ワーカーズ661号 (2024/12/1)
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選挙制度のあり方が問われた兵庫県知事選 私は一体、誰と闘っているのか?
斎藤再選の報道を聞いて、耳を疑ったのは私だけではないでしょう。しかも、開票と同時に当選確実が出て、最終得票は前回を25万票を超える111万票となりました。神戸新聞の調査によると、告示前の10月13・14日の時点では稲村氏支持が35・1%、斎藤支持が15・1%と大きく下回っていたのです。それが、肉薄するのが11月14・15日の時点で稲村氏が40・3%、斎藤氏が34・8%となり、結果は逆転を導くことになります。
なぜ、斎藤氏の劣勢からの逆転が可能となったのか? そこにはSNS情報が大きく関与していたことが明らかになっています。百条委員会の存在そのものも知らない人たちに、構成する県議への不信感を植えつける。そして、斎藤氏は何も悪くない、悪いのは幹部職員などと罪を押し付けた、百条委員会の県議が斎藤氏を陥れるため罪を捏造したなど、言いたい放題です。
しかし、その誤ったSNS情報を、なぜいとも簡単に受け入れてしまうのか? 斎藤氏は犠牲者だとすることで、同情をあおり斎藤コールで群衆は酔いしれる、そんな映像をテレビのニュースで見かけました。片手にはスマホ、という恰好で1000人を超える異様な集団でした。
冒頭の言葉、一体、誰と闘っているのか? は選挙期間中に稲村氏が発したものです。当初は、斎藤氏が争う相手として見ていたのが、NHK党の立花氏が斎藤擁護で立候補し、SNS情報で稲村氏を事実に反することで攻撃し情報を拡散、そこには顔の見えない相手との闘いがあったと思われます。
私たちは、チラシ配布や声掛けによる選挙活動を基本としてきましたが、SNSで発信すれば指ひとつで簡単に拡散する斎藤氏らのやり方が果たして有権者に正当な判断を提供できるのか? 都合の良い情報だけの発信となってしまったと言えます。
今回の知事選で、内部告発を握り潰し、県民局長を死に追いやった斎藤氏の行為は、当選したからと言って許されることではありません。衆院選、知事選で遅れざるを得ませんでしたが、真相究明のためこれからも百条委員会は続きます。斎藤氏の再選で、翌日に市長有志の会を脱退した2市長、不信任決議をした県会議員が斎藤氏に弁明をするなど、態度の急変にはあきれてしまいます。私たち(兵庫県民)はこれまでより一層、知事を監視する必要性を感じています。読者の皆さんも関心を持ち続けてください。
兵庫・折口恵子
選挙結果
斎藤元彦 1,113,911
稲村和美 976,637
清水貴之 258,338
大沢芳清 73,862
立花孝志 19,180
福本繁幸 12,721
木島洋嗣 9,114
トランプ圧勝と 米国労働者階級の「レ・ミゼラブル」
今回の米国大統領選挙の投票動向調査がいくつか報道されてきました。経済的な不安定や貧困層の拡大がトランプ支持の拡大につながったことが今回の選挙で明確化された点は、非常に注目すべきです。これについては「米国大統領選の曖昧さを考えるー上下の階級闘争こそ閉塞社会の打開の道」(『ワーカーズ』6月1日号)も参照してください。??
■経済格差を悪用した票集め
米国経済は、マクロ的には先進国でより優良であることは知られています。日本や英国などに比較して専門家たちは「良好だ」と異口同音に語ります。しかし、問題は景気の良し悪しではなく、米国内の貧富の格差が、長期的には経済の金融化やとくにコロナパンデミックとバイデン政府によるそのバラマキ対策が、上下対立をすなわち貧富の対立を激化させ、低所得者たちのエリートたちへの反感を巻き起こしてきたという現実です。
この国内対立をうまく選挙スローガンとして拾い上げたのが、トランプ(陣営)だったと言えるのです。これにより、2016年時点でのトランプ岩盤支持層=没落しつつある白人層にとどまらず、今回、ラティーノ(中南米系)や黒人といった比較的貧困な民衆にも浸透したと考えられます。特にラティーノや黒人の中でも、経済的に困難な状況に置かれている層がトランプに投票した背景です。
☆ ☆ ☆
もちろん、トランプの政策すなわち、不法移民追放、減税と規制緩和、法人税の引き下げや個人所得税の減税推進。また、貿易政策では、メキシコや中国製品に対する関税の引き上げや、輸入品に対する一律関税の導入・・・。このような政策が、低所得者や労働者の雇用増大や所得アップになる保証はありません(むしろ逆作用の可能性がある)。
とにかくトランプは票をかき集めるために「大胆に」主張しました。低賃金労働層や一部の製造業従事者に対して、経済政策を通じて仕事の確保と賃金向上を約束しました。これは、経済的に厳しい状況にある層にとって希望として映ったでしょう。移民問題についての厳しい姿勢は、多くのラティーノや黒人層にとっても、国内の自分たちの雇用を守る姿勢として受け取られたのです。
低賃金労働層の中には、移民労働者が増えることで自らのやっと手にした職が脅かされると感じる人も多く、これがトランプの移民政策支持(移民たちも支持拡大)に結びついたとも考えられます。つまり、米国に職を得た既得「移民」と新規の「不法移民」を対立させ、票をかすめ取るという戦略が奏功したのです。
経済的に困難な状況にある有権者層は、長期的なワシントン政治体制に対して不信感を抱き、改革を求めています。トランプはその「反ワシントンエリート」「反体制的」なイメージで既成の政治家(エスタブリッシュメント)を罵倒し続け、現状を変えたいと願う層が、飛びついたということでしょう。
■反リベラリズムに乗る
トランプ圧勝の背景には民主党左派が推進してきた「リベラルへの反動」が影響したとの指摘があります。この問題も、今回の大統領選で対立軸となりました。特に、リベラルな価値観が急速に進展する中で、保守層や一部の一般市民の間には、こうした変化が「行き過ぎている」と感じる層が少なからず存在していたようです。この現象は以下の点で説明できます。
例えば、米語を話さない移民の急速な拡大で、「伝統的文化の混乱」が発生していると、過大に強調され攻撃されてきました。あるいは、LGBTQ+の権利が社会的に大きく進展している中で、保守層の一部では「伝統的な家族観や価値観が脅かされている」という危機感が高まりました。特に宗教的価値観が強い地域や層では、こうした変化に対する反発がトランプ支持に結びついたのです。同様に、ラティーノや黒人層でも、家族的価値観においては保守的な傾向があり、その部分がトランプに流れたと考えられます。
同様に、一部の有権者は「行き過ぎたフェミニズム」が、男性の役割や伝統的なジェンダー観を軽視していると感じています。この反発が、保守的な男性層やその支持者をトランプ陣営に引き寄せた背景として指摘されています。
民主党左派によるリベラルな政策が進む中で、アイデンティティ政治(人種・性別・性的指向に基づく政治的主張)に対する「反革命」が、特に白人男性層からマイノリティにも広がっているとされています。その反動は、保守的な層だけでなく、一般市民の間にも影響を与え、トランプはその受け皿となったと考えられます。
■トランプは何も解決できない
以上が、トランプ「圧勝」の背景です。しかし、この「トランプ圧勝」の選挙結果は、現実には言うまでもなく米国社会にさらなる混乱以外のなに物をもたらさないでしょう。
言うまでもありませんが、貿易関税の障壁で労働者の雇用や所得を守ることができません。減税は、それ自体、庶民の生活にとってプラスですが、米国資本主義の金融化した経済は、トマ・ピケティが『21世紀の資本』ですでに指摘してきたように、今後とも貧富の差の拡大法則を貫徹するでしょう。賃金労働者は、復活しつつある米国労働運動への参加でさらに大きな闘いを展開するほかありません。
