ワーカーズ675号(2026/2/1)     案内へ戻る

  高市早苗が総理大臣でよい訳がない!

 正月早々、通常国会開催の冒頭で解散、投票日は二月八日との報道がなされた。なぜ今解散するのかの理由は、明らかにされないまま時はいたずらに過ぎていったのである。

 一月十九日、高市早苗はようやくその理由を語る。「高市早苗が総理大臣でいいのかどうかを問う選挙」と真顔だ。まさに大義なき解散そのものではないか。

 呆れることに日本が議院内閣制の国であることを知らないかのような妄言である。しかも前の総選挙から一年余りしか経ない中、また六百億円を超える国費を使って総選挙を強行するのである。

 高市早苗の高支持率の中、有権者の約半数が解散に反対、又理由にも納得していない。

 日本政府の広報誌との別称がある日経新聞社説でさえ「大義なき解散・総選挙」と切り捨てた。これは自民党には明確に言えない、日本の支配階級の意思の本音の発露である。

 この批判の核心は、「予算を後回しにしてまでなぜ解散しなければいけないのか。首相の説明を聞いても胸にすとんと落ちない。解散の大義がみえない。衆院選の後に新内閣が発足するのは二月半ば以降の見込みで、一カ月程度は政治空白が生じる。物価高対策など政策の停滞を招かないようにしてほしい」というもの。

 まさに高市早苗による政治の私物化への正面切っての批判ではないか。

 そもそも「高市早苗が総理大臣でいいのかどうかを問う選挙」ならば、なぜ昨年中に実施しなかったのか。その時は「働いて、働いて」と拒否したのに、今はこの二枚舌だ。

 この間、自らがその言動で我が身に引き寄せた危機は、①台湾有事発言による対中経済の悪化②自らの政党支部の政治資金規正法違反③旧統一教会の広告塔活動の発覚がある。

 通常国会で質問の矢面に立ち、高市早苗が火だるまとなることは明々白々であった。

 このことこそ高市早苗が冒頭解散をする真の理由に間違いない。また野党の準備が出来ていない解散により、自民党の絶対安定多数を得ようとの皮算用も働いたことだろう。

 だが連立を離脱した公明党の動きは急であり、高市は完全に読み違えた。公明党は立憲民主党を巻き込む形で新党を結成した。そして立民現職のほとんどは新党に結集する。

 まさに高市早苗の白紙委任要求に対する戦闘態勢の陣形の確立である。

 事態は暗転。獲得目標は与党で過半数、進退をかけるとのこと。何と低い目標設定か。そもそも今の衆議院の議会状況を変えるために選挙をやるのではなかったか。

 高市早苗が引き寄せた危機は私たちの武器である。そしてこれらの重い事実は、「悪事千里を行く」の伝播力があるに違いない。高市早苗と自民党を徹底的に撃破していこう。

 高市早苗は全く失念しているようだが、投票日の二月八日は昨年十二月二十三日の閣議で国賓招待と決定したアラブ首長国連邦のムハンマド大統領が来日する日だ。その予定は天皇との会見や宮中晩餐会、高市早苗との首脳会談等に臨むと伝えられているのである。

「高市早苗が総理大臣でいいのかどうか」と言うなら私たちはよい訳がないと答えよう。

 二月八日の投票日には、高市早苗が顔色を失う事態を将来せしめようではないか!(直)


  「中道改革連合」がめざすものは何か

「中道改革連合」結成の経過

「戦争国家化」をめざす高市政権の発足の下、高市が「政治とカネ」に無反省で公明党からの提案を無碍にしたことで、公明党はついに連立を解消し離脱した。

 また自民党との連立を離脱するので今後は小選挙区制に候補者を立てられない公明党は、じり貧に陥りつつあった立憲民主党の野田・安住らと折衝を開始した。

そして突然の解散・総選挙により「右でも左でもない」中道改革勢力の結集を加速させ一気に結成されたのが、「中道改革連合」である。

 皮肉にも「中道改革連合」の結成を促したのは他ならぬ高市早苗本人だったのである。

 こうした経緯から分かるように立憲民主党は公明党にオルグされてしまったといえる。

 かくして立憲民主党は反安保・反原発再稼働等の結党の精神を忘れ去り、長らく「中道」を掲げて来た公明党に巻き込まれるかように、即解党して新党の結成となったのである。

「中道改革連合」の綱領と政策

 一月十九日、公明党の西田幹事長と岡本政務調査会長は、立憲民主党の安住幹事長、本庄政調会長と記者会見を開き、中道改革勢力の結集をめざして結成された新党「中道改革連合」の綱領と基本政策を発表した。そこに斉藤代表と野田代表の姿はなかった。

 綱領では「対立を煽り、分断を深める政治ではなく、対立点を見極め、合意形成を積み重ね、生活者ファーストの政策を着実に前へと進める中道政治の力が求められている」と強調されていた。

 そして「中道」の政治理念としては「生命・生活・生存を最大に尊重する人間主義」を明記し、「国民の利益と幸福に奉仕する国民政党として、国民が求める改革を主導する基軸となることをめざす」とした。

 その上で「中道」が進める政策の柱として①一人ひとりの幸福を実現する、持続的な経済成長への政策転換②現役世代も安心できる新たな社会保障モデルの構築③選択肢と可能性を広げる包摂社会の実現④現実的な外交・防衛政策と憲法改正論議の深化⑤不断の政治改革と選挙制度改革を掲げていたのである。

 まさにここには立憲民主党の理念ではなく、公明党の理念が強く打ち出されていた。

「中道改革連合」のめざすもの

 記者会見で西田幹事長は、綱領について「公明党の考え方をベースに両党で協議し、修正・加筆した。日本の政治に本格的な中道勢力の塊をつくる第一歩としたい」と述べた。

 中道の意義では「端的に言えば、生活者ファーストの政治の実現であり、平和を守ることだ。強い国家、強い経済は大事だが、その先に人々の笑顔や暮らしの満足がなければならない。私たちは生活者ファーストの中道政治をめざす」との考えを示した。

 そして食料品の消費税については「福祉的な観点から、生きていくために必要な食料品の軽減税率を恒久的にゼロにしていきたい」と力説した。

 また財源を赤字国債の発行に頼れば円安がさらに物価高を助長しかねないと指摘し、公明党が提唱してきた、国の資産を一体運用して財源を生み出す「ジャパン・ファンド(政府系ファンド)」の創設などを通じて「“令和の財政改革”を進め、財源をつくり出す」と訴えたのである。

 すなわち「中道改革連合」のめざすものは、確かに「戦争国家化」をめざす高市早苗への反発はあるものの、決して政権交代をめざすものではなく反自民でもないのである。

 日本政界に中道勢力のひと塊を作るというもの。それ以上でもそれ以下でもないのだ。

「中道改革連合」は公明党のバージョンアップ政党である

 実際、公明党の斉藤代表は自身のXで「自由民主党を含め、各党と等距離の立場で、中道改革の軸となる塊をつくっていく」と述べ、自民党の「穏健保守」にまで新党への参加を呼び掛けている。すなわち「中道改革連合」は反高市ではあっても反自民ではない。

 そして「中道改革連合」の基本政策についても、斉藤代表は公明党が昨年十一月末に全国県代表者会議で示した中道改革の五つの柱をベースにしていると説明した。事実、その時公明党が示した五つの柱は、新党が掲げる綱領の五本柱と重なっているのである。

 これらの基本政策を見ても、安保法制を「合憲」とする立場や原発再稼働の容認をはじめ、政治改革では企業・団体献金の「禁止」は掲げず、「受け手規制」にとどめる等、自民党政治に全面的に対決する姿勢はなく、実際に再連立をめざすものとの陰口がある。

 こうした姿勢は見透かされている。党綱領の発表会見でも、記者から「政権交代という言葉が抜けている」との指摘が出され、立憲民主党の安住幹事長は「綱領に政権交代なんて野暮な言葉は書かない」と応じる場面があった。立憲民主党はまさに変節している。

 そうだ。立憲民主党は反安保・反原発再稼働等の結党の精神を忘れ去り、公明党に踏み絵を踏まされ解党した。立憲民主党の衆議院議員のほぼ全員が新党に加入するのである。

「中道改革連合」への批判

「中道改革連合」批判の急先鋒は共産党である。共産党は、「中道改革連合」は高市自維政権に対抗する立場を完全に放棄したばかりか、かつての立憲民主党の反自民の立場がみられないと批判する。

 さらに衆参で自民党が実際に過半数割れに追い込まれている下では、自民党政治を根本から変える立場を鮮明にすることが今ほど求められている時はないのに、自維政治を追認する立場を取ることが許せないと大いに憤慨しているのである。

 共産党によれば、安保法制廃止は市民と野党の共闘の「一丁目一番地」である。だから今回の「中道改革連合」の安保法制「違憲」から「合憲」への転換は、自民党政治を変えようと懸命に支援してきた草の根の市民に対する最悪の裏切りといわざるをえないのだ。

 立憲民主党の安住幹事長は会見で「専守防衛の範囲で厳格に運用され、自国の防衛のための自衛権の行使は、合憲とみなす」と述べ、歴代政権が違憲としてきた集団的自衛権の行使容認を強行した安倍政権の決定を是認した。

 これはかつて公明党が容認する集団的自衛権の行使は「自国防衛」に限定されたものであり、「他国防衛」をする集団的自衛権の行使ではないとして、「歯止めをかけた」と自らを正当化した論理と全く同じである。

