ワーカーズ665号 (2025/4/1)    案内へ戻る

 石破降ろしの失敗と自民党支配体制の一掃をめざせ!

 石破「10万円商品券」問題は、旧安倍派の石破降ろしの狙いが大きく外れ、自民党政治全体に対する有権者の怒りに対し、さらに油を注ぐだけの結果となった。果たしてそれは石破支持率急落とともに高市早苗の急浮上も夢と消えることになったからである。

 この結果は当然といえばあまりに当然である。自他ともに「ケチ」と定評のある石破総理が「10万円商品券はポケットマネーから支出」とあくまでも強弁するのは、領収書のいらない官房機密費からの金の支出だと言っているのと同じ。まさにポケットマネーだ。

 その後マスコミは連日のように岸田元総理も「10万円」を支出していたと報道し、歴代元総理たちも「適切に処理していた」とのコメントを恥ずかしげもなく行っている。

 まさに自民党のこれまでの政治慣行では「10万円」など問題にすらならないのだ。

 こうしてこの問題は、石破個人の「政治とカネ」から歴代総理の「悪しき慣習」までに広がり、石破を窮地に追い込み高市早苗を推戴しようとの旧安倍派の戦略は失敗した。

 石破自民党は、支持率を急落させ3割を割ってしまった。今まさに危機の只中にある。

しかし野党はこの好機を生かすことができない。自民党の支持は落ちているのに立憲支持は上昇していないからだ。野党が不甲斐ないのはほとんどが「ゆ党」だからである。

 実際、彼らに自公を打倒し、有権者のために良い政治をしようとの高い志はあるのか。

野田立憲は本心では自公との連立を追求している。私たちは彼らを自公とともに批判せざるを得ない。国民民主はかっての民社党であり、自民党補完勢力。維新もまた同列だ。

 今求められているのは、自民党の金権政治と闘い、対決する新しい政治勢力である。

 また現在の物価高騰に反対し闘い、賃金上昇の実現をめざし労働時間短縮を獲得する闘う新しい政治勢力である。そのために今後とも私たちは自公政権打倒の旗を高く掲げ、反自公の動きに影響を与えるべく活動してゆく。

 私たちは力強く、さらに広く連帯をめざし、闘ってゆく。いざともに闘わん! (直木)
      
  関税戦争の衝撃   トランプ政権の保護主義が暴く資本主義の深い亀裂

 トランプ米新大統領は予告通り、3月12日、米国に輸入される鉄鋼・アルミニウム製品への25%の追加関税を発動しました。従来「米国は輸入される鉄鋼製品に25%、アルミ製品に10%の関税を課しており、日本など一部の国・地域の製品には関税免除などの例外措置が適用されている。発動後は例外措置がなくなるほか、アルミ製品の関税は25%に上昇する」(読売3/12)。

 これは、従来米国が中心となってきた自由貿易の理念から大きく逸脱する保護貿易主義への転換を示すものであり、国内産業の保護と再活性化を狙う一方で、国際経済や資本主義体制に深刻な影響を及ぼす可能性があるのです。この関税障壁は、なぜ21世紀の世界を揺るがすのか。その背景には、新自由主義的グローバリゼーションが生み出した歪みと、資本主義そのものの構造的危機が横たわっているからです。

■歴史的反復~スムート・ホーリー法の亡霊

 トランプ大統領は、米国の伝統的な製造業、特に鉄鋼やアルミニウム産業の衰退と、それに伴う雇用喪失、地域経済の衰退を強く「問題視」していました。グローバル化と自由貿易の進展は、コスト競争力を背景に安価な輸入品の流入を招き、労働賃金の低下や失業者、中産階級の衰退を招きました。トランプ陣営は、こうした現状を「不公平な貿易慣行」と捉え、国益を守るためには積極的な介入が必要だと主張します。

 1930年に世界恐慌を悪化させたスムート・ホーリー関税法との類似点が指摘されます。当時も「国内産業保護」を大義名分とした関税引き上げ合戦が、結果として国際貿易を40%縮小させたのでした。当時各国は植民地主義に走り、第二次世界大戦を呼び起こす原因の一つとなりました。

 さらに現代においては世界に拡大したサプライチェーンの寸断をもたらし経済収縮を増幅するでしょう。例えば米自動車メーカーは部品を輸入に依存し、メキシコとカナダからの輸入が多く、全体の約40%を輸入に依存しています。それを制限することは、コスト増が避けられず最終製品価格に転嫁される構造です。「高くなった」米国製自動車の競争力は内外で失われます。

■関税戦争と為替引き下げ競争
 
 今回の25%という高率の関税対象を米国がさらに拡大しても、述べてきたように伝統的重厚長大産業の復活の見込みは少なく、むしろ米国消費者への廉価商品の提供が困難となり、下層貧困階級の一掃の貧困を生み出し彼らの反乱を激化させるでしょう。

 しかも、この政策には深刻な国際経済へのラリー効果が伴います。まず、関税の導入は、輸出相手国との間に貿易摩擦を激化させますし、相手国(カナダ、メキシコ、中国)はすでに「報復」を宣言しています。

 また、トランプ政権はイーロン・マスクらを使って、「連邦財政の健全化」を強引に推進しようとしています。しかし、述べてきたように米国の経済がさらに暗転し、貧困の拡大に陥るとすれば、米国政府は一転、財政支出拡大と低金利政策に打って出る可能性も否定できません。このような政策は露骨な「ドル安政策」であり(すでに日本は円安政策を取っており)他国の為替引き下げを触発する可能性もあります。いずれにしても従来型のグローバル市場経済は混乱に直面するでしょう。

■ 資本主義が招き寄せた保護貿易主義

 自由市場経済の原則に基づく資本主義は、競争を通じて労働者を厳しく搾取する一方で、米国主導で資本の効率性を促進する仕組みを国際的に発展させてきました。しかし、先鋭化した資本主義と言うべき、新自由主義によるグローバル化が進展する中で、資本や労働、技術の国際移動が加速し、各国間の経済格差や不均衡が拡大するという矛盾も顕在化してきました。それにつれて大衆的貧困も広がって社会問題化してきたことは何度も指摘したことです。

 であるならば、トランプ大統領の関税政策は、この矛盾に対する対症療法にしかすぎず、すでに述べたようにこうした矛盾を緩和するのではなく、激化させる可能性が高いのです。むしろ、市場メカニズムを歪めることで、資本主義の困難を激化させるでしょう。従来の自由貿易(WTO世界貿易機関)が主導してきた国際自由貿易を脅かし、長期的には資本主義システム自体の存立根拠を否定する(あるいは狭める)結果になるでしょう。

 このように世界資本主義の新たな阻害要因が「最強の資本主義国」米国から開始されたということに注目すべきです。米国の繁栄をシンボルとして競って拡大してきた世界資本主義は、今や分解の時代に入ったのです。未来社会を確信する、アソシエートした人々の運動を高めよう。(阿部文明)案内へ戻る


   財務省「解体」デモとマルクス主義 民衆の怒りの発露

 財務省解体デモが盛り上がっています。財務省は、「官庁の中の官庁」「影の政府」ともいわれ、消費税などを中心に虎視眈々と大衆増税の機会をうかがっています。他方では与党議員たちを手なずけて、エリート官僚たちは特権を享受しています。糾弾されるべき官僚機関なのは確かです。市民の怒りと直接行動に共感するものです。

