ワーカーズ672号 (2025/11/1)   案内へ戻る

  極右 高市内閣登場で政治再編の時代へ
   インフレ、軍拡、言論抑制に立ち向かおう 

 
 日本維新の会の閣外協力で高市政権が生まれました。党内基盤の弱さに加え公明党の連合離脱もありました。

 しかし、右傾化しつつある自民党勢力を侮ることは出来ません。たしかに、高市政権は基盤脆弱ではあります。ところが、他方の野党も四分五裂で自民党と闘う姿勢が見られません。参政党の神谷代表は「高市政権とは是々非々で臨む」としながらも「最近の自民党は左翼化していて心配だった、今回の高市首相就任で、同じ方向に一緒にすすんでいくことができる」と発言。スパイ防止法(治安維持法)や原発回帰などの重要政策では日本維新の会とともに閣外支援するでしょう。

 高市首相の発言録によれば、「憲法改正」は勿論、過去の村山談話・河野談話について「そのまま踏襲する立場にはない」と発言。これは、戦後日本外交の「謝罪・反省」路線を「自虐史観」と決めつける歴史修正主義です。さらに「教育勅語的倫理観に賛成」するなど戦前志向は明確です。「外国人参政権反対」「夫婦別姓に同意しない」などの発言があり自他ともに認める自民党極右なのです。

 高市氏の場合、思想ばかりではありません。総務相時代に、政府から見て「不当」とみなされれば放送局を「電波停止」にすると威嚇をするなど、強い国権的立場に立つ危険な政治家です。今や自民党全体が高市路線の流れに活路を見出そうとしています。そして維新や参政党ら極右勢力の協力を固めつつあります。

 高市総理・総裁による人事は、政権の要職に保守派ベテランも配置しつつも、官邸主導の復活による安全保障・憲法改正路線に重きを置く布陣です。

 高市首相の「サナエノミクス2.0」とは民需主体から国家主導の経済への転換と言えます。一般民需から大型財政による軍需・安全保障関連需要へと大きくシフトさせようという事です。右翼ナショナリズムが軍需経済へと結びつきそれにより自民党内の経済政策の主導権を握ったことは、総理・総裁選の勝因だと考えられます。市民労働者の反撃で、インフレ、軍拡、言論抑制等の危険な流れを阻止しなければなりません。(Y)


  極右反動派・軍需産業界の勝利としての高市総理・総裁誕生

 高市早苗氏が逆転劇で自民党総裁となりました。それが引き金となって公明党の連合離脱劇を生み出す一方、自民党は日本維新の会を抱き込み不安定な形でも自民党政権を維持することになりました(他の記事参照)。

 自他ともに認める自民党最右翼=極右首相はなぜ誕生したのでしょうか?ほとんどの「政治解説者」の予測を裏切ったこの結果はどのようにして生まれたのでしようか?無派閥でかつ弱体化した安倍残党の基盤しか持たない高市総裁誕生は確かに「意外」と見られています。しかし、自民党が選んだだけと言うのではなく、軍需大資本の後押しと昨今の排外主義に誘引された右派大衆が地滑り的にかの政治陣営を押し上げたものと思われます。

 国内的には言論抑制、対外的には中国・韓国など近隣国で懸念を呼び起こすでしょうし、「サナエノミクス2.0」はアベノミクスの劣悪な焼き直しでしかなく、円安政策と軍需産業の振興にまい進する暗澹たる政権を予想させます。

■ 歴史認識・靖国問題&電波停止はお点前裁き

 従来より高市氏は保守的・国粋的な側面が強く、靖国神社参拝については継続する姿勢を示してきました。首相になった場合に内閣総理大臣として記帳する意向など、靖国参拝を積極利用し、国威発揚や軍隊(軍事行動の)正当性や神聖性を押し出してきました。「奈良のシカ問題」では根拠もなく排外主義をなんと外国人観光客に対して振りまいたのが高市です。歴史教育や慰安婦・教科書記述の扱いについても、従来から「政府見解に沿った記述の是正」を主張しています。高市氏は過去に教科書記述の是正を求める質問や運動に関与してきた議員の一人であり、慰安婦表現の扱いなどで政府側の是正を支持・推進してきた代表格です。

 また、総務相時代に、政府から見て「不当」とみなされれば放送局を「電波停止」にすると威嚇をするなど、強い国権的立場に立つ危険な政治家です。しかし、それらは「高市政治」の進化段階にしかすぎません。三度目の挑戦の今回の総裁選挙で、思想右翼ばかりではなく、日本の安全保障政策の改変さらにはそれを日本産業の「再生戦略」と結び付けることで産業界や自民党員の幅広い支持を急速に勝ち取ったという事でしょう。

■岸田政権「安保三文書」批判の核心

 高市氏は総裁選挙戦で「安保(戦略)三文書(岸田内閣)の見直し」を公約に掲げてきました。旧来の「軍事的侵略」中心の定義から、宇宙・サイバー攻撃、経済的・供給網攻撃、重要インフラへの攻撃、情報戦・フェイク情報といった「新たな戦争の態様」をふくめています。これにより「敵の脅威」を著しく拡大し安全保障の対象範囲そのものを広げる狙いです。それに続いて長射程能力やミサイル防衛、早期警戒・対艦対空能力の整備など、「実効的抑止力」を明記・具体化する方向です。メディア報道では「新たな戦争の態様に対応できる国防体制」を作る、と表明していま等々。岸田の安保三文書(2022年)の具体性のなさを批判して、日本主導の防衛・技術・産業戦略を系統的に重視します(後に触れるサナエノミクス2.0)。

 ところが、高市氏は他方では過去に非核三原則のうち「持ち込ませず」の「議論の必要性」を示してきたことがあり、今後の安保文書の中で 日米同盟の拡大抑止の実効性を「核共有」(すなわち米国の核を日本に持ち込み、事実上米国の判断で核攻撃する!)と位置づける可能性があります。「米国の核の傘」では物たらず、日本領土を米国核戦略の中に組み込む行為です。ところが、これは「防衛体制をさらに米国に依存させる」ことであり、「自立した国防」を掲げる高市軍拡政策の最大の矛盾となっています。