また、今回垣間見られたように、米国社会においてジェンダー問題への保守的で時に野蛮な価値観(男性中心の価値観)の壁があります。さらに大量の移民の人権問題、LGBTQの多様性の受け入れ問題、人工妊娠中絶の問題・・・等々において、一般には人権問題として受け取られています。労働者や低所得者が常に「リベラル」と言うわけではありません。単純に、「階級的立場」に還元できないと思われます。個々人の育った文化伝統や宗教などが絡み、移民社会である米国では従来より激しく価値観がぶつかり合っています。
私たちは「自律した諸個人の連帯」と言う社会の在り方の基本に立ち返り、これらの問題に合理的に対処し、受容するようにしなければなりません。例えば困窮家庭において、中絶が希望された場合、好ましくないとしても社会はそれを容認せざるを得ないと考えられます、等々。このような理解は「リベラル」と言うよりは現実的対応だろうと考えます。多様な生き方や価値観も包摂できる連帯は、運動の発展にとって重要です。(阿部文明)
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《103万円のカベ》本丸隠しの〝手取り増〟――透ける国民民主党の〝大企業の代弁者〟――
与党惨敗に終わった総選挙。少数政権に転落した自公政権の凋落ぶりは大いに歓迎したい。
他方、キャスティングボートを握った国民民主党(以下〈国民〉)の鼻息は荒い。
〝自公国〟か〝部分連合〟か。少数政権立て直しの道筋が定まらないなか、〈国民〉が総選挙で掲げた〝手取りを増やす〟政策の目玉とされる〝103万円のカベ〟の引き上げ要求に注目が集まっている。
その「103万円のカベ」引き上げ、一体、誰が喜ぶのだろうか。
◆背景は若者世代の窮状?
その問題に入る前に、今回の総選挙結果とその特徴について一瞥してみたい。
各党の議席獲得状況。自民は大幅な議席減、議席を減らしたのは日本維新の会、公明党、共産党。増やしたのは、立憲民主党、国民民主党、令和新選組、日本保守党だった。
自民党の敗因と公明党の凋落は、例の裏金問題が大きかったと言われる。維新の後退は、大阪万博の躓きや所属議員の不祥事、共産党の低迷は、党の閉鎖性や候補者の高齢化などによるものか。
中でも注目すべきは、若年層・青年層の投票先が、自民党から〈国民〉に流れたことだ。自民は18才~30代で大幅に減らし、20代は自民の20%に対し〈国民〉は26%で、30代は両党とも21%だった。〈国民〉が、裏金問題で離れた自民党支持層の受け皿になったようだ。
議席で4倍増、得票率で大幅増だった〈国民〉が、なぜ若者を中心として多くの票を集めたのか。勝因の一つが、「手取りを増やす」という選挙スローガンが〝若者に刺さった〟と言われている。〈れいわ〉も消費税の廃止や「10万円のインフレ給付金」を主張していた。
〝確かに〟というところか。それにしても、そうした直截な選挙公約に飛びつかざるを得ないほど、今の若者世代の窮状が深刻化している現実がある。
◆問題は〝年収のカベ〟か?
その〈国民〉。思わぬキャスティングボートを手にして舞い上がり、超強気だ。自公政権に代わる立憲中心の野党連合政権には見向きもせず、自公政権に自党の要求を受け入れさせることを再優先している。来年の参院選挙をにらみ、とにもかくにも、自党の存在意義の売り込みに夢中だ。
その〈国民〉が掲げる〝103万円のカベ〟とは、何なのだろうか。その他の〝年収のカベ〟を含めて、制度的なことは、すでに多くのメディアも報道しているので繰り返さないが、要は〈国民〉が掲げてきた「手取りを増やす」ための直裁的な手段の一つだ。
103万円のカベを178万円に引き上げれば、とりあえず目先の年収を気にしながらパートやアルバイトで働く、3号被保険者たるサラリーマンの配偶者や扶養家族の子供が、受益者となる(親の税控除なども含めて)。これまで30年、物価や賃金が上がってきてもまったく引き上げられなかった怠慢も、批判されても当然だろう。
それに国や地方公共機関の直接的な役割が、所得の一次配分ではなく、二次配分=再配分に向けられることを考えても、税制度や医療・年金などの再配分での公平性を追求することにも合致しているといえる。
ただし〝103万円のカベ〟の引き上げの〝直接的な効果〟という土俵上だけでは評価できない、より広い土俵上での判断も欠かせない。ここでは、そうした別次元の判断基準と合わせて考えてみたい。
◆元凶は〝雇用の劣化〟
103万円など、いくつかある〝所得のカベ〟を考える前に、経済低迷と生活苦が拡がる原因・背景を一瞥してみたい。
現在の日本の経済的閉塞状況は、〝失われた30年〟といわれる低賃金や不安定雇用拡大による生活苦や将来不安の高まり、に集中的に現れている。現に、日本の賃金はこの30年で傾向的に減り続け、この1~2年での〝大幅賃上げ〟でも実質賃金の低下から抜け出せないでいる。
他方では、昨年度の企業の内部留保が12年連続で増え続け、600兆円を超えた。経済活動の一次配分での一方的な偏り、この両者のコントラストは際立っている。
別指標で見ると、昨年の労働分配率(企業が生み出した付加価値のうち、人件費に配分された割合)は資本金20億円以上の大企業では対前年度マイナス2%の34・7%まで下がり、1960年度以降最低だったという。資本金1億円以下の中小企業では66・2%で、これも低水準のままだ(朝日・9・11)。大企業ほど利益を労働者に回さずに利益を企業に溜め込む、いわゆる〝強欲資本主義〟化が進んでいるのだ。
生活苦や将来不安の最大の要因は、パート・派遣・委託・有期・ギグワーカーといった、低処遇で不安定な非正規労働者が3分の1以上、4割近くまで増やされたことが大きく影響している。就職氷河期を始め、30代40代になっても非正規から抜け出せず、低賃金・不安定雇用ゆえに結婚も出来ない若者、単身子育者がいくつものパートを掛け持ちしながらやっと命をつないでいる、といった現実が拡がっている。要するに、雇用の劣化、雇用崩壊状況だ。
そんな現在の日本。〝失われた30年〟からの脱却には、非正規労働の抜本的解消・正規労働者化、あるいは同一労働=同一賃金原則への転換が不可欠だ。かつての家計補助のママさんパートや高校生・学生の一時的バイトなどの需要は一定数あり、ゼロにはならない。が、業務が通年的な職場は基本的に全て正規労働者(短時間も含めて)に置き換えることこそ必要なのだ。
そんな労働環境のなかで、今回の103万円問題を考えてみたい。
◆「本丸隠し」の〝年収のカベ〟
今回〈国民〉が掲げた〝所得を増やす〟〝手取りを増やす〟との公約は、すべて企業負担無しの減税という手取り増の話だ。前に触れたように、所得の〝再配分〟などは国や地方の役割だから間違いではない。が、それにしても、所得再配分の正攻法から遠くかけ離れたものになっている。〝本丸隠し〟というほかはない。
要するに〈国民〉の〝手取りを増やす〟というスローガンは、全て企業負担の免責が前提になっている。今最も必要な、企業による利益の独り占めを止めさせ、それを正社員化や賃上げその他で労働者に配分させる、という最大かつ緊急な課題を後景に追いやっているのが〝年収のカベ引き上げ〟問題の本質だからだ。
それが実現すれば、企業は二重に恩恵を受けることになる。
一つは社員の年収増が実現しても、企業は1円も負担せずに済む。それ以上に企業利益に繋がることは、低賃金のパート・アルバイトを、今以上に長時間働かせることができることだ。
進行中の少子高齢化で労働者不足が深刻化している。企業活動にどうしても欠かせない労働力を確保するには、正社員での確保や高賃金での募集が避けられない。それが現行のサラリーマンの配偶者である3号被保険者や被扶養者の労働時間を増やせれば、低コスト雇用者の労働時間を大きく増やせるのだ。企業はウハウハだろう。
他にもある。医療保険や年金にも関わる〝106万円のカベ〟だ。それも引き上げれば、労使折半の雇用者の保険料負担もそれだけ少なくなる。〈国民〉は、年収のカベ引き上げで労働者の手取りが増えることばかり強調しているが、企業負担も大きく減ることには言及していない。経団連も、さっそく〝106万円のカベ〟に言及(11・20)し、引き上げ期待を表明している。〝さもありなん〟だ。
◆税収減はなにで補填する?