■財務省(官僚組織)の劣化と政府与党の堕落

 後で述べるように財務省「単独組織」に原因があるとは言えませんが、まず指摘したいのは、「財政均衡主義」を売り物とする財務省が、暦年の結果として世界にさえ異例とされる財政赤字を生み出しました。その結果として負担(増税)を国民に押しつけていることを糾弾しようではありませんか。IMFによれば日本の財政の累積赤字残高はGDP比で2・5倍です。そんな国は他にありません。それは、第一に彼ら財務省の責任であり、彼らが無能であり、仕事に不誠実な結果なのです。これこそ逃れがたい彼らの罪です。

 二つ目は、政府財務省は一貫した法人税の減税政策を実施し、さらにトヨタ自動車など輸出大企業20社に対し、消費税額2兆1803億円を還付しています。つまり「均衡財政論」=増税を国民には押し付けながら、大企業には「減税」を続けています。与党政府・財務省の一貫した階級的政策であると同時に、労働者大衆への裏切りです。

 三つ目は、それゆえに「財政均衡主義」は建前だけであり、彼ら自身がそれを守る姿勢は全くありません。むしろその裏には、減税にしろ増税にしろ、財務省の立場を強化しようとする野心だけが見え隠れします。「寄らしむべし、知らしむべからず」と言うようなものです。中国の古代以来の為政者が人民を統治するための心得とされるものですが、財務官僚にも当てはまります。

 すなわち財政のことはもともと分かりにくいだけではなく、官僚たちは意図的に秘匿性を高め、財政要求(国民や議員たちから突き付けられるもの)については、「財務官僚にお願いするしかない」と言う形に持ち込むことです。こんなことだから世界一の赤字国に転落したのです。

 現在の財務官僚は省益⇒私的利益すなわち(国会での議論が限定的で国民には実態が把握しにくい)特別財政による特殊法人の培養に熱心で、退職後はこれら法人に天下りし退職金(税金)チューチューだけが目的となっています。与党議員や財務省に無批判な議員も含めて糾弾されるべきです。議員たちは、財務省の差配の恩恵で地元に「公共事業」を引っ張って来るという、もたれあい関係です。政治家もまた議席の保持しか頭にありません。国民の怒りを買うのも当然です。貧富の格差がひどくなり、実質賃金が目減りする中、民衆の怒りは彼らに向かうのも当然です。

■財務省を批判するMMT/空疎な批判

 「財務省解体デモ」には最近亡くなった森永卓郎氏の遺影らしきものが見えました。彼による「ザイム真理教」は、私も読みましたが、財務省主敵論と言ってもよい論述となっており、激しく財務省の策謀を暴き出し、批判しました。社会的な反響もあったのだろうと思いますが、しかし無駄な財政支出も消費税増税も「財務省」だけのせいであるはずはないのです。政・官・財を包括して存在する背景事情を単純化し財務省をモンスター化した特異なイデオロギーだと思いました。氏はMMT(現代貨幣理論)論者に近い立場にあります。

 ところがよく読めばわかるように、この両者(財務省の建前論と森永氏の批判)は表向きの見解は大きく異なり対立しているものの、実際の日本が抱える巨大な赤字については、どちらも「直ちに国家破綻につながらない」という現実を前提にしている面があります。ので、本質的な批判にはなっていないとみられます。財務省批判が、今後はれいわ新撰組や森永氏、三橋氏などのMMTに近い立場からのものが強まるとすれば、それは大いに疑問視されるべきです。MMT(森永卓郎氏ら)の、財務省批判は、単なる建前の「財政均衡主義」批判にとどまり実のある解決策につながりそうもないのです。

 MMTは政府が自国通貨を自由に発行できるならば、財政赤字自体はそれほど問題ではなく、むしろ経済成長や雇用創出のために積極的な財政政策を行うべきだと主張します。例えば上記したように日本政府は世界ダントツの債務残高があるのに彼らは「財務省の緊縮財政」を非難してきました。見当違いのあきれた話ですね。

 つまり、表面的には均衡財政を掲げる財務省と、赤字を容認するMMTは理論や政策目標において対極に見えますが、実際の日本の巨額赤字という点では、いずれも「現在の赤字が直ちに国家破綻に結びついていない」という現実に依拠しており、それを問題としていないという点で、類似性・親近性こそがあると言えるでしょう。

■国家財政とマルクス主義

 とにかくMMTが、日本の巨額な財政赤字を眼前にしながら「財務省の緊縮財政の批判」を展開するのはおかしな話です。財政や赤字公債に対する階級的理解が欠けているということです。

 マルクスは、国家財政を「資本主義の矛盾が凝縮された領域」あるいは「階級支配の道具」と見なしました。そのうえで国家財政の本質は、資本主義社会において、生産手段を所有する資本家階級が労働者階級から収奪した「剰余価値」を再分配し、支配体制を維持するための手段とマルクス喝破しています。(「ゴータ綱領批判」など)日本の不公平な財政を見れば、この正しさが確認できます。

 マルクス主義的な、より体系的な国家理論と経済理論からの日本経済、財務への批判的分析が必要です。少しだけ述べれば、租税とは『資本論』の言う生産点での剰余価値の収奪とは区別される、もう一つの大衆的収奪に他なりません。財務省の犯罪性と言えば、収奪たる徴税の強権を持つ(「国税通則法」および「所得税法」など各税法)こと、その配分にも大きな力を有することを改めて指摘したいと思います。

 さらに指摘すれば、日本における赤字国債の大量発行は、日銀の超低金利政策と一体のものであり、金融資産の拡大に資する半面――MMTの理解とは真逆で――円安(日本の労働力の安売り)、インフレ(所得からの追加収奪)に帰結し、現在の格差貧困社会を準備してきたのです。これらの諸点が今後しっかりと分析されなければならないと思います。 (阿部文明)案内へ戻る


  読書室 上野千鶴子著『近代家族の成立と終焉』 新版 岩波現代文庫 2020年刊行

〇本書は、上野千鶴子の1990年代の〈近代〉と〈家族〉、また〈女性史〉に関する単行本『近代家族の成立と終焉』に「家族の臨界―ケアの分配公正をめぐって」、「家族、積みすぎた箱舟」、そして「付論 戦後批評の正嫡 江藤淳」を増補し、岩波現代文庫から新版として刊行されたものだ。上野は「近代家族」の家族神話を覆し、その中に立ち入り、男女の権力の非対称性と親子の世代間関係の歪みを問題化してきたフェミニストである。実際、上野らフェミニストは家族の「壊し屋」の汚名を被せられたのだが、現実には「近代家族」がその出発点から様々な問題を抱えていたことを明らかにしただけだった〇

日本型近代家族の成立

 本書の最重要論文は、言うまでもなく「Ⅱ 近代と女性」の中にある「日本型近代家族の成立」とそれについての付論である「『家父長制』の概念をめぐって」であろう。

 上野千鶴子によれば、日本の「家」制度は、ひさしく「封建遺制」と考えられてきたが、近代の家族史研究の知見は、「家」が明治民法の制定による明治政府の発明品であることを明らかにした。実際、このような排他的な父系直系家族は武士のものだった。江戸時代の武士は全人口の3%、家族を含めても精々10%で、残りの90%は多様な世帯構成の下に暮らしていた。だから庶民は明治になってから初めて「家」と直面したのである。