■「サナエノミクス2.0」による軍需産業再興は財界の熱い期待

 高市氏は「防衛産業を日本の安全保障そのものと位置づけるべき」と語っていました。総裁選挙戦で「サナエノミクス2.0」と呼ばれる成長投資重視の経済政策を掲げ、「装備の国産化を進め、防衛産業を守ることは、単に雇用や経済の問題ではなく国家安全保障の要である」「中小の部品メーカーを含めた産業基盤を守らなければ、日本は独立国家たり得ない」と。

 高市氏は「防衛力の強化」を米国からの単なる兵器購入で賄うのではなく、日本国内の防衛・軍需産業の再生と技術育成を軸にした「国産化・自立的防衛力」を打ち出しています。

 つまり、防衛力強化をこれまでのような「防衛費増額」や米国製「兵器爆買い」ではなく、むしろ国家的産業戦略として組み込む方針を持っています。

 「サナエノミクス」(2021年)と「サナエノミクス2.0」(2025年)を比較すれば、民需主体から国家主導の経済への転換であること、さらに一般民需から軍需・安全保障関連需要へと大きくシフトし、右翼的思想が軍需経済へと結びつく「進化過程」が明確に見られます。それにより自民党内の経済政策の主導権を握ったことは、少なくとも総裁選の勝因だと考えられます。

 ゆえに、日本の防衛・宇宙・先端技術分野に関わる重厚な企業群は、サナエノミクス2.0を歓迎しています。その理由はシンプルで、「国家主導の成長投資」「安全保障関連予算の拡大」「技術の国産化」が彼らの利益と直結しているからです。従来型の川重、三菱重工のみならずNEC、ソニー、ラピダス、東京エレクトロン、信越化学などに利益は及ぶでしょう。株式市場でも防衛・宇宙・半導体関連が物色され株価は高騰するかもしれません。

 アベノミクスの三本の矢とはすなわち大胆な金融緩和と機動的財政政策さらに規制緩和による民間の成長戦略でしたが、サナエノミクス2.0はこの「成長戦略」の柱に軍需産業(ハイテク・宇宙産業含む)への国策による巨額投資を組み込んだものという事ができます。

 抵抗闘争無くしてはインフレと軍拡と思想統制がやってきます。(阿部文明)案内へ戻る


  〝国家ファースト〟際立つ高市政権  ――向かうは政権批判への弾圧――

 高市自民維新〝連立〟政権が発足した。衆参両院で自公連立政権が少数政権に追い込まれた末の、〝連立〟組み替えだった。

 とはいえ、急進右派色を鮮明にした自民党と、こちらも右派の維新の組み合わせは、これまでの自公政権から急速に右旋回した政権といわざるを得ない。

 さらには極右の性格も色濃い参政党の躍進と、国家の基本政策で自民党と〝同じ立場〟を自称する国民民主党の伸張。かつて〝リベラル〟を自称していた立憲民主党の中道路線化によって、なおさらその傾向が際立つ。いずれにしても、私たち労働者派、左派にとって厳しい政治状況に変わりはない。

 とはいえ、自維〝連立〟政権はいまだ少数政権であり、行く末は不透明だ。が、ここは踏ん張りどころで、〝鉄の女〟気取りの高市右翼政権に立ち向かっていきたい。
      ………………

◆維新の思惑と行く末

 今回の連立政権組み替えのいきさつを、少し振り返ってみたい。

 公明党の連立離脱は、国政で得票を減らしてきたことが遠因だ。具体的には、創価学会員の高齢化、既得権政党化や自民党の補完勢力化などで、集票力が落ち込んでしまったわけだ。

 逆に日本維新の会は、じり貧の現実から、自民と一体となることで生き残りを図ったのだろう。実際、今回の連立では、食品の消費税率の2年間の〇%への引き下げなど12項目の要望書を出したが、合意では、肝心の「政治と金」の先送りなどで自民党に迎合した。〝身を切る改革〟という維新の一枚看板を棚上げした上での連立、自民へのスリ寄りだった。

 公明党の離脱で窮地に陥った高市自民党としても、政権維持のため、自身に近いタカ派的な項目の多い維新の要求を丸呑みしたわけだ。

 維新は、今回の連立を契機に、いずれは、大阪府や大阪圏での地域政党化が進むだろう。ドイツのキリスト教民主同盟(CDU)とキリスト教社会同盟(CSU)の関係と同様な関係だ。ドイツでは、バイエルン州ではCSUだけを存続させて、全体としてCSUとCDUが一体化して棲み分ける、というものだ。

 維新は、以前の馬場代表が打ち出した「野党第一党」という一時の野望は、昨年秋の衆院選と今年7月の参院選での二連敗で、頓挫した。

 維新の会は、全国政党化への野望も失敗しており、大阪府をはじめとした関西圏での政治勢力に収斂しつつある。理由は、大阪都構想の頓挫や、維新の存在意義が揺らいだ結果としての議員による不祥事の多発、国民民主や参政党など、新手のポピュリスト政党が躍進したことで、その煽りを食らった結果ともいえる。

 とはいえ、複数区の削減など維新有利の選挙区制導入で、大阪府議会では三分の二以上の議席を確保している。それに府知事や大阪市長という地域権力を握ってもいる。国政でも、大阪では衆院の全19小選挙区での当選で、少なくとも大阪府では、維新の存在感は圧倒的だ。

 なので、近畿圏全体は無理だとしても、少なくとも大阪府では、維新への自民の吸収合併、悪くとも、維新の自民への合流での一本化が視野に入る。要するに、大阪府での地域政党化で生き残りにかけるというわけだ。

◆国家至上主義

 高市総裁は、自身の政治姿勢について臆面も無く〝穏健保守〟などとうそぶいているが、実態は、欧州政治での分類によれば〝急進右翼政治〟だ。連立政権合意書によれば、維新の会の12項目の要望書もテコとして利用して、強硬な国家優先主義の姿勢が鮮明になっている。

 元々の保守の概念とは、守るべき伝統や文化は守り、時代に合わなくなった部分は改めていく、という含意を含む現実主義だとされる。両党の連立合意書は、そうした現実主義的姿勢の枠を突き抜けている。逆に、これまで段階を追って進めてきた《軍事優先主義》や《国家至上主義=国家ファースト》的な前のめり姿勢が鮮明になっている。高市政権の特徴付けとしては、〝保守〟などという概念では収まり付かない。参政党がいう「主権は国家にあり」と同質の、国民主権の否定、国家至上主義の〝急進右派政治〟だと見るべきだ。

