ワーカーズ664号 (2025/2/1)
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《ウクライナ戦争3年》剥がれた〝正義と悪〟の戦争――浮上する力と利害の抗争――
ウクライナ戦争勃発から3年。この間の露ウ両国の死傷者は、100万人を超えたといわれる。
ロシアによる侵略攻撃に始まり、ウクライナ軍による反転攻勢とその後のロシア軍の進軍。今も消耗戦が続いている。
戦争の様相はといえば、ドローンとAIを活用した近未来戦の一方、第一次大戦を彷彿させる自動小銃による塹壕の奪い合いという、古い戦いの再現だ。
この戦争は、始まった当初は〝正義と悪の戦争〟と言われた。国境を一方的に踏み越えて侵略したロシアと、侵略を防衛するウクライナの正義の戦争、だ。
が、いまではそうした構図は一変している。ロシアによる侵略に変わりはないが、ガザ戦争によって、米国や西欧の二重基準があからさまになり、国家の利害と打算による戦争の様相が濃くなった。国連機関も認めるイスラエルのジェノサイドに、米国やドイツも加担してきた。国家間の戦争とは、結局、正邪の物語ではなく、そうしたものだ。
そこで登場したトランプ政権。ウクライナ和平をめぐって、あからさまな取引を始めた。ウクライナや西欧からのトランプ批判も噴き出している。
が、これらは当初から孕んでいたウクライナ戦争を取り巻く利害と打算の構図が表面化したものに過ぎない。そもそも、90年前後の冷戦の終結後、ソ連は解体し、ワルシャワ条約機構は解散した。が、西側はNATOを存続させ、東欧拡大を進めた。結果的に、経済破綻によるロシア人の生活苦と惨めさも拡がり、ロシア人の被害者意識をかき立て、その後の強い指導者としてのプーチンを押し上げる結果をもたらした。
とはいえ、武力で他国を侵略した行為は容認されるはずもなく、プーチン政権は罰せられ、打倒されなければならない。が、それは米国やNATO諸国の軍事力によるものではなく、あくまでロシアの人たちによるものだ。
日本でも、〝今日のウクライナは明日の東アジアだ〟というロジックが、今でもメディアを巻きこんでまき散らされている。それは〝台湾海峡有事〟を想定した、あからさまな対中戦争への動員態勢づくりだ。
私たちはそれを拒否し、国境を越えた反戦闘争こそ拡げていきたい!(廣)
ウクライナへのロシア軍侵攻三年 今何が問題か、これからの道はどこか
ウクライナの労働者農民らによる、ロシア侵略軍との闘いの歴史的意義をあらためて確認しましょう。
勤労する人民にとっては、その生命の再生産と生活の基盤としての土地の所有や幾多の生産手段の占有が不可欠です。それを奪うロシアの帝国軍隊に抵抗し反撃するのは正当であり、ウクライナ人民に心を寄せるいかなる人もそれを断念させてはいけないのです。
労働者であり土地の未所有者であったとしましょう。工場や企業の所有者ではなかったとしましょう。彼らが人に隷属することを止め解放されるためには、アソシエート(協同)し、さらに自らの生産手段(土地あるいはその他の生産・運輸、通信手段)の獲得を共同で目指す必要があります。この歴史的使命をこの侵略への抵抗闘争の中で明確な運動へと高めようではありませんか。
■ウクライナ人民の歴史的戦い
すなわち、ウクライナ人民の歴史的戦いは、近代ヨーロッパにおける「エンクロージャー」とちょうど反対の意義を持つのです。英国では、地主たちによって、小作農は追い出され、生活の土台である土地を失ってしまったのです。これはまたウクライナやロシアでは、1991年以降、旧ソ連解体過程において、「集団農場」「国営企業」が、元官僚など一部の人間の私的所有に転化した歴史過程に比定できるものです。新興財閥がそびえたち、多くの人々は彼らに隷属するほか生きる道は無くなりました。
ゆえに、人間は、所有し占有しなくては(独占としてではなく)自立して生きることは出来ません。まさにコモンとしての協同領有が必要であり、その闘いは、ウクライナ・オルガルヒであろうが、ロシア軍であろうが歴史的本質は同じなのです。
このように、ウクライナ人民による侵略ロシア軍との戦いは当然であり、歴史的には被抑圧階級による当然の反撃の一部なのです。人々が自立して対等に生きるには、すでに述べたようにその客観的な経済基盤が不可欠なのです。集団として社会としてコモンとして土地や生産手段を再獲得することを不可欠の前提とします。
例えば、ロシアに占領された広大な工場や敷地がウクライナ・オルガルヒの「所有」であったとします。その軍事的奪還が達成されたならば、それは単なる「現状回復」ではありえません。その次元を超えて、財閥の所有物をウクライナ人民に帰属させるべきだし、それは現実的に可能です。このような歴史論理に立ち、ウクライナ人民が侵略への抵抗戦争を自ら社会革命として飛躍させることを期待するものです。民族主義を乗り越えましょう。
■労働者市民への攻撃は、激しさを増す/ウクライナの反動
戦争が開始されると、「戦時下」と言う非常事態を奇貨として、ウクライナの新旧資本家層(オルガルヒと新自由主義資本家)が、搾取と抑圧を一挙に強めました。政府により大衆行動が禁じられたうえ以下のような改悪が「議会」で決議されました。
「法案2136は雇用主に〈労働契約を停止する〉権利(白紙委任状)を与エえる悪法であった。その後、彼ら(ウクライナ最高会議)は法案5371に取り掛かった。法案2136は多くの労働者によって過酷だがやむを得ない措置(戦時下の一時的措置との「名分」があった)と考えられていたが、法案5371は進行中の戦争とは何の関係もない」「法案5371は従業員数が250人以下の雇用主の労働者(全労働者の70%)の団体交渉権を排除し、雇用主が個々の雇用契約においては既存の労働協約の条件を無視することさえ許している(ukrainesolidaritycampaign.or)」と(「ウクライナの階級闘争」「ワーカーズ」632号より)。
これらはほんの一部です。ウクライナ内部の人民の敵は、ここぞとばかりに労働者の権利を破壊しているのであり、ゆえに、労働者は対ロシア軍および対ウクライナ資本家、官僚、政府との、二正面作戦をすでに強いられてきたのでした。
■キーウ政権の打倒とロシア侵略軍との戦いを一体化する
ゆえに問題は、この対ロシア抵抗戦争が、ウクライナ財閥や新興ブルジョアジー、堕落した伝統的官僚制度の国家によって仕切られ統合されているということにあります。さらに彼らを裏で操作し儲けの分け前を得ようとする欧米資本・支配層が、その意図をあらゆる場面で露骨に押し出しています。
現在、偽りの「ロ・ウ停戦」が強引に押し付けられつつありますが、米ロ主導の帝国主義的「停戦」は、ウクライナ人民から拒否されるに違いありません。現在でも侵略者と闘うウクライナ人民は、大きな被害にもかかわらず抵抗を放棄することなく、前線の戦意は高まりさえしています。
何度も言いますが、ウクライナ人民の抑圧者・簒奪者はロシア軍やプーチンだけではないのです。ウクライナのオルガルヒ、権力層、腐った政治家、そして分け前をせびり始めた米国トランプや欧州の特権者もまたそうです。門前のクマ(ロシア)と後門のオオカミ(ウクライナ資本&欧米資本)が迫っているのです。
ウクライナ人民は今や腐敗堕落のうえに国土や富を切り売りするウクライナ政権の打倒を射程に入れなければならない時点に到着しつつあります。ゼレンスキー政権(あるいは後継政権)が、偽りの和平を国民に押し付けるのであれば、武装し戦うウクライナの市民労働者兵士は、このような政権の打倒によって、歴史の新たな次元を切り開くでしょう。
オルガルヒの富を収奪せよ、腐敗政治家・官僚たちを追放せよ、人民の軍隊に依拠したウクライナ人民の政府を創ろう、ロシアの簒奪を許さない!(阿部文明)
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イスラエルは、パレスチナ人への弾圧をやめろ!
