トピックス  06/11/23         案内へ戻る

 沖縄知事選の総括と今後の展望

沖縄県知事選挙総括

 十一月十九日、稲嶺現知事の任期が十二月九日に満了となるのに伴い沖縄県知事選挙が実施された。
 結果は、当日開票されて、自民・公明両党が擁立した前県商工会議所連合会長・沖縄電力元会長である仲井真氏が、民主党など国会全野党が推薦した糸数氏を破り、初当選した。
 沖縄県選挙管理委員会の発表によれば、当日有権者数は百三万六千七百四十三人、投票率は六十四・五四%だった。この数字は過去最低だった前回0二年の五十七・二二%を、七・三二ポイント上回り、仲井真氏は得票数三十四万七千三百三票、得票率五十二・三%、糸数氏は得票数三十万九千九百八十五票、得票率四十六・七%で、その差は約三万七千票であった。負けてはならない選挙は薄氷を踏むような勝利でしかなかったのである。
 今回の沖縄県知事選の争点は、「米軍基地問題」「経済活性化」の沖縄県の二大懸案を抱える県民が、米軍再編を睨みどのような沖縄県の将来像を描くかが問われた選挙だった。
 焦点の米軍普天間飛行場移設問題で、仲井真氏は名護市辺野古崎にV字形滑走路を造る政府案に「現行のままでは賛成できない」としながらも、県内移設は容認する姿勢を示しており、移設に向けた政府と県の協議を続ける姿勢を示した。選挙戦で仲井真氏は、こうした公約を掲げたが、V字形案の問題点や政府に求める修正内容は一切明示せず、基地問題より経済振興を前面に掲げて闘った。沖縄県の約八%に上る失業率の半減や一千万人の観光客誘致を公約し、身近な問題への有権者の関心を引きつける戦術を取ったのである。
 これに対して、糸数氏は普天間基地の国外移設を主張した。糸数氏は全国会野党推薦を背景に民主党や保守系議員の多い地域政党そうぞうまで幅広い政党の支援を受けた。だが候補者擁立が、仲井真氏に比較して一ヶ月遅れてのハンディキャップと候補者選定過程でのごたごたやしこりが残ったままの選挙であった。
 仲井真氏は、稲嶺知事の後継者との立場を前面に打ち出し、失業対策や経済振興策の充実を主張。基地問題より生活に密着した課題を重視する県民世論を背景に、沖縄電力など組織票を取り込み、公明党からも支援を受けた。こうして振興策への期待が強い沖縄本島北部の票を固め、大票田の那覇市でも票を伸ばしていったのに対して、糸数氏は「新基地建設は許さない」と普天間飛行場の国外移設を訴えたが、「政策」を浸透させるには出馬表明の出遅れが響いた。沖縄戦の悲惨さを伝える「平和バスガイド」で培った知名度で追い上げたが、米軍嘉手納基地など基地が集中する沖縄本島中部で票を固め切れなかった。
 投票の結果、新知事に「経済活性化」を期待した有権者が「基地撤廃」を期待した有権者を上回り、経済界出身で政府与党推薦の仲井真氏への追い風とはなった。国会全野党推薦の糸数氏は、「基地撤廃」を期待した有権者の圧倒的多数の票をほぼ固めたが、仲井真氏にはわずかに及ばなかったのである。

共同通信社の出口調査結果

 選挙当日、県内四十カ所で投票を終えた千六百人に対して行われた共同通信社の出口調査によれば、仲井氏は推薦を受けた政党の支持層をぎりぎりまで固める組織選挙を展開した。これに対して、糸数氏は組織に加え無党派層を多く取り込む対照的な選挙戦を展開していた事が浮き彫りになったのである。
 仲井真氏は、推薦を受けた自民党支持層の七十七・八%、公明党支持層の八十七・三%をしっかりと固めて組織票を積み上げた半面、小泉内閣が引き寄せていた「支持政党なし」の三十七・八%しか獲得できなかった。
 糸数氏は、かつて所属した沖縄社会大衆党の百%、社民党九十二・九%、共産党の八十八・二%のほか、民主党支持層の七十四・一%を固めた。加えて無党派層の六十一・五%を取り込んだ。地域別でも、無党派層の多い那覇市で糸数氏がややリードした。
 選挙戦の争点だった普天間飛行場の移設問題では、名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部へ移設する日米両政府案に反対が六十四・一%に上った。賛成と回答した人のうち仲井真氏に投票したのは八十・七%、糸数氏へは十七・七%。反対のうち糸数氏に投票したのは六十七・二%、仲井真氏へは三十一・五%だった。
 糸数氏は、当初リードが伝えられていた仲井真氏に肉薄していたのである。