国政や地方自治体の役割は所得の再配分にある、と前に触れた。が、個々人の減税額は、年収200万で8・2万円、500万で13・3万円、1000万で22・8万円で、高額所得者ほど減税額が多くなる。再配分の効果である所得の平準化には逆効果だ。
だから、ほうっておけば所得格差が広がる傾向がある一次配分に対し、国税や地方税での再配分による所得格差の是正のためには、個人所得税での累進課税の強化が最も有効になる。が、なぜか自民党も〈国民〉も、累進課税の強化にはまったく言及しない。
他にも問題がある。財源の話だ。仮に〈国民〉が主張するように、103万円を178万円に引き上げた場合、所得税は地方分もあわせて7~8兆円減収になるという。その財源を補填しなければ、国や自治体による行政サービスが減少せざるを得ない。現時点でも、地方の首長などから、税収減への懸念が表明されている。が、自民や〈国民〉は、現時点で財源には言及していない。実現したいのであれば、同時に個人所得税の累進課税を強化すればいいだけなのに、だ。
現時点で7~8兆円とされる減収は、なんで補填するのだろうか。一番負担能力があるのは、過去最高の利益を上げ続け、内部留保を溜め込んでいる大企業であり、その大企業を対象とする法人税や法人事業税などの増税だ。加えれば、高所得者優遇の〝1億円のカベ〟にも関わる金融所得課税の強化だ。
これらはすでに触れた〝強欲資本主義〟の是正にもつながるものだが、現実は自民党や〈国民〉は、そうした視点での財源探しは、支持母体との関係もあって持ち出すこともない。結局は安倍政権以降垂れ流してきた国債増発による借金財政でやりくりする他はない。
◆企業の代弁者
〝カベ〟を取り巻く構図を、改めて振り返ってみたい。
〈国民〉のバックには連合労組があり、その連合労組の半分は民間大企業の企業内御用組合だ。
〈国民〉の候補者の多くは連合推薦でもあり、現在の〈国民〉所属の参院議員は、自動車総連、電機連合、基幹産業、電力総連など民間大企業の労組がバックに就いている。今回の総選挙でも、〈国民〉の候補はほぼ地方連合会の推薦を受けている。当然ながら〈国民〉の選挙公約の多くは、全て大企業の要求と重なる。たとえば
*ガソリン補助金・トリガー条項の発動――石油業界、自動車・関連業界へのテコ入れ
*電気・ガス料金への補助金――電力・ガス業界へのテコ入れ
*原発推進――電力・重電業界へのテコ入れ
*「子育て支援金」の廃止――本来は増やすべき企業負担の廃止!
*政治改革でも、企業・団体からの献金禁止に、与野党が合意するなら、と後ろ向き
かつて〝自公民〟とか〝社公民〟という造語が語られたが、当時の民社党も含めて、情勢に応じてどうにでも変わる党、自民党政権が危機に陥ったとき、それを支える自民補完勢力としての存在意義を丸出しにした党でしかない。詳細は省くが、それもこれも〈国民〉の支持基盤である連合労組の民間大手組合の政治的・階級的な役割に由来するものなのだ。
連合右派が中心の民間大手組合の労組は、まっとうな組合を会社内に作らせない事を主目的とする、結局は会社の御用組合でしかなく、最終的には、企業利益最優先の企業の意向に左右される存在でしかない。そんな連合右派をバックにした〈国民〉も、結局は、自民党など、大企業の支配体制を支える補完勢力の一翼でしかないことは、忘れないでおきたい。(廣)
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もろ刃の剣「SNS」のデマの猛威と 資本主義の動揺が生み出した政治意識の分解
先月の兵庫県知事選や6月の都知事選で見られた「石丸現象」さらには国民民主党の躍進は、SNS時代の象徴とされますが、それは表層的な理解に過ぎません。背後には、既存メディアの影響力低下、労組や農協や企業といった社会組織の弛緩、そして個々人が情報(思想、価値観、イデオロギーなど)の大海原に「裸で」さらされる時代の到来という、深刻な社会構造の変化が横たわっています。これにより、選挙のあり方だけでなく、戦後の民主主義そのものが揺らいでいると言えますが、さらに深堀すれば分解しつつあるのは日本資本主義そのものでしょう。
■もろ刃の剣「SNS」を理解する
「SNSと社会運動」が注目されたのは2010年代初頭に北アフリカや中東で起きた一連の民主化運動です。「アラブの春」と呼ばれました。チュニジアでの若者の「自焚(immolation)」という事件が引き金となり、フェイスブックなどのSNSを通じて情報が拡散し、圧政に苦しむ人々が街頭に飛び出しました。
2011年にアメリカで始まった「ウォールストリートを占拠せよ」運動は、格差社会への抗議を目的としたもので、SNSを通じて急速に広まりました。
2014年に警察による黒人への暴力に対する抗議運動「ブラック・ライブズ・マター」が勃発しました。動画がSNSで拡散、大きな怒りを呼び起こしました。
隠されてきた性的暴行疑惑が発覚し、被害者の女性たちが「#MeToo」というハッシュタグをつけて怒りを表明しました。最近では、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリが始めた「#FridaysForFuture」運動があります。
他方では、米国大統領選挙にみられるようにSNS界では、デマや他国民嫌悪などのショービニズム(トランプは事実無根の移民非難を繰り返します)をセンセーショナルにネットで拡散する個人や集団も台頭しています。兵庫県でのN国党・立花の選挙戦もその一例です。われわれも微力ながら断固として反撃を強める必要があります。
■「権威ある」言論や思想の凋落
まず指摘できるのは、既存のメディアへの不信、あるいは、影響力の低下が市民大衆に広がっていることです。言論のリーダーとされた全国五大新聞(朝日、毎日、読売等)は、ネットに押されて発行部数はこの二十年で半減し社会的影響力をそいでいます。NHKなどのテレビの視聴者数・時間も若者を中心に低下し続けています。スマートフォンやタブレット端末の普及により、いつでもどこでも好きなコンテンツを視聴できるようになったため、テレビ・新聞といった伝統的マスコミュニケーションに縛られる必要がなくなったからです。
他方、多数のネット情報や解説において、「大マスコミの嘘」「真実はここにある!」と言った形で、サブジャーナリズムや怪しげな思想家が蔓延することになりました。先月の兵庫知事選で斎藤元彦から委託されたプランナー会社が、SNSを活用し選挙民を扇動し「斎藤は真摯な改革者」「陰謀に巻き込まれた犠牲者」といった虚像づくりに成功したことが暴露されました(公職選挙法違反の容疑濃厚)。デマの拡散速度は、真実の情報の6倍に達するという研究もあります。