パレスチナ・ヨルダン川西岸地区では、これまで生きてきて、今が一番苦しい」住宅からは、何度となくそんな悲鳴に近い声がでています。パレスチナ人を殺すことが、あまりにも軽くなってしまった」ということに加え、経済的な苦境がじわじわと日常を締め上げています。
1993年の「オスロ合意」は和平の象徴のように語られていますが、結局は構造的不平等を固定化し、土地を「管轄」の異なるエリアに引き裂くものでした。水や土地の利用に不当な制限をかけられ、いつどこで検問が閉じられ、軍や入植者による襲来があるのか、数時間先も見通せない状況が続いています。当然まっとうな経済活動が成り立つはずもありません。パレスチナの人々を、イスラエル製品・イスラエル経済へと依存させる構造は、「支配」を強めるものです。
2023年10月にガザ侵攻が始まって以来、イスラエルや入植地に働きに来ていたパレスチナ人労働者たちが締め出され、一気に職を失うことになりました。入植地やエルサレムのごく一部などでは労働許可が再開されているものの、多くが失業者です。
根本的に切り込まなければならないのは、西岸の経済を徹底的に破壊したうえで、イスラエル側に依存させ支配する、「占領」そのものの問題であるはずです。
また、2023年10月から2025年1月までの間に、ヨルダン川西岸で少なくとも870人のパレスチナ人が殺害され、7100人以上が負傷しました。国境なき医師団(MSF)の報告書によると、ヨルダン川西岸地区での暴力の激化により、人びとの医療へのアクセスが著しく妨げられており、これは国際司法裁判所(ICJ)が人種隔離およびアパルトヘイトに相当すると評した、イスラエルによる組織的弾圧の一部であるとしています。
ガザ地区での停戦後、ヨルダン川西岸地区の状況はさらに悪化し、多くのパレスチナ人がより一層、悲惨な生活環境に置かれ、身体的にも精神的にも甚大な負担を強いられています。
「パレスチナ人の患者が亡くなっているのは、単に病院にたどり着けないからです」と、MSFの緊急対応医療コーディネーター、ブリス・ドゥ・レ・ヴィーニュは話します。私たちは、重篤な患者を乗せた救急車がイスラエル軍によって検問所で阻止されたり、医療施設が手術中に包囲・襲撃されたり、命を救おうとしている医療従事者が暴力を受けたりするのを目撃しています。
MSFには、医療関係者や医療施設に対する攻撃が増加しているとの報告が寄せられています。これには、病院への攻撃、難民キャンプにおける仮設医療施設の破壊、救急隊員や医療従事者への嫌がらせ、拘束や負傷、殺りくが含まれています。
2023年10月から2024年12月にかけて、世界保健機関(WHO)はヨルダン川西岸地区における医療施設への694件の攻撃を記録しており、病院や医療施設がしばしば軍によって包囲されています。医療従事者は、嫌がらせを受けたり、拘束されたり、負傷したり、さらには殺されたりすることも多く、不安を感じています。「イスラエル軍は、トゥバスにある応急処置を施す容体安定化ポイント、そこが医療施設であることは明らかでしたが、その場所を包囲し、両方の入り口を封鎖しました」と、MSFが支援するパレスチナ赤新月社の救急隊員は語ります。イスラエル軍はそこにいた22人ほどの救急隊員全員に、安定化ポイントから出るように命じました。そして、建物内外に向けて発砲し、私たちの物資と安定化ポイント内に被害を与えたのです。
イスラエル軍の頻繁な進行に加えて、入植者の暴力と入植地の拡大が進む中、多くのパレスチナ人が暴力にさらされ、ヨルダン川西岸地区からの移動を恐れています。国連人道問題調整事務所(OCHA)によれば、入植者によるパレスチナ人への攻撃は、2023年10時から2024年の間に1500件も報告されています。
イスラエルは、ガザだけではなく、西岸地区でのパレスチナ人への殺人や、弾圧をやめろ!(河野)
今進行しつつある「多極化世界」とは 世界資本主義の分解過程だ!
■よみがえる「モンロー主義」――トランプは南北アメリカの支配を強める
トランプ陣営の基本は「アメリカ・ファースト」ですが、私見によれば、三つの被害意識により構成されています。
①これまでの世界の警察としての過大な負担と財政赤字。
②国際通貨としてドル維持の過大な負担と貿易赤字、国内産業の衰退。
③国際的規制(例えば環境とか人権)の重圧で国内産業が競争力喪失。
・・・・・・・・・・・・
ゆえに、トランプ政権の政策の中心は、各国の自己防衛強化と行き過ぎたグローバリズムの修正となります。軍事同盟(欧州やアジア)の縮小再編、ドル安政策(低金利、暗号資産テコ入れ)、高関税(経済ブロック化志向)、パリ協定離脱(国際協調から距離を置く)、当事者を無視した「和平」推進、欧州ナショナリズムの刺激(米国に頼るな)などです。
こうした中でUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)への攻撃に見られるようにトランプらは「国際公共財の供給から戦略的撤退」しつつあり、地球規模での「同盟国」「有志国」との軋轢が増えつつあります。
さらに、米国の狙いは、パナマ運河、グリーンランド等々南中北アメリカの盟主として支配力を強化したいということです。これは、マニュフェスト・ディスティニー(米国は神に選ばれた特別の国)の拡大版であり米国ナショナリズムであり、20世紀初頭の軍事的モンロー主義(中南米への「棍棒外交」)の再来を意識的に目指しています。
■トランプの志向する「多極化世界」は世界資本主義の分解過程となる!
このようにしてみると大言壮語に関わらず、トランプは、米国が「唯一の超大国」である地位を降りて、今の米国(相対的には第一の大国)の立場を利用して南北アメリカに君臨する「極」を形成しようとしていると考えられます。しかし、果たしてこのような戦略は安定した「多極化世界」を実現できるでしょうか。
「グリーンランドの米国購入」をデンマークが拒否したものの、米国はグリーンランドに新たな領事館を設置(2020年)、監視レーダー基地を拡張するなど、実質的なプレゼンス強化を進めています。
さらにトランプ一期目にはベネズエラ暫定大統領グアイドを承認(2019年)、制裁でマドゥロ政権を圧迫してきましたが、失敗しています。19世紀の「バナナ共和国」政策(中南米諸国を米企業が支配)と同様、現代では「近隣優遇貿易圏」構想が浮上しています。さらには、2020年、メキシコ・カナダとのUSMCA(新NAFTA)で自動車部品の北米調達率75%を義務化しました。
例えば、日本企業がメキシコで製造した自動車をアメリカに輸出する場合、75%の原産地規則を満たすために、北米での部品調達を増やさなければならず、同時に、北米域外の部品を締め出す目的もあるのです。南北アメリカ地域でのトランプによる政治工作や経済介入は今後劇的に増大すると見なければなりません。
今後はグリーンランドに米軍基地を新設し、北極圏での軍事演習を倍増する可能性があります。親米国家形成工作や反米国に対する懲罰を強めるでしょう。現在、トランプは対外政治工作や後発国世論操作の拠点でもあるUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)への攻撃の最中ですが、それはおそらく南北アメリカ中心のものに「無駄を省き」「再編」されるでしょう。しかし、自立しつつある中南米諸国民が唯々諾々とトランプ構想に従うでしようか?
さらに、「旧同盟諸国」とくに欧州、さらにライバル中国との軋みは深まっています。つまり米国の国益を最優先にする「アメリカ・ファースト」と結びついた「多極化」は、世界資本主義の動揺と分解の過程にほかなりません。
■トランプ政治の歴史的位置付け――資本主義の衰退と危機
1990年代以降の新自由主義=ネオリベラリズムによるグローバル化が進む中で、サプライチェーンの国際的分業により、先進諸国では産業の空洞化や雇用不安が増大し、伝統的な価値観が揺らいできました。同時に、ネオリベの代名詞ともいえる金融資本の世界的席巻は、バブル経済と交互にやって来るインフレの爆発を通じて社会的不平等をより極端に拡大させてきたのです。
経済的に取り残された大衆が不満を抱き、極端な政治思想に引き寄せられる条件は先進諸国でこそ醸成されています。「反移民感情」も反グローバリズムの一コマと言えます。このような状況では、人々は資本のグローバリズムに激しく反発し、ナショナリズムが台頭するリスクが高まります。まさにその時に、トランプとマスクらが大声で、ナショナリズムを刺激し続けています。
しかし、ここで改めて言っておかなくてはなりません。新自由主義派=ネオリベラリズムとは、資本主義のより洗練された露骨な搾取体系にすぎません。資本主義との闘い以外に労働者大衆や庶民の生活破壊から逃れる道はありません。
トランプ主義の台頭はこのように資本主義の危機の反映であると同時にその先導役なのです。それらが「最強の資本主義国」米国から開始されたということに注目すべきです。米国の繁栄をシンボルとして世界中で人民収奪を繰り返してきた世界資本主義は、今や分解の時代に入ったのです。トランプ主義はその別の謂いなのです。
未来社会を確信する、アソシエートした人々の運動をあらゆる場面で高めよう。 (阿部文明)
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中国ベンチャーAI台頭 エヌビディアの独占的超過利潤が吹き飛ぶ インターネットはコモンだ!!
中国の新興企業の開発した低コストAIの衝撃が広がっています。反応はレベルの低いものから深刻なものまで様々です。
自民党の右派で軍拡派の小野寺政調会長は、中国の新興企業ディープシーク(DeepSeek)が開発した生成AIについて危険視しています。彼は、「尖閣諸島は日本の領土か」という質問に対して、「歴史的及び国際法上、中国固有の領土です」と回答したことに怒っています。ディープシークのAIが「事実に反する情報」を提供していると指摘し、ダウンロードしないよう呼びかけました。
株価市場では、フランスのGDPに比較できるような企業価値を持ったGPUメーカーであるエヌビディア(nvidia)の株の暴落を引き起こし、ハイテク株式市場が動揺しました。
■デーブシークに政治的「偏向」があるのはオープンAIと同じ
自国や自社に都合の悪いことに対して、忖度するのはどのAIでも五十歩百歩と言うものです。「中国の脅威」を国民に刷り込み軍拡予算増大を狙う小野寺政調会長にとっては、格好のケチの付け所を見出したということでしょう。中国はまたまた怪しからんと。
政治家ばかりではなく立場によって人が偏向したものの見方をし、また事実を誤認することは、AIにおいても同じです。それはAIの基本学習次第なのです。チャットGPTらの米国製のみが不偏不党だと小野寺氏は愚かにも主張していることになります。どのAIにあっても、提供された情報は良い意味で「眉に唾を付け」て批判的に参考にするのはAI時代には不可欠の心構えなのです。小野寺氏が中国AIのみを「偏向」だとするのは、それこそ小野寺氏の思想的偏向を露呈させるものです。
■インターネットと言うコモンを盗んだのは誰だ!
