トピックス 2006.8.15.
8月15日に靖国問題を問う・「ヒロヒトの御託と小泉の膏薬」
玉音放送が流れた日から61年が過ぎた。この国はしかし、この61年間、何をしてきたのか。朝鮮民主主義人民共和国のミサイル試射に対する過剰反応やこの間のヤスクニ騒動を見ていると、主流をなす国民意識は何も変わっていないように思える。
今日、小泉首相は最後の公約実行と称して靖国神社に参拝した。沸き起こる批判を横目に、さらに屍となっても国民意識を覆わんとするヒロヒトの御言葉≠ェ担ぎ出されるなかで、小泉は靖国参拝を強行した。尤も、この間の過熱報道に煽られて、小泉にはもう他の選択肢はなかったのだが。
しかし、この公約の実行には、別の意図があるのではないか。小泉が靖国神社に貼り付けた膏薬の下には、何かが隠されている。それは、小泉が表面では無視して見せた、ヒロヒトの御託宣で指弾されたA級戦犯の合祀問題である。この問題はすでに、マスコミや国民意識も分祀≠ナ決着がつこうとしている。これに異論を唱えているのは、8月15日参拝を公然と要求していた産経新聞と極反動派くらいだろう。
ところで分祀≠ニは何か。靖国神社の見解では「神道では分祀しても元の神社に祭神が残り、特定の霊のみを廃祀することは不可能」ということだ。つまり、分祀≠ネど何の意味もなく、ただ表面を取り繕うものに過ぎない。しかも、これによってアキヒトの参拝も可能となるのだから、願ったり叶ったりだ。
8月11日、こうしたヒロヒトの御託や小泉の膏薬に反撃する、靖国神社合祀取り消し訴訟が大阪地裁に起こされた。この裁判は、あの侵略戦争の最高責任者ヒロヒトの御託をありがたがる連中と、アキヒトの靖国参拝を策謀する連中の望む、A級戦犯分祀≠ノよるヤスクニの延命をぶっ飛ばすものである。靖国神社という構造を解体し、国家に命を捧げるなどという時代錯誤を、永遠に葬り去らなければならない。
(折口晴夫)
己を知らぬ田中前長野県知事の敗北
地滑り的敗北
八月六日、任期満了に伴う長野県知事選は、即日開票の結果、無所属新人で元衆院議員の村井氏が、無所属現職で三選を目指した田中氏を破って初当選した。田中県政誕生以来六年余続く対立構図上の選挙戦となり、田中県政の刷新を訴えた政界を引退した格好だった郵政民営化造反派の村井氏は、田中フィーバーが急速にさめたため、結果的に多くの県議や首長らの支援を受け、有権者の幅広い支持を獲得したのである。
今回の選挙の有効投票数に占める得票率は、村井氏五三・四二%、田中氏四六・五八%で、県内市町村別に得票を見ると、村井氏は八一市町村中長野市松本市など一三市を含む六一市町村で田中氏の得票を上回った。まさに予想外の田中氏の地滑り的敗北ではあった。
得票数は村井氏約六一万三千票、田中氏約五三万四千票で、投票率は六五・九八%と前回二〇〇二年の知事不信任に伴う出直し選(七三・七八%)を七・八0ポイントも下回った。二つの選挙での得票の移り変わりを比較すると前回の出直し選挙の結果では、田中氏八二万票、対立候補四0万票であった。十万票単位でおおざっぱに言えば、田中氏は前回から三十万票減らし、そのうちの二十万票が対立候補に流れ、十万票余が棄権したことになる。このことは、前回は田中支持だった三十万票が、今回の選挙では二期六年の田中県政下で生活した実体験から、田中氏に失望し離反したことを雄弁に語っているのである。
田中氏の敗因は己を知らぬこと
田中氏の敗北は、端的に言えば、二期六年の間田中氏を一方的に押し上げた無党派層のかなりの部分が、田中県政の本質を、実はパフォーマンス優先によるトップダウン型の独裁政治と表裏のものであったことを見抜き、「県政の混乱」と不可分のこの手法に対して何の反省もない田中氏に失望して、今回は村井氏に投票したり棄権に回ったためである。
しかし、現職の知事でありながら新党日本の代表に就任したにもかかわらず、この選挙に無所属で立候補した厚顔無恥の田中氏は、自らの支持層の変化を知る由もない。ここは謙虚に自らの政治手法を反省し、新党日本の代表として日本政権構想と今後の長野県政のあり方が問われていたのだ。この意味で田中氏は今後「日本の田中」となるべく、自らの努力で、一皮も二皮も剥けなければならなかった。言い換えれば、田中氏は、自らの戦略と戦術の見直しを図り、長野県の有権者に対しては、単に県知事選挙に勝つだけではなく、新党日本の代表として、日本政権戦略を語っていかなければならなかったのである。
しかし、県政改革の革新でなく継続を強調したことでも明らかなように、彼には何の反省も自己脱皮もできていなかった。新党日本の代表が長野県知事選挙を闘うとは何かが全く認識できていなかった。その結果、代表を務める新党日本や後援会・各地の勝手連などが活動しつつも、有力な支持者は離反し今までは有効だった「対話集会」は空転して、選挙終盤には共産党も田中支援を強めたが、前回選挙の勢いは取り戻せなかったのである。
民主党の無策と長野県知事選の意味
ここで確認すべきは長野県民主党の親自民党体質と小沢民主党の無策ぶりである。県党は、当初、自民党とともに「反田中統一候補」の擁立を考えたが、小沢代表が「相乗り禁止令」を出したため、独自候補擁立とはなった。しかし結局は自主投票となる。ところが、投票日直前、小沢氏は田中氏支持を打ち出した。「野党第一党として反自民候補を推すのが当然」との屁理屈だが、一度は「反田中候補」の擁立を検討しながら、土壇場での田中氏支持となる経緯は、いかにも無策の象徴だ。これでは豪腕小沢の名が泣くというものだ。
今回の知事選では「反田中候補」として三十人余りの名前が挙げられ、最後に村井氏に落ち着いた。彼は、自民党県連、公明党県本部、連合長野が推薦し、現県政に批判的な県議、市民グループの支援も得て組織選挙を展開、終盤には改革を継続するとの口約束をしつつ、田中支持層への浸透を画策していったのである。
最後に一言付け足しておく。村井氏は、昨年の郵政解散で民営化法案に反対、非公認となって政界を引退した造反組である。今回の長野県知事選挙に村井氏を引っ張り出し当て馬として立候補させ、彼が予想外の当選を勝ち得たことは、小泉後継「安倍政権」が確定しつつある自民党にとって、造反組の復党承認のメッセージとなったのである。(直記彬)