大マスコミに見られる偏った国家主義や資本擁護の世界観の押し付けが後退しても、これでは元も子もありません。
■所属する社会集団の喪失 ――デマ拡散の温床
さらに見逃せないのは、労働組合や農協、中小企業団体などの各種社会組織の歴史的な分解や弛緩があります。これらのものが従来「選挙母体」となり「組織選挙」が展開されてきましたが、それが十分に機能しない状態になったということです。そればかりか、非正規や派遣雇用の増大あるいは終身雇用制の廃止などにより「企業への帰属意識」すら減退しています。こうしたことは、我々にとってはチャンスでもあるはずです。ところが、私たちが彼らにマルクス的でアソシエーショナルな価値観や言論を提供できないなら、いきおい極端なデマに容易に載せられるのです。
■デマと闘い、前進する!
「奇跡の高度成長」「日本アズ ナンバーワン」と言われた時代はとうに終わり、今や30年間賃金が低下するという苦しい時代になって久しいのです。あだ花の様に一時期日本を席巻したアベノミクスもすでにメッキが剥がれ、特に40代以下の世代から自民党政治は疑惑の眼で見られています。
これまで「無党派層」とされる彼らは、良くも悪くも「権威」「組織」から距離をとっています。「手取りを増やす」「年寄りの特権政治を許さない」「若き改革者」あるいはN国党の立花らのあからさまなデマやセンセーショナルなSNSの餌食となった人々とは、このような世代なのです。世田谷区長保坂氏の言うように、ファクトチェックをする第三者機関の必要性もあるでしょう。そうでなければポピュリズム的なデマにより、政治が席巻されてしまいます。
しかし、これらの事象の根底には、体制の疑いもない動揺があるでしよう。つまり、危機の反面この歴史的現実は、決して否定的なことだけではありません。既存の価値観の凋落は、日本資本主義の動揺の一つの反映であり、社会の流動化の一側面であり、未来の可能性への若い世代なりの素朴なチャレンジともいえるのです。くりかえしますが、我々の発信こそ強化しなければなりません。(阿部文明)
ファシズム運動を許さない 斎藤元彦=立花の反動を包囲しよう!
斎藤元彦兵庫県知が「再選」されました。しかし、彼の引き起こしたパワハラ問題は県の労働組合や職員からの証言で明らかなことです。同時に公益通報者保護を放棄し、元西播磨県民局長を死に追いやったことは断じて許されません。斎藤元彦氏が再選されたからと言って、何も問題は解決していないのです。そればかりか、斎藤陣営の、選挙中のSNS戦略やPR企業委託が公職選挙法違反の疑いが濃厚です。この点についてまず法的観点を整理します。
■法的視点の整理
選挙に行かれた人は多くても、選挙を取り仕切った経験のある人は少ないでしょう。私は、二度ほど、兵庫県において、選挙運動の計画立案、事務一般、経理担当を担った経験があります。公職選挙法について一言述べれば、ちまちまと細かい制限がどこにでもあり、条文を読んだだけでは「実体的選挙運動」のイメージは浮かびません。しかし反面、大政党であろうが小政党であろうが、立候補者として届け出が成立すれば、かなり「平等」な扱いを受けるのが特徴です。
公職選挙法では、各陣営の選挙運動に使用できる費用や、運動のために雇用できる担当部署(運転手やウグイス嬢など)およびチラシ・ポスターの数を厳格に制限しています。
◇ ◆ ◇
斎藤氏は9月の不信任決議可決に基づき同月30日付で知事を失職しました。現在知られていることから推測すれば、辞任を拒否しつづけ(罪を認めない姿勢をとり)、「失職」を前提にして「復活選挙」を早い段階で計画していたのでしょう。西宮市の企業(PR会社『merchu』)に委託し、選挙の事前運動から最後まで、つまり、自らの辞任を拒否し続けた「改革への信念」画像を拡散させ、それにつづいて「一人ボッチ選挙運動」で話題を集め、選挙戦本番では大規模なSNS戦略の展開を目指したようです(『merchu』の社長のブログより)。これは、後で述べるように、N国立花の介入により、望外の大成功を収めたのです。インターネット選挙運動が解禁されたことで、SNSやウェブを活用する選挙活動が増えています。しかし、これも選挙運動費用の対象です。
PR会社『merchu』に対する委託費用(推定数千万円)は、当然有償であり選挙費用です。それは、即刻、公選法違反となります。さらに、活動経費が法定上限を超えていないかが重要です。しかも、万が一無償であったとしても、企業が特定候補のために利益を提供したり、安価に活動を請け負った場合、公選法の「利益供与」や「寄付」に該当します。これも公選法違反です。違反が確定すれば、いずれにしても「連座制」適用で斎藤元彦兵庫県知事は失職します。
■若い有権者たちの暴走はなぜ発生したか
大新聞・テレビなどへの不信を募らせる半面、いわゆるZ世代とそれ以下の世代は、ネット情報の批判精神の欠如に浸ってきたこと、そして、既成の政治(具体的には、前任知事井戸県政に対する否定)にたいする、比較的若い世代の感情的反発を煽り立てたことなどが推測できます。その背景には、言うまでもなく貧困や未来への期待の喪失など、追い詰められた経験しか持たない人々の鬱積がたまりにたまっていたのでしよう。(別の記事を参照)
それを上手に操って風を起こしたのがPR会社『merchu』=斎藤元彦ですが、巻き起こった大波に乗ったのが、N国立花です。この選挙ゴロツキともいうべき立花は、別な目的で介入したと推測されます。長く述べる必要はありませんが、斎藤元彦のパワハラを調査してきた百条委員会の委員長個人宅への暴力的攻撃を見ても、政治的対立者へのこの立花らの行動は、ファシズム的なものを感じざるを得ません。暴力と不正選挙で権力を得ようとすることは許せません。N国立花「候補」による、斎藤元彦支援は、公職選挙法が掲げてきた「選挙候補者の平等」を踏みにじるもので、明白な違反です。この連中を野放しにしてきた検察、警察に対す批判も、ファシズム傾向の抑止のためには大変重要です。「不服従のフランス」のように、彼らを包囲する人々の決起が不可欠です。(了)
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読書室 ダニエル・ソカッチ著『イスラエル 人類史上最もやっかいな問題』NHK出版