 明治民法が排他的な父系直系長子相続制を取るに至るには、約20年にわたる「民法典論争」が不可避であった。それは逆に父系相続制以外の選択肢があったことを裏付ける。

 実際に各地の慣習法の中には、母系相続や末子相続があった。「姉家督」と呼ばれた母系相続は、豪農や豪商の間で広く行われていた。それは出来が選べない息子に代わって家付き娘の婿を広く求める家族戦略でもあった。また武家では養子を取る場合でもその者が家督相続者になるのに対し、豪農や豪商の場合は娘が家督相続人になることもあった。

 最初の民法案が出来てから1890年に制定されるまでに10年かかり、3年後に施行の予定であったが、穂積八束の「民法出でて忠孝亡ぶ」との非難で施行が延期され、最終案の施行は実に1898年であった。まさにそれは政治決着で決まったというしかない。

日本の「家」制度は、近代天皇制国民国家に適合的に形成された家族モデル

 このように日本の「家」制度は、近代天皇制国民国家に適合的に形成された家族モデルであり、逆に近代天皇制国民国家にもまた家族モデルに適合的に形成されたのである。

 まさに相互補完関係で国と家族による近代天皇制国民国家が誕生したといえるだろう。
 この「家族国家観」の秘密は「忠孝一本化」のイデオロギーにある。明治政府は「教育勅語」の公認イデオロギーに「儒教」を採用した。そもそもの儒教の徳目は「修身斉家治国平天下」である。それは自己を中心に同心円的に倫理を拡大していくものである。だから本来の儒教では、親に対する「孝」が君に対する「忠」に先行するものであった。

 しかし「教育勅語」の起草者の元田永孚は、孝と忠の概念を「親に仕えるように君に仕える」と解釈を変えた。この忠と考との逆転を発見したのは独学者の佐藤忠男であった。

 こうして明治政府は本来は矛盾を内包する家の倫理と国家の倫理を捻じ曲げ国家へ従属するように、「家」制度を作り直した。すなわち日本には家族主義も宗族主義もない。

 同様にフェミニストは日本的な「女らしさ」が伝統の産物ではなく、近代化の過程で儒教の影響から成立したものであることを、江戸時代の高い離婚率や再婚率から論証した。
 すなわち戦前の「家」制度は、「封建遺制」ではなく日本型近代家族だったのである。

 従来の家族論では「家」の封建残滓を払拭したものが戦後新民法であり、それとともに家父長制は歴史から姿を消したと思われてきた。だがこれもフェミニストは再定義する。

 その定義とは、拡大家族の「父の支配」も、夫婦家族における「夫の支配」もともに「家父長制」の変種であるというものだ。そして「両性の合意」の見掛けの下に戦後民主的な「友愛家族」が成立したように思われたが、法的平等の背後に性別役割分担による社会的・経済的不平等がある所では、戦後家族においても「夫の支配」は継続しているのである。

近代家族の終焉

 このような立場から上野は近代家族の終焉の方向性を追求した。それを確認するために戦後史の中の高度成長期に注目する。その論考が「『母』の戦後史」等であり、女性の家庭での役割の変化やそれに伴う父や息子・娘の変容についての目配せや考察がなされている。その象徴が『父性の復権』であり、江藤淳の小説、『妻たちの思秋期』であった。

 また家庭内における家事労働と家事の役割分担にはほとんど変化がないことも発見する。そしてその後一層考察を深め、具体的に労働力の再生産過程を担保する育児と家事を主な内容とする家事労働が現実に不払い労働であることを告発する。さらには「夫婦別姓の罠」では、別姓夫婦は大昔から日本にも世界各地にもいた。なぜ今問題になるのか。ゆえに上野は問題はいつから夫婦別姓でなくなったのかが正しい問いの立て方だとする。

 だから問題は夫婦同姓か別姓かにあるのではなく家父長制にこそあると正しく提起した。そして近代家族の終焉については、新版で増補された「家族の臨界―ケアの分配公正をめぐって」「家族、積みすぎた箱舟」等において、上野は愛と母性幻想とケア労働と家事労働の位置づけによってその方向性を確認するが、紙幅の関係で詳説できない。実際、誠実に介護を補助する人々は家族ではないのか。本当にこれらは実に重いテーマである。

 こうして上野千鶴子は、次のテーマとして最根本の問題だとして『家父長制と資本制』に取り組んでゆくのである。上野はマルクスの力を借りて、この難問に果敢に挑戦する。

本書は上野家族論の集大成であり、かつ日本フェミニズムの原典である。それゆえ、これらの問題に関心がある読者にはぜひ一読を薦めたい。(直木)案内へ戻る


 なんでも紹介・・・お米はなぜ、こんなに高くなった? 背景にある食の問題を考えよう

 昨年から物価上昇が相次ぎ、食品ごとに徐々に値上げをする巧妙な手段に不満を感じています。特にお米の値段が昨年の同じ頃に比べると、倍近くになっています。毎日食べる御飯だから、消費量は多く家計に大きく影響することは誰の目にも明らかでしょう。

そもそも米の安定供給を担ってきた農政が、備蓄米を放出する時期が遅かったのではないか、と指摘する元農林水産省次官・奥原正明氏。「本来ならスーパーの店頭でコメの品薄が顕著になった昨年夏の時点で放出をしなければならなかった。そうしておけば、ここまで異常な価格高騰を招くことはなかった。農政の失敗だ」(神戸新聞・3月18日)。そして、遅れた原因には放出でコメ価格が下がれば、農協や政治家から批判されることを恐れたのだろうと付け加え、「消費者のために備蓄米制度がある」と強調しています。

 今回のお米の値上げは、昨年の異常気象による不作で収穫量が減ったためといわれていますが、本当にそれだけでしょうか?

 既に、農業人口の減少は全国的なもので、団塊の世代が75歳以上になる今年が大きな節目を迎える、と言われています。その世代が農村を中心に支えているが、元気に働ける時間は限られ、農地や水路、ため池などの管理の担い手がこの5年で激減する恐れがあると予測されています。

 私たち消費者は、主食である大切な米作りを政府の勝手なやり方に任せ、米農家に多大な犠牲を強いてきたのではないのか?

 この米高騰の危機を迎え、食の問題として真剣に考える時に来たと思わざるをえません。お米がどのように流通し、私たち消費者の元へ届けられるのか、備蓄米の放出という事態になって初めて関心を持つことになります。

 初回、備蓄米は2024年産10万トン、2023年産5万トンの計15万トンですが、全国農業協同組合連合会(JA全農)が全体の94・2%を落札しています。コンビニや外食産業では当面の米は確保しているということなので入札なし、結局は消費者は後回しというのが現実なのでしょう。ちなみに、落札価格は玄米60キロ当たり平均2万1217円(税抜き)で、1キロ当たり約353円。原価はこんなにも低価格なのか、流通を経ず生産者が直接、消費者と売買できれば、もっと生産者への対価は正当なものに近づくはずなのに。

 安全な米作りを目指す農家を支える共同購入というしくみがあります。生産者の安定した収入を確保するために、購入する側が年間予約をするなど工夫が必要です。そこには、顔の見える双方の信頼関係が生まれ、応援する、意見交換するなど交流が育まれるのです。

 ところで、昨年、食料・農業・農村基本法が改正され、家族経営を含む多様な農業者の重要性が打ち出されました。これまでの、国の産業、ビジネスとしての農業を育てることに注力してきたことからの転換です。農地・農業をいかにして次世代に引き継ぐか。そのために、全ての農業集落ごとに作成が義務づけられた「地域計画」が示す地図に、各集落が10年後に目指すべき姿が描かれている。兵庫県の現場からの報告では、養父市八鹿町の地域交流の実践が神戸新聞で紹介されています。