 ただし、まだ発足したての高市政権が、今後どういう方向に進むのかは、断定できない。が、さらなる右旋回は止まらないだろう。それが高市首相の本意でもある。

 ただし外交姿勢は、一筋縄ではいかない。現に、高市首相は、目先の靖国神社への参拝は見送った。中国や韓国など〝ハレーション〟ともいえる外交軋轢を引き起こしかねないからだ。

 それはそうだろう。靖国神社への参拝は、あの侵略戦争の否定、さらには敗戦と戦後80年間の否定になるからだ。中韓の強烈な反発はむろん、参拝に「失望」という米国の忌避姿勢もあって、戦前回帰志向のあの安倍首相も在任中の靖国参拝は封印していた。

 そうはいっても、高市政権の国家至上主義、軍事優先政治は止まらない。〈別表〉に見るとおり、自民・維新の〝連立〟合意文書では、高市政権の姿勢が良く出ている。
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      別  表
《連立政権合意項目》(抜粋=一部表現を補足)
*生活・社会保障
 飲食料品への消費税非課税化の検討
 社会保険料率の引き下げをめざす
 社会保障での協議体の定期開催
*国家
 皇統の男系男子を維持
 憲法9条改定での条文起草協議会の25年中の設置
 緊急事態条項(=戒厳令)での条文案の国会提出
*軍事
 安保戦略3文書の前倒し改定
 長射程ミサイル搭載の原潜の保有
 武器輸出制限の「5類型」(救難・輸送・警戒・監視・掃海)の撤廃
*諜報・治安
 国家情報局・対外情報庁(=日本版CIA)の創設
 スパイ防止法(=国家機密法)の制定
*その他
 原発再稼働、外国人政策、副首都構想、〝企業・団体献金〟規制の先送り、議員定数の1割削減など。
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◆〝国民弾圧法〟制定のもくろみ

 そうした高市政権で最も危惧されるのは、これまでの歴代自民党政権による段階的な戦争準備態勢の整備が、いよいよ国民への国家統制へと矛先が向けられることだ。具体的には、スパイ防止法制定だ。

 スパイ防止法は、これまで自民党を始め、日本維新の会や国民民主、それにいま伸長している参政党など、足並みをそろえてその導入を掲げている。

 これまでの自公政権は、安倍政権による集団的自衛権の限定的容認、専守防衛から他国の戦争への加担、安保三文書による先制攻撃もできる国家への転換、それらの裏付けとなる軍事費・軍事力拡大を推し進めてきた。

 今、再度浮上しているスパイ防止法は、かつての中曽根政権が導入しようとした国家機密法の再現ともいえるものだ。戦争国家化と戦争準備の障害となりかねない、国内の反対派への取り締まり強化と弾圧を目的にしたものだ。

 これまでもそうした弾圧を目的とした国家機密法やスパイ防止法の制定をもくろんではきたが、今までできないできた。今回浮上しているスパイ防止法の制定は、そうした国民弾圧法のとば口を、再度こじ開けようとする法律だ。

◆治安維持法を呼び込むスパイ防止法

 スパイ防止法とは、ネーミングを含めて、外国のスパイ取り締まりという、普通の生活者にとってにわかに反対しづらいものだ。そうした入り口を突破口として、やがては取り締まり対象を共産主義や〝国体〟否定派から宗教団体や普通の市民まで、政権に批判的な様々な勢力への弾圧へと拡大していく〝とば口〟になるものだ。これはかつて日本でも経験したことの再来だ。

 そんな事の再現などないだろう、と甘く見るわけにはいかない。実際、現行の自衛隊法第3条には「我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動」とある。が、かつての第3条の条文は、「直接侵略および間接侵略に対し我が国を防衛する」という条項だった。

 その趣旨は、日本の国家や政府に反対する反戦運動などが、外国による日本人を利用した〝間接侵略〟だ、とする観点が、色濃く反映されたものだった。だから国内での反戦の主張や行動に対し、外国スパイのお先棒を担いでいるのではないかなどと意図的に煽り、弾圧する可能性も大きくなる。政治家などが意図的に煽る昨今の排外主義的な言説を見れば、それらは大いにあり得る。現に「諸外国の工作員(=スパイ)およびその影響下にある活動家よる反日活動」への〝歯止め〟を〈基本理念〉に掲げている自民党の地方議員も存在するのが現実だ。

 それらも含め、普通の日本人による国内の反戦行動であっても、政府が外国勢力による〝間接侵略〟だと解釈されれば、将来的には警察だけではなく自衛隊も出動するという事態もあり得るわけだ。

 そうした風潮を拡げるスパイ防止法は、やがてはかつての国家機密法や治安維持法などという悪法を呼び込むものだ。

 戦争体制の整備と国民世論の弾圧は一対のもの、車の両輪のようなものだ。反戦・平和と当事者主権の確立を対置し、今すぐにでも弾圧法制反対の声を大きく拡げていきたい。(廣)案内へ戻る


  読書室  毛受敏浩著『人口亡国 移民で生まれ変わるニッポン』朝日新書 2023年6月

○「移民」を受け入れなければ日本は消滅するとの危機感を持つ著者の移民問題への啓蒙的著作である。既にワーカーズ紙で取り上げた「移民」関連の2冊本とは立場が明確に異なるが、私たちにはこの本の啓蒙的な立場との対比的な検討が今後とも必要だと考える○

本書の欠陥と構成

 本書の欠陥を端的に表現するなら、人口減少と少子高齢化の進行をあたかも自然現象であるかのように、不可避的なものとして受け入れる点にある。言うまでもなくこれらのことは社会事象である。この原因は、日本の労働力再生産構造の歪みにある。30年続く賃金減少と未来に希望抱くことのできない労働者階級が将来したものである。著者はこの確信を全く不問に付し、問題提起すらしていない。だから著者は、不足する労働力の国籍・性別を問わないグローバルな資本の欲求を無批判に肯定して議論を進めるのである。