〇 世界が注視するイスラエルを知るための最良の入門書。実際、教養があると自覚する人ほどイスラエルーパレスチナ問題に白黒をつけるよう論陣を張っている。だが本当はイスラエル人とパレスチナ人はどちらも正しく、どちらも間違っているのだ。どちらも現実の自分にはどうにもできないお互いの歴史的な力の、そして現在の自分自身も犠牲者だからである。それは一体どういうことなのか? 本書はそれを詳しく展開する必読書である 〇
著者の立場
著者のダニエル・ソカッチは、イスラエルのデモクラシーを名実共に達成させるためのNGО「新イスラエル基金)」のCEО、そしてアメリカ在住のユダヤ人である。
同基金は宗教、出身地、人種、性別、性的指向に関わらず、すべての国民の平等を確立すること、パレスチナ市民やその他の疎外された少数派の保護及びあらゆる形態の差別と偏見をなくし、すべての個人と集団の市民権と人権を確立すること、イスラエル社会の本質的な多元性と多様性を認識し、それに対する寛容性を強化すること、マイノリティの利益とアイデンティティの表現及び権利のためのデモクラシー的な機会の保護、イスラエル及び近隣諸国と平和で公正な社会を構築し維持すること等を目標に掲げて活動している。
ソカッチは、本書で「プロパガンダに陥りもせず、読者のあくびを誘うこともなく、世界でも類を見ないほど複雑な紛争の歴史と概略を説明したいと思う。しかしプロパガンダにかまけるつもりはないとしても、私には一つの企図があるし、ある特定の観点から記述を進めていく。イスラエルーパレスチナ紛争は本質的に、歴史家のベニー・モリスが『正義の犠牲者』と名付けた者同士の闘争だ」とし、要するにイスラエルはグレーだとする。
「つまり両者とも土地に対する正統なつながりと権利を有し、外部の世界の、お互いの、また自分自身の犠牲となってきた二つの民族である。それは土地をめぐる紛争であり、記憶と正統性をめぐる紛争でもある。生存権をめぐる紛争であり、自己決定権をめぐる紛争でもある。生き延びることに関する紛争であり、正義に関する紛争でもある。それは、その信奉者が完全に『正しい』と見なす相容れない語りをめぐる紛争」と彼は認識する。
その上でソカッチは、「これらの語りは、実体験のみならず、物語や宗教的伝統、家族やメディア消費や政治的信念によって―また故意かどうかは別にして、様々な程度の無知によって―支えられている。イスラエル人とパレスチナ人の紛争を解決することの最大の障害は、政治的想像力の欠如ではなく、政治的意志の欠如」にこそあるとしたのである。
本書の構成
本書は全396ページの大著である。まずは2部構成となっている。第1部は、旧約聖書の時代から現代に至るまでのイスラエルの歴史を大きく概観し、第2部は、イスラエルをめぐる現代の厄介な論争のいくつかを検討している。それでは全体の目次を紹介する。
第1部 何が起こっているのか?
1章 ユダヤ人とイスラエル―始まりはどこに?
2章 シオニストの思想―組織、移住、建設(1860年代?1917年)
3章 ちょっと待て、ここには人がいる――パレスチナ人はどうなる?
4章 イギリス人がやってくる――第一次世界大戦、バルフォア宣言、イギリス委任統治領の創設(1917?39年)
5章 イスラエルとナクバ――独立と大惨事(1947?49年)
6章 追い出された人びと
7章 1950年代――国家建設とスエズ危機
8章 ビッグバン――第三次中東戦争とそれが生み出した現実
9章 激動――ヨム・キプール戦争から第一次インティファーダ(1968?87年)
10章 振り落とす――第一次インティファーダ
11章 イスラエルはラビンを待っている
12章 賢明な希望が潰えて――オスロ合意の終焉
13章 ブルドーザーの最後のサプライズ
14章 民主主義の後退
第2部 イスラエルについて話すのがこれほど難しいのはなぜか?
15章 地図は領土ではない
16章 イスラエルのアラブ系国民――共生社会か、隔離か?
17章 ラブ・ストーリー?――イスラエルと、アメリカのユダヤ人コミュニティ
18章 入植地
19章 BDSについて語るときにわれわれが語ること
20章 Aで始まる例の単語
21章 Aで始まるもう一つの単語
22章 中心地の赤い雌牛――イスラエルとハルマゲドン
23章 希望を持つ理由
補足しておけば、私たちが本書を読む際のイスラエルの歴史的事件等に関する諸事実の錯綜を正確に整理するために役立つ、イスラエルーパレスチナ「紛争に関する用語集」が付いていることも皆様へお知らせしておこう。この付録は私たちにとって実に利用価値の高いものである。また詳細な人名索引があることも大変助かる配慮だと考える。
子供は大人の9割よりこの紛争の核心をよく理解した
ソカッチは、カリフォルニアで11歳の子供たちにどこまで理解し吸収してくれるかは分からなかったが、何千年にも及ぶユダヤ人の歴史を大急ぎで駆け抜け、現在のイスラエルの状況、つまりシオニストとパレスチナへのユダヤ人大量移民の話をしたのである。
その話をある子供が整理して見せた。「僕は生まれた時から、自分の土地にある自分の家で暮らしてきた。両親もお爺さんもお婆さんも、ひいお爺さんもお婆さんもみんなここで暮らし、僕と同じように土地を耕してきた。いつも誰かに家賃を払っていたけど、ずっとここで暮らしていた。ある日、畑に出て夕方に家に帰ってみるとこの人(隣の子を指し)とその家族が僕の家の半分で暮らしている。僕が『おい、僕の家で何をしてるんだい?』と言うと、彼は『僕たちはここから離れた町を追い出されたんだ。近所の人は殺され、僕たちの家も焼かれた。他に行く所はないし、受け入れてくれる所もない。だからここにきたんだ。ひいお爺さんお婆さんの、ひいお爺さんお婆さんの、そのまたひいお爺さんお婆さんが遙か昔に暮らしていた場所にね』―というわけで、どちらも正しいが、どちらも他に行く所がない。こんな感じでいい?」と。実際、何という優れたまとめ方であろうか。
彼の話を聞いたソカッチは、「君は世界で最も複雑で解決困難だという人もいる問題の本質を簡潔に言い当てたんだ。私がこれまで話をしてきた大人の9割よりこの紛争の核心をよく理解しているね」とその子のまとめ方に感心して大いに褒めたのである。
現実にイスラエルの作家で平和運動家のアモス・オズはこのように言った、シオニズムは「正当性を備えている。それは溺れる者が唯一しがみつくことが出来る板にしがみついているという正当性だ。この板にしがみついている溺れる者は、自然的、客観的、普遍的な正義のあらゆる法則によって板の上に自分のスペースを確保することが許される―そうすることで、他人を少しばかり押しのけざるを得ないとしても。たとえ板の上に座っている他人が、力ずく以外の手段を彼に残さないとしても。だが彼にも、板に乗っている他人を海に突き落とす自然権はない」と。このようにまさに問題はシンプルそのものである
