の抱き込み策であり、欺瞞だと言わざるを得ません。さらに、没落する自営農・小作農民の都市流入による労働者階級の急速な形成は、今後、中国以上に不安定な経済成長を結果すると思われます。

 ヒンズー教至上主義が、一層観念化し急進化し国内的な混乱の発生も否定できません。
 
■モディ首相の「聖なるインド」構想

 モディ首相の「聖なるインド」構想についても少し触れます。インド民族主義を基盤とした国家建設構想です。もちろんヒンズー教徒を中心としたもので主な内容は以下の通りです。

 ヒンズゥー教徒の文化・価値観の重視つまりインドの歴史や文化、伝統を尊重し、ヒンドー教徒の価値観に基づいた社会を築くことを目指しています。インドはヒンズー教徒の国であるという意識を強調し、ゆえにイスラム教徒に対してヒンズゥー教徒の文化・価値観に同化することを求める声が強まっています。ヒンズゥー教徒による抑圧により宗派対立が激化しています。

 この構想の特徴はヒンズゥー教徒を中心とした国家主義であり、イスラム教徒など他の宗教の信者に対する差別や排斥につながりつつあります。また、インド憲法は世俗主義を掲げていますが、この「構想」は世俗主義を放棄し、ヒンズゥー教をインド民族の理念として戴く国家建設を目指すものです。

 このモディ構想について少なくない知識人・左翼活動家はこの構想が憲法違反であり少数派の権利を侵害するものとして反対しています。
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 つまり、モディ主義とは新自由主義的な資本形成において、必然的に巻き起こる社会矛盾や抵抗する勢力を弾圧する国家体制およびそのイデオロギーとして、土着の伝統宗教を利用するということです。そこが特異性でしょう。インドにおける階級矛盾の高まりこそ「聖なるインド」構想の背景なのです。

 「インドの原理主義化は恐ろしい。4月の総選挙を前に、世界中の進歩的勢力に警戒を呼びかける。インドの人々は、世俗的で、公正で、平等な民主主義を確保するために何十年も闘ってきた。モディがそれを奪うことを許してはならない。」(プログレッシブ・インターナショナル)。(阿部文明)案内へ戻る


  少子化は資本主義が生み出した新たな危機である   「テーラーメイド社会」の打破へ

 少子化がいわれるようになって数十年が経ちます。間違いなく言えることは「子どもを産めない、生まない社会」は正常ではないということです。総務省の人口推計によると、2100年には日本の総人口は半分の約6,000万人、2200年には3000万人と、百年単位で半減すると推計されています。問題をしっかりと掘り下げてみるべきでしょう。

■「少子化」は世界のメガトレンド

 日本の少子化は深刻です(合計特殊出生率1.30)が、韓国も同様に深刻な状況です。2022年の韓国の合計特殊出生率は0.81で、OECD加盟国の中で最低です。ところが欧米諸国も例外ではなく、多くの国で出生率が低下しています。2020年のOECD加盟国の平均出生率は1.59で、人口置換水準(2.1)を下回っています。

 人口置換水準は、女性一人あたりの平均出生数が2.1であるとき、人口が一定に維持される水準を指します。つまり、一対の両親が自分たちの代わりにちょうど二人の子供を産むということです。

 もし出生率が人口置換水準(2.1)を下回ると、その社会の人口は減少していく傾向にあります。これは、死亡率に追いつかない出生率の低下によるもので、移民を除いた場合に再生産が死亡率をカバーしないことを示しています。

 したがって、人口置換水準を下回る出生率が持続されると、結果的に人口減少が発生し、その社会は人口を維持できなくなります。
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 2月29日の世界銀行の資料によると、妊娠可能年齢の女性(15~49歳)1人が産むと予想される平均出生数である合計特殊出生率の世界平均は、1968年に5を記録してから、56年間にわたり下り坂を歩んでいます。1969年に4台に突入した後、1977年(3.8)に3人台、1994年(2.9)に2人台に下がりました。最新の統計である2021年時点では2.3まで落ちており、1960年代と比較すると半分のレベルです。フィナンシャル・タイムズは「ほとんどの先進国は、1世代の人口が次世代ですべて交替させられる出生率である2.1に当面は達しえない」としたうえで、「開発途上国まで下方軌道に進入している」と指摘しています。これは資本主義生産様式が西欧から東洋へそして今ではグローバルサウスに至るまで拡大した結果とみることができます。