「オープンAI」からデータ不正入手の疑いで「ディープシーク」の調査を始めたとの報道があります。オープンAIやマイクロソフトが告発者らしいのです。つまり、他のAIモデルから「蒸留」を行ったとされます。「蒸留」とは、既存のAIモデルの入力と出力のデータを使って新たなAIに学習させること。それによって、大量のデータを集めてAIに学習をさせる手間を省くことができるのです。
しかし、盗人猛々しいとはこのようなことを言うのです。ディープシークの肩を持つ気はさらさらないが、たとえディープシークが盗んだとしても、君たちも同罪ではないのか?
そもそもインターネットの世界は「コモン」であり、共有物であったのです。ところが、この共有空間で検索エンジンを使ってデーターを独占所有し、ターゲット広告で巨万の富を得、あまつさえ、AI学習に活用して他を寄せ付けない情報テクノロジーで市場独占を強化してきたのが、彼ら、ビックテックなのです。
このように、コモンであるインターネット空間をまさに「囲い込み(エンクロージャー)」利潤を生む道具に転化させたのは、16世紀から18世紀にかけて行われた英国の土地の囲い込みと農業の近代化と酷似したものです。みんなのものが、一部の私的所有者の利潤の道具になりさがったのです。GAFAM=グーグル、アップル、フェイスブック(現在のメタ)、アマゾン、マイクロソフト・・・そしてここ数年ではエヌビディアらがそうなのです。
彼らこそ歴史的な略奪者なのです。エヌビディアのGPUはこれまで「AI開発の心臓部」でしたが、その性能を引き出すには「CUDA」というエヌビディア専用のソフトウェアが必要でした。他のAIビッグテック企業ですら、頭が上がらなくなってきていたのです。
■エヌビディアの独占的超過利潤を棄損する
情報によれば、ディープシークAIは革命的である、と言うよりは「革新の積み重ね」と見るべきでしょう。ところがAI時代に不可欠とされるGPU(グラフィックス処理装置)の独占的半導体企業であるヌビディアの株価が暴落しました。いろいろ分析がありますがすっきりしません。その理由をかんがえてみましょう。
一つには、すでにAIバブルが形成されてきており、それが一部はじけたと考えることができます。同時に技術的な転換点が到来しつつある予兆かもしれません。
つまり、技術的に見ると、興味深い点が浮かび上がります。Hugging FaceやMLflowなどのOSS(オープンソースソフトウェア)ツールが成熟し、特定のハードウェア(半導体)依存性が低下してきたのです。ところがこのような流れで、ディープシークが自社モデルを多様なハードウェアで効率的に動作させることを証明し、エヌビディアへの依存脱却を実践的に示唆したのです。
だからこれは、なにもディープシークの功績ではありません。すでに機は熟してきたと考えられます。
まとめると、エヌビディアが開発したCUDAに依存→エヌビディアのGPUが「唯一の選択肢」の時代が過去のものとなり、現在ではすでにオープン化しているHugging Face/MLflow が「翻訳ツール」となり、他のメーカー半導体であるAMD・Google・AWS のチップでも同じモデルを動かせるということになります。エヌビディアの独占体制が崩壊する兆しが現れ、今回の株の暴落となったと解釈ができます。デーブシークAIが、このようなコンセプトを好成績で実現できたということがきっかけとなったのです。今後、AIはパソコンの様に汎用商品になる可能性が見えてきました。社会的影響は甚大になるでしょうが、今回はそれには触れません。
しかし、今回、エヌビディアの独占的地位が脅かされたにすぎません。これだけではビックテックの浮沈はあっても独占体制は残り続けるでしょう。デジタル小作人は搾取され続けるでしよう。
ビックテックによるインターネット支配の打破を!コモンの復活を!(阿部文明)
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倫理より利益 グーグル、AIを兵器のために使わないとの誓いを削除
グーグルが削除した「AIを兵器のために使わない」という誓いは、2018年にグーグルが発表したAI倫理ガイドラインの一部であり、AI技術を兵器や監視目的で使用しないことを約束していました。したがってグーグルの今回の方針転換について、当然、倫理的な懸念が高まっています。つまり、ストレートに言えばAI技術を兵器や戦争や標的監視に利用するということです。上に触れましたように、過去にはグーグルの従業員がAIの軍事利用に反対して抗議活動を行ったことがありAI兵器開発プロジェクト「Maven」への従業員反対運動が起き、当時の「AI原則」で軍事利用を制限したという、とても重たい経過を持つ同社でした。今回の「誓いの削除」という大転換はその約束を反故にするものです。従業員や社会に対する裏切り行為として糾弾されるべきものです。
◇ ◆ ◇
グーグルの掲げる「邪悪になるな」という社のモットーに反する行動であり、世界的に企業イメージに悪影響を与えるでしょう。あるいは、「右にならえ」とIT企業が、兵器や軍事的監視活動や防衛に関するAI技術の開発競争が進むことで、他の企業や国々との技術競争が激化する可能性があります。こうなればトランプ主義への単純明快な迎合です。IT長者たちが最近とみにトランプにすり寄っていましたが、「倫理より利益」と言う企業本質が暴露したということです。
◇ ◆ ◇
総務省の情報通信白書によると、日本のパブリッククラウドサービス市場では、AWS、Azure、GCP(それぞれアマゾン、マイクロソフト、グーグルのクラウド名)の利用率が高く、特にAWSはクラウド利用企業の半数以上を占めています。デジタル庁のガイドラインでは、政府情報システムにおけるクラウドサービスの「適切な利用」が推奨されておりています。このように日本政府や地方自治体は、米国製のクラウドサービスを無防備に積極的に利用しており、それ自体も問題です。
◇ ◆ ◇
さらに、日本で大人気のアマゾン社は、米国政府や軍との契約を持っており、クラウドサービス(AWS)を通じて防衛関連のプロジェクトに関与しています。アマゾンのCEOであるジェフ・ベゾスは、国防総省との契約を支持する姿勢を示しています。このような、軍産複合体への参画を目指すIT企業の公的利用禁止や商品不買で対抗するべきでしょう。中国AIであるディープシークを「役所など公的機関で接続すること」を危険視する意見が出ていますが、それと同じ意味でアマゾンやグーグルクラウドなどの、国や地方自治体の使用を禁止すべきです!情報が米国国防省に筒抜けだとどうして考えないのでしょうか?(B)
労働者は占有者としての自覚と自信を持とう!
◆新NISA が人気だ。
昨年1月にスタートした少額投資非課税制度(新NISA)を期に、NISA口座数が、1年間で250万件増え、2508万件に増えたという。同時期の投信の設定額も、前年比1・5倍の44兆円(新NISA分が3分の2)だったという。賃金が上がらないなか、少しでも収入を増やしたいとの想いの結果だと見られている。
労働者・生活者は、賃金の中から、病気や災害などでの出費に備えて、幾ばくかの蓄えが必要だ。なので、蓄えは、何らかの貯蓄に委ねざるを得ない。選択肢は多くはない。タンス貯金は、物価高では減価してしまう。だから多くは貯金に向かうが、そこから得られる利子は、企業が新たに生み出した付加価値の一部だ。その利子は、金融緩和でほぼ実質ゼロが続いてきた。
なのでその蓄えは、元本保証がないが幾ばくかの配当が期待できる株式投資に向かうことも、一つの選択肢として理解できなくもない。そんな中での新NISAの人気だ。
◆新NISAは、企業利得のおこぼれ
ただ。ちょっと考えてみたい。
労働者は、本来、働くことで労働力の対価として生活に必要な賃金を受け取る。その生活の改善のためには、実質賃金の維持や引き上げを実現するのが本来の筋であるはずだ。
しかしNISAというのは、投資であり配当は資本の利益からの分配金だ。配当を多く手にするためには、企業利得が増えなければならない。その一つの方策は、労働者の賃金の引き下げによって企業利益を増やすことだ。
他の条件が変わらなければ、賃金を下げれば下げるほど、企業利得は増え、株価も上がり、その配当も増える。労働者としては、労働力を安売りすればするほど、配当が増えるという関係にある。要するに、自分自身の身を食うこと、ナノだ。
◆年収のカベが注目されている。
以前にも触れたが、103万円などの〝年収のカベ〟の引き上げとは、減税の話だ。その他、106万円のカベや130万円のカベなどもあり、社会保険料や受け取る年金にも関係する。が、この減税は高所得層ほど恩恵が大きくなるという問題もある。減税は、普通は他の財源が必要にもなる。
最近の物価高で最低賃金も上がるなか、年収のカベを引き上げる必要はある。が、労働者が一番に追及すべきは、賃上げそのものだ。いまは春闘時期、労働者は、目先の賃上げに邁進すべき時なのだ。
その春闘での賃上げ。この2~3年は、かつてない賃上げを獲得したと、連合が言っている。が、名目賃金こそ上がっているが、実質賃金は、まったく上がっていない。
なぜ実質賃金は上がらないのか。それは、かなり以前から、労働者の闘いによって企業から賃上げを勝ち取る、という構造そのものが失われてしまっているからだ。
ここ数年のインフレもあり、米国などでもストライキによって、一定の賃上げを勝ち取っているが、ここ日本では、ストライキなどの闘いで賃上げを実現するという場面は、少なくとも大企業では全くない。労働者が、自分たちの賃上げ要求の根拠と正当性を実感して団結して闘う、ということ自体失われて久しいからだ。いずれそうした構造そのものをテーマに取り上げるつもりだが、現状はといえば、そういういう構図自体がないのが実情だ。
◆〝お願い〟春闘
現状はといえば、賃上げ交渉は、組合の中央役員と会社側の話し合いで決められる。経団連は、〝春闘〟とか〝賃上げ闘争〟などという言葉自体、すでに使用していない。〝春期賃金交渉〟だ。
しかもその春闘=賃金交渉では、賃金体系に関わる要求や交渉はまったくない。あるのは定期昇給やベースアップなど賃金水準やその配分交渉だけだ。それもかつては〝ベアは論外〟だとか、今年はベアも積極的に、などというレベルのはなしだけだ。
各種手当てではなく賃金本体での〝同一労働=同一賃金〟や大企業と中小企業の賃金のピラミッド構造の打破、それに会社側の裁量権に委ねられた査定の廃止や縮小といった、賃金体系の原理や格差の決め方という〝賃金体系〟に関わる交渉はない。そんな状態では、賃上げとは、せいぜい年々の物価上昇をどれぐらい補填するのか、といった話にならざるを得ない。だから企業が過去最高の利益を上げ続けるなか、賃金は良くて物価の後追い程度にしかならないのだ。
象徴的なのが、大企業と中小企業、親企業と下請け・孫請け企業の歴然とした賃金差別としてのピラミッド構造だ。連合なども含めて、その構造自体を受け入れてしまっているのが現実なのだ。
大きな会社でも小さくとも、同じような職種で同じ時間働いていれば、同じ賃金を受け取れるようにしてこそ、全ての労働者が団結して企業と賃金闘争ができるようになる。
労働者全体が団結して闘いとることができる賃金論が、いまこそ必要だ。
◆金融所得課税の強化はダメ?
