とぴっくす 2011/8/17        トピックス案内へ戻る
敗戦から66年目の夏

 この夏はことのほか暑い、と思う。仕事に行かなくてよくなって、クーラーのない家に1日いると、本当に暑いのです。今夏は節電≠フ押し付けがうるさくて、余計に暑いのかもしれません。
 そんな私事は別としても、東日本大震災と福島原発震災によって、焼けたトタン屋根の上で踊らされているような焦燥感を覚えます。ヒロシマ・ナガサキでも今年は脱原発が公然と叫ばれるようになりました。
 この国の不幸は、敗戦を終戦≠ニ言い募り、侵略戦争の責任を直視しなかったこと。反核を核兵器の廃絶に限定し、原子力発電を核の平和利用≠ニして、むしろ賛成してきこと、と言ったら言い過ぎでしょうか。
 敗色濃い1944年、国民学校初等科3年生以上が「学童疎開」の対象になりました。8月14日、ピースおおさかで上映された「ボクちゃんの戦場」は大阪から島根へ集団学童疎開をした子ども(少国民)たちの物語です。若々しい前田吟が思いっきり忠君愛国教師を演じていて、疎開先の共同生活の場が戦場のようになっていました。本土決戦の時に足手まといにならないように、将来の兵隊を育成する場として、集団学童疎開はあったと描いています。
 その年齢の戦争を経験してきた人々が、もう語り継げなくなってきつつあります。それほどの時を隔てて、今また「学童疎開」という言葉がささやかれるようになっています。福島の子どもたちを放射能汚染から守るために、それが必要になっているのです。福島原発震災はこの国をすっかり変えてしまい、私たちは放射能汚染と折り合いをつけながら生きていかなければならなくなったのです。
 敗戦から66年、責任回避し続けてきた結果、この国はここまで来てしまいました。子どもたち、そのまた子どもたちのために、消し去ることのできない重荷を残してきてしまいました。だから私は、脱原発めざして全力を傾けなければと思っているのです。
 にもかかわらず、政権交代を果たした民主党の体たらくに、この国の多くの人々は橋下流の独断を待望しているようです。脱原発も多数派になったようでも、ゆるやかな着地、自らの責任と行動を伴わない彼方にゴールを遠ざけているのです。
 北海道電力泊原発3号機を、経済産業省原子力安全・保安院が再稼働させようとし、高橋はるみ道知事もこれを了承しました。知事は保安院だけでなく原子力安全委員会も含めた二重チェック≠評価したようですが、フクシマをもたらした戦犯≠フ安全のお墨付きにどのような意味があるのか、愚かな判断というほかありません。
 原発推進派は目の前の利益さえ守れたら、あとはどうでもいいという考えなのです。放射能汚染や核廃棄物をどれだけ残そうと、福島の子どもたちの未来が閉ざされようと、かまわないのです。放射能から逃れるために「学童疎開」が必要になったこの国の状態は、ある種の戦争状態≠ノなってしまっているのです。この夏の暑さのなかで、この事実をわたしたちは噛みしめなければならないのです。   (折口晴夫)
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