■「少子化対策」は問題の本質をとらえていない

 政府の「異次元の少子化対策」の内容がしょぼいのは事実です。子供は金がかかります。「子ども・子育て支援金制度」に基づく給付がどうでもよいと言うつもりはありません。しかし、それと合わせて義務教育の無償化、高校教育無償化、欧州のように大学教育無償化なども推進すべきでしょう。
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 しかし何よりも「少子化対策」にとって大切なことは、女性や母性が尊重され、それが基盤となって創る社会であるということがより根本的な課題であることを指摘したいと思います。現代の社会システムはそうなっていないということです。

 近代における女性の社会進出は、多くの女性が労働力として被雇用者となることによって拡大してきました。ところがすでに見てきたように、このような社会進出に逆比例する形で少子化が深刻化してきたのです。と言うのは、女性が現代社会で企業等への進出を果たしそして地位を確保したり、出世して高いポストに就くことはまさに母性や女性の抑圧として作用すると思われるからです。企業社会で男性と肩を並べて働くには出産や育児の負担の少ない男性に対して女性は明らかに「不利」な存在として現れるでしょう。
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 上野千鶴子さんが、講演で語っていましたが「現代社はテーラーメイド(紳士服仕立て)」であると。つまり、女性が社会進出を果たし出世に突き進みキャリアを積むことは「紳士服を着て、男性のように働く」ことを意味するのです。現代社会が、とりわけ日本や韓国社会は伝統的保守主義が残るという面もあり、そこでの社会進出は女性としてではなく男性として働くことを意味しているということです。これでは少子化は資本主義の宿痾として容易に解消できないでしょう。

■高額所得層も少子化は進む

 少子化が深刻化する現代において、高額所得者の出生率の変化は、日本だけでなく世界各国で注目されています。高額所得者は低所得者よりも出生率が高いのが知られています。子供を産める、育てられるという経済的優位性が見て取れます。ところが高額所得者層の出生率は全体的な出生率の低下傾向と程度の差はあれ同様の傾向にあります。
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 日本における所得別の出生率を見てみましょう。

2017年の調査では、年収1200万円以上の夫婦の平均出生率は2.05人、年収700万円~1200万円の夫婦は1.88人、年収500万円~700万円の夫婦は1.74人、年収300万円~500万円の夫婦は1.63人、年収300万円以下の夫婦は1.48人でした。世界各国でも、高額所得者層の出生率は、全体的な出生率よりも高い傾向があります。しかしながらやはり出生率は減少しています。ここで分かることは「高収入」だけでは少子化のスピードを減速させても止められないことが示されています。

■ジェンダー差別を深くとらえる

 「ジェンダー差別」と言うと、同じ仕事をしているにもかかわらず男性と女性で賃金が異なる場合があること。また、女性がより低賃金の職種に集中する傾向があることなどが挙げられます。 女性はSTEM分野(科学・技術・工学・数学)など男性が優位な分野に進むことが難しい状況や、管理職やリーダーシップポジションに女性が十分にアクセスできない状況があることなどが指摘されます。

 賃金を男女対等にする、会社役員の女性を増やす、といった「指標の改善」は当然の差別の是正です。しかし、それだけでは問題の真の解決にはなりません。女性のままで適合する社会になること、あるいは女性や母性が主体的に形成する社会であること、すなわちジェンダーフリー社会を展望することが無ければ、少子化問題への対応にはならないと思っています。「テーラーメイド(紳士服仕立て)」の社会構造の破壊こそ不可欠な条件だと思われます。このような核心部分の変革なしに「女性活躍」「女性の社会進出」を推し進めることが今の社会では母性の抑圧となり、その一つの結果が「少子化」なのです。
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 日本や韓国のように、後発資本主義から一気に資本主義化した国ではより一層少子化が深刻です。欧米先進諸国のように形の上でジェンダー平等が浸透している国では少子化の深刻度はややましです。しかしながらいずれにしても「子どもを産まない、産めない」社会環境を資本主義が日々拡大再生産しているということは見逃されてはなりません。