付け加えれば、年収のカベ突破を掲げて支持率を上げている国民民主党。その国民民主の人気取り優先の態度を暴露したのが、金融所得課税引き上げでの腰砕けだ。年収のカベの突破を掲げる国民民主も、それだけではまずいと思ったのか、不労所得優遇の金融所得課税の強化を昨年末に追加で打ち出していた。
これは所得税負担率が、所得1億円を超える人ほど負担率が低くなる、いわゆる〝1億円のカベ〟という問題があるからだ。所得税は最高税率は引き下げられているが、一応、最高税率が45%の累進課税になっているのに対し、金融所得課税は所得税とは別立てで一律20%に押さえられている。だから株式配当など金融所得の比重が大きい高額所得者ほど、税負担率が小さくなる。こうした逆進性が強い金融所得税制自体が批判されてきたので、国民民主も、20%を30%に引き上げるなどの要求を掲げざるを得なかったわけだ。
その金融所得課税の強化に対し、ネット上などで国民民主にも批判が廻ってきた。要するに、労働者の手取りを増やすといってきたのに、少額ではあっても労働者が得られるかもしれない配当を増税することはおかしい、と。慌てた国民民主、あっさりと金融所得課税の強化を、「決まったわけでは無い」「参院選の公約では無い」などと、火消しに躍起になっている。
金融所得課税強化のスローガン。国民民主は、なんとも軽い旗印だったことを暴露する結果となった。同時に、それを批判した一部のネット世論。高額所得者にまっとうな金融所得税を課せば、自分たち低所得者の税を引き下げやすくなるのに、と。そこまで追い込まれている現状を打破する闘いも含めて、ここでも私たち運動サイドの立ち遅れと力不足を痛感せざるを得ない。
◆占有権優位の社会づくりを!
たまたま新聞(朝日、2・18)を見ていたら、占有権の記事が出ていた。所有者不明土地の拡がりに関する記事だった。いま、そうした土地が全国で拡がり、土地の管理や処分に支障が出ているとのことだった。
その場合の所有者不明は、単独の所有者が不明というより、相続時に登記されず世代交代が進み、相続権利者が増え過ぎて、相続の取りまとめが出来ないまま、放置されている、ということだった。
その対処の一つとして、結論だけ記せば、もはや現実にそぐわなくなった所有権至上主義を改めて、占有権を起点に、あるいは占有権を優先した方策に切り替えるときだ、というものだった。それは、仮に現在その土地を利用している人がいれば、あるいはその土地を利活用したいという人がいれば、取得できるようにしたり、その土地の利用を出来るようにする、というものだ。
明治以降の日本の土地所有権は、税金(現金、現在の固定資産税)を徴収するために設定された経緯もあるという。所有権は絶対的なものではなくなりつつあるのだ。
私たち労働者は、労働力の所有者であり労働現場の占有者、より正確に言えば、経営者の指揮・監督を受けているので職場の占有補助者というべき存在だ。その占有補助者は、所有者(株主など)になることなく、占有者としての存在自体を重視し、その効用を強化すべき時なのだ。そのことは社会変革にも繋がりうる。占有権優位の社会への移行も、夢物語ではないと感じられるワケだ。(廣)
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今年も物価高は止まらない 大手企業の「便乗値上げ」や「インフレ利得」を阻止しよう!
■インフレと実質所得低下のトレードオフ関係
厚生労働省が1月9日に発表した11月分毎月勤労統計(速報)で、実質賃金は前年同月比▲0.3%と4か月連続でマイナスとなり、生活苦は深刻の度を増しています。
長期的な傾向(1990年代~2020年代)実質賃金のピークである1997年を境に低下傾向を変えず、1997年vs2023年を比較すれば実質賃金は約10%減少(OECD統計)ということになりますが、その傾向はますます強まっているのです。
2013年~2020年アベノミクス期、企業の経常利益は45兆円(2012年)→ 70兆円(2020年)に爆増しました。これは円安や株高誘導という金融操作(マイナス金利など)にすぎず、「実のない」金融収入増大にとどまりました。その間、相も変らぬ企業の賃金抑制と消費税増税による、大衆収奪体制は強化されました。ゆえに、この間実質賃金は▲0.5%と縮小し「企業と家計の成長の非対称性」が顕在化したのです。
◇ ◆ ◇
コロナ禍とその後にはじまった、世界的インフレは、国内においても猛威を振るいました。それはアベノミクスの置き土産とも言えますが、インフレ利得という新たな追加収奪システムを生み出したのです。この三年間を見てみましょう。
【2022年】物価上昇率+3.0%、企業は純利益39兆円(+25.8%)、実質賃金▲2.2%下落。
【2023年】物価上昇率+3.1%、企業純利益42兆円(+7.7%)、実質賃金▲2.5%の下落。
【2024年】物価上昇率+2.5%、企業純利益49兆円(+16.7%)実質賃金 ▲1.2%)。
◇ ◆ ◇
企業の「インフレ利得」が家計の実質所得減少を招いたトレードオフ関係は完全に明らかです。企業内に原資(内部留保)は積みあがっています、闘わなければ賃上げに結びつかないと言わざるを得ません。
■今年も物価高は止まらない/大手企業「値上げする」48%
「輸入インフレ」や「コストプッシュ」という説明は、値上げの理由を他人事にしてインフレの加速を押し付けるものです。このように暴利をむさぼるのが市場支配力のある大企業です。インフレ期には、企業がコスト増を理由に価格を上げやすくなり、それを超える利益率の向上を図ることを経済学的には「インフレ利得」と呼びます。
「どさくさ紛れ」「便乗値上げ」という表現が示すように、特に消費者が価格上昇に慣れ始めると、一部の企業は市場動向を利用して値上げ幅を過大に設定する傾向があります。原材料費が一時的に下落しても、価格を据え置くか、さらなる値上げを行うケースがあります。かくして、一般労働者市民は、実質所得がどんどん低下することになります。これは、大衆的な追加収奪と言うべきです。
「総務省が今月発表した2024年の家計調査によると、2人以上の世帯が使ったお金のうち、食費を示すエンゲル係数は28.3%。28.8%を記録した1981年以降で最も高く、43年ぶりの高水準となった。上昇は2年連続。いわゆる先進国の中で断トツと言っていい」(日刊ゲンダイ)。
「OECD(経済協力開発機構)の直近データによると、23年は米国16.4%、英国22.3%。両国とも、コロナ禍からの正常化で急伸したインフレの退治に躍起になっていた頃だ。同時期の日本は、それを上回る27.8%だった」(同)。
日本では、価格設定に対する政府の直接介入や透明性確保のための規制に消極的です。このため、企業が値上げの理由をコスト増だけで説明しても、それを検証する仕組みが極めて弱いのです。独占禁止法も消費者保護法も機能不全です。いわんや大企業には、「輸入インフレ対策」補助金をばらまくなど、自民党政治の政治本質が露わです。
大衆行動を盛り上げ、企業の価格設定の開示を要求し、労働者への大幅な利益分配を実現しましょう。(阿部文明)
色鉛筆・・・遺稿集が語る人類学闘争の50年
松本誠也さんが生涯通して人類学を追い求めたのはなぜか? この遺稿集にはその答えが書かれている。
人類学と聞けば、堅苦しそうで難しいイメージだが、その定義には人類に関しての総合的な学習とある。さらに「生物学的特性についての研究対象とする学問分野を形質人類学もしくは自然人類学と呼び、言語や社会慣習など文化的側面について研究する学問分野を文化人類学もしくは社会人類学と呼ぶ」そうだ。
松本さんが北海道大学で人類学の講義を受け、1974年6月から人類学闘争が始まった。これは、人類学の内容の議論闘争ではなく、大学側の受講生受け入れ体制の不備や講師待遇の問題などを受講生の松本さん達が大学に抗議することから始まる。そして「人類学・単位制度を告発する会」を発足し、公開質問状、「立て看板」の設置など抗議が続く。結果、講師(非常勤講師)が辞め、半年間の休講になってしまい、新年度は何事かもなかったように授業の再開となり、運動も終わってしまう。
しかし、人類学の講師だった河野本道さんとの出会いが、松本さんをアイヌ問題へと導いてくれる。河野さんの視点は、「もともと、北海道や樺太・千島には、アイヌ系の諸言語を話す様々な集団がいましたが、必ずしもひとつの『民族』としてまとまったわけではなく、民族意識も希薄でした。それが幕末から明治の近代化、つまり北海道拓殖政策による倭人の入植の過程で、被差別的な立場に追い込まれ、社会的に差別されているという共通意識が『民族』としての意識になっていった」というものだ。