 だが今の立憲民主党は希望の党に袖にされたから結党された立憲民主党ではないのだ。

 現在、立憲民主党の枝野幸男は沈黙を貫いている。これはまさに裏切りではないか。

 このように今回安保法制廃止等を投げ捨てたことは、憲法の平和原則等への背信にとどまらず、立憲民主党の立党精神である「立憲主義」を自己否定したことになるのである。

 立憲民主党は右旋回したとする人々がいる。だが野田代表になった時点で変節したのだ。

小選挙区ではどのように闘うべきか 

 共産党の小池氏は、立憲民主党はこれまで安保法制の廃止や原発ゼロを掲げてきたとし、「立憲民主党が公明党の政策を丸のみして結党の原点として訴えてきた政策を放棄し…自民党政治を終わらせる政治的立場を失ってしまったから」日本共産党としては、今回の総選挙で中道改革連合との選挙協力は行わず、今回は自主投票にするとの方針だという。

 だが今回の選挙は「高市早苗が総理大臣でよいか」であり、何をするかも明らかにしないまま自らへの白紙委任状を要求する選挙だ。まるでナチスの「全権委任法」ではないか。したがって今回の選挙は小選挙区で何としても与党を勝たせてはならないのである。

 高市早苗は愛国者を気取っている。今回自らがその言動で我が身に引き寄せたのは、①台湾有事発言による対中経済の悪化②自らの政党支部の政治資金規正法違反③旧統一教会の広告塔活動の発覚だ。だが日本人からカネを理不尽に巻き上げ韓国に上納させることを教義とする反日の旧統一教会の広告塔を嬉々として勤める愛国者など偽者である。

 私たちの方針は自民党と維新を主敵だと明確化し、彼らを落選させるために自主投票するということに尽きる。実際、自らの候補者がいない以上自らの票を死票とはせず、各野党に対する批判は激しく行うものの、主敵は見誤らないようにしなければならない。

 そもそも高市人気によって小選挙区で与党の必勝が保証されるなど甘い夢でしかない。

 今回の獲得目標は高市早苗の退陣である。この目的のために闘っていこう。(直)案内へ戻る


  〝国家ファースト〟に対抗しよう!――戦前回帰に走る高市政権を追い詰めよう!――

 これまでロシアや中国による〝力による現状変更〟を一貫して批判してきた日本政府と高市首相。年明けの米軍によるベネズエラへの軍事攻撃と大統領の拘束では、まったくの沈黙。二重基準があらわで、世界での、又国内での立ち位置の説得力を欠いたまま、国内政治では政権基盤の強化をめざして〝自己チュー解散〟だ。

 今回の解散強行は、衆院ではかろうじて与党過半数だが、参院では未だ少数与党にとどまっている現状を打破し、政権基盤を盤石のものにしたい高市首相の目論見が現れたものだ。

 その高市自維政権の選挙公約は、〝国家ファースト〟政策のオンパレードだ。

 現在進行中の総選挙では、結果を左右する変数が多く、予断を許さないが、何はともあれ、高市政権の右翼暴走を封じ込めていきたい。

◆アベノミクスの二番煎じ

 高市首相による〝国家ファースト〟政策の前に、最初に取り上げたいのは、〝責任ある積極財政〟だ。

 高市首相は、具体策として大規模投資による経済成長、その結果としての税収増による財政再建、を掲げている。何のことはない、異次元の金融緩和、機動的な財政政策、成長戦略という〝三本の矢〟を掲げたあのアベノミクスの焼き直しだ。

 アベノミクスというのは、〝世界で一番企業が活躍できる日本〟を掲げ、企業負担を軽減する金融緩和や、企業を後押しする財政支援を繰り返してきた。が、結局は、肝心な成長戦略は達成できず、〝失われた20年〟が〝失われた30年〟となり、就職氷河期世代をはじめとした、不安定・低処遇雇用を増やし続けてきたのが現実だ。

 自民党政権は、租税特別措置という企業減税やこれまでも成算が不確かな、新規の半導体企業ラピダスに5兆円規模の補助金を支援するなど、国家資本主義的企業支援を続けてきた。が、今度はそれを軍需産業まで拡大し、経済成長の推進役に仕立てようとしている。

 具体的には、防衛費のGDP比2%への倍増の次も視野に、現在の民間兵器工場を〝国営工廠〟にするなど、26年中に防衛産業戦略を策定するとしている。

 高市首相は、積極財政の看板の中に、急遽、消費税減税を加え、2年間の食料品への消費税非課税案の「検討」を「加速」する、としている。選挙での有権者受け狙いであるのは、いうまでもない。

 ただし、消費税の導入と税率引き上げで、法人税や個人所得税の削減、それに低率な金融所得課税のおかげでカネをため込んでいる大企業や富裕層への増税という、当然過ぎる施策は避けている。選挙公約で掲げているのは、共産党と社民党ぐらいで、他の野党も含めて、企業・富裕者優遇の解消、格差是正策は棚上げしたままだ。

 グラフ――国税に占める税収の推移

 この高市政権の姿勢に対して、いち早く市場が反応している。いわゆる円安・長期金利の上昇だ。国債発行など借金財政が進むことで、円と国債が売られるという、いはば〝日本売り〟が進んでいるわけだ。〝責任ある〟どころか、あのイギリスの〝トラス・ショック〟と同じように、〝無責任な〟放漫財政が市場からも見透かされているのが現実だ。

 他方で、金融政策に責任を負うという日銀は、政府の圧力で、政策金利の引き上げには消極的だ。目標とする2%以上の物価上昇が4年近く続いているのに、「基調的な物価上昇率」は2%に届いていないとして、利上げには極めて及び腰だ。物価高で庶民の生活が圧迫され続けているのに、輸出減による企業利益がマイナスになるとして物価高の一因になっている円安の是正に動こうとしない日銀。物価安定より企業利益優先の日銀、いったい、どこを向いているのか。

◆国家改造計画の選挙公約

 高市自維連立政権は、今回の総選挙で、保守的・右翼的政策を多く掲げている。それはまるで国家の有り様を根本的に変える〝国家改造計画〟というべき代物だ。

具体的には、自維連立政権発足時に打ち出した。以下のような政策だ。

 ・国家情報局・対外諜報機関(日本版CIA)の設置
 ・国章(国旗など)損壊罪
 ・安保関連三文書の前倒し改定
 ・武器輸出を制限してきた五類型の撤廃
 ・敵基地攻撃能力を持つ原潜の保有
 ・階級・服制・職種など、一等兵や戦闘爆撃機などへの、自衛隊関連の名称変更
 ・スパイ防止法制定
 ・憲法9条改定

 これらは、いずれ政治日程に浮上するテーマであり、別途、それぞれ詳しく見ていくべき課題でもある。

 足下で政権も世論も右傾化を深めているが、その背景にあるのは、ウクライナ戦争やパレスチナ戦争、それに日中の対立など、国家間対立の激化、トランプ大統領によるジャングル・ルールによるあからさまな暴力による支配、国家主義・排外主義などだ。

 高市首相は、今回の突然の解散・総選挙を前にして、その意図を「高市早苗が総理大臣でいいのかを問う」と強弁した。この言葉から読み取れるのは、二つのこと。足下の高市人気を得票と議席に結びつけたいというそろばん勘定。もう一つは、一旦、自民党単独過半数を獲得すれば、自身のリーダーとしての地位と高市カラーの政策が信任されたとして、自分が思うがままの国家統治を進める、という決意表明だ。
 が、この発言が物議を呼び込んだことから、解散当日の記者会見では自意識過剰なフル・ネームは避け、代わりに〝国論を二分するテーマ〟での既存政治の〝改革〟〝政策転換〟への〝白紙委任〟を求めた。物言いは変えてみたが〝国家ファースト〟の急進右派政治への執着心は隠しようがない。

◆戦前回帰の専制国家体制づくり

 その白紙委任の中身は、といえば、安倍元首相の〝戦後レジームからの脱却〟という〝戦前回帰〟の国家至上主義が前面に押し出された極めて反動的な代物だ。それは選挙公約に見られるように、強化すべき主体はあくまで国家であり政府で、国民はただ国家・政府による〝統治の対象〟に過ぎない。これがまかり通れば、参政党が言うように〝主権は国家にあり〟という、国民主権の否定に行き着く他にはない。

 その象徴が自維政権や参政党などが画策する「スパイ防止法」だ。

 スパイ防止法は、まだ全容がはっきりしないが「スパイ防止基本法」や「外国代理人登録制度」から制定すると言われている。かつて1985年の中曽根内閣による国家機密法(廃案)や、2013年の特定秘密保護法などがさきがけとなった法律だ。

 この法律は、本物の外国スパイの取り締まり・摘発が目的だとされている。が、実態はといえば、外国の利益になり得る行為や外国のスパイの手先になる行為、あるいはそれに類する言説を流布すること、それに手を貸す行為など、拡大適用が可能になる。いはば〝内なる敵〟の取り締まりや摘発を目的にするものだ。

 例えば、外国の利益になるとは、現時点でも、軍事力拡大に反対する個々人の声や意見も、それが外国を利する、とされて指弾され、やがては取り締まりの対象とされ得るものだ。現に、あの高市首相による「存立危機事態~自衛隊の武力行使」発言を引き出した立憲の岡田議員に対しても、しつこく聞くからだ、とか、中国を利する、等の非難が向けられてきた。これがエスカレートすれば、岡田議員は中国の〝エージェント〟ではないか、とか、非国民、売国奴などとエスカレートされかねないものなのだ。

 戦争準備が進めば必ず反戦・平和を求める闘いも拡がる。最初から反戦・平和行為への弾圧は難しいが、最初は外敵のスパイやそれに手を貸す行為への取り締まりや摘発を名目にして始めるほうが世間受けする。本当の標的はあくまで国内の〝内なる敵〟国内の反戦行動に向けられているのだ。やがては、戦前に猛威を振るったあの治安維持法の再現につながり得る、極めて危険なものという他はない。

◆政権を取るのが野党の役割?