 現在の男性社会に代わる女性や母性を大切にする社会、いや女性や母性に基づいて社会を造り直すことこそ求められています。現在の社会は男性中心社会という擬態を持っていますが、その本質は資本・企業のもとでの個人間競争であり階級社会です。したがって「男性優位」は資本主義が生み出した物象(ぶっしょう)なのです。ゆえに男性大多数にとっても不快で住み心地の悪い社会にならざるを得ません。根本的社会変革が必要です。(阿部文明)


  自然エネ普及への打撃  大電力会社は「出力抑制」をやめて安全低コスト発電の優先を 

 大電力会社が計画的に実行する「出力抑制」「電力制限」は自然エネルギーがこの日本でも増えてきた、と言うことが「理由」だとされます。しかしそれは違います。むしろ未来にわたる社会ビジョンの問題です。

■再エネの出力抑制(制御)とは何か

 再エネ小電力会社にとってほんとに困った問題です。例えば東北電力管内市民発電所でも東北電力による有無を言わせぬ「抑制」で通年3%程度の収入減少となっています。九州の事例では「(七月に)電力12万円販売しても実際の入金は(代理制御調整金徴収により)2万円のみ」と言うケースがあるようです。九州は太陽光など再エネが進んでおり、他方では後でも述べるように九電の原発再稼働が進んでいますので「出力抑制」がきつい地域となっています。22年度から23年度には倍増し通年で10%に達すると予想され、小電力が大電力会社の計画に基づいて「抑制」させられ、再エネ機運にブレーキをかけています。政府の再エネ拡大目標(不十分ですが)にも打撃を与えかねません。

■情報公開を

 「詐欺だ」と言う声もありますが、実は大電力会社はFIT(再生可能エネルギーの固定価格買取制度)の下では年間360時間まで無償で「制御」に応じる義務があると契約時に規定を入れています。それにしても、東北電力からの「制御」の事前事後報告はありませんし、実態が不明だらけです。(ゆえに、個々の事業者が自分で調べて初めてそれらしきことがわかる)これらについて各電力会社は「抑制」の合理的理由と日時と時間を説明する責任があるでしょう。公正なものなのか否か、情報開示を求めようという声が上がっています。

■原発再稼働により「抑制」が強化?

 電力の安定のためには発電と需要が一致する必要があります。五月などの電気需要が少なくまた、太陽光発電が盛んに電気を作る時期はその調整が必要となります。

 出力抑制の順番はまず火力発電、次に連携線による余剰電力の他地域供給、次に太陽光など再エネ、最後に水力、原発と大まかにはなっています。

 しかしこの「順番」にも大きな問題があります。政府と電力会社は原発を抑制するどころか再稼働を進めています。このままでは再エネの「抑制」は今後より頻繁にならざるを得ないことになります。

 自然エネを抑制対象にするのはもちろん政府の「カーボンニュートラル宣言」に逆行するものです。原発は「抑制」が困難です(出力調整は危険で、エネロスが大きい)。燃料棒の燃焼効率を最大限に高めるため、一定の出力を維持するというのが電力会社の勝手な決めごとです。

 ゆえに再稼働すればするほど再エネはそのあおりを受けます。「抑制」が頻繁にかかり、経営の打撃となります。過剰電力の際、火力をもっと低下させるとか、揚水設備を強化する(蓄電)とか、連携線の強化などで「再エネ抑制」を回避できるとの提案もありますが、大電力は本気に取り組む気は無いようです。政治的な闘いが必要です。
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【図】のように、日本式の「ベースロード電源」政策を転換しましょう。原発や石炭をやめて、地域間の電気融通と火力の調整発電としての位置を明確にし再エネ優先し電力の主体として再構築すべきです。日本型からドイツ型への転換を目指しましょう

■中東の石油やロシアの天然ガスに依存しない、
  再エネが自立した基幹電力となる未来図を描こう

 自然エネを基幹電力にすることは、環境保全や気候危機対策であると同時に、戦争等の国家間対立の大きな要因を取り除くことになるのは、現在のウクライナ戦争、ガザ戦争を観れば改めて理解できます。

 日本はエネルギーの中東依存が異常に高く、戦争に巻き込まれる可能性と、裏返しに外交力の足かせとなっていると思います。日本国土は自然エネにあふれています。石炭火力の全廃は「気候危機」対応を考えれば喫緊かつ即実行可能です。豊かな自然エネを電気に変換して生活することは環境を守り平和を守る道なのです。(AB)案内へ戻る