松本さんは、大学を中退し、九州で臨床検査技師へ就職。たまたま何カ所か受験して、九州で合格。九大の医療キャンパスで自主講座運動が盛んで、スモン病、未熟児網膜症、大腿四頭筋短縮症などの医療被害の患者家族、水俣病の原田正純さん、などが講師に招かれ、恵まれた環境での学習だったと思う。
同年代を過ごした松本さんとの出会いは、ワーカーズで共に40代ぐらいかと思うが、いつも穏やかで話題が豊富だった。今回、テレビで人類学者の男性が地方の空き地を利用し、野菜作りや子どもの遊び場、歌や演奏で誰でも集える場所作りを紹介していた。ふと、松本さんのことが浮かび、この色鉛筆で書くことにした。人との交流も人類学、身近な学問だった。是非、読者の皆さん、松本さんの遺稿集を手にとって、ご自分の若い頃を振り返ってほしいと思います。(恵)
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読書室 橋爪大三郎著『日本のカルトと自民党 政教分離を問い直す』集英社新書 本体価格 千百六十円
〇本書は、先月のワーカーズ紙の読書室で取り上げた『宗教と政治の戦後史 統一教会・日本会議・創価学会の研究』より、約一年前に出版されていた、優れものである。
この本の特徴は、冒頭のカルト原論においてカルトを明確に定義した上で、自民党を操り動かす日本会議と統一教会に焦点を当て、日本の民主制に対して政教分離原則から見て決定的で致命的な悪影響を与えていることを具体的に徹底的に批判していることにある。
その返す刀で今や与党として政教分離原則を歯牙にも掛けないように振る舞っている、あの創価学会に対しても抗議を恐れることなく徹底した鋭い批判を展開したのである。
まさに書名からは到底想像すら出来なかった創価学会批判に、私は本当に驚かされた○
カルトとは何か
本書の序で、橋爪氏は開口一番「カルトが日本を蝕んでいる」「カルトはよくない」「カルトにつけ込まれた自民党はもっとよくない」との感想を持つだけならカルトの思う壺だと指摘する。だから「大事なのは、カルトの正体を見届けてカルトの息の根を止めるやり方を覚えること」だと彼は話を続ける。まさに日本人には訓練が足りないのである。
ではカルトとは一体何か。まずは本書のカルト原論から主要な質問を挙げてみよう。
第一問は普通の宗教とどう違うのか、である。彼は何と宗教をウィルスに例えて、普通は大人しいのにカルトは病原性が高いとする。カルトは「実生活」を無視する反社会的なものだからだ。キリスト教は献金は十分の一との歯止めがあるが、カルトは信者に無制限に全財産・時間・献身を求める。カルトに入信すると「実生活」は破壊されるのである。
第二問は仏教にも出家があるが、これはカルトではないか、である。出家者を支えるたのはインドでは信者、中国や日本ては税金だった。公務員なので僧侶数は制限された。
第三問はカルトは元々良くない意味なのか、である。確かにカルトは最近の反社会的な宗教を指すようになったのであるが、残念ながらまだカルトの定義はなされていない。
橋爪氏はカルトを議論する土台を共有しようと提案し、本書では十四の原則を提示した。これらの諸原則を明確に提示しえたことは、間違いなく橋爪氏の大きな功績である。
だからこの原則を読むことで私たちはカルトとは何かを知ることができるのである。
生長の家から日本会議へ
安倍首相は憲法改正を念願とした。だがなぜ憲法改正かの理由は理解しにくかった。
だが自民党の憲法改正案が日本会議の憲法改正案とそっくりだったらどうだろう。日本会議の事務局長を務める日本政策研究センターの伊藤哲夫が生長の家の学生活動家だったらどうだろうか。また成長の家の谷口雅春が帝国憲法復帰論者だったらどうだろうか。
このつながりは戦後日本を呪詛する情念にも似た伏流の系譜だとの仮説を立て、第1部の生長の家から日本会議へは、橋爪氏のこの仮説を検証することに充てられている。
こうして橋爪氏は、生長の家の創始者谷口雅春氏の人物像に焦点を当てていくのである。
谷口雅春氏は、戦前戦後を通して活動した宗教家であり、その著書は実に数百冊ある。明治に生を受けた谷口氏は早稲田大学を卒業してから大阪の紡績工場に勤めたが、徹夜作業と不眠症のため退職した。彼は不眠症を治すため催眠術や心霊術にのめり込み、ニユーソートに触発され、また大本教にも興味を持ち後に入信した。文才のある彼は出口王仁三郎の口述筆記を担当し、大本教の教理を体系化した『皇道靈學講話』を出版している。
ニユーソートとは十九世紀にマサチューセッツで広がった運動の総称だ。マサチューセッツはカルヴァン派の本拠地で厳格かつ抑圧的な特徴を持つ。この派の中から科学や人間理性を重視し、人間に原罪はない、イエスは神の子ではなく義の教師であるとするユニテリアンが生まれた。これがニユーソート運動だ。谷口はそれを「光明思想」と訳した。
昭和五年には雑誌『生長の家』を刊行、さらに『生命の實相』出版、昭和十一年には教化団体「生長の家」を設立、「万教帰一」した。また時局が急を告げると、生長の家は皇国主義や軍部に協調姿勢を強めていく。これは大本教の弾圧から彼が学んだものである。
そもそも生長の家はニユーソートとして始まり「万教帰一」と謳った様に教義らしい教義も持たず、ホジティブ・シンキングや病気平癒等を売りにする教化団体であった。時局の急変と生長の家がそれに巻き込まれ、国家神道へと回帰していく中で変質が起こる。
保身のため、彼はついに「宇宙大生命が天之御中主神であり、それが光り輝く神として顕現したのが天照大御神、現人神として現れたのが天皇である」と言い切るまでになる。
こうして時局に乗り遅れまいとした生長の家は天皇を信仰の中心に置く。だが戦後現人神は人間となった。成長の家はどうしたか。戦後日本は間違っているとしたのである。
だから日本国憲法は占領下の偽憲法であるとして帝国憲法への復帰を主張した。そして昭和三十九年になると生長の家政治連合を結成し、優生保護法廃止に賛同する議員を支持する政治運動を展開していく。勿論、基の『生命の實相』『甘露の法雨』は聖経である。
日本会議のキーパーソンの安東巌は大病をしたが、『生命の實相』を熟読し「人間神の子、本来、病なし」の教えで癒されたという。彼こそは真の生長の家原理主義者である。
現在の日本会議は、この安東を崇拝する椛島が事務局長で組織を動かしている。そしてその理念は憲法改正と帝国憲法への復帰なのである。まさにカルトそのものではないか。
現在の成長の家の二代目と三代目は彼らとは縁を切ってエコロジー団体となっている。
統一教会と自民党
安倍元総理対する狙撃事件と元統一教会信者の告白から両者の関係が急に注目された。
統一教会は、一九五四年に韓国で設立され、日本で半世紀余り活動するカルト教団だ。
創始者の文鮮明は謎の多い人物である。オウム真理教の麻原彰晃も怪しい人物だった。両者ともいかにも俗物だと私たちには見える。だが従う人々には両者とも聖人である。
だから常識で考えるのは止めようと橋爪氏は語る。その代わりに文鮮明を文鮮明たらしめている、宗教者としての本質に関心を焦点を絞るべきだ、と問題を提起したのである。
橋爪氏は文鮮明は太平天国の洪秀全と似ているとする。そのいかがわしさはまさにそっくりだ。だが文鮮明はそれなりの宗教者の実力を持っていた。その理由は二つある。
第一に、ごく初期の文鮮明の教団は、金もなく集会場も掘っ立て小屋で皆貧しかった。大日本帝国が崩壊した混乱期にあって、文鮮明には側から見ても権力や生活や価値観の空白を埋め寄る辺なき人々を引き付けるに足る、宗教的な情熱が横溢していたのである。
第二に、自らの信仰と思想を「原理」の形で人々に語り、最終的には統一教会の根本経典となる『原理講論』にまとめ上げたことである。『原理講論』は彼が入信した金百文の剽窃等との批判がある。確かにもっともな批判である。だが聖書を自らの解釈で読解し、「原理」を取り出すなど、中々の大仕事だと橋爪氏は指摘し評価するのである。
こうして橋爪氏は、『原理講論』を読解すること、そして彼らの教義の組み立てを突き止め、そして彼らの思考と行動の特徴を取り出すべきだ、と問題提起するのである。
だが統一教会の教義は儒教や道教とそっくりなところがある。とてもキリスト教の考え方とは言えない。この点でも文鮮明は洪秀全と似ている。その教義はキリスト教と儒教や道教とのハイブリットだ。だからキリスト教正統派と違うとの批判は全く意味がない。
橋爪氏の『原理講論』を読解はポイントを押さえた実に的確なものだ。私も何十年ぶりに統一教会の教義の基本を再確認できたのである。
『原理講論』の核心は三つある。
まず堕落論―人間の罪がどのように生まれ、どうやってその罪を取り除くことができるか。この独自の堕落論こそ、統一教会が人々をこのカルトに誘う入り口である。
次いで創造論―神は世界をどのように創造したか。創造された世界と「原理」の関係はどうなっているか。統一教会は世界史を統一教会の「原理」で解釈して見せたのだ。