 今回の総選挙の帰趨を左右する要因として、立憲民主党と公明党が合流した中道改革連合の結成がある。高人気の高市内閣と自維連立与党との対決で、にわかに結成した新党。自維連立政権と対峙できるそれなりの存在感を示したい、ということだろう。

 新党結成のインパクトはあるかもしれない。が、立憲民主党が失うものも大きい。立憲民主が今回の合併で、あっさりと安保法制は違憲だとの立場を翻して合憲だとし、原発政策も〝原発ゼロ〟から再稼働容認へと大きく転換させた。併せて、普天間基地の辺野古移設反対についても、容認するとの立場に転換した。それらは、立憲民主党結党の存立意義を支えるメイン・テーマだった、はずだ。それは党名にも反映している。それを捨ててしまったからだ。

 これらは、公明党が与党の立場として容認・推進していたこととの整合性を図るものとされている。が、両党の合併であっさりと撤回できる程度のものとして、安保法制反対、原発再稼働反対を掲げてきたのだろうか。

 要するに立憲民主党は、自らの政策を実現するために政権交代をめざすという原則を投げ捨てたわけだ。代わって、政権の座を得るためには、自ら掲げる政策をいとも簡単に手放す政党として、あるいは政局政党=政権の座につくことを第一の目的として存在する政党であることを、あからさまに示した事になる。いはば、野党の第一の仕事は政権を取ることだ、というあの小沢一郎的な政局中心指向を実行していることになる。

 こうした姿勢は、参政党など急進右派が台頭、自民も高市政権で右旋回した、空いた中道の席にリベラルを捨てた立憲がシフトする?そんな政治観・政権観を体現しているということでもある。

◆国家中心主義はノーだ

 そんな今回の解散総選挙。少なくとも高市自維勢力をなんとしても少数派に追い込む事が必要だ。自民単独過半数を与えてしまえば、高市政権による〝国家ファースト〟政治が幅をきかせ、私たち有権者の生活や政治的自由も脅かされる。

 今回の総選挙の結果は見通せない。が、はっきりしているのは、多くの党が右にシフトし、日本の政治全体の右傾化は止まらないかもしれない、ということだ。仮にそうなれば、今年の流行語大賞は、昨年の〝働いて・働いて〟から、〝非国民〟〝国賊〟〝売国奴〟などになりかねない。

 今回の選挙戦も、選挙後の闘いも待ったなしだ。(廣)


  〝国境を越えた反戦・平和の闘い〟――大事なのは、視点・視座――

◆国家間対立の拡大を受けて、〝抑止力〟の強化が多方面で叫ばれている。

 その抑止力。今、自民党や政府が使用する言葉として、〝対処力〟という言葉が加わっている。

 抑止力という言葉から連想するのは「未然に防ぐ」だが、対処力というと反撃力・攻撃力を意味する言葉になる。

 対処力の次は、軍事力か戦力か。言葉としては、軍事力の強化、戦力の強化となる。

 今、自維政権で実現をめざすとしているのが、憲法9条2項の改訂だ。そこでは「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」とある。これをなくし、〝国防軍の保持〟を明記する。その場合、意味するところは〝戦力を保持する〟となる。

 とはいえ、抑止力の強化を掲げた軍事至上主義は、いわゆる〝安全保障のジレンマ〟といわれる軍拡と戦争の危険のエスカレーションを招く。

◆私たちが参考にすべき一例は、ベトナム戦争(1955~75年)を止めた国境を越えた反戦闘争だ。米国によるベトナム戦争の終結は、最終的には、米国民の厭戦気分と反戦行動の拡大によってもたらされた。

 このときの世界的な反戦行動に関しては、日本の労働団体中央組織、総評による1966年10月21日の「ベトナム反戦統一ストライキ」と、それを機に提唱した10月21日の国際反戦デーの取り組みに注目したい。この反戦闘争に対して、世界で初めての労働組合によるベトナム反戦ストライキだとして、フランスの哲学者サルトルからも讃えられた反戦闘争だった。

◆この闘いに触発されて、反戦デモなどが全世界に拡がり、とりわけ67年10月21日の米国ワシントンDCで行われた10万人を超えるベトナム反戦デモにつながり、また西欧にも拡がった。付け加えれば、当時はベ平連(=ベトナムに平和を!市民連合)による〝毎日デモ〟も行われていた。

 総評は、賃上げなど国内の経済闘争では低迷していたものの、当時の世界では珍しかった労働組合としての反戦闘争では、一定の役割を果たした。

 最近では、米国によるイラク戦争への国境を越えた反戦闘争の拡がり(2003年)であり、その次の安保法制反対行動(2015年)にも繋がった。

 安保法制反対運動では、当時は、学生などが中心の〝シールズ〟など市民団体が前面に出て、大規模な反戦行動を繰り広げた。その立脚点には弱点もあったにせよ、反戦・平和闘争で大きな役割を果たした。

◆軍事的対立や武力紛争に対し、国家間対立というレベルだけでの視点・対応では、軍事力増強のエスカレーションに陥るのが常だが、それでは戦争は防げないし、繰り返されるだけだ。国境を越えた労働者や市民が中心となった反戦行動だけが、戦闘を終わらせ、戦争を防ぐことができる。こうした視点の重要性を今こそ再確認したい。それがなければ、自分たちや国民世論も含めて、ナショナリズムや戦争政策に絡め取られるだけだ。ちなみに、現在の労組ナショナルセンターの連合は、情けないことに、そうしたイニシアティブをとる姿勢は全くない。

 現在、そうした反戦闘争が低迷していることが、各国の右傾化、国家間対立の激化のつながり、その拡大再生産が繰り返される背景になっている。その悪循環を終わらせるためにも、国境を越えた反戦・平和闘争という視座と闘いの意義を再確認するところから、対決陣営を拡大していきたい。(廣)案内へ戻る


   維新よ!3回目の住民投票でトコーソー目指すのは見苦しいぞ!
 
 維新は、今回の高市政権による解散総選挙に合わせて、大阪府知事、大阪市長のダブル選もやります。

 大阪府知事選にかかる費用は、なんと23億3000万円、大阪市長選挙は4億7000万円だそうです。

 維新は、過去2回にわたる住民投票で否決された、大阪市廃止・分割=トコーソーをまたやりたいと。トコーソーをやるための、選挙だと。

 維新さん、往生際が悪いし見苦しいです。維新支持者の方々も、ここは怒るべきです。

 大阪では1月22日に出直し府知事選が始まり、25日には出直し市長選が告示されました。大阪府知事、大阪市長のダブル選です。府知事選に立候補した維新代表の吉村洋文氏は、悲願の看板政策 大阪市廃止・分割=トコーソーへの3度目の挑戦を掲げますが、有権者からは「なぜ今、選挙なのか」「税金の無駄遣い」など戸惑いの声が聞かれます。

 吉村氏は1月22日、大阪なんばで第一声に臨みました。

 「今回の選挙に反対の声が多いことも分かります。ご迷惑をおかけしていること、そこもおわび致します」と謝罪からスタートしました。府内各地の街頭演説でも、まず「おわび」から始め、3度目の大阪都構想への挑戦について「わがままだと言われるかもしれない。でも自分のわがままじゃない、大阪を良くしたいんです」と意義を訴えています。

 吉村氏の第一声の演説途中には聴衆から「選挙をおもちゃにするな」などのヤジが飛びました。1月24日、JR高槻駅前での街頭演説ではマイクトラブルが発生。沈黙が流れると、数人の聴衆から「帰れ! 帰れ!」コールが起こりました。
 維新のお家芸は徹底した「どぶ板」選挙と、吉村氏の発信力を頼みにした「空中戦」です。今回のダブル選ではかつての勢いはなく、「空中戦」にもかげりが見えます。

 党内外からは疑問と批判が噴出しています。維新の大阪市議は「都構想を本当に掲げるなら、来春の統一地方選が本来のタイミングだった」と話します。「壮大な独り相撲」(松川るい自民党大阪府連会長)など、主要政党は候補者擁立を見送りました。

 維新がやろうとしている、大阪市が廃止・分割=トコーソーになると、権限・財源が大幅に大阪府に移行すること、財政的に厳しくなる特別区の住民サービスは、削減してそれで収支を調整していかざるをえなくなります。

 2回の住民投票で、反対多数で勝負ありなはずなのに、またトコーソーをやりたいとは、開いた口がふさがりません。(河野)


  米国植民地主義と結び資源を引き渡す ロドリゲス体制を拒否しよう

 一月の初めにセンセーショナルな軍事作戦をトランプ政権が断行しました。主たる理由は何でしょうか?米国内のトランプ政権の不人気と反トランプ運動の高揚、そして形勢不利とされるこの秋の中間選挙の逆転勝利を目指したものと考えられます。エプシュタイン文書の暴露などで支持基盤の分解の不安もあります。他の理由には石油利権や中・露排除なども指摘されます。いずれにしても帝国主義行動であり、ベネゼイラほか中南米諸国に対する植民地支配を進めてゆくものとみられ警戒が必要です。

■人民抑圧の「マドゥロなきマドゥロ体制」

 トランプ政権による奇襲攻撃で、ベネゼイラ国内はマドゥロ体制の延命と米国の地政学的思惑が複雑に絡み合い、国民の安全と生活を圧迫し続けています。ロドリゲス暫定大統領の登場は、一見するとマドゥロ後の新しい政治の幕開けのように見えます。しかし、その実態は「マドゥロなきマドゥロ体制」にほかならず、権力構造・治安機構・利権ネットワークは旧体制のまま温存されているのです。