  自衛隊の将官経験者が靖国神社のトップに就任   切っても切れない「靖国」と日本の軍隊

 自衛隊の将官経験者が靖国神社の宮司に就任することは大きな問題です。靖国神社は、日本の戦没者を祀る神社ですが特に問題視されるのは第二次世界大戦の戦死者ばかりではなくアジアを蹂躙した「戦犯」を追悼しているからです。

 そのため、靖国神社は日中、日韓の関係に影響を与える敏感な場所となっています。自衛隊の将官経験者が靖国神社のトップに就任することは、外交的な問題を引き起こす可能性があります。中国や韓国国民は、靖国神社を「日本の軍国主義の象徴」と見なしており、そのような人物が神社のトップに就任することに対して当然批判的です。

 同時に、日本の国民が真に危険視しなければならないのは自衛隊の軍拡と連動した思想的反動化です。

■靖国自衛隊

 自衛隊の将官経験者が靖国神社のトップに就任することは、あまりに政治的であり戦前の復活を意味します。戦前においては、帝国軍人が靖国神社の宮司となってきた歴史があります。しかしながら、戦後になって自衛隊の「戦死者」は誰一人靖国にまつられることはありませんでした。戦後創設された自衛隊と靖国神社は形の上では何の関係もないはずです。ところが調べてみるとそう単純ではありません。
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 警察予備隊の創設は、1950年8月10日に発足し、12月29日に編成を完了しました。警察予備隊の創設の経過は次のようでした。1950年に朝鮮戦争が勃発した際日本に駐在していたアメリカ軍も朝鮮半島へ出動し、第二次世界大戦後、日本がポツダム宣言の受諾により連合国軍の管理下に置かれ、旧日本軍が解体されたため「日本を防衛する兵力が不在」であることが問題視されました。

 警察予備隊の創設初期は、旧軍の幹部を排除して行われました。もちろん背広組トップの増原恵吉長官も、制服組トップの林敬三総隊総監も、大日本帝国を取り仕切ってきた元内務官僚でした。しかし、朝鮮戦争において、旧日本軍および満州帝国軍に所属した将校が奮戦したことから、職種における現場の専門職に在った大佐級の元帝国軍人の公職追放を「限定的」に解除し、その人事に組み入れていくことになりました。彼らの指導者としての役割は自衛隊組織の基盤形成でした。
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 かくして天皇制度と同じように、旧帝国軍隊の人脈と思想は解体されることなく自衛隊に組み込まれることになりました。警察予備隊は、1952年保安隊に改編され、1954年陸上自衛隊となったのです。

■「靖国」の軍部活用

 陸上自衛隊の幹部と部隊が1月9日に靖国神社を参拝したことが報じられています。「陸幕副長ら靖国集団参拝・・数十人 通達違反か、防衛省調査」(日経)。しかも公用車での参拝であり、自衛隊幹部・隊員の公式参拝とみられ、内規により禁じられてきました。

 繰り返すまでもなく靖国神社はA級戦犯がまつられており、参拝はアジア諸国の感情を逆なでにすることもあり、天皇すら参拝を避けてきたのです。それにもかかわらず軍隊の幹部が部隊を引き連れて参拝したことは許しがたいものです。厳重な処分が必要ですがその後の報道がありません。

 防衛費の2倍化や、敵基地先制攻撃態勢の構築、そして空母打撃軍の創設などの流れの中で念頭に置かれている「台湾有事論」「中国脅威論」と深い関係があるでしょう。

 南西諸島は自衛隊が一方的に「戦場」「最前線」と位置付けています。このような場所のど真ん中にある宮古島の基地部隊による地元神社参拝がさらに明るみに出ました。靖国への陸自参拝とともに意図的・組織的であることは間違いありません。軍部による精神教育の一環だろうと推測します。

 裏金問題に象徴される現代の腐れ果てた日本国家=自民党政府のために戦う兵士は皆無だと思われます。このような閉塞状況のなかで「勇敢に戦う兵士」の精神教育は簡単ではないはずです。自衛隊はその本音に立ち返ったのでしょう。「お国のために死ぬ覚悟」「過去の英霊を讃える」「天皇制国家神道」「靖国で会おう」といった隊員の戦う精神教育に踏み出したようです。とんでもなく間違った教育です。軍国日本の復活に警鐘を鳴らしたいと思います。(A・B)