ソカッチもイスラエルの偉大な作家と先に紹介したある子供のまとめ方は同じで、要するにこれがイスラエルーパレスチナ問題の原点であり、すべてだとまとめたのである。
イスラエルのジレンマ
とはいえ左派の労働シオニストで建国の父であるベン=グリオンは、当然のことながらパレスチナのアラブ人の恐ろしい苦境と尽きることのない怒りを充分に理解していた。
実際、ベン=グリオンは、「確かに神は我々にその地を約束してくれたが、彼らにしてみればそれが何だというのだろう? 反ユダヤ主義、ナチス、ヒトラー、アウシュヴィッツなどが現われたが、それは彼らのせいだったのだろうか? 彼らが目にしているのはただ一つ。我々がこの地にやってきて、彼らの国を奪ったということだ」と発言している。
ベン=グリオンもこの建国の試みが無理筋だということは充分理解していた。だが現実の全世界で自分たちを受け入れる国がない中では、彼らユダヤ人も必死だったのである。
イスラエル建国でこの地にいたアラブ人70万人がユダヤ人のように離散民となってしまい、70年後の現在では今やその子孫は500万人になって世界中に散らばっている。
あまりにも知られていないことがある。それはイスラエルの中の民族構成である。イスラエル人国家を自称しながらも、イスラエルには建国時からここに踏みとどまったアラブ人がいる。この数は何とイスラエルの全人口の2割を越えるという。あらゆる国民に平等を保障するデモクラシーの国を自認する国家がユダヤ人のためだけに存在すると公言しているのはなぜか? この疑問こそ建国以来のイスラエルのアイデンティティのジレンマの核心だ。その他、イスラエルに流入したユダヤ人内にも露骨な差別がある。ユダヤ人と言っても、当初結集したホロコーストの生き残りやソ連からの移民の他、ミズラヒ系ユダヤ人と実に多彩である。ミズラヒ系とは中東や北アフリカから逃げてきたアラビア語を話すユダヤ人である。彼らは当然ながらも貧しく、またヨーロッパ系ユダヤ人とは外観も食事や文化も大きく異なっていた。したがってアシュケナージ系労働シオニストの主流は彼らを、イスラエル市民となるには再教育と啓蒙が必要な粗野な人々とみなした。つまり皮肉にもイスラエル市民を自覚する主流派のヨーロッパ系ユダヤ人はかってヨーロッパで行われていたユダヤ人差別を国内のミズラヒ系ユダヤ人に対して行っていたのだ。そして今やその彼らもヨーロッパ系ユダヤ人との混血もあり、人口は100万人もなっている。
建国以来の戦争でイスラエルはヨルダン川西岸等の広大な区域を確保・占領し、ユダヤ人入植者をその地に送り続けていて、いまだに止める気配すらないのである。
ソカッチは、これらのことを「ベン=グリオンの三角形」と呼ぶ。ソカッチは、まず「イスラエルがユダヤ人が多数を占める国家である。次にイスラエルはデモクラシー国家である。最後に新しい占領地をすべて保有する。イスラエルはこの内の2つを選ぶことはできるが、3つ全部を選ぶことはできない。どの2つを選ぶかでイスラエルの国家像が変わる」と問題提起した。かくしてまさにイスラエルは深刻なジレンマを抱えることなった。
現実にも国内でのアラブ系住民とミズラヒ系住民の存在は、イスラエル社会に各種の階層を形成し複雑化して、その意味でイスラエル社会の政治的不安定要素となっている。
このような状況の中で作られているイスラエルの政治制度は、完全比例代表制であるから当然にも小党の乱立状況となる。ゆえに歴代の政権は常に政策合意による連合政権だ。
この間、第一次~第四次中東戦争後も小競り合いは続き、両者は闘いの中で疲弊していった。こうしてクリントンらの仲介の下にオセロ合意が提案されたのであるが、イスラエルで唯一それを履行する能力と統率力があったラビン首相は、悲劇的なことにオセロ合意に強く抗議する合意反対派の宗教シオニストの学生に暗殺されてしまったのである。
またアラブ側の反対勢力のハマスとヒズボラは後継首相ペレスに執拗に戦闘をしかけたので、耐えきれず結局は反対勢力でライバルのネタニヤフに政権を奪われてしまった。かくしてオセロ合意は終焉し、ネタニヤフは一旦は辞任したものの、再登板して現在に至る。
イスラエル社会を大きく揺るがすユダヤ教超正統派の徴兵問題
建国以来、ユダヤ教超正統派には、宗教的な配慮等で事実上兵役が免除されてきた。超正統派の人たちがユダヤ教の教えを学ぶ上で兵役が妨げとなり、世俗主義に染まるとの懸念もあり、兵役に就くことに強く反対してきたからだ。ただガザ地区での軍事作戦が長期化し、イスラエルの兵士300人以上が死亡、4000人以上が負傷する中で、超正統派の人たちだけが兵役に就かないでいることに国内での不平不満が高まってきたのだ。
イスラエル国防軍は、ユダヤ人とドルーズ族とチェルケス人の18歳以上の国民全員に、男性は最低32カ月、女性は最低24カ月の兵役を義務付けているが、例外的にこれまではユダヤ教超正統派の学生は1948年の建国時から兵役を免除されてきたのである。
こうした状況を受けイスラエルの議会でも彼らへの徴兵の議論が徐々に進んできた。それに反発する超正統派の人たちは、毎月のようにエルサレム市内で座り込みによる抗議デモを繰り返し、交通機関を麻痺させ兵役免除の撤廃反対を表明してきた。彼らの言い分は「ユダヤ教の教えを学ぶことで国を助けている」というものだが、全く理解不能である。
今年の6月25日、イスラエル最高裁判所は、判決の中で「厳しい(ガザ)戦争の中にある今、不平等による負担はこれまで以上に喫緊の課題であり、持続可能な解決策を進めなければいけない」と指摘し、超正統派のユダヤ教徒の学生を徴兵するよう政府に命じる判決を言い渡す。このように宗教シオニストの中核には何と兵役がない。彼らがアラブ人に対して常に強硬な姿勢と徹底抗戦を要求しているのもここに理由があったのである。
この超正統派と呼ばれる人たちは人口の凡そ1000万の内の13%ほどを占め、土曜日の安息日を守りつつ仕事に就かない人も多く、世俗的な社会から距離を置いて生活を送り、宗教学校への補助金や超正統派の家庭への生活保護など、政府による経済的な支援が長年続いている。この優遇策には超正統派の人口増加に伴い、国内にも強い批判がある。
イスラエル最強硬派の宗教シオニストにこの優遇措置があったとは全くの盲点だろう。
今回最高裁は全会一致で「現時点では神学校に通う学生と徴兵に就く学生を区別する法的枠組みは存在しない」と判断し、「政府には徴兵の回避を指示する権限はなく防衛服務法の規定に基づき対処しなければならない」とした。またユダヤ教の神学校には政府から補助金が支給されているが、最高裁は兵役に就かない学生が通う神学校に対しては補助金の支給を停止する判決を下す。この優遇措置の存在を全く知らなかった私は本当に驚いた。