 本書は、「移民」を受け入れなければ日本は消滅するとの危機感を持つ著者の啓蒙的な著作である。この意味ではワーカーズ紙に取り上げた二冊の本とは立場が明確に異なる。

 著者は、はじめにおいて山梨・長野・高知での県レベルの人口減少対策に比較し、日本政府の対応は緩慢に見えると批判した。いまだに「移民対策をとらない」との看板を外せないまま、在留外国人は増加を続け、彼らなしには日本社会が回らない現状を指摘する。

 これを著者は「移民ジレンマ」とし、それがなぜ起こったのかを本書の中で解明しつつ、日本が彼らに「選ばれる国」である内に、このジレンマから脱却するための議論を行うとの本書の立場を明確にしている。著者は国民的な議論が必要としているが、全く同感だ。

 第一章では人口減と移民ジレンマについて論じる。著者は30年後に日本の人口は現在より2500万人減になるとする。世界では日本は衰退する国家とみられ、安倍政権下でも経済成長率は低迷し、競争できない国となっている。人口は減る一方であるが、他方で若人は海外流出が顕著だ。そこでそれを補う外国人が必要となる現状でありながら政府が積極的に移民政策を打ち出せない状況を、著者は「移民ジレンマ」と呼んだのである。

 第二章では移民政策がなぜタブーとなったかを解明する。小渕内閣は「移民政策へ踏み出す」ための懇談会を作ったものの、受け入れに向けての総合政策を提言できなかった。

 その後の福田内閣も、麻生政権も、民主党政権も、第一次・第二次安倍政権も何の提言もできず、「移民ジレンマ」は論議すること自体が難しい「移民タブー」へと転化した。

 第三章では移民を国民はどう捉えているかを分析する。日本国民の意識は、反対でも賛成でもなく「どちらともいえない」が最も多く、ここ数10年変化していない。だからこそ政府が国民が賛成する方向を示し、納得ゆく「移民政策」が必要と著者は提言する。

 第四章では移民効果を巡る論争を考察する。まず経済面からは、「移民」を受け入れなければ日本は回らないが賃金が低下するかを検討する。「移民」は技能実習生と留学生の形での入国だからまさに至当なのだが、外国人労働力全体から見ればさほどでもない。派生の問題には社会保障のただ乗り論や税金の迂回論があるが、正確な把握は困難だ。その他の問題は日本社会に「移民」の存在はなじむものなのかであり、不安材料なのである。

 それ故、人口減を受入れ「移民」いらない論、「移民は日本を選ばない」論を検討する。

 第五章では外国人を受け入れてきた日本の歴史を紹介する。現在の所、外国人の増大で日本社会に深刻な対立が増加したとはいえない。まるで「多文化共生」をめざす自動調整弁があるかのよう。そう考えれば奈良時代以降も渡来人は多かった。日本は江戸時代でも意外と開かれており、明治以降も世界の文物・食物は様々な経路で入ったものである。

 第六章ではドイツでは移民を受入れた経緯を解説する。日本とドイツはともに敗戦国であり、よく比較される。しかし事「移民」に関しては大違いである。ドイツは「移民法」を成立させ、日本のような「移民ジレンマ」から脱出したのである。詳しくは後述する。

 最終章では移民と共生するニッポンを展望して見せた。

 著者の認識では、日本政府は「移民」という言葉を使わず外国人の「生活者」という言葉に置き換えて、定住を想定した外国人の受け入れ態勢を急ピッチで進めている。

 2018年末、日本政府は「特定在留資格」の創設の他、「出入国在留管理庁」を設置した。さらに重要なのは、「外国人材の受け入れ・共生のための総合対応策」である。具体的には日本語教育、外国人への情報提供、教生社会の基盤整備など、218の施策が各省庁で実施されていることである。

 これらの政策は、事業は国際基準で見れば「移民」のため総合政策であり、移民政策に他ならない。著者はこのことを政府が明言しないことに不満を漏らしているのである。

 著者によれば、外国人の生活安定のために最も必要なのは、日本語能力である。この取得のために本人は勿論、二世三世に対しても日本政府が国費で充分な支援体制を構築することが核心である。それに関連して現在進行中の円安は、日本が「選ばれない」現状をより深刻なものにする。著者は「移民政策」を講じることでこの危機の突破をめざしている。

移民を受入れたドイツ

 本書の白眉は、第六章のドイツではトルコ等からの移民を受入れた、詳しい経緯の紹介にある。それゆえ、ここではこの第六章を必要最小限の簡潔さで解説してゆこう。

まずドイツでは移民を受入れた主要な経緯を見てみよう。

 第一は、ドイツは移民とどのように向き合ってきたのか。現在の課題は何か。

 第二は、ドイツは移民ジレンマをどのように克服したのか。

 第三は、日本にとっても教訓は何か。

 ドイツも日本と同様に人口減少と少子高齢化が進行。この危機感からドイツは南欧、トルコから「ガストアルバイター」=ゲスト労働者を受け入れた。特にトルコの移民はその後、シリアの難民問題と併せてドイツ移民問題の最大の課題となっていったのである。

 日本の「移民」に対する画期となった2018年、ドイツに在留する難民は110万人、移民との合計でドイツ総人口の何と13%に。この移民政策の裏には危機感があった。

 ドイツは難民を受け入れたが、それはナチスへの反省からドイツ憲法に定められているからである。メルケルが積極的だったにも関わらず、各自治体では難民の受け入れは充分ではなかった。行政的には混乱したものの、市民は受け入れに積極的だったのである。

 こうした中でドイツ人の不安で台頭した勢力がある。移民反対のAfDは、監視対象だが、移民受け入れ枠拡大を拒否し、最近の選挙では82議席、国民の1割の支持がある。

 ここでトルコの移民について考えてみよう。彼らも一時的なつもりでドイツに来たが、その後定住することになった。彼らにドイツ語を学ぶ覚悟はなく、またムスリムでもあり、自国の文化に固執していた。それがドイツ社会との「並行社会」を形成する。彼らは280万人、ドイツ総人口の3%を占め、「リトルイスタンブール」を形成したのである。

ヨーロッパにおける移民問題とは端的にはこのムスリム問題である。彼らはキリスト教社会とは人権や平等についての価値観で異質の存在である。それでもドイツは受け入れた。

 2004年、ドイツは移民法を成立させた。ドイツも長らく移民国家の自覚は持たなかった。だが法律を作ったことで、移民労働力に頼っていた現実を受け入れたのである。

 他方で治安対策として危険人物の入国制限や強制退去に対応できるようになった。さらに導入されたのが、外国人がドイツ社会に適合し、活躍できるための土井ご教育やドイツ文化などの学習を政府主導で行う総合政策である。すなわちそれはドイツ社会への適合と法令順守を求める一方で、外国人の自国文化は尊重するとの姿勢を示したものである。