  読書室  『最新版 コロナワクチン 失敗の本質』宮沢孝幸・鳥集徹著宝島文庫二〇二四年二月刊

〇国民の約八割が二回以上のワクチン接種をしたにもかかわらず、感染症は収束することなく、その後の第八波では過去最多の死者数も記録した。当初からコロナワクチンの安全性と有効性に警鐘を鳴らしてきた著者二人が、親本発刊から一年半後にコロナ騒動とワクチンを総括する。巻頭にはこの間の言行で京都大学を今年度末に免職になる宮沢氏と鳥集氏との特別対談が収録されている。コロナ関連書としては決定版というべき良書である〇

『京大 おどろきのウイルス学講義』(PHP新書二〇二一年四月一六日刊)で出版デビューした宮沢孝幸氏は、その後も『ウイルス学者の絶望』、『ウイルス学者の責任』、『なぜ私たちは存在するのか ウイルスがつなぐ生物の世界』の出版等で知られる新進気鋭の京都大学医生物学研究所ウイルス共進化分野准教授である。彼は東大からの移籍組だ。

 その彼と『コロナ自粛の大罪』(宝島社新書)等の優れた著書がある医療系ジャーナリスト・鳥集徹氏との対談による、コロナワクチンの「リスク」と終わらないコロナ騒動の「真相」に迫った新書の出版が、コロナ騒動の一総括として刊行されたのである。

 この本は、第一章コロナワクチンの「正体」、第二章コロナマネーの深い闇、第三章マスコミの大罪、第四章コロナ騒動を忘れるな、の全四章で構成されており、コロナワクチンの読み易い優れた総括本だと評価できる。何よりの特徴は、第一章には二十二の、第二章に十三の、第三章に七の、第四章に十一の実に丁寧な注釈があり、本書を読む時、私たちの理解を助ける知識が書かれている。特に第一章に注釈が多いことも実に納得である。

 そして二〇二二年八月に上梓されてから一年半の間に、余りにも多くの事が起き、また状況の変化もあったが、新書版で指摘された警告はことごとく現実となってしまった。

 本文庫は、新書版の冒頭にこの一年半を振り返る約五十頁の「文庫版特別対談」を付け、目下の大問題であるパンデミック条約と言論と学問の自由に対する不当な圧力、医学界の体質的な問題、そこから見えて来た「コロナウィルス」の正体を語り合ったものだ。

 ウイルス学の専門家で免疫学の権威でもある宮沢氏は、ほとんどの医師は免疫学を知らないとして、コロナワクチンに対しても疑問を持つなどの自主的な判断力はないと断言する。確かに偏差値が高いことが自慢のほとんどの医師は、受験のように決められた問題に決められた答えを解くことにはたけているが、自らの問題意識により現実の中に新たな問題を見つけ出して解く等の思考力など持ってはいない。そして自らも序列化することが好きなのである。宮沢氏は農学部畜産獣医学科出身であるから、下に見られているのである。

 本来であればコロナ対策の当否を科学的な立場から自由に討論し、適切な結論を提起すべき医師や医療研究者が、例えば宮沢氏のように自由な研究・啓蒙活動を封じられ、京都大学医生物学研究所を退職するまでに追い詰められたことは、本当に重大なことである。

 宮沢氏は、昨年には仙台駅頭でコロナは「人工ウイルス」だと叫んだのだが、その言行が京都大学の准教授の品格にふさわしくないとして今年度末には免職にされたのである。

 特別対談は、控え目な表現ながらも現に宮沢氏が受けていた圧力が垣間見えるよう、かなり踏み込んだ部分もある。昔、反権力の砦としての京都大学は今や東大と変わらない大学となったのだ。本文庫は、新書版をお読みになった方にとっても再読する価値がある。

 実際、ワクチンは効かないばかりか、その薬害が拡大していることが知られてきた。そして当然の展開として、接種する人は減る一方であり、ワクチンの大量廃棄が始まった。しかし当初ワクチンを接種せよと言っていた医師たちも沈黙するようになったのである。

 本書の帯には、「科学者たちよ、なぜ『史上最大の薬害』に沈黙するのか」との宮沢氏と鳥集氏に共通する、魂からの叫びが明記されている。まさに責任者出てこいである。

 コロナワクチンとは何か。その疑問に本書はしっかり答えている。一読を薦めたい。(直)