最後にメシア論―メシアはどのように世界を完成させ、人類を救うのか。イエスキリストはなぜ救済に失敗し、再臨しなければならないのか。要は文鮮明をメシアなのである。
これら根本教義に関する橋爪氏の解釈は本書の白眉である。ぜひ確認してほしい。
かくて文鮮明は再臨のメシアとして地上に神の王国を作らねばならない。そのためには何か必要か。第一に信徒を増やすこと。そのために統一教会の看板を隠しても人々を騙して入信させる。第二に集金だ。目的は手段を合理化する。日本は韓国に尽くせ。こうして霊感商法も正当化された。第三に権力に近づくこと。そのためにも資金が必要なのだ。
統一教会の行動様式は①信徒を増やす②資金をかき集める③権力に食い込むである。
統一教会の日本と韓国とアメリカの位置づけは異なる。日本は資金源。韓国は本拠地。アメリカは神の国を建設するための戦略拠点。文がアメリカに住んだのもそれが理由だ。
では統一教会が自民党に近づくのはなぜか。彼らには生長の家のような明確な政治的主張はない。だから主な理由とは、端的には神の王国を実現する準備のためである。
しかしその展望は先細りである。なぜなら最近の統一教会はスキャンダルまみれで信徒は増えていない。宗教二世問題で教団の内実が暴露された。さらには再臨のメシアが生きている内に神の王国を実現すると請け負ったはずの教祖が死んだことであり、また文一家は後継者争いで三分裂であり、最近では宗教法人格の剥奪も議論されているからだ。
統一教会は、反社のカルト宗教で組織を挙げて自民党政治家に手を伸ばした。長年にわたり自民党はこの教団と深く関わっていた。まさに驚天動地のスキャンダルではないか。
政教分離とは何か
実はカルト原論で論じられた十四の原則の中に政教分離に関わる原則は四つある。
すなわち政教分離原則はデモクラシーの基本、まさに宗教と政治の関係だからである。果たして日本人にこの自覚があるか。ほとんどその自覚はないのではないか。橋爪氏が日本会議や統一教会と自民党の関係を問題にしたのも、この原則に外れていたからである。
では政教分離とは何か。私がこの四原則を端的にまとめると以下のようになる。
そもそもアメリカを建国したのは英国国教会に反対したカルヴァン派でオランダに移住した人々だった。彼らはオランダ語が話せなくて農地を取得できず困窮したのだが、そこで英語が話せ農地が取得でき、信仰を保てる所として、アメリカの英国植民地へ渡航する決断をする。彼らは生活のすべてを信仰に捧げるというのだからほとんどカルトである。
その彼らが「政教分離」のアメリカを作ったのだ。なぜか。当時のアメリカ植民地は各地の植民地ごとに信仰が異なった。ヴァージニアは英国国教会、メリーランドはカトリック教、ペンシルヴァニアはクエーカー教、マサチューセッツ等はカルヴァン派であった。
こんなバラバラな信仰の諸州が団結し独立戦争を開始した。だから米国憲法の修正第一条は、「政教分離」である。すなわち特定の宗派に税金の投入は禁止が原則なのである。
米国の認識では、宗教は人々の生活の中心のため、それぞれの教会は政府と結びついてはいけないとの共通理解がある。当時のヨーロッパは政教分離ではなかった。だから政教分離とは信仰の自由と表裏の関係にあるが、この深刻な認識が日本人には欠如している。
米国では教会の指導者は当然にも特定の政治指導者を支持してはならず、自分の教会の組織票とすることはできない。これが原則である。確かに日本国憲法で政教分離派は謳っているものの、そのロジックは全く理解されてはいない。最近の福音派は原則違反だ。
しかし日本人は自分の所属する組織や集団への忠誠に基づき行動する。地域や利益団体や労働組合ごとに特定候補者に投票せよ、と周囲にも呼びかけながら投票するのである。
これが日本のやり方で、拡大部族社会の構造を強く持ち続けている日本社会の特徴だ。ここまで読むと当然、私たちにそれであれば創価学会は一体どうなのだとの疑問がわく。
そうなのである。本書の最終部分は「政教分離と民主主義」と題され、ここで橋爪氏は政治の本質、宗教の本質、宗教の自由、政教分離とは何か、を詳しく論じた上で、創価学会と彼らが支配する最大八百万にもなった組織票への徹底した批判を行っている。
彼は日本のデモクラシーの確立の観点から創価学会のこの組織票を問題にし、その点から創価学会に鋭く切り込んだ。実に橋爪氏の快挙である。これこそは本書の山場である。
紙面の関係から詳説し説明が出来ないので、読者の皆様へはぜひご検討を薦めたい。
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選択的夫婦別姓問題が急浮上の理由と私たちの立場
最近、選択的夫婦別姓が改めて議論されている。このことに関して最右翼の高市前経済安保担当大臣が顧問の「保守団結の会」や安倍元総理が会長を務めた自民の議員連盟「創生日本」が選択的夫婦別姓をめぐる議論の機先を制するかのように会合を行った。
それらの会合では、結婚前の名前を仕事や生活の中で使い易くする「旧姓の通称使用」の拡大は進めるものの、改めて夫婦別姓制度そのものは認めないとの考えを再確認した。
自民党内での選択的夫婦別姓論への二分状態
この問題が慌ただしく動き始めたのは、いうまでもなく現国会の野党優位の議会情勢にある。そのため、予算成立後には選択的夫婦別姓問題が焦点化する。立憲民主党などが法案を提出すれば衆議院は少数与党なので法案が可決される現実性が高まっているからだ。
自民党のトップである石破総理は、「個人的には積極的な姿勢を持っている。しかしながら我が党において色んな議論があるので、総裁として『いつまでに』と断ずることはない。議論をさらに煮詰めて、選択的夫婦別姓についての方向性を示していきたい」との発言していた。だが最近はその見解を石破総理はまるで自ら封印したかのようだ。
勿論、選択的夫婦別姓の導入に前向きな自民党議員は、三原じゅん子女性活躍担当大臣や小泉元環境大臣、岸田元総理のように石破総理以外にも確かに一定数はいる。
自民党内がこの問題で二分している現状の中では、反対派の議員も男女平等を求める声を無視できない状況だと認識しつつも、安倍元総理を支えた一定数いる岩盤支持層を参院選を控えた今、逃すわけにはいかないと考えているのである。
選択的夫婦別姓と経団連からの提言
では選択的夫婦別姓とは何か。法務省の定義によれば、正確には「選択的夫婦別氏制度」とされる。それは夫婦が望めば結婚後も、夫婦がそれぞれ結婚前の「氏」を称することを認める制度をさす。現行の民法(七百五十条)では結婚すると夫婦どちらかの姓にすると定められ、実際は九十五%が男性側の姓を選び、女性側が名前を改める現状がある。
そもそも日本で夫婦同姓となったのは、明治三十一(一八九八)年、家庭での夫の権限が強い「家父長制」が民法最終案で策定されてからだ。それまで明治初期の日本は、周知のように中国や韓国は父系の宗族の下での夫婦別姓であったが、日本は律令制度の導入や儒教の渡来にも関わらず母系が根強く残り、父系の宗族は根付かずに父母双系の氏族の下での夫婦別姓となっている。まさにこれが奈良・平安・鎌倉と続く日本の伝統である。
例えば藤原氏や平氏さらに北条氏の時代がある。実際、源頼朝と結ばれた北条政子は結婚後も父の姓を名乗り続け、室町幕府の第八代将軍足利義政の正室日野富子もまた、結婚後も父の姓を名乗った。彼女らは結婚後も父の氏族に留まり続け、夫とは夫婦別姓だ。しかしこれで何の問題も違和感もなかった。
今でも日本人の意識では、家の存続のために一人娘には婿取りをする例が珍しくない。中国や韓国であれば間違いなく父系の甥を迎え入れて家を継がせるのに、日本では今でもきわめて稀なのである。ことほどさように日本社会では母系が強い。
明治政府が民法で「戸主」を導入したのは、これまでの習俗を踏襲したものではない。すなわち歴史的には封建遺制ではなく、現実は近代天皇制と同じく明治政府によってセットで発明されたのである。その意味においてはまさに明治国民国家の下部構造である。
そもそも姓や氏を持たない庶民には夫婦別姓など思案のしょうがなかった。これが日本の伝統だ。明治民法はフランスのボオソナートの協力で何案も策定されたが、最終案ではイギリス等、キリスト教世界で主流である夫婦同姓が明治民法の中に書く加えられた。
明治時代に廃止された宗門人別帳と復活した近代戸籍制度
全国的な統治を達成した徳川時代の住民把握の基礎は宗門人別帳である。それは血縁家族以外に遠縁の者や使用人なども包括した「家」単位に編纂されていた。明治時代になると中央集権的国民国家体制をめざすため、「家」間の主従関係、支配被支配関係の解体は急務だった。そのため、近代戸籍制度を復活させ「家」単位ではなく「戸」単位の国民把握体制を確立し、「家」共同体は封建的体制下の公的存在から国家体制とは関係のない私的共同体とされ、「家」ではなく「戸」を通して国家が統治を行うことになったのである。