この判決を受けて野党・労働党党首のヤイル・ゴラン氏は、「イスラエルの全ての国民が理解できるものであり、判決は最高裁裁判官全員にとっても満場一致で理解できるものだった」と投稿した。やっと労働党もこのタブーを論評することができたのである。
この判決を受けてエルサレムでは6月30日、超正統派の人たち数千人が大規模な抗議集会を開いて抗議の意志を改めて示した。だからネタニヤフ首相は、大多数の国民からの要望に応じて徴兵を進めれば、超正統派からの強い反発を招くことが必至となった。
大規模な抗議集会を開いた超正統派の人たち数千人は、道路を埋め尽くして口々に「徴兵されるならば、死を選ぶ」などと声を上げて抗議の意志を改めて示し、「我々はユダヤ教の教えを学ぶことでイスラエルを守っている。兵士よりもユダヤ人を守っている」とか、「私たちは多くの子どもを持つことで、国を守っている」と言って抗議したのである。
全くもって兵役に就かざるを得ない国民からすれば、いい気なものではないか。
ネタニヤフ首相の判断はいかに
ネタニヤフ首相の連立政権に加わる2つの超正統派の政党は、今回の判決に反発し、超正統派の徴兵を開始しないよう訴えた。仮に超正統派の政党が連立政権から離脱することになれば、当然ながらネタニヤフ首相は自分の政権を維持することができなくなる。
最高裁判決を受けてイスラエル当局は、超正統派の3000人に招集令状を送付し、イスラエルのカッツ国防相は先週、追加で7000人に招集令状を送ると述べたのである。
だがタイエブ准将は、超正統派の1万人が兵役に就いても充分とはいえない可能性があると指摘、「イスラエル軍は兵士を必要としている。我々は1万人という数字に言及したが、残念ながら死傷者が出ているため、これは安定した数字ではない」と述べた。
野党指導者は、直ちに追加の招集令状を出すようカッツ国防相に要望し、招集に応じなかった者に対する取り締まりを拡大するよう求めた。11月17日には、テルアビブ近郊で警察と超正統派のデモ隊との小競り合いが起きた。11月19日、イスラエル軍は招集令状に応じなかったユダヤ教超正統派の1126人に対する逮捕状を取ったと発表した。このことで兵役免除撤廃に対する超正統派の不満に一層の火が付くのは必至の状勢だ。
また11月21日、国際刑事裁判所はパレスチナ・ガザ地区での戦闘をめぐり戦争犯罪や人道に対する犯罪の疑いで、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相、ヨアヴ・ガラント前国防相、イスラム組織ハマス軍事部門カッサム旅団のモハメド・デイフ司令官に逮捕状を出した。ここに至ってネタニヤフ首相は国際的な戦争犯罪人とはなったのである。
まさに日々刻々とイスラエルの政治状勢は変化している。ネタニヤフはどうするのか。
ネタニヤフは政権を維持せんがため、超正統派が連立政権に残るように補助金や手当の増額といった手段を使って、様々に超正統派の政党を連立政権に引き止める工作をするだろう。だが世論調査では、イスラエルのユダヤ人の凡そ70%が超正統派にも徴兵義務を課すべきだと主張しているから、彼らに徴兵義務を課すことにならざるをえないのでは。
今後、ネタニヤフ首相が策を弄して政権を維持するために超正統派と何らかの形で取引をし、彼らを結果的により一層優遇することにでもなれば、ネタニヤフ政権の崩壊も充分ありうる展開となるだろう。今後とも兵役免除撤廃の問題からは目が離せないことになる。
イスラエルの諸問題や今後のイスラエルを考える上でも本書の一読を薦めたい。(直木)
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「フェリーの船旅」と「田中一村記念美術館」の訪問
10月30日(水)に沖縄に行き、31日(木)から辺野古ゲートの現地闘争に参加。11月3日(土)は月1回の「辺野古ゲート前の県民大行動」があり参加する。多くの参加者が結集したので、久しぶりに沖縄の友人にも会えて楽しい集会となった。
今回の沖縄行きのもう一つの目的は奄美大島の友人に会うためであった。沖縄から船で奄美大島に行くのは初めてである。朝の7時に那覇港を出発して、沖縄の本部港に寄り、次は与論島に寄り、次は沖永良部島に寄り、その次は徳之島に寄り、ようやく20時30分に奄美大島に到着した。
約13時間の船旅であった。こんなに長く船に乗ったのは始めであった。船の部屋は「特等」「1等」「2等寝台」「2等和室」になっているが、私は一番安い「2等和室」である。しかし、そんなに混んでいない事、船の中を自由に移動できる事、食事や飲み物等も自由に購入できる等々で快適な旅であった。船で知り合った人から「今回は海が荒れてなかったので快適な航海でした」と言われた。友人が奄美大島の港まで迎えに来て宿まで案内してくれたので安心して休むことが出来た。
次の日から、友人が車で奄美の各地を案内してくれた。私が一番楽しみにしていたのが、「田中一村記念美術館」を訪問することであつた。
島の北部に飛行場があるが、その近くに広い「奄美パーク」(奄美の自然や多様な文化・歴史を紹介するとともに、人々の交流となる『奄美の郷』と日本画の世界を創造した日本画家・田中一村の作品を紹介する『田中一村記念美術館』の二つの施設をもつ観光拠点施設)はすばらしい場所だった。
この田中一村さんを知り興味を持ったのは、言うまでも彼の「生き様」である。彼の生き様を書き始めれば、とてもこのレポートでは紹介できない。
そこで、田中一村さんの生い立ちを紹介する。「1908年~1977年。彫刻家田中稲村、セイ夫婦の6人兄姉の長男として、栃木県で生まれる。7歳のころより米邨と号して南画を描く。昭和22年『白い花』が青龍展に入選。それを機に一村を名のる。昭和33年12月、全てを捨て、奄美大島に単身移住。時に50歳。染色工として働き、奄美の景観、奄美の植生を描くこと19年。昭和52年9月11日、夕食の準備中、心不全のため死亡。69歳。死後、奄美を描いた特異な作品で脚光をあびる。平成13年9月、奄美大島笠利町に、鹿児島県奄美パーク『田中一村記念美術館』がオープンした。」
最後に奄美で購入し読んだ本を紹介する。
① 「田中一村/かそけき光の彼方」荒井曜(南方新社)。
② 「田中一村/豊饒の奄美」大矢鞆音(NHK出版)。 (富田英司)
コラムの窓・・・劣化のはての斎藤再選!