 読書案内  「維新観察記 彼らは第三の選択肢なのか」 著者 適菜収
 発行 ワニブックス「PLUS」新書

 
 本のなかで著者の適菜さんは、「維新の会は、大阪で発生した大衆運動です。維新は、嘘とデマで大衆を騙すことにより拡大してきた。吉村洋文や馬場伸幸ら維新の構成員がこれまで垂れ流してきた『私立学校の完全無償化を実現した』というのも完全な嘘、デマである。吉村は、昔の大阪市は大赤字でそれを立て直したのが維新市政だったという趣旨の発言も繰り返してきたが、これも大嘘。大阪市のホームページには、二○二一年度一般会計決算について、《平成元年度以降三三年連続の黒字となりました》とある。二○二二年の参院選の政見放送で松井一郎は大阪の私立高校の入学金が無償である旨の発言をしたが、これも完全なデマだった」。  

 維新の狙いは、国政や地方自治体で自民党に失望している層の受け皿になることで、自民党がダメだから維新を選ぶのは間違いです。維新は、自民党以上に排外主義で弱肉強食の政治をやっています。  

 二○一五年の大阪市廃止?分割を問う住民投票では、当時大阪市長の橋下徹はタウンミーティングで「東京を飛び越えてニューヨーク、ロンドン、パリ、上海、バンコク、そういうところに並んでいく大阪というものを目指そうとする。これが大阪都構想賛成派」と発言しました。でも、大阪市が廃止?分割されたら町や村以下の特別区になるところでした。こんなものをやろうとする維新、えげつないです。  

 二○二○年大阪府知事の吉村は、イソジンがコロナに効くと言っていました。「嘘みたいな本当の話をさせていただきたい。ポビドンヨードを使ったうがい薬、目の前に複数種類ありますが、このうがい薬を使って、うがいをすることでコロナの陽性者が減っていく。薬事法上、効能を言うわけにはいきませんが、コロナに効くのではないかという研究が出たので、紹介し、府民への呼びかけをさせていただきたい」。これはもちろん嘘のような嘘です。  

 二○一九年、日本維新の会が参院選の比例代表で三人の公認を発表しましたが、そのうちの一人が元フジテレビアナウンサーの長谷川豊(後に公認辞退)でした。彼は、女性差別発言を繰り返してきました。「女が完全にトチ狂って、本能に支配されきって、完全にくるくるパーにならないと、子どもを産もうなんて思わない」、「八割がたの女ってのは私はほとんんど『ハエ』と変わらんと思っています」、「育休とったら社会に戻れない?言い訳すんな。バカ」。  

 また、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」。  

 これらの発言をする長谷川豊、ホンマにひどいです。  

 二○二○年一一月一日の、大阪市廃止?分割を問う二度目の住民投票否決を受けての会見で、松井も吉村も三度目の住民投票はないと言いましたが、信用できません。吉村は「大阪維新の会として都構想の看板を下げているわけではありません」と発言しました。そして二○一五年の一回目の住民投票で橋下は、「都構想の住民投票は一回しかやらない」、「賛成多数にならなかった場合には都構想を断念する」。二回目の住民投票が行なわれたのであるから、これもウソでした。  

 維新は「身を切る改革」と言いながら、住民のサービスを削ってきました。大阪市のコミュニティバスである赤バスを廃止したり、住吉市民病院を廃止したり、公立病院や保健所などの職員を大幅に削減してきました。  

 弱肉強食の社会を作ろうとしている維新、到底許すことができません。(河野)      案内へ戻る


  コラムの窓・・・新たな危機、永遠の化学物質による環境汚染

 3月7日締め切りの「有機フッ素化合物(PFAS)に係る食品健康影響評価に係る審議結果(案)についての意見・情報の募集について」、意見を送りました。パブコメなど書いても結果は変わらないと言われるけれど、書かずにおれない実態があります。500字以内とされたパブコメ、私は次のとおり書き送りました。
パブリックコメント

 有機フッ素化合物は容易に消え去らない環境汚染化学物質であり、すでに環境中に存在するものであり、汚染が拡大する前に対策を取らなければならない。特定できる汚染源(米軍基地やダイキン工業)を確定させ、汚染物質の環境への排出を止めなければならない。他の汚染源も調査し、対策を取らなければならない。