暫定大統領のロドリゲスは、マドゥロ自身が副大統領に指名した人物であり、彼女の兄のホルヘ・ロドリゲスは国会議長(National Assemblyのトップ)を務めており、マドゥロ体制の主要人物で不正選挙や反政府運動の弾圧を支えてきた人物です。

 一方でロドリゲスは、トランプによって事実上「大統領に引き立てられ」たという呆れた人物です。トランプはロドリゲスを暫定指導者として支持する姿勢を公然と示しさらにトランプは「米国はロドリゲスと協力して移行政権を作る」と発言(Bloomberg)。事実、資源政策を米国の利益に沿う形で再編しつつあります。これは、ベネゼイラ国民の利益を守るどころか米国資本に国民的資源を引き渡す、植民地主義への危険な方向性と考えざるを得ません。

■米国の支配を代理するロドリゲス政権

 米国の軍事行動は看過できないものです。昨年秋以来、米国政府は証拠も裁判もないまま「麻薬密輸船」と断定した船舶を撃沈し、乗組員約200名を死亡させたとされます。また、今年始めの「マドゥロ捕獲作戦」では100名規模の死者が出たと報じられています。こうした軍事行動は、帝国主義の再来としか言いようのない重大な暴力です。にもかかわらず、米国政府はロドリゲス兄妹をトップに付けるという欺瞞により自国の影響力を強めようとしています。

 こうした米国の強硬行動に対し、反マドゥロ派の有力政治家であるマリア・コリナ・マチャドは米国批判を避けるどころか軍事行動を称賛し、トランプに「ノーベル平和賞」を譲り渡し媚びへつらっています。彼女は人権主義や民主主義者としての本性を欠いています。国民の生命が奪われ、人権が侵害されているにもかかわらず、それを批判できない政治家は、人民の代表としての正統性を持ち得ないでしよう。

 マチャドが米国に依存する背景には、反マドゥロ闘争を外部の力に頼らざるを得ないという政治戦略があります。しかし、この依存構造こそが国民の信頼を損なう最大の要因であるのです。米国の植民地主義を支持する政治家は、「米国の代理人」と見なされ、国民を守る闘いの象徴にはなり得ません。マチャドは自らリーダ―の資格を投げ捨てました。

 米国政府は、民主主義の実現よりも自国の利益を優先する。これは歴史的にも繰り返されてきた構造であり、トランプがロドリゲス体制を「利用」しようとする姿勢にも表れています。米国は、民主化を望んでいるわけではなく、資源と地政学的安全を確保できる政権であれば独裁的であっても容認する傾向があります。デタラメな民主政治家マチャドですら許さないのがトランプなのです。この現実を直視しなければなりません。

 いま必要なのは、トランプ米国にもロドリゲス体制にも依存しない、彼らと断固として闘うベネゼイラ人民自身の主体性を基盤とした新たな政権を目指す運動です。資源を米国オイルメジャーに奪われず、国民の貧困を緩和し不平等を改善し尊厳を守る政治こそが求められています。米国と石油資源をめぐり政治取引を通じて生誕したロドリゲス政権を打倒し、米国の影響力を排し、チャベス主義の欠点を克服しつつ真に人民のための民主的経済秩序を築くこと――それが、ベネゼイラの未来を切り開く唯一の道ではないかと考えます。

 (ベネゼイラ内部の階級闘争の分析には別掲の「崩壊国家ベネゼイラと帝国の侵略」をご参照ください。阿部文明)案内へ戻る

    
  崩壊国家ベネゼイラと帝国の侵略――「レント国家」から社会主義は生まれない

 米国のベネゼイラへの軍事侵攻が「国際法違反」であるばかりではなく帝国主義的暴力であることは明白です。「石油資源の奪還」「反米国家転覆」「露中の排除」・・・トランプの言い分はもちろん正当な理由になりません。むしろそれを批判しない高市政権(その他政治家)こそ、他国の軍事的蹂躙を容認することで侵略のお先棒を担ぐ人士だと判断すべきでしよう。

 中南米の「社会主義」に関心を持ってきた一人として、本稿では、腐敗しきった人民抑圧のマドゥロ独裁体制を批判的に検討し米国の軍事・政治介入という深刻な情勢下でベネゼイラの人民の前進の道を探索します。

■レント国家とポピュリズムに揺さぶられたベネゼイラ人民

 近代ベネゼイラについて語るとき「世界最大埋蔵量」の油田を所有するPDVSA(ベネゼイラ国営石油企業)について触れざるを得ません。資源ナショナリズムの波に乗って76年に米国オイルメジャーから油田経営(採掘、精製、輸送、販売)を引き継いだのがこの企業です。国際的需要の高まりもあってこの大企業が生み出す巨額利益は政権とエリートでもある石油関係者中心に分配され、それは貧困な大衆の怨嗟の的でした。

 そこで決起したのがチャベスでした。1999年の大統領選で当選し、大土地所有改革とともにPDVSAの「収益」を社会的再分配原資と位置付けたのです。しかし、国有経済と統制経済そして国有石油の利益の再分配による「社会主義」的変革は以下のような矛盾に満ちたものとなりました。

 独特なチャベス体制の成立からマドゥロ体制への移行(転落)を観るとき、「レンティア(レント)国家理論」のことを無視することは出来ません。

レントとは、石油という資源の所有(排他的支配)から生じる地代であり、 採掘・精製・販売という経営行為が生み出す企業利潤とは原理的に異なる経済概念です(実際は一体の「収益」として現れる)。20世紀のエネルギー革命を経てレントを含む「石油収益」は独占価格でありボロイ儲けなわけです。

■レント国家の特質

 ということで資源(例えば石油)の価格が堅調であれば、レント国家は一般的に軽い税負担で社会福祉・住民サービスなどが厚くなることが知られています。サウジアラビアのような例ではレントを含む巨額の収益により、国民は税負担が軽く(所得税無し)他方では他の産業や人材が育たず、租税の支払いの無い(少ない)分国民の政治参加意欲も低く、むしろ集権的国家体制の傾向があることで知られます。つまり莫大な財政を誇るレント国家は、財政の一部の国民バラマキで専制体制を容易に維持することができるのです。

 当然ながらレント地代は他部門の剰余価値の(利潤の)一部が流れ込んだものです。独占的レント、例えばPDVSA(ベネゼイラ国営石油企業)に属する油田が巨大であればあるほど、つまりレントとして吸い上げられる剰余価値が巨大であればあるほど、他の企業経営は薄利となり、産業は育ちにくく、非石油関係従業員は傾向的に低賃金におしこまれるベクトルを示します。だからレント国家において資源産業が強大になればなるほど、他の民間産業は(利潤の平均化が作動せず社会的剰余価値の振り分けが機能不全なので)育たず、劣悪な労働条件の企業しか生まれにくいという構造的な問題をはらみます(石油が国際商品であるから世界的な剰余価値の独占的吸い上げも生じます)。それは現代の「デジタルプラットフォームの独占体制」と原理的に類似したことです。少なくともベネゼイラはチャベス政権登場まではレント国家でした。

■チャベスが「レント国家」を利用しようとした自己矛盾

 チャベスは、「石油は国民のものだ」として石油収入(レントを含む)を国家が広く国民に分配し石油利益の大衆化を図ったのです(その意図は素晴らしい)が、レント国家体制を変革するのではなくその体制を掌握し利用することで実現しようとしました。つまり、PDVSAを政権が直接掌握し「収益」を政府の政治判断で社会的再分配の原資として組み込みました。チャベス主義の自己矛盾がここにあります。

 社会的剰余価値は相も変わらず石油の所有権に(独占利潤として)集約され、国家統制経済もあいまって民間の他の産業は低迷しました。さらにチャベスの急進的「社会主義革命」は進行し、このような政府の政策に反対しゼネストに決起したPDVSAの四万人の労働者(専門職や技術者労働者=当時は社会エリートであった)に反撃し、そのうち一万八千人を解雇したのでした。

チャベス政権はPDVSAの収益を政府の「財布」としてとして自由に政権支持基盤の貧困な国民に分配し、他方では石油産業システムを結果として弱体化させたのでした。PDVSAとベネゼイラの転落はこうして始まるのです。政治的急進性により社会の分断を必要以上に先鋭化させたこと、また極論すれば「独占レント」も石油をくみ上げて精製して運んで販売してこそ獲得できるという事実を無視した結果です。レント産業は巨大であればあるほど本来は一定範囲に制限すべきなのです。

 不運は重なり国際石油価格の低落の時代(08年、14~16年)つまりチャベス・マドゥロ時代には、このような石油一本足打法のレント国家は行き詰まるのです。

■政権の腐敗は早かった

 このようにチャベスの大衆救済諸政策(それは国民的熱狂で迎えられた)が早晩行き詰まると軍人と政府要人・家族支配(縁故主義)はたちまち広がり腐敗し反人民的性格をむき出しにしたのでした。もはや石油収益の分配組織としての国家は腐れ果て、権力者は石油収益を政治的忠誠の購入代として配り、自己防御のために官僚・軍・支持層への配分に使うものとなります。これでは石油産業ですら再生産の設備の更新が不十分となり、いわんや非資源部門は育たないし労働市場は歪むし、格差と貧困が固定されてしまいます。相変わらず貧困な国民は一層政府による分配政策に頼ることになります・・・。ここでは述べませんが、サウジアラビアが既存支配階層を維持しながら進める「脱レント国家戦略」とは対照的です。