 外国人へドイツへの同化ではなく、ドイツ社会の規範を守ることを求めた姿勢は重要だ。

また外国人にはドイツ語学習の義務化やドイツ社会・文化のオリエンテーションも不可欠である。そしてこれらの政策は、実情に合わせて不断に改革され続けているのである。

 日本への教訓としては、①日本語を理解していない移民を大量に受け入れてはならない(移民に対する日本語教育・日本文化教育を国家的費用で充分に担保し、決して疎かにしてはならない。)②移民議論を避けてはならない(国民的な議論を展開し周知しなければならない。)③多文化統合の真の意味を知る④多文化の相互理解の推進等が挙げられる。

 本書は、既にワーカーズ紙の≪なんでも紹介≫と読書室で取り上げた「移民」関連の2冊本とは立場が明確に異なるが、私たちにはこの本との対比的な検討が必要だと考える。(直木)案内へ戻る


  あらためて「脱成長」を考える

 今日は、仙台駅前にある私の職場の空気環境測定日でした。前にも、高濃度が測定されたので注目でした。結果を観たら外気ですらCO2濃度が490ppm!というのは驚きでした。現行の地球全体の平均(約420〜425ppm、2025年時点)をかなり上回っています。駅前は交通量が多く、アイドリング車両やバスの排気が局所的にCO2濃度を押し上げますから。

■しかし、もちろん一番気になるのは地球全体の二酸化炭素濃度が急速に上昇しており、下降に転ずる兆しもないことです。私が空気環境測定を業務にしていた約30年前は、郊外であれば350ppmでしたから、驚くべき増大です。(表参照)

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  時 期          CO2濃度      備考

  1750年頃(産業革命前)  280       安定した自然環境
  1900年頃         300       工業化初期
  1958年(観測開始)    315       マウナロア観測開始
  1980年          340       高度経済成長期の終盤
  2000年          370       グローバル化の拡大
  2020年          415       史上最高値を更新中
  2025年          420~425   都市部では450~500ppmも観測
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気候危機を止めるにはまず化石燃料使用をやめるなどの脱炭素社会が不可欠です。ところが「経済利益優先」のトランプはパリ協定から離脱し化石燃料の利用を推進する始末です。これは、世界的な逆流の一部です。産業革命以前(約280ppm)と比べると、約50%増加と言う急速な増大と共に気候危機は確実に深刻化しています。

■日本では菅政権が、「2050年カーボンニュートラル宣言」しましたが、企業活動のもとでは進捗は悲観的なものです。実際にはエネルギー構造の転換が進まず、石炭火力が電力の3割近くを占めます。環境汚染の原子力発電も電事連や政府主導で巨額の金が投資されていますが、放射性廃棄物の処理場さえいまだに定まっていないのです。これでは現実的な「使えるエネルギー」ではありません。

 再エネは送電網や立地制約で伸び悩み、さらに大電力会社による発電抑制が拡大してせっかくの自然電力を捨てさせています。また、「メガソーラー問題」は森林を破壊するので本末転倒が指摘されます。インチキ臭い「グリーン成長戦略」やバイオマス発電もむしろ気候危機の深刻化に結果すると考えられるのです。

■せっかくのパリ協定(すべての国が参加する初の包括的合意)は風前の灯火状態です。パリ協定の定めとは「産業革命以前に比べて、地球の平均気温上昇を2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力をする」という事ですが、現在すでに「1.2℃上昇」で瀬戸際という事になります。各国のNDC(国が策定する貢献目標)を合計しても、今のままでは2.7〜3℃上昇と推定されているのですから、このままでは絶望的です。

 「企業による自主的な規制」あるいは炭素税などの「カーボンプライシング」では軟弱すぎることは明らかです。結局のところ企業活動の大胆な規制が避けられないのです。

 斎藤幸平さんの提起した「脱成長」が不可欠であると感じます。つまり、気候危機を回避するあるいは確実に軽減するには社会変革と結びついた「デグロース(脱成長)」路線しかないと考えざるを得ません。(B)


  類人猿研究と「人間の再定義」

グドール博士亡くなりました。彼女の類人猿研究における功績は、多岐にわたります。

しかし、なんといってもピカイチなのはチンパンジーが道具を作り、使用することを初めて確認したことです。1960年、タンザニアのゴンベで「灰色ひげのデビッド」と名付けたオスのチンパンジーが、小枝から葉をむしり取り、シロアリ塚に差し込んでシロアリを「釣る」行動を観察しました。当時、道具の製作と使用は人類だけに固有の能力と信じられていたため、この発見は学界に衝撃を与え、人間と動物の境界を根本から問い直すきっかけとなりました。

ジェーン・グドールは野外における近接の観察に基づき(餌付けもあり)「チンパンジーの感情と個性の発見者」としても評価されます。

■現在では道具を作る動物はさらに広く研究されています。カレドニアカラスは植物の小枝やとげを加工してかぎ針状の道具を作り、木の隙間の昆虫を釣り出す。また、針金を曲げてフックを作り、食べ物を取り出すことも確認されているのです。このような動物たちの知的能力が、種を問わず社会集団の形成と深く結びついていることが知られるようになりました。(社会脳仮説)

さらに、類人猿研究は進み20 世紀後半に盛んになり、「人間観」を大いに変えました。動物園と言う、特殊な場ではありますが、例えば、フランス・ドゥ・ヴァールは「政治をするサル(Chimpanzee Politics, 1982)」において、個体の社会位置関係が、暴力や体力だけで決定されず、チンパンジーにおいては、連合・連盟さらには恩の貸し借りで助っ人を頼むなど、人間社会における政治生活を彷彿とさせるものです。「ボス=αオス」の力学を詳しく解明して、文化的なショックを生み出しました。人間に連なる集団道徳と政治の起源がくっきりと見出せます。