 健康影響について、審議結果(案)は「情報は不十分」「証拠は不十分」とあるが、リスクが明確になるまで規制を保留するなら、汚染してしまって取り返しのつかない手遅れとなる可能性がある。それは水俣病を取り上げるまでもなく、深刻な健康破壊を招く。

 米国で行われた「C8科学調査会」による約7万人の血液調査によると、PFORと次の6種の病状との関連性が確認されている。妊娠高血圧症ならびに妊娠高血圧腎症、精巣がん、腎細胞がん、甲状腺疾患、潰瘍性大腸炎、高コレストロール。

 健康影響評価というなら、少なくとも汚染地での大規模な血液検査と健康調査を行うことで、現状把握をすることが欠かせないだろう。健康破壊の危険性に関しては安全側に立ち、くれぐれも手遅れにならない規制を行うよう心掛けなければならない。

 C8というのは、PFOA・PFOSは8個の炭素原子にフッ素原子がついていることを示しています。PFOAはもっぱら焦げ付かないテフロン加工などに、PFOSは軍事基地(自衛隊基地も含む)で使用する泡消火剤などに含まれています。既に使用禁止となっていても、アスベストと同じように今も使用中・使用済みのものから漏れ出しています。

 食品健康影響評価案を取りまとめた食品安全委員会「PFAS作業部会」は、最新の研究成果を無視し、規制強化に反対する勢力に忖度したのです。諸外国では規制強化が進んでいるのに、水道水や河川など環境中の水についてPFOAとPFOSの合計で1リットル当たり50ナノグラム(ナノは10億分の1)の暫定目標値を変えない方針です。

 さて、3月14日のNHK時論公論が、「化学物質PFAS 相次ぐ検出 健康影響は? 水質基準と今後の対策は?」を取り上げました。しかも、珍しく問題点をしっかり指摘しています。そして、求められる対策を次のとおりまとめています。

①大半の自治体が水道水の調査を未実施、水質基準に入れ実態把握を。②各地で住民の血液中から高濃度のPFASを検出、全国的な調査が必要では。③基地・工場など汚染源の特定と、新たな排出の確実な防止。④現在は法的拘束力のない暫定値がPFOA・PFOSの2種(PFASは4000種類以上ある)のみ。

 そして、〝予防原則〟から欧米並みの規制が必要では、と結んでいます。私が送ったパブコメとほぼ同じ内容ですが、断定しないで〝では〟となっているのがNHK的です。フクシマの核汚染水だってそう、環境汚染してしまってからでは浄化はムリ。汚さないことが最善だと、私は思うのです。 (晴)


  沖縄通信 伊江島での学習会 報告

 3月9日(土)~10日(日)の2日間、伊江島で「第22回ゆずり合い・助け合い・学び合う会」が開催された。

 この学習会は伊江島の阿波根昌鴻さんの闘いを学ぶことを目的にして始まった学習会で、今年で第22回の開催となった。

 阿波根昌鴻さん(1901年3月3日~2002年3月21日)は、生涯を平和運動にささげ「沖縄のガンジー」と呼ばれた人である。

 伊江島は沖縄戦の縮図とも言われている。島は沖縄戦の戦場となり阿波根さんは最愛のひとり息子を沖縄戦で失い、生き残った島の人々は米軍によって慶良間諸島に強制移住させられ、2年後に島に帰ることが出来た。

 島民は沖縄戦で破壊された土地を耕し、家を建て、生活を立て直していたところ、米軍は伊江島を実弾演習場にするために、住民が住んでいる土地を銃剣とブルドーザーで強引に奪った。米軍に土地を奪われた住民は非暴力の抵抗運動を続け、沖縄県民にこの伊江島の実情を知らせようとして那覇まで「乞食行進」をして徹底した抵抗運動を続けた。

 阿波根さんは記録や資料を残すという感覚も優れていたので、生涯を通して公私にわたる多くの闘いの記録・資料を残している。

 1984年に共に働き・学び合う場として「わびあいの里」を開設する。施設内に設置された「ヌチドゥタカラの家・反戦平和資料館」には、阿波根さんが収集した資料の一部が展示され、開設以来修学旅行生をはじめ多くの人々が資料館を訪れている。