「限界集落目前の地域で『人口減少をどう楽しむか』をテーマに活動している。新型コロナウイルス禍で休止したが、子どもから高齢者まで住民が一緒に会話や軽食を楽しむ地域交流会を再開した。22年度からは地域の皆であぜ道を行く「歩こう会」も始めた」(神戸大大学院研究科・中塚雅也教授)

 他にも、「作業班」を作り、農家以外の人たちも参加する。高齢で作業が困難な人には農地の草刈り、水路の清掃を請け負うなど、住民の細かいニーズに対応しているそうです。政府の農業政策を批判するのは容易ですが、食の問題を自分事として受け止め、何らかの行動を始めてみませんか。 (折口恵子)


  ウクライナ戦争が社会革命に転化する可能性

■ウクライナ左翼による社会革命の提起

 社会運動(Sotsialnyi Rukh日本語のカタカナ表記では「ソツィアルニイ・ルーフ」―ウクライナの左翼党派、労組に一定の影響力を持つ)の最近の主張(「オリガルヒと占領者のいないウクライナのために~敗戦から国を救う方法」Links, Published 13 March, 2025)が注目されます。それは「民族自決」のようなあいまいさを脱し「社会革命」が提起されているからです。当該文書からいくつか見てゆきましょう。

 「私たちの見解では、ウクライナの国防は《戦争社会主義》の政策に移行することによって強化される。」

 「ウクライナの状況の特異性は、本格的な戦争の状況下で寡頭資本主義の解体がかつてないほど可能になり、社会から正当化されたとみなされている点にある」としてウクライナ財閥の再略奪(人民の管理)を突き付けています。「(1990年代のウクライナにおける)略奪的な民営化の結果を見直してみよう。はした金で購入した企業は国に返還するか、購入価格と実際の市場価値の差額を補償すべきである。何よりもまず、国防の確保に不可欠な鉱業、機械製造業、化学工業の企業を国の管理下に置くべきだ」とし、ロシア抵抗戦争のために再「国有化」を提起しています。しかし彼ら「社会運動ソツィアルニイ・ルーフ」は、旧ソ連流のテクノクラート支配の「国有」に戻ること展望していません。

 「内部監査の効果的な手段として、また自己組織化社会の一形態として、企業における労働者管理を確立する。」

 ここでは、「国家」とは誰の国家であるかは必ずしも明確ではないのですが、当然ゼレンスキーの国家ではありえないでしょう。

 「そして独立34年目のウクライナは、オリガルヒや資本家なしで生きていくことを学ばなければならない。ウクライナにはまだ重要な金融、産業、人的資源があるが、それらの社会化を進めないのは大きな間違いである。」等々。

 私見で付加すれば、「社会化」の主体は人民と兵士に立脚した政府=国家が主体であるとより明確化されるべきでした。労働者・兵士の権力に基礎をおく政府・国家の樹立が今こそ必要です。

■ウクライナの武装した勤労市民は議会と政府に以下の政策を断固要求すべきだ

「財閥資本主義が主導するウクライナ《解放》戦争という欺瞞」(「ワーカーズ」2022年8月号)と言う記事を参照してください。最後の部分を抜き書きすると以下の通りです。

★新自由主義的諸政策を直ちに中止しせよ。
★ウクライナの十大財閥の資産を直ちに国家管理に移行させよ。
★新たな立法により、高所得の規制と戦時下の特別累進課税を。
★新たな財政基盤をもって戦時体制の財政を確立せよ。
★労働者と組合の諸権利を損なう労働関連新立法を撤回せよ。
★法律3216を撤回し、法案5371の審査を中止せよ。
★政府は、戦時下の特別の医療、輸送、食糧への公衆のアクセスを国民に確保せよ。
★避難者・被災者の住宅を国家は保証せよ。
★「農地売買自由化法」の施行を棚上げせよ。
★対外債務返済を直ちに中止せよ。
★一千億ドルの借款の棒引きをIMFや欧米各国に求めることを決定せよ。

 個々人の社会的志向を高め、労働組合を強化し、エコロジー、フェミニズムを包括しつつ、資本や市場の自由化に反対しよう。何より当面は福祉政策の再構築を目指そう。

(この記事に、現時点で追加すべきことは、労働者・兵士の権力の樹立と諸政策の断行です。)

■ウクライナ戦争が社会革命に転化する可能性

 ウクライナの労働者・農民・兵士らによる、ロシア侵略軍との闘いの歴史的意義をあらためて確認しましょう。

 勤労する人民にとっては、その生命の再生産と生活の基盤としての土地や幾多の生産手段の所有や占有が不可欠です。それを奪うロシアの帝国軍隊に抵抗し反撃するのは正当であり、ウクライナ人民に心を寄せる人は断固この戦いを支持しましょう。ウクライナ人民による侵略ロシア軍との戦いは当然であり、ウクライナ・オルガルヒや資本家との戦いと同義であり、歴史的には被抑圧階級による正当な反撃の一部なのです。

 オルガルヒらによる生産手段の私物化がウクライナ独立34年間進行しました。旧ソ連解体過程において、「集団農場」「国営企業」が、元官僚など一部の人間の私的所有に転化した歴史過程です。新興財閥がそびえたち、多くの人々は彼らに隷属するほか生きる道は無くなりました。その奪還こそがウクライナ戦争の中で浮かび上がってきたのです。この内容を共有しつつ国際的な連帯を訴えます。

■「民族自決」を乗り越えよう
 
 かくして、ウクライナ人民の戦いは、「ロシアの侵略反対」「ロシア軍の放逐」にとどまりえないのです。ウクライナの内部は、オルガルヒだけではなく欧州資本家と結びついた新興資本家階級が、議会などを活用して、労働者の権利、労働組合の存立を弾圧しているのです。これでどうして「民族自決」などと言う――例えば第四インター――ことができるのでしようか。そのスローガンは、国内の階級矛盾を無視し、あるいはごまかしているにすぎません。

 この戦争が、ロシアの支配層の野望により開始されたとしても、他方ではウクライナの資本家階級の新たな支配体制の構築として対ロシア戦争は遂行されているのです。どうして、世界の左翼はこの国内の階級対立を無視できるのでしょうか。民族自決ではなくウクライナ=ロシアの財閥や資本家階級との戦いこそが提起されているのです。すべての生産手段と資源を人民権力の手に!その力でロシア軍の撃退とウクライナの資本家財閥の打倒を!

 本文冒頭で見たようにほかでもないウクライナの民衆や兵士の中からその声が噴出してきたのです!(阿部文明)案内へ戻る


  イスラエルはパレスチナへの大量殺人・植民地政策をやめろ!