全国的な注目を集めた兵庫知事選、11月17日の投票終了直後に「斎藤再選」が報じられました。すでに選挙の劣化が顕著になっていましたが、目の前でこれほどまでもデタラメな選挙戦が行われようとは、思いもしなかったことでした。
そもそも、この〝事件〟の何が問題だったのかと問えば、内部告発者を探しを強権的に行い、葬り去ろうとした点です。告発の対象となった斉藤知事、片山副知事は疑惑に応えなければならない立場だったのです。なのに、告発者の個人情報を暴き、その私生活が問題だとすり替えたのです。
この点を最大限に叫びたてた立花某は確信犯であり、選挙掲示板にまで選挙と無関係な告発者の私生活をデマ宣伝していました。さらに事実上、斎藤候補に2台目の候補者カーを提供した行為は公職選挙法違反ではないかと言われています。
公益通報制度の何たるかも知らない、3月以来の斉藤知事や片山副知事らの行為がその公益通報制度違反だったことに思いも至らない少なくない県民が、立花らの劣情をあおるデマに乗せられたことを何と言えばいいのか、言葉を失う。そもそも、内部告発者は〝清廉潔白〟でなければいけないのか、激しい争いのなかからの告発であろうと、問題は告発の内容そのものなのです。
さて、そうした論点から既視感のある〝事件〟を思い出しました。毎日新聞記者の西山太吉さんが1972年、沖縄の施政権返還をめぐる密約を暴きました。これは、当時の佐藤栄作首相が表向きは「核抜き、本土並み」と称しつつ、裏で「核持ち込みと基地の自由使用」を認める密約を交わしていたものです。
このとき(今も)政府は密約を認めず、西山記者を犯罪者に仕立て上げたのです。権力犯罪を暴くことがどれほど危険なことかを、この事件は社会に知らしめたのです。情報が外務省の女性事務官からもたらされた点を「機密漏洩」と称し、密約の違法性は消し去られてしまいました。
そして、情報源の事務官は国家公務員法の機密漏洩の罪で、西山記者も国家公務員法の教唆の罪で逮捕されました。東京地検は起訴状で「(女性事務官と)ひそかに情を通じ、これを利用して」と書き、世論の関心は男女関係のスキャンダルという面に転換させてしまいました。
ふたりとも執行猶予付きの有罪判決となり、知る権利は無惨に打ち砕かれたのです。他方で国家的犯罪者である佐藤首相は1974年、何とノーベル平和賞を受賞してしまったのです。非核三原則の制定などが評価されてのものであったようですが、のちに「佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会が犯した最大の誤り」だったとされています。
ことの経緯は今回の斎藤再選と瓜ふたつ、告発者のパソコンを取り上げたのは片山副知事、告発者を急いで処分したのは斎藤知事、告発者は私生活を暴かれたから死んだのだとされ、斉藤知事は何も悪くないのにいじめられたと同情を集め、知事の座に復帰した。斉藤知事が何ひとつ過ちを認めなかったのは、選挙での復活を見越してのことでした。
選挙戦では3年間で98・8%の公約を達成したと言い、その言葉を信じた県民も多かったようです。ともあれ、斎藤候補に100万人を超える県民が投票し、知事職へと押し上げたその結果に責任を負わなければなりません。内部告発の行方は何も解決していないのだから、それを含めて斉藤県政の今後を注視していただきたいものです。 (晴)
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色鉛筆・・・仙台北稜クリニックえん罪事件 守大助さんの裁判のやり直しを
事件の概要
本事件は二〇〇一年一月、当時の仙台北稜クリニック准看護師の守さん(当時二十九)が筋弛緩剤を点滴に混入して五人の患者に投与したとして殺人・殺人未遂の罪で起訴されたものです。
裁判では、弁護団は一審の段階から、守さんはもちろんのこと、何者かが筋弛緩剤を患者に投与した事実は存在しない、患者の容体急変は、筋弛緩剤の注入による症状ではなく、いずれも病気や薬の副作用、救急処置の不徹底などによるものであると主張しました。
また、点滴ボトルに筋弛緩剤を混入させたとする守さんの「自白」の方法では、容体の急変は起こりえないことも明らかとされました。
しかし、有罪とした仙台地裁判決は、五人の患者さんの血清や尿などから筋弛緩剤マスキュラックスの成分であるベクロニウムが検出されたとした大阪府警科学捜査研究所の鑑定(土橋鑑定)を信用できるとして、主治医が心筋梗塞による死亡と診断したものや、明らかに筋弛緩剤の薬理効果とは異なる症状であったものも、筋弛緩剤投与が患者急変原因であると断定して、殺人および殺人未遂事件と認定しました。
守さんが犯人とされたのは、作られたウソの「自白」と、守さんが正規の手術で使用された筋弛緩剤の空アンプル入りの針箱を片付けようとしただけの行為を「証拠隠滅を謀った」とすり替えられた証拠が採用されたためでした。
守さんは、一、二審で無期懲役の不当判決を受け、〇八年最高裁の上告棄却で確定しました。守さんは現在、千葉刑務所に服役中です。
再審めざして
裁判で犯罪と認定する根拠とされた「土橋鑑定」が誤りであることは多くの学者の証言や意見書で明白です。
また、急変症状が明らかに筋弛緩剤の薬効と異なると争われた患者の急変原因については、ミトコンドリア病(メラス)による急性脳症が原因であるとの神経内科専門医の意見書も出されており、殺人及び殺人未遂事件と認定した判決の根拠は完全に崩れています。
守さんの自白も事実と矛盾する信用性に欠けるものであり、証拠隠滅を謀ったとされる多数の空アンプルも証拠として法廷に出されたのは、四層に分けて撮られた四枚の写真の合計で一十九本の空アンプルがあると言うだけで、検察側は筋弛緩剤の空アンプルもそれが入っていたとする針箱も法廷に提出することを拒んでいます。証拠ねつ造さえ疑われています。
二〇一二年二月に守さんと弁護団は、仙台地裁に対して再審を請求しました。再審請求申立書では、三つの主な新証拠から守さんが無実であること明らかにしています。
第一は、患者の血液や尿、点滴ボトルから筋弛緩剤の成分が検出されたとする、大阪府警科学捜査研究所の「土橋鑑定」への反証。
第二は、吐き気と腹痛で北陵クリニックを来院した少女の症状は、筋弛緩剤の症状ではないばかりか、筋弛緩剤の薬効と矛盾すること。
第三は、守さんが法廷で「僕はやっていない」という証言が信頼できる証言であることを論証した心理分析です。
しかし、二〇一四年三月仙台地裁は、再審請求を棄却。一八年二月、仙台高裁は即時抗告を棄却する不当決定。二〇一九年一十一月一十三日、最高裁は特別抗告を棄却しました。
静岡の袴田さんもえん罪で、無罪判決まで五十八年の月日がかかりました。守大助さんは、すでに二十三年の月日がながれています。罪を犯していない人が、誤った捜査・裁判によって自由を奪われ、仕事や家庭を失い、築き上げてきた人生の全てを、ときには死刑によって命さえ奪われる、えん罪は、国家による最大の人権侵害であり、速やかに救済しなければなりません。
再審法改正一 再審のための全ての証拠を開示すること 二 再審開始決定に対する検察の不服申立てを禁止すること 三 再審における手続きを整備することを強く要求していきたいと思います。(宮城 弥生)
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