 人口の三割に近い国外流出者たちはマドゥロ政権下での軍隊、新支配者や政権の縁故の特権者に強い怒りを持っています。国内でもマドゥロ=革命の堕落形態と見る労組や左派が増えていると聞きます。

■チャベスの「社会主義」とマルクス

 チャベスの「21世紀の社会主義」は、結果として資源の国家所有・開発による分配政策、つまり急進的なポピュリズムでした。しかし、次のような反論がありうると思います。21世紀の社会主義をチャベスは展望していた、決して分配ばかりではない、と。事実、コミュナ(住民自治組織)による「自治運営能力」は育ちつつあったし、一部の地域では、地域計画の策定、道路・給水などの公共事業の住民管理、地域生産の組織化(農業協同組織)など、新しい“人民管理システム”が実際に機能し始めた例もありました。識字・教育アクセスの改善や医療と住宅の大規模投入もありましたが、それも「石油レント」の分配に支えられた短期的成果にとどまったのでした。しかし、マクロ的な経済・社会組織は前進よりも後退していたのであり、むしろそこから学ぶべきだと考えています。

 マルクスの言うように「分配は所有の結果」でしかありません。「分配関係は、生産関係そのものによって規定される。分配は、所有関係の結果である」マルクスが『ゴータ綱領批判』でラッサール派が「分配問題」を中心に据えたことを批判して述べたものです。

 労働大衆による経済資産の管理運営の前進により開かれる産業の合理的再編と再生産の健全化が実行され、それに基づく社会的分配という、持続的で社会の根底を巻き込む大循環は姿を現すことはありませんでした。

レント国家を利用して莫大な石油収益を「社会主義的分配」に移行させ、それをテコとして社会変革を試みるのは論理的だけではなく現実に不合理なことが示されたのです。すでに述べたようにチャベス主義の理念は良いとしても政治急進主義であり、前進する前に石油産業を支える高度な技術者を「反対派」として追放し(専門家、技術者の海外流出)、チャベス路線はその時点ですでに大きく躓きました。

 後継のマドゥロは権力維持のためのポピュリズム対応にとどまり大衆の政治的買収としての財政バラマキを続けましたが、この財源は勿論石油であったがもはや足りずに紙幣の乱発でハイパーインフレとなります。問題の核心は人々が産業を掌握し運営し維持することに成功しなかったことです。(阿部文明)


  なんでも紹介 書評 大垣警察市民監視事件-「もの言う」自由を手放さないために-「もの言う」自由を守る会(編

 今年のワーカーズ1月号で大垣警察監視事件を紹介しました。その裁判闘争を原告として担われた近藤ゆり子さんを昨年11月、西宮に講師として招きました。その際、持参された書物が事件に至った経過、裁判記録、原告の陳述など、まさに市民運動が社会に「もの言う」ことの正当性を明らかにするという貴重なものでした。この書を手にすれば、いかに公安警察が開発業者と結託し情報を交換していたか、無かったはずの両者の議事録も公開され、画期的判決と言われるべき内容を共有することが出来ることでしょう。

●この事件がなぜ起こったのか?

 2005年頃から、中部電力子会社のシーテック社により巨大な風力発電施設計画が進められていたのです。その後、ようやくシーテック社による地元説明会が行われたのが2012年11月。16基もの風車による自然破壊と健康被害を危惧した地元住民は、2013年6月に勉強会を始めました。ところが2014年7月24日、朝日新聞スクープで事態は一変。勉強会を開いた地元住民2名、脱原発運動や平和運動していた大垣住民2名の個人情報と、地域の運動を担っている法律事務所(ぎふコラボ)に関する情報を大垣警察署が事業者に提供していたことが発覚しました。1週間後には、岐阜県警、岐阜公安委員会に抗議要請をし、個人情報開示請求も合わせて行っています。その情報、意見交換「記事録」(P66~68)は2015年3月、裁判所への証拠保全手続きでやっと入手、市民運動を敵視し事業者を煽ることで、警察に協力を求める様が赤裸々に記録されています。
 
●国家賠償請求と個人情報抹消請求

 2016年12月、個人情報を漏洩された4名の当事者により岐阜県に対し、国家賠償請求を提訴。2018年1月、岐阜県と国(警察庁)に対し個人情報抹消請求を追加提訴。2021年6月には原告4名の本人尋問が行われたのですが、本書P99~148までの陳述書を読めばそれぞれの市民運動の苦労と成果が伝わってきます。「ふるさとの自然とひとを守るため」と、地元の農業短期大学を出て養鶏業に就き、ゴルフ場建設に反対し町会議員を経験、風力発電説明会の中心を担う男性。「『いのち』をまもるために」は、真宗僧侶としてゴルフ場建設に反対し、宗教者としての平和運動も担い、風力発電反対にも参加の男性。「憲法実現への『不断の努力』」は、冒頭に紹介した近藤ゆり子さん。60年安保で東大闘争を経験され、脱原発、オンブズ活動にも多岐にわたる活動家。「公安は、すべての人の人権を侵害した」は、「ぎふコラボ」で働きクレジット・サラ金被害問題、外国人労働問題、元日本軍慰安婦の体験談の聞き取りなどを支援活動を担う女性。原告の皆さんと一度会って話を聞きたい、そんな思いがつのってきます。

●名古屋高裁判決確定
 画期的判決を活かし広めよう

 2024年9月13日、控訴審判決。10月2日、岐阜県が上告断念。名古屋高裁判決が確定。名古屋地裁では情報提供のみ違法としたが、高裁では情報収集も違法が認められ、違法に収集した情報抹消を命じました。しかも市民運動を積極的に評価、奨励までしています。井戸謙一弁護士の判決文の感想は「市民運動に対するシンパシーを隠さない。・・・市民運動に対する評価の部分は余分な記載である」「日常的に市民運動を敵視して、情報収集や介入などを繰り返している警備公安警察のあり方自体に対して警笛をならすことを意図しているように窺える。」(P2~3)

 名古屋高裁判決全文は、P24~65と詳細ですが、近藤さんによると普通の人が「読んで楽しい」そうです。詳しい事実認定を行うことでそこから「争点」の判断を導く意図があるとの様です。

●名古屋白龍町DNA等抹消事件

 この事件では2024年8月(大垣事件は9月)に名古屋高裁民事部2部が、警察と市民プライバシー権に関係する画期的判決を出し、そのいずれも敗訴した警察庁と岐阜県警が上告を断念し確定。この2つの事件の代理人をされた、中谷雄二弁護士がその判決の内容と意義について書かれている。(P149~172)名古屋白龍町DNA等抹消事件は、住民のリーダが逮捕されるまで、住民らは、まさか、警察が住民の反対運動を警戒しているなど夢にも思わなかったという。刑事事件の中で警察と建築会社が、本件逮捕までに十数回のやりとりがされていたことが開示された証拠から判明したという。「つまり、企業の事業を住民が反対した時には、警察は、事業者である企業の事業継続が正当で、それを妨害する住民運動こそ警戒すべき、平穏な市内の秩序を乱す可能性のある監視対象だったということなのである。」

 白龍事件は、2015年10月、白龍町に高層15建てのマンション計画が持ち込まれ、小学校通学路であるところを大型車両が通行することで反対運動が展開。業者が工事妨害禁止等調停を申し立てるなど法的な紛争となる。リーダの奥田氏は、監視活動を続け工事現場付近で抗議活動していたら、「傷害」事件として逮捕、14日間の拘留となった。詳しい経過は省きますが、現場監督の証言が防犯カメラから矛盾が判明、被害者の証言には「合理的疑いが残る」という理由で、無罪が言い渡された。奥田氏は国賠訴訟を提訴、「事件前の自分を返して欲しい」と、逮捕により採取されたDNA型データ、指紋、顔写真のデータ抹消、携帯電話のデータ抹消なども請求。2022年1月の地裁判決では、データ抹消は認めたが、損害賠償は認めなかった。そして、国が控訴、高裁判決に持ち越された。

●今後の課題として

 先に紹介した白龍町事件での高裁判決では、データ抹消を命じ、虚偽告訴と断じました。データ抹消では「わが国においても、取得や保有の要件を明確にし、捜査機関から独立した公平な第三者機関による実効性のある監督や、罰則等による運用の適正を確保し、開示請求権や不当な取得や保有に関する抹消請求権を定めるなど、幅広い知見を集めた上、国民的理解の下に、科学的な犯罪捜査等に資するため、憲法の趣旨に沿った立法による整備が行われることが強く望まれるところである。」と、立法化措置まで具体的に命じています。「傷害」事件に関しても、検察官が有罪証拠として提出した証拠が矛盾に満ちており、信用できないと退けています。

 個人情報・DNA等データ抹消に関する法制化が急がれるのは、冤罪事件を発生させないためにも通じるものです。今、再審制度を見直す働きかけが続いています。「もの言う」自由の実践は、それぞれの勇気ある行動と良識が求められます。社会の変革を始めよう。(折口恵子)案内へ戻る


  ドル基軸通貨体制の動揺は「世界貨幣=金」をもたらすのか? ――松石勝彦氏の飛躍と混迷

 去年ある政党の主催する『資本論』読書会に参加した。講師をしたのが大学の教授であるが、いろいろと議論になり、納得できないのでその争点について整理しここに記してみたいと思う。この講師が論拠として持ち出したのが「恩師」松石勝彦氏の本である。そこでこの本を取り上げてみたい。