京都大学系研究(西田利貞)は「生態と文化の共同体的理解」を深めて道具使用や習慣(ナッツ割り、藻の釣り、抱擁の仕方など)が地域ごとに異なることを見出しました。「チンパンジー文化」と呼ばれています(グドール、西田、Whiten 等1999)。要するに「文化」の伝播や文化圏というものを見出せるのです。ここでも類人猿と人間の「連続性」が強く印象付けられます。

■もちろんその反対に、両者間の本質的な主的区別をどこに見出すかが問われることになります。

この点はここでは長くは触れませんが、松沢哲郎の言葉を借りれば「人間は“賢いチンパンジー”ではなく、“優しいチンパンジー”である」と。これはかなりの程度、人間の本質にかかわる見解といえます。

私見を加えてみれば、人間とは「極端に社会化された動物」と言えるでしょう。社会性と言う能力(これを担うのが前頭連合野:澤口俊之らによる)の強化がヒトの特質として極度に高まったという事です。

 ヒトとチンパンジーの共通祖先は同様に複雄複雌群(オスとメスの集団)と考えられますが、それにもかかわらず「αオス(ボス)を必要としない共同社会に踏み出した」のがヒトです、ここにこそ大きな両者の分水嶺があると思われます。ところが、人類史的には《ごく最近》国家が成立することでその流れは停滞し逆流も起きています。その克服こそが最大の課題だと考えています。

このように類人猿研究が必要なのは、チンパンジーやゴリラを知るためであると同時に、人間とは何か?と言う根源的な問いと、その本質を知ることで、私たちの社会の再構成(社会変革)のための基本的な道標となるからです。人間の本質に迫ることなくして社会変革を推し進めることなど考えられません。グドールの死で改めてこの思いを強くしました。(B)案内へ戻る


  コラムの窓・・・ハングルを学ぶ!

 20代のころかじったハングル、取りあえず読もうと思えば読めるのですが、発音が変化するのが難点です。英語などと違って語順が同じ、漢字語は発音が似ている。その一方で、母音の発音にも難があります。

 かつて、その発音によって殺された朝鮮人がどれほどあったでしょう。どんな言葉もその歴史的背景を背負っており、喜びも苦難も含みこんだものだと思います。だから、その違いは尊重すべきでしょう。

 70代になって、NHKのハングル講座再挑戦も挫折し、いまは地域での勉強会に通っています。会話を手っ取り早くというのではなく、書いて読むので遅々として進まない、単語も覚えられない、それでも会話ができるようになったらどんなに素晴らしいことえしょう。

 さて、歌はどうか。カラオケにも行くことがないのに、歌の練習もあります。「朝露」(アチミスル)と「ソウルからピョンヤンまで」(ソウレソ ピョンヤンカジ)をハングルを見て歌えます。歌詞があるので内容がわかるのですが、歌っていて少し泣きそうになります。

「ソウルからピョンヤンまで」

 南北統一を主題とした歌の代表曲。1991年「労働者歌謡団」の4集に収録されたユン・ミンソクの歌。ソウル駅で酒に酔ってタクシーをつかまえ、「ピョンヤン!」と叫んでいるおじさんの姿が歌詞となった。しかし、深刻にならず、軽快なリズムに乗って歌えます。

ソウルからピョンヤンまで タクシーで5万ウォン
モスクワにも月にもゆけ 行けぬところはないのに
光州よりもっと近い ピョンヤンへ何故ゆけぬ
わが民族われらの土地 ピョンヤンへ何故ゆけぬ
クラクション鳴らして ソウルからピョンヤンまで
夢でもいい思いっきり 走ってみようよ

 さあ、どうでしょう。この分断の原因が大日本帝国による植民地支配にあり、その謝罪と補償も完結していないのです。とりわけ、朝鮮民主主義人民共和国とは始まりもしていません。2002年9月17日に合意された日朝ピョンヤン宣言は、直ちに国交正常化に取り組むとあります。

「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」ものを、安倍晋三という悪辣な政治家が〝拉致家族問題〟へと歪めてしまったのです。
 金達寿は「対馬まで」のなかで、同行3人が千俵蒔山に登り、その頂上から釜山を望み「ボヨッター! ボインダー!(見えた! 見える!)」と叫び、茫然と立ちすくみ、そして涙したとあります。その涙を、知らないふりをしてもいいのでしょうか。 (晴)


  何でも紹介 「戦争」を考える

 戦争とは、「なんらかの政治目的のために政治、経済、思想、軍事的などの力を利用して行われる政治集団間の闘争」であると言われている。

 プロイセンの将軍カール・フォン・クラウゼヴィッツによる「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」と言う定義は有名であり、日本大百科事典でも、実質的意味で定義すれば「戦争は政治集団の間、特に主権国家の間で相当の期間継続して相当の規模で行われる軍事力の行使を中心とする全面的闘争状態、」と定義されている。一方、国際法辞典によれば、「兵力による国家間の闘争だ」と書かれているが広義には内戦や反乱も含むとされている。
 なぜ「戦争」が繰り返し行われているのか少し考えてみようと思う。

■熊にとっては生きるための侵入

 最近日本では熊が人間の移住区や農地に現れ、耕作作物を食べたり、人間を襲ったりする事件が多発している。熊が人間の耕作地に現れるのは熊の生育地での食料不足が原因とされているが、野生の熊にとっては食糧不足は死活問題であり、「人間の耕作地」という境界などと言う「所有」の意識は全く無く、ただ食べ物がある地域として「人間の耕作地」に侵入しているだけなのである。

 人間の思考能力は他の野生動物には無いものであり、その能力によって生きるための環境を人間に都合よく改善してきたが、それは耕作地の拡大のために野生動物の生息地を奪うことでもあり、公害等自然環境の破壊は人間自身の生活環境を悪化させるまでになって社会問題化している。

 野生動物による人間界への侵入を人間の耕作作物を奪い、人間に害を及ぼす侵入者と人間中心に考えがちだが、野生動物の人間界への侵入には人間にも責任があることを自覚し、野生動物との共存と自然環境保護を進めていかなければならない。

■人類史はまさに戦争の歴史

 野生動物と人間のこのような食料(耕作作物)等に関する闘い・紛争は人間対野生動物だけではなく、原始的な人間対人間のあいだでの争いでもあったのである。

 太古の昔、猿人や原人は生きるために食物の確保を巡って争い、時には人をも食べた。

 人類は集団化と道具を使うことによって、他の動物を圧倒し、農業(生産)技術の発達に伴い、家畜化や耕作地を拡大し、集団化した人間のグループ同士の争いは戦争を生業とする「武士」を生み、「武士」が政権をになった封建制度(■注1)の時代もあった。