 パレスチナ自治区ガザの保健当局は3月23日、2023年10月のイスラエルとイスラム主義組織ハマスによる戦闘開始以降、ガザでの死者が5万人を超えたと発表しました。18日に本格的な攻撃を再開したイスラエル軍は23日も軍事作戦を継続しており、ガザの犠牲者は増加の一途をたどっています。

 国境なき医師団(MSF)は、イスラエルによるパレスチナガザ地区への送電停止を含む措置を強く非難しています。

「この措置によりガザの人びとは、生きるために必要な水や物資を得ることができなくなっています。イスラエル当局は3月9日の送電停止以前にも、援助物資の搬入を阻止するなど、人道援助を停戦交渉のカードとして利用しています。これは集団懲罰に等しい政策であり、今すぐ止められなくてはならない。MSFはイスラエル当局に対し、国際人道法を順守し、占領国としての責任を果たし、この非人道的なガザ地区封鎖を終わらせるよう求める」。

「また、イスラエルの同盟国は、この国際人道法の重大な違反を意図的に無視し、この行為を正当化してきた。MSFは米国などイスラエルの同盟国に対し、このような行為を正当化することをやめ、ガザ地区がこれ以上荒廃しないよう、断固とした行動を取るよう強く求めている」。

 ロイター通信は3月23日、ガザ南部ハンユニスや最南部ラファなどでイスラエル軍による空爆があり、少なくとも30人が死亡したと報じました。ガザ保健当局によると、イスラエル軍が大規模な空爆を実施した18日以降の死者は673人に上っています。

 またヨルダン川西岸地区では、イスラエルのべザレル・スモトリッチ財務相は先に、13のユダヤ人入植地を近隣地域から分離する計画を安全保障内閣が承認したと発表しました。極右指導者であり入植者でもあるスモトリッチ氏は、今回の閣議決定をヨルダン川西岸地区のイスラエル入植地にとって「重要な一歩」だと評価しました。

 スモトリッチ氏は、イスラエルが1967年に東エルサレムを占領した後に行ったように、ヨルダン川西岸地区を正式に併合することを求めるというとんでもない奴です。

 彼は、ヨルダン川西岸地区全域で数万戸の住宅が承認されたことに続くこの動きについて、Xに投稿しました。

「我々は入植地の正常化と規制の革命をリードし続ける。隠れて謝るのではなく、旗を掲げ、建設し、入植する。これは、ユダヤとサマリアにおける実際の主権への道におけるもうひとつの重要なステップだ」と、スモトリッチ氏はイスラエルのヨルダン川西岸地区に対する用語を用いて語りました。

パレスチナ自治政府外務省の声明は、イスラエルの安全保障閣僚による決定を、「国際的な正当性とその決議を無視した 」行動であると非難しました。ヨルダン川西岸地区は1967年以来イスラエルに占領されており、約300万人のパレスチナ人と、国際法上違法な入植地に住む約50万人のイスラエル人が住んでいます。パレスチナ外務省は声明の中で、ヨルダン川西岸地区北部で進行中の大規模なイスラエルの軍事作戦にも言及し、それが 「パレスチナ人の土地の没収における前例のないエスカレーション 」を伴っていると述べています。

 イスラエルによるパレスチナに対する攻撃は、悪化の一途をたどっています。

 現在の状況を考える時に、過去を見てみます。1930年代以降ナチスによるユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れ、第二次大戦後、世界は凄惨なホロコーストの事実に衝撃を受けました。 その影響で「ユダヤ人国家建設」というシオニズムの主張が力を持つようになります。

1947年、国連はパレスチナの土地にアラブとユダヤの二つの国家を作るという「パレスチナ分割決議」を採択します。 しかしその内容は、パレスチナに古くから住む多数のアラブ系住民に43%、 新しく移住してきた少数のユダヤ系住民に57%の土地を与えるというもので、アラブ系住民とアラブ諸国から猛反発が起こります。 パレスチナを統治していたイギリスは、アラブ民族主義とシオニズムの対立の激化になすすべなく、 一方的に撤退し、アラブ・ユダヤ双方の武装対立と緊張関係のなか、1948年にユダヤ側はイスラエル建国を宣言しました。ここから、イスラエルによる民族浄化が始まります。占領、集団虐殺、レイプ、強制追放・・・。その結果パレスチナ人75万人が故郷を追われ難民となりました。

 このようにイスラエルのパレスチナへの攻撃は、今に始まったことではありません。これらに対し国際社会が、イスラエルの戦争犯罪を裁き、国際法違反の占領を止めさせ、そのアパルトヘイトに終止符を打つことなくして、パレスチナの平和はありえません。(河野)


   日本の対米「自立」は軍国主義復活と隣り合わせ   反戦運動は資本主義批判を強めよう

■日米軍事同盟は双務的か片務的か、と言う議論

 欧州に対する「口撃」のあと、米国政府は視線を日本に向けつつあります。トランプは、日米安保条約において、米国の負担が(防衛義務が米国側にしか無いなど)大きすぎ日米同盟が対等な関係ではないことを強調しています。孫崎亨氏は「歴史的に米国が日本に《不当な》圧力をかける時にこの論を提示」すると批判的なコメントとともに日米安保条約の「真の対等性達成」を主張します。

 これに対して、日本政府は日米軍事同盟が「片務的」という指摘は現実を単純化しすぎているとし「双務的」であり互恵的な同盟だ、と反論し米政府の理解を求めるとしています。

 石破首相はじめ防衛相、官房長官らは、日本が提供する「在日米軍基地」は、米国にとってアジア太平洋地域における軍事的プレゼンスを維持する上で不可欠であり、米国のグローバル戦略の基盤となっていると。つまり「大いに米国の利益になっている」「安保条約は日米にとって相互利益がある」と主張します。さらに、日本は米軍への「思いやり予算」(駐留経費負担)などで財政的支援を続けており、同盟関係は「双方向の利益交換」であると指摘します。さらにこの同盟の強化こそが両国の課題だとも。

 一方、日本共産党は「不平等な日米同盟の根本原因は、安保条約そのものにある」と指摘します。安保条約は「米軍の日本駐留を義務化」し、日本が「基地提供国」として従属的な立場に置かれているため、構造的に不平等であると。その指摘はその限り当然のことです。

■トランプ政権の「政策転換」に知らないふり?

 上に紹介したように、日米安保同盟に「不公平」「ただ乗り」と言う米国側の不満が出たとき、「(米側に誤解があるので)互恵的だと説明する」といった対応は的確なものでしょうか?

 理解するべきは、トランプの不満と要求は従来の米国政権の視点を超えたものである可能性があります。つまり、トランプ政権は(少なくともあと四年間は)、資本主義世界帝国の管理者であることを段階的に解消する方向性をすでに出しています。そのプロセスやスピードについては誰も予想は困難ですが、方向性は明確です。バイデン前政権は、自衛隊とアメリカ軍による指揮統制の連携強化(日本の要望に応じた対応)を打ち出していましたが、この計画が中止される可能性も報道されました(CNN)。

 つまり「在日米軍基地の存在は、米国にとってアジア太平洋地域における軍事的プレゼンスの強化」と言う従来の考えがトランプ政権において捨て去られたとすれば、日米軍事同盟=安保条約が「米国の利益となる」どころか「経費のムダ」――思いやり予算で厚遇しても――と言うことになるでしよう(同上)。

 であるとすると、日本側が盛んに主張する「在日米軍基地が米国のアジア戦略の要」あるいは、米軍が「第一列島線」戦略を維持する上で不可欠との地政学的価値と言う説明。さらに歴史的にはベトナム戦争時、嘉手納基地からB-52が出撃した事実や、冷戦期の極東戦略構想(NSC68)を引き、日本基地の戦略的価値の存在、と言ったものがむしろトランプ政権にとっては「大きな負担」「経費のムダ使い」と言うことになるのです。今や「欧州も日本も、独自兵力(武器は米国が販売する)で守れ」というトランプ的戦略が突き付けられているのです。