■「金は依然として世界貨幣」なのか

 松石氏は、現代の国際通貨制度について、「・・・依然、世界貨幣は金である」「国際決済の最終手段は依然として金である」「世界貨幣は金であるからこそ各国は金を大量に保有する」(『新版 現代経済学入門』青木書店2002年)と主張する。しかし、この立場には複数の理論的な混乱と歴史認識のずれがある。最大の問題は、金本位制(国際通貨は金)と不換通貨体制(ドルを基軸にユーロ・元等による補助的決済)を論理的かつ歴史的に区別しない点である。

■金(兌換)貨幣は国内外に存在しない

 第一に、金本位制とは「国内・外における通貨の金兌換」が制度的に実施されている体制を指す。この兌換こそが資本主義的信用体系の「最後の支払能力」を保証する仕組みであり、貨幣価値が「金の数量」という物質的基礎によって裏付けられる根本であった。ところが、現代ではいずれの国でも金兌換は廃止されており、国内通貨が金として支払われるということはない。マルクスが『資本論』(第一巻)で金を世界貨幣だと書いたのは、当時の通貨は金との兌換性があり、金こそ貨幣であり価値尺度機能があり、流通手段、蓄蔵手段、支払い手段そして海外でも唯一の「世界貨幣」として機能することを論じたのだ。

 したがって、「金こそ真の世界通貨である」という主張は、金貨幣(兌換貨幣)が社会的に生きていない現代の決定的事実を無視している。繰り返すが、マルクスが『資本論』で金を世界貨幣として論じたのは、実際に貨幣が金そのものであった19世紀における、歴史分析に基づく議論である。金の「国際性」は、各国が国内で金貨を定立し、その延長で国際決済においても(法貨形態を投げ捨てて)金が普遍的支払手段として機能した点にある。

 松石氏は、マルクスに対する非歴史的理解と金に対する幻想にとらわれている。現代では金には貨幣機能が無く、ゆえに世界貨幣でもありえない。ただの金塊であり、価値物であり、信頼度の高い資産であるだけだ。

 第二に、松石氏は、中央銀行が金を保有する事実をもって金貨幣の持続性を主張する。しかし、現代の金保有は、金本位制復活を意図したものではない。むしろ、不換通貨体制に特有の信用不安に対する「価値保存手段」の一つにすぎない。各国は外貨準備としてドル国債を大量に保有しており、国際決済の大部分は銀行間信用とドル清算ネットワークで行われる。金の役割は補助的であり、これをもって「世界貨幣=金」と規定するのは因果の取り違えである。

■「世界貨幣の喪失」こそ現代資本主義の特質

 むしろ問題は逆である。不換通貨体制(例えばドル基軸通貨体制)では、真の意味での世界貨幣が存在せず、物質的制約(例えば金)が存在しないため、信用の国際体系が絶えず不安定化するという点である。もう一度言おう。繰り返される現代の深刻な国際信用の動揺は「世界貨幣が存在しない」ことにあるのだ。マルクスの科学性はそこに明らかなのだ。

 ブレトンウッズ体制が金兌換を米国政府のみに限定したのも、まさに金本位制が維持不能だったからである。そしてこの制度は、米国の対外赤字拡大(トリフィンのジレンマ)によって破綻し、1971年にニクソン・ショックによって完全な不換通貨体制へ移行した。

 マルクス的立場から見れば、ここで問われるべきは「国際信用制度の不安定さは何に起因するのか」という点である。答えは簡単である。世界市場における価値尺度としての“物質的基軸”が消滅したため、信用体系が国家間の力関係や覇権、政治リスクに左右され、国民通貨は無秩序に下落し構造的動揺が避けられなくなったのである。これは金への回帰を意味しない。むしろ、マルクスが示したのは、「金貨幣の欠如」そのものが信用貨幣体制の歴史的限界と矛盾を生み出すという洞察である。

■なぜ「金本位制」に戻れないのか?

 現代は「金本位制」ではなく、もちろん「金=世界貨幣」ではない。むしろ、真の世界貨幣の欠如ゆえに信用体制が絶えず揺れ動くという現代資本主義の矛盾こそが問題である。このことをあいまいにする松石氏の理屈はマルクスを学ぶ青年たちの毒にしかならないだろう。金への回帰幻想ではなく、この矛盾そのものを歴史的・構造的に把握することが求められているのである。

 現代資本主義は「金貨幣」あるいは「金本位制」への復帰が不可能であるのかを理解すべきである。それは、管理通貨制度が現代資本主主義にとって不可欠となっているからである。現代資本主義の社会・経済矛盾は甚だしく、日本の典型的な事例で分かるように国家財政は「拡大財政」「積極財政」によって火の車である。財政バラマキは階級矛盾の先鋭化を防いでいるのである。景気が悪ければ財政投入で公共事業を推進し、貧困や教育や社会福祉にもそれなりに色を付けて大衆の不満を慰撫しなければならないのである。成長率の鈍化やパンデミックに襲われて、財政は深刻な赤字であり、国債乱発が続く。先進国おいてその例外はないのである。それでどうして「金兌換」の通貨制度=金本位制に戻れるだろうか?マルクスは兌換制度の下で金保有に銀行信用券の発行を厳しく制限したピール条例(1844年)が、いかに経済恐慌を深刻化させたかを論じたのを想起してほしい。(B)


  AIバブルの真相➋ 【試論】生成AIの仕組みと人間の認識構造、そしてヘーゲル

■スケール・デメリットという特異な生成AIの構造

(❶からのつづき)かくしてエヌビディアの「ベンダー融資」は投資が投資を呼ぶ無限ループとなり、米国のGDPを押し上げ株価を膨らませてきましたが、すでに指摘したように生成AIの利用料金からの収益黒字化の裏打ちが無いのです。マイクロソフトやグーグルが提供するサービスは、世界中の何億人が使っても、追加コストはごくわずかだから(限界費用ゼロ)こそ、少数の企業が巨大な市場を支配する構造になりやすいのです。ところが生成AI(大言語モデル)は「検索エンジン」とは異なりスケールメリットが利かず逆に利用者が増大すればコストが上がる(スケール・デメリット)という構造を持っています。単なる照合=検索とは異なり各人の特殊具体的な問いに答えるにはより莫大な情報と推論が必要でありそれは「使い回し」ができません(「キャッシュが利かない」とIT用語で言う)。巨大投資に支えられる生成AIは、投資に見合った利益を出すのに悪戦苦闘しているのです。今回はその辺のことを書きます。

■AIは人の脳を模倣している

 なぜこのようになるのかといえば、生成AIは人間の脳を模倣しているからです。つまり技術的問題(近未来には技術的革新でクリアできる)と簡単に言えない深い問題があります。

 マルクスはヘーゲルに従って「(個別)具体的なものは、思考における多様な規定の総体である」(『経済学批判要綱』序論)と述べています。これには下降過程と言われる分析=抽象化と、反対に抽象から総合的・具体的認識に至る上向過程があり、その先にこそ「規定の総体」がありより十全な認識に至るという考えです。

 マルクスが、資本主義経済の雑多な現象(表象)を分析して「商品」という最も単純な規定に辿り着いたように、AIもまず学習段階で同じようなことを行います。雑然とした表象の入力が始まります。AIは最初に、インターネット上の膨大な、バラバラで無秩序なテキストデータを流し込まれます。これはまさに「雑然とした社会・経済・自然の表象」に近い状態です。分析と抽象化と言う段階に至り、AIはそれらのデータを解析し、背後にあるパターンやルールを抽出します。その過程のなかで例えば「価格」「労働」「時間」「価値」といった言葉がどのように規定され相互に結びついているか、その「本質的な特徴」だけを数値化(ベクトル化)して取り出し、さらに複雑に関係づけられ大言語モデル研究者の言う「言葉の地図(それぞれの言葉には強弱のある関連性やまとまりがあり、ヘーゲルならば「概念」というだろう)」を描きます。
・・・・・・・・・・・・・・
 さて私が「現代のギグワークを資本論で説明して」とグーグルAIのジェミニに質問します。そうするとすでに「資本論」や「デジタルプラットフォーム」を学習済みのAIから見れば「資本論のロジック」と「現代のギグワークの仕組み」という2つの離れた地図が存在することに注意が向けられます。推論の第一の役割は、この2つを論理的に接続することです。

 資本論の地図には「可変資本」「労働力の売買」「不変資本(スマホや自転車)」「剰余価値」などがあり、ギグワークの地図には「アプリ」「配達員」「アルゴリズム管理」「業務委託」などが濃淡や関連性の強弱を持て電気的に配置されています。

 推論プロセスにおいて、AIは「ギグワークにおけるスマホや自転車は、資本論で言うところの『労働手段』だが、資本家が提供しないという点で特殊だ」といった具合に、点と点(複数)を新しく結びつけるために新しい構造を作り出します(ここまで、ジェミニ自身による説明の要約)。

 このように学習済みのAIであっても、質問に応じて二つの高度な概念(言語の地図)をすり合わすための分析過程があり、資本主義というより巨大な「地図」の中で両者を首尾よく統合する複雑な過程が必要となります。マルクスが「具体的なもの(回答)は、多くの規定の総括である」と述べたように、AIもまた、抽象的な概念を組み合わせて、具体的な回答という「思考上の具体」を作り上げているのです。ですから、学習済みAIだからと言って回答が簡単にできるのではありません。まさに回答をその都度概念的レベルから分解し、再構成するという事をやるので電気代やGPUの消耗が激しいのです。

■脳(AI)は便利だがコスパが悪い

 人間の思考をまねた現代の生成AIは、学習過程のみならず、見てきたように学習済みであっても利用者の個別的「質問」に具体的に答えるために、大変なエネルギーとGPUを消耗するわけです。実は、人間の脳も体重の五%にすぎないのに、カロリーの二十%を消費します。コスパの悪い臓器です。これは偶然ではありません、AIは脳の働きを電気的に再現したものだからです。
 つまりAI投資とは新規投資に金がかかると言うばかりではなく、ランニングコストが高く、頻繁に利用されるほど値がかさむ(コスト低下にならない)というのが特徴なのです。

そのうえ中国などのロボット型AIとはことなり、大言語モデルとしての生成AIの推論はそれ自体生産物を作るわけではありません。現在米国のビックテックが競っている生成AI開発とは要するにサービス業ですから、ここもポイントになります。つまり、新価値を生みません(音楽や絵画生成も同じです)。AI事業は マルクス的な意味での「価値を生まない巨大不変資本」投資であり、資本主義に新たな矛盾を持ち込む存在という点が重要です。

2025年前半の統計によれば、データセンターや情報処理機器・ソフトウェアへの投資は米国GDPの約4%を占める規模であり、米国の民間国内総投資の約20%〜25%に達しているのです。

 そこで二つの問題が改めて提起されます。この巨大な固定資本を持つ非生産的な分野が「大成功」を収めた場合、米国の平均利潤を思い切り押し下げ、他の産業の労働の劣化が必然化しうること。もう一つはそもそもその前に生成AI自体の採算性の展望が挫折し、AI投資バブルが崩壊を始める可能性があることです。この二点を次回❸といたします。(続・阿部文明)案内へ戻る


  イスラエルはパレスチナへの攻撃をやめろ!