 国家の成立に伴い国家間の戦争だけではなく、生産力の発展に伴う政治意識の変化は社会体制の変革として現れ、民族独立運動や宗教改革等同一国家内での内戦という戦争が行われてきた。

 人類史はまさに戦争の歴史と言っていいかもしれないが、その長い歴史の中で戦争による破壊や悲惨さを学び、争いをしないで共存する方法を導き出しうる知識も持つようになってきている。

■現代の戦争とは

 戦争がなぜ起こるのかは、かつては水や食料・それらを潤す土地などの奪い合いが争いの原因であったが、16世紀~19世紀頃、商業から工業化=産業革命が進み資本主義経済の発生と確立に伴い、各国は帝国主義化(■注2)で周辺国を侵略し、領土を拡張して資源を獲得し周辺国の国民を酷使することで国力を増し、さらなる拡張のために侵略を行うということが行われた。この覇権主義的戦争は多くの国を巻き込み世界を二分化し、20世紀始めの第一次世界大戦では、機関銃と大砲を搭載した戦車や爆撃機などの新しい兵器が登場したことや毒ガスという陰湿な兵器も使われるようになったことで戦術も変化した。

 しかも総力戦の様相を呈し各国が大量生産の技術を使い戦争はそれまでと性質が変化し、陰湿でみじめで悲惨なものになった。
 第二次世界大戦では非戦闘員を含む大量無差別殺人や広域地域の破壊が一瞬で行うことができる「原爆」まで使われるようになった。

 集団化し国家の成立と資本主義経済の発展と進出により、資源の確保、領土の拡大・保全等、殺傷力や大量破壊兵器の開発など、その規模は拡大し、今や人間社会だけではなく人間が住む自然界そのものをも破壊する「戦争」の脅威があるにもかかわらず人間世界では未だに「戦争」をし続けている。

 「戦争」とは「なんらかの政治目的のために政治、経済、思想、軍事的などの力を利用して行われる政治集団間の闘争」と言うならこの「政治目的」が何なのか問わなければならない。

 ロシアによるウクライナへの侵攻やイスラエルにるパレスチナガザ地区へのジェノサイド等はまさにそのような「政治的目的」によって行われている戦争であり、領土の拡大・保全と資源の確保等が「目的」である以上一時期的な停戦はあったとしてもロシアやイスラエルの「政治的目的」が変わらない限りは収まることはないだろう。国々がこの「政治目的」を変更し改善しない限り世界のどこかで「戦争」は繰り返し行われる。

 我が日本国は第2次世界大戦の敗北から憲法第9条で「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を規定して「戦争をしない国」と思われがちだが、経済力・軍事力では世界の上位(軍事力は8位)であり、平和維持活動として海外の紛争地域に介入するなど「戦争ができる国」として変貌しつつある。

 「戦争」の殺戮や破壊等、その悲惨さから「反戦」「平和」を考えることも大切だが、なぜ「戦争」が行われるのか考え活動すべきだと思う。 (光) 

 
■注1、封建制度とは、君主などの領主が家臣の諸侯に対して領地を与えて統治をさせた、今でいうところの地方分権みたいな政治体制のことです。
元々は古代中国の殷や周などがこの制度を導入しており、それが時代が流れ鎌倉時代から明治維新までの日本の基本的な体制となりました。


■注2、帝国主義とは 広義には,国家が領土や勢力範囲拡大を目指し他民族や他国家を侵略・抑圧する活動・政策。狭義には,資本主義が高度に発達し生産の集積と独占体がつくり出され,資本輸出が盛んになった段階。一九世紀末からこの段階に達した列強は植民地獲得競争に乗り出し,国内では反動政治・軍国主義を,国外では植民地支配と他民族の抑圧を強化させた。 案内へ戻る


  早速、働き方改革でも「反動的」施策を打ち出している高市政権   

■「働き方改革関連法」から働くものを守ろうとする部分を後退させようとしている

 高市首相は21日、上野賢一郎厚労相への指示書で「心身の健康維持と従業者の選択を前提にした労働時間規制の緩和の検討」を指示した。

 これは、「少子高齢化や長時間労働の問題に対処し、労働者が多様な働き方を選択できる社会を実現することを目的として」安倍内閣下で2018年7月に公布、2019年4月1日から施行された「働き方改革関連法」(正式名称は働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法、略して働き方改革一括法で、この法律によって、労働基準法、労働安全衛生法、労働者派遣法など様々な法律が改正された)を見直して「労働時間規制の緩和」を図ろうとするものだ。

 「働き方改革関連法」は「少子高齢化による労働人口の減少」「長時間労働の慢性化」「正規雇用労働者と非正規雇用労働者の賃金格差」「有給取得率の低迷」「育児や介護との両立など、働く人のニーズの多様化(共働きの増加・高齢化による介護の必要性の増加など)」「企業におけるダイバーシティの実現の必要性」などの問題を解決するために、それまでの法を見直し、時間外労働の上限について、月45時間、年360時間を原則とし、臨時的な特別な事情がある場合でも①年720時間②複数月平均80時間(2か月~6か月平均が全て80時間を限度とする)③単月100時間未満(休日労働を含む)を限度とする等、時間外労働(残業)に罰則付きの上限規制を設け、長時間労働などを迫る使用者側よりそうした過重労働から労働者側を守ろうとする意図が見られるものだったが、高市政権はこれらの「法」を見直し、使用者側に有利になるような「労働時間規制の緩和」を図ろうとするものなのだ。

■参議院選挙で自民党が公約した「働きたい改革」

 「働き方改革関連法」では時間外労働の上限について、月45時間、年360時間を原則として定めているが、先の参議院選挙公約で、参政党は「もっと仕事したいのにできない」という弊害があるとして上限規制の見直しを主張し、公明党も「働きたいときにもう少し働ける社会へ」と労働時間のルール見直しを掲げた。自民党は「個人の意欲と能力を最大限生かせる社会を実現するため『働きたい改革』を推進し、人手不足の解消に努める」と明記した。