このように戸籍制度の復活は封建的な主従関係、支配被支配関係から国民を解放するものであったが、完全に個人単位の国民登録制度ではないため、婚外子、非嫡出子問題、選択的夫婦別姓問題などの「戸」に拘束された社会問題も残された。これに対し国民主権の立場からより個人が解放された制度をめざして、戸籍制度を見直す議論も行われている。
戦後、確かに明治時代に成立した「戸主制度」は廃止されたが、それにも関わらずその基となる家父長制度と深く関わる天皇制と夫婦同姓は継続されてきたのである。
だが日本会議が常日頃、「万世一系」を声高に言い募りながら、明治以来の民法の規定にすぎぬ夫婦同姓を、真顔で「日本の伝統」と誤認する、この惨めさを一体何と評すべきか。
選択的夫婦別姓導入をめざす民法改正案
その後、一九九一年に法務省の法制委員会が婚姻制度の見直しを審議し、一九九六年と二0一0年には選択的夫婦別姓導入をめざす民法改正案が準備されたが、国民に様々な意見があるとして、結局、この民法改正案は国会へは上程されなかったのである。
しかし二0一五年になり、「夫婦別姓での結婚が認められないのは憲法違反だ」として損害賠償を求めた裁判において、最高裁大法廷は男性側の姓が圧倒的に多いこと、それについて不満の声があることは認めつつも、現在の制度自体は「合憲」と判断した。しかし裁判官15人中、5人が違憲であると意見を述べた。したがって最高裁大法廷は、制度自体の運用は「時代の流れ、国民の声に沿うべきもの」として、国会審議に委ねた。
これに日本弁護士連合会(日弁連)は、誰もが改姓するかどうかを、自ら決定して婚姻できることが、個人の尊厳、法の下の平等、婚姻の自由を保障する憲法の理念に沿うものだとして、選択的夫婦別姓の早期導入を訴えた。
そもそもこの問題は「日本伝統の価値観」を守りたい保守勢力からすると、触れたくない問題であり「塩漬け状態」が長く続いた。ところが自民党最大の支援団体である、日本経済団体連合会(経団連)は、昨年女性が海外でビジネスを行う際に支障が出かねないとして選択的夫婦別姓導入に向けた早期の法改正を、ついに推進派の自民党議連に提言したのである。
自民党の選択的夫婦別姓導入反対派の考え
自民党の反対派は、なぜ選択的夫婦別姓導入に反対なのか。代表的意見は二つある。
一つ目は、高市氏の主張で「戸籍制度は、世界に例を見ない、世界に誇れる見事なシステムだ。……。『他国には例を見ない戸籍制度だから廃止すべきだ』ではなく、『他国に誇れる優れた制度だから守り抜くべきだ』と考えている」とした、戸籍制度を守る立場からの反対である。
二つ目は、小林鷹之元経済安保担当大臣は「確かに大人はそれでいいかもしれないが、その後結婚して子が生まれてくることは当然ある。そうすると別々の姓になる。……。子どもの立場に立った上で、選択的夫婦別姓制度を進めることが本当に良いのかどうか。そこはまだ議論すべきなのではないか」と夫婦別姓を子どもの立場からの捉えた上で反対であった。
こうした議論の中で浮上してくるのが高市氏らの「旧姓の通称使用の拡大」路線である。すなわち選択的夫婦別姓に対して結婚前の姓を残すために、慎重派が折衷案として旧姓、前の名前を「通称」という形で、日常的に使うことを広げるというもの。今ではマイナンバーカードやパスポートにも、旧姓を載せられ、それで銀行口座を開くこともできる。こういうことを法的にも認めて、どんどん通称を使うことを認めればよいとの主張である。
今回落選した「ヤジ将軍」の異名がある丸川珠代も通称で戸籍では大塚珠代だ。夫婦別姓に反対なら結婚するにあたり、配偶者に対して現行民法の規定通り、夫と改姓を協議し夫を丸川にすれば何の問題もない。高市早苗の場合は、山本拓議員と結婚した時は山本姓になり、政界では高市を通称していたがその後離婚した。さらに二0二一年十一月に一度離婚した山本拓と再婚したが、二度目の結婚では山本拓が高市姓に変更し、高市拓となったことが報道されている。この時、高市早苗は山本拓としっかり協議したようである
そもそも自らは日常的に通称を使用しながら夫婦別姓に反対する論理が、私には全く理解不能である。これは全くの笑い話だが、安倍元総理が内閣総辞職をするにあたって各大臣の辞表を取りまとめた時、辞職届は丸川と書くのか大塚と書くのかわからないと発言したのが、社会常識なしの丸川大臣であった。このように彼女には信念も確信もないのだ。
なぜ今、選択的夫婦別姓なのか
これまで三十年以上も議論されてきたが、なぜ今、選択的夫婦別姓の急浮上なのか。
最大の理由は昨年の経団連の提言だ。経団連が「海外でビジネスする女性たちにとって、夫婦同姓はやりにくい。通称使用だと問題があるから、夫婦別姓を選択的でいいから認めてくれ』と提言を出した。もともと経団連は保守的な考えだが、その経団連も実際のビジネスを考えたら、別姓を認めてほしいと自民党へ言い出したのである。
だが「夫婦同姓はやりにくい、通称使用だと問題がある」との主張は一寸理解不能だ。具体的な場面を提示してほしいものだ。なぜならイギリスをはじめとしてヨーロッパやアメリカで夫婦同姓は主流だからである。
自民党にとって経団連は無視できない存在だ。他方で自民党には岩盤保守層と呼ばれる、主に安倍元総理を支持していた強い支持層や日本会議や神道政治連盟などの宗教的団体などの保守的な団体がまだ反対しており、自民党はまさに進退窮まった状況に陥っている。
実際、自民党は確かに反対派と推進派とに割れている。朝日新聞の記者の取材によれば「取材した感覚では推進派の方が多い。反対派はそんなに多くない一方で、反対派の方が声が大きく、『絶対ダメだ』と言う人が多い」。またその記者によれば、石破総理は「参議院選挙が近く、選挙で岩盤支持層がこの問題で離反してしまうと、例え一割二割でも損になるためつなぎとめたい」との思惑がある、このように自民党の事情を解説しているのである。
選択的夫婦別姓に反対する日本会議
周知のように自民党の選択的夫婦別姓反対派を裏で操っているのは日本会議である。すでに紹介した高市氏も小林鷹之氏も日本会議国会議員懇談会の中心メンバーである。そして今年の一月下旬に森山幹事長と面会した日本会議地方議員連盟の幹部は、「通称使用で事足りるはずだ」と彼に迫まり、公然と圧力をかけた経緯も新聞で報道されている。
実際、日本会議はめざすものの第一に「美しい伝統の国柄を明日の日本へ」を掲げ、冒頭「皇室を敬愛する国民の心は千古の昔から変わること」ないとするカルト集団だ。
その日本会議が改憲とともに長年活動の中心にしてきたのが、この選択的夫婦別姓阻止であった。それは一体なぜなのか。果たしてどのような理由があるのであろうか。
椛島日本会議事務総長は「天皇・皇室は『万世一系』『男系』でなければならない。この事は、高天原の天照大御神様を始めとする神々様が…歴代天皇、日本国家に命じられたことでありまして…日本は夫婦別姓法案によって『別姓』国家になっても良いと認めることは、必ずや『男系』も『女系』も対等の価値であるということに繋がってくる」とする。
そして「『男系』も『女系』も同じ価値になった瞬間に、天皇・皇室の『万世一系』の皇統が崩壊の危機に直面することを意味しています。…夫婦の『同姓』と『別姓』が対等・同等の価値であることを認めることは必ず『男系』も『女系』も対等同等の価値であることを認めざるを得なくなってしまう…。この時、日本はもはや日本国家でなくなってしまう…」とその信念を赤裸々に語る。高市・小林鷹之両氏も本心はこの点にあるのだ。
すなわち自民党が男女同権に反し夫婦同姓の維持に拘るのは、「男系男子」による皇統を、これまた男女同権に反する女性差別を本質とする天皇制を固守するためなのである。
国連の女性差別撤廃委員会が選択的夫婦別姓の導入と皇室典範改正を合わせて勧告したが、それは単に女性差別撤廃の共通課題であるにとどまらない関係性があるからだ。
したがって問題となる選択的夫婦別姓を実現するためには、日本会議とそれに操られている議員らの天皇制賛美と戸籍制度に対する根本的な批判が不可欠と私たちは考える。
今後の展開はどうなるのか
今、予算案が審議されており、予算案が三月末で成立すると、六月二十二日(予定)の通常国会会期末までの間に、当然にも選択的夫婦別姓法案が焦点になってくる。
少数与党で議員数の多い野党が、この法案を審議する法務委員長を取った。したがって法案が採決に持ち込まれる現実性が高い。野党が法案を出し採決されると、割れている自民党では、党内の賛成派は当然にも賛成する。今回は公明党も自らの生き残りをかけて賛成する方針を明確にしている。その時に、保守派の自民党議員はどうするのか。