 このような世界の流れの中で、あくまで米国との「一体化」を追求しトランプ政権の言いなりになれば、バイデン政権時以上の軍拡が求められ(国防総省のコルビー次官候補は軍事費GDP比3%増を主張)、国内の軍需産業ムラの暗躍や軍事反動勢力をさらに活気づけ、日本の軍拡が一挙に進んでしまうことになります。

■日本の対米「自立」は軍国主義復活となる危険性を想定しなければならない

 また、中途半端に「米国からの自立」「対米従属からの脱却」を主張してきたリベラル的立場も、軍事的反動勢力に飲み込まれる可能性があります。米国政府に不信を募らせる欧州がすでに自前での軍事産業の強化や「独自の核の傘」に向けて動き出しています。単なる「対米従属の脱却」という立場では、「核共有」ばかりではなく独自の核兵器所有論を含めて、軍拡が当たり前のように推進される恐れがあります。

 共産党のような批判も不十分なのです。「安保条約と日本の巨額な《思いやり予算》によって駐留している在日米軍は、米国の世界規模での軍事戦略を実行する部隊で、《日本防衛》とは無縁です。米国の際限のない大軍拡要求はきっぱり拒否すべきです」(赤旗)。日本の軍拡の原因や歴史に対する反省を欠いていると思われます。
 
■日本の利権は世界を覆っている――軍拡の衝動の根底を見よ

 考えてください。アジアへの侵略国であり敗戦国である日本は、米国との同盟の下でのみ現在のような軍拡に「成功」し、さら海外への軍事拡張のための航空母艦や外国領土攻撃のためのスタンドオフ長距離ミサイルの導入に成功したのでした。歴代の首相は、いずれも程度の差はありつつも、それゆえに(言いたければ)「対米従属路線」を踏襲したのです。彼ら政府や財界の頭には、日本資本主義が「国内」的には資本投資が低調ですが、今では「海外」投資国として飛躍してきた現実があります。(対外純資産残高は約30年世界で一位の座を得ています)日本は世界のあらゆる大陸で投資を行い、投資経済活動に関わっており、各種の利権を抱えているのです。こうした投資からくみ上げられる利潤は「第一次所得収支」として年間20~30兆円という膨大なものです。国内投資が振るわない日本資本主義は、まさにこのような海外投資とその収益で潤うことができるのです。歴代政府、あるいは危機に瀕する日本国家は、かくしてこの日本資本=国家の生命線を米国と共に「防衛」する使命を担い、米軍と連携しつつイージス艦10艘体制や空母打撃軍も立ち上げ、海外への軍事展開能力を拡大してきたのです。日本国家の支配力の増強にほかなりません。この核心部分に対する認識がジャーナリズムはもとより、「識者」労働者市民において未だに欠けています。

 ゆえに、表面だけの動きを捉えて、やれ「米国の属国だ」「対米従属だ」「日本は自立すべき」と叫ぶ人たちにはこのような本質が見えてないと思われます。

 「日本は主体性を失い、あるいは失ったふりをして米国の外圧を利用し、『戦後安保のタブー』(元外務省幹部)破りを進めてきた感が否めない」(朝日新聞)と指摘したのは、わずかな例外なのです。ゆえに、「日本の独立を」「米国支配からの脱却を」と叫ぶことは、資本主義の規制や打倒の闘いと結びつかない限り、日本の軍拡を止めるどころかそれを正当化する危険性があるのです。根底的な闘いを育てなければなりません。(阿部文明)案内へ戻る


   際限がない国家間パワーゲーム――〝敗北〟しつつある米国――

 ウクライナ戦争の停戦交渉が米ロ、米ウのあいだで進められている。そこでの米国の振る舞いは、新型大国支配の様相だ、との見方もある。が、実際は、ロシアだけでなく米国も、すでに敗北への歩みを始めているのだ。

 国家間のパワーゲームでは、いつまでたっても対立と戦争は無くせない。

 大国関係から視点を変えて、〝日本は〟とか〝国は〟を主語にするのではなく、地べたからの視点で、今後の世界を見通していく必要がある。

◆トランプ劇場は米国信認の喪失過程

 トランプ政権発足から2ヶ月ちょっと。先の選挙で大統領・上下両院選挙で勝利し、国内では無敵状態のトランプ大統領が暴走している。

 トランプ大統領は就任直後から、カナダやメキシコへの関税引き上げなど、同盟国や周辺国との関係など意にかえさず、圧力を掛けている。そのうえ、グリーンランドやカナダやパナマ運河の所有まで口にしている。並行して、トランプ政権は、米ロと米ウのあいだで、ウクライナ戦争の停戦交渉を進めている。その意図は、ともかくトランプ自身が、ピース・キーパー=平和の使者として実績を上げたい、ということらしい。

 これらを評して、トランプの意図は、新型大国関係、それも、米国やロシアなどの大国で世界を仕切っていくこと、だとの見方も出ている。実際にやっていることは、そうとも見える。が、すでにトランプの米国による唯我独尊の身勝手な振る舞い自体が、世界から忌避され始めている。

 ガザ戦争でもそうだ。ガザを米国で所有し、ガザの復興を進めることなど主張している。が、現実は、イスラエルによるパレスチナの人々への集団虐殺を支えている現実。ここでも確実に世界からの信認を失っている。

◆背景は米国の衰退

 トランプのMAGA(メイク・アゲイン・グレート・アメリカ=米国を偉大な国家に復活させる)という物語による唯我独尊の振る舞いは、世界からの信認を失っている。

 自由貿易は本来〝強者のスローガン〟のハズだ。関税を振り回す米国は、すでに経済弱者、衰退国家への道に入り込んだ結果でもある。米国は巨大テック企業の経済力だけは桁違いに強大だが、製造業の衰退など経済力総体での存在感は落ち込んでいる。

 米国は、20世紀初頭に世界一の経済大国になり、第一次大戦後の1919年には2位の国の2倍の経済力、第二次大戦後には3倍近くになった。先の世界大戦後のGDPでは世界の3割以上を占めていたが、今では2割程度でしかない(22年、21・9%)。

 軍事力で見ても、戦後や冷戦終結時の圧倒的な軍事大国ではすでになくなっている。核兵器でも米ロ二大国時代から中国の追い上げがあり、通常兵器でも、第一列島線内だけで見れば、中国に押されている。

 それら相対的な国力の衰退という現実が、米国第一のトランプ政治=MAGAになっているのだ。

◆単独覇権の終わり

 そのトランプ政権。欧州でもアジアでも、同盟国や友好国への軍事費増額を強要している。西欧にはウクライナ支援も含め、対ロシア抑止で大幅な軍事費増額を求めている。現に欧州の軍事費は、この10年で1・5倍に増えている。

 米国の24年会計年度の国防予算は127兆円、対GDP比約3%だ。日本は、27年までの対GDP比1%から2%への引き上げで6兆円から12兆円程度に増やす途上にある。

 東アジアに対しては、さらに強行だ。米国のエルブリッジ・コルビーは、国防次官就任に向けた公聴会で、台湾有事に備え、台湾は軍事費を対GDP比で10%への増額、韓国や日本への3%への増額を求める発言をしている。

 コルルビー国防次官は、第一次トランプ政権で国防次官補代理を務め、安保戦略の策定にも関わっていた。ヘグゼス長官はテレビ番組の司会者出身で、安保関係の役職の経験がない。なので、政権内ではコルビー国防次官が影響力を持つと見込まれている。