 立憲民主、国民民主、共産3党は働き方改革を推進する立場でこれらの「働きたい改革」を批判した。参政党や自民党が言う「働きたい改革」はあたかも労働者が求めているよう、それに応える改革が必要であるかのように装っているところが卑劣さというものだ。

 厚生労働省の試算では、今よりも「もっと働きたい」と考えている人は全就業者の6.4%で、上限規制である月平均80時間を超えて働きたい人は、わずか0.1%しかいない中では、労働時間規制の緩和を労働者自身が望んでいるという根拠は、数字の上では示されていない。

 望んでいるのは人手不足に悩む経済界であり、時間外労働に関する上限の緩和や、長時間労働を助長する裁量労働制の拡大、規制の対象外となる高度プロフェッショナル制度の対象拡大など、労働者を長時間働かせて利潤を得ようとする財界の希望に応えるためである。

■完全ではない「働き方改革関連法」労使の攻防でよくもなり悪くもなる

 もともと2018年の「働き方改革」でも、「時間外労働の上限規制」という規制強化と共に、その枠をはみ出す「高度プロフェッショナル制度の創設」と「裁量労働制の対象業務の拡大」という規制緩和が含まれていた。このうち、「裁量労働制の対象業務の拡大」が頓挫したため、なんとか機会をとらえて改めて規制緩和を実現したい等の経済界の願いがある。

 労働者側にとっても、そもそも「時間外労働の上限規制」は「過労死ライン」ギリギリの労働時間で法制化されているのだからこれ以上緩和されれば過労死は増えるし、物価高の中で「残業時間」の規制で賃金も減って生活苦が一層増すという問題点等あり、「働き方改革関連法」の見直しには労使のせめぎ合いは必至である。
 10月23日、国会内で立憲民主党が開いた会合で、電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24才)を2015年に過労自殺で失った母親の幸美さんも出席し、「過労死ラインまで働かせるのはやめてくださいとお願いしている。(上限規制を)緩める政策は絶対にしないでほしい」と訴え、「大切な家族が馬車馬のごとく働かされて過労死した。命が奪われる働き方に傾いていくことが心配でなりません」と懸念を示した。

 また高市首相の指示に対して、連合の芳野友子会長は記者会見で、「長時間労働是正の取り組みに逆行するもので看過できない」と批判し、首相が「従業員の選択を前提」に緩和を検討としている点については、「労働者の意思という視点では、企業の中では労働者1人1人は非常に弱い立場なのでそれぞれの主張が本当に労使間で対等に主張が通るのかと言えば非常に難しいのではないか」などと指摘。「長時間労働を積み重ねれば、生産性が上がるかのような言説に惑わされることなく、全ての働く者の幸せを追求して欲しい」と述べるなど、政府の労働時間規制の緩和の検討について懸念を示し、反対の声を上げている。

 こうした「声」をもっともっと拡げ高めて、高市政権の反動的政策に反対し、労働条件の向上と大幅な賃上げを勝ち取っていこう! (光)


    色鉛筆・・・千葉県香取市佐原と銚子市犬吠埼に行ってきました!

 ようやく秋の気配を感じる10月中旬、2泊3日の旅に出かけました。

 と言っても、ワーカーズ会議を終えての午後と翌日の午前中と限られた時間なのですが・・・。

 ワーカーズでは、年2回の会議を持ちますが、1回は会員の居住地近郊を訪問し観光も兼ねて交流するのが恒例になっています。

 美味しいものを食べ、珍しい地で気持ちを高め、明日への活力につなげます。

 東京までは、新幹線で便利ですが、その先の千葉方面までは各駅止まりに近い電車で、佐原までには約2時間ほどかかったように思います。 駅前には、日本で初めて全国地図を作った伊能忠敬の像があり、駅の造りも「重要伝統的建造物群保存地区」に相応しいものでした。

 駅近くの街並みも江戸時代に建てられたものもあり、明治、大正と続く歴史を辿る雰囲気を感じました。

 駅から車で10分の香取神社は国指定の重要文化財で、神宮という名の通り、国家鎮護の神、皇謨守護の神として古来皇室の行事が行われた神社です。私たち庶民には縁のない所ですが、高木の森林浴はひんやりとして気持ちよく、土を踏む機会が減少した現代人には心を癒す所でもありました。参道で売っていた名物の草団子は、ヨモギの味がしてとても美味しくいただきました。

 銚子までは高速道路を使い夕方に到着。そこで一泊、翌日は海岸の「屏風ヶ浦」を目指し、途中「千葉科学大学」という亡き安倍晋三が資金を提供した建物を横目にしながら、ヨットハーバーが見えてきました。

 「屏風ヶ浦」は銚子から旭市刑部岬まで10キロメートルにわたる海岸の絶壁で、高さ20~60メートルあります。しかも断面には地層がきれいに見え、興味のある人ならきっと釘付けになってしまうでしょう。

 天気の良い日には約200キロメートル離れた富士山が見えるのですが、当日は靄がかかり残念でした。

 「銚子で1番高いとこ」いわゆる「地球のまるく見える丘展望館」では、銚子の町が視界360度中、330度までが水平線のパノラマを見ることができる。その展望館には銚子のお土産があり、ぬれ煎餅には銚子電気鉄道と深い縁があることを知りました。

 1922年、銚子鉄道が設立。1945年、太平洋戦争下の銚子空襲により焼失。1948年、企業再建設備法により銚子電気鉄道を設立。その後、京成グループに加入し、69年には銚子市から助成の開始されるが、75年には「欠損補助対象地方鉄道」に認定され、76年食品製造販売事業開始し、たい焼きを販売。90年には、経営権が千葉交通より内野屋工務店に移り観光路線化を図る。95年、ねれ煎餅の販売が開始されるが、98年には内野屋工務店は自己破産してしまう。しかし諦めず2006年、経営危機を公式ウエブサイトで支援を呼びかける。今では、年5億円の売上高のうち鉄道以外が8割を占めているという。ぬれ煎餅の他、佃煮、「まずい棒」などユニークな商品を次々と考案し、経営を支えている。

 そういえば、千葉には「動労千葉」という鉄道の労働組合があり、物品販売で組合員を支えています。私たちは、現役時代から今も物品を購入し支援を続けています。ねれ煎餅と銚子電鉄の話、みんなに広げていきたいと思います。 (恵)

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