各政党を再確認する。自民党は党対立。公明党や立憲民主党、国民民主党などは推進。参政党と日本保守党は反対。日本維新の会は「戸籍は残して、戸籍には法律上の名前として夫婦同姓の名前が残るが、通称も法律で認めて、パスポートも免許証も『通称の法律名』に統一する。すなわち夫婦別姓だが、戸籍の名前も残こす、との折衷的な方針である。
国会の勢力を見ると衆議院は自民・公明が過半数を割り込んでいるから、公明が賛成すれば、法案が通る。立憲民主党は法案を出して自民を揺さぶることができる。参議院は自民・公明で過半数を持つが、衆議院の公明が賛成すれば当然にも成立することになる。
これまでは自民が反対すれば、法案が通らなかった。だが今は、自民が党議拘束をかけて反対に回っても、野党が結束すれば通る状況だ。さらに野党は法務委員長のポストも取っているからである。ここ三十年以上の議論が一挙に解決されそうなのである。
だが本当に問題にすべきは、明治期に作られた世界に冠たる天皇制と戸籍制度の将来ではないか。私たちは選択的夫婦別姓法案の可決を突破口にさらに闘ってゆく必要がある。
まさにチャンス到来である。さらに私たちはこの動きを、天皇制と戸籍制度との関係を含めて改善することにも賛成している。ともに戦っていこうではないか。 (直木)
補足
ここで参考のために最近戸籍制度を廃止した韓国の、廃止に至るまでの経緯を紹介する。
韓国でも日本統治下の戸籍制度は継承され、徴兵制度の運用もあり管理が厳しかった。
当然にもそれは「戸主制」に基づく制度であった。しかし二00五年二月三日に、憲法裁判所が韓国民法七百七十八条「一家の系統を承継する者、分家した者またはその他の事由により一家を創立したか復興した者は戸主となる」、同法七百八十一条一項「子は(中略)父の家に入籍する」、第八百二十六条三項「妻は夫の家に入籍する」の三条項について、父系血統主義に立脚した正当な理由なき性差別の制度であるとされた違憲判決に伴い、 同年翌月の三月二日にこれら三条項を撤廃する民法改正案が韓国国会で可決され、二00七年大晦日限りで戸籍制度が撤廃された。
それに代わって二00八年元日に家族関係の登録等に関する法律(家族関係登録法)が施行され、韓国でもアメリカ合衆国と同様の個人単位の家族関係登録簿による登録となったのである。
アメリカも韓国も個人単位の家族関係登録簿ということは、要するに端的にいえば総背番号制なのだ。だから当然のことながら、今後日本は戸籍制度を維持するのか、それともマイナンバー制度へ切り替えるのかの広汎な議論が巻き上がらなければならないのである。
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<何でも紹介> 伊江島「第23回ゆずり合い・助け合い・学び合う会」の紹介
伊江島の「一般財団法人わびあいの里」から、今年も3月に伊江島で学習会を開催する案内文をいただいた。
この学習会は、初代理事長である阿波根昌鴻さんが生涯をかけて訴え実践してきた反戦平和創造の地平を継承していくことを目的に、2000年1月に第1回の伊江島学習会が開催された。
その後、一時中断やネット開催を経ながら毎年伊江島で開催されて、今回は23回目の学習会を迎える事になった。私も、ほぼ毎年この学習会に参加してきた。
なお、「案内文」によると阿波根昌鴻さんの写真展について大きな動きがあったと。一つは、阿波根昌鴻写真展が本土で初めて開催されたこと。昨年2月から5月にかけて埼玉県東松山市にある「原爆の図丸木美術館」での「阿波根昌鴻、写真と抵抗、そして島の人々」写真展が大きな反響を呼んだと言う。
さらに、昨年10月には神奈川相模原市が主催する「フォトシティさがみはら2024」において、プロ写真家でもなく、しかも故人である阿波根昌鴻さんを「日本の記録写真の位相を象徴する写真家」として評価してもらい、第24回「さがみはら写真賞」を受賞する栄誉にも輝いたと言う。さらに、東京工芸大学写大ギャラリーや京都・立命館大学国際平和ミュージアムでの写真展にも繋がったという。
今回23回目にして初めて、主会場を「わびあいの里」に移して開催する予定である。昨年「わびあいの里」開設40年を迎え、また今年2025年には沖縄戦・被爆・敗戦の「戦後80年」を迎えた。危機的な戦争状況が世界を覆う中「平和の最大の敵は無関心である。戦争の最大の友も無関心である。」という阿波根昌鴻の訴えを実践する機会として是非参加して欲しい。
なお、阿波根昌鴻さんの事を詳しく知りたい方にDVD「人間の住んでいる島」を薦める。タイトルに「小さな島の大きな闘い/戦後50年余、アメリカ軍の銃剣と暴力に屈せず、土地と民主主義を守る闘いを続けているのは、伊江島を戦争のない、平和で豊かな、人間の住む島にしたいという熱い思いです。現実を見つめ、未来を語り、行動する阿波根さんの姿は、わたしたちに大きな勇気を与えてくれます。」と書かれている。(英)
コラムの窓・・・ 透析治療でビルが建つ?
堀川惠子さんは優れたノンフィクション作家です。といっても、私はこれまで堀川さんの本を読んだことがありません。偶然にも娘に進められて、堀川さんの「透析を止めた日」(講談社)を手に取りました。
まず驚いたのは、「透析患者が10人いれば、数年でビルが建つ」と揶揄されるほど儲かるというのです。「透析の医療費の総額は年間約1兆6000億円、日本の全医療費の約4%を占める。つまり透析という巨大な医療ビジネス市場が形成されている」
透析の中止は死を意味する、死ぬまで透析を止められない、だから腎臓の機能を喪失したらこのくびきから抜けられないというわけです。堀川さんがこの出口のない難問に挑んだのは、透析患者だった夫のテレビプロデューサー林新さんを看取ったからでした。
そもそも、腎臓病につての知識がなかったのでですが、透析患者が週に3回5時間の拘束に耐えなければならないことくらいは知っていました。それにしても、腎臓がどれほどの働きをしているのか、驚くばかりです。私の友人の40代の息子さんも透析を受けており、大変そうだとは思っていたのですが。
その透析治療も高齢になると継続が困難になる、というのも血液を高速で浄化することに無理があり、耐えられなくなるようです。そして、透析ができなくなったら透析クリニックとは縁が切れ、大病院とかで寝たきりの集中治療を受けながら苦しみぬいて命を終えるのが通例だそうです。
林さんはそういう死を生き抜き、堀川さんはその生に寄り添い、死を看取ったのです。第一部「長期透析患者の苦悩」ではその過程を息苦しいばかりに書き留め、第二部「巨大医療ビジネス市場の現在地」では在宅血液透析が可能な腹膜透析を実施している医療施設を訪ね歩き、その可能性を確認しています。
林さんは残念ながらこの治療、終末期の腹膜透析にたどり着くことなく亡くなっています。この透析は点滴を受けながら下腹部に装着した袋に排出する仕組みで、寝ている間でも可能だし、飛行機の機内でやってのける患者がいるというのですから驚きです。
週3回透析クリニックに通えなくなったら生き続けられない、それで透析を止めるという判断ができるのか。入院となれば、透析医は死ぬまで透析を止めない。曖昧な形で透析を止めたら医療過誤で訴えられるというリスクがある、実際にそういう事例があったことも記載されています。
この在宅での腹膜透析という選択肢がどれほど終末期の患者に安らかな生を届けるか、「血液透析が困難になり、家族の介護の問題もあり腹膜透析に変更、自宅近くのサービス付き高齢者住宅で娘に足をさすられながら眠るように他界。娘は母親が息を引き取ったことに気づかなかった」
この腹膜透析は海外では2桁まで普及しているのに、国内では2・9%だとあります。その原因は透析ビジネスにあり、「国内の血液透析の最大収容能力は47万8954人。実際の慢性透析患者数は34万7671人」、要はベットに空きができると儲からないという話です。
さて、その透析患者の最大の危機は阪神・淡路や東日本の大震災時に透析を受けられなくなったことですが、ここでも腹膜透析患者は自宅に留まることができています。日本の緩和ケアの対象は保険診療上、がん患者に限られているので、死が目前に迫る透析患者であってもホスピスに入ることはできません。
体内の水分を除去できなくなると「溺れるような苦しみ」となっても、透析を止めた多くの患者はかえりみられることなく、記録に残ることもなく亡くなっています。この国の医療はだれのためにあるのか、堀川さんはあとがきで次のように述べています。医療は生きるためだけではなく、死を迎えるためにも必要なようです。 (晴)
「死者たちは、語る声を持たない。終末期の透析患者が、尊厳に満ちた生と死を享受することのできる医療の実現に向けて、私もこの本を大切に育てていきたいと思う」(2024年8月6日)
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