 そのコルビーは、日本でも23年に『拒否戦略』という本を出版し、昨年秋には『アジア・ファースト』という要約版も出版されている。

 〝力による平和〟を主張してきたコルビーの『戦略』は、単純だ。もはや米国だけでは中国を封じ込められない、もっとアジアに資源を集中した「対中封じ込め連合」が必要だ、中国の正面に位置する台湾や韓国や日本は防衛費をもっと増やす必要がある、というものだ。

 日本のGDP比3%といえば、30年以上続いたGDP500兆円台、最近の600兆円でいえば、防衛費5~6兆円から18兆円へという、べらぼうな増額だ。単純にいって、巨額の増税か、他の予算から12~13兆円分もの金額を防衛予算に振り向けなければならない。そんなことになれば、納税者の反乱や社会保障など国民生活は崩壊状況に陥る。

 台湾でいえば、日本の感覚に直すと、GDP600兆円で国家予算110兆円、その内防衛予算が60兆円へと、なんと予算の半分以上が軍事費となる規模感だ。
 要するに、米国は、これまで自国だけでやれたことが出来なくなって、同盟国・正面国に付け替えしたい、ということなのだ。

◆覇権国家は譲れない米国

 MAGAを掲げるトランプの米国、米国の国防費負担の軽減をめざすトランプ政権。それでもこれまで享受してきた覇権国家の地位は譲れない。

 米国がバイデン大統領時代の2022年10月に公表した国家安全保障戦略の優先事項は、まず、《中国に対抗》《ロシアを抑制する》というものだ。それ以前の米国の国家安保戦略は、クリントン政権による《関与と(民主主義の)拡大戦略》、その後のブッシュ政権時の《シェイプ・アンド・ヘッジ(関係づくりと危機への保険)》へと変わっていった。続く第一期オバマ大統領時代の対中国での《協力と監視》、第二期ではロシアによるクリミヤ併合もあって、中国への《協力と注視》、ロシアへは《侵略国》規定。そうした様々な戦略の〝失敗〟との反省に立った後で登場した第一次トランプ政権では、《米国の強さによる平和》(2017・12・18)を改めて打ち出すものになった。

 こうした米国の安保戦略が、バイデン政権(2022年)にも引き継がれた、という経緯になる。そこでは中国を「国際秩序を再構築する意図と、それを実現する経済・外交・技術力を併せ持つ唯一の競争相手」としている。要するに、米国の覇権を脅かす可能性がある唯一の国は中国だと、対抗意識をむき出しにしたものだった。

 他方、ウクライナに侵攻したロシアは「国際システムに対する直接的な脅威」というもので、もはや米国に取って代わることは不可能で〝予測可能〟であれば良い、というような位置づけでしかなかった。

 実際、ロシアの経済力は世界第11位で米国の14分の1程度、技術力も無く製造業も低迷している。見るべきものは、兵器産業や石油や天然ガスなど自然エネルギーぐらいしかないのが実情だ。プーチン大統領も、米国の覇権を覆そうなどとは考えていないだろう。

 こうした見方は、バイデン大統領時代の民主・共和両党共通の認識だった。トランプ第二期政権も、安保戦略の見直しはまだ表明していない。が、米国が欧州から手を引きつつあるのも、コルビーが言うように、限られた覇権国家の資源を東アジアへとシフトさせた対中国抑止を見据えているからだろう。

 ところが、つい最近、米国の東アジア・シフトを見直すかのような方針変更が明らかになった。3月19日、米国防総省が経費削減策の一環として、在日米軍の態勢強化の方針を中止する可能性が報じられた。

 昨年7月の日米首脳会談で、在日米軍と自衛隊の共同作戦行動の強化のため、在日米軍に司令部機能を付与し、日本の自衛隊の統合司令官とのあいだの連携強化が合意されていた。それを反故にするような、在日米軍の機能強化をやめるというものだ。

 日本ではすでに司令官に南雲憲一統合幕僚副長をあてる人事を3月11日の閣議で決め、統合作戦司令部が3月24日に発足したばかりだ。米国は在日米軍を再編し、統合司令部と司令官を新設して自衛隊の統合司令部と連携するはずだったから、事実なら日本は梯子を外された格好だ。

 ただ、この見直しには、共和党の上院と下院の軍事委員会委員長が声明を出し、「世界中で米国の抑止力を弱め、米国の敵対国との交渉上の立場を損なうリスクを伴う」と批判しているので、実際にどうなるかは、まだ分からない。

◆台湾有事で日本は対中最前線に!

 今、トランプの米国は、ウクライナやガザでの停戦で、当事国の頭越しに大国で決めたことを押し付けようとしている、と批判されている。要するに、第二次大戦の終結を米英ソ首脳で決めたヤルタ会談を想起し〝ヤルタ2・0〟などと大国による世界支配への思惑を危惧している。

 その場合は、米英ソではなく米中ロによる大国支配というものらしい。が、そんなことになるとも思えない。太平洋で見れば、米国は中国による〝新型大国間関係〟すなわち、太平洋を米中で分割して管轄すること、を受け入れてはいない。

 だが反面、中国の軍事的台頭で、南・東シナ海という第一列島線内側では、もはや米軍の制空・制海権が失われ、中距離ミサイルなどで、米軍は劣勢になったとされている。かつて1995年~97年にかけて勃発した第三次台湾海峡(ミサイル)危機時での、米国が二つの米空母艦隊を派遣しただけで、中国は台湾海峡での軍事演習を撤収せざるを得なかった。その屈辱も一因となった中国の急速な軍拡で、米中関係も以前とは様変わりしているわけだ。

 その結果、22年8月のペロシ下院議長訪台後の台湾周辺を取り囲んでの中国軍のミサイル発射演習時には、米空母艦隊は、第一列島線内部に入ることが出来ず、第二列島線のグァム西方海域での情報収集しか出来ない事態を余儀なくされているのが実情だ。

 その米国は、対中抑止のために、自国のみでの抑止はもはや出来なくなった、として、同盟国、特に台湾や韓国や日本に軍事力増強を求めたのが、先のコルビー発言だった。現に米国は、日本との買収案件にもなったUSスチールなど鉄鋼産業の衰退や、造船所不足で軍艦も思うように造れなくなっている。他方で中国は、通常戦力での米国への攻撃能力の保有をめざし、空母艦隊の増設や中南米、カリブ海諸国に、拠点整備の食指を伸ばしつつある。

 こうした事態を受けて、米国は日本の軍事力増強や、沖縄など南西諸島の攻撃拠点の強化を進めるなど、自衛隊を前面に押し出した対中抑止を目指しているようにも見える。日本は日本として、尖閣諸島など東シナ海での海洋権益の確保や台湾海峡のオイル・ラインの確保などを念頭に、東・南シナ海での軍事力を高め、増強する中国をなんとしても封じ込めたいという姿勢だ。付け加えれば、いち早く文明開化した日本という、明治以降の〝日本はアジアの盟主〟だとする旧態依然とした大国意識もある。そのためにも、米国の軍事力は不可欠で、それを引き留めるべく、米軍との一体化に努めている、というのが現状だ。

 仮に日本が自国の国家安全保障戦略に基づいて、対中抑止力と言い換えて大軍拡を進めれば、やがては国力の衰退も不可避になる。現に日本のGDPシェアは、円安も続いて一時よりかなり低下している。