 1日目の学習会では、記録映画「教えられなかった戦争・沖縄編」の上映。シンポジウム「阿波根昌鴻資料調査の取り組みと意義について」の開催。このシンポのパネリストには大学教授・写真家・わびあいの里理事等々が登壇し、また韓国の梅香里で米軍基地返還をめざし闘っているメンバーも報告をする等、充実したシンポジウムとなった。

 2日目は、記録映画「人間の住んでいる島」の上映、参加者からの報告・発言・問題提起等があり、最後に「わびあいの里幹事」からの総括と挨拶があり終了した。

 なお、伊江島の闘いの歴史を知りたい人には「「教えられなかった戦争・沖縄編/阿波根昌鴻・伊江島のたたかい」(映像文化協会)、「命こそ宝/沖縄反戦の心」(阿波根昌鴻著/岩波新書)等を薦める。
(富田英司)


  色鉛筆・・・悪性リンパ腫再発 久しぶりの入院生活

 五年前、人間ドックで腹部にリンパ腫が見つかり、早く大きな病院を受診するように勧められ、色々な検査の結果、悪性リンパ腫ステージ四と告げられました。抗がん剤治療のために入院生活が始まり、同室の周りの人達は、白血病でした。入院したばかりの私に髪の毛があるのが違和感でした。ベッド周りのカーテンを閉めるのは、就寝時だけで、周りの人達もずっと開けていたので同室の人とお茶しながらお話をする機会が増えていきました。一日おきの血液検査の結果に一緒に一喜一憂し、家庭のことなど色々なお話をいっぱいしました。私自身、がんと告知され、落ち込んでいましたが、同室の方々は、私より抗がん剤の種類や量が多かったりしている方も多い中、みんな前向きに治療を頑張られていたので、ものすごく励まされました。面会も自由で、毎日家族が来てくれて励まされて無事に六回の抗がん剤治療が終わりました。その後の検査で一センチ以上のがん細胞が見つからず、寛解になりました。

 定期通院では異常がなく過ごしていましたが、今度は職場の検便から大腸と小腸の間に五センチの腫瘍が見つかり、大腸がんの可能性が高くなり検査を進めた結果、悪性リンパ腫の再発だと分かりました。

 治療のため五年ぶりに入院をしました。前回の入院とは違うことが多くて、戸惑うことばかりでした。入院をする前に、コロナとインフルエンザの検査をして陽性だと入院ができない。私は陰性だったので入院できました。面会はマスクをつけて五メートル離れて手を振るだけ、荷物は看護士を通じてのやりとりです。荷物の中身はリストに記入しなければいけません。必要な物を購入するために病院内にコンビニに行ける時間も決まっており、19時から20時の間です。同室の人ともカーテンを閉ざしていてほとんど話さないので、聞こえるのは寝息だけ、顔もほとんどわかりません。携帯電話を使用して会話できるのはナースステーション前の椅子だけです。ほとんど使用しませんでした。確かに抗がん剤治療を受けていると抵抗力は下がり、感染して重症化し治療ができなくなるので、わからないわけではないのですが、管理体制があまりにもきびしく変わっていてびっくりしました。また、前回の治療では、抗がん剤投与の日から一週間ずつ計六回入院していましたが、今回は二回目の抗がん剤投与は自宅から通院するように指示を受けました。抗がん剤投与の日は自家用車を運転してはダメです。自宅で副反応が酷い時は電話するように言われました。不安で仕方ありません。

 厚生労働省は、二〇二五年問題の先にある人口減少を見据え、在宅への移行を進めることで病院は増やさない方針を出して、毎年病院が減ってきています。

 宮城県の病院でも、仙台赤十字病院と県立がんセンターを統合、東北労災病院と県立精神医療センターを統合しようと知事が発表し、地元住民、労働組合の人たちが反対運動をしています。それぞれの病院に専門性もあり、私ももちろん反対です。病院が減れば、今ある病院に患者が押し寄せて、管理体制をきびしくしないと回らないと思います。

 この間、通院での抗がん剤投与を受けました。終了後、フラフラの体で二〇〇人待ち会計を終わらせ薬をもらいました。感染が一番怖い場所は病院の通院です。

 病気をして治療する場所は、心休まる場所であることを切に願います。(宮城 弥生)

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