 国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は1月20日、東エルサレムにあるUNRWAの施設にイスラエル当局が強制的に立ち入り、重機で建物を破壊したと。UNRWAのラザリーニ事務局長は「国連機関やその施設に対する前例のない攻撃だ」と非難しました。

 イスラエル外務省の報道官は1月20日、施設を没収したと発表。「UNRWAはこの場所での活動をすでに停止し、職員や活動は一切なかった。イスラエル法および国際法の両方に準拠して行われた」と述べました。

 イスラエルによるUNRWA施設への破壊攻撃に対し、国連のグテーレス事務総長は1月20日、「イスラエル当局の行動を最も強い言葉で非難する」とする声明を報道官を通じて発表しました。グテーレス氏は声明で、解体作業をすぐに中止するとともに、遅滞なく復旧するようイスラエル政府に求めました。

 国連のハク副報道官によると、建物はUNRWAが1952年に当時のヨルダン政府から貸与された。1967年にイスラエルが東エルサレムを併合してからも、一貫してUNRWAが使用してきました。ハク氏は「イスラエルによる占領は国際司法裁判所により違法だと判断されている」と。イスラエル政府の「イスラエル法と国際法に準拠して行われた」とする主張については「事実ではない」と反論しました。

 またイスラエルは、パレスチナ自治区でのNGO活動取り消しを意味する登録拒否をしています。

 国際協力に取り組む日本のNGOのネットワークであるJANICは、イスラエル政府によるパレスチナ自治区ガザにおける国際NGO活動の取り消し方針に対し、人道支援の根幹を揺るがすとして揺断固反対しています。2025年12月30日イスラエル政府は国際NGOに対し、60日間の猶予期間後、ガザ地区およびヨルダン川西岸地区での活動を停止するよう通達しました。
 JANICの会員を含む37の国際NGOは、これまでパレスチナ地域において、食料支援、給水支援、医療・保健支援、栄養支援などの救命活動や生計向上支援などに取り組んできました。長引く危機的状況下において、国際機関や関係政府だけではなく、NGOによる活動も人々の命を救い、生活の再建に向けて重要です。

 昨年12月30日には、日本政府を含む10か国がガザにおける人道対応の強化を求める書簡を発表し、登録拒否が医療を含む必須サービスへのアクセスに深刻な影響を及ぼすこと、国際NGOの活動停止によりガザ地区の医療施設の3分の1が閉鎖に追い込まれること、国際NGOは人道支援において不可欠な存在であり、国連やパレスチナ組織と連携し、パレスチナ全域で年間約10億ドルの支援を共同で提供していること、国際NGOの活動能力を阻害しようとするいかなる試みも容認できないこと、などが述べられています。

 ガザおよびヨルダン川西岸地区において人道危機が深刻化する中、国際NGOの活動を制限・阻害するいかなる措置も、人々の生命と尊厳を脅かすものであり、決して容認されるべきではありません。イスラエル政府は、国際人道法および国際社会からの要請を踏まえ、国際NGOの不可欠な役割を認識し、登録拒否の手続きを直ちに停止すべきです。(河野)


  読者からの手紙 中部電力浜岡原発ー加速する「原発回帰」政策に同調した「基準地振動」のねつ造と改ざん

 中部電力が浜岡原発(静岡県)で想定する最大の地震の揺れ「基準地震動」に関わるデータを不正に操作し、原子力規制委員会はこのねつ造されたデータを元に「基準地震動」にたいして「おおむね妥当」と評価していたが、内部告発によってデータのねつ造と改ざんが明らかとなり、原子力規制委員会は「審査データの捏造(ねつぞう)」と判断し、再稼働に向けた審査を白紙に戻した。

規制基準に合わされた「基準地震動」値

 東京電力福島第一原発事故後、2011年の原発事故の教訓から、原発の安全性の基準は大幅に厳しくなった。翌年、原子力規制委員会が発足。新規制基準をつくり、地震や津波などの自然災害への備えを強化し、福島第一原発で起きた炉心溶融のような過酷事故への対策を求めて、13年に施行されてきている。

 東京電力福島第一原発事故を教訓に原発の新規制基準が設けられ、それまでの原発設置や再稼働に向けての厳しい地震や津波対策が求められているが、中部電力は原発再稼働について2014年に4号機、15年に3号機の審査を申請、その申請過程で、原発の耐震設定のもととなる「基準地震動」について再稼働に見合う都合の良い数値を宛てていたというのだ。「基準地震動」の「過小評価」とマスコミ等はごまかしているが、これは明らかに再稼働へのごまかしでありねつ造とも言えるものである。

 浜岡原発は、南海トラフ巨大地震の震源域にある。マグニチュード9級の地震が想定され、他の原発より厳しい地震や津波の対策が求められる地域にある。規制委の地震が専門の山岡耕春委員が「南海トラフ地震の震源域の直上であり、国民の地震動に関する関心がおそらく最も高い地域」と述べ、特別な地域であることを強調したが、中部電力は、南海トラフ地震や御前崎沖に沈みこむ海洋プレート内地震、内陸の断層などの五つの地震を想定して、敷地に伝わる揺れを計算した。その原発の周辺で想定する様々な地震のデータを示し、規制委が資料や調査を通して確認し、19年の審査会合では、それぞれの断層について20の地震波の平均に最も近い地震波を「代表波」としたと説明したが、規制委はこの時点ではこの説明を鵜呑みにしーねつ造を見抜けずー23年、基準地震動を「おおむね妥当」と評価した。しかし、実際には、①20の地震波のセットを多数作って都合の良いものを選んでいた。ほか、②18年ごろからは数千の地震波から恣意(しい)的に「代表波」を選んでいたのであり、代表に選んだ波が平均に最も近くなるよう、他の19の波を選んでデータを操作する悪質な手口であることが中部電力内の内部告発で明らかにされたというのだ。

見抜けなかった安全審査

 山岡委員は「研究不正に例えると、捏造または改ざんに当たる」 規制委の審査担当者は「非常に大きなもの(地震波)が取り除かれたうえで作成された可能性がある」と指摘。規制委の山中伸介委員長は「明らかにねつ造。安全規制に対する暴挙だ」と批判し審査を白紙にする考えを示しているが、他の電力会社が同様な不正を行っていないかは「審査・検査のなかで類委不正の兆候が無い」として調査しない方針を示している。

 そもそも震災後にできた規制基準はそれまでの「想定内」より「安全性」は高まったものの、原発を「規制」と言うより原発を使うための新基準なのだから、原子力規制委員会は政府の「原発回帰」再稼働の推進に歯止めをかけるどころかそれらを容認する機関であり、電力会社と規制委との同調さえ発生し、電力側も設定された新基準に会わせたデータを提出し再稼働への許可を得ようとする一種の「馴れ合い」がそうさせたとみるべきだろう。

強まる「原発回帰」再稼働ありきを見逃してはならない。

 震災直後の政権内には、野田佳彦政権は「30年代に原発ゼロ」を打ち出し、第2次安倍晋三政権も、再稼働は進めたが、エネルギー基本計画(エネ基)で掲げた「依存度を可能な限り低減する」との脱原発の旗は降ろさなかったが、ウクライナ危機以降の電気代の高騰やAIの普及による将来の電力不足への懸念から、原発を求める声が高まって、昨年2月に閣議決定した新しいエネ基で、「依存度低減」の文言を削り、「最大限活用」すると宣言。

 こうした流れの中で原発再稼働に向けてのデータねつ造改ざん事件。原発の安全性については(今日人類は核を完全に制御できていない)規制委の審査を通っても、最低限必要な基準を満たしているというだけだ。事故が起きる確率は小さくできても、ゼロにはならないのだから、企業任せだけではなく社会全体で監視・監督してゆかねばならない。(M〉案内へ戻る


  コラムの窓・・・生き延びた治安維持法!