 他方では、中国の経済成長がいつまで続くかも見通せない。現在の不動産不況や少子化、それに海外からの投資減退など、先行きの不透明感も拭えない。

 国家間のパワーゲームには際限が無い。バイデン安保戦略とは正反対に、そんな国家間対立にうつつを抜かす「無駄にしている時間は無い」。労働者や市民レベルでの連携を土台とした、国境を越えた反戦・平和行動の拡大こそめざしたい。(廣)案内へ戻る


  色鉛筆・・・国際女性デーに想う

 一九〇四年、ニューヨークで婦人参政権を求めたデモが起源となり、国連によって一九七五年に三月八日を「国際女性デー(International Women’s Day)」として制定されました。「国際女性デー」は、女性の社会的、経済的、文化的、政治的な成果を称える日です。

 この日は、ジェンダー平等の推進や女性の権利を守るための行動を再確認し、世界中で啓発活動やイベントが行われます。

 イタリアの「ミモザの日」で、「FESTA DELLA DONNA(フェスタ・デラ・ドンナ=女性の日)」とされ、女性に感謝を込めて、母親や妻、友人、会社の同僚などに愛や幸福の象徴でもあるミモザが贈られています。

○日本におけるジェンダー課題

・ジェンダー格差 日本はジェンダーギャップ指数で下位に位置し、政治・経済分野での女性の進出が遅れています。特に政治や経営職などで女性が少なく、意思決定の場への参画が十分に進んでいません。

・賃金格差 男女間の賃金差も依然として大きな問題であり、同じ仕事に従事していても女性の収入が男性より低い傾向があります。

・育児等と仕事の両立 女性が子育てや介護などの家庭責任を負う割合が高いため、仕事との両立が難しく、キャリア継続が阻まれることが多いです。結果として、出産や育児で一度退職すると再就職が困難になるケースもあります。

・ハラスメント問題 職場や学校でのハラスメントも依然として課題であり、性的嫌がらせや差別的な対応が女性の社会進出の障壁となっています。

 これらの課題を克服するためには、まず法律や制度の整備をしていく姿勢が必要だと感じます。まず、選択制夫婦別姓の導入など民法・戸籍法の改正と戦前の家父長制のなごりが残る所得税法第五十六条の廃止を求めていきたいです。夫婦別姓が認められないため、望まぬ改姓、事実婚、通称使用など不利益、不都合が強いられ、大半の女性が涙を飲んでいます。夫婦同姓の強要は、両性の平等と基本的人権に反します。次に中小自営業や農業は家族の労働で支えられていますが、所得税法第五十六条は家族の給与は経費として認められません。この法律は一八八七年に導入され維持されたままです。家族従業者の多くは女性であり、五十六条廃止はジョンダー平等・女性の地位向上につながります。

 まだまだ解決していない日本軍「慰安婦」問題や女性差別撤廃条約選択議定書の速やかな批准も同時に取り組んでいかなければいけないと思っています。

 また持続可能な開発目標(SDGs)は、二〇三〇年までに達成すべき十七の目標の中で五番目にジェンダー平等を実現しようとうたっています。

 毎年三月八日の国際女性デーで、本当にジェンダー平等を実現できたね、自分らしく生きていけるようになったねと言えるまで、頑張って運動をしていきたいと想います。(宮城 弥生)


   コラムの窓・・・斎藤元彦兵庫県知事の第三者委員会!

 斎藤知事に対する内部告発が公になって1年余、ボタンを掛け違った斎藤知事は今もその過ちを認めていません。大切な命が失われたのだから、勿論ボタンを掛け直してすむ問題でもありません。

しかもその人物が今も知事のイスに座り続け、111万余の支持を背に県政を前に進めると言い続けています。ジギルとハイドのように、自らはどこまでも清廉潔白だと見せかけ、その裏であらゆる悪辣な宣伝・攻撃を繰り返した知事選挙は無効です。同時に、このインチキ選挙に乗ってしまって県民の責任も重いと言わざるをえません。

 そうしたなか、3月4日に兵庫県議会百条委員会(文書問題調査特別委員会)が、19日に第三者調査委員会がそれぞれ告発文書に関する報告書を公表しました。百条委報告に対して知事は事実上これを否定するような態度を取り、無視を決め込んでいます。

 しかし、第三者委報告に対しては面と向かって否定することはできません。読んでいる途中だなどと言いつのって時間稼ぎをし、お抱え弁護士などとどう言い逃れるか考え中なのでしょう。本紙が発行される頃には、それも明らかになっていることでしょう。

 この第三者委は知事から事務を委任を受けた代表監査委員が、いずれも弁護士の3人の委員と3人の調査員に対して個別の委託契約を結んで行いました。そうすることで、本来条例が必要(付属機関条例主義)なところを、要綱で済ませているのです。

 日本弁護士連合会が2021年3月19日に公表した地方公共団地における第三者調査委員調査等指針について』は、弁護士が委員になるにあたっての指針となっています。この点においては、19日の報告書の内容は納得いくものとなっています。

 一方、年明けの斎藤知事が立ち上げたふたつの文書漏洩に関する第三者調査委員会は、なにも明らかにしない闇の中の組織です。私は情報公開請求を何度か行いましたが、全て知事によって非公開とされています。3月4日の県議会総務常任委員会において、委員は各3人、費用もそれぞれ約591万円ということがようやく明らかになりました。

 要綱はあるようですが、委員の名前も含めて公表されていません。そうしたこともあり、非公開処分に対しては異議申し立ての「審査請求書」を、怪しげな公費支出に対しては「兵庫県職員措置請求書」(住民監査請求)を提出しています。

 住民監査請求に関しては3月19日付けで、兵庫県監査委員から「監査を求めることはできません」という回答がありました。その理由は公費支出の内容が不明、委託契約だから条例はいらないとか、非公開の情報を書けないことはわかっているのに、監査の対象としないというのです。

 その一方で同じ3月19日、死亡した元西播磨県民局長が「告発文」を作成した問題(文書問題)を巡り、元局長の給与返還を求める住民監査請求は受理したと報じています。この監査請求は40件も出され、勤務時間中に計200時間程度、公用パソコンを使用して業務と関係のない私的な文書を多数作成したことによる職務専念義務違反だとし、その給与を知事から元局長の遺族に対し返還請求するよう求めるという内容です。

 これは明らかに知事告発に対する悪意ある組織的攻撃であり、監査委員の見識を疑います。「業務時間に業務以外のことをした」だけでは給料減額は許さない、という東京地裁判例が2003年にあるそうです。

 ともあれ、斎藤知事は自らがしつらえた土俵で見事に押し出されたのですが、秘密の第三者委でどのような結論を得ようとしているのでしょう。ちなみに、私は審査請求の理由を次のように書き、知事のあまりに卑怯な対応を怒りをぶつけています。

「本件は県職員による情報漏洩であり、しかも誰が漏洩したかも明らかになっている。漏洩による人権侵害の深刻さを考慮するなら、ただちに責任者たる知事が真相究明、必要なら刑事告発すべき事態である。しかるのこれを放置し、人命を失わせる事態に至っている。

 その対処を第三者委員会に委ね、さらに情報漏洩を野放しのままにしようとしており、県民として放置できるものではない。そこにおいて、知事を筆頭とした県がどのような対処をしてきたのか、してこなかったのかは県民には知る権利がある。県がこれをことさら非公開として隠せば、やましいことがあると勘繰られても仕方がないだろう。なのですべての経緯を公開し、県民の判断を仰ぐべきである」 (晴)

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