期日前投票が全有権者の一割強

 この沖縄県知事選には特記すべき事がある。それは、全有権者数(百四万七千六百七十八人)の十・五%にあたる十一万六百六人が期日前に投票したいた事である。これはまさに空前絶後の数字なのである。この割合は、投票者の実に約六人に一人となる。当選した仲井真氏を推した自民・公明両党は、期日前投票の活用を組織的に呼びかけており、こうした動きが影響した可能性が指摘されている。この期日前投票の各市各郡別の表を見ると誰もが驚くのではないか。その理由は、まるで作為があるかのような数字が実に整然と並ぶからである
 (http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=38&id=12834&page=1を見よ)。
 0二年の前回、九八年の前々回の沖縄知事選では、不在者投票はともに五万人台だった。期日前投票導入で手続きが簡略化されたとはいえ、今回はほぼ倍増したことになる。
 この事に対して、仲井真氏の選挙陣営では、「堅い支持者にあらかじめ投票を済ませてもらい、その後は支持拡大に余力を振り向ける」とし、期日前投票の少ない市町村のテコ入れなどを進めたという。自民党幹部は「期日前投票の七割程度は仲井真票ではないか。投票日の票は、糸数氏と互角ぐらいだったかもしれない」と解説したのだ。この発言はまさに関係者にしか語ることが出来ない注目に値する発言ではある。沖縄県知事選挙の翌日に報道された十一月二十日二十二時七分の読売新聞のウェッブ・サイトも必見である
 (http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061120ia24.htm)。
 この事に関連して、沖縄県知事選挙の期間には、沖縄各地でのツアーが大挙し計画され、沖縄観光がなぜか一段と盛んになったと不正選挙を疑うブログも公開されていた。
 社民党の保坂展人参議院議員が言っていた事だが、約三万七千票差で当落が決まったのであるから、この期日前投票で、実際に沖縄県知事選挙の帰趨が決せられていたのである。
 沖縄県選挙管理委員会は、こうした根拠薄弱な疑問を払拭するためにも、今回住民票の不正移動があったかなかったかについて、厳密な検証を今ただちに行うべきではないか。

今後の展望

 当選が決定した時、仲井真氏は、普天間問題について、政府がV字形案を沖縄の頭越しに決めたことに抗議するとした上で、「現行のV字形案は認められないと言ってきた。協議会に参加し、政府とよく協議したい。ストンと胸に落ちる答えを探りたい」と述べ、普天間の危険性の除去を日米両政府に要請すると語った。
 もちろんこの発言は真実でない。仲井真氏は普天間移設をめぐり、キャンプ・シュワブ沿岸部にV字形滑走路を造る日米両政府案には反対だが、稲嶺現知事が提案する暫定ヘリポート案の取り扱いなどで政府と地元が一致点を見いだせれば、移設実現に向け前進する腹づもりである事は疑うべくもない。彼がこうした発言をせざるをえないのも、負けてはならない総力戦で戦われたのにもかかわらず、糸数氏にやっとの事で勝ったとを実感しているからではある。
 十一月十九日深夜の会見で、仲井真氏の選対本部長を務めた稲嶺現知事は、自民・公明
党の推す仲井真氏が糸数氏に約三万七千票差まで迫られた結果について、「大変厳しい選挙だった」と語ったのである。
 十一月二十一日の「しんぶん赤旗」でも、「仲井真選対のある幹部も一夜明けた二十日、『選挙結果が、県民の基地容認の意思を示していると思ったら大きな間違いだ。基地問題の対応はこれからが本当に厳しくなる。経済政策でも、できもしないことをいって勝ったということだ』」と報道している。彼らはまさに追いつめられていたのである。
 青息吐息の仲井真氏や選対幹部と比べて、糸数氏は意気軒昂である。記者団からの敗戦の要因はとの問いには、「スタートの出遅れがあり、有権者にしっかりと政策を浸透できなかった」と答え、事前の準備期間の短さをあげた。また、野党間の連携に関する問いには「野党はしっかりと纏まって頑張った。共闘を組んで勝てるチャンスだと思っていた」と話し、「結束をして戦うこと、共闘し組んでやることは今後もある」と答え、自公政権を倒すためにも、この後も一致協力するところはして、力をひとつにして戦うことは重要との考えを示した。私たちは敗北感に打ちひしがれる必要はどこにもないのである。
 この薄氷を踏む勝利を飾った沖縄件知事選を除けば、安倍自民・公明党連立政権は、十月二十九日の北海道第二の都市旭川市長選、十一月二日の熊本市長選、十一月十二日の福島県知事選、十一月十九日の福岡市長選と自らの推薦候補が続けて四連敗している。絶対に負ける事が出来ない沖縄県知事選での苦戦でも明らかになったが、安倍タカ派政権では、小泉前首相が味方に巻き込んできた無党派層の票をさっぱり取れなくなったのである。
 衆議院での教育基本法強行採決をしてまで今国会成立を追求する安倍「戦争準備」政権を、来年の統一地方選挙や参議院選挙において、労働者民衆の力で徹底して追いつめ打倒する闘いを着実に推し進めていこうではないか。ともに闘おう。  (直記彬) 案内へ戻る