 2026年の年明けは、まだひと月しか経たないのにどうしようもなく悲惨な日々となっています。治安維持法100年となった昨年、スパイ防止法が取りざたされるようになったことも偶然ではないようです。

 荻野富士夫「検証治安維持法」(平凡社新書)は時宜にかなった書であり、国内だけではなく、植民地朝鮮・台湾、さらに満州で猛威を振るった事実を暴いています。「なぜ『法の暴力』が蔓延したのか」と問い、法はその誕生からすでに目指された目標に向かって暴走するとの結論に至っています。

 私たちは小林多喜二が拷問によって殺された事実、尹東柱が獄死した事実、敗戦後に三木清が獄死した事実などを知っています。しかし、それだけでは治安維持法の本当の姿を知っているとは言えません。

 よく知られているのは、「取り調べにあたる警官たちが、だれかれの見さかいなしに、貴様らの一人や二人ころしてもかまわないのだと公言していたことも、3・15事件いらいの日常茶飯事であった」という事実。「全身数ヶ所の傷を負い、肩や頭は異常に腫れ上がり、着物はズタズタに裂けた状態」の被告が予審に現れても、拷問はなかったことにされるのです。

 植民地下朝鮮では、国内での共産主義や私有財産制度否認に民族独立に対する弾圧が加わりました。「児童らに独立思想を注入するほか、一般民に対しては無窮花(朝鮮を象徴する花)の栽培を奨励するなど、民族意識の昂揚にあたった」と、花まで憎み疑惑をぶつけています。

 間島5・30事件(1930年)では、「我国の施政に反対し、朝鮮の赤化及独立を図るが如きは、自ら天与の福祉を抛棄するのみならず、・・・」なんて、〝天与の福祉〟って何でしょう。思うに、それは天皇制の恩寵とでもいう噴飯物の毒入り饅頭でもあるのだろう。この事件では、22人に死刑判決が下されました。

 植民地下台湾ではどうだったか、1898年の「匪徒刑罰令」によって1902年までに、「捕縛若は護送の際抵抗せし為」に5673人、「判決に因る死刑」2998人、討伐隊の手に依るもの」3276人、殺して、殺して、殺して、殺して、殺しつくしました。1930年代の治安維持法の運用は、「民族的偏見を固執し、又は詭激なる思想に汚染して治安を乱すが如き者に対してはこれが排除に呵責なきを要す」とあります。

 満州では1932年、「暫行懲治叛徒法」と「暫行懲治盗匪法」が公布され、軍隊及び警察隊では「盗匪を剿討粛清するに当たりては臨陣格殺し得る」と、その場での射殺・惨殺処分を合法化しました。

「荒縄で後手とされ、既に顔面に血を流した人々が留置場に、倉庫に、厩舎に投入監禁され、共産党なるがゆえに日頃よりさらに強度な水攻め、火責め、棍棒殴打の拷問に苦痛の悲鳴と泣き声、反抗の怒声は憲兵の尋問のダミ声と入り混じってあたりを覆い、街ち行く人の耳を覆った」

 こうして半数が拷問死する程となるが、さらに「特移扱」として731部隊送りが加わりました。それにしても、このような鬼畜にも劣る行為はどのようにしてなし得るのか、赴任すると78円の給与が450円に跳ね上がった裁判所書記官の事例が紹介されています。また、「日本の国の法律に従って裁判検察の職務を執ったわれわれの行為は戦争犯罪を構成せぬ」(田中魁)と言い放つものもいます。

 ところで、荻野さんは治安維持法の源泉は「国体」であるとし、「我が帝国は論ずるまでもなく万世一系の天皇の統治せらる処の君主国体」であり、「統治権の総覧者たる天皇の絶対性に変更の色彩あるものは総て国体を変革せんとするものなり」という言葉を引用しています。終章の「戦後治安体制の速やかな復活」では、「政府・為政者層における社会運動に抑圧と民衆の監視についての認識は、8・15の敗戦と10・4の『人権指令』(GHQが発した覚書)という衝撃にもかかわらず、微動だにしなかった」と指摘しています。

 10月15日の治安維持法などの廃止からわずか3日後、政府は「終戦後共産主義者、朝鮮人、華人労務者等の集会、大衆示威運動等頻々として行われ、その間常軌を逸脱し、不法行為に出で安然秩序を攪乱したる・・・」として、「大衆運動の取締に関する件」を閣議決定しています。公職追放から復権では、思想検事の代表格であった池田克が最高裁判事に、清原邦一・井本台吉は検事総長に、公職追放にはならなかった岡原昌男は最高裁長官に、竹内寿平・布施健は検事総長に、吉川光貞・川口幸太郎は公安調査庁長官に、とまあ実に恐るべき人事継承です。

 引用ばかりで長くなってしまって恐縮ですが、最後に結論を。「『戦前』の総力戦体制は、ごく簡単にいえば治安維持法の膨張的運用による戦争遂行に障害があるとみなしたものの抑圧取締と、『教学刷新』から『教学錬成』へ、『八紘一宇』・『思想戦』の旋風などの国民を戦争に駆り立てる『国体』に発する魔力によって成り立っていた」
 さて、2026年の日本にどのような「国体」が立ち上がろうとしているのでしょうか、憂鬱な2月が始まりました。 (晴)


  色鉛筆・・・4月から始まる「子育て支援金」は増税だ 「こども誰でも通園制度」は問題だらけ

 少子化が進む中、政府はさまざまな子ども・子育て支援策を打ち出してきた。その財源の一部となるのが「子ども・子育て支援金」。医療保険と合わせて独身の人も高齢の人も全世代が負担するという新制度で来年度の4月から徴収が始まる。

 この制度を打ち出したのは「異次元の少子化対策」と岸田元首相が2023年、鼻高々に唱えていた。若年人口が急減する2030年代に入るまでが「少子化傾向を反転できるラストチャンス」とする政府は「子ども未来戦略」を23年末に決定し給付を始めている。だが2025年の出生数は約66万8千人、過去最少で減少傾向に歯止めはかかっていない。成果が出ていないのは目新しい政策は何もなく、すでにあるものを拡充しただけで出産後の子育て支援ばかりなのだ。それよりも若者達の所得を増やして雇用を安定するような政策が少子化対策になると思うのだが政府はやろうとしない。

「子ども未来戦略」の予算規模は年3・6兆円 。財源は大きく三つ。一つは医療や介護にかかる社会保障の歳出改革で1・1兆円、既定予算の活用で1・5兆円、1兆円を医療保険料と合わせて集める「支援金」でまかなうというのだ。問題だらけの財源で、一つ目の社会保障は今でも少ないのに削減されれば医療・年金・介護の見直しがされてしまう。三つ目の支援金の総額は26年度に6千億円、27年度に8千億円、28年度に1兆円と段階的に引き上げていくという。(表参照)1兆円に達する28年度の加入者1人あたりの月額は450円。これは事実上の増税で私たちに負担を押しつけている。政府は「実質的な負担は生じない」と説明しているが医療保険料と一緒に徴収されてしまうのだから拒否をすることもできない。一方で防衛費だけは増え続け、二六年度は過去最大な9兆353億円というのだからびっくりする。9兆円あるなら子ども、高齢者、障害ある人など、私たちが安心して日々を送れるようになるのだが・・・ 予算の使い方で私たちの暮らしは良くなるはずだ。

 そして、支援金の使い道は児童手当の拡充のほか、妊産婦への10万円相当支給・夫婦で育休取得時に手取り10割相当に引き上げる給付・保護者が働いていなくても一定時間保育所を利用できる「こども誰でも通園制度」(保育所に通っていない0歳6ヶ月~3歳未満の子どもが通える)を導入(26年度から)などだ。この中で保育士として働く私は、「こども誰でも通園制度」が現場の保育士不足からの事故、不適切保育、保育士の過重労働等様々な問題が起こるのではないかと心配になる。

 すると保育雑誌の「ちいさいなかま11月号」に2024年度に「こども誰でも通園制度」の試行的事業をを行った公立保育所の報告があった。実施方法は週3日(火・水・木)午前9時~午後5時、専用室で受け入れ、事業の担当者として非正規職員を2人配置。この方法で始めたところ、毎日、時間によって入れ替わる乳児の子どもを受け入れて保育するだけでも大変なのに利用する保護者と、短時間で信頼関係をつくり子育ての相談にも応じることも求められ、給食中・午睡中に事故が起こらないように細心の注意が必要だったという。また民間の保育所では担当者を置かずクラスで受け入れる方法で試行事業を行ったが、通常の保育を行いながら利用者の受け入れを行うことは現場にとって大きな負担になったようで「子どもを預かるということは、国が考えているほど簡単なことではない」と訴えている。保育は子守りではなく子どもの命を守って、健やかに成長していくように全国の保育士達が日々奮闘しているのだ。

 以前より保護者の仕事・病気・出産・冠婚葬祭・や育児疲れなど、家庭での保育が一時的に困難になった際に子どもを預かる一時保育の制度がある。報告の中にこの一時保育と「こども誰でも通園制度」の違いは、手続きや料金が若干違う以外はなく、余裕のない保育現場に新たな事業を導入してさらなる負担を強いるのではなく、今ある一時保育を充実させて利用要件の変更や実施所数を増やせばよいのではないかと。「こども誰でも通園制度」というのであれば、希望すればいつでも保育施設に入所できるように、根本的に保育制度を変えれば良いのではないか、そうすれば安心して子どもを産み育てられ一番の子育て支援になると。全くその通りでもっと現場の声を聞いて支援策を打ち出すべきだ。

 すると突然に衆議院が解散され衆院選になり、1回の国政選挙に700億円かかるというのだから驚く。なんともったいない700億円を捨てるようなものだ。自民党の権力基盤を強化したいなら私たちの税金を使わないで自分達の政治資金を使えばいいのだ。その後、選挙費用が物価高で850億円かかるというのだからまたまた驚く。こんなにも無駄なお金を使う高市首相はじめ自民維新の連立政権に泡を食わせる選挙にしたい。(美)

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